| 【合本版1-7巻】魔術士オーフェンしゃべる無謀編 (TOブックスラノベ) | |
| 秋田禎信 | |
| TOブックス (2019) | |
※本電子書籍は「魔術士オーフェンしゃべる無謀編」1〜7巻を1冊にまとめた合本版です。
イラスト:草河遊也 Yuuya Kusaka
デザイン:ヴェイア Veia
CONTENTS
このコンテンツは『魔術士オーフェン・無謀編』1〜7巻を収録しています。










「ざけんなコラ! たいがいタワケタことばっか言ってっと、黄色い煙 で燻 し殺すぞ!」
商都トトカンタの小さな食堂──小さすぎて彼らの貸切だ──に、罵 声 が響 き渡る。
テーブルの向かいから身を乗り出す、手皮のマントをまとった身長百三十センチほどの地 人 の少年をにらみ返しながら、オーフェンはゆっくりと言い返した。
「ほおう。ずいぶんと偉 くなったよーじゃねえか。ボルカン」
年の頃 二十歳 くらいの、黒を基 調 とした格 好 の黒 魔 術 士 である。目は鋭 い──というよりも斜 視 に近い。彼はテーブルの上に両手をついてこちらをにらみつけているボルカンから視線を外 し、そのとなりにいる分 厚 い眼鏡 をかけた、やはり地人の少年へと向き直った。
「なあ? 鳥頭の兄 貴 ならともかく、お前なら覚えてるよなあ、ドーチン──お・ま・え・ら・が、俺 から借りた金! とうの昔に返 済 期限が過ぎてんだよ!」
「あの......『お前ら』って、お金を借りたのは兄 さんなんですけど......」
弱々しい口 調 でドーチンがうめくと、そのとなりから、容 赦 ない一 撃 が彼の横 面 を張り倒した。
「情けないぞ! ドーチン! 血を分けた兄を売るとはっ!」
殴 り倒され、椅 子 から転 げ落ちて、ドーチンがぼやくように言う。
「い、いや──その──でも、受 精 卵 はそれ自体で血液を作ることができるから、兄弟のみならず親子だって血を分けたってわけじゃあ──」
「そんなわけの分からんことを言っても兄はごまかされんぞっ!」
「でもこれは科学的な──」
テーブルの上と下とで口 論 する兄弟をにらみ据 えつつ、オーフェンは怒りで肩を震 わせて、どんとテーブルをたたきつけた。
「うるせぇっ! くだらねえことはどーでもいいんだよっ! とにかく、お前らが借りた金──」
と──オーフェンがテーブルの上のボルカンの脳 天 をがっしとつかんだとき、唐 突 に声がかかった。
「あのう......」
三人がいっせいに振り返ると、そこにはひとりぽつんと女の子が立っている。二十歳より少し前というところだろう。おどおどと胸 元 で手を組み合わせて、なにかに怯 えているふうだ。彼女は短く切った黒 髪 の先をふるふると震わせながら、
「あなたたちは、傭 兵 なんでしょうか?」
「はあ?」
オーフェンは顔をしかめ、聞き返した。
「傭兵だあ? 今時、ンな物 騒 な商売してる奴 なんて──」
が、彼女はまるっきりなにも聞いていないのか、いきなり腕を振り上げ──
「お願いっ! 話を聞いてくださいっ!」
テーブルの上に思いっきり、全体重を乗せたエルボーをたたき込む!
「だああああっ!」
真っぷたつに割れてボルカンごと床 までめり込むテーブルから後 退 るように、オーフェンは逃げた。見るとドーチンもなんとか逃げ出したようだが、ボルカンは完全に床下まで埋 もれている。その彼の上に突 っ伏 すような格 好 で、女はじっと動かなくなった。不安になって顔を近づけてみると、うつ伏せのまま、しくしく泣いている。
「あ、あの──」
オーフェンが声をかけると、彼女は小さくつぶやいた。
「肘 をくじいてしまいました......」
「い、いや、そんなことを言われても──」
「ひどいっ!」
彼女はバッタのように跳 ね上がると、すさまじい勢いでオーフェンの鼻先に右フックを放つ!
「ひええええっ⁉ 」
彼は悲 鳴 をあげながらなんとか避 けた。その彼女の向こうで、ドーチンが、恐らくこの事態では最も常識的な行動と思われたが、床下からボルカンを掘 り出しているのが見える。
彼女が続けて放った左ジャブまで避けると、彼女は、その空 振 りした自分の拳 を見つめながら、ぽろぽろと涙をこぼしはじめた。
「ひどいわっ! 話すら聞いてくださらないなんてっ! 鬼よっ!」
そのまま両手に顔をうずめ、わっと泣き出す──
「い、いや、話があるんなら、できれば手を出さずに話してくれないと──」
しどろもどろにオーフェンが言うと、彼女はぴたりと泣くのをやめ、顔を上げた。
「話を聞いてくださるんですのねっ!」
ゔ............
オーフェンは胸 中 でうめきつつ、彼女を見返した。彼女の混じり気 のない、きらきらした双 眸 を見つめながら、オーフェンは既 に射 すくめられ、身動きがとれなくなっていた。

「助けていただけるなんて、こんなに嬉 しいことはありませんわっ!」
と、表情を輝 かせる彼女に、オーフェンは『待った』をかけるように手をあげて、
「いや、その──まだ助けてやるなんて一言も──」
「ええっ⁉ 」
ひどく驚 いた顔で、彼女。その背後で、ようやく息を吹 き返したらしいボルカンが腕 をまくるのが見えた。
「このアマ、いきなりなにをしやがる──」
後ろから突 進 してきたボルカンの頭を、まるっきりそちらの方向を見もしないで、彼女はがしっとわしづかみにした。
「でもさっきは一生めんどうをみてくださると──」
訴 えかけるようにそう言いつつ、ボルカンの顔面の真ん中に拳を打ち込む。鼻 血 を出して後ろに倒れるボルカンを見ながら、オーフェンは激 しくかぶりを振った。
「言ってないぞ! ンなこと!」
が、彼女は完全に無 視 して続けた。
「実はわたくし──」
言いながら、倒れたボルカンを起こしにかかる。白目をむいたボルカンの頭を小わきに抱 えて指を鳴らしている彼女を、後ろからドーチンがあわてて制した。
「ち、ちょっと待ってよ──君さあ、その──暴 れずに話ができないわけ?」
「暴れずに?」
彼女はまったく理解できないという口 調 で、
「なんのことですの?」
むろん、これを言うまでにしっかりとボルカンの首を両腕で固めている。
「いや、だから、なんのことって......」
「ゔえええええええ......」
と、これはボルカンの声。ひどく不自然な方向に首をねじ曲げられ、泡 のまじったよだれをたらしている。
「わたくし、よく人にはひっこみ思 案 で損 をしているって言われますの」
ドーチンはそのときまでには、すでにあきらめの表情になっていた。
「まあ......人は自分の欠点になかなか気づかないものだって言うしね」
「......そーゆう問題か?」
オーフェンは一歩退 いた眼 差 しで聞き返したが、誰 も答えなかった。
「ゔえええええええええええええ......」
ボルカンがもう一度うめき、急にぐったりとなって手を力なく床に落とす。
と、その瞬間──ぴくり、と彼女の表情がひきつった。
「ひどいっ!」
気 絶 したボルカンを持ち上げ、床にたたきつけると、げしげしに蹴 りはじめる。
「わたくしがせっかく勇気を出して助けを求めているとゆーのにっ! 話の最中 に寝 るなんてっ!」
「ああああああ」
暴 れだした彼女からなるたけ離れようと、オーフェンとドーチンは連れ立って後 退 りした。ドーチンが、頭を抱 えてうめいている。
「平和が欲しい......」
「わたくしを誰だとお思いですのっ! チャコール・グレイ家の次期当主! ミシリム・チャコール・グレイがこーまで頭を下げているというのにっ!」
ボルカンごとテーブルを抱えて店をぶち壊 しながら、彼女はそう叫 んだ。早 々 に裏 口 から逃げ出しにかかっている店主の背中を見送りつつ、オーフェンの頭に閃 きが走る。
「チャコール・グレイ?──って──」
刹 那 ──
「待てっ!」
店の入り口から、鋭 い声。
オーフェンはじめ、店の中の視 線 すべてがその入り口へと向かう──ちょっとした段差のあるその入り口には、いつの間にか数人の男たちが立っていた。全員がまるっきり色気のない光 沢 なしの黒のスーツを着ていて、濃 いサングラスをかけている。袖 口 のカフスまでもがお揃 いで、金の菱 形 の真ん中に赤い紋 様 が記 されていた。
一番最初に声を発したのはミシリムだった。
「なんですの、その格 好 は。おっさんくさい」
「知り合い?」
オーフェンが聞くと、ミシリムがかぶりを振った。
「いいえ。あんなじじむさい連中は知りませんわ」
「でも、精 神 年 齢 は低そうだね。あのグラサンなんて特に」
ドーチンが横から言う。ミシリムは納 得 したような顔でうなずいた。
「とっちゃんぼーやですのね」
「ぃやかましいっ!」
男たちの中のひとり──ひときわ体格のいいのが、いいかげんたまりかねたように声を出した。
「黙 って聞いてれば、じじむさいだのなんだのっ! これは職業的な──ほれ、つまり──制服なんだから仕方がないだろうがっ!」
「典型的な悪役の格好だな」
オーフェンが評する。
フン、と黒のスーツの男は鼻を鳴らして、少し落ち着いたのか口 調 を整 えた。
「なんとでも言うがいい......さて、ミシリム・チャコール・グレイさんですね?」
と、彼がミシリムのほうに向き直る。沈 黙 の一瞬 、ミシリムの足元で、もそっとボルカンが起き上がった。ぼろぼろになりつつもなんとか立ち上がり、
「こ、このクソアマ──」
つぶやいた瞬間、ミシリムが茫 然 自 失 のていで、どさっとテーブルをボルカンの頭上に落っことした。カエルが馬車に踏 まれたような音を立てながら、ボルカンはテーブルの下 敷 きになって見えなくなった。
ミシリムが、愕 然 としたように叫ぶ。
「......さては、あなたたちが──この前からずっとわたくしの後をつけまわしていた奴 らですのねっ!」
「まあ......そういうことです」
「なぜっ! 撒 いたはずですのに、どうしてわたくしがここにいることをつきとめたんですのっ!」
「いや......その──」
と、男は困ったように、派 手 に壊 れた店内を見回してから答えた。
「近くを通りかかれば、あなたがいる場所はすぐに分かるし......物音とか悲 鳴 とか──」
「分かったわ! スパイがいるのねっ!」
知ってか知らずかボルカンの頭を踏み付けながら、彼女が叫ぶ。
「いや、そーじゃなくて......」
「ごまかそうとは、どあつかましいっ! スパイは誰ですのっ!」
「え、ええと、あの──」
「ああ、うるせいっ!」
と、いきなりオーフェンは天井 に向かって手を差し上げ、強烈 な光熱波を放った。爆 音 が店を揺 るがし、天井の漆 喰 を粉 塵 にして撒き散らす。そのままくるりと向き直ると、さすがにミシリムも黒服たちもぴたりと静かになった。オーフェンは続けた。
「よくは分からんが──必要なことはだいたい分かった。そこで質問だ。俺 の協力が欲しい人は?」
「へ?」
「だから俺の手助けが欲しいのは誰なんだよ」
「ええっと......」
互いの顔を見合わせつつ、ミシリムと黒服たちとがいっせいに手をあげた。オーフェンはそれを見てから満足してうなずき、
「いくら出す?」
「え?」
一番大きな声を出したのはミシリムだった。
「この場合、人道上、当然、か弱きわたくしに助勢すべきでは......」
「それは、どーか知らんが......」
オーフェンは冷たく彼女を見返して、
「いくら出す? 持ち合わせがないならモノでも可。ただし売れないものは駄 目 」
「肩たたき券」
「最近あまり動かなくなったウチのじーちゃん」
「売れるかっ!」
オーフェンが怒 鳴 ると、ミシリムの足の下からボルカンのずんぐりした手があがり、
「とりあえずこのアマをどかしてくれたら──」
「くれたら?」
「もっと借金をしてあげます」
「いるかっ!」
オーフェンは叫び、ぶつぶつと続けた。
「ったく、ロクな連中じゃねーな。競 りにもなりゃしねえ。ドーチン、お前は?」
いきなり聞かれてドーチンは、ぎくりとしたようだった。
「え、えっと──あのミシリムってひとに踏 まれている兄さんを」
「ああ」
「助けなくていーです」
「おいコラ! ドーチンっ!」
と、ボルカンが最後の力を振り絞 って顔を上げる──その脳天を、どげし! とミシリムが蹴 りつぶした。
「なんてひとたちですの! 人の命がかかっているとゆーのに、それをお金で取引しようなんてっ! 人間のクズよっ!」
だん、だん! と小 気 味 よくボルカンを踏みつぶし、地人の身体 は再び木の床にめり込んでいく。
「死んじゃったかな、兄さん」
あまり心配そうではない口調で、ドーチンがつぶやく。
「さあな」
似 たような口調でオーフェンも返事した。
「さて! 茶 番 はそこまでにしてもらいましょうか! ミシリムさん──」
黒服たちが、ずいと前に出てくる。それにあわせてミシリムは、ボルカンを踏むのをやめて、さすがに神妙 に冷 や汗 をたらしながら後 退 りした。それを見てドーチンが嘆 息 し──のろのろと、兄を回収しに歩いていく。ドーチンは黒服たちとミシリムの間を通り抜けて、ずたぼろになったボルカンを床から引き抜き引きずっていった。
しん......とした眼 差 しでそれを見送ってから、こほんと咳 払 いし、黒服のリーダーは、さっとスーツの上着を脱 いだ。
「さて......わたしも、荒 縄 のコンコーイと呼ばれた男です。ここであなたを取り逃がしたとあっては、我が主人にも面 目 が立ちません」

「あらなわ?」
オーフェンは思わず聞き返した。ふふ、と笑いながら、そのコンコーイとやらが答える。
「つまり──」
とポケットから、こよりのような一本の紐 を取り出し、片手で器用に二の腕に巻き付け、
「ふんっ!」
気合を入れるとともに力こぶが盛 り上がり、その紐がぷつりと切れる。コンコーイは得 意 げにしめくくった。
「まあ、こんなものですよ」
「発想がまたじじくせえなあ」
「うるさいっ!」
「それに、それだったら麻 紐 のコンコーイの間 違 いじゃねえか」
オーフェンは指 摘 したが、コンコーイはまったく気にしないふうで、
「はっはっ。これだから俗 物 は困る......これは麻紐ではなくて、ちゃんと特注して作った、ちょっと細めの荒縄なのだ」
「そこまでして......」
「うるさいなあ。わたしん家 の斜 向 かいのウィリアムさんなんて、犬くらいの大きさの子 熊 をいじめまわして熊殺しと名乗ってたぞ」
「......いや、それで満足ならいーんだけどな」
オーフェンはあえてそれ以上は追及せずに、ほかの連中の顔を見回した。気絶したままの兄のほおをぴしぴしと叩 いているドーチンは、明らかにこれ以上深入りするよりは、とっとと兄を起こしてずらかったほうがいいと思っているようだ。ミシリムは一転、深 刻 そうに自分で自分の身体を抱 き締 めている。
コンコーイは、さらにミシリムに近寄っていった。
「さて、ミシリムさん。我が主 のもとにお連れする前に、少々わたしとお手合わせ願えますかな? これも主人の命 でしてね」
「な、なんですって?」
ミシリムは素人 芝 居 じみたオーバーアクションで叫んだ。
「なんの力もない、身を守るものといえば毅 然 とした態度と少々の機 知 しか持ち合わせていない無力な女の子をいたぶり殺そうなんてっ!」
「い、いや、いたぶり殺すとまでは──」
「鬼 っ! 悪 魔 っ! 人類の敵っ!」
「あっ、うわっ! たっ! お、おい、こら! ナイフとフォークだけは投げるんじゃない! 危ないっ! あ、ジョーイ! 俺を置いて死ぬんじゃないぞ!」
頭にフォークが突 き刺 さった仲間を介 抱 するコンコーイを眺 めつつ、オーフェンは、その向こうでボルカンが目を覚 ますのに気が付いた。地人はいったんびくっと身じろぎしてから、重い扉 を押し開けるようなうめき声を出す。
「く、くそ、あのアマ......」
「あ、兄さん、気が付いたね」
ボルカンの首がひどく不自然な方向に曲がっているような気もしたが、オーフェンにとってはどうでもいいことではある。
ボルカンはむっくりと起き上がるといきなり、げし、とドーチンの鼻 面 に拳 を打ち込んだ。
「な、なにすんのさ、兄さん!」
「うるさいっ! さっきのことを忘 れるとでも思ったかっ! それに、なんで俺ばっかり殴 られてなけりゃならんのだっ! だいたいなんだ! 話をするときにはまっすぐこっちを見ろ!」
「いや、曲がってるのは兄さんの首なんだけど......」
「屁 理 屈 を言うなっ!」
またドーチンを殴り倒してからボルカンは、ふと気になったように横目で、いつの間にか同レベルに皿 やら椅 子 やらを投げあっている黒服とミシリムとを見やった。
「あいつら、なにやってんだ?」
殴り倒されてまだうめいているドーチンのかわりに、オーフェンが答える。のんきに。
「いや......俺もよく分からんのだが、あの黒い服を着た連中が、あのミシリム・チャコール・グレイってのを荒縄で縛 り上げてなぶり殺しにするんだそーだ」
「するかっ! ンなこと!」
と、これはどうやら聞いていたらしいコンコーイの声。
それは無視して、ぴくり、とボルカンの表情が変わる。
「チャコール・グレイ家? トトカンタでも有数の名家じゃないかっ!」
突然すっくと立ち上がり、ボルカンは黒服たちに向き直った。
「貴 様 らっ! か弱き令嬢 をよってたかって亡 き者にしようとはっ! 恥 を知れ!」
「......ついさっき、その令嬢に半殺しにあったくせに」
だがボルカンはドーチンのつぶやきを完全に無視して、黒服たちに突 進 していった。
「おーい、ちょっと待 ──」
オーフェンはふと気になって声をかけたのだが、それも聞こえていないらしい。
「くらえ正義の鉄 拳 ! 貧 乏 人 には塩を売り、大金持ちには恩 を売れ! 根性 の腐 ったハイエナども、このボルカノ・ボルカン様が現 金 書 留 で送り殺してくれる──」
「──だから言ったのにな」
荒縄(麻 紐 ではなく)で兄弟 ともども背中合わせに縛り上げられたボルカンとドーチンを眺 めつつ、オーフェンはあごに手を当てて言った。
「お前が一対五で勝てるわけねーだろ」
「うるさい! 信念と正義さえあれば──」
その背中で、ドーチンがぼやく。
「だから負けたのかもしれない。だいたい、なんでぼくまで縛られるんだ」
「なにを言うかっ! 兄と苦 楽 をともにしようという家族愛があってこそ──」
「......って、苦 痛 しかともにしてないような気がするんだよなあ」
「なんだかなあ」
オーフェンはぼんやりとつぶやいた。まだ皿を投げあっているミシリムらを見ながら、
「ちゃんと金になるんだろーな、これは......」

不安げに言う。が、とにかくなにかをしなければ始まらない。オーフェンは嘆 息 まじりに両手を掲 げ、声 高 に叫んだ。
「我は呼ぶ破 裂 の姉 妹 !」
ぐわっ──
と、場の空気がひしゃげて膨 らむ。空気そのものの爆 発 、とでもいうような衝 撃 波 が、無差別に店の中に炸 裂 した。
「にええええええっ!」
ミシリムや黒服らが、各 々 勝手な悲 鳴 をあげつつ、逃げ惑 う──が、そんなものはおかまいなしに衝撃波は、すでに半壊しかけていた食堂を完 膚 なきまでにぶち壊し、テーブルの類 いをなぎ払 う!
魔術の効 果 が終わり、店の中が静まると、内装はめちゃくちゃになっていた。ミシリムも黒服も、瓦 礫 に埋 もれてぴくりともしない。オーフェンはつかつかと歩いていくと、無 造 作 にミシリムの足を引っ張って掘り出した。目を回しているらしい彼女をそのまま手早くかつぎ上げると、
「おし。行くぞ」
ボルカンとドーチンに言う。
ドーチンが、信じられないといった口調で聞き返してくる。
「た、助けてくれるんですか?」
オーフェンは不 機 嫌 顔で答えた。
「たりめーだろ。借金の分、てめーらにも働いてもらわねえとな。役に立てば、このご令嬢を手助けする報酬 から立て替えてやるぜ」
「──立て替える、だと? じゃあ報酬から差っ引くってことか?」
ボルカンが悲鳴をあげた。こんなときだけは、妙 に頭の回転が速い。
「コラ、魔術士! 同じ仕事をするんなら、山分けが筋 だろーがっ!」
「なにが筋だ! てめえらなんぞ置き去りにしてってもいいんだぜ!」
「くそ! 貴様なんぞに助けられるつもりはないっ! このマスマテュリアの闘 犬 ボルカノ・ボルカンは自力で脱出してやるからな!」
「勝手にしな!」
短く叫ぶとオーフェンは、失神したミシリムをかついだまま出口から出ていこうとした。と──その背後でいきなり、ごん! ととてつもなく鈍 い大きな音が響 く。
振り返ると、床に落ちていたジョッキで背後の兄を殴 り倒したドーチンが立っていた。
「さあ行きましょう。とりあえずうるさい兄を黙 らせましたから、ぼくに取り分プラス一ですね」
「............」
オーフェンはなにも答えず、とにかく通りに飛び出して、空 いている馬車を探 しはじめた。
「待てえええええい!」
ドーチンにボルカン、ミシリム、そして当然オーフェンの四人を乗せた馬車は、トトカンタの街道を明らかに違反と思われる速度で疾 走 していたが、追っ手はそれ以上に速かった。あのコンコーイとかいう黒服が、黒っぽい毛並みの牝 馬 に乗って追いかけてきている。
これだけのスピードというのは馬車上からでも脅 威 だったし、気絶したミシリムが落っこちないように押さえ付けているのもかなりの労働である。
ちっ──とオーフェンは舌打ちした。手 綱 を握 る御 者 の肩をつかみ、
「おい! もっと急げねえのか?」
とはいえ、答えは分かり切っていた──見下ろすと、車輪がもうかなりガタガタ鳴っている。これ以上スピードを上げたら車体が分解するかもしれない。
案 の定 、御者はかぶりを振った。
「い、いやあ──無理ですよ」
もう既 にかなり青ざめた表情で、年とった御者はつぶやいた。街中でこれだけのスピードを出しているところを警 備 隊 に捕 まれば、職業免許 を停止されるくらいではすまないかもしれない。
「......ううん......」
と、手 狭 な馬車の上で、ミシリムがうめき声をあげて目を覚 ました。そして、はっと起き上がってあたりを見回し、
「ああっ! とうとうさらわれてしまったのねっ!」
「違うっ!」
オーフェンはぐるりと振り返ると、逃げ出そうとしているミシリムの首根っこをひっつかみ、そのまますごみを効 かせた顔で言う。
「いいか──じたばたするんじゃねえぞ。あとで報酬 さえ払ってくれれば無 事 に家まで送りとどけてやる」
それを聞いて、彼とミシリムとを見比べながら、ドーチンがぽつりとつぶやく。
「いやあ......その言い方は、誤 解 を招 くと思うなあ」
「じ、じゃあ、お嬢 さん、わたくしめにあなたの身をお守りする栄 誉 をお与えください」
「......急に言葉に熱意がなくなったね」
「うるさいなあ」
オーフェンがぼやくと、ミシリムはなんとか納 得 したようだった。だが、後方から追ってくるコンコーイの顔を一 瞥 して、表情に不安の色がよぎる。
「なんとか、あれをくいとめる手はないものでしょうか。わたくし、あの黒スーツを見るだけでムカムカしてきますわ」
「うーん......まあ、テはあるけど──なあドーチン。ちょっとこっち来てみ?」
「? はあ」
気絶したままのボルカンを馬車の床に打ち捨てて、ドーチンはこちらに寄ってきた。オーフェンはドーチンを後ろの座席に座らせ、コンコーイのほうを指さして、言った。
「あれが見えるか?」
「え、ええ。でもなんだかぼくいやな予感が──」
「気のせいさ。ところでミシリム。こっち向いて」
「はい?」
ミシリムは振り返り、そして──どう見てもわざととしか思えなかったが、裏 拳 でドーチンの後頭部を打ちすえた。その勢 いで、ドーチンの身体 は、すっ──とすべるように馬車から転 げ落ちた。
「──え?」
ドーチンの声だけがぽつんと取り残される形で、馬車上につぶやかれる。ドーチン本人は、いまだ信じられないような表情で地面をバウンドし──後ろから追いかけてきていたコンコーイの馬に激 突 した。
「でももしかしたらこれでぼくに取り分プラス二いいいいいいぃぃぃぃぃ......」
落馬するコンコーイと、悲 鳴 (歓 声 かもしれない)をあげるドーチンとを遠く後ろに眺 めながら、オーフェンはにっこりとミシリムを見た。彼女はぐったりと脱力し、その場に手をついて──
ぶるぶると唇 を震 わせながら、彼女はつぶやいた。
「わたし──まったく偶 然 の、過失の、運命的な、まるっきり人 為 を介 してない、罪 のない事故とはいえ──」
「い、いや、そうかなあ」
オーフェンは首をひねってつぶやいたが、彼女はまるっきり聞いてはいなかった。
「事故とはいえ、人を死なせてしまったわ!」
「うーん......でも、地人ってのはえらく頑丈 だし、そー簡単には死なないと思うけど......」
オーフェンはとりあえず慰 めたほうがいいだろうと、ミシリムの肩に手を置こうとした。が、彼女はぽろぽろと涙を流しながらがくんと肩を落とし──落とした手の先が、馬車の床で寝込んでいたボルカンの腕にたまたま触 れて──
「わたしが人を傷 つけてしまうなんてっ!」
彼女はそう泣き叫びながら、ボルカンの腕を手 羽 折 りに極 めた。悲鳴をあげながら、ボルカンが目を覚ます。
後ろの騒 ぎなど聞こえないほどに緊張 している御者は、いまだスピードを落とすタイミングがつかめずに、どこまでも馬車を疾 走 させていった。
馬車はチャコール・グレイ家の屋 敷 にたどり着いた瞬間、限界を迎 えて崩 れ落ちた。商売道具を失い、おいおい泣いている御者を尻 目 に、ミシリムは屋敷の門をくぐっていった。
「......立 派 なお屋敷だな」
後ろからついていき、オーフェンが言うと、ミシリムはびっくりしたように振り返った。
「あら、ついてきたんですの?」
「いや......まさか報酬 払わないつもり?」
「あら、あら」
ミシリムはまるっきり無意味な返事をすると、子供が熊の縫 いぐるみを抱えて歩くようにボルカンを抱えて──ただし関節技を極めながら歩いていった。
と──その後は無言で広い広い庭を抜けて、屋敷の前まで出る。見上げるばかりの真っ白な屋敷に、オーフェンは思わず感 嘆 の吐 息 をもらした。
その彼らの前に──すっと、人 影 が現れる。
「なんだ、生きてたのか」
オーフェンは声をあげた。
「......どしてそーゆうひどいことが言えるんですか」
ドーチンが陰 鬱 に聞いてくる。
屋敷の前には、頭を包 帯 でぐるぐる巻きにしたコンコーイと、その横に、やはり包帯と絆 創 膏 だらけのドーチンが並んでいた。そして──そのさらに後ろにもうひとり、こちらは全然見たこともない男。
「ミシリム!」
その男はコンコーイとドーチンを押しのけ、こちらに向かって両腕を広げた。金 髪 を短くした、筋肉隆々 の若者である。
彼を見て、ミシリムが驚愕 の声をあげた。
「ヒル!」
ついでにボルカンも大声をあげる。
「なぜ俺の首をひねるうううう!」
動かなくなった地人の身体 を地面に下ろし、ミシリムは感 極 まったようにその男──ヒルとやらをじっと見つめはじめた。
「なあ......なにがどうなってるんだ?」
オーフェンは首だけ回してドーチンに聞いた。ドーチンは、よくしゃべれるように口元の包帯をずらしてから、
「......あの方が、アンドン交 易 の御 曹 司 、ヒルだそーです。こちらのお嬢さんとは婚約者だそーでして」
「で......わたしはヒル様に雇 われている」
コンコーイの言葉に目をぱちくりさせながら、オーフェンは不思議に思い、聞いた。
「えっと......なら、お前があの女を荒 縄 でなぶり殺しにする必要なんてねーじゃねえか」
「だから、ンなことは最初からするつもりないってのに」
「まあ......見てれば分かりますよ。ぼくは話を聞いて頭が痛い......」
ドーチンがそう言い、ミシリムとヒルのほうを指さしたので、オーフェンもそれにならってふたりを見やった。
まず最初に口を開いたのはミシリムだった。
「ヒル......会いたかった。どうしたの? 突然何か月も姿を消して──」
「ぼくは、君に相応 しい男になるために修行 をしていたのさ」
ヒルは言うと、優にソファーの背ほどもある胸板をぐっと広げた。
「さあ、勝負だ──ミシリム、おいで!」
「ヒル!」
ミシリムは涙を流しながら叫ぶと、ヒルの腕の中に飛び込んだ。
「ヒル! 会いたかった!」
すぼぅんっ!──叫びつつ、腋 の下の急所に強烈な肘 を打ち込む。ヒルは二、三歩も退きながらなんとか耐えて、
「ぼ──ぼくもさ!」
「あなたなしの生活なんて考えられないっ!」
ぱんっ! と、これは牽 制 の平手打ち。そして、
「ああっ! わたしをもう放さないでっ!」
だんっ!──絶妙なコンビネーション・ブローがヒルのあごを捉 える!
ヒルはぐらりと身体を傾 かせ、地面にひざをついた。
「ほほう。今のは効 きましたね」
のんきな口調で、コンコーイが言う。それを受けて、オーフェン。
「うん。あの坊や、まるっきり反 撃 の糸口が見つけられない。試合の流れについていけてないんだ。これは良くないな」
「あの......解説してる場合じゃ......」
オーフェンは無視して、体勢を低くしてしまったヒルの顔面にミシリムの飛びひざ蹴 りが極 まるのを見つめた。
腕 組 みして、まるっきり見物客のていでオーフェンは言った。
「ふむ──それにしてもあのお嬢さんは筋 がいいな。今のアッパーを見たか?」
「今日はまだ見せていませんが、スウェイバックも神 業 ですよ。なにしろ彼女はもと王宮拳 闘 士 の家系チャコール家と、天候見張り役の家系グレイ家の遺伝的ケッサクですからね」
「天候見張り役?」
「だから目がいいんです。おっ、出ましたね。あの幻 の右が出ると、ヒル様も弱いですからねえ。しかし、極 め付けは十八歳の誕生 パーティーのときに一度だけ見せたレッドホットシューティングスターハリケーン──」

「......どんな技 だ、それは」
オーフェンはうめきつつ、まだ死 闘 を繰 り広げているミシリムとヒルに近寄っていった。すると──ミシリムが目ざとくこちらに気づき、標的をこちらに変えて突進してくる!
「ほい」
オーフェンは落ち着き払って、地面に転がっていたボルカンを放ってやった。ミシリムは餌 を投げられた犬みたいにボルカンに飛びつき、えらく複雑な関節技に極 めて、それを後ろに放り投げ、脳天からたたきおとした。恐 らくこれが、レッドホットなんとかという技なのだろう。
オーフェンはそれを尻目に、芝 生 の上に倒れてグロッキー状態のヒルの上にかがみこんだ。ヒルは、ふらふらの口調でつぶやいた。
「う......ミシリム。部下が手傷を負わせた後ならなんとかなるかもしれないと思ったのに──」
「修行ってな、それのことかい。まあいいや。おい、ヒル。あの女をおとなしくさせたらいくら出す」
「へ?」
ヒルは虚 を突かれたような声を出したが、しばしして──
「ぼくらの結婚式に招待してあげるよ」
「ンな危険な催 しに参加できるかっ! 金だよ、現金オンリー! いつも朗 らかキャッシュでポンだ!」
「なにそれ......」
後ろで、ドーチンがつぶやく。
「う......なら──こんくらい」
ヒルは震 える手で、空中に数字を描いた。それは、まあ──まずまずの金額だ。
「よし」
オーフェンはうなずくと、くるりと立ち上がり、今はボルカンを木の枝にぶら下げてサンドバッグにしているミシリムに向き直った。
おもむろに手をあげて──
「我は放つ光の白 刃 !」
彼の手から放たれた光熱波がボルカンを直撃し、爆 風 と熱波がミシリムを吹き飛ばす!
ど──おおおぉぉぉぉ......ぉぉんんん......
あまりにも長いエコーのかかった爆音は、チャコール・グレイの庭園に生 々 しくこだました。あとには、黒 焦 げになったボルカンと燃え上がる庭木、そしてもみくちゃになって倒れているミシリムだけが残った......
数日後。
「......あ」
「なぜ逃げる」
道でばったりと出くわしたドーチンを取り押さえ、オーフェンは脅 すように言った。
「で? そろそろ金を返すあてはできたのか?」
「答えは知ってるくせに」
自分の足の下でうめくドーチンに、オーフェンは陰 険 な声 音 で答えた。
「知ってようがなんだろうが、あのヒル・アンドンのサギ野郎、こっちが注文どおりにカタつけてやったってーのに、報酬よこしやがらねえ。おかげで一 文 なしなんだよ」
「サギって......それはごく当然の反応だと思うけど......」
「あんでだよ」
「なぜと聞くかなあ。あのミシリムってひと、病院送りになっちゃったんでしょう?」
「いいじゃねえか。世の中のためだ」

「それは否定しないけど......」
複雑な表情で、ドーチンはつぶやいた。
オーフェンは、ほとんど踏みにじるみたいにしてドーチンをのぞき込んだ。
「なんにしろ、ンなこたぁどうでもいいんだよ。ちゃんと郵便で自動発火装 置 送り付けて仕返しはしたから。で、ボルカンの野郎は今なにしてる?」
「ええと......橋の下で三日ほど寝込んだら、だいたいケガは治 ったみたい」
「なんだ、生きてたのか」
「そゆことを言うかな......で、兄さんなら野 良 犬 を飼 い慣 らして、子供を襲 って小 遣 いをまきあげる計画を立てて喜んでたけど......」
「......ま、いーけどな。それで、いつごろになったら借金は返ってくるんだよ」
「額と利率とを考 慮 して......ぼくの計画じゃあ、四十年後くらいかな」
「待てるか、タコ!」
オーフェンは怒 鳴 ると同時に、思いきりドーチンの身体を馬車道に蹴 り出した。これ幸いと通りの向こうに逃げ出すドーチンの背中を見送ってから、オーフェンは天を見上げた。
「なんだかなあ......また、儲 けなしかよ。慈 善 事 業 の才能でもあんのかね、俺 は」
別に彼の独 り言 に応 えるためというわけでもなかろうが、通りに一 陣 の風が吹きこむ。風に髪 を撫 でさせながら、とりあえずオーフェンは、風に転がされてきたゴミを蹴り返した。
(てめぇら、とっとと金返せ!:おわり)


「ひゃあああうぅ、おおおぇあおあうっ!」
人語を越 えた悲 鳴 をあげつつオーフェンは、古びた白 大 理 石 の遺 跡 の壁 に身を隠 した。ちゅんちゅんっ──と、幾十 、幾百 という鉛 の弾 丸 が、音速を超 える衝 撃 波 を撒 き散 らしつつ遺跡を蹂躙 する。
壁に隠れて頭を抱 え込 んだオーフェンの耳に、また炸 裂 する爆 竹 のような音が響 いた。立て続けに、だだだだ、だだだだという銃声 が鳴り響く。
「ボルカン、ドーチン、生きてっかあー?」
オーフェンは嵐 のようなその騒 ぎに負けじと、大声で呼びかけた。が、返事はない。逃げたんじゃねえだろうな、と彼は仲間のふたりのことを呪 った。
「なんで俺 がこんなメに......」
ぶつぶつと、歯の根のあわない震 え声で毒 づく。二十歳 になるかならないかくらいの、旅 馴 れた軽 装 の男である。黒 髪 、黒目の、ごくごく平均的な人間の平民だ。拗 ねた感じの目は今は恐 怖 にひきつっている。黒を基 調 にしたシャツの襟 ぐりから、剣 にからみついた一 本 脚 のドラゴンをかたどった銀 細 工 のペンダントがはみ出していたが、これは黒 魔 術 士 の証 しである。
(ままよ──)
オーフェンはとにかく祈 りのしぐさをして、天を仰 いだ。自分を襲 うあの 化 け物 相手には、よほど威 力 のある魔術でもないかぎり、効 きそうにはない。必死の形相 で彼は祈った──
「神でも悪 魔 でも父ちゃんでも母ちゃんでも、猫 でも犬でも紐 でも包丁 でもコオロギがびっしり浮 かんだプールでも、くそったれ、俺を助けてくれるモンならなんでもいいんだ!とにかく俺の幸運がこんなところで打ち止めってなことだけはありませんよーにっ!」
捨 て鉢 になって怒 鳴 るように吐 き捨てると、彼はいきなり呼吸を整 え、すっと目を閉じた。
このキエサルヒマ大陸の魔術士は、例外なく音 声 で魔術をかける──つまり呪 文 の声がとどかないところまでは魔術の効 果 も及 ばない。彼は肺 の中にめいっぱい空気を吸い込むと、隠 れている場所から転がるようにして飛び出した。銃撃 の源 のほうに向き直ると、両手を前に突き出し渾 身 の力を込めて叫ぶ──
「我 は放つ光の白 刃 !」
かっ!──
と、膨 大 な白光の奔流 が、彼の両手から膨 れ上がった──網 膜 を焼くようなその輝 きは手近な瓦 礫 やら壁やらを粉 砕 して吹 き飛ばし、目標に向かって真っすぐ流れ込んでいく。閃 光 は、それまで弾丸を撒き散らしていた目標に触 れて、初めて爆 音 をあげた──大爆発が広大な遺 跡 を震わせる。
ずううううん......と、最後の地鳴りがやみ、オーフェンはほっとため息をついた。
「よし──」
「なにが『よし』かあああっ!」
突然、横から飛び出してきた黒い塊 に蹴 飛 ばされ、オーフェンはあっけなく吹っ飛んだ。あわてて起き上がると、毛皮のマントをまとった身長百三十センチほどの『地 人 』が、憤 然 と両手を腰に当てて仁 王 立 ちしている。
「てめえボルカン! なにしやがる!」
オーフェンが怒鳴りかえしつつ立ち上がると、そのボルカンなる地人は背 負 っている長剣を抜いて詰 め寄 ってきた。
「なにもくそもあるかっ! 商売モノ になんてことしやがる──」
「ふざけんな! 俺は死ぬトコだったんだ!」
「お前の命がいくらほどだってんだ! あれ にかけられた賞金に比 べりゃ、クソみたいなもん──」
「ほおうっ! そのクソみたいな人間に借金 も返せずただ働きしてる、しみったれた肉の塊がよくも、ンなコト言えた義理だな!」
「黙 れこの金貸し魔術士! 木の杭 で打ち殺すぞ!」
「うるせえぞ福ダヌキ! ビン詰 めになって川に流されっぞ!」
ぎゃあぎゃあ口 論 を続けるふたりのところに、そろそろともうひとり、分 厚 い眼 鏡 をかけた地人が近寄ってくる──毛皮のマントは地人たちの伝統的な民族衣 装 だが、彼もまたそれを着込んでいた。
その地人の少年は、まだわめき散らしているボルカンのマントをくいくいとひっぱり、神経質そうな声を発した。
「ねえ、兄 さん──」
どうやらこの地人たちは兄弟らしい。
ボルカンはうるさそうに、
「なんだよドーチン。今このひょろ長の魔術士をゴムのタイヤで締 め殺してやろうと──」
「わけの分からんことを──」
オーフェンはいらだたしげにそうつぶやきながら、ボルカンの弟──ドーチンに視線を転じた。地人の少年はびくびくと眼鏡の奥の双 眸 を怯 えさせ、さっきまで弾丸を撃 ちまくっていた物体がいたほうを指さした。
魔術が炸裂した後で、いまだもうもうと粉 塵 が立ち込めている。だが風が吹いて、さあっとその白 煙 が薄 れたとき──のそっと、その真ん中で、なにかが動くのが見えた。
「まさか──」
信じられない思いで、オーフェンがうめく。見れば地人の兄弟はただ啞 然 と、その物体を凝 視 している──
煙 の中からそれは、ぬっと顔を出した。
「俺の魔術が全っ然効 いてねえ──」
ドラゴン──それも、地上最強の破 壊 力 を持つ蒸気 ドラゴンである。もっとも姿を見せたのはまだ子供の、体調二メートルにも満たない程度のものだが。ざらざらした硬 そうな皮 膚 に覆 われた身体 で、のそのそと、ドラゴンはこちらを見つめている。
その姿を一言で表すならば、塔 を背負った小型のサイ である。腰のあたりから背中に突き出したその『塔』は機械的な音を立てて蒸 気 を噴 き出している。その付け根から数本の角 のようなものが生 えているのだが、これを銃身として、この化け物は鉛の弾丸の一 斉 射 撃 を行うことができるのだ。
「はぅあ──」
息を呑 み込むような悲鳴をあげて、オーフェンはぺたんとその場に尻 餅 をついた。前にいるボルカンとドーチンも同様である。そのまま動くこともできず、オーフェンは死を覚 悟 して硬直 した。
だがドラゴンはすぐには攻撃に出ず、のたのたと短い足を動かしてこちらに近づいてくる。やがて手がとどくほどまで迫 ってきて、ドラゴンは、ぱくっとボルカンのマントの裾 にかみついた。
「なにやってんだ、こいつ......?」
オーフェンが、マントをくわえたままもぐもぐと口を動かすドラゴンを指さして聞くと、ドーチンが答えた。
「......じゃれついてるんじゃないかな?」
「ンじゃ、さっきまでの発作 は?」
と、ほぼ全壊した遺跡を指さす。ドーチンは考え深げにうなずいて、
「愛情表現かと」

「はた迷 惑 な......」
オーフェンはぼやいて、ドラゴンを見下ろした。ドラゴンは白い腹を見せ、ごろりと仰 向 けになってボルカンの靴 に頭をすりつけた。
あの地人どもに金を貸したのは、いつのことだったろう?
冗談 でなくオーフェンは、このごろそれが思い出せなくなってきていた。モグリの金貸しなど、しょせんはその日暮らしの風 来 坊 に過ぎない。だが、あのふたりに会ってから、自分の人生が本当に瞬間 の連続になったような気がする。
はあ、と彼はため息をついた。文 無 しの地人が、借金の返 済 のために持ってくる『商売話』の数々──立場上、どうしても付き合わざるを得ないのだが、今のところどれひとつとしてうまくいったためしはない。というか、そもそもうまくいく可能性のあった話すら、ほとんどなかった。
(あげくの果てにゃ、ドラゴンの密 輸 かよ!)
と胸 中 で悲鳴をあげつつ、ボルカンのマントにくるまって、平和な様 子 で眠りこけているドラゴンの子供を見やる。
ミスト・ドラゴン種族──絶 滅 寸 前 で保 護 されている、大陸最強の生物のひとつ。ドラゴン種族の特徴 である魔術こそ、ほとんどたいしたことはないのだが、驚 異 的 なのは生 態 そのものだった。
この怪 物 、石やら金属やらを食べて、それを体内で細かく加工し、それを背中の『角 』というか銃身 からぶっ放すことができる。あの一 斉 射撃をマトモにくらえば原形を止 めておけるような物質はこの大陸にはないし、むろん魔術で防 げるような次元のものでもない。
火にあたりながらボルカンとドーチンがなにやら話している。聞くともなしに、オーフェンは耳をすました。
眠るドラゴンを背もたれにして、ボルカンが大声をあげる。
「ちょろい仕事だ! なあドーチン」
「............」
ドーチンは困 ったような顔をちらりと上げたが、なにも答えなかった。無言のまま、たき火であぶった干 し肉をかじっている。
「あのペットを引っ張って、トトカンタ近くの好 事 家 に会いにいけばいいってだけなんだからな。うむ──これはマネージメントの勝利とゆーやつだろう。俺様の」
「............」
オーフェンはのそりと半眼で立ち上がった。
ボルカンはこちらの挙 動 には気づかずに、誇 らしげにトーンを上げていく。
「まあ、こーゆう才能というのは存在するわけだな! お前や、金の亡 者 の魔術使いごときじゃあ、こうまで大 胆 にして確実な商売を用意することなんぞできんだろ! つまり天 稟 の差というやつでこれは逆 立 ちしても──」
両腕をあげて叫 ぶボルカンの後頭部を、オーフェンは合 図 なしに思いっきり蹴 り倒した。当然──ボルカンはそのままの姿勢で、ぼさっとたき火の中に突 っ伏 すことになる。
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
炎 の中でいったんクロールしてから、煤 で真っ黒になってボルカンが起き上がった。ばたばたと地面に顔をすりつけて、髪 についた火種をもみ消す。一段落ついてから、ボルカンは叫んだ。
「な、なに恐 ろしいことをしやがる! この金貸し魔術士!」
「やかましいっ! ぬわぁにがマネージメントの勝利だ!」
オーフェンは怒 鳴 りつけて、再びボルカンの鼻の頭にブーツの先で一発入れた。ボルカンが倒れる向こうで、ドーチンはひとりでため息をつき、兄が顔を突っ込んだせいでばらばらになった薪 をまた火の中にまとめている。
オーフェンはボルカンの首を締 め上げつつ、宙づりにした。この騒 ぎの中でも、まだぐっすり眠っているドラゴンを見下ろしながら、
「この二日間であのドラゴンが何回暴 れだしたと思ってやがるんだ? 十二回だぞ! そのたんびに死ぬようなメにあって──目的地まであとどれくらいあるか知ってんのか!」
「い、いえ──あの──いっしゅう......かんほどかと......」
「ざけんな! 俺は降 りるぞ──目的地には、てめえらが責任もって連 れていけ! その報酬 で金を返すのも忘 れんなよ!」
オーフェンは吐 き捨てるようにそう言うと、頭からたたきつけるようにボルカンをほうり出した。ごん! と、恐らくたまたま地面に突き出ていた石に当たったのだろうが──とにかく地面に激 突 してボルカンはぐったりと動かなくなる。気絶したらしい。オーフェンはそのままくるりときびすを返し、てきぱきと自分の荷物をまとめはじめた。
「あ、あのう──」
と、気を失った兄の身体 をまたいで、ドーチンがこちらに寄 ってきた。
「あんだよ」
「ええと......その、やっぱりあの生き物って、かなり危険なんですか?」
オーフェンはそれを聞いて、ザックにものを詰める手を一瞬止めた。陰 険 な目付きでドラゴンのいるほうを見回し──答える。
「まだあれは子供だがな。はっきり言うぞ──腕 の立つ黒魔術士が一小隊組んだところで、あの蒸気 ドラゴンには手も足も出ねえんだ」
「そ、そんなに......?」
ドーチンが眼鏡の奥で蒼 白 になる。
オーフェンは、いびきを立てはじめたドラゴンを見つめながら、
「そーだよ。外 皮 は硬 いの一言だ。ナタで打ったところで傷 ひとつつかねえ。おまけに特 殊 な体液が身体の表面を湿 らせていて、こいつが熱エネルギーの伝 導 を著 しくカットするとくる。知能も動物的ではあるが恐ろしく高い。あの一斉射撃に対してはこっちは防 御 のしようもねえし、あの背中に背負った『塔』な、あれはいわゆる蒸気機関になってんだ。あいつを超回転させて、強 烈 無 比 な雷 撃 を発生させることもできるとかなんとか。ドラゴンてのは地上に六種類いると言われているが、まず間 違 いなく最悪なのがあの──」
と、ぴたりと指で示す。
「ミスト・ドラゴンだ」
その指の先で、彼の言葉に応 えるようにドラゴンは眠ったまま背中の『塔』から蒸気を噴 き出した。
蒸気 ドラゴンの名前の由 来 でもあるその白い水蒸気は、溶 け込むように夜 気 に消えた。
「そんなに怖 い生き物ですか?」
日中、死ぬようなメにあったばかりだというのも忘れたのか、ドーチンはあっけらかんとした声を出した。
「こんなにおとなしいですよ。ほらほら。あごを掻 いてやると尻 尾 を振るんです」
はあ──とオーフェンは嘆 息 をまじえつつ、
「俺はもう、やめだ。やってられっか。このバケモンはな、成長すれば一 海 里 沖 に浮かぶ鉄 鋼 船 すら爆 沈 することがあるんだぞ。ンなもんの発 作 をいちいち素 手 で抑 えられるか」
と──
その瞬間、空を裂 き、見えないなにかが飛 来 する。
ひょう!──
音はオーフェンの手先を縫 うように通り抜けた。
「な............?」
オーフェンは、さっと振り返って、あたりを押し包む夜の闇 を見回した。彼の手元をかすめていったのは──矢だった。何者かが、こちら目がけて矢を射 ったのだ。
続いて、第二、第三の矢が次々と飛来してくる。風を切る音だけが彼らの周囲を駆 け抜けて、本当に小さな風を起こした。
うぎゃあ、と悲 鳴 をあげて、ボルカンが跳 び起きる。気絶している間に、眉 間 に矢が突き立ったらしい。
「な──なんだなんだ、いったい!」
だらだらと血を流しながら、ボルカンが叫んだ。
「くそ──なんとなく、ちょっと矢が刺 さってるよーな気がするぞっ!」
「気がするって、お前──」
オーフェンは、呆 れた思いでつぶやいた。
「普通は死ぬもんだぞ」
かたわらで、うんうんとドーチンが同意している。もっとも、地人というのはそもそも不必要に頑丈 にできているから、このくらいは平気なのかもしれない。
「死ぬかっ! これくらいでっ!」
むちゃくちゃなことを言いながらボルカンは、この騒ぎでもまだ眠ったままのドラゴンの背中に、むんずと右足を乗っけた。雨のように飛んでくる矢の中で親指を立てる。
「不 死 身 の怪 人 とマスマテュリアで讃 えられたこの俺 だ! たかだか三十グラムほどの矢 尻 が刺さったくらい、なんのこともないっ! この俺を倒したいのなら、お月さんでも脳 天 に落としてこいってんだ!」

その瞬間、たき火と星明かりに照らされた周囲に、影 が落ちる。
ごわん、と大きな音を立て、ボルカンの脳天に落っこちてきたのは、月でこそなかったが、巨大な鉄製のシチュー鍋 である。ぷちゅ、とあっけなく、鍋の下にボルカンは沈 んだ。
ボルカンの姿がなくなって、ぴー! とドラゴンが悲鳴をあげる。いつの間にか起きていたらしい。
「なんでこんなもんが......?」
鍋を見下ろしながら訝 しむオーフェンとドーチンの前に、すっ──と、数人の人間の気 配 が現れた。
弓 を構 えた上半身裸の、にやけた男たち数人を引き連れて、奥に──いやでも目立つ、首領格 の女 。
左目に眼 帯 、右ほおに十字傷をつけた、黒髪の女である。年 齢 は二十五より少し上といったあたり。手足は筋肉質なのに妙 に細い。腰に剣を下げ、ぼろぼろになった真 っ赤 な防剣ジャケットなど着ているが、かなりの美女である。
「野 盗 ......ってトコか?」
オーフェンが聞くと、女はにやりとした。
「お迎 えと言ってほしいね。わざわざ出向いてきてやったんだからさ」

「なんだと?」
聞き返すと、女は、ちらとドラゴン──巨大なシチュー鍋の周 りを、ぴーぴー鳴きながら回っている──を眺 め、
「正しくはその怪 物 を迎えに来たんだけどね」
「......やっぱ野盗じゃねえか」
オーフェンは毒づいた。蒸気 ドラゴンは、いわゆる絶 滅 の危険性を持った保護生物である──少なくとも王室令でそう定められている。だがそうなればむしろその生物の価値は上がるわけで、このドラゴンなどもトトカンタ近くに住むとある好事家が剝 製 にして倉庫の奥にコレクションしようと、莫 大 な賞金がかけられていた。
手に入れれば──そして、その好事家のところに持っていくまでに命があれば、一財産どころの騒 ぎではない。だからボルカンも(単 細 胞 に)この蒸気 ドラゴンの輸 送 などという話に飛びついたのだろうが......
オーフェンは嘆 息 まじりにあたりを見回した。現れた連中は、その首領格の女を含 めても五人。相手がへたな武器でも持っていないかぎりは、なんとかさばける人数だ。
「退却 したほうがいいぞ」
と、オーフェンは胸 元 のペンダントを掲 げてみせた。
「黒魔術士と事を構えるほどの準備はしてねえだろう?」
「確かに......ね」
眼帯の女は、あっけなくうなずいた。
「その紋章 は《牙 の塔 》のものね。《塔》の魔術士が、どうしてドラゴンの密売なんてことをしてるのか知らないけど」
「ほっとけ。密売のことは本業じゃねえ」
「食い詰 めて裏街道に転 げ落ちる最中なのです」
と、後ろからドーチン。オーフェンはくるりと振り返り、ためらいもせずに地人の少年の顔 面 に靴 の裏を当てながら、
「お・ま・え・ら・が・貸 付 金 を焦 げ付かせたせーだろうが!」
「......まあいいわ。とにかく、あたいたちにとっても魔術士の機 嫌 を損 ねてケガなんかしてもつまんないし──取引をしたいのよ」
「取引?」
オーフェンは、眼帯の女のほうに向き直った。四人の部下──よく見ると四つ子みたいに顔が似てるが──を従えて、彼女はにやりと笑 みを見せた。
「そのドラゴンを買いたいのよ。十万──ソケット紙 幣 で」
「ソケット......?」
オーフェンは思い切り嫌 な顔をした。ソケット紙幣──要するに塩引換券 のことだが、硬 貨 と違って土地によって価値が変わる。持ち運びには便利だが、取引には硬貨を用いるほうが喜ばれるのが普通だ。
「十万は安いとは言わないが、このドラゴンに一体いくらの賞金がかけられてると思ってんだ?」
「でもそれは、あんたたちが、その依 頼 人 のところまでドラゴンを無 事 輸送できたらの話でしょう? あとどれくらいの距 離 があるのか知らないけど......それほど見込みのある話には思えないわね」
むう、と黙 り込んでオーフェンは、今はシチュー鍋 を角のある鼻先で押しのけようとしている蒸気 ドラゴンを見やった。確かに一 理 ある。あと一週間もこの化け物の『愛情表現』とやらに付き合わされていたら、命がいくらあろうと足りるものではない。
それに十万という数字も、地人どもへの貸付金を穴 埋 めするには十分以上の金額ではある。総合的に考えれば、破 格 でも不 足 でもない──いわゆる妥 当 というやつだ。
「よし。いいだろ。十万だ」
と答えた瞬間、背後から声があがる──
「おい! ふざけてんなよ、魔術士! 勝 手 に話を進めやがって!」
声はシチュー鍋の下から聞こえてくるようだった。どうやらボルカンらしい。
オーフェンははたと考え込むようなふりをしてから、振り返りもせずに言った。
「なんだ。心霊現象 か」
「人を勝手に殺すんじゃないっ!」
「ま、幽 霊 なんぞほっといて、金はどこにあるんだ? ええと──」
「ヘルベチカよ」
「なるほど。で、ヘルベチカ。金はどこにあるんだ?」
「あたいらのヤサにある──けど、あの声はお前の仲間だろう? 助けなくていいの?」
女首領──ヘルベチカは、少し怖 じけづいたような視 線 をこちらに投げながら、そんなことを言ってきた。それに便乗 するように、ボルカンの声。
「そうだ! いや、その──そうですよ、魔術士!」
「なんか弱気になってるなあ」
と、シチュー鍋のほうを振り返りながらドーチン。鍋はやたらと重いのか、さっきからドラゴンが必死に押しているのに動こうともしていない。
オーフェンは肩をすくめた。
「死人に仲間はいないなあ」
「生きてる! 俺は生きてるぞおっ!」
「死んだ奴 はみんなそう言うんだ」
「コラ! 陰 険 金貸し! とっとと助けねえと、収 支 帳 簿 と照らし合わせ殺すぞ!」
「うるせえなあ。おい、ドーチン手伝え。あの鍋いっぱいに石いれて永久に黙 らせてやる」
「ひー!」
あっけにとられているヘルベチカ以下五人を尻 目 に、オーフェンはシチュー鍋に手 頃 な石をほうり込みはじめた。
結局、ボルカンは救出されることになった──理由はまず、ドーチンがいきなり怖じけづいて「やめましょうよ」と言い出したこと、そして深さ二メートルもある鍋に石を詰めるのは意外と重労働だったこと、最後に、ヘルベチカらが、あの鍋は料理に使うものだから返してくれと言い出したからである。
「なんで料理用の鍋を武器になんかしてんだ」
ヘルベチカたちのアジトへ案内される途中、山道をえんえん登りながらオーフェンが聞くと、彼女はきっぱりと答えた。部下たちがひいこら言いながら押している車輪つきの投 石 機 を指さして。
「投石機 で飛ばせるようなちょうどいい岩なんてなかなかないし、買ったらいくらすると思ってるのよ」
なるほど、とつぶやいてオーフェンは質問をやめた。
『武 装 強 盗 団 ウェディング・テキスト』
「......なんで看 板 なんか出してんだ?」
アジトとは名ばかりの、山奥の廃 屋 ──その玄 関 に町道場の看板よろしくぶら下がっている標札 を指さして、オーフェンは聞いた。
と、ヘルベチカは意外そうに、えっと声を出して、
「ふ、普通はそういうもんなんじゃないの?」
「なんでですか」
と、これはドーチン。ドラゴンの背に乗ったボルカンの前を、馬の轡 をとる従者よろしくついてる。ドーチンはぶつぶつと続けた。
「だいたいなんで、野盗にチーム名なんてつけてんですか。それに、このアジトはなんなんです? 山のてっぺんなんかに、でんと構えちゃって。森林レンジャー部隊とかに包 囲 されて火でもかけられた日にはなす術 もなく全滅じゃないですか」
「そ、それは......」
しどろもどろに、部下のひとりが口を出す。
「構造上どうしても......」
「馬 鹿 !」
ヘルベチカが叱 責 すると、その部下は殴 られたように肩をすぼめて引っ込んだ。それを見て、ははーんとオーフェンは声をあげた。
「それについては、俺が説明してやるよ。扉 を開けて入ってみな、お前ら」
「え?」
「ちょっと待て、できればあんたから──」
そう言ってこちらに手を伸ばしてくる部下その二を、オーフェンは無視した。
「ほれ、行け。行ったら一回だけ飯 をおごってやる」
「なにいいいっ!」
大声をあげてボルカンが、ばっとドラゴンの背中から飛び降りる。地人は駆 け寄ってくるとほとんどすがりつくみたいにこちらのベルトを引っつかんで続けた。
「ホントだな? ホントなんだな! 飯って、ちゃんと皿 に載 ってるやつだよな? 河 原 に連れてって『さあ好きなだけ虫を採 って食っていいぞ』ってゆーのは、もうやんないって言ったもんなっ?」
「あんた、そんなことやってたの......?」
後ろから、ヘルベチカ。オーフェンはあさっての方向に視線をそらしつつ、
「いや、冗談 のつもりだったんだけど、こいつが必死になって食べられそうな虫とそうでないのとをより分けてる様 を見てたら、さすがにいたたまれなくなって止めたんだが......」
そんなことを言っているうちに、ボルカンは、びしとアジトの入り口に向き直った。
「よし! ドーチン行くぞ! 久しぶりに火を通した食い物が食えるかもしれんっ!」
「いいけど......」
疲 れたような眼 差 しで、ドーチンが応じる。その横で、ドラゴンが心配そうに、くーと声を発していた。どうやら──
(こいつも気づいたらしいな)
オーフェンは胸中でつぶやいたが、なにも口には出さなかった。
ボルカンが、きらきらと瞳 を輝 かせながらこちらを振り返る。
「では不 肖 わたくし、行って参ります。心の友オーフェン様」
「あいよ」
オーフェンはこっそりと舌 を出して答えた。ボルカンはドーチンを引き連れ、そのまま後ろ向きに、とことことアジトの入り口へ向かっていく。
「あなたさまの御 慈 悲 は決して忘れません」
「分かったって」
くー! と、これはボルカンを見送るドラゴンの声。多分引き留 めているつもりなのだろうが、ボルカンには通じていない。
「ランチセットくらい注文してもよろしいでしょうか?」
「まあ......いいだろ」
「ひょっとして、ライスに塩までかけて食べてもいいとか」
「勝手にしろよ」
「追加注文は......?」
「認 める。ただし二皿まで」
「ああ! ありがたき幸せ。では心の友オーフェン様! 行って参ります」
ボルカンたちはもう入り口までたどり着いている。オーフェンはにっこりと手を振りながら答えた。
「ああ。あばよ」
「あばよ......?」
つぶやきながらもボルカンとドーチンは、扉を開けてそのまま建 物 の中に踏 み込んでいった。
「へ──?」
そして、一瞬だけ時が止まる。硬直 した地人たちの後ろ姿を眺 めながら、オーフェンは事もなげに言った。
「ま......こんだけ大 掛 かりなトラップはなかなかねえけどな。確かに構造上、山のてっぺんに造るしかねえよなあ」
ぴい! とドラゴンが悲鳴をあげる。
ボルカンらが開けた扉の向こうは、いきなり断 崖 絶 壁 にも近い急勾配 の坂になっていた。建物そのものは真正面の壁一枚しかない構造で、その奥はなんにもない。不用意に玄関に踏み込めば、そのまま坂を真 っ逆 さま、というわけである。
「ひいいいいいああああああああああっ!」
「絶対もどってくるからなあああ! ちゃんと飯おごれよおおおおお!」
ふたりして坂を転げ落ちていく兄弟を見送って、オーフェンはぶんぶんと手を振った。
「俺だけは幸せになるから安心しろよー!」
「くっそ......」
毒 づく声に向き直ると、ヘルベチカだった。険 のある輪 郭 を怒 りに歪 めて、わなわなと身体 を震 わせている。
「お前がひっかかるはずだったのに......!」
「馬鹿こけ。風で屋根がへらへら揺 れてるような建物に、俺が足を踏み入れるとでも思ったのかよ。それよりも、こんな罠 にひっかけようとするくらいだから、約 束 の金は払 うつもりないらしいな」
「いえ......もちろん払うわよ」
不 敵 に笑いながら、ヘルベチカが剣を抜 く。その周 りでは、部下たちが素早く弓に矢をつがえていた。
「ただし......ソケット紙幣は場所によって価値が変動するからね──こんな山奥じゃ紙切れ同然よね」
「なるほど......それで十万ソケット」
「そ。どう? 取引は成立したわね」
「ざけてんなよ。投石機に弾 も入れらんなくて鍋を使ってるような連中が、十万ソケットも持ってるわけねえのは分かってたさ。魔術士をかつごうとしたらどーなるか思い知るんだな。こいつは俺ひとりでトトカンタまで連れて──あれ?」
と、指さした先にドラゴンの姿がない。オーフェンはきょろきょろとあたりを見回しながら叫んだ。
「なんだ? どこ行った? 都 合 よく野盗なんか現れたからクソ地人どもを適当に厄 介 払 いして、報酬 は俺が独 り占 め♪ とか考えてたのに──」
「本物の外 道 か、あんた......」
恐れおののくように、部下その三。
「現 役 の盗 賊 に言われる筋 合 いはねえっ! こう見えて俺はけっこー心優 しいナイスガイなんだからな! ちょっと動物好きだし!」
「動物好きが保 護 動物を密売してんじゃないわよ!」
ヘルベチカが叫ぶ。だがオーフェンはへこたれず、
「やかましいっ! じゃあ世の動物愛好家ってのは人食い熊 まで保護すんのかっ! 食人植物の伐 採 にまで抗 議 すんのかっ! 俺は猫好きだが、あんな怪獣 は管 轄 外 だ! 知ったこっちゃないっ!」
と、適 当 に振り回した指先が、たまたま──ぴたりと、ドラゴンのいる方向を指し示す。気づいてオーフェンは、背 筋 が凍 りつくのを感じた。
「げ──ちょっと待──それはまずいっ!」
「あああっ!」
ヘルベチカを含 めた盗賊五人が、悲鳴をあげる──ちょうど、ボルカンらが消えた入り口から、ドラゴンが真っ逆さまに坂を転がり落ちていくところだった。
「ぴいいいいいいいいぃぃぃぃぃ──」
後追いの身投げみたいに、ドラゴンの声が絶壁に反響して落ちていく......
「ああああああああ」
ドラゴンの姿が消えて、ぺたんとヘルベチカが地面に座 り込む。
「せっかく──せっかく貧 乏 強盗団のあたいたちにも、必 殺 の究極兵器 が手に入ると思ってたのに......」
「なんだ、金にするつもりじゃなかったのか」
と、しごく落ち着いてオーフェンは聞いた。きっとこちらをにらみつけて、ヘルベチカが怒 鳴 る。双 眸 には涙 すら浮かんでいた。
「当たり前でしょ! あれを飼 い馴 らせば、王都の軍隊とだってやりあえるわ!」
総勢五人の強盗団が王都の騎士団と戦わなければならない局面があるとは思えなかったが、その辺はオーフェンも聞き流すことにした。
「まあ、別に否定しねえが......」
「なによ偉 そうに! あのドラゴン、地人を追って自殺しちゃったじゃないさ! なにもかもおしまいよっ!」
「いや......ホントにそう思ってる?」
オーフェンは、ドラゴンが消えた場所を見やりながら、あごに手を当ててつぶやいた。
「え......?」
「俺が『まずい』と思ったのはさ......まさか、あそこまでドラゴンがあのボルカンの福ダヌキになついてるとは思わなかったからな」
「ど、どういうことよ......」
聞き返しながらも、こちらの言わんとしていることを彼女も薄 々 とは感づいているらしい。ゆっくりと立ち上がりながら見ている。
オーフェンは冷 や汗 をたらしながら答えた。
「つまりさ。あのドラゴンのことだから、谷底に転げ落ちたくらいじゃ死ぬわけねえんだよな。転がって転がって、ボルカンのトコにたどり着いてよ。ンで......まあ、見つけるわな。ドラゴンにしてみりゃ、感 激 の再会だ」
「え、ええ......」
「どうなると思う? 多分、激 烈 な『愛情表現』が待ってるぜ」
彼がつぶやくと──まるでそれに応 えるように、ヒイイイィィィィ......ンと、なにやらかん高い音が聞こえてくる。まるで──蒸気タービンが回るような。
その音の意味など知らないだろうが、それでも恐 怖 に身をすくませて、ヘルベチカが聞いてきた。
「なんで......あのドラゴンは、あの地人になんかなついちゃってるのさ」
「そりあえず自分と同じように頑丈 だから、親と間違えてるんじゃねえかな?」
「ンな無 茶 な理 屈 があるかああっ!」
ヘルベチカ含 め、強盗団ウェディング・テキスト一同が叫ぶ。
だが理屈が無茶かどうかは別として、その叫びをかき消すように先 刻 からのかん高い音は、その響 きを大きくしている。ヒイイイイイ──と、大気をびりびりと痙 攣 させるようにまで高まって──
「蒸気 ドラゴンの、伝説の『神の槌 』だ」
緊張 した声で、オーフェンはつぶやいた。気のせいか、谷底からボルカンたちの悲鳴が聞こえてきているような気がする。『愛情表現』が始まる──

かっ──!
谷底から天空へと昇 るようにして、極大の電光が突き抜ける! 一条の輝 きはそのまま空の雲にまで達し、ただの雲を一気に雷 雲 にまで変えてしまった。
「どひいいいいいいっ!」
盗賊のひとりが、悲鳴をあげる。今の電光が、手近な木に火をつけたのだ。次いで、谷底から連続する『銃声 』──さらには、また始まるタービン音──
「逃げろあああぁぁぁぁぁっ!」
第二の超雷撃 が山の一 角 を吹 き飛ばすと同時、オーフェンと強盗団の五人は、悲鳴をあげながら山道を駆 け降りていった。
「ようやく終わった......か......」
隈 のできた目を腫 れぼったくして、オーフェンはつぶやいた。朝日が山を照らしている──雷撃で吹き飛ばされ、いまだ山火事が衰 える兆 しもない峰 を。
「ああああ......なんにもなくなっちまった......アジトすら......」
呆 けたような表情と口 調 で、ヘルベチカ以下五人が互 いにぼやきあっている。彼女らとは少し離 れて、オーフェンはドーチンと並んで見送って いた──
上 機 嫌 でのっしのっしと──ぼろぼろになって失 神 しているボルカンの襟 首 をくわえ、彼を引きずりながら山の中へと去っていく蒸気 ドラゴンの背中を。
ドーチンが、ぽつりとつぶやく。彼もまた、毛皮のマントを煤 と泥 まみれにしている。オーフェンも、それは変わらなかったが。
「ミもフタもない生き物ですねえ......」
「ああ」
「なんであんな怪獣 が保護生物なんでしょうかねえ」
「そうだな」
簡 単 な同意を返す以外、オーフェンは答える気力も残っていなかった。
それからしばらくして、山火事の火がまだ煌 々 としている山道の向こうへとドラゴン──と兄──が消えてから、それまでとたいして変わらない声で、またドーチンがつぶやく。
「兄さん、生きて帰ってこれるかなあ」
オーフェンは、ぴくりと表情を動かした。
「大 丈 夫 だろ。あいつが、ランチセットと追加注文一皿の約束を忘れるとは思えん」
「......二皿じゃありませんでしたっけ」
「なんか言ったか?」
「......いえ、なにも......」
あとにはただ、本当にミもフタもない白 けた空気だけが残っていた。朝もやの冷たさに触 れながらオーフェンは、ぼんやりと──ただし固 く誓 っていた。
「もー二度と、あいつの仕事にはつきあわねーからな......」
(とにかく一回死んでこい!:おわり)


「おはよう」
と言いつつも、なにが早いのだかよく分からなかったが──窓から入り込んでくる陽 の光からすればもう昼近いようにも思える。彼はぼんやりと、やぶにらみの眼 差 しをしょぼしょぼと寝ぼけさせていた。寝起きはいつもそうだが、頭痛すら感じるほどつらい。
「......おはよう」
あいさつが返ってくる。彼が寝ているベッドのかたわらに椅 子 を引き、足を組んで腰掛けている女からである。自分より多少年かさかというくらいの、黒 髪 の女。スーツを着ていて、なにかを観 察 するようにこちらをじっと見ている。彼女は続けて口を開いた。
「いつも昼まで寝てるわけ? ミスター・オーフェン」
ああ、とうなずいて、彼──オーフェンと呼ばれた二十歳 ほどの男は、さほど上等ではないが清 潔 なシーツをはねのけた。ベッドの頭にかけてあった黒いシャツをもさもさと着込みながら、ふと気づいたように──
「誰 だ? お前」
女は、くすっと笑った。懐 に細い手を入れなにかを取り出そうとしながら答えてくる。
「王立治安警察隊所属、派 遣 警察官の──」
「と──ちょっと待った!」
オーフェンは、慌 てて制した。寝ぼけた気分も吹き飛んでしまった。
(冗談 じゃねえぞ──)
モグリの金貸しである彼は、基本的に警察というのは鬼 門 である。いつも着ている黒 革 のジャケットを着込み、大急ぎで頑丈 なブーツをはく。最後に銀製のペンダント──大陸黒魔術の最 高 峰 《牙 の塔 》出身の魔術士であることを示すドラゴンの紋章 を身につけ、バンダナまでも額 に巻いてから、
「よし──これで逃げる準備はできた。どうぞ続けて」
「逃げる必要はないわよ」
と、彼女は懐から身分を示すバッジを取り出してみせた。
「わたしは派遣 警察官ですからね──あなたがこの街でどんな非合法な商売をしていようと興味はないわ。もっとも、あなたが殺人犯か誘 拐 犯──あるいは、政治犯だというなら別だけど、そういうふうには見えないしね」

「なるほど......」
オーフェンは、それでもまだ警 戒 は解 かずにじっと彼女を見やった。あまり馴 染 みのない知識を、無理やり記 憶 の底からひっぱり出す──派遣警察は大陸各地に支部を持ち、逃 亡 犯や、地方地方の司法組織では手に負 えないような大掛かりな犯罪を取り締 まる。権力的に地方警察より強い権能を持つわけでは決してないのだが、組織力や情報力では断然上回り、人材の育成にも力を入れている。
まあ、ひらたく言えば、司法エリートの集まりである。
そこまで思い出すと、彼女が自己紹介を再開した。
「治安警察官のコンスタンス・マギー──人にはコギーと呼ばれるほうが多いけど」
にこっとして、左手を差し出してくる。ほんの指先に触 れる程度に握 手 すると、オーフェンは自分も名乗った。
「知ってるようだったが──俺 はオーフェンだ。家名 はない。どうやってこの部屋に入ってきたんだ?」
「この宿の亭主に頼んで鍵 を借りたのよ」
「バグアップの野 郎 ......」
オーフェンは馴染みの亭主を喉 の奥で呪 うと、いらいらと続けた。
「で、俺になんの用だ? 寝顔が見たかったわけじゃねえんだろ?」
「見たくもないってほどでもないけど。可 愛 い寝 言 言うのね、あなたって」
「うるせ」
オーフェンはしかめ面 で応じた。彼女──コンスタンスが軽く肩をすくめて続ける。
「ある犯罪者の逮 捕 に協力してほしいのよ」
外は見事に晴れていた。実際、馬 鹿 みたいなくらいの晴天である。宿を出てぼちぼちと歩き、後ろからついてきているコンスタンスが、そろそろこちらの速足のペースに慣 れたかという頃 ──
「......アホらし」
青果屋でリンゴを一個買ってからようやく、オーフェンは返事した。別に無視していたわけではない。考えていたのだ。
だが、いまいちよく分からなかった。
「なんで民間人の俺が、あんたの手伝いなんぞやらにゃならねんだ」
「犯罪捜 査 には市民の協力が──」
あとからついてきながら、コンスタンス。オーフェンはリンゴをかじりながらそれを制した。
「悪いが俺は市民じゃねえ。登録してない」
コンスタンスが呆 れたように嘆 息 する。
「どうでもいいわよ。つまり、わたしがあなたに目をつけたのは──」
「待った!」
「またぁ?」
彼女の悲 鳴 じみた声を無視して、オーフェンは通りの人 込 みの中から目ざとく、あるものを見つけだしていた。
ちらりと見えた──毛皮のマントの裾 。そこに向かってオーフェンは、食べかけのリンゴを思いっきり投げ付けた。
「うわぁっ!」
当然──というかなんというか──リンゴはまったく関係のない通行人の頭に命中したが、オーフェンは気にもしなかった。いきなり飛んできたリンゴに目を白黒させている通行人に向かってまくし立てる。
「邪 魔 だ! いるな! どけ!」
ここまできっぱり言われると、反論する隙 も見いだせなかったのか──通行人は、とりあえず身体 をかわして道を開けた。オーフェンはサンキュー、と手で合 図 すると、人込みでごった返す街道を突き進んでいった。
「ああ──畜生 、邪魔だっつってんだろ!」
結局、ほかの人込みのせいで行き詰 まる。後ろから、コンスタンスが追いついてきた。
「ち、ちょっと、なにやってんのよ?」
周囲の視線を気にしながら、彼女が言ってくる。オーフェンはにこりともせず、
「仕事だよ。俺の」
「......通行人を蹴 散 らすのが?」
「違うよ。それにまだ蹴散らしてねえだろ」
オーフェンはそう言うと、ぴたり止まった。続ける。
「これからだ」
「............え?」
訝 るコンスタンスを無視して、オーフェンは、すっと腕を挙 げた。
「我 は流す天使の息!」
彼が叫 んだ瞬間 、小屋程度ならそのまま倒 壊 しかねない強烈 な突風が、右手の指し示すほうへと吹き流れていく。穂 が風に倒されるように、道を歩く人込みがいっせいに同じ方向へとなぎ倒された。悲鳴やら罠 声 があちこちからあがる。
「ち、ちょっとぉ! なに考えてんのよ!」
コンスタンスが、ほぼ悲鳴に近い叫び声をあげるのが聞こえる。
が、オーフェンは無視して駆 け出した。魔術の風で、人込みは完全にふたつに割れている。道に倒れている者もいるが、そんなのは無視してオーフェンは勢いよく目的に向かって踏 みつぶして走った。
彼は走りながら、前方の一点だけを見 据 えていた。
「てめえら、よくものこのこと現れたな!」
目標に数メートルといったところでオーフェンは立ち止まり(転んだ子供につまずいたのだ)、びしっと指を突き付けた。その指に導 かれるように、往 来 の視線がそちらへと流れていく──
そこには、黒髪をぼさぼさにした身長百三十センチほどの『地 人 』がふたり、びっくりしたように立ち尽 くしている。伝統的な民族衣 装 である毛皮のマントを羽 織 り、ひとりは腰に剣 を下げ、もうひとりは分 厚 い眼 鏡 をかけていた。
地人のひとり──剣を下げたほうが、こちらに向かって叫び返してくる。
「ンだとコラ! いきなり天下の平和を壊 しやがって、天変地異かてめえは!」
「ぬかしてんじゃねえぞ、ボルカン! いいかげん言い飽 きたが、そっちはまったく聞き飽きてねえようだな! てめえらが俺から借りた金、返 済 期間は三か月前にきっちり切れてる! こんだけ経 ちゃ、生まれた赤ん坊がつかまり立ちするぞ!」
「するか馬鹿! 離乳食 だって食えるか!」
「それは食べられるんじゃないかなあ......」
背後でぽつりとつぶやく眼鏡を、ボルカンと呼ばれた地人──剣を持ったのが殴 り倒す。
オーフェンはかまわず叫んだ。
「ンなこた、どーでもいいんだ! 往来にのこのこ姿現しやがって、この福ダヌキが、身の程を知りやがれ!」
「てめえコラ! 道を歩いた程度で文 句 を言われる筋 合 いはねえぞっ!」
「言うかタヌキ! ここは借金をしてない真人間用の道だ! てめえは橋の下で苔 でも飼ってろ!」
「今度は人種差別か金貸し魔術士! この帝国野郎、じゃがいもで蒸 し殺すぞ!」
なおも言い合いを続けながら、オーフェンはふと、背後に気 配 を感じた。ちらと肩越しに見やると、半 ば放心したような表情で、コンスタンスが立っている。
別に、彼がいきなり人込みを吹き飛ばしたのに驚 いた、というわけではないらしい。森の中でいきなり熊 とでも出くわしたように、目を見開いてこちらを見ている。
(............?)
その気配に少し驚いて見ていると、彼女は、かくん、と肩を落とし──いや、肩を落としたのではなく、素早くスーツのポケットに手を突っ込んだのだ。そして、声を張り上げる。
「流 浪 犯罪人、ボルカン、それにドーチン! ついに見つけたわよ!」
「な──?」
オーフェンは声をあげた。だが彼女は説明もせず、ポケットから手を出して、その手につかんでいたなにかを地人たちに投げ付ける。
「ぎゃああっ!」
次の瞬間、重そうな黒塗 りのダーツを二本眉 間 に受けて悲鳴をあげたのは、ボルカンの背後にいた、これまた通行人だった。
「ああっ──ごっ、ごめんなさいっ!」
コンスタンスもまた悲鳴じみた声をあげる。と──ボルカンらに向かって指を突き付け、
「ずるいわよ!──小さくて当たりにくいなんてっ!」
「知るかああっ!」
と、これはボルカンの声。コンスタンスはさらに続けた。
「開き直るつもりっ⁉ こうなったら仕方ないわ──このまま無制限に被 害 が広まるよりは、多少の犠 牲 には目をつむって──」
と、ひとりで炎を燃やす彼女の肩を、オーフェンはあわてて手でつかまえた。
「こらこらっ! 言ってることがむちゃくちゃだぞ、あんた!」
とりあえず、叫んで制する。と──
彼女は、きっ とにらみ返してきた。
「なによっ! 『被害は少なく、楽しく逮捕』っ!──なにか間違ってる⁉ 」
「い、いや、そーじゃなくて、普通、被害は出さねえもんだろ」
「言われなくても分かってるわよ! 一応は、通行人に当てないようにするつもりはあるんだから。これが警官の倫 理 ってやつよ! 教科書に載 ってたんですからね!」
「警官の倫理なら、通行人の見える道で飛び道具なんぞ使うな!」
「往来で魔術まで使ったあんたに、そんなこと言われる筋合いないわよ!」
通行人たちは、いつの間にか口論の輪が別に移ったので、視線を地人たちからこちらへと変えていた。通行人たち──いや、やじ馬たち──あるいは被害者たちの好奇の視線にさらされながら、オーフェンはさらに叫んだ。
「馬鹿こけ! 俺は少し手 加 減 した! てめえの飛び道具なんぞ、加減もできねえじゃねえか! 見ろ、当たった奴 、顔面血まみれで痙 攣 してっぞ! 毒でも塗 ってたんだろ!」
「今のはただの痺 れ薬よっ! そっちこそ、なにが手加減よ! あんたの魔術に吹き飛ばされて、道の向こうに立ってたアベックが川に落ちたのが見えたわよ!」
気づいてるんなら助けろよ......というようなつぶやきが、人だかりのあちこちから聞こえてくる。同じく強風の魔術で吹き飛ばされた通行人のうめき声なども聞こえてきたりしているのだが、オーフェンは決然と無視した。と、決心するように表情を引き締 めて──
「みなさーん!」
手でメガホンを作り、いきなり周囲にアピールするように声を張り上げる。
「この女は警察官のくせに民間人を射 殺 しましたよー!」
「なんてことを! まだ死んでないわよ!」
「『まだ』......?」
これも、通行人のつぶやき。
なんにしろ、その間に地人たちがとっとと逃げ出していたことにオーフェンが気づいたのは、被害者が『まだ死んでない』ことを証明しようと、コンスタンスが警察式の気付け──被害者の中指を手首まで反 り返らせる──を始めたときだった。

「さて──オーフェン」
とりあえず手近な──もっとも、あまり手近すぎると駆 けつけてきた地元の警察官に捕 まりかねないため、数ブロックほど移動はしたが、ともあれ食堂である。ちなみに事後処理だけはやっておいた(ケガ人はとりあえず無視、ダーツの餌 食 になった通行人は、やじ馬の中から医者を見つけ出して無理やり押し付けておいた。見 舞 いの花も手配してある)。
「これで分かったでしょう?」
と、テーブルの向かいから真 面 目 な表情で言ってくる彼女に、オーフェンはうなずいてみせた。
「ああ。よぉく分かった」
酢 漬 けのウインナーをフォークで刺 しつつ、
「警察官の質ってーのが、必ずしも均一じゃないってことが」
「どーゆう意味よ、それは......」
目を細めて、コンスタンス。ただしその問いかけに答えてほしくない程度の自 覚 はあるのか、すぐさま続けた。
「つまりわたしは、あの地人たちを追っているわけ。専 任 でね。だからあなたに協力してほしいの」
「専任......ねえ」
オーフェンはしなびたウインナーを口の中にほうり込んだ。
「あいつらが、ンなたいした犯罪 をしてたとは思えんのだが......」
「なに言ってるのよ!」
どん! とテーブルをたたいて、コンスタンスが立ち上がる。彼女は怒りに瞳 を燃え立たせ、テーブルの表面を爪 で引っ掻 きながらわめき散らした。
「あの地人たちがしでかしたこと──考えるたびに虫 酸 が走るわ! あいつらはね、わたしの知るだけでもひとりの人間の人生を台なしにしたのよ!」
と、表情を凄 絶 な笑 みに変え、上着のポケットからひときわ大きい、黒塗 りのダーツを取り出してみせる。
「逮 捕 は生 け捕 りが原則だけど──わたしは絶対にあいつらを許 したりはしないわ。野生の馬をも一撃で昏 倒 させ、運よく目 覚 めても二度と真っすぐ歩けなくなるといわれる羊 殺しの猛 毒 『フェルテ・ベルナール』......うふふ、二年前に裏ルートで手に入れて、ついにこれを使うときが来たのよ......」
「警官が持つな、ンなもの......」
オーフェンは半眼でつぶやき、がたんと椅 子 を引いて立ち上がった。テーブルの上に硬 貨 を置きながら、
「なんにしろ、抹 殺 するってんなら、俺はお断 りだぞ。あいつらにゃ貸付金を返済してもらわなけりゃならねえんだ」
「や、やーね」
彼女はいきなり真顔にもどって、ダーツをしまいつつ手を振った。
「解 毒 剤 なら用意してあるわよ。十二時間以内に注入すれば、ほぼ無害になるんだから」
「......ほぼ?」
「三日ぐらい地 獄 の苦しみを味わうらしいけど......で、でもその代わり、初めの半日は極 楽 よ♥ 麻 薬 みたいなもんだから」
「............」
オーフェンは頭の中で打算して、
「ま、いいか。じゃ、頑 張 ってな」
「ええっ⁉ 」
コンスタンスが悲鳴をあげる。
「手伝ってくれないの?」
「あのな。なんで俺が、ンな一 文 にもならないことを──」
「そんなのってないわよ! 派 遣 警察官に捜 査 の内情しゃべらせといて!」
非 難 の叫びをあげながら、コンスタンスも席を立つ。オーフェンは言い返した。
「お前が勝手にしゃべったんだろーがっ!」
「あなたも止めなかったじゃないっ! そ、そう! 分かったわよ──親切顔で近寄ってきて相手の警 戒 を解き、得るものを得たらさっさと逃げ出すわけね? あんたってそーゆう奴 なのよ!」
「人を年寄り相手の詐 欺 師みたいに言うんじゃないっ!」
「わたしが年寄りですって⁉ 」
「誰が言った、ンなこと!」
「言っときますけど、わたしはまだ二十一よ! 花も盛り、匂 いたおやか──」
「話を聞けええいっ!」
オーフェンは頭を抱 えてわめいた。
教訓 として残ったのは、女と口 論 しても勝てるわけがないということだ。
オーフェンはぶつぶつとこぼしながら、さっきとはほかの通りを歩いていた。あまりひとけのない、川 沿 いの道である。彼から半歩ほど遅 れて、コンスタンスがついてきている。見ると彼女は満足そうにこにこしていた。
「善良 な市民はかくあるべきよね♥」
「国家権力の暴 威 に屈 してしまった......」
結局、捜 査 には協力することになってしまったのだ。オーフェンとしては、いつ約束したのか覚えていないのだが、いつの間にかイエスと言ってしまったらしい。
と、オーフェンはぽつりと聞いた。
「ところで、コンスタンス──」
「コギーでいいわよ」
「じゃコギー。警察官と民間人のけじめはつけておくぞ」
「............?」
彼女がきょとんとした顔を見せたので、オーフェンは深々と嘆 息 した。
「だからなぁ、君がボスで、俺はあくまで協力者ってことだよ。それと、報告書には俺の名前は書くなよ」
「そ、そう?」
コンスタンスはなぜかがっかりしたようだった。
「楽できると思ったのに......」
「腐 れ官 憲 」
ぼそりと、オーフェンはつぶやいた。幸い彼女には聞こえなかったようだが。
代わりに彼女は、つと表情を真剣にした。
「ところでオーフェン、あの地人たちとは長いんでしょ? 知ってることを教えてほしいんだけど。習性とか。ほら、午前二時からしか活動しないとか、生肉しか食べないとか」
「......ヤマネコ捕 獲 してるんじゃねえんだけどな......」
オーフェンはもごもご言いながら続けた。
「奴らがこの街 ──トトカンタ市に姿を見せたのは、半年前のことだ」
彼が説明を始めると、コンスタンスは神妙 にうなずいてみせた。ウサギの形のメモ帳など取り出して、いちいちメモしはじめる。
「ふんふん」

ペンの尻 に雪だるまの人形がくっついているのも気にかかるところだったが、オーフェンはあえてなにも言わないでおくことにした。
そのまま続ける。
「なんか知らんが金に困ってるよーだったんで、最大利 息 で貸し付けてやることにした。他所 では知らんが、俺んトコでは相手と額に応じて利息を変えることにしてんだ」
「ふんふん」
「ところがまあ、奴らときたら返済期限が切れたってーのに平気な顔してやがる。だからまあ俺のほうから焚 き付けて、なんとしてでも金を稼 いでもらって、返してもらおうとな。つまり俺は被害者だ──ここんとこ、下線引いといてくれよ」
「ふんふん」
彼女のペンが言われるままにアンダーラインを引くのを見て、オーフェンは満足した。彼らが歩いているのは、マスル水道と呼ばれる市内川を左手に沿う道である。オーフェンが知るかぎり、あの地人たちを最も簡単に発見できるのが、この水道だった──つまり、この水道の橋の下に、あの地人たちは住み着いているわけである。日によってどの橋か違うのだが。
川の風を黒髪に受けながら、オーフェンは続けた。
「ま......俺があいつらについて知ってるコトっつったら、その程度だな。マスマテュリアから来たんだろうが、その地 人 領 のどこらにいたかってのは知らない。親には勘 当 されたようなことを言ってたな」
「ふんふん」
「タチが悪いのが、あのボルカン──兄 貴 のほうだ。たいていのことじゃ壊 れねえから、どんなに強烈にヤキ入れようが大 丈 夫 だが、その分曲がった性 根 も修復不可能ときてる」
「ふんふん」
「弟も弟で、ロクなもんじゃねえし──隙 を見て逃げ出すだけ、ボルカンより油断がなんねえ。なにしろあの福ダヌキども、一度本気で殺してやらんと──」
「ふんふん」
「............」
うなずきながらメモをとる彼女の横顔を見やって、オーフェンはふと、不安にかられた。ぼそりと、続けてみる。
「ところで俺の先生は窓 際 が好きでな」
「ふんふん」
コンスタンスはまったく変わらぬ顔でメモをとっている。
「先生にだけしか見えない精 霊 ルヒタニ様とリンパ腺 で交信ができるんだそうだ」
「ふんふん」
「......おい、コギー」
「ふんふん」
「............」
オーフェンは無言で、さりげなく身体をひるがえすと、そのまま彼女の後頭部にブーツのかかとをたたきつけた。
「きああああっ⁉ 」
両手を前に出して、コンスタンスがなす術 もなく転倒する。彼女はいたく驚いたふうで、目に涙 を浮かべながら絶叫 した。
「な、なにすんのよ、いきなりっ!」
「やかましい! てめえ、なんも聞かんと適当にメモしてるだけだろ!」
「な、なに言ってんのよ、メモってゆーのはそもそも後で読み返すためにあるんじゃない──って、あ!」
と、ここでメモの最後の部分を読み返し、
「人が聞いてないのをいいことに、なにいいかげんなこと言ってんのよ! 官 憲 侮 辱 罪 適用するわよ!」
「ンな罪があるか! ったく──お前本当に警察官なんだろうなっ!」
「当たり前でしょ!」
「どこに説得力があるんだよ!」
オーフェンは思いっきり怒 鳴 ってから、いきなり力つきたように嘆 息 した。そのまま、彼女を置いてすたすたと道を歩きだす。
「なんだかなぁ......派遣警察ってのは、こんなのにバッジをやっちまうほど人材不足なのか?」
立ち上がって、コンスタンスが追いついてくる。彼女は後頭部を押さえながらぶつぶつと毒づいてきた。
「思ったより乱暴者ね。いきなり女の後頭部にかかとを食らわせる?」
「男も女もあるか。魔術士ってのは、基本的に性差廃絶主義者 なんだよ。知っとけ」
オーフェンは言ったが、彼女は納 得 しなかったようだった。当たり前だが。
「にしても......予告もなしに蹴 るなんて」
「分かったよ。次からは蹴るぞって言ってから蹴ることにすっからな。文句言うなよ」
「............」
コンスタンスは、いったんは疲れたようにあきらめたみたいだったが、
「確か、傷害罪とか暴行罪って罪がなかったかしら......」
ぶつぶつと始めた。オーフェンは、ちらと視線だけ彼女のほうにやり、
「ふっふっ......重傷を負わせんかぎり、重犯罪にはならんのだ。未 熟 者 」
「うう──天国のお父さんお母さん、法の網 を逃 れる邪 悪 を滅 ぼす力をわたしにください......」
「むちゃくちゃな言われようだな」
しくしく泣き出したコンスタンスを見ながらオーフェンはぼやいた。と──
「いやお嬢 さん、確かに、邪悪は滅ぼされるべきなのだ」
どこからか、聞き慣 れた声。オーフェンはぴたりと足を止め、右手を自分の髪の中につっこむようにして目を閉じた。
そのまま、陰 険 な声を絞 り出す。
「待 ち伏 せしてやがったな」
「当然だ、この金の亡 者 。今までよくもこのマスマテュリアの闘 犬 ボルカノ・ボルカン様をさんざんコケにしてくれたな!」
オーフェンは、ゆっくりと目を開けた。見渡すかぎり、街道にもマスル水道にも地人の姿はない──それどころか、ひとっこひとりいないというところだ。
「どこにいやがる? 福ダヌキ」
問うオーフェンの腕に、後ろからコンスタンスが触 れてきた。彼女は困ったように、
「ね、ねえ、オーフェン......」
だが彼女の声を無視して、地人の哄笑 が響 き渡った。
「はあーっはっはっはっ! 戦いにおいては姿を見せない者が勝つのだ! それがゲリラの戦い!」
「いつから都市ゲリラになった、宿 無 しが」
「あのさ、オーフェン──」
しつこく腕をひっぱろうとする彼女を無視して、オーフェンはさらに続けた。
「なんの芸もねえタヌキ風 情 が! ただ頑丈 なだけなら、蝋人形 のほうが燃えるだけマシってもんだ! とっとと出てこねえと、キャベツに石つめて食わすぞコラ!」
「はっはっ! 歌え歌え! しょせん俺の居場所が分からないお前は歌うデク人形!」
「こんのタヌキ──」
コンスタンスはとうとう、彼のバンダナを後ろからひっぱった。がくんと頭を後ろに倒され、オーフェンは喉 を詰 まらせ、うめいた。
「な、なにすんだよ!」
「なにしてる、はこっちのせりふよ。さっきから姿が見えないって言ってるけど──」
「あ、馬鹿! 言うな!」
オーフェンはあわてて制したが、彼女は、なんでよ、という顔であっさりと続けた。
「道の目の前でフタが開いたままになってるマンホール、あからさまに怪 しいじゃない。声もそこから聞こえてくるわよ」
と、彼女の指先が示した先には、確かに下水道の入り口が開きっぱなしになっている。
「ああ......」
オーフェンは顔に手を当ててうめいた。
「言っちまいやがって──知らないふりをしておいて、相手が至 福 の絶頂 に達した瞬間、容 赦 なく致 命 的 な一撃をたたきつけるのが快感なんじゃねえか」
「......その陰 険 な性格、なんとかなんないの? あんた」
彼女は半眼をつぶってから、いきなり、きっ と険 しい目付きを作った。
「とにかく! 流 浪 犯罪人ボルカンとドーチン! 長かった二年間の逃走劇も、ここでお縄 よ! 派遣警察官のコンスタンス・マギーが引 導 を渡してあげるから、今すぐ出てらっしゃい!」
言いながら彼女は、既 にスーツのポケットに手を入れていたりする。確か、例のとてつもない神経毒を仕込んだダーツの入ったポケットだ。
しいん......と、あたりが静まり返る。ごくり、とオーフェンは唾 を呑んだ。ボルカンらがマンホールに隠れているのは疑いもない──さっきから声が妙に反響 しているし、そうなれば地下にいるに決まっている。だが、そこから顔でも出そうものなら、コンスタンスのダーツは間違いなく(当たるかどうかは疑 問 の余地があるとオーフェンは思っていたが)それを狙 うだろう。
(勝負は一瞬──コギーだって、そんな物 騒 な劇薬をそうそう持ってるわけがねえから、一度投げればダーツも打ち止めだろ)
が──案外何事もなさそうに、ひょっこりとマンホールからボルカンとドーチンが顔を出した。コンスタンスの身体が、ぴくりと動く──だが、それよりも早く、ボルカンの声のほうがこちらにとどいていた。
「誰だ? お前」
「............」
凍 りついたコンスタンスに、横からオーフェンは半眼で聞いた。
「ひょっとして......その二年間の逃走劇とやらで、お前さんは一度もあいつらに追いつかなかったのか?」
「は──話したくないわ」
一筋の汗 をたらしながら、彼女が言う。オーフェンは続けて聞いた。
「あの抜 け作 どもを、一っっっっ度も捕 まえそうになったことがないわけ?」

「じ──重要なことじゃないでしょ、そんなことは」
オーフェンは嘆息し、ぼそりと言った。
「無能警官」
ぐらっ......と、とうとう彼女が身体を傾かせる。
「そ──そんなこと言われる筋合いはないわよっ!」
「じゃあほかになんて言やぁいいんだっ!」
「おちゃめさん♥ とか、おてんばさん♪ とかいろいろあるでしょっ!」
「その『おちゃめ』とやらで、いちいち市民を射殺してた日にゃ、司法制度が滅 びるわ、馬鹿たれ!」
「死んでないって言ってるでしょおっ!」
「だからなんだってんだ!──って、まずいっ!」
彼は、いきなり気づいたようにマンホールのほうに向き直った。
「しまった! またさっきと同じパターンで福ダヌキどもに逃げられた!」
「あんただって、わたしと大差ないじゃないの!」
オーフェンはとりあえず彼女を無視して、既 に地人たちの姿のないマンホールへと駆け寄った。どうやらボルカンらは、下水道の中に逃げ込んだらしい。
「ああ......」
コンスタンスが、絶望的な声をあげる。
「とうとう二年間の清算ができると──派 遣 警察官の職務として立 派 にあの地人たちを地上から葬 り去れると思ったのに......」
「こらこら。それこそ警官か、おい」
オーフェンは彼女の肩に手を置いて、
「それに......別にまだ逃げられたわけでもねえぞ」
「え......?」
聞き返す彼女の声には答えずに、オーフェンはじっと待った。耳を澄 ます──マンホールの奥から反響しつつ聞こえてくる水の音、足音、悲鳴、詈 声 ──そして、備 え付けの鉄 梯 子 をばたばたと上がってくる物音。
数秒後、マンホールからずぶ濡 れになったボルカンが顔を出した。
「な──なんなんだ、下水道って、ホントに水しかねえじゃねえか! 通路もありゃしねえ!」
ぽこんと兄に続いて顔を出して、ドーチン。
「地下水流を利用した下水道だからね。普通の下水と違っていつも勢いよく水流が──」
「なんでそれを最初に言わないっ!」
「だ、だっで、言おうとしだら兄さんが梯子から手を滑 らせて──それだけならまだじも、ぼぐの足までづかむもんだから、ぼくまでいっじょに──」
ボルカンに首を絞められつつ言い訳を続けるドーチンを見下ろしながら、オーフェンは低い声 音 でコンスタンスに言った。
「ホントーにお前、一度もこいつらを捕まえられなかったわけ?」
「そ、それも昨日 までのことよ!」
コンスタンスは、ぱっと胸をそらして、ずぶ濡れの地人たちに指を突き付けた。
「もう逃がしはしないわよ! 当局の実力を甘く見ないことねっ!」
「............」
オーフェンは、かなり疑わしげな目付きで彼女を見ながら、ボルカンに聞いた。
「なあお前ら、この姉ちゃんが派遣警察官だって言ったら、信じるか?」
「まさか」
ボルカンは即答。ドーチンはしばし迷ってから、
「鼻で笑っちゃいますね」
「なんで犯人にまで、ンなこと言われなきゃなんないのよ! わたしはコンスタンス・マギー! れっきとした二等管よ!」
「まあそれはいいとして......聞くの忘れてたんだが、こいつらがした犯罪って、なんなんだ? 派遣警察に付け狙 われるなんざ、並 大 抵 のことじゃねえはずだろ?」
オーフェンが聞くと、コンスタンスはきらりと目を輝 かせた。ボルカンとドーチンは、身に覚えがないようで互いに顔を見合わせていたが。
コンスタンスは、ぼそりとした声でつぶやいた。
「無 銭 飲食......」
「......え?」
言うまでもなく軽犯罪である。オーフェンは理解しかねて眉 をひそめた。が、彼女はかまわずに続ける。
「風紀犯罪......」
まあつまり宿を持っていないことを言っているのだろうが、これもたいしたことではない。が、続けるにつれて、コンスタンスのトーンは高くなっていく。
「禁止区域での発火行 為 ──無賃乗車──拾得物隠匿 、投 棄 物 への探 偵 行為、保険法の無視!」
順に、公園でのたき火、乗合馬車の乗り逃げ、拾 い食い、ゴミあさり、街に市民として登録していないこと、くらいの内容になる。
「あのう......」
ドーチンが聞くが、それを無視して彼女はさらに続ける。
「公共物破 損 に家 畜 泥 棒 に空 き巣 に子供相手の恐喝 、置き引き、等 々 ! 南のコーンネアでは文化財の下に住み着いて、銅像の足を折ったでしょ! おまけにあちこち地域を移動して! せめて一か所にとどまってくれれば地方警察の仕事だったのにっ! せっかく晴れて派遣警察官に配属されたのに、いきなりあんたみたいなのを二年間も追いかけ回さなけりゃならなくなったわたしの青春はめちゃくちゃよっ! どーしてくれんのよっ!」
「知るかあああああっ!」
ボルカンが絶叫 じみた声をあげる。ぽつりと、オーフェンはつぶやいた。
「塵 も積もれば、か......」
虚 しい思いで続ける。
「にしても......こいつらが少なくともひとりの人生を狂わせた、って──ひょっとしてお前本人のコト?」
「そぉよ」
憮 然 とした表情で、コンスタンス。じりじりと、地人たちに近寄っていく。
「青春を返してもらうわよ、この流浪犯罪人──昨夜 一晩一 睡 もせず、じぃぃぃぃっくりダーツの針を磨 いておいたんだから。ぶすぅと刺さってもらうわよぉ」
少しビビったように身を退 きながら、オーフェンは独 りごちた。
「......その情熱があれば、今さら取り返さんでもあと二十年くらいは青春が続きそうな気もするが......」
「なにを落ち着いてるんですかぁ。助けてくださいよお」
ドーチンが涙ながらに訴 えてくる。オーフェンはしみじみと嘆 息 した。
「ドーチン......」
「な、なんです?」
「公務執 行 妨害は軽犯罪じゃすまないんだ」
「薄情者 ぉぉぉぉっ!」
地人たちが口々に叫ぶ。同時に、コンスタンスの取り憑 かれたような、けたたましい哄笑 がマスル水道に響 き渡った。そのまま彼女は、両手に一本ずつ持ったダーツを、投げもせず直接地人たちに突き刺しにかかる──
その次の瞬間には、地人たちは首筋にダーツを一本ずつ食らって昏 倒 していた。マンホールから小 柄 な地人たちを引きずり出しつつ、彼女は歓 喜 して叫んでいた。
「やったわっ! ついに!──ついに職務を全 うしたのよ! 初めて !」
「あーはいはい、よかったねえ」
オーフェンは、もうあえて反論はしないことにして、彼女を手伝ってボルカンの身体をマンホールからひっぱり出した。なんだかもう、可 哀 想 な気分になっていた。
(ようするにこいつ、左 遷 されてたんだな、ずっと)
勝手に決めつける。だが、どうせそんなところだろう。
「まあなんにしろ、安心したよ。あんたがさんざ脅 すから、ホントに神経毒なんて使うのかと思ってたけど、結局はただの痺 れ薬みたいだし」
ボルカンらの症状──白目をむいてはいるが、呼吸は確かだ──を見ながら、オーフェンは言った。
と──
それまでにこにこしていたコンスタンスの表情から、さあっと血 の気 が退 く。
「わたしが使ったのは、確かに『フェルテ・ベルナール』だけど......」
「──へ?」
オーフェンが聞き返すと、彼女はぶつぶつと、独 りごちるようにして続けた。
「そおいえば......この症状って、ただの弛 緩 剤 よね──でも、手持ちのダーツは使いきってるし──だとしたら『フェルテ』はどこで使ったのかしら......」

「まさか──」
オーフェンは思い当たって、両手をわななかせた。
「さっき、通行人に当たったやつ──」
「きゃああああああっ! さっきの人、どこぉぉぉぉっ⁉ 」
「この無能おおっ! おいっ!」
「な、なに?」
「蹴 るぞっ!」
言うが早いか、オーフェンの回し蹴りが彼女を捕 らえていた。
なんにしろ──
派遣警察官コンスタンス・マギーとの出会いは、そんなものだった。
(ひとの話を聞きやがれ!:おわり)


トトカンタ市の裏 路 地 街──人口密度は高いくせに、夜中になれば妙 に暗い。街 灯 が少ないせいもあるのだが、建物の造りとして、あまり窓を大きくしていないということもある。ペイサンからピュルモンまでの七本のストリートと、あと無数の路地からなる街並みが、ここ裏路地街と呼ばれる界 隈 である。
追いはぎなどの危険性は、二十数年前、市街警察が路上管理部隊の結成を高らかに宣 伝 して以来、ほぼなくなったと言っていい。にもかかわらず未 だに夜中の裏路地街を出歩く市民の姿がないというのは、それ以前の裏路地街の惨状 を物語っていた。
だから──その夜オーフェンがひとりで歩いていたときも、路上には人の姿は見られなかった。
「さて......」
と独 りごち、足を止める。年の頃二十歳 そこそこの、黒 髪 の男である。黒い双 眸 は皮肉げに吊 り上がっており、お世 辞 にも愛嬌 のある容 貌 ではない──が、若いせいだろう、さほど凶悪 そうな印象 もなかった。全身黒一色の格 好 で、胸 元 には剣 にからみついた一本脚 のドラゴンの紋章 がぶらさがっている。これは最高の黒 魔 術 士 の証明でもあった。
と──裏路地の、彼からは少し離れたところから、声があがる。
「気づいていたのかな?」
「あんたが俺 を尾 行 していたことをか?──なら、少し前から視線は感じていたね」
「わたしが尾行を始めたのは、昨日 の午後からだが」
「そう......その頃 からだ」
「ふむ......」
話しながら人影は、彼に近づいていく。暗がりの中でよく分からないが......長身の男。オーフェンは油断なく向き直った。
そろそろ男の顔が判別できる範 囲 に入っていた。眼 差 しを鋭 く細めた三十歳ほどの男。あまり長髪にはしていない灰色がかった黒髪をすべて後ろに流して、がっしりした身体 つきをロングコートで隠 すようにしている。男は試 すように首を傾 げ、オーフェンに聞いた。
「こんな夜 更 けに、散歩だったのかな?」
「いいや。あんたを燻 り出そうと思ったのさ。ひっかかったんだか......ひっかかったふりをしてるのか、知らないがね」
「謙 遜 するなよ。ひっかかったんだ。わたしとしては、少し様 子 を見てから名乗り出ようと思っていたのさ。君がオーフェンだな?」
男が断定したので、オーフェンは黙 ってうなずいた。男も似たような仕 草 でうなずき返してから、続ける。
「わたしはダイアン・ブンクト──こういう者だ」
言いながら、彼がコートの懐 から出したバッジに、オーフェンははっきりと見覚えがあった。嫌 な予感を隠しもせずに表情に浮かべ、うめく。
「げ──てことは、またあいつか⁉ 」
だが男──ダイアンは素知らぬ顔で、
「君のことは、彼女の報告書で読んだ」
と、自分の背後を手で示す。彼が指した暗がりから、およそこの裏路地には似つかわしくない声が飛び出してきた。
「やっほー。わたしぃ。元気してた?」
そのせりふとともに姿を現したのは、ダイアンが手にしているのと同じ、派 遣 警察官の身分証を誇 らしげに掲 げた若い女──コンスタンス・マギーそのひとだった。
そして翌日──
「......報告書には俺の名前は出すな、と言ったろーが!」
まず、小声でオーフェンが毒づく──が、コンスタンスは気楽なものだった。
「書かなかったわよ──『名も知れぬ市民A』としか。上 司 が勝手に調べたの」
「......派遣警察ってのは、いちいち部下の報告書の裏付けとるほど暇 なのか?」
「そんなことはないんだけど......なんていうかさ、ほら。どこにでもいるでしょ? 石頭に岩顔面の男上司って」
「いわがんめん?」
オーフェンは聞き返したが、コンスタンスは無視した。
「『お前が市民の協力を得たくらいで任務を達成できたとは思えん』って、きかなくてさ、興 信 所 から人を雇 って調べたらしいのよ」
「お前さんはその間なにやってたんだ」
「んと......向こうの言い分にも説得力はあるなと思ったから、じっとしてた」
「自認してどぉするんだよっ!」
両手をわななかせてオーフェンが叫ぶと、横手からひどく冷静な声が割り込んだ。
「お前たち──テーブルの下で、さっきからなにをしてるんだ?」
「............」
オーフェンは、安食堂のテーブルの下にはいつくばった姿勢のまま、そこをのぞき込むようにしているダイアンを指さした。
「こいつが『岩顔面』か?」
「まさかぁ」
と片手で口元をおおい、もう片方の手でぱたぱたやりながら、コンスタンスが笑う──ちなみに彼女もオーフェンと同じく、テーブルの下に四つんばいになっている。
「見れば分かるでしょ──こっちは陰 で『むっつり詐 欺 師 』とか呼ばれてんの。マゴニガルっていうもうひとりの部長刑事が『岩顔面』なんだ♪」
「どっちでもいいけどよ......」
オーフェンはうめきつつ、テーブルの下からはい出した。ダイアンを横目で見ながら、
「俺を拘 束 するつもりなら、この無能警官が無関係の民間人に神経毒塗 ったダーツ投げ付けたことも取り調べでぶちまけるからな」
「誰 が無能警官よ」
と、コンスタンス。
「お前しかいねえだろ」
オーフェンは刺 々 しく言いながら、彼女に視線を転じた──この前会ったときと変わらず、しっかりとスーツを着込んだ、こざっぱりした印象の女である。
「まあ別に、わたしも君を取って食おうというつもりはないんだよ」
ダイアンの、口の端に笑 みを浮かべたせりふに、オーフェンは嘆 息 した。
「取って食われてたまるかよ。でもどうせ、こいつがからんでるとなると、ロクでもねえことなんだろが?」
と、コンスタンスを示す──指をさされて『こいつ』呼ばわりされ、さすがに彼女もムッとしたようだったが、ダイアンが口を開くほうが早かった。
「そのことについては......話が長くなる。とりあえず、かけないかね?」
彼はダイアンの勧 めるままに椅 子 に腰を下ろした。ダイアンが寄ってきたウェイトレスに簡 単 な注文を済まして、話を続ける。
「先週は、君の協力によって彼女は任務を達成できた」
「で、俺は商売をフイにした──金を貸していた福ダヌキどもを拘 置 所 に持ってかれちまったからな」
オーフェンが皮肉げな声をあげるが、ダイアンはにやりともしない。
「感謝しているよ。協力にはね。正直 、あんなくそボケた任務でも、彼女にとっては十分以上に手に余 っていたようだから。逮 捕 があと一週間遅 れれば、署長 に身売りでもしないかぎり首が飛んでいただろう」

「ほ、本人を前にそこまで言いますか?」
引きつった顔で、コンスタンス。ダイアンは、そちらにも表情を変えなかった。
「当人のいないところで話してほしいか?」
「もっとひどいこと言われそうだから、いいです......」
コンスタンスが、いじけたような口 調 でつぶやいた。
オーフェンは胸中ザマミロと思いつつ、
「あの極 楽 ダヌキども、いったいいつ釈放 されるんだ? 今は身 柄 をトトカンタ警察に預 けてあるんだろう?」
「来週の頭には出てくるだろう。そもそも、拘置するほどのこともなかったんだ。あれを追っていたのは、単に我 々 派 遣 警察のメンツの問題だけだったからな」
メンツの問題で逮捕してほしくないもんだとは思ったが、オーフェンはあえてなにも言わなかった。
「それで......ここからが本題なのだがな」
ダイアンが声を静める──とはいえもう既 に十分トーンの低い声 音 ではあったが。オーフェンははっきりと聞き取れるように、テーブルの上に身を乗り出した。見ると、コンスタンスもつられて顔を突き出している。
「実は......彼女のお守 りを頼 みたいんだ」
みっつの顔面が突き合わされたテーブルの上で、ダイアンはきっぱりと言いきった。
「......あん?」
オーフェンが聞き返す。ダイアンはもう一度、ゆっくりと言い直した。
「お・も・り──この馬 鹿 以下の無能を、せめて人 様 に迷 惑 をかけない程度に世話してやってもらいたい」
「馬鹿以下......」
コンスタンスがつぶやく。
「あ──あのなぁ」
オーフェンは顔を引っ込めると、当 惑 しながら口を開いた。
「なんで俺が──民間人の俺が、この逆噴射 式迷惑無能警官のバックアップなんてしてやらにゃなんねえんだ?」
「ふむ。なかなかうまいことを言うな」
「あのぅ......」
男ふたりの会話の隙 間 から、ほおに一 筋 汗をたらして割り込もうとするコンスタンスを、彼らは完全に無視して続けた。
「つまりだ、ごく単純に結果の問題なのだ──少なくとも先週、君の協力を得たら、彼女は任務を達成できた。それまで、どんなベテランの警官と組んでも万引き少年を大声で脅 して追っ払うくらいの仕事しかできなかった、この給金泥 棒 が、だ」
「だが、それでもまだほかにできる仕事くらいあるだろう──無理に犯人を追跡するような任務じゃなくても、全身にロウを塗 って、よく道 端 に立ってる警官人形の代わりにするとか......」
「二十分以上棒 立 ちになっていると貧 血 を起こすらしいのだ──この上司の経歴に泥を塗るしか能がない、体力なしの竹ひご女は」
「つくづく使えねえんだな──なら、便所掃 除 にでも回しとけよ、こんな常識の代わりに炸 薬 が詰 まってるような暴発警官」
「ほほぅ。暴発警官......そうきたか──では超有能無能者というのはどうかな」
「なるほど......なら、『寄るな! 血を飲むと無能が感 染 る!』てなネタもありだな」
「なかなか、うまいことを言う」
「いやぁ、なんかあんたとは他人って気がしないなぁ」
「はっはっ......おや?」
ダイアンは機 嫌 よさそうに笑ってから、ふと気づいて声を落とした。コンスタンスが座っていた椅子に、彼女の姿がない。
ダイアンは慣 れた様 子 で、ぱっとテーブルの下をのぞき込み、
「......なにやってんだ? お前」
オーフェンもならってテーブルの下を見ると、そこにはコンスタンスがひざを抱 えて床に座り込み、虚 ろな瞳 でなにやらぶつぶつつぶやいていた。
「まあ、そんなわけで、あの福ダヌキどもが拘置所から出てくるまで、お前さんに付き合うことになったから」
オーフェンが言うと、コンスタンスはどうやらまだなにか引きずっている様子で、ぶつぶつなにかを言っている。
「なんで急にわたしと組む気になったの?」
「え? あ──いや、ダイアンの御 大 と、あれから意 気 投 合 してな」
オーフェンは乾 いた笑みで、そう答えた。
実は、あの後ダイアンが申し出た礼金の額に面 食 らったオーフェンが、『こいつクビにして俺を派遣警官に雇 ってくれ』と言い出し、ダイアンがかなり真剣に悩んだなどという一幕もあったのだが、幸いコンスタンスはそのときまだ忘 我 の境 をさまよっていて聞いてはいなかったらしい。
とりあえずあれからダイアンは帰り、オーフェンらが歩いているのは裏路地街のストリートのひとつ、ペイサン・ストリートである。オーフェンは懐 から一通の封筒を取り出し、ごまかすように言った。
「ほれ──御大から、今回の任務ってやつを預 かってるぞ」
「読んで......」
パットの入った肩をしゅんと落として、彼女。ちょっといじめすぎたか、とバツの悪い思いで、オーフェンは封筒の口を開けた。
──そしてその場で地面にたたきつけた。
「お・ま・え・ら・は・なぁ〜!」
「な、な、なに? 急に怒りだして......」
「読め!」
オーフェンは封筒とその中身を地面から拾 い上げ、コンスタンスに突き付けた。おっかなびっくり、彼女が指令書に視線を落とす。

「えーと......捕 縛 目標──連続殺人犯ナンバー十七。通称『スカルコレクター』......容 疑 者 としてあげられる人物名はなし。逮捕状はトトカンタ市警に発送済み。受け取ること」
「ンな危険な話を民間人に押し付ける奴 があるかああっ!」
オーフェンは思いきり怒 鳴 りつけた。コンスタンスはかなりビビったようではあったが、
「あ、待って──もう一枚入ってた。ええと......こっちは『切り裂 きポチョムキン』て書いてあるけど......」
「切り裂き......ポチョムキン?」
「うん。ほら、どこの街にもひとつくらいはあるでしょ。いきなり人間を骨も残さず消し炭 にしちゃう炎の犬 とか、猫をいじめてると迎 えにやってくる死 神 おじさんとか、そーゆう噂 。切り裂きポチョムキンってゆーのは、トトカンタで六年ごとに人を殺すっていう伝説的な通り魔で、風よりも速く走って......」
「いや、俺が聞きたいのはそんなことでなくて、なんで、ンな子供の噂話に出てくる通り魔の捕縛命令が、派遣警察の指令書に......」
「子供の噂、なんて馬鹿にしちゃあ駄 目 よ。ちゃんと都市伝説って呼んでほしいわ」
「同じだ同じっ! ったく、派遣警察ってのはどーいう組織なんだよ!」
「そーいえば謎 よね......わたしも派遣先に指令がとどくだけで、本部を見たことないし」
「いかん......本当に不安になってきた......」
オーフェンは額 を押さえて独りごちた。
「ひょっとして......黒魔術士をうまいこと利用できそうだから、ロクでもない任務を全部押し付けようって魂 胆 じゃねえだろうな......」
オーフェンはぼやいたが、どう考えても、それ以外には考えられないことではあった。
「いやぁぁぁぁぁっ! 絶! 絶っ! 絶っっっっっ対! いやあぁぁぁっ!」
「やかましい」
オーフェンは無 造 作 な蹴 りで、頭を抱えて絶叫 するコンスタンスを黙 らせた。裏路地街のペイサン・ストリート──件 の連続殺人犯、というか通り魔だが、それが出 没 するらしい という通りである。正確には、ペイサン・ストリートから裏道へと潜 っていく無数の路地のいくつかが、そうだということなのだが。
なんにしろ、後ろから蹴られて転 んだコンスタンスは、目に涙を浮かべて跳 ね起きた。
「冗談 じゃないわよ──囮 になるなんて⁉ 」
「あのな──」
オーフェンは自分のこめかみに手を当てると、諭 すように言った。
「一番効率のいい方法なんだよ!──資料によれば『スカルコレクター』が狙 うのは女だけ! それも、夜間ひとり歩きをしている若い女に限られるんだ」
実を言えば、かのトトカンタが誇 る(?)通り魔的頭 蓋 骨 収集家に関する情報というのはその程度のものしか集まっていない。男であるらしいということ──この通りのあたりに出没するらしいということ──女を狙うということ──死体からは頭蓋骨が抜き出されているということ。
これで実際に被 害 者 の死体が発見されていなければ、誰 も本気で取り合わないような話ではある。
「そんなヤバそーな奴をおびき出すのに、わたしをエサにしようってーのっ⁉ 鬼 っ! 人でなしっ!」
いやいやをするような仕 草 で叫ぶコンスタンスを正面に、オーフェンは、ふっ......と笑みを漏 らす。
「なあ、コギー」
愛称 で呼ばれて、別にどうしたというわけでもないだろうが、彼女はびくりと動きを止めた。恐る恐る、口に出す。
「な──なによ、この暴力者。もーいいかげん蹴りは食らわないわよ。それとも、この期 に及んで性 差 廃 絶 とかなんとか言い出す気? あれから女友達五十人にアンケートとったんだからね──その結果、やっぱり女性は大事にされるべきだって満 場 一 致 で──」
だがオーフェンは気にもせずに無表情でつぶやいた。
「どたばた警官」
と──
ぐらり──とコンスタンスの頭が揺 れる。
オーフェンはなおも続けた。
「ゾウリ虫の脳 寄 生 ──たそがれ失敗女──猪 の勘 違 い大暴走! ノミがついてないだけの猫の手レベル!」
彼がすべて言い終わるころには、コンスタンスは真っ白に燃え尽 きたように、アスファルトにくずおれていた。再びフッと笑い、オーフェンは独りごちるように言った。
「人をこき下ろすには、ここまでやらんと」
「あ・ん・た......ねえ......」
震 えながら、コンスタンスが起き上がる。
「人が傷 つくのを見て楽しいわけ⁉ 」
「そりゃ楽し──いや、そうでなくてだな、こんな程度で鬱 になるなんざ、てめえに自信がない証 拠 なんだよ」
「あそこまで言われれば誰だって......」
「うるせえな。俺なんざ誰になんて言われようと自分のペースを崩 さない自信があるぞ」
「ホントに?」
疑わしげな眼差しで、コンスタンス。オーフェンは胸を張ってきっぱりとうなずいた。
「おうよ」
「でもそれは単に傲 慢 なだけなんじゃ......」
「そー言われても、全然気にせん」
「......あんたの恐ろしさが分かったよーな気がするわ、わたし......」
コンスタンスが疲れたような口調でつぶやく。オーフェンはとりあえず、ほめられたのだと思うことにしておいた。
「ううう......でも、なんだかんだでごまかされたような気もするのよね......」
ぶつぶつ言いながらコンスタンスは、真夜中過ぎのペイサン・ストリートをひとりで歩いていた。
一応彼女も、スーツのポケットの中にダーツの鞘 を常備している。ダーツの尖 端 には即 効 性の弛 緩 剤 が仕込まれていて、これは派遣警察官の標準武装でもあった。
「でもでも、夜中に無差別に女に襲 いかかって頭 蓋 骨 抜いちゃうような奴 相手じゃあ、はっきり言って心もとないよう......」
と──唐 突 に、耳元で声が響 く。
『......うるせいぞ、黙って歩け!』
「............」
コンスタンスはうるさそうな目で、後ろ髪の中に手を突っ込んだ。そして、歩きながら、髪の中に隠してある小さな円 筒 形のものを耳元にずらす。二本の筒 が束 になっているもので、声はその一方から聞こえていた。
「あんたねー、可 哀 想 にも囮 になってる、職務に忠実で素 行 も愛らしい婦人警官の身をちょっとは案じてくれないわけ?」
『それより、どんな因 果 か無差別殺人狂の逮捕に協力するハメに落ち込んだ一般市民の身のほうを案じてもらいたいもんだ』
それを聞いて、コンスタンスはぴくりと目の端を、ストリートのわきの背の高い建物の屋根へとねじ上げた。
「なにが一般市民よ。モグリの金貸しなんかがいけ図 々 しい──」
『いつか俺から金借りてみやがれ──借金のカタにサーカスに売り飛ばしてやっからな』
「ふふぅん♪ せいぜい地の果てまでも追いかけてくることね。わたしが司法特権で大陸鉄道にでも乗っちゃえば、あんたなんかが追いついてこれるわけがないでしょ」
『こっっのクソアマ......』
その呪 詛 を最後に、黒魔術士の声が途 絶 える。コンスタンスはもう一度、建物の屋根を見上げた。屋根の上に人影が見える──その影は一度彼女のほうに呪 いでもかけるような仕草をすると、さっと死角へと姿を消した。
その人影のところまで、彼女の髪の中から、二本の糸──送信用の筒からのものと、受信用の筒からのもの──が伸びている。ひとことで言えば糸電話というやつで、糸のもう一端は屋根の人影──つまりオーフェンが持っている。それで連絡を取りながら、屋根の上を伝うようにして、囮の彼女をトレースしているわけである。
三十分ほど前、糸が出窓に引っ掛かってしまい、外 すのに死ぬほど苦労したが、それさえなければ便利な小道具ではあった。
と──ふと、思いつく。
「ねえ、オーフェン......」
彼女は小声で口に出した。黒髪に埋 もれている円筒から、返事がくる。
『あんだよ』
「ふと気になったんだけど......コレクターが出てきたら、わたしどうすればいいわけ?」
『犯人は捕 まえるもんだ』
............
コンスタンスは、ぴたりと立ち止まった。
「わたし......が⁉ 」
『それが一番手っ取り早いな』
「で──でも、コレクターだけならまだしも、最悪の敵・切り裂 きポチョムキンが──」
『............』
オーフェンは、しばし沈 黙 してから、
『まさか......本気で言ってるのか?』
「当たり前でしょ......それとも、ポチョムキンのほうが与 し易 いとでも思ってるわけ?」
『そーゆうこっちゃねえっ! 派遣警察官がデマ話を真 に受けててどーするっ!』
「デマじゃないわ! 伝説よ! いい? ポチョムキンの名前の由 来 はね、人を殺すときに必ずポチョムキンと叫ぶっていう──」
『ンなことは聞いてねえよ! とにかく、標的はコレクターに限定すっからな──』
「そんな身勝手な! ポチョムキンの危険さを知らないから、あれを野放しにしておこうなんて言えるのよ! あれは百メートルを二秒で走るのよっ!」
『............』
「それとね、マンホールの上に立つのが好きなんですって。好物は香料入りのワインとビスケット──」
『もぉいい。分かった......コレクターにしろポチョムキンにしろ、出てきたら俺が捕まえてやっから、頼むから黙 っててくれ。くそ......どーせ男なんざ汚れ役ばっかりだ』
「しっかり汚れてね♥」
『くっ............!』
オーフェンがうめく。ようやく一本とれて、コンスタンスは満足げに息をついた。
「にしても......なんなのかしらね、このスカルコレクターってのは──頭蓋骨なんて集めて楽しいのかしら」
資料を眺 めながら、彼女はつぶやいた。
『今までの被害者は発見されているだけで七人だ。みんな女。遺 体 には暴行された形 跡 もなく、ただ頭部のみに損傷を受けている』
「少なくともレイプされることだけはないってわけね。だからって嬉 しくもないけど」
『被害者の身元にはなんの関連性もない。いつも通る道を待ち伏せされているわけでもなく、計画的な要素を感じさせないのに手掛かりは残さねえ。一番やっかいな手合いだな』
「確かにそうねぇ......ヤだわ。まったく」
『そだな。あ、おい──』
「なぁに? よく聞こえな──」
ぷちっ──
小さな音が、すべての会話を遮 る。コンスタンスは、背 筋 に悪 寒 を感じて振り向いた。
そこには、いかにも独身者じみたよれよれのシャツを着た男が立っている。四十過ぎというところか。無表情な顔に、やたら長い前髪を垂 らし、右手には、自作の凶 器 だろう──長さ三十センチほどの鉄棒にくくりつけられた、フックのようなものを提 げていた。
そのフックが、糸電話の糸を切ったのだと、コンスタンスは悟 った。切れた糸が、夜風にさらわれてどこへともなく消えていく。
「あ──」
彼女は絶 句 して、立ち尽 くした。男が、構 えるようにフックを動かすのが見える。月明かりを受けて、フックは凶悪な輝 きを発した──彼女は悲鳴をあげかけた。
「いや──」
刹 那 ──
「我 は放つ光の白 刃 !」
かっ!──夜のしじまを引き裂く閃 光 が、コンスタンスと男のちょうど中間の地面で燃え上がった。純白の火柱のように熱波を巻き上げて、轟 音 が地面を揺 るがせる。
爆光の中で、コンスタンスは自分のすぐ前に、ぽとっとなにかが落ちてきたのを見た。最初は、なにか鳥でも落下してきたのかと思ったが、彼女の眼前でたいした音も立てずに立ち上がったのは、黒魔術士の背中だった。どうやら、屋根の上から飛び降りてきたらしい──事もなげに、この男は。
「オーフェン──」
彼女のつぶやきには答えずに、オーフェンが前方の男に向けて声を出す。
「スカルコレクター──だな?」
と、それまで──光熱波を足元に食らったときでさえ──無表情だった男の顔が、ぴくりと反応する。オーフェンが早口で続けるのを、コンスタンスは背後で聞いていた。
「容疑は殺人罪──そして殺人未 遂 は現行犯だ。逮捕する」
だっ──その瞬間、男──スカルコレクターが走り込んでくる。だがコレクターのフックの攻撃を、オーフェンはあっさりと右腕で受け流していた。同時に左 掌 を敵の腋 の下に差し込み、叫ぶ。
「我は撃 つ光 靂 の魔 弾 !」
と、オーフェンの左掌に光の球 が生まれ──それはコレクターの身体に容 赦 なくめり込むと、そのままとんでもない勢いで通り魔をはるか後方まで吹き飛ばした。コレクターの苦 悶 の悲鳴があたりに響 く。
「あ......あ......」
あまりのことにコンスタンスがその場に座り込むと、オーフェンはコレクターのところに向かいかけた足をぴたりと止め、こちらに振り向いてきた。
「なにやってんだよ。あいつを取り押さえっぞ」
「で、で、でも......」
「でももくそも──しまった!」
オーフェンが叫ぶ。彼が気づいたほうを見やると、通りの向こうでスカルコレクターが立ち上がろうとしているところだった。そして、あれだけの打 撃 を食らったとは思えないような動きで、路地から逃げ出していく。
「手 加 減 しすぎたか。コギー、行くぞ!」
「え──ええ」
コンスタンスは震 えながらも、なんとか立ち上がった。黒魔術士と並んでコレクターを追いかけながら、聞いてみる。
「あなた......通り魔が怖 くないわけ?」
「もっと怖い連中を山ほど知ってる」
苦 々 しい口調でオーフェンが答える。
「《牙 の塔 》なんざ殺し屋の巣 窟 だぜ」
「あ......あなたも?」
不安な声音で、彼女は聞いていた。オーフェンは振り返りもせず、
「かもな」
その返事を聞いて、聞かなきゃよかったとコンスタンスは後 悔 した。別に、本気でこの金貸しが人殺しかもしれないと思ったわけではなくて、なんとなく聞いてしまっただけなのだが。
彼の返事には、どこか傷ついたような響きがあった──ような気がした。
気まずい思いでコンスタンスはつぶやいた。
「あの......助けてくれて、ありがと」
「感 謝 してくれるのは構 わんがな、警官なんだから、ちったぁ恥 じろ」

彼のその言い方に、コンスタンスはかちんときて立ち止まった。それに付き合うように、黒魔術士も歩を止める。
「どうせわたしはね──あんたなんかに比べれば、できの悪い人間なんでしょうよ」
なじるように彼女は言った。が──
「............」
オーフェンは特になんの反応もなく、また前方に向き直って走り出した。コンスタンスも、やや遅れぎみにそれについていく。
(なによなによ──)
彼女は胸 中 で毒づいた。走りながら。
(なんにも言わないで無視しちゃって──普通、ああ言われれば、肚 の底でどう思ってようと、慰 めのひとつくらい出てくるもんでしょうが──)
つぶやくうちに虚 しくなってくるのが自分でも分かったが、彼女はつぶやきをやめなかった。うつむいて走りながら、
(魔術士なんてどーせ才能ひとつで苦労知らずにのし上がってきた連中なんだから──自分が世界で一番偉 いとでも思ってるんでしょ。ちょっと傷ついたそぶりなんて見せて、あれもあてつけがましいわよ──おまけに冷 血 漢 で、乱暴者で、口が悪くて態度がでかい──)
と、前を見 据 える──彼女ははたと、足を止めた。
「あれ......?」
オーフェンの姿がない。
きょときょとと見回すと──黒魔術士の代わりに、道の隅 に例のスカルコレクターが倒れていた。どうやらここまで逃げてきて、力つきたらしい。
「オ──オーフェン......?」
彼女はどこへともなく呼びかけた。が、返事はない。黒魔術士は完全に気 配 を絶 っているようだった。
(見 捨 てられちゃったのかしら......)
特に根 拠 はないが、それはあまり現実感のない想像のような気がした──あの黒魔術士は確かに自分勝手だし怒りっぽいかもしれないが、決して短気なのではない。彼女が少しぐらいすねてみせたからといって、いきなりこちらに愛 想 を尽かすということはないように思える。
(......! まさか──)
はっと、コンスタンスは気づいた。まさか、オーフェンがいきなり姿を消したのは──
(わたしに手 柄 を立てさせるため──わたしに自信をつけさせようとして?)
だとしたら──
彼女は、ぱっと振り向いた。
「ごめんなさい! オーフェン、わたし、謝 らなくちゃ──」
「やかましいいっ! このウスノロの海 亀 女あああっ!」
怒 声 とともに、黒魔術士の頑丈 なブーツが暗がりから飛び出してくる。
「にああああああっ!」
振り向いたところにその蹴 りを、顔面にモロに食らい、コンスタンスは悲鳴をあげた。なす術 もなく尻 餅 をついて、痛めた腰をさすりながら叫ぶ。
「なにすんのよおっ!」
「なにもくそもあるかっ! てめえがぼやぼやしてっから、コレクターの野 郎 、とっくに逃げ出しちまったぞ!」
「ええっ⁉ 」
コンスタンスは声をあげて、さっきまでスカルコレクターが倒れていた場所に顔を向けた。確かに、路上には既 にその姿はない。
彼女は真 面 目 な顔でつぶやいた。
「わずかな油断が死を招くっていうのは、おおむねこんなことだったのね⁉ 」
「ホントに死ね、お前はっ!」
彼女が地べたに座ったままでいると、オーフェンは、とにかくスカルコレクターが去ったであろう方向に駆け出そうとした。
「追いかけるぞ! ここで取り逃がしてまた犠 牲 者 が出たりしたら、寝 覚 めが悪くって仕方ねえ」
「......尻餅ついた女の子がすぐに立ち上がれるとでも思ってんの?」
「お・ま・え・は・なぁ〜!」
と──オーフェンが、いいかげんに堪忍袋 の緒 を切りかけたように見えた、その瞬間 ──
黒魔術士は、横に跳 んだ。
というより、コンスタンスにはそう見えた──数メートルほども身体 を飛ばして路地の壁 面 に激突したオーフェンが、そのままぐったりと動かなくなるまでは、まさかこの黒魔術士が倒されることもあり得る などとは、思いつかなかったのだ。
(え──?)
彼女は、そろそろと立ち上がりながら、胸中で疑 問 符 を浮かべた。オーフェンは額 からおびただしく出血して、意識は保っているようなのだが、脳 震 盪 で身動きできないらしい。彼を後ろから横殴 りにしたのは──気配もなく暗 闇 にたたずむ、スカルコレクターだった。コンスタンスの目の前で、コレクターが血のついたフックを掲 げる。
「オーフェン......」
彼女は、ぼやくような口調でつぶやいた。コレクターはゆっくりとこちらに近寄ってくる──黒魔術士には目もくれない。コレクターの狙 いは女だけなのだと、コンスタンスは思い出していた。
「に────」
オーフェンの声が、ほとんど切れ切れに夜道に漏 れるのが聞こえる。
「にげ──」
逃げろ、と言いたいのだと、コンスタンスは悟った。確かに、それが最良の策なのだろうとは思う。が──
コンスタンスは、ポケットからダーツを二本、右手で取り出した。それを構えながら、
「取引をしましょう、コレクター──わたしに逃げられたくはないんでしょう? わたしだって抵抗もせずに殺されたくはないけど、少なくとも逃げないでおいてあげる。その代わり、わたしを殺せたとしても、彼には手を出さないこと。いい?」
「馬鹿っ──たれ──」
否定の声をあげたのは、コレクターではなく、オーフェンだった。コレクターはなにも答えず──こちらの言葉に反応すらせず──近寄ってくる。ゆっくりと、フックを揺らしながら。
(面 目 躍 如 したいわけでもないけど──)
二本のダーツを右手の中で平行に構えながら、コンスタンスは独りごちた。
(あの脂 ガエルに身売りなんて御 免 だし)
脂ガエルというのは署長 のことだが。
コレクターとの距離は、もうあまりない。相手がフックのとどく間合いに入る前に、ダーツで仕留めなければならないわけだが、距離が開きすぎていても急所を外 れる可能性が高かった。できれば、二メートル以内まで待ちたい。フックがとどきかねない距離だが。
ぐっと、ダーツを握 る手に力を込める。その刹 那 ──
夜のしじまに、奇声が轟 いた。
『ポチョムキィィィンン!』
「......は?」
コンスタンスが、間の抜けた声をあげる。
スカルコレクターには聞こえもしなかったのか、反応していない──と、路地の中に風を切るようなかん高い音が満ちた。ひゅおうっ! と姿もない黒い影がコレクターの背後まで飛んできたかと思うと──
どぅ!
スカルコレクターの身体が、一瞬だけ痙 攣 するように震 えた。そして......
「うふふふふふふふ......」
いきなりの声に、コンスタンスはダーツを取り落としかけた。
見ると、いつの間にかコレクターの背後に、ひとりの紳 士 が立っている──山 高 帽 にイブニング姿の、ハの字髭 の中年男。ステッキなど持って、震えたきりぐったりとなったコレクター──暗がりで分かりづらかったが、爆圧でも食らったように眼 窩 から鼻 孔 から体液を垂れ流して絶命している──を片手で支えている。
「じゃあねぇ。次は、七年後かな?」
紳士はかん高い声でそう言うと、両足をそろえてくるりと振り返り、そのまま信じられないようなスピードで──それこそ風よりも速く──路地の彼方 へと消えていった。コレクターの死体を抱えて。
啞 然 とした口調でコンスタンスはぼやいた。
「切り裂き......ポチョムキン......?」

「ンな......馬鹿な......」
のろのろと、額の傷 口 を押さえながら、オーフェンが立ち上がる。コンスタンスは呆 然 とつぶやいた。
「都市伝説って......奥が深いわー。あ。オーフェン、ごめんね。ポチョムキンが人を殺すのって、七年ごとだったみたい」
「ンなことはどーでもいいんだが......」
オーフェンが、つぶやく。彼女は、あ、と思いついたような声を出して勝手に続けた。
「でも大 丈 夫 ♥ ガーリック・トーストって三回唱 えると逃げていくんだって」
「......なんでもいいんだが......通り魔の死体がなくなっちまった場合、俺への報酬 はどうなるんだ?」
冷たくぼやくオーフェンのせりふに、コンスタンスは、一瞬だけびくっとした。
「ひょっとして......任務失敗ってことなのかしら──」
「報酬......は?」
しつこくつぶやくオーフェンを無視して、コンスタンスは、月に向かってガッツポーズを取った。
「こうなったら仕方ないわ──今度は切り裂きポチョムキンを逮 捕 するのよ! 奴は男を狙 うみたいだから、今度の囮 は──」

「やるかぁぁぁぁぁっ!」
オーフェンの絶叫を聞きながら──いや、聞く耳持たずにコンスタンスは、ポチョムキンの逮捕計画で、しばらく黒魔術士に仕返ししてやろうと思っていた。
(なんでお前はそーなんだ⁉ :おわり)


「今度こそ決着をつけますわよ!」
「望むところだ!」
「もう容 赦 しませんからね!」
「俺 のせりふだ、この尻 やせ色気なし!」
「なんですって──いや、いいわ。どうせすぐ思い知ることになるんですからね──決着をつける方法は──」
「決まってる! どっちかが地上から消え去るまでだ!」
「ふん! こっちから言い出そうとしてたくらいですわよ!」
「場所は、どうする? どこで決着をつけるんだ?」
「注意力も散 漫 ですのね! あそこに街 の明かりが見えるでしょう──」
それは昔のこと──つまり、ほんの昔のことなのだが、そのときから始まっていたことではあった。とある男女が恋に落ちたのだが(誰 にでもあることのようだが)、周囲に反対され(それこそ、滅 多 にあることなのだろうか?)、ふたりは駆 け落ちし(馬鹿だとは思うが)、そして行 方 が知れなくなった(いなくなれば、それでおしまいだ)。それについてはそこで終わったのだが──
それは、そのときから始まっていたことではあった。
夜のとばりを引き裂 くように、平和なトトカンタ市に破 壊 音 が轟 いた。雲のかかった月明かりは薄 く、闇 が濃 い。星もなく風もなく、雨もなくひとけもない──真夜中。
「......出てきた、か」
音の聞こえたほうを見上げ、オーフェンは嘆 息 した。二十歳 ほどの、どことなく皮 肉 っぽい造 作 の男。黒 魔 術 士 であることの証 しである銀製のペンダント、剣 にからみついた一本脚 のドラゴンの紋章 が胸元にぶら下がっている。世を拗 ねたようなやぶにらみの双 眸 は、かなりアクの強そうなものを湛 えていた。
「そうね」
と、隣 を歩いている女が同意する。すらっとした、小ぎれいな女である。ぱりっとしたスーツ姿で、彼と同じほうを眺 めている。オーフェンは、彼女──コンスタンスのほうに顔を向け、愚 痴 るように言った。
「ったく、なんで俺 がこんなこと......」
「なんでって──手伝ってくれる約束でしょ。忘 れたわけ?」
「あれは、先週だけのつもりだったんだ」
コンスタンスは、そこでなにか隙 を見つけたのか、すっと胸をはって言った。
「既 成 事実ってゆーのは、こうやって積み重ねていくのよ」
「詐 欺 師 のせりふだ、それは......」
オーフェンはぶつぶつと文 句 を言いながらも、音の聞こえたほうへと足を向けた。ひとけのない夜道を速 足 で進みながら、ちらりとコンスタンスがついてくるのを待つ。
破壊音が響 いてから、街は、にわかに騒 がしくなっていた──破壊音は終わらないし、各所に待 機 していた警察官らが呼び子を鳴らしながら出動を始めている。
「こうなったら、犯人め──手 加 減 なんぞしてやらんからな」
陰 険 な声で断言する。後ろをついてきているコンスタンスから、ぽつりと声があがった。
「どっちにしろ手加減なんて器用なコトできないくせに」
その後は、彼はもうなにも口に出さず、ただひたすら走りつづけた。なにかが壊 れる音──ガラスの割れる音──悲 鳴 が聞こえる方向へ、勘 を頼 りに進んでいく。勘は確かだったのか、音はどんどん大きく、近くなってきていた。それとともに、道路もあちこち、破壊の傷 跡 が見えはじめる──路面は砕 かれ、塀 は崩 され、家が半壊している。気絶して倒れている人影もそこらに見えた。
オーフェンは、これが最後だろうと見 当 をつけた曲がり角を曲がった。魔術の構成を頭の中に浮 かび上がらせながら、いつでもそれを放てるように右手だけ身 構 える。
それは、いきなり視界に飛び込んできた。
「死ねやおああああぁおああっ!」
数メートルほどの空中に浮かんでいる、太った中年の女が、指を広げて両手を突 き出す。ぐぉっ──と、空気がひしゃげる音が鼓 膜 を叩 き、それとともに不 可 視 の衝撃 がアスファルトをめくりあげる。砕けたアスファルトが爆 竹 の破 片 のように飛び散った。
爆音が、近くの家の窓ガラスにひびを入れるのが見える。
破壊されたアスファルトの真ん中には、赤い帽 子 をかぶった十四歳ほどの少年が立っていた。アスファルトをも砕く衝撃をその身に受けて、苦 悶 の表情を浮かべながら、
「死ぬもん──ですくぁぁっ!」
気 合 の声をあげると、宙に浮かんでいる中年女に向けて、こちらも両腕を突き出す。
「こちらこそ、殺してさしあげてよっ!」
少年の掌 から、ふっ──と、銀色のボールのようなものが膨 れ上がり、次の瞬間 には空中に飛び上がっていった──上空にいる中年女の目の前まで飛んでいき──
「はっ──⁉ 」
刹 那 、少年は彼の気 配 を感じたのか、オーフェンらのいる背後へ顔だけ向き直った。ぎらりと目を輝 かせて、
「何者です⁉ 」
「神妙 にしなさい!」
澄 んだ夜気に、さらに透 き通るようなコンスタンスの声が響き渡る。彼女はスーツの懐 から身分を示すバッジを取り出して掲 げた。
「派 遣 警察官のコンスタンス・マギーよ。それと、こっちは──」
彼女の手が、こちらを示す。
「パートタイマーの警官だ」
と、オーフェンはぶっきらぼうに続けて、ざっとつま先を路面に滑 らせた。少年は、手首を一振りして先刻 放った銀のボールを手元まで引き寄せると、
「立ち去りなさい──あなたたちごときが立ち入れる争いではありませんわよ!」
その後を継 いで、宙に浮かぶ中年女。
「とっとと消えうせろってんだ」
オーフェンは黙 って、ふたりを眺 めた──ふたりが争いつつ移動してきたらしいそのストリートは、ぼろぼろに壊れて瓦 礫 の河 原 と化している。
少年が、いらだった女声で叫 ぶ。
「このまま立ち去るのであれば、危害は加えません──しかし、それができないとあらば、あなたがたには抗すべくもない本物の『力』というものを見せてさしあげてよ」
「全部ぶっ壊してやるぜ」
「黙 りなさい!」
と、これはコンスタンス。彼女は、びしとふたりを指さすと、
「トトカンタ市を騒 がす、連続テロ犯! 現行犯で逮 捕 するわよ! なんだか妙な力を使うみたいだけど、こっちにはこーゆーときのための凶暴 兵器があるんですからね!」
「俺のことか......?」
オーフェンのつぶやきに、彼女は答えなかった。さらに声を張り上げる。
「おとなしくお縄 につきなさいっ!」
「肉のある人間ごときが!」
少年が、目を吊 り上がらせて怒 鳴 る。中年女も、似たような顔で、
「ナマ言ってんじゃねえぜ! 消し炭 にされてえのか⁉ 」
「............」
オーフェンは無言で、つまらなそうに挑発 のしぐさをした。左手で、くいと手 招 きする。
「生 意 気 な!」
少年が叫んで、銀のボールをこちらに放った──ボールは途中で弾 け、銀色の飛沫 に変じる──
そして、中年女。
「あの世で後 悔 しな!」
と、両手から、炎 の渦 が吹き出す──が、オーフェンはまったく動じず右手を掲 げた。
「我 は放つ光の白 刃 !」
純白の輝 きをまとった熱と衝撃の波動が、迫 りくる銀の飛沫、そして炎の渦をあっさりと押しもどしてふたりを包み込む。
「うひああああっ⁉ 」
爆 裂 する光熱波の中に、少年と中年女の悲鳴は消えた。
「わたくしたちの力が通用しないなんて......どういうことなのかしら」
「おかしいぜ。黒魔術士ごときが」
「なんにせよ、観察しておく必要はありそうですわね」
「ふん──まあ、そうしといてやるけどよ。言っとくが、俺はてめえなんぞと馴 れ合うつもりはこれっぽっちも──」
「あら嬉 しい。わたくしの言いたいことを代わりに言ってくださるわけですのね」
「この──! いや、今はいい。とにかくあの野 郎 の正体を確かめるのが先決だ......」
「......で?」
コンスタンスの冷たい声が、殺 風 景 な取調室 の中に染 みとおる──同じせりふを、これで三十二回目になるか、とオーフェンはいちいち数えていた。
無表情なコンタンスの正面で、帽 子 を取り上げられた例の少年──そんなに殴 った覚えはないのだが、顔中腫 れ上がらせている──が泣き叫ぶようにしていた。
「だ、だから俺は知らないんだってばよ!」
取調室には、四人の人間がいる──オーフェンが昨夜(いや、今日だ)逮 捕 した少年。それを取り調べているコンスタンス、さらに取り調べの様子を逐 次 書き留めている若い男の警官、そしてオーフェンである。

しん......と、取調室は静まり返っている。しばしして、コンスタンスがつぶやいた。
「......で?」
ちらと見ると、少年の両手が、わななくのが見えた。表情は恐怖に引きつっている。
後ろから、ちょいちょい、とオーフェンは彼女の肩をつついた。
「あの......さ、コギー」
「なぁに?」
きょとんとした顔で、彼女が振り返る。オーフェンは手で示して、彼女を部屋の隅 まで連れていった。ほかの人間には聞かれないよう小声で囁 く。
「なんてゆーか......取り調べのやり方に問題があるよーな気がするんだが......」
だが、コンスタンスはむしろ目を輝かせた。
「すっごいでしょ?」
と、どこか得意そうに言ってくる。
「どんなに強情 を通しても最後には絶対に自 供 してしまうという『むっつり詐 欺 師』ダイアン・ブンクト部長刑事の得意技 を真 似 してるの。証 拠 不十分で釈放 された奴 が三日三晩部長に問い詰められる悪夢に悩 まされたあげく、また自首してきたっていうエピソードがあるんだけど......聞きたい?」
「いや......いい」
オーフェンは、疲 れた声で断 った。にっこりと、コンスタンスがうなずく。
「分かった♪ あとにするわね」
「いらん、ちゅーに......」
オーフェンは頭を抱 えてうめいた。
派遣警察と地方警察の違いを説明するとなると、細かいところにまで及 べばめんどうなことになる。だが要は、その自治体の範 囲 までしか活動しない地方警察に対し、派遣警察は大陸規 模 の捜 査 網 を持つと思えばいい。また、地方警察の要 請 を受けて、派遣警察が特 殊 犯 罪 の専門官を派遣する場合もあり、それが派遣警察の名称の由 来 だった。
コンスタンス・マギー──通称コギー──は派遣警察官であり、今回は後者のケースとして働いていた。
特殊犯罪──今回の場合は、テロの可能性もある破壊活動に対するスタッフとして指令書を受け取ったのが、彼女だった。近ごろトトカンタ市を騒 がせている、毎夜毎夜の破壊活動──つまり昨夜と同じ騒ぎが毎夜続いているわけなのだが、それに対する捜査である。
オーフェンは、ちょっとしたいきさつで、彼女の手伝いをしている。もちろん民間人が警官の手伝い事をするなど認められるわけがないので、市警には派遣警察官の一員だということにしていた。まあ、ともあれそんなわけで、彼らはトトカンタ市警の取調室を借りて被 疑 者 の取り調べをしているわけだった。
コンスタンスは少し口をとがらせた。
「でもやっぱり......まだまだ部長には及ばないのよね。たとえ無実であっても無理やり自供させる──あの人はそうやって今の地位を手に入れたんだから。理想の警官よね!」
「......そーか?」
オーフェンは疑 わしげに聞き返したが、うっとりと瞳 を潤 ませたコンスタンスは聞いていなかったらしい。
向こうで、少年がわめくのが聞こえた。
「そんなところでぼそぼそ言ってないで、いいから聞いてくれよ! 俺は知らないんだよ! ちょっと部屋を抜け出して、仲間とシアターに行こうとしてただけなんだ! いきなり意 識 がなくなって──気が付いたら、あそこの魔術士に死ぬほど殴 られてたんだよ!だから──」
と、コンスタンスが、少年のほうに向き直る。彼女の声は、えらく素早くまた無表情にもどっていた。
言葉を詰 まらせて、少年は言葉を切った。腫 れたほおに、脂汗 を浮かべている。硬直 した時間が流れ......
「......で?」
コンスタンスのつぶやきと同時に、力つきたか、少年は椅 子 ごと後ろ向きに卒 倒 した。
「......結局、もうひとりの──おばさんのほうも、なんにも知らないみたい」
トトカンタ警察署の廊 下 の壁 にもたれてぼやくコンスタンスの顔には、疲 労 の色が濃 い。えらく長い取り調べの間中、ずっと慣れない無表情を通していたのだけでも大変だったろうが、彼女の仕事というのは取り調べだけでは終わらない。あの少年らの身 柄 を拘 束 しておく旨 をトトカンタ市警に要 請 しておくには書類と報告書が必要だし、事務員が誤 字 を直し書類に清書した取り調べの記録を、最終的にチェックするのも彼女の仕事になる。そんなわけで、彼女の仕事がすべて終わるまでには、例のふたりを連行してきてからたっぷり十二時間以上が経 過 していた。
彼女は、手を当てて大きくあくびしてから、
「うう......徹 夜 明けは弱いのよね」
オーフェンもつられてあくびした。
「俺もだ──もう俺は帰っていいんだろ? とにかく、暴 れてた奴 は逮捕したし」
「そうね......わたしも仮 眠 しよ。ここの仮眠室借りられるけど、使う?」
「いや、いい。宿 に帰る」
オーフェンはかぶりを振ると、寝不足の頭を抱えながら、ふらふらとその場を後にしようとした。後ろから、コンスタンスが声をかけてくる。
「宿って、いつものとこ? あとで寄ってもいいかしら」
「構 わねえよ」
オーフェンは肩越しに手を振った。
「......そうですわ!」
「なにがだ?」
「あなた、頭が鈍 くお出来ですの? これだから下 賤 な出 自 の──」
「うるせえな、てめえは」
「ま、いいですわ。とにかくわたくし、必勝の手を思いつきましたのよ。つまり、あなたの命運も今 宵 かぎりということですわ」
「へん──てめえの浅 知 恵 なんざ、お見とおしなんだよ。俺だって、てめえのその必勝の手とやらを逆 手 にとる方法は考えついてんのさ。今夜を楽しみにしてるんだな」
「ええ、楽しみにさせていただきますわ」
オーフェンが目を覚 ましたのは、真夜中だった。
ぱちくり──と瞬 きする。そして、
「これは......夢、だよな」
つぶやいた。ついでに、記 憶 に残るすべてのことを思い出してみる。
(警察署からの帰り道で......腹が減ったから屋 台 で串 焼 きを買ったよな......)
その後、宿にもどって昼寝して、夕方あたりに起き出したら、ちょうどコンスタンスが夕飯を食べに宿を訪ねてきた。ほかに安心して食事できるところを知らないらしい。そのあと彼女といっしょに、宿の亭 主 の一人息 子 を適当にからかって、九時ごろにまたなんだか眠くなってきたから、さっさと部屋に上がった。コンスタンスを彼女の下宿に送ることを忘れていたのを思い出したが、まあ彼女も子供じゃあるまいし勝手に帰れるだろうなどと考えながらベッドに入った。夢は見なかったと思う。見てても構わないが。そして目を覚ましたら──
「俺って空を飛べたっけか?」
ふと、そんなことをまともに考え込んでしまう──なんにしろ、彼は容 赦 なく飛んでいた 。王都ほど明るくはないトトカンタの夜景を眼下にして、冷たい風の吹き荒れる空に、ただ浮いている。
紐 で吊 り下げられているのだとか、あるいは浮 遊 のための力が身体 に加わっているのだとか、そういった感触 はない。ただ──水に浮いているような感覚だ。
ぺたぺたと自分の身体を触 ってみるに、しっかりと服も着ている。ブーツもだ。寝る前に脱 いでいたはずなのだが。夢 遊 病 という単語が頭をかすめるが、どちらにせよいくら寝ぼけたところで空は飛べまい。
と、耳元で声がした。
「ど──どういうことですの⁉ 」
聞き覚 えがある。昨夜、街を破壊していた少年の口から漏 れていた女言葉と、同じ声だ。声は、後頭部のすぐ後ろあたりから聞こえてくるみたいだった。
体重を支えるべき地面もなんにもないため身動きが取りづらいが、それでもなんとか苦労して、ぐるりと振り向いてみると、白っぽい顔と向きあうことになった。
少し間 延 びした、世間ずれしてなさそうな女の顔である。肌 は白いというよりも、なんというか薄い ──あまりに薄すぎて、向こう側が透 けて見えるほどだ、瞳 の光と、夜空の星の輝きとがダブって見えた──

「なんだ......幽 霊 か」
オーフェンはぽつりとつぶやいて、ぼりぼりと頭をかいた。ひい、と女が悲鳴をあげる。
「そんな──わたくしの支配を受けないなんてっ!」
「やかましい! 人の頭 蓋 骨 に身体半分突っ込んでわめくな!」
オーフェンは耳を押さえて怒 鳴 りつけた。実際、幽霊女は腰から下を彼の後頭部のあたりにもぐりこませている──どういう感触かと言われれば、抜 歯 の麻 酔 を受けるような心 地 で、重苦しくて気持ち悪い。
幽霊女は、少し怯 えたようなしぐさで、
「あ、あのぅ......」
「あんだよ」
空に浮かぶのにもかなり慣れて、オーフェンは寝そべるような格 好 をした。
「こーゆう事態になったんですから、もうちょっと慌 てるなりなんなりしていただけると、わたくしとしてもリアクションがやりやすいのですけれど......」
「うっせぇな。なんとなく、てめえの正体も見えてきてんだ。てめえ、昨夜はあのガキに取り憑 いてやがったな?」
「は、はあ。まあその......」
「幽霊となると話は簡単だ。てめえ、白魔術士だろ」
「うっ──」
幽霊女は、衝撃 を受けたように押し黙 った。オーフェンは目を閉じて、
「時間と精神を操 る白魔術士が──白魔術の城塞 《霧 の滝 》で、肉体を捨てて生活するための訓 練 を受けてるって話は聞いていたが、ホントだとは思わんかった。俺の知り合いの白魔術士は、身体を持ってたしよ」
「......肉体士ですのね」
汚 い話でもするように口元を歪 めて幽霊女。
「肉体士?」
「語 るも汚 らわしい、怠 惰 な連中ですわよ。精神の極 みを目指すことを忘れ、生まれたままの肉体に安住することを良しとする下 賤 な輩 ですわ。それでいて、わたくしたち精神士を見 下 したふうな僭 越 な態度を取るんですから、お笑い草ですわね」
「つまり白魔術士には二種類あるってことかよ──普通の術士と、死人もどきと。幽霊、つうか、精神体になれば、こんなふうに」
と、彼ははるか遠くの地面を示し、
「こんなふうに空も飛べるわけだ。俺の知り合いはそんな話は一言もしてくれなかった」
「大かた、気づかなかったんでしょうよ──肉体士は肉に縛 られている分、頭のめぐりが悪いのですわ」
「......一応、俺も分類されるとしたら、その『肉体士』とやらになるんだけどな」
「あら、まあ──」
と、幽霊女は鼻で笑った。
「これまた僭越なことですのね──たかだか黒魔術士ふぜいが、わたくしたち白魔術士と同列に分類されようなんてうきゃああっ⁉ 」
と、せりふを途中でいきなり悲鳴に変えて、幽霊女は絶叫 した。顔色ひとつ変えず、オーフェンはつぶやく。
「どんな気分だ? 取り憑 こうとした人間に、逆に支配されるってのはよ」
「ひぁええおうおうああいっ?」
「本来なら魔術技能的に俺たちより上位にあるはずの白魔術士を、俺が恐 れない理由はふたつだ──たとえどんな術をかけられたとしても、しょせんは人間が扱 う術だから力でねじ伏 せるのが可能であること。あと慢 心 してっから、やることがいちいち無 策 なんだよ。俺は《牙 の塔 》で特別に精神制 御 の訓練を受けさせられたからな。てめえ程 度 に支配されたりしねえよ」
「そ、そんな......」
ぜいぜいと息 をあらげながら、幽霊女。もっとも呼吸などしてはいないはずだが、身体を持っていたころのしぐさというのは残ってしまうものなのだろう。
オーフェンは半眼で続けた。
「一言だけ言っといてやるが、他人を支配しようなんざ、こっけいなことさ。自分さえしっかり支配しときゃ、他人を支配する必要なんてねえんだよ。それをしたがるってことは、自分を御 することができてねえ証拠だ」
「............」
幽霊女はじっと、こちらを見返している──その双 眸 に、疲労とともに、なにか理解するような輝きが灯 るのが見えた。
「なんのために毎晩毎晩人の身体借りて暴 れてるんだかは知らねえが──」
と、幽霊女が口をはさんでくる。
「あの......」
「ん?」
言いにくそうに、彼女は言ってきた。
「なんていうか、あなたがわたくしの支配を断ち切ったりするものですから、その──」
彼女は下を指さした──と、彼女が指し示すほうを見やると、遠かった夜景がゆっくりと大きくなっている。身体の力がかからないので気づかなかったが、それが意味することはひとつだ......
「あなた、落ちてますわよ」
「ひょいいいいいっ⁉ 」
今度はオーフェンが、絶叫 じみた悲鳴をあげた。
「きゃあああああっ!」
とにかく、なにかの屋根をぶち破ったのだと思う──落下の衝撃から身を立て直すと、最初に聞こえたのは悲鳴だった。
とりあえずそれは無視して、起き上がる。
「痛 ててて......くそ、とっさに魔術の障壁 で防 御 しなければ死んでたな......」
「そんなことしても、普通は死ぬと思いますけど......」
呆 れた声を出したのは、白魔術士の幽霊女だったが、オーフェンは無視した。顔を上げると、そこは見慣れた一室で、すぐ目の前にベッドがある。ベッドの上には壊れた屋根の瓦 礫 が積もり、そして隙 間 から、きょとんと女の顔がこちらを見ていた。
「ありゃ、コンスタンスか──なんでこんなとこにいるんだ?」
見回してみるに、そこはどうやら、彼がいつも利用している宿の一室のようだった。彼が泊 まっていた部屋とは別室だが。
シーツで胸 元 を隠 しつつ、コンスタンスがわめく。
「『なんで』──じゃないでしょ⁉ 遅くなったから、ここに部屋借りたのよ! なんのつもりなの⁉ いきなり屋根から落ちてきて──夜ばい?」
宿には寝 間 着 など置いてないのでオーフェンも寝るときにはそうしているのだが、彼女もスーツとブラウスを脱 いだままの格 好 である。寝起きのぼんやりした顔で彼女は続けた。
「夜ばいなら、ちょっと待ってて──警察を呼ぶから。あと、わたしのスーツのポケットに麻 酔 を仕込んだダーツが入ってるから、それちょっと渡してくれない? ちなみに罪状 は、婦女暴行未 遂 の現行犯──」
「い、いや、ちょっと待てって」
「み、未遂で勘 弁 してほしかったら、ヤケになって犯行におよんだりしないことね! 人生を捨てちゃ駄 目 よ! お願い──ち、ちょっとぉ! 近寄ってくるなんて反 則 よ!」
「やかましい! これが見えんのか、これがっ!」
オーフェンはわめきながら、自分の後頭部から生 えている(としか言いようがない)幽霊女を指さした。じっとそれを見て──口元に拳 を当てて、コンスタンスがつぶやく。
「女連れで夜ばいなんて......オーフェン、あなたひょっとして特殊なこと考えてない?」
「違うわっ!」
叫ぶ。と、幽霊女が声をあげた──
「お待ちください! 争わないでくださいまし──わたくし、目が覚めましたわ」
「.........え?」
ふたりで見やると、女は神妙な面 持 ちで、
「事情をお話しいたしますわ」
「わたくし、キャリアン・アージカと申します。オーフェン様に看 破 された通り《霧 の滝 》で白魔術士として生まれてきた者です」
彼女──キャリアンは、相変わらずオーフェンの後頭部から生えたままで説明を始めた。
「《霧の滝》?」
いつものスーツを着込んだコンスタンスが聞き返してくる。オーフェンは憮 然 と答えた。
「強力な白魔術士を恐れた貴族連 盟 は、そう呼ばれる城塞 に彼らを監 禁 しているのさ」
「そうです──わたくしは、その中でも肉体を捨てる精神士の一員として訓 練 を受けました。それにより思考を薄汚 い肉体より解き放ち、より高度な存在へと昇 華 したわけです」
「............」
まぁいいかと思い、オーフェンは反論しなかった。
彼女は続ける。
「ですが、わたくしも、人生でたったひとつの過 ちを犯 したのですわ──《霧の滝》には、肉体を捨てることもできず、身体を持ったまま怠 惰 に生活を続ける者もいます。それが肉体士なのですが、わたくし、よりにもよって、その肉体士の男を愛してしまったのです」
「ほほう」
オーフェンは相 槌 を打った。コンスタンスも、他人の身の上話は好きなのか、ずいと身を乗り出している。
「彼の名はルシオン──無論、わたくしたちの間のことを周囲は猛反対いたしました。精神士と肉体士の仲が、うまくいくはずがないと。ですが、わたくしたち若かったのですわ。決死の思いで《滝》を飛び出し──」
「え? 飛び出し──って、そこって貴族たちが監 視 してるんじゃないの?」
コンスタンスの問いにオーフェンは答えた。
「白魔術士が本気になったら、いくら貴族連盟ったって止められるもんじゃないさ。ただ居 心 地 がいいから、外に出ようとする者は少ないらしいけど」
キャリアンがうなずいて続ける。
「飛び出して、ふたりで生活を始めたんですの。ですが......」
「ですが?」
「精神士と肉体士の仲がうまくいくはずがなかったんですわ」
「......あっそ」
「ルシオンときたら、しょせんは肉体を捨てきれない俗 物 でしかありませんでした──あげくの果ては、このわたくしに、どこか適当な女に取り憑 いて身体を手に入れてしまえ、ですって。とんでもないことですわ! それに、そう言って彼が連れてくる女ときたら、そろいもそろって──」
と、なにやら思い起こすことでもあるのか、彼女は怒 りの形相 で拳 を震 わせた。
「そこでわたくし、あんな女に取り憑くくらいなら、と一計を案じまして、あのひとが寝てる間に、きちんとあのひとを精神士にしてさしあげたのですわ」
「それは......」
「むごい気がする......」
オーフェンとコンスタンスは、ふたりでつぶやいた。寝ている間に幽霊(もどき)にされてしまうのでは、殺されるのと大差ない。
「なぜか、あのひともそう思ったようでしたわ。その日以来わたくしたちの間ではケンカが絶えなくて、今では決着をつけようと他人に取り憑いては魔術で争う毎日......」
「なんで他人に取り憑くの?」
とコンスタンス。キャリアンはあっさりと、
「だって精神士同士の争いって決着がつかないんですもの。肉体があれば、それが壊 れれば終わりですけど......」
「それで、この騒 ぎか......」
オーフェンは、瓦 礫 のベッドに腰掛けながら、自分の頭の上を見上げた。そこにキャリアンがいる。
「ま、夫婦ゲンカなんてのは、周 りが気をもんでるうちに勝手に鞘 に収 まっちまうものらしいが......ここまではた迷 惑 だと黙ってもいられんな」
「申し訳 ありません......本気で思っておりますのよ。わたくし目が覚めたのです。自分がいかに低い次元で争っていたか、争いがどんなに見苦しいことか分かった気がしますわ」
「............」
コンスタンスが無言で『どんな手を使って分からせたのよ』と聞いてきている。が、オーフェンはあえて、適当に痛め付けて説得したと明かすつもりはなかった。
「ま、分かってくれりゃいいんだけどよ──としたら、ルシオン? そいつにも伝えねえとな。どこにいるんだ?」
「さあ、それは──なにか考えがあるようなことを言っていましたけれど......」
と──
ばたん! と唐 突 に扉 が開いた。そこにはひとりの人影が立っている。よく見ると、その人影の後頭部からも、白っぽい軽 薄 そうな男の幽霊(ルシオンだろう)が生えていた。
「キャリアン──」
幽霊がつぶやきかける。キャリアンが叫ぶように言った。
「ルシオン待って、もう争いたくないの!」
だが、答えたのはルシオンではなかった。
「ふっふっふっ......」
ルシオンが取り憑いている、人影のほう。
「俺は力を手に入れたぞ......」
オーフェンはその人影には見覚えがあった。
「ボルカン......」
うめく。毛皮のマントをまとった、身長百三十センチほどの『地 人 』──
よく見ると、その地人の後ろに眼 鏡 をかけた、これまた地人が、びっくりしたような顔を見せている。弟のドーチンである。
ボルカンから生えているルシオンが、口を開いた。
「キャリアン──おめえが、その魔術士を支配することは分かってたからよ......俺は、そいつの天敵だっていう、こいつを見つけて取り憑いたんだけど......」
と、そこで彼の声は泣き声に変じた。
「なんでこいつ、支配できねえんだ⁉ 」
「落ち着いてルシオン! どーやら、わたくしたちの精神支配は、めちゃくちゃに自分勝手で傲 慢 でマイウエイな輩 には通用しないみたいですわ!」
「なんだそれは......」
オーフェンがうめく。横から、コンスタンスがつぶやいた。
「わたしからも説明してあげましょうか?」
「いや、いい......ところで、ルシオン? なんでそいつが俺の『天敵』なんだ?」
「へ? 人の心を読みながら街を探していたら、そんなことを考えてる奴が通りかかったもんだから取り憑いてみたんだけど......」
「ふっふっふっ......」
ボルカンが、笑い声をあげる──その意味を、オーフェンは素早く察した。
「やあ、金貸し魔術士。借りたものを返しにきてやったぞ」
ひゅごっ──
ボルカンが腕を一振りすると同時に、火 炎 の渦 のようなものがオーフェンのほおをかすめた──避 けたからよかったものの、じっとしていたら頭がなくなっていただろう。オーフェンもにやりとして──
「ほほう、福ダヌキ。俺が貸したのは、金のはずなんだがな──」
「いいや、俺は違うと思うぞ」
「なら──なんだ?」
「自分で考えろ大根頭! 風 呂 焚 いて垢 すり殺すぞ!」
「はっはぁ!」
ふたりは同時に叫ぶと、まったく同じしぐさで両手を突き出した──両者の中間で暴発的な白魔術の力が膨 れ上がり、炸 裂 する──
ごぎゃあんっ!──と、音にすればそのような、無音の衝撃 が響 く。宿屋の二階を半壊させて、ふたりはトトカンタ上空まで飛び上がった。

数十メートルも離れて、ボルカンが叫ぶ。
「やあ、悪いな借金取り! どーやら俺は貴 様 を襲 わなければならんらしい! ああ、俺にもう少し力があれば、この忌 まわしい支配を断ち切ることもできよーにっ!」
「分かってるさ、極 楽 ダヌキ! 俺もなんだか、お前のルシオンと戦わなけりゃならんよーだっ! 力のなさが恨 めしいぜ!」
「違うううううっ!」
幽霊夫婦が、ふたりして悲鳴をあげる。
だがそんなものは無視して、オーフェンとボルカンは上空での追撃戦に移っていた。どうやら、取り憑いた精神士の白魔術士を完全に支配し返す と、空まで飛べるものらしい。
「死ねや帝国借金取りぃぃっ! 黒い羽 虫 にたかり殺されちまえっ!」
「金を返して真人間になれぁぁっ!」
罵 り合いが呪 文 となって、使っている当人にも今いち効果の知れない魔術となる──渦 を描 いた光の帯が空気と地面を引き裂 き、銀色の毒 液 が突 如 として現れて、地上に雨と降り注 ぐ──
たまらずに、キャリアンが叫んだ。
「や──やめてぇ! わたくしたちの力を私 闘 に利用しないでぇっ!」
「言えた義理かっ!」
「ひ、人を支配するなんていうことはこっけいなことだっておっしゃった──」
「忘れたっ!」
「争いは見苦しい──」
「大きなお世話だっ!」
オーフェンはきっぱりと怒鳴り返すと、また大きな呪文を夜空に轟 かせた。
長い戦いは、一晩続いて収 まった。
「......争いというものが、本っっっ当に見苦しいものだということが分かったような気がしますわ」
「どこかの田 舎 にでも行って、のんびり暮らすことにするぜい」
と幽霊夫婦は、そんなことを口々につぶやいた。昨夜のことがよほどこたえたのか、精神体のくせに、どことなくぼろぼろになって見える。
「お幸せにー♪」
珍しく自分に被害がなかったせいか、コンスタンスは気楽に手を振った。幽霊たちは、ぺこり、と一礼して、トトカンタの空高くへと舞っていった。
彼らの姿が見えなくなってから、オーフェンは腕組みしてつぶやいた。
「ふむ。これで今回の事件も解決だな。俺さまさまだろコギー。もーいいかげん、これで手伝いは終わりだかんな。報酬 もねえし」
じろり──と、コンスタンスが、こちらを見やる。
「あんたね──......」
「な、なんだよ。違うってのか、おい。あ──なんだよ、腕なんてつかんで」
彼女は──重々しく嘆 息 して、かぶりを振った。
「言っとくけど、この手を振り払 ったら公 務 執 行 妨 害 がつくわよ」
言いながら、手 錠 をかける。
「へ?」
「なに分からないような顔してんのよ! 決まってるでしょ⁉ 昨夜、あなたが壊した街の施 設 の損 害 、総額いくらになったと思ってんの! 弁償 しろとまでは言われないでしょうけど、器物破 損 および公共物破損の罪は軽くはつかないわよ!」
「げ──なら、ボルカンの野 郎 はどうなってるんだよ! 俺だけってのは不公平──」
「もち、あの地人も逮 捕 したわよ、とっくに! オーフェン──」
と、彼女はいきなりにっこりした。冷や汗をたらしながら、オーフェンが聞き返す。

「な──なに?」
「裁 判 の場でもないのに当局にたてついたわね──司法取引もパアね♥ いい度 胸 だわ」
「でぇっ⁉ お、おい、お前、昨日 の夜ばいのこと根に持ってるだろ!」
「ふうん、やっぱり夜ばいだったわけね。不法侵入 に、婦女暴行未遂追加──」
「どひいいいいっ⁉ 」
無論、この無理やりの借りで──
当面、彼女への滅 私 奉 公 は終わらないことになった......
(いいから死人は黙ってろ!:おわり)

オーフェンは深々と嘆 息 した。つかむともなしに触 れているグラスの中に、琥 珀 色 の液体が凍 るように静まっている。トトカンタ市の名高い裏路地街──その中にある、とある宿屋。オーフェンが下 宿 同然に利用している馴 染 みの店で、バグアップズ・インという。
それはさておき、彼はまた嘆息した。年の頃 二十歳 ほど、中肉中背の、ただの男である。黒で全身をまとめていて、胸 元 には黒 魔 術 士 の証明である、剣 にからみついた一本脚 のドラゴンの紋章 がぶらさがっている。
「あらあ、どうしたのぉ?」
背 後 から、化 粧 の派 手 な三十がらみのウェイトレスがしなだれるようにして話しかけてくる。ほかに客がいないから暇 なのだろう。
オーフェンは片目を細めて女を見やると、低い声 音 でゆっくりと答えた。
「堕 ちた理由を考えているのさ」
静かな酒場はうすぼんやりしたガス灯 によって、その光景を浮 かび上がらせている。
「堕ちた?」
女はそう聞き返すと、すらっとした脚をこれ見よがしに動かしてとなりの席に腰 を下ろした。オーフェンは、ああとうなずいて、
「人は堕 落 する。だが、その理由ってのはなんだ? 怠 惰 だとしたら、俺 以外の世間の連中が、どれほど努 力 してるってんだ?」
「......そうね?」
女はあいづちを打つと、ちらりとカウンターを見上げた。そこには小岩のような体格の男が無言でグラスを磨 いている。この宿の亭 主 ──バグアップだ。
バグアップが、息も漏 らさない静かな声で、
「報 いを信じるのは幼 稚 な証 拠 だ」
「だが報酬 はあってしかるべきだろう」
オーフェンのつぶやきに、バグアップはそっけなくかぶりを振 り、
「労 働 にすら報酬がないこともある」
「そいつは、不 平 等 と言うんだ」
「かもな。だが事実だ。いっそ世の中をひっくりかえして、すべての不平等を正してみせるかい? モグリの金貸しが」
「......たまにだがな、そうしたい、と思うこともある」
オーフェンは言いながら、グラスを持ち上げて唇 まで運んだ。その横で、きょとんとした顔で、女が声をあげる。
「ねえ......結局 、なんの話をしてんのぉ?」
バグアップがため息をついた。ことん、とグラスを流し台に置いて、
「この馬 鹿 、この水割りの代金で、とうとう完 璧 、完全無欠、手 加 減 もなんもねえ正真正銘 の一 文 なしになっちまったんだと」
「うう......」
オーフェンはグラスを乾 しながら、だーと涙 を流した。
「いー天気だなぁ。こーゆういい天気にこそ、いい男は働 かにゃならん」
「はあ......」
「そーゆうもんかもね」
と、そこでぴたりとオーフェンは足を止めた。裏路地街の路上、あまりひとけのない裏道である。オーフェンは指を立てた姿 勢 でそのままくるりと振り返り、
「......なんで、お前がここにいるんだ?」
聞いた。すぐ後ろをついてきているのは素 直 な目をした少年──バグアップの一人息 子 の、マジクである。はっきり言って、父親とは似ても似つかない。そして、それともうひとり、きっちりしたスーツ姿の黒 髪 の女。女のほうが先に、ぽんと手を打って思いついたような声を出した。マジクに向けて。
「そうよ、ぼく。学校はどうしたの?」
「学校は創 立 記 念 日 で手伝いのバイトです」
「へー。偉 いのねー。子供なのに」
「ぼく、もう十四なんですけど......」
「つうか──俺が言ったのは、こいつじゃなくてだな」
オーフェンは、ちょんと女の肩をつついた。
「コギー......お前、こんなところで油売ってて構 わねえのか?」
そのコギーと呼ばれた女は、つつかれたせいで肩パットの位置がずれたのを直しながら、とりあえず答えてきた。
「今日は非番だもの。派 遣 警 察 官 にだって休 暇 くらいはあるのよ」
「非番って......なら、それこそどっかに遊びにでも行ってりゃいいじゃねえか」
「そんな冷たいこと言わないでよ」
と、彼女は眉 根 を寄 せるような表情で、
「わたし、この街には知り合いなんてほとんどいないんだから。いっしょにいたっていいじゃない」
「知り合いってのはだな、なんもせんと自 然 と『いる』もんじゃなくて、作るもんだぞ。ほれ──チラシやっから、行ってきな」
と、オーフェンがケバケバしい広 告 を手 渡 すと、コギー──本名コンスタンスは一 応 ざっと目を通した。そして......しかめるように両目を閉じて、うめく。
「なによこの『フルーツ共和国』ってゆーのは......」
「お前の場合は、この女性専用窓口で──」
「あああっ! そんなことを聞いてるんじゃないわよ! オーフェン──」
叫 びながらくしゃくしゃに丸めたチラシをぽとんと落とし、彼女は唐 突 に冷静な表情になって、こちらの腕をがっしとつかんだ。
「とりあえず猥 褻 物 陳 列 罪 を適 用 して──」
「適用されるかっ!」
オーフェンは叫んで、彼女につかまれた腕を振り払 った。ぶつぶつとぼやく。
「おちおち冗談 も言えやしない。ったく」
「悪 趣 味 なことするからよ」
ねー、とコンスタンスが、手近なところで呆 然 としているマジクを捕 まえ、視線で同意を求める。
「は、はぁ......」
マジクはグリーンの双 眸 に困 惑 の色を浮かべながらも、とりあえずうなずいた。コンスタンスは、完全に子供扱 いする手つきでマジクの金 髪 をぐじぐじ撫 でると、聞いてきた。
「にしてもオーフェン......なんだかわたしを追い払いたがってるみたいだけど、なんか理由があんの?」
「だから......お前には仕事料をフイにされっぱなしだからな、文 なしなんだよ。こうなりゃ本職のほうをやらんとならねえだろ」
「本職?」
「だから......金貸し」
しばし──沈 黙 が、路地を支配する。
一番最初に口を開いたのは、コンスタンスだった。まるっきり意外そうな口 調 で、
「そーいや、あんた、そんな仕事もしてたのよねー」
オーフェンは、ひくりとこめかみを引きつらせて聞き返した。
「......どーいう意味だ? 『してたのよねー』──ってのは」
「だって、あんたがマトモに金融業 してるのなんて見たことないんだもん」
「決して合法 じゃあないんですが......」
と、マジクが小声でつぶやくのを、オーフェンは肘 でつついて制した。咳 払 いしつつ、
「俺はこっちが本職なんだよ。お前といっしょに警官ごっこやったのはバイトだバイト」
「ご──ごっこ?」
さすがにちょっとムッとした顔でコンスタンスが聞き返してくるが、オーフェンは無視して続けた。
「そんなわけで、モグリの金貸し業に警官は邪 魔 だ。どっか行け。消えろ」
「......あんた、もーちょっと言 葉 遣 いに、いたわりとか、そーゆうのを覚 えると、芸風が広がると思うわよ」
「いらん。失 せろ失せろ」
しっしっと手で追い払いながら、オーフェンはマジクを連れて再び道を歩きだした。もっとも、コンスタンスもついてくるが。
後ろを歩く彼女を気にしながら、うすっぺらい帳 簿 をめくり、マジクが聞いてくる。
「で、誰 から取り立てるんですか?」
オーフェンは、ふぅむと息を漏らした。
「いや。まずは......準 備 運動だな」
「我 は放 つ光の白 刃 っ!」
きゅぼうっ!──
ゴム地を指でこするようなかん高い音を立てて、真っ白な閃 光 が火柱をあげる──炎 は標的になった市内川の水 面 で独特の舞 を踊 り、水 蒸 気 をまきあげた。その蒸気の中で、オーフェンは、右手を掲 げたままの姿 勢 で立て続けに叫んだ。
「我は築 く太陽の尖 塔 !」
言葉どおり、あたかもそびえ立つ炎の塔のごとく、紅 蓮 の輝 きが川を覆 う──街 道 から数メートルほど下を流れる川の上を、ほとんど隙 なく満 たすように。まるで川の上に炎が増水したような眺 めである。自分のかたわらで、なぜか冷 や汗 のようなものを垂 らしているマジクとコンスタンスを見ながら、平然とした顔でオーフェンは続けた。
「我は砕 く原始の──」
と、叫びかけた瞬間 、川にかかっている橋の下──今は炎に包 まれて地 獄 絵 のようになっている場所から、声があがる。

「ち──ちょっと待てぇぇぇぇぇぇいっ!」
だがオーフェンはあっさりと無視した。
「我は砕く原始の静寂 !」
彼が呪 文 を叫 ぶと同時、川 面 のすぐ上あたりの空間が大爆 砕 を起こした。街 を揺 るがすような轟 音 と振 動 ──衝撃 を伴 った音波があたりの空気を引き裂 き、街道わきの鉄塔が奇 妙 な形に歪 む。塔にぶら下がっているガス灯が、可愛 い音を立てて割れた。石造りの橋の表面に、無数の細かいひび割れが走り、崩 れ落ちてその一部を水 面 に落とす。
そして、川──マスル水道に沈黙が訪 れた。
「今のが──」
と、爆音で耳をやられたせいか、コケるようにして道に倒 れているマジクとコンスタンスに、オーフェンは話しかけた。平気な顔で、ぴっと指を立てながら。
「今のが俺が思いつくかぎりでは最も破 壊 力 がある方法で、空間に波 紋 を走らせて──」
と──
「こらこらこらぁぁっ!」
橋の下から、なにかが転 げ出してくる。それが飛び出した瞬間、頑丈 な石橋がとうとう倒 壊 して、川を完全に瓦 礫 で埋 めた。
「なんだよ」
説明を途 中 で遮 られ、うるさそうにオーフェンは、その人 影 に視線を転じた。人影──ぼろぼろになった毛皮のマントをまとった、ぼさぼさ頭の地 人 である。中古の剣を抜 きながら、その地人は半泣きになって叫んだ。
「どうしてこの状況で『なんだよ』とか言えんだコラ! この借金取りが、挨 拶 もせんと、いきなり人の寝 所 に呪文なんぞぶち込みやがって! 手抜き工事で値切り殺すぞ!」
「なに言ってんだ、ボルカン」
オーフェンは、真 顔 で言い返した。
「どーせお前らが借金を返せるわけがねえんだから、いちいち押 し問 答 なんぞしないで最初から魔術で吹き飛ばしたほうが手間がかからんだろうが」
「アホかぁぁぁぁぁぁっ!」
地人──ボルカンが悲 鳴 じみた声をあげる。
「ひょっとして、もしかしたら今日くらいは返したかもしれんだろうが!」
──沈黙──
オーフェンはふと考え込むようにして、自分のあごに手を当てた。ちらりと虚 空 を見やり──そして、ボルカンを見やる。地人の背後、崩れた橋の瓦礫の下に、似たような格 好 のもうひとりの地人──ボルカンの弟であるドーチンが倒れている。下半身が瓦礫の下 敷 きになって、どうやら完全に気絶しているらしかった。
空が高い、冬のトトカンタ市。昼下がりに突 如 としてマスル水道を襲 った大 災 厄 に、付近の住民はみな逃 げ出したらしく、ひとけがなくなっている。かたわらでうめき声をあげながら、マジクとコンスタンスがかばい合うように立ち上がった。
風が、ふわぁ、とオーフェンの髪 を撫でる。
「馬鹿だなぁ」
黒髪に手を当てながら、さわやかな笑 顔 でオーフェンは言った。
「そんなコト、あるわけねえじゃねえか」
「......悟 ってどーするのよ......」
半眼で、コンスタンスがぼやく。見ると、マジクもまったく同じ表情を浮かべていた。
そんなことにはまったく構 わず、オーフェンはくるりときびすを返した。肩越しに、地人に向かって手を振りながら、
「じゃあな。またこーゆうメにあいたくなければ、今度こそカネ返す用意しとけよ」
「絶対に返すか、この馬鹿たれぇぇぇっ!」
ボルカンの絶叫 が、あたりに響 く。オーフェンは無視して歩 を進めた。トットッと軽い足音を立てながら、マジクが追いついてくる。金髪の少年は、また帳簿をめくりながら聞いてきた。
「次は、誰です?」
「おう。一番近いのは?」
「えーと、スリービーって人です」
「じゃ、そいつ」
「あ──あんたねぇ......」
マジクと並んで追いついてきたコンスタンスが、呆 れたように言う。
「またこれ以上街を壊 すようなら、いくら非番でもあんたを逮 捕 するわよ」
「へいへい」
オーフェンは気安く同意しながら、
「だから、警官は邪魔だってんだ」
「......よくそーゆうことが言えるわね、あんた......」
「いくらでも言えるぞ。金を返さないあいつらが悪いんだ」
「こんな調子で、ほかの顧 客 からはお金を返してもらえんの?」
「まーかせろって。一応これでも俺はプロだぜ? すぱぁっと全額返済してもらうさ。今日中にな。じゃないと生活できねえ」
オーフェンはそう言いながら、保証するようにウインクした。
「やあ、スリービー、ひさしぶりだな」
にこやかにオーフェンは挨拶した。下町の、物置のような小屋の中。半分カビに覆われたボロボロのシュラフと、木箱を改造して作った机のようなものしかない──照明 も、その机の上に置いてあるひしゃげた燭台 が一本。肝 心 のロウソクはないらしいが。
そしてその小屋の中に絶叫が響く。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
小屋の隅 に縮 こまって、こちらを指さしながら震 えた悲鳴をあげる、やつれた若者──スリービーに向かって、オーフェンはあくまでにこやかに話しかける。
「おいおい。大 袈 裟 だなぁ。そんなに邪 険 にすんなよ、な?」
「うひぃぃぃぃぃぃっ!」
男は壁 に顔を張 り付けると、その姿勢のまま壁をかきむしるように爪 を立てた。
わずかに顔を引きつらせつつ、オーフェンは続ける。
「ンなに怖 がるなって......忘れたか? 俺はお前のトモダチだぞ」
「ト......トモダチ?」
その言葉に反応して、ぴた、とスリービーの動きが止まった。涙と鼻水でぐしょぐしょの顔をこちらに向けて、目を震わせている。
オーフェンは笑ってうなずいた。
「そうそう。トモダチだ」
「お......おお......」
スリービーが指先を震えさせながら、擦 り寄るように近寄ってくる。その指先をぎゅっと握 って、オーフェンは告 げた。
「だから、カネ返せ」
「ぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
スリービーは再び頭を抱 えると、その場から跳 ね上がるように絶叫した。
そのまままた部屋の隅まで転がっていく彼を見送り、ふゥとため息をつきながら、オーフェンは後ろを振り返った。小屋の入り口には、啞 然 とした様 子 でマジクとコンスタンスが立ち尽 くしている。そのふたりの表情に、ふと気づくものを感じて、オーフェンはあわてて手を振った。
「ち──ちょっと待てよ。なんか誤 解 してるだろ⁉ 」
「............」
ふたりは答えない。じっと半眼で、こちらを見 据 えている。
「お、俺がなんかしたせいで、こいつが怯 えてるんじゃねえからな! 金を借りる前から、こいつはもともと極 度 の対人恐怖症 で──」
まだ部屋の隅で悲鳴をあげているスリービーを後ろ手に指さしながら、必 死 にオーフェンは言うのだが、ふたりの表情は変わらない。
ぽつりと、コンスタンス。
「とうとう......行ってはいけないところにまで行ってしまったのね......」
続けてマジク。
「大人 って......汚 いですよ......」
「待て待て待てえいっ!」
オーフェンが叫ぶ。が、彼女は、分かってるのよとばかり、ふっと笑うと、
「下 手 な嘘 はやめるのね......今までのあなたの行動を見ていれば、答えは自 ずと分かることよ。さあ、罪 は償 わなくっちゃ」
「オーフェンさん......今までツケにしていた宿代、払ってくださいね」
「誤解だぁぁぁっ!」

叫びながらオーフェンは、腕を一本ずつコンスタンスとマジクにつかまれて、スリービーの小屋から連れ出された。
「ったく、つまらん誤解しやがって」
不 機 嫌 につぶやくオーフェンに、後ろからコンスタンスがぼやく。
「普段、誤解されるよーな行動をとってるあんたが悪いんじゃない......」
マジクとふたり、殴 られた頭を気にしながらついてきている。彼女のほうをにらみつけ、オーフェンは険 悪 な声をあげた。
「誤解されるような行動って──お前ら、いったい俺をどーゆう目で見てるんだ?」
問いをぶつけられ、コンスタンスとマジクがしばし互いの顔を見合わせる──彼女らはあっさりと即 答 した。
「破壊ヤクザ」
「暴 発 鉄 砲 玉 」
「くっ......!」
オーフェンは殴られたように短くうめくと、またくるりと身をひるがえして道を歩きだした。背後から、ふたりがぼそぼそつぶやきあう声が聞こえてくる。
「......どうしたのかしら......」
「本 音 は言い返したいんだけど、ほんの一瞬 自分でも納 得 してしまって言い返せなくなってしまった......ってトコじゃないですか?」
「やかましいっ!」
オーフェンは怒 鳴 った。実は図 星 だったが。
「次は誰だ⁉ 次はっ!」
「え? は──ええと──」
ポケットから帳簿を取り出して、マジクがあわててページを繰 る。
「ミッシェル・アレンです」
「うおわおおおおああっ!」
広い広い庭園を、真っ黒な番犬十数頭に追いかけられて逃げ惑 うオーフェンを、コンスタンスは見下ろしていた──塀 の上に腰掛けて、のんびりと。
「......で、なんでオーフェンたら、こんな立 派 なお屋 敷 の庭に忍 び込んでんの?」
と、彼女と同じように塀に腰掛けているマジクに聞く。少年は肩をすくめて、
「このお屋敷のご令嬢 が、ミッシェルさんです。このひとのことは、ぼくもちょっと知ってるんですよ。なんか妙 な趣 味 をしてるらしくて、オーフェンさんに一目ぼれして気を惹 くために借金したらしいんですけど──」
「うん」
「その直後に、葬 式 でちらりと見た従 兄 弟 とやらにまた一目ぼれしてしまったらしくて」
「うんうん」
「とにかくお金を返してもらおうと出向いても『わたしたちの愛は終わってしまったの。ごめんなさい』とか言うだけで、顔も見せてくれないんですよね」
「ふーん」
「あ。嚙 まれた」
「でも負けてないわよ。嚙みかえしてる」
「あの番犬、一頭で金貨数十枚ってするらしくて、魔術で傷つけたりもできないんですよね。弁償 できないから」
「大変ねぇ」
「ですねぇ」
ふたりはまるっきり他 人 事 の顔でうなずきあいながら、とりあえず話題を今シーズンのドッグレースのことに切り替 えた。

「つ......次は?」
全身に犬の毛と歯形と、満 身 創 痍 のオーフェンに、マジクはまた帳簿を見て答えた。
「ポプリ・ケリックさん。ノートン通りの」
「おぅし」
双 眸 に凄 絶 とも悲 壮 ともとれるような眼光を浮かべつつ、適当な木の枝を杖 にしてオーフェンはミッシェル・アレン邸 を後にした。
『旅に出ます。ごめんなさい』
寂 れた玄 関 には、そんな張り紙がしてあった。のぞいてみると、家の中は家具も持ち出された後で、がらんと人の気 配 もない。
ひょるるるるるるるるる......
風が吹 く。
ばきっ──オーフェンがまったく無表情で、杖をへし折った。その音にぎょっとしてマジクとコンスタンスが後 退 りするが、オーフェンは気にせずに聞いた。
「次は?」
「んと、最後のひとりになりますけど──」
「ね、ねえ、オーフェン......」
マジクを押しのけるようにして、コンスタンスが声をあげた。思わず、じろりとにらみやると、彼女はかなりビビったようだったが、
「あ、あのね、そんな顔でにらまれても困 るんだけど......そのぅ、あなたって、お金を返してくれそうにない連中をわざと選んで貸してるみたいだって思ったもんだから......」
せりふの終わりにいたっては、ほとんど口の中でもごもご言うだけの口調で、コンスタンス。オーフェンはにらみつけたまま答えた。
「いちいち相手を選んでて、モグリの金貸しができるか」
「そりゃそーでしょうけど、自 ずと限度ってもんが......」
「なら、今からお前が借りてみるか?」
じりじりと、彼女に近寄りながらオーフェンがつぶやく。コンスタンスは、視線でマジクに助けを求めながら、
「まあ今の様子を見てたら、なんとなく借りてあげたくもなるけど......」
と彼女は真顔で、ふとした疑問を口にした。
「貸すお金、あるの?......って、ああ、ごめんなさい! 泣かないでよ! ああ、よしよし。ほら、いつの日か、いい日もあるから」
「ここまで追い詰 められてたんですねー」
結 構 気楽なマジクのつぶやきを聞いて、オーフェンは、がばと起き上がった。頭を撫でるコンスタンスの手を払いのけながら、
「ええい! こうなったら、もー手段は選ばねーからな! 問 答 無 用 で家に魔術をたたき込んで──」
「さっき地人相手にやりましたよ、それ」
と、マジク。オーフェンは、一瞬ぴくりとしてから、
「なら、裏庭から侵入 して──」
「それでさっきは三十分も番犬と格 闘 してたじゃない」
これはコンスタンス。完全に硬直 したオーフェンに、彼女は続けた。
「ねえ、素直に警察にとどけ出たら? 借金の踏 み倒しは立派に犯罪なんだから」
「こっちも非合法 なんだよ。できるか」
オーフェンは半眼で言い返した。コンスタンスが、深々とうなずく。
「そーいや、そーだったわね......ま、なんて言うか──」
と、彼女は人差し指を一本立て、ぴっとポーズをとって続けた。
「こういうときは、構造的に考えなければ解決しないものよ」
「構造的?」
疑 わしげに、オーフェンは聞き返した。彼女はこちらの視線には気づかなかったらしく、得意げに鼻を上向かせる。
「そ。現状から考えられる問題点と、その原因を一個ずつ考えるのよ。すべてにとはいかなくても、そのひとつにでも答えが出せれば、少なくとも一歩は前進があるんだもの。意味はあるわ」
「......どこからの引用だ?」
ぽつりとオーフェンが聞くと、コンスタンスも小さく答えた。
「『はじめての数学』」
「あ。それ、ぼく持ってます」
横から口を出すマジクに嘆 息 で答えながら、オーフェンは目を閉じた。
「いーけどよ......じゃあ、問題点をあげてってやろう。金がない。今日中にでも多少は現金が手に入らねえと、生活費すら、もうない──よって、後 日 改 めて、てのは全部却 下 だ。金貸した連中はそろいもそろって返済の意思がねえ。法的権力にも訴 えらんねえ。さて......コギー先生の名案はなんだ?」
コンスタンスは、しばらく得意げな顔を続けていたが......やがて、立てていた指をゆっくりと下ろしながら、言ってきた。
「わたしがお金貸してあげようか? ちょっとくらいなら」
「......なんの解決にもなってないんじゃないですか?」
と、これはマジク。コンスタンスは腕組みしてうなりはじめた。
「う〜ん......なら、募 金 箱 持ってそのへんに立ってれば、多少はめぐんでもらえるんじゃない?」
それを聞いて、オーフェンはあからさまに嫌 な顔をした。
「それを毎日続けんのか?」
「いえ、わたしが非番じゃないときは、ちゃんとわたしの手伝いをしてくんないと......」
あっさりと言う彼女に、オーフェンは半眼でうなり声をあげた。
「このワガママ女は......そもそも、てめえのボスがきちんと仕事料を払ってくれてりゃ、ンなことにはならなかったんだろーがよ」
「ダイアン刑事部長に文 句 をつける気⁉ 」
彼女があまりに切 羽 詰 まった奇 声 で叫んだので、オーフェンは思わず後退りした。コンスタンスは胸元で両拳 を握 って、信じられないというふうに続ける。
「それは命知らずってものよ。わたしが知るかぎり、あのひとに逆 らって生き延びた人間はいないんだから。まず、攻 撃 してきた犯人に対しては正 当 防 衛 を盾 に確実に半殺しにして、運よく無傷で済 んだ容疑者でも、取調室 で唾 でも吐 こうものなら、家宅捜 索 に乗じて部屋を根こそぎ潰 したりとか......」
「いや、ンな警官が実在するわけが──」
「してるのよ、きっぱりと。ほかにも、靴 音 が俺を馬鹿にしていると言っては部下を検体管理室に左 遷 して、お茶がぬるいと言ってはポットを粗 大 ゴミの日にほうり出して」
「ノイローゼなんじゃねえのか、それは」
半眼で問うオーフェンに、コンスタンスは、くるりと腕を振ってオーバーアクションで、
「なに言ってるのよ。合理的なこともやってるのよ。書類に魂 がこもってないって言って、気に入らない上司のジュニアを半年いびり続けて辞 めさせたりとか。ああ......つくづく理想の管理職の姿だって思わない?」
うっとりと憧 れのポーズをとる彼女に、オーフェンは冷たく言った。
「どこがだ」
が、彼女は憧憬 のポーズは崩さないまま、
「どこって......権力が正しく華 ひらいた理想の図というか......」
「まあ、そーゆう上司だから、こんな無能な部下しか生き残らなかったんだろ......なんにしろ、これで問題点がひとつ増えたわけだな。俺に報酬を払うべき人間も、その意思がない。逆らうとロクなことがありそうにねえし」
「でも──」
となりで声をあげるマジクに、オーフェンは顔だけ向き直った。金髪の少年は、いかにもいい思いつきだとばかり無 邪 気 に続けた。
「そのダイアンって人の司法権力と、オーフェンさんの単純暴力で、結構いい勝負になるんじゃないかって気もしますけど」
「泥 沼 にしかなんないような気もするが」
オーフェンは苦 々 しくつぶやきながら、いまだポーズをとったままのコンスタンスを指さして、
「なんにせよ、あんな無能警官はほっといて、次いくぞ。ラストひとりだったな、誰だ?」
「ええと......」
と、マジクの指が帳簿をめくる。
「ノイスタイ・ストリート──結構いいところですね──の、マイク・ドーノトさん──て、ああ!」
マジクはいきなり驚 いたように声をあげて、帳簿を取り落としかけた。
「なんだ?」
オーフェンが聞き返すと、気勢を退 かせつつも、マジクは帳簿の住所を読み返した。
「ドーノトさんて、ぼくのクラスメイトのお父さんですよ。シーナ・ドーノトとはこの前のダンスパーティーでいっしょに踊 って、今度デートの約束もした──」
そんなことをまくし立てるマジクの意 図 は、はた目にも簡単に知れた──悲しいくらいに。つまり──ぼくの友達を不幸にしないで。
オーフェンは妙に深々とうなずくと、にっこりと言った。
「そーか。分かった......いいことを教えてくれたな」
「......ゔ......」
マジクが失言に気づいたときは、どう考えても、もう遅すぎた。
トトカンタの夕 暮 れ。
市の中央広場から、だんだんとひとけがなくなっていく時刻である。広場からは少し離れた住宅街から、夕 餉 の香 りが漂 いはじめる。路商や屋 台 が店をたたみ、赤い夕日の中で、心 地 よい風が、食べ歩きのフィッシュ・アンド・チップスを包んでいた新聞紙をアスファルトからはがす。落ち着いた時刻だ。
が──今日に関しては、そうでもなかった。
「鬼 いいいいいいいっ!」
広場の中央に据 えられた、『希望』の彫像 ──なにが『希望』なのだかよく分からないが、杖を持った三メートルほどの背 丈 の老人の像──にロープでぐるぐる巻きにされて、マジクが叫ぶ。彫像の周 りには、やや遠巻きにしてやじ馬が囲 んでいた。像の足元から、オーフェンが答える。
「なぁにが鬼だよ」
「鬼以外のなんだっていうんですかあっ! ぼくを人 質 にしてシーナをおびき出そうなんて!」
「別に鬼でもなんでもねえじゃねえか。そのデートの約束の日に、その子とお前が待ち合わせするのと、そんなに違わねえだろ」
「まるっきり違いますっ!」
「うるせえなぁ。ホントの鬼なら、問答無用で家に押し入って家族全員虐殺 したあげく、金 目 のものをあらかた持ち出して敷 地 に火を放つくらいのことはするだろ。それに比 べりゃ、俺なんて──」

「勝 手 に基 準 を入れ替えないでくださいよっ! 普通の人は、そもそも人質なんて取りませんっ!」
「馬鹿だなぁ、マジク。お前は人質なんかじゃないんだぞ」
「......は?」
ほんの一瞬、涙を止めてマジクが聞き返す。オーフェンはゆっくり続けた。
「マイク・ドーノトに対して本当の人質になるのはそのシーナ嬢 ちゃんであって、お前はそれをおびき出すためのただのエサだ」
「だからなんだって言うんですかぁぁっ! オーフェンさん、お金のことなんかで正気を失っちゃあ駄 目 ですっ! 落ち着いて考えなおしてくださいっ!」
「......俺はいたって正気だが......」
ンなにひどいコトやってるかなぁ、と思いつつオーフェンはあたりを見回した。やじ馬の中には警官もまじっているのだが、さっき機先を制して派遣警察官の身 分 証 を見せておいたので、特に強硬 に出ることもできないらしい。無 論 その身分証はコンスタンスの持ち物だが、別に顔写真が貼 ってあるわけではないのでバレようがない。
「とにかくっ! たとえ仕事のためであっても、彼女を危険なメになんてあわせられません! ぼくは最後まで戦いますからね!」
と、マジクが叫んだころ──
やじ馬をかき分けて、コンスタンスが姿を現した。彼女に向かって、オーフェンは手を振り、
「おーい......て、あれ? ひとりか?」
「うん」
彼女はあっさりうなずいた。
「やっぱり! さすがおねーさん、こんな犯罪に手を貸したりはしませんよね!」
マジクが歓 声 のようなものをあげるが、コンスタンスはやや気まずそうにマジクを見上げて、かぶりを振ってこちらに向き直った。
「一応ね、言われたとおり、あなたの書いた脅迫状 ──」
「脅迫状ってのは聞こえが悪いだろ。単に、『野 郎 の命は預 かった。警察には知らせずここまで来い』とも読める落書きを添 えた招待 状 ってだけじゃねえか」
「............」
コンスタンスは一瞬だけ反論しようとする気 配 を見せたが、あきらめたらしい。無視して続けた。
「シーナって子に、あなたの招待状を見せたんだけど......」
「だけど?」
オーフェンが聞き返すと、彼女はまたちらりとマジクのほうを見やった。
「そんな人は学校で口をきいたこともありません好きにしてくださいバタン、ですって」
「......なんだそのバタンって」
「ドアを閉 める音」
そこまで言って、コンスタンスはマジクのほうを見上げた。オーフェンもそれを追うように、彫像を見上げる。マジクは凍 りついたように間 の抜けた表情を浮かべていたが、しばらくして──静かに言った。
「オーフェンさん。今こそ鬼となって、一族を皆殺しにして火をかける時です」
「真顔で言うなって......怖 いぞ」
やや尻 込 みしながらオーフェンが言うと、マジクはさっきにも勝 る声量で泣き叫んだ。
「だってぇぇぇぇぇぇぇっ! そんなのないじゃないですかぁぁっ! くそアマ殺してやるぅぅぅっ!」
「おーい、女のことなんかで正気を失っちゃ駄目だぞぉ。落ち着いて考えなおせ──」
「うるさぁぁいっ!」
マジクは叫んで、またぎゃあぎゃあ泣きはじめた。嘆息して、コンスタンス。
「しばらく縛 ったままにしといたほうがいいみたいね」
「......そだな」
オーフェンもまたため息をついて、その場にあぐらをかいた。コンスタンスが、ぼやくようにして言う。
「わたしの意見、聞いてくれる?」
「......なんだ?」
ぶすっとした顔でオーフェンが聞くと、彼女はこちらをのぞき込むようにして、きっぱりと言い切った。
「あなた、この仕事向いてないわ」
「お前に言われたかないわい」
オーフェンは毒 づいて、あぐらをかいたひざにほおづえをついた。広場にしつこく、マジクの泣き声が響きつづける。
やじ馬たちはいつまでも、泣き叫ぶマジクを見物するつもりらしかった。
結局──
真夜中まで募金箱を持って突 っ立っていたら、なんとか三日間くらいはしのげる額 が稼 げて、オーフェンはなんだか泣きたくなった......
(俺の仕事を言ってみろ!:おわり)


「......なんで俺 は、こんなところにいるんだ?──一応言っとくが、これは独 り言 だ」
「............」
ぴちょん。ぴちょん。ちょん......
落ちる滴 が音を立て、湿 った空気には風もない。さらさらと流れる水の音が、ずっと耳の中をくすぐっている。
そこは洞 窟 ──というより、地下水脈の中、といったほうが近いかもしれない。地面には、くるぶしほどの深さまで水が流れている。水量はたいしたことはないのだが、その水が途 絶 えることはないようだった。
自分が魔 術 で造 り出した鬼 火 の明かりに照らされて、オーフェンは半眼でつぶやいた。
「本来なら今日は、ゆっくり宿 で一日寝て、のんびり過ごすつもりだったんだ──仕事料も払 わん性悪 無能警官やら、借りた金も返せねえ能無しくそダヌキどもに煩 わされたりしないでだ。ちなみに独り言だが」
「おい......」
後ろから聞こえた呼びかけを、オーフェンは無視した。年 齢 二十歳 ほど、全身黒ずくめ──胸 元 には、大陸でも一線級の黒魔術士の証 しであるドラゴンの紋章 を下げている。剣 にからみついた一本脚 のドラゴンを象 った、銀 細 工 のペンダントである。
湿 気 のせいですっかり濡 れた黒 髪 を手でかきあげながら、オーフェンは毒 づくように続けた。
「そりゃ確かに、こんな穴 ぐらで宝探しでもやらにゃ、明日の生活費にも事 欠 いてはいるけどよ。でも別に、だからってホントに穴ぐらで宝探しがしたかったってわけじゃねえんだ。あくまで独り言だが」
「なあ......」
呼びかけは、なかば呆 れたように繰 り返されたが、オーフェンはそれも無視した。意地になったように大声で続ける。
「だいたい! なんで俺がこんなメにあわなきゃならなかったかっつーと、なにもかもあいつらのせいじゃねえか! くそ、負けるか! 俺は絶対に幸福になるぞ! なってやる! 幸福のためなら死んだって構 うかっ! 独り言だっ!」
「............」
呼びかけは、とうとうあきらめたように嘆 息 だけした。と、横にいる仲間にでも話すように調子が変わる。
「あいつ、とうとういかれちまったぞ」
ひくり──とほおが引きつり、オーフェンはなにか言い返しそうになったが、ぎりぎりで踏 みとどまった。彼の代わりに、別の声が返事するのが聞こえた。
「......というか、いいかげん愛 想 が尽 きて、兄さんとは話をしないことに決めたんじゃないかな」
「あの金貸し魔術士に、もともと愛想なんかあったか?」
「それもそーだけど......」
「それに、なんだかあいつ、さっきから悪いのは俺らばかりみたいなことを言っとるよーだが、俺の見つけたもうけ話に尻 尾 を振 って飛びついてきたのはあいつのほうなんだぞ」
「まあ、そうだけどさ。多分あの人が怒 ってるのは、この洞窟の地図を兄さんが落っことしてなくしちゃったことなんじゃないかな」
「もう四時間も前のことだろうが」
声は、やれやれ、というように続けた。
「しつこい野 郎 だ」
ぼそっとつぶやかれたそのせりふに、跳 ね上がるようにしてオーフェンは表情を変えた。つぶやきの主につかみかかり、怒 鳴 りつける。
「そーゆうことが言えた義理か、このふらつきダヌキ!」
「ほほう、そいつも独り言なんだな⁉ ならなんで胸 倉 をつかむんだコラ! 夕日に向かって走り殺すぞ!」
怒鳴りかえしてきたのは、ぼろぼろの毛皮のマントをまとった身長百三十センチほどの『地 人 』である。腰からは、中古のものであろう古びた長剣を下げていた。
「だいたいな、ボルカン──」
とオーフェンは、その地人──ボルカンを陰 険 ににらみつけながら、宙 づりにするように持ち上げ、首を締 め上げた。
「てめえが水コウモリに驚 いて地図を落としてから、もー延 々 四時間も、この気の滅 入 る穴ぐらを歩き回ってんだ。このまま出口が見つからなかったら、どーすんだよ! お前の言ってたナントカの財 宝 とやらのほうが見つかったところで──」
「ラクホツカの遺 産 、ですよ」
言い直してきたのは、ボルカンではなかった──喉 を絞められ泡 を吹 いている地人の向こうに、似たような格 好 のもうひとりの地人がいる。ただしこちらは剣など持っておらず、分 厚 い眼鏡 をかけていた。
その眼鏡の地人は、人差し指を立てて念を押すように説明した。
「伝説的な盗 賊 ──〝狂 虎 〟と呼ばれたラクホツカ・ホルンが隠 した財宝です」
「狂虎、ねえ......」
オーフェンは疑 わしげに繰り返した。水の中からブーツのかかとを引き抜 き、また落とす──ブーツには鉄板を仕込んであり、また防水処理までしてあるため足は濡 れないのだが、それでもつま先が水に浸 りっぱなしというのは気分が悪い。
「そうですよ」
と、眼鏡の地人は続ける。
「狂虎そして黒い呪 術 師 とも呼ばれた希 代 の盗賊です。そのふたつ名のとおり、魔術士でもあったのではないかとも言われています。そりゃ、その財宝の隠し場所にたどり着くのはそんなに簡単なことではありませんよ」
「まあ、そーかもしんねえけど、ドーチン」
しぶしぶと、オーフェンは認 めた。眼鏡の地人、ドーチンはうなずいて、
「ラクホツカの死後二十年以上が経 っているのに、彼があちこちの貴族から盗 み出した財宝がいまだ発見されないというのは、伊 達 ではないはずです。この洞窟にしたって」
と、あたりを示す──ゆらゆらと揺 れる鬼火の明かりに浮かび上がるのは、湿った岩 壁 だけ──
「天 然 のものに手を加えて、複雑な迷 路 になってます。宝に近づけば近づくほど罠 も危険なものになるでしょうし、数も増えるでしょう。なにしろラクホツカの用心深さといったら、同業者にすら呆 れられるものだったといいますからね」
「それ以前に、外に出られるかどーかも危 ういんだが......でもまあ、つまり、そーゆう場所の地図を──」
オーフェンはつぶやきながらゆっくりと、視線をドーチンからボルカンへと移した。呼吸のできないボルカンは既 に悶 絶 し、顔色を青黒くして白目をむいている。
「なくしちまったわけだ。このアホが! このアホが! このアホがぁぁっ!」
「みぎゃああああっ!」
地面にたたきつけられ、げしげしに蹴 られるボルカンの悲 鳴 が、洞窟に響 き渡る。闇 と壁とに反響 する声は、どこまでもこだましていった。このラクホツカの墓 所 に。
数分後......
「......とはいえ、だ」
ゆっくりと洞窟を進みつつ、オーフェンは自分のあごに手を当てて低くうめいた。ばしゃばしゃと音を立てる自分の足元とでも会話しているように。
「地図ったって、結局この墓所のすべてをフォローしてたわけじゃねえしな。あんまり意味がなかったかもしんねえ」
「......だったら、なにも動かなくなるまで蹴らなくてもよかったんじゃないかと思うんですけど......」
「なんか言ったか? ドーチン」
「いや別に......」
オーフェンが振り返って聞くと、ドーチンは視線をそらしてそう答えた。失 神 したボルカンの足にヒモをつけて、ずるずる引きずっている。ドーチンはその兄を見やりながら、
「ただ兄さん、顔のいろんな穴から血を流してるんだけど、死んじゃってないかな」
「大 丈 夫 だろ。いつだったかこのタヌキ頭領 、鉄 杭 で四十八発ぶん殴 っても蘇 生 しやがったからな。それが最高記録だ」
「いちいちどっかに記録してるんですか、そーゆーの......」
「いや。ただあのときは、俺も不 覚 にも、ちょっとやり過ぎたかと思って医者になんぞ連れてっちまったからな。そのときの治 療 費 はしっかり記録してあるぞ。貸 付 金 に上 乗 せしといたからな」
「............」
「にしても──」
と、オーフェンはいきなり足を止めた。背後で、ドーチンも立ち止まったのが気 配 で分かる。
「どうしたんですか?」
というドーチンの問いかけには答えず、オーフェンは無言で足元から小石を拾い、数メートルほど前方に放り投げた。と──
びんっ! と石は空中で弾 かれたように軌 道 を変えて、地面を流れる水に落ちた。オーフェンはひとりでうなずくと、石が弾かれたあたりに近づいて、目を凝 らした。
「やっぱりな......鋼 線 だ。湿気のせいで水 滴 がついて光ってたのが見えたんだよ」
「罠、ですか」
同じく近寄ってきたドーチンが、聞いてくる。オーフェンは、ああと答えた。
「気づかずに進んでたら、顔くらいは切ってたかもな。で、血の臭 いをさせたまま進んだりすると──」
オーフェンはつぶやきながら、ドーチンに引きずられているボルカンを持ち上げた。さんざん蹴られて血まみれになっているが、オーフェンは気にもせず、失神したままの地人を鋼線の向こうへとほうった。
と、突 然 ──ボルカンの身体 が地面に落ちるよりも早く、水流の中から無数の影 が跳 ね上がった。影のひとつひとつはせいぜいスリッパほどの大きさで、形もそんなものだが、数百はあるに違いない。たちまちボルカンの身体は、影の群 れに埋 まって見えなくなった。
「みきゃあああああぁぁぁぁぁぁ──......」
ボルカンの悲鳴が、未 練 を残すように少しずつ小さく響いていく。
「水コウモリの巣 だ。血に群 がる洞窟の殺し屋、てとこかな。奴 らが満腹するまでは、一休みの時間だ」
オーフェンは言いながら、水面から顔を出している岩のひとつに腰を下ろした。
「............」
ドーチンは恐 ろしいものでも見るような眼 差 しでこちらを見ながら、なにか言いたそうな顔をしたが──
「......そですね」
結局、薄情 な声で同意しながら、別の岩に腰を下ろした。
発 端 は、いつものことだが、いつものように、いつものことが起きたのだった。地人の兄弟が妙 な話を持ってきたのだ。
今回は、持ってきたそれがたまたま地図だった。墓所の地図だ。
ラクホツカ・ホルンの墓所──
その呼び名は、あまり正しいとは言えない。なぜなら、かの大盗賊の遺 体 が葬 られたのは、彼が捕 らえられた王都の無名墓地だからだ。
ただ、人々が彼の墓所と聞いて思い出すのは、王都からはまったく離れたこの場所だった。彼の遺体ではなく、財宝が眠るここ──
トトカンタ市から西に十キロほど、アイーデン山脈と呼ばれる高地がある。健脚 な者なら半日もかければ横断できてしまう程度のちっぽけなものだが、一部にだけ極端 に標高 のある場所もあり、山脈という呼び名が定着していた。
その山脈の中に、人目をはばかるようにひっそりと、小さな岩の割れ目がある。岩からは清 水 が染 みだし、知らない者ならば、そのまま気が付かずに通り過ぎてしまうだろう。だがその割れ目こそが、入り口なのだ──都をも買い取れるという財宝の隠し場所の。
「さて......」
オーフェンは適当に時間を見 計 らって、腰を上げた。

「行くか」
「行けるかああっ!」
叫 び声があがる。ちらと見ると、なにやらぼろぼろになったボルカンが、激 怒 の形相 で起き上がったところだった。
オーフェンは静かに、
「あんだよ。さっきまで静かだったのに」
「静かにもなるわっ! 人を水コウモリの巣になんぞほうり込みやがって! なにが『行くか』だ!──こちとら、干 物 になるまで血を吸われて身動きひとつ取れねえんだ!」
「......生きてるのは、ホントに大したもんだと思う」
心の底から感心してオーフェンは言ったが、どうもボルカンは不 服 のようだった。
「ンなことでほめるな馬 鹿 たれ! 曲がった釘 で打ちつけ殺すぞ!」
「なんでこいつ、こんなに怒ってんだ?」
ボルカンの叫びには無視してオーフェンは、ドーチンに聞いた。さっきから苦 行 僧 みたいな顔で、ずたぼろの兄を介 抱 しているドーチンは、疲 れたように聞き返してきた。
「本気で聞いてるわけじゃないですよね?」
「いたって本気だが......だって別に俺、こいつを水コウモリの巣にほうり込んで、でも水コウモリが一 向 に満腹する気配がないからこいつもろとも魔術で吹 っ飛ばしただけだぞ」
と、そこまで言ってオーフェンは、ぽんと手を打った。
「そーか。水コウモリの巣にほうり込んだことが不服だったんだな?」
がばっと跳ね起きて、ボルカンが叫ぶ。ほぼ半泣きで。
「それだけで済 ます気か、この手 加 減 なしの暴力亡者 !」
「ま、馬鹿をからかうのはこの辺にして、そろそろ本気で行くか。たっぷり休んだし」
「休んだついでに地 獄 まで見たわい」
ぶつぶつ言いながら、ボルカンも弟の手を借りて起き上がる。兄の体重に辟 易 した様 子 のドーチンだったが、こちらの挙 動 にふと気づいたのか、聞いてきた。
「......あの、なにをメモってるんですか?」
「おう」
オーフェンは、ペンの先をなめながら答えた。
「たいしたことじゃねえんだ──ええと......『冬の第六十八日。飢 えた水コウモリの巣にほうり込み熱 衝 撃 波 を撃 ち込む。死なず』」
「......やっぱり記録してる......」
「たまに思うんだが、こいつを取り締 まる法律とか、ないんだろーか......」
と、ボルカンがこっそりとつぶやいたせりふも聞こえてはいたのだが、あえて聞こえないふりをしておく。代わりにメモの隅 っこに記録はしたが。
と──ふと、洞窟の壁に響くように、遠くからなにかが聞こえてくる。
おおお......ぉぉぉ......
低くかすれて──恐 怖 に戦 くうめき声のような、そんな音。オーフェンは、メモをぱたんと閉じて顔を上げた。
「......なんか聞こえたか?」
「いや......」
「気のせいでしょう」
なぜか視線をそらしつつあっさりと言うボルカンとドーチンに、オーフェンは一 瞬 訝 しげに片 眉 を上げた。しばし待って──
おおお......ぉん......
また響く。オーフェンは、じろりとボルカンらを見下ろした。ふたりはそわそわと、とにかくこちらと視線を合わさないように顔の向きを逃 がしている。
「聞こえたぞ」
「............」
「............」
ふたりは答えない。また、しばし──
おおお......おおお......
「まただ」
「きっと──」
「風が洞窟に反響して変なふうに──」
「あのなぁ」
と、オーフェンはボルカンとドーチンの頭をそれぞれ片手でつかんだ。
「俺は音声魔術士だぞ──人の声と風の音を聞き違えるとでも思ってんのか?」
「それはまあいいんだが......」
「笑 顔 で人の額 を握 りつぶそうとするのはやめてください......」
オーフェンは無視して、続けた。
「さっきのは、断言するが人間の声だ」
「はあ......」
震 え声で、ドーチン。
「反響のせいで、ここからの距 離 は限定できない。それでも、さほど遠くはないだろう。つまり、ここからあまり離れていない場所に、誰 か人間がいるってことだ」
「............」
「いったいどーゆうことなんだ? てめえら、物音を聞いてからあからさまに態 度 が変わりやがったな。なにをたくらんでる?」
「いやだからその......」
「物音を聞くと態度が変わるタチなんです」
青い顔で、あくまでも目をそらしたままの兄弟に、オーフェンはにっこりと笑いかけた。手の甲 に、思いきり力をこめた青 筋 のようなものが浮 かぶ。みしみしと、地人たちの頭の中から鈍 い音が聞こえてきた。
「......ちなみに俺はリンゴを握りつぶしたことがあるぞ」
「ああああっ!」
「話すっ! 話しますう!」
「よし」
オーフェンはふたりを解放して、手をこすり合わせた。
「俺も説 得 がうまくなったもんだ──やっぱり暴力の時代は終わったな」
頭を抱 え、ボルカンがぼやいた。

「うう......耳がじんじんしてなにも聞こえんが、なにやら好き勝 手 なことを言ってやがるよーな気がする......」
「でも、ホントにリンゴなんて握りつぶしたんですか?」
こちらも頭をふらふらとさせながら聞いてくるドーチンに、オーフェンはあっさりとかぶりを振った。
「いんや。試 したこともねえ」
「て、てめえ! はったりかコラ!」
ボルカンが、剣を抜 きながら怒 鳴 りかけてくる。
「この腐ったミカンのフカシ野 郎 ! 貴 様 のよーな奴は──」
「つぶしたのはスイカだ」
「額 を地面にこすりつけますからいじめないでください」
いきなり土 下 座 してそう頼 んできたボルカンは無視して、オーフェンはドーチンのほうに向き直った。
「で? なにかたくらんでたのか、お前ら」
「いや、たくらんでたってほどのことじゃないんですけど......」
ドーチンは眼鏡の位置を直しながら、
「この墓所には、噂 があるんです」
「ほう?」
興 味 をひかれて、声を出す。ドーチンは、もったいつけるように指を立てる動作など入れつつ、
「まあ、この場所も、地図が出回ってるくらいですから、当然今まで何人もの人間が、財宝を手に入れようと探 検 したんですよね」
「そうだな」
オーフェンはうなずいた。そのまま、ドーチンは続ける。
「で、その人たちが口をそろえて言うには、この墓所には恐 ろしい呪 いが......!」
「ほほう!」
思わず身を乗り出して、オーフェンはあいづちを打った。ドーチンも、盛り上がったように拳 を握って先を続ける。
「ある者は半死半生で逃げ延び、ある者は発狂 して果てる恐るべき呪いの力!──すべての者の手を財宝に至 る道から駆 逐 してきたラクホツカの呪い! これを逃 れた者は存在しません!」
「おおっ!」
「で、その話を聞いて地図を手に入れたとき思いついたのが、邪 魔 者 をこの墓所に誘 い込んでおいて、ぼくらは適当なところでその邪魔者を置き去りにして先行してしまえば、おお! これはもはや完 全 犯 罪 の成立! お宝も手に入ってとってもお得!」
「なるほど、邪魔者ってのは俺か!」
「ビンゴぉっ!」
「......ところで俺ってパイナップルを握りつぶしたこともあるんだけど信じるか?」
「だから笑顔で首をしめるのはやめてくださいってば......」
──おおお......おおおお......
また聞こえてきた遠いうめき声に、オーフェンは、さっと表情を引き締 めた。地面を流れる水の上に、首を締め上げていたドーチンの身体をぼちゃんと落とす。
「あの声が......呪いだってのか?」
「ンなことは知らん」
と、これはボルカン。思い切り胸を張 って、
「だいたい地図をなくしてしまったせいで、逃げ出すことすらできんのだ」
「いばって言えるようなことでもないけど......」
水の中から起き上がり、ドーチンがつぶやく。と──
──おおお──おおおお──!
先 刻 からのうめき声が、ひときわ大きく、洞窟に反響した。近いとは思っていたが──
(......ほとんどすぐ近くなんじゃねえか⁉ )
オーフェンは戦 慄 して、身 構 えた。声は響きながら、どんどん近づいてくる──それと同時に、流れる水をはね散 らかす、ばしゃばしゃいう足音も聞こえてきた。暗 闇 にじっと目を凝 らし──そして──やがて見えてきたのは......
「......おい............」
オーフェンは、徒 労 感 を覚 えつつ聞いた。
「あれが呪いか?」
「おおおおおおおおおおおっ!」
うめき声は、もう雄 叫 びへと変じていた。閧 の声を発しつつ、こちらに驀 進 してくるそれは──
「番人......みたいですけど......」
ドーチンも、なにやら疑 わしげにつぶやいている。
その番人(仮定)──両手に一尾ずつ巨大なマグロを持った、つりズボンの大男──は、もう十メートルほどの距離にまで接近してきていた。
「......え? じゃあオーフェン、留 守 なんですか?」
「ああ。なんだか、例の地人たちに呼び出されて出てったきりだよ」
バグアップはカウンターの中で新作のカクテルなど試 しつつ、その女に軽く答えた。彼女は、彼の経営するこの宿の数少ない馴 染 み客──オーフェンの知り合いで、ここ最近、この宿にもちょくちょく顔を見せている。オーフェンから聞いた話では派 遣 警 察 官 だというが、どうもそうは見えない。どことなく幼 く見える容 貌 と、こざっぱりしたスーツ姿とで、親類の結 婚 式 のために着 飾 った子供みたいに見えるのだ。
まあ、年齢もせいぜい二十歳 かそこらだろうから、実際バグアップから見れば、そうそう子供と大差なかったりするのだが。
彼女──コンスタンスは、困 ったように眉 根 を寄 せた。
「それじゃ連 絡 とかはつきません......よね」
「どこに行ったのかも分からないからねえ」
と、バグアップはグラスの中の液体を明かりに透 かしてみた。色は悪くないが......望んでいたような光 沢 はない。
「ならマジク君は、いらっしゃいます?」
「そういや、あいつも、出かけてるなあ。クラスメイトで集まって、どうこうとか言ってだが」
「そですか......」
と、コンスタンスは嘆 息 してみせた。気になって、バグアップは片眉だけを上げた。海 賊 まがいのゴツい風 貌 だが、こんな器用なこともできる。
「なにか用事でもあったのかい、コギー?」
「......ていうか......」
彼女は懐 から、幾 重 にか折 り畳 まれた四角い紙切れを取り出した。ぱさぱさと広げながら、残 念 そうに言う。
「せっかく宝の地図を手に入れたのに......しょうがないから、ひとりで行こうかしら」
「どおおおおっ!」
叫びながら、オーフェンは横に跳 んだ──せまい洞窟内である。逃げ回る場所がさほどあるわけではないのだが、〝番人〟の動きはしごく単純で、直進しか知らないようだった。とにかく横に跳びさえすれば、避 けられる。
「びああっ!」
避けそこねて悲鳴をあげたのはボルカンだった。体重百キロ以上はあるだろうその太った番人──プラス、馬鹿でかいマグロ二尾を加えれば、その重さは二百キロ近い。番人は、ただひたすら無表情にボルカンの背中を踏 み付け、その場を走り抜けていった。かなりのスピードで──馬の速足ほどか──洞窟の水をはね散らかし、背を向けたそのまま、五十メートルほど駆 けていく。
そしてそこで、ぴたりと止まった。
「まさか......」
オーフェンが、やめてくれ、と内心つぶやいているうちに、番人は......のろのろとこちらを向く。
「むう......」
うめき声をあげたのは、ボルカンだった。痛めた背中をびしょびしょのマントの上からさすりながら、ぐっと拳を握っている。
「さすがラクなんとかの墓所──やはり屈強 なガーディアンを備 えていたか!」
「ただのヘンなおっさんじゃねーか......」
それが聞こえたか聞こえずか、とにかくその番人はこちらに向けて雄叫びをあげた。
「おおおおおおおおっ!」
そしてまた、突進してくる!
「ひとつ覚えは馬鹿の芸だぞ」
オーフェンは落ち着いて、右手を上げた。こちらに向かって一直線に突っ込んでくる番人をしっかり見 据 えて、呪 文 を叫ぶ。
「我 は放つ光の白 刃 !」
右手の先から放たれた光の帯は、洞窟の闇を派 手 に切り裂 き、閃 光 で周囲の岩 肌 をたたきながら標的に直進していった。威 力 はかなりしぼってあるが、この光熱波が直撃すれば、一発で仕 留 められるはずだ──
が、
「おおおおっ!」
番人は立ち止まらないまま、両手に持ったマグロを思い切り、交差させるように突き出した。まるで、光熱波を打ち返そうとでもするように──
「馬鹿こけっ⁉ 」
信じられない思いで、オーフェンは悲鳴をあげた。
「甘いわあっ!」
ひどいダミ声の、それが、番人の声だった。
──最後の。
どおおおおんっ!
激 しい閃光を撒 き散らす爆 発 と衝撃 とが、オーフェンの足元を揺 らす──いや、それはもはや地 盤 のゆるい地下水脈すべてを不安定に揺るがしたかもしれない。炎 の爆 裂 が収 まり──そして、にわかに明るくなっていた洞窟の闇が、再びちっぽけな鬼火の照らすものだけにもどった後には......
なにも残っていなかった。
しん......と、静まり返る。先刻まで番人が立っていた場所には、空間にくすぶる熱波がまだ漂 っているだけで、人影はない。消えてしまった。
「あ............」
啞 然 としてオーフェンが声を出すと、さっと──背後で気配が盛り上がる!
あわてて振り返ると、そこには、地人がふたり、踊 っていた。
「やーい」
「ひっと殺しっ、ひっと殺しっ♪」
「違あああうっ!」
オーフェンが胸倉をつかまえて怒鳴りつけるも、ボルカンは聞かない。

「よーし、この日を待っていたんだっ! こと殺人となれば、もー言 い訳 なんぞは通じんぞ。観 念 して警察署で拷 問 を受けるが良い」
「さっ、殺人罪なら何年かはブチこまれるよね。その間は平和なんだよね。ねっねっ」
やたらと嬉 しそうにはしゃぐふたりを、オーフェンは半眼で見下ろした。
「お前ら......」
「はぁーっはっはっはっ!」
突然、ボルカンが哄笑 する。
「往生際 が悪いぞ、このウラベニホテイシメジ!」
「うらべに......?」
「確か毒キノコだ。別に意味はない。とにかく、正当防衛だなんぞと姑 息 な言い逃 れはきかんぞ、金貸し魔術士! 相手の持っていた凶 器 がマグロでは、とうてい陪 審 員 を説得などできまい!」
「それはまあ、そーだが......」
つと、オーフェンは目を細めた。冷たく。
「目 撃 者 を消す、ってテもあるんだぞ」
「............」
「............」
さああ、とふたりの顔色が変わるのが、薄 闇 の中でも分かる。ボルカンが、最初にドーチンに聞いた。
「い、いやあ、でも、別にあれが人間だったとゆー証 拠 はないしな......」
「そ、そーだね。きっと、ぼくらの少年の日の幻 だったんだよ」
「はっはっ......」
「夢にしても、短い平和だったなあ......」
ほとんど涙 ぐむようにして、ドーチンがうめく。オーフェンは、呆 れて大きくため息をついた。
「つくづくお前らは──まあ、いいけどよ。だいたいだ、そーゆー次元の話ですらねえんだよ」
「......は?」
「来てみな。おもしろいことになるかもしれんぞ」
オーフェンはボルカンの襟 首 を放すと、ばしゃばしゃと水を蹴りながら、例の番人が爆発の中に消えた場所へ近寄っていった。鬼火と、ボルカンとドーチンらも後をついてくる。
オーフェンは、岩壁の陰 になったところに手を差し込んだ。
「ほら......ここだ。爆発の中で、ちらっと見えたんだが──」
がこん。
彼の手が、岩の隙 間 に隠されていたレバーを捜 し当てる。そのレバーを引くと、刹 那 、きいい、と小さな音を立てて手近な壁が開く。
ほんの指の太さほどの厚さの、薄い石の扉 だった。さほど凝 った仕 掛 けではないが、暗闇の中では見つけづらい。扉を開けた奥は大人ひとりが歩けるくらいの通路になっている。
「隠し扉、ですか......」
ドーチンが、感 嘆 するような声を出した。オーフェンはうなずいて、
「さっきの野郎、持ってたマグロを熱衝撃波にぶつけて爆 砕 させ、その隙にここに逃げ込みやがったんだ」
「というと──」
「ああ」
オーフェンは、にやりとした。
「この洞窟に、こういう隠し通路や扉やらがどれだけあんだかしらねえが、ここまでの仕掛けがあるんだから、ラクホツカの遺産......マジでこいつは本物かもしんねえぞ」
「財宝......」
よだれをたらさんばかりの表情で、ボルカンがつぶやく。続けて、ドーチン。
「ざくざく......」
「そーいうこった。とりあえず、今の野郎を追いかけてしめあげるぞ──」
と、オーフェンが通路に身体 を入れようとした、その瞬間──
「待ちな!」
かん高い、だが張りのある女の声が、背後からかかる。
振り向くと、いつの間に現れたのか、ほんの数メートルほどのところに、小 柄 な女が立っている。歳 は、かなり自分より上だろうとオーフェンは見当をつけた。三十か、そこらか。小柄とはいっても肉付きはよく、男だったらきっぱりと『がっしりしている』と呼ぶところだ。短い髪に、丸い目──ただ形のいい唇 だけが、紅 をさされて異様に赤い。
それにしても、彼女が本当にいつの間に現れたのか、オーフェンにはまったく見当がついていなかった。水の上を足音もなく歩くというのは不可能だろうから、この隠し通路は本当にあちこちにあるのかもしれない。
女は、白い厚手の格 闘 着 のようなものを身にまとっている。明かりは持っていないが、恐らく夜 目 でも利 くのだろう。今はオーフェンの鬼火に照らされて、その右腕に丸 太 のように抱 えているのは──
「ひとつ聞きたいんだが......」
オーフェンは、気まずく思いながらも聞かずにはいられなかった。
「なんで魚なんだ? しかも海の」
「ふっ......」
と、女は笑う。嘲 りと、媚 態 とが混 じったような目付きで。
「じゃあ、あんたは川魚で闘 えるってのかい? フナやニジマスでさ」
「いや、闘えないけど......」
思わずまじめに答えかけてから、オーフェンはすっとんきょうな声をあげた。
「闘う⁉ 」
「もち、そうさ!」
女は叫んで、抱えていたカジキマグロを威 勢 よく掲 げてみせた──モリのように長いマグロの鼻先が、明かりを反射してきらりと光る。
「〝狂虎〟ラクホツカの名のもとに集 いし維 新 戦士団体SSW! 今の〝魚 鱗 戦 車 〟マクロイドを退 けた手 並 みは見 事 だったと言わざるを得ないけど、このわたし〝流 星 特 攻 娘 〟イアンナを同じようには思わないことね!」
「........................」

勝手に盛り上がる彼女──イアンナ?──を前に、オーフェンはしばし黙 って聞いていたが......
ボルカン、ドーチンとそれぞれ目を合わせ、三人同時にまったく疑わしげな笑 みを浮かべて、聞き返した。
「特攻......娘 ......?」
「殺ぉぉぉすっ!」
イアンナは、どうやら本気で怒ったようだった。
(続く)


月と星の明かりがうっすらと、青い闇 ににじんで消える、夜──風の音が遠鳴りのように響 き、木々のシルエットを震 わせていた。
山奥の、目立たない小さな洞 窟 の入り口に彼女は立っている。
洞窟は、水脈の出口のようだった。ちょろちょろと水が流れ出して川になっている。彼女──登山服姿のコンスタンスは、手にした地図とその入り口とを見比べるようにして、
「ここね」
携 帯 用 のガス灯 の明かりの中で、意志の強そうな目がきらりと光る。
と──背後から、声。
「......そこに、なんの用かな?」
唐 突 に現れた気 配 に、コンスタンスはあわてて振 り返った。そこには、ひとりの老人が立っている。少し腰を曲げた、痩 せた老人である。あごの先に白い髭 を生 やし、含 むような顔でじっとこちらを見ている。
「ここはつまらん山奥じゃよ。あんたのような若い娘 さんが来るところじゃあない......」
その老人の言葉で、思わずあっけにとられていたコンスタンスは正気にもどった。
「え──いえ、わたしは......なんて言うか、地図をもらったんだけど──」
と、手にした地図を掲 げて、
「あ、ごめんなさい──その、こんばんは。わたし、コンスタンス・マギーって言います。あの──あなたの私有地なのかしら、ここ」
混乱した口 調 で、彼女はそこまでまくし立てた。老人は、にっこりと笑って、
「いいや。ここが誰 の土地かということになれば、難 しいところじゃな、お嬢 ちゃん」
「......どういう意味です?」
「その地図を手に入れたのなら聞いたのじゃろう? その洞窟が、なんであるのか......」
「え、ええ」
コンスタンスは、うなずいた。老人は少しずつこちらに近 寄 ってきているようだが。
「その、この地図、街 でわたしに道を聞いた人がお礼にってくれたんだけど......ラクホツカ・ホルンの財 宝 の在 りかの地図だって」
「まあ、その言い方はあながち外 れでもない」
「......え?」
再び聞き返す彼女。だが、老人は含み笑いを続けるだけ──
「伝説は真実を覆 い隠 すよ。気をつけんとな。それにつけても......」
彼は、とうとう手を伸 ばせば触 れるところまで近づいてきた。
「お嬢ちゃんは、どこの団体の所 属 かの?」
「......へ?」
「ほう......まさか、フリーかね? それはいろいろと苦労が──」
「え、いや、わたしの所属は王立治安警察隊、派 遣 警察官です。今日は私用ですけど......」
「ほほう。まあ......警官格闘術 のレベルの高さは聞いてはおるよ」
「? はあ......」
「が、体力的にどうしてもトレーニング量の勝 るほうが有利になりすぎてしまうところが──ま、参加してみれば分かるじゃろうが」
「......?......」
コンスタンスは、老人の言っていることがいまいち理解できず、目をぱちくりさせた。
この洞窟には恐 ろしい呪 いがかけられていると、ドーチンは、そう言った。それを思い出しながら、とりあえずオーフェンは横に跳 んで避 ける。と、それを追いかけるようにして、気 合 の声が響いた。
「死・ぬぇぇぇぇぇぇぇっ!」
掛 け声は洞窟内に反響 し、不快な響きを残しつつ拡散する──その声と、そして同時に振り下ろされた巨大な魚とを避けつつ、オーフェンは右手を突 き出した。
「我 は放つ光の──」
唱 えかけたところで、魚を抱 えたイアンナが先に叫 ぶ。
「甘いわ!」
と同時に、足元の水面まで打ち下ろしていたカジキマグロを、振り上げるようにして再度攻撃してきた──無論、尋常 な腕力 でできることではない。
「くっ──」
オーフェンは仕方なく魔 術 を中断すると、胸 中 で舌打ちした。
(魔術を使う隙 を与えないつもりか!)
魚の振り上げをかわした次には、当然、振り上げるのよりもはるかに速 い振り下ろしが襲 いかかってくる。くるぶしまで浸 かっている水に足をとられそうになりながらもそれを避け、
(なら──素 手 でやってやるまでだ)
と、呼吸もおかずに彼はイアンナのひざ頭 をブーツのかかとで踏 み砕 いた。体重を乗せていた利 き足を蹴 られて、短く悲 鳴 をあげながらイアンナの体勢が崩 れる。その機を逃 さず、オーフェンは右手を振り上げた。
「くらえ──」
「甘いと言っている!」
イアンナはそう叫ぶと、こちらが振り上げた右腕 をあっさりと片手でつかんだ。と、そのまま──無 造 作 に大 根 でも引っこ抜 くようにして力を込 めたかと思うと──
オーフェンは宙を飛んでいた。
「嘘 だあああっ!」
叫んでも、事実は消えない。オーフェンは数メートルほど空を飛んで、頭から水面に飛び込んだ。起き上がると、そこはボルカンらの立っているすぐそば。ふたりともあまりのことに啞 然 としてこちらを見ている。オーフェンは無視して、イアンナのほうに向き直った。彼女はカジキを肩にかついだポーズで、
「ふふん♪」
などと親指を下に向ける。
「こっの......!」
オーフェンが、かっと血圧を上げる背後で、地 人 たちがつぶやくのが聞こえた。
「いーとこねーな、魔術士......」
「腕力だけが唯 一 の砦 だったんですけどね」
「やかましいぞ、外野!」
オーフェンは、くるりと振り返るついでに、バックハンドでふたり同時にボルカンらの側頭をなぎ払 った。ふたりとも、折り重なるようにして吹 っ飛ぶ。
「くそ──油断してた。あのアマ、魚なんかかついで深 刻 な馬 鹿 なんだなと同情してやりゃあ、調子にのりやがって......」
「深刻な馬鹿って......深刻だなぁ」
ボルカンの下 敷 きになったドーチンが、うめく。ボルカンも続けて、
「油断もくそもあるか。思いっきり実力で負けてたろーが、今のは......」
「うるせえ! あれをよく見ろ!」
と、オーフェンは、いつの間にか別の指を立てるしぐさに切り替えているイアンナを、びしと指さした。
「くそぶっとい首! 天 然 岩 みてーな肩! ズワイガニのよーな手! 俺 の胴回りの倍はある胸筋 ! 剥 がせば人 工 革 として売れそうな面 の皮! あれぞ男の中の男! 少なくとも人間に属する生物じゃないっ!」
「むう......言われてみれば......」
なぜか同意するボルカンに、オーフェンは勢いづいて続けた。
「そーだろ⁉ あれに負けても恥 じゃない。俺はそー思うっ!」
「貴 様 ら......」
調子をくじかれたイアンナが、幽 鬼 じみた形相 でうなるのが見えたが、オーフェンはあえて無視した。
「さらに言うなら、あのタニシの集団登校みてえな指──」
「そ──」
と、彼女の表情がとうとうわななく。
「それは言うなぁぁっ!」
なにやら過去でもあったのか、カジキを抱 えて突っ込んでくるイアンナ──それを真正面から見 据 えてオーフェンは、ふっと笑った。
「──なにっ⁉ 」
罠 でも警 戒 したのだろう、突っ込んできながら足は止めずに、イアンナが驚愕 の声をあげる。オーフェンは、叫んだ。
「危険に対する保険その一!」
「──へ?」
と、いきなり頭をつかまれて、イアンナのほうにほうり出されるボルカン──それを見送りながらオーフェンは、悠 々 と横に避けた。
とりあえずイアンナは、目の前のボルカンをカジキで一 撃 した。そして、足を止める。
「あ、あの......」
イアンナが、呆 然 と声をあげた。足元で水に浮 いて流れはじめるボルカンを見下ろすその姿は、どことなく女っぽくなっている。
「罠......じゃなかったの? わたしを怒らせて、その隙 をつくとか、そーゆう......」
オーフェンはあっさりとかぶりを振った。
「いや別に。言いたいことを言ってすっきりしたのはいいけど、怒らせただけであんまり意味がなかったなぁとか思ってたところだ」
「......あのねぇ......」
「あのぅ......」
背後から、恐 れるようなドーチンの声。
「『その一』が兄さんってことは、ひょっとして『その二』は......」

「聞きたいか?」
「いや別に全然......」
それだけ言うと、ドーチンは口をつぐんだ。
オーフェンは、ざっとイアンナをにらみ据えた。腕組みして、きっぱりと、
「さあて......どーやら、本気で身体 作りだけはやってたらしいな、お前は。だが、その程度じゃ黒魔術士には勝てねえぞ」
「さっき『嘘だ』とか叫びながら空を飛んでたくせに......」
ぽつりとつぶやくドーチンの声に、オーフェンは振り返らずに答えた。
「危険に対する保険その二──」
「分かりました。もー言いません......とりあえず『その一』を回収します」
ぶつぶつ言いながら、ドーチンは水の上を流れてきた兄を起き上がらせた。いまだ痙 攣 しながら、ボルカンがうめき声をあげる。
「こ、こ、この──金貸し魔術士──」
それを聞いてオーフェンは、ちっと舌打ちした。
「ち──くそ......地人の頑丈 さを見くびってたか」
「あのぅ......それは計画犯罪のせりふ......」
ドーチンが汗を一 筋 、そう言ってくる。がばと跳 ね起きて、ボルカンがそれを遮 った。
「なにが『ち──くそ』だこの破 壊 衝 動 の殺人狂! 人を身 代 わりに仕立てやがって!橋の上からぶら下げ殺すぞ!」
「まあいい。今は吠 えろ。次はしくじらねえかんな」
「あのぅ......」
汗一筋、ドーチン。オーフェンは無視して、イアンナに向き直った。そのまま、しっかりとした声で告 げる。
「もう打つ手なしのはずだ、イアンナ」
ぴくり、とイアンナのほおが引きつる。オーフェンはさらに続けた。
「あんただって分かったはずだぜ──福ダヌキの代わりに、俺は魔術を放つことだってできたんだ。どのみち──俺が本気になりゃ、あんたに勝ち目はない」
「............」
イアンナは、口ごもるようにしてこちらを見ている──はったりでないことだけは分かったらしい。やがて......
「そうだね」
と、彼女はかすかに笑いを含んだ声で、そう認めた。が、
「でも二対一なら、話は違うんじゃない?」
「──なに⁉ 」
「耳を澄 ましてごらんよ......ようくね」
言われたとおりに、耳を澄ます。と──
洞窟の中に、かすかに、笛 の音 が響いていた。静かに──水の流れにかろうじてかき消されない程度に、静かに。
「......なんだ......?」
オーフェンは、うめいた。笛の音は、どんどん大きくなってくる──高く低く、どこか物悲しく岩の壁 に跳 ね返って変調していく。夕 暮 れの風のように......夜の泣き声のように。
と、ボルカンが剣 を抜 いて哄笑 した。
「はぁーっはっはっはあっ!」
続ける。
「たいそうなことを言うからには、マグロを背負った一大隊くらいは押 し寄せてくるのかと思えば、たかが笛の音とはな! ふっ──愚 弟 も、耳くそが脳まで詰 まった黒魔術士も、なにも恐れる必要などないぞ。ただの笛の音! おおかた、これで俺様の戦意を攪 乱 しようという策なのだろーが、こんなものが屁 ほども怖 いか! いいか、この鋼 の落ち着きこそが、この俺様をしてマスマテュリアの闘 犬 と呼ばせた所以 ──」
「......うるせえなぁ......」
オーフェンはうめいたが、ボルカンはやめない。剣を振り回しながら、続ける。
「どーせ俺様を怖がらせるつもりなら、えんえん鳩 に話しかける公園の男でも連れてこいってんだ! それは確かにちと怖い──」
と──ふと、ボルカンの声が途 切 れて止まる。その場の照明はオーフェンの造り出した鬼 火 だけなのだが、その明かりがとどかない闇の奥から、小さな水音が聞こえてきていた。
笛の音といっしょに──水面を静かにはね散らかす足音......
やがて、鬼火の明かりの中に人 影 が浮かび上がってきた。痩 身 の、やけに背の高い男。ばらばらに伸びた黒髪と不 精 髭 、そして不健康などす黒い肌、やけに高い頰 骨 ──
笛の音はまだ続いている。だがその男が口に当てているのは笛ではなかった。魚だった。
サバを吹いている。
「怖い......」
無条件で、三人は同時につぶやいた。
男はこちらを見やりもせずに、サバを口から離した。笛の音、もといサバの音も止まる。どうやらトリック抜きでサバを吹いていたらしい。どこから音を出しているのかは謎 だが。
「なんなんだ......」
ほかに言うことが思いつかずに、オーフェンはうめいた。男が、素早い手つきでサバをくるくると回しながらベルトのホルスター(?)に落とし込む。
そして男は、細く口を開いた。
「......法律は不 条 理 ──掟 は非情──運命は無情、ということか......また人の命を手にかけねばならんとは......」
ひとりで言いながら、背中からなにかを抜き出す──鞭 だ、と最初にオーフェンは思ったが、それも違った。蛇 だった。多分──海蛇なのだろうが。今までの経 緯 からすれば。
「お前ら、海産物になにか特別な思い入れでもあるのか......?」
「あなたごときに、わたしたち維 新 戦士団体SSWの理想は理解できないわっ!」
イアンナが叫ぶ。オーフェンは半眼で、
「だから......そのSSWってのはなんなんだ、いったい」
「総合実戦格闘武術......そしてその使い手がSSW......組 織 の総称 でもあり、個人の肩 書 でもある」
ぼそりとした声で、例のサバ吹き男。
「なんだと?」

オーフェンが聞き返す後ろで、ドーチンの声もあがった。
「総合実戦格闘武術・維新戦士団体......その頭文字が、どーしてSSWになるんです?」
「死んだ魚でレスリング、の略だ」
「いーですけど......」
「あまり理解したくない理想だな......」
オーフェンが呆 れてぼやくと、イアンナが怒 声 をあげた。
「ほっといてちょーだいっ!」
「──って、ほっとくわけにはいかねーな」
ちらり、と彼女を見やる──目つきを細めて、オーフェンは続けた。
「とくにそのSSWとやらと、ラクホツカの財宝とがどこで結びつくのか、興味あるね」
ふん......と少々追い詰められたような色を表情にうかばせつつも、イアンナが鼻で笑う。
「聞き出せるとでも思ってるの? この"流星特攻娘"イアンナと、SSWの名高い"レイニーデイ・スナッピング"ジョーをいっぺんに敵に回して......」
ぴしりっ──と、サバ吹き男、ジョーという名前らしいが、彼がスナップだけで海蛇を鳴らす。
「虚 勢 はそれほど見苦しくない。虚勢を張るしかない男というのは悲しいものだがな」
「虚勢かどうかは──」
オーフェンは、腰を落として身 構 えつつ、
「この『危険に対する保険その一』と『その二』を見てから言ってほしいな」
「コラ──」
「あのぅ......」
地人ふたりの抗議は無視して、戦いは始まろうとしていた。あと一呼吸──動けば──だが──その瞬間 ......
「待てえええいっ!」
一 喝 が、その場を制する。
「............⁉ 」
はっと、オーフェンはあたりを見回した。今の一喝は、イアンナでもジョーでもない。そのふたりも、仰天 したように周囲を見回していた。しばしして、すっと、その場にまた新しい人影が現れる。
「そこまでじゃよ、イアンナ、ジョー」
「............!」
声にならない叫びを発して、ふたりが身構える──こちらにではなく、新たに現れたその人影に向かって。
現れたのは、ただの老人だった──ひょろりとした、だがただならぬ眼光をたたえた老人である。
そしてついでに、その後ろにひょこんとついてきているのが......
「コギー!」
「や、やほー」
などと、手を振ってくる。オーフェンは指さして、叫んだ。
「な、なんでお前がここにいるんだ? ここは秘密の場所で──」
「......わたし、地図もらったんだもん」
ちゃぷちゃぷと水を蹴 り分けて、彼女が近寄ってくる。
「地図──⁉ ちょっと見せてみろ!」
オーフェンはひったくるようにして彼女の手から地図を取り上げた。確かに──ボルカンらが持っていたものと同一の地図だった。
「な、なんでお前まで......」
と──横から老人が口をはさむ。
「そんなもの、わしだって持っとるよ。街に住んでる者も、十人に一人は持っとる」

「──へ?」
「どうやら、お前さんら、よそ者のようじゃな。じゃからカモにされたんじゃろ」
「カモ......⁉ 」
間 の抜けた声で、聞き返しをくりかえす。老人は、にっこりと、
「こ奴 らの──技の練習台にじゃよ」
「げっ!」
ボルカンが吐 き出すようにうめいた。
「よりによって、こんなくだらん技の練習台に⁉ 」
「ほっといてちょーだいっ!」
イアンナが、また叫ぶ。彼女はいきなり、真剣な面 持 ちになった。
「それにしても......あなた自 らが出てくるとはね、今さら......」
「ふっ......去年の雪辱 じゃよ。弟 子 の尻 拭 いくらいが、年寄りの取 り柄 じゃ」
きらりとした目付きで、老人。イアンナは、じりりと詰め寄りながら、
「でも......それも、あなたを倒せば──」
「やめろ!」
唐 突 に、ジョーが叫ぶ。彼は早々に、海蛇をしまっていた。彼はイアンナの肩をつかみ、引きもどすようにしながら、
「お前の敵 う相手ではない......!」
「......まあ......それはいいんだが......」
オーフェンは、なんとなくつまらない口調でつぶやいた。
「できれば、俺たちをほっとかないでほしいんだが......」
「おお、悪かったのう」
老人は、素 直 に悪びれたしぐさを見せた。そして、そのままにっこりと──またイアンナたちのほうに顔を向ける。
彼はあっさりと、言った。
「さて──案内してもらおうかの。お前たちの社長のところへな......」
「ラクホツカ・ホルンのことを気にかけておったようじゃのう......」
洞窟の中をイアンナらに案内されて進みながらの老人の言葉に、オーフェンは肩をすくめた。
「つうか......奴の遺 産 のことをだけどな」
「......彼の遺産 じゃないでしょ」
となりで生 真 面 目 にコンスタンスが言う。
「あくまで、彼が死んでなお隠 匿 した盗品、ですからね──」
「あんだよ。お前がここに来たのは、そいつを押収 するためか」
オーフェンが言うと、彼女は、当たり前でしょ、とばかりに登山服の胸を張った。
「あなたみたいな人が、ネコババしかねないですからね。言っておくけれど、盗品を盗むのは、窃 盗 よりも罪 が重いのよ」
「......仲がよいのう......」
「──あ。ごめんなさい。話の邪 魔 して」
割って入った老人に、あわてて、コンスタンスが謝 罪 の声を発する。老人は、ほっほっと笑ってから、
「かまわんよ。どうせ、わしも同じことを言おうとしとったんだ。ここにある財宝を、遺産と呼ぶのは間違いじゃな」
「ほれみなさい」
得意がるコンスタンス。が、老人はさらに続ける。
「じゃが、盗品を盗んでも重窃盗にはならんよ。ただの窃盗じゃ」
「......あれ?」
「無能警官」
つぶやくオーフェンに、コンスタンスがうなり声をあげる。それはとりあえず無視して、オーフェンは老人に聞いた。
「にしても、遺産という呼び名が適当でない、ってのは──あんたが言ったのは、コギーの言ったのと違う意味のようだったけど?」
「そうじゃよ。ラクホツカ・ホルンの遺産なんてものは、物理的にあり得んわい」
と、彼はひとりで鷹 揚 にうなずいてみせた。
「なにしろ、奴は生きておるんじゃから」
「え......?」
声をあげたのは、コンスタンス。オーフェンは聞き返そうとして、ふと、別のことで声をあげていた。
「ん......?」
鼻をひくひくさせながら、
「潮 のかおり?」
と──イアンナとジョーが、こちらを振り返る。洞窟はいつの間にか、かなりの広がりを持つようになっていた。ちょっとしたグラウンド並みだろう。それにあわせて、流れる水量も少し増えたか──
ギイ......と、木の軋 む音が、どこからか聞こえてくる。
ともあれ、イアンナが足を止めて言った。
「ここだよ」
「そう──」
彼女の言葉にかぶせるように、あたりに、また新たな声が響く。
「ようこそ客人。我 が理想の庭に。わしが、〝狂 虎 〟ラクホツカ・ホルンだ」
ギイ......
また、木が軋む音。それとともに現れたのは、一 隻 の木船だった。木船の甲 板 には、いくつかの灯 火 と、腕組みして仁 王 立 ちする巨大な人影──
それを見て、げっそりと、コンスタンスがうめくのが聞こえた。
「老人マッチョ......」
──まあ、そんなようなものだった。
歳 は、六十から七十というところだろう。老 け込んだ顔には深いしわと、白 髪 の交じったまばらな髭 。筋肉隆々 の体 躯 は、百キロ以上はあるのではないだろうか? なんにしろ、甲板の長さ十メートルほどもある船は、その乗客ひとりの体重のためにとでもいうように、ギイギイと耳 障 りな音を立てている。

「社長!」
イアンナとジョーが、口々に歓 声 をあげる。社長──ラクホツカは、はっはっと機 嫌 よさそうに手を振って答えた。ふたりを見下ろしながら、
「我がSSWの精 鋭 ふたりを退 けるとは──まだ野には底知れぬ者がいたというわけかな。世界は広いものだ......」
「いやそれがその......」
「社長......」
と、言いにくそうにしているふたりに代わって、声をあげる者がいる。
「わしじゃよ、ラクホツカ」
例の老人だった。彼は、近づいてきた木船の甲板に、ひょいと飛び乗った。オーフェンたちも、それにならって船の上に飛び乗る。
ラクホツカは少なからず驚 いたようだった。
「お前か......最後に会ったときから、丸一年ぶりになるのかな、フレッドル......」
「そうじゃよ。懐 かしいとは言わんが、久しいな、ラクホツカ......」
老人──フレッドルと呼ばれたが、彼はまた、きらりとした視線を見せた。彼が甲板の上で一歩、ラクホツカに近寄ろうとした瞬間、
「おおおおおおおおおっ!」
いきなり、甲板の下から、巨大な影が飛び出してきた。それは、甲板に躍 り出ると巨大なマグロをかざしながら、
「おおおおおっ!」
雄 叫 びとともにフレッドルに突 進 していく。
「マクロイド!」
ジョーが、警告するように名前を呼ぶのが、洞窟の中にこだまする──
と、一瞬の間もおかずに、フレッドルが懐 から素早くなにかを投げ付けていた。
刹 那 ──マクロイドの巨体が、いきなりフレッドルへと突進する軌 跡 から逸 れて、甲板から転げ落ちていく。大男の悲鳴が、木の甲板を震 わせた。
フレッドルが投げたものを、木船の灯火と鬼火の薄 明 かりの中だが、オーフェンははっきりと見ていた──それは......
「老 いたとはいえ、お前の弟 子 ごときには後 れはとらんよ、ラクホツカ。わしもサンマ手 裏 剣 の使い手、新SSWの〝殺 戮 季節風〟フレッドルと呼ばれた男じゃ」
フレッドルは、余 裕 ある声でそう言った。ラクホツカの顔が、ぴくりと引きつる。
「新SSW......?」
疑 わしげな声を、コンスタンスがあげる。フレッドルは振り返らず、禿 げた後ろ頭から声を出した。
「死んだ魚などを使う、奴ら腐 りかけたSSWに見切りをつけ、わしが創設した新たなる維新戦士団体......ちなみに新 鮮 な魚でレスリング、の略じゃ」
「馬鹿ばっかりだ......」
ぽつりと、ボルカン。
「兄さんに言われるようじゃ、本当に深刻かもしんない......」
ドーチンもつぶやく。それを聞いて、フレッドルは心外だとばかり、声をあげた。
「なにを言うか! あれを見るがよい!」
と、水面を指さす。気を失って、ぷかぁと浮いているマクロイドの身体のわきを、すうっと小さな影が擦 り抜けていく。さっき投げた、サンマらしいが......
うんうんと、フレッドルはうなずいた。
「美しいじゃろう?」
「フン......」
歯 軋 りしながら、ラクホツカがうめいた。
「これだからベビーフェイスは乳 臭 い......真の闘 いにおいては、美などというものは毒 にも薬にもならん。その極限の覚 悟 を放 棄 して、格闘家を名乗るとはおこがましい!」
「変わらんのう、お前は。ラクホツカよ」
「あ、あの──」
ドーチンが声をあげた。
「さっきからラクホツカって──彼は死んだんですよ! 記録では──」
「記録では、な」
と、フレッドル。
「じゃが、記録などというのはいくらでもでっちあげることができるんじゃよ。じゃから、伝説は真実を覆い隠す」
「......よー分からん。話が見えん」
ボルカンが、不平のこもった声でつぶやいた。フレッドルは、しばし迷 うような顔をしてから、言い直した。
「嘘 をついてたんだぴょーん」
「......よく分かった」
「嘘って⁉ 」
と、コンスタンス。
「大盗賊ラクホツカ・ホルンは王都で捕 縛 される際、誤って死亡したって──」
「そう。記録ではな」
フレッドルは、ポケットからまたサンマ──確かに生きている──を取り出して、骨張った指で背びれを撫 でた。
「じゃが事実は違う。こいつは、貴族たちから盗み出した財宝のうち、半分を返 還 するという約束で、身の自由を買い取ったのじゃよ。自分が死亡したということにしてな。そして、盗品の残った半分とともに姿を消した」
老人は、ふっと笑った。
「わしはその当時、奴の部下のひとりじゃった......じゃが、その実その財産の横取りを狙 っていたものさ。それはわしだけではない。ほかに大勢いた仲間たちも同じじゃったよ」
「......なんで、そうしなかったんだ?」
オーフェンが聞くと、彼は笑った。自 嘲 ではなく、なにか心底おもしろいというように。
「ま、それができんかった理由は、こ奴本人に話してもらおうかの......」
「......フン」
ラクホツカは鼻を鳴らした。続ける。
「宝の隠 し場所が悪かったのだろうな」
「......え?」
オーフェンがしつこく聞くと、ラクホツカは、ぱっと自分の背後を指さした。
「向こうの水底なんだがな。宝があるのは」
「......なんだ。あるんじゃねえか」
と、ボルカン。もうすでに甲板から飛び降りて、泳いでいこうとしている──
「ただしそこは、サメの巣 だ」
ぷっと、ボルカンは吹 き出して甲板に身を引いた。ラクホツカは苦 々 しく続けた。
「わしがこの地下水脈を隠れ家 にした直後に、大地震があってな──いきなり、このずっと地下で、水脈が海とつながっちまったのさ。水コウモリという絶好の餌 を見つけたサメが押し寄せて、たちまちここは海のギャングのたまり場だ。おまけに、浅 瀬 に隠していたはずのお宝は、例の地震のせいで深さ何十メートルの溝 に落っこっちまったとくる。いくらなんでも、サメの鼻を逃 れてそんな場所からお宝を引き揚 げるなんてのは不可能だ」
「せっかく洞窟を改造して、あちこちに秘密の通路なんぞも掘 ったんじゃがな。すべて無 駄 骨 じゃよ」
「はっはっはっ......」
ラクホツカが、楽しそうに笑う。
「なんだ......」
ボルカンが、情けない口調でぼやくのが聞こえた。
「こんな苦労をして、聞かされたのはくだらんオチつきの伝説だけか......」
「そこまで言う......人の人生話を」
と、これはコンスタンス。地図をぴらぴらと振りながら、ラクホツカに聞く。
「で......この地図をばらまいて、技の練習台集め? それはなんのためなのよ」
答えたのは、ジョーだった。
「年に一度やっているのだ。磨 かれた技を試す場を設 けてな......」
「え?」
イアンナが後を継 ぐ。
「だからぁ、ほら、魚の死体をかついで、魚のふりして潜 れば、サメも見逃してくれるかもしんないじゃない。その練習から始まったんだけど──」
「それが、どーして総合実戦格闘武術になるんだ?」
コンスタンスの後ろからオーフェンが聞く。
しばし沈 黙 してから、イアンナが答えた。
「なんとなく......そんなことを毎日練習してたら、みんな、お宝のことなんてどーでもよくなってきちゃって♥」
「まあ、趣 味 の勝 手 だが......」
格闘技の発祥 など、たいがいそんなものだろうと偏 見 まじりに思いながら、オーフェンは適当にはぐらかした。
甲板の隅 で、ぽつりとボルカン──
「単に維新戦士団体とか名乗りたくて、なんでもいーから人と違うことをしたかっただけなんじゃねえのか?」
「あ。兄さん、珍 しく鋭 い意見」
それは無視して、オーフェンはコンスタンスにぼやいた。
「まあいいや......どーせ、こんなこったろうとは思ってたんだ。帰ろうぜ、コギー。お前が地図持ってきてくれたしな」
「そーね......でも、水の底にあるっていっても、あなたの魔術でなんとかなんないの?」
「馬鹿こけ。俺は音声魔術士だぜ──水中には声もとどかねえし、手も足も出ねえよ。危険を冒 してまで、ンなお宝に執 着 するほどガキでも向こう見ずでもない。帰るぞ」
「待てい」
と、帰ろうとしかけたところを呼び止められて、オーフェンは振り向いた。見ると、ラクホツカがいつの間にか、一尾のマンボウを手にこちらをにらみつけている。
「あんだよ」
聞き返すと、ラクホツカはにやりとした。
「招待状代わりの地図を持ってここまで来ておいて、そのまま帰る? そいつはちぃと、寂 しくはないかな?」
「......どうしろってんだ」
「せっかくだから、我々の興業 を観 ていきなさい。楽しいぞう」
にこにこと、ラクホツカ。が、オーフェンはにべもない。
「いらん。どうせ八 百 長 だろ」
その一言で、いきなりその場の温度が上がった。
「んなっ......!」
絶 句 するラクホツカ──と、ジョー、イアンナらが口々に叫ぶ。
「なにを言われてもいい──だが、その一言だけは許 さんぞ!」
「暴言だわ!」
「殺すっ! 奴を殺させてくれぇぇっ!」
「待て! わしが先だ──!」
いつの間にかそちらの側に参加しているフレッドルを見やって、オーフェンはさらに舌を出した。
「う・る・せ。こんなとこまで出向いてお宝までボツとなりゃ、俺だっていつまでも温 厚 じゃいねえからな。てめえら四人──マクロイドとかゆーのを入れても五人か。相手になってもらいてえなら、サメの鼻先までいくらでも吹き飛ばしてやるぞ」
「......五人?」
ぴくり、とラクホツカがつぶやき返してくる。しばらくあっけにとられたような顔を見せて──やがて老人マッチョは、大笑した。
「五人──本気で言っているのか?」
「な......なんだよ」
「忘れとるんかのう」
と、これはフレッドル。
「わしは言ったぞ──ラクホツカの財宝を狙 っていたのは、わしだけではない。ほかの大勢の部下 も 同じだった、とな」
「......まさか......」
「ラァァァァイト・アァァーップっ!」
ラクホツカが、高らかに叫ぶ。と同時に、ぼっ──とあたりの暗闇を、閃 光 が切り裂 いた。無数の灯明 、無数の木船が──広い地下水脈の上に現れる。その木船のいずれもに、数人から十数人の『維新戦士』たちが乗っていた──総勢、数百人というところか。そのいずれもが、なんらかの魚をかついでいる。
「おおおおおおおおおっ!」
雄 叫 びが、無数の唱 和 となって洞窟を揺 るがす!
「どひいいいいっ⁉ 」
オーフェンらは、頭を抱えて悲鳴をあげた。
「はぁーっはっはっはぁっ!」
ラクホツカが哄笑 しながらマンボウを掲げる。
「紹介しておこうか! あちらの端の船から、元祖SSW──つまりわしの弟子たち! 次が新SSW──」
「わしの弟子たちじゃ」
「次が新々SSWの面々、その次が真SSWの面々! 究極SSWの面々──」
「どえええええっ⁉ 」

「SSWアルティメット! 北西SSW! 過 激 SSW! ロックSSW──」
「ンな馬鹿なぁぁっ!」
オーフェンが叫ぶが、誰も聞かない。
ラクホツカは、なおも数々の〝SSW〟を紹介してから、木船の中でもひときわ大きい船──全体の中央にある、なにやら巨大なリングを載 せた木船を指した。
「ちなみに種目は有 刺 鉄 線 爆 破 硫 酸 火 山 弾 &レフリーが殺 人 鬼 さんデスマッチ一本勝負! すべての対戦組み合わせが終了するまでの予定時間、十九時間と三十分!」
「最後まで!」
びしとこちらを指でさし、イアンナ。
「観戦していってもらうわよっ!」
「馬鹿ばっかりだ......本気で」
ボルカンが、のろのろとうめく。なにやらビビったのか、ドーチンの後ろに隠れながら。そのドーチンは、兄を肩越しに見やり、
「兄さんに言われると本気で傷つくかもしんないから、やめときなよ......」
「どーゆう意味だ⁉ 」
「いや別に......」
すかさず目をそらすドーチン。そのふたりを尻 目 に、あたりを取り囲んでいるSSWの木船を見回して、コンスタンスがつぶやいた。
「こうなったら......対抗するには、ひとつしか手はないわ......」
「うむ......」
「ぼくもそう思ってたとこ......」
「............?」
なんとなく不安になりながら、オーフェンは三人を見つめた。彼女らは、きっぱりとこちらに指を突き付け、
「こちらも他団体からの飛び入り刺 客 〝文 無 し借金取り〟オーフェンを投入するのよ!」
「やめんかぁぁぁぁぁっ!」
オーフェンの声は、ほとんど悲鳴のように、白いマットのジャングルを前にして、洞窟内へと消えていった......
一応、十九時間三十分よりはかなり早く最強の敵、SSWマニアックスをマットに沈 めた数日後、サメの追っ払い方を漁 師 に聞き込みしたり、何十メートルも素 潜 りする練習を、ひとりでこっそり試したことは──
オーフェンの秘密である。
(馬鹿は一人でたくさんだ!:おわり)


オーフェンは急いでいた。トトカンタ市の昼少し前、人通りも多いストリートを、速 足 で進んでいく。黒 髪 、黒目、服装も黒ずくめといった、すべて黒一色の、二十歳 ほどの若者──胸元には、銀でできたドラゴンのペンダントがぶらさがっている。
(まずいな......)
胸中 でつぶやきながら彼は、時間を気にするように太陽の位置を見上げた。
(間に合わないかもしんねえ......)
右へ進み、左へ曲がり──というほど複雑な道ではないが、とにかく急いで進む。
そこはトトカンタで有名な『城の街 道 』──学生寮 や、それに住み込む人間をあてにした商店などが並ぶ界 隈 である。高級でも下町でもなく、住宅街とも商店街とも少し違う。
と────
「弟 子 にしてくださいっ!」
唐 突 な叫 び声が、往来に響 いた。一瞬 、ストリートの人通りが立ち止まる。
叫んだのは、髪の毛を半分ほど青く染 めた、ハイティーンの少年──活発そうな目をして、背もけっこうある。
少し大きな建物の入り口のところで、身体 の大きな男と押 し問 答 しているらしかった。
「............」
オーフェンは気になって立ち止まり、そちらを見やった。少年の姿にはむろん見 覚 えもないが、なんとなく気にかかったのだ。少年が入ろうと頑 張 っているその建物は──
が、少年がどんなに押し入ろうとしても、相手はかなりの大男である。歳 は三十ほどか。あまつさえ剃 髪 し、見た目もいかつい。胸にバッジをつけていて、それには『受付』と表示がある。
「先生は、ただいま外出なさっております」
にこやかに──ただしこめかみに筋 を浮 かべつつ──大男は告 げた。が、少年は退 かない。
「うそを言わないでくださいっ!」
ばん、と右手で門柱をたたき、
「見てたんです! ずぅぅっと、前の通りの物 陰 からこっそりこの建物をのぞいてたんですよ! さっき見るからに怪 しそーなケバいねーちゃん引き連れて、こそこそ勝 手 口 に回っていったおっちゃん! あれがマクミトン・ミレイ教師でしょう⁉ 」
「だから、別れ話がこじれとるから居 留 守 を使っとんじゃ、ぼけぇぇぇっ!」
たまらず少年が怒 鳴 り声に気 圧 されて追い出された正午 前 、それは始まるのだった──
「だああああっ!」
文字通りアスファルトに蹴 り出され、少年は追い出された建物のほうを振 り向いた。受付の魔術士が仁 王 立 ちする玄 関 には、一枚の表札がかかっている──『魔術士ミレイ教室』つまり、魔術士志望者のための住み込みの町道場のようなものである。
「二度と来るな、この、だぁほっ!」
そんなことを吐 き捨てて、剃髪した大男──魔術士の弟子らしいが──が教室の中へと入っていく。その背中に向けて、道に転んだまま少年が叫んだ。
「ぼくは負けませんよ!」
オーフェンは別に気にせずに、その横を通り過ぎようとした。魔術士に弟子入りしようとしてそれを断られる人間など珍 しくもない──ということはないが、どちらにせよ知ったことではない。
(ンなことよりも──急がねえと)
ぶつぶつとつぶやきながら速足で、まだ地面に寝ている少年の横をすり抜 ける。と──
その場でこけた。
思い切り地面にぶつけた顔面を、ゆっくりと持ち上げる。痛む鼻をさすりもせず、ぎりぎりと後ろを見やると、どうも例の少年が通りすがりの自分の足首をつかんだらしかった。
「............」
無言で、じっと見ていると、青い髪の少年は、それがごく当然の成り行きだとばかり、真 摯 な視線をこちらに返してきた。アスファルトに腰を下ろしたままの姿 勢 で、
「聞いてください、通りすがりの黒い人!」
「............」
オーフェンはなにも言わず、じっと彼を見つめかえした。女学生らしき通行人が、くすくす笑って近くを通り過ぎていく。少年は、どんと地面をたたき、
「今のを見ましたか? 話し合いをしようとしているぼくに対して、暴力をふるったんです。決して許 されることじゃありません!」
「......おいガキ──」
必死に怒 りを押し殺して、オーフェンはうなり声をあげた。
が、少年は聞いた様 子 もない。
「暴力! 悲劇はその衝突 から弾 き出される火花のようなものです! しかしちょっとした火花でも、禍 根 という傷 痕 を残す大 火傷 になります!」
「言っておくが──」
「ああ、人は常に愛を求めているのに、なぜ与えられるのは暴力だけなのでしょう! この矛 盾 にぼくは──」
「とっととその手をはなさねえと、ただじゃすまさ──」
と、そこまで言った瞬間、通りの向こうのほうで、わぁっ──! という歓 声 があがる。
「げっ......⁉ 」
あわててオーフェンは、視線をそちらに転じた。歓声の元は、一ブロックほど離れた、大きめの商店の前にある人だかりからである。学生やら、主婦やらがひとかたまりになって並んでいた。
その人だかりを前にして、両手を振りながら店員が叫んでいる──
「さあ! 月に一度の大ご奉 仕 ! みなさまのおなじみプロイラー商店の爆 安 缶 詰 市 !」
「ああああああっ!」
両手をわななかせて、オーフェンが悲 鳴 をあげるが、声はそこまでとどかない──とどいたところでどうなったわけでもなかろうが。
店員は、なにがそんなに嬉 しいのか、にこにこと続けている。
「数に限りはございますが、本日限りの安値の祭典! 『歴史に残る安さ』をモットーに、我々はああああああああ!」
せりふの途 中 からは悲鳴となって、押し寄せる人込みに、店内に押しもどされていく。
それを見送りながらオーフェンは、両手を震 わせたまま、うめくようにつぶやいた。
「間に......合わなかっ......た......」
とん......と、軽く握 った拳 を力なくアスファルトに落とす。
背後では、しつこく少年が叫んでいた。
「でもぼくは負けません! 世の不正を根 絶 するその日までは! ですから──」
「............」
オーフェンは再び少年をにらみやった。
「......警告だ。死にたくなければ、殴 りかえすようなマネはすんなよ」
「............は?」
きょとんと聞き返す少年に、オーフェンは拳を固めて叫んだ。
「これ以上俺 を怒 らせるなと言っとるんじゃぁぁぁっ!」
「ぎゃああふあうああっ!」
店員の悲鳴に引き続き、オーフェンの蹴りで通りの向こうまで吹き飛ばされる少年の悲鳴が、往来を引き裂 いた──
「......ぼくは、スレイっていいます」
「ほう」
バーゲンに出 遅 れはしたものの、ぎりぎり桃 缶 一個だけは確保したオーフェンは、例の少年──スレイにうなずいた。
場所は変わり、オーフェンのなじみの宿の、一階食堂──カウンターのほうでは、白 髭 の男がグラスを磨 いている。店の一番奥まったテーブルに、オーフェンらはいた。
どこから入り込んだのか、少し大きめの蛾 が、ひらひらと飛んでいる。
「で、なんで俺の『ひと月分の食料奪 取 大作戦』を妨害したりしたんだ?」
「いえ、あの......ぼくの話聞いてました?」
なぜか困ったように、スレイ──だがオーフェンは、気にもせずに缶詰をテーブルの上に置いた。コン、と乾 いた音がする。
「俺はこの綿 密 な作戦を立てるのに三日間を要した」
「いきなり遅 刻 しそうになったくせに」
つぶやいたのは、スレイではなかった──
テーブルにもうひとり、こざっぱりした印象 の、黒髪の女が座 っている。スーツ姿の、清 潔 そうな女である。彼女のほうを向きやって、オーフェンは半眼で言った。
「宿 を出るときに、お前が邪 魔 したんだろーが、コギー......」
「そーゆう言い方ってないでしょ」
と、彼女、コギー──本名コンスタンスは、不 機 嫌 そうに口をとがらせた。なんとなく、テーブルの上の桃缶に手を伸 ばしながら、
「わたしの仕事に協力してくれるって約束じゃない。なのに、なにかと思えばそんなくだんない理由で──」
「くだらない⁉ 」
叫びながらオーフェンは、桃缶をコンスタンスの手のとどかないところまで移動させた。
「てめえ、俺がこの特売にどれだけ賭 けていたか──」
「へへーん! 普段わたしを無能呼ばわりしてるくせに、買い出しもできないのね。こないだのわたしの武勇伝を聞かせてあげるわ! 閉店大処分市に群 がるオバさんたちをちぎっては投げちぎっては投げ──」
──とうとうつかみ合いを始めたふたりに、ばんっ! とテーブルをたたいてスレイが大声で叫んだ。

「待ってくださいいいいっ!」
「............?」
首をしめたままで動きを止め、オーフェンは呆 然 と少年のほうを見やった。スレイは、青い髪を振り払うようにかぶりを振って、
「なんであれ暴力は駄 目 ですっ! 力で解決できることなんて、この世にはなにひとつないんですよっ!」
「いやこれは......」
「暴力というか......」
と、スレイのほうに向き直ってオーフェンはつぶやいた。
「言い訳しないでくださいっ!」
スレイは、ぐっと拳 をにぎり、
「世の悪っ! 即 ちそれは暴力です! ぼくは──」
「......ねえ」
横から、コンスタンスが口をはさんだ。げんなりと。
「君、その、なんでそんなに力 んでるの?」

「ぼく......力んでますか?」
「たっぷり」
「そのうち子供が生まれるんじゃないかってくらい」
ふたりにきっぱりと言われて、スレイは、少し気にしたように顔を曇 らせた。
「分かりました......」
と、椅 子 に深く座り直す。拳もゆるめ、コホンと咳 払 いなどしてから、
「えーと......ですから、あの、駄目なことは悪くしてない、誰 もそんなしたくないなんてぼくは言って──」
「力め......いいから」
「暴力を愛する人なんているわけがないんですっ! いいですか、素 直 になって、あるがままの自分の心を受け入れれば、他人を傷つけるなんてことはできっこないんです!」
「別にいいけど......」
「結局お前......いったいなんなんだ?」
ぽつりとオーフェンが聞くと、待ってましたとばかり、スレイが目を輝 かせる──
「つまりっ!」
少年は左手など振り上げ、無意味なポーズをとりつつ、きっぱりと言い切った。
「世の不 条 理 を正すためには力が必要でしょう。だからぼく魔術士になりたいんです!」
オーフェンはいきなり疑 わしげに見返すと、うめいた。
「いーけどよ、別に......それって思い切りテロリストのせりふだぞ」
「なにを言うんです!」
スレイは、とんでもないとばかりに形相 をひきつらせると、
「力を振るったりはしません──つまり、手本になることが目的です! 強い力を持ちながら、それを自分のためには使ったりしない! こーいう人間がいるというだけで、世の中なにか変わるのではないでしょうかっ!」
「耳が痛いでしょ、あんた」
「うっせぇなあ」
指をさして言ってくるコンスタンスに、オーフェンは嫌 そうに応じてから、また少年のほうに向き直った。
「つまり、奥ゆかしいさすらいの正義の味方になりたい、てわけだな?」
「そ、そー言われるとなんか恥 ずかしいですけど......まあ、そんなところです。では先生、今日からお願いしますよ」
「............」
「............」
オーフェンは、コンスタンスと並んでふたり、きょとんと沈 黙 した......天井 近くをのろのろと揺 れている蛾 の動きなど目で追って、少し考える──そして、ふと気になってつぶやいた。
「今なんか、不 思 議 な展開がなかったか?」
「わたしもなんか不自然さを感じたけど」
「なに言ってるんですか。さあ、さっそくですけど講義を始めてくださいよ先生──」
「それだああああっ!」
どん、とオーフェンは椅 子 を蹴った。テーブルの上に手をついて、
「なんで俺が、お前を生徒にしてやらにゃならんのだっ!」
「な──なぜって! こうして運命の出会いをした師弟は、激 しく惹 かれあいながらも反発し、やがて炎 の友情を芽 生 えさせて共に巨悪に立ち向かうというお約束が──」
「どこの巨悪だ、どこのっ!」
「巨悪ならどこにだってあるでしょう! それにっ!」
と、スレイは、唐 突 にひたと真剣な目を見せた。こちらを──こちらの胸 元 を指さして、
「その紋章 のペンダント──《牙 の塔 》のものでしょう? あなたが《塔》出身の魔術士だとすれば、あんな街 外 れのケチな三流魔術士に師事するまでもない。あなたに弟子入りするのがてっとりばやいでしょう」
「てっとりばやいって、お前なあ......」
半眼でつぶやく横で、コンスタンスも立ち上がる。すらっと、自分のスーツの胸に手を当てて、静かに告げる──
「あなた、この人を甘く見ているわ」
「うっ............」
彼女の気勢に気 圧 されたように、スレイ。突き付けていた指も引っ込めて、コンスタンスの視線を受け止めている。
静まり返った酒場に、蛾の羽ばたく音すら響く......
「そうだ」
オーフェンは後を継 ぐように、
「確かに俺の育った《牙の塔》は、大陸黒魔術の最 高 峰 といわれている──が、それも、死の危険を常にはらんだ訓練を──」
が、コンスタンスはあっさりとそれを無視して、自分で続けた。
「どんなに立 派 な理想があっても、朱 に交われば赤くなるのよ」
「ちょっと待てぇい!」
オーフェンは彼女の肩をつかんで制しようとしたが、彼女はそれに必死で抵 抗 しながら、
「『自分だけは大 丈 夫 』なんて考えちゃ駄目よ! 誰もがそう思うのに、誰もが堕 ちていくの! 生き残るのは用心した人だけ──くさいものにかかわっちゃ駄目なのよ!」
「......お前って、意外と教育ママになりそーだな......」
半 ばあきらめて、オーフェンはぼやいた。
「そーですか......」
なにを納 得 したのか、うんうんとスレイはうなずいている。
「つまり、ぼくの適性を確信できない、とゆーわけですね?」
「誰もンなことは言ってないが──でもまあ、それもあるな」
オーフェンは、ぼりぼりと頭をかきながら説明した。
「魔術ってのは素 養 なしには絶対に身につけることはできねえからな。純粋 に遺 伝 する素養だから、無理な奴 は果てしなく無理だ」
「その辺は、ご安心ください」
あからさまにうさん臭 いしぐさで一礼してから、少年は胸を張 った。
「適性検査も受けてあります。ぼくは今は天 涯 孤 独 の身ですが両親とも魔術士でしたし」
「まあ......それは信じてやるが......」
「あ。もちろん授業料はお支 払 いしますよ」
「......天涯孤独とか言ってなかったか? 金なんてどこにあるんだよ。言っとくが、魔術士の訓練料は安いもんじゃねえぞ──」
「大丈夫です!」
スレイは、どんと胸をたたいた。
「幸いぼくは顔がいいので、お金をくれる女の人はたくさんいます!」
「............」
「........................」
オーフェンは、聞き違いかと思いながら小首をかしげた。
「今なんか......」
「また不思議なことを聞いたような気がするけど......」
コンスタンスも同様に、首をひねっている。
「どうかしましたか?」
スレイは、なにごともなかったようににこにこしていた。
「............」
オーフェンは、腕組みして少年を観察した。スレイは快 活 そうな笑顔でこちらを見ている──邪 気 ひとつない眼 差 しだが、なんとなく、なにか引っ掛 かるものを感じる。
「なんにしろ、多少はテストさせてもらいたいな──俺だって忙 しいから、見 込 みのない奴を訓練するようなことはしたくない。魔術士だけが人生でもねえしな」
「それは分かっているつもりです! まずはなんですか?」
熱意に気圧されて、オーフェンは適当に口走った。
「じ......じゃあ体力テストだ。外に出ろよ」
「はいっ! ああ、これがぼくの誠実な人生の第一歩となるんですね!」
スレイは能 天 気 にそう叫ぶと、近くに漂 いきていた蛾を無 造 作 に左手ではたき落とし、すかさず靴 で踏 ん付けた。ばん、という音と、つぶれた蛾とが、床 に残る。
「じゃあ、さっそく行きましょう!」
スレイはさっそうと店から出ていった。
「............」
オーフェンは、床の上のつぶれた蛾を見つめながら、ぼんやりとつぶやいた。
「なんかまた、不思議なものを見なかったか......?」
「わたしも、不自然さを感じてるとこなんだけど......」
だがそのときはなにも気づかずに、ふたりは首をかしげながら、スレイを追って店を後にした。
「よーし。そこから走ってみ──ろ......」
大声で言ったそのせりふは、終わりのころには尻 すぼみに小さくなっていた──向こうから走ってきたスレイが、あっと言う間に目の前を駆 け抜けていったのだ。
数メートルほど通り過ぎてから急ブレーキをかけてスレイが振り返る。裏路地街の石 畳 の上に、少年の靴がこすれた跡 が残っていた。
「どうですっ⁉ 」
「いや......めちゃくちゃ速いな、お前」
呆 然 とオーフェンが言うと、スレイはガッツポーズなどとり、
「もちろんです! 獲 物 を逃がしたことなんてないんですから!」
「......え?」
と、息が上がった少年に、どこから持ち出したものかタオルなど渡していたコンスタンスが、怪 訝 そうに声をあげる。スレイはタオルを受け取って、気にせず続けた。
「いえ。駆けっこは昔から得意なんですよ。そのほか、体力には自信があるんです──立派な人物は立派な肉体を持っているものだ、ていうのが死んだ父さんの口 癖 でしたから」
「......親 父 の死因は?」
「心 不 全 です」
「立派な肉体ねえ......」
オーフェンはうめいたが、
「ま、なんにしろ、体力に自信があるってのはホントみたいだな」
「次は、どうするんです⁉ 」
タオルで頭をふきながら、スレイが言ってくる──オーフェンは、少し考えてから思いついた。
「宿の中にもどるんだ」
「......で、なんで料理なんですか?」
宿の主人に借りた厨房 で、包丁 など構 えてスレイが聞いてくる。オーフェンは即答した。
「なんとなくだ」
「............」
「いや、だから、ここで一般常識とかテストしても、最初から答えとか準備してきてる可能性もあるだろ? だから抜き打ちで全然関係ないことをやらせてその結果を見てみる」
「......でも、なんで料理なんです?」
「別に、そーいえば腹が減ったなーとか思ったからな。別に缶詰の特売に出遅れた怨 念 じゃないぞ」
「しつこい......」
と、コンスタンス。
「まあ、いいですけど......」
スレイは、保冷庫から出してきたばかりの魚を、調理場の上にでんと転がした。
地下室で、氷で冷やされた魚は、かちかちとはいかないまでも霜 が降りるほどには凍 っている──スレイはまず包丁を縦 に魚のエラのあたりに突き立てると、ぐいと力を入れた。
がち、と包丁の刃 がずれて、魚からずり落ちる。表面をこすって鱗 を一枚傷つけたが、それだけである。
「けっこー難 しいですね」
ぽつりと、スレイ。あきらめずにまた、今度はノコギリのように包丁の刃で魚の頭を落としにかかる。
後ろから、オーフェンは忠告した。
「その使い方は危ないんじゃねえのか? 俺もよく分かんねえけど」
「おろしがねを使ってみるってどう?」
と、コンスタンス。
「い、いや、この使い方で大 丈 夫 なんだと思います......ぼくも燃えますし」
「............?」
オーフェンは、ふと眉 をひそめたが、
「あんまムキになんなよ。お前の指なんて落としたところで、俺は食わないからな」
「おいしいのに......」
「......へ?」
「いえ別に。それにしても、つらいなあ......おかしいですよ──ヘンだ! くそ!」
いきなり、スレイは声をあららげた。
「どうなってるんだ! 切れないわけがない! 包丁なんて使い慣 れてるのに! くそ、凍ってるのが悪いんだ、やっぱ生 でないと──それも死んだ直後!」
「きゃああああっ!」
「わぁっ! たっ──なんでもいいから、包丁を振り回すんじゃないっ!」
もはや魚は無視して、包丁だけを振り回して絶叫 するスレイを、オーフェンは真正面から平手で殴 り倒した──なすすべもなく少年は倒れ、からん、と包丁も床に落ちる。

はあ、はあ......と肩で息をしながら、尻 餅 をついたままの姿勢で、スレイがつぶやいた。
「あ、あれ? ぼくなんか言いました?」
「それは俺が聞きたい......」
「死ぬかと思ったわ」
「す、すいません! その、ちょっとプライドに触 れたもので......」
「プライドって、別にお前料理人じゃあるまいし......」
コンスタンスに手を貸して起き上がらせてやりながら、オーフェンは聞いてみた。スレイは自分で立ち上がりながら、打たれた鼻を押さえて小声でぼそりとつぶやいた。
「だって......ぼくがなにかを斬 り損 なうなんて、逃げ足の速いマリゴールド以来だ......」
「ちょっと待て、今のは聞きとがめたぞ!」
オーフェンは、びしりとスレイを制した。
「さっきからお前、なんか不 穏 当 な言動が続いてるよーな気がするんだが、どういうことなんだ⁉ 」
「どういうって......なにがですか?」
あっけらかんと、スレイ。オーフェンはコンスタンスを背後にかばうと、警 戒 するようににじりよって、
「気が変わった──一般常識もテストする」
「まあ、テストはなんでも受けますけど」
「質問に答えろ! お前、人に『なんか危ない』とか言われたことがないか⁉ 」
「え、ええ......しばしば。それも言葉の暴力というやつで、ぼくという人間をよく理解もせずに中 傷 するというのは──」
「もーいい! 次! 尊 敬 する人物は⁉ 」
「この前不幸にも捕 らえられてしまったスカルコレクターさんとか......まあ、新聞記事スクラップしましたけどね」
「し......趣 味 とか聞いてもいいか⁉ 」
「毛糸玉をバラバラに切り刻 むのって、とてもいいですよ。悲鳴とかあげませんから、近所の人も騒 ぎませんし......」
「だあああああっ!」
オーフェンは、頭を抱 えて叫んだ。
「朱に交わるとかいう以前に、既 に真 っ赤 じゃねえか、こいつはっ!」
「......上には上がいるのねー。それとも下には下かしら。この場合」
拳を口元に当てて、しみじみとコンスタンス。あわてた様 子 で、スレイが声をあげた。
「ちょっと待ってくださいよ! さっきから、まるで人を社会不適合者みたいに──」
「はっきりとそうだっ!」
「な──なんてことを言うんですかっ! 確かに、人の唱 える理想というのは、聞いている分には耳が痛いかもしれませんっ! でも、それに耳を傾 けてこそ真の進歩が──」
「主張だけ好青年になるんじゃねえっ!」
「それを実現するために、あなたに弟子入りしたいって言ってるんじゃないですか!」
「きっぱりと無理だ、どあほぉぉぉっ!」
オーフェンの怒りの蹴りが、スレイの顔面に炸 裂 する。
と──
「くぉらあああああっ!」
同時、がたーん! となにか倒れる音。オーフェンはとっさにコンスタンスと顔を見合わせた。スレイも起き上がってつぶやく──
「今のは......」
「店のほうからだ!」
三人は、だっと厨房を飛び出していった。
「あのガキを出せやぁぁっ!」
髪の長い、ただし中年顔の痩 せた男が、わめきながら手近な椅子を蹴転がす。その後ろで、剃髪した大男も大声をあげた。
「ここにいることは分かってんだからな!」
「──お前たちはっ⁉ 」
厨房から飛び出して、ふたりの顔を見るなり、オーフェンは思わず声をあげた。長髪のほうはともかく、大男のほうには見覚えがある──今 朝 の、マクミトンとかいう魔術士の教室で、スレイを追い払った受付係だ。
「......知り合いか?」
カウンターの中から、マイペースな口 調 で宿の主人が聞いてくる──気楽にグラスを磨 いている彼に、オーフェンはかぶりを振った。
「違う。でもすまない。俺を訪 ねてきたらしい──」
「用事があんのは、てめえじゃなくて、ガキのほうだコラ!」
長髪が、首を傾けてすごむ──
「あんガキがてめえと連れ立ってどっかに行ったってから、ここにいるんじゃねえかと思ったんだ! てめえは有名だからな! 金貸し魔術士!」
「な、なんてことだ──」
驚 いたような声に振り向くと、スレイが拳をにぎって立ち尽 くしている。
「とうとう巨悪が現れた! さあ先生、幸いにも炎の友情は結 託 ずみです! 力を合わせて悪を説得しましょう!」
「ちょい待てぇいっ! それは聞き捨てならねえぞ、いったいいつ結託した、いつ⁉ 」
「意見が対立して、殴り合ったじゃないですかっ! マニュアルによれば、もうこれでお互いを真の友として認め合ったはず......」
「意見も対立して殴りもしたが、お前なんかと友情を結んだ覚えはないっ!」
「冷たいです、先生っ!」
「先生と呼ぶなっ!」
「やかましいいいいいっ!」
絶叫 したのは、長髪の男だった──全力で叫んだのか、息を切らしながら、続ける。
「俺らを無視するんじゃねえっ!」
「......あいつら、あの顔で寂 しがり屋さんみたいですよ、先生」
「やめい、ちゅーに......」
と──突然、酒場に澄 んだ声が響く。
「そこまでよっ!」
見ると、それはコンスタンスだった──誇 らしげに派 遣 警察官の身分証を掲 げ、すごみをきかせているふたりに向け、命令している。
「派遣警察官のコンスタンス・マギーよ。不 法 侵 入 に器物破損の現 行 犯 ! 状況によっては恐喝 も加えますからね! 神妙 にすれば、とりあえず酌 量 の余地もあるわよ!」
「......なあ、コギー......」
ぽつりとしたオーフェンの声に彼女は、
「なに? 今忙しいんだけど......」
「なんでカウンターに隠 れてるんだ......?」
オーフェンは半眼で、そう聞いた──コンスタンスが誇らしげに掲げているのは、カウンターの上にぴょこんと飛び出した腕 だけで、あとはその下に身を隠している。
絞 め殺されるような沈 黙 が流れて、やがてコンスタンスが答えてきた。
「だってあの人たち、顔が怖 いんだもん」
「......とりあえず、彼女のことは気にしないでおいてくれ」
オーフェンはなにも答えずに長髪と大男に向き直ると、そう言った。なんとなく納 得 したのか、長髪らもあえて突っ込んだことは聞いてこない。スレイが叫んだ。
「そういうこと! 先生の背後を守るのは、このぼくだけってことさ!」
「てめえに守られるんなら、後ろむいててめえを警戒して戦ったほうがマシだ」
「また、そーゆうことを......」
「だから、俺らを無視すんなああああっ!」
再び、長髪の絶叫 。オーフェンはうるさそうに顔をしかめながら、じろりとにらみやった。
「うっせぇな。だいたい、てめえらなんなんだよ、いきなり現れやがって」
「そこのガキだよ!」
長髪は、顔を怒りで真っ赤にして、スレイを指さした。
「今朝の腹いせだかなんだかしらねえが、裏庭にずだ袋 なんぞほうり込んでいきゃーがって! やたら臭 うんでなにかと思って開けてみりゃ、てめえ犬の死体なんぞ入ってるじゃねえかっ! どーいうつもりなんだよっ!」
オーフェンはスレイを半眼でにらみやった。
「ンなことやってたのか? いつの間に」
「確かにやりましたけど......誤解ですっ!」
スレイは、ぱっと右腕を振った。
「袋に入れたのは犬の死体なんかじゃありませんっ! ただの縫 いぐるみですっ!」
「な......なんでい。そんなことか」
拍 子 抜 けしたように長髪が息を漏 らす──あるいは、安 堵 したのかもしれないが。
スレイは、あっさりと後を続けた。
「ちなみに、その縫いぐるみの中になにが入っていたのかというと......」
「聞きたくない聞きたくないっ! それ以上は言うなあっ!」
オーフェンは両耳を押さえて絶叫した。長髪と大男も、なにやら不 気 味 なものを感じたのか、そこはかとなく及 び腰 になっている。
「と──とにかくっ! そのせいで、俺らは先生に大目玉を食らったんだからな! 落とし前はつけさせてもらうぜ! 魔術士にケンカ売った我 が身の不幸を嘆 け!」
「ふっ! 説得力といえば暴力しか発想できない愚 か者 が! このぼくの言葉に説得されて、改心して幸せになるがいい!」
脅 しだかなんだか不明のことを叫んで、スレイがさっと前に出る。彼は腕を横に振ると、
「たとえば在 りし日の少年の思い出!」
「ほ......ほう」
とにかく勢いで押されて、思わずうなずき返す長髪。スレイは、澄んだ声できっぱりと、
「思い出すんだ! 素直な目で真っすぐになにかを見つめていたあのころの自分を! 澄んだ眼 差 しで見たものは、なんでも美しく見えたものだ! なにかに怯 えているから、刺 だらけの言葉で身を守らなければならなかったのだろう?──だが、それはいつからのことだ⁉ そんなものが必要なかった時代があったはずだ......」
「たとえば?」
ぽつりと、大男。スレイはまったく変わらぬ口調で続けた。
「カエルのお尻 にストローを──」
「やめんかあああいっ!」
後ろからオーフェンに蹴り倒されて、スレイはびっくりしたように跳 ね起きた。
「な──なにをするんですかっ⁉ 」
「お前、説得の内容がめちゃくちゃじゃねえかっ!」
「なに言ってるんですか! 少年の素直な心は自分のやりたいことに正直だってことを言いたかったんです! なんの矛 盾 もない! カエルで遊ぶのは基本中の基本です!」
「ああああっ! こいつ、本気でイッちゃってるぅぅっ! もー嫌 だぁぁっ!」
「おい、てめえら!」
いいかげん、辛 抱 たまりかねたような口調で、長髪が叫ぶ。
「さっきから何度も言ってるが、俺たちを無視するんじゃ──」
と、そこまで言って、長髪は動きを止めた。
ふつ──と、その場に倒れ伏す。その首筋に、一本の黒 塗 りのダーツが突き立っていた。
そのダーツを投げたのは、酒場の入り口に立っているコンスタンス──
「んな⁉ 」
大男が、仰天 したように叫んだ──そして、カウンターのほうを見やる。カウンターにはまだ身分証と、それを掲げる腕とがある。が、いつの間にか、その腕はなにやら太く、ふしくれだったものに変わっていた。
ぬっ──と、身分証を片手に、宿屋の主人が顔を出す。
「わしも、まだまだ『手』で商売できるかもしれんな」
にやりとそんなことをつぶやきながら、身分証をグラスに持ち替え、またマイペースに磨きはじめる。
「注意を引き付けといてくれてありがとね」
と、コンスタンスは、また新たなダーツをスーツのポケットから取り出しながら、
「ごめんなさい、遅くなって。勝手口から回ってきたんだけど、ちょっと迷っちゃった」
「いや。そのっくらいがお前らしいよ」
オーフェンは片手をあげて返事した。大男が、よほどかっとしたのか、剃髪した頭にひときわ大きな青筋を立てるのが見えた。
「くそ! フェイクか!」
そのまま、右腕をあげて──
「警官ごときにやられるかっ!」
その声を呪 文 にしたのだろう、突き出した腕の先に光が膨 れ上がり──
「我 抱 きとめる、じゃじゃ馬の舞 !」
オーフェンが、叫んでいた。
瞬間、大男の構成していた魔術が、あっけなく霧 散 する。それを見越していたように、コンスタンスは軽く身構えて──
彼女の投げたダーツは、かなりあっさりと、大男の腋 の下に命中していた。
「じゃ、わたしこいつらを連行してくから」
背中合わせに縛 り上げられ、弛 緩 毒 でマヒしたふたりを、コンスタンスは引きずるように道に連れ出していった。一応、最 寄 りの警ら所から応 援 の警官も呼んで、ふたりがかりで連行していく。

酒場の出口までそれを見送り、オーフェンはとなりにいるスレイにつぶやいた──
「ま、あんな無能警官でも、信 頼 さえできりゃ、こんな連 携 もできるってことさ」
「......でも、あなたひとりでも、あのふたりを取り押さえるのは簡単だったでしょう? なんでわざわざ、彼女が回り込んで......」
スレイの問いにオーフェンは肩をすくめた。
「彼女が逮 捕 しなけりゃならないんだ──本来はな。民間人の俺が取り押さえても、ただのケンカになっちまう。彼女が拘 束 しないと、逮捕したことになんねえ」
「そこまで......」
「ま、状況によっちゃ、ンな細かいこと言ってられないときもあるが......」
オーフェンは、さっと向き直った。店の奥のカウンターで、まだグラスを磨いている宿の主人を眺 めながら、
「なんにしろ、なんだかどっと疲れたよ」
「オーフェンさん......」
スレイはぐるりとこちらの前に回り込んだ。
「感動しましたっ!」
「......へ?」
「ぼくは暴力を嫌って、それを根 絶 することしか考えていませんでしたけど......」
「自覚症状ないのか、てめえは......」
オーフェンが毒づくのだが、スレイは聞いていない。
「あなたは本当の意味で力の使い方を知っているという気がしますっ! 誰ひとり危険な目にあわせないで、あんな連中を取り押さえてしまうなんて!」
「ま......まあ、それほどでもあるけどよ」
「改めてぼくを弟子にしてください!」
「それはヤだ」
オーフェンはきっぱりと言うが、少年はまったく無視して、胸元で手を組み、目に星を浮かべて続けた。
「ありがとうございますっ! じゃあ、今日から始まる友情の証 しに──」
スレイは、さわやかに快活な手つきで──なにかをかき切る仕 草 をした。
「にわとり首切りパーティーなんてどーですっ⁉ 」
「やめろっちっとるんだぁぁぁぁっ!」
オーフェンの怒りの──いや恐 怖 の肘 が、スレイのこめかみを直撃する──
トトカンタ市の午後──街は平和だということになっていた。
(てめぇにつきあう義理はねぇ!:おわり)

「オーフェン♪ おっはよー」
朝──彼女は、笑 顔 で現れた。
きっちりとスーツを着た、若い女。いつもの宿のいつものテーブルに、すたすたと近づいてくる。
オーフェンは、ため息で出迎えた。二十歳 ほどの、皮 肉 っぽい造 作 の男である。黒ずくめの格 好 で、いつもの吊 り上がった双 眸 は、寝起きのせいでまだぼんやりとしていた。
「コギー......」
と、あまり長くない黒 髪 をかきあげながらうめく。テーブルの上のトーストは半分だけかじられて、あとは冷えて固まっている。
彼は、正面の椅 子 に気楽に腰掛ける女──コンスタンスを見返しながら続けた。
「なにしに来た......?」
が、コンスタンスはにこにこしたまま、あっさりと問いかけを無視した。あごの下で手を組んで、テーブルに肘 をつく。
「朝って、なんか理由もなく気分がよくなるのよねー」
じろりと半眼で彼女の顔を見上げ、オーフェンは警 戒 した。
「ひょっとしてと思うんだが......」
「すべての始まりよ。幸福な、今日という日の始まり♥ 分かる? 誰 もが幸福でいられる幸福な時間よ、朝って」
「まぁた、てめえの仕事に俺 を巻き込 もうとか考えてねーか......?」
「でもねオーフェン──こんなつましい街 の平和も、ささいなことで壊 されてしまうの。それを防ぐために、みんなに頼 られる派 遣 警察官として、わたしたちは休んでなんかいられないんじゃないかしら......」
「俺はヤだからな」
「............」
きっぱりとオーフェンが告げると、彼女はしばし硬直 して──
「オーフェェェェェェンっ!」
がばとテーブルに身を乗り出し、泣きついてきた。
「実は、ここんところ失敗続きで減 俸 させられそうなのよー!」
「知るかあああっ!」
オーフェンは、ばんとテーブルをたたいて立ち上がり、
「ったく、この無能警官はっ! ろくに仕事料も払 わねえくせして、やたら人を頼るんじゃねえっ!」
「ううう......だってだって、みんなずるいのよ。先週の連続宝石強盗団は自分で出した予告状の時刻をちっとも守らないし、一昨日 の密輪団は積み荷をカムフラージュしてわたしを困らせるの」
「......当たり前じゃねーか......」
オーフェンがぼやくと、コンスタンスは跳 ね起きるようにして大声をあげた。
「なにがよっ! 悪いことをしてる上にそれを隠 し通そうなんて、お母さんが聞いたら泣くに違いないわっ!」
「まあ、泣くかもしれんが......」
いきり立つ彼女を落ち着かせるように手を下へ下へと振 りながら、
「にしてもお前、せめてなんか捕 まえた奴 とかいねえのか?」
「いるにはいるわよ」
ぶつぶつとコンスタンスは、椅子に座 り直した。両手の人差し指をからめるようにしながらもごもごとつぶやく。
「昨日 ──昨夜 ね、放火魔を捕まえたの。大陸指名手配のね」
「お手 柄 じゃねえか」
「うん......誉 めてくれてありがと。でもね、道 端 で油瓶 を持ってうずくまってるから、これはと思って人を呼んで袋 だたきにして連行したんだけど......」
「ほう」
「取り調べをしてみたら、これが実は単に油を飲むのが趣 味 の人が立ちくらみをして道に座ってただけだったのよね」
「逮 捕 しとけ......そんな奴は......」
「そーもいかないでしょ。たっぷりとお叱 りを受けちゃったわよ。次にまた似たようなことがあったら『かなり覚 悟 をしとけよ』って」
と、深 刻 な表情で身 震 いする彼女を見返しながらオーフェンは自分の胸 元 をなでた──なんとなく嫌 な予感がするときにしてしまう癖 なのだが、指先が胸のペンダントに触 れるとそれなりに安心する。大陸黒魔術の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ黒魔術士の証 し──剣 にからみついた一本脚 のドラゴンの紋章 である。
慎重 に、オーフェンは聞いた。
「......で、俺にどーしろと言うんだ?」
「ん♥ また捜 査 に協力してほしいの」
はあ──と嘆 息 し、オーフェンは目を閉じた。こめかみに指を当て、
「コギー......」
「なに?」
まったくなにも分かっていない笑顔で、彼女は聞き返してきた。オーフェンは目を開けて、じっと真剣に彼女を見つめた。
「プライドとかなんとかねーのか、お前は......いいか、俺は民間人なんだぞ」
「プライドなんて、つまらないわ」
コンスタンスは、ひたとこちらを見つめ返して、真 摯 なしぐさで、ぎゅっとこちらの手をつかんできた。
「大事なのは、この街の平和よ......それを贖 うことのできる自尊心なんて、絶対にあるはずがないじゃない」
「......本 音 は?」
半眼でオーフェンがつぶやくと、彼女は結 構 あっさりと漏 らした。
「......減俸されちゃうと、新しい日焼け止めのローンが払 えないの」
「日焼けだけ止めて飢 えて死ね。俺の知ったことか」
オーフェンはそう言うと、席を立った。すがりつくようにコンスタンスが回り込む。
「なんでそんな冷たいこと言うのよー!」
と、祈るように手を組んで続ける。
「それにね、仕事っていうのも、とっても簡単なのよ。話だけでも、ね♥」
「話だけでもねえ......簡単って、どーいうことなんだよ」
半眼で見下ろしながらオーフェンが聞くと、彼女は、ぱっと顔色を明るくした。懐 から、茶色の角 封 筒 を取り出して、
「あのね、この重要書類を──」
と──
ばんっ! と弾 け飛ぶように、扉 が開く。同時に声。
「そこまでだっ!」
扉を蹴 り開けて店内にずかずかと入り込んできたのは、数人の男たちだった。みなまちまちの格好で、風 体 からすると、ただのごろつきの類 いらしいが。
その中のひとり、どう見ても最年少の十七、八の少年が、ぴっと口元に親指を立てて言ってくる。
「姉ちゃんよ......その封筒は、俺たちがもらうぜ」
「ええっ⁉ 」
手に持った封筒を胸元に抱き、コンスタンスが驚愕 の声をあげる。
少年は、くっくっと笑って、
「このターナ様に見つかったのを不運と思うんだな。言っとくが俺をただの子供ギャング だと思うなよ。そこの男もだ。おかしな動きを見せるんじゃねえぜ」
が──
「............」
オーフェンは、ただ冷たい目で、彼らを見つめるだけだった。横で、自分の態度を不 思 議 に思ったのか「?」とこちらを見上げているコンスタンスにも一 瞥 をやってから、オーフェンはため息をついてかぶりを振った。
「な──なんだその態度はっ!」
少年──ターナとか名乗っていたが、とにかく少年が、怒 りの声をあげる。
「てめえ、俺をなめてんのか! この界 隈 じゃ、雷 のターナと呼ばれたこの俺様を! この野 郎 、黙 ってねえでなんか言ってみ──」
「......芝 居 はやめろ」
「そーか、そーゆうつもりなら......って──へ?」
オーフェンのつぶやきに、ターナとやらは、きょとんとした表情をしてみせた。
コンスタンスも、びっくりしたようにこちらを見ている。
「芝居......?」
聞き返してきたのは、コンスタンスだった。オーフェンはそちらに向き直ると、
「出来過ぎの、ざーとらしいタイミングにざーとらしいエキストラ。なんぼなんでもコギー、俺をなめすぎちゃいねえか?」
「え? ちょっとオーフェン、わたしにはなんのことだか──」
「とぼけんなよ。どぉぉぉぉぉぉぉしても俺を仕事に巻き込みたいから、こんな茶 番 をでっちあげたんだろが。いいかコギー、お前もたいがい、こーゆう悪 戯 しても可愛 いって歳 じゃなくなってきてるんだぞ」
「あ、あの、オーフェン、なんか誤解してるでしょ──」
言いかけてからコンスタンスは、ふと気づいたように、ぱっと怪 訝 な顔をした。
「あなた今さりげなく、ものすっっっごく失礼なこと言わなかった⁉ 」
「気のせいだろ」
オーフェンはそっけなく答えると、すたすたと店の入り口のほうに歩きだした──つまり、ターナとその仲間のほうに。
当のターナは、近づいてくるこちらに、いきがるように指をさすと、
「おい──てめえが勘 違 いして、こっから出ていくのは勝手だがな、俺らをマッポどもの犬と思って出ていかれるのはこっちとしてもおもしろくねえんだよ」
そうだそうだ、というふうに、少年の仲間たちがいっせいにうなずく。全員二十代の始めから終わりまでをそろえたような感じで六人、血のめぐりの悪そうな連中ばかりである。
オーフェンは歩速もゆるめず少年の目の前まで進むと、冷たく見下ろして、
「分かった。警察の餌 拾 い猿 」
ざっ──と音を立てて、ターナらの顔色が険悪に変わる。オーフェンは気にもせずに、
「いいからどけよ。司法権力に餌 付 けされたてめえら金魚小 僧 どもとは違って、俺は自分で金を稼 がにゃ食っていけねえんだからな」
「......どこ行くの?」
と、これはすぐ後ろをついてきていたらしいコンスタンス。オーフェンは振り返らずに、
「最近、わりのいいバイトを見つけたんだ。身なりのよさそーな人を見つけてだな、後ろをくっついてってしつこく『靴 を磨 かせてくれ』と言っていると、たいてい小 遣 いをくれるんだな」
「......とてもいばれたことじゃないと思うけど......」
うめくコンスタンスに、ぱっとオーフェンは向き直り、
「なに言ってんだ! いいか、一昨日 なんて楽器屋でトランペットまで買ってもらえそうになったんだからな!」
「一昨日って......あんた何日もそんなことやってるわけ?」
「今だああああっ!」
と──唐 突 にターナが声をあげて、近づいてきていたコンスタンスの手の中から、素早く封筒を奪 い取る!
「────!」
瞬間 、場の時間が止まり──
「......仕事は長く続けないと芽 が出ないもんだろ」
オーフェンは真 顔 で、コンスタンスにそう言った。
「お願い......無視しないでくれ......」
封筒を手に、ポーズをとったままでしくしくと、ターナ。
「リ、リーダー、負けないでくだせえ!」
仲間たちが、声 援 を送っている。
その隙 に、コンスタンスが少年の手から封筒を抜 き取った。
「しまった!」
ターナが叫 び──多分かまってもらえたのがちょっと嬉 しかったのだと思うが──、妙 に明るい顔でコンスタンスと対 峙 する。
彼女は封筒をまた懐 にしまいながら、ポケットからダーツを取り出した。
「これは絶対に渡さないわよ──カニディアン・コーンの春の新作日焼け止めのためにも、この任務に失敗は許 されない!」
「......ンな猿芝居、いつまで続けたって俺は乗らないかんな」
オーフェンはにらみあっているコンスタンスとターナをしらけた眼 差 しで眺 めつつ、そう言った。身体 をわななかせて、コンスタンスがわめく。
「芝居じゃないのにー!」
「最近、俺はだまされないことを覚えた」
オーフェンはあっさりと言って、ターナの仲間たちを適当に押し分けて店を出た。彼の開けた道を通って、コンスタンスもおもてについてくる。
「ちょっと強情 よ! なんか嫌なことでもあったわけ⁉ 」
後ろからの声を適当に避 けるようにして、ポケットに手を入れてふらふらと、オーフェンは道を進んだ。
「......わけの分からん派遣警察官が押しかけてきて、毎日のよーに俺をただ働きさせようとしてるんだ」
「そんなのは日常茶 飯 事 でしょ!」
「そーゆう生活にピリオド打ちたいから、ちったぁ賢 くなろーとしてんだっ!」
とうとう立ち止まって怒 鳴 りあっていると、ふと、いきなり声がかかる。
「待て待て待てぇいっ!」
見ると、ターナとその仲間だった。店から出てきて、ばらばらと行く手をふさぐように回り込むと、指を伸 ばした腕を、ざっと横に振 り、
「そ、そっちこそ、ンな猿芝居でこの場をごまかしてトンズラしようなんて、考えが甘いぜっ!」
「なによ横からうるさいわねっ!」
「この期 に及 んで芝居を続けよーとは、しつこいくらいに義 理 堅 い飼い犬どもだな、てめえら」
「違うのに......違うのに......」
うずくまって、しくしくと泣きながら、ターナ。仲間たちに、円 陣 を組むようにして慰 められている。
「泣かないでくだせえ、リーダー」
「誇 りを失っちゃ駄 目 だと、あんたが言ったんじゃないですか」
「リーダー! ほら、泣き止 まないと俺まで泣きはじめてやすぜ。どーするんです!」
「............」
それは無視して、オーフェンはコンスタンスに言った。
「だいたいお前、そんな封筒一枚ダシにして、俺になにをやらせようとしてんだよ」
「あのねー」
コンスタンスは、言い聞かせるように指を立てた。ダーツはしまって、詰 め寄ってくる。
「この書類はね、この裏路地街を新たに牛 耳 ろうとしている、ケンツォーネ一家を締 め上げるための切り札なのよ。今日中に、司法当局に持っていかなきゃなんないの」
「ンなら、そこらの警官詰め所にでも預 けりゃ、それだけでことは済 むだろ。穴 があるんだよ、お前の嘘 って」
「駄目なのよ! 市街警察にだって、一家のスパイがいないって確証はないんだから。わたしの手から、直接判事に手渡さなきゃ安心できないの」
ぱっと顔を輝 かせて、ターナが立ち上がりかける──
「そ、そのケンツォーネ一家に雇 われたのが、この俺様ってわけ──」
「市街警察にスパイって、たかが都市盗 賊 どもの集まりに、そんな力があるわけねえじゃねえか。オストワルド一家じゃあるまいし」
「それが、あるのよ。急造のギャング団じゃないんだから。アーバンラマの特警から逃げてきた、あの街の老舗 のひとつだから、資金力もコネもあるのよ」
「......うう......嫌いだ、あんな奴ら......」
「リ、リーダー、落ち着いて」
「爪 なんて嚙 んじゃ駄目ですぜ!」
完全に無視されて、本気で泣いているターナをちらりと見やって、オーフェンはまたコンスタンスに向き直った。舌を出しながら、
「へん。またまた矛 盾 を見つけたぞ。そんなたいそうな奴らなら、その重要書類とやらを取りもどすのに、あんなガキをよこすかよ」
「そんなのわたしの責任じゃないでしょ!」
それを聞いて、ぴくん、とターナが動きを見せる──
少年は(こっそりと涙をふいたのが見えた)ぱっと立ち上がり、またポーズをとると、
「俺様を甘く見るなと言ったはずだぜ──」

ざっ──さっ──と、無意味に腕を開く動作。少年は、高らかに叫んだ。
「ストリートの魔王! 魔術使いターナ様とは俺のことだ! 十四のときにストリート・ギャングをまとめ上げたこの力、見た瞬間に滅びるがいいさ! くらえ!」
両手を組み合わせ、頭上に差し上げて──
「魔王が常 闇 から伸ばす指!」
少年が叫ぶと同時、地 響 きが起こり、手近にあったゴミバケツが宙に浮かぶ。それは、そのまま音を立てず、大気を切り裂 きこちらへと突 進 してきた。
「────!」
思わず硬直するオーフェンらに、ターナが哄笑 をあげる。
「後 悔 するんだな──この俺に逆らったことを!」
「すげえぜ、リーダー──」
と──
ぽすっ......
当たり前だが、オーフェンは、飛んできたゴミバケツを簡単に受け止めた。バケツからこぼれたゴミが、ぱらぱらと道路に落ちる。
「............」
しばし沈 黙 してから、オーフェンは、コンスタンスのほうを向きやった。
「だからだ、いいかげん俺に頼ってばっかいねえで、自分の力を磨 くべきだろ」
「年下のあんたにそんなこと言われたくないわよ!」
「だあああっ! こらあああっ!」
ターナが絶叫 した。なぜか恥ずかしそうに紅潮 して、ぶんと腕を振る。
「ひ、人が必殺技まで出したんだ! せめて感想くらい言いやがれ!」
「必殺技......ねえ......」
オーフェンは適当にバケツを持ち替えると、
「どうやら、てめえも魔術士のよーだが......全っ然訓練を受けてねえな。集中がまったくなってねえ。だから──」
「──へ?」
間の抜けた顔でこちらを見返している少年に、オーフェンは無 造 作 にバケツを振りかぶると、思い切りそれを投げ付けた──
「どああああっ!」
なすすべもなく、それをくらってターナたちが転倒する。
オーフェンは嘆息しながら続けた。
「だから、動いていないものは動かせても、動いている対象 にはまったく干渉 できねえってわけだ。威 力 も全然ねえし。警察に魔術士がいないってのはしょうがねえけど、もーちっとマシなエキストラを用意できなかったのか? コギー」
「だから、違うっていうのに......」
疲れたように、コンスタンスがつぶやく。
「ええい、くそ!」
上に乗っている仲間たちをどかして、ターナが立ち上がる。必死の形相 で、少年は再びポーズを取った。
「どうやら、貴様もそこそこの使い手らしいな!」
びしっと右手で左腕をたたいて、続ける。
「しかし、俺は恐 れたりはしないぜ! 自分に匹 敵 するかもしれん強敵に出会うのは、優 れた戦士のこの上なき喜びってものさ! こうなったら手 加 減 しないぜ!」
目を閉じて、天に向かって両腕を差し上げる。込み上げる殺 気 に、彼の周 りの大気もうなりをあげて答え、少年の黒髪は静かに舞 い上がった。
「なかなかやるよーだが、これはかわせるかな⁉ 究極奥 義 ! 連 なる虹 見上げて駆 けよ──!」

彼が差し上げた掌 から、しゅおう、と空気が螺 旋 を描 いて凝 縮 し、静かな静電気を起こす──同時、ぱっと弾 けた火花が、そのまま地面に落ちた。
ぱちぱちぱち......と、火花はネズミ花火のようにそこらを駆け回ってから、数メートルほどの近くに落ちていたリンゴの芯 (ゴミ箱から落ちたやつだ)に当たって、ぽんと爆発した。
「どーだ、この威 力 ! 絶好調のときには、画用紙に穴を開けることすら可能だ!......て、あれ?」
ポーズをとったままの格好で、ターナがあたりをきょろきょろと見回す。
「......奴はどこだ?」
「リーダー......」
仲間のひとりが、泣きながらつぶやく──
ともあれオーフェンたちは、そのころには、とっくに次の角を曲がって姿を消していた。
「よーよー、おっちゃん──靴みがかせてくれよー」
下から睨 め上げるようにしながら、双 眸 に凄 絶 なものを浮かべ、オーフェンは肩をよたらせた。
ひいい──と、道の角に追い詰 められて、気の弱そうな中年の男が悲 鳴 をあげる。
オーフェンはさらに詰め寄ると、口元をにやりとさせながら、
「なー、おっちゃんよー。俺ったらば、ちっとばかりお金に困っちまっててよー。仕事がしてーんだけどよー、見たところ、おっさん靴が汚れてるみてえだぜー」
「ひ、ひぃぃぃ......警察を......」
「警察は靴をみがいちゃくんねーよなー。ガキでも知ってるぜー。なー、おっちゃんてば、ガキより馬 鹿 なのかぁ?」
「ああああ、トーマスぅ、怯 えてる父ちゃんを見かけても、情けないと思わないでおくれよぉぉ......」
「なー、おっちゃんよー、泣いても靴はきれいになんないぜー。なぁー?」
さらに視線を傾 けて、オーフェンは詰め寄った。追い詰められた男の顔に、恐 怖 の絶頂 に達したなにかが浮かぶ。と──
「やめなさいって」
ごすっ──
「どぉぉぉぉっ⁉ 」
後ろから鉄棒で殴 り倒され、オーフェンはその場に倒れた、頭を抱えて転げ回っているうちに、ぎゃああ、と完全に泣き声に変じた悲鳴をあげながら、男は逃げていく。
「あんたって人は......」
鉄棒を両手に構えて、コンスタンスは、えらく辛 抱 強い表情で、こちらを見下ろしていた。
「いきなり姿を消したと思ったら──わたしに隠れて、とーとーこんなことまで始めてたわけね。いいえ──言い訳はいいのよ。ちゃんと見てなかったわたしが悪いの」
と、鉄棒を捨てながら、ひとりで勝手にかぶりを振る。あまつさえ、目元にハンカチなど当てながら、
「いいの。あなたが罪 を償 っている間、月に一回くらいは差し入れしてあげるからね。牢 名 主 にいじめられても泣いちゃ駄目よ──」
「......ちょっと待てい」
どくどくと頭から血を流して、オーフェンは半眼で立ち上がった。
「お前、なんか誤解してるよーだが......言っておくが、今のは別にあのおっさんを恐喝 してカツアゲしよーとか、そーゆうんじゃないんだからな。ごく純粋 に、靴をみがいて駄 賃 をもらおうと思っていただけだ」
「とてもそーは見えなかったけれど......」
疑 わしげにつぶやく彼女に、オーフェンは胸を張って答えた。
「俺は人に親切そーに話しかけるのが苦 手 なんだっ!」
「威 張 らないでよ、そんなこと!」
と──
「ふっふっふっ......この俺様に追われる恐怖に耐 え切れず、とうとう仲間割れか......」
いずこからか声が聞こえてくる......
そして、いずこへとでも、オーフェンは聞き流した。
「俺はこー見えて、『親切から仇 が始まる』と呼ばれた男なんだからな」
「それは......よく分からないけど適切な気もするわ......」
「ふっ。俺の勝ちか......」
オーフェンは笑 みを浮かべながら、とにかく血を自分のハンカチでぬぐった。と、ふと、気づいて見上げる。
「なにやってんだ、あれ......?」
屋根の上で、ターナとその仲間たちが泣いている。
「まあ、いいか......」
つぶやきながらオーフェンは、その下を通り過ぎようとした。コンスタンスも、とてとてとあとをついてくる。
「お前らぁぁぁぁっ!」
いきなり、ターナは絶叫にも近い声で叫び出した。さすがにぎょっとして、立ち止まる。
少年はやけくそぎみに、
「分かった! もー相手にしてくれとは言わんっ! もーいーから、とにかくその書類を置いていけっ! 金を払う! これでどーだっ!」
「なんですって──オーフェン、聞いちゃ駄目よっ! 今のはれっきとした警官買収 ですからねっ! 重犯罪よ!」
「............」
オーフェンは遠目に、ふたりを見やった。
「......お前ら、底の見えた芝居をいつまでも続けてるなよ......」
「違うって言ってるのにぃぃぃっ!」
ターナとコンスタンス、ふたりが同時に叫びをあげる。
オーフェンはそっぽを向いて、
「......前にもやられたんだ。そーやって、こっちをハメて犯罪者扱いして、その借りでただ働きをさせよーっていう......二度はやられねえかんな」
「なんで信じてくれないんだぁぁぁっ!」
手近にいた仲間の首をしめて、ターナが泣き声をあげる。
「俺らはケンツォーネの旦 那 に雇われた、ここらを縄 張 りにしてる仕事屋で、その姉ちゃんの持ってる書類を奪 回 して、うまくいけば役得で姉ちゃん売り飛ばして二重の儲 け、とか思ってるんだぁぁぁっ!」
「ふん。ンなことを往来で絶叫する犯罪者がいるか。この警察雇われの覗 き屋め」
「おのれが叫ばせてるんだろうがぁぁっ!」
少年の姿を見上げて、コンスタンスがぽつりとつぶやく。
「なんだかわたし......あの子が可 哀 想 になってきちゃった......」
「同情するなぁぁっ!」
ターナは、本気で怒ったらしく、仲間たちといっしょにばらばらと屋根から飛び降りてきた。
びし、とこちらを指さして、
「最後の勝負だ! いいか!」
「最後って......今まで、勝負らしいことをしたか?」
「そゆことを言うな! 虚 しくなるっ! とにかく、ここで決着をつけるぞ! いいか、お前らっ!」
と、これは、背後にいる仲間たちに向かって、
「この俺は、今より修 羅 へと入る! もう今までの俺とは違う! それでもついてくるというのなら、俺も止めんが──」
「リ、リーダー!」
「水 臭 いですぜ! 火事のときもいっしょに逃げようと、連判状まで作ったじゃありやせんか!」
わいわいと騒 いでいる彼らを静かに見ながら、オーフェンはなんとなく言った。
「あいつらって幸せなんじゃないのか?」
ちょっと青ざめて、コンスタンスが答える。
「それって......ものすっごく馬鹿にしてない? ひょっとして......」
「お前らの気持ちは、よぅく分かった!」
ようやく終わりに近づいてきたのか、男泣きしているターナが、仲間たちの肩を抱いて叫ぶ。
「俺は断言する! 今の俺たちなら、決して誰にも負けないと! さあ奴を倒すぞ──」
と、こちらに向き直り──
そして、彼らの動きは、はたと止まった。
「............」
彼らの中のひとり──小太りの、二十歳ほどの男が、目をそらして後ろを向きながら、肩を震 わせている。その背中は無言だったが、明白になにかを語っていた。
「マルキ......?」
どうやらそれが、その男の名前らしいが、とにかく彼を呼んで、ターナは手を伸ばしかけた──
「リーダー!」
横から、別の仲間がその手をつかむ。
「待ってやってくだせえ! マルキには......奴には、帰りを待っている女房 とふたりの娘 が!」
「そ──そうだったな......」
ターナが、ふっと笑う......
「忘れていたよ。そうだった。強くは言わんさ。そーいえばマルキは、俺らに黙ってひとりだけ女をこさえる奴だったよな」
「そーゆう後ろ向きな友情か、お前ら......」
遠くからオーフェンはぼやいたが、彼らには聞こえなかったらしい──あるいは聞こえないふりをしているだけかもしれないが。
ターナは、ぐぐっとこらえるように渋面 を作って、マルキに背を向けた。
「分かってる──ああ。こんな俺らの中にだって、ひとりくらいつつがない幸せをつかむ奴がいたって、悪くねえさ......」
「リーダー......さすがですぜ!」
どこから出したのか、花 吹雪 やクラッカーなど散らしながら、彼らだけで盛り上がる。
と──そこまで必死に目をそらしていたマルキが、ぱっと顔を上げた。涙 と鼻水で汚れた顔を。
「リーダー!」
と、仲間たちの輪に加わりながら、涙声をあげる。
「マルキ!」
全員がいっせいに名前を呼ぶ。
「俺が馬鹿でした! でもリーダー、あんたも馬鹿ですぜ!」
マルキは、燃える瞳 でこちらを見 据 えながら続けた。
「あんたのせりふは、まるでこのまま死ににいくようだったじゃありませんか! 勝てばいいんです! 勝って幸せになるんです!」
「ああ! マルキ!」
「リーダー!」
感動──だかなんだか──はそろそろ絶頂に達するようだった。紙テープを投げ、花を持って踊る仲間たちをバックに、マルキとターナが抱き合っている。
眺 めながら、コンスタンスがつぶやいた。
「......無視される気持ちっていうのが、だんだんと分かってきたわ、わたし......」
「俺もだ......」
と、オーフェンは自分の手を見下ろした。
「ここでいきなり、遠くからぼかんと魔術の一 撃 であいつら吹き飛ばしたらまずいかな」
「それはなんだかやっちゃいけないことのよーな気がするわ......理由はないけど......」
「にしても──」
オーフェンは、ふとつぶやいた。
「いつまで続けるんだ? あいつら......」
もう既 に、マルキの件は終わったようだったが──
「ううっ! げほげほっ......」
「コネリー! お前、血が......⁉ 」
「へっ──まだまだ、こんなことじゃあ死んだあいつのところには帰れませんよ。笑われちまう......」
「ああ、お前ってやつは──」
いつの間にか新展開に入っている。
「次はなにかしら......」
コンスタンスの気のない問いに、オーフェンは答えた。
「手術を怖 がっている子供の願いを聞いて、ボクシングの試合に勝つんだろ」
「わたし、実はあの中に、あなたの生き別れのお兄さんかなにかがいたっていう展開をちょっとだけ期待してるんだけど......」
そんな会話を知ってか知らずか、ターナらは続ける......
「へっ。不思議ですぜ。俺ってやつは、自分より強え奴を見ると、怖いよりも先に嬉 しくなってくるんでさぁ......」
「分かっているさトニー......」
今日の夕飯にはなにを食べようかと思いながら、オーフェンたちは、ただぼーっとその光景を眺めつづけた......

「──というわけで、決着をつけるぜっ!」
──はっ......!
いきなりのせりふに、オーフェンは顔を上げた。さっきからコンスタンスと一進一退の勝負をしていた、地面に描 かれた五 目 並 べをつま先で消しながら立ち上がる。
「そ、そそ、そーかっ! そーいえば、そんな約束もしていたなっ!」
言って、構える。コンスタンスもあわてて立ち上がって、懐の封筒を守るように身構えていた。
彼らの目の前に、ターナら七人が並んでいる。そのうちひとりは、『夕焼けの反乱』編(オーフェンが名付けた)のせいで顔に青あざなど作っている。
オーフェンは、ふっと笑いながら額 の汗 をぬぐうしぐさをした。
「それにしても......最初にコギーとグルになっているふうを装 って俺をだまそうとするとは、なかなかに細かい芸当、恐れ入った」
「あなたが勝手に思い込んでたんじゃない」
横からつぶやくコンスタンスは無視して、オーフェンは続けた。
「ところで......決着はどーつけるんだ? そーいや、お前は魔術をちびっと使うようだったが、まさか俺に勝てるとは思ってねえだろうな」
「ふっ......大 口 をたたけるのも、今のうちだ」
ターナは、余 裕 しゃくしゃくといったていで、すっと自分の背後を指さした。
「これを見ろ」
「............?」
訝 しげに見やると、彼の指の先で、またあのマルキとかいう男が背中を向けて肩を震わせている。
ばっと腕を天に上げ、哄笑 などまじえつつ、ターナが宣 告 する──
「今のプログラムをもー一回繰 り返してほしくなければ、とっととその封筒をよこすがいいっ!」
「知るかぁぁぁぁぁっ!」
力任 せに放ったオーフェンの魔術は、あたりの道路ごと、ターナとその仲間たちを吹き飛ばした。
その後──
結局、例の封筒は無事、判事のもとにとどけられた。結果としてケンツォーネ一家はトトカンタから撤 退 、もっと実入りの良さそうなコーンネアへ侵出 していった(まあ、一通の封筒にできることなどその程度だ)。
コンスタンスはといえば──減俸はどうやら免 れたらしいが、道路を破壊した始 末 書 を書かされた上さんざんにしぼられたらしい(当然か)。
すねて口をきいてくれない彼女を眺めながら、オーフェンは思うのだった──
この街が大陸で最高の治安を誇 っている理由が、なんとなく分かってきたような気がする、と。
(言いたいことはそれだけか?:おわり)

【フィンランディ家・現在】
「で、なんだったんだ? 我が家にはなにが起こったんだ?」
偉 大 な家長たるオーフェン・フィンランディは娘 たち三人をひとつのソファに並んで座らせ、眉 間 に皺 を寄せて問い質 した。
ソファは三人がけなので問題はないはずなのだが、ラッツベイン、エッジ、ラチェットの姉妹らはなるべくお互 いから遠ざかろうと無理やり身体 を離 しているため、苦しそうにしている。左のラッツベイン、右のエッジ、真ん中のラチェットという順番は、なんとはなしに固定されたいつもの並びだ。
「ぜーんぶ悪いのはエッジだよー。いつものことでしょ」
むくれて口を突 き出して、長女のラッツベインが言う。長い髪 はぼさぼさで、さっきまでの取っ組み合いの痕 跡 を残している。
ぴくりと頬 を引きつらせて、反応したエッジが右端 からぼそりと言い返した。
「いつものことなら、姉さんが間 抜 けでいい加減なせいよ」
次女も無傷ではない。こぶのできた側頭部をしきりに撫 でている。
そのふたりの中間にちょこんと座る末娘ラチェットは大人しくしていた。怒 っているでも泣いているでもなく、無表情にぼんやりしている。
「わたしは事態を収 拾 しただけ」
「どこがよ」
両脇 からラッツベインとエッジが、妹を睨 みつける。
全員埃 だらけ......というか汚 れてぼろぼろで、まあ無残な様子だ。娘たちを眺 めてオーフェンは、どこまでも沈 みかけた心の平 衡 を正す足がかりを探した。
偉大な家長たるオーフェン・フィンランディは、この原大陸における魔 術 士 社会の長でもある。それについては誰 も異論はあるまい──と、自分ではやや疑わしげに自問する。スウェーデンボリー魔術学校の校長であり、戦 闘 魔術騎 士 団 の特別顧 問 であり、行政各方面のアドバイザーでもある。ただし権 威 とは必ずそういうものだが、けちもついている。原大陸の恐 らく過半数が魔王オーフェンの抹 殺 と処刑を望んでいるし、法的な手続きは余 所 においてもっと短 絡 的な手段で実行したがる者も少なくない。
そして家長としてはどうだろう。これこそモヤついた懸 念 が胸から離れないが。娘に通じそうな威厳がまだ床 に転がっていると信じて、あてもなくかき集めて声を発した。
「事態を収拾したくて、吊 り天井 を落っことして姉さんたちを埋 めたのか?」
「うん」
悪びれもせず、ラチェットがうなずく。
顔面を擦 ってオーフェンは再度訊 ねた。
「そんな仕 掛 けいつ作った?」
「さあ。いつものことだから必要になるでしょ」
「もっと適切な手があるとは、ちらとも思わなかったか?」
「ぜんぜん。もっと悪い手ならいくつかあったけど。槍 とか」
「そうか......槍よりはいいな......」
顔に手を当てたまま、ずっしりとうずくまる。
廊 下 からぱたぱた、足音が聞こえた。指の隙 間 から見やると、妻だ。クリーオウ・フィンランディ。服の埃をはたきながら、
「すごい仕掛けねー。隠 しレバー押したら、ホントに元通りもどったわ」
「そでしょ」
「得意になんないの!」
ついに耐 えかねたラッツベインが、ラチェットを小突く。
ぽこんと頭を横に揺 らしながらラチェットはつぶやく。
「次は槍の安全性には配 慮 しつつ、串 刺 し罠 を実用化しようと思います」
「やめて!」
と、これはエッジ。
クリーオウが問いかけた。
「そもそも喧 嘩 の原因はなんなの?」
「つまんないこと」
即 答 するラチェットを押しのけて、エッジが声をあげた。
「つまらなくないわよ! 姉さんが悪いの!」
「違ーうー! エッジがわたしの靴 下 ──」
「あー、もういい。くだらないことだってのは分かった」
手を振って制止するオーフェンに、娘らは食ってかかった。
「なんで! 分からないよー! だってエッジがわたしの靴下を嗅 ぎ始めて──」
「好きで嗅いでないわよ! 床に好き放題ほったらかしてるから洗 濯 物なのか気になって、それがめまいするほど臭 くて──」
「くさくないよ! ねーつーぞーうー! だって一週間前に脱 いだやつだし、においなんて取れてるよ!」
「一週間前から脱ぎ散らかしてあんのが問題でしょ!」
また(ラチェットの頭ごしに)両手をばたばたと掴 み合いを始めようとする姉妹を、オーフェンは半眼で見つめた。
「......お前らの喧嘩は毎度毎度くだらないよな......一昨日 はなんだった。ゴキブリがどうとか......」
「あれは喧嘩じゃないよ! ゴキブリ出たから冷静沈着 に退治しただけ!」
「パニクってキレた姉さんがラチェットの頭掴んで、それで叩 き潰 したのよね」
「復讐 は完了 しました」
Vサインを出して、ラチェット。オーフェンは頭を抱 えた。
「庭に接着剤入りの落とし穴作ったのはそれか......あのなあお前ら。二十歳 か十九にもなったか。ならそれなりに落ち着きってーか分別ってもんをだな」
「あ! ラチェを除外した! ひーき! 父さんはひいきばっかり!」
と、抗 議 するラッツベインの腕の下から、淡 々 とラチェットがつぶやいた。
「根源的原因は、いれば喧嘩すると分かり切っているケダモノ二匹 を同じ部屋で飼育し続けていることだと思う」
「なら離れにでも住めよ。そのつもりで建てたんだぞ、あれ」
「やーよ。だって蛇入ってくるもの、あの部屋」
「十年前、最初に泊まった日にたまたまいただけだろ」
「でもわたしよりでっかい蛇だったもん」
ラッツベインは頑 固 に首を振る。
深々とため息をついて、オーフェンはうめいた。
「まったく女ってのはどうしてこうめんどくさい......」
「自分だってどうなのよ」
これはエッジだ。じろじろと睨んでくる。
「父さんはひとりっ子でしょ。苦労も知らずに嫌 みだけ言ってさ」
「あのな。言っとくが俺にも姉がふたりいたぞ。血はつながってないが、姉弟 だった。でもみんな喧嘩なんて一度もしたことないし、お互 い譲 り合って苦労は半分、喜びは二倍って具合だった」
「ホントにー?」
「完全無欠にきっぱり本当だ」
断言する。そもそも嘘 だと思う意味が分からないが。
不満だったのか、エッジは母親に矛 先 を向けた。
「母さんは? 確か伯 母 さんがいるんだよね」
「もちろん母さんは姉さんと仲良くしてたわよほほほほほほほほほ」
と、急にくるりと回れ右して台所に逃 げていってしまった。
足早にいなくなった妻を指して、オーフェンは告げた。
「母さんのは嘘八百だ」
「そだね」
ラッツベインですら同意する。
そして興味を持ったのか、食いついてきた。
「父さん、きょうだいがいたの? そんな話、してないよね」
「そうだったか? まあひとりは亡 くしたし、もうひとりとも絶 縁 状態だしな」
「そうなんだ......考えてみたら父さんの昔話ってあんま聞いてないね」
喧嘩のことはもう忘れたか、身を乗り出す。
まあ娘に自分の話をせがまれれば悪い気はしない。オーフェンも身体を上げて、ゆったりとソファにもたれた。
「ふむ......そうだな。こっちに来てからは暮らしに精 一 杯 で、若い頃 のことなんて思い出してる暇 もなかったし」
「父さんって若い頃は父さんじゃなかったわけ?」
エッジは真顔でそんなことを言ってくる。
オーフェンは苦 笑 した。
「俺だってガキの頃はあったさ。真 面 目 で面 白 みもない学生生活だったが、今となっては平 穏 な日々も懐 かしいよ......」
【牙 の塔 ・二十七年前】
「ふんぐらァ! 砕 けろッ! 顔面砕けて散れチクリ屋ァッ!」
「砕ける......もんですかぁっ!」
金属バットで殴 り合いを続ける血みどろの姉ふたりを、キリランシェロは遠い目で見つめていた。
巻 き添 えを食わないよう教室の端 で。机に頬 杖 をついて、心だけは平穏を保って。目から入ってくる情報についてはなんの判断もしないよう、考えるのをやめた。飛び散った血もここまではとどかない。とどいてるのかもしれないが気づかない。
姉はふたりとも、似てはいるが実際の姉 妹 ではない。正しくは従姉妹 同士だ。さらに言えばキリランシェロとは孤 児 院 が一 緒 だっただけで、血のつながりはまったくない。
彼女らは美人だと、キリランシェロは思っている。ただふたりが揃 ってると大 概 このような状 況 になるので、血まみれの形相のほうが多く印象に残ってはいる。それぞれタイプはやや異なる。髪の長いレティシャは大人しくしてさえいれば真面目で清 楚 なふりができるし、当人としてはそれがふりだという自覚がない。やや癖 っ毛 のアザリーは性格のほうも同様にひねたところがある。仕草や目端の利 きようが猫 に似ている、と思う。そして猫のように我 が儘 で愚 かだ。
ガコンゴキンと金属の打ち合う音が響 く。バットの打 撃 をバットで防いだ時は甲 高 く、ふたりともが頭に被 っている安全ヘルメットに当たった時は鈍 く。身体に当たった時はさらに鈍く、吐き気を催 すようなくぐもった音がする。
姉のレティシャとアザリーが凶 器 を手に雄 叫 びだか奇 声 だかをあげながらブン殴り合っている状況は、心をどこかに逃 避 させなければ、少し(うん、少しね)記 憶 に傷を残しそうだった。
「ゲッケッケ......まずは肉を潰しィ......次は骨だァ」
「怪 物 めぇぇ」
「残 骸 はでっけぇ部品から順番に積み直して斬 新 な形状に......してやるァ!」
後半の一言は、打ちかかる掛け声と混ざっていた。アザリーが大振りに叩きつけたバットをレティシャは身体を回転させてかわし、下側から臑 を狙 って反撃する。
しかしアザリーはそれも読んでいたようで、全力攻 撃 と見せかけて重心を後ろ足に残していた。ひょいと足を上げて回避し、さらに敵の腕を踏 みつける!
「ぐぎゃぁァァ!」
「ヒャーハハ! ウスノロがァ! トロい奴 はなにやってもトロッ」
歓 喜 に悶 えている間にアザリーは足を掴まれた。
「隙 ──アリィィィ!」
隙なんだかどうなんだか、渾 身 の力でレティシャはアザリーを持ち上げ、そのまま壁 に叩きつけた。
その頃、教室の扉 が開いて赤毛の少年が入ってきた。ハーティアだ。キリランシェロはそっちを向いていた。
「よう」
びったんびったん壁に打ち付けられているアザリーと、彼女を抱えて哄笑 しているレティシャをちらっと見てから、ハーティアが挨 拶 してくる。
「おはよう」
キリランシェロは体勢を変えないまま、挨拶を返した。
ハーティアが隣 に座る。
「あのふたり、なにをかぶってるんだ?」
べこべこに凹 んだヘルメットが気になったのか、ハーティアが訊 いてくる。
キリランシェロは答えた。
「昨日あげたんだ」
「お前が? なんで?」
「だって必要だろ」
「まあ......そうか」
とはいえ実際役に立っているかはもはや微 妙 だった。
さっきまで優勢だったレティシャは油断からアザリーに腕をねじり上げられ、そのまま腕絡 みに首絞 めも組み合わせたややこしい関節技 に捕 らわれている。げぼォと口から泡 を吹 きながらも、後ろ手にアザリーの脇 腹 を掴むと、めりめりと爪 を食い込ませていく。罵 声 をあげてアザリーが手を離した。
両者ふらついて距 離 を開け......仕切り直しだ。
「技のアザリー、力のレティシャだな。戦績ってどうなんだっけ」
「どうだろ。半々くらいじゃないかな」
興味もなくキリランシェロは言った。長引いてきたのであくびも漏 れる。涙 を拭 いながら話を続けた。
「よく飽 きないよね、あのふたり。いいかげん大人なんだからそれなりに落ち着きっていうか分別をさ」
「いやー、あれはもう憎 しみのレベルだろ。じゃれ合うって範疇 じゃないよ」
ハーティアはもうすっかり突き放した声音 だったが。
じゃれ合いはなおもしばらく続き、結果、ダメージでろくに動けなくなった両者がビンタを張り合って、十発目でふたり同時に気を失い、ばったり倒 れて動かなくなった。キリランシェロはようやく立ち上がると、とことこ近づき、うつ伏 せに倒れた姉たちを蹴 って転がし、仰 向 けにしておいた。顔面を腫 れ上がらせたふたりをきっかり三秒ずつ見下ろしてから、また元の場所にもどる。
「どうかなー。案外怪 我 は軽いんだよね。意識がもどれば術で治せるよ」
「そしたらまた始めるんだろ。なんかしらしょうもない理由見つけて」
「だろうね」
「今週は先生もフォルテもいないし、多分これ、きりがないぞ」
「止められる人がいないのは困ったなあ......」
考えに考えた末。
一計を案じた。
黒 魔 術 の最 高 峰 《牙の塔》は、キエサルヒマ魔術士の訓練機関として最も知られた施 設 だった。
タフレム市の郊 外 に、半ば城塞 然とした威容を誇 っている。有名である理由は、まずは元祖であるからだ。ドラゴン種族から生じた魔術士は、まずはその力を制 御 できなければ自 滅 するというところから始めなければならなかった。当時は魔術士狩 りも公然と行われた、荒 れた時代。立てこもったこの地は自然と砦 のようになっていった。制御法は地道な努力で確立され、魔術士はひとまず生命を保った──そしてその副産物として、強大化した。制御された魔術は凄 まじく強力だったのだ。
強くなった魔術士がひとところに集まり、組織となる。それが大陸魔術士同 盟 であり、疑いなくキエサルヒマで最強の組織のひとつだ。その中枢 となるのが《牙の塔》だった。ここには幼き魔術士の卵から、天をも掴むような達人までもが暮らし、人々に恐 れられている。
キリランシェロは物心つく前に両親を事故で失った十五歳の少年だ。
両親はともに魔術士であり、彼もまた魔術の才能を受け継 いだ。
卓 抜 した才覚だ、と見込まれた。故 にエリートクラスに所属し、訓練を受けている。
のちには《塔》を背負って立つような人材になるであろうと。
その見込みは大ハズレとも言えるし、あるいは的中し過ぎていたとも言えるが、今回の話とはさほど関係がない。
「接近禁止?」
姉ふたりが同時に繰 り返したその言葉を、キリランシェロはやはりまた口にした。
「そう。接近禁止」
「なにそれ」
やや疑わしげに訊いてくるアザリーに、簡潔に説明する。
「顔を合わせると喧 嘩 するんだから。顔を合わせないようにするんだよ」
「喧嘩ってなによ。喧嘩なんかしないわよ」
と、レティシャ。
どの面 下げて......と言いそうになったが、ぐっと堪 えて。
「どうせ先生は《塔》外で、授業もないんだしさ。わざわざ教室に集まる必要もないだろ。お互いにテリトリーを決めて、ほんの何日か会わないようにしたって困ることある?」
「ないけど......」
アザリーとレティシャは、釈然 としない様子で顔を見合わせた。
「用がある時はどうすんの?」
「期間中はどんな理由でも、会うことも連絡を取ることも禁止」
「大 袈 裟 じゃない? なんでそんなことしないとならないの」
不服を言うレティシャに、半眼で視線を送ってから。
「あれ見てもそう言う?」
キリランシェロは教室の後ろを指さした。
もう夕暮れ時だ。姉たちは意識を取りもどしてから魔術で傷を癒 し、ほとんど無傷といってもいい。
しかし教室の惨状 はそのままだった。破 壊 された机に砕かれた床、壁、天井まで。血の跡がない場所を探すほうが難しい。あと最終的に不用意に巻き込まれ、ずたぼろの雑 巾 状態になったハーティアも転がっている。
「そりゃあ......たまに、ちょこっと腹が立つこともあるけど」
レティシャは言ってから、傍 らのアザリーに目配せした。軽く笑いかけてから続ける。
「別にわたしたち仲悪くないわよ。失礼ね」
「そんなことは別に疑ってないけど、周辺の被 害 だけが問題なんだ」
「ハーティアは自 業 自 得 よ。だって......ジャイアントスイング中は周りのほうが避 けてくれないと。こっちは見ようがないんだもの」
「分かった。そこはあえて反論しないから。でも承知してよ。ふたりにしたって、こんなの時間の無 駄 だって思わない? 今日一日、したことっていえば教室を破壊して気絶してただけだよ」
「うーん......」
さすがに説得力を感じたのか、レティシャは考え込んだ。
それよりは踏ん切りも良くアザリーが質問する。
「棲 み分けはどう決めるの?」
「それは考えた。寮 はもう出くわすのが避けられないから、アザリーは何日か市内で暮らしてもらう」
「ええー。めんどくさっ」
「《塔》に通うなら面 倒 だろうけど、そもそもこっちには来ないんだよ。タフレムでベリーヌ・マインソンの企 画 した集中合宿があって、それに参加する。彼のお父さんのお屋 敷 でね」
「なんでわたしが」
「ぼくが誘 われてたんだ。行く気なかったけど。ベリーヌは金持ちでアザリーのファンクラブ会員。歓 迎 してくれるよ」
「うーん......プールある?」
「みっつある。メインの中庭には二十四時間スナックコーナーも」
「行く」
急にきっぱりうなずくアザリーに、じゃっかん呆 れた様子のレティシャではあったが。それでも特に反論も思いつかないようだった。
「まあ、そうしてならない理由もないかもね」
「そーよそーよ。ちょっとした気分転 換 」
「じゃあ、それでいいね?」
少々ほっとしてキリランシェロは息をついた。姉もひとりなら、そうそう振り回されずに済む。
【アザリーの場合・1】
タフレムには《塔》の教師や最高執 行 部 などの高位の魔術士が暮らす、高級邸 宅 の並ぶ区域がある。
ベリーヌ・マインソンの父、バイス・マインソンは古くから勤める教師で、もう半ば引退の身だ。ベリーヌはキリランシェロと同世代の魔術士で、正直あまり魔術の才には恵 まれず、いまだ基礎クラスにいる。
両親が召使いも連れて旅行に出かけたので、これ幸いと集中合宿を考えたようだ。《塔》の廊 下 の掲 示 板 にチラシも貼 り出されていたし、ベリーヌ自身もめぼしい相手に声をかけまくっていた。人気は上々だったようで、屋敷の門前に立った時にはもう、中で騒 いでいる連中の気配を感じたほどだった。
「はぁーあ......立派なもんだね」
思わずキリランシェロは声に出した。
門そのものがまずでかい。優美な鉄 柵 で、蔦 が絡んでいるように見えたがそれも金属の装飾 だった。この門は馬車用で──つまり自家用の馬車があるんだろうが──、横には通用門がある。
柵の外からのぞけるのは庭園の木々と池くらいだが、奥に建物があるのも分かる。豪 華 であるのは言うまでもないが、そのわりには出しゃばらず品の良い、静かな佇 まいだ。近 隣 も同様の屋敷が並ぶのだが、ここは頭ひとつ飛び抜 けている感がある。
門構えを見上げて──
「これがわたしのものになるのね」
巨 大 なサングラス(必要があるとも思えないが)の下からアザリーがつぶやくのが聞こえた。
しばらく黙 っていたものの、キリランシェロは言った。
「なんでなるの」
「理由のひとつは、気に入ったからよ」
「......他 にも理由あるの?」
「まだ持ってないから」
「あっそ」
どうにもならなさそうだったので切り上げた。
着 替 えの入った鞄 を、アザリーの分も抱えながら。あたりを見回す。
「勝手に入っていいものかな。鍵 は──」
と、通用門に向かいかけたのだが。
アザリーが後をついてこないので、足を止めた。
振 り返って見やると彼女は無言で迷わず、正門に手をかけている。そちらは明らかに人のための門ではないのだが......
「開け!」
高らかな叫 びとともに、吹 き飛ぶようにして鉄柵が左右に開いた。というよりちぎれ飛んだ。
ごわんごわんと揺 れる正門の間をゆったり踏 み越 え、アザリーは中に入っていく。
「えーと」
今の衝撃 で通用門も開いていた。キリランシェロは迷ってから、小さいほうの入り口からそそくさと入り込んだ。のっしのっし進んでいくアザリーに追いついて、
「もしかして分かってないのかな。ここは余 所 のおうちで、しかもアザリー初対面だよね。親しくてもそうそうやっちゃいけない気がするけど」
「壊 れたものは直せばいいのよ」
「直さず突き進んでるけど」
「主人たるもの、下 僕 の仕事を奪 っちゃ駄目でしょ」
「下僕いることになってる。誰!」
「世の中ってものを分かってないのね」
アザリーはばさりと髪 を振ってから、サングラスをわずかにずらし、にっこりと笑ってみせた。
「下僕っていうのは自分から進んで下僕になりに来るのよ」
すると。
「うわああーあ。なにが起こったのぉー?」
丸顔の、おかっぱ頭の少年が庭を駆 けてくる。騒ぎを聞きつけたのだろうが。
「えーと」
反射的にキリランシェロは言い訳を口走ろうとしたが──良い言い訳などあるはずもなく、とりあえず誤 魔 化 そうとした。
「やあ、ベリーヌ! お世話になるよ!」
「あっ。君は! ......ええと......」
ベリーヌはにこやかに挨拶を返してきたが。
やがて笑顔に困 惑 が混じり、首を傾 げ始めた。
キリランシェロも苦く笑みを返して、
「あー、記憶、薄 いか。でもこっちは分かるだろ。連れてきた」
「アザリー様! 凄 い! 本物のアザリー様だ!」
ぱっと顔を輝 かせ、ベリーヌは両手を挙げてはしゃぎ出した。アザリーの周りを飛び跳 ねてから、心底びっくりしたように後ずさりして、
「なんてことだ......立体的だ......妄 想 じゃないアザリー様は立体的だ!」
アザリーはまったく動じず腰に手を当て、ふふんと鼻を振った。
「そうよ。右から見ても左から見ても同じ厚みよ」
「ぼくちんの想像通りのことを言ってくれた! 立体なのに! わーい!」
「よく分からない世界だなー......」
実のところ、校内での姉の人気というのがそもそも共感しかねるキリランシェロではあったのだが。
外見なんてものに騙 されるとろくでもないな、とは感じる。
と、ベリーヌがはたと顔色を変えた。驚 いたようだ。
「あれっ? あの門......」
アザリーが破壊した正門だ。まあ気づかずにいるのも難しいが。
「えーと、あれは来た時には既 に──」
とっさにキリランシェロは言い逃 れようとしたのだが。
横から堂々とアザリーが無駄にした。
「しまってたから開けたのよ」
「え? 優 しいアザリー様がどうしてそんなことを」
狼狽 えるベリーヌに、アザリーはふっと笑って、
「あなたのためにルールを教えておくわね。わたしが通る前に、門や扉 は開けておくこと」
「ぼ、ぼくちゃんのためですか? それ」
「ええそうよ。だってわたしにはどっちでもいいもの。わたしが通ろうとするたびに扉が壊れたら困るのは誰?」
「ぼ......ぼくですう。ホントだ! ぼくちんのためだった!」
「待て騙されるな!」
警告も無駄だった。
アザリーが首を振りながら、告げる。
「あら。わたしの靴 が汚 れてるわぁ」
「舐 めます舐めます!」
表情ひとつ変えないアザリーに、ビシと頬 を叩 かれて即 座 に言い直す。
「いくらでも新しいものをお取り寄せください......」
「よろしい」
犬のようにわんきゃん鳴きながら走り回るベリーヌを引き連れ進んでいくアザリーを見送って。
キリランシェロは難しげな顔でついていった。
【レティシャの場合・1】
自室にてひとり、レティシャは午後のティータイムを過ごしていた。
お茶はストロベリーのお気に入り。窓は半分開け、そよぐ風にカーテンが揺 れている。
空までもが静まっていた。ぽっかり浮 かぶ雲が流れているが、それも早すぎず、遅 すぎない。鳥が高く舞 っている。明日も晴れるだろう。
淡 い空色のティーポットは古いもので、カップとお揃 いだ。さくらんぼをくわえた小鳥が飛んでいる絵が入っている。元はカップも複数あったのだが残っているのはこのひとつだけだ。
口をつけて香りを吸い込む。甘い、爽 やかな芳 香 と湯気の感触 。
優 雅 なひととき。手元に伏 せた、読みかけの本が『略式交差紋用語・定型例集』であるのが玉に瑕 だが。レポートに必要な資料を余 裕 たっぷりに読めるというのも、なかなかに貴重だ。
「静かね」
カップを置いて、レティシャはつぶやいた。
独り言だ。誰も答える者はいない。
それを確 認 するように、もう一度繰 り返した。
「ホント静か」
静けさこそがその返事だ。
耳鳴りのような、ツーとした音なき音もない。
静かであり、穏 やかであり、平らかである、まさに安らぎ。
少なくともあと数日は、それを味わえる。
厄 介 ごとはなにも起こらない。そのはずだ。
トラブルのもとはいない。今日も、明日も。
ふと気づくと、カップに残った紅茶は冷えていた。どうやら落ち着き過ぎたようだ......と苦笑して、本をまた開く。
「落ち着く......のよね?」
半ページも読み進まないうちに、レティシャは再び本を伏せた。
【アザリーの場合・2】
ベリーヌ合宿に集まった十数名の魔 術 士 はほとんど全員が若く、ベリーヌと同様に基礎クラスの者も多かった。
そのためかチャイルドマン教室のアザリーとキリランシェロが中庭に入ってくると、それだけで何人かが息を詰 めて振り返った──ことに、アザリーだ。彼女は《塔》の有名人だった。人呼んで天魔の魔女。天性の魔術の強さに、既に教師級の力量と知れ渡 っている。
そして羽毛程度の自制心しかないことも、狂 犬 並 みに危険であることもだ。
早くも手 懐 けられたベリーヌの正気をどうにか取りもどそうと、キリランシェロは声をあげた。
「あ、ベリーヌ。そういえばこれ勉強会だったよね。学習内容は──」
「............」
ベリーヌはなにも答えない。こちらを見もしない。ただじっと、アザリーの斜 め後ろに控 えている。
数秒待った後、アザリーが指をぱちんと鳴らした。
「しゃべってよろしい」
「各自の自主性を尊重しているよ、キリランシェロ君」
「あっという間に飼い慣らされすぎてる......」
痛感した障壁 の高さにめまいを覚える。
だがベリーヌはまったく動じることもなく、きっぱり真顔で続けてきた。
「ところで君はまだ帰らないの? キリランシェロ君」
「帰らないよ! いやなんとなく帰りたいけど。ほっといて帰れない──」
「手 狭 ね」
急に言い出したアザリーの話が、いまひとつ掴 めずに首を傾げた。
中庭のプールは手狭どころか、全員が競泳できそうな広さだ。プールサイドもたっぷりと余裕のあるデッキチェアが並び、それぞれにパラソルが影 を作って約束通りのスナックコーナーまである。氷を入れた陶製の壺 に、飲み物の瓶 もたくさんささっていた。
キリランシェロには理解できないアザリー語を、ベリーヌは即座に読み取ったようだった。突 然 、ものすごい形相で叫び出した。
「ウラァァァ! てめえら聞こえてねえのかぁー! アザリー様の前で人間面してんじゃねェェェ! 圧があんだよ圧がぁ!」
「ええっ?」
たまたま手近にいた(気の毒に)水着の女生徒が、ベリーヌの変 貌 に驚きの声をあげる。
ベリーヌはぎらりと眼を光らせ、彼女をプールに蹴 落 とした。
「グズが理解に手間取んなぁ!」
止めることすら思いつかなかった。異常に手早く、もうひとりに後ろ回し蹴りを放って、ゴムボールを抱 えた男子生徒も蹴落とした。
「ここじゃ脳みそに使い道なんざねえんだよ! なにか言われたらイエスと言え! イエスの後はサーと言え! 分かったかプールとタダ飯目当てにのこのこ来やがったタカリ庶 民 がァ!」
「い......いえす。さー......」
プールの縁 からげしげし踏 みつけられつつ、ふたりがか細く返事する。
「いやいやいやいや」
ようやく状況についていく気になって、キリランシェロはベリーヌに話しかけた。まあ、触 れる気にはなれなかったけれど。
「おかしい。なんかがおかしい。気づいて。ゆっくりでいいから」
ずいと横からアザリーが割って入って、告げる。
「資産が欲しいわあ」
「駄 目 だ! 予想以上に加速してる! 今すぐ気づけ!」
「アザリー様は一 括 でもらえるけど税金たくさん取られる資産と二十年に分割して税率を抑 えた資産のどちらが好きですか?」
「一括ね。税務署員が来るまでに神 殿 を建てて、全人類救済を目標に宗教法人を作るわ」
「わあアザリー様頭いい!」
「助けて! 誰か助けてください!」
天に向かって叫 ぶものの、誰も聞く者はいない。
なにやら雲行きが怪 しくなったのをみんな察して(察せずにいるのも難しいが)、ざわざわどよめいている。
彼らに向かって、ベリーヌは大声を張り上げた。
「聞けいウジムシ! 貴様らの休 暇 は終了 した!」
「え。もう帰れってこと?」
さっき蹴落とされた女生徒が、水の中から声をあげる。
ベリーヌは大笑してから唾 を吐 いた。
「アホウが! 人生の休暇は終了し、これからはアザリー神のご託 宣 の下 、意思なき肉の機械として信 仰 に奉 仕 するのだ!」
「お前の妄想のほうが加速速いな!」
いい加減捨 て鉢 になって、キリランシェロは足下に荷物を投げ捨てた。
「こうなったら腕 ずくで頭を冷やしてもら──」
次の瞬間 には、頭から水の中に放 り込まれていた。
ベリーヌにやられたのではない。横から不意打ちに、アザリーに蹴落とされたのだ。
不意打ちとはいっても当然予期できたはずの攻 撃 ではあった。己の迂 闊 を責めながら、どうにかこうにか体勢を立て直して浮 上 する。
「ぶはぁっ」
息を吸って叫ぶ。
「アザリー! こんなことしたってどうせすぐ止められて反省室送りだろ!」
「誰が止めるの?」
にやりと、自信たっぷりに言ってくる彼女の眼差 しに。
水よりも冷たい怖 気 を感じた。
【レティシャの場合・2】
「あれ?」
ハーティアは、教室に入ってきたレティシャに声をかけた。
「どうしたの。今日は部屋にいるんじゃなかったっけ」
「ええ......」
返事しながらもどこか上の空で、彼女は教室の中をひとまわり、うろついた。
といってもなにがあるわけでもない。ハーティアは古地図の図版がここにしかないため、レポートの仕上げで朝からこもっていたが、教室には誰も出入りしていなかった。レティシャもそれは知っていただろうし、そうでなくとも見回せば分かる。
にもかかわらずレティシャは未練がましくうろうろすると、ロッカーを開けてのぞいたり、なんとも不 審 げだった。たまに手の甲を噛 んだり、苛 ついているようでもある。
「なにか捜 してるの?」
気が散るのもあって、ハーティアは問い質 した。
机の下をのぞき込みながらレティシャが言う。
「なにかってわけじゃないんだけど......」
ぶつぶつと聞き取りづらく、取り憑 かれたような声 音 だ。
と、急に顔を上げてこちらを見た。
「ていうか、なにかない?」
「なにかって、なに」
座ったままだが、ハーティアは気持ち後ずさりした。
レティシャは目を見開いて、まばたきもせずにつかつか近づいてくる。
「なにかあるのよ。なにかが起こってるの。絶対」
「だからなにかってなに」
「分かるわけないでしょ。陰 謀 よ。見えない場所でよからぬことが進行して、突然襲 いかかってくるの......思いもよらない恐 ろしい姿で。ガバァと!」
最後の『ガバァと』は、ほとんど金切り声だった。
「......えーと」
今度は気組みではなく文字通り椅 子 をずらして後退しながら、ハーティアは慎重 に相手の顔色を窺 った。とりあえず、彼女がかぎ爪 のようにねじ曲げた両手の指先からは離 れたほうが良さそうだった。喉 を潰 すのに最も適した形をしているように見えたのだ。
「なんか、嫌 な予感がするみたいなこと?」
「予感?」
ぴくりと頬 に引きつりが走るのが見えて、ハーティアは失言を悟 った。もっとも、なにを言っても同じ反応だったのかもしれなかったが。
シュウウウと息を吐いて、レティシャが距離を詰めてくる。
「確かなことよ。だって静かなんだもの」
「静かっていうのはなにも起こってないってことじゃ──」
「違 う! 足音を忍 ばせてるってことよ!」
ガッと、ついに捕 まった。
ハーティアの胸 ぐらを締 め上げて、レティシャが叫ぶ。
「最初からおかしいと思ってたのよ! 出来すぎてたわ! いつもそうなのよ! 静かだ平和だと思ってると、もうその時には引き出しに蛙 の卵がいっぱいなのよ!」
「いやなんの話を──」
「『ここを押すとブラが外れます』って書いた紙が背中に貼 ってあるし階段は紙製の上げ底が被 せてあって降りようとした途 端 滑 り台 になるしあまつさえそれ落っこちたらどこかからホンワホンワホンワ的な音楽が聞こえてくるし悪い噂 が流れて『あーあの人ね、神経質っていうかちょっといっちゃってるよな』とか言われるし!」
「最後のは陰謀っていうか自然な流れじゃないかな」
「あんたもグルなのーッ!? 」
まったくの言いがかりだが、そろそろ物理的に気道が確保できなくなってきていたので反論不能だった。
さんざんに振り回されたあげくに放り投げられ、咳 き込んでいるうちにレティシャは机をいくつか蹴散らし、廊 下 に出て行った。廊下でもなにやらわめき散らしているようだ。激突音まで聞こえてきた。
「こりゃあ......止めないとやばいよな」
と、ハーティアはうめいてから、
「まあ誰かが止めてくれたらいいねって思うよ。さ、レポートやろ」
そう続けて、机を並べ直して扉 に鍵 をかけた。
【アザリーの場合・3】
一日目にしてベリーヌ邸 は崩 壊 しつつあった。
建築物としては損傷を受けていない。人間社会における平均的秩 序 の崩壊だ。
門にはバリケードが築かれ、中庭に巨 大 な祭 壇 と玉座が用意され、そこにはアザリーがビーチパラソルを立てて水着で寝 そべっている。鎖 につながれた下 僕 どもがでかいうちわで扇 ぎながらアザリー神を讃 える歌を歌う。
「ウラァ! 声が小せえんだよ! そんなことで宇宙が震 えっかー! 超越 者に見ていただけるかー!」
びしりと地面に打ち付けた鞭 を鳴らして、ベリーヌが怒 鳴 り声をあげた。どこから持ってきたのか鋲 付 きの革ジャンを着て、髪 型 もモヒカンに変わっている。
「隊長様のおっしゃる通りだぜぇ! もっと景気よく歌えやー!」
ついでに同じ格好をした数人の帰 依 者(人間は弱い生き物なのだ)が、ばしばしと鞭を振るう。
それを眺 めながら──
「なにこの状況 」
キリランシェロは、うめいた。
まあそう言いつつ他 人 事 でもなく、アザリーに命じられたかき氷を玉座の横まで献上 に来たところなのだが。
「カリスマの成せる業 ね」
アザリーはきっぱり言い切って、果物を盛ったかき氷を受け取る。
半眼で、キリランシェロは姉を見つめた。
「最初からこうするつもりだった?」
「あのね、キリランシェロ。姉さんがそこまで思い上がってると思うの? 単なる王者の運命なのよ」
「初めて聞くタイプの謙 遜 だね」
「神と崇 められる姉を持ったことを楽しみなさいよ。ほら、一部隊くらい引き連れて近 隣 を略奪 してきたら?」
「しないしない。ほらもう人間の考えることじゃなくなっちゃってるよ。頼 むからもう一度、深呼吸してからこの状況を見て」
かき氷を食べ始めた姉の顔から、サングラスを取り上げる。
アザリーは不承不承、中庭を見回した。状況はまあさっきから同じだ。ベリーヌがさらに加速してしまって、そうだアザリー様のためにみんなで馬になる練習をしようと号令をかけているが。
それを眺めて、アザリーは嘆 息 してみせた。
「そうねえ。あの子、ちょっと引くわよね」
「言いやがった! どの面 下げてますかー!? 」
叫ぶキリランシェロの手からサングラスを取り返し、彼女は口を尖 らせた。
「羽を伸 ばせって言ったのはあんたじゃない」
「常識の範 囲 でしか想定してませんでしたー」
「なにその言い方。腹立つー。やる気なわけ?」
「暴走した悪魔はぼくが止める!」
「かっこつけてんじゃないの!」
ばっと投げつけてきたかき氷を、横に跳んでかわす。
不安定な足場でも(なにしろ急ごしらえの祭壇の上だ)どうにかバランスは保って、すぐさま反 撃 に移るつもりだった。だがアザリーも玉座を蹴って跳び上がると距離を開けている。
彼女の狙 いは見当がついた。こんな時、まずは他人を利用するのが常套 手段だ。
「アザリー様ー!」
祭壇の下から、ベリーヌが頭を抱えて叫んでいる。
「邪 悪 な裏切り者の弟がー!」
怒 りの形相で一気に駆 け上がってきた。手下たちも、一応あとについてきている。彼らについてはさほど前向きに張り切ってという顔でもないが。
玉座の向こう側で傲 岸 不 遜 に笑っている姉は、実はかなり手 強 い。教室でも最強の術者のひとりだ。手間取っているうちに挟 み撃 ちにされるよりはと、キリランシェロは彼らのほうに向き直った。
「ウキェェェェェ!」
奇 声 を発してベリーヌが跳び上がる。勢い任せの体当たりだ。
普 通 なら問題にもしないが足下が怪しい上、アザリーにも警 戒 しないとならない。最善の手は──
キリランシェロは姿勢を下げると、突っ込んでくるベリーヌに合わせて腕を振った。受け流して相手の向きをずらし、アザリーのいる場所に突進させる。
そして、さらに追撃をと向き直った瞬間。
勝ち誇 ったアザリーの声を聞いた。
「光よ!」
彼女はまったく躊躇 なく、ベリーヌごと祭壇を吹き飛ばした。
躊躇どころか最初からそうするつもりでいたのだろう。そうでなければ間に合わないタイミングだ。アザリーの放った光熱波は安 普 請 の祭壇を粉々に砕 いた。上にいたキリランシェロはもとよりベリーヌも、登りかけていた連中も一 緒 くたに空中に投げ出される。
「我は駆ける天の銀 嶺 !」
咄 嗟 に重力中和で落下を防いだキリランシェロは、玉座に乗ったまま同様に空に浮かぶ姉と視線を合わせた。破 片 がばらばらになって飛ぶ中、キリランシェロはめげずに狙いをつけた。
「こォのぉー!」
「あまーい」
術の発動間 際 、アザリーが手早く紡 いだ構成が完成するのを見た。彼女の術は速く、読み取りづらい。なにをしようとしているか予測できない。その上で妙 に強力だ。
対 抗 するにはひたすら鈍 感 に馬 鹿 力 を叩 きつけるくらいしかない──たとえばレティシャのようにだ──が、キリランシェロは普段の癖 で、つい器用にやり合おうとしてしまった。
背中からなにかにぶつかられた。のみならず、掴 みかかられた。溺 れる者が他人を巻き込むように、ばたばたと足 掻 く手に引きずり落とされる。
「ベリーヌ!」
アザリーは簡単な術で彼を持ち上げ、ぶつけてきたのだ。ベリーヌは攻 撃 というより落ちるのを怖 がってというのもあるのだろうが、必死に食らいついてきて引きはがせない。
「きーさーまーよーくーもー」
「よせって! あの悪魔はここで止めないと!」
「悪魔はお前だー! 楽園を壊 しやがって!」
「あれ楽園だったか!? 」
「ええかっこしいの壊し屋がー!」
非難に釈然 としないものを抱えつつも、とにかく暴れる同乗者を支えながらでは術の維 持 もできず、キリランシェロは軟 着陸できる場所を探した。水に飛び込むのが一番簡単だが、ベリーヌが諦 めなければ水中に引きずり込まれるかもしれない。
とりあえず落下の方向を捻 って、スナックコーナーのテーブルに落っこちた。石 敷 きのプールサイドよりはマシだろう。食べ物や氷を下敷きに着地する。
ばらばらに砕けるテーブルに、散乱するスナック。倒 壊 する祭壇もだが、とにかくパニック状態だった。下 僕 扱 いに繋 がれていた生徒たちは我先に逃 げ出し、それは手下にされていた連中も似たようなものだった。
身体 中についたハムをはたき落としながら起き上がって、キリランシェロは状況をうかがった。ベリーヌは落下の衝撃 でようやく離れていた。
「ほーほほほほ!」
高笑いして、アザリーも地上に降りてくる。玉座とともに降り立ち、それこそ優 雅 に女王様気分のようだ。
「あんたじゃー無理よ、キリランシェロ! わたしに勝てることは一生ないの! お分かりいただいてちょうだーい!」
「おのれ露 骨 に邪悪なー」
キリランシェロは歯がみした。思い上がった姉だが、なんでか勝てる気がしないのも事実だ。それでも止めないとならない。
(なにか手はないか......)
視線だけで探 る。足 下 に転がっているのは台無しになったスナックコーナーで、かき氷も引っ繰 り返って蟻 がたかりそうだ。
その中から、ふと目についたものを拾い上げる。
と、アザリーが訝 しげに哄笑 をひそめた。
「......そんなもんでなにするつもり?」
「勝つ必要をなくす」
キリランシェロが手にしたのはかき氷のシロップだ。メロン味。大瓶で、中身もたっぷり入っている。
覚 悟 を決めようと息を整えていると。
「ゴボァァァァーッ!」
スナックコーナーの向こうから、チョコムースまみれになったベリーヌが立ち上がった。
そのまま、また突 進 してくる。だがキリランシェロは今度は落ち着いて、半身でかわした。通り過ぎようとしたベリーヌの身体を捕 まえて、羽 交 い締 めにする。
「むうっ!? なにをっ!? 」
わめくベリーヌに、キリランシェロは囁 きかけた。
「自前でやるつもりだったけど、お前もほとほと間が悪いな」
「自前?」
「こうするっ!」
「ぼぐわっ!? 」
ベリーヌの口に、大瓶を突っ込んだ。
そのまま一気にシロップを流し込む。口から溢 れようと構わず。
目を白黒させながらもベリーヌは大量のシロップを飲んで──ぐったりと、力を抜 いた。
ふらふらと前のめりに進み出ると、プールの縁 でかがみ込んで......ものすごい音を立てて、一気に吐 き出した。
全部吐くまで、数秒もかかったか。騒 いでいたみんなもそれを聞いて立ち止まり、蒼 白 になって引いている。
アザリーもだ。玉座に足をかけたままではあったが目を丸くして、ようやく冷静になってきたらしい。左右を見回した。
そして惨状 を目にした。中庭はもう滅 茶 苦 茶 だし、プールにまで吐いてしまってはもうおしまいだ。散らかったものは片付けられても、プール一杯分の水を入れ直すのには何日もかかる。
一通り、そのあたりを考えたのだろう。アザリーは沈 黙 ののち嘆息した。
出し抜けにつぶやく。
「帰る」
「......えっ?」
朦 朧 と聞き返すベリーヌににっこりと、
「じゃ、来年また来るから、祭壇は作り直しね」
それだけ言って、さっさと帰っていった。
【そして】
数日もすると、チャイルドマン教師やフォルテが無事帰 還 した。なにやら厄 介 なこともあったらしいが、どうせこっちほどじゃないだろう。一番の問題児どもは置いていったのだから。
ともあれこれで平 穏 はもどったのだった。
「そろそろまっぷたつになって断面見せろやガリ勉がァッ!」
「切断される......もんですかぁぁぁ」
アザリーが抱 えたノコギリを白 刃 取 りする格 好 でレティシャが受け止め、さっきからじりじりと力比べが続いている。
頬 杖 をついてキリランシェロが眺 めていると、教室にフォルテが入ってきた。
血まみれで取っ組み合いをしているアザリーとレティシャを眺めてから、止めるより先に確 認 したほうがいいと思ったのだろう。あるいは関 わらずに済む理由がなんでもいいから欲しかったのか。ともあれ、訊 いてきた。
「なにをしてるんだ?」
「それはあのふたりが喧 嘩 してる理由ってこと? なら知らないけど、知る必要ある?」
「ないな」
彼も同意して、隣 に腰 を下ろした。
さりとて教室の半分ほどを使って強力な術者ふたりがじゃれ合っているのでは、見ないでいるのも難しい。油断すれば巻 き添 えも食う。
ほどなくしてフォルテが言い出した。
「あのふたりはどうしたものかな。顔を合わせると喧嘩を始めるんだから、しばらく距 離 を置いて──」
「それはやってみた。で、理解できた」
「理解?」
不思議そうなフォルテに、キリランシェロは話を続けた。
「自然って、一見すぐには分からないバランスで成り立ってたりするでしょ」
「そうだな」
「どんなに悲惨に見えても、短 絡 的に解決しようなんて思うのは愚 かなんだ」
それ以上のことは言えそうになかった。
フォルテも数秒、黙 り込んで成り行きを見つめた。聞いた話と眼前の光景をすり合わせようとでもしたのかもしれない。アザリーはかぎ爪 で天井 に貼 り付いて緑色の毒粉末を散布し始めたし、レティシャはローブを脱 ぐとそれをうちわにして、扇 いで押し返している。
軽く頭を抱えて、フォルテが言ってきた。
「よく分からないが......あれはどうするんだ?」
キリランシェロはこう告げた。
「ほっといていいよ。あれが一番マシな状態らしい」
「そう......か」
フォルテはまだ釈然としない顔だ。
毒攻撃の効果が薄 いためアザリーは天井を剥 がして投げつけ始めた。レティシャはそれを蹴 り落としては口汚 く罵 声 を返している。
「ま、害はないのか」
とつぶやくフォルテの頭に天井の破片が激突するのだが。
キリランシェロはそれも気にしなかった。
「マシって言っただけ」
そう言って、床 に転がっていたヘルメットを拾い上げ、フォルテに手 渡 した。
大人しくそれを被 り、フォルテがうめく。
「......本当にほっといていいのか」
「よくはない。無 駄 だって言ってるんだ。あのふたりが離ればなれになったら、きっと悲惨だよ。世界が破 滅 するかも」
「大 袈 裟 だな」
「どうだろ。なんでか、それほど大袈裟じゃない気がしてるんだけど」
それについても、今回の話とはさほど関係がない。










ふう──とその女は、ため息をついた。
薄 い唇 から、こぼれおちるように息が漏 れていく。吐 息 は彼女の顔にかかっていた栗 色 の髪 を揺 らし、そしてティーカップに浮 いている小さな花弁を撫 でた。
彼女は今......自室にいる。
静かな冬の陽光が射 し込 む、広い部 屋 ──窓 のすぐそばの椅 子 に腰 掛 けて、ティーテーブルには白いティーカップを置いている。白いドレス、物 憂 げな、半 ば閉じたような眼 差 し、ほっそりとした白い腕 ──
それが彼女だった。
年の頃 、十八、九というところか──彼女はゆっくりとした動 作 で、ティーカップの横に置いてあるベルを鳴らした。リリン......と静かに、金色の鐘 が声をあげる。
間 をおかず、部屋のドアが開いた。すぐ外に待 機 していたらしい、執 事 らしい格 好 をした男が一礼する。銀 髪 をオールバックにした、二十歳 ほどの男である。体 格 はいいが、物 腰 が穏 やかなせいか、あまり目立たない。
部屋には入らずに、男は口を開けた。
「ご用でしょうか」
「ええ」
彼女は男のほうは見ずに、細い声で答えた。
「報告、読みましたよ、キース」
「は......」
キースと呼ばれたその男は、言葉少なにうなずいた。同じくうなずくような動作をして、彼女は続ける。
「なんでも、邪 魔 者 がいるとか......」
「............」
キースは答えない。彼女は顔を上げると、初めて彼のほうに視 線 を向けた。
「無視できませんわね」
「は......」
「必要なものは? キース」
彼女の問いに、キースは落ち着いて──だが迅 速 に答えた。

「現金......を少々」
「?」
一瞬 、彼女は怪 訝 な顔をしたが、
「......分かりました。好きになさいな。手段は問いません......」
ティーカップに触 れた指先に、かすかに力を込め、つぶやく。
「なんとしてもあの女を抹 殺 するのです!」
「......なに組み立ててんの? オーフェン」
と呼びかけられてオーフェンは、ふっと振 り向いた。どことなく皮 肉 げな眼差しの──ありていに言えば目付きの悪い、二十歳ほどの男である。全身黒一色の格好で、胸 元 には力ある黒 魔 術 士 の証 し、ドラゴンの紋章 を下げている。
聞いてきたのは、黒髪の、スーツ姿の女だった。いつもの宿 屋 の食堂で、椅子に座 って木 枠 のようなものに取り付いているこちらの手元を、のぞき込むようにしている。彼女の顔を見つめ返して、オーフェンは答えた。
「道具」
まだ早朝──宿屋の食堂はまだ準備もしておらず、彼ら以外は無人である。彼女は聞き返してきた。
「......道具?」
「そ」
と、作 業 にもどる──木枠は高さ一メートルほどの大きさで、立方体に組まれている。枠の内部にバネや金属製の軸 など組み込まれていて、なにやら物 々 しいようでもあり、小学生の工作のようにも見える。
どうやら彼女の目には後者に映 ったらしい。
「なにに使うのよ、そんなもん」
「そんなもん......てコギー、お前、これがなんだか分かってんのか?」
オーフェンは手を休めて、彼女──コギーと呼んだが──を見上げた。コギーは、ふんと胸を張り、
「馬 鹿 にしないでよ。見れば分かるわ」
「ほう」
「木製車輪なし自転車でしょ」
「本気でなにに使うんだ、ンなもの......」
オーフェンはうめいて足元の『木製車輪なし自転車(仮 定 )』を取り上げた。空 いた左手でバンダナをごしごしとこすりつつ、コギーの手の中に、ぽんと木枠をほうる。
彼女は、服にボンドがついたりしなかったか少し気にしたようだった。
「......なにこれ。けっこう重いのね」
「軽いと威 力 がないからな」
「......え?」
「いや、こっちのこと。ちっとその姿 勢 で支 えててくれ」
オーフェンは言いつつ、のぞき込むように木枠の下に回り込むと、大型のネジでバネを止めた。ちょうど木枠の中空になっているところをのぞくようにして、上からコギー──本名コンスタンスが言ってくる。
「威力って、これ武器なの?」
「まぁな」
「............」
途 端 、コンスタンスが冷たい目を見せた。
「また、なんか人 様 の迷 惑 になりそうなコト考えてるわけ?」
「『また』ってお前......まあいいか、とにかくこいつは、武器っても殺傷 能力があるわけじゃねえし......どうってことないもんだよ」
「......いまいち信じらんないわ」
「なら見てみるか? 一応これで完成だし」
オーフェンは言いながら、コンスタンスの手の中から木枠を受け取った。わきについているハンドルのようなものをぎりぎりと回すと、枠の中で、軸に取り付けられたバネが巻き上げられるようになっている。
きゅ、と限界までバネを巻き上げると、オーフェンはポケットからひと握 りにできるくらいの大きさの鉄球を取り出し、バネに引っ張られる形で木枠の中に引っ込んでいる軸に装 填 した。
「ずいぶんと物々しいわね」
というコンスタンスの感想に、うなずいて答える。
「とりあえずエドゲイン君一号と名付けた」
「まあ、いいけど......え? なにこれ」
コンスタンスが、声をあげる。オーフェンが、彼女にレンガを渡したのだ。
「そいつをな、ちょっとこう......そう。そんな感じで持っててくれよ」
レンガをつまむような形でコンスタンスに持たせ、オーフェンは椅子を立った。そのまま、数歩後ろに退 がる。
そして、抱 え込むように木枠──エドゲイン君一号を構 えると、
「動くなよ......エドゲイン君、ファイヤ!」
引き金を引く。
刹 那 ──
ばちんっ! と巻き上げられたバネが弾 け、抱えているこちらの手を弾き飛ばすような反動とともに鉄球が射出 される!
がごぎっ──
一瞬後、コンスタンスが転 倒 したのだけ、オーフェンには見えた。
てん、てん、てん......と鉄球が床 を転 がる。
「あれ......?」
オーフェンはきょとんと、エドゲイン君をのぞき込んだ。
「思いのほか威力があったよーな......」
「思いのほか──って──」
がたん──と、手近なテーブルにつかまって、激 怒 した様 子 で、コンスタンスが立ち上がる......
彼女は足元に砕 けたレンガをたたきつけた。
「冗談 じゃないわよ! なんでレンガが砕けんのよ! 立 派 な殺傷 兵器じゃない!」
さすがにオーフェンもテーブルにエドゲイン君を置いて、言い訳するような声を出した。
「ま、まあ、ンなに怒 るなって......ケガもなかったよーだし......」
「ケガはなかったけど、転 んだときにヒールがとれちゃったわよ! それよりなにより、今のちょっとでも狙 いを外 してたら、しゃれになんないじゃない! たまに道具を使う動物並みのことをしてるかと思えば、どー転んでもガサツなんだから! あんたなんていつもどおり肉 弾 オンリーで十分なのよ!」
「てめえ、人が下 手 に出てれば!」
ばん! とテーブルをたたいて、オーフェンは叫 び返した。
「俺 のよーな知的でストイックな人間は、どちらかとゆーと自分で直接手を下したりはしねえんだっ!」
「それでそんな、失敗作の殺 戮 兵器を作ってりゃ世話ないわよ!」
「ちょっと待て! 今のは聞き捨てならねえぞ! 俺は別に、エドゲイン君を失敗作だとは思ってないからな!」
「当初のテーマとは違うものができあがれば、それを失敗作って言うのよ! なんなのよ! 思いのほか威 力 があったよーな、てのは!」
「大威力は小威力を兼 ねる、と言うだろーがっ!」
「言わないわよ、ンなもの!」
「............」
きっぱりと言われて、オーフェンは少し黙 り込んだ。にらみ合ったまま、しばし考えて、
「......大 規 模 破 壊 は小規模破壊を兼ねる、だったっけか」
「そーゆう問題じゃなくて......」
と──
表に『準備中』の札がかかっているはずの扉 が、軽い音を立てて開いた。入り口から、ひょいと顔をのぞかせたのは、ぼさぼさの黒髪──
身長百三十センチほどの『地 人 』である。毛皮のマントをまとって、分 厚 い眼鏡 をかけている。
宿の中にとことこと入ってきたそれを見て、オーフェンは素早くファイティングポーズをとった。あたりを警 戒 しながら、
「ドーチンか......てことは、ごくつぶしの兄 貴 もいっしょだな?」
しゅっしゅっとジャブを放ちながら続ける。
「てめえらのほうから、のこのこと現れるとはいい度 胸 だ──借金を返すアテがあればよし、なければたった今完成した究 極 兵器エドゲイン君一号の洗礼が待ってるぜ」
「失敗作のくせに......」
背後からのコンスタンスのつぶやきは、この際無 視 する。
なんにしろ、ドーチンはあまり意に介 さない様子で、真っすぐこちらへと近づいてきた。
「兄さんは、今日はいないんですけど......」
と、切り出してくる。
「でもまあ、そのことで相談があって──って、あれ?」
と、きょとんとした顔を見せる。
「どしたんですか? 呆 然 としちゃって」
「どーしたもこーしたも......」
オーフェンは、ファイティングポーズも崩 し、うろたえるように両手をわななかせると、うめいた。
「お前が......ボルカン抜きで単独行動をしているなんて、ンな馬 鹿 な!」
「そーよ!」
コンスタンスも、勢 い込むようにして叫ぶ。
「なんてゆーか、だいたいワンセットのものなんだなー、て思ってたのに!」
「てゆーか、ひとつのものだと思ってたぞ俺は! くそ、裏切りやがって!」
「............」
ドーチンが、顔をさあっと青ざめさせる。
「いや別にぼくは......」
ごにょごにょと言い出したのには構 わず、オーフェンは続けた。
「馬だって、首だけで空飛んできたら怖 いだろーが! ひとつのものが分かれて行動したりしちゃいけないんだぞ! まるで一人前の人間みたいなことをしやがって!」
「そーよそーよ! 会う手間が二倍に増えて面 倒 じゃない!」
「......帰って人生をよく考えてみます......」
くるりと後ろを向いたドーチンに、オーフェンはうんうんとうなずいた。
「それが良かろ」
「それじゃ、お金の話はまた次の機会にってことで──」
「待てぇいっ!」
オーフェンは、さっとドーチンの前に回り込んだ。
「そんなことでどうする、ドーチン! お前は独立独歩の人間だろう⁉ 自由意志は誰 にでもある! 誰にでも使えるんだ! あんな性悪 警官に十 把 一 からげ扱 いされたからって、卑 屈 になるんじゃない!」
「あー! ひどーい! わたしだけ悪者にして!」
「いや別にいいんですけど......そーゆう人たちだってことは知ってたつもりですし......」
なぜか人生に疲 れたような顔を見せるドーチンに、オーフェンは臆 することもなく真 摯 な目を見せた。
「まあ、そう言うなって。いけずだぞ」
「............」
ドーチンの口から、ため息が漏 れる。
「兄さんが、ヘンなんですよ」
「いつもヘンだぞ」
「きっとこれからもヘンよね」
きっぱりと即 答 されて、さすがにドーチンは後 退 りしたが、それでもめげずに続けた。
「いや、だから......兄さんが、なんか金持ちになってるんです」
空を、風が通り抜けていくのは、見えるものなのだろうか。きっと、見えるのだろう......
空を見上げるカフェテラス。軽食ののったテーブルに軽く肘 などついて、思う。
空が、自分の心を映して色を変えることがある。そんなときは、きっと風が空の色を塗 り替えているのだ。
「俺も感傷的 になったな......故 郷 にでも立ち寄ってみるか......」
遠い目をしながら、ボルカンは冷えたブラックコーヒーを喉 の奥に流し込んだ。
刹 那 ──
「感傷に浸 れる身分かぁぁぁっ!」
うなる鉄球が、ボルカンのいるテーブルを粉 々 に吹 き飛ばす。
「どおおおっ⁉ 」
椅 子 から転 げ落ちて、腰に剣 を差した地人──ボルカンが悲 鳴 をあげた。
「聞いた話じゃあ、えらく羽 振 りがいいようじゃねえか......ええ?」
次弾を装 填 しながら、オーフェンは進んだ。なんとなく、凶悪 な形をしたサングラスなどかけている。エドゲイン君を肩にかついで、地面に座っているボルカンの間近まで近寄っていった。
ちらと、砕けたテーブルの下に散らばった昼食の残 骸 を見てから、
「おうおう......しばらく見ないうちに随 分 とまあ、豪 勢 なもんを口にしてるなぁ」

「......一番安い軽食じゃない......」
後ろから、コンスタンスが呆 れた声でぼやく。オーフェンは、くるりと向き直ると、
「てめえ! 俺なんざ、ここんところ塩と砂 糖 しか食ってねえんだぞ!」
「そーゆうのは、食べるじゃなくてなめるって言います......」
コギーに手をひかれているドーチンがつぶやいてくる。オーフェンは無視して、再びボルカンへと向き直った。サングラスをむしり取って、まだアスファルトに座り込んだままのボルカンに指を突 き付ける。
「と・に・か・くっ! なにやら知らねえうちに、物持ちさまになったらしいじゃねえか⁉ 待ちに待った貸 付 金 に利 子 、返せねえとは言わせねえぞ!」
が──
「......くっくっくっ......」
ボルカンは、不敵に笑い出した。いきなり、がばと立ち上がると、それまで黙 っていた鬱 憤 を爆 発 させるように叫び出す。
「つくづく哀 れな男だな、この金貸し魔術士が!」
「な──なにい⁉ 」
「まだ自分が罠 に落ちたことも気づかんのか、この両生類並みの鈍 感 野 郎 め!」
ボルカンは、ばっと毛皮のマントをひるがえし、いつの間にかテーブルの下から発 掘 していたらしい軽食の残りのサンドイッチを掲 げてみせた。
「貴 様 は今日! このマスマテュリアの闘 犬 、不 屈 の闘士ボルカノ・ボルカン様に、直 々 に凸 レンズでのぞき殺されるわけだ!」
「ンだとコラ、タヌキ臭 え息でべらべらしゃべりやがって!」
しなびたツナのサンドイッチで泰 然 と顔を扇 いでいるボルカンに、さらに詰 め寄る。
「てめえがしゃべるだけ、時間と酸素とボキャブラリーの無 駄 遣 いだ! どーせ結末は同じなんだから、今度からは最初から自分で黒 焦 げになって現れてみろってんだ!」
「ふっ──今までの茶番で、自分がこの俺様に勝っていたと思い込んでいたらしいな、お前は──」
「なんだとてめえ!」
が、凄 んでみても、ボルカンは、あくまで余 裕 ありげに続けてきた。
「まだ分からんのか......このマスマテュリアの闘犬が、貴様をはるかに凌 駕 する究極の力を手中にしたということが......」
ばっ──と、サンドイッチを横に振り、
「金に汚 い貴様のことだ! その力によって手に入れた莫 大 な財 を、この俺が散財しているという情報を耳にすれば、なんの準備もなく現れるものと踏 んでいたのだ! 案 の定 、貴様はもう罠の中だ......」
「わけの分かんねえことを!」
叫びながらオーフェンは、エドゲイン君を構 えた。
「つまらねえごたくを聞かせやがって! てめえの素通り頭で思いついた、その罠とやらがどんなもんだろーと、この究極の問 答 無 用 調 停 装 置 〝エドゲイン君一号〟の威 力 の前にカスカスだってんだ!」
「問答無用調停装置......?」
また背後で、コンスタンスの怪 訝 そうな声。
答えたのはドーチンだった。
「つまり......『とにかく力づくでケリをつけてしまうから覚 悟 しな兵器』ってことじゃないですか?」
「そーゆう言い方をするな!」
オーフェンは、ドーチンへと向き直った。自然、エドゲイン君の銃口 もそちらを向く。
「そー言われましても......」
「うるさいっ! だいたいてめえ、今の話だと、福ダヌキの手先みてえじゃねえか。こんなとこまで連れ出しやがって」
「いや、ぼくは別になにも知らないんですよ。あんまり兄さんが日 頃 なにをたくらんでいるかなんて、いちいち気にしててもくだらないだけですし」
「そこまで言う......」
と、これはコンスタンス。ドーチンは、少し気にするように話題を変えた。
「で......あの、その物 騒 なもの、こっちに向けないでくださいよ」
と、なにやら不安げにエドゲイン君を指さしてくる。オーフェンは、はっはっと笑い、
「なにが物騒なんだよ。これは俺 が作った、対ボルカン用愛の鞭 だ」
「さっきテーブルを粉 々 に打ち砕 いてましたけど......」
「はっはっはっはっ」
オーフェンはとりあえず、あさっての方向に笑い声をあげた。
「だいじょーぶ。結果はともあれ、安全第一に設計してあるんだからな」
「できれば結果は考 慮 してほしいですが......でも安全第一って、具体的になんです?」
「作るとき、接着剤 のシンナー吸って気分悪くならないように窓 を開けておいたし、カッターの刃 を向けるほうには絶対に指を置かなかった。それに、設計図を束 ねるのにも安全ピンを使ったかな」
「......ひょっとして自分のことしか考えてないんじゃありません......?」
「ここんところに、『平和の祈 りを込めて♥』ってサインも入れといたぞ」
「まあ、そのノリは分からないでもないですけど......あ!」
と、ドーチンは声をあげた。
「兄さんが!」
「なにっ」
と振り返る。ボルカンはいつの間にか、別のテーブルの上に仁 王 立 ちして剣 を抜いていた。そのまま、大声で叫ぶ。
「出 でよ! 我 がしもべとなりし、究極闘士一号!」
「なんだと!」
オーフェンは、あわててあたりを見回した。助 っ人 が本当にいるのならば、ひょっとしたらひょっとして、ということはあり得る。
ボルカンがテーブルの上で哄笑 を始める。
「わぁーっはっはぁっ! 今まで勝ったつもりで、ひとりダンスを踊 ってきた哀 れな借金取りめが! 今日を無 念 と、きゅうすから直接飲み殺されるがいい!」
「くっ......!」

オーフェンはうめき声をあげながら、油断なく構えをとった──そのまま、じっと待ち構える──じっと......
構えたまま、十五分が過ぎた。
「............」
オーフェンは額 に一 筋 の汗 を流し、硬直 していた。にらみ合っているボルカンも、時間とともに余 裕 がなくなってきたのか、少しずつ目をそらしている。
ふと見ると、コンスタンスとドーチンは少し離れたテーブルで、コーヒーなど注文して傍 観 していた。
すたすたと、ボルカンのほうに、店のウエイトレスがひとり、近寄っていく。
「お客さま、そのようにテーブルの上に乗られますと、ほかのお客さまのご迷 惑 になるんですが......」
「......そーですか......」
のそのそとボルカンがテーブルから下りると、ウエイトレスはこれ以上かかわりたくなかったのか、さっさと店の中に入っていった。ボルカンはそのまま、そのテーブルの椅 子 に腰 を下ろし、空を見上げるしぐさをする。
「人の醜 さというものか......はたまた世間が無情なだけなのか......」
「............?」
突然独 り言 を始めたボルカンを見ながら、オーフェンは眉 根 を寄せた。ボルカンは、ふうとため息をつき、
「果 たして裏切りの報酬 はいくらなのだろう......」
「早い話が、ちーとも助っ人が来んということかぁぁっ!」
オーフェンは叫びながら、エドゲイン君の引き金を引いた。再び、ボルカンを巻き込んでテーブルが爆 砕 する。
「おおおおおおっ⁉ 」
吹き飛ぶボルカンをにらみ据 え、オーフェンはまたエドゲイン君に次弾を装 填 した。地面に転 げ、こちらに手を上げながら、ボルカンが言ってくる。
「ち──ちょっと待て、魔術士! きっと、きっと奴 は来るから、もーちっと待ってくれい!」
「誰が待つか、ぼけぇっ!」
次の瞬間 には、鉄球がボルカンの顔面にめり込んでいる。
「終わった......なにもかも......」
ぽて、と血まみれで地面に倒 れたボルカンを前に、オーフェンは感 慨 深くつぶやいた。後ろから、ひそひそとコンスタンスらのつぶやきが聞こえてくるが──
「死んだわよね、あれ。きっと......」
「でも死なないんですよね、きっと......」
とりあえず無視することにする。
オーフェンはつかつかと、倒れたボルカンに近寄った。毛皮のマントの襟 首 を捕 まえて、白目を剝 いている地人の頭をぶんぶんと振りまわす。
「さあ! ここの払 いをすませるための金を持ってるはずだ! きりきり出せ、おら!」
「きゃー! 強 盗 ーっ!」
いきなり目を覚 まし、悲 鳴 をあげるボルカン。それを押さえ付けながら、オーフェンは、ふと、殺気を感じた──
「────⁉ 」
「いけませんねえ」
穏 やかなその一言に、とてつもない危険を感じて、オーフェンは自分の頭上にボルカンの身体 を掲 げた。たいていの危険なら、これで防げるはずだ──
ごすっ......

地人の身体ごしに伝わってきた手 応 えは、なんというか、ひどく重かった。
「............?」
顔をしかめて、恐 る恐るのぞいてみる──と、ボルカンの頭にめり込んでいるのは、刃 毀 れしてゴツゴツの、分厚い斧 の刃だった。
「おおおおおおっ⁉ 」
オーフェンは悲鳴をあげながら、さすがにあっさり卒 倒 している様子のボルカンを適当にそこらに放 り捨てた。
いつの間にか、すぐそばに、巨大な斧を持った男が立っている。
「な──なんだてめえは! いきなりっ!」
だが男は、オーフェンの叫びなど聞きもしない様子で、
「いけませんよ」
巨大な斧を片手で、まるで花束みたいに扱いながら、続けてくる。
「わたしがせっかく新しい友人を作ったとゆーのに、強盗したあげくに殺害するなんて」
男は、真 顔 だった──端 正 な顔付きに小じわすら寄せない真 剣 な面 持 ちである。乱れのない銀髪をオールバックにして、身なりは質素だが上等なタキシード。年 齢 はオーフェン自身と同じくらいだろうが、物 腰 のせいか、かなり年上に見える。
「てめえ、ふざけんな!」
オーフェンは、がばと向き直って、突然現れた男の胸 倉 をつかみ上げた。
「いきなり斧で殴 りかかってくるたぁ、どーゆう了見 なんだよ! ケガでもしたらどーするつもりだ!」
「あのー......」
遠くから、ドーチンがつぶやいてくる。コンスタンスといっしょに、血まみれのボルカンを介 抱 している。
「兄さん、動脈から血が出てるみたいなんですけど──」
「幸い、ケガはなかったが!」
オーフェンはきっぱりと、男のほうに詰 め寄った。
「心に負った恐 怖 はぬぐいがたい! 慰 謝 料 とゆーものを知ってっか!」
「もちろん、知っていますよ」
男は、眉 ひとつ動かさずうなずいた。その手が、ほんの少しだけ動くのを、オーフェンは見 逃 していなかった──
ばしっ!
死角からいきなり振り下ろされた斧を、オーフェンがエドゲイン君で受け止めた状態で、両者ともしばし硬直 する......
男は、あくまで無表情に、さりげなく斧に力など込めながら、顔を近づけてきた。
「いけないんだ。強盗殺人なんてして」
「おのれは〜......」
オーフェンは、さっと斧の刃の下から身体をすりぬけさせて、いったん後ろに退 いた。
びし、と男を指さす。
「ごまかそーとしても無 駄 だぞ! 今話し合うべきは慰謝料のことであって、既 に死んだ福ダヌキのことじゃねえ!」
「そうかもしれません......」
男は、つと目を閉じて、考え込むように顔を伏 せた。
「ああ。こうしてまぶたを閉じれば、故人との友情の日々が走 馬 灯 のように浮かんでは消えます......」
「......死んでないんですが......」
と、ドーチン。が、無論、男は無視した。
そっと、細い指先でまぶたを押さえている。
「悲しむべきではないのかもしれません。人が死ぬことを悲しむのは、愚 かなことだと言います。しかし──互 いになぐさめあうくらいの甘 さは、残された人間たちにも許 されるのではないでしょうか......」
ごとん、と斧 を捨て、男はすたすたと近寄ってきた。
「ああ、名も知らぬ黒ずくめの人、故人の思い出を共有する者どうし、争うのはやめましょう──」
と、握 手 するように右手を差し出してくる。が──オーフェンはあっさりと、その手首をつかんだ。
男の右手の中に、ちらりと、ナイフの刃が光る。
涙 の跡 など微 塵 もない顔を上げて、ごまかすように、男がつぶやいた。やはり真顔で。
「いけないんだ。強盗殺人なんかして」
「あのなぁ......」
「ああもう! いいかげんにしなさいよ!」
と、背後でいきなり声があがる──目の前の男が危なっかしくて振り返れないが、コンスタンスがこちらにつかつかと歩いてきているらしい。ヒールが折れているので、不安定な歩き方だが。
彼女は、割り込むようにオーフェンと男の間に腕を差し込むと、
「オーフェン! あの地人、本気で死にそうよ! それに、そっちのあなたも! いきなり斧で殴 りつけてくるなんて、いくらこの人相手でも許されることじゃないわ!」
「どーゆう意味だ......」
オーフェンは半眼でつぶやいたが、コンスタンスに無視された。
彼女は、ぐいと男の腕をつかむと、
「わたしは派 遣 警察官のコンスタンス・マギーよ。場合によっては逮 捕 ──え?」
コンスタンスが急に、色を失ったように息をのむ──
「あなた──キース⁉ 」
「ピンポーン」
男──コンスタンスはキースと呼んだが、とにかく彼は、やはり真顔でそう言うと、さっと彼女の手を振り払った。
「ふっ──正体がばれてしまっては、仕方ありませんね......」
と、手の中のナイフを適当に背後に捨てる。同時に、ボルカンが蘇 生 したようだった。
「あー! 助っ人! 今さら現れたか!」
無視して、キースとやらは続ける。
「できれば、いきなり現れた地人の助っ人として貴方 を始 末 したかったのですが......」
「遅 刻 したくせに」
ドーチンのつぶやきも、まるっきり気にした様子はない。キースは、さっと優 雅 に腕を振った。
「そう──わたしは《岬 の楼 閣 》のキース・ロイヤル!」
「《岬の楼閣》......?」
オーフェンは、怪 訝 につぶやいた。聞いたこともない。
ちらと見ると、コンスタンスが神妙 な面 持 ちで、答えた。
「執 事 養成学校の名門よ」
「しつじ......え?」
さらに眉 根 を寄せてオーフェンは聞き返したが、コンスタンスは、それ以上答えるつもりはないらしかった。スーツのポケットから、いつものダーツを取り出して構えている。
彼女は、ダーツの先をキースに向けると、
「あなたが現れたってことは──あの女の差し金ね⁉ 」
「当然でしょう。主人のために働くのが執事 の務 めです──」
「なら、とっとと帰ってあの子に伝えなさい! わたしは絶対に負けたりしないって!」
「その前に、主人から伝言がありまして──わたしは絶対にあきらめたりしない、とのことです」
「えーと......」
彼女の後ろから、オーフェンはどことなく気弱に手など出してみるが、それはあっさりと彼女の肩にはじき返された。
コンスタンスは、気づいた素振りすら見せず、続ける。
「言っとくけど、例のことはわたしのほうが先約なんですからね! あとからのこのこやってきて、わたしの上 前 かっさらおうなんて──」
「ああいったことに順番を決めるのは不毛だ、との伝言も賜 っておりますが──」
「あのー......」
「なにが不毛だって言うのよ! そもそもあいつが──」
「なあ、コギー──」
「ですから、それは主人と直接会っていただかないと──」
「なんでわたしから出向かなくちゃなんないのよ! 菓 子 折 り持ってそっちから出てくるのが筋 でしょう!」
「やかましいいいいっ!」
オーフェンは叫びざま、背後からコンスタンスに回し蹴 りを見 舞 った。
「ひあああっ!」
悲 鳴 をあげながら、コンスタンスが転 倒 する。オーフェンは、装 填 したエドゲイン君を突き付けながら、彼女をにらみやった。
「悪いが、さっぱり話が見えねえんだけど」
「そんだけのことで蹴らないでよ!」
頭を抱 えながら、コンスタンスが怒 鳴 り返してくる。
「ふっ──」
軽く息をついて、キースがつぶやいた。
「なかなかに頼 もしい味方を手に入れたようですな。情報どおりです」
意味もなくカフスボタンなど軽く嚙 みながら、彼は後ろに退 がりはじめた。
「ですが、忘れないでくださいよ、コンスタンス様──我が主 、ボニー様は決してあきらめない方です。そして主人があきらめないかぎり、わたしもまた、あきらめません」
わははははは! と哄笑 をあげながら、彼は、ぱっと背中を見せて走りだした。
「あきらめない者が勝つのですよ! それが勝負というもの! わたしは去るのではない! また現れるのです! それではその日まで、ご健勝お祈りいたします──!」
「............」
その場に取り残されて、つい呆 然 となってしまう──と、ぽつりと、ドーチンのつぶやきが聞こえてきた。
「......逃げた......」
はっと気づいて、オーフェンは叫んだ。
「逃がすかああああっ!」
同時に、構えたエドゲイン君の引き金を引く──
多少遠くまで走っていったからといって、轟 音 とともに飛びゆく鉄球を避 けるすべなど、キースにはないはずだった。が──
ぴた、と立ち止まると、キースは両手を掲 げ、大音声 をあげた。
「バリアー!」
次の瞬間、タキシード姿の執 事 の眼前にきらめく光の壁 が現れて、鉄球をあっさりとはじき返す──
「ンな──!」
オーフェンは、仰天 して思わずエドゲイン君を取り落とした。
「魔 術 ──だと⁉ 」
「はぁーっはっはぁっ!」
キースは、さらに大声で笑い声を響 かせた。
「主のためなら、魔術くらい使えんでか!」
「ンな馬鹿なことがあるかぁぁっ!」
オーフェンは絶叫 した。が──
「ふっ──」
と、キースが優雅に笑 みを見せる。
「主のためとあらば、不可能を可能とするのが真の執事というもの! 真の執事を養成するのが我が《岬の楼閣》! 時代遅 れの《牙 の塔 》など最初から相手にならないのですよ、魔術士!」
ひとしきり勝ち誇 ってから、また逃げていく......
「なんで執事養成学校で教育された魔術士なんぞに勝ち誇られにゃならんのだ......」
ぶつぶつ言いながら、オーフェンはキースを見送った。敵はもう、素早い逃げ足で別の通りへと逃げ込んでいる。
「なんだったんだ......あいつは......」
彼のつぶやきに、いつの間にかとなりに並んで立っていたボルカンが答えた。
「とりあえず──」
ぐっ、と拳 をにぎって断 言 する。
「謎 の執事の脅 威 は去ったようだな」
「てめえは奴 とグルなんだろーがぁっ!」
オーフェンが叫びとともに放った光熱波は鬱 憤 を晴らすように、えらく遠くまでボルカンを吹き飛ばした──
「......では、失敗したのですね?」
彼女の言葉は、冷ややかだった──が、キースは知っていた。彼女は厳 しい主人だが、無能な主人ではない。
理由のある失敗に関しては、責めはしない。だから、キースは報告した。彼女の部屋の入り口から、決して中には入らずに。
「わたしの計画は、九 分 九 厘 成功でした」
きっぱりと真顔で、続ける。
「ですが、情報にあった、例の黒 魔 術 士 ──あれは尋常 な相手ではありません。あと一歩というところまでは追い詰めたのですが、予想外の抵 抗 に、取り逃がしてしまいました」
「そうですか」
彼女はうなずくと、ぱたんとひざの上の本を閉じた。
「あなたの報告です。噓 はないでしょう」
「はい」
彼女は、少し気にかけるように、首を斜 めにした。
「まさか......あきらめては、いないでしょうね?」
「あなた様が、やめろとおっしゃるか──」
キースは一礼した。
「あるいは、わたしに死ねと申されるまでは。わたしは、永遠にあなたに仕 えましょう」
「よろしい」
彼女は、またうなずいた──そして、ほんのわずか、微笑 みも見せたように思えた。それだけが、彼の報酬だった。
「退出なさい」
彼女の命令に、彼は従った。扉 を閉じて、顔を上げる。ボニー──我が主人、ボニー。
彼は、いつもはまずやらないし、そもそも今までしたこともなかったことだが、しばらく扉の前に立ったまま、耳をすました。しばらく経 ってから、部屋の中から、彼女の声が聞こえてくる──
「コンスタンス──」
彼女が、怒 りを込めて、声を震 わせる。
「わたしがあきらめると思って⁉ 」
それを聞いてから──
キースは、廊 下 を歩きはじめた。
(お前はいったいなんなんだ⁉ :おわり)


「YOHO! 始めまして──会ったこともナイ、黒ずくめの人ヨ!」
と、いきなり背後から声をかけられて、オーフェンは半眼で振 り向いた。黒 髪 に黒目、二十歳 ほどの、やぶにらみの男。確 かに言われたとおりに黒ずくめである。
「............」
彼は疲 れたように、背後から声をかけてきた男にせいいっぱいの嫌 悪 の視 線 を送った。
が、声をかけてきた男は、まったく臆 しもせずに続けてくる。
「ワーオ! すーばらしい革 ジャンですネ! ワタシ黒い上着をこよなく愛する銀行員デスが、チョトその服、触 ってもイイですカ?」
三角帽 子 に鼻つき眼鏡 、白いつけ髭 に、赤と黄色をストライプにしたタキシード。上着の下はラメのシャツ。しまいには、つま先が反 り返った白いブーツ......
相手の頭の上から足元までをざっと眺 めて、とりあえず感じたのは、めまいだった。
が──さりげなくこちらの肩を触ろうとした相手の右手を捕 まえることは忘 れなかった。
「............」
じっと、半眼のままにらみ据 える──相手の手には、口の開いた小 瓶 があった。青いラベルにはポップ調の筆 跡 で、こう書かれている──『強塩酸 』
白昼の大通りである。ふたりがふたりとも目立つ格 好 をしている上、それが腕 をつかんで対 峙 しているのだから、どうしようもなく人の目を引いた。
「なんのつもりだ......キース......?」
ごくさりげなく力を込めてきている相手の腕をなんとか押さえながら、オーフェンはつぶやいた。相手──キースは、つけ髭 の下で、ふっと笑うと、
「さすがデスね、黒 魔 術 士 ......一 筋 縄 ではいかナイ相手のようデースよ」
「......その口 調 やめろ」
が、キースはまったく聞かずに──ただし口調は変えたが──、
「ふっ──」
と笑って、手を引っ込めた。
意味もなく、キザったらしいポーズなど決めながら後退する。もっとも言うまでもないが、格好が格好なのでろくなものではない。
「甘 くみていましたよ。どうやら、正攻法では倒 せない相手のようですね」
「今のどこが正攻法だっ⁉ 」
オーフェンが叫 ぶのにも、動じた様 子 はない。キースはさらに一歩後ろに退 いた。
「ですが、もう既 にわたしの攻撃は始まっているのですよ、黒魔術士! 朝から数回、ことごとく意表をついたわたしの変 装 を、あなたは一度として見 破 れなかった!」
「ンなわけがあるかっ!」
周囲の目を気にしながらオーフェンは叫ぶが、キースはまったく聞いていない。
「そして次にこそ、わたしは決定的な手段に出ます! 今まで以上の焦燥 と恐 怖 ! 疑 心 暗 鬼 に悩 まされるがいいでしょう!」
「ったく......こいつを野放しにして、コギーはなにやってんだ......」
オーフェンは頭を抱 えてうめきながら、うんざりとため息をついた──
「──と、ゆーわけだ」
いつもの宿 屋 の食堂にて──
オーフェンはそう締 めくくった。
テーブルの向かいにいるスーツ姿の女──コンスタンスが、へえと薄情 な声を出す。
「それは災 難 だったわねえ」
「もとはてめえの災難なんだろうが!」
ばんっ!──とテーブルを両手でたたき、オーフェンは立ち上がった。そのまま凄 絶 な眼 差 しでにらみつけるが、コンスタンスはさして動じた様子もなく、目の前のパスタをフォークでかきまぜる。
「でもほら、キースの奴 、どうもあなたをわたしのボディーガードだとか、そーゆうのと勘 違 いしてるみたいだから、きっと最初にあなたを始 末 したがると思うわよ」
「つまり俺 が神経症 になってぶっ倒れたりするまでは、てめえは安 泰 ってか、コギー」
皮 肉 まじりに、うめく。
「今 朝 だけで八回だぞ──あの野 郎 、熊 の着ぐるみだの、ポストの格好だの、果 ては目んところに黒い帯をつけただけなんてのもあったっけかな──あの変 装 だか扮 装 だかのおかげで、街 の連中、俺のことまで奴の仲間だと思ってるらしいんだぞ!」
「このホウレン草のパスタ、おいしいわー。今度作って食べさせてあげよっか?」
「話を聞けぇぇぇぇっ!」
思わず拳 で、テーブルを打ち付ける。
さすがにコンスタンスも、びっくりしたようにこちらを凝 視 した。
「なにを怒 ってんのよ」
「なにって、お前──」
うめいてから、オーフェンは咳 払 いした。
「そもそもだ、あのキースって野郎はなんなんだよ。お前の知り合いなんだろ?」
静かに聞くと、コンスタンスは居 心 地 悪そうに椅 子 に座 り直して答えてきた。
「キースはボニーの執 事 よ」
「ボニー?」
聞き返す。と、コンスタンスは、さも不 機 嫌 そうに口をとがらせた。
「そうよ。ボニー......あいつだけは、わたしの手で息の根をとめてやるわ」
珍 しく真 剣 な面 持 ちで、断 言 する。思わず引き込まれそうになりながら、オーフェンは彼女の表情を見つめた。
「因 縁 ......なのか?」
聞くと、彼女はこくんとうなずいた。
「ええ、長年のね。わたしが派 遣 警察官になったのも、思えばそれが原因よ......」
「............」
コンスタンスは顔をわずかに伏 せて、ひとりの思いにひたっているように見えた。その思いを嚙 み締 めているのか、あるいは思いに嚙み付かれているのか──彼女の表情は、決意にも見えたし、苦 悩 にも思えた。
と、いきなりその顔を上げて、彼女はあっさりと言った。
「というわけで、キースはあなたがなんとかしてね」
「ちょっと待ていっ!」
オーフェンは見 逃 さなかった。
「それは、めんどくさい奴は俺に押し付けて、自分だけでおいしいとこはもらっておこうとかいう、そーゆうことじゃねえのか⁉ 」
「やーねえ、オーフェンたら。人の揚 げ足ばかりとって」
皿の上のパスタをかきまぜながら、軽 薄 な調子でコンスタンスが言う。オーフェンはテーブルの上に乗り出して、彼女に顔を近づけながらうなった。
「て・め・え・は・なぁ〜」
「だって、キースの奴は、わたしも苦 手 なんだもん──ボニーのためなら、手段も目的も結果も行く末 も、なにもかも気にしない奴なんだから」
「なおのこと、そーゆうめんどーな奴を他人に押し付けるんじゃねえ!」
「なにがよっ! あいつはね、ボニーに命令されたからってだけの理由で、わたしがボーナス二回分積 み立ててオーダーメイドしたパーティードレスをパパのパンツといっしょに洗 濯 するよーな奴なのよっ! あなた以外の誰 に対抗できるっていうのよっ!」
「どーゆう基 準 で俺だけなんだよっ!」
「陰 険 さに決まってるでしょ!」
やたらきっぱりと断言して、コンスタンスも椅子を蹴 った。立ち上がって、続ける。
「人がせっかく見込んであげてるってのに、なんなのよ! 熊の着ぐるみくらいで精神的に追い詰 められるなんて! 変 態 といっしょくたにされて社会的に抹消 されるくらい、今さらどうってことないでしょ⁉ 」
「死体でチョッキ作るのが趣 味 だとかいう殺人鬼に襲 われたほうがマシだっ!」
「なに言ってんのよっ! 殺されたあげくチョッキにされちゃった人の気持ちも知らないくせに!」
「そうですねえ。確かに先の発言は無神経なのではないかと、わたしも思います」
「────⁉ 」
いきなり横から割り込んできた声に、仰天 して振り返る──と、テーブルのすぐ横に、銀 髪 をオールバックにした男が立っている。
「キース!」
「いつの間に!」
口々にオーフェンとコンスタンスが叫ぶが、当のキースは取り合わずに続けてきた。
「神経のない人は家族を幸せにできませんよ、黒魔術士。わたしとしては首まで落ち葉に埋 まって瞑 想 するとかいうネイチャーゲームを推奨 しますが......」
「やかましいわっ!」
「そうよ! この人の無神経がそんな簡 単 なことで矯正 できるなら誰も苦労しないわ!」
即座に続けて叫んだ彼女のせりふには、多少釈然 としないものを感じはしたが、あえて無 視 してオーフェンはキースと向き合った。しわひとつないタキシードを着たキースは、これまた乱れのない髪、落ち着いた表情で、悠 然 とこちらを見つめ返してきている。
オーフェンは指を突 き付けると、
「だいたい、話の本題は、ンなことじゃないだろーが! 結局まだよく事情は分かっとらんのだが、とにかくキース! 迷 惑 かけるのは当事者どうしでやり合ってろ! 俺 を巻き込むな!」
「わたしとて、心苦しく思っているのです」
すっ──と握 手 を求めるように手を差し出しながら、キースが言ってくる。
「と、こうして意見が一 致 したところで同志になっていただければ、すべて丸く収 まるわけで──」
「それじゃますます同類だろーがっ!」
叫びながらオーフェンは、キースの手を横にはたいた。同時に、弾 かれた手から、なにかがからんと床 に落ちる。かみそり。
「てめえは......」
オーフェンは青い顔をして、キースの胸 倉 をつかみ上げたが、執 事 のほうはまったく気にした様子もなかった。涼 やかな顔で言う。
「不幸なことに、友好の申し出は無 為 のものとなったようですね......」
「本気で言ってるのかしら......」
横から、そんなことをコンスタンスがうめくのが聞こえた。
キースは真 顔 のまま、続ける。
「ですがわたしには奥の手がありますっ!」
と言って彼は、さっと身をひるがえした。そのまま身軽にオーフェンのわきをすりぬけると、近くにいたコンスタンスに飛びつく。
あっという間に──
「きゃあああああああっ⁉ 」
悲 鳴 をあげるコンスタンスを、キースは軽々と肩にかつぎ上げた。
「はーっはっはっはっ!」
高らかに笑い声をあげながら、彼は一 目 散 に逃げていく。椅子を蹴 散 らしながら。
「これでわたしの勝ちです。黒魔術士! コンスタンス様はいただいていきますよ!」
多分、背後から魔術で狙 撃 すればなんとでもなったのだろう──ということを思い出したときには──
ばたんっ! という扉 の閉 じる音とともにキースは、宿屋から飛び出していった。
「............」
ひとり残されて、オーフェンはぼりぼりと頭をかいた。ふと見下ろすと、彼の足元に、コンスタンスの持ち物に間違いない、ウサギ形のメモ帳が落ちている。
ぱらぱらとページを開き──最後のページに地図とアドレスとが事細かに記されてあった。ご丁 寧 なことに『あの女の潜 伏 地 』と、タイトルまで書いてある。
オーフェンは軽い頭 痛 を覚 えて、頭を押さえた。うめく。
「まさかとは思うが......俺に救 出 しに来い、てことじゃねえだろうな......」
「なんで俺がこんなこと......」
ぶつぶつと言いながら、オーフェンは夜空を見上げた──真夜中、黒々と渦 巻 く暗雲の夜空。月もない。ぽつんぽつんと並ぶ街 灯 だけが、静かな街 を照らしている......
夜空に向かってそびえるのは、緑色の壁 の安アパートだった。四階建て。窓は小さくベランダもない。少し出っ張った窓 枠 には鉢 植 えのプランターが並べられていた。
怪 訝 な思いで、オーフェンは独 りごちた。
「執事......とか言ってたよな......」
(そーいったものを雇 うような人間が住む場所じゃねえような気がするんだが......)
手にしたメモ帳を、ちらりと見下ろす。
「っても、コギーの残した手 掛 かりだもんな......あとになって、『あ、ごめーん。全部勘 違 いだったみたい』とかいうことになっても、全っ然意外なことじゃねえんだが......」
メモ帳をポケットに入れて、オーフェンはまたアパートに向き直った。
「にしても......なんで俺がわざわざあんな無能警官のためにこんなところまで......」
「愛・ですね」
いきなり背後から聞こえたせりふに、思わず硬 直 する。
声は、続けた。
「拉 致 された女を救 うため、怒 りに狂える男は危険を顧 みず敵地に侵入 する......ふたりの再会を阻 むのは幾 多 の罠 ! しかし男は立ち止まらない──」
「やかましいわっ!」
オーフェンは振り返りざま回し蹴りを放ったが──
声の主はその蹴りを、すい、とかわした。
「いつの間にわいて出た、キース!」
「人をボウフラのようにおっしゃらないでいただきたい」
ぴっと指を立てて、彼は真顔で続けた。
「わたしのご主人様──ボニー様は、資産運用に関して大変に奥ゆかしいお方でして」
「............?」
意味が分からずに怪訝な表情を返すと、キースはそのまま、
「つまり、倹 約 のためにご自分のお部 屋 一部屋しかお借りになられていないため、わたしは夜通し、たいていこのあたりに突 っ立っているわけです」
「ただの貧 乏 なんじゃねえのか......?」
「なんということをっ!」
派 手 な身 振 りでキースが驚愕 の声をあげる。
「アーバンラマの蒸 気 王 、故フレデリック様がご息 女 、ボニー・マギー様に向かって、そのような暴 言 ──」
「ちょっと待ったぁっ!」
叫びながらオーフェンは、ぐわし、とキースのあごをわしづかみにした。
執 事 の目をぎろりとにらみながら、オーフェンは静かに聞いた。
「ボニー・マギー ......だと?」
嫌 な予感がする──
あっさりと、キースがうなずいた。
「コンスタンス様のお妹君に当たります」
「......じゃあ......コギーの奴が、てめえらのアドレスまで知ってたのは......」
「転居届 が無事にとどいたようですな」
「だああああああっ!」
わしづかみにしていたキースの顔を適当に地面にたたきつけ、懐 のメモ帳もアスファルトに捨ててから、オーフェンは絶叫 した。
「つまり、この間からてめえがしつこくちょっかいかけてきたのは、あいつらの姉妹 ゲンカだってゆーのかっ⁉ 」
「姉妹ゲンカなどではありませんっ!」
ばっ──と、まるでなにごともなかったかのように、キースが立ち上がって答える。
「じ......じゃあ、なんなんだよ......」
少しビビってオーフェンは聞いた。と──
「答える必要はありませんっ!」
声は、頭 上 から聞こえた。
振り仰 ぐと四階の西向きの部屋に人影がある。開いた窓には純白 の絹 のカーテン。それを押し開けるようにして人影は姿を見せた。
色白でほっそりした、栗 色 の髪 の女──遠目で、しかも夜目なので、それ以上のことは分かりにくいが。優 雅 なドレスに身を包み、今にも倒 壊 しそうな安アパートの窓からこちらを見下ろしている。
間違いない。彼女がボニーだろうと、オーフェンは即 断 した。
彼女が、もう一度口を開く。
「あなたがいけないのですよ、黒魔術士──この女の肩など持つから!」
「知るかっ!」
オーフェンはきっぱりと、叫び返した。
「てめえんとこの執事が問 答 無 用 で襲 いかかってきたんだろうが!」
「ふふ──」

が、ボニーは笑 みを浮 かべると......
「そのようなでたらめを......キースの報告書には、そんなことは書いてありませんでしたことよっ!」
「わたしも書いておりませんし」
と、後ろから、キースの声。オーフェンは肩越しにうめき声をあげた。
「てめえ......噓 の報告してやがるな」
「まさか、そのようなこと......ただ、書くのを忘れておりまして」
ボニーには聞こえないような小声でキースが答えるのを聞きながら、オーフェンはため息をひとつついた。
そして、つぶやく。
「帰る。姉妹ゲンカなんぞ知ったことか」
「ええっ⁉ 」
なぜかキースが非 難 じみた叫びをあげる。
「そんな困 りますよ! せっかくここで、あなたを亡 き者にしようとしていたのに!」
「だから帰るんだ! 身内のケンカなんぞ、当人どうしにやらせとけっ!」
「なんてことをっ! あなた、それでも人間ですか⁉ 」
キースは叫びながら、ぐるりとこちらの前に回り込んできた。
「......なにが言いてえんだ?」
半眼で、オーフェンが聞く。キースは真 顔 で答えてきた
「他人のケンカだからこそ見ていて楽しいんじゃないですか。そんな種族的な楽しみを放 棄 するなんて、わたしには信じられません」
「いや......それは分からんでもないが......」
頭をかきながら、オーフェンはうめいた。と、また頭上からボニーが声をあげる──
「なにを話しているのですか⁉ キース!」
「はい! この男が、愛にかけてコンスタンス様を奪 回 すると宣 言 したので、それを罵 倒 したところでございます!」
「ナイスな判断ですわ、キース──」
「どうしてこう......俺の周 りには、健全な関係を保った人間が出てこないんだろう......」
うめくオーフェンを無 視 して、ボニーが窓の横から、なにかをぐいと引っ張り出す。もうひとりの人影。それは──
「コギー!」
オーフェンは叫んだ。ロープでぐるぐる巻きにされたコンスタンスを片手に、ボニーが哄笑 まじりの声をあげる。
「この女を助けたくば、この部屋までいらっしゃるがよろしいわ! 黒魔術士──」
「オーフェン! 駄 目 よ!──」
身をよじりながら、コンスタンスも叫んだ。
「罠 なのよ! 死んでしまうわ──駄目! あなただけでも生き延 びて! お願い──」
オーフェンは、ぽつりとつぶやいた。
「雰 囲 気 に酔 ってやがる......あの無能警官」
「......ですなー」
キースが同意する。
「お黙 りっ! 少しお眠りなさいっ!」
と、ボニーがいきなり叫んで、なおわめき続けていたコンスタンスの首 筋 に手 刀 を落とした──コンスタンスは、うっとうめきをあげてから──
「なによ! 痛 いわねっ!」
と、ボニーに蹴 りを入れた。ボニーは、いったん蹴り倒され姿を消してから、ひょこんと素早く起き上がると、
「なにが痛いのよ! あなたが素 直 に気 絶 しないのが悪いんでしょっ!」

怒 鳴 りながら、コンスタンスにつかみかかる──
きゃあきゃあと騒 ぐふたりを見上げて、オーフェンはキースに聞いた。
「あれが姉妹ゲンカでなくてなんなんだ?」
「ふっ──」
キースは、笑みを浮かべた。たっ、と後ろに飛びのいて間合いを開けて、言ってくる。
「宿命のライバルに多少の馴 れ合いはつきものとはいえ、忘れてはおりませんか? 我々が敵 どうしだということを」
「いつから俺らがライバルになった......?」
聞く。が、キースはさも当然とばかりに無視すると、続けた。
「わたしには、あなたに情報を渡すいわれなどないのですよ! 知りたければ、自 ら戦って得ることです!」
「我は放つ光の白 刃 っ!」
きゅぼうっ──!
オーフェンが放った光熱波は、キースへと向かって一直線に延 びた。が、それと同時に、キースも叫んでいる。
「ミスフィード!」
その単語がなにを意味しているのかは知りかねたが、執事が放った魔術の構成は、こちらの魔術を無 効 化 するものと知れた──実際、空中に弾 ける光熱波は一瞬 にしてほとんど霧 散 し、小さな風の渦 を残して消えうせる──
ふっ、とキースが、勝利の笑みを浮かべる。が、オーフェンは気にもしなかった。
時をおいて、キースのほおから、一 筋 の血が流れ落ちる。
「............」
目に見えたわけではないだろうが、自分が傷 を受けたことを気 配 で察したのだろう──キースが、傷のあるほうを見下ろした。
単純な力比べで、完全には無効化できなかったのだ──これはそのまま、術者の力量の差を意味する。
「......てめえの魔術は、はっきり言って素 人 のレベルじゃねえな。そいつは認 める──こいつを執 事 養成学校で修得 したってんなら、本気でたいしたもんだよ。水 子 の浪 客 とか言ったか」
「《岬 の楼 閣 》、です」
言い直すキースは無視して、オーフェンは指を鳴らしながらキースへと歩み寄った。
「だが、俺も飛び出したとはいえ《牙 の塔 》の看 板 を背負ってるんでね──倒してみろ、と言われたら、負けるわけにはいかんね」
「............」
キースはこちらを見つめ返しながら、やはり無表情だったが──
ぽん、と手を打って言ってきた。
「......ボニー様のお部屋は四○四号室ですよ、黒魔術士様」
少し肩をコケさせながら、オーフェンは半眼になった。
「ビビったな、てめえ......」
「まさか」
にっこりと、キースは笑った。そして胸 元 からロケットを取り出すと、ぱちんと開く。
のぞいてみると、中にはおとなしい感じの美女が微 笑 んでいた。
「エレイン......わたしの婚 約 者 です」
「ほう」
「危険手当もなしに、危 ないことはしないで──彼女の口 癖 です。心優しい彼女を悲しませるなど、わたしにはできない」
「ほほう」
「ボニー様でしたら、どんな大ケガしようとも彼女はカケラも悲しみませんから、お好きなようにどうぞ」
「......ま、いいけどよ......」
ちら、とボニーらがいまなお騒 いでいる窓を見上げて、キースが付け加えた。
「幸いボニー様も、あえて息の根は止めずに自室まで来させるのも一興 と申されておりますし──」
「......言ったか......?」
「さ、どうぞお入りなさいませ」
キースに導 かれて、オーフェンはアパートに入っていった。と──
振り返る。キースがついてきていない。
「あれ? お前は来ないわけ?」
オーフェンが聞くと、キースは優 雅 に一礼をしながら答えてきた。
「残念ながらわたくしは、別のお客様もご招待 せねばなりませんので──」
「別の客......?」
聞き返す。が、キースは答えずに、夜道にきびすを返した。その後ろ姿を見送って──
気づいたのは、彼の姿が見えなくなってからだった。
「あの姉妹の後 始 末 を押し付けられた......」
オーフェンは嘆 息 しながら、階段を上った。陰 鬱 な気分は、猫 のマスコットが抱 えているボニーの表札を見つけると、さらに鬱に傾 いていった。
「おいこラ! コギー! てめえ、たいがい世話ばっか焼かせんのもいいかげんに──」
オーフェンは叫びながら、八つ当たりぎみにボニーの部 屋 の扉 を開いた。部屋の中に踏 み込んで、彼が最初に目にしたのは、明らかにアパートのほかの場所とは趣 の違う白い壁 紙 と、重いために舞い上がらない絹 のカーテン、白いティーテーブルと──
勝手に間 仕 切 りの壁をぶち抜いて広くしてあるその部屋に、それぞれぽつんと転 がっている、ダブルノックダウンしたらしいコンスタンスとボニーのふたりだった。
「さて、どーしたもんかな......」
気 絶 している隙 にロープで縛 り上げたボニーを見下ろしながら、オーフェンは腕 組 みした。もう既 にボニーは意識を取りもどしていて、縛り付けられている椅 子 から口 惜 しそうにこちらを見上げている。
「こんなことで、わたくしはくじけませんことよっ!」
彼女は敵意に満ちた目で、こちらを睨 め上げてきた。
と、その椅子の後ろから、声があがった。
「ねえ、釈然 としないことがあるんだけど」
「なんだ?」
オーフェンは聞き返した。ボニーの椅子の後ろから、背中合わせにまったく同じ格 好 で別の椅子に縛り付けられているコンスタンスがつぶやく。
「......なんでわたしまで縛られてるわけ?」
「ケンカ両成敗 だ」
オーフェンが答えると、コンスタンスは、ほとんど百八十度回ったのではないかというほど首を回転させて叫んできた。
「ちょっと! あなた、わたしを助けに来たんでしょう⁉ 」
「やかましい! 人を姉妹ゲンカになんぞ巻き込みやがって!」
怒 鳴 られて、コンスタンスが気 勢 を引っ込ませる。ほほ、とボニーが笑い声をあげた。
「よくよく殿 方 に見捨てられる巡 り合わせですのね、コギーお姉様」
「なんですって、ボギー!」
ボニー・マギーでボギーか──などと思いながらオーフェンは、なんとなく聞き返した。
「見捨てられる?」
「見捨てられてなんかいないわよ!」
コンスタンスは、背後のボニーに向かって怒鳴り返した。
「この薄情 魔術士はともかく、あの人は──わたしを裏切ったりはしないわっ!」
「話が見えんのだが......」
オーフェンの声に、ふっ......とコンスタンスは気勢を収 めて、静かに話し出した。
「よくある話よ」
ぐぐ、と涙 をこらえるしぐさ。
「その結果わたしたちは何年にもわたって対立してきたのよ。靴 の中に釘 を入れたり、いぎたない寝 相 を写真に撮 ってあちこちにばらまいたり、大事にしている人形 の首もいだり」
「......よくあるのか......? ま、それはそれとして、ケンカの原因はなんなんだよ」
「実は──」
が、語りはじめようとした彼女の声を遮 るようにして、割り込んでくる声があった。
「それは、わたしがお話ししましょう!」
ばんっ! と音とともに扉が開いて──
そこには、キースが立っていた。
「キース!」
ボニーが叫んだ。
「ナイスタイミングですわっ! さあ、この魔術士を排 除 なさい!」
「はい! ボニー様!」
元気よく答えながら──なぜかキースは入り口から動こうとしない。
「............」
数秒待ってから、部屋の中の白い空気を代表するような形で、どこかすがるようにボニーが声をあげる。
「キース......なにやってるの?」
「はあ。わたしは、主人のいる部屋には決して立ち入るな、と教育されておりますので」
キースは、どうやら本気のようだった。
「排除するには、その黒魔術士を部屋の外まで出していただかないと......」
「ああ、これが高級な頑 固 さというものなのね......」
はらはらと涙をこぼしながら、ボニー。
「違うと思うが......」
オーフェンはぽつりとつぶやいた。
「で、キース......ケンカの原因を説明してくれるってことだったが?」
「その前に、紹介 しなければならない人がおります」
キースは、ぱっと入り口から身を退 いた。彼が差し延 べる腕 の先には、黒っぽいトレンチコートを着た長身の男がいる。
「おもしろい見 世 物 とは、これのことか?」
男は部屋の中に入るなり、低い声でそう言った。うっすらとグレイがかった黒髪の、三十ほどの男である。
オーフェンは、その顔に見 覚 えがあった。
「ダイアン......?」
「派 遣 警察のダイアン・ブンクト部長刑事だ。ひさしぶりだな、オーフェン」
と、事務的な動 作 で懐 からバッジを出して、そう名乗る。ダイアンは、さっと部下──コンスタンスと、その妹のほうを見やると、いかにもつまらなそうにキースに言った。
「わざわざ招待状まで郵送されてくるくらいだから、さぞ珍 しいものでもあるのだろうと思えば、コンスタンス三等官が縛 られて拉 致 されているだけじゃないか。つまらん」
「これからおもしろくなるのですよ」
にっこりと答えるキースに、ふん、とダイアンはにべもない。
「あの三等官、前にギャングに取っ捕 まってコンクリ漬 けにされかかっていたこともあったが、それもあんまりおもしろいもんじゃなかった。無能な上につまらんのでは、上 司 としてはいかんともしがたい」

「あの......部長」
コンスタンスが恐 る恐る言葉をはさむ。
「わたし、二等官なんですけど......」
「先日、降 格 が決定した。辞 令 を持 参 してきてやったので、受け取ること。そんな用事でもなければ、まったくの無 駄 足 になるところだったな」
その会話を聞きながら──オーフェンは、きらりと目を輝 かせた。近寄って加わる。
「つまり無能なら無能なりに、小学生の集団に誘 拐 されるくらいの見せ場は欲しい、というわけだな?」
「うむ。が、あの女の身 の代 金 では、履 きふるした靴 下 一枚差し出すつもりはないぞ。あの無駄飯 食らい、はっきり言って横領 警官より邪 魔 だ」
「それもそうか......なら逆に、あの錆 びたネジ女を返してほしくなければ金をよこせ、というのはどーだ?」
「どうせ白 蟻 がついた柱 ほどの価値もない無能警官だ。きっと誰か気の利 いた奴 が自爆装 置 とかつけておいてくれたはずだから、それを使おう」
「さすがだな、ダイアン・ブンクト」
オーフェンは畏 怖 するように汗 をぬぐった。
「やはり最終的な好 敵 手 は、あんたひとりか......」
「なんの勝負なんでしょう......」
となりでキースが、一 筋 の汗をたらしてつぶやいている。
「で──」
と、オーフェンはキースへと向き直った。なにやら泣いているコンスタンスを見てから、部長刑事へと視線を転じる。
「このむっつり詐 欺 師 が関係あんのか?」
「無論です。あれは、五年前のこと......」
キースは過去を見るように視線を遠くした。
「コンスタンス様十六歳 、ボニー様は十四歳──ちなみにわたしは十七歳。ちょうど、農薬から禁止薬 物 を密 造 していたころです」
「どっちかってーと、お前さんの生 い立 ちのほうが興味わいてきたが......」
が、キースは無視した。
「コンスタンス様は当時、ハイスクールに通 っておられましたが......ある事件をきっかけに、とある男性に心寄せることとなりました。そして──」
「......わたしたち、そのころは仲のいい姉妹だったわ」
コンスタンスが、うめくようにして口をはさんだ。
「わたしの好きになったひとを、この子にも見せてあげようと──」
「今はわたしが話しているんです」
キースは彼女のせりふを遮 ると、そのまま表情を変えもせずに、自分の靴 をコンスタンスに投げ付けた。飛んできた靴をまともにこめかみに食らって、そのままかくん、とコンスタンスが気 絶 する。
何事もなかったように、キースは続けた。
「ええ。それで──」
「コギー姉様は嘘 つきよ!」
唐 突 に、ボニーが叫び声をあげた。
「確かにあのひとに出会ったのはこの女のほうが先かもしれないけど、好きになったのはわたしのほうが先──」
「ついでだ」
ごん! と、調理場から持ちだしたらしいフライパンを、ダイアンがボニーの脳 天 に打ち下ろした。そのまま、ボニーも沈 黙 する。
「......で?」
フライパンを肩にかついで向き直るダイアンに、キースは少しビビったようだったが、
「ふたりは、そのひとりの男性のことをめぐって、もう足掛け五年間、ずっと争ってらっしゃるのです。わたしとしては、一 刻 も早くおふたりに──」
「わたしのほうが先だったのに!」
「コギー姉様の言うことはみんな噓よ!」
「ブラストぉぉっ!」
いきなり目を覚ましてわめきはじめた姉妹に、キースが発した電 撃 が直撃する!
電撃は壁 を焦 がしカーテンをずたずたに引き裂 いてから治 まった。こんがりと焦げたコンスタンスとボニーは、言うまでもなく悶 絶 している。
ふう──と息をついて落ち着いてから、キースは続けた。
「おふたりに仲直りしていただきたいと思っているのですよ」
「つまり、姉妹ゲンカじゃなくて痴 話 ゲンカだってオチか......」
と、独りごちてから──ふと、オーフェンは気づいてしまった。
「今、俺はちょっと怖 いことを思いついているんだが......」
キースに聞いてみる。
「ひょっとして、ふたりが取り合ってる、その男ってのは......」
あっさりと、キースは答えた。
「ダイアン・ブンクト部長刑事です」
「どえええええっ⁉ 」
オーフェンは、思い切り飛びのきながら、
「こ──この男か⁉ 」
「......あんたたちになんか......分からないわよ......」
と──
どうも電撃では気絶していなかったらしいコンスタンスが、ぐずぐずと泣き声をあげた。
三人──オーフェンもダイアンも、入り口にいるキースも、囲 むように彼女に向き直る。
コンスタンスは続けた。
「父さんに恨 みを持つ従業員に誘 拐 されたわたしを傷 つきながらも助けてくれたのは、そのひとだったわ──事件が終わった後も、街 でちょくちょく見かけることはあったけど、忙 しそうにしていたから話しかけられなかった。名前も知らなかったけど、いつか対等に話せるようになろうと思って、わたしも派 遣 警察官になったわ」

「コギー......」
オーフェンは彼女の肩に手をかけそうになって、やめた。彼女は気づかずに続ける。
「そしたら、そのひとはもう部長刑事になっていて、わたしはその下に配 属 された。わたし......そのひとに認 められる人間になろうと思って、この二年間頑 張 ったわ。結果は......あまり出ていないみたいだけど」
彼女は涙に濡 れた顔を、ぱっと上げた。
「部長! 黙 っていたけれど、その通りです──今は助けてもらうしかないけれど、いつかきっと、わたしも一人前になります! だから、今は縄 をほどいてください──」
「自力で脱 出 しろ」
............
場が、硬 直 した。
ほとんど白目を剝 いて凍 りついたコンスタンスの背中で、いつの間に復活したのか、ボニーが笑い声をあげる。
「ほーほほほ!」
と、ダイアンに顔を向けて、
「やっぱりですわ! ダイアン様は、わたしの味方なのですね──」
「お前なぞ知らん」
............
同様に、凍りつくボニー。
時間の止まった姉妹を背にして、ダイアンは、さっときびすを返した。
「実につまらなかった。降 格 辞 令 は、彼女の下宿に置いていく。では、また会おう」
と、部屋を出ていく......
「............」
あんまりと言えばあんまりの展開に、オーフェンが啞 然 としていると、部屋の入り口でダイアンを見送っていたキースが、ぐぐっと涙をのんでナレーションするのが聞こえた。
「ああ──実はコンスタンス様を助けたのがダイアン・ブンクト部長刑事ではなかったことに、この報 われぬ姉妹が気づくのは、いつの日なのか──⁉ 」
「とっとと教えてやらんかぁぁぁいっ!」
オーフェンの放った光熱波は、部屋のほぼ半分と、キースとをのみ込んだのだった──
(いちいち俺を巻き込むな!:おわり)


トトカンタ市の夜 半 過ぎ──実はまだ街 は明るいが、人通りはほとんどなくなる。その夜道をドーチンは、とぼとぼと歩いていた。
「お金、落ちてないね、兄さん......」
と、隣 を歩いている兄──ボルカンにつぶやく。ふたりとも、身長百三十センチほどの『地 人 』である──ぼろぼろの毛皮のマントを着て、ドーチンは分 厚 い眼鏡 をかけ、ボルカンは中古の剣 を腰 にぶら下げている。
「うむ」
それでもしっかりと路 面 を見ながら、ボルカンは返事してきた。
「しかし、こーした地道な努力が明日の勝利へとつながるのだ」
「なんか違うような気もするけど......」
「違わん!」
ボルカンは叫 び、月に向かって拳 を握 った。
「こーして人知れず、月下に地道な努力を描 きつづけることこそが、あの邪 悪 な黒 魔 術 使いをおしぼりで拭 き殺すことへのなによりの近道ではなかろーか!」
「小 銭 拾ってるだけなのに?」
ドーチンは疑 わしげに聞き返したが、ボルカンはさして気にもしなかったようだった。
「はあーっはっはっはぁっ! ひょっとしたら奴 の落とした金かもしれんだろうが! 我 ながら、この知 謀 の凄 まじさに恐 れ入ってしまうことよ!」
「日に日に後ろ向きになっていきながら意地でも負けを認 めないその姿勢には、確 かに色色と恐れ入るものがあるけれど......」
ドーチンはぼやきながら、また道に視 線 を落とした。まあ、そうそう道に金が落ちていることなどあるわけがないのだが──
ふと彼は、足を止めた。
「ん? どした? ドーチン」
後ろから、ボルカンが声をあげる。
「あれ......」
とドーチンは、前方を指さした。街 灯 の下、光の中にぽっかりと浮 かび上がるように、白いドレスの女がうずくまっている。
「ど......どうしたんですか?」
なんとなく怪 しいものを感じながらも、ドーチンは声をかけた。近づいてみると、女が苦しげに息をついているのが分かる──つば広の白い帽 子 に花など載 せて、その下は栗 色 の髪 。けっこう長くしている。声をかけられて、こちらに振 り向いたその顔は、少し青ざめているようだった。
「あの──」
と、その女は、か細い声でつぶやいた。
「すいません。わたし、息が詰 まってしまって......」
「だ、大 丈 夫 ですか?」
心配そうに言いながらドーチンは、女のほうに駆 け寄った。女は、また苦しげに身をかがめて──そして──近寄ったこちらの手首を、がっしとつかんだ。
「......へ?」
ドーチンがつぶやいた瞬 間 ──
「ほーほほほ! ひっかかりましたわね! このわたしの必殺技で血の海に沈 みなさい!
ブラインドクルスショォォット!」
と、脳 天 にチョップを落とす。
ぺし──と、彼女の細い手 刀 は、ドーチンの頭に当たって止まった。
「............」
「............」
手刀を頭にのせた姿 勢 のまま、しばし見つめ合う......
彼女は、くるりときびすを返した。
「完 璧 ですわ......これなら、明 日 にでもあの黒魔術士を始 末 できます......あとは二、三の改良を加えれば......」
つぶやきながらその女は、夜道へと消えていった。
「なんなんだ......」
背後からのボルカンのつぶやきに、ドーチンは、
「......まあ、いろんな人がいるからね」
それだけで片づけて、ふたりは、また探 索 を再開した。
「大変ですっ!」
──と──
いつもと変わらぬ夕食時──
いつもの宿 屋 のいつもの食堂──そしてまたいつものようにコンスタンスと座 っていると、突然、なにかが飛び込んでくる。
これもまた、いつものことか──とオーフェンは、胸 中 でつぶやいた。黒髪黒目、二十歳 ほどの黒ずくめの男。胸 元 には、大陸黒魔術の最 高 峰 《牙 の塔 》に在 籍 した証 しであるドラゴンの紋章 がかけてある。
あわてた様 子 で飛び込んできたのはタキシードの男──その男に向かってオーフェンは、嫌 そうに声をかけた。
「キース......なにしに来やがった?」
半眼で見やる。が、キースはまったく無 頓 着 にすたすたと近づいてきた。
「大変なのです! 思わず時 節 の挨 拶 を忘 れてしまうほどに!」
「まあ......別に聞きたいとも思わないが」
「なんということを言うんです!」
キースは、仰天 したように頭を振った。オールバックに固められた銀 髪 は、なぜか崩 れもしなかったが。
「わたしが前日の昼下がりあたりからじっくりと考え、小鳥のよーな美しい声で紡 ぎ出す挨拶を聞きたくないなどと──」
「......そんなことより、大変なんじゃなかったの?」
と、これはコンスタンス。いつものスーツ姿で、ほおづえをついている。
キースは、びし、と彼女に指を突 き付けた。
「その通りです!」
彼は、意味もなくオーバーアクションで叫 んだ。両 拳 を握 り締 めて。
「ボニー様が行方 不 明 になったのです!」
「行方不明......って?」
数分後、三人は同じテーブルを囲 んでいた。カウンターの亭 主 に全員が適当に注文を済 ませたところで、コンスタンスの問いにキースが答える。
「つまり、行方がようとして知れない、ということです」
「そんなことを聞いてるわけじゃないんだけど......」
「実は今 朝 方 、モーニングを持 参 いたしましたら、お部 屋 にボニー様はいらっしゃらず、このような書き置きが」
とキースは、懐 から一枚の紙片を取り出した。上質紙の簡 素 な便せんである。
オーフェンはそれを受け取り読み上げた。
「『傷 つき、疲 れました。探 さないでください。留 守 中 、わたしの私 財 は執 事 のキースの管理下に委 ねます......かしこ』?」
「ああ──なんということでしょう!」
キースは天井 を振り仰 ぐようにすると、顔を手で覆 いながら声をあげた。
「五年間もお慕 いしつづけた方が実は人違いだったという事実が、ここまでボニー様の心を傷つけていたとは!」
と、指の隙 間 から、ちらりとコンスタンスを見るようにして続ける。
「......コンスタンス様は傷心 なさいませんで?」
「うん。まあ、わたしもちょっと変だよなー、とは思ってたのよね。よくよく考えてみると性格も口 調 も体格も身長も違うんだもの」
コンスタンスが、けろりと答える。横でオーフェンは、疑 わしげにうめいた。
「なんでそれで勘 違 いできるんだ?」
「乙女 の気持ちってそんなものよ♥」
「......まあ、本人が納 得 してるんならなんも言わんが」
「なるほど。確かにコンスタンス様でいらしたら大丈夫でしょう」
と、キースがうなる。
「コンスタンス様は昔から、ふられても嫌 われても憎 まれても嫉 まれても、その愚 鈍 なまでの無 頓 着 さで以 て身勝手な自己完結を行える、お得な性質のお方......」
正面で、ものすごい形相 の彼女ににらみつけられているのにも気づかず(いや、気づいているのだろうが)、キースは続ける。
「ですが! ボニー様は、そうはいきません──今 頃 なにをなされているのか......心傷つき泣いているのなら、まだ良いと申せましょう。ですが、もしや捨 て鉢 になられて取り返しのつかないことになっていたら......!」
彼がそう叫んだところで料理がとどいた。ウエイトレスが運んできた貝のリゾットをキースは素早く受け取り、いきなりスプーンでかきまぜはじめる。
「あの、それわたしの......」
というコンスタンスの声は無 視 して、キースはがつがつと食べはじめた。
「わたしは執 事 として──ボニー様を命と思っています。ボニー様にもしものことがあるようなら......急ぎ捜索願 を出さねばなりませんが、マギー家の世 間 体 というものも、まったく無視するわけには参りません。というわけで、ここはコンスタンス様にお願いするのが最良の策 かと」
そこまで言ったときには皿はからになっており、ウエイトレスがいっしょに持ってきたラザニアの器 も、キースは横取りした。

「ボニー様も、コンスタンス様とは違って英才教育を受けられた一人前のレディとはいえ、まだ十九歳 。未成年である以上、親 権 が機能することは言うまでもありませんが、それ以前に箱入り娘であることも否 めません。こうしている間にも、凶悪 な人相の男に捕 まって、だまされてマッチでも売っているのではないかと、わたしは心配で心配で......」
キースが占領 しているラザニアの器がからにならないうちに、オーフェンは最後のパエリアは確 保 した。
「分かった──とにかく、ボニーもコギーの奴 とは違って英才教育を受けた一人前のレディとはいえ未成年だから、保 護 してほしいというわけだな?」
「......なんで強調するのよ......」
半眼で、コンスタンスがうなる。オーフェンは無視してキースに聞いた。
「んで......まあこんなことを聞いても意味ねえかもしんねえが、ボニーが行きそうな場所に心当たりとかあるか?」
キースは、器から顔を上げた。
「この街には知人、親 戚 の類 いはおりません──となれば、ここは心理的な分 析 により、可能性の高い場所を割り出すべきかと」
「......具体的には?」
「ボニー様失 踪 のキーワードを考えるのです──つまり、男!」
「ほう」
「傷心した女性が行き着く場所は、わたしの経験上みっつです! つまり、ホストクラブ、ゲイバー、男性ストリップ!」
「どんな経験だ......?」
「わたしの婚 約 者 フローラは、そーいった場所によく出没 したものです」
「......別になんも言わんが......」
オーフェンがうめくと、こめかみを押さえて渋 い顔をしているコンスタンスの横で、キースは立ち上がった。拳 を握 って力説する。
「つまり! この街の女性娯 楽 スポットをくまなく探せば、きっとボニー様は見つかるはず! いいえ、きっといらっしゃいます! ボニー様はそーいうお方だと、わたしは信じています!」
「キース......」
「コンスタンス様、なにかご異 論 でも?」
と、キースはコンスタンスのほうに向き直った。が、当のコンスタンスは、きょとんとしている。
「え? 今の、わたしじゃないわよ」
「は......?」
キースの間 の抜 けた声が合 図 になったように、一同の視線は、ふと──ひとところへと向かった。さっきからずっとテーブルのわきで、丸いトレイを抱 えて立っているウエイトレス......
ウエイトレス姿をしていたせいで気づかなかったが、栗 色 の髪 、静かな物 腰 、ほっそりとした身体 ──
ボニー・マギーだった。
「............」
拳を握った姿 勢 のまま、キースは硬直 している。
誰 も動き出さないうちに、オーフェンはくるりと、カウンターのほうを見やった。宿の亭 主 、バグアップがいつものようにグラスを磨 いている。
視線で問いかけると、バグアップは事もなげに答えてきた。
「ああ。ついさっき新しく雇 ったんだ。シャリーンの奴 、産休だっていうから」
「............」

動かないキースに、ボニーは、にっこりと告 げた。
「キース、わたしは、部屋に閉 じこもっていたら気が滅 入 る ばかりなので、久しぶりに学生の頃を思い出してアルバイトでもしようかと思ったのです」
「............」
キースは答えない。反応すらしない。
「そしてアルバイトのついでに、わたしの思い出に水を差してくれたコギー姉様と、その使いばしりの黒魔術士を亡 き者にしようと、ここで弱点でも見つけられないかと観 察 していたのですよ」
「............」
「ついでにわたくし、書き置きなどはしていないのだけれど」
それを聞いて、コンスタンスが、オーフェンの手から例の書き置きを取り上げた。ざっと目を通して、
「これボギーの字じゃないわね、キース」
「あら」
と、横からのぞき込んで、ボニー。彼女は懐 からメモ用紙のようなものを取り出した。買い物のリストらしいが。
「これに書かれたあなたの筆 跡 と、どうも一 致 しているように思うのだけれど......あら、わたしの留 守 中 わたしの財産を管理できるの? マギー家には専 属 の管 財 人 がいるのに」
「........................」
「つまり──」
オーフェンは、人差し指を立てて推 理 をはじめた。
「ボニーがいきなり姿を見せなくなった──それを好 機 と、自分が知るかぎり最も無能な警官に、その行方 の調査を依 頼 する。それで世間体は保てるし、でたらめな手 掛 かりなんて渡しておけば、それこそいつまで経 ってもボニーが発見されることはないってわけだ。発見されたらされたで、別に失うものなんてなにもないしな」
「キース?」
かなり厳 しい眼 差 しになって、ボニーがつぶやく──が、
キースは、ごく平然と──いや、むしろ忠誠心 あふれる声で、ボニーに叫 んだ。
「危 ない! ボニー様!」
叫びながら、オーフェンからかばうように、ボニーの前へと回り込む。
「............?」
怪 訝 な顔でオーフェンが見ていると、キースは、さもきわどいところで危 機 を脱したかのように汗 をぬぐいながら続けた。
「危ないところでしたボニー様。黒魔術士の言うことなどに惑 わされてはいけません!」
「え......? でも──」
うめくボニーに、キースは詰 め寄るようにしてまくしたてた。
「敵 の言うことを信じてどうするのですか⁉ ボニー様、正気になってください! どうか冷静な判断を!」
「............」
ボニーはトレイの端 をくわえるようにして、しばし迷 ったようだった──というか、混乱したように目を白黒させている。
一分ほども待って彼女は結論をくだした。
「そ......そうですね、キース! 危ないところでしたわ!」
「まあそれで満足だというのなら、特に矯正 してやろうなどとはカケラも思わんが......」
椅 子 に座ったまま、呆 れながらオーフェンはうめいたが、ボニーにはまったく聞こえていなかったようだ。
「虚 言 を弄 してわたしをだまそうとは、黒魔術士らしい卑 劣 な手段ですわね!」
びし、とこちらに指を突 き付けて、宣 言 してくる。
「ですが、わたくし、そのようなことでは惑わされませんことよ! とりあえず既 に昨晩、あなたのような愚 劣 な者を葬 り去る策は確立いたしました!」
と、ボニーはその場にうずくまった。
そのまま、うーんうーんと、苦しげにうめき始める。
「ボギー?」
椅子の上から、怪訝そうにコンスタンスが妹の肩に手を置くが、ボニーはそれを振り払 った。
「邪 魔 しないで!」
子供みたいに床 にうずくまった、かなり情けない格 好 でボニーは叫ぶ。
「コギー姉様は後回しよ! たかだか人違いだったくらいでダイアン様への思 慕 を忘れ去ってしまうなんて、なんて恥 ずかしい!」
「人違いだったっていうのは、かなり致 命 的 だと思うんだけど......それにあれ、むっつり詐 欺 師 だし」
「黙 っていて! 今ならまだ敵どうしとして尊 敬 はしあえるわ!」
ボニーはかぶりを振ると、またもとの姿 勢 にもどった。
「うーん! うーん!」
大声で、うめき始める。
「............」
オーフェンは別にどうということもなく、それをながめた。
数分ほど経 過 する。ボニーは、そろそろ苦 悶 の声をあげるのにも疲 れたのか、ちらりとこちらを見上げて叫びはじめた。
「ああ苦しいっ! 介 抱 してもらわなければ死んでしまうわっ!」
「ふーん」
器 の中に一匹だけ残ったエビにフォークを突き刺 しながら、オーフェン。
「ボギー......」
ふと、どこか同情するような声で、コンスタンスが言う。
「なにを期待しているのか、いまいち分からないけれど......この冷血黒ずくめはね、他人が苦しんでるのを見たところで茶さじ一 杯 ほどの親切心すら持ち合わせてはいないのよ」
「そーゆう誤 解 を招 くような言い方をするなっ!」
オーフェンは、ばっと立ち上がった。
「俺 はようするに、一人前の女がいーかげん人に頼 らにゃ生きてもいけんよーな気になってるのが我 慢 できねえだけだっ!」

「......なら、男なら助けるので?」
と、これはキース。オーフェンは即 答 した。
「種族的な志向として、男なんぞ断 固 として助けん」
「やっぱり薄情 なだけじゃない? それって......」
「えーい! とにかく違うったら違うんだ! みんなで俺を冷血漢にするんじゃねえ!」
「最後は駄 々 っ子 ですな」
「いやよねー。論理的じゃない大人 ってみっともないわ」
「だああああっ!」
その頃──
盛り上がる三人を尻 目 に、ちょっと涙 目 になったボニーがひっそりと去りゆくのに気づいたのは、バグアップだけだった。
「いー天気ねー」
「......そーだな。仕事料も払 わねえ無能警官の、のたくたパトロールにつき合うにはいい日和 だよ」
オーフェンは言い返した。昼下がりのトトカンタ市を、コンスタンスの警 邏 に付き合って歩いている。
が、こちらの皮 肉 にも、コンスタンスはまったく動じた気 配 を見せなかった。
あまつさえ、きらきらと瞳 を輝 かせ、きっぱりと言ってくる。
「わたし......明日をも知れない貧 苦 にあえぎながらも無 報 酬 でわたしの手伝いをしてくれるあなたを見るのが......好・き♥」
「......てめえとは、一度本っっっ気で決着をつけにゃならんよーだなー......」
険 悪 にうなる。コンスタンスは、わざとらしくあさってのほうを向きながら話題を変えた。
「ええとね......それはともかく、オーフェン──昨日のことだけど、気をつけたほうがいいわよ」
「なにが?」
コンスタンスは少し考えてから答えてきた。
「あの子、執 念 深 いの」
「えらく端 的 な説明だな、それは」
「冗談 で言ってるんじゃないのよ。言っとくけど」
と、彼女は指を一本立てて、
「ついこの間まで、部長のことでわたしたち対立してたわけだけど......まあキースの奴 もなにやらかすか分からないところがあるけど、それでもボギーが自分で動き出すのに比べたら、おとなしいもんなんだから」
「つまり、姉によく似てるってわけだな?」
オーフェンはかなり本気で言っていたのだが、コンスタンスはそうは受け取らなかったようだった。
「あのねオーフェン、茶 化 してる場合じゃないのよ」
と、真 剣 な顔を見せる。
「あの子の執念深さというか、しつっこさときたら──」
彼女はそこまで言って唐 突 に言葉を切った。ちらりと前方を見て、げんなりと指をさす。
「あれくらいひどいんだから」
コンスタンスの指さしたほう──つまり道の前方に、ひとりの女がうずくまっていた。先日のウエイトレス姿ではなく、白いドレスに花の帽 子 、言わずとしれたボニーである。
ボニーはまた苦しげに、うめき声をあげていた。
「ひょっとして......俺 が介 抱 してやるまで、あれを続けるつもりなのかな」
オーフェンがうめくと、コンスタンスは、ふっと笑 みを浮 かべた。
「......七年前、わたしたちがクラスメートのハーマンのことでいがみ合っていたときのことだけど──」
「お前らって、今までの人生ずっと同じことやって生きてきたのか......?」
「ほっといて。とにかく、そのときのことだけど、あの子の『朝、部屋の出口にワックス入りのバケツが置いてあって転 んじゃうよ作戦』は、確 か二百三十六日間続いたわ。わたしが転んで悲 鳴 をあげるまでね」
「ほう」
「対してわたしの『クシに接着剤 作戦』なんて可愛 いもんでしょう」
「そっちのほうが、なんぼかひどいと思うが......しかしまあ、こんなもん別に無 視 すりゃいいだけのことだろ」
と、オーフェンは、あっさりとボニーを無視して、道にうずくまる彼女の横を通り過ぎた。そのまま数メートルほど進んだとき──
ひゃおうっ!
耳元をかすめた鋭 い音に仰天 して振り返る。どうやらそれは、背後から石を投げ付けられたものらしいが──
振り返って見ても、さっきまでうずくまっていた場所には、ボニーはいない。
「............?」
嫌 な予感を覚 えつつも、また道の前方に向き直ると──いつの間に移動したものやら、数歩ほど先のところに、ボニーがうずくまっている。先 程 とまったく変わらない格 好 で、何事もなかったかのようにうめき声をあげていた。
コンスタンスが達観した様子でつぶやく。
「言ったでしょう? 執念深いんだって」
「いや......執念深いとかそれ以前に、なにやら面 妖 なことがあったような気がするんだが......」
汗をぬぐいながら、オーフェンはうめいた。ともあれ、ボニーは少し前で苦しげに息をあららげている。
「ならば──」
オーフェンは覚 悟 を決めると、コンスタンスのスーツのポケットから勝手に、彼女のダーツを取り出した。派 遣 警察官の装 備 品 で、針には即 効 性の弛 緩 剤 が仕込んである。オーフェンは、それを思いきりボニーのほうへと投げ付けた。
すとっ、と軽い音を立てて、ダーツは彼女の肩に突 き刺さる。それと同時にオーフェンは、再びボニーの横を駆 け抜けた。と──
しゅっ!──
......また、耳元をなにかがかすめて飛んでいく。それは、さっき投げ付けたはずのダーツだった。
「............」
恐 る恐る、振り返る。そこには、ボニーの姿はない。が......
「うーん、うーん......」
「────⁉ 」
聞こえてくるうめき声に、オーフェンは背後へと向き直った。やはりさっきと同じ、数歩先の場所に、ボニーがうずくまっている。
「ど──どんな手品使ってやがる⁉ 」
「いや、単に、あなたの死角をぐるりと回って移動してるだけみたいなんだけど......」
のんきに説明するコンスタンスに、オーフェンは詰 め寄った。
「ダーツを肩に食らってか⁉ 」
「人差し指と中指で、つかんで止めてたわよ。ぴって。このくらいで驚 いてちゃ、この子となんて付き合ってらんないわよ」
「あのなぁ......」
オーフェンは呆 れながらうめいた。そのくらいのパワーがあれば、なにか世の中のために役立てられそうなものだが......
ともあれオーフェンは、ふっと笑った。
「なら......こっちにも、手はある」
と、そのままボニーには背を向けて、すたすたともと来た道を逆 戻 りしはじめる。
「ようは、通り過ぎなきゃいいんだろ」
が──
「うーんうーん! 苦しいわ!」
声は、すぐ背後から聞こえてきた。ぎょっとしながらも、反射的にオーフェンはダッシュしはじめる。が──
「ああっ! 胸が苦しいの!」
やはり声は聞こえてくる。
「どええええっ⁉ 」
悲 鳴 をあげながらオーフェンは、肩越しに振り向いた──いくらなんでも彼が全力疾 走 すれば、女の足で追いつくものではない。ましてや、苦しげな芝居 をするなど論 外 だ。
が、全力で走りながら彼が見たものは、キースが引っ張る台車にうずくまってうめいているボニーの姿だった。
「てめキース! どっから現れやがった!」
オーフェンが怒 鳴 るも、キースはまったく無表情にがらがらと台車を引っ張りながら、
「それは無論、ボニー様に呼ばれたので現れたわけですが──」
「ンなことを聞いてるんじゃねえ! 物理的にどっからわいて出たのかってんだよ!」
「............」
キースは、ふと怪 訝 な顔を見せてから──
「まあ、ボニー様に呼ばれたわけですし」
「ああああっ! なんかだんだんわけが分からなくなってるうううっ!」
オーフェンは頭を抱 えて走りながら、とにかく絶叫 した。
と、後ろから、ちりんちりんと音がする。
「やっほー」
見ると、どこから徴発 したのか自転車に乗って、コンスタンスが後ろから追いついてくるところだった。
「ね? オーフェン、タチが悪いでしょ?」
「のんきなことを〜!」
いいかげん息が切れてきてはいたが、黒魔術士は実は、全力疾走の真っ最中でも声が出せる。
「くそ──こうなりゃ意地だ! 絶対に逃げ切ってやる! 体力なら俺 の勝ちだ!」
「甘 いわよ、オーフェン」
コンスタンスはハンドルから片手を放し、ぐっと拳 を握 ってきっぱりと言った。
「あなたを立ち止まらせる手段が、ひとつだけあるわ」
「へ?」
オーフェンが、そう聞き返した瞬 間 ──
「キース!」
と、ボニーが声をあげる。キースはそれを聞くと、平行して走るこちらの前に、さっと足を差し込んできた──
「どおおおおおっ⁉ 」
いきなり足を引っかけられて、オーフェンはなすすべもなく転 倒 した。それにあわせて、きっ、と小 気 味 のいい音を立ててキースとボニーも停止する。
「なにしやがるんだぁぁっ!」
怒 鳴 りながら立ち上がる。オーフェンは同時に、キースの顔面に張り手を飛ばしていた。瞬間、すい、とキースは避 けて──
オーフェンの手は勢 いを失い、キースの後ろにいるボニーの顔に、ぺしと当たった。
ボニーが手の当たったほおを撫 でながら、放心したように動きを止める。
「............」
しーんと、あたりが静まり返った。と──
ボニーは台車から降 りると、腰をぺたんと道路に落として、突然泣き声をあげた。
「ひどいわぁぁぁぁっ!」
大声で、騒 ぎはじめる。
「わたしが一 所 懸 命 にやってるのにっ! 無視するなんてっ! 女の子の努力をまたいで通るような男は最低よっ!──というか、変態よっ! 偏執狂 的だわっ! こーゆう男が、いつだって女を不幸にするのよっ!」
と、延 々 泣きつづける。
ちりりん......
乾 いた音を立てながら、コンスタンスの乗った自転車がぐるりと回って引き返してきた。
「オーフェン......」
きっ、とブレーキをかけて停車する。コンスタンスは、きらきらと目を輝 かせて告げた。
「これが毎日続くのよ」
「どうしてそんなに嬉 しそうなんだよ、お前はっ!」
「終わらせたければ、ひっかかってあげるよりほかないと思いますが......」
と、これはキース。慣 れたことなのか妙 に手 際 よく、台車を片付けている。
くっ、とオーフェンは苦 渋 の色を浮かべながら、まだなお泣いているボニーのほうを見やった。
しぶしぶ、うめくような声を出す。
「分かった......ひっかかってやるから......ったく......」
それを聞いた瞬間、ボニーは、ぱあっと表情を輝かせた。目の下をごしごしとふきながら、嬉しそうに、その場にうずくまる。
「うーん! とっても苦しいわ!」
それを見下ろして、半眼でオーフェンはつぶやいた。
「これってボランティアだよな......」
「いーから、早くひっかかってあげなさいって......めんどうだから......」
コンスタンスに促 され、しぶしぶ、オーフェンはボニーの肩に手を置いた。
「どうしました?」
と、刹 那 ──
がし! とこちらの手首をつかんで、ボニーは立ち上がった。哄笑 があたりに響 く。
「ほーほほほ! ひっかかりまわしたわ──ましたわ......」
そこまでまくしたてて舌 が回らなくなったのか、彼女は急に押し黙 った。
「............」
情 け容 赦 ない沈 黙 があたりを支配する。
ボニーはその場でうずくまると、しくしくと泣き出した。
「分かった......今のはなかったことにしといてやるから、もー一回やり直せ......な?」
ぽんと、肩をたたいてやると、彼女は動きを止めた。しゃくり上げる嗚 咽 も。彼女は涙に濡 れた顔を、ふっと上げて......
きらきらと目を輝かせて、彼女は言った。
「優 しいんですのね......♥」
ゔ......
──とオーフェンは、なんとなく、いやぁな予感がしていた。
「ね? タチ悪いでしょー?」
カウンターの隣 の席に腰 掛 けて、コンスタンスは気楽に続けた。
「つまんないネタでさんざこっちに面 倒 かけたかと思えば、急に手のひら返したみたいになついたりするんだから。八年前に、わたしたちが従兄弟 のアレックスのことで対立していたときのことなんだけど──
「なんて人聞きの悪いことをおっしゃるんですの? コギー姉様」
と、これはウエイトレス姿にもどったボニー。不 機 嫌 な顔で、さっとこちらとコンスタンスの間に、壁 を作るようにトレイを差し込んでくる。
「だいたいコギー姉様、オーフェン様とお話しになるときに顔を近づけすぎですわ。今後、オーフェン様の息がとどく範 囲 に侵入 することを禁 止 します」
それを聞きながらオーフェンは、無言で嘆 息 した──カウンターに並べられた、子 象 三頭ほどなら立 派 に養 えそうな量の夕食は、すべてボニーが用立てしたものである。
ちなみにカウンターの隅 っこで、キースが断りもなくその夕飯を片っ端 から平らげていたりする。
またため息をつくオーフェンをよそに、姉妹は会話を続けている。
「あのねボギー、あんたどーも、この人のことよく分かってないみたいだけど──」
「分かってないのはコギー姉様のほうだわ」
と、ぽぺんぽぺんとトレイでコンスタンスの頭をたたきながら、ボニーが言う。
「話には聞いていましてよ。オーフェン様を無 償 で働かせているんですって? そのようなことは今後わたしが許 しません」
「そいつは、モグリの金貸しなのよ──犯 罪 者 なの。分かってる?」
「だからなんだと言うんですの? そのような商売、やめればいいだけのことでしょう。わたしがきちんと養って差し上げますわ。ね、オーフェン様?」
オーフェンはなにも言わずに、とりあえず目の前のヤドカリのスープをかきまぜはじめた。無言の反応を肯 定 と思ってか、ボニーがさらに勢いづいて続ける。
「オーフェン様はもう生活の心配などなさらなくてもよろしいのですよ。わたしといっしょにいることが、これからの仕事ですわ」
「あの、ボニー様」
と、カウンターの隅 から、ふとキースの声があがる──
「実家から持ちだした資金の類 いは、もう既 に底を尽 きかけておりますが」
「あら、どうして?」
「ボニー様の書き置きに、私 財 の管理はわたしに一任するとありましたので、それなりに遊びまくった結果、財 布 が軽くなっておりました」
「朝に行方 不明になったってのに、俺 らのとこに来るのが夜だったのはそのせいか......」
オーフェンがうめく。
ボニーは、怪 訝 そうに声をあげた。
「あら、でも、その書き置きって......」
「お忘れでしょうか? ボニー様」
キースは、きっぱりと真顔で言った。
「ボニー様を計略 に陥 れようとしていたのが、誰 であったのか──」
「............」
ボニーは、しばらく迷 ったようだったが、やがて、ぽんと手を打ってにっこりした。
「ああ。でも、オーフェン様がなさったことでしたら、仕方のないことですわね。お金なら、ここで働いて稼 げますわ」
「御 意 」
「お前ら......」
オーフェンはうめいたが、なんとなくこのふたりに道理を通すのはとてつもなく難 しいことのような気がして、あきらめて黙 り込んだ。と、隣の席で、ばん、とコンスタンスが立ち上がる。
「あのね──姉として許 さないわよ、とにかくその金貸し魔術士だけは!」
「わたくし、姉様の許 可 など必要とはしておりませんわ」
ボニーは、ふふんと鼻 を鳴らすと、
「だいたいにして、姉様のような最低技能警官の後押しなどというほうが、よほど犯 罪 に近いんじゃありませんかしら?」
「なんですってぇ⁉ 」
「キース! この汎 用 迷 惑 女 を簀 巻 きになさい!」
「承 知 いたしました!」
「ちょっとあんたたち! ふたりがかりっていうのは完全無欠に卑 怯 よっ!」
「............」
騒 ぎを遠目に見やり、ひとりでスープをすすりながらオーフェンは、この日最後のため息をついた。ふと顔を上げると、カウンターの中にいつもの顔──バグアップがグラスを磨 いている。
バグアップに、オーフェンはつぶやいた。
「人をひとり埋 められるくらいの穴 、掘 っといてくれるか?」
「誰 を埋めるんだ? いったい」
「......俺が埋まる」
答えてからオーフェンは、くるりと振り返った。いまだつかみ合いを続けている三人を、まとめて黙らせる 呪 文 を放つため──
彼は、思いきり息を吸い込んだ。
(はっきり言って迷惑だ!:終わり)


「豚 」
その一言を聞いて、ぎしり──とオーフェンは動きを止めた。
だがなんとかぎりぎり堪 えて、脂 が音を立てている分 厚 いステーキに、震 える手でナイフを食い込ませる──
いつもの宿 屋 の、夕食時──オーフェンは鉄板の上で歓 喜 の声よろしく脂の音を立てている牛肉と向き合っていた。黒 髪 、黒目、二十歳 ほどの黒ずくめの男。胸 元 には大陸黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》で育った証 し、ドラゴンの紋章 が下げられている。
カウンター席のすぐ横から、世にも冷えきった目で、女がこちらを見つめていた。小ぎれいなスーツ姿の、コンスタンスである。
彼女はゆっくりと続けた。
「飼 われ犬」
再び、ぴた、と一瞬 だけオーフェンの手が止まる。
が、先 程 よりは多少早く、彼は復活した。黙 々 とステーキを切り分けつつ、コンスタンスをかたくなに無 視 する。コンスタンスがまた口を開いた。
「家 畜 同然」
ぎゃりっ──
滑 ったナイフが、脂まみれの鉄板をえぐる。
オーフェンはゆっくりと、コンスタンスのほうに顔を向けた。無理やり、なんとか温 厚 そうな笑 みを浮 かべながら──もっとも、ほおのあたりが引きつっているのには自分でも気づいていたが。
「なあ、コギー......」
震 え声で、オーフェンは彼女の名を呼んだ。
が、彼女はきっぱりと無視すると、最後の言葉を発した。
「ひも男」
「話を聞けぇぇぇぇぇっ!」
絶叫 が、宿の中にこだまする──
すべては、そうして始まったのだった。
「誰 が俺 を責 められる⁉ 」
オーフェンは天井 に拳 を向けて、そう叫 んだ──もう夕食は終わり、おおかた片付いた店内に、コンスタンスと彼、そしてウエイトレスの格 好 の女がテーブルを囲 んでいる。ウエイトレス姿の女はコンスタンスの妹で、栗 色の髪 の少しおとなしい感じのお嬢様 である。
彼女──ボニーは、うんうんとうなずいた。
「そうですわ。オーフェン様はなにも間違ってなどいません」
ぎゅっとトレイを胸に抱 え、姉に向かってきっぱりと断 言 する。
「わたしに養 われてなにもせずにごろごろ安 逸 な一生を過ごすことの、どこが悪いというんですの⁉ 」
「思いっきり退 廃 的 じゃないっ!」
「だあああっ! そもそもそーゆうことじゃねえっ!」
ばんっ!──とオーフェンは、姉妹の間に割って入るように手をついた。
「俺が言いたいのはだ──ここんところ食生活が貧 しかったから、ちょっとくらいボギーの奴 におごってもらってもいいだろうがってことだ!」
「そんなっ! オーフェン様!」
ボニーが、うろたえたように身をよじらせる。彼女は、ついと詰 め寄ってきて続けた。
「今はとりあえず貢 がせておいて、飽 きたらボロクズのよーに捨ててしまうおつもりなのですねっ⁉ 」
「ようやく気づいてくれたのねボギー! そーよ、こいつはそーゆう奴なのよ!」
「てめえらぁぁぁっ!」
オーフェンは全力で絶叫してから、今度は拳 でテーブルを殴 りつけた──ごぎっ、となにやら鈍 い音が響 くと同時、さすがにマギー姉妹もぎょっとしたように言葉を引っ込める。それから一瞬遅 れるようにして、真っ二つに割れたテーブルが静かに崩 れ落ちた。
「分かった──よぉぉく分かったぞ」
妙 な方向に折れ曲がった手首をこっそり背 後 へ隠 しつつ、オーフェンは静かに告 げた。
「お前らがそーゆう目で俺を見てるというんなら、俺にも考えがある」
壊 れたテーブルを見下ろして、コンスタンスとボニーは後 退 りするように身体 を退 いている。
「わたしたち、なにかお気に障 ることを申しましたかしら、コギー姉様」
「見たままを言っただけなのにね」
「......いーから聞け。黙 って聞け。頼 むから聞け」
オーフェンは一息にそう続けると、はぁ、と嘆 息 して、
「つまりだ──どっかでフィフティ・フィフティになればいいわけだろ。おごられっぱなしじゃなくって。なんかこー、飯 をおごるとか、プレゼントでもすればいいわけだ」
びし、と指を突 き付けて──もっとも、手首がちょっと曲がったままのため変な方向を向いてはいたが──、オーフェンは叫んだ。客のいない食堂に、ふとした静けさが通り過ぎる......
しばし沈 黙 してから──どうやら茫 然 自 失 していたらしいコンスタンスが、なんとか回復して口を開いた。
「あ──その......ごめんなさいね、オーフェン。わたし、別にそんなつもりじゃ......」
言いながら、そらぞらしくそっぽを向く。似たような仕 草 でボニーもうなずいた。
「そうですわ。わたしも、そこまでオーフェン様を追い詰めるつもりなど毛 頭 ......」
「......どーゆう意味だそれは......」
半眼で聞くと、彼女らは、ぴったりと意見を合わせて続けて言ってきた。
「だって......」
「そんなお金があれば、そもそもこんなことにならなかったでしょう?」
......言われてみれば確 かにそーだ。
などと思わず納 得 してしまいながら、オーフェンは腕 組 みして街 を歩いていた。あのあと、ふたりに『お金 儲 けとか生産的なことはあんたとは相 いれない』だの『食うにも困 っているような人にプレゼントなどされたら寝 覚 めが悪い』だのと、それこそこちらの寝覚めの悪くなるようなことをさんざ言われて、なんとか仕返し──もとい、お返し──の手はないものかと一晩思 案 したのだった。
「結局、何のアイデアも浮 かばなかったが......まあ一日街でも歩いていれば、なんか思いつくだろう」
と、自分を慰 めるように独 りごちる。背後から、それに答えるように声があがった。
「で、なんでわたしがつきあわされているんでしょうか......」
オーフェンは、ぐるりと振 り返った──彼のあとをついてきているのは、ボニーの執 事 (正確には、マギー家の執事見習い)キースである。銀 髪 のタキシード姿、表情はつとめて静かで、なにを考えているのかもいまいち分かりづらい。
ともあれオーフェンは、キースに言った。
「お前が一番暇 そうだったからだ」
「............」
「コギーは仕事、ボルカンとドーチンの奴は、なんかまたくだらねえ商売を始めたらしくて居 所 が分からねえし、マジクも補 習 だそーだ。そんなわけで、福ダヌキや学生よりも暇 を持て余しているのはこの街でお前だけだ」

「それと、あなたもですね」
「頼 むからそれは言うな」
「まあ......まじめな話、手っ取り早いお金儲けと言えば──」
キースは、ぴっと人差し指を立てた。
「恐喝 」
「却 下 」
次いで、人差し指を立てた手に親指を加えて続ける。
「強 盗 」
「不 許 可 だ」
最後に中指を立てて、計三本。
「アルバイト」
「なんでそれが三番目なんだか分からんが......まあそんなところだろうな」
オーフェンは同意しながら、通りを見回した。商店街なので人通りも多い、道は広くもなくせまくもなく──そんなストリートである。まあ、商店街だからといってそうそう都 合 よく『人 手 求ム!』の張り紙があったりはしないが。
人の流れの中、ぽつんとふたり、オーフェンとキースは立ち止まって、互 いに考え込むようなポーズを取った。
「ま、とりあえず端 から求人当たってみっか......どーせ短期間だから、条件はうるさく言わねーけど」
「ええ。享楽 をむさぼりつつ高給がもらえておふざけな感じでできれば働かなくていいような職場であれば、まあ良しとしましょう」
「............」
なんとなく怖 かったので、あえてなにも言わずに通りを横切りはじめた、その瞬間 ──
「きゃあああああっ!」
若い女の悲 鳴 が、ふと通りの足を止めた。次いで、金 物 が崩 れるような、けたたましい金属音──
がちゃあああんっ!
なにかの合 図 のように鳴り響 くと、さらに複数の男たちのダミ声が続いた。
「おらぁっ!」
「見せモンじゃねぇぞ大衆どもぉっ!」
──と──
オーフェンは、騒 ぎのほうをくるりと見やった。すぐ近くの、小さな果 物 屋 ──倒 れて音を立てたのは、金属製の秤 だった。天 秤 の頭を踏 み付けるようにして、ダミ声の男(A)が怒 鳴 る。
「今日はこんなところで勘 弁 しといてやるが、次に来たときにまともに返事できねえようなら、この店根 こそぎぶっ潰 すからなっ!」
「あらぁ。それは少し困るんですが......」
男の足元に倒れて、なぜかいまいち緊張感 のない声で、さっきの悲鳴の主 らしき女がつぶやく。格 好 からすれば、その果物屋の店員なのだろう。分厚いエプロンに仕事着の、二十歳前くらいの女である。
その背後から、男Aとはさみうちするような形で、男Bが声をあげた。
「ま、姉ちゃんがねんごろに出 迎 えてくれるってんなら、ちったぁ優 しくしてやるけどもよう」
と、面 白 くもないことを言ってからひとりで笑う。
「それについちゃ、別に次の機会でなくってもいいんだぜ──」
男は笑いながら、その女の肩に手を伸 ばしかけた。女のほうは別に、どうということもない目でその指先を見つめている。あまり意味が分かっていないのかもしれないが──その手が彼女に少し触 れたところで──
──ぽんっ。
と肩をたたかれて、男は、びくりと動きを止めた。さっとこちらに振り返ってくる──
──そして振り返りきる前に、オーフェンはその男を思い切り殴 り倒していた。
「うわああああっ⁉ 」
悲 鳴 だか罵 声 だかをあげながら、男Bは道路に転 がった。それを見ていた男Aのほうが、仰天 したような声をあげる。
「なんだ、てめえっ!」
オーフェンは殴った右手をさすりながら、軽くあごを上げて、男を見返した。すぐ下では、びっくりした顔で女がこちらを見上げている。彼は、つぶやくように言った。
「てめえら、どっかで見た顔だな。オストワルドの手の者だろ?」
「......だからなんだってんだ」
当たりだったらしい。オーフェンは続けた。
「......なら俺のことも知ってるはずだな?」
「兄 貴 ィ......」
殴り倒されたほうの男が、あざになった顔を押さえながらもう一方の男にすがりつく。が、兄貴(らしい)はそれをなかば無 視 する形でこちらを見つめて──
そして、はっと気づいたようだった。
「《牙 の塔 》の紋章 ──黒ずくめ──てめえ、オーフェンか!」
「そーゆうこった。しばらく前に、てめえらの仲間に世話になったよ。もちろん盛 大 にもてなしてやったがね──ねんごろにとはいかなかったけどよ」
へっと笑いながらオーフェンが言うと、兄貴とやらはこちらをきっちり指さして叫 んだ。
「そうか──てめえが噂 の借金魔術士か!」
「『借金』じゃねぇぇぇぇっ!」
オーフェンは叫びながら、指をさしたままのポーズを取っていた男の顔面に回し蹴 りを放った。今度は弟分といっしょくたになって転 倒 するふたりに、オーフェンは続けて言う。
「いいか──金貸し魔術士ってのも、まあマトモな呼び名には聞こえんが、とにかく俺は貸すほうだ! 借金して返さねーような最低最悪『シリーズ・人間のクズ』みたいな連中といっしょにすんなっ!」
男ふたりもつれるようにして倒れながら、兄貴分のほうがうめいた。
「ううっ......俺としたことが、敵 の、ものすっごく薄 っぺらな最後のプライドに触 れちまったようだぜ......」
「やかましいわぁぁぁっ!」
オーフェンは叫びざま、光熱波を放ってふたりを吹 き飛ばした──その爆 風 に飛ばされてか、あるいは自分たちの足でか見分けもつけられないような様 子 で、野 次 馬 をかきわけながら、ごろつきふたりとも逃げ出していく。
それを見送りながら、オーフェンはため息をついた──と、今までどこに隠 れていたのか、いつの間にか近くに来ていたキースが、腕 組 みしてさわやかにつぶやいてくる。
「ふっ......とりあえずこれで恩を売るのには成功しました。あとはこの、おさんどん女をくどき落としてなけなしの金を容 赦 なくむしり取るだけですね、黒魔術士殿」
「ま、まあ......それはともかくとして、だ」
あまりフォローになっていないことを口にして、オーフェンは、まだ地面に倒れたままの女に向き直った。
彼女はどこか、ぼーっとした顔でこちらを見ている。
「ケガは?」
オーフェンが聞くと、彼女はかぶりを振りながら、にっこりと笑って立ち上がった。
「いえ......大 丈 夫 です。あの......すいません、助けていただいて」
「いやまあ、あいつらとは俺も因 縁 があるんでね」
頭をかきながら言うその背後で、朗 らかな声でキースがつぶやくのが聞こえる。
「いい調子ですよ黒魔術士殿。女をだますのはまず優 しさ──のめり込ませるのはニヒルさで、最後は弁 護 士 と戦う強い意志です」
「いいから......黙 ってろお前は......」
オーフェンはぐったりとキースを押しのけると、彼女を手伝って天 秤 ばかりをもとに直した。ふと、聞いてみる。
「──で、まあ、差し出がましいことかもしんねえけど、君──」
「ペティアです」
「ああ、えーと、ペティア? なんであんな連中に付け狙 われてるんだ?」
「あ......それは──」
彼女──ペティアは、少しうつむいて、顔を赤らめた。エプロンの端 をもむようにしながら、もごもごと答えてくる。
「つまり、わたしも......『シリーズ・人間のクズ』なんです......」
ザナデュ・オストワルド──
トトカンタの金融業 の、いわゆる顔役である。ひらたく言えば、個人経営の銀行だというところか──アーバンラマを本 拠 とするような大銀行に較 べれば、まあ規 模 は数段劣 ることになるが、それでもこの街の中であれば、司 法 組 織 にまで影響力 を持っている。
そして無論のことながら、非合法 の金貸しであるオーフェンとは相 いれない。まあこの場合、どちらが善良 でどちらが云 々 といった問題ではなく、商売敵 というだけのことだ。社会的に言えば、オーフェンのほうがよほど後ろ暗い。
「──はっきり言っちまえば、俺はあいつ嫌 いなんだ」
例の果物屋の店の奥──こぢんまりとした、休憩室 のようなところである。あの騒 ぎのあとに早々に店を閉め、その部 屋 でペティアの話を聞くことになった。
通りすがりの正義の味方でもあるまいし、なんでそんな義理があるんです? というキースの問いに、オーフェンは、そう答えたのだった。
「お知り合いなので?」
と、不 思 議 そうに、キース。オーフェンはかぶりを振った。。
「いんや。顔も見たことねえよ。ただあいつは──噂 じゃ、殺し屋を使うんだよ」
「殺し屋?」
みっつのティーカップに順々に紅 茶 を注 ぎながら、ペティアが軽い調子で声を出す。ああ、とオーフェンはうなずいて、
「もっとも、このトトカンタ市でくだまいてるような連中じゃ、実力もたかが知れてるけどな。本気で筋 金 入りのプロを見つけたいなら、王都かアーバンラマに行くしか──」
「あるいは《牙の塔》、ですな」
ぽつりとつぶやいたキースのせりふに、オーフェンは、ちらとそちらを見やってから、
「まあ......そうだな。なんにしろ、オストワルドが力を持ってるっつっても、さっきみたいなごろつきを使って嫌 がらせをしてくるとか、そんなのがせいぜいさ。殺し屋っても、それと大差ねえ」
「はあ......」
気の抜けたような返事をしながら、ペティアが紅茶を勧 めてくる。カップを受け取ってオーフェンは、彼女に聞いた。
「──んで、ペティア。君は奴に負 債 があるのか?」
「そうです。まあ絶対に返せないという額でもないんですが......」
「いかほどで?」
こちらもカップを取りながら、キース。ペティアは自分のカップの縁 に軽く唇 をつけて、静かに答えてきた。
「六百七十八億 八十五万ソケットほど......」
ぶッ!──
数字を聞いて思い切り、オーフェンは紅茶を吹 き出した──仰天 して彼女を見やると、ペティアはきょとんと、
「あら、お口に合いませんでしたか?」
「い......いや......その......」
カップの中に吹いてしまったため、テーブルは汚 していないが、自分の顔が紅茶でべたべたである──手のひらでそれをぬぐいながら、オーフェンは気を落ち着けようと深 呼 吸 した。
「もう一回......言ってくれるかな、その──負債の額」
「六百七十八億八十五万五千四十ソケットです。正確には」
彼女はすらすらと言って、こちらにハンカチを差し出してきた。
それを受け取って、半眼になる。
「返せないこともない額って、本気で思ってるのか?──言っとくが、大陸全土の黄 金 を買い占 めたところで、そんだけの額にはなんねえからな」
「あら、まあ」
彼女は、とりあえず驚 いてくれたようだった──口に手を当てて、
「わたしったら、世 事 に疎 いものですから......でも端 数 くらいなら、なんとかなると思うんですけど」
「端数?」
「四十ソケットくらいなら、今月のお小 遣 いからなんとか......」
「月に四十ソケットじゃ、全額返 済 するのに一億年以上はかかるぞ」
「あら」
ベティアは、まったく変わらない声で軽く驚いてみせた。
「オストワルドさん、そんなに待ってはくれませんよねぇ」
「......多分な。確証 はねえけど」
頭を抱 えてオーフェンはうめいた。横から、キースがぽつりとつぶやく。
「しかしなんでまたそれだけの借金を? なかなか借りられる額ではないと思いますが」
「借りたのは祖 父 なんです」
答えながら彼女はオーフェンの分の紅茶を、新しくいれてくれた。
「祖父?」
「祖父は若いころ、新しい事業を興 そうとしてオストワルドさんのひいお祖 父 さんにお金を借りて、それで失敗してしまったんです」
「新しい事業、ですか」
落ち着いた様 子 で、キースが聞き返す。オーフェン自身はというと、まだしばしショックからは立ち直れそうにはなかった。
ペティアが唇に指先を当てて思い出すように答える。
「軽石から金を造り出すんだって、随 分 と入れ込んでいたみたいでしたけど......」
「......まーいーけどよ......」
オーフェンは、のろのろと顔を上げた。
「で、高利が高利を呼んで、ンな天文学的な数字になっちまったってわけだ」
「いろいろと金 策 もしてみたんですけど......どうもなかなか負債額が減 らなくって」
「そりゃそーだろ」
ぐったりとテーブルに突 っ伏 しながら、オーフェンはうめいた。
「オストワルドの奴 も、そんだけの額をまじめに取り立てるつもりはねえだろうから......まあせめて、この店の土地を取り上げておこうってトコか。ここはメインストリートだし、地価はあるだろうから」
「ここは、祖 母 の代からの土地なんですが」
と、ペティアはその話題になって初めて、多少は沈 んだ顔を見せた。
「祖父の死後、父も母も、すっかり落ち込んでしまって......父は病死、母は取り立てを苦にして家を出ていってしまいましたし。それでもわたし、母が帰って来るまでは、この店を切り盛りしていこうって......」
「そうですか......」
こと、とカップを置きながら、キースがつぶやいた──鋭 い目をきらりと輝 かせて、
「それは苦労したことでしょう。これからも苦労してください。紅茶はごちそうさまでございました。ではさようなら」
「こらこらこらぁっ!」
オーフェンは立ち上がると、既 に立ち去ろうとしていたキースの腕 をつかんだ。
「どうかしましたか?」
振り向いて、キース。オーフェンは少し考え込んでから、
「いや、どうかしましたかって......」
「我々の目的はお金を稼 ぐことです」
キースは、しごく冷 静 な声で言ってきた。
「どう考えても返済できるわけのない彼女の借金に付き合うことではありません。それとも、なにかいい考えでもあるので?」
「いや......ねーけど......」
オーフェンは認 めながらペティアのほうをうかがった──彼女は分かっているのかいないのか、ぼーっとこちらを見つめている。
かぶりを振って、オーフェンはうめいた。
「人道的に、なんていうか、ほら──それにどうせ......」
と、そこまでつぶやいた瞬間──
どがしゃああああんっ!
店の表のほうで、なにかが壊 れる音が鳴り響 いた。同時にまた、聞き覚 えのある声──
「でてこいオラぁっ!」
「あらぁ。また来たみたいですねぇ」
まるっきり他 人 事 のような声で、ペティアがつぶやく。ため息をつきながら、オーフェンは続けた。
「どうせ、こんなふうになし崩 しに巻き込まれるに決まってるんだからよ」
「あらあらあら」
ぱたぱたと店の表に出ていきながら、ペティアは気楽な声をあげた。そのあとについていって、オーフェンも顔を出す。
──そして様子を見るなり頭を抱 えた。
店の前には、空の木箱が散 乱 している──積んであったものを蹴 倒 したのだろう。そして半 壊 したリンゴ箱に足をかけて笑っているのは──
「うわぁーはっはっはぁっ! 借りた金も返さずに、今日ものうのうと安 逸 をむさぼろうとは言 語 道 断 っ! この俺が深夜料金で割増し殺してくれるから、ありがたくちょうだいしやがれ!」
ぼさぼさの黒髪、古い毛皮のマント、そして中古の長剣 を腰 に下げ──身長百三十センチほどの『地 人 』の少年──
「巨額の負 債 はそのまま罪 の重さの金額よっ! 己 の罪 業 に自 覚 もなく、今日の今日まで返済に来なかったことそれ自体が究 極 の罪! 貴 様 のよーな奴 をこそシリーズ・人間のクズと呼ぼう! クズならクズらしく、俺様が重曹 で固め殺してくれるからおとなしく──」
「言えた義理かぁぁぁぁぁぁっ!」
オーフェンは全力で叫ぶと、差し伸 べた右手の先から強烈 な光熱波を放った──純白の光の渦 が地人の足元に吸い込まれ、轟 音 とともに衝撃 と熱波を撒 き散らす。爆 発 は、地人をあっさりと空中に吹き飛ばした。
ぼさっ、と地人が地面に落ちてくるのを待ってから、頭 痛 のする頭を押さえて、オーフェンは店の表に出ていった。
見ると、近くにさっきの地人と同じような格 好 をしたもうひとりの地人もいたりする。
「福ダヌキ──なんか新しい仕事見つけたとかぬかしやがったが、これのことか⁉ 」
地人たち──ボルカンとドーチンに、オーフェンは険 悪 な形相 で聞いた。あはは、とドーチンがから笑いして答える。
「地 上 げのバイトです」
「ふっ──」
と、これはたった今爆発に吹き飛ばされたばかりのボルカン──もっとも、いつも通りたいした外傷 もないようだが。
「自 らの為 した契 約 も忘 れ、負債の意味も忘れたふりをしている愚 か者に引 導 を渡すこの仕事! 完 璧 な聖職 ではないかっ!」
「......まさかとは思うが......てめぇらも、俺に負債があんのを忘れてるってんじゃねえだろうな......」
「笑 止 !」
ボルカンはきっぱりと叫ぶと、ざっと地面に立ち上がった。拳 を握 って断言する。
「返すつもりのない借金など、借金にあらずっ!」
「十秒前に言ってたことはなんなんだぁぁぁぁっ!」
オーフェンは絶叫 して、さらに強力な光熱波を放った──また爆発に巻き込まれて、吹き飛ぶボルカン──と、気楽な様子でそれを見上げるドーチン。
また、それがぼさっと落ちてくるのを見つめながらオーフェンは肩で息を整 えた。
「あらあら」
後ろから、ペティアの声。
「そんなに興 奮 しては、身体 に毒 ですよ」
「あいつらが生きながらえてることのほうが、よほど俺の人生に毒だ」
オーフェンはうめきながら額 の汗 をぬぐった。まさか、ここまで節 操 のない連中だとは......まあ薄 々 感づいてはいたけど。
と、人込みの中から──
「な──なんてことをしやがる」
さっき逃げ帰っていったごろつきの、兄貴分のほうが現れる。今の出来事にかなり気 後 れした様子で、うろたえた声を出してきた。

「こーゆうことがあると労 災 だなんだと、面 倒 なんだぞ! もし死んだら、新しいバイトを探すだけでも手間なんだからな!」
「知ったことかっ!」
オーフェンは叫んで、黒 焦 げになって倒れているボルカンを指さした。
「天下のオストワルドが、あーゆうのを雇 うなっ! めんどくさいから!」
「はぁーっはっはっはぁっ!」
哄笑 はいきなり起こった──見ると、もうボルカンが立ち直っている。地人は腕 組 みして、さも誇 らしげに叫んだ。
「それが貴様の浅 知 恵 よ! この俺の才能を以 てすれば、この仕事こそが天職ではないか! 貴様のよーな才能貧 乏 では気づきもしないだろうがなっ!」
「才能......?」
思いっきり怪 訝 な顔でオーフェンが聞き返すと、ボルカンはさらに胸を張った。
「地上げというのは、即 ちその土地から人を追い出すことであろうっ!」
「まあちょっと違うよーな気もするが......」
が、ボルカンは無 視 して続けた。
「この俺様がその場にいるだけで、なぜかみんな、嫌 そーな顔をして出ていってしまうのだぁっ!」
「誇 るなぁぁぁぁぁぁっ!」
三度目の光熱波が、今度は直撃 する。さすがに今度は沈 黙 したボルカンから視線を外 して、オーフェンはぎろりと例のごろつきのほうをにらみやった。
「ゔっ......!」
かなりビビった様子で、男はうめいた。
「ち──ちょっと待てよ! 言っておくが、その女の負 債 は完全に合法的なものなんだからな! さっきはまあ、ボグの奴 が負債者本人に手を出そうとしていたからまあ奴の行き過ぎだとしても、俺をたたきのめすのは筋 違 いってもんだぞ!」
ぴた──とオーフェンは、動きを止めた。
男は、脈 有りとみたか口早に続ける。
「お前だってまがりなりにも金貸しの立場だ! 俺らの立場も分かるだろーが! とにかくここは、歩み寄ろうじゃねえか」
「彼の言うことが正しいと思われます」
「!......キース」
いきなり店の奥から出てきたキースに、オーフェンは振り返った。キースは静かに男のほうを手で示すと、
「戦えば、それはあなたの勝ちでしょう──その点に関しては、あの男のほうにはなんの手立てもありません。ですが逆に、彼女の負債に関しては、我々はなにもできない。あの男の申し出、聞く価 値 があると思いますよ」
「............」
オーフェンは、また男のほうに向き直った。男は、へへ、と笑ってからキースに会 釈 し、
「ありがてぇな。つまり、こんなのはどうだ? どうせ俺は追い出し屋だ──これから、有らん限りの嫌 がらせをして、その女をその店から出ていくように仕向ける。嫌がらせに堪 えきったら女の勝ちだ。俺も覚 悟 を決めて、この仕事をあきらめる。だが、これから俺がなにをしても、てめぇらは一 切 口出ししねえこと。勝 負 に加わるのは当事者だけだ──それでどうだ?」
オーフェンは、ちらりとペティアのほうを見やった。彼女はきょとんと、首を傾 げている。まるっきりなにも分かっていないように見えたが、そういうわけでもなかろう。単に、そういう顔に見えるだけだ。
キースはといえば、淡 々 としたものだった。
「筋 は通っていますね」

「......分かった」
オーフェンは、男のほうに向き直った。
「ただし、さっきてめえが言ってたようにペティア自身に手を上げれば、容 赦 しねえぞ」
「そりゃ、俺らの仕事の鉄 則 さ」
男はそう言ってにやりと笑うと、手始めとばかり、近くに積んであったリンゴの山を押し崩 した──ざぁっ、と赤い雪崩 のように、リンゴが床 に散らばっていく。
「............」
オーフェンは、ムッとしながらも手は出さず、ペティアのほうを気 遣 って見やった──彼女は、あらあらと口に手を当ててのんびり見ている。
次いで男は置いてある花 瓶 を持ち上げ、花を引っこ抜いてあたりに水をこぼした。そして、ポケットから小さい虫かごを出すと、その中からゴキブリと思 しき虫をばらまく──
かくして男の嫌がらせは始まったのだった。
──そして──
数時間後。店の中はめちゃめちゃに散らかっている。ありとあらゆるものが床 に散乱し、看 板 は傾 き、置いてある靴 の中にマヨネーズまで入っていた。水 槽 には売り物のアボカドがいくつも沈 んで、狭 苦 しい中をもたもたと赤い金魚が泳いでいる。そして、その散らかった店の真ん中に、追い出し屋は疲 れきってうずくまっていた。
オーフェンは、キースやボルカンらと、適当にそこらに落ちていたリンゴをかじりながら、ペティアのほうを見た。彼女はにっこりと追い出し屋を眺 めている。静かに。
追い出し屋が、ふらふらと手を動かし──偶 然 だろうが──まだ立っていた天 秤 ばかりをがちゃんと倒したとき、彼女は、またのんきにつぶやいた。
「あらあら」
「なんでだぁぁぁぁぁぁっ!」
唐 突 に追い出し屋は立ち上がり、悲 壮 な声で絶叫した。ぐい、とペティアのほうに詰 め寄って、
「こんだけやられて、どーしてそーも気楽にしてられるんだぁぁぁっ!」
少し涙 も混 じっている。どうやらこの数時間で精 も根 も尽 き果 てたらしい。
「えっとぉ......」
ペティアは、唇 に指先を当てるポーズで、間 延 びした声をあげた。
「これだけやられてって言っても、わたし、物心 ついてから祖父の借金取り立ての嫌 がらせって、されてましたから......」
「慣 れか......」
オーフェンは、ぼそりとつぶやいた。ペティアはにっこりと、
「あ、そうそう。それです」
「ンなあほなぁぁぁぁ......」
ぐったりと、追い出し屋。まあまあ、とペティアは男を慰 めるように続けた。
「それにあなた、まだ駆 け出しでしょう? 店の中のものを壊 さずにこれだけ散らかすのは悪くないんですけど、でもやっぱり、詰 めというか決まり手に欠 けてますよね。やっぱり基本は生き物の死体ですよ」
「あう......」
「大声でがなり立てるのも、体力を消耗 しますから長期戦には向きません。あと決定的なのは、子供を狙 うことですよね。わたしには子供いませんけど、その家の子供の登下校を狙って、ヘンなこと教え込んだりとか、家庭不信を吹き込んだりとか......」
「ううう......分かりました。分かりましたからぁ......」
「泣かないでください、追い出し屋さん」
彼女は、ぎゅっと彼の手を握 り締 めた。
「今日が駄 目 でも、明日があるじゃないですか。わたし、明日も待ってます。お互 い、がんばりましょうね」
追い出し屋は、もう言葉もないのか、ただだらだらと涙をこぼしている。
なんじゃ、そりゃあ......
声にならないつぶやきを発しながら、オーフェンらは、その店をあとにした。
「豚」
その一言を聞いて、ぎしり──とオーフェンは動きを止めた。
いつもの宿屋のいつもの食堂──というのもいつものことだが......
「楽しそうですねえ、コンスタンス様」
少し離れた席から、にこにことキースが言う。さも嬉 しそうにコンスタンスはうなずいてみせた。
「人の傷 をえぐって嬲 るって、勝利者の甘 美 な楽しみじゃないかしら」
言って、きらきらと瞳 を輝 かせる。オーフェンは震 えながらつぶやいた。
「あのなぁ......」
が、コンスタンスは完全に無視した。
「あーんな大 見 得 きっといて、帰ってみればプレゼントどころかつまんない失敗話だけ!いやだわー、人を日 頃 から無能扱 いしていて、自分はこれだものねー」
「こっのクソアマ......」
「オーフェン様! 姉の言うことなど気になさらないで!」
後ろから、いきなりボニーの声。彼女は背後からこちらの肩に手をかけると、聖 母 のように──というか、本人はそのつもりだろう──天井を見上げて続けた。
「人に養 われることなんて、ちっとも恥 ずかしくありませんわ! 猫 だってなんにも働かないのに、万 人 に愛されているじゃありませんか!」
「あれは愛 玩 動物だろーが......」
オーフェンのつぶやきも聞かずに、ボニーはさらっとキースに告 げた。
「キース、さっそく明日にでも、オーフェン様をわたしの扶 養 家族として当局に届 け出ておきなさい」
「御 意 」
「やめんかぁぁぁぁっ!」
オーフェンは、ナイフを取り落として叫んだ。が、誰 ひとりとして聞く者はいない。
オーフェンはさらに続けた。
「よってたかって俺をなんだと思ってやがるんだ!」
「妹に飼 われている金欠借金取り」
「姉から保 護 したわたしのオーフェン様」
「ま、わたしといっしょにボニー様の下 僕 というところですか」
順々に、きっぱりと即 答 してくる三人に、オーフェンはもはや答える気力もなく、しくしくとカウンターに突 っ伏した。
と──
扉 が開いて、人が入ってきた。まだ子供じみた面 影 の、金髪の少年。この宿の息 子 、マジクである。
どうやらクラブの帰りだったらしいが──少年は中の騒 ぎを見て、しばしきょとんとしたようだった。
「......どしたんですか?」
「マジク!」
オーフェンは、助けを見つけたとばかり、すがるように叫んだ。
「やった! 頼 りはお前だけだ──なあ、こいつらに言ってやってくれ。この三バカども、みんなして俺を飼い犬扱いしやがるんだ」
「......はぁ?」
マジクは、驚 いたようだった。
「なに言ってるんですか。オーフェンさんはうちの宿の居候 じゃないですか」
「違うううううっ!」
思わず、絶叫 する──が──
誰も聞いてはいない。マジクですら、横を通り過ぎて自分の部屋へと駆 け込んでいく。
「お前らぁぁぁぁっ!」
オーフェンは暴 れだし、そしていつもの夜はふけていくのだった。
(俺の立場はどーなんだ⁉ :おわり)

「フラットボールよりスライス──」
と、その男は、手にしたメモに書き殴 るように筆を滑 らせた。
「〝ヴァイス〟を発見。追 跡 に移る」
びりっ──とメモ帳からそのページを破って、その場に落とす。そのまま、帽 子 を目 深 に落としてから、雑 踏 の中に潜 り込んだ。
くすんだ赤のジャンパーに、古びたジーンズ。ジャンパーの下はキャラクターが笑っているトレーナーと、部 屋 着 に上着をひっかけて買い物に出たという風 体 である。年 齢 は二十歳 ほどか──あごのとがった、痩 せぎすの男。鋭 い目つきをうまく帽子で隠 している。
と、数秒後──
その男の落としたメモを、靴 ひもをむすぶふりをして拾い上げた男がいた。こちらは黒いコートを着て、小太りな感じである。
男はさっとメモを見てから、そのメモの下に走り書きした。
「スライスよりチーフへ──フラットボールをフォロー。先回りして五分後に合流」
そのメモをまた落としながら、足を速 める。
また数秒後、次にメモを拾ったのは、あとからついてきている背の高い男──全身革 製品に包まれて、突 けば刺 さりそうな鋭 角 のサングラスをかけている。
彼はメモを拾い上げ、満足そうに笑った。
「ふっ──我 が部下ながら、すばらしい尾 行 だ。人 混 みに身を隠 すあの移動法を見ろ。プロというのは恐 ろしいものよな。敵 には回したくない連中だぜ」
くっくっくっ──
のどの奥を鳴らしながらその男は、小学生の集団下校の中にしゃがみ歩きで紛 れ込んでいる部下ふたりを頼 もしそうに眺 めつづけた。
と、その場から少し離れて──
いつもの食堂で、オーフェンは遅 めの夕食をとっていた。黒 髪 黒目、黒ずくめと、なにかの宗教かというくらいの黒一色の格 好 ではあるが、その胸 元 には、銀色のペンダントがぶら下がっている──剣 にからみついた一本脚のドラゴンの紋章 。大陸黒 魔 術 の最 高 峰 である《牙 の塔 》の印である。
同じテーブルには銀 髪 の男が座 り、さっきからため息ばかりをついていた。
「はぁ......」
「............」
半眼になりながらスープをすすり、オーフェンは口を開いた。
「なんなんだよ、さっきから。キース」
「ええ──」
その男──キースは、いつも着ているタキシードの襟 を直しつつ目を閉 じて答えてきた。
「最近、尾行されているようなのです......」
「偶 然 だな。俺 もだ」
憮 然 としたまま、言う。と──テーブルの横から、驚 いたような声があがった。
「まぁ、オーフェン様が?」
ウエイトレス姿のボニーが、トレイをくわえるように口元につけながら続ける。
「でもそれは思い過ごしですわよ。ちゃんとわたしが毎日、三歩後ろをついて歩いておりますもの。そのような不 審 な者がおりましたら──」
「だからっ! てめえが四六時中くっついてくるもんだから邪 魔 だと皮 肉 ってんだ!」
ばん! とテーブルをたたきながら立ち上がる。ボニーは、ちょっとしゅんとしたようにうなだれてつぶやいた。
「だって、このお店あんまりお客がいらっしゃらないものですから暇 なんですもの......」
「ったく、コギーといいこの妹といい、つくづく人の仕事の邪魔ばっかりしやがってこの姉妹は......」
ぶつぶつと毒 づきながら、オーフェンは座り直した。それを追いかけるように、ボニーが言ってくる。
「でもオーフェン様、お仕事らしいお仕事なんてなさってらっしゃらなかったじゃありませんか。毎日毎日、あの地 人 の方たちを殴 ったりこづいたり蹴 飛 ばしたり燃やしたり落としたり沈 めたりなさるばっかりで」
「はぁ......」
と、これはキースのため息なのだが、オーフェンは無 視 してボニーに言い返した。
「それが仕事なんだよ!」
「まあ」
ボニーは一 瞬 きょとんとしたが、やがて、ぽんと手を打った。
「分かりましたわ。あの地人の方たちに頼 まれてやってらっしゃることでしたのね」
「......これがコギーの奴 に言われたんだったら、皮肉だと思うとこだが......」
正直、このガタのきた車輪女の言っていることは本気かどうか判別できない。
「はぁ......」
すべてを無視して、キースのため息は続いている。
さすがに少し気になって、オーフェンは彼のほうに向き直った。
「なんなんだよ。その尾行ってのに、なんか心当たりでもあんのか?」
「それが──」
眉 間 に拳 の先を添 えて、キースが答えかけた、そのとき──小さな音を立てて、扉 が開いた。すえた感じの夜気が吹 き込んでくる。
「あー、遅くなっちゃったわぁ」
コートを肩から下ろしながら入ってきたのは、コンスタンスだった。疲 れているのか、めんどくさそうにコートをハンガーにかけて、のろのろとやってくる。
確 かに、いつもこの食堂に夕食を食べにくる時間よりも、少し遅い。
「珍 しいじゃねえか、定時警官が」
皮肉げにオーフェンはコンスタンスに言った。彼女は、じろりとこちらを見下ろすと、
「あのねー。言っておくけれど、契 約 以上の労働をしないことも労働者の権利よ」
「賃金を受け取ることもな。とっとと俺に仕事料払 えってんだ」
と、コンスタンスが隣 の席に腰 を下ろすのを見ながら、オーフェンは聞いた。
「んで......なんかあったのか?」
「なんもないわよ。ただ──」
と、彼女はそこでいったんボニーに注文を言ってから、こちらに向き直って続けた。
「そこの角に、ヘンな連中がいたから、なんなのかなーと思ってしばらく見てたの。足がこっちゃったわ」
がたっ──
唐 突 に、椅 子 が転 ぶ音が食堂に響 いた。驚いて向きやると、いつになく真 剣 な面 持 ちで、キースが立ち上がっている。
「ついに......ここまで......」
震 え声でつぶやく彼に、オーフェンはなんとなく気 圧 されながら、恐 る恐る聞いてみた。
「なんなんだ? キース。さっきから......」
が、キースは答えずに、コンスタンスのほうに向き直る──ボニーの姿も探 したようだが、彼女は既 に厨房 へと姿を消していた。
彼は、ゆっくりとコンスタンスに告 げた。
「コンスタンス様......それは、ヘンな連中ではありません」
「きっぱりとヘンな連中だったけど......」
ぼつりと、コンスタンス。が、キースは無視して拳 を固めた。
「コンスタンス様、バースデーにいただいた緋 色 のタイ......ありがとうございました」
「ああ。あのバーゲン品ね。父さんにあげようと思ってたんだけど、死んじゃったから。それはそうと、ヘンな連中だったわよ──」
「思えばマギー家に勤 めさせていただいてから二年間、わたしは幸福でした。理解あるご主人、美しく素 直 なお嬢様 方......」
「確 かにわたしは美しくて素直だけど、それはそれとしてヘンな連中だったわよ!」
頑 固 に繰 り返すコンスタンスはあくまでも無視して、キースは大きく天井 を振 り仰 いだ。
「ああ! しかし今、わたしは過去を清算しなければならないのです──」
「ヘンな連中だったっていうのに! これ認 めてくれたら今オーダーした唐 揚 げ一個あげるわよ!」
「やかましいいいいいっ!」
オーフェンは、怒 鳴 りながら立ち上がった──キースの首を絞 めているコンスタンスを引き剝 がしながら、キースに聞く。
「どーでもいいけどお前も、ちゃっちゃと本題に入れねえのか⁉ 」
「めっそうもございません」
手のひらをこちらに向けながら、真 顔 でうなずくキース。
「しかし演出は重要かと......」
「なんでヘンな奴 らだって認めてくんないのよう」
かなりムキになって、コンスタンスがテーブル越しに詰 め寄る。キースは、ふっと笑 みをもらした。
「それは──」
と、意味もなくあさってを指さして、
「彼らが、わたしの生涯 の敵 だからです!」
「ふっ。奴もヤキがまわったか。あんな無防備な場所に長時間とどまるとはな」
全身革製品の男──チーフは、ずれたサングラスを直しながら、にやけた声を出した。
「さいですな、チーフ」
こちらは、とがったあごに手を当てて古ジャンパーの男──フラットボール。
最後は、寒そうにコートのポケットに手を突 っ込んだ、太った男──スライスである。
「火の尾の銀狐 と呼ばれたあのヴァイスも、しょせんは過去の男ですよ」
と、不敵に笑う。
三人は、各 々 目立たない格 好 でその食堂──バグアップズ・インと看 板 の下げられた宿 を見張っていた。
もっとも、まるっきり服装の種類が違う男たち三人がひとけのない街 角 にかたまって、それぞれ新聞を広げたりタバコをふかしたり双眼鏡 を首に下げて野鳥を観 察 していたりすれば、普通は目立つ。
が、それは別にどうでもいいことだ。
チーフは新聞を閉じながら、視線を合わさずに他人を装 って指示を出した。
「いいか──こんなシケた仕事に手 間 ぁかけたくねえ。一気にカタをつけるぜ」
「恐 ろしいお方だ......」
「さすがだぜ、チーフ」
「ふっ──まあ言うな。お前らのような奴らの上に立とうとすれば、このくらいにはなるのさ。おっと──刃 物 は使うな。血が残る」
「分かってまさぁ」
「頼 もしい部下だぜ、今さらながらな」
チーフは感じ入ったようにかぶりを振 った。もたれていた壁 から身を起こし、手近なくずかごに新聞を放 り込む。
ざっ──と踏 み出した靴 の裏が、乾 いた音を立てた。
「では──行くぞ!」
号令する。
彼らは一同連れだって、自信たっぷりの足取りで隣 の美容院へ入っていった。
......結局なにごともなく、数時間が過ぎた。
オーフェンはコンスタンスらに別れを告げたあと、あくびしながら階段を上っていった。とんとんとリズムよく足音を立てながら、いつも(勝手に)使っている客室の扉 を開ける。
すっかりなじんだ部 屋 に入りながら──
オーフェンは、ぴたと立ち止まった。
「............」
しばし硬直 しながら、目の前でなにが起こっているのか考え込む。
「え〜と......」
が、結論は出なかった。とりあえず見ただけのことを受け入れようと、いったんそれらから目をそらす。
「なにやってんだ、おめえら......?」
それだけ言う。
部屋の中には、三人の男がいた。
ひとりは、汚 れたジャンパー姿の痩 せた男──観 葉 植物の陰 に座り、据 わった眼 差 しでよだれを垂 らしている。
もうひとりは対照的に太った男──問 答 無 用 で天井から逆 さ吊 りにぶらさがっているため、着ているコートがびろんとめくれていて、不 気 味 なオブジェのようになっている。
最後は黒革 で全身を包まれたような、大 柄 な男──しかめっ面 で計算機の球を無意味に弾 きつづけている。
なぜか全員おそろいのマッシュルームカットで──その髪も今さっき床 屋 に行ってきたばかりのように、油でてかてかになっていた。
ふっ......
という笑みは、黒革の男が漏 らしたものらしい。続けて、観葉植物に隠れている男が立ち上がる。
黒革の男は彼を示しながら、告げてきた。
「奴 、フラットボールは物陰から幼女を狙 う大学生のまね......」
「あ──そう......」
呆 気 にとられてうなずくうちに、すたっ! という音が響 く──天井にぶらさがっていた男が一回転して着地したのだ。
黒革は、今度はそちらに指を移し、
「彼、スライスはコウモリにあこがれる生態博士のまね......」
紹介 (?)されて、スライスとやらが、うやうやしく一礼する。と、黒革は、最後に自分の胸を指し示した。
「そしてこの俺は、心の中で悪 態 をつきながらも、壊 れた計算機を使わざるを得なくなった銀行員だ!」
「おおおおっ! あの伝説の秘 技 がこんな間近で拝 見 できるとは!」
「やったぜ、チーフ、奴、ぐうの音 も出ないようだぜ!」
こちらを指さしながら歓 声 をあげる、残りのふたり。
「......で、それがどうかしたのか......?」
ぼんやりとオーフェンが聞くと、騒 いでいたふたりが、ぴたと口をつぐんだ。ふたりの中央で、チーフと名乗った黒革の男だけがくつくつと笑みを浮 かべてから、突然──
きっ! とこちらをにらみつけてきた。同時に告げる。

「見事な変 装 だろう!」
「やかましいわぁぁぁぁっ!」
オーフェンは叫 びながら、思わず最大威 力 で熱 衝 撃 波 を放っていた──大気を放電させながら熱波の濁流 は三人のいるあたりに炸 裂 し、巨大な爆 鳴 を轟 かせた。向かいの壁 を完全に撃 ち抜いて、光の帯が彼方 へとすっ飛んでいった後には......
なにも残ってはいなかった。
はっ──と我 に返って、あわててうめく。
「あ、まずい──思わずとっさのことで、福ダヌキやコギー用の対応をしちまったが......生きてっかな」
と、壁の穴 に駆 け寄る。あたりを見回すが、視 界 内に人影はない。
壊れた壁は、魔術で修復 すればいいとして──
夜風に吹 かれながら、彼は独 りごちた。キースとコンスタンスの会話を思い出しながら。
「どーやら......どう見ても、キースの関係者に間違いないよーだな。あの連中......」
結局またその夜も、それ以外はなにもないまま夜が明けた。
オーフェンにとっての朝は、ほとんど昼である。遅 めの朝食だか早めの昼食だかをとって、宿を出る。
とりあえずボニーをまいて、訪 れたのはいつもの場所だった。トトカンタ市内を流れるマスル水道。そこに沿 った街 道 をてくてくと歩きながら、きょろきょろと頭 をめぐらせる──
探 していたものはすぐに見つかった。
「さぁーぁさ、寄ってらっさい見てらっさい! 本日限りの奉 仕 品 大放出! この善意の雪崩 に埋 もれたければ、足を休めて耳をすますよりほかはなし!」
ぺんっ! とアスファルトを木の枝でたたいて、それは続ける。
「誰 が信じるこの価格! お家 に帰って家族にしゃべくる暇 はございません! ただ今ここで持って帰る算段を、頭の中に仕込むのが賢 人 の知 恵 と申すもの! さあ、論より証 拠 だ、あ──そこの坊 ちゃん、ジャンプしてごらんなさい。うるさいことは申しません! ちゃりんと音がしさえすれば、お代は言わずそのポケットの中身とこのマリリンちゃんとを交 換 いたしましょう!」
道ばたに毛布を敷 いて、その上に商品をいくつか並べてそんな口 上 をがなり立てているのは、身長百三十センチほどの『地 人 』である──毛皮のマントにぼさぼさ頭。ひとりは口上を述 べている、剣 を下げたボルカン。もうひとりは、眼鏡 をかけて隅 っこでぼーっとしている。
その眼鏡のほう──ドーチンが、こちらに気づいて「あ」と声をあげるのが聞こえた。
さっさと通り過ぎていく通行人に向かって、ボルカンはこちらに気づかないまま、棒 を振り回している。
「このすさみきった世の中、子供なんて飼 ってる暇はございません! しかし心が渇 けば寂 しくなるもの──そんなとき、我 がボルカン商会がお勧 めするのは可愛 いペットでございます! 夜中にふと目が覚 めて涙 がこぼれたそのときも、優 しくその涙を拭 き取ってくれる──」
「ほほう......」
オーフェンは静かにつぶやきながら、その毛布に足を踏 み入れた。ボルカンが、ぴたりと口をつぐみ、めんどくさそうにこちらを見上げる。
「なんだ貴 様 、はんだごてでくっつけ殺されもせんと性 懲 りもなくいきなり現れおって」
が、それは無視してオーフェンはにっこりした。足下の、虫かごのようなものを取り上げながら、
「新しい商売を始めたよーだな、福ダヌキ」
「うむ。お前のよーな、万年惰 眠 男との次元の違いを見せつけるよーで悪いがな」
きっぱりと言って、うなずいてくる。
オーフェンは、ぴくりとほおのあたりを動かしてから、それでも笑みは崩 さずに続けた。
「ひょっとして......もうかってるか?」
「無論だ」
ボルカンは断 言 したが、『金庫』と書かれた空 き缶 は、どう見ても空っぽである。オーフェンは嘆 息 してから、
「ところで聞きたいんだが......この虫かごに入ってる、カスリバエの幼虫みたいなのはなんなんだ?」
「ゴミ捨て場で捕 まえたのだ」
「なるほどな。で、いくらで売ってんだ?」
「欲しいのか?」
「いるかぁぁぁっ!」
オーフェンは怒 鳴 ると、ボルカンを思い切り蹴 飛 ばした。捕まえて、締 め上げる。
「お・ま・え・は・な〜、こちとら忍 耐 にも限界があるんだぜ! 借金返 済 のためにちっとはマトモに儲 けようとか思わねえのか⁉ 」
「ま......待て! お前は誤 解 しているぞ、黒魔術士......」
ボルカンが、もがきながらも必死の形相 で訴 えてくる。オーフェンは眼 差 しを据 わらせて聞き返した。
「誤解......?」
「無論だ! 俺様がこーしてベンチャーな一 攫 千 金 を目 論 むのは、しみったれた借金のためではなく、単に俺のため──」
「なお悪いわぁぁぁっ!」
ボルカンを地面にたたきつけ、オーフェンはぎろりとドーチンに視線を転じた。
「この際ひとりくらい死なせておいたほうがいいかもしれんなあ......」
「あああ、本気だあ〜......」
後 退 りしながら、ドーチンがうめいている。
オーフェンは指を鳴らしながら前進した。
と──
ひゅごうっ!
ざぐっ──と、なにやらとてつもないスピードのものが、鼻先数ミリほどをかすめて、眼前を横切った。風が裂 かれる音が鼓 膜 に小さな痛 みを与え、そのなにかが通り過ぎたあとには、視界の中に一本の棒 だけが残されている......

一瞬 、なにが起きたのか理解できず──オーフェンは冷 や汗 を垂 らしながら、目の前に横一文字になっている棒を観 察 した──よく見ればそれは穂 先 が三 つ叉 になった槍 で、真横から勢 いよく飛んできたものが、すぐ左手の壁 に突き立っているのだった──石の壁 に、深々と。
真っ青になりながら、横を向く。槍の飛んできたほうに。
槍の石 突 きのほうを軽くにぎって、そこに立っていたのは、キースだった。真っ白なハンカチを目 頭 に当て、はらはらと泣きながらつぶやいてくる。
「ああ......わたしが昨 日 からこうして不安な時を過ごしているというのに、無 二 の親友であるところのあなたが、こんなに楽しげにしていらっしゃるなんて──わたしには堪 えられませんでした......」
「あ・の・なぁ〜......」
オーフェンは全身が粟 立 つのを感じながら、キースのにぎっている槍を、ぎしとつかんだ。
「いきなり現れやがって、なんのつもりだ、おい! こんなもん、直撃したら身体 が半分なくなってっぞ! 殺す気か!」
「友情が反 故 になるくらいでしたら、あなたも死を選ぶのではないかと思って」

ハンカチを顔から下ろし──涙の跡 など塵 もない顔で、淡 々 とキースが告げる。オーフェンは彼の胸 倉 をつかみ上げ、
「いつ友情が生まれたんだコラ」
「まあ、どちらにしてもあまり命中しなかったわけですし......」
「なんなんだ、おい『あまり』ってのは⁉ 」
が、キースはまったく無視すると、指を一本立ててあさってのほうに解説を始めた。
「実はボニー様に命じられて、黒魔術士殿 を探 しておったわけなのですがね」
「誰 に説明してんだ、おい!」
「それはそれとして、黒魔術士殿、そこにいると危険ですよ」
「......え?」
緊張感 などまるでない口 調 で危 機 を知らされ、オーフェンは一瞬とまどった──が、一瞬だけのことだ。自分で気づくよりも先に、身体 のほうが動き出している。
しゃっ!──
さっきの槍よりは数段遅 いが、それでも残像を残してなにかが通り過ぎる──が、それよりも速くオーフェンはその場を跳 び退 っていた。
「............」
見れば、いつもの中古の剣 で抜き打ちに、ボルカンが斬 りかかってきたのだった。
「ちっ──」
狙 いが外 れて、ボルカンが舌打ちする。
「............」
怒 鳴 り出すよりも、驚 きのほうが先に立って、オーフェンはなんとなくうめいた。
「お前がその剣をちゃんと抜いて振ったのって、初めて見たよーな気がするなぁ」
「そーいや、そーだったかな......」
と、これはドーチン。ボルカンは真っ赤になって叫んだ。
「ほっとけっ!」
「誰 がほっとくかっ! 不 意 打 ちたぁ、いい度 胸 だ。そっちがその気なら、両耳に糸を貫 通 させて硫酸 たらすぞコラぁ!」
が──
「ふっふっふっ......」
ボルカンはいつになく余 裕 ありげに、笑みを浮かべた。ちゃっ、と剣を構 えなおし、
「分からん奴 だな、相変わらず。この歴 戦 の勇者、マスマテュリアの闘 犬 ボルカノ・ボルカン様がなんの策 も弄 せずに実力行使に出るほど短 絡 だと思っているのか?」
「うん」
「ああ」
「ええ」
「............」
その場にいる三人──野 次 馬 は除 く──にそれぞれきっぱりとうなずかれて、ボルカンは、しばし虚 空 を見上げて考え込んだようだった。そして、ようやく気づいて振り返る。
「お前が一番早くうなずいたなっ⁉ 」
となまくら剣でドーチンを殴 り倒 してから、またこちらへと向き直り、続けた。
「あー......ええと、黒魔術士。貴様まだ、自 らの置かれた状況に気づいてないよーだな。俺様は今日は戦士・ボルカンではなく刺 客 ・ボルカンなのだ」
「......なんか違うのか?」
オーフェンが聞くと、後ろでキースがぽんと手をたたく。
「あ、ほら──いつもと違って腕 が三本あるんですよ」
「あるかっ!」
ボルカンが叫び返してくる。が、キースはまったく動じずに、
「なら、これから変形するんですね」
「............」
完全に話の腰 を折られて、ボルカンはなにかを堪 えるように黙 り込んでいたが──しばらくして、またさっきと同じ調子に復活した。
「あー......えー......とにかくっ! 俺はとある人物に頼 まれて、貴様を地上から抹 殺 せしめんことになったのだっ! 分かったらそこに直って、おとなしくへちま水に漬 け殺されるがいいっ!」
「とある人物?」
オーフェンはきょとんと聞き返した。命を狙 われる心当たりならばともかくとして、地人たちにそれを依 頼 する人物像というのはまったく浮かばなかった。
「ふふふふふ......」
ボルカンは得意げに断言した。
「依頼主は貴様の昔の仲間だっ! こう言えば心当たりもあろうっ!」
(昔の仲間......⁉ )
胸 中 で叫びながら、彼の脳 裏 に思い浮かんだのは、にっこりと笑いながら友人の腕 をぼっきり折っている彼の姉だとかだったりしたのだが──
「はぁーはははは!」
突 如 としてその場に響 きわたったその哄笑 は無論、思い出の中にいる彼女らのものではなかった。
ざっ──
いつの間にかあたりを囲 んでいた野次馬たちが、大海を分かつように左右に割れる──現れたのは、三人の男たちだった。昨夜の連中である。
長身の黒革ずくめ──確 かチーフとやらが、びし、とこちらを指さして叫んだ。
「驚愕 を隠し得ないというところかな⁉ 久しぶりだな──火の尾の銀狐 ヴァイス!」
「名前を変えたところで、逃げられやしねえんだぜ!」
と、フラットボールとかいうのが続けて声をあげた──そして、どうやらしゃべる順番は完全に固定してでもいるのか、最後にスライスが口を開ける。
「組 織 を抜けたところで、貴様の安住できるところなどありはしないのさ!」
「............」
次々とまくし立てられ、オーフェンはしばらく硬直 していた──彼らを見つめ返し、そして......
意味が分からず、聞き返した。
「ヴァイス?」
「昔の名前ですよ......」
さわやかに笑みまで浮かべて、横からキースがつぶやく。
がく、と肩をこけさせて、オーフェンはすっとんきょうな声を出した。
「............はぁ......?」
「彼らは......わたしが昔、スパイ活動を行っていたころの仲間なのです。お互 いこうして、お顔を拝見するのは初めてですが」
「なあ......お前の過去っていったい──」
聞きながら、オーフェンは質問を変えた。ようやく気づいたのだ──三人組が、キースと自分とを勘 違 いしていることに。
というわけで、三人組を指さして聞く。
「......それがなんで、俺を狙うんだ?」
「昨夜襲 われたというときに、相談してくだされば良かったのですが」
と、キース。オーフェンはこめかみを押さえながら、
「いや......あれは、ちょっとアレだったもんで──」
ようするにあの時点では、あれが襲撃 だったという発想が浮かばなかったのだが、今となってはどうでもいいことだ。
キースが、深 刻 な面 持 ちで嘆 息 する。
「まあそれはいいとして......実はですね、昨日、夕食を食べたあと、わたしはボニー様のあとについて、食堂から出ました」
「......ああ」
「そうしたら、ちょうどそのとき、隣 の美容院からあの三人組が出てきて、わたしに問うのです。いまあの宿から出てきたのならちょうどいい、あの宿に、あからさまに過去履 歴 不明の怪 しい人物がいるだろう、と」
「ほほう」
「無論わたしには心当たりがありました! 該 当 人物の泊 まっている部屋をお教えし──そのままその場を後にしたのですが、ああ、それがこんな結果を生み出そうとは──」
「つまり全部お前のせいかぁぁぁぁっ!」
叫びながら、キースを殴 り倒 す──が、キースはすぐさま、にゅっと復活すると、
「ああ、なんという運命の皮 肉 ......」
「人 災 だろーが、きっぱりと」
オーフェンはうめきながら、大きく息をついた。そのまま続ける。
「まあいいや。それが分かれば、とりあえず敵 を減らそう」
あっさりと言うと、くるりと地人たちのほうに向き直った。
「じゃあな」
「......え? ちょっと──」
が、オーフェンは無視して大きく右腕を振りかぶり、
「我 は放つ光の白 刃 !」
かっ!
「我は呼ぶ破 裂 の姉妹!」
ごっ!
「我導 くは死呼ぶ椋 鳥 !」
ぶわわっ!──
「我 が左手に冥 府 の王!」
ごごごごごごご......──
ほどなくして、道を完全に破 壊 して、巨大なクレーターだけが残る。
黒ずんだ破壊の跡 に背を向けて、オーフェンはふゥと息をついた。
「これだけやれば、もう蘇 ってはこられまい」
「なんか、楽しげでしたねぇ......」
いつもの無表情で、キースがつぶやく。
そして、例の三人組のほうに向き直り──
「ついに、このときが来てしまいましたか」
静かにうめいた。三人組の、チーフも似たような表情を返す。
「そうだな。が──これも貴様が招 いたことよ。多少不公平かな──お前にとっては突然のことでも、我らのほうは、昨日貴様をあの宿まで尾行したときから覚 悟 は決めていた」
「生まれたときに覚悟はすませるもの──そういうものでしょう」
やや足を開いて構 えなおし、キースが答える。チーフが微 笑 した。
「ふっ......いい返事だ」
と──びし、とオーフェンを指さして、
「さあ! ヴァイス、決着をつけようぞ!」
「待たんかぁぁぁいっ!」
オーフェンは、絶叫 じみた声で怒 鳴 り返した。こちらを指さすチーフをきっぱりとにらみ据 えて、
「てめえはさっきからの話を全っ然聞いてねえのかっ⁉ キースはあっち! ヴァイスとかゆーのはあいつなんだろっ!」
と、指さした先には......
キースがいない。
「あれ?」
刹 那 ──
「隙 ありぃぃぃぃぃぃっ!」
どずんっ!
──と、背後からキースが振り下ろしてきた巨大なハンマー(どこから持ってきたかは不明だが)を、オーフェンは冷 めた顔をしてかわした。空 振 りし、アスファルトにハンマーを打ち付けたままの格 好 のキースに、にっこりと聞く。
「......で、今の行動にはなんの意味があるんだ? キース」
「............」
キースは、しばし考え込むようにしてから、ふっと笑ってみせた。
「友情とは深く広いもの......」
「ほう」
笑みは消さないまま相づちを打つと、キースもその表情のままで続けた。
「信じていたあなたが実はスパイだったなどと、そんな事実には堪 えられません」
「ほほ〜う......」
オーフェンはうなずきながら、やんわりと、キースからハンマーを取り上げた。
そして──
キースの身体が地面にめり込むまでめった打ちにしたあと、くるりと三人組に向き合う。
そこでようやく、笑みを消した。
「あのなぁ、てめえらっ!」
と、指を突きつけて声をあげる。
「だいたい、昨日はこいつを尾行してたんだろーがっ! なんで今日になって俺と人違いできるんだよっ!」
「それは無論──」
誇 らしげに、チーフが答えてくる。
「尾行に集中するあまり、相手の顔を忘 れてしまったからだっ!」
「なにが無論かぁぁぁぁっ!」
両手をわななかせて、叫ぶ。
が、今度はフラットボールが、ふっふっと笑いながら口を開いた。
「それに──決定的な確証 があるのだ」
と、ハンマーの下に倒れたままのキースを指さして、
「そんなボケた男にスパイなぞ務 まるわけがあるまいっ!」
「てめえらはどーなんだ、てめえらはぁぁぁっ!」
そこまで叫んで、オーフェンは急速に徒 労 感 を覚 えはじめた。その場に、ぐったりとひざを落とす。
「あああ、もうやだよう......」
そううめく横で──いきなり、なぜか傷 ひとつ負っていないキースが復活する。指を一本立てて、彼はうなずいてきた。
「その気持ちは分かりますよ──自 らの過去を清算するのは、なによりつらいでしょう。しかし、あなたの問題なのです。わたしにお手伝いできればよかったのですが......」
したり顔でそう言う向こうで、三人組がうんうんとうなずいていたりする。
「お前が当事者なんだろーがっ!」
オーフェンは最後の気力を振り絞 って、そう怒鳴りつけた。が──キースはそれを聞いてさっと青ざめると、よろよろと数歩も後 退 し、震 え声を出す。
「そんな......いくら危 機 だからといって、親友のわたしを人 身 御 供 にしようなんて......」
「あのなぁ」
力なく、うめく。
チーフが堂々とした声で叫ぶのが聞こえた。
「安心しろ、キースとやら! 我々は裏切り者の虚 言 などに惑 わされはせんぞ!」
「ああ、なんて頼 もしい......」
祈 るように手を組んで、キース。
「お前らは......」
オーフェンがじっとりとよどんだ声でうめくが、誰も聞かない。
「ふっふっふっ──そういうことだ、ヴァイス。貴様を殺して、名 実 ともに組織ナンバーワンの座を手に入れる」
「ナンバーワンになれば、一番風 呂 に入っても怒 られねえのさ」
「お茶も飲めるしな」
口々に意外とつましいことを口走る三人組。
オーフェンは、一度、ゆっくりと深呼吸した。その間にも、彼らは騒 ぎ立てている。
「はーっはっはっ! 逃 亡 者 に安らぎなどあるものか!」
「我らの力を思い知るがいい!」
「我々に刃 向 かおうなど、当分早いわっ!」
「黒魔術士殿 、謝 るなら今ですよ!」
なぜか向こう側についているキースまでも含 め──オーフェンは、さわやかに微 笑 んだ。
「ああ。俺がヴァイスってことでいいや」
「............え?」
少し不安になったように、キースらの哄笑 が止まる。
オーフェンはゆっくりと右腕を振り上げ──そして、告げた。
「最初っから、こーすりゃ良かったなぁ......胃 液 でのどが溶 けるまでゲロ吐 いてくれよ、お前ら」
こちらが編 み上げた魔術の構成を見て取ったのか──キースが、さっと三人組のほうに向き直った。
「命運尽 きたな、お前たち! 我らが友情のコンビネーション、味わってみるが──」
「お前もだぁぁぁぁぁっ!」
オーフェンが叫ぶと同時──
攻城 戦術級の魔術の連 打 が、あたり一帯を爆 裂 させた......
「あーあ、なんか疲 れたわ今日も」
コンスタンスは帰り道をゆっくりと歩いていた。太陽は沈みかけ、赤黒い光を街 に注 いでいる。
マスル水道はいつものコースだった。よく破 壊 の跡 を見かけることがあったが──なんとなく誰の破壊かは想像がつくので──今さら驚 いたりはしない。が......
今日に限っては、彼女はぽかんと口を開けて足を止めた。というより、立ち止まらざるを得なかったのだ──道が通れないのだから。
「そーいや、かつてない大 規 模 破壊が起きたとかで、市街警察の人が騒 いでたけど......」
うめきながら、左右を見回す。
道に無数のクレーターができていた。ほとんど、街中で火口がせり上がってきたような様相になり果 てている。向こうのほうに、もみくちゃになって痙 攣 している人影らしきものがみっつ転 がっていたが、それがなんであるのか近づかないと判別できそうにはない。
とりあえず、手近なクレーターのひとつをのぞき込む──
そのクレーターの中に、見知った顔がふたつ埋 もれていた。ふたりそろって、ぼんやりと夕日を見上げている。
「ねえ兄さん......ぼくら今回、こーゆう目にあう意味あったのかなぁ......」

「知るか......」
「............」
夜が訪 れつつあるその街角で──
三人がぽかんと開けた口の中に、鮮 やかな夕日が射 し込んでいた。
(シャレですむのはここまでだ!:おわり)


息を詰 めていた。
黒 髪 、黒目、黒ずくめの、二 十 歳 ほどの男である。胸元には黒魔術の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ証 し、一本脚のドラゴンの紋章 を下げていた。そのほおに一 筋 の汗 が浮 かぶ──
がざっ!
右手のしげみの中から、草をかき分ける音が聞こえてくる──オーフェンは即座に反応すると、そちらへと向き直った。鬱 蒼 とした森の中、草いきれの充満 する中で、青 臭 い空気を肺 に送り込み、一気に吐 き出す。
「我 は放つ光の白 刃 !」
呪 文 は一瞬 で発動した。かざした指先から真っ白な光熱波が放たれ、音の聞こえてきたしげみの中へと深々と突き刺 さる。光は蒸発 させるがごとく青い葉っぱを四散させた。
が──
(手 応 えがない⁉ )
オーフェンは毒づきながら、後ろに跳 んだ。とはいえ森の中では、動き回るのにも限界がある──実際には、ちょっと胸をそらした程度の動作しかできなかったろう。あご先 をかすめて、鋭 く速いものが目の前を横切る。
一瞬後になってから、それが羽 根 飾 りのついた矢だということに気づいた。
「きゃああああっ⁉ 」
悲 鳴 が響 いたのは、背後から──今の矢に驚 いたのだろう。すぐあとをついてきていたコンスタンスとボニーである。
「もう、いやぁぁっ!」
泣き声じみた声で、登山服姿のコンスタンス──背中に子牛の形をしたザックを背負っている。彼女はその場に座り込んで、さらに大声をあげた。
「なんでこんなことになっちゃったのぉ!」
「ンなこと言ってる間に、逃げろ馬 鹿 !」
オーフェンは彼女に向かって叫 びながら左右を見回した。周囲は密生した森である──というのに、今の矢を射 た連中というのは、先刻以来、草を踏 む音も立てていないのだ。
「危 ない、コギー姉 様 ぁっ!」
ごきんっ!
横から、ボニーがコンスタンスの側頭にひざ蹴 りを食らわせる──景気よく吹 き飛び、そのまま近くの木に激 突 して悲鳴もなく沈 んでいく彼女に、ボニーは続けた。
「危険ですわ、姉様。地面にタカマダラゾウムシの幼虫 がいますの。刺されたら、肌 に跡 が残ってしまいますのよ」
「あんたねぇぇぇぇっ!」
思ったほどケガもなく、コンスタンスがボニーにつかみかかる──ボニーも姉と同じ、登山服なのだが、レジャー用のものではなく、どちらかというとクライミング用の重装備といった代 物 だった。ただし、なぜかかぶっている花のついた帽 子 のおかげで、いろいろな意味でぶち壊 しになっているが。
ともあれ、コンスタンスが妹の胸ぐらをつかみながら怒 鳴 りつける。
「わたしを殺す気⁉ 蹴られた時、閃 光 とともに火薬の臭 いがしたわよ⁉ 光る花畑に落下したんですからね!」
「まあ珍 しい。お姉様、それは臨 死 体験というものですわ──」
「皮 肉 で言ってるのよ!」
「言ってる場合じゃねえぞ」
ふたりなごんで(?)いる姉妹に、オーフェンは半眼で告 げた。額 を流れ落ちる汗を手の甲でぬぐい、意識を集中する。
いつしか周囲からは、もう何者の気 配 もしてこない。風のない密林の中に、枝の揺 れる音が響くだけ......
「......でもなんで、こんなことになっちゃったのかしら」
みじめな口 調 で、コンスタンスがつぶやくのが聞こえた。見ると、ボニーも一応は警 戒 心 のようなものを見せながら、あちこちをきょときょと見回している。
「きっぱり申し上げますけど、姉様が最初に、おもしろそーねー、などとのたまったのですわ」
「あのね! あんたこそ、行楽にもいい季節ですわー、なんて言ってたじゃない!」
「わたしのせいだとおっしゃるの⁉ 」
「わたしのせいでもないわよっ!」
と、コンスタンスが叫んでから、しばし両者とも沈 黙 ──そしてゆっくりと、ふたり同時にこちらへと顔を向けた。
「というわけで、犯人はあなたね」
「オーフェン様、あなたの与えたもうた七難八苦、耐 え抜 いてみせますわ」
「お前ら......」
オーフェンは力なくそうつぶやいてから、反論はあきらめて独 りごちた。
「ま、どーせ誰 が悪かろうと、尻 拭 いすんのは絶対に俺 なんだ。なぜか......」
吐き出されたため息を包囲するように──森は、どこまでも続いている。
彼はひとりで、このすべての原因となったできごとを反 芻 していた。
唐 突 ではあるが、三日前のことだ。
トトカンタ市は平和だった。いつものようにバグアップの食堂には客がなく、オーフェンには金がなく、コンスタンスは仕事もせずに好物のパスタをつついている。
同じテーブルに、彼女の妹であるウエイトレスのボニーと、姉妹の実家の執 事 見習いであるキースがいて、これでおおむね、いつものメンツだった。
キースは、いつになく深刻な顔を見せている──
「......というわけで、いとまをいただきたいのです」
そのせりふを聞いて、一同の目が栗 色 の髪の女に集中する。
ぱちくり、とボニーはまばたきしてから、
「なにが『というわけ』なんですの?」
「基本的ですね」
ふゥ、と軽く吐 息 して、キースがつぶやく。
「......なんの基本だ?」
オーフェンが横から聞くが、それは無視してキースは続ける。
「実は、判明したのですよ」
「へえ......」
と、これはコンスタンス。
「判明って、なにが?」
「なんだと思います?」
逆に聞き返されて、オーフェンとマギー姉妹は顔を見合わせた。
ぼそぼそと打ち合わせしてから、せーので答える。
「マギー家の金を使い込みしたのがバレたのでずらかろーとしている!」
「今さら......そんなこと」
やや寂 しげに微 笑 し、キースは否定した。
「今さら......なのか?」
半眼でオーフェンが聞き返すが、それも無視である。
キースはゆっくりとかぶりを振 ると、あごに手を当て、静かに告げた。
「おかしいとは思っていたのです。このところ、しばらく故郷へは顔を出していなかったのですが......」
「家族の身に......なにか?」
コンスタンスが、やや心配そうな声を出した。しかしキースはやはり首を横に振って、
「いえ──もっと観念的なことです」
「......人生の旅にでも出たいとか?」
オーフェンが言うも、また否定の仕 草 。続けてボニーが手を挙 げた。
「婚約者のスザンヌ様が男をおつくりになって逃げたのでしょう」
「いえ──」
キースは幾 度 目 か、首を横に振ってから、すっと前を見 据 えた。静かな、湖面のような瞳 で......
「実は、わたしの故郷がこの街の近くにあると判明したのです」
............
一分間ほど呼吸を止めてから、オーフェンは、多少理解しかねて聞いてみた。
「判明したのですってお前......普通は誰でも知ってるもんじゃねえか?」
「黒魔術士殿 には分かりますまい。幼少時に大 鷲 にさらわれたわたしの気持ちなど......」
「............」
もうこいつの生 い立ちについてはなにも聞くまいと自分にいい聞かせながら、さらに口を開く。
「で、この故郷に行ってみようってのか?」
「その通りです」
うなずいてキースは、またボニーへと向き直った。
「というわけでボニー様、わたしは里帰りをしてみようと思うのです。子供のわたしを暗殺教団《黒のサバトリム》に売った両親の顔を、死ぬまでに見ておきたい......」
「......さっき大鷲って......」
コンスタンスが口をはさむが、キースは聞いたそぶりを見せず、テーブルをたたいた。
「ボニー様! 一時とはいえあなたのもとを離れるのは、断腸 の思い──ですが、わたしはやらねばなりません! 人生の意味をつかみ取りたいのです!」
「まあ......いいですけど......」
「ありがとうございます! ボニー様!」
んざっ! と椅 子 を立ち上がり、キースはそのまま、食堂を飛び出していく......
あとに残されたのは、三人だった。釈然 としない面 持 ちのまま。
「あいつの故郷......」
三人は同時に口に出してから、沈 黙 した。
「......なかなかおもしろそーね......」
つぶやいたのは、コンスタンスだった。続けて、ボニー──
「そーいえば、もうそろそろ行 楽 にもいい季節ですわねぇ」
ふっふっふっ......と笑い声をあげながら口を開いたのは、オーフェンである。
「奴 の家族になら、いろいろと言いたいことがあるなぁ......迷 惑 料くらいせしめられるかもしれん......」
......あとは簡単だった。コンスタンスの次の休 暇 に日程を合わせ、食料やらなにやらの準備はボニーに任 せ、三日後──
キースの出立 に遅れること、二日ほど。
トトカンタ市から乗り合い馬車で、南に一日半。目撃者を頼 りにキースのあとをつけていた三人は──なぜか──気がついたら外界に視界もとどかぬ密林の中へとはまり込んでいたのだった。
木 漏 れ日 すらない森の下。黒々としている静寂 の緑の中。だがよくよく耳をすませば、遠くから太 鼓 の音がドンドコと聞こえてきている......
「......ここは大陸のどこなんだ。いったい」
ぶつぶつと毒づきつつオーフェンは、まさか使うことなど予想もしていなかった剣──五年前に《塔》から持ち出したものだが、もうそろそろ寿命 だ──で、密生しているシダのような植物を切り払っていた。と......
「あ、オーフェン様!」
突然声をあげて、ボニーが指さす──そちらを見やると、どこを向いても変わらない深緑の帳 が、かすかに薄くなっていた。
「森の出口⁉ 」
コンスタンスが、ばっと顔を上げて叫 ぶ。
「よし! 一気に走るぞ!」
叫んだ刹 那 ──
ひょうっ!
背後からほおをかすめて、羽根飾りのついた矢が飛んでいく。一本目が外 れた次の瞬間には、立て続けに無数の矢が飛来してきた。
「どええええええっ⁉ 」
悲鳴をあげつつも、三人で転がるようにして、駆 け出す。
追いかけ、そして追い越していく矢を無視して走りつづけるオーフェンの視界に、ふと、隣 のコンスタンスが木の根につまずいて顔面から倒れるのが入った。
「コギー!」
名前を叫びながらいったん立ち止まり、手を差し出しかけたとき──
「────⁉ 」
オーフェンは、確かに見た。
倒れているコンスタンスの、すぐ向こう──彼女の背中越しに手を伸ばせば十分にとどきそうな場所に、奇妙なモノが立っている。異様に目の大きい木の仮面をつけた、腰ミノ一丁の痩 せぎす男──
その手に、凶悪 な形にひん曲がった手 斧 が握 られている。
「なんなんだぁっ⁉ 」
オーフェンは思わず叫んでいた。その声に驚 いたのか、仮面の男は素早く後方に飛び退 いた。男の姿が、あっさりと森の中に融 けて消える......
オーフェンは無言でコンスタンスをひっつかむと、先行するボニーを追いかけるようにダッシュを再開した。矢は当然、まったくやんでいない。
引きずっているコンスタンスが、なにやら悲鳴じみた声をあげているのが聞こえたが、それに答えている暇 はない。オーフェンはとにかく全力で足を交互に投げ出しつづけた。
走る視界の中、左右に分かれていく木々のさなかに、光のようなものがあふれて──
「────!」
無言の歓 声 とともに、オーフェンはその光に飛び込んだ。ばさっ──と切り落とされるような音が耳元で弾 けるとともに、彼は密林から飛び出していた。
「ああ......」
いつの間にか、目を閉じていたようだった──まぶたを開くと、すぐ前の地面でひざを折って祈りのポーズを取りながら、ボニーが感 涙 にむせんでいるのが見える。
「助かっ......た......?」
立ち止まり、オーフェンは、左右を見回した──森は馬車道にでも出くわしたかのように、いきなり途切れている。密生した木々の壁 のように背後を閉ざしている森を一 瞥 し、そして謎 の襲撃 も、完全に終わっているのに気づく。
「うう......引っぱっていくなら、せめて腕をつかんでほしかったのぉ......」
だーと涙を流しながら、ぼろべろになってうめくコンスタンスのせりふに、はっとしてオーフェンはつかんでいた足首をはなした。
「あーわ、悪りい」
「ううう」
が、コンスタンスはしばしば泣きやみそうになかった。引きずられてあちこちに頭を打ったせいばかりでなく、緊張 の糸が途切れたのだろう──少なくともオーフェンはそう思っておくことにした。
「にしても──」
と、左右を見回す。
「こりゃあ......どうしたもんかな」
森は抜け出したようだったが、その先に広がる景 色 というのも、あまり尋常 な代 物 でもなかった。
大峡谷 ──キエサルヒマ大陸でも、ついぞ見たこともないような、乾 いた赤土の広大な渓 谷 が、圧 倒 するように広がっていた。背後の密林と打ってかわって、草一本ろくに生えていない。上空では、無数のハゲタカが優 雅 に円 弧 を描 いていた......
と──
「きょああああっ!」
奇声を発しながら、森の中から人影が飛び出してくる!
「なにっ⁉ 」
追撃がなくなったと安 堵 していたオーフェンは、自分の迂 闊 さを呪 いつつそちらに向き直った。ぱっと目に入ったのは短い銀髪──
「キース!」
叫んだのは、ボニーだった。
確かに、現れたのはキースである。ただし──いつものタキシードの上に腰ミノをつけて、雄 牛 を象 ったような木の仮面をつけているのを考 慮 に入れなければ、ではある。
「きょえええええっ!」
キースは再び奇声をあげると、一番近くにいたコンスタンスへと駆け出した。悲鳴をあげて、コンスタンスが身体 を丸める──
と、くるりとキースは方向転換し、別の方向にいるボニーの顔面に蹴 りを入れた。
「きゃああっ⁉ 」
なす術 もなく、倒れるボニー。
彼女に対して、さらに何度かかかとでヤクザ蹴りを入れてから、キースはくるりとオーフェンに向き直った。
「きょほおおおおおっ!」

それまでで一番の大声で叫び、キースが躍 りかかってくる。が──
「てい」
オーフェンが無 造 作 に突き出した蹴りは、あっさりとキースのみぞおちを突き刺したのだった。
「......確かに、キースね!」
仮面を外すと、それはやはりキースだった。目を閉じ、熱病に浮かされているような表情で悶 絶 している。
「......埋 めましょう」
身体のあちこちに足 跡 をつけたボニーが、にこやかに提案してくる。
「目が覚 める前に」
「いや、そーまでせんでも......」
「そうですわね。オーフェン様が、そうおっしゃるのなら」
あくまで笑 みは崩 さずに、彼女は続けた。
「先に穴に入れておいて、目が覚めたら土をかけましょう」
と、木ぎれで穴を掘 りはじめる。
「............」
取りあえず、その穴が完成するまでに起こしたほうがよかろうと、オーフェンは気絶したままのキースのほおをぴたぴたとたたいた。
「うう......」
声をあげて、銀髪紳 士 が起き上がる。
「こーこれは⁉ 」
きょろきょろと周囲を見回し、
「ボニー様⁉ それにコンスタンス様に、黒魔術士殿......」
「いったい、なにがどうしたわけ?」
まだ黙 々 と穴を掘りつづけているボニーの背中を見ながら、コンスタンスが聞いた。キースは力なく、かぶりを振ってから、
「いえ、それが──首狩り族の森で原住民に襲われたところまでは記憶があるのですが。いや、確かそのあと、部族のシャーマンとやらに目をのぞきこまれて、意識が......」
「洗 脳 ......?」
オーフェンがつぶやくと、キースは神妙 な面持ちでうなずいてみせた。
「恐らくは......」
「ボギー。なんだか、穴は掘らなくていいみたいよー」
コンスタンスに言われて、ようやくボニーが手を止める。
そちらのほうはほっておいて、オーフェンはさらにキースに聞いた。
「にしても......ここがお前の故郷なのか?」
「ええ。そうです」
キースはそう答えて地面から立ち上がった。
「首狩り族の森......聞きしにまさる難所でした。やはり一 筋 縄 ではいかないようです」
「『やはり』って......普通、一筋縄でいかない帰郷ってのは聞かないが......」
半眼でつぶやくが、キースは答えてこない。拳 を握 りしめ、大峡谷を見下ろしている。
と──
「ところで、キース......」
くるりと振り向いてボニーがつぶやいた。
「さっきの蹴りは......自分の意思ではないでしょうね?」
なにか必死で我 慢 するように問うボニーに、キースは無論ですとうなずきかけた。
「無論のこと、わたしの意思ではございません。忌 まわしいのは洗脳です......」
「あんた、洗脳中のことは記憶にないんじゃなかったの?」
ぼつりと、コンスタンスがつぶやいた。
「............」
会話が途 絶 えて、空気が冷える──
が、ばっとタキシードの襟 元 を正し、まっさきに立ち直ったのはキースだった。
「さあ、みなさん! 過去にこだわっている場合ではありません──先に進まなくてはパーティは全滅ですよ!」
「取れよ、腰ミノ......」
なにか大きなものを少しずつあきらめていく心持ちで、オーフェンはキースの指さす大峡谷を見やった。
「まあいいか。にしても、この光景もマトモじゃねえが──この先は、なんて呼ばれてる土地を歩くんだ?」
「ああ、この先は観光地です」
こともなげに、キースが告げてくる──
「ルートはみっつあるのですが──そこの獅 子 千 尋 の谷と魔 霊 の廃 墟 、不帰 の砂 漠 ......どれにします?」
「............」
どうにでもなれという気分で、オーフェンはつぶやいた。
「多数決にしよう」
「なんだか、聞くからに縁 起 の悪い廃墟を歩くことになっちゃったわねー......」
とぼとぼとした足取りで歩きながら、コンスタンスがぼやく。
「一応、利点はあるぞ」
と──でろでろに腐 った色をした、緑色の苔 のようなものに覆 われた石畳 を踏 みしめながら、オーフェン。
「この分だと砂漠とやらには巨大アリジゴクとかが棲 んでそーだし、谷にも怪鳥とかいそーだ。でも幽 霊 なら、絶対にいないと断言できるからな」
「前に、夫婦喧 嘩 してる幽霊がいたじゃないよぉ」
「あれは白魔術士だ。いくらなんでも、こんなトコにそんなもんがいるか!」
と、ぼろぼろに崩 れかけた、巨大な城を指し示す。
あれから──
谷を迂 回 すると、あっさりとこの廃墟に続く道が見つかった。キースの道案内で、左に迂回したのだが、逆の方向に回ると例の砂漠とやらがあるらしい(もっとも、この大陸には本当の意味での砂漠はない。キースによれば、実は広大な砂丘のことらしかった)。
「にしてもここって......いったいどこなんだ......?」
うんざりとオーフェンは、同じことを何度目か口にした。張り切った足取りで先頭を行くキースが、くるりと振り向いて答えてくる。
「ですから、わたしの郷里──」
「そーじゃなくてっ! 大陸にこんなトコがあるなんて、俺は聞いたことがねえと言いたいんだっ!」
「田舎ですから」
「たとえどんな辺境だろーが、首狩り族の森なんてものがあれば、絶対知っとるわ、ぼけぇぇっ!」
「まあまあ、オーフェン様」
花の帽 子 を頭から下ろしつつ、にっこりとボニーが割って入る。
「キースの故郷ですもの。まあ、こんなものでしょう」
「いや俺が言ってるのはそういう──」
言いかけてオーフェンは、そのままあきらめた。ぐったりとした眼 差 しでボニーとキースを見ていると、別の方向から声がぽつり──コンスタンスである。
「それにしても気味悪いわ、ここ」
と、登山靴 にべったりとついた苔を見下ろしながら、続ける。
「幽霊くらいいそうじゃない」
「いないってのに」
断固とした口 調 でオーフェンはつぶやいた。
が、不安そうにコンスタンスは、
「えー、でも、わたしの実家の倉庫には、昔から白い首なし暴走かぼちゃ戦車の霊が出るって噂 が......」
「......どんなもんなんだ、それは」
「だから、白くてかぼちゃに車輪がついた戦う首なしの暴走するあたりが白くて......」
説明しかけて、コンスタンス自身もよく分からなくなったのか、そのまま首を傾 げて黙り込んでしまった。
「............」
一応少しだけ待ってやってから、オーフェンは嘆 息 して手を振った。
「とにかく、幽霊なんぞいねえかんな」
と──
「そうですよ。黒魔術士殿のおっしゃる通りです」
まったく悪びれた気 配 もなく、キース。
「この廃墟に現れるのは、幽霊などではありません。確かに幽霊によく見間違えられはしますが、れっきとした、地中から噴 き出す謎の毒ガスです」
「あ。なーんだ。それなら──」
ぱっと顔を上げて、コンスタンスがうなずきかけた。
そして、そのまま硬直 する......
「な──......」
一声うめいて絶句し、オーフェンはキースの顔を見 据 えた。素知らぬ顔でキースが、適当な方向に指を向ける。
「あ、あれですよ、みなさん」
「なにぃぃぃぃぃぃっ⁉ 」
向きやると──
確かに石畳の隙 間 から、勢いよく、緑色の霧 のようなものが噴出 している。
「風向きは──」
オーフェンは短く叫ぶと、指をくわえてから天にかざした。濡 れた指をひんやりとさせた方向は、悲しいくらいはっきりと、毒霧のほうに向きやった正面からだった。
「風 下 だぁぁぁっ!」
叫びとともに、四人は文字通り四散するように駆け出した......
ぜーっ、ぜーっ、ぜーっ......
地面によつんばいになってオーフェンは、震 える胸を上下させていた。近くにボニーとコンスタンスが、これも疲 労 困 憊 した様子で転がっているが、他人の面 倒 を見られる状態でもない。
刺すように冷えた風が、もうはるか背後へと遠ざかった魔霊の廃墟へと吹いていく。
「冒険者を試 すみっつの試練......」
ナレーションは、静かにそして淡 々 とあたりに響いた。
「最も勇 敢 な者ほど恐 れを抱 くという極限の障害 ......彼らはそのふたつまでを、知恵と団結とで突破したのだった。しかし、彼らを出迎 える最後の試練は、これよりさらに苛 烈 なものとなるだろう──」
「他 人 事 みたいに言ってるんじゃねぇっ!」
オーフェンはよつんばいの体勢から勢いをつけて逆 立 ちすると、そのまま器用に両足を振り回して、さっきからナレーションを続けているキースの後頭部をはたき倒した。

とんっ、と立ち上がり、指を突きつける。
「ぬぁにがみっつの試練だ! いいかげんな名前つけやがって──」
そこまで叫んだ所で、むっくりとキースが起き上がる。髪一筋乱れていない顔で。
「まあまあ黒魔術士殿。難所は残すところ、あとひとつですし」
「ま......まだあんのか⁉ 」
頭を抱 えて叫ぶ──が、キースはまったく表情も変えずに続けた。
「そうです──あれをご覧 ください」
と彼が指さしたのは廃墟とは反対方向である。今までの地形のめちゃくちゃさから言えばやや平 凡 な、黒々とした野原。広さはかなりあるようだが、その野原の向こうには──
オーフェンは、思わず声をあげた。
「村⁉ 」
木で組まれたやぐらに、数十の屋根。間違いなく、人里である。
「じゃあ、あそこが──」
つぶやくオーフェンに、キースは、
「はい、あれがわたしの生まれた村──モグモゲラ村です」
「............」
村の名前には少し引っかかるものを感じたが、オーフェンはあえて無視した。
「で......最後の難所ってのは、なんだ?」
「うさぎ狩りです」
「......へ?」
あっさりと即答してきたキースに、オーフェンは怪 訝 に眉 をひそめた。キースは、なぜか汚れひとつないタキシードの裾 をぴんと伸ばすと、目を閉じて続けてくる。
「知っておりますか? うさぎを」
「まあ......な」
呆 けたように返事すると、キースは満足げにうなずいてみせた。
「わたしも子供のころ、よく無 邪 気 に追いかけて遊んだものです」
「はあ......」
「しかし! わたしの村は戦士の部族! 誰でもひとりでうさぎと戦い、勝利しなければ成人したとは認められないのです」
「えー」
「可 哀 想 ですわよ」
と、いきなり復活してきたのはコンスタンスとボニーである。
が、キースは、きっと姉妹を見やると、
「部族の掟 なのです!」
ぐっと拳 を握り、目の中に炎 を燃え上がらせて叫ぶ。
「外部の人間──しかもとりわけ女性には分かりますまい。わたしとて言葉では説明できません。ですが我々の部族は昔からそうしてうさぎ様と戦うことで、うさぎ様の神聖な御 力 を手に入れることができると──」
「なんかだんだん、うさんくさくなってきたな......」
「一応、最後まで言わせてみましょうよ」
「わたしって、婦人会の動物愛 護 メンバーに入っているのですけど......」
オーフェンとコンスタンスとボニー、それぞれがつぶやくのを聞いてから、キースは、ふっと笑ってみせた。
優 雅 な仕 草 で手のひらを上に向け──そして続ける。
「我が部族とうさぎ様の、遠い昔からの精神的な交歓なのです。安 易 なヒューマニズムの入り込む余地はありません。それに──」
「それに?」
きょとんと、ボニー。キースは、すっ──と野原の一点を指さして告げた。
「そんな甘っちょろいことを言っていると、身体がもちませんよ」
「え?」
三人が、間 の抜けた声をあげると同時......
鳴 動 が始まった。
「な──なんだ⁉ 」
オーフェンは揺 れる大地の上でバランスを取りながら身 構 えた。震 動 は、野原の中央から──見ているうちにもその地面が唐 突 に盛り上がり、土砂を噴き上げながら、なにやら巨大なものが出現する──
きしゃああああああっ!
「どええええっ⁉ 」
悲鳴をあげて、それを見やる。地面から現れたのは、全高五メートルはあろうかという巨大生物だった。皮 膚 病の犬のようにまばらになった白い毛の下に、びっしりと頑丈 そうな鱗 が並んでいる。長く伸びた顔。退化して、鉤 爪 以外の指がなくなっている手──そして一応、耳だけはうさぎの耳。
きしゃおおおんっ!──
再び咆 哮 を轟 かせる巨大生物に向けて、キースが手を組んで瞳 を輝 かせる......
「ああ、うさぎ様!」
「あれのどこがうさぎだぁぁぁぁっ⁉ 」
叫びつつオーフェンは、横から思い切り回し蹴 りを放った──鉄板を仕込んだ頑強 なブーツのつま先がキースの後頭部をえぐる。もんどり打って、キースはそのまま昏 倒 した。
「......あれ?」
ぐったりと地面にのびているキースを見下ろし、ふとうめく。
いつしか鳴動はやみ、野原の真ん中にはどっしりと構えた巨大生物。その真っ赤な眼 が、ぎょろりとこちらを向いた。
しぃん......と静まり返る。
「ああっ!」
頭を抱 えて、オーフェンは叫んだ。
「てめキース! こーゆうときだけ気持ちよさそーに寝やがってぇぇっ!」
「......それ......かなり勝手な言いぐさだと思うけど......」
後ろからつぶやくコンスタンスは無視して、オーフェンは巨大生物へと向き直った。生物はまたもや雄 叫 びをあげてから、こちらをにらみ据え、突進すべく腰を上げた──

「ええい! こーなりゃやってやる!」
やけくそぎみにオーフェンは腕を振り上げた。魔術の構成を編 み上げて──
「我は放つ光の白刃!」
こうっ!──
輝く熱波は、巨大生物の頭のあたりに炸 裂 した。爆音が、先の鳴動にも劣 らない規 模 で大地を揺るがす。
が、生物にはたいして効 いていないようだった。生物はまたも咆哮する。身を翻 すように一回転させ、紅玉 のような目玉を怒りに燃え上がらせた。そして──
きゅうううううんっ!
一声鳴くと、そのまま地面を掘 りはじめる。数秒後には、生物は地下に逃げていってしまっていた。
「............」
第二撃を放とうとした姿勢のままで、オーフェンは呆 然 とそれを見ていた。地下に潜 ってから反撃してくるのかと思い油断はしないが、そのうち一分、二分が過ぎた頃 に、ぽつりとつぶやいた。
「見た目だけか......」
「いいえ、立 派 ですぞ。黒魔術士殿」
「────!」
いきなり背後からかけられた声に、オーフェンはぎょっとして振り返った。ついでに肘 など飛ばしつつ──
「キース! てめえいいかげんにしろ!」
ごしっ! と確かな手 応 えを感じる。
次の瞬間にはきれいな弧 を描 いて、老人は地面に倒れていった。
............
(老......人?)
はたと止まる。ちらりと見ると、まだキースはさっきの場所で倒れたままだった。
(てことは......今殴 ったのは......?)
オーフェンはゆっくりと頭をめぐらせると、老人のほうを見た。白 髭 をたくわえた小太りの老人である。まったく見たこともない。
と──
「村長ぉぉぉぉうっ!」
村のほうから、そんな叫び声をあげつつ、村人たちが駆け寄ってくるのが見えたのだった......
「いやー、だってまあ、キースの馬 鹿 と行動が似てるんだもんなー。俺の罪 じゃないよなー。気持ちよく許 すべきだと思うぞ俺は」
「............」
頭を包 帯 でぐるぐる巻きにして、老人──村長とやらはいまいち釈然 としない様子ではあったが、なにも言い返してはこなかった。
キースは(いつものように)復活し、一行の前を歩いている。村人たちに迎 えられつつ、彼らは村に入っていた。巨大生物を倒したことがなにやら英雄行為だったらしく、村人たちは熱狂的にこちらを迎え入れてくれているようだった。
村長はひとりうなずいて、
「このあたりの村は、必ず一匹のうさぎ様を守 護 神 として崇 めておりますのじゃ」
「それを倒すことのできた者だけが、一人前と認められるのですよ」
これはキース。得意げに指を立てている。
「そのため、このような危険な土地に暮らして心身を鍛 えております」
「......へえ」
あまり興味はなかった──というか、持ちたくなかったのだが、オーフェンは適当に相づちを打っておいた。
うんうんとうなずいて、キースは続ける。
「外界との接触を断ち、大峡谷の怪鳥と、うさぎ様を崇めて暮らしているわけです」
「首狩り族は、なんなの......?」
ぽつりと、コンスタンスが聞く。が、キースはあっさりと無視すると、村長たちをにこやかに見回して、
「いやあ、しかしいいところですなぁ」
「首狩り族......」
「まーいいさ」
オーフェンはコンスタンスを押しのけると、キースの前に回り込んだ。
「で、てめえの家族ってのはどこにいるんだ? 会ってよぅく話し合いたいんだが......」
「家族?」
まるで不意をつかれたように、キースが聞き返してくる。
「家族......」
と、ぶつぶつと口の中で繰 り返してから、
「おおっ!」
思いついたように、彼は手を打った。村長のほうへと向き直り、がっしと肩をつかむ。
「お父さん!」
「なんだその『間』はぁぁっ⁉ 」
オーフェンは叫んでから、続けた。
「てめえなぁ! ホントにここが故郷なんだろうな!」
「無論です」
平気な顔で答えてくる。オーフェンは下唇 を嚙 みながら、
「にしても、いちいち言うことのつじつまが合ってねえのはどーゆうことなんだよ」
「なにをおっしゃるのですか、黒魔術士殿。十四の歳 、馬 賊 にさらわれたときから、この村のことは一度たりとも忘 れたことなど──」
「大鷲......」
「わたしは暗殺教団のほうが好きですけど」
後ろでマギー姉妹がそうつぶやく。オーフェンはキースの胸ぐらをつかみ上げた。
「一度、じぃぃぃっくり話し合う必要があるよーだなぁ......」
「なにが気に入らないのですか。わたしは一 所 懸 命 なのに」
「努力がどっかにずれてんだ、てめえは!」
叫びつつ、村長のほうへと顔を向ける。
「てめえにも聞いとくぞ。あんた、本当にこの丸ボケ執事の父親なのか⁉ 」
「その者の申すことが納 得 できないようですな、御 仁 ......」
老人は胸組みなどして、平静な視線を返してきた──
「では、ちょっとアレンジして母親ということに──」
「なるかぁぁぁぁっ!」
叫んだオーフェンの魔術が、あたりを爆 砕 する──
そして後日──
地図を確かめてみても、この村のことはどこにも載 っていなかったという......
(そんなに地 獄 を見てえのか?:おわり)


かつて神はドラゴン種族を疎 み、破 滅 の策を何重にも編 んだという。
そのドラゴン種族を凌 駕 すべく定められた種族の生成も、そのひとつだった。即 ち──
──ぱたん、と本を閉じ、その男は顔を上げた。
本の表紙はだいぶすり切れて、手で持つ形にへこんですらいる。片手で抱 えてちょうどいいほどの大きさで、金押しの文字でタイトルが記されていた。
『大陸魔術士心 得 』
本を抱えて、男は顔を上げていた。
その視線の先には、小さな看 板 があった。裏路地街の片 隅 に、ひっそりと構 えている宿屋の看板──バグアップズ・イン。
「──とまあ、そんなわけで、現在の貴族連盟には王家はあっても王はいないわけだ」
「はあ......」
生返事を返してくる金 髪 の少年を、分かってんのか? とやや不安になりながら、オーフェンは、少年の手元の教科書を指さした。
「だから、貴族内革 命 って歴史は、伊 達 じゃねえってことだよ。つまり」
もう片方の手で髪をかきながら、続ける。黒髪黒目、着ているものまで黒ずくめの、二 十 歳 そこそこの男である。胸元には、大陸黒魔術の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ証 しである、剣にからみついた一本脚のドラゴンの紋章 がぶら下がっている。
「第二次西部破局も遷 都 も同時代に起こった──十年って年月をひとくくりにして考えるなら、貴族内革命もほぼ同時と言っていいくらいだ。これらにはすべて関連がだな......」
テーブルの向かいで、山積みの資料とレポート用紙を広げている金髪の少年──この宿の亭 主 の一人息 子 であるマジクに、オーフェンは辛 抱 強く説明した。と──
ふと、言葉を止める。オーフェンはゆっくりと気づいたように、横を向いた。
「......なにやってんだ? お前」
彼の横には、スーツ姿の小ぎれいな女が、ぽかんと大口を開けて座っていた。じっとこちらを見て、なにやら呆 気 にとられたような口 調 で告げてくる。
「......あんたって、大陸の歴史を全部暗記してるわけ?」
「コギー──お前、俺 をなんだと思ってるんだ......?」
オーフェンは半眼になって言いながら、彼女──コンスタンスに胸元のペンダントを見せつけた。
それをじっと見つめながら、彼女が真顔で答えてくる。
「ちょっと魔術士っぽいヤクザ」
「とってもジェントルな魔術士だっ!」
オーフェンは叫 ぶと、その場にばっと立ち上がり、
「なんでてめえは、なにかっちゃ、そうやって人をヤクザ扱 いしたがるんだ⁉ 」
「なにを言ってるのよ、オーフェン」
言われて彼女は、心外だというように両 拳 を握 った。
「わたしはそんな生 半 可 な気持ちで言ってるんじゃないわ。きっぱりとそう信じているからこそ──」
「なお悪い!」
と、オーフェンは手をわななかせた。そして彼女の顔に指を突きつけ、
「だいたい前から気になってたんだ。どーも、俺が反論しないことをいいことに、俺のこと暴力魔だとか破壊魔だとか、適当に決めつけてねえか?」
が──彼女は突きつけられた指をあっさりと無視すると、
「ところでそのマジク君の髪、天然なの?」
「そうですよ。でもそんなことよりオーフェンさん、宿代のツケの代わり、約束通り、ちゃんとレポート手伝ってくださいよ」
「......しかも、最近は反論しても相手にしやがらないし......」
なかば落ち込むような気分で、オーフェンはため息をついた。力なくテーブルに両手を落とす。とりあえずここはあきらめることにして、彼はそれ以上言うのをやめた。
「まあ、なんにしろ、魔術をちっとでもかじってりゃ、歴史なんて必 須 事項なんだよ」
ぶつぶつ言いながら、椅 子 に座り直す......
その瞬間 だった。
ふっ......と、その場が暗くなる。
「............?」
オーフェンは怪 訝 な顔をして、あたりを見回した──真昼である。それがいきなり、手の先も見えない闇 に閉ざされてしまっていた。
「な──なに......?」
うろたえた声を発したのは、コンスタンスである。椅子を蹴 って、立ち上がったらしい──それらしい音が聞こえた。
夜にガス灯が切れたとかいうのならばともかく、いきなり暗くなるということはあり得ない。いや、あるとすれば──
「魔術......」
オーフェンは独 りごちた。が、それすらもあり得ないことだった。
(呪 文 の声を、聞いていない......)
人間の魔術士が用いる魔術は、例外なく呪文の声を必要とする──声を媒 介 に魔力を放つからである。ゆえに声のとどかない場所には魔術の効果も及ばない。魔術の影響を受ける前に、呪文の声がこちら に聞こえていなければおかしいということになる。
なにか悪 寒 を覚えて、オーフェンも立ち上がった。闇の中、目を凝 らす。手のひらを頭上に差し上げ、彼は叫んだ。
「我 は生む小さき精 霊 !」
呪文の声とともに魔力を放ち、彼の手のひらから鬼 火 のようなものが発生した。白い鬼火が食堂の中を冷たく照らす。すぐ横で混乱した顔を見せているコンスタンス──まだ椅子に座ったまま、鉛 筆 を片手にきょとんとしているマジク──そして......
「────⁉ 」
その時になってとうとう、本格的に、完全に驚愕 の声があがる──
テーブルの、ほんのすぐそば。二、三歩も離れてはいなかったろう。ほんの間近にまで、あるものが接近していた。すさまじい形相 で、とてつもない勢いで、
とりわけ、勢いで、である──それは足音もなく走っていた。巨体、ぱっと見ても二・五メートル以上はある巨体。人間の形をしている。だがそれでも、オーフェンは目撃の瞬間、それをなにか異常な物体としてしか見ていなかった。
それが大きく振りかぶっているのは、巨大なハンマーである。間違いなく、オーフェンの身体 ふたり分の重量はあるだろうその鋼鉄のハンマーを、物体は両手に振りかぶったままこちらに突進してきていた。そしてもちろん、激突の寸前、物体はハンマーを打ち下ろしてきて──
魔術で防 御 する間もなかった。ハンマーは大きく弧 を描 き、テーブルの真ん中に頭を突っ込んだ──爆音にも近い激突音が、食堂内に響く......
それが、その一瞬に起きたことの、おおむねすべての出来事だった。
「............」

一瞬の変化のあとには、数秒の沈 黙 が待っていた。物体は──というより、その物体が振り下ろしたハンマーは、テーブルはもとより木の床までも突き抜けて、その物体の上半身ごと、床下までめり込んでいる。壊 れたテーブルの真ん中に、物体の下半身だけが逆 さまに、むーむーうなってうごめいていた。
ばたばたと、力ない様 子 で足を動かしているそれを見下ろして──オーフェンは、さっとコンスタンスに目 配 せした。こちらの意 図 をすぐに察したか──というか、この場合、考えられることはひとつしかなかったのだが──彼女はスーツ内のポケットに手を入れると、金色に輝 くものを素早く取り出した。
ちりぃぃぃぃん......と澄 んだ音が響く。
彼女が取り出したのは、金色のベルだった。その音 色 が沈黙の中に、涼 やかに波 紋 を描 く。オーフェンにさえ待つ余 裕 を与えるその音色は、だが別に、そのために鳴らされたものというわけではなかった。
音が消え、再び沈黙。だが遠くから、たったったっ......と足音が近づいてくる──
だんっ!
足音は食堂のすぐ外で、大きく踏 み切 ったようだった。さらに──がしゃあああん! と大きく、ガラスの割れる音。
店の窓 のひとつを、言 い訳 もないくらいに完全に突き破って食堂に飛び込んできたのは、まだ若い、タキシード姿をした銀髪の男だった。砕 け散った破片とともに、優 雅 に一回転しつつ、その男はコンスタンスのきっかり二メートル前に、折り目も正しく一礼する格 好 で降り立っていた。

「お呼びでしょうか、お嬢 様」
「わたしが家にいた時より、参上が二秒ほど遅れたわね、キース」
腕組みし──もう既 にベルはしまっている──コンスタンスは、平然と彼に告げた。
だが、床に転がったままの姿勢で、遠くからぽつりとマジクの声が聞こえてきている。
「......というか、ちゃんと入り口から入ってくればいいものを、なんで窓を壊して──」
が、男──キースはあっさりと無視して、頭を下げたポーズのまま、優雅に答えている。
「申し訳ございません、コンスタンス様」
コンスタンスが、こくりとうなずいた。
「ここは家ではないとはいえ、油断してもらっては困るわ」
「はい。処 罰 は謹 んで、お受けいたします」
「......まあ、別にいいわ」
「よくないんですが......」
超然と寛 容 の笑みを見せるコンスタンス──と、壊れた窓をさりげなく指さしてつぶやいているマジク。
オーフェンは、とりあえずマジクのほうを無視して、うんうんとうなずいた。そして、静かな表情でキースを見──さらに、まだ床下からうめき声をあげている物体の下半身を指さす。
「キース......」
「はい。黒魔術士殿。どういった御用向きでしょうか?」
無表情にこちらを向くキースに、オーフェンは続けた。
「......こーいった異常なものは、お前の管 轄 だろう」
「それは誤解です」
両拳を握り、キースが即答してくる。
「誤解?」
「そうです」
キースはしっかりとこちらを見返して、力説した。
「わたしはマギー家の執 事 として、平 穏 な生活を継続させる務 めを負う者。異常事態などに関 わる道理もございません」
「お前......ちゃんと自分を知ってて、それ言ってるのか?」
冷たい目でオーフェンは言ったが、キースはきっぱりとかぶりを振った。
「無論です! それに、今もコンスタンス様の呼びかけによって参上つかまつりましたが、ほんの数分前まで、川に落ちておぼれているボニー様を、主人の身体に触 れるという無 礼 を犯 してもお助けするべきか否 か、通りかかった人たち百人にアンケートを取っていたところでした。ゆえに、ほかのことに関わっている時間などありません」
「......もう沈 んでるんじゃねえのか......ボニー......でもまあ」
オーフェンは妙 に納 得 しながら、再び物体の下半身を指さした。
「じゃあこれは、お前とはなんにも関わりはないんだな?」
「御 意 」
「分かった......じゃあ、もう行っていいぞ」
「はっ!」
キースはまた一礼すると、くるりときびすを返し──ダッシュして、また別の窓から、ガラスを蹴破り外に飛び出していった。
「......ドアから......」
なかばあきらめたように、つぶやくマジク。
「ま、とりあえず──」
そそくさとコンスタンスが、声をあげた。くるりと半回転し、指を立て、無意味に明るい笑 顔 で、指さす。例のものを。
「これ、どうしましょうか」
「あの......」
その背後から顔色を真っ黒にして、のっそりとマジクが顔を出している。
が、コンスタンスはあくまでそれには気づいていないような態度で、
「そのまま埋 めちゃうってのはどう? 誰 も困んないしね」
マジクはしつこく、コンスタンスの腕をつかんだ。
「弁償 してくださいね......」
当たり前と言えば当たり前の要求に、だが彼女はマジクとはそっぽのほうを向いて、
「困らないことが大 切 よ。あ。つるはしあるかしら──」
「あの人はあなたの家の執事なんでしょ⁉ 」
なおも食い下がるマジクに、とうとうコンスタンスが振り向いた。
「なんでわたしが払うのよ⁉ 使用人に保護義務なんてあるわけないじゃない!」
──と叫んでしまったことでもう彼女の負けなわけだが、まあそれは、どうでもいいことだった。ふたりの会話はほっておいて、オーフェンは、ゆっくりと物体のほうを見下ろしていた。
「............」
ふと考え込む。頭上の鬼火は、もう消していた。キースが飛び込んできたときから、既 に食堂の中には光が射 し込んできていたのだ──割れた窓から昼の日差しが、さんさんと。
よくよく見回してみると、食堂の窓という窓に、垂 れ幕 のように、黒い布が下ろしてあった。カーテンではない──窓の外にである。布をかけられたせいで窓がふさがれ、部屋の中が真っ暗になったわけだ。窓をひとつひとつ順番にではなく、いきなり暗くなったところをみると、なにかの仕掛けで、一斉に窓をふさいだのだろうが。
逆 さまの下半身をばたばたと動かしているその物体をじっと観察して──オーフェンは、今さらのようにひとつ、気づいていた。
「人間......みたいだな。一応......」
腕組みをして独りごちるその後方で、マジクとコンスタンスが、延々と弁償義務のなすり合いをしているのだが、そのとばっちりが自分にこないうちに、彼は物体──ではなく人間を床下から引っぱり出しはじめた。
掘り起こしてみれば、それは別に異常な物体ではなく、ただの人間だった。
身長も、二・五メートルもあったわけではない──二メートルちょいというところだろう。抱えていたハンマーも、じっくり見れば、重量百キロ少々というあたりだ。布で窓をふさぎ、入り口から足音もなく突進してきて、ハンマーで床下までぶち抜き、勢い余って自分も生き埋めになりかけていた。そのくせキースの関係者でもない。
ぶつぶつと自分の中で箇 条 書 きにしながら、オーフェンは、ぽつりとつぶやいた。
「......やっぱ、それなりに異常だな」
「誰が異常だっ!」
どん! とテーブル──壊れていないやつ──を拳でたたき、それが叫ぶ。
「我 が輩 の名は貴様も聞いたことがあろう」
剃 髪 か天然か知らないが、完 璧 にはげ上がった頭は、少々いびつな形をしている。その頭のてっぺんまで紅潮 させて、男は続けた。
「我が輩こそは、王都の魔人プルートー!」
「ええっ⁉ 」
その男のタイプを生理的に受け付けないのか、少し距離をとっていたコンスタンスが、驚愕 の声を発していた──さすがに魔術の知識などなくても、宮廷魔術士を牛 耳 る大魔術士の名前は聞き知っていたらしい。
男は、その驚愕の声ににやりとしてから、
「──をも心 酔 させる、偉大な多面的魔術理論の実 践 者 、サモアペット博士である!」
そして笑みを浮かべたまま、親指を立て、ポーズを取る。
「......知っておろう?」
「知らん」
オーフェンはきっぱりと告げた。
だが別に、サモアペットとやらは気分を害した様子もなく、ただうなずくだけだった。
「さもありなん......魔術士の無学があるからこそ、我が輩が必要とされるのだからな」
「まあ......いいけどよ」
あまり相手にする気にならずにオーフェンもうなずいていると、ふと横から、くいと腕を引っぱられるのを感じた。マジクである。
金髪の少年は、不 思 議 そうにこちらを見上げて聞いてきた。
「あの。多面的魔術理論て、なんですか?」
「......俺に聞くなよ」
と、それを待っていたかのように、サモアペットが、テーブルの上に身を乗り出す──
「知りたいか、少年よ!」
「......それよりも、壊したテーブルと床板を弁償してほしいんですけど......」
「そうか! ならば説明しよう! 我が輩の提唱 する多面的魔術理論こそが、この大陸を救うのである!」
がば、と立ち上がって、サモアペット。彼は巨大な拳──ハンドボールくらいの大きさがある──を握り、続けた。
「我が輩には、常 々 不満があったのだ!」
言いつつ懐 から、一冊の本を取り出す。
「これがなんだか分かるか? 魔術士よ」
目の前に突きつけられた表紙を、オーフェンは無感動な声で読み上げた。
「大陸魔術士心得......」
「そう! これこそが、貴様ら無学な魔術士どもが盲従 する無能の書で──」
興 奮 しながら声 高 に叫んでいる男を冷たく見上げながら、オーフェンはぽつりと続けた。
「......魔術解釈 の最先端だった本だ。三十年前までは、な」
ぎしり──とサモアペットの動きが止まる。硬直 したように動かないサモアペットからは視線を外 し、オーフェンはマジクに続けた。
「現在では魔術解釈と呼ばれる学問は行われていない。制御法論へと発展して変化した」
「......なんのことだかさっぱり分かりませんけど」
「神学まがいの解釈理論は、ドラゴン種族がかつて人間の音声魔術を解釈──というより解明していたことがはっきりしてくるにつれ、だんだんと廃 れていったんだ。いまだそんなものを担 ぎ上げてるのは、自分の襟 首 をつかんで持ち上げれば空を飛べるはずだとか信じてるような連中だけ──」
「だああっ! 黙って聞けんのかぁぁっ!」
本を持った手を振り回し、サモアペットが絶叫 する。
冷たい眼 差 しでオーフェンが沈黙すると、はあはあ、と息をあららげながら、彼はあごの下の汗をぬぐう仕 草 をしてみせた。
「まったく......浅 学 の徒というやつは、人の話をまったく聞かないのだからな......文明人と話がしたいものだ」
余 裕 ありげに──ただ脂汗 をたらしていたが──サモアペットは、その本、大陸魔術士心得を両手に持って広げた。
「この愚 書 は、貴様ら浅学の魔術士が著 し、そしてその当時からなんの発展もないまま貴様らの妄信の対象となっている理論が記されている」
「さっきの話、聞いてたか、お前......」
「聞いてたと思うけど......ぎしりって音立ててたし......」
と、これはコンスタンス。マジクがあとに続けた。
「聞いたことを受け入れる容量がないのかもしれませんよ。そもそもこれが人間かどうか決まったわけでもないですし......」
「我が輩がなんで人間以外だっ⁉ 」
サモアペットがテーブルに両手を打ちつけ、叫び返してきた。
あっさりと、コンスタンスが答える。
「だって人間ぽく見えるのが鼻の周り二十センチ以内だけなんだもの」
だが、てっきりそれで引き下がると思いきや──サモアペットは、いきなり不敵な笑みを浮かべてみせた。
「ふっふっふっ......」
ぐい、と、身体 のどこかに力を入れたのだろう──服の下で、胸の筋肉が盛り上がる。びくびくっ、と痙 攣 するのは、上腕の筋肉である。
合計百八十キロはありそうな筋肉が、男が笑うとともに一斉に動き出したのだ──見ただけでも、思わず吐 き気 がしてくる。
「ち──ちょっと、なによ」
嘔 吐 感 を抑 えてか──震 え声で、コンスタンスが後 退 りするのが見えた。思わず、毒ダーツの入ったポケットに手を突っ込んでいる。
「ちょっと言われたくらいで、怒っちゃ駄 目 よ──暴力はいけないわ」
説得だか懇 願 だか分からない口調で、にじり寄ってくるサモアペットに告げている。それを眺 めながら、オーフェンは言った。
「そーだぞ。人をヤクザ扱いしてはばからない無能警官の顔面を二センチほどへこませたところで、お前の指が痛いだけだぞ」
「そうですよ。窓ガラスの修理代を払うように教育してくれたって、ぼくとしては大したお礼もできませんし」
「あんたたち、実は煽 ってるでしょ⁉ 」
こちらに向き直って、コンスタンスが絶叫じみた声をあげる──
だがサモアペットは、コンスタンスのすぐ目の前まで近寄ると、ぴたりと立ち止まった。もっとも筋肉の一斉痙攣はそのままだが。
彼は誇 らしげな表情で、がばとボージングしてみせた。
「ふっ──無学で浅学、無知蒙 昧 な、哀 れ猿 並みの知恵もない上に──」
「......それはもういいから」
「ともかく魔術士よっ! 貴様らが『人間以外』と呼んだこの肉体っ! 確かにある意味では人間以外──人間以上と言えようっ! そしてこれこそが、このサモアペット博士の多面的魔術理論の成果でもあるのだっ!」
「えい」
ぷす。
コンスタンスが目の前の人間以外の太 股 に、ダーツではなく──各テーブルに常備してあるフォークを突き刺 している。
一瞬、店内の時間が止まった......
「うがぎょろぎゃおおおおっ⁉ 」
深々と──しゃれにならないほどに突き刺さったフォークを押さえて、大男が転倒する。ざっ、と椅子から腰を上げて、彼に指を突きつけたのは、コンスタンスだった。
「人の視界内で、なに卑 猥 なことしてくれてんのよ!」
「ひ? 卑猥っ......て......」
フォークをゆっくり抜きながら、少し弱腰になっているのか、小声でサモアペットがつぶやいている。が、コンスタンスは派 遣 警察官の身分を示すバッジを取り出すと、
「猥 褻 物 陳 列 罪 でしょっぴくわよ!」
「我が理論の結晶 が、なにゆえ猥褻物陳列かっ⁉ 」
さすがにサモアペットが叫び返す。
「まあまあまあ」
オーフェンは、にこやかにふたりの間に割って入った──コンスタンスをマジクのほうに押しやってから、ちらとサモアペットのほうに顔を向ける。
「で......つまるところ、お前さん、なにしにここに現れたんだ?」
「それは無論」
と、大男は立ち上がった。刺された痛みをもう忘 れているのだとしたら亀 より激しい忘 却 能力を持っていることになるが、それに関しては疑 うべくもないようだった。
自 慢 にはならないが。
「我が輩の理論を魔術士同盟に伝えるべく、日夜活動をしているわけなのだが──まずは実 践 で、決定的な証 拠 を手に入れたいのでな。貴様の噂 を聞き及び、理論の実証を行おうというわけだ」
「よーするに実験台か......まあいいや。なるほどな。そんなこったろーと思ってたんだ」
オーフェンはあくまで笑顔でそう言うと──さっと、サモアペットから離れてマジクとコンスタンスに近寄った。ふたりの肩を抱 いて、食堂の奥の隅 まで押しやる。

「な──なによ、急に」
怪 訝 そうに問いかけてくる彼女と、ぽかんとしているマジクに、オーフェンはにっこりと告げた。
「いいこと考えついたんだ」
「あの人、襲ってもお金持ってなさそうよ」
「腹いせに叩 きのめすんですか? 外でやってくださいね」
「............」
オーフェンは笑顔のまま、無言でふたりの肩をつかんでいる手に力を込めた。が、なんとか自制を保つと、
「お前らのそーゆう俺のイメージを払拭 するためにだ、こーゆうのはどうかなと思うんだが──つまりあいつ、どうも自分の理論とやらで俺に挑戦して魔術士同盟に乗り込む足がかりにするために、ここに来たらしいんだが。それを俺が理知的に論 破 したら、どうだ?俺を理性的な魔術士だと認めるってのは」
「うーん......」
「猛獣 を毒入りのエサで殺した人間を強い人と呼ぶかどうかって問題よねー......」
「み・と・め・る・よ・な⁉ 」
「あ。え〜と......」
マジクとコンスタンスが、冷 や汗をたらす。
「それ以上力を込められると肩が折れそーだし......わたし、ちょっと大人 になって条件を呑 もうと思うの」
「ようし」
オーフェンは彼女らから手を離すと、そのままぱん、と両手を打ちつけた。さっと、大男のほうに向き直る。
「話が決まったぜ──お前を言いくるめて、正当な魔術士の尊 厳 と、今までさんざ馬 鹿 にしてもらった慰 謝 料 を手に入れる!」
「え?──ち、ちょっと──」
声があがったのは、背後からである──マジクだ。彼はくるりと前に回り込んでくると、
「慰謝料って、そんな話ちっとも......あの、お金賭 けるんですか? ぼくも?」
「当たり前だろ! 小 遣 いもらったばっかだって、知ってんだからな。おらおら、ジャンプしてみろよ」
「えーと、あの〜......」
遠くから、少し寂 しそうな表情で、サモアペットが声をかけてくる。
「我が輩は理論を広めるためにここに来たのであって、勝負のネタにされても......」
「やかましい! 取り込み中だ!」
「だからオーフェン、わたし給料日前だし──今月はいい感じの春物のベスト見つけて、ちょっと......」
自分の手のひらに文字を書いて、ちょっとつらそうに時間を潰 すサモアペットは無視して、慰謝料に関する議論は、だんだんと白熱していた......
「──というわけで、始めてやるとするか」
「おお、ありがたいぞっ!」
立場も忘れたのか、かなり嬉 しそうにサモアペットが顔を上げる──さっきまでコップの水でテーブルにあみだくじを描いて遊んでいた姿が、多少哀れを誘 ってもいた。
彼は、例の魔術士心得をばんとテーブルに投げ出した。
「よいか! そもこの書によれば、魔術士は自 らを神に祝福された新たなる種だと決めつけておる」
「ドラゴン種族と人間との交配を旧世界の神の画 策 したことと意味づけたわけだ。で?」
テーブルに腰掛けて、オーフェンは相手を促 した。サモアペットは、してやったりという顔で、
「だがっ! 魔術士の血統を持たない我が輩が、魔術を扱えるとしたら⁉ 」
「......そんなことはあり得ない」
静かに、オーフェンは言い返した。
マジクとコンスタンスが、少し離れたテーブルでポップコーンをつまんでいるのを見やりながら、
「魔術の素 養 はドラゴン種族との混血によって人類にもたらされた──これが最低、潜 在 的 にでも遺 伝 しなかったら矛 盾 する」
ふっ──とサモアペットは、笑ってみせた。
「我が輩は、魔術というものを考察した。それは物理に作用する力だ。遺伝などという、しょせんは情報に過ぎぬものに、物理に作用する要素はない!」
「情報は物理力だというのが魔術の原点だ」
「その原点が間違っておるのだ! 貴様ら魔術士はみなそうだ!」
「どんなことでもそうだが──原点は決して間違えない。例 えば俺たちは呪文を用いるが、これは別に空気を振 動 させることを目的としていない。存在の情報力を利用して魔力を飛ばすことが本義だ。だがまあ、ンな議論は、し尽 くしたところでその程度のもんだろ」
と、オーフェンは肩をすくめた。
「ちゃっちゃと進めちまおう──遺伝抜きで魔術を扱えるということだったが、実際見せてもらえるんだろうな?」
「無論よ」
サモアペットは、自信たっぷりの笑みを浮かべた。
だが、オーフェンは冷静に、
「で、その魔術が有効だったとしてだ──てめえがドラゴン種族の血をひいていない ってことは、どうやって保証してくれるんだ?」
「はぁーっはっはっはぁっ!」
大笑しつつ、さらに意味もなくポージングしながら、サモアペットが答えてきた。
「愚問だなっ! 普通に魔術士の血をひいておれば、こんな回りくどいことはせんで魔術士をやるわい! そんなことも洞 察 できんのか!」
「......正論だが......ただのひがみかお前は」
「はぁーっはっはっ! では、参ろうか!」
びし、とサモアペットは、ポーズを変えた。
「だが、こういう手順でいこう──貴様がまず、魔術でなにかをしてみせろ。我が輩も──魔術士ではない 我が輩も、それと同じことをしてみせる。良かろう?」
「そうだな......」
オーフェンはうなずくと、座っていたテーブルから、ぱっと飛び降りた。そして、腕を振り上げ──
「我は放つ光の白 刃 !」
呪文とともに白い光が閃 き、それまで座っていたテーブルを、熱を伴 った衝 撃 波 が打ち砕 く!
「あー!」
ギャラリー席から、マジクが悲鳴をあげて立ち上がるのが見えた。が、無視する。
「できるか?」
聞くと、サモアペットは、そんなことかとばかりに鼻で笑ってみせた。
「ふっ──吠 え面 をかくなよ」
と、近くのテーブルに歩み寄り、さっきのオーフェンとそっくりに腕を振り上げて──
「ま・じゅ・つぅぅぅぅぅぅっ!」
雄 叫 びとともに、その拳をテーブルにたたきつける!
「あー! あー!」
マジクの悲鳴が倍加された。
岩のような拳で一撃されたテーブルは、あっけなく粉々に打ち壊れた。呆 然 とそれを見ている周囲を順々に見返し、サモアペットは、テーブルの残 骸 の上に仁 王 立 ちになった。
「はぁーっはっはっ! それ見たことか! さきほど、食堂の中に闇を生み出し、音もなく奇襲したのもデモンストレーションよ! 貴様らの言う魔術の素養とやらがない人間にも、肉体を鍛 えることで魔術と同じことが可能というわけだ──これが我が多面的魔術理論からなる、本来の人間の魔術である! いやむしろ、呪文など必要もなくそれを可能とする我が輩のほうこそ高位魔術と──」
「我は癒 す斜 陽 の傷痕 」
高らかに叫ぶサモアペットを後 目 に、オーフェンは自分が壊したテーブルに手をかざして呪文を唱 えた──と、時間が逆転するように、砕け散ったテーブルが元通りに組み上がる。
「............」
さすがに、サモアペットも沈黙した。静けさの中で──オーフェンは、
「......これもできるか?」
「あ」
向こうの席で、マジクがとりあえず、ほっとしてみせた。
「なんだ......そんな便利なことができたんですか」
「それなら、ついでに窓も直しておいてくれるわよね」
ぽんと手を打って続けるコンスタンスに、オーフェンはあわてて向き直ると、
「おい、あのな──簡単なように見えて、魔術ってのはえらい疲れるんだぞ! なんで俺が他人の尻 拭 いなんぞ──」
「なによ! そのくらいいいじゃない!」
「そうですよ、オーフェンさん! ちゃんと弁償もしてもらいますけど、直すものは直してくれてもいいじゃないですか!」
「......実はひどくないか? お前......」
「なに言ってるんですか。この宿、なぜか知んないですけど客が全然ないんですから、稼 げるときに稼いでおかないと」
「ほう」
「まあ、毎日毎日食堂で騒 ぎを起こすモグリの金貸しとかがいるせいじゃないかとかは、気づかないであげていますけどね」
「あー、えーと。それはともかくだ」
オーフェンはごまかすように、別の方向に向き直った──つまり、いまだたたずんでいるサモアペットのいるほうに。
「......あきらめんのか?」
「できないなら、弁償してくださいね」
容 赦 なく続くマジクのせりふに、サモアペットの顔が微 妙 にひきつる。
それでも壊れたテーブルの上にうずくまり、大男はそれなりの努力をしてみせた──もたもたと部品を取り上げ、組み合わせている。
やがて......少しいびつにはなっていたが、一応はテーブルに見える程度に、残骸は修復された。
だがオーフェンは無言で、その場で足を打ちつけた──どん、と床が鳴り、その振動で、またテーブルがぼろっと崩 れる。
「............」
再び床に倒れた残骸を見下ろして、サモアペットが、無表情にたたずむ。
それでも、まだ彼はくじけなかったようだった。不 屈 の精神で、また残骸を組み立てはじめる......
「泣いてるんじゃないの? あいつ......」

「不 気 味 なこと言わないでくださいよ」
ギャラリー席から聞こえてきた声が、決定打となったかどうかは知らないが──
とりあえず、理知的な戦い──だろう、多分──は、終わったようだった。
「どーでもいーけどお前、博士って、なんの博士号のことなんだ?」
「......医学博士である」
サモアペットは大いに胸を張ってみせた。
「ちなみに『長ネギの茎 に潜 む霊 的 驚 異 』という論文が認められたのだ」
「どんな世界の学会なんだ......」
頭を抱えるオーフェンをよそに、あくまでサモアペットはくじけないようだった。ハンマーを肩に担 ぎ、食堂の出口で三人に見送られている。
彼は始終、さわやかな笑顔を浮かべていた。
「ふっ......今回は、準備不足もあって僅 差 で論破されてしまったようだったが──」
「まあ......なんも言わんが......」
半眼でオーフェンはつぶやいたが、多分どんな準備をしてきても──仮に素手でテーブルを修復できる技術を身につけたとして──空間転移や物質崩 壊 の魔術を見せられたときにどうするのだろうと思わざるを得なかった。
「なんだかよく分からないけど、いろんな意味で尊敬するわ、あなたのこと。ずっとこのままでいるんでしょうね。一生」
コンスタンスが、熱っぽく言っている。
サモアペットは、軽く髪をかき上げる仕草を見せた──がもちろん、髪などない。
「同情はいらぬ」
「そんなっ! あなたから同情がなくなってしまったら、なにが残るというのっ⁉ 」
「............」
彼女の返事に、多少は深くサモアペットもうつむいたようだったが、それも一瞬のことだった。
「ひーふー......ちょっと足りないですね」
テーブルその他の弁償代に受け取った金を数えながら、マジク。彼は懐 から、なにやら紙切れを取り出した。それを、大男のハンマーに、ぺたと貼 りつける。
「それ、置いてってくださいね。まだなにか質 草 があるなら引き取りますけど」
紙切れには一言、『差し押さえ』と記されていた。
「............」
またも無言で、サモアペットが一冊の本をマジクに手渡す──大陸魔術士心得である。
「たいした額になりそうもないですね......」
つまらなそうな表情で、マジクはそれにも差し押さえ札を貼りつけた。
サモアペットは胸を張った姿勢のまま、
「では......さらばだ。次に会うときにこそ、雌 雄 を決しよう」
「泣きながらテーブル組み立ててたくせに負けを認めないのは、なんというかこっちの負けだという気がするぞ」
真顔でオーフェンは、相手の差し出した手を握り返した。うなずいて、サモアペットは、そのままその場をあとにする。ハンマーは置いて......
いつまで経 っても小さくならない、その無用に巨大な後ろ姿を見送りながら、オーフェンは静かにつぶやいた。
「なんだったんだろうな......あいつ......」
「定期的に来てくれると楽しいかもしんないわね、あーゆうの......」
「そのたびに壊すんですか? うちの宿......」
壊れた店を見回して、マジクのため息だけが、あとには残っていた。
ちなみに、慰謝料というか掛 け金は、こちらの手に入ったと思ったや否や、宿代のツケとして、バグアップに召 し上げられた。
そのとき確かにオーフェンは殺意を覚えたというが、それはまた別の話。
(顔を洗って出直しな!:おわり)


ぽんっ──んぽぽぽんっ......
はるか高い青空に、軽快な音とともに白 煙 が散った。まだらの雲がたなびき、風は涼 やかにグラウンドを吹 き抜けていく。
紅白の旗 が華 やかに飾 られ、そこかしこに屋 台 も見える。グラウンドの土もいい色に乾 いていて、ただ風が吹くたびに砂煙 になるのはつらいところだが、おおむね仕方がない。
かなり広いそのグラウンドの、トラックは一周千メートル──市営の広場としては、かなりの大きさだ。見物に来ている人数もそこそこ。そして、それを目当てに集まってきた屋台や出店の数もそこそこ。
計測通りにグラウンドにトラックの白線を引いていく係員や、早くも屋台に並んでいる子供たち、トイレを探してウロウロしている学生らしき女──そんな面々である。
そしてグラウンドの真ん中で、それらすべてを見回しているのは、全身黒ずくめの若い黒魔術士だった──ただし、胸元にドラゴンの紋章 がある以外は、いつもの格 好 とは違ってトレーニングウエアである。腕組みし、なにやら悩 むような面 持 ちで、その男はひとりうめいた。
「......俺 ......なにやってんだ?」
だが彼は、自問したその答えを、とうに知っていたのだった。
「......春の運動会? 市街警察の?」
オーフェンは空 っぽになった皿を押しやりながら、聞き返していた。黒 髪 、黒目、黒ずくめの、上がり目の黒魔術士。
彼の正面でにっこりとうなずいたのは、コンスタンスである──いつものスーツ姿で、ふたりがいるのもいつもの食堂。ただいつもと違うのは、彼女が突然、夕食をおごってくれると言い出したことであった。
(まあ、なにかしら魂 胆 があるんだろうと思っていたけどよ......)
彼はそう独 りごちながら、続けた。
「──って、捕 縛 済みの犯罪者を杭 に縛 り付けて、一斉に石を投げつけるのがメインの出し物だとか?」
「......あんたね、大昔の魔術士狩りじゃないのよ」
ほおのあたりをひきつらせて、彼女。
「その運動会のスローガンにもなっているんだけどね、つまり、年に一回のその競技会によって、警察官の体力レベルの向上に貢 献 しようって──強化訓 練 も兼 ねているのよ。徒競走とか障害物 レースとか、ね」
コンスタンスは自分の皿のパスタをつつきながら続けた。
「毎年、定期的に開 催 しているらしいのよ」
「......お前も出るわけ?」
「なによ、その嫌 そうな顔は」
コンスタンスは、ぐい、と胸を反 らした。誇 っているつもりらしい。
「言っておくけど、うちの家訓は『参加すればとりあえず意 義 がある』っていうのよ!」
「それは......前向きなようでいて、思いっきり後ろ向きだぞ」
オーフェンは半眼で告げたが、彼女はさっとあさっての方向を向くと、
「まあ、それはともかく」
と、咳 払 いしてから続ける。
「本来は、わたしは別に参加しなくてもいいんだけどね──まあ、市街警察の行事で、わたしは所属が違うから。でも実は、トトカンタ市警の署長 から直接、参加の誘 いが来てるのよね」
「......お前みたいなスポンジと同郷の運動音 痴 に、か?」
「なんでスポンジと同郷なのよ!」
コンスタンスはそう怒 鳴 ると、その勢いで立ち上がりかけたが──なんとか途中でぴたりと止まると、しずしずと椅 子 に座り直した。
気を取り直して、続ける。
「......実は、これにはわたしの首がかかっているの」
「首?」
彼女がなにを言っているのかいまいち分かりかねて、オーフェンは適当に聞き返した。コンスタンスはまた皿に盛ってあるパスタの山にフォークを突 き刺 し、ぐるりと一回転させると──
「知らない? わたしにもいろいろ、苦労があるのよ」
神妙 な面持ちで、つぶやく。
「............」
今度こそ意味を理解しかねて、オーフェンはしばしば彼女の顔を見返した。
「苦労? お前が?」
それだけを聞き返す。コンスタンスが、こっくりとうなずいてみせた。
「そう──いるでしょ? 女子社員にお茶をくませて、あまつさえそれを渡すときににっこり微笑 んでいなかったからって懲 戒 免 職 にする男上司って。これで署内行事の誘いを断ったりしたら、なにを言われるか......」
「まず警察では聞かないと思うが......」
オーフェンは思いっきり顔をしかめて聞いてみた。
コンスタンスが、答えてくる。
「い・る・の・よ!」
「まあ......それはいーけど」
嫌な予感を覚えつつ、オーフェンは彼女を見返した。
「で、俺にどうしろと?」
「もちろん!」
と彼女は、拳 を握 って立ち上がった。
「わたしと組んで運動会に参加するの! 強制はしないけどこれを断った場合、キースに命令して毎晩枕元 で歌を唄 わせるわよっ!」
テーブルの真ん中には、紙が一枚置いてある。運動会のお知らせ──会場となる市営グラウンドへの地図、日程、プログラム等が記されているものだ。
そして、その一番大きな見出しに、そのスローガンとやらが収 まっていた──
『悪を滅 ぼす権力に、悪を恐 れぬ体力を!』
派 手 な色使いで、しかもかなり大きく横断幕 になって吊 るされているそのスローガンを見て、ひしひしと後 悔 がわき起こってくる。
グラウンドの真ん中からぼんやりとそれを見上げながら、オーフェンは考えていた。
順々に、お知らせに記してあったことを思い浮かべる。
(参加はペアから四人までチームを組んで、参加競技数は自由......とにかくプログラムが全部終了するまでに多くの得点をかせいだチームが優勝......)
と──
背 後 から、声。
「どしたの? オーフェン」
振り返る。コンスタンスである。ランニングにジョギングパンツは、ジャージ集団と化しているほかの参加者たちからは少し浮 いているきらいがあった。が、似合ってはいる。
「いや、別に」
オーフェンは肩をすくめて言葉を濁 した。
そう? とコンスタンスが、気を引き締 めるように真顔になる。
「どうも、この大会はかなりの難 関 のようよ。強敵 がひしめき合っている感じだわ」
「......そーなのか?」
オーフェンは聞いてみた。コンスタンスが、それには答えず続ける。
「なんとしても優勝しなければならないわ」
「............」
オーフェンは、しばし黙 っていたが、
「なあ、コギー」
「なぁに?」
聞き返してくる彼女に、オーフェンは嘆 息 した。
「お前、仕方なく参加するって割には、妙 に気合いが入ってねえか?」
コンスタンスは無反応だった──少なくとも、外見のほとんどは。
だがオーフェンは、彼女が小さく身じろぎするのを見 逃 していなかった。
「昨日 の、運動会のお知らせってやつな」
「え......ええ」
「ちと、読んでみたんだ」
「そ、そぅお?」
半分裏返った声で、彼女。オーフェンは、ぱきぽきと指を鳴らしながら続けた。
「優勝商品のことも書いてあったな」
「そ──そういえば、そんなものもあったわよねぇ」
「有給......二週間だそーだ」
それを聞いて、コンスタンスは無言だった──しばらくは。しばし考え込むように硬 直 し、そしてやがて手を、ぱんと打ち合わせる。
「あら嬉 しい」
白 々 しい声でそうつぶやく彼女に、オーフェンは食ってかかった。
「てめぇ、賞品欲しさに、俺を巻き込んだだけかっ⁉ 」
「ご──ごご誤解だってば、オーフェン!」
首を絞 めているこちらの手をつかんで、コンスタンスが絶叫 する。
「市街警察にも嫌な上司がいるっていうのは、嘘 じゃないのよっ!」
顔を紅潮 させてわめく──別に憤 慨 しているのではなく、単に顔色で酸 欠 を主張しているに過ぎない。
オーフェンは、彼女の顔を見下ろしながら、手をはなした。
「ったく......」
ごほごほと咳込みながら地面に落ち、コンスタンスは、涙ながらに訴 えてきた。
「うう......信じてもらえないなんて、おねーさんとっても悲しいわ」
「お前......そのせりふの中にカケラでも誠 意 を感じ取れとゆーのは暴力 だぞ、おい」
「なぜっ⁉ 」
冷たく告げるこちらを振 り仰 ぐようにして彼女が聞いてくる。いったん空を見上げ──その青空を目から吸い込んで心を落ち着けてから、オーフェンはまた彼女へと視線をもどした。
「......なら、賞品目当てじゃなかったんなら、優勝なんてせんでもいいわけだよな?」
「............」
コンスタンスの顔前で、彼女の握り拳ふたつが、揺 れるように震 える。
「......オーフェン」
「おう」
「あのね──」
中 途 半 端 にかぶりを振るように──目をそらして、彼女は答えてきた。
「有給二週間のためだったら......女は、魔物になれるのよ。分かるでしょ⁉ 」
「分かるかぁぁぁぁ!」
頭を上から思いきりはたき倒され、コンスタンスはグラウンドに沈 んだ。
そして、一時間後。
グラウンドの一部にコンスタンスの顔型がついた以外はつつがなく、競技は始まった。
「百メートル走にハードル競争、高跳びに組体操......」
ぶつぶつとプログラムを読み上げて、オーフェンはうめくような声をあげた。
「思ったより平 凡 だなぁ」
「あら。創作的な競技もあるのよ」
コンスタンスが、横から口を出す。彼女はプログラムカードの端 っこを指さして、
「ほら、これ。激 闘 ・鉄 鍋 レース。エントリーしといてあげたからね」
「......俺は出んぞ」
オーフェンはカードを閉じながら断言した。
「ええっ⁉ 」
大 仰 に、悲 鳴 をあげるコンスタンス。彼女は手首を口元につけるポーズを取って後方に退 くと、

「あなたが好きそうだと思ってエントリーしてあげたのに......」
「なんで俺が鉄鍋レースだ! そもそもなんなんだよ、その競技は!」
「さぁ......」
案 の定 、彼女は首を傾 げてみせた。
「あのなぁ」
オーフェンは嘆息しそうになりつつ──それをこらえて、トラックの中で『扇 』を作っている婦警たちに視線を転じた。なにかを必死で我 慢 しながら、告げる。
「言っとくが、面 倒 くさそーな競技になんて出るつもりはねえからな」
「いけず」
指をくわえて、コンスタンスがぼやく。
それは無視して、オーフェンは腕組みした。目を閉じて、ひとりで続ける。
「そうだな......簡 単 そうなのがいいな。二百メートル走なんて、なんか穴っぽいよな」
足に自信がある者なら百メートルのほうを走るだろうし──
その程度の理由で、別に深い意味などなく、オーフェンは言いかけた。と──
怒鳴り声は、唐 突 に響 いた。
「なんだとぉぉぉっ⁉ 」
それは、こちらが振り返るよりも速 かった。
ざざざっ──と、一陣の風のように──ただし、風が決して立てるはずのない激しい足音とともに、現れる。
黒い人 影 。それは渦 巻くように身を翻 し、視界の外から急速に飛び込んできていた。
「とおっ!」
雄 叫 びとともに、まずは横から、そして反対の横から、次々とみっつの人影が飛び込んでくる。さらには──
「はッ!」
息 吹 が空気を引き締 める。最後の人影は、手近な人 混 みの中から、真上に跳躍 して現れた──イルカが水面から跳 ねるように、ぴっちりと伸 身 で、二回転半ひねりなど入れつつ、軽く三メートルは宙を舞う......
どすんっ!
最後の人影はオーフェンのちょうど目の前に着地した。着地のポーズを取り、叫 ぶ──
「我ら、ジオポリス・スプリント・チィィィィム!」
無意味な気 迫 とともに、リーダーらしい男──もっとも、オーフェンにはみな同じ顔に見えた──が叫んだ。チーム全員、ぴしりとかかとのそろったポーズで、右腕は掲 げている。一様に、青空のようにさわやかな笑顔。ただし、青空というのはどこか底が抜けているものだ。
全員が全員、同じ格好である。白いタンクトップに、これまた白のトランクス。黒一色のオーフェンとは対照的なようだが、決して似かよっている部分があるわけではない。その四人とも筋 骨 たくましく、そして短い口ひげを生やしている。
オーフェンは一瞬、めまいが襲 ってくるのを感じはしたが、なんとか持ちこたえた。
「......なんだ? じおぽりす、てのは......」
「いや意味はないが......」
ジオポリス・スプリント・チームとやらのリーダー格が、少し困ったようにつぶやく。が、それもすぐに立ち直ったようだった。
「我々は、この大会における警察の名 誉 のために、特別に短距離走のプロフェッショナルとして常 日 頃 から訓練されているスペシャルチーム!」
それに続けて、ほかのメンバーが叫ぶ。
「つまらん任務などに煩 わされず、ただスピードの神の領域 を目 指 すエリート軍団よ!」
「仕事はしろよ......お前ら......」

頭を抱 えながらオーフェンはうめいたが、彼らはどうやら、聞く耳ないようだった。
メンバー一同、一斉に太陽を指さし、声 高 に叫ぶ。
「我らこそ地上最速! 部外者の背を見る目など持ち合わせぬから、そう思うがいい!」
「いや別に......いいけど......」
「よくないっ!」
スプリント・チームが、一斉に叫ぶ。視界がぶれているのかと思うほどぴったりと同じ動きで、びし、とポーズを取り、
「貴様、二百メートルをなめとるだろう!」
「いや、ンな大 騒 ぎするほどのこっちゃないと思うが......」
オーフェンはぼやきつつ彼らを眺 め回した。
「んじゃあ、お前ら、二百メートルに出場するわけ?」
『無論っ!』
拳を握りしめ、叫ぶ一同。
そのあとを続けたのは、ひとりだけだが。
「貴様は知らんよーだが、この大会の二百を甘く見ないことだ! なにしろこの競技に優勝すれば、問答無用で優勝が決定するのだからっ!」
「それって......ほかの競技に意味があるのか......?」
「ないっ!」
頭を振って、全力で声をあげる。
「それだけこの二百が難関ということよ!」
「いやそんな断言されても困るんだが......」
オーフェンは、解 せない面 持 ちでぽつりと聞いた。
「結局お前ら、なにが言いたいんだ?」
「ふっふっふ──」
笑う四人。無論不 気 味 である。彼らは急にぴたりと笑みを引っ込めると、そのまま背を向けて歩き出した。遠ざかりながら、言う。
「特に意味はないのだが、こんなときでもないといばる機会がないのでな」
「帰れ!」
叫びながら砂を蹴 り上げるこちらは無視して、彼らは悠 然 と去っていく......
「............」
オーフェンは無言になりながら、はあはあと肩を動かした。さっきから横でマイペースにストレッチをしているコンスタンスを見やって──
「警察って......なんの組 織 なんだ?」
オーフェンのつぶやきに、彼女は答えてこなかった。
短距離二百メートルは、午後一のプログラムとなっていた。ちなみに、これひとつで本気で優勝が決まってしまうらしい。
競技は単純。ただの徒競走である。二百メートル先に、ゴールがある。
「にしてもなぁ」
順番が回ってきて、オーフェンもまたスタートラインに並びながら、横を見回した。
「なんなんだ、このメンツって......」
ともにラインに並ぶのは、すぐ横にコンスタンス、知らない顔が二名。ついでに、先刻のスプリント・チームの面々である。
「イロモノを狙 ったんじゃないかしら」
「俺もか? おい......」
自分の鼻先を指さしながら、オーフェンはコンスタンスに聞いた。彼女は、ごく当然とばかりにうなずいてみせると、
「やっぱり全レース中、ひとつくらいはそーゆうのないと、お客さんも飽 きちゃうしね」
「なんじゃそら......」
それ以上は言い返す気力もなく、オーフェンはおとなしくスタートラインについた。
かなり広いグラウンドで、二百メートルが直線コースである。四百以上が周回コースとなるのだが、今は関係ない。
オーフェンは息を整 えながら、地面に手をついた──訓練にもよるだろうが、人間が全力で運動できる時間は、連続ではせいぜい十秒足らずだろう。つまりほぼ全力で走ればいい百メートルとは違い、二百の距離を走るためには、それなりのペース配分が必要となる。
逆に言えば、勝つつもりさえなければ、手を抜きやすいということだ。
クラウチング・スタイルで、ゴールのほうを見 据 えて、じっと待つ──
『さあ! 皆様いよいよ待望の、二百メートル走です!』
メガホンを持ってアナウンスしているのは、大会役員の集 うテントの中にある、放送席である。
グラウンドがかなり広いため、聞き取れない人間もいただろうが、コース上の選手にはうるさいくらいに聞こえていた。
『本日のメインイベント! ルールはもちろん、毎年恒 例 の──』
オーフェンは適当に聞き流しながら、コース横のスターターが、スタートの合図となる火薬筒を掲げるのを横目で見ていた。
アナウンサーは熱狂的に続けている。
『ルール無用のハプニング・レース!』
(......え?)
オーフェンはふと、疑 問 に思った。が、彼が今の言葉を問いただそうと身を起こした瞬 間 ──
『スタート!』
ぱんっ! と轟 いたのは、火薬筒の音ではなかった。
スターターがその引き金を引いたと同時、スタートラインが、一斉に爆発を起こしたのである。
『おおっと! 突然のすさまじい爆発! スタートラインの選手、全員がいきなり爆風に吹き飛ばされておりますっ!』
アナウンスは、やけに嬉 しそうではあった。
『これこそ、ハプニング・レースの醍 醐 味 と言えましょう! ちなみに今年の仕掛人は二十二歳の大会大道具委員! 火薬とドッグレースをこよなく愛する好青年です!』
ばしばしとテーブルをたたいて、続ける。
『しかし、見事な破 壊 力 ! 今年はどうやら、第一の仕掛けだけで選手すべてを葬 り去ることができたのかっ⁉ いや、違うようです──煙の中から、人影が現れました! ふらふらと──おや、コースを外 れて、こちらに近づいてきております! どうやら署員外の、民間人参加者でしょうか⁉ あからさまに悪党面 の、育ちの悪そうな黒ずくめ──』
「やかましいわぁぁぁっ!」
オーフェンは叫びながら、トラックの外にある役員席へと転がり込んだ。放送席にいる男に食ってかかる。
「てめぇ! なんのつもりだ⁉ 」
が──当たり前と言えば当たり前だが、アナウンサーは心外だというように顔をしかめるだけだった。
『さあ──そう言われましても、わたしは見たままを実況 するだけでして』
「そーじゃなくて! 今のはいったいなんだったんだ、と聞いてるんだっ!」
ぼろぼろになりつつも語気荒くテーブルをたたき、オーフェンは詰 め寄った。アナウンサーは、あくまでメガホンは手放さずに続けるだけだったが。
『資料によりますれば、スタートラインに仕掛けた小 規 模 炸 薬 の爆発です。大会大道具委員二十二歳、見せてくれます』
「うすらやかましいわっ! あほたれっ!」
『なにを怒ってらっしゃるんです?』
「なにをと聞くか、てめえは!」
オーフェンは、がっしとメガホンをつかみ取って、アナウンサーに向けた。
「だいたい、ただの二百メートル走に、ルール無用のハプニングたぁ、どーゆうつもりなんだよっ!」
思いっきり叫ぶのだが、なにやらコツでもあるのか、アナウンサーがさっきまで使っていたほどの大音量にはならない。
アナウンサーは、すっと手を伸ばしてメガホンを取り返すと、
『そー言われましても、毎年恒例の定 番 競技ですから』
それを聞いて、オーフェンはうろたえるように後 退 りした。
「毎年やってんのか⁉ こんなこと!」
『いや、今年は特に大会大道具委員二十二歳が燃えておりまして』
「迷 惑 だっ!」
怒 鳴 りつけるその勢 いに真正面から逆 らうように、だが明るくアナウンサーが叫び返してくる。
『そんなことを言っている間に、ゴールに向かわれたほうがよろしいかと思いますがっ』
と、そのあとは会場のほうに向けて、
『というわけで皆様、スタートの爆 裂 地点から、ふらふらと、選手一同進み出ております。どうやら、まだ誰 もリタイヤはしていない模様──』
「今さら競技もくそもあるか!」
オーフェンは、とうとうアナウンサーの胸ぐらをつかみ上げた。が──
『でも、ゴールには向かったほうがいいと思いますよ』
「......へ......?」
平然と告げるアナウンサーに、オーフェンはきょとんと、間 の抜けた声を出した。静かににっこりと、アナウンサーは続ける。
『なにしろこのレース、唯 一 ゴールだけが安全地帯という、まことにスリリングな──』
アナウンスも、そこまでだった。
かっ──!
ふわりと身体 が持ち上がる、そんな心 地 である。悲鳴をあげる間もなく、オーフェンは宙を舞っていた──
どぉぉぉぉん......と地鳴りが響く。
「あ......あ......あ......あ......」
ぼて、とうつ伏 せに地面に落ちて、オーフェンはのろのろと腕を上げた。遠くから──いや、さほど遠くもなかったのだろうが、アナウンスが聞こえてくる。
『おおっと! 第二の爆発であります──大会役員席が消し飛びましたぁぁっ!』
ずたぼろになった役員席の中、なぜかカケラも傷を負っていない放送席で、アナウンスは続いていた。
「だ──大 丈 夫 ⁉ オーフェン!」
「だいじょうぶなわけないだろうが......」
彼がまだ立ち上がれずにいるうちに、駆 け寄ってきたのはコンスタンスだった。彼女にしてみても、ぼろぼろのすすだらけで黒い顔をしているが。
とりあえず彼女の手を借りて、立ち上がる。
「くそ......とりあえず、客席にでも逃げ込むか......?」
「ええっ⁉ 」
コンスタンスが、悲鳴じみた声をあげる。
「──わたしの有給は⁉ 」

「知るかっ!」
と──
『おおっと、掟 破りの連続爆破!』
どうん! ぼうん! すどかぁぁんっ!
遠くの客席で、かなり景気よく爆発が起こる──
『大会大道具委員二十二歳、今年はよほど燃えているようです! この春、花見の席で二連続ビンゴの快 挙 を遂 げたことが、彼の魂 に火を点 けたか──⁉ 』
「............」
しばし呆 然 とそれを眺 めてから、オーフェンは、それでもなんとか気を取り直すと、
「い、いっそのこと、グラウンドから逃げ出すしかねえか......?」
が──
「ぎゃうああああああっ!」
タイミングを見 計 らったかのように、グラウンドの出口あたりで、観客 たちが悲鳴をあげる。
「サソリだぁぁぁぁっ!」
「どっから現れたのぉぉぉっ⁉ 」
観客たちはパニックを起こし、雪崩 のように倒れ、もがいている。ただの爆発なら吹っ飛んだあとを走り抜ければいいだけだが、ああいった形でパニックが起こったのでは、騒 ぐ人混みをかき分けて脱出というのも難 しい。
「......大会大道具委員とかいう奴 、よっぽど俺らに悪意を持ってるんじゃねえか?」
冷 や汗 を垂 らしながら、オーフェンは毒づいた。コンスタンスも、ぞっと顔色を蒼 白 にしてうめいている。
「このレースで優勝が決まるって意味、分かったよーな気がするわ......」
オーフェンにも分かっていた。要するに、この競技を最後、選手など残らないのだ。
だが、そんなことはどうでもいい。
「......とりあえず、ゴールに向かうしかないようだな......」
「そうね......」
ぽつりとふたりでつぶやいて、歩き出す。走る気力はなかった。
と、その横を、誰かが走り抜けていく。
「はぁーっはっはっはぁっ!」
スプリント・チームだった。四人が並んで、肩を抱き合って走っている──ひどく走りにくいのではないかという気もするのだが、それにしては非 常 識 なほどのスピードだった。
「のろいっ! のろいぞぉ、貴様らっ!」
彼らは叫びながらゴールへと走っていった。
「神の領域へ飛び込むべく我ら精 鋭 に、争う気力も持てぬかっ! 貴様らが歩いているうちに、我らは二歩は走っていくのだ──」
ぼぅんっ!
爆音とともに四人まとめて、ジオポリス・スプリント・チームは宙に散った。
それは別に、どうでもよかったのだが......
「なぁ......」
オーフェンは立ち止まり、ぽつりとコンスタンスに問いかけた。半眼で、冷や汗を垂らしながら。
「今の、ひょっとして......」
「わたしにも、そう見えたけど......」
ふたりは同時に、その答えを求めるように放送席へと視線を転じた。アナウンサーは、陽気に声を張り上げている。
『これはっ! ついに出ました──大会大道具委員二十二歳が究 極 奥 義 と公言してはばからない、必殺の地 雷 原 だぁっ!』
「どうしろっちゅうんじゃぁぁぁっ!」
声を限りに、オーフェンは絶叫 した。そしてまた──
「きゃああああっ!」
悲鳴。見ると、少し離れたコース上で、突然開いた落とし穴の中に、その他一名の選手が呑 み込まれたところだった。
ああああああああああ......──
悲鳴は長く、かすれるように響いていき──そして消える。
「ひ──」
と、これはもうひとりの名も知れぬ選手。
「いやだぁぁぁぁっ!」
悲鳴をあげながら、逃げ出していき──
またひとつ爆裂する砂柱をあげて、絶叫の中に消えた。
「............」
オーフェンはその場で、頭を抱えた。
『これはっ──これはすごいぞっ! 大会大道具委員二十二歳! あっと言う間に選手を六名も血祭りにあげましたぁっ!』
「大会大道具委員とかいうのを殺しちゃ駄 目 か......?」
「わたしが先よ」
隣 でやはり頭を抱えて、コンスタンス。
とりあえずオーフェンは、立ち上がった──グラウンドでは、まだ散発的に客席やらなにやらが、爆発を繰 り返している。また別の一角では地面から無数の竹 槍 が突き出し、また別の場所では、地面から現れた巨大なねずみ捕 りに捕 まった主婦らしき女に、小さい子供が取りすがって泣いている。
ほとんど阿 鼻 叫 喚 の光景だったが、なぜか死者は出ていないらしい。考えようによっては、大会大道具委員二十二歳とやら、ただ者でないかもしれなかった。
そんなことを考えながらオーフェンは、あごの先に手を当てた。ぶつぶつと思案する。
「どーも、本気でゴールにしか安全地帯はねえみてえだな」
見やると、周囲の惨状 から隔 絶 されているように、ゴールの旗付近はなにごとも起こっていない。平 穏 なものである。
「だが、あそこに行くには、まんべんなく敷 かれた地雷原を越えなけりゃなんねえ......」
「ど、どーすんのよ?」
うろたえたように聞いてくる彼女に、オーフェンはしごく真 面 目 な顔をすると、

「......魔術で空中浮 遊 ができる」
「ホントに⁉ 」
瞳 を輝 かせて、コンスタンスが感動の表情を見せた。胸元で手を組んで、ほとんどすり寄るように言ってくる。
「すごいじゃない! 今、このときほどあなたのこと尊敬したことってないわよ!」
「定員一名」
「え............?」
糸が一本抜けたような声で、ぽつりと聞き返してくる彼女の首根っこを、オーフェンはむんずとつかんだ。
「ていっ!」
そしてそのまま、ゴールのほうへと──つまり地雷原のただ中へと、彼女を放り捨て
る。
「っっっきゃあああああああああっ⁉ 」
「許 せ、我が友......」
爆発とともに宙へ舞う彼女を見ながら、涙をこぼしてオーフェンはつぶやいた。
『おおっ! これは、裏切りが出ました! 実に醜 い!』
「うるせえ!」
オーフェンは放送席に向かって一声叫ぶと、胸元で、手のひらを合わせた。ずっ──と意識を集中して、複雑な構成を編 みはじめる。
「我は駆 ける天の銀 嶺 ──」
ふわり、と彼の身体が、一メートルほど地上から浮かび上がる。
そのまま、なんとか安定を保ち──オーフェンは、ゴールへと進みはじめた。
おおおおお、と客席(既 に半分ほどに減っていたが)から感 嘆 の声があがる。
『これは技です! 魔術が出ましたっ!』
アナウンスを背中に聞きながら、とにかく進む──ゴールはほどなく、あと数メートルほどにまで近づいてきていた。
『すごいっ! これはすごいぞ! 特別参加選手、容 赦 なく空を飛んでおります! 大会大道具委員二十二歳の必殺の障害も、これにはどうしようもありません!』
(それほど、簡単なこっちゃねえんだけどな......)
胸中でつぶやきながら、オーフェンは必死に制 御 を続けていた──重力中和は長時間維 持 を続けることが、極端 に難しい。自分以外の人間もいっしょに浮遊させようと思えば、ものの数秒と保 たないだろう。ひとりとて、さほど長く続けられるわけでもない。
だがそれでもなんとか、オーフェンはゴールへと向かっていた。じわじわと──さほど速くは飛べない──もはや何度も爆風にあおられてよれよれになっているゴールの旗まで、あと数メートル──
が......
異変はまず、アナウンスから始まった。
『......おや?』
(............?)
オーフェンも、違 和 感 を覚える。彼は思わず、その場に停止してしまっていた。足の下には危険きわまりない地雷原が広がっている。
だが、それでも気にかかることがあった。
どどどどどどどどどど......
はるか遠くから、地鳴りのような音が聞こえてくる。
「なんだ......?」
オーフェンは、訝 しく思いながら振り返った。肩越しに、市営グラウンドの入り口のほうを見やる。刹 那 、
「ひ──」
ひきつったような声が彼ののどから漏 れた。
『おおっと、これは......砂 塵 だぁぁっ!』
叫ぶ、アナウンサー。
一直線に延 びた街道から、グラウンドの入り口へ向けて──なにやら盛大に砂埃 が舞っている。地鳴りはどうやら、足音のようだった。無数の足音が、こちらへと向かって突進してきている──
「なんじゃそら......」
オーフェンは、叫びかけた。猛 烈 なスピードで接近してくる砂煙の中には、一見して数え切れないほどの鹿 の姿が見えた。
鹿の大群が、グラウンドへと押し寄せてきているのだ。
「なんで──⁉ 」
オーフェンは、絶叫していた。
鹿の大群は、もうグラウンドへと突入している。客席を蹴散らし、そしてこちらへと──地雷原へと、押し寄せてくる。その中に、群 れの先頭を疾 駆 する、片目に刀傷のある巨大な牡 鹿 がいた。さらには、その背中にまたがっている人間がいる。
きっちりしたタキシードに、銀 髪 の若い男......
「キース⁉ 」
今度こそわけが分からなくなって、オーフェンは空中で絶句した。
鹿は、突進してくる。彼のもとへと。
「キィィィィス!」
オーフェンが叫ぶと、牡鹿に乗ったキースが、ふと気づいたように顔を上げた。鹿の群れは、地雷原を走り抜けながらも、奇 跡 的 に地雷そのものは踏 んでいないのか、平気に走っている。グラウンドの中心、こちらへとキースは妙に巧 みに鹿を操 り、てくてくと歩いてきた。
その横を、無数の鹿たちが駆け抜けていく......
「どうかなさいましたか? 黒魔術師殿 」
「ど、ど、どどどどどどど......」
オーフェンはのどをひきつらせながらも、なんとか声を絞 り出した。
「どうかもなにもっ! てめえ、なんでいきなり鹿が押し寄せてきやがるんだっ⁉ 」
「なかなか爽 快 ですよ」
「そーゆう問題かっ⁉ 」

「いや別に、単なるハプニングということで、特に意味はないんですが......」
真顔でしれっとそう言うと、キースは肩をすくめてみせた。
「ですがとりあえず、鹿に乗っているのが気に入らないのであれば、ただちに降りますので──」
言うが早いか、キースは牡鹿の背から、ぱっと飛び降りた。その瞬間、どうしようとない悪 寒 が、オーフェンの背中を突き抜ける。
「ち、ちょっと待──」
彼が制止しようとした瞬間。
鹿から飛び降りたキースの踏み抜いた地雷が、牡鹿ごと彼らふたりを吹き飛ばし──
そしてオーフェンの意識は、そこで途 切 れた......
『このレースの勝者、大会大道具委員二十二歳!』
それが──
選手が全 滅 したあとに、役員たちが下した決定だった。
グラウンドからすべての鹿を追い出したときにはもう既に騒ぎから数時間が経 ち、包 帯 だらけのオーフェンやコンスタンスたち選手が、かなり険悪な眼 差 しでちっぽけな表 彰 台 を囲んでいる。
そしてさらに周りには、ぼろぼろになった観客たち。
なぜか無傷だったアナウンサーが、表彰状と賞品目 録 (有給二週間プラス旅行券)を手に、叫んでいる。
『では大会大道具委員さん、どーぞ!』
「殺してやる......」
包帯の奥で、オーフェンがぽつりとつぶやくのを、恐らくコンスタンスは聞いていただろうが、止めてはこなかった。
そして──
「はいっ!」
威 勢 よく返事があがる。大会大道具委員二十二歳なる人物は、元気に観客たちの中から進み出てきた。
注目の中、姿勢も美しくひとりの男が表彰台に上る──
「............」
オーフェンは無言だった。ついでに言えば、予測していたことでもある。
表彰台の上で、にこやかに表彰状を受け取るキースに向けて、オーフェンほか選手一同、黙 って足 下 から石を拾い上げた。
かくして──
トトカンタ市警・春の大運動会、最後にして渾 身 の競技が始まる......
(明日 があると思うなよ!:おわり)


「もう終わりね......わたしたち」
コンスタンスが、じっとこちらを見つめている。
「その言葉を聞きたくはなかったよ」
オーフェンは嘆 息 まじりに、彼女を見返した。
「どちらかが言わなければならないのよ。分かるでしょう?」
暗がりの中で、彼女の目は輝 いている──ただし絶望的で、控 えめな光。コンスタンスの肩が、落ち込むように揺 れていた。
「......そうやって責任を果たそうとするから、みんな生きることがつらくなっていく」
オーフェンは、ただ見つめ返すだけだった。彼女の目を──そして、その瞳 が語ろうとしていることを悟 ってしまった今、ほかになにもできることはない。
「でも誰 もが大人 になっていくんですもの。わたしだって──」
コンスタンスは無言で、自分の財 布 を取り上げてみせた──そして、ふたを開けたまま逆さに振 る。
瞳はいまだ悲しげなまま。
「君が子供のままだったら、ぼくが守ってやれたんだ」
オーフェンは、客席に座ったまま──今さらという気もしたが──そっぽを向いて他人のふりをした。
「でも、子供のままあなたを愛することなんてできない!」
だが、コンスタンスはあくまであきらめないようだった──背後から、ぐわしとこちらの後頭部をつかむと、渾 身 の力を込めて、顔を後ろに向かせる。
「愛が君を大人にした? 違うね」
振り向かされた先には顔をひきつらせたコンスタンスが待っていた。空 の財布を片手に。
「何が違うというの?」
オーフェンは再びため息をつくと、ポケットから財布を出し、彼女にほうってやった。
「愛は君を変えただけだ」
財布を受け取り──左右の手にそれぞれ財布を持って、気づいたのは一瞬 のことだったろう。いったいどちらが軽いのか。
コンスタンスの表情が、さらにひきつる。

その後ろで、彼女にジュースを渡した売り子の顔が、それ以上にひきつりまくっている。
「そんな残 酷 なことは聞きたくない!」
舞台の上の女優のせりふは、もうほとんどヒステリックなほど高まっていた。大仰 にプラチナブロンドの頭(カツラだろう、無論)を抱 えて絶 叫 するそのヒロインを、オーフェンは──コンスタンスを無視して──ぼんやりと眺 めている。
「ぼくらはよく似ているんだ!」
男優の声 音 はもう少し控えめだったが、それでも彼は、泣いていることを表したいのだろう、大げさな身振りで顔を撫 でるように腕を振ってみせた。
オーフェンは大きく息を吸った。
コンスタンスも、すうっと胸を膨 らませているのが分かる。
舞台の上のふたりも、ひしと抱き合って、最後のせりふを発するべく呼吸を整えている。
が──
「なんでいっつも文 無 しなのよ!」
「それは俺 のせりふだろーがっ!」
その場に響 きわたったせりふは、客席のふたりのものだった......
「ったく、もー......」
「追い出されちまったじゃねーか......」
数分後、ふたりは劇場のすぐ外にいた。背後のチケット売り場では、学生らしき女が暇 そうに雑誌を眺めている。
通りには、人通りも多い──トトカンタ市で有名な街 道 というのはいくつもあるが、ここはハーサン・ストリート、四十八人の初代議員らの名前を冠 した大通りのひとつである。これと平行する街道は二十四ある(そして交差するものがもう二十四。合計で四十八)わけだが、これはそれらの中で最も開けた街道だといわれている。いわゆる商店街とも少し違うが、店 舗 は実際かなり立ち並んでいる。ほかにも図書館などの市営施 設 もあり、そして、劇場 などもあったりする。
そしてオーフェンたちふたりは、その劇場の前に立っているわけだった。
コンスタンスは拗 ねた目つきで──ジュースのコップを片手に、こちらを見 据 えてきた。
「あなたのせいでしょ」
「なんでだよ」
オーフェンも、憮 然 と言い返す。彼女は、はあ、といかにも情けなさそうな仕草でため息をつくと、続けてきた。
「まさかジュース代も払 えないほど困窮 してるとは思わなかったわ、ホント」
「それは、てめえも同じだろーがっ!」
オーフェンは、正面から怒 鳴 り返した──が、コンスタンスも再び言い返してくる。
「私は小 銭 がなかっただけよ!」
その叫 び声に、かなり多くの通りすがりたちが足を止めてこちらを見やる──それに気づいてオーフェンは、さっと彼女から視線をそらし、咳 払 いして他人を装 った。彼女も似たような形で、ごまかすようにそっぽを向いている。なんにしろ、それだけで人混 みは以前と同じように流れを再開させた。
「............」
しばし、待つ──一分ほどか。オーフェンは視線をそらしたまま、小声で彼女につぶやいた。
「なんにしろ、これからどうするんだよ」
「続けるわよ。決まってるでしょ──」
コンスタンスも小声で、だがきっぱりと告げてくる──横目で見やると、彼女は拳 を握 って断言した。
「今度の任務は特別なんだから!」
盗 賊 という人種がある。
職業ではない──仕事ではないからだ。もっとも、分類学上の種 とも呼べまい。だが、どうしたところで、そういう人種としか呼びようがないのも事実だった。
その盗賊にも種類がある。街道で旅人やら輸送馬車やらを狙 う野盗や、富 豪 の屋 敷 などから貴重品やら金品を盗み出す、いわば怪盗──だが、それら泥 臭 い連中とは少し趣 が異なるのが、都市盗賊というものである。
巧妙 に法の盲 点 を突くような詐 欺 じみた商売や、もっと単純に物 乞 いの組合を組 織 したりもしている。その摘 発 は極 めて難 しい。
「──そのひとつが、この劇場を隠 れ蓑 にして活動しているというわけよ」
ぽつりと──だがきっぱりと、コンスタンスが独 りごちるのが聞こえてくる。その横で、オーフェンは陰 鬱 にため息を漏 らした。
「なんだかなあ」
ふたりはあれから場所を少し移動して──例の劇場の、裏手の路 地 に入り込んでいた。劇場の勝 手 口 がある路地の、少し手前の曲がり角に身を潜 め、じっと張り込みである。
とはいえ実質は、単に立ちっぱなしでぼーっとしているだけなのだから、はっきり言えば退 屈 この上ない。オーフェンは不満を隠しもせずに、ぶつぶつと続けた。
「それはそれとして、なんで俺が手伝わなけりゃなんねえんだ......?」
「──なに言ってるのよ⁉ 」
小声で、コンスタンスが驚愕 の声をあげた──実は勝手口と思 しきその出入り口の前に、見張りの男がふたり、立っているのである。彼らに聞かれないように、彼女はさらに声をひそめた。
「公序良俗を乱し、世間に暗い影を蔓 延 させる卑 劣 な犯 罪 組織! 街に人が住めば、その吐 く息はよどんでいる──これは事実だけど、みんな努力して排 除 すれば、いつかきっと──」
ぎゅ、と拳を握って、断言する彼女に──オーフェンは横目で視線をやりながら、なにげない口 調 で聞いてみた。
「だから、なんで俺なんだ?」
「だって、あなたみたいにタダで手伝ってくれるような奇特な人って、ほかにいないんだもの」
後ろ頭に手を当て、照れるようにそう口走ってから──コンスタンスの動きが止まる。
「............」
冷や汗のようなものを垂 らして硬直 している彼女に、オーフェンは続けて聞いた。
「......今の発言に対して弁明はあるか?」
「あのね......昨日 部長に呼び出されてね、あのむっつり詐 欺 師 、さも嬉 しそーに、次に失敗したらあごをたたき折るぞって......こーなったらあなたに頼 るしか......」
「あっそ」
「ああっ、おねーさんを見捨てないでっ!」
オーフェンは薄情 な声を出すと、そのままさっさとその場を立ち去ろうとしたが──背後からコンスタンスが、ベルトをつかんで引き留めていた。
それでも無視して、彼女を引きずるようにしながらオーフェンは歩き続けた。
「知らん。帰ってバイトでもする。今月は厳 しいんだ」
「どーせあんたは、いつだって厳しいじゃないっ!」
コンスタンスはベルトをつかんで引きずられたまま、ふるふると首を左右に振り回した。
それを見下ろしながら──
「だから今日こそは帰るっ!」
「いやぁぁぁぁっ! あごを折られるのはいやーっ!」
ひとしきり、駄 々 っ子 のような叫び声をあげるコンスタンスを、五メートルほどひきずってから──オーフェンは、ぴたと足を止めた。考え込むように、腕を組む。
「そうだな......」
と、独りごちる。
その一言で、コンスタンスは光明 を見たような表情に変わった。ぱっと顔色を明るくして、顔を上げる。
「オ......オーフェン?」
きらきらと双 眸 を輝 かせ、彼女。
「そ、そーよね。いつだって、なんだかんだ言って手助けしてくれたものね」
「............」
オーフェンは答えずにただ腕組みを続けた。
コンスタンスが、ふらふらと立ち上がりながら続ける。
「わたしは分かってるわ──それに信じてる。あなたって絶対、困っている友達を見捨てたりはできない人よ。そりゃ、人には目つきが悪いだの性格も悪いだの言われていてもね。ほかにも言 葉 遣 いも最悪で、もちろん素 行 も残 忍 、考えることも腹汚いったらないし、凶 悪 ・暴 悪 ・陰 険 ・邪 悪 ・悪 辣 ・陋 劣 ・極 悪 ・獣心 、ここまでそろえばそーゆー名前の八つの星が降 りてきて、勇者にひとつずつ宿るんじゃないかってくらい──」

「帰る」
「あああああっ! なんでぇぇぇっ⁉ 」
再び、彼女を引きずって歩き出す。と──
「お願い! オーフェン、ちょっとだけ聞いてみて! あのね──これが最後なのっ!」
(............?)
いつもなら、いつもの戯 言 と聞き流しただろうが──
彼女の言葉に込められていた、いつにない調子にふと気づいて、オーフェンは思わず立ち止まっていた。と同時に、コンスタンスも手を離して自分の足で立ち上がる。
彼女はじっと、こちらを見つめていた。その口が、控 えめに開く。
「ダイアン部長が約束してくれたの。今度の任務に成功したら、本部勤 務 に配 属 換 えしてくれるって」
「............」
「だから......あの、最近思ってたの。わたし、外勤が性 に合ってないんじゃないかって。だから、そろそろ──クビにされる前に、自分から配置換えをね、頼 もうって......」
彼女は口の中でもごもごとそう言いながら──鼻の下を指でこすった。ぐす、と鼻を鳴らしてから、また続ける。
「でも──あの、分かるでしょ? あなたには言い出せなかったの。本部勤務になったら、わたし......」
彼女の言いたいことは分かりすぎるほど分かる。
はっきりと。ただ一言をもって。
頭の中に、燦 然 と輝くほど──理解できていた。
「............」
オーフェンは無言で、彼女を見下ろしていた。彼女はもう、こちらの顔を見てはいない。少しうつむいて、斜 め下を見るようにしている。前 髪 がかかって、表情は半分隠れていた......
──刹 那 。
「誰だ、てめえらはっ⁉ 」
彼らのいる路地に、誰 何 の声が響く。はっと顔を上げると、さっきの勝手口に立っていた見張りふたりが、わざわざこちらまで見回りに来たらしい──もっとも、これだけ大 騒 ぎしていれば、気づきもするだろうが。
「......しまった!」
というのは、コンスタンスの声──彼女は舌打ちするとともに、スーツのポケットに入っているダーツを取り出そうと身をよじったが──それよりも、オーフェンが動くほうが早い。
「我 は放つ光の白 刃 っ!」
オーフェンの放った光熱波は、炸 裂 音 とともに見張りたちの足下に突き刺さった。爆音と熱風が、男ふたりを簡単に吹き飛ばす──
一瞬後、路地に小さな爆発跡 を残して、見張りふたりはあっさりと悶 絶 していた。
「............」
ダーツを片手に、ぽかんとコンスタンスが固まっている──その彼女に、オーフェンは静かに聞いた。
静かに、だがきっぱりと。
「......手が切れるんだな?」
「......え?」
聞き返してくる彼女に、オーフェンは、ふっふっ......と笑 みを漏 らすと、燃え上がる瞳をしっかと向けた。ぎょっとしたように、彼女が後 退 りするが、それには構 わずに肩をつかまえる。
「本部勤務になれば、てめえはいなくなって──俺の生活が平和になるんだな⁉ 」
「え? あ、いや──あの、ええと......」
困 惑 したようにうめくコンスタンス。オーフェンは、ばっと手を離すと、路地をあともどりしはじめた──例の勝手口のある路地に続く方向へと。
歩きながら続ける。ばきぼきと指を鳴らして──
「ふっふっ......このヤマ、俺に任 せまくるがよかろう」
「......なんか釈然 としないけど......協力してくれてありがと......」
彼女の声がなぜだか冷たくなっているようではあったが、とにかくこうして、捜 索 は開始されたのだった。
「我は放つ光の白刃っ!」
かっ──!
警 棒 を持った男を、白い閃 光 が撫 で切りする。命中すれば岩をも破 壊 するような熱衝 撃 波 である。無論手 加 減 はしているが、それでも文句なく見張りは気絶したようだった。黒こげになって倒れる男を見下ろして──
満足の笑みを浮かべながら、オーフェンはつぶやいた。
「これで五人目、と」
「......あのー......」
後ろから、コンスタンスが声をかけてくる。
なにか冷や汗のようなものを垂らしながら、
「出てきた人を見る端 からぶち倒していって──なんか、えらくとんでもないことをやってるよーな気がするんだけど......」
「ふっ......」
オーフェンは気にせずに、髪をかき上げて答えた。
「今日の俺は燃えまくっている」
「えーと......」
なにか腑 に落ちないような眼 差 しを彼女が返してきているが、この際どうでもいい。オーフェンはとにかく、奥に向かって視線を這 わせた。
勝手口から入り込んで、そんなには歩いていない──そもそもこの劇場自体、さほどの広さではないのだ。劇場にカムフラージュされた都市盗賊のアジトに潜入 して、犯罪の確 証 を得る。任務はようするに、そういうことなのだが、捜 査 すべき建物の中から客席や舞台など、一般人の目に触 れるところを除 外 すれば、舞台裏と控え室、あるいは舞台装置用の機械室くらいしか残っていない。適当に敵をはり倒しながら進んでも、致命的なことになる前にすぐに見て回れるだろうというのが、オーフェンの目算だった。
「──と、いうわけだ」
「なんだかよく分かんないけど......」
半眼になって、コンスタンス。
「これが最後の任務だから、好き勝手にやっちゃろう、とか思ってない?」
「思ってない。幸せを手に入れるために全力を尽 くしてるだけだ」
「............」
あとは無言で、ふたりとも奥へと進んでいく。と。通路にばたばたと足音が響き──曲がり角から、数人の男たちが飛び出してくる。各 々 武装しているところを見れば、用 心 棒 の類 なのだろうが。
「て、てめえら! なんのつもり──」
「我は呼ぶ破裂の姉妹っ!」
彼らのせりふが終わる前に、オーフェンの放った衝撃波は通路の壁 ごと男たちの大半を
吹き飛ばしていた。
「んなっ......!」
一撃で仲間が倒れるのを見て──ひとりだけ残った男が、蒼 白 になって声をあげる。
「ま、魔術士⁉ 」
「そーだよ」
オーフェンは素 っ気 なく告げると、男のほうに素早く詰 め寄り──男の膝頭 に蹴 りを放った。とっさに身をかわし、男は、うろたえた様 子 で目をぱちくりさせる。
「そんな......くそっ!」
毒づくと、くるりときびすを返し、通路を駆 けもどっていく。
あえて追いかけはせずに数秒待ち──足音が少し遠ざかってからオーフェンはコンスタンスのほうに顔だけ向き直った。うなずいて、告げる。
「ようし......あいつを追えば、ボスのところに行き着くだろ」
が、コンスタンスはどうも、気が乗らない様子だった。
「ねえ、オーフェン......」
と、困ったような顔を見せる。
「あんた?」
聞くと、彼女は不安げに、
「その......ここのボスのところに行って、どーする気なの?」
「ふっ──」
オーフェンは、ぐっと拳を握り目を閉じた。
「決まってんだろ。証 拠 探しなんてまだるっこしい真 似 はやめて、ボスの首根っこつかまえてとっちめるんだよ」
「あの......わたし、今日のところは潜入調査だけのつもりで......」
「平 穏 は早く手に入れるべーしっ!」
「............」
拳を天井 に突き上げてポーズを取り、そう叫んでから数秒──コンスタンスが世にも冷たい視線でこちらを見ていることにふと気づき、オーフェンは、あわてて拳を引っ込めた。あさってのほうを向いて、言い直す。
「あ──いや、ほら、だから。悪い奴 らは早めに警察の拷 問 部屋に送り込もうと、そー言いたかったわけで......」
「ないわよ。拷問部屋なんて」
「ま、まー、細かいことはどうでもいいじゃねえか。それより、ほれ、早く追いかけないとさっきの奴、見失っちまうぞ」
「じゃあ、行きましょうか......」
コンスタンスはそう言ってとりあえず納 得 したようではあったが、それでもなにやらぶつぶつとこぼしていた。あえて聞かずに口 笛 など吹きながら、先ほど男が逃げていったほうへと、通路を進んでいく。
劇場の通路は、どこでもそうだろうが、決して広くない。しかも照明もろくになく、床 板 が古くなってあちこちめくれ上がっているため、歩きづらいことこの上なかった。それでも多少速足になって進みながら、オーフェンは彼女に聞いてみた。
「ところでコギー、ここの間取りとか、調べてあんのか?」
「ないこともないけど......」
彼女はさっきの延長か、また少し拗 ねたような様子で懐 からメモを取り出した。それを開いて、読み上げる。
「さっき見た入場口と客席、舞台は除外するけど、ちょうどその舞台の下が地下の掘 り下げになっていて、機械室があるわ。舞台の後ろに舞台裏があって、控え室とか事務室なんかもそのあたり。炊 事 場 もね。舞台裏に大きな裏門があって、そこから大道具なんかを搬 入 するみたい」
「この通路につながってるのが、その舞台裏だろ?」
「そうね。舞台裏が、劇場全体の中心になってるみたい。そこからなら、どこにでも行けるのよ──天井裏にもね」
「天井裏?」
「採光のための天 窓 を開閉する装置があるの。それは天井裏の部屋で操 作 するわけ。設計者に図面も見せてもらったから、間違いないと思うわよ」
「......そんなかで怪 しそうな場所は──あ、そーいや聞くの忘 れてたけどよ、ここの連中にかかってる嫌 疑 って、なんなんだ?」
それによって、そもそも見つけ出さなければならないものが違ってくる。オーフェンが聞くと、彼女は少し考えてから答えた。
「密 輸 かしら。ほかにもあるけど、罪状 としてはそれが一番大きいわね」
「密輸、か......」
うめきながら、オーフェンは歩みを再開した。コンスタンスも少し遅れてついてくる。
密輸ならば、どこかにその密輸品が隠されているはずである。それを見つければいい。あるいは、品物そのものがなくとも、取引の記録が残っているはずだ。
力ずくでボスを捕 まえるにしても、犯罪の証拠は必要だった。シラを切られておしまいでは、なんの意味もない。
速足になって歩きながら、考える。
(密輸品を隠しているとするなら、天井裏か地下......記録なら、事務室だろうな)
が、密輸品などを自分の膝 元 に隠しているかどうかは疑問ではある。貸倉庫ならいくらでもあるのだから。しかも、仮にここに隠すことにしているのだとしても、ちょうど昨晩運び出したばかりでしたなどということになれば、それまでの話である。
とはいえ記録を探すにしても、危険な記録をそう簡単な場所に隠す道理もない。
そのどちらに賭 けるかだ──密輸品がここにあれば、発見はたやすかろう。逆に記録ならばほぼ確実に手元にあるだろうが、発見は極 めて難しい。胸中でコインを投げながら、オーフェンは口を開いた。
「にしても......また聞き忘れたな。密輸って、なにを密輸したんだ?」
「美術品の類 らしいけど......未登録の出土品。だから派 遣 警察に任務が回ってきたのよ」
大陸の各所に遺 されている遺 跡 は、基本的には王都の貴族連盟の所有になっている。それに対する反逆であるから、市街警察ではなく彼女の任務となったわけだった。
だが、魔 術 の品だというのならばともかく、ただの美術品では、それが遺跡から出土されたものなのかどうかを確かめる術 は、オーフェンにはなかった。とにかく、一目で見 抜 けるほどの知識はない。
「となれば事務室を当たるほうが無 難 だな」
と、足をそちらに向ける。
通路はさほど長くもなかった。ただせまいため、長いように錯 覚 する。一度は引き離されたが、さっき逃げていった男の足音は、なんとか聞き取っていた。彼もまっすぐ、事務室のほうへと向かっている──となるとそこに、ボスもいるということだが。
「よし。手順を決めよう。事務室に行く。ノックする。扉 を蹴破る。手下を見つける。手下を叩 きのめす。ボスの鎖 骨 でも折ってやって、取引記録を差し出させる。そして幸せになる。これで完全だな」
「今回はやけに協力的ね、あんた......」
そう言う彼女の冷たい視線もものともせずに、オーフェンはびしと親指を立てると、
「幸福になるのは大好きだぞ」
「なんでわたしがいなくなると幸福なの」
「......どーしても聞きたいと言うんなら、言うぞ。克 明 に」
「いえやめてお願い」
顔をあさってに向けて、彼女。オーフェンはなおも彼女になにか言おうとしたのだが、ちょうどそのときに、扉が見えた。通路の突き当たりに──白い扉。プレートには一言、
『事務室』......
「ここか」
オーフェンは立ち止まると、息を吸った。コンスタンスもまた足を止め、スーツのポケットからダーツを数本取り出し、構える。
「さっきの手順で行くぞ」
確認すると、彼女はうなずいてみせた。
オーフェンは再び、息を吸って目を閉じた──拳を振り上げ、扉に向かう。
そして、声をあげる。
「事務室に着いた! ノックした! 扉を蹴破った!」
がん! げん!──
叫ぶと同時に振り下ろした拳が扉の上半分を打ち壊し、蹴り上げたつま先が完全に木の扉を蹴り飛ばす。
扉を蹴破り部屋に押し入り、見回せば数人の男が待ちかまえている。
だがオーフェンは気にせずに叫んだ。
「手下を見つけた! 手下を叩きのめした!」
二言目を呪 文 として、魔術を発動させる。爆裂する衝撃波はあっさりと男たちを打ち倒した。
くるりと向き直ると、部屋の奥に、中年の男──

「そして! ボスの鎖骨を──」
「ちょっと待てぇぇぇぇぇいっ!」
その中年の男が、半泣きになって叫ぶ──
オーフェンは、腕を振り上げた姿勢で、ぴたりと止まった。
「この期 に及 んで命 乞 いか⁉ てめぇもボスなら、俺の予定通り潔 く鎖骨を折られろ!」
「やだわい、そんなもの!」
男は顔の大きさのわりに小さい金 縁 の眼鏡 の位置を直しながら、事務室の机の後ろにこそこそと身を潜めた。
「だいたい、貴様らはなんなんだ! いきなり押し入ってきて、うちのスタッフに暴行を加えるわ物は壊すわっ!」
「俺は幸せのために鬼 になると誓 った男!」
「全然わけが分からんわっ!」
「あー、えーと、だから......」
と、困ったように横から顔を出したのは、コンスタンスである──のろのろと前に出て、懐からバッジを取り出すと、
「王立治安警察隊、派遣警察官のコンスタンス・マギーよ。あなたを、業務上密輸罪の容疑で逮 捕 します!」
「な──なにっ⁉ 」
あからさまに、動 揺 する男。
それを見据えながら──ふっふっと笑みを浮かべ、オーフェンは続けた。
「そーだ。お前の鎖骨が折れて証拠品を押収 すれば、俺の生活が平穏になるのだ」
「なんで鎖骨にこだわるのよ」
その問いはとりあえず無視して、オーフェンはひとりでうなずいた。
「ああ......夢にまで見た平穏な生活......」
「あんたのその態度が、しっくりこないんだけど、わたし......」
疲 れたように、コンスタンスがぼやく。と──いきなり、男が笑い声をあげた。
「ふっ──は! ははははははは!」
男は机の陰から身を乗り出すと、こちらを指さして大笑した。
「なんだ──貴様ら! なにかと思えば! まだなんの証拠品も押収していないのだな!とんだ警察官だ。ここはただの劇場だ──わたしの経営する、な! わたしはなにもやっていないのに、貴様らは我々に暴行を加えた! 貴様らこそ法廷に突き出してやる!」
と、男は手を振り回した──そして、その手が最終的に指し示したのは、事務所の奥にひっそりついている扉である。奥にも部屋があるらしい。
その扉に向かって、彼が叫んだ。
「先生! お願いします!」
「どぉぉぉぉれぇぇぇぇい」
がちゃ、と扉が開き、中から剣を肩にかついだ、すらっとした男が姿を現した。
いや、すらっとしている──というよりも、やせ細っているというほうが的確か。ばらばらに長く伸 びた髪。こけたほおには刀傷。目を縁 取 るような隈 は、紫 色に変色している。ふらっとした動作だが、眼光に隙 がない。
「ほほう......」
オーフェンは、少し声のトーンを落とした──機 嫌 を損 ねたように。
「この俺の幸福にケチをつけようとは、いい度 胸 だ」
「そーゆう問題じゃないと思うんだけど」
これは、コンスタンス。早くもビビって、こちらの背後に隠れようとしている。
オーフェンは身構えながら、新たに現れた『先生』なる男をにらみ据えた。
「用心棒、ってわけだ。ただの劇場主が聞いて呆 れるな」
「いえ、わたくしはパーソリック様の顧 問 弁 護 士 です。弁護士先生、てことですね」

............
目の前の男の口から出てきた言葉に、一瞬、オーフェンは声を失った。
だが、なんとか気を取り直して指を上げる。
「その......剣はなんだ?」
「ああ、これですか」
顧問弁護士とやらは、かついでいる剣を手に持つと、柄 の先端をなにやらいじった。かち、という音とともに、剣先になにかとがったものが飛び出す。
「ボールペンです」
「なんじゃそりゃぁぁぁっ!」
「土産 物 屋 で売っていたのです」
「どこのだ、どこのっ⁉ 」
オーフェンがわめいていると、金 縁 眼鏡 の男──パーソリックとか言っていたか。彼が、得意げにまた笑う。
「ふっふっ。この彼の独特の雰 囲 気 が、法廷で支持されるのだよ」
「きっぱりと法廷侮 辱 罪だと思うぞ」
「そうでも、ないんですね」
自信たっぷりにそう言ってきたのは──弁護士のほうだった。がちゃん、と床に剣(いやボールペン)を捨て、肩をすくめる。
「例 えるのにちょうど良かったんで持ってきたんですよ。ようするに──こういった示 威 行 為 の直後の自白が証拠になることはあり得ないので言ってしまいますが──、どんなものでもカムフラージュは可能なのです」
「わたしたちには、証拠は探し出せないと言いたいわけ?」
慎重 な声音で、コンスタンス。弁護士は彼女のほうを向いて、口の端を上げた。
「そういうことです」
「やってみなくちゃ分からないわよ」
彼女がすごむが、弁護士は退 かない──まあもともと、大した迫 力 があったわけでもないが。
「あなたがたには無理です」
「じゃあヒントを」
さりげなく聞いたオーフェンの一言に、弁護士は鼻高々に答えてきた。
「ここが劇場だということを考 慮 に入れてください」
「分かった」
「なぜしゃべるぅぅぅぅっ⁉ 」
悲鳴をあげたのは、パーソリックである。弁護士につかみかかり、がくがく振り回しながら、
「パーかお前はっ⁉ しゃべってどーする⁉ しゃべってどぉするぅぅっ⁉ 」
「い──いや、待って! 待ってくださいミスター・パーソリック!」
頭を振り回され、がちがち舌を嚙 みながら弁護士が弁明した。
「ど、どーせ分かりませんって! わたしたちふたりで、何年も考えてカムフラージュしたんじゃありませんか!」
「......そーだよなぁ」
そのふたりをはたから眺 めながら、オーフェンは頭をかいた。正直なところ、大したことが思い浮かばない。
「ンな簡単なところに隠してあるわけがねえもんな。美術品だからって大道具や小道具に加工して隠したり──」
「取引の記録は全部、記憶力のいい役者に大金つかませて覚 えさせてるとか、そんなわけないしねー」
「う〜ん......って」
考え込みながら、オーフェンはふと気づいて顔を上げた。パーソリックと弁護士が、蒼 白 になってあんぐりと大口を開けている。
「き──貴様、なぜ......⁉ 」
「なんてことだ......我々の計画が漏 洩 していたというのか⁉ 」
「馬 鹿 か、お前ら......」
半眼になってオーフェンがつぶやく。と、コンスタンスが誇 らしげに前に出てきた。
「悪は結局、小さなことでつまずいて自 滅 するのよ!」
ふたりにバッジを突きつけながら続ける。
「さあ! お縄 をちょうだいしなさい!」
「くそ──そんな馬鹿な!」
弁護士は毒づくと、悪あがきをするように、声をあらげた。
「そうだ! 令状は持っているのか⁉ 」
「ねーわけねーだろーが! よーし、コギー、令状を見せてやれ!」
「......ないわよ、そんなの」
彼女の声は、かなりあっさりとしていた。
「............」
長い沈 黙 。そして、理由のない重量が脳天にかかる。その重さに首を押さえつけられて──首を傾 げて、オーフェンは声をあげた。
「......はぁ?」
裏声になっている。コンスタンスは、静かに続けた。
「だから、張り込みしてたんじゃない」
「............」
「......やっぱり......ないとまずいの?」
「........................」
オーフェンは音を立てずに、その場に倒れた。天井と、こちらを見下ろすコンスタンスの顔が見える。
いつの間にか淡 々 と、部屋に声が響いた──教典でも読むような。厳粛 で厳 かで、しかも勝ち誇 った弁護士の声。
「あなたがたは以下の理由によって、我々に告 訴 されます。不 法 侵 入 。武力示威行為。暴力行為。破壊行為。恐喝 に名 誉 毀 損 ──」
声はまだまだ続くようではあった。ただオーフェンは、もう聞いてはいなかった。
翌日──
本部に出頭したコンスタンスを待っていたのは、ダイアン・ブンクト部長刑事の温 かい笑顔だった。
「──というわけで部長、悪いのは全部、あの目つきが悪くて性格も悪くて言葉遣いも最悪、もちろん素行も残忍、考えることも腹汚いったらなくて、凶悪・暴悪・陰険・邪悪、悪辣・陋劣・極悪・獣心、ここまでそろえばそーゆう名前の八つの星が降りてきて、勇者にひとつずつ宿るんじゃないか的な、とある民間人なんです」
「なるほどな」
彼は優 しく、うなずいた。
そして沈黙。笑顔のままの沈黙。
コンスタンスもしばらくは凍 り付いたようにそこに立ち尽 くしていたが──やがて、口を開いた。
「──だと......思います」
「なるほど」
「............」
「............」
「だといいなぁ、なんて思ったりなんかもして、あるいはそうならざるを──ええと、その......」
「ああ、ところで、コンスタンス三等官」
彼は静かに手をかざして遮 ると、机の上にのっている謎 の機械を取り上げた。
「これはわたしが昨晩寝ずに開発した、新式のあごの骨砕 き機なのだが......」
「ひどいと思わないひどいと思わない⁉ 」
いつもの食堂のテーブルに突 っ伏 して泣きながら、コンスタンスは大声でわめいていた。
「部長ったらわたしのこと、ザ・天井知らず馬鹿とか黒ずんだ消しゴムの次くらいには役に立ってみせろとかさんざんこき下ろして、鉛 筆 の削 りカスを背中に入れたりするのよ! しかもそのあとの蹴り方はヤクザだったわ! ちょっと失敗しただけなのに!」
その蹴られたままなのだろう──どこかぼろぼろになった彼女を見下ろしているのは、三人である。オーフェンと、タキシード姿のキース。ついでに、コンスタンスの妹のボニー。バイト中ではないので、普段着だが。
「ちょっとか、あれが......?」
オーフェンは半眼になって、うなり声をあげた──彼とて別に、無傷ではない。なにやら薄 汚 れて、髪もぼさぼさになっている。
「なによっ!」
がば、とコンスタンスが起き上がった。
「あなたが全部悪いんでしょー! ずるいわよ! ちゃんと部長に蹴られなさい!」
「留 置 場 に一晩も入れられたわい!」
そのせいで薄汚れているのだが、となりでボニーが、濡 れタオルで革 ジャケットの汚れを拭 いてくれている。できれば水で拭くのはやめてほしかったが、言ってもきかないのであきらめていた。
オーフェンは、ばんばんとテーブルをたたくと、
「保 釈 金 を払わされたんだぞ! いや、払ってねーけど、ツケにされたんだ! 平穏な生活を手に入れようとして、借金させられてどーするっ⁉ 」
「わたしだって減 俸 よっ! げんぽー! せっかく今までたまってた減俸の期間が残り一年を切ってたのに!」
「普通はンなもんはたまらねえんだ! 無能! 無能警官!」
「あなたに言われたくないわよっ!」
「────っ!」
「──っ!」
と......
喧 々 囂 々 続く同じテーブルで、茶などすすりながら、キースがつぶやく。
「......ま、当分はこのまま進歩もなし、てところですかね」
誰も聞いていない。いや、食堂の奥のカウンターでグラスを磨 いている亭 主 が、にやりと笑うのが見えた気がした。
(さよならなんて言わねえぜ!:おわり)


「大変ですわぁぁぁっ!」
という声がきこえてきて──
オーフェンは、席を立った。いつもの宿、いつもの食堂である。奥のテーブルに陣取り、食欲もないままつついていた冷肉のサラダを、向かいでスーツにパスタのソースを落とさないよう、慎重 に食べているコンスタンスのほうへと押しやる。
「くれるの?」
問いかけてくる彼女に、オーフェンはうなずいた。黒ずくめの格 好 をした、どこか皮 肉 げな男。彼は一言、彼女に言った。
「俺 は出かけてると言えよ」
コンスタンスは無言のまま、フォークをくわえて、うなずいてみせた。
食堂にいるのは、彼らだけである。カウンターにいつもいる宿の亭 主 も、今はいない。一度厨房 に引っ込むと、店が爆 破 されでもしない限りは顔を出さないのである。
「大変ですわぁぁっ!」
声が再び響 く。
オーフェンは椅 子 を蹴 ると、素早く二階の客室へと続く階段を駆け上った。階段を上りきると扉 があり、そこから客室の扉が並ぶ廊 下 へと続いている。彼は扉を開け、転がり込むようにその扉の向こう側へと身を潜 めた。ぱたん、と扉を閉めると同時──
食堂に、誰 かが入ってきたようだった。
「オーフェン様、大変......」
と、その声──女の声だ──が、驚 いたように途 切 れる。
「オーフェン様いらっしゃらないの? コギー姉様」
声が彼女に問いかけると、コンスタンスの声があっさりと答えるのが聞こえた。
「出かけたわよ」
それを聞きながら、オーフェンはほっと安 堵 の吐 息 を漏 らした──が、すぐさまコンスタンスがあとを続ける。
「二階にね」
ぶッ──
と吹き出して、オーフェンは両手をわななかせた。
(あンの、クソアマ......!)
声には出さずに毒づく。が、そんなことをしている間にも、例の声の主が階段を上ってくる足音が響いた。ぱたぱたと軽く。
「オーフェン様ぁ、大変なんですわよ」
間 延 びした声で呼びながら、声の主が近づいてくる。オーフェンは覚 悟 を決めながら、いったん扉から離れた。再び扉へと向き直りながら、右手を掲 げ、意識を集中する──
やがて足音が止まる。扉の前に、声の主が立ち止まったのだろう。やがてノブが回り──静かに扉が、開け放たれる。
開いた扉の向こう側に、ほっそりとした白い人 影 が見えたような気がした。白いのは、その女の着ているひらひらとしたドレスである。その白いひらひらに向けて──というわけではないが、オーフェンは叫 んでいた。
「我 は呼ぶ破 裂 の姉妹!」
唱 えると同時、衝 撃 波 が、前方の空間へと放たれる。もとより衝撃波が見えるはずもないが、その気 配 が標的 へと収束 していくのは確実に見えた。そして──
ごわぁん。
あまり気の入っていない間 抜 けな音を立てて、その人影が、手にした巨大な鉄 鍋 で衝撃波を跳 ね返す。
「な......⁉ ⁉ ⁉ ⁉ ⁉ ......」
わけが分からなくなり、オーフェンは混乱して目を白黒させた。
無論のこと、今の魔術は手 加 減 はしていた──が、だからといって鍋で弾 き返されてしまうほど悲しい術を放ったりはしない。
「な......な......」
馬 鹿 みたいに──と我ながら思いつつ──口をぱくぱくさせて、その女を見やる。が、彼女は別段変わったことをした自覚もないようで、人当たりの良さそうな笑 顔 を浮 かべながら言ってきた。鍋をわきに捨てながら、
「ご機 嫌 うるわしゅうございますわ、オーフェン様♥ このごろは良いお天気続きで、お洗 濯 物 もいい香 りになるんですのよ──」
「て、ちょっと待てぇぇぇっ!」
オーフェンは叫びつつ、その女が捨てた鍋を拾い上げた。それを抱 えて彼女に詰 め寄る。
ボニー・マギー──コンスタンスの妹である。栗 色 の髪 を伸 ばして、ほうっておけばそのうち風に飛ばされて迷 子 にでもなりそうな、ひどく根性 のない表情をしている。

その表情が、目をぱちくりさせた。
「お洗濯なさらないのですか?」
「違ぁぁぁぁっ!」
オーフェンはわめき声をあげると──彼女のほうに詰め寄っていった。
「なんでだ⁉ どーして俺の魔術を防 げるんだ⁉ 普通の鍋で防げるもんじゃねえぞ、おいっ!」
「ホーロー鍋ですもの」
「関係あるかいっ!」
「わたしももうレディですもの。殿 方 とのおつき合いにも、責任を持たなければならないのですわ」
「............?」
分かるような分からないようなことをいきなり言ってきたボニーに、オーフェンはふと口を閉じて眉 根 を寄せた。怪 訝 に思いながら、先を促 す。
「......で?」
ボニーは、にっこりと微笑 みながら両手を組んだ。
「ここしばらくの観察で、オーフェン様が出会い頭 に致 命 的 な攻撃を仕掛けてくる変わったご趣 味 を持っておられることなど察しておりましたわ。防御用の鍋は必 需 品 です」
「人を変質者みたいに言うな! 俺はただてめえにだけ特 殊 な対応をしてるだけだ! そもそもてめえが出てきて平 穏 無事に終わったことなんて一度もねえじゃねえか! 人がせっかく避 けてるってのに──」
「まあ、いやですわオーフェン様ったら」
と──ぽっとほおを染 め、斜 め下に視線を落として、ボニーが声をあげる。
「わたしが特別な人だなんて......」
「ちーがーうー!」
だんだんだんと床を蹴りつけながら、オーフェンはわめいた。ぱらぱらと天井 からほこりが落ちてくる。
「なに騒 いでんのよ......」
と、いきなり口をはさんできたのはコンスタンスだった──ボニーの後ろから、パスタ皿を片手に階段を上ってきたらしい。
「てめえ!」
オーフェンは、彼女の顔を見て声をあららげた。ボニーの首根っこをつかまえて、彼女のほうに突きつける。
「よくそーゆうことが言えるな! あっさり俺を売りやがって!」
「ちょっと! 言いがかりはよしてよ!」
叫びだしたコンスタンスは──どうやら本気で心外だと思っているようだった。
「売っただなんて! わたしはただ、まったく無意味にあなたを見捨てただけじゃない」
「だからなんだっちゅうんじゃあああっ!」
彼は大声でわめき立てた。
「だいたい、てめえら姉妹はいつもいつも人の迷 惑 ってもんを──」
そう続けてから、はたとオーフェンは言葉を切った。左右を見回して、不安に思いながら口を開く。
「......迷惑で思い出したが、キースの奴 はいっしょじゃねえのか?」
いつもボニーのそばにいる銀 髪 の執 事 のことを思い出しながら聞くと、首をつかまれたまま猫 のように肩 をすぼめているボニーが、はっと声をあげた。
「そ、そうですわオーフェン様!」
と、懐 から一枚のメモを取りだす。
「キースが、キースが大変なんですの!」
夕焼けが、水の流れを深く染 めている。
マスル水道は、トトカンタ市を縦横 に走る水路である。かつては文字通り水道であったこの人工川は、地下を走る上下水道が完備された時点で役割を失った。
というわけで現在では、暇 な大人が散歩をするやら、暇な学生が釣 りをするやら、暇な少年がキャッチボールをするやら、暇な子供が水遊びをするやらに利用されている。つまるところ忙 しければ見向きもされないわけで、結局、川の中に人の姿を見ることなどまれであった。
「............」
オーフェンは、足を止めた。橋の上から川 面 を見下ろして、ぽつりとつぶやいた。
「なにやってんだ? あいつ」
うめいてから、よくよく観察する。
後ろから、コンスタンスとボニーとが、順番に口を開いた。
「わたしには......」
「川に浮いているように見えますけれど」
マスル水道の川面を、タキシード姿の銀髪の男が仰 向 けに浮かんで流れていた。ぴしりと指を伸ばして、気をつけの姿勢で、である。
間違いなくキースだった。
「おーい、キース!」
手でメガホンの形を作って、声を大きくする。流れる水面に浮かんでいるキースは、ゆらゆらとこちらに近づいてきていた。
が、聞こえていないはずはないのだが、キースはなんの反応も示さない。無表情に、水面から空を見上げている。
「キイイイイス! おいこら! 真顔の変質者! 返事しろっての! てめコラあと十秒のうちになんか答えねえと、すっごくいい感じの荷 電 粒 子 が降 り注 ぐぞ、おい!」
「──あれはダミーです」
「............⁉ 」
唐 突 に背後から聞こえてきた声に本気で驚いて、オーフェンはのけぞった。あわてて振 り向くと──ごくごく平静な顔をして、キースが立っている。
コンスタンスが、驚かされたせいか、非 難 がましい声で彼の名前を呼ぶ。
「キース!」
「いえ、しばしお待ちください」
だがキースは片手を腹に当てて優 雅 に礼をすると、橋の上から自分のダミーとやらを見下ろした。

「ふむ......」
と、なにやら考え深げにうなり声をあげる。
それを横から見やり、オーフェンは半眼で問いかけた。
「まあお前のこったから、どーせしょうもない答えが返ってくるんだろーけど......ダミーって、なんでンなもん川に浮かべてんだ?」
だがキースは、思いのほか真剣な面 持 ちでこちらを見返してきた。そのまま告 げてくる。
「それは無論──危険を確認するためです」
「危険?」
「そうです」
大仰 に夕日を指さして──多分意味のない動作だろうが──、キースは続けた。
「この川に、この世のものとも思えない未知の怪物が存在することを、わたしは突き止めたのです!」
「ほほう」
オーフェンはうめくと、ボニーの手から、先ほど見せられたメモを取り上げた。
「『マスル水道に珍獣 を発見いたしました。捕 獲 してサーカスに売り飛ばしたいと思います』」
ゆっくりと読み上げて、にっこりする。
「なるほど、間違いなかったわけだ。じゃ、俺は用事があるから頑 張 ってな」
ぱたぱたと手を振りながら、オーフェンはそこを立ち去りかけた。が──
不意に背後から殺 気 を感じて、ばっと飛び退 く! 刹 那 。
ぢゃぎぃぃぃんっ!
鋭 くもあり鈍 くもある金属音とともに、一瞬 前まで彼が歩いていた場所を、鎖 のついた分 銅 が貫 いた。かなりの威 力 で投げられたらしいその分銅は、鎖を引いて宙を裂 き、数メートル先のパン屋の看 板 を叩 き割った。
ごとん......とその折れた看板ごと、地面に落ちる。
オーフェンが恐 る恐る見やると──キースが鎖鎌 を手に、純白のハンカチを目 頭 に当てたところだった。
「魔術士殿 、見損ないましたよ」
「なにがだ......?」
指を鳴らしながらオーフェンは──せめて弁明の機会は与えてやろうと──、怒 気 に満ちた口調で聞き返した。
キースは、ばっと顔を上げ──毎度のことながら涙の跡 などない顔で、
「いくら困窮 にあえいでおられるからといって、このわたしの世紀の大発見を横取りしようとは!」
「どこがそう見えたん──って、待て」
オーフェンは、はっと気づいた。
「おい、その発見とやら、ひょっとしてかなりの儲 け話 なのか?」
「そうです! ですが!」
上半身を振り回すようにして大げさにわめきつつ、キースは再びハンカチで顔を隠した。
「いくら魔術士殿がエンゲル係数甚 大 な上、飢 餓 のあまり氷・鉛 筆 等をかじって飢 えをしのぐような毎日を過ごしているからとはいえ、わたしの発見を横取りしようなどと!」
「あ、いや、えーとだな、キース......」
「いえ! 確かに魔術士殿は貧 乏 です! その上貧 困 です! 身の上貧 しく心もすさみ、十メートル先の野 良 犬 が自動的に吠 えはじめるほどの凶悪 な外観およびその足音を聞いただけで幼児が秘密基地に逃げ込むほどの邪 悪 な雰 囲 気 を兼 ね備 えた、まさしく大グレート貧窮 ヤクザ!」
「おーい」
「その貧しさに天も涙す! ああ、こんなことなら昨日 拾ったメロンパン、猫になどやらずに取っておけば良かった! バカバカ、わたしの馬鹿!」
「............」
オーフェンは無言でキースの手から鎖鎌を引ったくると、そのまま──即座に──彼の頭に、ぐっさりと突 き刺 した。
と......
さすがに、キースの動きが止まる。脳天からだくだくと血を噴 き出しながら、それでも平気な顔で、キースは振り向いてきた。
「......ここまでしなくともよろしいじゃないですか」
「このぐらいやんなきゃ、どーしようもないでしょ、あんたの場合」
コンスタンスが、妙 に納 得 した様子でつぶやいている。
そして──
「キース! わたしは、あなたを止めに来たのですよ!」
唐 突 にボニーが、大声をあげた。びしと指さして、血まみれのキースに詰め寄る。
「こんなこと──こんなこと、絶対に許 しませんわ!」
握 った拳 に力を込めながら続ける。
「お前が珍獣と呼ぶほどの、そんな珍しく貴 重 な生き物を、サーカスに売って儲けようなどと......!」
怒りに震 えながら──ただどことなく気品を保ちつつキースをにらみつけるボニーを眺 めていると、つつとコンスタンスが近寄ってきて、そっと耳打ちしてきた。
「ボギーはね、動物愛 護 団体の主導的なメンバーなのよ」
「ほう」
オーフェンがうなずくと、それを聞いていたわけではないだろうが、ボニーが涙ながらに続きを口走った。
「許しませんよ! お前がわたしよりお金持ちになるなんて!」
「ああっ! ボニー様!」
と、うろたえるキース。コンスタンスは口調そのままで、即座に付け足してきた。
「──でもそれ以上に、意 地 汚 いの」
「............」
特に驚くに値することでもなく──オーフェンは、とりあえず頭を抱 えた。
「誤解です、ボニー様!」
キースが、痛々しい口調で弁明をはじめる。
「わたしとしても、これはむしろ珍獣保護のためにやむなく捕 獲 作戦を展開しようと思い立ったわけで、取り分は七・三でどうでしょう?」
「馬鹿を言わないでキース! 公平に五・五から始めるべきではなくって⁉ 絶滅の危機に瀕 している弱い生き物たちのためにも!」
「ああ! しかし、かくも保護とは難 しいことなのです! 思想的には高 潔 過ぎ、体制的には偽 善 に過ぎます! わたしとしてはスージーとの結婚後の生活設計を考 慮 に入れて六割はいただかないと!」
「事情があるのは誰 もが同じですわよ! この川に不法投 棄 されたあの空 き瓶 を見ても、まだわたしに五割を渡せないと言えて⁉ 」
「............!」
「......!」
「............」
なおも続くふたりの言い合いを見物しながら──オーフェンは、ぽつりとコンスタンスにつぶやいた。
「なに言ってるんだかはよく分からんが、なにを言いたいかはっきり分かる会話だな」
「そーね......この隙 に帰る?」
「なんでだ?」
「......え?」
少し驚いたように、コンスタンスがこちらを向いた。その彼女の瞳 をのぞくようにしながら、オーフェンはこともなげに答えた。いまだ口論を続けるボニーとキースを指さして、
「あいつらって当然、儲けの半分を俺に渡したあとの、自分たちの取り分を議論してるんだよな?」
「............」
ふたりの戦いは五・五で決着した。
キースの頭から鎌を引っこ抜き、オーフェンらはマスル水道の橋の下へと移動していた。もう日が沈 んでしまっているので、彼が魔術で呼び出した鬼 火 を明かりにしている。
水道には、水の流れをはさむような形で、人が通れる通路があった。そこに降り立って、先頭のキースが指先を上げる──
「あれが、問題の生物の巣です」
「ほほう」
腕組みしてオーフェンは、相づちを打った。
「流れてきた段ボールとかを利用して作ったんだな」
「そうです」
まるっきりうんちくする顔になって、彼は指を立てた。
「知能は高いと思われます──幾 度 かわたしも接近を試みたのですが、その度 に逃げられてしまっておりますから」
「じゃあ、今も?」
とコンスタンス。キースは、はいとうなずいた。
「見当たらないようですな」
「なんか、怖 いわねー......」
本気で嫌そうな表情を浮かべ、コンスタンスがぼやく。となりでボニーも、多少気後れしているような様子だった。
「そういうときはですね、神に頼 るのです」
「......神ぃ?」
自信たっぷりに言うキースに、オーフェンは疑わしげに聞き返した。
「そうです。別に信 仰 は関係ありませんな。なにか自分より巨大なものに頼るだけで、気が楽になるというもの。ジャングル戦の虎 と呼ばれていた頃 にわたしはそう悟 ったのです」
「まー、いーけどよ......」
「まあまあ、魔術士殿。だまされたと思って、いっしょに唱 えてみてください」
キースはそう軽くうそぶくと、祈 りのポーズを取って静かにつぶやきはじめた。
「飢餓と疫病 と衰 退 と諸 々 の猟 奇 殺人の神よ──」
「ちょっと待てぇぇぇぃっ!」
オーフェンは即座に止めた。
「なんなんだそれは⁉ 」
横からボニーも加勢してくる。
「そうですわキース! 衰退は後ろ向きですわよ」
「なんで最初のふたつを飛ばすわけ......?」
コンスタンスが妹に聞くが、誰も相手にしない。当のキースは、なにも分かっていないのか、不 思 議 そうに聞き返してきた。
「......なにか不服が?」
「危なっかしいわ! そんなもの!」
断言されて──真顔のまま、キースは再びポーズを取った。
「では、汚 染 物質垂 れ流しの神──」
「同じだ同じ! ていうかさらにひどい!」
「ならば、裏山に住んでいるトマス爺 さんが大事にしている、やっとこの神......」
「なんでいきなり、ンなマニアックなやつになっちゃうんだよ!」
「ふむ......」
キースはそこでようやく、言葉を止めた。白手袋をつけた指先を額 に当てて──しばし考え込むように目を閉じる。
やがて、ふっ......と目を開けて、彼はぴんと背 筋 を伸ばした。珍獣の巣に向き直って、うなずく。
「万事オーケイというところですな」
「あー、なんかすっげームカつく!」
「む⁉ しばしお待ちください!」
と、キースは真剣な眼 差 しを見せた。人差し指を唇 に当てて、しっと音を立てる。
しばし沈黙──そして。
凍 った時間のかたまりに、くさびを打ち込むかのように、前兆もなく笑い声があたりに響いた。
「ふっふっふっ......」
声が聞こえてくるのは──
と、オーフェンはすぐに悟った。頭上、橋の上からである。
こちらが見上げるよりも先に、声は続けた。
「相変わらずお馬鹿なことばかりやっているな、全員ボケカルテット!」
橋の欄 干 に仁 王 立ちになり、仰 々 しくポーズを取っているのは、身長百三十センチほどの、ずんぐりした少年である。ぼさぼさの黒 髪 、丸い鼻。毛皮のマントをまとって、腰には傷だらけの長剣を下げている。
見上げているオーフェンには、その少年が夕日を下から当てられているように見える。あごの下から赤く染 まり、それはゆっくりと指をこちらへ下ろしてきた。
「そろそろ決着をつける頃合だとは思っていたが、そちらから出向いてくるとはおめでたい! 貴様らまとめて、真夏の蠣 で大当たり殺される運命よ!」
「............」
それがまくし立てる口上 を、じっと聞いてから──
オーフェンは、ばっとキースのほうに向き直った。
「キース、あれが⁉ 」
「そうです! わたしの発見した珍獣!」
「待たんかぁぁぁぁいっ!」
珍獣が、さらに大きな声で割り込んでくる。
「誰が珍獣だ⁉ おうコラ⁉ 」
「しゃべってるわよ!」
ぞっとするように身を震わせて、コンスタンス。その肩にすがりついてボニーが続けた。
「キース、あれはなんという生き物なの⁉ 」
彼女の問いに、キースは懐 から単眼鏡 を取りだし右目にかけると、さらにどこに隠していたのか百科事典を開いた。
「あれは大陸の南方マスマテュリアに住む、地じ......」
と、言いかけてから突然──
びゅうと風が吹いて、百科事典のページをばらばらとめくる。風に舞う砂埃 に、ボニーらがきゃあと声をあげるのが聞こえた。
「おっと、失礼」
キースは軽くつぶやくと、ページを直して目を細める。
「ええと......続きを申し上げますと、あれは二十四年前にアドバーグ隊が目撃したという、赤紫斜 めマダラ接続式ゾウガメです」
「再び待たんかぁぁぁぁいっ!」
赤紫(以下略)が、絶叫 する。が、それは無視してコンスタンスが疑 わしげにキースに指 摘 した。
「赤紫じゃないわよ?」
指さしながら、言う。そのとなりで、姉そっくりに訝 しげな表情を浮かべてボニーが続けた。
「斜めでもないわ」
「そもそもなにを接続するんだよ」
オーフェンも聞くのだが、キースが答えるよりも早く橋の上から(前略)ゾウガメがわめき散らしてきた。
「そーゆう問題じゃないだろーがっ! 貴様ら人のことを斜めだのゾウガメだのと──」
それを聞いて、キースが単眼鏡を外 した。
「むう。珍獣の分 際 で、わたしの調査結果にケチをつけるとは......」
「だから誰が珍獣だっ! 悪ふざけもたいがいにしとけ! 久々に顔を見たと思えば、好き勝手に──」

さっきから妙 なことを口走る珍獣に、オーフェンは首を傾 げた。
「なあキース、あいつ、どうやら俺らのことを知ってるみたいだぞ?」
「え?」
思ってもいないことを言われて、コンスタンスが驚きの顔を見せる。
「なにを愉 快 なことをおっしゃられるのですか、黒魔術士殿」
はっはっ、とさわやかに笑 みを漏 らし、キース。
「もし、あのよーな貴重な生き物と顔なじみであったなら、もっと昔から自 慢 していてよさそうなものじゃないですか」
「そうか......確かに説得力が」
「あるかぁぁぁぁいっ!」
さっきから叫ぶ度 にこめかみに血管を一本ずつ増やしながら、その生物は騒 いでいる。とうとう剣を抜いて、それを空に向けた。
「このマスマテュリアの闘犬! 戦士ボルカノ・ボルカン様を捕 まえて、珍獣呼ばわりとは覚悟のあることだな! 即座に後 悔 を味わわせてくれるから、そこに並んで正座して勝手に死ね!」
一息にそこまで叫ぶのだが──
「マスマテュリア? 秘境 だなー」
「さすがは珍獣ですわね」
「刃物を持ってるわ。道具を使えるのね!」
「素 晴 らしい......明朝は世界ゾウガメ学会の革 新 的 な夜明けとなるでしょう」
「き・さ・ま・らぁぁぁぁぁぁっ!」
欄干の上で地 団 駄 踏 みながら、珍獣は狂乱じみた暴れ方をした。適当に剣を振り回して意味のないことを口走っている。その足下から、にゅうともうひとつ、黒髪の頭が生 えてくる。
そちらも、その珍獣と似たような姿をしていた──ただ違いは、後から現れたほうが分 厚 い眼鏡 をしているということ。どうやら、先の珍獣が欄干に上るために、その下で踏み台になっていたらしい。
眼鏡の珍獣は、なにやら疲れたように嘆 息 してから、小さくぼやいた。
「兄さん......なんだか、しばらく会わなかった間に、本格的にきれいさっぱり忘れ去られてたみたいだね」
「んな阿 呆 な話があるくわぁぁぁぁっ!」
そのまま沸 騰 した血液で爆 裂 四散しそうな顔色で、兄と呼ばれた珍獣が叫ぶ。
びし! とキースのほうを切っ先で示し、それはかなり追いつめられた声を出した。
「そこのっ! 頼むから、その事典でもー一度、俺様がゾウガメなのかどーか調べてみろ!」
「ふっ──」
キースは白い歯を見せて、そよ風に髪をなびかせた。
「わたしの調査に間違いなど」
「いーからやれ! とにかくやれ! 即座にやれ!」
「仕方ないですねぇ......まあ、ほかならぬ珍獣ご自身のお言葉とあらば」
そのせりふを聞いてさらに、珍獣の頭に湯 気 が上るのだが。
銀髪の執事は、軽く肩をすくめてから百科事典をぱらぱらと開いた。そして、いったんポケットにしまっていた単眼鏡を取り出そうと身をよじり──
ぼちゃん。
とあっけない音を立てて、手から滑 り落ちた百科事典は川底に沈んだ。
「............」
しばしの、いやかなり長い時間の、沈黙。マスル水道の川面に広がる小さな波 紋 を、感情のない眼差しでじっと見つめたまま固まっているキースに、オーフェンはぽつりと聞いた。

「そーいやお前......目が悪かったのか?」
「は?」
キースは、寝耳に水とばかり驚愕 の顔を見せた。
「いや、だって単眼鏡をわざわざ......」
「なにをおっしゃいますか、黒魔術士殿」
キースは沈んだ百科事典から視線を外すと、誇 らしげに胸を張り、
「このキース・ロイヤル。四階建てのビルの屋上と玄関とで、にらめっこ勝負をしたことのある男ですよ」
「いや、まあ、いいんだけどな」
「はっはっはっ」
「も一度待たんかぁぁぁぁぁぁいっ!」
橋の上から、もういいかげんに聞き飽 きた怒 鳴 り声──ここらでさすがに疲れが出はじめたのか、肩で息を切らしている。
「で結局! まぁだ俺様のことをゾウガメとぬかすかっ⁉ 」
「......分かりました」
神妙 に、キースがうなずく。
「ではわたしの独断で栓 抜 き付き回転振り子ガニということにしましょう」
「それで済むのか、おい......?」
半眼でオーフェンはつぶやいたが、どのみち珍獣の気には召 さないようではあった。
「ぬがぁぁぁぁぁっ! きっさっまっらっはぁぁぁぁぁぁっ!」
あと少しで火でも吹 けそうな勢いで、わめいている。それを見て少し気の毒に感じたのか、つかつかとボニーが近寄ってきて、たしなめるようにキースに告げた。
「少々ひどすぎますわよ、キース」
「と、申しますと?」
「ゾウガメさんにはゾウガメさんなりの自覚と誇りとがあるのですから──」
「違ううううううううっ!」
両手で頭を抱えて、珍獣。と、その足下から、眼鏡のほうが、くいくいと兄のマントを引っぱった。
はあはあと息を弾 ませながら、珍獣がそちらを見やる。
「......どした? ドーチン」
叫びつづけたせいで、かなりのしゃがれ声になっている。眼鏡のほうは、ぽりぽりとほおをかきながら、小声で続けた。
実際ひそひそ声で話しかけているのだが、耳のいいオーフェンにはかなりはっきりと聞き取ることができる。
「あのさ、兄さん、思ったんだけど」
「だからなんだ? 俺はこれから、最後の一撃を必殺の金貸しの人生に賭 けて借金の夜食を返済──」
「って、なんだか分かんないよ。それはともかく、あの借金取り、せっかくぼくらのこと忘れてるんだからさ、借金のことも忘れてるんだよ。この際だから、わざわざ思い出させることもないんじゃないかな」
(借金......金貸し?)
オーフェンは聞こえた内容を、じっくりと胸中で反 芻 した。と──
今まで意味を成さなかった単語の羅 列 が、ふっと的確な完成を見せる!
「ああああああっ!」
オーフェンは、それら珍獣を指さして、叫び声をあげた。
「借金! 金貸し! 返済!」
「おおっ!」
びっくりして──というより、多分に嬉 しそうに──剣を持った珍獣が、こちらを見下ろしてくる。オーフェンは合 点 がいって、やや興 奮 しながらあとを続けた。
「つまり人生の貸し借りを賭けた最後の勝負で必殺の一撃をお返ししようと言おうとしたのを、順番がばらばらになってたんだな⁉ 」
「夜食が余ってしまいましたがね」
こちらも、珍獣のひそひそ話を聞き取っていたのか、キース。
「いいかげんに思い出さんかぁぁぁいっ!」
完全にぶち切れた様子で、珍獣は怒鳴りつけてきた。
「ふざけるのも短時間にしとかんと、毛穴をパテで埋 め殺すぞ!」
「殺す......⁉ 」
オーフェンがおうむ返しに口走った。横でコンスタンスが、不 吉 を払 いのける仕 草 をする。
「乱暴なことを言うわね!」
「いや、ちょっと待ってくれよ......」
オーフェンは、彼女のあとに続けようとしたボニーのせりふを、しゃべり出す前に手で制した。ふと......蘇 ろうとするなにかを感じ、それがどこに、どのように復活するのかを、見定めるためきつく目を閉じる。
「どうかなさいましたか?」
キースの静かな一言に、オーフェンは浅くうなずいた。
「いや──今一瞬、なにか懐 かしいっていうか、不思議な......感じが......」
オーフェンは言葉を切って、今度は自分に話しかけた。なにか大事なことなのだ──必要なことであったかどうかは別として。思い出さなければならないのだ。
(なんだ? 俺はなにを忘 れているんだ? あの回転振り子ガニが俺のことを知っているというのと、なにか関係があるのか⁉ )
彼は振り子ガニのほうが気に入っていた。
ゾウガメは、良くないのだ──なにしろ大きすぎる。そもそもカメは好きではないのだ。カニが特に好きというわけでもないが、少なくともカニは骨がなく、食べやすい。さらには医療に関して多大な貢 献 もするのだ。
「キース」
と、オーフェンは顔を上げた。彼を見やり、、視線を真剣なものにする。
がっしりと執事の手を握り、オーフェンは断言した。
「俺も、あれはカニだということにしといたほうが良いと思う」
「おお、納 得 してくださいましたか」
「こらぁぁぁぁぁぁっ!」
珍獣は、欄干を剣でたたきながらわめいてきた。
「なにかを思い出したんだろーがっ! 途中で話を変えるんじゃない!」
「............」
オーフェンは、少し虚 空 を見上げてから、コンスタンスの顔を一 瞥 した。
彼女はしごくあっさりと、
「既 視 感 」
「そだな」
「どぉぉぉぉしてだぁぁぁぁぁぁっ!」
珍獣は、苦 悶 も混ざった絶叫を、ひとしきりあたりに放出してから──
どっと疲れが出てきたのか、その場にへたり込んだ。
そのかたわらで、こちらは別に騒いでいたわけでもないのに、兄よりさらに疲労感をにじませて、眼鏡のほうが頭から突き抜けるようなため息をついていた。
「忘れてもらっていたほうがいいってば」
「そーだな......そーかもしれん」
言われて、剣を持った珍獣は再び立ち上がる──ただし、決定的な部分での疲労は消えていない様子で。珍獣は剣を収めると、へへん、と嘲 るように笑ってから、
「そーゆうことだ! いつの間にかボケに成り下がった血 煙 黒ずくめめ! 忘れていたいなら忘れているがいい! この恐 怖 の具 現 ! マスマテュリアの闘犬を忘却 の底に沈めておきたいと願うのも、理解できんとはもう言わんわ! というわけで、俺様はこれより貴様抜きの幸福な人生を歩むゆえ──」
「お、キース。それどこに隠してたんだ?」
珍獣の雄 叫 びはもう聞かず、オーフェンは橋の上よりさらに上──地上数メートルほどの高さを魔術で浮 遊 しているキースを見上げていた。
へ? と声をあげて、珍獣二匹の動きが止まる。刹那。
ばさぁっ──と、キースが持っていた投 網 を、珍獣たちに覆 い被 せる。
「さて、サーカスには幾 らで売れましょうかな」
「あれ?」
朗 らかなキースの声に、眼鏡の珍獣が声をあげる。
気にせずにオーフェンはにっこりした。
「俺の取り分が半分だったよな」
「......そーでしたかしら......?」
ボニーのつぶやき。そして、
「おや?」
という、剣を持った珍獣のうめき声。
腰に手を当てて、機 嫌 よさそうにコンスタンスが独 りごちるのが聞こえた。
「キースの取り分は、わたしのものよね」
「あ、ずるいですわコギー姉様。それ、わたしが先に言おうとしていましたのに」
「まあ、なんにしろ......」
最後にキースが、投網をたぐり寄せつつ、ぽつりとしめる。真顔でしれっと──さりげなく瞳 を輝 かせたりしながら、
「サーカスで引き取ってもらえませんなんだら、肉屋でも構 いませんし」
「最後に、待たんかぁぁぁぁぁぁっっ!」
珍獣が、これまででも最大の声をあげるのだが──
答える者も、聞いていた者すらもいなかった。
結局......
その珍獣の正体をオーフェンが思い出したのは、二日後、サーカスからその珍獣たちが脱走し、買い取り金額分を返済させられた上、迷惑料まで払わさせられた夜のことだった。
(そーいやなにかを忘れてる?:おわり)

【マクレディ家・現在】
「なにがあったんですか!」
玄 関 に飛び込み、そのまま居間まで全力疾 走 してから家族を見つけると、抱 えていた荷物を投げ捨てた。
通学にいつも使っている鞄 だ。泥 だらけ、煤 だらけでボロけた鞄が絨毯 に叩 きつけられたことで、母の眉 がぴくりと吊 り上がるのも見えたが、マヨールは引かなかった。
「答えてくださいなにがあったんですか白状しろやさっさと言えー!」
薄 汚 れているのは本人もだ。かなり手ひどくやられている。悪夢のような一日に、当人の感情まで損傷 を負っていた。
憤 懣 やるかたなく地 団 駄 を踏 む我が子を眺 めながら、フォルテ・パッキンガムとレティシャ・マクレディは互 いに視線を見合わせた。ともに《牙 の塔 》の教師であるこのふたりはほぼすべての生涯 をタフレムで過ごし、そして恐 らくそのまま死んでいく予定である。平 穏 とはいえ奇 怪 なことも多々起こる生活ではあるのだが、子供たちの奇行というのはおおむねその最たるものだ。
ただその奇行の大半は、妹のベイジットが起こすものと決まっていた。長男のマヨールは基本的には真 面 目 でそつがなく、手がかからない。
それでも真面目が行き過ぎてぶっちぎれることはないでもないので、とんでもなく真新しいことでもないのだが。
というわけでわけが分からないながらも総じて落ち着いて、レティシャがつぶやいた。
「おかえりなさい」
「あーはいおかえりましたよマーマ! そしてなにがあったんですか一体っ!」
「なんの話をしてるの?」
「とぼけますかそーですかうちの両親は我が子の叫びを無視しますか」
「意味が分からないのよ」
「わーかーらーなーいー!? はい出ましたわーかーらーなーいー!? 母さんはそうやってすっとぼけて自分はなにも悪くないって顔でぼんでげあっごんだかぺけぱうんだんげーほげーほ!」
本気で解読不明にわめき散らしたあげくに、マヨールは突 然 、糸が切れたように言葉を切った。絶望的にゆらぁりと頭を巡 らせて、顔からソファーに倒 れ込 む。
そのまま、胎 児 のポーズでカチーンと固まった。親指を噛 みつつ、不 明 瞭 にまだぶつぶつ呟 いている。
「あれは憎しみだ......絶対悪意があった......復讐 されてる......ぼくは復讐されてる......」
しばし、その状況を受け流してから。
レティシャはつぶやいた。
「なんなの、これ」
「さっぱり分からんな」
さほど興味もなさそうに、フォルテ。
「まあ十八にもなると、いろいろあるんだろう」
「十八だったかしら。もうちょっと育ってなかった?」
「そうだったか? 背も伸 びなくなると年 齢 とかどうでもよくなってしまうな......」
「もう二十二歳になりましたっ!」
急に跳 ね起きて、マヨールが叫ぶ。
だが父親は、渋 い表情でため息をついてみせた。
「お前は分かっていないな」
「いや子供の年齢も分かってなかったのは父さんでしょ」
「そうじゃない。お前がそうやって冷 徹 な事実を告げると、まだ若いつもりで妄 想 に逃 げ込んでいる母さんが現実を思い出して、そこそこダメージを受ける」
「ひどい子......母さんを愛してないんだわ」
「意外と鬱 陶 しいなこのクソペアレンツ!......あー、いや、ごめんなさい」
さすがにそろそろ落ち着いてきて、マヨールはソファに座り直した。
「結局、なにがあったっていうのよ」
問い質 す母親に、マヨールはそれでも思い出したように冷たい目を注いだ。
「親の因果が子に報いてるんですよ」
「だからそう言われても、心当たりがないわよ」
「本当に? 学生時代はどうでした」
「わたしは優等生だったわよ。父さんも教師補だったし」
「成績のことじゃありません。素行です」
「それこそ心当たりなんて。母さんは模 範 生で、表彰 されたことだってあるんですからね」
「じゃあ父さんは?」
「馬 鹿 を言うな。問題生徒と関わらずにやり過ごすのを徹 底 したあげく、エピソードのなさについても他の追 随 を許さなかった」
「それもなんだかどうかと思いますけど......ならどうして、会う人会う人みんな、親のことでぼくに冷たくするんですか」
マヨールが言うと、レティシャは心底驚 いたようだった。
「なにそれ。みんなって誰 よ」
「主にはイザベラ先生かな」
「彼女はどうかしてるもの。逆 恨 みの塊 じゃない。いまだにメベレンストの方角に呪 いの札を貼 ってるのよ」
「ティフィス教師もベイジットにかなり冷たいですよ」
「それはあの子が問題ばかり起こすからでしょ。ティフィスはわたしを尊敬してます」
澄 ました顔で胸を押さえてきっぱり言うレティシャに、マヨールはじわじわ嫌 みに口を歪 めた。
「原大陸に渡った時には、エド・サンクタムにまで『顔が気に入らない』とかでブン投げられましたよ」
「そんなの! あれこそ変人中の変人じゃない。だいたいなに、顔が気に入らないって。人の顔面のこと言える身分? わたしがあいつになにしたっていうのよ」
「まあいくらか、苦手がられてはいたかな......」
フォルテも聞こえないよう、小声で言ったつもりだったのだろうが。
間が悪かった。母は聞き咎 めていた。ぎろりと睨 みつけ、訊 く。
「なに。わたしを嫌 ってる奴 がいたっていうの?」
「いや......そんなわけは」
もごもご言いよどむ父に、母はさらに視線を突 き刺 す。
「たとえば誰。わたし鼻つまみ者だったわけ?」
「いや、その、存在感......というか、な。君は若い頃からちやほやされてたし......」
「はー! それを言い出す! そうですかそうですか。良かったわー今日は家族会議でじっくり煮 詰 める議題ができたわね!」
「いや、どうかな。庭師の賃上げ交渉 のほうが......」
「四人目が生まれたっていうんなら出産祝いをあげればいいでしょうよ! 赤点の生徒から見 繕 って格安のベビーシッターも紹介 するわよ! ほーらわたしってばなーんて優しい雇 い主! なんで難 癖 つける奴がいるの!」
テーブルを手で叩いて詰め寄る母と、舵 取 りを誤ったのを悟 って逃げ道を目で探る父とを見比べて。
いつの間にか蚊 帳 の外になってマヨールは、自分が怒 っていたのもすっかり忘れて、そそくさと自室に退散した。
【タフレム市のとある郊 外 ・二十七年前】
「なにが嫌いかって、周りからちやほやされていい気になってるとこよ」
イザベラがそう言い出したことについてはフォルテも意外には感じなかった。
基本的にイザベラは相手が誰であろうと嫌っているし、なにかにつけて他教室の女生徒をライバル視している。その点では同じマリア教室のイールギットのほうがもっとひどい。このイザベラとセットになると手が着けられないが、幸いにも今日のところはイザベラしかいない。
タフレムを離れて一日半が過ぎて、目的地に迫 ろうかという夕刻の道のり。気候は穏 やかで道中に問題も起こらず順調そのものだった。どうしてこんな話題になったのかはよく分からない。フォルテがしばらく夕日を眺めて、はたと会話に意識をもどしたらその話になっていた。
イザベラは拳 をすり合わせ、険悪に続けた。
「わたくし悪いことなんか知りませーん、良い子でございまーすってツラでさ。腹でなに考えてんだか分かったもんじゃないっての。分かってる?」
話を振 った相手は傍 らを歩いている──この取り合わせも珍 しいが──コルゴンだ。言葉少なにぼそぼそと返事する。
「なにを分かればいいんだ」
「はっ! そーきた! ちやほやしてんのはあんたらでしょうよ。あんたらがあのモンスターを育ててんの!」
「そうなのか......ほとんど話をしたこともないが」
「そんなの逃げ口上。どぉーせ黙 ってニヘニヘ笑いながらご機 嫌 伺 いしてんでしょ。あー嫌だ、あー嫌だ。ちょぉっと目がでっかくて髪 と足が長いってだけで、あんたらの反応ってみんなおんなじ」
「............」
コルゴンは答えなかったが、その微 妙 な目つきと視線の動きで、彼がなにを見てなにを考えたのかは手に取るように分かった。フォルテも同じことを思ったからだ。
イザベラ当人は気づかないようで、変わることなく大きな目をぐりぐりと険しく吊り上がらせ、背中まである長いブロンドをはためかせながら、すらりとした足で大 股 に突き進んでいく。
「......あれは『お前もだろ』って言われたいのかな」
どうにもやるせない心地で、フォルテは小声でつぶやいた。
誰にも聞こえないつもりでいたのだが(何 故 だろう、聞かれないつもりの独 り言 は必ず聞き咎められる)、背後から返事があった。
「同族嫌 悪 だろう」
返事があったことにもだが、こんな話に乗ってきたことにも驚 いて、フォルテは狼狽 えた。
「先生」
肩 越 しにちらりと、チャイルドマン教師を見やる。
いつも無口なこの教師は、今日も黙 々 と歩いていたのだが。特段の感情を交えるのでもなく、ぼんやりあとを続けてきた。
「だから『お前もだろ』ではなく、話を合わせて『君は違 う』と言っておくのが正しい」
「随 分 と女の扱 いに長 けてらっしゃるようで」
と、これはもうひとりついてきている人物からの皮肉が飛んだ。
マリア・フウォン教師だ。《塔》ではやり手で知られる若手教師のひとりで、チャイルドマン教師に張り合おうと突っかかってくるあたりは教え子のイザベラと似たところはある。
ややムッとしたのか、チャイルドマンが言い返した。
「女の扱いではない。生徒指導だ。修養の足らん学生でも無 碍 に修正するのではなくうまく誘 導 してモチベーションを保つ」
「わたしの生徒が、修養が足りない?」
返された皮肉に反応してマリア教師がうめく。
「どうかしらね。イザベラの言っていることは当を得ているのかも。確かにあなたの生徒は、思い上がってて周りを顧 みない世間知らずなんじゃないの? 教官に似てね」
「なるほど。教師に似るか。格上の者に噛みつく向こう見ずな性根はなにか意図があって受け継がせているのか?」
「............」
《塔》最強の術者ふたりが静かな言い争いを始めるのを見て、フォルテはなんとなく距離をおいた。いつも沈着なチャイルドマン教師がこんな嫌みに乗るのも珍しいことではある。が、なにごとかあったのかマリア教師が相手だと、こんなところも見せるようだ。
注意をもどすとイザベラとコルゴンの話も続いている。
「この前だってアレよ。廊 下 でね。わたしたまたま──たまたまよ? 本当に生まれて初めてってくらいの頻 度 よ? パンツの食い込みをね、誰も見てないとこでちょっと直したわけ。そしたらあのクソ女、音もなく現れやがって『そういう癖 はやめたほうがいいわよ』って、なんなのよそれ! 癖って! しかもついでに『少し太ったから?』って! どういうメンタルでそれ言うべきって思ったのよ! なんなのあいつ! 死ね! 黙れ! 寝込め! 首曲がれ!」
激 昂 して地面を蹴 りまくるイザベラに、コルゴンが訊く。
「あの女は気配もなく出現するのか」
「そーよ。いらんことしいの天才なのよ。いて欲しくないとこには必ずいんの」
「そうか......秘密を抱 えるなら警 戒 する必要はあるな」
「......あんた秘密あんの?」
「ひとつとしてない。なお、詮 索 すれば殺す。毒で殺す」
「いやしないけど......」
と。
教師たちの話も続いていたわけだが、チャイルドマンが急に相手を制止したようだ。黙らせた上で自信たっぷりに宣言する。
「見ているがいい」
そして足を速め、前方のイザベラとコルゴンに追いついて。
ぽんとイザベラの肩を叩いた。
「......はい?」
きょとんとしたイザベラに、チャイルドマンは真剣そのものの顔で告げた。
「まったくその通りだ。君は違う。目を引くような美人ではないし真面目でもないしもてはやされる要素は微 塵 もない」
「........................そうですか」
痛いほどの沈 黙 を残して、チャイルドマンはまた元の位置までもどってきた。
モチベーションはどうだか知らないが、とにかく静かにはなった。話の腰 を折られ、だんまり状態で歩いてから。
フォルテはつぶやいた。
「......なんなんですかね、このメンバーって」
奇妙な顔ぶれだ。が、もちろん出 鱈 目 にそろえられたわけでもない。それは分かっている。
チャイルドマンが答えてきた。
「なにということもない。なにが起こるか分からないから、単純に総合力に勝る者を連れてきた」
「分からないんですか?」
「天人種族の遺 跡 探 索 は、どうも予測不能ね。ましてや、手つかずの遺跡なんてものがまだあったなんて驚きだわ」
これはマリア教師だ。さすがに意識を切り替 えて仕事の顔になっている。
その横でチャイルドマンが言い足した。やや不吉な影を乗せて。
「あるいは、これまで入った者はいても、生きて出られなかったか、だな」
キエサルヒマから天人種族が姿を消して二百年ほどが経 つ。
人間種族と天人とには蜜 月 時代があり、両者の混血が魔 術 士 を生み出した。天人種族は強力な魔術を使うドラゴン種族だったが、人間種族と出会った時には種の衰 退 の末期にあり、滅 亡 を目前にしていた。
天人種族は地上から消えたが、その末 裔 である魔術士の他、彼女らの使っていた魔術を遺跡として遺 した。その遺産と統治権を継承 した(と称 する)のが王立治安構想を掲 げた貴族連盟だが、魔術士は魔術士で、少なくとも遺産の所有権については子孫である自分たちにもあるはずだと考えており、これが大陸魔術士同盟と貴族連盟との長き軋 轢 になっている。
遺跡や遺産は大陸の各地に点在する。状態は様々だ──無傷に近い状態で残っているものもあれば、破局の時代に破 壊 し尽 くされたものもある。
どちらにせよ遺跡の探索にはふたつの注意点がある。ひとつには、天人種族の魔術は無事であればいまだに効果を保っていること。もうひとつはその効果は一般的に人間種族の魔術より遥 かに強大で、しかも天人種族はとてつもなく素 っ頓狂 な道具も多々作っていたということだ。
後者の言い様は、やや公正を欠く。天人種族の道具がわけの分からない代 物 であるのは、二百年を経てそれを発 掘 した人間種族が、使用目的を間違えている場合も多いからだ。天人種族は謎 めいた存在だった。姿を消してからはなおさらなのだっだ。
貴族連盟と魔術士同盟が競って探索を続ける中、手つかずの遺跡が見つかるというのはそれなりに珍しいことだ。
係争中で手が出せないものや、巨 大 殺人人形が徘 徊 して近づくだけで木 っ端 微塵にされるため放置されている遺跡というものもある。しかし今回の遺跡は都市からもそう離れていないというのに記録になく、周辺地域の住人も存在に気づいていなかったという変わり種だ。
タフレムから北に進んだところ。キムラックはまだ遠いが荒 れ地になっている地域だ。水が涸 れたのであろう沈 下 した窪 地 に地割れが走り、遺跡は底に落ちる形で埋 もれていた。上から観察したところ、大きい屋 敷 が丸ごと──敷地ごと──落ちたというように見える。
「降りるのも一日仕事だな」
常識的にフォルテは判断した。
横からイザベラが常識に欠けた反論をしてくる。
「魔術で降りりゃいいじゃない。十五秒で済 むわよ」
はあ、と嘆 息 してフォルテは告げた。
「中でなにがあるか分からないんだ。ここいらの地 盤 を確かめて、崩 れたりしないか確認してからでないと。それに、中に入ったら魔術で脱出 できるか保証がない。面 倒 でもロープを下ろしておいたほうが得策と思うね」
イザベラは、内容よりも反論されたこと自体が気に入らなかったのだろう。面倒ごとを引っぱってくるような目つきを見せた。
「はっ。中でなにが起こるのかは、本当に分からない んでしょ。警戒なんかしたところで全部無 駄 にされんのがお約束じゃない。それでも手ぶらですごすご帰れやしないんだから、手間かけるだけ無駄よ」
「無駄にはならない。保険とはそういうものだ」
「パンジっぽいこと言ってんじゃないの。わたしら、魔術でなんでもできるからこその魔術士なんでしょーよ」
「......パンジ?」
「一般人よ。分かれってーのー」
ぺんぺんと尻 を叩 いて手を振ってみせる。
その背中を、マリア教師が蹴 飛 ばした。不 機 嫌 そうに話に入ってくる。
「恥 かかせんじゃないの」
弟 子 を窘 めてから地割れをのぞき込んで。
「下まで二十メートルってとこかしら。術で、降りる道を作ってしまうのはどう? いざという時を言うなら、逃げ道がロッククライミングっていうのは心許 ない」
「道を作るにも慎重 にやらないと、崖 を崩したら掘り起こすのはそれこそ手間ですよ」
「個人的には、埋めちまえって思うけどね。遺跡なんて」
疲れたように、彼女はかぶりを振った。
「どうせ役に立つものなんかありゃしないのよ。馬鹿みたいに駆け回ってさんざんな目にあったってことを、もったいつけた報告書にまとめておしまい」
「あれが役立たずの代物ならそうだと分かることも、重要ではある」
これはチャイルドマンだ。
「奇妙なのは確かだ。あれが見た目通りの屋敷だったとして、誰が住んでいたのだ? 様式はどう見ても天人種族のものではない。彼女らは地下で生活していた。人間のために作ったものなら記録にないのは腑 に落ちない。天人種族に目をかけられていたとするとそれなりの地位の人物だったはずだ」
「ここを発見したのは何者なんでしたっけ」
「開 拓 公社の斥 候 隊 だ。降りて確かめようとはしなかったようだな」
「そいつらが一番賢 明 だったってことになるかもね」
まだ気が進まないらしくマリア教師は渋 っている。
「みんな難しく考えすぎだ」
これまで黙って聞いていたコルゴンが進み出た。
「待て......」
フォルテは、はっとした。だが制止は間に合わなかった。
「我は放つ光の白 刃 !」
コルゴンが撃 った光熱波は崖下の屋敷を直撃し、爆 発 した。
十分な威 力 だ──それこそ足下を揺 らすほどに。
だが屋敷は無傷だった。というより、ゴムのようにうねり、変形してから元の形状にもどった。
いや、完全に元通りではない。やや形が違っている。屋根の色が変わって窓が増えたとか、そんなものだが。
「なるほど......」
と、したり顔のコルゴンにフォルテは叫んだ。
「なにがなるほどだ! 軽率をするな!」
「いつかは接触 が避 けられないなら、離れているうちに軽率は済ませておいたほうがいい。これでかなり分かっただろう」
コルゴンは淡 々 と告げてくる。
一理あるとも認めたくはなかったが、フォルテはうめいた。
「まあ、あれが見た目通りのものでないのは分かったな」
「家でもなんでもない。その形をしているだけだ。恐らくは擬 態 で、誘 き寄 せるための悪意があると思われる。材質は不明だが、粘 土 かゴムか、とにかく変形する性質のものだ。これまで発見されなかったのは、姿を変えるからだろう」
「......それだけじゃないみたい」
説明するコルゴンに、ふと、イザベラが付け加えた。
コルゴンも再び崖下を見やり、同意した。
「そのようだ。姿を変えるのに加えて、移動するからだな」
「移動?」
うんざりしてフォルテは吐 き捨てた。
「ほれ見たことか!」
「?」
不思議そうにコルゴンが首を傾 げる。
「なにがだ。移動すると予想していたか?」
「違う! 軽率は、いつもするな!」
怒 鳴 りながら駆 け出すのと、崖下から跳び上がった屋敷が再び着地するのとは同時だった。
それはもはや屋敷とも言えない物体ではある。鉄 柵 の門に屋根に窓にと特徴 は残しているが、巨大な二本の足が生えて直立していた。煙 突 だったものは腕 になっている。
大きさはそれほど変化がないが、質量の収支が厳 密 に合っているかは疑わしい。変形し、変化しながら人型になろうとしていた。
「ブモォォォォォ!」
と、声まであげた。五本の指がある両腕を掲 げ、足下にうろついている軽率な魔術士たちを潰 そうと、叩 きつけてくる!
かなりの力だ。叩かれた地面が歪むほどの。足下から突き上げてくる衝撃 に、フォルテは転びかけた。イザベラは完全に尻もちをついている。
「光よ!」
チャイルドマン教師が一番素速かった。
放たれた熱衝撃波が館巨人を真正面から撃ち、仰 け反 らせる。
続けて撃ち込まれたマリア教師とコルゴンの攻撃で、巨体が浮かび上がった。待っていたわけではなかったがフォルテは全力で術を放った。
「怒 りよ!」
空間爆 砕 術だ。大爆発が巨人を再び崖下に転落させる。
最初のコルゴンの術が通じなかったように、これだけの威力を食らっても巨人の身体に傷はなかったようだった。ただし形はまたひしゃげ、潰れかけていた。
這 い寄るように身をかがめ、フォルテは下をのぞいた。いつでも攻撃に移れるよう構成を編みながら。
館巨人は大の字で転 倒 していた。形は......やはりまた少し変わっている。家だった部分はもうかなりなくなっていた。かなり人型化が進んでいるが、人間の姿というわけでもない。言うなれば機械の人形だった。材質が流動状のものなら、それも擬態でしかないのだろうが。
巨人はゆっくりと起き上がった。こちらを見上げている。ダメージを負った様子はなく、もう一度跳 び上がってくることは容易だろう。
だがそうしなかった。
がちゃん、となにかが外れるような音。頭部がふたつに割れて、中から筒 のようなものが伸 びた。
それが真 っ直 ぐ、自分を狙 っている。フォルテは構成を切り替えて叫 んだ。
「防げ!」
巨人の頭部から光線が放たれたのは同時だった。
空間に展開された障壁 が、巨人の光線を跳ね返す。反射した光線は空の彼方 に消えていったが、大気のうねりと激 震 からその破 壊 力は伝わってきた。
「なるほど......」
またしたり顔のコルゴンに、フォルテは唸 った。
「今度はなんだ」
「失敗した攻撃は繰 り返してこない。それなりに知性がある」
「ぶちのめしてやりたい」
「いい闘 志 だ。珍 しいな」
「お前に言ってるんだ!」
言い合っているうちに。
巨人には、確かに知性があるようだ。光線の第二射を放ったが今度は直接狙うのではなく、崖の壁 面 に撃ち込んできた。地面が盛り上がり、地下で爆発したのが分かる。たまらずに崖が崩れ出した。
走って後退する。巨人は壁面を掴 んでよじ登り始めたので、余計に崩 壊 が進んだ。崩れる範 囲 から逃げたところで巨人が姿を現す。
振り向きざま、マリア教師が迎 撃 の術を放とうとしていたのだが......
巨人の姿が変わっていた。それを見て、マリア教師が上 擦 った声をあげる。動 揺 で術の構成が崩れた。
彼女の攻撃に合わせようとしていた他の四人もタイミングを逸 して、巨人の足止めに失敗した。高さ何メートルもある毒々しい色の蜘 蛛 に形を変えていた巨人は、太い脚 で突 進 してきた。速い。
「白き......打撃っ!」
イザベラが構成を切り替えて牽 制 の術を放つが、咄 嗟 のもので、弱い。
質量がある上、やたらと頑丈 でその上素速い巨人はなまじの術では止められず、ひとりが牽制したところを他の四人が隙 の大きい攻撃術を放つというやり方が自然と出来上がっていたのだが、その初手が崩されてしまっていた。
(確かに連 携 を崩されたら厄 介 だとは思っていたが......)
内心で、フォルテは毒づいた。
というよりも相手が姿を変えることは分かっていたのに、これくらいで動揺したマリア教師が不 甲 斐 ない。屈強 の教師には珍しい失態だ。
止められない巨人......というか蜘蛛が迫ってくる。走行速度は圧 倒 的 に向こうが上だ。逃げようもない。イザベラの術はしくじり、マリア教師はまだ引きつった顔で硬直 している。フォルテは手早く左右を見回した。
コルゴンは年下でどうしようもない馬鹿だが魔術に関してだけは天才以外の何者でもない。チャイルドマン教師は言わずと知れた大陸最高の術者だ。このふたりがなにを判断したか、限られた時間で読み取ってそれをサポートし、統 括 する。
それがこの場面での自分の役割だと、分かっていた。問題は、実力はともかく実行力ではこのふたりに一段劣 ると自覚する自分が、本当についていけるかだが。
(迷 っていても仕方ない!)
チャイルドマンもコルゴンも、最初に準備していた攻撃術の構成を変えていない。牽制が失敗したため間に合わないのが分かっても、押し返すには威力が必 須 だと割り切っている。可能性の問題だ。弱い術で間に合わせても対抗できる見込みはゼロ。偶 然 でもなんでも、巨人の脚が止まることはあり得ないでもない。
もっとも、あり得ないわけでもないだけであって、実際には止まりそうになかった。
止めさえできれば、また仕切りなおせる。巨人そのものに通じなくとも......
あれだけの巨体が、脚で走っている。しかも高速で。足下への負担は相当なものだろう。巨人は自らの強度でそれを無視しているが、地面はそういかない。
「割れろ!」
巨人の足下を狙って術を発動した。地割れや巨人の疾走で脆 くなっていることを信じて、威力は求めない。範囲も最小限度に、巨人の片側だけだ。脚が踏 み込 もうとした地面に溝 を作って空 振 りさせる。
転 倒 まではさせられずとも、向きを変えさせた。軌 道 がずれて蜘蛛が戸 惑 ったその瞬間 に、チャイルドマンとコルゴンがともに叫ぶ。
大規 模 な空間爆砕が二発、巨人の身体を歪ませた。まずは空間歪曲 で一度、そののちの爆発で今度は損傷として。巨人が裂 けて吹 っ飛んだ。
割れた風船のようにぺちゃんこになって、壊 れた巨人が倒 れる。身構えたまましばらく見守ったが、動かないようだ。
「......終わったか?」
つぶやくコルゴンに、フォルテは、どうかなと疑問視した。
「完全に機能停止したかは怪 しいな。危ないところだった」
と思い出して、マリア教師を見やる。今の窮 地 の元凶 だ。
彼女はいまだ棒 立 ちで、言葉もないようだった。さすがに引っかかって文句も言いたくなる。
「マリア教師。今のはあなたらしくもない。どうしたっていうんですか」
「見た目が......苦手で」
彼女は悪い記 憶 でも振 り払 うようにかぶりを振った。
「ごめんなさい。でももう大 丈 夫 。いきなりで驚 いただけだから......」
「先生、これ系のもの全般、案外駄 目 ですよね。わたしはどっちかっていうと、脚 とかないほうが怖 いけど。芋 虫 とか」
「芋虫はわたしも」
なんの気なしのイザベラとマリア教師の言葉に、嫌な予感を覚えて。
フォルテは巨人の残 骸 に注意をもどした。
「なるほど」
コルゴンが、またうなずく。
「どうやら、ものを考えてるわけでもないようだ」
膨 れ上がって巨大な芋虫の姿になった物体に、みなで一 斉 に術を放つ。
今度は余 裕 を持った攻撃術を五人分食らって、巨人はまたぐちゃぐちゃに形を崩 されて吹っ飛んだ。
いまひとつ釈然 としなかったのか、イザベラが訊 いてくる。光熱波を放った指先をフッと吹きながら、
「ものを考えてないってのは、どういう意味?」
「結果が物語ってるだろう。分からないなら程度が同じということだ」
コルゴンが突き放してイザベラがムッとしかけたので、フォルテは横から言い足した。
「こちらの思考を読んで苦手なことをしてくるようだが、それだけだ。動きが鈍 くなったらかえって優位性がなくなった。一律の法則で行動するのみで、合理的なわけではない」
「タネがばれてしまえば、驚きもないしね」
と、マリア教師。
ただ......とチャイルドマンがつぶやいた。
「破壊できないことには変わりがない」
それを裏付けるように、残骸はうねうねと動き出した。
「今度はなにをしてくる......?」
フォルテは構えて、待ち受けた。
「こちらがして欲しくないと考えたこと、それをしてくるはずだ。分かっていれば逆に予想もつけられる......はずだが」
「じゃあ一応、試そうかしらね」
イザベラが声をあげる。
「まんじゅうこわーい」
「そこまで単純ではないようだな」
チャイルドマンが苦笑する。
イザベラ自身もそう期待していたわけではなかったのだろうが。しかし残骸の変化を見て、きょとんとした。
「あ、でもばらばらになるみたいですよ。まんじゅうくらいになる......のかな」
彼女の言う通り、巨人だったものはばらばらに分かれ始めた......ひとつが拳大 ほどの大きさに分解し、無数に分かれていく。しかしそれはまんじゅうになるわけではなく、それぞれの塊 が変形して、槍 と翼 を備えた小型の人形になっていった。
眼前の荒 野 に、数える気にならないほどの数で整列した敵を眺 めながら。
フォルテはうめいた。
「......誰が考えた?」
答えはなんとなく想像がついていたが......
コルゴンが、またあのしたり顔で言う。
「五千体ほどの小型の殺人部隊が完 璧 な連 携 を取って攻撃してきたらひとたまりもないなー、と漠 然 と考えていた」
「お前ええええっ!」
叫びながら直感する。
最悪の事態を想定して行動する、実用的な魔術士ほど、今回の任務は不利だ。
コルゴンはまったく動じず、そのまま続ける。
「しかし良かった。不可視にまで分 裂 して人体を内部から分解する微 生 物 になり、増殖 しながら全世界に拡 散 するのが一番まずいと思っていたのだが、さすがにそこまでの機能性はなかったらしい。性能の限界が見えたな」
「うむ。わたしは即 座 に爆発する時空破壊爆 弾 とかに変化されたら対抗のしようがないと心配した」
チャイルドマンまでそんなことを言い出す。
力が抜けて、フォルテはうめいた。
「頼 むから黙ってて......」
実際、そんなことを言い合っている暇 はなかった。
小型殺人部隊は進軍を始め、両翼 から退路を塞 ごうと広がっているのが見える。
〝完璧な連携〟がどれほどのものかは分からないが、知性未満の単純な命令で動作しているのであればかえって、その効率は侮 れないかもしれない。
「光よ!」
とりあえず真正面、敵隊列の中央に熱衝撃波を撃ち込む。小型部隊は素速く、広がりつつあったため多くを巻き込むことはできなかった。それでも十数体を吹き飛ばしはした──が、やはり破壊するまでには通じない。
「はあっ!」
イザベラとマリアは無茶を仕掛けた。群がる敵 陣 に踏み込んでいったのだ。飛びかかってくる小型の兵士を叩いて落としながら突き進んでいく。
無茶は無茶だが、突破できれば敵の有利は崩壊する。こちらから支 援 できれば敵陣の裏まで走り抜けられるかもしれない。
広がろうとしていた両翼も、突っ込んできたふたりを挟撃 しようと半分もどり、展開を遅 めた。
「壁 よ!」
敵の動きを阻 んで、フォルテはイザベラたちの側面に障壁 を出現させた。
集団が障壁にぶつかってくるが、術を崩せない。
「細かくなった分、弱体化した! 一体ずつなら破壊できるかもしれない!」
叫 ぶ。
聞く前に同じことは考えていただろうが、チャイルドマンが術を放った。
「光よ!」
強烈な熱衝撃波だが、たった一体に標的を絞 った。強大な構成の範 囲 を極端 に絞るこの制 御 力は天然型のコルゴンにはないもので、チャイルドマン教師の得意手だ。
強い閃 きが小さい兵士を溶 かし尽 くし、消散させた。塵 と崩れたのだ。
「やれた......!」
フォルテは囁 いた。独り言のつもりだったが、やはりコルゴンの耳に入っていたようだ。チッ、と彼が舌打ちするのが聞こえた。
「いまいちだったか......」
「なんで悔 しそうなんだ」
半眼でうめいてから。
「推測だが、あれの材質そのものが粒 子 大の魔術文字なんだろう。今の状態が最小単位だ。これで崩れると再生できない」
「だが、この数を全部やるのか?」
コルゴンが静かに指 摘 する。
フォルテも認めた。
「それは無理だな」
いくらなんでも力が続かないし、いずれはしくじる。敵が奥 の手を残していないとも限らない。
「もう一手、なにか必要だ。こいつらの動きを止めないと......」
「よおっしゃあ! 突 破 ぁー!」
イザベラの声が響 いた。
彼女とマリア教師は強引に小型兵士の中央を駆 け抜 けていて、向こう側に飛び出したところで振 り向いた。
まあ無傷とはいかず、尻 に何体かの兵士が槍 を突き刺 してぶら下がっていたが、それを払 いのけながら意気揚 々 と両手を掲 げる。
「こーれーで挟 み撃 ち! コルゴン、合体必殺技、ダブルサンシャインバーストやるよー!」
その掛け声に対して、コルゴンがうなずく。同じように構えつつ、
「よし。やってみよう」
「あるのか!? 」
フォルテの疑問に、コルゴンは不 審 げにやや首を傾 げながら、
「いや初耳だが、なにやら凄 そうではあるから」
「お前ら意外と仲いいな!」
どのみちふたりがやったのは挟撃で光熱波を撃ち込んだだけだったが。
布陣を崩された敵側はそれだけでもかなり混乱を来していた。ひとまずの形勢だけでも逆転したのはありがたい。
「兵隊だけあって、プランが崩れたら素直にパニクってくれんじゃない! 案外ちょろいよ!」
調子に乗るイザベラの声に、フォルテはふと眉 根 を寄せる。嫌 な予感がしたのだ。
兵隊らの動きが突 如 として変わる。混乱しながらも隊列を維 持 しようとしていたものが、軛 を解かれたように混乱のまま動き出した──蜘 蛛 の子を散らすように。
というより、蜘蛛のように。集まっていた小さい姿がわっと広がり、魔術で割られた地面の隙 間 や物 陰 に入り込んでいく。その場で土に潜 り込んでいくものもいる。姿も変わっていた。さっきも見たが、今度は小さな、無数の蜘蛛に。
(誰かが想像したな......?)
人間の動きを模 した小型の兵隊より、蜘蛛の群れのほうが恐 ろしいと。
考えたのは疑いなく、
「ひぃああああっ!? 」
存外と可愛 い悲鳴をあげてマリア教師が再度凍 り付く。足下から蜘蛛が大量に這い出して、彼女の足を登ろうとしていた。
もう蜘蛛は布陣のことなど気にしない。戦術など関係なく殺 到 していくだけだ。もともと高度な知性がないなら、いっそこうなるほうが脅 威 度は高い。
蜘蛛の群れが腰 を過ぎて全身を覆 いそうになったところで、イザベラが叫んだ。
「先生!」
蜘蛛の一 匹 を剥 ぎ取って、それをマリア教師の鼻先に突き付ける──
「えーと、その......そうだ! 蜘蛛料理は意外とさくさくして、チョコレート味! だそう......です」
マリア教師の悲鳴が止まる。
目を白黒させて、一瞬卒倒 するのではないかと見えたが、違 った。鼻先に突き付けられた蜘蛛をまじまじと見やって。
「え。食べられるの? これ」
「まあ、そういう人も」
イザベラは苦し紛 れに言ったのだろうが、マリアの恐 怖 心を紛らわせるのには成功したようだ。蜘蛛の動きも鈍 っている。
「これは......」
フォルテはつぶやいた。
「余計なイメージが紛れ込んで混乱しているようだ」
様子を見ながら、コルゴンが足下の蜘蛛を一匹拾い上げる。
そのまま、それに齧 り付いた。
「いや食うなよ!」
慌 てて止めるも、コルゴンも渋 い顔で蜘蛛を口から出して。
「食べるのは無理か。だがチョコレート味だ」
「......本当に?」
「ほんのりとだが。しかしやはり鶏 肉 に近いでいいのではないか。ゲテモノはみんなそれで誤 魔 化 す風潮 があるが──」
「いいよグルメ批評は!」
蜘蛛たちは攻撃目標を見失い、マリア教師の身体から退 くとさっきと同じパターンで、芋 虫 に変わった。そして。
「ぎやあ!」
持っていた蜘蛛も変化したため、イザベラは悲鳴をあげて投げ捨てた。
それがべたりと、マリア教師の顔面に貼 り付く。
「............」
それをゆっくり剥ぎ取って、マリア教師が告げる。
「こんなもの、なにが怖いの。なんの害もないでしょ毒もないし!」
「蜘蛛だって毒なんて滅 多 にないですよ」
引きながらイザベラが抗弁する。
マリアは追いかけた。
「脚がたくさんあるとキモイじゃない!」
「ないほうが怖いですって!」
ふたりが言い合っていると──それこそまさに気味が悪い光景だが、芋虫から何本もの脚が生えたかと思うとまた消える。
「これは......そういうことか」
得心したフォルテに、コルゴンが同意した。
「ああ。確かに。大層キモイ。そしてあの女どもは馬 鹿 だ」
「いやそうじゃなくて......まあ、そうではあるが」
と言っている横で、チャイルドマンが話をまとめる。
「嫌 悪 感が錯 綜 すると、こいつらも情報が混乱して動きが止まる」
「その間に一体ずつ潰 す......か。それもきりがなさそうですが」
まだ疑わしげなコルゴンに、フォルテは言った。
「地道にやっていくしかない。混乱が続いているうちに!」
その後も、物体は変化を繰り返した。
誰かの思いつきに反応して形を変えると、他の誰かが異を唱えて(?)変化に変化が加わる。物体は混乱し、その間に少しずつ破壊していく。
「ぎゃあああ!」
「今度はなんだ。鳥か!」
「誰の考えだ!? 」
「目が怖いし、こいつら食い方が残虐じ ゃない」
「寒い朝とかに膨 らんで丸くなってる姿とか思い浮かべなさいよ!」
「ああそうか......ん? 次は亀 か。怖いか?」
「だって手足引っ込むんですよ。あの中って普段は空っぽ? とか気持ち悪くない?」
「これは──ん? なんだろう」
「......本気でよく分からないわね」
「強引に口の中に潜り込み、歯の間を食い破って神経を刺 激 する拷 問 生物が仮にいたら嫌だなと」
「だからお前はもうなんにも考えるなー!」
小一時間ほども続けて......
ぐったりしたイザベラの背中を見ながら、フォルテも汗 を拭 った。体力のないイザベラが最初に脱 落 しかかっているが、疲労は全員似たようなものだ。
だが敵は。これだけやってもまだまだ大半が無傷のままだった。
「これは......なんとかなってはきたが」
うめくチャイルドマンに、フォルテも同意する。
「すごく面 倒 くさいですね」
「無 駄 に疲れる......」
ぜえはあと、マリア教師。
「苦手なものが多いのか、君とイザベラが狙われる率が高いな」
横目でつぶやくチャイルドマンに、マリアがじろりと視線を返す。
「あなたとコルゴンが異常な妄想でわけ分からないものを生み出す率もね」
「想像力と応用力だな。君のほうはなんだろう。潔癖症 か?」
「あの。疲れたからって仲 違 いしないでください」
フォルテが横やりを入れると、ふたりの矛 先 はくるりと変わった。
「......そういえば、あなたのはほとんど出てきてないわね」
マリア教師にまじまじと見られ、フォルテは居心地の悪さを感じた。いずれ気づかれるとは思っていたのだが。
「そうでしたっけ。別段苦手なものもないし、想像力とやらもないので」
皮肉で誤魔化そうとしたのだが無理だった。
四つん這 いになっていたイザベラが怪 訝 そうな眼 差 しとともに起き上がり、近づいてくる。
「なーんか隠 してるわね。秘密の匂 いがする......」
「まあ苦手なものというのは話しがたいだろうが」
チャイルドマンはさほど興味があるという顔でもないが、自分もいくつか苦手をさらけ出したので気になってはいるようだ(常に鼻水が出ているという理由で子犬と、花粉が溜 まってるのが気持ち悪いという理由で生花を嫌って、女組の顰蹙 を買っていた)。
「だが、なにか思いつくなら言ったほうがいい。こいつらは、まったく同じものにはもうならないようだ」
コルゴンは、敵たちと対 峙 してこちらに背を向けている。そのまま言ってきた。
「なんであれ、今のこれに襲 いかかられるよりはマシだろう。俺たちはもうタネ切れだが」
「......これ、なにになってるんだ?」
フォルテは疑問符 を浮 かべた。敵たちはさっき変化したのだが、またよく分からない形になっている。こんな場合、犯人はコルゴンなのだが。
「うむ」
コルゴンはきっぱりと断言した。
「一番厄介そうだと思うものにいちいち弱点を指 摘 されるのが悔しいので、もはやそうされないように、言葉では決して表現できず見ただけで失神するなんか名状しがたき感じのものをリクエストしてみた。一応なろうとしているようだ。できないかもしれないが、うっかりできてしまったらまずい気がする」
「お前はつくづくー!」
本気でどうしようもない奴を相手に怒鳴るのだが、それこそどうしようもない。
「つくづくだ! 本当につくづくだ! ああもう!」
叫びたくなったのは本音ではあるが。心のどこか冷めた部分で、これで誤魔化せないかという気持ちも否定できない。
イザベラにはそれを見 透 かされた。
「なんか逃げようとしてない?」
「うっ......」
ぎくりとして行き詰まる。
目を逸 らそうにも、イザベラはさささと回り込んできた。
「言いなさいよ。わたしなんてさっき、ちいちゃい水玉子 猫 ヴィッキーのお話を朗読されると三秒で泣いちゃうことまで暴 露 されたんだから」
「あれは笑えたわね。その後、子猫の群れに八 つ裂 きにされかけても泣いてたし」
真顔でマリア教師がつぶやく。イザベラは、キッと師を睨 んでから、またフォルテに視線をもどしてきた。
その向こうでチャイルドマンが言ってくる。コルゴンを横目に、難しげな顔つきで。
「......本当にまずいかもしれん。コルゴンがあれを見つめて、なにやら祈 祷 じみた譫 言 を口走るようになってきた」
「べろい べろい えんがらぶんぐぅ......」
敵の変化が完成しつつあるようだ。
フォルテは頭を抱 えた。
確かに、苦手なものとして真っ先に思い浮かぶものはある。
それが出てきた時、なんでそれが苦手であるのか、事情を明かさずみんなに説明することが難しい。つまり、そういうことなのだが。
だからどうにか考えないようにしていた。しかし状況は、実はかなり追い込まれている。ここで全 滅 ということもあり得る。
そうなるくらいなら、いっそ秘密など暴露したって......
「分かりましたよ! わたしが苦手なのは──」
指をさす必要はなかったのだろうが、そうすると。
物体は変形を始めた(コルゴンも、ハッと正気にもどった。いや正気なのかどうなのか分からないが)。
それはまた、無数の人間の姿になっていった。女だ。みなもよく知っている。
全員、同じポーズを取っていた。こちらに向かって斜 めを向いた姿勢。視線は合っていない。あさってのほうを見ているようで、しかし目の端 にこちらを含 んでいないわけでもない、そんな角度だ。腕 組 みしている。口はむくれて、なにかをごにょごにょ言っているようでいて......聞き取れない。
このすべてに意味があった。だがひとまずは、それが誰かということだ。
形を完成させた大量の小さいレティシャを眺 めて、五人、黙 り込 む。
その中でフォルテは覚 悟 を決めて待ち受けていた。これのなにが嫌 なのか、問い質 されるに違いない。意味を詮 索 されるだろう。そうでないわけはない。
と思ったのだが。
「ああ、なるほど」
チャイルドマンが納得の声をあげたので、フォルテは見やった。
「......なんですか、なるほどって」
「いや、今まで思いつかなかったが、確かにこれは嫌だ。苦手だ」
みな、口々にうなずき合う。
「満場一 致 」
「えー......」
断言したイザベラに、やるせない思いでうめいてから。
フォルテは師に向きやった。
「なんか否定してくださいよ。いいところ! なにかいいところを!」
「............」
しばしの沈黙を挟 んで。
みな、また口々に言い出した。
「そう悪い奴 ではないんだが」
「ああ。悪い人間ではない」
「悪い子ではないわよね」
「個人的には嫌 いだけど、まあなるべく良い面を見れば、取るに足らない無害なクソ女よね」
それで終わった。
「なんだかあんまりだろう......心が痛い......」
ぐったりとフォルテがくじけていると、寄ってきたイザベラが肩 に手をかけてきた。
「残 酷 な結果ね。ぶふっ。ぷっくけけけ」
「お前の性根も本当にとことんだな」
半眼で見つめる。イザベラは非難に動じるでもなく、腹を抱えて続けた。
「この話を聞かされた時の奴の顔を想像したらもう。ぶふー。けけー」
「いや待て。ちょっと待て。どうして聞かされる」
さすがに聞き咎 めた。イザベラは真顔で、
「そりゃ話すからよ」
「待て。待て待て」
「なにその動 揺 。あんたあっち派? その顔面で面食い? キモ」
「顔面関係ないだろう。それにそういう話ではない。無用なことを言って人を傷つけるな。不幸な結果しか招かない」
極めてまっとうに申し立てたつもりだったのだが。
イザベラはコルゴンと顔を見合わせ、心底きょとんとしてみせた。コルゴンがつぶやく。
「......なにを言っているのだ?」
「今の話を本気で理解できてなさそうな貴様らの感性がマジ怖 い。頼 むからやめろ。できれば貴様らであるのをやめろ。いっそ人間をやめて森に帰れ」
「そこまで言わなくても。いいわよ黙ってりゃいいんでしょ」
ぱたぱた手を振 るイザベラの向こうで。
小さいレティシャの群れをざっと見渡しながら、教師ふたりが疑問符を浮かべている。
「で......これはなにをしてくるのだ」
これまで物体は、どんな形になろうと攻撃をやめなかった。だからそれを混乱させるために変身させ続けてきたわけだが。
レティシャはじっとしている。よく見ると爪 先 で地面を叩いているが。それくらいだ。
「なにもしそうにないわね」
「でも、すっげ苛 ついてる」
不思議そうなマリア教師とイザベラに、フォルテは嫌々説明した。
「苛ついていて、それでいて絶対になにもしない。完全無視体勢だ」
そこが重要なのだった。
「これが一番面 倒 くさいし、鬱 陶 しい。これ以上嫌なものはない」
「......あっそう......」
理解はしてもらえたようだ。納得したかは微 妙 そうだったが。
「よし。では──」
淡 々 と、チャイルドマンが提案した。
「これ全部、一個一個処分していくか」
術を唱えて、手近にあった一体を高熱でどろどろに溶かした。小型のレティシャが苛ついた顔をさらに歪 ませ、地 獄 じみた怨 念 を響 かせながらぐちゃぐちゃに潰 れていく。
「それを......全部? あと何千体かはありますけど」
フォルテはぞっとしたが。
「うわーお! わたしもやっていんですかー?」
なんでかイザベラは活 き活 きと歓 声 をあげた。
やはり同じように術で一体をボロクソに爆 散 させて。
「すごい破 裂 したー! 破裂し過ぎ! あいつ破裂っぷりすげーい!」
それを横目に、コルゴンもマリアも無言で参加していく。
「なんだこれ......心が痛い......」
フォルテはしばらく眺 めていたが。嘆 息 して術を唱えた。
その作業には二日ほどかかったし、のちに何度も夢に見た。
無数の拗 ねたレティシャに対して、誰も、その面倒くささ厄 介 さに異議を申し立てなかった。それが結局、この物体の変形を封 じて無力化させたということなのだろうが。
まあ、彼女について誰もが納得するような都合いい良いところなどというものは出てこない。解決しようのない厄介どころのほうが多いくらいだ。
ただのちに、フォルテは思うようになる。
(まあ、それでいいってことなのだろうけどな)
そうでなければ惚 れはしないのだから。










「おお!......おおおおお、おお......」
雲に覆 われた夜空。
月のない晩、老 婆 がうめきながら歩いているそこは、いわゆる住宅街だった。黒々とした屋根の影 が、濃 い紫 の夜空の下を黒く埋 め尽 くしている。
「お......おおお......お......」
老婆はひとりで歩いていた。ずたぼろになった灰 色 のローブ──もっともボロ布と呼んだほうが適 切 かもしれなかったが──で、枯 れ木のような身体 をすっぽりと覆っている。
「なんということ──なんということじゃ。不 吉 じゃ。不吉な風じゃ......」
白 髪 が──何十年切っていないのかは不明だが──かなり長く伸 びている。老婆自身がかなり小 柄 なのと、腰 が曲がっているのとで、その白髪はほとんど地面に触 れるまでになっていた。灰色のローブと、白髪とにくるまれて、かろうじて外界に接しているのは顔面だけである。そのしわくちゃの顔を恐 怖 に歪 ませて、老婆は続けた。
「悪 魔 じゃ......悪魔が復活するのじゃ」
「にゃあ」
鳴いたのは、近くの塀 の上で寝 そべっていた猫 である。
老婆はちらりとそちらを見上げて──
猫が塀の向こうに逃 げていってから、視 線 をもどした。道の上に。
「わしは──そうじゃ。悪魔と戦うべく、戦士を見いださねばならぬ。強力な戦士を」
老婆はそこで立ち止まり、両 腕 を振 り上げて絶 叫 した。
「その者は人のうちで最も強くあらねばならぬ!──」
かっ──!
と、空を覆う暗雲が、稲 光 を発した。
その閃 光 に一 瞬 だけ照 らされて、老婆は叫 び続ける。
「全世界を救うため、戦う者が、勇 者 が必要なのじゃあああっ!」
「どやかましいいいいいっ!」
と──怒 鳴 り声と同時。
ばしゃん、と老婆は、水をぶちかけられてずぶ濡 れになった。両手を掲 げたポーズのまま、びしょ濡れになって固まっていると、一 拍 おいて空 のバケツも飛んでくる。老婆の後頭部に、それはあっさり命中した。
「何時だと思ってやがんだっ!」
ぴしゃりっ!
近くの家の二階の窓が力 任 せに閉じられる。
その夜、全世界に危機が迫 っていることを知っていたのは、その老婆ひとりだけだった。
世界が滅 びる前夜であろうとなかろうと、暇 な奴 は暇なのである。
「暇ねー......」
いつもの食堂のテーブルの上にぐったりとうつ伏 せて、力なくぼやいている女がいる。オーフェンは彼女を見下ろしていた。
黒 髪 、黒目、黒ずくめ、そんな黒 魔 術 士 である──それを証 しているのは、彼の胸 元 にかかっているペンダントだった。剣 にからみついた、一本脚 のドラゴンの紋 章 。大陸黒魔術の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ印 である。
女は女で、スーツ姿 のこざっぱりした様 子 である。ただなにやら疲 れているのか、うつ伏せになってうだうだとしている。
「もうそろそろ下宿に帰るから、送ってってくれてもいーわよ」
言われてオーフェンは、時計を見やった。針は十一時を指している。
「俺 は別に、暇じゃねえんだけどな」
オーフェンは素 っ気 なく答えて片目をつむり、ドライバーの先を確かめた。宿の主人に借りたものだが、古いわりには悪くない。
そして、テーブルの上に所 狭 しと並 べられた木片やネジをがさがさと探 ってから、必要なものを取り上げる。
「この作業、明日の朝までに終わらせなけりゃなんねんだ」
静かにそう言うと、折り畳 み式の梯 子 のようにも見える部分の先 端 に、拳 大 のゴム球をネジで固定する。
ふと......疑問に思ったのか、女──コンスタンスがテーブルから顔を上げた。うさんくさげな視線をじっとりとこちらの手 元 に投げると、半 眼 で聞いてくる。
「あんたさっきから、なにやってるわけ?」
「内 職 」
ひとことで、オーフェンは答えた。ゴム球を留 めた部品を軽く一 振 りし──バランスに難 ありと判 断 して、重量の釣 り合いを取るためにまた別の部品を探す。
コンスタンスは、テーブルの端 にある既 に完成した一品──ぎざぎざの口の巨 大 洗 濯 ばさみ──をつついて、聞き返した。
「内職......?」
「おう」
オーフェンはうなずきながら、道具の取っ手のほうに重りを付けてみた。今度は、そんなにバランスは悪くない。
「無 能 部 下 殴 り機、ボンバー君七号を作ってんだ」
「むのう......?」
彼女の動きが、ぴたりと止まる。怪 訝 な表情を浮 かべて、今度はさっきも触 っていた洗濯ばさみのようなものを指さすと、
「ねえ、これは?」
「無能部下はさみ機、ボンバー君六号」
「........................」
かなり長い沈 黙 のあと、彼女が見つけたのは、部品の下に埋 もれていた手動ドリルの改 造 版 である。
「......これは?」
「無能部下えぐり機、ボンバー君四号」
「............」
「ボンバー君シリーズは力作だからな。七種類ものバリエーションで、無能な部下をケガさせずにいたぶれる! まさに夢 のシリーズ! レインボーカラーに塗 装 すれば完成だ」
「ねえ、オーフェン」
震 え声をともなったひきつり笑 顔 で、コンスタンス──
「聞きたいんだけど、これって......誰 に頼 まれて作ってるわけ?」
「知りたいか? いや、どうせ次に任 務 に失敗した時には知ることになるだろーから、明後日 くらいには判 明 すると思うんだが」
「やめてちょーだいよ! あの部長にそーゆうもの渡 すのはっ!」
繰 り返して叫 びながら、コンスタンスが立ち上がる。
「ただでさえ最近、あの部長ってば、あごの骨砕 き機とか妙 なものを作って喜んでるんだから!」
「実はあれも俺がヒントあげたんだ」
「だからどーしてそーゆうことをすんの!」
「問題はこの一号なんだよな。無能部下勝 手 に髪 染 め機と名付けたんだが、染められて一番嫌 な色ってなんなんだろうな」
「あんたちょっと人の話を!」
「まあいいか。なんとなれば染 料 の代わりにマスタードとか入れて、無能部下そんなことやられたらなんかブルーになるよな機ってことにしてもいいし」
「なにがいいのよぉぉぉっ⁉ 」
と──
「ちょっと待て!」
オーフェンはボンバー君七号を放 り出し、はっと立ち上がった。
「待ってほしいのはわたしだわ」
なおも不満そうに、彼女。が、オーフェンは構 わずに続けた。あたりを見回しながら、
「なんか今、急に明るくならなかったか?」
「え?」
もとより、ガス灯 しか照明のない食堂は、あまり明るくはない──だが、いきなり白 昼 並 みの光が窓 から差し込んできていた。
「これはもしや」
オーフェンは、ぐっと拳 を握 った。
「ボンバー君シリーズの夜明けなのか?」
「絶 対 違 う絶対」
冷たく言い放 ちながら、コンスタンスは足早に窓へと駆 け寄 っていく。そして......
「なぁに? あれ......」
と、ひどくうさんくさげな表情で窓の外を見つめる。
オーフェンも、窓へと歩いていった。
「あん?」
片 眉 を上げて、絶 句 する。
窓から見えるのは、外の通りである。裏 路 地 街 の名の通り、あまり広い道ではないが、文字通りの路地というわけでもない。
その路地を眺 めて、オーフェンが最初に見たのは──
無数のかがり火の中で不 気 味 に祈 祷 を続ける老 婆 だった。
「悪 魔 じゃ悪魔! 悪魔が来るのじゃ」
オレンジ色の灯 明 の中、白 髪 を振 り回して小 柄 な老婆が踊 り狂 う。
道の両 端 にずらりと並 んだかがり火を、その老婆がどうやって調 達 したのかはオーフェンも知る由 はなかったが、曇 った夜空を下からあぶるように、炎 が赤々と燃えていた。

「悪魔が来るぅぅ。悪魔が来るぅぅ。悪魔が来たりて鍋 磨 くぅぅぅぅ」
じっと──それを見ていた。
腕 組 みし、ただじっと。あれから宿の外に出て、オーフェンは、ただ見ていた。その表情が、苦 々 しくこわばっていく。
彼は横にいるコンスタンスのほうへ、ゆっくりと向きやり、うめくように言った。
「なあ......かかわらないほうがいいような気がするんだが......」
コンスタンスもまた、自分と似たような表情を浮 かべている。
「わたしだって力の限りそー思ってるわよ」
うんうんと、オーフェンはうなずいた。くるりときびすを返して、コンスタンスの肩 をたたく。
「なら帰ろうぜ。俺、六号の威 力 強化をしなけりゃなんねんだ」
「それはやめてお願いだから」
彼女は即 座 にそう言ってくると、さらに顔をしかめ、
「あとちょっと待ってよ。もう少し見ておいたほうがよくない?」
カケラもよいとは思わなかったが、オーフェンは一 応 立ち止まった。
「おお! 悪魔が来るぞい。悪魔が来るぞい。やっほ、えっほほ、らっほっほ」
いつの間にか祈祷は謎 の踊りに変 じている。
オーフェンは、眉 間 のあたりに親指を当てて、きつく目を閉 じた。
「............なあ......」
呼びかけに、一 瞬 ならず同意の気 配 を見せる──が、コンスタンスはかぶりを振ると、
「どのみち、道路で火を焚 くのだけはやめさせないとならないでしょ。禁止行 為 だもの」
「あの踊りのほうがよほど禁止だと思うが」
気合いを入れて肩 をいからせ、大 股 で老婆のほうに歩き出すコンスタンスに、オーフェンはぼやきながらついていった。
「ちょっと! そこのお婆 さん!」
指を突 きつけながら進む彼女の声に──
老婆は、すぐさま反 応 してきた。顔を上げ、くるりとこちらを向く。
ただし、首から下はしごく器 用 に、不気味な踊りを続けていた。
「うっ......」
その異 様 な様 に、さすがにコンスタンスは立ち止まった。振り向いて言ってくる。
「ねえ......どーしよーか」
「どうするって──お前、一応仮 にもまあ名目上は警 官 だろ」
「それもそうね」
「反 論 なしか......お前」
「ねえ、どうしよう」
「だから、お前、注意するんだろ? さっさとしろよ」
「うー......」
かなり気の進まない様子で、(まあ無 理 もないが)、彼女は再び老 婆 の方へと向き直った。呼吸を整 えてから、口を開きかける。
その瞬 間 である。老婆のほうが早かった。
「むうっ⁉ そなたらはぁぁぁっ⁉ 」
あくまで踊りはやめないまま──顔だけこちらに向けて、聞いたらしばらくは夜中にトイレにも行けなくなりそうな声で絶 叫 する。
さらには、意 地 でも踊りは中 断 しないまま、かさかさと妙 な足音を立ててこちらへと駆 け寄ってきた。
走りながら、続ける。
「わしの目に狂いはない! 間 違 いないぞよ! 異 世 界 より来たりし勇者じゃな!」
「へ?」
間の抜 けた声をあげながらオーフェンとコンスタンスは、きょろきょろとあたりを見回した。そして──不 意 に、自分たちのあご先を指さすと、
「俺のことか?」
「わたしのこと?」
同時に聞き返した。
「うむ!」
老婆が、重 々 しくうなずく。その時点で、もうすぐそばまで近寄ってきている。踊りもやめていた。その代わり──かどうかは不明だが──ローブの中から突き出した、骨と皮だけの腕でガッツポーズを取る。そのまま続けた。
「間違いない! わしの祈祷により、異世界からはせ参 じたというわけじゃな。この世の悪を滅 ぼすために!」
「............」
しばしの沈 黙 ──
そしてオーフェンは、はっと気づいた。愕 然 と自分の両手を見下ろし、
「なんだって⁉ 俺が異世界からの戦士⁉ 」
「ちょっと......オーフェン......?」
青ざめて、壊 れたおもちゃを見下ろすような冷たい視線でコンスタンスがうめく。
オーフェンは、しーっと言って彼女を制 した。小声で続ける。
「いいから。俺が適当に調子を合わせて、あの婆さん引きとめておくから、お前は向こうの通りの病院から先生呼んでこいよ」
「分かったわ」
すぐに真 顔 で、うなずくコンスタンス。
「待たんかい」
冷めた声で突 っ込んだのは、老婆である。
「察 するところ、そなたらわしのことを、戯 言 を叫 びながら夜中に徘 徊 する、かなりヤバめで迷 惑 な美しい熟 女 だと思っておるな?」
「おおっ!」
オーフェンは、うろたえて後 ずさりした。
「戯言を叫びながら夜中に徘徊する、かなりヤバめで迷惑な婆さんの割にはかなりの的中率だ。八十パーセントは正解してるぞ」
「多分、そうじゃないって言いたいんだと思うんだけど......」
と、コンスタンス。
老婆は、彼女をびしいと指さした。
「その通りじゃ!」
「どの通りだってんだ」
半 眼 で、オーフェンはぼやいた。煌 々 と燃えているかがり火に向けて腕 を一 巡 させ、示す。非 難 を込めて、彼は続けた。
「こんなに火ィ燃やして。見回りの連中にフクロにされっぞ。見たところ消火用の水も用意してねえじゃねえか」
「異世界の戦士を召 喚 しようとしとるのに、そんなもんいちいち用意するかいっ!」
老婆が、抗 弁 して唾 を飛ばす。
その唾を避 けながら、オーフェンは、つい聞き返してしまった。
「なんなんだよ異世界の戦士ってのは」
言ってから、しまったと思う。
だが遅 かった。老婆は、待ってましたとばかりに、しわだらけの顔ににんまりと不 気 味 な笑 みを浮 かべてみせた。
「それは話せば、長くなるのじゃ......」
そのまま、遠い目になる。老婆は静かに夜空を指さし、続けた。
「今 宵 は見えぬが、あの位置には凶 星 がありよった──昨日 まではじゃがな。明け方に弾 けて消えたのじゃ。わしは凶星の異 常 にいち早く気づき......」
「あと二十分ほどひとりでしゃべり続けるに銅 貨 二枚」
「わたしは十七分ね」
「賭 けるなぁぁぁぁぁぁっ!」
老婆が、絶 叫 する。
オーフェンは懐 から出しかけていた銅貨をまた収 めると、うんざりと向き直った。
「ンなこと言ったって、聞きたくもないヨタ話を聞かされるこっちの身にもなってみろよな。賭けたっていいだろが。ここで銅貨二枚かせげれば、明日を食いつなぐことだって夢 じゃなくなるだろ」
「夢って、あんた......」
ぞっとした様 子 で、コンスタンスが突っ込んでくるが、あえて無 視 する。
「むう。最近の若い者は......」
ぜいぜいと息を切らせて、老婆がうめき声をあげた。ある程 度 呼吸を整 えてから、小さな肩 をすくめ、
「手 短 に言えば、じゃ。今宵、悪 魔 が復活することを知ったわしは、それに対 抗 できる戦士を見つけようとしていたのじゃ」

「やっぱり病院行きじゃねえか」
「なんでじゃ! わしはボケとるわけでも錯 乱 しとるわけでもないぞよっ!」
「みんなそう言うんだって、ほらほら。おぶってってやるから」
「ぬうう。異世界の戦士におぶられて病院に連れられていっては、なにがなんだか......」
「ねえ、お婆 さん」
少し離 れたところから(逃 げているのだ)、コンスタンスが不 思 議 そうに尋 ねる。
「さっきから、なんでわたしたちが異世界の戦士なわけ?」
「決まっておろうが」
老婆は得 意 げに胸を張 り、一番近いところで燃えているかがり火を指さした。
「このよーな神 聖 な儀 式 を見て近寄ってくるのは、聖なる異世界の戦士のほかにあるわけがなかろう」
「う〜む」
オーフェンとコンスタンスは、いっしょにうめいた。ふたりそっくりに腕組みして、
「納 得 はできんが反 論 の余 地 はないな......」
「確かに、さっきの踊 りを見て、のこのこと近寄ってくるような人間、この世界のどこにもいなさそうだもんねー」
「うむうむ。分かってくれればよいのじゃ。というわけで、異世界の若人 たちよ。わしのもとに集 い、悪魔を退 治 ......」
老婆のせりふは、そこで途 切 れた。
ひきつったように、その場で硬 直 する。
「............」
思い当たることがあって──オーフェンは、背 後 に向き直った。と、そこに、道をふさぐように、ずらりと男たちが並んでいる......
年 齢 はまちまち。十代から三十代というところか誰 もみな、どこにでもいるような普 通 の男たちである。ただ、みな一 様 に左腕に、腕 章 をつけている。
『第四十八町会青年団』
そして、先頭の男が旗 を持っていた。そこらの文具屋で調 達 できそうな、安っぽい旗であるが──『防 災 活動強化週間実 施 中 』とでっかく記してある。
その男たちのうちのひとり──誰でもいいが──が、低い声 音 でぼそりと声を出す。
「婆さんか......そこで火をたいてんのは」
「あ......いや......その......」
口ごもる老婆を横目で見ながら、オーフェンとコンスタンスは、そそくさと道のわきに退 避 した。老婆だけが取り残されて、こちらと青年団とを、焦 ったように見 比 べている。
青年団の声は、あくまで静かだった。静かに震 えていた。
「俺らも毎夜毎夜、仕事に疲 れた足を引きずって街 を見回ったけどよ......初めてだなぁ、こんなに派 手 な付け火はよぉ」
全員いっせいに、うんうんと二度うなずく。
オーフェンも同時に、うなずいてやった。コンスタンスは、ちょっと遅 れて、あわてたように素 早 く二回うなずいている。
老婆だけが置き去りにされて、後 ずさりしていた。かがり火が燃えるほうへと。それは結局、青年団の視 線 を再び火のほうへと誘 導 することになった。
だからというわけでもないだろう──いや、確かにそうだからか。青年団の男たちの瞳 に、ぽっと炎 の色が映る。
「かかあに尻 蹴 っぽられて、いやいや街を巡 り歩き、今夜が最後の日だったんだよ......なんも危 ねえことがなけりゃ、今夜で終わりってことになってたんだ......」
オーフェンは胸 元 で聖 印 を切った──魔 術 士 たちに信じる神はないが。コンスタンスは単に、目を覆 っている。

老 婆 は、青年団と向き合って、しばしひきつった硬直を続けていたが──やがて、立ち直ったようだった。
汗 を垂 らしながら、うめくのが聞こえる。
「むう......このよーに大勢、異世界の戦士が現れるとは......」
「なにを言ってやがるこの婆 あぁぁぁっ!」
青年団が、いっせいに怒 鳴 り声をあげた。
「で、結局なんなんだ? 悪魔ってのは」
さすがにフクロにまではされずに老婆も解放され、青年団の手によって、かがり火が撤 去 されたあと──
オーフェンらは、もとの食堂にもどっていた。例の老婆も連れてである。病院行きは取りやめになった。この老婆、保険に入っていないらしい。
さっきと同じテーブルで、ボンバー君やら工具やらが散らかっているのもそのままだった。オーフェンは手近な部品を積み重ねてわきにどけながら、老婆の返事を待った。
「うむ」
身長がないため椅 子 の上に補 助 椅子を置き、さらに正座して、それでようやく胸がテーブルの上に出ている。老婆は愁 眉 をさらに翳 らせ、薄 い胸 板 から息を吐 き出した。
「話せば、長くなるのじゃが......」
「そーいやコギー、お前んとこって三人姉妹なんだって?」
「あれ、キースにでも聞いたの? そうよ」
「そなたら、聞く気があるんかい!」
じっと半 眼 でこちらを見やって、老婆が釘 を刺 してくる。が、オーフェンは退 かずに言い返した。
「手 短 に言う気があるんなら、聞いてやってもいいぞ」
「ったく、最近の若い者は風 情 を知らん」
老婆はそう毒 づいてから、さらに口をとがらせた。
「だいたいわしらが若い頃 は、先 達 を尊 敬 し、その言葉を尊 んだもんじゃ。人より長く生きた者の知 恵 には価値がある。それが分かっとったもんじゃ。やはりこの国は、若い者から滅 びていくんかいのう」
それを聞きながら──いや、聞き流しながらオーフェンは、涼 しい顔でテーブルの少し離 れたところにある工具を取り上げた。
「誰 から滅びるか試 してみるか?」
「手短に話すのが良いと、わしも思っておったところじゃよ、うむ」
老婆はその言葉にというより、こちらの手の中の糸ノコを見て、あっさり言い直した。
「つまりじゃ、悪 魔 というのは、とても恐 ろしいのじゃ」
「どんなのよ」
と聞くコンスタンスに、うなずいて、老婆。
「うむ。とっても恐ろしいものなのじゃ」
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
オーフェンは、深 々 と嘆 息 しながら席を立った。ボンバー君をテーブルに置き、すたすたと老婆の背 後 へと回って──
細い首 筋 に糸ノコを突 きつける。
「不快指数が増すごとに、一回引くからな」
「実はわしも、そろそろ核 心 に迫 ったほうが良かろうと思っておったところなのじゃ」
ぴしっと姿 勢 を正して、老婆が断 言 する。
「つまりじゃな......」
「ふんふん」
コンスタンスが、テーブルの上に乗りだして聞く態 勢 を作った。それを見 据 えて──今度こそ真 剣 な眼 差 しで、老婆が口を開く。
「とぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっても恐ろしい悪魔なのじゃ」
「まあ、首がいらないと言うのなら、俺も特に止めはせんが......」
「いや、だからじゃな!」
糸ノコを(かなり本気で)引こうと力を込めたこちらの腕 を、わっしとつかんで老婆がわめき声をあげる。
「まだわしにも分からんのじゃ、つまり。なにしろ、まだ復活しとらんのじゃからして」
「復活ねえ」
糸ノコをテーブルの上に投げ出して、オーフェンは老婆の後ろから離れた。天 井 を見上げ、心当たりを探してみる。
「復活する悪魔......悪魔。覚えがねえなあ」
「いんや。あるはずじゃぞ。歴史上、悪魔と呼ばれたあの男......」
「あくま──」
つぶやいて、ふと──
オーフェンは、はっと顔色を変えた。
「悪魔の王子か?」
「なにそれ」
緊 張 感 などカケラもなく、コンスタンスが聞き返してくる。両手を組み合わせてあごを支え、肘 をテーブルにつけていた。
オーフェンは、彼女のほうを向き──
「昔、王家にあって強大な魔 力 を有した狂 気 の王子......ヒュキオエラ王子。強 烈 な魔 王 崇 拝 者 だったことでも知られている」
「ああ。そーいや歴史でそんなの習ったような気もするけど」
コンスタンスはあくまで気楽だったが、オーフェンは、神 妙 な眼 差 しをそのまま老婆のほうに移した。老婆もじっとこちらを見返し、骨 張 った指を絡 み合う蜘 蛛 のように組み合わせている。
「......そなた、異 世 界 の戦士のくせに博 識 じゃのう」
「だからもう異世界はいーから」
オーフェンは少し意 気 をくじかれ、肩 をコケさせながら、続けた。
「彼は貴 族 連 盟 の手により抹 殺 された。それがのちの貴族内革命につながっていくんだ」
「そう。その悪魔が、復活するのじゃ」
鈍 く震 える声で、老婆がわめく。
オーフェンはただ息を呑 み、立ちつくしていた。そして......唐 突 に半 眼 になる。
「おいコラ、婆 あ」
「なんじゃね?」
ポーズを変えないまま、老婆が応じる。
オーフェンは冷たく聞いた。
「なんで死んだ人間が生き返るんだよ」
「なに言ってるの! オーフェン⁉ 」
ばんっ! と立ち上がったのは──
コンスタンスである。彼女はふるふると握 り拳 に力を込めて、大声で言ってきた。
「死後の世界をまだ信じないつもりなのっ⁉ こーなったら、わたしの実家の怪 談 ・第二弾 ! 楽しげに震える合わせ鏡の白い手のお話を聞かせてあげなければならないよーね!」
「お前の家は怪 奇 博 物 館 かい! 過去になんかよっぽどあくどいことでもしてきたんじゃねーのか?」
「なによその言いがかりはっ! 確かに父さんの葬 式 の時には、近所の子供に泥 団 子 投げつけられたり、ちょっと離れた物 陰 からくすくす笑いが聞こえてきたりしたけどっ!」
「いや......あの、そーゆうふうに盛り上がってもらっても困るんじゃが」
おずおずと指先を差し伸 べてきて、老婆。
ぎろりとにらみつけて、オーフェンは聞き直した。
「てめえがさっさと話さねえからだろ。で、結局なにがどーなってるってんだよ。王子が復活するんなら、そう思う根 拠 はなんだ?」
「うむ。話せば長く──」
がたっ。
オーフェンが黙 って椅子を振 りかぶると、老 婆 は素 早 くあさってを向いて、
「ならないように努力するのが美 徳 じゃと思うのじゃ。つまり、発 端 は──」
その、刹 那 だった。
がしゃああああああんっ!
いきなり、窓 ガラスをぶち破 って、食堂に石が投げ込まれる。
「なんだっ⁉ 」
石は──
窓を破って放 り込まれ、放 物 線 を描 いて、床 の上に......落ちなかった。
床の上、一メートルほどの高さのところに、空中で停 止 している。
「婆 さん⁉ 」
オーフェンは、老婆に向かって尋 ねるように叫 んだ。老婆は驚 愕 に目を見開き、身体 を震 わせている。
「こ、これは......!」
声に応 えるように、石は変化を始めていた。
細 かく振 動 しながら、膨 張 し──
一 瞬 後 には、石は木の人形になっていた。
「............」
沈 黙 ののち、コンスタンスが首を傾 げる。
「なんで木になるのかしら......」
「婆さん?」
オーフェンが聞くと、老婆ははらはらと感動の涙 をこぼしていた。
「うむうむ......ヒロインが事情を話そうとしたところに襲 いかかってくる刺 客 その一! 王道じゃ王道じゃ」
「存在の引き算......か?」
老婆のほうはとりあえず無 視 して、オーフェンは小さくつぶやいた。耳ざとく、コンスタンスが聞き返してくる。
「引き算?」
「だとしたら......王子の話、あながち──」
オーフェンは答えず、現れた木の人形と対 峙 した。構 えていた椅 子 をぐっと握 りなおす。
木の人形には、目がない。動きも緩 慢 で、自分がどちらを向いたらいいのかもよく分かっていないような有 様 だった。むーむーうめきながら、頭をふらふらさせている。
「まあいいさ。たたき壊 すだけだ」
オーフェンは独 りごちると、椅子を振り上げた。と──
「うつけ者ぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
突 如 として響 いた怒 鳴 り声は、無 論 、老 婆 のものである。
「へ?」
オーフェンが向きやると、老婆は親指を下に向けてブーイングのポーズを取り、
「異 世 界 の戦士が、椅子で戦うとは何事じゃっ⁉ 」
「やかましいわぁぁぁぁっ!」
オーフェンは怒鳴り返したが、老婆はまったく動じずにブーイングを続けると、
「王道も風情もお約束もないっ! そんなものは、勝利の女神たるわしが認めぬぞっ!」
「あーあー。はいはい」
やけくそになってうなずきながら、オーフェンは椅子を下ろした。右 腕 を差し上げて、ぶつぶつとこぼす。
「くそったれが。屋 内 で魔 術 を使うと、あとでマジクの奴 がうるせえんだけどなぁ」
文 句 を言いつつ集中する。
「我 は放 つ光の──」
「またもやうつけ者ぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「............!」
物 言 い第二弾 に、集中が途 切 れる。渋 面 を作って、オーフェンはまた老婆に向き直った。
「今度はなんだ?」
聞く。と、老婆は深 々 とうなずいた。
「そなたは戦士じゃからして、呪 文 は使えんのじゃ」
「なんのことだ⁉ 」
叫 ぶこちらのことはまるっきり構 わず、老婆はマイペースで椅子から飛び降りた。すたすたと近寄ってくると、ローブの中からなにやらごそごそと取り出す。
「これを使うのじゃ」
その取り出したなにかを手 渡 してくる。
「この伝説の剣 を!」
「おうっ!」
答えて、オーフェンは受け取った。剣ならば扱 える。彼はそれを、高々と掲 げた。
「............⁉ 」
掲げて──凍 り付いた。剣は、錆 びついている上に刀 身 が半 ばで折れていた。
老婆が、あっさりと続ける。
「世界のどこかから折れた剣先を探し出し、飲んだくれの鍛 冶 屋 を家出息 子 と対面させてやってから、修 復 してもらうのじゃ」
「なんじゃそりゃああああああっ!」
オーフェンが、頭を抱 えて絶叫した、その時である。
声をあげたのは、コンスタンス──
「............え?」
理解しかねた様 子 の、ほうけた声。
瞬 間 ......
むおおおおおお!
木 人 が、雄 叫 びをあげた。そして、その叫 びが終わらないうちに、一 瞬 で突 進 してくる。
「────⁉ 」
オーフェンは声に出さないまま叫び、コンスタンスを突 き飛ばすと、自分も後方に跳 躍 した。
そのあとを──
つまり老婆の上を、木人は走り抜 けていく。
「ほんぎええええええっ!」
老婆の悲 鳴 を残して、木人は向こうの壁 まで駆 け抜けていくと、壁に激 突 する寸前でぴたりと立ち止まった。またゆっくりとした動作にもどって......のろのろと、こちらを向く。
「し、しゃれになんねえな」
もみくちゃになった老婆を見下ろして、オーフェンはうめいた。
再び、木人が突進の構えを見せる。
「とりあえずっ!」
オーフェンは叫ぶと、近くのテーブルを、木人が突進してくる方向へと蹴 り出した。だが、木人は躊 躇 なく突っ込んでくる。
「駄 目 か⁉ 」
覚 悟 を決めて、横に逃げる。粉 々 に砕 けるテーブルの破 片 と、さっきよりか細 くなった老婆の悲 鳴 とを背 後 から気 配 で感じつつ、オーフェンは駆け抜けていった木人の背中を見やった。木人はまた反対側の壁の手前で止まり、ぎしぎしと向きを変える。
「オーフェェェン!」
突き飛ばした際 に離ればなれになったコンスタンスが、泣き声じみた声をあげる。木人が立ち止まったのが彼女の手前だったのだ。
「さっさと倒 してよぉぉっ! いつもみたいに素 手 で殴 り倒せばいいでしょー!」
「そんなもんと取っ組み合いができるかっ」
オーフェンは叫び返した。コンスタンスは頭を抱 えて泣きわめいている。
「そんなこと言ったって、わたしとってもピーンチじゃない!」
もっとも、木人は彼女のことは眼 中 にないらしく、再びこちら──いや、踏 みつぶされたままの老婆のほうへと向きを変えている。
「ば......婆さん? 即 座 に死んだか?」
少しビビりつつ、オーフェンは聞いてみた。砕けたテーブルの下に埋 もれ、ふらふらと、老婆が身を起こす。
「ぬう。かなりの強敵じゃな」
「いや、魔術を使えばすぐに倒せる......」
オーフェンがうめくが──
「そんなことは許 さんぞ」
頑 固 にこだわる老婆。
「なにやってんのよ、あんたたちはっ!」
たまらずに、コンスタンスが大声を張 りあげるのが聞こえてきた。彼女は木人を避 けるように身体を遠ざけながら、
「なんか武器があればいいわけでしょ⁉ 」
そう叫んで彼女が気づいたのは──
テーブルである。例の工具やら部品やらが広げられている、もとのテーブル。
「これでっ!」
「それはっ⁉ 」
彼女がとっさにつかんだものを見て、オーフェンは驚 愕 の声をあげた。
「ボンバー君二号! またの名を──」
だが彼女は構わずに、手に持ったブラックジャックのようなものを、木人の後頭部へと振り下ろしていた。
かっ──!
爆 音 は、食堂に轟 いただけ、耳には聞こえなかった。少なくともそのような気がした。
爆 発 のあとに、残ったのは──
もはや動かない木人の下半身だけである。
すすだらけになり、まったくびっくりひきつった表情で、自分の手 元 ──ボンバー君二号を見下ろすコンスタンスを遠くから眺 めて、オーフェンは静かに告げた。
「ちなみにそれは無 能 部下焦 がし機だ。仕込んだ火 薬 の量が企業秘 密 」
「なに考えてんの、あんたはぁぁぁっ!」
コンスタンスが絶 叫 する。
「こんなの部長に渡 してわたしを殺す気⁉ 」
「いんや。ただおもしろいだろうと思って」
「さっきの『ケガさせずにいたぶれる』ってのはなんだったのよ! こんなの死ぬわよ! 確実にっ!」
「あれはただの宣 伝 文 句 だ」
「あんたはねぇぇぇぇぇっ!」
彼女は、こちらへと詰 め寄 ろうとし──
そして、いつの間にか木人のそばに移動していた老 婆 につまずいた。コンスタンスは立ち止まったが、老婆は気にもせず、その場ではらはらと涙 を流している。

「むうう。窮 地 にあって、一 瞬 の機 転 で強敵を倒 す。王道じゃああ」
「火力の勝利という気もするが......」
オーフェンが密 かに指 摘 するが、老婆は聞いた様 子 もない。
「わしは確信するじゃ! これにてますます王道を極 め、忌 むべき悪魔をも倒せると!」
「いや、俺は別に、あんたに協力するとは一言も──」
その、直後である。
不 気 味 な声が響 いたのは──
《くっくっく......これで勝ったとでも思うのか、女王シビリアスよ......》
「なんじゃと⁉ 」
老婆が、弾 かれたように声の聞こえてきたほうへと向き直る。
声を発したのは──上半身が完全に吹 っ飛 んだ木人だった。
だが、そんなことよりも、オーフェンはぞっとしながら聞き返していた。
「婆 さん......」
震 え声で続ける。
「あんた、名前があったのか⁉ 」
「『女王』は無 視 かいっ!」
老婆──シビリアスが、叫ぶ。
そうしているうちに、木人の下半身は、先の石として投げ込まれた時そうしたように、振 動 を始めた。そしてまた、その振動が終わった瞬 間 には、──
木人の下半身は消えて、新たなる人 影 が現れている。
「............紙?」
呆 れたようなコンスタンスのつぶやき通り、そこに立っていたのは、紙ぺらでできた人形だった。どうコメントすべきか動きが取れずにいるオーフェンを無視して、シビリアスが、骨 張 った腕 をそちらに向ける。
「まさか、あなた自身じゃったとはな──我 が父、ヒュキオエラよ!」
「な・にぃぃぃぃぃぃっ⁉ 」
オーフェンのあげた驚 きの絶叫に──その吐 いた息に押 しやられるようにひらひらと、紙人形は笑っていた......
(なんとなく続く)

夜は静かに過ぎていく。
「......王子?」
疑 わしげなコンスタンスのつぶやきには答えず──オーフェンは、あんぐりと口を開いたまま硬 直 していた。テーブルをひっくり返されたりして散らかった食堂の中は、乾 いた沈 黙 に凍 り付いていた。沈黙の粉 をまかれたように、吸った空気もぱさぱさと苦 い。
「王子......様?」
ぼそぼそと、見えない相 手 と会話でもしている口 調 で、コンスタンス。まだ結 論 には達しないのか、とうとう暗算でもするように目を閉 じる。つぶやく声も低くなり、ぶつぶつひとりで続ける......
砕 かれたテーブルの残 骸 や、あちこちに蹴 り飛ばされた椅 子 。とにかく散らかっている。宿の亭 主 がいたならば、目を回したろう──いやどちらかというと亭主の息 子 がいたならば。幸 い、ふたりは今夜はいない。実を言えばオーフェンは留 守 番 を押 しつけられていたのである。
まあどのみち、いない人間のことはどうでもいい。その散 乱 する木 片 やらなにやらの真ん中で、ぼろぼろになって立っている白 髪 の老 婆 も、どうでもいい。
問題は、老婆と対 峙 しながらへらへら揺 れている紙の人形だった。
と、コンスタンスが、ぱかと目を開く。じっと据 えた眼 差 しを紙人形へと注 ぎ、指 を指 して、叫 び声をあげる──
「あれが王子さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉ 」
「やかましいわぁぁぁっ!」
オーフェンは力の限り、彼女に絶 叫 した。
だってぇ、と拗 ねた表情を、コンスタンスが返してくる。指を引っ込めると、小さくいやいやをするように肩 を揺 らして、
「あんまりじゃない? これって」
「ンなこと言ったって仕 方 ねえだろ。存在が引き算されてんだから」
静かにそう答えると、ぴくり──いや、へらり、と紙人形が顔をこちらに向ける。
《ほう。貴 様 、我 が秘 法 を知っているのか》
どこから声を出しているのか不明だが、話しながらもへらへら揺れて、紙人形──話を信じるならばヒュキオエラ王子は、今度は紙でできた指先までもこちらに向けた。

目の前にいる老婆──こちらの話を信じるならば、かの王子の娘 シビリアス──を無 視 するような形で、続ける。
《魔 術 士 なのだな? 二百年を経 て蘇 り、後世に生き延 びることができた我が後 輩 たちを見ることができようとは、実に愉 快 》
「その二百年前の時代だったらいざ知らず、今は見習い学生だって〝存在の引き算〟は知ってるさ」
《ほほう。それだけ普 及 したと》
「するかぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
叫びつつ、どばし、と床 を足でたたく。
だが、王子は聞く耳ない様 子 で、へらへらとひとりうなずき、
《うむ。我が師 の創 始 せし、一存在固定変 換 の秘 義 。やはり我 らは来 るべき未来を正しく読みとりその先 駆 を》
「違 うと言ってるだろーがっ!」
「......なんの話をしてんのよ」
まだ少しショックは抜 けていない様子で、コンスタンスが言ってくる。オーフェンはぎろりと彼女をにらみやり、答えた。
「......だから、存在の引き算だよ」
「なにそれ」
素 っ気 なく聞き返しながら、コンスタンスは紙人形のほうを見つめている。
オーフェンは深 々 と嘆 息 した。
「人間を人間以外のものに変換する理 論 だ」
「......人間以外って......それが紙なわけ?」
「いや、だから、それにも一 応 理由があるんだよ。じゃなきゃ、あんなわざわざ紙なんぞに成り下がる馬 鹿 がいるわけねえだろ」
《おいっ!》
紙人形が、抗 議 の声をあげる──
オーフェンは、ずっと固 めていた拳 を紙人形に向けた。
「うるせえ、紙!」
《紙と呼ぶな! 紙と!》
さすがに王子が、叫び返してくる。が、オーフェンはきっぱりとかぶりを振 った。
「黙 れ紙!」
《だから紙と呼ぶなと》
「やかましい! 紙は紙だ、紙! いいか、紙! 紙の分 際 で直立歩行しやがって、紙は紙らしく洟 でもかまれてろ! なぜなら紙だからだ! 分かったか紙!」
《うううううう》
王子がひるんだ隙 に、オーフェンはきらりと目を輝 かせると、さらに語 気 を強めた。
「とにかく紙が! へらへらすんな紙! 薄 っぺらいんだ紙! 水かけてしおしおにすんぞ紙! はっとくと湿 気 を吸って縦 目 にたわむぞ紙!」
《あああ、そんな専門的なことまで》
ひらひらと落ち込むヒュキオエラ王子(紙)をじっと見下ろし、オーフェンは、さっと身 構 えた。弓を引き絞 るように右手を身体 に引きつけて、大 音 声 をあげる。
「と、隙を見て──我は放 つ光の白 刃 っ!」
かっ──!
膨 れ上がった光熱波の爆 裂 は、食堂の床ごと、紙人形を吹 き飛ばす。
巻き上がる炎 の中に消える紙の姿 を確 認 してから、オーフェンは、老婆を素 早 く担 ぎ上げ、ちらとコンスタンスに目 配 せした。
「おし。行くぞコギー」
突 然 のささやきに、虚 を突 かれたのか、コンスタンスが驚 いたように顔を上げる。
「へ?」
すっとんきょうな声で聞き返しながら、コンスタンスは炎を見やった。
王子の姿は、もううかがうことはできない。だが......
「今のうちに逃げるんだよ !」
オーフェンは彼女の手をひっつかむと、そのままダッシュで食堂を飛び出していった。
「きゃああああああああああああああ──」
とにかくひたすら全力で。
立ち止まることなく、オーフェンは走りつづけていた。
いくら訓 練 されたところで、人間がダッシュできる距 離 はせいぜい百メートル足らず。しかも老婆を抱 えて、コンスタンスの手を引っぱっている。全力はものの数秒ももたなかったろう──だがそれでもオーフェンは力の続く限り足を止めるつもりはなかった。
「きゃああああああああああああああ──」
複 雑 な裏 路 地 街 を左右に曲がりながら、ひた走る。時刻も真夜中近いうえ、もともと人通りの少ない道だけに、どうしたのだと呼び止められることもないが、そうされたところで止まるつもりはさらさらなかった。
「きゃああああああああああああああ──」
さっきから手を引いているコンスタンスの悲 鳴 が、全力疾 走 のあとを追うように響 きわたっている。ついでになにやら派 手 な泣き声と、地面を引きずるような音、曲がり角を曲がるたびに、振 り子のようになにかが揺 れて壁 に激 突 するのが分かったが、だからといって止まるつもりはまったく──
「............」
ふと、なにかに気づいて、オーフェンはぴたりと立ち止まった。
悲鳴も、泣き声も、引きずる音も、激突音も同時に消える。いや──泣き声だけは残っていたが。
ひっく、えぐっ......というすすり泣きを後ろ耳に、オーフェンはそろりと汗 を垂 らした。
「え〜と」
コンスタンスの手をはなし、老婆は抱えたまま、振り返る。
かなり走ったので、もといた宿屋からはだいぶ離 れている──あのあと紙が正気にもどったとして、追いかけてくるまでしばらくはかかるだろう。彼らがいるのは、奥 まった路地のひとつである。そこで──

泥 だらけでぼろぼろになり、あまつさえ額 からだくだくと血をあふれさせている彼女に向かって、オーフェンは静かに口を開いた。
「そー言えばコギー。お前、いつまでも人に引きずられてないで、自分の足で走ってくれないと、非 常 に重くてとても迷 惑 だぞ」
「なんなのよそれはぁぁぁぁっ!」
泣きながら、コンスタンスが絶 叫 する。
「うむうむ」
うめいたのは、老婆だった。抱えられたそのままで、何度もうなずいている。
「傷 ついた端 役 女Aを介 抱 するヒーロー。王道のような気がするじゃ」
「端役女?」
半 眼 で、コンスタンス。
オーフェンはそのふたりを見下ろしながら、ぺいと老婆を放 り出した。白髪の老婆をにらみやり、うめく。
「ンな些 細 なことはいいんだよ」
「些細?」
傷口から噴 き出る血を指さして口をはさんでくるコンスタンスは当然無視して、
「これだけははっきり聞いておきたいんだけどな、婆 さん」
「......なんじゃ?」
「あれは本当にヒュキオエラ王子なのか?」
「無 論 じゃ」
縦 に首を振り、シビリアスは右手を握 って親指だけを立てるポーズを取り、さらに斜 めに構 えてみせた。
「......いや別にポーズは取らなくていいんだが......」
ぼやくオーフェンに、取り合う気 配 もない。
「ふっふっ。青いのう。このよーな重大な発言にはポーズは不 可 欠 というのが王道じゃ」
「その王道ってのが釈 然 としないんだが」
「ねえ、オーフェン」
ごしごしと血をぬぐいながら、コンスタンスが口をはさんでくる。
「今のって、重大なことなの?」
「多分な」
と、ため息をつきつつオーフェンは続けた。
「大陸魔 術 史 上 には、究 極 のバケモノだとか至 高 のツワモノだとか無 敵 のクセモノだとか、いろんな魔術士が伝えられているんだが」
「まあ、そういうもんよね」
「ヒュキオエラ王子を分類するなら──」
オーフェンは、ふと口ごもって腕 組 みした。そのまま単語を探す──と、ようやく思いついて、彼はぽんと手を打った。
「赫 々 たるキワモノ」
「......なんか、金銀銅メダルと繰 り下がっていって、一〇二位の砂メダルをもらいましたみたいなノリね、それって」
コンスタンスが、分かりにくいことを言ってくる。
「でもあの紙がそのヒュキオエラ王子とかいう人だったとして、なんか意味があんの?」
「いや、だからな......」
オーフェンが、説明しようと彼女に顔を近づけた。その時だった──
《つまり、わたしには 勝てない、ということだよ......》
ずざりっ......
と、足音でもすればそれなりに決まったのだろうが──とっさに振 り返った彼らの目に実 際 に入ったのは、根 性 のない昆 布 のようにひらひらと風に流れて降りてくる、黒こげになった紙切れでしかなかった。
ゆったりと──へらへらと──それが、地上に降り立つ。
一 応 それなりに緊 張 しながら、オーフェンはうめいた。
「もう来たのか......」
「え?」
なんのことか分からなかったのか、コンスタンスがうめく。と──ふと気づいたのか、彼女は頭を抱 えて悲 鳴 のような声をあげた。
「さっき燃やしたやつ⁉ これって」
《ふっ......》
髪 をかき上げる仕 草 ──なのだろう、人型でさえあったなら──を見せつつ、王子が答えてくる。ぼろぼろになっている薄 っぺらい胸をどこか得 意 げに反 らし、
《紙だ紙だとはやし立てられ、一時不 覚 にも落ち込んでしまったが、考えてみれば馬 鹿 と言う奴 が馬鹿であるわけで、そんなことを思いついて自己完結したのだよ。ふふふ》
「いや、ふふふって、あんた......燃やされたのは無 視 ?」
呆 れたようにコンスタンスがつぶやくのだが、取り立てて誰 も構 わない。ただ周囲のすべてに無関係に、感心するようにうなったのは、老 婆 だった。
「ううむ。この王道を極 めた出 没 タイミング......やはり、王家の血は伊 達 ではないということかのう......」
しみじみと感 じ入 っているのだが、その横で、オーフェンは冷たく指 摘 した。
「あんたの言う王道ってのはお約束のことなのか?」
淡 々 と続ける。
「それに、どー考えても、そこらで話を立ち聞きしながら、出ていくタイミングを計 っていたとしか思えんのだが......」
《ぎく》
意外と正 直 に、紙が動 揺 する。
「............」
一同、しばし静まり返り──
あたりをきょろきょろと見回してから、咳 払 いをして、シビリアスが叫 んだ。
「それはそれとしてっ!」
と、骨 張 った指で紙人形を指さす。
「父・ヒュキオエラよっ! ここで会ったが百年目じゃなっ!」
さっき会ったばかりじゃないか、とオーフェンは胸 中 でつぶやいた。
《うむ!》
紙は、大 仰 に同意して答えてくる。
《あれはあれとして、ここで会ったのも百年目であるなっ!》
さっき会ったばかりだろ、とオーフェンは胸中でつぶやいた。
そして、それぞれ口に出して突 っ込む代わりに──腰 溜 めに両手を構え、魔 術 の構成を虚 空 に解 き放 つ!
「我 は放つ光の──」
だが──
魔術が発動する一 瞬 前 、標 的 をにらみ据 えていたオーフェンの視 線 に──紙の王子の眼 差 し(目はないが)が、ぴたりと合った。
(しまった!)
気づかれていたことを悟 り、舌 打 ちする間もなく──
《愚 か者めが!》
紙の雄 叫 びが、こちらの意識を圧 倒 する。
そしてそれ以外の周囲すべてを圧倒したのは、物理的な爆 音 と衝 撃 波 だった。
《はぁーっはっはっはぁっ!》
がれきの中で、人形は哄 笑 を響 かせる。
《結 局 、これが答えなのだ! そうであろう⁉ 我と我 が師 が編 み出した究 極 の秘 法 ──この我を止められる者など存在せんっ!》
いきなり──
あたりは、がれきの山と化していた。人形が発した爆 圧 は、路地を無 理 やり押 し広げ、無 惨 な空き地にしてしまっている。道をはさんでいたアパートメントは、根 元 からなにかにかじられたように、礎 石 の半分をこそぎ取られ、不安定に揺 れていた。
「な......なんということを!」
がれきの中で、うろたえた声を発したのは、シビリアスである。
爆 発 の中にいたはずなのだが、なぜだか傷 ひとつ負っていない。とはいえ、どんな方法を使ったところで防 御 できたわけもなかったろうから──
「多分、これも『王道』なんだろーな。一 撃 目 は、威 力 は凄 いけど当たりゃしないんだ」
「あーあー。それを見てみんなで、なんて威力だー、って戦 くわけね」
ぼこっ、ぼこっ、とそれぞれがれきを押しのけながら、オーフェンとコンスタンスは起き上がった。まあ、こちらの場合は、魔術が発動しかけていたので、爆発の威力を多少は相 殺 できていたというのもあるだろうが。
「それはそれとして、今の、なんなわけ? すっごい力じゃなかった?」
聞いてくるコンスタンスに、オーフェンは向き直って答えた。
「今のが──」
と、人形のほうを指さして示す。
「存在の引き算の力だよ」
「引き算?」
聞き返しつつも、その指先を視線でたどり──彼女も、ようやく気づいたのか、ぽかんと口を開けて間の抜 けた表情を見せた。
人形は、既 に紙人形ではなかった ......
夜の闇 の中、まだシルエットは判 然 としていない。だが。
へらへらと風に揺 れていたそれは、今はひょろひょろと風に揺れている。
ひも人形になっていた。
「もうやだ......」
がっくりと、コンスタンスがその場にくずおれる。
「なんなのよ。最初は石で、次は木で、紙になって、ひもってのは」
「先に言っておいてやるけど......記録によれば、まだまだ変わるはずだぞ」
オーフェンは力なく答えた。
「結局なんなのよ、その秘法って」
いまいち乗り切れていない、という調子の彼女の声に合わせるように、オーフェンも少し口 調 を弱めた。
「......だから、存在を引き算するんだよ」
「なにそれ」
素 っ気 なく聞き返しながら、コンスタンスはひも人形のほうを見つめている。
オーフェンは深 々 と嘆 息 した。
「つまりだな、成り下がることによって、別の力を得る高度な白魔術──それが、存在の引き算と呼ばれる秘法だ」
「成り下がる......って?」
なんのことだかという視 線 を投げてくる彼女に、オーフェンはいらいらと説明を続けた。
「だからだな! もともと人間のキャパってものが固定していると仮定して、その存在のランクを落としていくと、全体に余 裕 が生まれるだろ⁉ 」
「......なんかもーちょっと簡単な言い方ってないの?」

「リンゴがいっぱいに入っているバスケットを考えてみろよ! リンゴが全部ミカンになれば、バスケットにほかのものを入れる隙 間 ができるだろ⁉ 」
「まあね。そんなの当ったり前じゃない。馬鹿じゃないの?」
「あああっ! てめえって奴はぁぁぁっ!」
ひとしきりわめき散らしてから、オーフェンは叫んだ。
「その空いた隙間に、別のものを入れることが、存在の引き算の理 論 なんだよ! つまり、ランクダウンしていくたびにパワーアップしていくんだ! 分かったか!」
「......なんとなく」
絶 対 に分かっていない 口調で、コンスタンスがうなずくのだが、もうオーフェンには解 説 を続けるつもりはなくなっていた。それよりも、注意をひも人形たちへともどす。
こちらには気づかないのか──それともハナから眼 中 にないのか、ひも王子とシビリアスは、お互 いに細かくポーズなど取りながら、びしばしと言い合いを続けていた。
「二百年もの時を隔 て、この世に復活するとは往 生 際 の悪いことよな! 父・ヒュキオエラよっ!」
《ふっ──そう、その二百年前、我 と我 が師 が編 み出した、この秘法の威 力 に恐 れを為 し、王 室 警 護 隊 を率 いて我に反 旗 を翻 した我が娘 シビリアスよ。先走りが過ぎたものよな。我に逆 らいさえしなければ、永遠の女 帝 として君 臨 できたものを》
「人を人でなくすような外 道 の技 に寄 りかからずとも! シビリアス様は立 派 に王国を統 治 したのじゃ!」
《様......? おうおう。うっかりしておった。貴様は我が娘の子 孫 であったのだな。だが我より受け継 ぎし魔術の才も、それを制 御 する技も失伝し、我に立ち向かう力もない。それで助 太 刀 を探しにこのような人里にまで出向いたか。哀 れよな》
「............」
呆 然 と両者を眺 めやりながら、オーフェンはコンスタンスに問いかけた。
「やっぱり、あの説明ぜりふも『王道』なんだと思うか......?」
「えっ? そうでない可 能 性 もあったの?」
「......まあ、便 利 だからいいか......」
そんなことを言っているうちにも、王子らは続けている。
《それに立派に統治とはよく言ったものだ。我が師と──そして我を滅 ぼしたのち、魔術を疎 むようになった愚 かな家 臣 どもに放 逐 された身で》
「それはっ! あなたの狂 気 の実験にさらされた無力な人々の自然な反 応 というものじゃっ! それを分かっておったゆえにシビリアス様は自ら王 城 をあとにし、殺すことのできぬ と分かっておったあなたを永遠に封 印 すべく、この大陸西部まで落ち延 びたのじゃろうが! それから我ら血 族 は『父・ヒュキオエラ』を封印するお役目を代々受け継ぎ──」
「まあ......おおむね事情はのみ込めた」
「おお! 分かってくれたか!」
こちらを向いて、ぱっと顔を輝 かせたのはシビリアスである。
「つまり奴は二百年前にわしの祖 先 に滅ぼされたはずなのじゃが、今さらになって突 然 復活しよったので、わしは」
「......もー説明はいいから」
だが、制止など聞かずに老 婆 は続ける。
「我が一族は、この大陸の歴史そのものと言ってもいいほどの永 き時を......奴の封印に費 やしてきたのだ......」
言われてオーフェンは、ちらりとひも人形のほうを見やった。王子は余 裕 からか、追 撃 もなく、ただ悠 然 とこちらを見つめている。
シビリアスは、ひとり静かに告げてくる。
「じゃが奴の墓 所 にシビリアス様が施 した封印も、わしの代で解 けることとなってしまいよった。叶 うならば、わしが決着をつけたいところじゃが......わしには力がないのじゃ」
唇 を噛 みしめ、老婆の目から涙 がこぼれる。
「神は残 酷 じゃな。このような悔 しさを、人にお与 えになるとは......」
「ひとつ聞きたいんだが......」
オーフェンは、ぽつりと聞いてみた。
「その封印って、なんで解けたんだ?」
「うむ......」
涙の跡 を再び顔に刻 み直し、シビリアスがうつむいた。苦 悩 に満ちた声 音 で、老婆は答えてきた。
「人生のせいじゃ」
「......あん?」
「実は、わしもいろいろ大変でな。息 子 は株の暴 落 とやらで一 文 無 しになり、妙 な宗教に凝 りはじめるし......孫 はグレるし、嫁 は家事ノイローゼで家出するし」
「ほう」
「で、ほんのちょっぴり......少しだけなのじゃが、二十年間ほど供 養 を忘れておったので、そろそろ怒 って出てくるのではないかと思っておったのじゃ」
「結 局 おのれのせいなんだろーがっ!」
《はーっはっは! 実はそーゆうわけで出てきたのだぁぁっ!》
「ったく......てめえも大人 げねえぞ。たかだか二十年くらいほっとかれたからって墓 の下から顔出しやがって」
オーフェンはぶつぶつとこぼしながら、それでもひも人形へと向き直った。
王子は、言われてちょっと落ち込んだように、もごもごとつぶやいてきた。
《いや......そう言われても、蝉 だって土の下で我 慢 できるのは七年ほどなわけで》
「蝉が人に迷 惑 をかけるかっ⁉ 」
《そ、そのような不毛な議 論 をするつもりはないわっ!》
ばっ──と、生前、王族の衣 装 でも着けていた頃 の癖 なのだろう。マントをひるがえすように、腕 を振 る。
《強い者が正しい! それで良かろう!》
「おーし。じゃあ、そうしてやる」
オーフェンはそう言うと、袖 はないが腕まくりしつつ、ひも人形に向けて構 えを取った。
《ふっふっ......愚 かな男よ》
ひも人形は肩 を揺 らし、鷹 揚 に笑っている。
《もう我に敵 わぬことは承 知 しておろうに。せいぜい、二百年のうちに些 少 は進歩した技 でも見せてもらおうか》
「不安になることなぞないぞえ、戦士よ」
ぐっと拳 を握 り、老婆が断 言 する。
「初めて魔 王 とまみえた場合には、たとえ勝てなかったとしても、どこからか助けが入ってなんとかなるというのが王道なのじゃ」
「普 通 は、老 い先短い老人とかが、自分の命を代 償 に助けてくれるもんなんだけどな」
ぽつりとオーフェンが告げるのだが、シビリアスは聞こえないふりをしつつあさってのほうを向く。
まあどのみち、期待していたわけでもない──とオーフェンは、ひも王子に言い放った。
「さぁて! んじゃ、夜が明ける前にとっとと片づけてやろうじゃねえか!」
《よくぞ言ったぁっ!》
ひも人形が、叫 ぶ。その叫びと同時、ひも人形の手前から巨 大 な光が膨 れ上がった──が、オーフェンの反応は、それよりもさらに早かった。
となりでぼけっとしていたコンスタンスの襟 首 を、がっしとつかむ。
「へ?」
間 の抜 けた彼女の声は無 視 して──
「無 能 警 官 バリアー!」
かっ──!
前方に投げ出された彼女と、ひも人形の放 った閃 光 とが激 突 した時、オーフェンの耳に入ったのは、轟 音 でも衝 撃 音 でもなく──悲 鳴 だったような気がした。
ぼてっ......と、数メートルほど前方で、黒こげになったコンスタンスが地面に落ちる。ひくひくと痙 攣 している彼女を見やり、多分生きているであろうことを確 認 すると、オーフェンはびしと人形を指さした。
「そんなもんじゃ俺 は倒 せねえぜ!」
《こらこらこらぁぁぁぁっ!》
さすがにひも王子も抗 議 の声を張 り上げる。
《お前、ちょっとそれだけは、人間としてやっちゃならんことじゃないのかっ⁉ 》
「てめえにンなこと言われたくないわいっ! この人間外コンテスト優 勝 候 補 !」
《勝 手 に妙 なものに出場させるなっ! 婦女子を盾 にしてどーするっ!》
「二百年前はともかく、今は男女平等だ!」
《平等だろーがなんだろーが、人を盾にするなぁぁぁっ!》
地 団 駄 を踏 むようにしてわめくひも人形に、オーフェンは、唾 棄 しながら毒 づいた。

「ったく、うるせぇ奴だな」
「おおむね、奴のほうが正しいと思うんじゃが......」
老婆が、ぼそりとつぶやく。が無視。
オーフェンは、強く拳 を握 りしめると、男泣きに泣きはじめた。
「うう──友よ。お前の死は無 駄 にしないぞ。お前の屍 を乗り越 えて、お前の流した血の上に、俺はひとりで幸福になるからな」
と──
そこまで言って、ぱっと顔を上げる。ひも人形へと向き直り、
「さあ! これでいろいろな細 かいことはクリアーしたはずだ!」
《むう。確かに......》
「言うことなしじゃな」
口 々 に、ひも人形と老婆が同意する。
「あ・ん・た・ら・はぁぁぁ......」
倒れたまま動けないコンスタンスが、か細くうめくのが聞こえてきてはいたが。
オーフェンは、改めて大声で叫びかけた。
「さて! ひも!」
《ひもと呼ぶなっ!》
「そのへんの意見はあとで聞くとして、ひも! ひもなりに頑 張 っているよーだが、その程 度 じゃ俺には勝てねえぞ! なぜなら!」
「そうか!」
横から、老婆がすっと割 ってはいる。
「お主 もひもじゃからじゃな」
「違 うわっ!」
叫ぶのだが、シビリアスは勝手にうんうんとうなずいて、
「いいや。わしには分かるのじゃ。お主はそのうち、あちこちの女から言い寄 られ、年上の女にはいいように利用され、年下には振り回されるのじゃ。そーゆう男じゃ」
「ンなことに絶 対 なるわけねーだろ! しかもそーゆうのは、ひもとは言わない!」
《そうか......そういうことで、我と互 角 に渡 り合えるとは......》
「あ! なんか勝手に納 得 してやがる!」
オーフェンは、あわてて向き直った。が、ひも人形はもう完全に得 心 してしまったのか、ぶつぶつと独 りごちている。
《だが......》
と、きらり、と眼 を上げる──とはいえそれは動作の上でのことで、実 際 には目などないが。
《ならば、これでどうだっ⁉ 》
叫 び、そしてなにやら構 えのようなものを取り──
ひも人形は、細かく振 動 し始めた。
「また変身するつもりかっ⁉ 」
オーフェンが、うめいた時には、もう既 にひも人形の姿 は消えていた。
そして......
「あれ?」
半 眼 で、オーフェンはうめいた。なにも現れない。
「いや。よく見てみよ」
シビリアスが、真 剣 な面 持 ちでつぶやく。
(............?)
訝 しく思いながら──ついでに、なんで俺こんなことにつき合ってんだろうなどと思いながら──目を細める。
現れたのは──
「今度は糸か」
細くため息をついて、オーフェンはつぶやいた。
《なんだその態 度 は⁉ 》
糸人形が、わめき立てる。
《こーして自らの存在をランクダウンさせていくことにより、その代 償 に強大なパワーを得る! つまり総合的には価値を落としていないのだから、貴 様 なんぞに貶 められる筋 合 いはないっ!》
「そーいう理 屈 じゃなくて、恥 はねえのかと言ってるんだ、俺はっ!」
《そのせりふ──》
糸人形は、そこでいったん声を止めて、
《これを目 の当 たりにしても言いつづけていられるかな⁉ 》
きんっ!
空気が固 化 してこすれるような、かん高い音が鼓 膜 をしびれさせ──
そして、次の瞬 間 には轟 音 と化す!
先の爆 発 により半 壊 していたアパートメントは、とうとう完全に崩 壊 した。崩 れ落ちる建物の残 骸 と、そして荒 れ狂 う衝 撃 の中で、オーフェンはとにかく後方へと飛び退 いた。倒 れていたコンスタンスを一 応 ひっつかみ、後ろへと逃 げていく。
が──
逃げていく中で、オーフェンは、はっきりと見てしまった。
糸人形が、余 裕 たっぷりにこちらを見 据 えているのを。
(しまった⁉ )
糸人形が、片手を上げて──そして、第二撃の気 配 が押 し寄 せてくる。
糸人形の手前から巨 大 な光が膨 れ上がった。純白の閃 光 は、恐 らくはオーフェンらの意 識 が反 応 するよりも早くその身体 を撃 ち抜 いていったはずだが──
そのせいだろうか。オーフェンが、光を発した人形の姿を網 膜 に浮 かび上がらせたのは、光に打ち倒された数秒後のことだった。
「うう......」
うめきながら、起き上がる──直 撃 ではなかった。が、ダメージは大きい。
「とはいえ無 能 警 官 バリアーmkⅡがなかったら、かなり危 ないところだったぜ」
黒こげになったバリアーを、ぽいと捨てながら、オーフェンは額 をぬぐった。
「お主 は......」
ぞっとした表情で、シビリアスがうめく。
オーフェンは無 視 して続けた。
「しかし、バリアーも数に限りがあるからな。大事に使わねえと」
「と言いながら、なぜわしの襟 首 をつかむ」
《はぁーっはっはっは!》
糸人形が、哄 笑 する。
《そのような強がり、すぐに言えぬようになる!》
そして、再び身体を振動させる──
「も、もう変身するのか⁉ 」
オーフェンが、戦 慄 して叫んだその時には、もう振動は終わっていた。現れたものは、もはや、人の形すらしていない。
爪 楊 枝 である。
《はっはっはっ! 糸の次は爪楊枝ぃぃ!》
「ちょっと待て! それはなんかパワーアップしてないか⁉ 」
《断 じてしとらんっ! なぜなら、これは使用済 みの爪楊枝だからだっ!》
「ンなのがありかぁぁっ⁉ 」
《そして、さらに強力になった攻 撃 が貴様を撃ぅぅぅぅぅつ!》
実際、言葉に違 わず、爪楊枝から発された膨 大 な熱線が、あたりのがれきを飴 のように溶 かす。なんとか避 けたが。
《さらぁぁにっ!》
爪楊枝は、振動を始めた。
振動を続けながら、大声で叫んでいる。
《貴様に、真の恐 怖 と絶 望 を味わわせてくれるわ!》
「むう。大ボスは変身するもの。ツボを押 さえておるわい」
シビリアスのつぶやきを聞き流しつつ──
「ええい! やってやろうじゃねえかっ!」
オーフェンは、自分も最大の魔 術 の構 成 を編 みはじめた。
轟音。崩壊する路 地 。倒 壊 する建物。爆 裂 する閃 光 。悲鳴。罵 声 。逃げまどう付近の住民たち。混乱が深まっていく。
その夜、トトカンタ市は地 獄 と化していた。
「我 は放 つ光の白 刃 白刃白刃っ!」
《わーははは! 効かぬ! 二段変身ー!》
「我 が左手に冥 府 の像!」
《愚 かなっ! さらに一 足 飛 び変身っ!》
「我掲 げるは降 魔 の剣 ー!」
《ついてこれるかなっ⁉ 奥 義 ・八 艘 飛び究 極 変身!》
轟音。崩壊する路地。倒壊する建物......
ぜい、ぜい、ぜい......
破壊された街の中で、オーフェンはぼろぼろになりつつも、まだ立っていた。満 身 創 痍 、体力も限界に近づいているのか、肩 で息をしている。無 論 、バリアーも使い切ってしまっていた。
そして、爪楊枝改め輪 ゴムとなっていた王子のほうも、それは同じのようだった。
残ったふたりだけ──バリアーもといコンスタンスとシビリアスは、完全に沈 黙 している──で、しばしにらみ合う......
《な......なぜだ⁉ 》
輪ゴムが、弱々しくうめいた。
《貴様が、わたしについてこれるわけがない──わたしはとうに、人間の扱 える魔術の枠 を超 えているはずだ! それとも......》
真 剣 な声で訝 しげに続ける。
《貴様もわたしと同じ秘 法 を⁉ 》
「ンなわけねーだろーがっ!」
もともと、存在の引き算の発動契 約 にはかなり複 雑 な儀 式 が必要なはずである。もっとも、それ以前の問題だが。
オーフェンは、深く疲 労 をにじませた声でなんとか答えた。
「てめえこそ......俺に勝てるわけがねえんだよ。分かんねえのか」
と、歩きはじめる。前方に、ぽつんと突 っ立っている輪ゴムに向かって。
「紙やら、ひもやら、糸やら──」
《............?》
輪ゴムが、怪 訝 な表情を見せる──言うまでもなく、気配で、ということだが。
オーフェンは構 わずに進んでいった。
「使用済みの爪楊枝やら、広がったクリップやら、消しゴムのカスやら、輪ゴムやら」
その輪ゴムの眼 前 にまできて、ぴたりと止まる。その場で彼は、かがみ込んだ。
「そんなもんに負けるわけにゃ、いかんだろうーがっ!」

《あああっ! 問 答 無 用 の説 得 力 がぁっ!》
頭を抱 えて(抱えようがないが)、輪ゴムが絶 叫 する。
《だが!》
と、すぐさま立ち直る。
《そんなことで、この悪 魔 の王子が納 得 するとでも思うのか? こうなれば、最後の変身を見るがよいっ!》
また、振 動 ──
現れたのは。
折れたマッチだった。
《わーははは! これにて貴様に華 麗 なとどめを──》
「............」
オーフェンは無 言 で、そのマッチ棒 の頭に親指の爪 を当てると──
しゅっ、と音を立てて、軽くこすった。
《あっ》
と言う間に......めらめらと、マッチ棒は小さな炎 に呑 み込まれ、そして燃え尽 きる。
あとには、小さなくすぶりだけが残った。
かくして──
世界は救われたのだった。
「まあ、伝説では、あいつの師 匠 のほうが徹 底 していて、王室警 護 隊 と戦った時には、亀 のふんにまで成り下がったらしいけどな」
包 帯 まみれのオーフェンは、静かにそう解 説 を加えた。
「へえ」
と、包帯まみれのコンスタンスがうなずく。
「そういうことで、シビリアス様と王室警護隊は、大陸史上最初にして最後、亀のふん相手に戦死者を出した軍隊となったのじゃよ」
包帯まみれのシビリアスもそう付け加える。
「すごいような、すごくないような話ねえ」
しみじみとうなるコンスタンスだが──
その部 屋 は署 長 室 と呼ばれていた。三人ずらりと並 んで、トトカンタ市警最高責任者を前にしている。
署長はにっこりと、こう告げた。
「逮 捕 だからね。あれだけ街を壊 してくれたんだから、文 句 ないよね」
「そういや、ここんところ天気がいいよな」
「そうねー」
オーフェンらは、まったく聞かずに、話題を取り留 めもない世 間 話 に切り替 える。
署長も署長で、にっこりと続ける。
「保 釈 金 の額 は、そのうち言うからね。言うまで臭 い飯でも食べててね♥」
「明日も天気がいいんだろーなー」
「そうじゃの。いつもいいんじゃからのう」
世界を救った大 偉 業 が世間に認められるのは──
まだ遠いようである。
(俺に構わず死んでくれ:おわり)

「バイトか?」
「捜 査 よ」
言うまでもないとばかり即 答 してきたコンスタンスの言葉に、しばしオーフェンは小 首 を傾げ──
また聞き返した。
「もう一度、それ読み上げてくれるか?」
黒 髪 、黒目の黒ずくめ、どこか皮 肉 っぽい造 作 の、そんな男である。食堂のテーブルに陣 取 り、琥 珀 色 の液体が入ったグラスを前に、腕 組 みしている。
組んだ腕に隠 れるようにして、その胸 元 には剣 にからみついたドラゴンの紋 章 がぶら下がっていた──大陸黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ魔術士の証 である。
「いいわよ」
同じテーブルの正面に座 り、素 直 にうなずいてみせたのが、コンスタンスだった。どことなく子供っぽい、スーツ姿 の女である。彼女は手にした書類のようなものに視 線 を落とすと、読み上げはじめた。
「えーとね。明日を夢 見る若者求ム! 明るい雰 囲 気 の職 場 です。わたしたちと楽しくお金を稼 いでみませんか? 委 細 は面 談 にて。場所は──」
「......だから、それバイトだろ?」
「違 うってば」
コンスタンスは、さっきとまったく変わらない口 調 で否 定 すると、テーブルの上にばさと書類──派 遣 警 察 の命令書を広げてみせた。
「今 朝 、わたしのところにとどいたんだもの。部長の印も押 してあるし、正式なものよ」
彼女の言葉に、オーフェンは疑 いの眼 差 しを返してから書類を見やった。確かに、その命令書には、いま彼女が言ったとおりのことが記 してある......
そして、それしか記してない。店名も、なにも。
「可 哀 想 にな、コギー......」
嘆 息 まじりに、オーフェンはしみじみとうめいた。かぶりを振 ると、コンスタンスはきょとんと聞き返してきた。
「? なにがよ」
「だってそれ、もーお前クビだから、せめてもの再 就 職 先 を送ってきてくれたんだろ?」
「違うわよっ!」
命令書の上からテーブルを叩 き、コンスタンスが叫 び声をあげた。
「なんでわたしがクビになるの⁉ 」
「それはだな」
「説明しないで! お願いだからっ!」
すぐさま頭を抱 えていやいやするコンスタンスに、オーフェンはじっとりと冷たい視線を投げつけ、構 わずにゆっくり続けた。
「お前が非 常 に無 能 だからだ」
「いやーっ! 違うものーっ!」
頭を抱えたまま、テーブルに突 っ伏 す彼女。それに覆 い被 さるように、オーフェンは身を乗り出した。
「任 務 完 遂 率 は限りなくゼロに近く、根 拠 のない無意味なミスから発生するトラブルは、どこまでも果 てしない。始 末 書 は一枚見かけたら、書き直しも三十枚! なにかにつけて迷 惑 で、善 良 な市民の生活を脅 かすこと犯 罪 のごとし!」
「きゃぁぁぁっ! もーやめてぇぇぇっ!」
「今日も今日とて、街 の治 安 を徹 底 的 に挫 滅 轢 断 ! まさに人 災 権 化 ! なにゆえ国家はこのよーな竜 巻 女に給 料 を払 うのか⁉ 人民は悲 痛 に叫ぶ──俺 の税 金 を返せ──!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ⁉ 」
ひとしきり彼女の絶 叫 を聞いてから──
テーブルの上にうつ伏せになったまま、うぐうぐとのたくっている彼女の耳 元 にそっと近 寄 って、ぼそりとささやく。
「俺の税金を返せー」
「いやーっ!」
再びびくんと跳 ねるようにして、床 に転げ落ちるコンスタンス。
「............」
オーフェンは、床に倒 れたまま微 動 だにしない彼女をしばし見下ろしてから、ふうむとうめいた。
「おおっ!」
と、思いついて、ぽんと手を打つ。それから彼女を指さして、続けた。
「いま初めて、お前のことをおもしろい奴 だと思ったぞ」
「あんたはぁぁぁっ!」
素 早 く復活しながら、コンスタンスが大声を張 り上げた。
「やめてって言ってるのに、なんで言うのよっ!」
「言わずにいられなかったんでな」
静かに答えて、オーフェンは座り直した。コンスタンスも蹴 倒 していた椅 子 を引き寄せながら、ぶつぶつとこぼしている。
「もーちょっと優 しくしてくれても罰 は当たらないんじゃないかと思うわ」
「......罰が当たらないとしても、優しくしてやる義 理 もないと思うが」
「そーいやそーだけど」
彼女は完全に座り直すと、ぱっと顔を上げ、また命令書を示した。
「それはそれとして、協力してよね」
「......なんで?」
オーフェンは、あからさまに嫌 そうな表情を作りながら、彼女に告げた。
「俺がこのよーに、優 雅 な休日を堪 能 してるというのに」
コンスタンスは、ふと白い目でこちらの前に置いてあるグラスを見下ろした。
「......アイスティーを何度も水で薄 めて飲んでいることの、どこが優雅なわけ?」
「まあ、それはそれとしてだ」
オーフェンは、うん、とうなずいた。
「どのみち駄 目 だぜ。バグアップに留 守 番 を頼 まれてんだ」
言いながら彼は椅子の背に体重を預 けた。
「あいつらが出かけてる間、ここの宿を見ておくように言われてるんだよ」
「そういや、このところマジク君も見かけないわね。どこに行ってんの?」
と、彼女は横目でカウンターのほうを見やった。いつもなら、そこで宿の亭 主 であるバグアップが、黙 々 とグラスでも磨 いているはずである。
オーフェンも、彼女の視線を追って、
「『女 房 に会いに行ってくる』とさ。マジクもついてった。しばらく戻 らないそうだぜ」
「どのくらい?」
「さあ。どこに住んでるんだか定 かじゃないらしいかんな」
「......どんなお母さんなのよ、それって」
コンスタンスは半 眼 でそう言ってから、話題がそれかけていることに気づいたらしい。余 計 なものを払 いのけるしぐさをすると、さっさと話をもどしてきた。
「別に空き巣 が狙 うような宿でもないでしょ、ここは」
「まあ、そーかもしれんが」
それを聞いて、にっこりとコンスタンスが微 笑 する。
「ほら解 決 じゃない。じゃあ、このお店とやらに行ってみましょうよ」
「あ、ああ」
「ほらほら。急いで急いで。街の平和はわたしたちの双 肩 にかかっているのよ」
「えーと......」
彼女に背中を押されて宿を出ながらも、そこはかとなく疑 問 が浮 かんでくる──のだが、形のない疑問は具 体 化 してくれない。
結 局 、留守番をしようがしなかろうが、別に捜査に協力する義理が生まれるわけでないということに気づいたのは、その『お店』に着いた後のことだった。
トトカンタ市の片ほとり。
ひとけもなく、あまり日も当たらない、暗がりの一 角 ──
裏 路 地 街 の、さらに裏。そんなところに、その『お店』はあった。
「............」
「............」
オーフェンとコンスタンスは、ふたり並 んで呆 然 と、その看 板 を見上げていた──
傾 き、落ちかかった木の板には、ぞんざいにこう記してある。
『不 気 味 堂 』
「............」
「............」
またしばし、ただぼけっと見上げたのち、オーフェンはいいかげん首の後ろが痛 くなって視線を下ろした。
その『不気味堂』とやらは、建 築 物 と廃 材 とのぎりぎりの境 界 のうえに存在しているようだった。柱という柱は、地面から垂 直 に立っていない──というか、それぞれ同じ角度で立っているものすらないようである。店内は真っ暗で、窓 だか壁 の割 れ目だか、とにかく外から内部をうかがうこともできない。ただ内部からはひっきりなしに、異 様 なうめき声やら悲 鳴 やらが聞こえてきているし、向こうの壁にはべったりと、正体不明の粘 液 が貼 りついていたりする。ともすればその粘液は人型にも見えた。
あたりには鼻 孔 をむずがゆくさせるような不 愉 快 な異 臭 が漂 い、あまつさえ店の前には犬が一 匹 死んでいる。
ケケケケケ......と、甲 高 い笑い声が響 きわたり、そちらを見ると、ひさしの下でカラスがばさばさと羽ばたいている。ただし、カラスはそんなふうには鳴かないものだが。

「............」
横を見やると、コンスタンスは既 にかなりビビってしまっているようで、顔色を蒼 白 にして小 刻 みに震 えはじめていた。
オーフェンは、ぽつりと聞いた。
「......帰るか?」
「なななななななに言ってるるのよ。こここここまで来て」
歯の根 も合わない様 子 で、がっくんがっくんあごを噛 み合わせながら、コンスタンスが答えてくる。
「にしても、不気味な店だな」
つぶやくと、コンスタンスはこそこそとこちらの背 後 に隠れながら、
「というか、店じゃなくてただの不気味って感じだわ」
看板を見上げて、続ける。
「いったいなんのお店なのかしら」
「俺の予想では......」
オーフェンはきっぱりと断 言 した。
「不気味屋さんだろう」
「そんな店があるかぁぁぁぁぁぁっ!」
と、唐 突 に怒 声 が響きわたり──
オーフェンは、ぴしりと凍 り付いた。
恐 る恐る、あたりを見回すのだが、誰もいない。
コンスタンスさえ、いなかった。
「コギー⁉ 」
名前を叫 ぶが、返事はない。ぱっと見やると、さっきまで彼女が立っていた路 面 にぽっかりと落とし穴のようなものが開いている。オーフェンが、そこをのぞき込もうとした時には、穴の扉 はぱたんと閉 じていた。
そして──
「ふっふっふっ」
低い笑い声が、静かにわき起こる。
「天が呼ぶ風が呼ぶ熱 帯 低 気 圧 もがんばっている......」
声は背後から聞こえてきていた。あわてて振り返る。
嘲 笑 するように、声は続けた。
「なにゆえ俺の名を呼ぶか⁉ それすなわち天の意志! 貴 様 を倒せと俺を呼ぶ!」
びしい、とポーズを取って、それは誇 らしげに大きく名 乗 ってきた。
「マスマテュリアの闘 犬 ! 戦士ボルカノ・ボルカン、貴様を腹 違 いで生き別れ殺すため、透 明 人 間 になる服を着てここに参 上 !」
「ほほ〜う」
オーフェンは、深 々 とうなずいた。
「透明人間か。なら」
と、目の前に堂々と立っている、毛皮のマントをまとった身長百三十センチほどの『地 人 』を、真正面から踏 みつけながら、
「いま俺が踏んづけたこれはなんなんだ?」
「うむ......」
顔面を靴 底 に押 さえつけられながらも、まったくポーズは崩 さずに、それ──つまりボルカンは答えてきた。
「俺様は消えているわけだからして......」
「おう」
「思うに、俺様の分 身 ではないかと」
「なるほどな」
オーフェンは深く静かに声を落とし、手にはめている革 のグローブをぎゅっと引っぱり固定した。同時に、ボルカンの顔面から足をどける。
「分身なら──」
そして拳 を握 りしめ、思い切り振 りかぶる──
「殴 っても当たらないはずだな痛 くないはずだな壊 れないはずだな⁉ 」
「ぎゃああああああああっ! 当たる痛い壊れるやめてぇぇぇぇぇぇっ!」
連続パンチは三十秒ほど続いた。
しうううう、と煙 すら上げながら、血 塗 れの地人が路上に転がる。まあそれは別に、どうでもいいことなのだが......
「コギーは?」
あらためて落とし穴が開いたところを見てみるのだがやはりきっちりとフタが閉 じている。店の前にいるのは、彼自身と、そしてボルカンだけだった。
そのボルカンが、のろのろと立ち上がる。
「へっ。ぬるいパンチだったぜ......」
「そーゆうことは、もう追いかけられても追いつかれないところまで逃 げてから言ったほうがいいと思うぞ」
言いながらオーフェンは、こそこそと逃げようとしていたボルカンの背中を踏みつけた。そのまま、ごく涼 しげに続ける。
「にしても、なんでお前がこんなところに発生しているんだ? いつもの棲 息 地 と違 うじゃねえか」
「貴様、俺のことをボーフラかなにかだと思っとるだろう」
踏みつけられたまま、ずんぐりした指をこちらに向けてボルカンが言ってくるのだが、オーフェンはあっさりと無 視 した。
「まあ、てめえが妄 想 じみたわけの分からん世 迷 言 をくっちゃべってるのを見るのも初めてでもなんでもないが、透明人間の服ってな、なんなんだ」
「透明人間になる服のことだが」
「いや、そーゆう脊 椎 反 射 ででも答えられそうなことじゃなくってだな」
「うむ」
ボルカンは、道路にうつぶせに押しつけられたまま、深々とうなずいた。
「そこで手に入れたのだ」
と、こちらに向けていた指を、ゆっくりと動かし──
例の『不気味堂』へと向ける。

「あそこで、か......?」
「そうである。というところで、そろそろその硬 いだけが取り柄 の臭 い足をどけてくれやがらないと、息をしてやることもできそうにないのだが」
「たまにはお前も、脳 の三百分の一ぐらいは活 性 化 させて、立場ってものを考えた発言をしないと、ついつい俺もこーやってお前の背中で片足立ちとかしちゃうんだぞ」
「息ができませんお願いしますぅ」
意外と素 直 に、ボルカンが涙 声 をあげる。
「それでいい」
オーフェンはそう言って、地人の背中からぴょんと飛び降りた。ジャンプした反動で、むぎゅ、と一回潰 れたような声を出してから、ボルカンもまたふらふらと立ち上がる......
じっと見ていると、地人は服についたほこりをぱんぱんと払 いのけ、毛皮のマントをぐいと首まで引き寄 せる仕 草 をしてから、その場に唾 を吐 いた。
へっ──と笑い、つぶやく。
「これで貴様も、ようやくこの俺様に一 矢 報 いることができたってわけだ」
「だから......」
半 眼 でうめくオーフェンの右手の先に、ぼっ、と火の玉が灯 った。
「ものは考えてから言えっちっとるんだぁぁぁぁっ!」
「みぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ⁉ 」
そして、一分後。
「ちわーす」
軽く挨 拶 して、オーフェンは扉を開けた。例の店の扉である。
店内は、外 装 に比 べればまだしも片づいてはいた──無数のがらくただか骨 董 だかが、無数の棚 の中に整 列 させられている。明かりはなく、かなり暗いが、入ってみれば、足 下 が見えないほどではなかった。オーフェンは、ずらりと並んだがらくたやらなにやらを見回して、そして、店の奥 でぽつんと椅 子 に腰 掛 けている男へと視線を落ち着かせた。
男は、ぱっと見た限りでは、初 老 の域 に達 したかどうかというところで、背はかなり低い。痩 せているわけでも太っているわけでもないが、顔だけは細かった。
馬 面 というよりは蛇 面 だな、などと胸 中 で思いつつ──オーフェンは、片手を上げた。
「お邪 魔 するぜ」
男は、答えない。ただ音を立てずに椅子から腰を上げた。
手に持っている鈴の音 が、ちりぃん、と冷たく響 きわたる。
「いらっしゃい」
かすれた声を、男は口にした。
「ところで手にぶら下げている、黒こげになった肉 塊 のよーなものはなんなんですか?」
「いや、別にこれはどーでもいいもんなんだけど」
オーフェンは意 識 を失っているボルカンの身体 を床 に適 当 にほうり捨てると、男に対して向き直った。
「あいにく、俺は客じゃなくてね。ただ、気になることがあってここに来たんだが」
「いえ別に気にすることなんてないですよ」
いきなり聞こえてきた声は──聞き覚えのあるものだった。
「............?」
思わず絶 句 して答えることもできないでいるうちに、すたすたと店の奥の扉から、ボルカンにそっくりの体 格 の地人が姿 を現す。分 厚 い眼鏡 をかけているのと、ボルカンのように腰 に剣 を下げていないのとが相 違 点 だが、そちらにもオーフェンは面 識 があった。ボルカンの弟のドーチンである。
ドーチンは、速足でこちらに近づいてきて──そして通り抜 けると、捨てられていたボルカンを拾い上げ、へらへらと笑ってみせた。
「じゃあ、これはもう用 済 みでしょうから、回 収 していきますね。それじゃ」
と、ばたばた足音を立てて去っていく。
表の扉 へと姿を消した地人の背中をしばし見送るようにしてから、オーフェンは独 りごちた。
「こんなところでタヌキがそろってなにやってやがったんだ?」
「それは──わたしが説明いたしましょう」
「て、うわああっ⁉ 」
驚 いて悲 鳴 をあげる。
それは、と言い出したのは、店の奥 にいた男だった。
男はいつの間にかすぐそこまで寄ってきていて、震 える手でぺたぺたとこちらの身体を触 り出していた。
「あ、あなたやっぱり男のかたですね」
などと、当たり前のことを言ってくる。
かなりビビりながらオーフェンは、一歩後 ずさって男の手を払 いのけた。
「な、なんなんだよ、いきなり。気持ち悪 りいな」
「安心してください」
男は鷹 揚 に──というより、多少、卑 屈 な鷹揚さでうなずくと、
「気持ちよかったりしたら、もっと困るでしょう」
「そりゃまあそーだが」
「わたしは実は、こーゆう者で」
と言って、男は懐 から名 刺 を取り出してみせた。手書きで、こう記されている──『不気味堂店主 カロン・スリスキー』
「............」
しばし、それを眺 めて──
オーフェンは、半 眼 になった。
「で?」
「............」
男──カロンが、困ったように黙 り込む。
「ええと......」
と考え込むように腕 組 みしてから、
「ちょっと待っていていただけますかな?」
そう言うと、こちらの返事を待たずに、すたすたと奥の扉──さっきドーチンが出てきた扉へと、入っていってしまう。
「なんだ......?」
よく分からずに、オーフェンは顔をしかめた。そして──またしばらく後。
どばぁんっ!
豪 快 な音を立てて、奥の扉が再び開く!
「やっほぉぉぉぉ!」
調子のいい声をあげて、飛び出してきたのは──
時間を止める生き物だった。
というか、オーフェンは少なくとも十秒間、体内の血液の流れが停 止 したことを自 覚 していた。
凍 えるほどに、体温が下がる。
止まる、凍 る、呼吸も止まる──凍える、固 まる、頭が割 れる──
現れたのは、さっきの男、カロンである。
ただし、ミニスカート姿。
「し......──」
オーフェンの喉 の奥から、絶 叫 がほとばしった。
「死・ねぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
絶叫と同時──
彼の眼 前 の空間に、膨 大 な熱量が膨 れ上がる。放電する熱波の嵐 は、激 しく渦 巻 きながらカロンへと伸 びていった。熱が光速で転 移 していく一 瞬 の間に、暗かった店内はこれ以上ないほど激しく照 らし出されている。
爆 音 が遠ざかり、光が消えた後、店内はめちゃくちゃになっていた。棚 は崩 れ、品物は床 に散 乱 し、男はぼろぼろになって失 神 している。
「......とっさに悪を滅 ぼしてしまったな」
あごの下を手でぬぐいながら、オーフェンはひとりでつぶやいた。
「ま、待ってくださいいい」
完全には意 識 を失っていなかったのか、ふらふらとカロンが立ち上がる。
「なに⁉ 」
さっと、オーフェンは身 構 えた。
「まだ生きていたとはな。まあいい。さすがに直 撃 させれば全質量の九十七パーセントを蒸 発 させられるはずだから、今度こそ──」
「待ってくださいってばああ!」
わたわたと、カロンは両 腕 を振 った。
それを見て、オーフェンはさらに警 戒 の色を強める。
「む⁉ 怪 しげな踊 り。怪しいものは壊 してもいいわけだから、殺しても正 当 防 衛 だな」
「ああああああああ」
カロンは、なにやら混乱しているように床をのたうちまわってから──
はっと気づいて、起きあがった。
「そうだ!」
顔を輝 かせて、言ってくる。
「あなたのお連れさんの身 柄 を預 かっております! 彼女の命が惜 しければ、わたしを殺さないでくれなさい!」
いまいち脅 迫 になり切れてはいないようだったが、それでもオーフェンは、さすがに動きをとめざるを得なかった。
「なんだと⁉ 」
しばし──脅迫に対して硬 直 してから、
「誘 拐 は死 刑 だな」
「あああああああああ」
再びのたうちまわるカロンに、オーフェンは、ふっふっと低い笑い声をあげながら近づいていった。
「怪しい姿をした者は、どのよーな矯 激 なつっこみを入れられても仕 方 がないというもの。つまり! いかなるもの凄 まじい攻 撃 を受けても文 句 は言えないのが世の掟 だ!」
叫びながらオーフェンは、右腕を上げる。
「きゃああっ! 助けてぇぇっ!」
カロンが悲鳴をあげた、その時だった。
どばんっ! とさっきにも増して激しい勢 いをつけて、扉が開く。
姿を現したのは──
「怪しい奴 第二弾 ⁉ 」
「誰 がよっ!」
オーフェンのいいかげんな叫び声に、コンスタンスが怒 鳴 りかえしてくる。
出てきたのは、彼女だった。ぱたぱたとカロンを抱 き起こすと、
「なに暴 走 してるのよ、オーフェン」
「いや俺としても、やらなければならないことはやらないと」
「いくらわたしの身を案 じて不安になっていたからって」
「そんな思いっきりどーでもいいようなくだらないことではなくって、もっと根 源 的 な、悪に対する敵 愾 心 というものがだな」
「悪じゃありませぇぇん」
情 けない声を、カロンがあげる。
「ふん」
オーフェンは、素 っ気 なくかぶりを振った。
「底の知れた言い訳 をしやがって。すね毛まるだしでなに言ってやがる。その姿を見れば一 目 瞭 然 、少なからず世界環 境 に悪 影 響 を及 ぼす物体に決まってる。俺はさっきてめえを見て、この世に悪の大 魔 王 がいたのなら、きっとそいつもミニスカ姿だったに違 いないと確 信 したんだからな」
「あんたもあんたでめちゃくちゃなこと言ってると思うけど......」
と、これはコンスタンス。
無 視 してオーフェンは、彼女を示した。
「そこで貴 様 をかばっているように見えるのは、野 放 図 なまでに無 能 の極 致 に達 したとはいえ、派 遣 警 察 官 の端 くれの隅 っこの出 涸 らし。この店の調査をしろと命令されてんだ。これで正義を行うお膳 立 ては九 分 通りできあがっている」
「残りの一 分 は?」
カロンの指 摘 に、オーフェンは即 答 した。
「証 拠 だ。だがもう九分通りなので、死刑」
「きゃああああ!」
と、逃 げ出すカロンを押 さえつけながら、コンスタンスが口を開いた。
「ちょっと、落ち着いてよオーフェン。さっきわたしが見てまわった限りでは、この店、特に犯 罪 に関 わっているような部分は見つからなかったわよ」
オーフェンは、黙 ってカロンのフリルつきブラウスと、いろいろな意味でぎりぎりの丈 しかないスカートを指さした。
コンスタンスもまた彼を見下ろし、うめく。
「確かに、上下がバラバラではあるわね」
「......そーゆう問題か?」
「違うのです!」
カロンは、大声で抗 弁 してきた。
「わたしは、てっきりあなたがバイト募 集 のチラシを見ていらっしゃったのだと思って! さっきの地人たちもそうだったんですが、仕事の内容を説明しているうちに、なぜかバイトを辞 めると言い出したので──今度はちょっと違う方法で説明してみようかな、と!」

「なんの仕事だ!」
「当店は古 着 屋 です! 中古の服をお安く販 売 しております」
「フリルつきの親 父 がなにを言うかっ!」
「そんなこと言われてもっ!」
かなり怯 えながら、突 然 カロンは、ぱっと顔色を輝 かせた。なにか思いついたらしい。
「そうです! こうしましょう」
「分かった。希 望 どおり死刑だ」
「なんでそーなるんですかっ! そうじゃなくて、どうもおふたりには、この店の商売がご理 解 いただけていない様 子 ! それをこれから説明いたしますので、それでご得 心 いただけたら、わたしゃ別に、なんも悪くないということになるでしょう?」
「甘 ああああいっ!」
オーフェンはさらに大声で叫ぶと、カロンの胸 ぐらをつかみ上げた。ゆさゆさと揺 さぶりながら、続ける。
「いーかっ! 俺はこーゆうのが大 嫌 いなんだっ! 女 装 するなっ! 手 術 するなっ! 女になるなっ!」
「やめなさいって」
コンスタンスのつぶやきとともに──
ごづん、とオーフェンは後頭部に一 撃 を受け、そのままばたりと床に倒 れた。
「あんた、なんか嫌 な思い出でもあるの?」
そこらに散らばっているがらくたの中にまじっていたのだろう──金 槌 を片手に、コンスタンスが言ってくる。
「ノーコメントだ」
完全に据 わった眼 差 しで、オーフェンは立ち上がった。
「誤 解 されているようですが──」
カロンが、胸 元 を整 えながら言う。
「わたしゃ別に、女装趣 味 があって、こんな格 好 をしとるわけじゃないんですよ」
「じゃあ、なんで?」
尋 ねるコンスタンスに、彼はうなずいた。
「これは、商品なのです」
「着るなぁぁぁっ!」
オーフェンがコンスタンスといっしょに叫ぶのだが、カロンはまったく気にした様子もなく、気楽に続けてきた。
「はっはっ。というわけで、お店の地下へと案内いたしましょう」
「地下、ねえ」
表で落とし穴に落ちたコンスタンスが、店の奥 から出てきたのだから──とオーフェンが考えていると、案 の定 、カロンが手で示したのは奥の扉 だった。促 されるままに扉をくぐると、すぐに地下への階段になっている。
傾 斜 した石段をのろのろと下りながら、オーフェンは先頭を歩いているカロンに、ぽつりと聞いてみた。
「どーでもいいんだが、なんで上の階は骨 董 屋 みたいになってんだ?」
「はっはっ。嫌 ですねえ、当たり前じゃないですか」
「あん?」
「古着屋というのは、普 通 、一 般 の目には触 れないよう隠 れているものでしょう」
「そ、そーかぁ?」
「ええ、おしなべてそうです。というわけで、地上のものはすべてカムフラージュですよ」
オーフェンは怪 訝 に思い、顔をしかめた。
「この無 能 警 官 が落っこちた落とし穴、あれもカムフラージュか?」
「ああ、あれは商品搬 入 のための通 路 です」
「............」
どうもいまいち釈 然 とはしないものの、オーフェンはそれ以上は追 及 しないことにした。ただ、ほかにも気になることがあったので、口を開く。
「これもどーでもいいんだが、さっきの、透 明 人間になる服ってのは?」
「ああ、あれはインチキです。服を持ったふりをして、馬 鹿 には見えない服とか、着たら馬鹿には見えないとか言っておくと、ごくたまに引っかかるお客様がおりますので」
「......あっそ......」
これも、これ以上問いつめようがないので、そのまま押 し黙 る。
代わりに、コンスタンスに聞いてみた。
「さっきお前、地下に落ちたんだよな」
「ええ。なんていうか──」
横を歩いて階段を下りながら、彼女。
「倉 庫 みたいなところに続いてたわよ」
オーフェンは声をひそめた。
「なんで商品の搬入口とやらが、道路から倉庫に続いてるんだよ」
「便 利 だからじゃない?」
「なんかこう......引っかかるんだが」
ぶつぶつと言っているうちに、地下へと到 着 する──
階段の終わりからぐるりとUターンするような形で、通路が折り返している。そこはすぐ行き止まりで、一枚の扉があった。
扉には、改めて店の看 板 がかかっている。
『古着屋・カロンのお店』
カロンが、さっと進み出た。
「ここです!」
と、勢 いよく扉を開ける──
中に入ってみると、そこはやはり、倉庫のようだった。ただ入り口にカウンターのようなものが設 えてあって、そこで代金を払 うものらしい。あとはずらりと、吊 された服が並 んでいる。地下室いっぱいに、である。
だが......
「どうです⁉ 」
こちらの気をよそに、カロンが堂 々 と胸を張 る。
「まったくやましいことなどありません! わたしの家 系 は先 祖 代 々 、まっとうな職 で生活してきたことが自 慢 なのです!」
「そうなのよねー」
コンスタンスが、困った顔で小 首 を傾 げた。
「ダイアン部長も、なんでこんなもの送りつけてきたのかしら。さっぱり分からないわ」
いつの間にか彼女が手にしているのは、例の命令書である。
「おや、それは──」
声をあげたカロンを、オーフェンは手で制 した。
「なあ......」
拳 を固 めながら、尋ねる。
「商品に、妙 な偏 りを感じるんだが......」
「へ?」
意 表 を突 かれて声をあげたのは、コンスタンスだけである。カロンはというと、分かっていますよとばかり、うんうんとうなずいている。
コンスタンスが、改めて倉庫の中を見たようだった。オーフェンもいっしょに見やる。ずらり並んだ服の群 れは、ごくごく当たり前のワンピースから、誰がこんなものを買うんだというばかりの制服まで、なんでもありそうな様 子 だった。
「ふっ──」
カロンは顔を上げると、誇 らしげに胸を張ってみせた。ぱっと腕 を広げ、倉庫の中を示す。彼は大声で続けた。
「そう! わたしはついに発見したのです! 若い女性の古着が、一部の方々に特別高く売れるということを!」
「それは別の商売だろうがぁぁぁっ!」
オーフェンが渾 身 の力を込めて放 った右フックが、カロンのこめかみをえぐる。
「のあああああああっ⁉ 」
またもや床をのたうちまわりながらも、カロンはなんとか立ち直り、流血しながら立ち上がった。まったくびっくりした様子で、叫んでくる。
「な、なにをするのです⁉ 」
「なにもくそもあるかいっ!」
「くそもなにも! わたしはただ、日 頃 から搬入口の上を若い女性が通りかかったらフタを開け、少しばかり強 制 的 な手段で倉庫までおいでいただき、泣くまで頼 み込んで着ているものを売ってもらっているだけです!」
「それのどこがまっとうな商売だ⁉ 」
「どこがと言われましても......そうだ! 写真付きは五割増しになっております!」
「どやかましいわ、あほたれっ!」
叫びながら、さらに踏 み込んで一 撃 を放とうとしていたオーフェンの腕を──コンスタンスが、後ろからつかむ。
「ちょっと待ってオーフェン!」
「......なんだ?」
彼が振 り返ると、コンスタンスはかなりの葛 藤 の表情を浮 かべながら、
「カロンさん」
「はい?」
後ずさりしながら、カロンが返事する。
コンスタンスが真 剣 な眼 差 しで、聞いた。
「かなり高く買い取ってくれるわけ?」
「おいおいっ!」
オーフェンは彼女を制止しようとしたが、コンスタンスは彼の手をすっとかわすと、カロンへと近 寄 っていった。
「かなーり......高額だったりする?」
目が、きらきらと輝いている。カロンはしばし、彼女を観 察 すると──
嘆 息 まじりにかぶりを振 った。
「もう少し若くないと......」
「やっちゃって、オーフェン」
「よしきた!」
「ぎゃあああっ! なんでですかぁぁっ⁉ 」
悲 鳴 と爆 音 が、倉庫を揺 るがす......
コンスタンスは手持ちぶさたに立ちつくして、倉庫中を逃 げ回る男と、それを蹴 って小 突 いて殴 って肘 で打つ男との追いかけっこを眺 めていた。しばらく終わりそうにない──双 方 ともに疲 れを知らないのか、絶叫と悲鳴を繰 り返しながら走り回っている。
と──
「なにをやっているんだ、あれは?」
いきなり話しかけられて、びくりとコンスタンスは背 筋 を伸 ばした。話しかけられたからというよりも──声に聞き覚えがあったからである。

「部長⁉ 」
彼女は面 食 らったようにうめいた。そこにいきなり、彼女の上司であるダイアン・ブンクト部長刑 事 が立っていた。騒 いでいる間に入ってきたのだろうが......
「な、なんでこんなところに?」
彼女が聞くと、ダイアンはあっさりと、
「お前らが来ているか、確かめにだ」
「そ、そうですか」
コンスタンスはオーフェンらを指さした。
「それでしたら、きちんと任 務 を遂 行 したところですよ。ほら──」
彼女の指の先では、オーフェンがいまだに奮 闘 している。
「ほほう」
ダイアンはしかし、特に感動もしていないようだった。
「古着屋を経 営 している叔 父 が、人手が足りないとかで困っているというので、わたしが知る限りもっとも暇 な人間を、内 緒 で斡 旋 したのだが──こういう仕事だったとはな」
「......へ?」
コンスタンスの指先が、かくんとコケる。
「叔父さん? ですか」
「ああ。おそらくは、あの血だるまで少々顔面の骨 格 が変形した男が、そうなのだろうと思うが、確 証 はないな」
「えーと......」
コンスタンスはゆっくりと、彼の言葉と、見てきたこととを反 芻 した。そうしているうちに、ダイアンが独 りごちている。
「お前らも、天下に名だたる失敗の記録を更 新 しまくっているとはいえ、極 めて脳 波 がクリアーな時ならば、常 人 の〇・六倍程 度 の常 識 はわきまえているだろうからな。職 務 でもないというのに、特に理由もなくわたしの叔父を半 殺 しにしたりはせんだろう」
「あ、あはははは」
「もしそうだった場合は『爽 快 コース』だ」
「うっ......」
コンスタンスは、伝説には聞いていたお仕 置 きのメニューを思い浮かべながら、恐 る恐る聞いてみた。
「あの......部長」
「なんだ」
「部長の家系って、なにかご自 慢 とかあります?」
「先祖代々、まっとうな職で生活しているというのが誇 りだが」
「そ、そぉですか......」
コンスタンスのうめきとともに──
この事件は終わる。いや、多分終わる。
(お前のツラは見たくねぇ!:おわり)


キエサルヒマ大陸西部。
王都の存在する東部の住人からすれば、なにがあるのかもしれないような田舎 に過ぎない。得 体 のしれない魔 術 士 たちの本 拠 があり、得体のしれない遺 跡 が点在し、とにかくひたすら得体がしれない。
その、トトカンタ市。
規 模 も大きく、大陸四大都市に数えられる商都。旧王都アレンハタムから現王都への遷 都 の際 、その資本の大半が、当時ただの荒 れ地に過ぎなかった東部への移転というリスクから、西部に留 まった。それが結 局 、この街の基 となったのだが。
このトトカンタ市にしろ、ほかの主たる都市にしろ、様 々 な特 徴 を持っていても必ず共通することがある。ただひとつ──
つまり、それが人間種族だけが住む街だということである。
そのトトカンタ市の昼下がり、ドーチンはとぼとぼと道を歩いていた。身長百三十センチほどの、大陸南 端 の少数種族、『地 人 』である。
そしてその隣 を、その兄が歩いている。ドーチンは分 厚 い眼鏡 を、兄であるボルカンは、剣 を下げている。見分ける要素はその程 度 で、そのほかは、民族衣 装 の毛皮のマントもなにもかも、似たような格 好 だった。
「兄さん......」
人 混 みの中、小声でドーチンはつぶやいた。
「ひとつ言いたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
と聞き返しつつも、ろくに聞こうとしている態度でもなく路 面 を凝 視 して、ボルカン。ドーチンはうろんな目つきで兄を見やった。
「この『天下の栄光を手に! とにかく素 敵 なお金持ち養成作戦計画・拾 得 物 は俺 のもの大作戦〜三日目〜』のことなんだけどさ」
「うむ。照 れもなく言えるようになって初めて一人前だぞ、ドーチン」
「いや、まあそれはいいんだけど......」
ドーチンはよそを向きながら続けた。
「落ちたお金を探して徘 徊 している間に、仕事を見つけて働いたほうが手っ取り早いような気がするんだけどな」
「またそのようなことを......」
ふっ──
と呆 れたような笑 みを見せて、ボルカンは振 り向いてきた。首を横に振って、言う。
「一 足 飛 びに跳 ぶ輩 は必ずつまずく! これが真理だぞ。効 率 の良さそーな儲 け話に飛びついてばかりが能 ではない。結局、地 道 に探 索 するのが吉 ということだな」
「......地道ならなんでもいいってもんでもないと思うけど。言っても無 駄 なんだろうな」
「はっはっはっ。真理には逆 らえんと悟 ったか、ドーチン」
ドーチンは言い返すのは止 めて、ただ嘆 息 だけを漏 らした。彼らと同じ通りを行き来する人の流れは、無関心に彼らをまたいでいくだけだ──実 際 にまたがれはしなくとも、ドーチンはそんな気分になっていた。永遠に関 わりを持つことのない人の群 れ。
(誰 かひとりくらい、役に立つ人がいてもよさそうなもんじゃないか)
ドーチンは胸 中 でそんなことを独 りごちつつ、再び『天下の栄光を手に! とにかく素敵なお金持ち養成作戦計画・拾得物は俺のもの大作戦〜三日目〜』の探索へともどった兄に、しらけた眼 差 しでついて歩いた。
と──
「我は放 つ光の白 刃 ──!」
かっ!
聞き慣 れた叫 び声と、爆 音 が響 きわたる。
ドーチンは反 射 的 に、両手両足を丸めて耐 衝 撃 姿 勢 を取った。次いで起こるはずの衝撃に覚 悟 を決める──
のだが。
「......なにをやっておるのだ? ドーチン」
「......兄さんと同じポーズだよ」
問いかけてきた兄と、そっくりの怪 訝 な顔で、ドーチンは言い返した。
先の呪 文 に引き続いて、爆 発 の振 動 は大地を揺 らしていた──が、爆 心 地 はかなり遠くのようだった。彼らは巻き込まれていない。というより、いつものように呪文の標的にされてなど、いない。
「あれは金貸し魔術士の声だったな」
あくまでも耐衝撃姿勢は崩 さずに(あの声が聞こえたというのに自分が吹っ飛んでいないことなど、にわかには信じられないのだろう)、ボルカンがつぶやいている。
「そうだね」

ドーチンもまた、あくまでも耐 衝 撃 姿勢は崩さずに(あの声が聞こえたというのに自分が吹っ飛んでいないことなど、にわかには信じられなかった)、うなずいた。
見ると、人通りは流れを停 滞 させて、ざわざわとどよめいている。とにかく少し離 れたところで騒 ぎが起こって、そのせいで進めないらしい。
つまりは、金貸し魔術士の呪文のせいということだろう。
「......なんなんだ」
ようやくボルカンは防 御 の姿勢をとりやめて、腕 組 みした。
「あのしょーもない一生をしょーもなく過ごす落ちこぼれのしょーもない魔術士、まぁた、くだらん騒 動 を起こしているのか? 石器時代に狩 られ殺されようと懲 りんらしいな」
「くだらない騒動に関しては、なにも言えないと思うな......」
ドーチンはぼやいた。
「なぜだ?」
本気で不 思 議 そうに、兄が聞き返してくる。理 解 できないというのが信じられないことだが、まあそれがこの兄だ。
ドーチンはそんなことを思いつつ、口を開いた。と──
「我は砕 く原始の静 寂 ー!」
かなり近くなった、魔術士の叫び声──
同時に起こった爆発に、今度はドーチンもボルカンも、吹き飛ばされた。
衝 撃 波 になぎ倒される、大勢の人間たちの中の一部になりながら、ドーチンはしみじみとあとを続けた。
「ほら。どうせ巻き込まれるんだから」
オーフェンという黒魔術士が、どのような人間かと言えば──
黒 髪 、黒目、黒ずくめ。前者のふたつは、大陸のごく一般的な平民の特徴である。最後のひとつは、趣 味 の問題もあろうが、こういうことだ──彼はあからさまに黒魔術士然 としている。
表情はどこか皮 肉 な気 配 が染 みついている。目つきも悪い。胸 元 には銀でできた、ドラゴンのペンダントがぶら下がっていた。これは大陸黒魔術の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ魔術士の証 である。
彼は人 混 みの中からあわてた様 子 で飛び出してくると、ちらりと後方に視 線 を投げた──追っ手を警 戒 するように。いや実際、追っ手を警戒しているのだろうが。
先の魔術で吹き飛ばされた人混みの中に埋 もれて、頭だけ出してドーチンは、彼を観 察 していた。間 違 いない。彼に──というより彼の兄に──金を貸して、それを取り立てるためには公共施 設 の破 壊 も厭 わない、金貸しの魔術士その人である。
だが見る限りオーフェンは、かなり追いつめられているようだった。危険な面 持 ちであたりを見回している。
刹 那 ──
ざっ! と別の人混みから、数人の人 影 が躍 り出た。筋肉質のその男たちは、黒魔術士に向かって駆 け出しながら、手にしている棍 棒 を振 り上げている。
だが、オーフェンは素 早 く振り向いていた。むしろ、目に見える場所に敵が現れたことで安心したように、動作に隙 がなくなる。
腕 を振り上げて一声。
「我は呼ぶ破 裂 の姉妹っ!」
見えない衝撃が、男たちを打ち倒 す。
安 堵 の息を吐 き──だがあくまで警戒は解 かない様子で、オーフェンは再びあたりを見回した。そしてまた、手近な人混みの中へと分け入っていく。
あとには、魔術で吹き飛ばされたということだけが共通点の、被 害 者 たちだけが残されていた。
「............」
言葉もなく黙 っていたドーチンの上から、ぽこっと頭が生えてくる。見上げると、ボルカンだった。
「ふっふっふっ......」
不敵に笑っている。不適にかもしれないが。
なんにしろ、ドーチンはきっぱりと嫌 な予感を覚えていた。兄の笑い声を聞いて、なにかがうまくいった例 がない。
「あの男たちを見ろ、ドーチン」
誇 らしげに、言っている。
ドーチンは、一 撃 でのされた男たちを見やった。青い制服。黒い帽 子 。全員、警 察 官 である。
ぽん、と人混みの中から抜 け出して、ボルカンは断 言 した。
「はっはっ! あの具のないイカ飯 借金取りめが! とうとう当局のお縄 に引っかかるよーなことをしでかしたらしいな!」
「そうみたいだねー、どうも」
いいかげんに返事しながら、ドーチンも人山から這 い出した。ボルカンは、ひとりで続けている。
「こうなれば、善良な市民として、あの凶 悪 な逃 亡 者 の捕 縛 に協力するのが義務ではなかろーか!」
「............」
「というわけでドーチン! あの金貸し魔術士を可能な限り頭の悪い看 守 のいる独 房 に放 り込むために! スペシャルでマキシム殺す準備だ!」
「............」
ドーチンはただ無 言 で、じっと考えていた──
言うまでもなく、兄が感 嘆 符 つきでしゃべったあとに、なにかがうまくいった例などありはしない。
オーフェンは街 を駆 けていた。
息があがっても、立ち止まるわけにはいかない。昼下がりの街 道 は、混 雑 している道としていない道での差が激 しいが、彼はとにかく人の多い場所を見つけてその中に潜 り込んでいった。
が──
「そこまでだぁっ!」
本を片手に歩いている学生と、二人連れの女とを押しのけていたその時に、声は響いた。オーフェンは素早く身構えると左右を見回すが、追っ手──つまり警察官らしき姿 はどこにもない。
そしてふと、思い当たって──下を見やる。
足 下 に、見覚えのある姿が見えた。
毛皮のマントに身を包む、地人の兄弟。
その兄のほうが、剣 を抜いて叫 びだした。
「はぁーっはっはぁっ! この瞬 間 を待っていたぞ! 待っていたから、待っていたのだ! きちんと先回りして待っていてやったのだから、ここはすっぱり潔 く、この俺に、深い沼にはまり殺されるがいい──」
「我は放つ光の白刃!」
オーフェンは一撃で片づけると、黒こげになった兄弟をまたいで、人混みの中に入っていった。
「だ、大 丈 夫 なのか、これ......?」
「黒こげよ? 首も曲がってるし。死んでるわよ......」
「ど、どうする? 保健所か?」
「ち、ちょっと待てよ。街外れのシュタイン博士が、先週あたりから新 鮮 な死体を探してるんだ」
そんなざわめきの中心で──
ボルカンは、むくと起き上がった。取り囲んでいた野 次 馬 が、ぎゃああ、と悲 鳴 をあげて逃 げていく。
「う〜む......」
そんなことには構 わずに、ボルカンは腕組みしてうめいていた。
「どしたの?」
ドーチンもまた、むくりと起き上がって兄に聞いた。考え深げ──に見えなくもないような気がしないでもない──な表情で、ボルカンがつぶやく。
「やっぱり真正面から正 攻 法 、というのは、ちょっとばかり危険度が高すぎたかなー、と思わないでもないような結果が出たな」
「きっぱりと無意味だったと思うけど」
ドーチンのぼやきは、兄には聞こえなかったようだった。聞こえても大差ないが。
「つまりっ!」
ボルカンは、唐 突 に腕を振り上げた。
「斜 め後ろから襲 いかかるべしと、このマスマテュリアの闘 犬 は悟 った!」
「あっそ......」
投げやりにつぶやいてドーチンは、黒魔術士の消えていったほうを眺 めやった──
兄の思いつきがうまくいった例などないのだが。
「わーははは! このクソ魔術士、背後からの攻 撃 にはさすがの貴 様 も──」
「我は築 く太陽の尖 塔 !」
燃えさかる炎 の中に彼らを置き去りにして、黒魔術士は人混みへと逃げ込んでいった。
「おい......これはさすがに死んだよなぁ......」
「嫌 な臭 いがするわよ、すっごく......」
「お祖 父 ちゃんの葬 式 を思い出すわねー」
「参 ったなぁ......シュタイン博士、炭 でもいいって言ってくれるかなぁ」
ボルカンは──というより炭は、あっさりと起き上がった。再び悲鳴をあげながら、集まっていた野次馬は散っていく。
「むぅ......」
拳 を握 って、ボルカンは苦しげにうめき声を漏 らした。
「これは即 ち、真後ろから攻撃すべしということなのか......」
「それで失敗したら、やっぱり真正面が王道! とか言い出して、ずっと同じことが続くよーな気がするな、ぼくは」
ドーチンは──というよりも炭だが、兄にあわせて復活した。遠巻きにこちらを見ている野次馬(ところで、シュタイン博士が云 々 とか言っていたのは誰 なのだろうとドーチンは訝 ったが、見分けはつかなかった)たちから、ひときわ大きい悲鳴があがるのだが、相手にしてもめんどくさそうなので無 視 することにする。
兄はじっとこちらを見ている。
「なんだと、ドーチン⁉ 」
信じられないという口 調 で、ボルカンが叫んだ。
「兄をそのよーな単純で軽 率 な発想しかできない輩 だとでも思っていたのか⁉ 例えばお前のよーな」
「......じゃあ、なんかほかに進展があったの?」
「無 論 だ! 世界は無限の可能性と選 択 肢 を持っている!」
ボルカンは両 腕 を広げ、大声で続けた──
「あの悪 魔 の毒 々 魔 術 士 をほっかむりでしらばっくれ殺すためには! この俺 様 の偉 大 な英知の六百万分の一くらいは使ってやらねばなるまい!」
「......前置きはいいから、なにを考えてたのさ」
「うむ! 背 後 のほかにも斜 め上とか下とか三角跳 びを応用してとか反復横跳びしながらとか──」
「多分、角度は問題じゃないと思うんだけど......」
「ならばなにが⁉ 」
ショックを受けたように、ボルカン──
「そうだね」
ドーチンはのんびりと空を見上げた。目は虚 ろだ。
「あんな借金取りのために、わざわざ兄さんが手を汚 すこともないんじゃないかな......」
「おおっ! それもそうか!」
ボルカンが、嬉 しげに顔を輝 かせる。
「たまには良いことを言うな、ドーチンよ! これで貴様はマスマテュリアの闘犬の愚 弟 から、グレートマスマテュリアの闘犬の愚弟に格上げしてやってもいいぞ!」
「............」
兄が、たまにこちらの意見を聞いたとしても、うまくいった例 がなかったその理由は、実は分かっている。
いいからもう帰ろうよ、という唯 一 のまともな意見だけは、聞いてもらえないからである。
自分が、だんだんと追いつめられていることには、うすうす感づいていた──
だがオーフェンはそれでも足を止めずに、走り続けた。まあ実 際 には、人通りの多い道で人をかき分けながら進んでいるわけで、歩いているのと大した違いはないが。
ある程 度 進み、あたりに気 配 を覚えて立ち止まる。そしてまた走り出す。そんなことを数度繰 り返したのち、必ず何度目かには、人 混 みの中から警 官 が数名、不 意 打 ちを仕 掛 けてきた。それを打ち倒 すかまくかして、逃 げ続ける──
(何回繰り返したんだ⁉ )
オーフェンは胸 中 で悲鳴をあげた。
「なんで俺がこんな目に......」
ぶつくさとぼやいていると、右手にいた人 垣 が、ざっと左右に割 れる 。
「............⁉ 」
彼はすぐさま身 構 えた。当 惑 して立ち止まっている人混みの中から現れたのは──
ずらりと並 んだ警官たちである。
みな同じ制服に身を固 めた彼らは、やはり全員一 様 に、バリケードを持っている。
持っているのだ。木でできた柵 を、数人で抱 えているのである。幅 五メートルほどだろうか。
「な......」
オーフェンはうめきながら、ちらりと背後を見やった。道の左側には、川が寄り添 って流れている。
そちらへ押 しつけるように──柵を担 いだ警官たちが、いっせいに押し寄せてきた。
「くそっ!」
オーフェンは毒 づくと、後方に跳んだ。逃げ出す人々を横目に、川 沿 いの落下防止用の柵があるところまで退 がる。
そして声をあげて、バリケードが突 進 してくる──
右手を掲 げて、オーフェンは叫 んだ。
「我 導 くは死呼ぶ椋 鳥 !」
彼の手の先から、破 壊 的 な振 動 波 が収 束 していき──真正面、バリケードの真ん中に、ぴしりとひびが入る。
そのひびに、オーフェンは思い切り前 蹴 りをはなった。バリケードはまっぷたつに折れ、勢 い余った警官たちは、折れた柵を構えたまま、川に落下していく。
あとには、オーフェンだけが残った。
「そう簡単に捕 まってたまるかって──」
彼がつぶやきかけた、その時。
ひゅごうっ!
突 如 として聞こえてきた風切り音に、オーフェンは身体 を投げ出した。一 瞬 前まで彼の身体があった場所を、大 鷲 の影のようなものが、猛 スピードで貫 いていく。
影はくるくると回転しながら川を渡 り、旋 回 すると、またもとの場所へと返っていった。よく見ればそれは鷲などではなく──
返っていったそのブーメランを片手で受け止め、姿 を見せたのは、銀 髪 の若い男だった。タキシードをきっちりと着込んで、涼 しい顔をしているが、その瞳 は、なにやらつらい感情に打ちひしがれるように陰 っている。
「お別れだけが人生などと、誰が言ったのでしょうか......」
その男が、静かにつぶやいた。両 翼 あわせれば二メートルはあろうかという巨 大 ブーメランを片手に。
「わたしは今日、友としてここにおります。あなたを止められるのは、わたしだけと承 知 して」
男はばっと顔を上げた。
「黒魔術士殿 ! わたしはあなたを殺したくなどないのです!」
「キース......」
オーフェンは、半 眼 でうめいた。
「言ってることのわりにゃあ、そのブーメランに凶 悪 なトゲトゲがついてるように見えるんだが」
「通販のカタログに、このタイプしか載っていなかったのです!」
その男──キースは悔 やむようにいやいやをすると、ノコギリの歯がならんだブーメランをこちらに向けた。
「そのよーな細 かいことはさておいて、黒魔術士殿! わたしは見 損 ないました!」
「ほう?」
腕 を組んで聞き返すと、彼は空 いている左手で白いハンカチを取り出し、それをくわえた。
「たとえあなたが、なんというか犯 罪 者 ぎりぎり、いやそれよりどちらかと言えば犯罪者から数えたほうが近いって感じ、ていうか犯罪者風味な犯罪生活をしているからといって、とうとう警 察 に追われる身になっているとは!」
「誰 が犯罪者だっ⁉ 」
オーフェンは、弾 けるように怒 鳴 り返した。が、キースはあっさりと、
「いえ。誰もそのよーなことは申しておりませんが」
「......いや確かに言ってはいなかったかもしれんが、言ったと同じだろーが」
「詭 弁 はおやめくださいっ!」
くわえていたハンカチをポケットにもどして、キースが声をあららげる。
「わたしは友として、あなたを救うためにここに来たのです!」
「友達だったっけか......? お前って」
かなり疑 わしげにオーフェンは聞き返したが、キースは聞こえないふりをしたようだった。
「友として忠告いたします! 罪を犯 したのならば、それを償 うことが人としての道! これ以上罪を重ねる前に、おとなしく捕 まるのです!」

おおお、と周りの野 次 馬 たちから、まばらな拍 手 が起こる。
「ちょっと待て、おいっ!」
オーフェンは、たまらずに叫 んだ。
「さっきから聞いてりゃ、人を犯罪者扱 いしやがって! 言っとくが、俺は別になんも悪いことなんぞしてねえんだからな!」
「犯罪者はみなそうおっしゃるのです! 黒魔術士殿 、往 生 際 が悪いですぞっ!」
「だから俺は別に──」
「黒魔術士殿逃 亡 の噂 を聞いて、ボニー様も泣いておりました! 悲しみに暮 れるそのお姿 を見ていられず、心の慰 めになればと、愛らしい灰 色 熊 のギャグリー君を手配しておきましたが」
「......聞いちゃいねえ......」
頭を抱 えてぐったりするオーフェンに──キースは、すたすたと近寄ってきた。ブーメランで口 元 を隠 し、声を潜 めてぼそりと告げてくる。
「実はギャグリー君、既 に飼 育 係 を四人殺しておりましてね」
「自然に帰してやれ! そんな猛 獣 !」
怒鳴りつつ、拳 を飛ばすが、キースはひょいと身をかわすとまた二、三歩ばかり距 離 を開けた。
「というわけでっ! ボニー様がせめて半分くらいは生きておられる間にもどらねばなりませんから、さっさと決着をつけさせていただきます!」
「言ってることがめちゃくちゃだぞ、お前......」
今に始まったことではないが、と胸 中 で付け加えながら、キースを見やる。
キースはブーメランをぶんぶん振 り回して、野次馬たちに声をかけていた。
「はーい、申し訳 ございませんが、少しそこをどいていただけないかと──どいてくれますね? どいてくれたりゃー!」
最後には、逃 げ遅 れた子供の背中を蹴 り押 しながら、人だかりをどける。
そこには──
いつの間に用意したものだか知らないが、バスケットのゴールのようなものが置いてあった。ただし横 倒 しにである。
キースが、それを縦 に立てるのを、オーフェンは冷めた目でじっと見ていた。
「ふっ──」
くるりと、キースは振り向いてきた。用意した、そのゴールのようなものを指し示して、声 高 に叫んでくる。
「お待たせいたしました! 黒魔術士殿!」
「いや、まあ......いろんな意味で待たされた気はするが。精神的に」
「そのよーな哲 学 的 なことは知りません! わたしが今宣 言 できるのは、この究 極 安全捕 獲 トラップの名前だけです!」
「ほほう」
オーフェンは落ち着いて、その装置を観察した。形状は、要するにバスケットのゴールのそれである──トトカンタ市ではあまりメジャーな競技でもないが。高さは三メートルを超 えるくらいだろう。本来ならリングがあるところに、はさみがついている。園芸用のはさみを、あらゆる意味で悪意的に改造したような、そんなはさみである。大 鎌 をふたつ組み合わせたような形というと近いだろうか。ゴールの下には踏 切 板 が置いてある。下にバネが見えるが、今は留 め金で留まっていた。ただし、なにかのショックがあれば──例えば、板の上に置いてあるバナナを拾おうと、板に足を乗せるとか──板は跳 ね上がり、ゴールにまで犠 牲 者 を飛ばすだろう。
「ほほう」
オーフェンは繰り返すと、手近にいた野次馬の中から主婦らしき女を見つけて、彼女の抱えている買い物かごから丸パンの大きな塊 を借りた。それを、板の上に軽くほうってやる。
ばぢぃんっ!
板は景気良く跳ねると、丸パンをゴールのはさみのところにまで飛び上がらせた。同時に、板の動きに連動しているらしいはさみが、思い切り閉 じる。
一 瞬 後 、まっぷたつになったパンが地面に落ちた。
静まり返る観衆を前に、何事もなかったかのように平静な声で、キースが続けた。
「わたしのお祖 父 さんの名前を取って──『首 狩 りねじりもぎ取り君』です!」
「やかましいわぁぁぁっ!」
オーフェンが怒鳴るが──あたりの野次馬から、またさっきとは違った意味での歓 声 とともに拍手が起こる。
「さて──」
キースは、パンといっしょに板に飛ばされたバナナを拾い上げると、
「もう一度仕 掛 けなおしますので、次はよろしくお願いいたしますね」
「なにをどうぞよろしくしろってんだ?」
オーフェンはつぶやくと、トラップに指先を向けた。
「我 は放 つ光の白 刃 !」
はなたれた光熱波が、木でできたトラップを粉 々 に打ち壊 す。
オーフェンは無 言 で、すたすたとキースに詰 め寄った──ブーメランとバナナを片手ずつに持った彼の胸 ぐらを、ぐいとつかみ上げる。
「ところで、黒魔 術 士 殿......」
キースは、しれっとつぶやいてきた。
「悪いこともしておられないのに、なぜ警察などに追われておるのですか?」
「しっかり聞いてたんじゃねえかっ!」
怒 鳴 ってから、キースを殴 り倒したあと、振 り返る──
と。
「ふっふっふっふっふっ......」
「今度はなんだ......」
うんざりしてオーフェンは、額 を手で押 さえた。すると、また人 混 みの中から、怒鳴りながら誰 かが姿 を現してくる。
「なんなんだその投げやりな態 度 はっ⁉ このクソ魔術士っ!」
「むっ⁉ 」
オーフェンは、はっと顔を上げた。出てきたのは、無 論 と言えば無論──ボルカンとドーチンである。いつもの格 好 、つまり毛皮のマントだが、今回はなぜか、それをぴっちりと前で閉 じている。
毛皮のてるてる坊 主 といった形である。
「お前らっ⁉ 」
オーフェンは取りあえず叫 んでから──ふと、考え込んだ。
「そーいや、さっきからうろちょろとしていたようないないような......」
「ろくに確 認 もせずに黒こげにしたのか、貴 様 はっ!」
ボルカンが怒鳴ってくる。
「そーゆうこったから、紙テープで飾 り殺されてしまえと言うのだっ!」
「うるせえっ!」
オーフェンも怒鳴り返した。
「なら、今度はしっかりくっきり確認してから、思いっきり焼き尽 くして墓 も建ててやるからな! ちなみに墓には『駐 車 料金銅 貨 二枚』と書いといてやる!」
「それは墓じゃなくてパーキングじゃないですか......?」
ドーチンが小声でつぶやくのが聞こえたが、無 視 しておく。
「というわけでてめえらっ! 希望する焼け具合を申 告 しながら前に出ろ! 希望に拘 らず炭になるまで燃やしてやる!」
だが──
ボルカンは、ふっと笑うだけだった。
「いいのかな......?」
自信たっぷりな口 調 で、言ってくる。
「この俺 様 が、まあ実力的には貴様を上回っていたはずだが、ちょっとした巡 り合わせのせいで二度も後 れを取って、そのまま無 策 に突 っかかっていくとでも思っていたのか」
「ぼくが止めなかったら、斜 め上だの反復横 跳 びだの言ってたくせに......」
なんだか分からないことをドーチンがつぶやいているが、今度も無視。
オーフェンは一 応 、ボルカンを凝 視 した。
「なにをたくらんでやがる......?」
聞く。答えることを期待していたわけではないが、真っ先に怪 しいのは、地 人 ふたりのマントだった──今日に限って、前を閉じている。中になにか隠 しているのだろう。
ボルカンが、とうとう前に出てきた。
「貴様の特技! つまりまあつまらん芸みたいなもんだが、その魔術を封 じるために! このマスマテュリアの闘 犬 は究 極 の防具を見つけだしたのだ!」

ばっ、とマントを開いて、大笑する。
「これで貴様は、絶 対 に俺様を攻 撃 できないっ!」
ボルカンのマントの下には──
猫 が一匹 、張 り付いていた。ゴミ捨て場で拾ったのか、子供のおんぶ紐 を改造したようなもので固定されている。
「わーはははははは!」
剣 を抜 き、ボルカンは続ける。
「この可愛 い猫を傷 つけるようなまねは、よもやできまい! これで貴様のくそったれた魔術は封 じたも同然! 早 々 に赤トンボを追いかけ殺してくれるから、謝 りつつも泣き叫べ!」
オーフェンは──
無言で、無表情で、すたすたと歩いていった。大 股 に、迷いなく。ボルカンの目の前まで来ると、
「やあっ!」
ボルカンが、剣で殴 りかかってくる。オーフェンは無 造 作 に足で、それをはね除 けた。ボルカンの手をはなれた剣は、からからと道の真ん中に転がっていく。
手ぶらになったボルカンの頭を、オーフェンはがっしとわしづかみにした。
「えーと......」
困ったようにつぶやくボルカンには構 わず、空いている左手で、Vサインを出す。
「それは?」
どういう意味なんですか、と聞きたいのだろう。ドーチンの問いには、オーフェンは答えなかった。
答える代わりに、すぐに分からせてやった。二本の指で、さくっとボルカンの目を突く。
「おあおおおおおっ⁉ 」
派 手 な悲鳴をあげる兄と対照的に、ドーチンは、ああ、そうかと朗 らかに納 得 の声をあげていた。
「ったく、この馬 鹿 どもは......」
「あ。ぼくも入ってる」
ドーチンのつぶやきを無視して、オーフェンは立ち上がり。刹 那 ──
ごごごごごごご......
振 動 に、動きを止める。
オーフェンは、あたりを見回した。野 次 馬 たちも──もう今さらなにが起ころうとどうでもいいような様 子 ではあったが──、きょろきょろとしている。
地 震 とは明らかに違 う、鈍 いうなり声のような振動が足下を揺 らしていた。
と──
「おお! そういえば!」
唐 突 に、むっくりとキースが復活した。ぽんと手をたたき、言う。
「念のためにと仕 掛 けておいた、突極爆 殺 ・極限破 壊 爆 裂 トラップのことをとんと忘れておりました」
「仕掛けるなぁぁぁぁっ!」
誰ともなく──というより、その場にいたほぼ全員が叫ぶと同時──
大爆発が、街 を揺るがした。
夕日が沈 む。
何時間ほど、倒れていたのか──ドーチンには、よく分からなかった。ただすすだらけになって、壊 れた街をぼんやりと眺 めていた。疲 れからか、それとも痛 みからか、とにかく立ち上がる気力はもうどこにもない。
あたりは倒れた人たちで埋 め尽 くされていた。舗 装 されていた道路はめちゃくちゃにめくれ上がり、爆発の規 模 を示している。これだけの爆発にも拘らず、どうせ死者はいないのだろう──落下防止用の柵に腰 をかけて、なぜか無 傷 で茶をすすっているキースを見つめて、ドーチンはため息をついていた。
ちなみにボルカンは、ちょうど爆心の真上にいたために、えらく上空まで放 り出されて、今は近くのパン屋の壁 に頭から突き刺 さっている。ぴくりとも動かないが、あと数分もすれば復活するだろう。それまでは平和な時間だ。
黒魔術士は──地面に倒れていた。気 絶 しているらしい。まあこちらも、しばらくは起き上がりそうには見えない。ぼろぼろになって、手足をひくつかせている。
「ま、こんなことになるだろうとは思っていたんだ......」
ドーチンは独 りごちた。
うまくいった例 がない。
そもそも兄とともにいてなにかがうまくいったという例がなかった。
「にしても......」
と、夕日に問いかける。
「借金取り、なんで警察なんかに追われてたんだろう」
心当たりならいくらでもあったが、どれも今さら理由になることでもない──モグリの金貸しを逮 捕 するということなら、とっくの昔にそうなっていても良さそうなものだ。たびたび街を壊していた(今日もだ)のも、理由として決して小さくなどないが、今さらである。
やがて......
ざっ、ざっ、という規則正しい足音が、響 いてきた。なんとか頭を上げると、向こうから──というか川の下流のほうから、さきほど川に落とされた連中であろう、ずぶ濡 れの警官たちが歩いてくる。
その先頭に、スーツ姿のきりっとした女がひとり、歩いていた。確か、あの借金取りといつもいっしょにいる、派 遣 警察官である。確か、名前はコンスタンスとかいったか。
彼女──コンスタンスは、静かな表情で、歩いてきていた。しっかりとした足取りで、借金取りに向かって進んでいく。
やがて、大勢の警官たちを引き連れて、彼女は黒魔術士のすぐ近くに足を止めた。スーツのポケットから、きらりと輝 く手 錠 を取り出す──手錠は確か派遣警察官の装 備 ではなかったはずだから、警官のひとりに借りたのだろうが。
無力に気絶したままのオーフェンの右 腕 に、彼女はがちゃりと手錠をはめた。

そして──
「さあ、オーフェン──」
手錠をかけられ、だらんと力なくぶら下がったオーフェンの腕を抱 えて──コンスタンスが、夕日に向かって決めポーズを取った。
「捕 まえたわよ! わたしの手伝いを嫌 がって逃げ回るなんて、あんまりだわ! 街の平和のため、治 安 維 持 のために! さあ! これからパトロールにつき合ってもらいますからね!」
「なんじゃそりゃぁぁぁぁっ!」
がれきと化した街を背後に──
気絶していたはずのすべての人間が起き上がり、叫び声をあげた。
(馬鹿馬鹿しいにもほどがある!:おわり)


「......ここなんだな?」
「ええ」
と、しごく真 面 目 な面 持 ちでうなずいてくる女を見つめて──オーフェンは、ぱきぽきと指を鳴らした。
シャツも黒なら、その上のジャケットも黒 革 。黒ずくめの格 好 をした、二十歳 ほどの男である。特に意味があって黒にこだわっているわけではないのだが、ある種の義務のようなものだ。黒 魔 術 士 にとって、黒ずくめというのは。
胸 元 にぶらさがっている、銀製のペンダント──剣 にからみついたドラゴンの紋 章 は、大陸黒魔術の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ証 である。オーフェンは常に皮 肉 を宿している眼 差 しを、彼らの目の前にある扉 へもどした。
古びたアパートメントの、せまい廊 下 。扉には『201』と記されたプレートが──昔はあったのだろう。今は扉に直接マジックでそのナンバーが書かれてある。
彼といっしょにいる女──コンスタンスは、ひとりでまたうなずいたようだった。低い声で、ぶつぶつと確認している。
「個人としては大 規 模 な麻 薬 の運び人。アッシャー・ガンノ。この扉の向こうで取引しているはず。現 行 犯 で捕 らえれば、特別手当に成 績 プラス!」
──と、彼女は顔を上げた。
きらきらと瞳 を輝 かせ、親指を立てる。
「わたし、今とっても充 実 しているわ!」
「逮 捕 してから充実しろよ」
オーフェンは呆 れ声でぼやき、彼女を見下ろした。塵 ひとつついていないスーツ姿 の女警 官 。しかも、大陸司法組 織 のエリート、派 遣 警察官である。彼よりも少し年上のはずだったが、その容 貌 にはどこか子供っぽさがついて回っていた。
彼女はポケットから、数本のダーツを取り出した。それを構 えつつ、扉に向き直る。
「さぁて──」
気合いを入れて、一歩退 がり──
「そこまでよっ!」
彼女が扉に向かって放 った、一発の蹴 り。
捕 り物はそこで始まり、そして終わった。
「まさか、扉に鍵 がかかってるなんてねー......」
ギプスで固 められ、包 帯 で吊 られた足を静かな眼差しで見上げている。ぼんやりと──けだるげな調子で、コンスタンスがつぶやいていた。誰 にというつもりで言っているのでもないのだろうが、答えておく。
「普 通 はかかってるだろ。ヤバい取引やってるんだから」
だが、彼女は聞いていないようではあった。口 調 を変えずに、ぼんやり続ける。
「まさか、足が折れるなんてねー......」
「そりゃ足首をひねったって不 思 議 じゃないだろ。パンプスなんかで蹴りを入れりゃ」
病室。病室は白い部 屋 。
壁 が白いというよりも、その静かな空気が果てしなく白を感じさせる。病室には彼らふたりだけだった。このトトカンタ市の警察病院は、基本的に個室になっているらしい。
オーフェンは、その白い空気に感化されて──というわけでもないが、白く白く、静かに静かに言葉を続けた。
「ちなみに例のアッシャー・ガンノとやらは、窓 から飛び降りて逃 げようとしていたところを、管理人のおばちゃんが取り押 さえてくれたそうだぞ」
それまでなにを言っても無 反 応 だったコンスタンスの顔に──ぴくりと動 揺 が走るのを見ながら、付け加える。
「管理人のおばちゃん以下の逮 捕 率 。すごいな、お前って」
「なんでよぉぉぉぉぉっ!」
コンスタンスはいきなり泣き叫 び、ベッドの上で上半身を勢 いよく起こした。折れた足を吊られているので、腹 筋 の力だけでである。
彼女は猫 模 様 のパジャマ(自前らしい)の胸元で両手を握りしめ、非 難 がましく言ってきた。
「あんただって同じじゃないの! いっしょにいて取り逃がしたんだから!」
「......お前を無 視 して部屋に飛び込もうとした俺 のことを、無 理 やり引き留 めたのは誰だったっけか?」
「だってだって! わたしが足折れて泣いてるのに、見捨てるなんてひどすぎるじゃないっ!」
コンスタンスがかぶりを振 って泣き叫んだ、その時──
開けっ放 しになっている窓から、なんの脈 絡 もなくなにか細いものが飛び込んでくる。それはそのまま、すこんと音を立てて、コンスタンスのギプスに突 き刺 さった。
「きゃあああああっ⁉ 」
コンスタンスが、悲 鳴 をあげて硬 直 する。ギプスに突き立っているのは一本の矢だった。矢の尻 にひもがついていて、封 筒 がぶら下がっている。
「う・う・う......」
呆 気 にとられてオーフェンが見ていると、彼女はうめきながらもその矢を引き抜 いた。やじりにちょっと血がついていたりする。
彼女は気にせずに、封筒を開けた。中から一枚の紙を取り出す。
がさごそとそれを広げ、コンスタンスがつぶやいた。
「本部からの指令だわ......」
「そーいや今まで聞いたことなかったが、そーゆう連 絡 方法だったのか......?」
オーフェンもその紙をのぞき込んだが、やはり派遣警察における命令書であることに間 違 いないようだった。コンスタンスは、ふんふんとひとりうなずきながら書類を読んでいる。
オーフェンは横から再び、書類をのぞき込んだ。今度はきちんと読んでみる。
「ええと......『緊 急 特別指令』か」
「勝 手 に読まないでよ」
彼女の抗 議 は無視して、オーフェンは彼女の手から命令書を取り上げた。そのまま読み上げる。
「『コンスタンス・マギー三等官。今回の指令はなんか特別だ。しかも緊急だ』」
書いてあるままを読んでいる。ちらりとコンスタンスを見やると、彼女はかなり感じ入った様 子 でうなっていた。
「さすが部長......フランクな出だしで部下の心を掌 握 というわけね」
「............」
そーゆうもんだろうか、などと思いつつ、オーフェンは続けた。
「『えーと、最初に伝えておこう。君をクビにしようと思う』」
............
オーフェンは、そこで止めた。コンスタンスは──まだ感心のポーズは崩 していないものの、さっきとは微 妙 に気 配 を変えていることに彼は気づいていた。
もしかしたら、そのポーズのまま気 絶 しているのかもしれない。オーフェンは構 わずに先を続けることにした。
「『あー、だが、ここであっさり君の首をねじ切ったところで、君が社会に対してもたらした並 々 ならぬ損 害 が弁 済 できるというわけでもない。来年度から経理部が無 能 警官損害弁済費なるものを予算に入れることを検 討 していると、署長自らわたしに通達があった。この時点でわたしは君のデスクとロッカーを廊 下 に放 り出した』」
「............」
コンスタンスは動きを見せていない。
「『及 び我 が派遣二部の予算七十五パーセントカットの旨 が、書面で知らされた。わたしは君のデスクとロッカーを寒風吹 きすさぶ屋 上 へと運び出した』」
このあたりになると、書類につづられている字が、やけにいびつになっている──筆圧が異 常 に上がったというように。腕 も震 えていたのか、字も揺 れていた。
オーフェンは淡 々 と続けた。
「『間もなくして、カットされた予算の中に、わたしの賞 与 という項 目 を発見した。わたしが屋上から放り投げた君のデスクが、たまたま中庭に遊びにきていた署長のお孫 さんに直 撃 し重傷を負わせたからといって、なんの不 思 議 があろう?』」
ここで、派 手 にインクが飛び跳 ねていた。ペンが折れたのだろう。
「『──というわけで、わたしはあっさりとではなく、じわじわと君の首をもぎ取ることにした。君には再研修を命じる。ちなみに、足が治る前に職場復帰しないとクビだ』......なるほど......」
命令書をふたつに折り畳 み──いまだ硬直しているコンスタンスの頭の上に置くと、オーフェンはしみじみとつぶやいた。腕 組 みして、目を閉 じる。
「寛 大 な処置だな。あの部長も、人間が丸くなったもんだ」
「なんでよぉぉぉぉぉっ!」
彼女の絶 叫 が、白い、白い部屋に響 きわたった。
翌朝。空は晴れていた。
目は覚めていたのだがベッドの中でしばしまどろみ、オーフェンはあくびをした。頭まで被 っている毛布の隙 間 から、きらきらと朝日をこぼしている窓 へと視 線 を投げる。寝 ぼけ気 味 の視 界 に、カーテンが柔 らかに揺れているのが見えた......
彼は、シーツを押 し下げて上体を起こした。空気までもが清 浄 な、さわやかな朝。
「ああ......」
オーフェンは、ほろりと涙 を流した。
「無能警官にたたき起こされたり、くだらねえ仕事を押 しつけられたりしない、安らかな朝......」
実はもう昼前なのだが、そんなことはどうでもいい。
彼はベッド横の椅 子 の背に引っかけてある革 のジャケットをつかむと、いそいそと着込んだ。腕をそでに通しながら、目を輝 かせて独 り言 を続ける。
「ああ! あの馬 鹿 がいない! 足を折って病院に監 禁 されてる! たったこれだけのことで、どーして空気までがうまくなるんだろう。今日はちょっと誰にでも優 しくなれそーな俺だっ!」
「そう。ならちょうどいいわね」
「おおおおおおっ⁉ 」
いきなり背 後 から声をかけられ──オーフェンは、文字通り飛び上がった。恐 る恐る、振 り向いてみると。
そこには、松 葉 杖 に寄りかかって立っているコンスタンスがいた。
凍 り付き、ただじっと彼女を凝 視 する。コンスタンスは特になにがあるというわけでもないように、ごく何 気 ない様 子 で立っているだけである。
オーフェンは、がっくりとうなだれ、力なくうめいた。
「あああ......朝が......朝が濁 っていく」
「どーゆう意味よっ!」
怒 鳴 り声をあげる彼女に、オーフェンは顔を上げて──ふと、オーフェンは気づいた。ふくれている彼女を見つめて、
「──って、あれ? お前、再研修を命じられたんじゃなかったっけか?」
「そぉよ」
「てことは、仕事はないんだろ?」
「ええ」
コンスタンスはかなりムクれた表情ながらも、言葉少なにうなずいている。オーフェンは、訝 しく思いつつ顔をしかめた。
「なら俺になにを手伝わせようってんだ?」
「誰も、あんたに手伝ってくれなんて言ってないでしょ、今 朝 は」
彼女はここぞとばかりに、唇 をとがらせた。
と──
「駄 目 だったようね。コンスタンス三等官」
扉 が開いて、何者かが入ってくる。
オーフェンは動きを止めて、入ってきた人間に意 識 を集中した──というか、集中させられた。
すらりとした、長身の美女。ぴっしりしたラインのダークスーツに身を包まれている。ただ、きらきらとしたブロンドは、そのあからさまな金色っぽさが、かえって染 料 によるものだとばれさせていた。身長で、コンスタンスと頭ひとつ分は違う。明らかにオーフェンよりも高かった。無 論 、やけくそに高いヒールのせいではあるのだが、ヒール分プラスされた身長に違 和 感 を覚えさせないほど顔が細い。小さな唇に真っ赤なルージュ。先のとがった金 縁 の眼鏡 。
だが──
オーフェンは彼女の頭をびしっと指さし、思わず質問していた。
「なんで頭の上で髪 がとぐろを巻いてるんだ?」
「そういうファッションなのよ」
少し半 眼 で、彼女が答えてくる。と、ぼけっと立っているコンスタンスを肘 で軽くつついて、咳 払 いしてみせる。
「なんですか?」
きょとんと聞き返すコンスタンスに、再び咳払い。
「......どうかしましたか?」
また咳払い。今度は二回続けて。
「のどが痛いんですか?」
「あのねぇ、コンスタンスさん」
その女は、細い指を一本立てると──薄 いピンク色に塗 られているその爪 を、コンスタンスの眉 間 にトンと当てた。
そのまま、続ける。
「わたしはこのオトコの子を知らないの」
オトコ に微 妙 なアクセントがかかっている──聞いている人間の尻 をむずがゆくさせる類 のアクセントである。オーフェンは背中に鳥 肌 が立つのを覚えたが、そんなこちらの気も知らず、女はコンスタンスに続けた。
「この子もわたしを知らないでしょうね。ところで、あなたはわたしを知っているし、この子のことも知っているんでしょうけど、それなら役割ってものがあるわよね?」
「そうだぞ、コギー」
オーフェンはその女の言葉に重 々 しく同調すると、コンスタンスの肩 をたたいた。
「とぐろさんの言うとおりだ」
「勝 手 に妙 な名前をつけないでちょうだい」
女が静かに非 難 の声をあげるが、無視しておく。コンスタンスは、さすがに言われて気づいたのか、ぽんと手をたたいた。

「ああ、ごめんなさい。紹 介 するわ」
と、こちらを示して、
「彼はオーフェン。なんか魔 術 士 らしいですけど、今はおおむね下町の小悪人です。口は悪いですけど、性格は、極 めて悪いとまではまあ言わないでおいてあげてもいいんじゃないかと、おいしいものを食べて昼 寝 している時なんかは夢 うつつにそう考えてしまうこともたまにあります」
「ほほう」
「で、この方がオリビアさん。今回の再研修を担当してくれる教官さんで、わたしの仲間内では鬼 婆 の愛 称 で親しまれているのよ。ちなみにわたしの姉より十歳年上で独身ね」
「ふうん」
「ふたりとも、きっととても気が合うと思うの。多分似たもの同士だから──て、あれ?オーフェンてば、なにやってんの?」
「ゴルフの練習」
オーフェンはコンスタンスの松葉杖をひょいと取り上げると、ゴルフスイングで彼女のギプスを一 撃 した。
悲鳴をあげて倒 れるコンスタンスのギプスを、オリビアが踏 みつける。
「ちなみにわたしは、タバコの火をヒールで踏 み消す練習ね」
言ってくる彼女に、オーフェンは静かな口 調 で問いただした。
「てことは、これからぐりぐり踏みにじるわけだな?」
「火が消えるまでね」
と、オリビアがギプスの上で足首をねじると同時、コンスタンスから長い絶 叫 がほとばしる。
そのまましばらくギプスを抱 えて転げ回ってから──コンスタンスが、のろのろと立ち上がった。
「あ、相変わらずですねぇ、教官」
彼女のつぶやきに、オリビアはただ笑 顔 を向けただけで答えなかった。薄 く開いた唇 の間に、犬歯が光っている。
気を取り直して、オーフェンは聞いた。
「......んで、その教官とやらを引き連れて、結 局 俺になんの用なんだ?」
「いえ、あのね」
答えながらコンスタンスは、スーツのポケットに手を入れた。にこにこと友好的な笑顔で、近づいてくる。次の瞬 間 ──
ひゅんっ!
彼女がポケットから取り出した、弛 緩 薬 を仕込んだダーツを手につかみ、突 きかかってきた。ひょいとそれをかわし──彼女の手首をしっかりと捕 まえて、こともなげにオーフェンは口を開いた。
「......で?」
「え〜と」
彼女は、冷や汗 を流しながら、
「教官が、犯 罪 者 をひとり逮 捕 したら研修は終わりだって言うから」
「誰が犯罪者だっ⁉ 」
「あなた」
「冷静に答えるな!」
オーフェンは彼女に怒 鳴 ってから、くるりとオリビアのほうへ向き直った。教官は、ごく平 静 にこちらを見返している。
「そこのとぐろ女も!」
「しつこいわよ」
オリビアが言い返すのだが、知ったことではない。オーフェンは口早に続けた。
「だいたい、なんなんだその研修は! ろくに犯 人 逮捕もできないから再研修を命じられたよーな無 能 警官に、犯人逮捕をさせる研修なんてさせても意味ねーだろ!」
「......そう思う?」
彼女の声はあくまで静かだった。感情が見えないわけではない。感情が平静なのだ。
オーフェンは構わずに続けた。
「思うわい! だいたい、それじゃあいつもやってる仕事と大差ないだろうが!」
刹 那 ──オリビアの目が、きらりと輝 く。彼女は自然に言葉を割 り込ませてきた。
「そうよ」
冷たく続ける。
「そしてそれが、わたしを鬼教官と呼ばせ、この再研修が『地 獄 コース』と呼ばれるゆえん......」
物静かに言い返してくる彼女に、オーフェンはつい言葉を途 切 れさせてしまっていた。オリビアは目を細め──危なげに言ってくる。
そう。なにかを呑 み込むような眼差し。
彼女は、さっとその目を上げた。
「なんと、普 段 の仕事と変わらないことをやっているのに、この研修中は給 与 が半額なのよ!」
「そんだけかいっ!」
「なに言ってるのよ、オーフェン⁉ 」
コンスタンスまでもが、恐 怖 に満ちた声をあげてくる。腕 をつかまれたままで恐 ろしげに身 震 いして、
「この研修待 遇 に不満を持って辞 めていく新米警官がたくさんいるのよ⁉ 」
「知るか、そんなことぉぉっ!」
思い切り叫 ぶ。そして。
ふと、オーフェンはぎょっとした。コンスタンスが──松葉杖でようやく立っているくせに──異 常 な力でもって、ダーツを持った手を押 しつけてきたのだ。こちらも全力で抵 抗 しつつ見下ろすと、彼女は必死の形 相 で言ってきた。
「と・い・う・わ・け・で......」
一声一声、いちいち歯を食いしばっている。
「わ・た・し・の・お・給・料・の・た・め・に......逮・捕・さ・れ・て・ち・ょ・う・だ・い!」

「絶 ・対 、い・や・じ・ゃ・あ・あ......」
その横では、
「ふむふむ......『給与』をキーワードに腕 力 で拮 抗 ......非 常 に意 地 汚 し......」
オリビアが、なにやらメモを取っていたりする。
だが実 際 、たいした力ではあった。なんとかぎりぎりでこらえ、オーフェンは声を絞 り出した。
「だ・い・た・い・だな、お前......ここで無 理 に俺を狙 ったりするよりも、もっと楽そうな相手をしょっ引けばいいだろうが」
「そ・う・い・え・ば......そんな気もしてきたわ」
ふっと、コンスタンスがダーツを下ろす。
ふたりは、ごく短い時間、見つめ合った。
「楽な......相手だよな」
「楽な......相手よね」
同時に同じことを思いつく彼らの横で──
「極 めて単純に、口 車 に乗る、と」
やはりオリビアが、メモを取っていた。
マスル水道近辺の街 道 は、この頃 どうも人通りが途 絶 えたらしい。
そんな噂 を、オーフェンは聞かないでもなかった。理由は知らない──たかが、時々思い出したように魔術で爆 破 されたりする程 度 の、安全な道だというのに。
そんなことを考えながらオーフェンは──ほとんど意 識 せずに──空間爆 砕 の構 成 を編 んでいた。
「我 は砕 く原始の静 寂 !」
解 き放 たれた魔術が──
マスル水道と呼ばれる市内川の、その上にかかっている橋を直 撃 する。
激 震 する衝 撃 波 が、あたりの地面を揺 るがした。振 動 のせいで、近くのパン屋の軒 先 から『長い間ご愛 顧 ありがとうございました』という張 り紙が、ぺらりと落ちる。
「ふっ......」
すぐに爆音は収 まり、オーフェンは気取ったポーズで笑みを浮 かべた。慣 れた様 子 で耳をふさいでいるコンスタンスを見やり、
「この俺の開発した、がっちん逮 捕 術......」
「がっちん?」
聞き返してくるコンスタンスとオリビアに、オーフェンはうなずいてみせた。
「即 ち! 犯罪者が逃げる余 地 もないほどの広 範 囲 を、大 規 模 な衝撃波によって根こそぎ爆 砕 する! 周囲の生 態 系 をも踏 みにじる、究 極 の犯人逮捕術だ!」
「いつもやってることに名前をつけただけって気もするけど」
なぜか気に入らないらしく、疑 わしげな面持ちで、コンスタンスがつぶやく。
「当人と同じく......知り合いは馬 鹿 ......ばっかり......」
オリビアはオリビアで、黙 々 とメモを取っている。
と──
半分砕 けた橋の下から、もこもことずんぐりした人 影 がふたつ、頭を出してくる。
ぼろぼろになったそれらは、這 々 の体 でなんとか、街 道 まで脱 出 してきたようだった。どんなに傷つこうと、ぼさぼさの髪 も相変わらず、毛皮のマントも相変わらず。身長百三十センチほどの、『地 人 』のふたりである。
その一方──剣 を持ったほうが、こちらの姿 を見るなり、拳 を振 り上げて怒 鳴 りつけてきた。
「てめえコラ! いつもいつもいつもいつもいつもいつも工 夫 もせんと、いつもいつもいつもいつもいつも同じ破 壊 行動とともに現れやがって──」
「たまに思うんですけど......」
もう一方、分 厚 い眼鏡 をかけたほうは、もっと気弱に小さな声をあげてきた。
「ぼくらのこと、ひょっとしてなにしても死なないんだと勘 違 いしてません?」
「なに言ってるんだ」
オーフェンは腕 組 みして、しごく当然と言い切った。
「なにやっても死ななかったじゃねえか。もし死んだら反省してやるから、安心しろ。反省したあとは、同じ間 違 いは二度としないぞ俺は」
「ええと......なにかが間違ってる気がするんだけど、言い返せない......」
もごもごとひとりうめく彼を押 しのけて、剣を持ったほうが前に出てきた。
「どいていろ、ドーチン!」
と、剣を抜 く。
「あのよーな、普 段 から目が斜 めに傾 いとる性 悪 魔術士に、なにを言っても無 駄 だぞ! こうなればこのマスマテュリアの闘 犬 、戦士ボルカノ・ボルカン様が──」
彼──ボルカンは、そこで唐 突 に言葉を途 切 れさせた。そのまましばし観 察 していると、どうやら、息が切れたため息 継 ぎをしているらしい。
「名 乗 りが長すぎるんだよ」
オーフェンの指 摘 を、ボルカンは無 視 した。剣を掲 げて、続ける。
「この戦士ボルカン様が、直 々 に──」
そしてオーフェンも、逆にボルカンを無視して右腕を挙 げた。一 瞬 の集中。一瞬に爆発する呼 気 。
「我 は放 つ光の白 刃 !」
彼の手の先から放たれた光熱波は、真 っ直 ぐにボルカンの──すぐわきを通り過ぎた。
衝 撃 波 と熱風で、ボルカンの髪とマントが激 しくはためく。
純白の光熱波は、彼のすぐ後方で、爆 炎 をあげた。
呆 然 と──ボルカンが、動きを止める。ドーチンのほうも、やはりぼんやりと、いまだ炎 をあげている爆発点を眺 めていた。
「ええと......」
困ったように口ごもりつつも、ボルカンが言葉の続きを口にする。がっしとドーチンの肩 をつかんで。
「と・いうわけでっ! ドーチンよ! 兄は決して止めたりせんから、心おきなくあのクソ魔術士を殺すが良いっ!」
「なんでぼくがっ⁉ 」
悲 鳴 をあげるドーチン。そんなふたりをじっと見 据 えて──
オーフェンはかざしていた腕を引き寄 せ、低い声 音 でつぶやいた。
「なあ......福ダヌキども。聞け」
にっこりと、続ける。
「おめでとうございます。君たちは抽 選 で、なんと百万人の中からこの俺の幸福の礎 となる幸 を与 えられました」
「さち?」
聞き返してきたのは、コンスタンスである。オーフェンはこっくりとうなずくと、
「まー色々と事情は省 くが、この無 能 警 官 、給料のために、誰でもいいから犯 罪 者 を逮 捕 しなけりゃなんなくなったそうだ」
「ほう」
ボルカンが、うなずく。
オーフェンはそのまま続けた。
「よって、お前らを生け贄 にして、この馬鹿の所得を復活させる! 当然、俺の功 績 だから、復活した給料は俺のものだっ!」
「なんでっ⁉ 」
コンスタンスが声をあげたが、オーフェンは完全に無視した。
「てなわけで! お前らの借金のことは忘れてやる! だから死ね! 死んでくれ!」
「くう......奴 は本気だぞドーチン! さあ、迷 わず当たって砕 け殺してやるのだ!」
「だから、なんでぼくがぁぁぁっ⁉ 」
刹 那 ──
「......駄 目 ね」
冷水のような声が、文字通り水を差す。
オーフェンは──そしてボルカンもドーチンも、コンスタンスも動きを止めて、声のほうを見やった。
オリビアである。彼女はぱたんとメモを閉 じて、金色の眼鏡の奥 から冷たい眼 差 しを投げてくる。
「そうか。そうだな......」
オーフェンは、肩を落とした。目をつむりかぶりを振る。
そして、コンスタンスに向き直って、
「確かに、まずはしっかりと約束してからだな。給料の件、よろしくな」
「思いっきり嫌 よ!」
叫ぶ彼女を押しのけるようにして、オリビアが口を開いた。
「そうじゃなくて──」
と、嘆 息 ひとつ。
「これは研修なのよ。あなたが犯人逮捕してどうするの。コンスタンスさんが、自分の力だけでやるべきでしょう?」
「............」
すべてが静まり返った。無 言 で、それぞれ全員の顔を見つめ合い──
オーフェンは、うなずいた。
「そうか......俺は大事なことを忘れていたんだな」
そして、やっぱりコンスタンスに向き直る。
「確かに、お前に全部やらせて、しかも給料横取りしたほうが断 然 お得だ」
「全っっ然、分かってないでしょ、あんた」
もう怒 る気力もない、といった無気力な表情で、コンスタンス。だが、ぷるぷると首を横に振っていつもの顔にもどる。
「そうなのよね」
と、これはオリビアにだろう。意志を固 めるように、拳を握 ってみせる。
「確かにそうでした。わたしがやらなければならない。教官──」
彼女は、またメモを開いているオリビアに顔を向けた。
「実はわたし、ちょっと疑 ってました。実は単なる嫌 がらせで、お給料半分で仕事させてるのかって」
それを聞いて、少し汗 など垂 らしてオリビアが顔をそむけたようではあったが、独白に夢 中 になっているコンスタンスは気づかなかったようだ。
「でも! ちゃんと教官は気にしてくださっていたんですね! ああ! 鬼 婆 だなんて言わなければ良かった!」
「分かってくれたのね、コンスタンス三等官」
オリビアが、彼女の肩 に手を置いた。
感 極 まったように、コンスタンスが瞳 から涙 をあふれさせる。
「はい教官! 鬼婆じゃない人に鬼婆なんて、実は友達の間でもわたしが一番たくさん鬼婆って言っていたんだけど、鬼婆なんて実は」
「しつこいわよ」
「はい、鬼婆!......あれ?」
どすっ──
つい口を滑 らせた彼女に、あくまでにっこりとした笑 顔 のまま──オリビアが、コンスタンスに強 烈 なボディブローをたたき込んだ。ついでに、声もなく倒 れたコンスタンスの、ギプスの上にちょこんと正座する。
「ひいいあああああっ!」
コンスタンスの悲 鳴 にもまったく動じないまま、オリビアは続けた。
「コンスタンス三等官。ほんのちょっとだけ口が悪いわね」
「あううう。ずいまぜんんん......」
こくんこくんと頭を下げながら、涙まじりにうめき声で謝 るコンスタンスに、さらににっこり。
オリビアはすっと、立ち上がった。
「分かってくれればいいのよ、三等官」
そして──コンスタンスが立ち上がるのに手を貸して、続ける。
「これは今まで秘 密 にしていたけれどね。実はわたしも、現役の頃 は、任務に失敗してたびたび再研修を受けたりもしたのよ」
遠い眼 差 しで、彼女は軽く首を振 った。
「でも人間、努力すれば、ちゃんと報 われるの。わたしもがむしゃらに頑 張 って、そして──気がついたら、辞令を受け取っていたわ。教官として後進の指導に当たってみないかって。素 晴 らしい栄 誉 だったわ」
「そ、そうだったんですね!」
さらに涙を流し、コンスタンスが彼女の手を握 りしめた。
「分かりました教官! わたしやります!」
そうして地人たちをにらみやる彼女の双 眸 には、もう涙の痕 跡 などありはしない。オリビアの手を解 放 すると、彼女はポケットからダーツを取り出し、ボルカンに向けて構 えを取った。
「さあ、なんかもー名前忘れちゃったけど、とにかく地人兄!」
「名前も知らないで逮 捕 するんですか......?」
ドーチンがぽつりと言っているが、コンスタンスの目を見るに、無 視 するつもりらしかった。
「わたしのお給料のために──そして将来的にはわたしも頑張って教官になり、若手相手に偉 そうなことを言いつつふんぞり返ってしかも高給をもらうため!」
「なんであそこまで感動して、なお下 心 が持てるんだよ、お前は」
オーフェンもつぶやいたが、やはり無視された。
ダーツの針を、きらりと輝 かせて──彼女は、叫 んだ。
「とにかく手 頃 な犯罪者として、あなたを逮捕させてもらうわよ! いいわね⁉ 」
「いいわけがあるかぁぁぁぁっ!」
ボルカンが(かなりもっともな)非 難 の叫びをあげるが、やはり無視するだろう。
周囲をすべて無視し──背 後 で怒 りのマークをこめかみに浮 かべながらメモを取っているオリビアにも気づかずに、コンスタンスがダーツを振りかぶった。
他 人 事 のようにそれを眺 めながら、オーフェンはふと思い出していた。彼女と出会った時も、この道でボルカンらを捕 まえようとしていたのだ。
そして、確かその時は......
オーフェンは嫌 なことを思いついて、口を開いた。
「な、なあ、コンスタンス──」
だが、遅 かった。
「やあっ!」
彼女の投げたダーツは、すこんと音を立てて、オーフェンの首 筋 に突 き刺 さった。針に仕込まれた即 効 性 の弛 緩 薬 ──無 論 、人体に無害というわけでもない──によるしびれが、一気に身体 を支配する。
へなへなと、オーフェンはその場にひざをついた。身体が動かない。
「ああっ──ご、ごめんなさいっ!」
コンスタンスが、悲鳴じみた声をあげた。と──ボルカンらに向かって指を突きつけ、
「ずるいわよ!──小さくて当たりにくいなんてっ!」
「知るかああっ!」
と、これはボルカンの声。
「全然......進歩してねえ......」
弱々しくオーフェンはうめき声をあげた。一 応 、コンスタンスが松 葉 杖 をもたもたと動かしながら、こちらに駆 け寄 ってくる。
「大 丈 夫 、オーフェン?」
「大丈夫......だったら......蹴 りの一発も......たたき込んでるわい......くそ......」
「おかしいわね。わたしが狙 いを外すなんて。この前練習して、たまには的 に命中するようになったのに」
「狙いも......くそも......まったく反対方向......じゃねえか......なあコギー......」
オーフェンは震 える手で、彼女の手をつかんだ。強く握 って、訴 える。
「なあに?」
聞き返してくる彼女に、
「慰 謝 料 ......てものを......知ってるか?」
「わたし......たまに、あなたのことが可 哀 想 になるの」
なぜか本気で哀 れみの目をみせる彼女の肩 越 しに、メモを取っているオリビアの姿 が見えた。
「なにかさせると......必ず失敗する......無能ぶり矯 正 は困 難 ......と」
と、またそのメモをしまう。
「あ、あのー」
コンスタンスは顔を上げて、彼女のほうを見やった。
「教官。なんかこーゆうことですし、今日のところはとりあえず研修はやめにして、わたしの代わりにあの地人たち、捕 縛 してくれませんか?」
「へ?」
不 意 をつかれたのか、オリビアが、驚 いたような声をあげる。
「いや、へ? じゃなくて......」
「あ、ああそうね。それもそうだわよ」
わたわたと、自分のスーツのあちこちを探 ってから──
「あら? でも残念だけど、考えてみたらわたし、ダーツを持ってきてないわ」
「わたしの使っていいですよ」
ひょいと、ダーツのホルダーを彼女に渡 してやる。
オリビアは──少し動きを止めてから、それを受け取った。
「そう......ありがとうね......」
蒼 白 になってダーツを受け取るオリビアの表情に──
オーフェンは、底知れぬ嫌な予感を覚えていたのだが、身体がしびれているせいでうまく声が出せなかった。ふふん、とコンスタンスが得意げに鼻を鳴らす。
「さあ! 地人たち! 教官にかかっちゃ、あんたたちも逃 げようがないわよ!」
「く......!」
ボルカンのうめき声が聞こえた。オーフェンからは死角で見えなかったが。
コンスタンスが、さらに声の調子を一段階上げた。
「なにしろ、鬼ば......もとい鬼教官オリビア・シャルルといえば、派 遣 警 察 内 でも色々と有名な──」
「やあっ!」
すこんっ!

オリビアのかけ声と、そしてダーツがなにかに当たる音。
そして......コンスタンスが、ずるずると地面に倒れる。
「ああっ! 確かに、的が小さくて当たりにくい⁉ 」
狼 狽 したオリビアの声。ダーツはコンスタンスの頭に突 き刺 さっていた。
「くっ──でも、派遣警察の名 誉 にかけても、絶対に逃がさないわよ! あっ! あなたたち、なんで逃げるの⁉ 待ちなさい!」
「知るか、あほぉぉっ!」
叫び返しながら、ボルカンたちが逃げていく。
そして逃げる足音と追いかける足音。どちらも遠ざかっていった......
「............」
弛緩薬にやられて動けないまま、オーフェンは虚 ろな声でうめいた。
「なあ、コギー......あの教官......なんで有名......だったんだ?」
「さ、さあ......詳しいことは......」
彼女もしびれながら、なんとか答えてきた。
「で、でも確かその昔、上司にとっても可愛がられて いたんですって......」
「な、なるほど......こんな研修しか、できないわけだ......」

オーフェンはなんとか声を吐 きだした。
「よーするに......どんな無能でも......教官にはなれるってことだな......」
コンスタンスとて、はたから見れば可愛がられて いるだろう。思い切り。
「あーゆう教官が......こーゆう無能警官を大量生産してるわけだな......派遣警察......恐 るべし......」
マスル水道沿 いのその通りからは、だいぶ前から人通りが途 絶 えている。
誰も通らず、誰も助けてくれないその街 道 で、いつまでも消えないしびれにうなされながら、オーフェンはそんな怖 いことを考えてみたりもした。
(あきれてものも言えねえぜ!:おわり)


何度も通る道ではあるが、夜道はいつもひとけがない。
街 の灯 りが消えることはなくとも、その灯 明 がとどかない場所というのはあるものだ。トトカンタの裏 路 地 街 は、そんな場所である。
その夜の道に、足音だけが響 いている。
夜の影 に溶 け込んで、彼の姿はひどく分かりにくかった。それもそのはず、黒ずくめの格 好 が完全に闇 夜 のカラスである。闇の中に浮 かんで見えるのは、彼の眼 差 しと、胸 元 に揺 れている銀色のペンダントくらいなものだろう。剣 にからみついた、一本脚 のドラゴンの紋 章 。大陸黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ証 である。
彼──オーフェンは、真夜中を少し過ぎたその道を、特にどうということもなくひとり歩いていた。
と──
その足が、止まる。
同時、夜にこだまする足音も消えた。ただし──彼が立ち止まるのより、ほんのわずかに遅 れてから。
(俺 の足音じゃない......?)
彼は眉 根 を寄 せてから、目玉だけを動かしてあたりを見回した。
「誰 だ?」
呼びかける。返事はない。が。
「............?」
冷たい指の感 触 のようなものを感じて、オーフェンは、はっと振 り向いた。月明かりの下、青白い光が格 子 のごとく降り注 いでいる。振り向いた先に、女の人 影 が立っていた。気 配 もなく、そこにいる。
道は暗いが、その女の姿形は分からないでもなかった。髪 は長い黒髪。おろしたての針金の束 のように、一本のくせ手もない。背ははっきり言って、低い──足元を見ると、かなりヒールの高いブーツを履 いているのだが、それでも彼より低かった。黒いダブルのコートを、袖 には腕 を通さずに肩 にかけているが、その上からでも彼女の両肩は、ひどく華 奢 に見える。
両手をポケットに突 っ込 んで、小さい唇 に紙巻きタバコをくわえているその姿は、ぱっと見てアウトロー気 取 りの少女だが、年 齢 的に、少女という歳 ではない。二十代の半 ばは過ぎているだろう。
五メートルほどを隔 ててか。夜のとばりを挟 み込み、対 峙 している。
「なにか用か?」
オーフェンは威 嚇 するように半 眼 で、そう聞いた。女は、不 機 嫌 そうな双 眸 をぴくりともさせず、ただこちらをにらみ据 えている。
「用がないんなら──」
彼が頭をかきながらそう続けた時だった。
ぺっ──と、唾 といっしょに彼女がタバコを吐 き捨 てる。タバコの先の赤い火が、吸い込まれるように地面に落ちた。
その火を消しもせず、女はこちらを見やると、
「オーフェンとかいう金貸しは、あんた?」
ひどく突き放した声 音 で、聞いてくる。
ああ、とオーフェンはうなずいた。
「用事があんのなら、さっさとしてくんねえかな」
女は──答えない。
ポケットに手を入れたまま、弾 けるように駆 け出す。こちらへ。
「──っ⁉ 」
オーフェンは声にならない悲 鳴 をあげながら、後方に跳 び退 いた。女は音もなく──信じられないほどの速度と勢 いとで駆け込んでくる。
ずだんっ!
という激 しい音は──
彼女の踏み込みと、そして同時に繰 り出してきた、両手の掌 が空をたたく炸 裂 音 だった。
かなり強く跳び退いていたはずなのだが、彼女の腕の伸 びは思いのほか大きく、結局ぎりぎりでしかかわせなかった。余 裕 なく身体 をひねり、彼女の身体の側面へと移動しようとするのだが、
「ひゅウ──!」
息 吹 とともに、彼女の肘 が飛んでくる。
避 けられないタイミングではなかったはずだった。が──
(......速いっ⁉ )
オーフェンはあわてて両腕でガードを固めると、歯を食いしばった。ガードの上から、骨がばらばらになりそうな威 力 でもって、彼女の肘が打ち付けられる。

だが、それだけならばなんとか踏みとどまることもできなくはなかった。激痛に舌 打 ちしながらも、反 撃 のために拳 を握 り込む。
攻 撃 に出るための予備動作を作るべく、右肩といっしょに右足を半歩ほど後ろに退 いた。すべてその一 瞬 である。
その一瞬の間に、女の姿は消えた。
細く長い息吹だけが、頭上から聞こえてくる──
(まさか......?)
ぞっとしながら、オーフェンはかがみ込むように頭を低くした。刹 那 、
「ちぇすとォっ!」
雄 叫 びとともに、彼の頭上を、なにやら凄 まじい勢いの一 撃 が通り過ぎていく。
地面を転がって、オーフェンはその場を離れた。一回転してから、ばっと跳 ね起きる。同時に、先ほどの場所で女が姿を現していた──空中から、すたっと飛び降りて。
(あの一瞬で、飛び上がって攻撃してきただと......?)
愕 然 と、オーフェンは女を見やった。
助走もなしに、こちらの視界よりも上に飛び上がり、しかも攻撃してきたというのだ。人間技ではない。
だが女は女でこちらを見据えて、軽い驚 愕 を抱 いているようだった。相変わらずの不機嫌そうな双眸に、きょとんとしたものが混 じっている。
「へえ?」
と、彼女は声をあげた。
「たいしたものね。避けたんだ」
「ふざけんなっ!」
オーフェンは飛び上がって絶 叫 した。両手をわななかせ、さらに声をあららげる。
「てめえ、いったい何者だ⁉ 戦 闘 訓 練 を受けた魔 術 士 と互 角 以上にやり合っといて、ただの通り魔だとは言わねえだろうな!」
「言わないわよ。通り魔じゃないもの」
素 っ気 なく女は言うと、再び両手をポケットに突っ込んだ。ごそごそと中を探し──取り出したのは、金色のシガレットケースとマッチである。
細いタバコを口にくわえ、片手だけで器用にマッチを擦 ると、その火に顔を近づける。彼女が目を閉じてしばし。タバコの先に、赤い火が点 った。
先ほど吐き捨てたタバコの火は、まだ消えていない。彼女は顔を上げると、くわえタバコのまま、静かに言ってきた。
「ま......及 第 点 、てトコかしらね」
と、言葉とともに短い煙 を吐く。
意味が分からず、オーフェンは顔をしかめた。月明かりに脳天から串 刺 しにされているその女は、泰 然 とこちらを眺 めてきている。
よくは分からないまま、オーフェンは眼差しで聞き返した。それが通じたか、彼女もまた、据わった双眸を返してくる。
「分かってんの? あんたのことよ」
「いや、あの......」
思わず、口ごもってしまう。彼女は気にした様 子 もなく、続けた。
「まあ、わたしの可 愛 い妹たちも、そんなに見る目がないってわけでもなかったってことよね」
「......へ?」
オーフェンは、聞き返しながら──
彼女が誰であるのか、不意に気づいていた。
「ド──!」
彼女の姿を見た瞬 間 。
同じテーブルに座 っていたコンスタンスとボニーのふたりが、驚 愕 の声とともに立ち上がった。ポーカーでもしていたのだろう。ふたりの手から、ばらばらとカードが落ちる。
「ド、ドドドド」
狂 ったようにドの音ばかり繰 り返してから、ウエイトレス姿のボニーが、彼女を指さすのを、オーフェンはぼんやりと見ていた。女は変わらぬ仏 頂 面 で、くわえタバコを上下させている。
ただ、ボニーが声を震 わせている間に、すたすたとそちらに近 寄 っていき──
ほとんど目の前にまで近づいた瞬間、ボニーがうめく。
「ドギー姉様!」
「ドロシーお姉様、でしょ」
ごぎっ──
裏 拳 で容 赦 なくボニーを打ち据えて、女がつぶやく。
もんどり打って倒 れるボニーを冷たく見下ろして、彼女──ドロシーと名乗ったが──が告げた。
「きちんと呼びなさい。きちんと」
「ふ、ふぁい。おねーさま」
ぼたぼたとこぼれる鼻血を手で押さえて、震え声で答えるボニー。
そのふたりを恐 ろしげに見ているのは──スーツ姿のコンスタンスである。こそこそとカードを隠しつつ、彼女はつぶやいた。
「ね、姉さん......なんでこんなところに?」
コンスタンスも、もともと背 丈 はないほうだろうが、ドロシーはそれよりさらに低い。だが、コンスタンスは傍 目 にも分かるくらいに怯 えた表情を見せていた。
いつもの宿の、いつもの食堂である。オーフェンはドロシーに言われるままに、ここに案内したのだが、いまだに事情がよく分かっていなかった。
と──
ばんっ!
勢いよく音を立て、二階の扉 を開けて姿を現したのは、銀色の髪をオールバックにした、タキシード姿の青年である。意志があるのだかないのだか分からない眼差しは、ただ前方をしっかりと見据えている。意味もなくしっかりとだけしていた。
「お久しゅうございます! ドロシー様!」
「ああ。やっぱいたの。馬 鹿 執 事 」

にべもなく、ドロシーが冷 淡 な声をあげる。
だが、彼──キースは気にもせず、階段わきの手すりを乗り越えた。
「とおっ!」
そのまま、宙 に身を躍 らせる。
そして──
さらにそのまま、一階の床 に頭から落下した。ごぎん、とやたら鈍 い音を立てて、柱のように床に突き刺 さったまま、キースが動かなくなる。
「............」
一同、数秒ほどそれを眺めていたが。
ま、いいかと思いつつ、オーフェンはあっさりと興味をなくした。姉妹を見やると、彼女らもまた似たような表情で、キースから視線を外 している。
「久しぶりね、妹ども」
「ども、って......」
冷や汗 を垂 らしてうめくコンスタンスの背 後 から、にゅうとキースが復活する。まったく無傷で、あまつさえ歯を輝 かせたりしながら、さわやかに手をかざしている。
「はっはっはっ。手 厳 しいですなぁ」
「失 せなさい。鬱 陶 しい」
無表情で言い放つ、ドロシー。
「オーフェン様ぁぁ。たふけて」
ずるずると床を這 って、こちらの足をつかむボニーを、オーフェンは見下ろした。が、こちらがなにか言うよりも早く、その妹の後 頭 部 を、ドロシーのブーツが踏みつける。コートのポケットに手を突っ込んだまま、無 造 作 に。
むぎゅうと潰 れるボニーに一 瞥 もくれず、ドロシーがつぶやいた。
「人に顔を見せる時は、鼻血くらい拭 きなさい。みっともない」
「ぶ、ぶぁい」
顔面を床に押しつけられたまま、ボニーがうなずく。ドロシーはさして満足げな顔も見せないまま、その足をどけた。
「相変わらずですねぇ、ドロシー様は」
と、にこにこと笑みを浮かべて言ってくるキースを、ドロシーは無視しようとしたようだったが──彼女が顔をそむけるより先に、キースのほうが回り込んでいた。揉 み手 などしながら、続ける。
「ぬるぬる酢イカ野郎はお元気ですか?」
「ぬる......?」
ぴたり、と動きを止めて顔をしかめる。
コンスタンスも分からなかったのか、不思議そうに執事を見つめていた。オーフェンも、黙 って成り行きを見守っていたが。
にっこりと、キースは言い直した。
「ハウザー様のことですが」
「なんでわたしの亭 主 が酢イカなのよっ!」
たまらずに、ドロシーが大声をあげる。
だがキースは、しれっとした様子で、
「はあ。しかしお館 様 には遺 言 にて、ハウザー様のことは『ぬるぬる酢イカ野郎』もしくは『ずるべた腐 りジャム野郎』と呼ぶように言われておりますので、わたしとしても従いませんと」
「あ・の・親 父 はぁぁ! 今 際 の際 までケンカを売ってくとは、い〜い度 胸 だわ」
食いしばった歯の間から、ぶち、とちぎれたタバコが落ちる。
さっとそれを拾 い上 げ、ハンカチに包んで片づけながら、朗 らかにキースが続けた。
「しかし、フレデリック様のご遺言とあらば、遵 守 するよりほかありますまい。というわけで、できますればドロシー様もごいっしょに──」
「するかいっ! 人の亭 主 を、ぬるぬるだのずるべただのっ!」
「......父様、ハウザーさんのこと嫌 ってましたもんねー」
鼻血を拭 きながら、しみじみとボニーが声をあげる......
「よく分からんのだが......」
オーフェンは、そこでようやく口を開いた。少し離れたところで青ざめた表情を見せているコンスタンスに、尋 ねる。
「よーするに、こーゆう姉妹だってことだな?」
「まあ、そーよ......」
目を閉じて答えてきたコンスタンスは──
少なく見積もっても、とにかくひたすら疲 れ切った様子ではあった。
「護 衛 ?」
天 井 を向いているボニーの鼻にガーゼをつめてやりながら──
オーフェンは、怪 訝 に思って聞き返した。
「そうよ」
テーブルの向かいに腰 掛 けて、ドロシーが答えてくる。念押しするように目を細めて。
「わたしの護衛。それを、あんたに頼みたいわけ」
「......問題がみっつだ」
ボニーを横に押しのけ、オーフェンはつぶやいた。となりのテーブルに退 避 しているコンスタンスとキースとに目 配 せしてから、あとを続ける。
「ひとつ。なんで俺 があんたを守ってやらにゃなんねえんだ? いきなり殴 りかかってきやがって」
「コンスタンスからの手紙によれば」
ドロシーはあっさりと──くわえタバコを揺 らしもせずに──答えてきた。
「あんた、わたしの妹にかなり世話になってるみたいじゃない。その義 理 を返しなさい」
「............」
オーフェンが冷たい視線をコンスタンスに投げると、彼女はあさっての方向を向いて聞こえないふりをしていた。
とりあえず、次を口にする。
「ふたつ。どうやって俺があんたを守ってやるんだ? 俺より強いってのに」
「そのわたしより強い敵が相手だからよ。さっきの手紙には、あんたって、どんな凶 悪 な敵にぶつけても目 減 りしない便 利 な奴 だとも書いてあったわよ」
「............」
再びオーフェンは、コンスタンスに半 眼 を向けた。彼女はテーブルに突 っ伏 して寝 たふりをしている。
口の中でいろいろと毒づいてから、オーフェンはドロシーに向き直った。
「みっつ。俺だってヒマじゃ──」
「ないんだって言いたいんでしょうけど、コンスタンスの手紙には、座 敷 犬 並 みのヒマ持 て余 し男だって」
がたっ。
オーフェンはとうとう椅 子 から腰をあげると、床の上に寝転がって死んだふりをしているコンスタンスに近寄りかけた。
が──背後から、ドロシーが制 止 の声を発してくる。
「まあ、落ち着きなさいって」
「......思いっきり落ち着いてるぞ。ただ、あの無 能 警 官 に、今度という今度こそは世の中の道 理 をたたき込んでやろうと思ってるだけだ」
そのせりふを聞いて、死んだふりをしているコンスタンスの表情に冷や汗が浮かぶ。
とにかくそんなことを言いながら、オーフェンがばきぼきと指を鳴らしていると、ドロシーは呆 れ顔 を見せた。
「全然落ち着いてないでしょ、そんなの」
と、小さな肩をすくめてみせる。
「どのみち、その子が書いてよこしたものを真 に受けるつもりは、わたしもなかったんだけどね」
彼女の口 調 に、オーフェンは足を止めた。肩 越 しに向きやると、ドロシーはテーブルに頬 杖 をついて、うっすらと笑 顔 のようなものを浮かべている──
タバコの煙を吐いてから、彼女が続けた。
「でも念のためにあんたに会ってみて、コンスタンスの言うことにも、ごく一部分くらいはホントのことが混じってるんだなと思ったところよ」
「その通りです......」
キースが、立ち上がる(ついでに床にいるコンスタンスの顔を踏 む)。
「その通りですわ、姉様」
ボニーもまた、立ち上がった(ついでに床にいるコンスタンスの腹を踏んだ)。
苦しげにうめき声をあげるコンスタンスを無視して、ふたりはぱんと手を打ち合わせると、子供の遊 戯 のようにぴったりとした呼 吸 で──くるくると踊 り始めた。動作といっしょにせりふを続けている。
「確かにこの黒魔術士殿 は」
「わたしのわたしのオーフェン様は──」
「一 目 瞭 然 、旗 幟 鮮 明 」
「誰 がどのよーに見ようとも──」
と、そこでふたりはぴたりと動きを止めた。そろってこちらを指さして、ハモりながら言ってくる。
「──ヒマ人なのです!」
「黙ってろ、てめえらはっ!」
「そうよっ!」
叫んで立ち上がったのは、身体の上でふたりに踊られてもみくちゃになったコンスタンスである。彼女はふたりを払 いのけると、ぐっと拳 を握 った。
「あなたたち、いくらなんでもオーフェンを馬鹿にしすぎよ!」
「そうだっ!」
オーフェンの相 槌 は無視して、コンスタンスが続ける。
「だいたいそんな分かりやすいことは、誰だって知ってるんだから!」
「おのれも同 類 じゃあああっ!」
叫びながらオーフェンが放った右ストレートが、コンスタンスの後 頭 部 を直 撃 し──吹っ飛んだ彼女は、そのまま前方にいたボニーとキースを巻き込んだ。三人まとめて、なぎ倒される。
仲良く倒れた彼女らを背後に、オーフェンはドロシーに向き直った。ぜえはあと息を弾 ませながら、聞く。
「......で?」
「............」
彼女は、しばし呆 然 とした顔を見せてから頭をかいた。
「......なに言いたかったのか、忘れちゃったけど」
と、からまって倒れている妹たちや銀 髪 の執 事 、そしてこちらを見回す──
「ま、この子らのやることにいちいちつき合ってあげてるあたり、確かによっぽどのヒマ人なのかもね」
「......そーかも......」

思わず納 得 してしまいながら、オーフェンもまた──彼女の顔を、見返していた。
その後の処 理 は、簡単だった。まとめて気 絶 しているコンスタンスらはそのままにして、ドロシーはよそにとってあるという宿に帰っていった。オーフェンも、そのまま二階へと上がっていくだけである。
翌朝目覚めた時にも、やはり三人は倒れたままだったが──
それはそのままにして、オーフェンは厨 房 に入っていった。厨房はまだ無人だったが、勝手に朝食を物 色 する。
「ろくなもんがねぇな......」
仕入れ前なので当たり前だが、仕入れた後では朝食には遅すぎる。
とりあえず彼は、チーズひとかたまりと、やたら硬 いパンを両手に抱 えた。パンは、多分スープにでも漬 けて食べるためのものなのだろうが、そんなものはないのでコップに水を注 ぐ。水でも食べられないことはないだろう。
と、表から物音が聞こえてきた。
からん......
扉についている鐘 の音である。誰かが入ってきたのだ。
「?」
気になって厨房から顔を出すと、昨夜とまったく同じコート、同じブーツで、これまた相変わらずくわえタバコのドロシーが立っている。
彼女はこちらに気づくと、こともなげに言ってきた。
「できた?」
「あん?」
オーフェンは、分からずに聞き返した。
「なにがだ?」
「準備よ」
「......なんの」
「わたしの護 衛 」
「誰がやるって言った⁉ 」
抱えたパンとチーズを放 り出して、オーフェンは怒 鳴 りつけた。が、ドロシーは平 然 と、
「あんたは言ってないかもしれないけど、わたしは決めたもの」
「そーゆうのは、手 前 勝 手 と言うんだ、きっぱりと!」
「言うかもしれないけど、わたしは決めたんだったら」
「くっ......!」
彼はうめいて、身体 をわななかせた。息を吸い──そして吐 いてから、頭を抱える。
「あんたなあ」
「まったく......」
だが、嘆 息 してみせたのは、彼女が先である。
「もう決まったことだって言ってるのに、あんた意外とわがままね」
「おのれじゃあああっ!」
指を突きつけて、オーフェンが叫ぶ。
もっとも、ドロシーは聞くつもりもなかったようだが。彼女は肩をすくめると、コートの懐 に手を入れた。
ざっ──
オーフェンは、思わず警 戒 して跳 び退 いた。彼女が、きょとんとした表情を見せる。
「どしたの?」
「いや、なんとなく」
昨 夜 のこともあり、思い切りファイティングポーズをとって身 構 えるのだが、彼女は気にもしていないようで、そのまま懐から手を出した。
「わたしもね、ただでとは言わないわよ」
「ほう?」
オーフェンは、多少警戒を解 いて、彼女の手の中をのぞき込んだ。
淡 々 とした口調で、ドロシーが説明する。
「昨日の帰り道、トカゲを拾 ったんだけど」
「どないせっちゅうんだ、ンなもの!」
彼女が取りだしたトカゲを適 当 に払いのけ、オーフェンは怒 声 をあげた。ドロシーは顔色ひとつ変えない。
「世にも珍 しい、ハミジフタマタトカゲみたいだったんだけど」
「探せーっ! どこいったー⁉ 」
すかさず床にはいつくばって、払いのけたトカゲを探すオーフェンの耳に──
くすり、というドロシーの含 み笑 いが入ってきた。顔を上げると、彼女は静かな口調で続けた。
「だったみたいなんだけど、違うんじゃないかしらと思って」
「うーがーっ!」
絶 叫 しながら立ち上がり、オーフェンはドロシーの胸 ぐらをつかみ上げた。血の涙 ──ではないが、なにかそのようなもの──を流して、叫び続ける。
「楽しいか⁉ おちょくって楽しかったか⁉ 俺は必 死 だったぞ畜 生 !」
「そんなに怒らないでよ」
彼女はあっさりと言うと──
さらにあっさりと、こちらの手を外した。腕 組 みして、言ってくる。
「あんた、ひょっとしてホントにお金ないわけ?」
「生活って......どーしてこんなに難 しいことなんだろーか」
こちらも腕組みして、陽光の差し込む窓に向け、さわやかにオーフェンはつぶやいた。ほろりと涙がこぼれたりもするが、気づかないふりをしておく。
ドロシーは特に感 銘 も受けなかったようだった。半眼で、ぽつりと聞いてくる。
「コンスタンスが言ってる通り、あんたが腕の立つ魔術士なら、高給の働き口なんて腐 るほどあるでしょうに」
「そいつは、無理なんだ」
オーフェンはしぶしぶ答えた。こめかみを押さえて、目を閉じる。
「魔術士が、魔術士として合法的に仕事を得るには、大陸魔術士同盟 に属していなけりゃならねえんだけど、俺はちとわけあって、同盟に属しているっていう事実を使えねえんだ。それに関しては詳 しいことは言えねえけど、今の俺の状態で、魔術士として仕事を請 け負 うと、同盟の名前を詐 称 したってことになる。こいつは、露 見 すると本気でぞっとしねえことになるんだ」
「同盟に制 裁 される......ってこと?」
それはおおむね、強力な魔術士に大人数で襲 われるということを意味する。ぞっとしないというのはそういうことである。
「まあ、そんなわけだ。別に魔術士として雇 われるんじゃなけりゃ、関係ないけどな」
「なるほどね......」
ドロシーが、しみじみとつぶやく。
「じゃあ、わたしの護衛としては、妹と知り合いの単なる目つきが悪いチンピラってことで雇ってあげるからね」
「おいっ!」
オーフェンは制止の声をあげたが、彼女には無視された。また。
ドロシーは、にこりともせずに続けてくる。
「てなところで、わたしそろそろビジネスに出かけなけりゃいけないのよね。護衛の出番よ、妹と知り合いの単なる目つきが悪いチンピラ」
「その呼び方やめてくれたら......ついていってやってもいい......いや、もう行きますからやめてください......」
なんとなく、彼女への説得はとてつもなく難しいことのような気がして、涙ながらにオーフェンは訴 えた。
「ここよ、妹にていよく利用されて気 苦 労 が絶えずに生活も心もすさんでいく一方の中 途 半 端 ヤクザもちろん目つき悪い」
「いや......俺はやめてくれと言ったんであって、変えてくれと言ったんじゃないんだが」
トトカンタの、山の手の一 角 。
高級住宅が立ち並ぶ区域とはまた違い、もっと大 規 模 なオフィスビルが林 立 するところである。大規模といっても建物の背の高さのことではなく、経済的な規模ということだが──
そのビルのひとつ。入り口にあるプレートにオフィス名が記 されているが、そこにふたりは立っていた。
プレートのオフィス名は、ひどく簡単である。ガストン商会。
半眼でじっとり見つめるオーフェンを無視して、ドロシーが続ける。
「まあ、大事なのはつまり、ここだってことよ。言い忘れてたけど、わたしはカーマディ&フレデリック工 房 の代表者として、商 談 をまとめなけりゃならないの。あなたはわたしの秘 書 ってことにするから、そーゆう風にしてね」
「紋 章 は隠 せってことだな」
オーフェンは首からペンダントを外すと、ポケットにしまい込んだ。と、思いついて彼女に聞く。
「この格 好 でいいのか? 俺」
彼は聞きながら、自分の着ている服を指さした。革 のジャケットを着込んだ黒ずくめの秘書というものは、世の中にそうそういない。実はまったくいないかもしれない。
が、ドロシーは取り合わなかった。
「いいんじゃない? 取引相手も変わり者だから」
「そーゆうもんなのか?」
昨 夜 の話では、危険な相手ということを言っていたような記 憶 が彼にはあったが、変わり者というのはまた違う形容である。
「多分死んだりとかはしないと思うけど、油 断 はしないでね」
さらっと言って──
短いコンパスをせいいっぱい大 股 にして、足 早 にビルへと入っていく。
「へ?」
彼女の言ったことに、すぐには反応できず、オーフェンは疑 問 符 を浮かべた。とりあえず、彼女のあとについていくが、
「......なんだって?」
聞き返す。
「だから、気をつけてねって」
彼女は振り返りもせずに、そう言ってきた。
ビルは五階建てほどもある。かなり大きなものである──高い分、もちろん広さも相応にあった。一階はすべてロビーになっているのか、壁 がない。代わりに柱が数本、視界をいくつにも分 割 している。
奥に、受付があった。
大 理 石 (っぽいが、模 造 石 だろう)のカウンターの後ろに、若い男女の受付が、笑顔で待ちかまえている。彼らの後ろの壁に、それぞれのフロアの案内図が貼 ってあった。
「いらっしゃいま──」
にこやかな声で言いかけた受付嬢 に、あいさつもせずに──
ドロシーが、カウンターに素早く駆 け寄 って、彼女の首根っこをわしづかみにした。
「へ?」
声をあげたのは、オーフェンである。一瞬、なにが起きたか分からなかったのだ。
だが──何度見ても、ドロシーが片足をカウンターの上に乗せ、受付嬢の首を片手で絞
めている。
なんということもないように、ドロシーが告げた。
「カーマディ&フレデリックの、ドロシー・マギー・ハウザーよ。アポは取ってあるわ。命が惜 しければ社長に取り次ぎなさい」
「はい。承 知 いたしました」
こちらも、なんということもないように笑顔のまま、受付が答える。
男のほうもまた、笑顔のまま席を外し、カウンターの奥にある階段へと姿を消す──社長を呼びにいったのだろう。
「な──なにやってんだ⁉ 」
オーフェンはあわてて、ドロシーに駆け寄った。どうしたらいいものかと、おろおろしながら彼女に聞く。
「いきなり、おい、こんな──ひょっとして、ビジネスの話ってのは、なにか? ここの奴らが負 債 を踏み倒したとか、そーゆうのに文句つけにきたのか?」
「取引先の人間がいる時に、なんて失礼なことを言うのよ」
ドロシーは──その取引先の人間というのは、彼女が首を絞めている女のことだろうが──、たしなめるような口調で、そう言ってきた。そのまま、続ける。
「ただ単に、うちの製品を売り込みに来ただけよ」
「なら、なんで首を絞めてんだ?」
聞かれて、ドロシーは──
困ったように、ちらと視線を下げた。彼女の視線の先には、相変わらず笑顔のままの受付嬢が首を絞められている。笑顔にはまったくの曇 りも浮かんでいなかったが、顔色だけは、なんだか赤黒くなっていた。痙 攣 が始まっているようなので、窒 息 しかけているのかもしれない。
ようやく答えを見つけたのか、ドロシーが顔を上げた。ただし手ははなさないが。
「生き馬の目を抜 くビジネスの世界では、先に隙 を見せたら負けなのよ。先 手 必 勝 って言うでしょ」
「いや......そんな常 識 のように言われても困るんだが......」
もうどうしたらいいのか分からなくなってきて、オーフェンはうめいた。と、刹 那 ──
ひょんっ!
空を切る音が、鼓 膜 をたたく。
同時に、凄 まじいスピードでもって飛 来 したなにかが、ドロシーの胸に突き立った!
どすっ──
短い音とともに、彼女の身体が衝 撃 に揺 れる。ぞっとしながら見やると、彼女の左胸に、かなり太い矢が突き刺 さっていた。
「な──!」
絶 句 して、立ちつくす。それでも一応、矢の飛んできた方向を見やると、奥の階段から男が数人、姿を見せていた。
そしてオーフェンは、その男たちの姿を見て、さらに言葉を失った。
オフィスビルにはまったくもって似つかわしくない、そんな連中である──どちらかというと、枯れ果てた荒野か、もしくは半日にひとりは娼 婦 の遺 体 が発見されるようなスラムにならば相応 しそうではあった。ごつごつした頭を剃 髪 して、鋲 付 きの革のベルトなど巻き付けている。上半身は裸 で、やはり鋲付きのベルトと肩当て。すべて革製品。黒いズボンを留めているサスペンダーにまで、いちいち鋲がついていた。分 厚 い唇 を始 終 くちゃくちゃさせているのは、噛 みタバコを噛んでいるせいだと、猛 烈 な臭 いで知れた。そんな男たちが、ふたり。さきの受付男に連れられて、現れている。
手には、ボウガンを構 えていた。ドロシーに刺さった矢を放ったものに間違いない。
「て、てめえら......」
状 況 は分からなかったが判 断 だけは先行させて、オーフェンは男たちに向き直った。そのまま男たちを見据える。と──
「ほっほっほっ」
男たちの間から、思いのほか穏 やかな眼 差 しで見つめ返されて、オーフェンはみたび絶句した。動きを封じられた気になり、行動がとれなくなる。姿を見せたのは、小 柄 な老人だった。
白っぽいグレイのスーツは、髭 の色とまったく同じである。ドロシー並みの小 兵 で、その目元は、まるでもとよりそういうものだとばかりにたるんでいた。笑顔のまま、言ってくる。
「お久しぶりですな、ますますもってお美しいが、ハウザーさん──歓 迎 いたしますので、死にたくなければ社長室までお越 し願いたいですがな」
「ふっ......」
と、背後から笑い声を聞いて、今度こそオーフェンは完全に硬 直 した──ドロシーの声だったのだ。

振り返ると、彼女は胸に矢を立てたまま、平 然 と受付嬢の首を絞め続けている。
「ンな馬鹿な......」
混乱して、オーフェンは頭を抱えた。彼女は完全に致 命 傷 を受けているはずである。だが。
ドロシーは受付嬢を解 放 すると、無 造 作 に胸の矢を引き抜き、コートの懐に手を入れた──矢が突き刺さっていたあたりである。そして再び外に出した手には、分 厚 い辞 書 が握られている。辞書の真ん中には穴が開いていた。
あらかじめ、用心して懐に仕込んでいたのだろうが......
彼女はにやりとすると、言葉を返した。
「ご歓迎、痛み入りますわ、ガストンさん。例の新製品について耳 寄 りなお話を持って参りましたので、余生をまっとうしたければ聞いていただけますかしら?」
「ほっほっ。無 論 じゃよ。そちらこそ、茶に毒など入れられたくなければ、多少はおまけしていただきたいものですな」
へっへっへっ......
と、これは、例の男たちの笑い声である。
「......なんなんだ......」
いつの間にか自分を取り巻く、なにか異常な雰 囲 気 に──
オーフェンは恐ろしく嫌 な予感を覚えながら、孤 独 にあたりを見回していた。
(つづく)


要 は、こういうことだった。
納 得 してしまいさえすれば、どうということもない。
コンスタンスらの姉がやってきて、このガストン商会とかいう会社に彼を無理やり連れだした。商 談 をしなければならないらしい。
彼女──ドロシーはビルに入るなり、さわやかに受付嬢 の首を絞 め、手早く昏 倒 させた。そして、次の瞬 間 、突然現れた妙 な男たちにボウガンで撃 たれた。
どうということはない。そう。疑 問 にさえ思わなければ。
ボウガンで撃たれてなお、彼女が無事だったのは、彼女が胸 元 にあらかじめ辞 書 を仕 込 んでいたからである。むしろこのことに関しては、道 理 に適 っている。素 晴 らしい。
納得してしまいさえすれば、疑問にさえ思わなければ、どうということもない。
というわけで、オーフェンは納得してしまうことにした。大事なものをなにか失 くしてしまったような気もするが、とにかくすべて、これで解決するのだから。ありがとう人生。ありがとう青春。
「──完──」
心の中に燦 然 と輝 くその一字を噛 みしめて、彼はうなずいた。そそくさと手を挙 げる。
「──てなわけで、俺 は帰るから」
「待ちなさいって」
くるりときびすを返しかけたオーフェンの襟 首 を、むんずとつかまえたのは──
彼は、肩越 しに振り向いて確 認 した。言うまでもない。ドロシーである。
くわえタバコのまま平 然 と、表情を崩 しもせず、彼女は言ってきた。
「なんで急に帰るのよ」
「誰 だって帰るわい!」
たまらずにオーフェンは大声をあげた。納得しかけていたものが、すべて瓦 解 する。ロビーで彼らを出 迎 えた、数人の男たちを指さして──
「あれはなんなんだ、あれはっ⁉ 」
彼らは彼らだった。それは分かっていた。
全員のほとんどがスキンヘッド。残りは頭の中心にだけ毛を残している。ぐちゃぐちゃと始 終 噛みタバコを噛んでいる口からは、猛 烈 なヤニの臭 いが漂 ってくる。身に着けているものに黒 革 以外の材質はなく、また鋲 のついていない部分もない。手には、ボウガンを構 えていた。
そして、彼らに囲まれて、こちらは普通のスーツ姿の老人が立っている。
実は老人というよりは、初老というほうが相応 しい。つまりは彼が、ここガストン商会の社長らしかった。名前は確かそのまま、ガストンとかいったか。シルバーグレイの口 髭 を穏 和 に撫 でつけながら、彼はゆっくりと言ってきた。
「ほっほっ。若いお方は、いつもおもしろい質問をなさいますな」
と──言いながら、髭から手をはなす。
「ここにおるからには、当然 彼らは社員ですわい。少し考えれば分かるだろうにの」
「分かるかっ! だいたい鋲付きの社員がどこの世界にいる⁉ 」
「仕 方 ないのう」
と、そんなことを言って──彼は矢を装 填 したボウガンを、しっかりと構えた。
「死にたくなければ分かりなされ」
「なされ、じゃねえ!」
オーフェンは無 造 作 に、ガストンの構えるボウガンを押しのけると、小 柄 な社長の胸ぐらをつかみ上げた。
「状 況 を説明しろ、状況をっ! はっきり言って、さっぱり分からんっ!」
「だからぁ」
説明し出したのは──ドロシーである。澄 んだ、というよりはガラス玉のように軽 薄 な光 沢 を持った眼 差 しでこちらを見つめ、コートのポケットに両手を突っ込んでいる。
彼女がしゃべるたびに、くわえているタバコがひょこひょこと揺 れた。
「なにを騒 いでるのよ。なにが起こるか分からないビジネスの世界では、先手をうって受付の首を絞めて脅 すことくらい、ただの日 常 茶 飯 事 よ」
「うむ。わしも若い頃 はよくボウガンで狙 われたものだわい」
「だからその、常 識 のような言い方をやめろっちっとるんだぁぁぁぁっ!」
つかみ上げているガストンを、がくがくと振り回して、オーフェンは絶 叫 した。
振り回されながら──またもや髭を撫でつけて、ガストンが言ってくる。
「よーするにだ、社会というものは君の想像以上に厳 しいものなのだよ」
「だからってボウガンを突きつけるような厳しさは、なんか違うんじゃないのか⁉ 」
「新人は、必ずそんなことを言うのよね。困ったものだわ」
後ろから、 ドロシー。オーフェンはガストンを吊 り上げたまま、彼女のほうを向きやった。
「あのな、もう一度確認するぞ──ここには、ビジネスの話をするために来たんだよ
な⁉
」
「ええ」
あっさりと、彼女がうなずく。
うんうんと──こちらはやや動 揺 の気 配 を持っていたが──オーフェンも、うなずき返した。
「ビジネスの話だよな? 殺し合いだとか、戦争だとか、そーゆうことをするわけじゃないよな?」
「当たり前でしょ」
「そう。当たり前だ。それで──もちろん、出会い頭に首を絞めたり、ボウガンで撃ち合ったりとか、するはずがないよな?」
「するわよ」
ドロシーは顔色も変えなかった。
「なんでだぁぁぁぁっ!」
オーフェンの絶叫に、彼女は顔をしかめた──うるさいと思ったのだろう。それ以上の感情は見えない。その表情に、多少めんどくさそうな色を加えて、ドロシーは口を開いた。小さい子供に説明するように、ゆっくりとした口 調 になる。
「あのね、あんた」
ひょっとしてこの女、俺の名前を覚えていないんだろうか──
そんなことをいぶかりつつも、オーフェンはなにも言わなかった。覚えられてしまうほうが怖 い気がする。
彼女はそのまま続けてきた。宙 づりになったまま平然としているガストンを指さして、
「彼はこのガストン商会の社主、ミスター・ガストン。この街の公共事業の窓口みたいなことをしてらっしゃるの」
「......ああ」
オーフェンがうなずくと、彼女は今度は自分の胸を指した。
「わたしはカーマディ&フレデリック工 房 を代表して、ここに商談にやってきたわけ。つまりは、新製品の売り込みね。わたしの社の製品を、ガストンさんに売り込まなければならない。分かる?」
「......ああ」
仕方なく──そこまでは分からざるを得なかったので──オーフェンは再度うなずいた。ドロシーもうなずく。彼女は腕 組 みし、胸を張って最後に締 めくくった。
「それが再 重 要 事 項 なのよ。そのためには全力を尽 くさなければならないわ。首くらい絞めないと」
「なんでそーなるんだぁぁぁっ!」
オーフェンの絶 叫 は、空 しくロビーに響 きわたった。響きわたっただけだった。
案内された社長室は、かなり調 度 の調 った、豪 華 な内 装 である。壁 も床 も赤 系 統 でまとめられ、でかいソファーもワイン色である。ちょっと見は安っぽいバーのようではあったが、まあそれ以外に問題はない。窓は大きかったが、ガラスは薄 そうではあった。正面に、でんと大きく四角い机が置かれており、入り口近くにもうひとつ、タイプライターをのせた机がある。
あの後はなにごともなく、オーフェンはもう黙 って座 っていようと覚 悟 を決めていた。社長室は応接室を兼 ねているらしく、かなりいいソファーを使っている。クッションに埋 もれるような気分で、彼は目を閉じ、外界の情報を遮 断 することに努 めた。
──が、否 応 なしに、周囲で起こっていることははっきりと知れてしまう。
社長室にいるのは、オーフェンとドロシーを含 め、四人である。ふたりは並んで腰 掛 けており、その向かいにガストンが座っていた。そして入り口に、でんと大 柄 な男が立っている。階下で見た、あの連中のひとりである。信じられないが、話によれば──これが社長秘書らしい。
その男に茶など淹 れられ、オーフェンはびくりと身体 を痙 攣 させたが、拒 絶 反 応 はその程 度 で済 んでくれた。
「さて......」
最初に口を開いたのは、ガストンである。それにあわせて、オーフェンは目を開いた。
落ち着いた声 音 で、ガストンが続ける。
「ハウザーさん。お話は、この前のことで終わったものと、こちらでは思っておったのですがな」
「我が社のモットーは『あきらめない、破 産 したり倒 産 したり血が出たり雨が降ったりしない限りはね♥』ですわ」
「意外と軟 弱 なモットーなんだな......」
横目でオーフェンはつぶやいたが、ドロシーはきっぱりと無視したようだった。
「ガストンさん。おたくのガストン商会が、五年後を目標に、例の事業に参 入 するという話は聞いております」
「うむ」
鷹 揚 に、ガストンがうなずく。ドロシーがにっこりと続けた。
「そして、我が社ならば、最も適 切 な形でおたくをお手伝いできるものと思い、参 上 したわけです」
「この前?」
多少気になって、オーフェンは横から聞き返した。
「ええ......」
ドロシーはかぶりを振ると──小さい拳 を握 りしめ、さも口 惜 しそうにうめき声をあげた。
「確かに三日前、ここに出向いたわたしは不 覚 にも吊 り天 井 の部 屋 に誘 い込まれ、商談をふいにしてしまったわ......」
「警察を呼べって。そんなもん」
オーフェンの忠 告 は、彼女の耳には入らなかったようだった。握り拳にさらなる力を込め、彼女が顔を上げる。
「で、そういえば妹が前によこした手紙によれば、この街 には恐 怖 の殺 戮 狂 戦 士 がいて、しかもそれの餌 付 けに成功したようなことが書いてあったことを思い出したのよ」
「なるほど。その殺戮狂戦士とやらが......」
「あなた」
「帰る」
と、立ち上がりかけたオーフェンの頭 上 で──
しゃんっ!
鋭 い音が一 閃 し、彼は中 腰 のまま動きを止めた。恐 る恐る視線を上げると、例の秘書が巨大な大 鎌 を構え、こちらに突きつけてきている。
「ふっふっふっ......」
ガストンが、含 み笑いを漏 らした。穏和な瞳 に怪 しい光を輝 かせ、言ってくる。
「ビジネスはまさに真 剣 勝負......」
どん、と彼はテーブルをたたいた。
「生きてここから出られるなどと、夢にも思わないでいただきたいものですな」
「普通は思うわ、馬 鹿 たれ!」
オーフェンは怒 鳴 りつけながら、座り直した。秘書は鎌を構えたまま、うふふふと不 気 味 に笑っている。
「ま、それはそれとして......」
なにごともなかったかのようにドロシーが、懐 から、パンフレットを一枚取りだしてみせた。ぶつぶつと毒づいているこちらのことは眼 中 にないのか、そのパンフをテーブルの上に放 り出して続ける。
「これが我が社の新製品です」
「ほほう。前にお越 しいただいた時には、見せてもらえませんでしたな、確か」
と、ガストンがのぞき込む......
オーフェンはなんとなく興味があったので、ちらりとそちらに目をやった。白地の紙に地 味 に図 面 が載 っているだけの、そのパンフには──
「あんだと⁉ 」
オーフェンは、ばっと起き上がった。ガストンの手から、パンフを奪 い取る。
「これは、発 電 機 じゃねえのか⁉ 」
「そうじゃよ」
ごく当たり前という顔で、ガストンが答えてくる。
「知らなかったの?」
と、これはドロシーである。
「トトカンタに設 置 されている発電機が、あと数年内に耐 用 限 界 を超 えるだろうっていうのは、結構有名な話なのよね」
「発電機......って、話には聞いたことあったけどな。にしても国 家 機 密 なんじゃなかったか? 確か」
「そゆこと。だから、あんまり見ないでね」
今度はオーフェンが、ドロシーにパンフを奪い取られる番だった。彼女は軽く紙の隅 をつまむようにして彼の手から抜き取ると、またテーブルの上に放り出す。
「トトカンタ市における工業用、研究所用の電力を安 定 供 給 するには、このパワーの発電機が最低でも十八基 必要といわれてる。そのうちの二基が、あと五年で寿 命 を迎 える。国への申 請 に三か月......実際に発電機を組み上げるのには」
ドロシーの目に、きらりと灯 が点 った。ように見えた。効 果 を出すために間を置いて、続ける。
「組み上げるのには、我が社の技術力ならば三年しか要しません。この数字を提 案 できるのは大陸でも我が工 房 のみと自 負 しておりますが、いかがでしょう?」
「悪い話ではないのだが、な......」
そう言ったきり、ガストンは黙 り込んだ。オーフェンは、ふたりを見 比 べてから──
「悪くないどころじゃねえだろ?」
ぽつりと、つぶやいた。パンフをぺしぺしとたたきながら、
「こんだけの規 模 のものを組み上げるのに、たった三年? とんでもない数字だぜ。こいつを発 注 したっていうのは、あんたの業 績 になるんだろ? 常識的に考えても、サイン一 筆 するのにためらう必要なんざ──」
だが、ガストンは静かにかぶりを振るだけだった。その指が──爪 だけが妙に若 々 しくきれいな指先が、パンフレットの一点を指 し示 す。
「ん?」
オーフェンはきょとんと、その指先を見つめた。彼が指したのは、パンフのタイトルである。D規模蒸 気 式 発電機──
「............おい......」
オーフェンが低くうめき声を漏 らすと、横にいるドロシーが、さっと顔をそむけた。あさってを向いて、タバコの煙 を細く吐 き出している。
彼女の頭をがっしとつかみ、オーフェンは低い声音で続けた。
「なんだこの〝開発予定〟ってのは......」
「多分、開発する予定って意味よ。当たり前でしょ」
「じゃあ、このスペック表に書いてある数字のあとにも、ことごとく〝予定〟ってのが並んでるのはどういうことだ?」
「努力目標ってところね」
「なにが、我が社の技術力なんだよっ! まだ開発してねえんじゃねえかっ!」
「まったく、これだから坊 ちゃんは......」
ドロシーは、不服そうに口の先をとがらせた。呆 れたように言ってくる。
「油 断 のならないビジネス世界。このくらいのブラフは必要でしょ」
「はったりと大ボラをいっしょにするんじゃねえっ!」
オーフェンは怒 鳴 り声をあげると、パンフを取り上げてくしゃくしゃに丸めた。
「あ。そのパンフ、取引先がそーゆうことをやった時のためのトラップとして、紙にガラス繊 維 を織 り込んであるんだけど」
「どおおおおおおっ⁉ 」
たちまち血 塗 れになった自分の手を見下ろして、オーフェンが次にあげたのは悲 鳴 だった。
丸めたパンフをぺんと放り出し、彼はドロシーをつかまえようとした──が、血のついた手で触 られるのが嫌 だったのか、彼女はひょいとそれをかわしたが。
つかまえ損 ねた手をぱたぱた振りながら、オーフェンはさらに怒 声 をあげた。
「どーしてこーゆうことをするんだよ!」

「いいじゃない。緊 張 感 が程 良 くて」
「答えになってねぇぇぇぇぇっ!」
「うむ。程良い感じじゃな」
「だあああああっ! やっぱりこっちもぉぉぉっ!」
オーフェンはその場にくずおれて、頭を抱 えて絶 叫 していたが──
きつく閉じていた目の中に、やがて光が見えた。
「ふ......ふ......ふふふふふふ......」
のそり──と、顔を上げる。
血でべたべたになった手のひらで、自分の顔を撫 でる。
「ふ・ふ・ふ・ふ......そうか。そうだよ」
鉄の味のする指先を舐 めて、彼はつぶやいた。
「考えてみりゃあ、俺が苦しむ必要なんざ、全然ないんじゃねえか」
見ると──ドロシーとガストンは、平気な顔でこちらを見つめている。
オーフェンは、唇に含 んでいた指をふたりに向けた。
「てめえらがそーゆうつもりなら! 俺ももう遠 慮 なんざしねえからな! 畜 生 、これが実社会ってもんだと言いやがるんなら、温 厚 な俺も汚 れてやる!」
せりふも終わらないうちにオーフェンは、例の秘書がいまだ構えている大鎌の先 端 をむんずとつかんだ。あわてた相手が、鎌を引こうとした瞬間──タイミングを逃 さずに、足を振り上げ、ブーツのかかとで鎌の背をたたいた。衝 撃 に、男が鎌を取り落とす。
あとは、簡 単 だった。一歩で間合いを詰 めると、男の身体の中心に拳 を突き込む。
大男は、ぐったりとその場に倒れた。それを後 目 に、オーフェンは振り返り、
「これでいいんだろ、これで!」
やけくそに言い放つ。が。
ドロシーもガストンも、ただこちらをしらけた眼 差 しで見返しているだけだった。
ぼそり、とドロシーがうめく。
「......ビジネスに臨 む意 気 込 みと、単なる突発的な暴力とをいっしょにしてほしくないわねー」
そして、やれやれと首を左右に振りながら、ガストン。
「鬱 屈 した若者にありがちな、愚 劣 な英 雄 願 望 というところかのう」
「うぐぁぁぁぁぁっ! お・の・れ・ら・はぁぁぁっ!」
オーフェンの雄 叫 びにも、ふたりはまったく聞いている様子を見せなかった。それっきり置き去りという形で、商 談 にもどっていく。
「......と、いうわけで」
なにひとつ丸く収まることのないまま、ドロシーが紙を一枚差し出した──どうやら契 約 書 のようである。
「サインを一発、がしがしと遠 慮 なくどうぞ。でないと当方としても、お孫さんの通学路を調べたりとかしないとならないですから」
「いや、できれば思いっきり遠慮したいところじゃが......」
ふうむ、とうなってガストンは、
「しかし確かに、そちらの意気込みは見せていただいた」
「ええ。てなわけで、むさぼるようにサインをどうぞ。クロロフォルムはお孫さんにショックを与えかねません」
「ふうむ......」
うなって黙り込むガストンを見ながら、オーフェンもソファーへともどっていった。なんにしろ、これで終わるのならどうでもいい。結局なんのためについてきたのだかよく分からなかったが。
まあ野 良 犬 にでも噛 まれたんだと思うことにしよう、と彼は固く誓 っていた。
と──

ガストンは、まだうなり声をあげている。ふらふらと、手を振るように差し伸べて。
「............?」
不自然な挙 動 に、オーフェンは眉 根 を寄せた。ガストンの手はなにかを探 すように、空をさまよっている。
「そうさなぁ......」
決心のついたようなつかないような声を、ガストンはさらに続けていた。そして、するすると、天 井 から一本のロープが、彼の手元まで下りてくる。
「よし。こうしよう」
彼はつぶやくと同時に、その紐 を引いた。
──がしょん──
オーフェンも、なんとなく予想はしていたが。
ロープが引かれると同時に、彼の足下から床が消えた。
落下の衝 撃 に関しては、ソファーごと落っこちたため、それがクッションとなってどうということはなかった。実を言えば、落下の最中に思わず考え事をしてしまう余 裕 があったほどである。
人生の不 条 理 であるとか不合理であるとか、そんなようなことを考えながら、オーフェンはしみじみとかぶりを振った。隣 には同様に、ドロシーが落下している。サインを勧 めるポーズのままで。平然とくわえタバコで。
どすん、と落ちてから、数秒──しばらく待ってから、オーフェンは顔を上げた。天井には、今まさに落とされた落とし穴が、大きく口を開けている。上の階からガストンが、のんびりとこちらを見下ろしていた。
「どういうつもりですか? ガストンさん」
ドロシーが──いまだポーズを崩 さずに、質問する。
「うむ」
答えるのは、当然ガストンである。
「わしに言えるのは、たったひとつじゃ。件 の発 注 に関しては、つい先日、重役会で決定済 みでのう」
「なら、それだけ言えばいいじゃねえかっ!」
オーフェンは叫 び返して、立ち上がった。
「いちいち落とし穴に落っことす必要がどこにあるんだよ!」
「いや、まあ、せっかく作ったんだし」
「作るな! そもそも!」
「そんなわがままを言われても」
「なにがわがままなんだ⁉ 」
「つまりじゃな」
その、ガストンのつぶやきが合 図 だというように......
ふたりの背 後 で、扉 の開く音が響 いた。無言で振り向くと、そこには──
オーフェンは唇を噛 んだ。押し黙 って拳を握る。
ガストンの声はそのまま続けた。
「──せっかく接 待 費 を使ってこーゆうものを作ったのじゃから、テストケースくらいにはなってもらわんとな」
扉から入ってきたものは、要 するに、さっきの秘書と同じ格 好 をしていた。身体を革のベルトが巻いている。ベルトには無数の鋲 が並んでおり、刃物の光 沢 を見せていた。あるいは、特別に長大な何本かは本当に刃物なのかもしれない。ただし。
それは人間ではなかった。黒い虎 である。
体長は二メートルを超える。のそりとした動きで、こちらを遠 巻 きにするように、入り口から壁 沿 いに動き始めていた。

「ふっ......」
だがドロシーは、余裕ありげだった。
「まあ、こういうこともあろうかとは思っていたわ」
「思ってたら、来るな! こんな会社!」
オーフェンは叫んだが──彼女は聞いた様子もない。きょとんとした顔を見せると、
「こういう時のために、あなたを連れて来たんじゃない」
「だああああ。てめえら姉妹は、そればっかりじゃねえか。人を利用しくさって」
と──
「ほっほっほっ」
相変わらずの笑い声が、響く。
「というわけで、そこにおる我が社の新入社員、コロモドール密 林 出身のブレード君と熱 烈 な名 刺 交 換 をしたくなければ、速 やかにお茶代を支 払 うが良かろう」
「追 い剥 ぎじゃない」
さしてショックでもないのか、そんな口調で、ドロシーがぽつりとつぶやく。オーフェンはまったく同感だったが、ガストンにとってはそうではなかったようだった。
「失 敬 な。ちゃんと我が社は、会社登 記 の際 にも、業務内容の欄 に『接待』と書いておるわい」
「......なるほど、それなら確かに合法だわ」
「どこがだっ⁉ 」
意外とあっさり引き下がったドロシーに、非 難 の声を投げておく。
だが、結局そんなことをしたところでなんの意味もなかった。黒虎──ブレード君とやらは、ぐるぐると気味の悪い音を鳴 らしながら、横向きに歩いている......
「くそっ」
どうしていいか分からずに、オーフェンは舌 打 ちした。人間相手ならばともかく、動物──しかも訓 練 されているであろう猛 獣 に対して、有 効 な魔 術 というのが思いつかない。
そんなこちらの気を知ってか知らずか、ドロシーが気安く言ってくる。
「頑 張 って」
と、ぽんとこちらの肩をたたき、
「これは図 らずも、新入社員対決という構 図 になったわね」
「勝手に俺を新入社員にするなっ!」
怒 鳴 る。が──もう慣 れたが──彼女は聞く耳持たず、ひとりで続けた。
「でも大 丈 夫 。わたしの見たところ、あなたのほうが虎よりかなんぼか凶 暴 そうよ」
「......今、俺の中でめらめらと燃え上がっているこの殺 意 を、八つ当たりでお前にぶつけてしまうかもしれんが、許 してくれよ、ブレード君とやら......」
オーフェンはぶつぶつ言いながら、虎をにらみ付けた。言葉が分かるはずもないが──分かればひょっとして希 有 な深さで理解し合えたかもなどと思いもしたが──、黒い虎は、こちらを見返してきている。
巨 体 である。打ち倒されれば、もうそれで終わりだろう。この虎が、獲 物 を押し倒しても、命令が出るまでは食い殺さないように訓練を受けているものか定 かではないが──あまり意味はなさそうではある。どちらにせよオーフェンは、あのガストンが嬉 々 として殺人命令を下しそうな気がしていたのだ。
多分、正しい予想だろう。
頭上の穴から、あからさまに狂 喜 の波 動 を送ってきているガストンに対して、オーフェンは胸 中 で親指を下に向けていた。
意 識 を再び、虎との対 峙 にもどす──
たんっ!
音は、オーフェンのブーツが床を蹴 った音のみである。虎の跳 躍 には音はなかった。が、速さは大差なかったようだった。オーフェンが横に跳 び退 いた後に、位置を入れ替えるようにして、虎が着地する。
「ほっほっほっ」
しつこく、ガストンの声。
「ブレード君はとても熱 心 な社員での。この前も警 備 員 をひとり病院送りにしたのじゃ」
「まあいいけど......ちゃんと労 災 適 用 してやれよ」
オーフェンは低くうめいて、重心を落とした。今になって気づいたことだが、虎は──人によって訓練されたせいか──呼 吸 というか、間合いの取り方が人間に似 ている。それならば、対 処 できないこともない。
虎が、咆 吼 を轟 かせた。
同時、オーフェンも叫んでいる。
「我は放 つ光の白 刃 っ!」
虚 空 に解 き放たれた光の渦 が、虎のいるあたりへと転 移 していくが──
虎はこちらが魔術を放つよりも先に、危険を予測していたらしい。呪 文 を発するより速く、また横へ跳んで逃げている。
オーフェンが放った光 熱 波 は、壁と床を思い切りえぐりはしたが、それだけにとどまった。爆 音 と、炎 とが荒 れ狂 う。
「へたくそ」
ぼそりと、ドロシーがつぶやくのが聞こえてくる。
「じゃあ、あんたがやれよっ!」
やけくそになってオーフェンは、彼女に怒鳴りつけた。彼女はタバコをぷっと吐 き捨て──
「そうする」
「......へ?」
聞き返したオーフェンを置き去りに、ドロシーはすたすたと虎のほうに近 寄 っていった。虎は警 戒 するようにじっと彼女を見ている。
「お、おい⁉ 」
オーフェンが制 止 の声をあげた時には、もう彼女は虎の目の前にまで迫 っていた。軽く拳を振り上げ──
ごん、と無 造 作 に虎の頭を打ち据 える。
「虎はこうやって倒すのよ」
彼女の言葉が終わらないうちに──
虎が、その場でどさりと昏 倒 した。

「うっそぉ......」
信じられずにうめくオーフェンに、彼女は振り向いてくると、
「まあ、ちょっと小道具も使ったけどね」
という彼女の手には、なにかが握 られている。見 覚 えのあるダーツだった。
コンスタンスのものである。針に弛 緩 毒 が仕込まれているものだ。
そのダーツを後ろにぽいと捨てて、彼女は平然とあとを続けた。ポケットからシガレットケースを取りだし、新しいものに火を点 けながら、
「一瞬の油 断 が死を招 くビジネスの世界では、この程 度 の備 えは当然というところね」
「ああ、もういちいち突っ込むのもめんどくさいから、どーでもいいや。取りあえず、これで助かったぜ」
「ふっ......」
ドロシーは、髪 を手でさっと払いのけると、得意げに天井のほうを向いた。
「ガストンさん。どうやら我々の勝ちのようですわね」
「ほっほっ。それはどうかな」
ガストンの、余裕たっぷりの声 音 に、嫌 な予感を覚えて振り向くと......
虎が、むっくりと起き上がったところだった。なにごともなかったかのように、じっとこちらに眼差しを向けている。
「まあ......考えてみれば」
ドロシーが、呆 気 なく言う。
「人間用の薬物が、あんなでっかい猫に通じるわけがないのよね」
「いや。そうでもねえかもしんねえぞ......」
虎と向き合って、オーフェンは小さくつぶやいた。
ドロシーには聞こえていなかったかもしれない。だが、それは別にどうでもいい。
「よっしゃあ!」
オーフェンは叫 ぶと、虎のほうに駆 け出 した。虎は、すぐにこちらを認 め、背後に回るためか──こちらの頭上を跳び越えるように、大きく跳 躍 する。
ダッシュの勢 いを殺さないまま、オーフェンは前方に身体を投げ出した。だん、だんと床を跳 ねるようにして、そのまま転がる。虎は当然着地した後にこちらに転 身 したはずだが、こちらが予想外に遠くまで逃げていたことに戸 惑 ったようだった。
オーフェンは起き上がると、唇を舌で舐 めた。虎はこちらが逃げようとしない限りは跳びかかってはこないらしい。じっとこちらを見据えている。
正面から魔術を放ったところで、構成を編んでから実際の発動までにはタイムラグがある。身 体 能 力 に優 れた虎は、容易 くかわしてしまうだろう。
(だが......)
オーフェンが横に跳ぶと同時、虎も同じ方向に移動した。こちらに跳びかかろうとする動作を見 逃 さずに──オーフェンは、その場で切り返して後ろに跳んだ。虎の爪が、また空振りする。
(そろそろか......)
走り込んでくる虎を見据えて、オーフェンは大きく息を吸った。虎はあくまで背後を狙 って、再度こちらを大きく跳び越えようとする──
跳ねた虎の、黒い腹(毛の根本は普通のトラ柄 のようなので、天然の黒虎ではなく染 められたのだろう)を見ながら、オーフェンは魔術の構成を解き放った。
「我は呼ぶ破 裂 の姉妹!」
強力な衝 撃 波 が、彼と虎との中間で炸 裂 する。
それと同時、彼は虎に押し倒された。巨大な虎の下 敷 きになり、身動きが取れなくなる。
が、それは虎も同様のようだった。もはや動かず、こちらの上に覆 い被 さったまま気 絶 している......
「へへへ」
埋もれたままで、オーフェンはつぶやいた。
「ビールだって、飲んだあとに走り回りゃ死ぬほど効 くからな。毒物なら、おおむねそういうもんさ。弛緩毒が効いてくりゃ、動きも鈍 るし、動きが鈍れば仕 留 めるのは簡 単 だ。なにしろ図 体 がでかいからな」
つぶやきながら、上半身を虎の身体の下から逃 がし──オーフェンはなんとか顔を上げた。どうせ待ち受けているのは、ドロシーの冷たい表情かなどと思っていたのだが──
「さすがだわ!」
びし、と指を立て、ドロシーが声をあげる。珍 しく感情のある声音で、
「やっぱりわたしの見立てに狂いはなかったわ! 虎に匹 敵 する猛 獣 男ね! 怪 獣 だわ! 尻 尾 はどこに忘れてきたの⁉ 」
「素直にほめるつもりがないんなら、いいから黙 ってろ!」
オーフェンは言ってから、虎の下から這 い出した。言うほど容易 いことではないが、抜け出さないことには始まらない。
彼が完全に這い出した時、ドロシーは得意げに先の契約書を拾 い上げたところだった。そして思い切り、声をあげる。
「さあ! ガストンさん! 巨大な虎をも打ち倒した、この我が社の猛獣を暴れさせたくなければ、この契約書にサインを──」
ドロシーの叫びは、そこで止まった。
ぶつ切れに。いきなり止まった。
彼女が見上げている天井の穴──さっきまで開いていて、ガストンがのぞいていた、落とし穴は──もう、閉じていた。
閉じた天井に、大きくなにか書いてある。ペンキかなにかで、ぞんざいにただ一行。
『昼休みだから、また後でね♥』
「........................」
長く冷たい沈 黙 が、あたりを支配した。
「......無 駄 ......骨 ?......」
オーフェンのつぶやきも、その静けさを覆 すには至 らない。
だが──その沈黙になんとか打ち勝って、というか打ち勝とうとして、ふっとドロシーが笑みを漏 らす。
「ガストンさん......」
彼女は胸を張り、もはや閉じたままの天井に向かって、声を張り上げた。
「死にたくなければ、さっさと顔を出しなさい。まだあなたたちは、彼の恐ろしさを分かっていないようね──」
そして、こちらを指さして続ける。
「妹の手紙によれば、彼は窮 地 に陥 ると凶 暴 な巨大猿に変身するのよっ!」
「するかぁぁぁぁぁっ!」
本当にしてしまいそうな気分ではあったが──オーフェンは絶叫した。
「──と、いうわけでだ」
オーフェンは、静かに告げた。
「ドロシー・マギー・ハウザーは仕事が終わって、アーバンラマに帰っていったぞ」
ぱんっ! ぱぽぽんっ!
「わーい!」
歓 声 をあげながら、クラッカーを鳴らしたのは──言わずもがな、コンスタンスとボニーだった。あとついでに、わけも分からずに三 角 帽 子 をかぶって椅 子 に座っているマジクもいたが。
「いやー、しっかし今回は助かったわー」
シャンパンの栓 を抜きながら、コンスタンスがにこやかに声をあげる。
「なんたって、オーフェンが生 け贄 ......もとい、まあなんでもいいけど、とにかく姉さんを引きつけておいてくれたから。いつもだったら、商談につき合わされるのはわたしだもんね」
「わたくしもですわー」
と、こちらはボニー。焼いた七 面 鳥 ──買ってきたらしい──を器用に切り分けつつ、満 面 の笑 みを漏 らしている。
「旦 那 様のハウザーさんも、とっても良いお人ですのに、世の中っていうものは正直者に報 いないものなのですねー」
「なんだかよく分かんないですけど、良かったですねぇ」
マジクは三角帽子のゴムを直しながら、コンスタンスとボニーとを見回していた。この場にいる中では、そのふたりが最も嬉 しそうにしている。
「まったくです」
なぜか『ちくり帳』とタイトルがついているメモに、さっきからせっせとなにやら書き付けているキースが、同感とうなずいている。
オーフェンは嘆 息 混 じりにつぶやいた。
「どーでもいいんだが、お前ら姉妹、これで本当に打ち止めなんだろーな。どうも気のせいかもしれんが、お前らの姉妹がひとり増えるごとに、俺の苦労が相 乗 されてるような気がする」
「嫌ですわ、オーフェン様ったら。とってもお上 手 」
「いや、あのな。別に冗 談 じゃなくて、俺は本気で......」
「あ。オーフェン、これ美 味 しいわよ。わたしが買ってきた七面鳥だけど『わたしはあなたの奴 隷 です』って三回言ったら食べてもいいわよ」
「............」
オーフェンは、やはり深々と嘆息した──
「ハウザーさんとやらとは、なんだか気が合いそうだ」
ひょっとしたらブレード君よりも。
そんなことを思いつつ、彼は──
もちろん、かかと落としでコンスタンスを昏 倒 させて、料理の占 有 権 を主張した。
(ガキのつかいじゃねえんだぜ!:おわり)

闇 の中に赤い炎 がひとつ。ふたつ。みっつ。
風のない暗闇の中、静かに揺 れていた。
白い器 の中に入った蝋 に、芯 が差さっている。炎はその芯に点 っていた。一見して手製と知れるその蝋 燭 は、古びた木のテーブルの上に並べられていた。その中に、ひとつだけ、灯 の点っていないものがある。そして──
炎の前にひとりずつ、人間の姿があった。
「......裏切り者は?」
人 影 のひとつが、静かにうめいた。赤い輝 きに照 らされた姿は、彼が血を浴 びたようにも見せている。彼の視線は、テーブルの端 に──つまり、明かりの点 いていないただひとつの蝋燭へと向いていた。
「奴 です」
また別の人影が、静かに告げる。
薄 明 かりで分からないが、最後の人影は小さくかぶりを振 ったようだった。
「また、奴か......」
「なんということだ」
「我らが闇の主 、血の晩 餐 の主 催 者 ──コケモモ様はお許 しになるまい」
「なるまいな。問題は、その怒 りが我らにも及 ぶやもしれぬということだ」
「恐 ろしい......」
「うむ。となれば、ここは──」
「無 論 だな。我らの手で」
「我らの手で」
「我らの手で......」
口々に同じことを言いながら、全員が順番に拳 を握 りしめていく。
闇が揺れることはない。が、薄く闇に混 じる蝋燭の明かりが揺れている。それは結局、同じことだったのかもしれない。みっつの人影の周 りで、音もなくなにかが揺れていた。彼らを、優 しく包み込むように。
やがて──誰 のものかは判 別 できないが、声が、静かに結論を告げた。
「そう。我らの手で──奴を捕 らえ、生 け贄 の祭 壇 に!」
おおおおお、と雄 叫 びが、闇に響 く。
三人の誰かが発した声ではない──どこからともなく響いてきた声。彼らは特に、騒 ぎ立てもしなかった。その声が何者の喉 から発されたものか、彼らが知らないはずもない。
「野球部の連中だな」
ぽつりと、ひとりがつぶやいた。
「そーだね」
もうひとりが、同意してうなずく。
「あいつら、ずるいよな。グラウンドを占 領 してて」
最後のひとりが指を口にくわえ、ぼやいた。
「俺 たちにはあんまり関係ないけどね」
「でも一 応 、いつか呪 ってやろうな」
一通り、愚 痴 のようなことをつぶやきあってから──
彼らは、蝋燭の灯を吹き消した。
すべてが、もう揺らぐことのない闇の中に沈 む......
いつもの宿のいつもの食堂に、やはりいつものように彼らはいた。
午後の一時。
一日のうちで最も意味のなさそうな時間を切り取ってみるとしたら、真っ先に候 補 にあがりそうな、そんな時間だった。
「暇 ねー......」
テーブルの上にほおづえをついている、スーツ姿の女──コンスタンスが、しみじみと、そしてどこか少しだけ幸福そうな、そんなつぶやきを口にするのが聞こえた。
「ていうか」
オーフェンは答えながら、氷水の入ったグラスを、テーブルに丸く残った水 滴 の輪 へと正 確 にもどした。黒 髪 、黒目、着ているものも黒ずくめ。そんな男である。ただ黒一色の中で、胸 元 にだけ、銀 細 工 のペンダントが白く輝いていた。剣にからみついた一本脚 のドラゴンの紋 章 。大陸黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》の紋章である。
彼はテーブルの向かいでくつろいでいるコンスタンスに、半 眼 で告げた。
「仕事しろよ、お前」
「こんな気持ちのいい午後に仕事なんてする奴はいないわよー......」
あくまでだらけきった声で、そう答えてくる。目まで虚 ろだった。
「まあ、どうとは言わんけどな」

と、また氷水を持ち上げる。
突 然 ──
ばん、と破 裂 音 のような鋭 い音が、宿屋の壁 を揺らした。
見やると、入り口の扉 が思い切り開いている。肩で息をして、戸口に立っているのは、金 髪 の少年だった。
「マジク?」
怪 訝 に思いつつ、オーフェンは少年の名前を呼んだ。少年は、恐 怖 に見開いた双 眸 で店内を見回すと──
「ここは......」
彼の第一声は、それだった。カウンターの奥に、この宿の亭 主 、バグアップの姿を見つけると、口の端 をひきつらせつつ、
「安全なの、父さん⁉ 」
「ンなことより──」
聞かれたことに答えるよりも先に、バグアップが不 思 議 そうに声をあげた。
「なんでお前、大工道具なんて持ってる?」
マジクは、それには答えなかった。だが実際、どこから持ってきたのか、木の板を数枚抱 えて、金 槌 を持っている。彼はばたばたと店内に入ると、また勢 いよく扉を閉じた。そのまま、あわてた様子で近くの窓まで駆 け寄 ると、木の板をぴたりと当てる。
「おい......」
気の抜けたバグアップの呼びかけを無 視 して、マジクはその板を窓 枠 に打ち付け始めた。
かーん、かーんという金槌の乾 いた音を聞きながら、オーフェンはきょとんとコンスタンスの顔を見やった。彼女もわけが分からない面 持 ちで、こちらを見ている。
啞 然 とした眼 差 しを三 対 、背中に浴びながら、マジクはその動作を止めようともしなかった。あるいは、こちらのことなど気づいてもいなかったのかもしれないが。ただ、木板を打ち付けながら、金槌の音が響く合間に、少年の怯 えた声が聞こえてきていた──
「急がなくちゃ──急がなくちゃ!」
がん、と、ひときわ強く打ち付けられた金槌が、釘 を折 ってしまう。
そのために、マジクの作業が一 瞬 止まった。だが、つぶやきは途 切 れていない。
「誰が生け贄になんてなるもんか!」
「生け贄?」
聞き返しながらオーフェンは、コンスタンスやバグアップと順々に顔を見合わせた。
「なんのこと?」
不思議そうにうめいたのは、コンスタンスである。オーフェンは軽く肩をすくめた。
「俺が知るかよ!」
「説 明 はあとでするから!」
話を遮 ってきたのは、マジクだった──せっぱ詰 まった声で、肩越 しに叫 んでくる。彼は適 当 に、店のあちこちを指 さした。
「父さんもオーフェンさんも、協力してよ! 早く出入り口をすべてふさいで、どこでもいいからこれを貼 って!」
と、ズボンの後ろのポケットから分 厚 い封 筒 を投げてよこす。テーブルの上にばさりと落ちたその封筒を、オーフェンは指でつまんで持ち上げた。封筒自体はただの封筒に過ぎないが、中に紙が数十枚入っている。封はされていないので、中身を取りだしてみた。
実際、それは紙だった。長方形に切られた紙の束 。札 束に似ているが、まったく違う。紙にはすべて複 雑 な紋 様 が描かれており──すべて手書きらしいが──中心に、文字が記 されている。
「......魔法 ......退散 ?」
オーフェンは読んだままを口に出した。
「あ、それお札 じゃない? 呪 符 ってやつ」
横からにょきと顔を出し、コンスタンスが言ってくる。オーフェンは顔をしかめただけで、なにも言わないでおいた。興 味 ありげな彼女に、封筒と紙──呪符だかなんだか──を押しつける。
と同時に、椅 子 から腰 を上げた。
バグアップに視線を投げる。きょとんと息 子 の背中を見ている彼に、オーフェンは小声で聞いた。
「......あんたは、確か魔術の知 識 も少しはあるんだよな」
「昔の仲間にモグリの魔術士がいたからな」
ぼんやりした口 調 で、バグアップが答えてくる。オーフェンはそのまま続けた。
「じゃあ、あの札がどんなものか ってのも分かるよな」
「まあな」
焦 げた口 髭 を、ようやく苦 笑 混じりに歪 ませると、彼はカウンターから出てゆっくりとマジクのほうへと歩いていった。マジクはいまだ一 心 不 乱 に、窓に木板を打ち付けている。あわてているせいか、あるいは単に不器用なだけか、まともに打てた釘など三本に一本もないようだが。
バグアップは、しばし様子を見るように二、三度うなずいてから──マジクの振り上げた金槌を、背 後 から無 造 作 にひょいと取り上げた。それを一度放 り上げ、くるりと空中で一回転させてから、また受け止める。
「なにやってんだ? お前」
「だから──」
と言いながら、金槌を取り上げられたことに気づかなかったのか、右腕をすかっと空振りさせる。
非 難 がましく振り向いてくるマジクに、今度はオーフェンが聞いてみた。
「なんなんだよ、生け贄ってのは。今時」
「そりゃ、ぼくもそう思うけど──」
マジクが騒 ぎながら、父親が持っている金槌を取り返しにかかる──が、バグアップはひょいとそれをかわした。空 いている左手で息子の金 髪 の頭を押さえつけると、
「落ち着け。いいから」
「人に追われてる時に落ち着けるもんか!」
唾 を飛ばすマジクを、さらに強くバグアップが押しのける──
ふたりを見ながらオーフェンは、ため息をついた。静かに告げる。
「──って、あわてふためいて窓をふさげば、なんとかなるもんなのか?」
「え......?」
聞いて、マジクの動きがぴたりと止まる。彼は考え込むように、目を白黒させた──瞬 き数回ののち、はっと顔を上げる。
「そーいえば意味がないような気もする⁉ 」
オーフェンは再び、深々と嘆 息 した。
「ったく。だいたい、意味がないっていえば、あんなインチキくせえ札──て、うわあ!」
と、コンスタンスに押しつけた札を指さそうと振り向いて、オーフェンは悲 鳴 をあげた。見ると、壁 と言わず柱 と言わず、いつの間にかコンスタンスが鼻 歌 混じりにぺたぺたと例の札を貼りまくっている。
「なにやってんだよ、お前はっ!」
背後からつかつかと近 寄 って、オーフェンは彼女の頭をはたいた。
「なによぉ」
たたかれた後 頭 部 を押さえて、コンスタンスが振り返る。口を尖 らせて言い返してきた。
「知らないの? こういうお札はね、貼らないと効 果 がないのよ。場に正しく配 置 することにより、札にこめられた図 紋 の意味が初めて作用して魔 界 の門を──」
「あああああっ! このアマはぁぁぁっ!」
オーフェンは頭を抱 えて絶 叫 してから、びしと彼女に指を突きつけた。が、顔だけは肩越しにバグアップのほうをのぞいている。
「身近に魔術士がいるってのに、ちいとも学びゃしない奴 もここにいるぞ」
「そりゃまあ、人それぞれだしな」
微 苦 笑 を浮かべ、バグアップ。
「......なんの話をしてるの?」
他人が大声を出すのを聞いて、かえって落ち着いたのか、マジクが疑 問 の声をあげる。
オーフェンはこめかみを押さえて、そちらに向き直った。
「お前、あの札がなんだか知ってるのか?」
聞く。と、マジクはあっさりと答えてきた。
「人にもらったんですけど......」
と──その時だった。
がたんとなんの前 触 れもなく、どこからか音が聞こえてくる。かといってあたりのなにかが変わったというわけでもないのだが......
そのあとは、単なる、そしてほぼ完全なる沈 黙 が待っていた。静 寂 の中から渦 巻 いて、笑い声が響 く──
「ふっふっふっふっふっ......」
嘲 るような、震 えるような。あるいは嘲りに震えるような。
笑い声はそのまま、高くもならず低くもならず、近づきも遠ざかりもせずに──ただそのまま、響き続けた。そしてまた別の声が唱 和 するように加わってくる。
「愚 かな。愚かな羊 めが。そして小 賢 しい。我らを遠ざけるのに、我らが与えた呪符を使うなどと......」
「その札が、我らを呼び寄せることが分からぬとは──」
また新たな声が唱和する。
「羊とは、血を流すために生きているものなのやもしれぬな」
「くっくっくっ......」
笑い声が、含 み笑いに化 ける──
「あ、あああああ......」
マジクが震え上がり、怯 えた声を発するのを聞きながら、オーフェンは半眼で頭をかいていた。一度目を閉じて──そして開いて。すたすたと、彼は窓のひとつへと近寄っていった。ためらわずに、窓を押し開ける。
「愚かな──愚かな羊よ」
「くっくっ」
「契 約 がある限り、我らから逃げ切れると思うてか」
「ふっふっふっふっ......」
最後の笑いは、みっつの声が同時に発したものなのだが......
オーフェンは窓から身を乗り出し、下を見下ろした。
「......そこでなにやってる」
「ふっふっ。そこでなにをやってる、か?」
「くっくっ。まったく我らの姿が見えるような言い方をしおって」
「くく。愚か者が多すぎる。愚かな世界だ」
「ふっふっふっふっ......」
これも、三者同時の笑い声。
「............」
オーフェンはただ無言で、見つめ続けた。
黒い頭 巾 とマントですっぽりと身体 を覆 った三人が、窓の下で膝 を抱えて座 っている。最初に聞こえた物音は、窓を少し開けた時のものだろう──なんにしろその三人組は、また得 意 げに笑い声をあげた。

「ふっふっ。裏切り者には死だ、マジク」
「くっくっ。儀 式 の準 備 は整 っているのだ。今さら逃げられはせぬぞ」
「くくくく。なんたって、あのやたら小うるさい金 髪 の小 娘 は、今日は貴 様 を守ってなどくれぬのだ。風 邪 で休んでるらしいからな」
なんのことを言っているのか、さっぱり分からなかったが、オーフェンにも理 解 できたことがひとつだけあった。それをつぶやく。
「一 応 、ひとりひとり笑う時には違う笑い声なんだな」
「ふっふっ。その通り。世の中は個 性 の時代だからな」
「くっくっ。それにしても、さっきから声が随 分 と近いような気がするのだが......」
「くくく。きっと暗 黒 神 のご加 護 で、我らの耳がよくなったのだろう」
「ンなわけがあるかい。いいから回れ右して、上を見上げてみな」
ひょっとすると彼らもうすうす感づいていたのかもしれないが──存 外 素 直 に、言われた通りにしてみせる。座ったまま器用にくるりと反 転 し、静かに静かにこちらを見上げてきてから、
ぎゃああああ、と全員悲 鳴 をあげて後ずさりした。
「ふっふっ! なんということだ⁉ 」
「くっくっ! 知らぬ間に背後に回っていようとは⁉ 」
「くくくく! 間違いない! こやつ、転生した光の戦士⁉ 」
「やかましい! 驚 きながら無理やり哄 笑 を入れるなっ!」
だが、そんなことは彼らにとってどうでもよかったのか──まあ考えてみれば誰 にとって重要だということでもないが──、彼らは後ずさりしながらも、ポーズのようなものをそれぞれ取った。左の「くっくっ」男が左に向かって腕 を広げ、右の「くくく」男は右に向かい、そしてリーダーらしい真ん中の「ふっふっ」男は、両腕を真上に向けた。
そのまま、言ってくる。
「ふっふっ。だがいかに光の戦士といえど、我らは恐 れはせぬぞ」
「くっくっ。その通り。だってこっちのほうが人数多いしな。人数が多いと手の数も多いから、殴 る数が三倍だ。恐ろしかろう」
「くくく。しかもこちらには暗黒神のご加護がありすぎて余 りまくっておるぞ」
「余ってるって......それひょっとして、不信心なんじゃ......」
いつの間にか横から生えたコンスタンスが、ぽつりとつぶやく。が、黒頭巾の三人組は、まったく動じた様 子 も見せなかった。
「ふはははは。さあ! 移 ろいやすき光に心惹 かれた、愚かなる者どもよ! この我らを恐れぬというのなら、吹き消される前にはかなくも燃え上がる、その蝋燭のごとき命をせいぜい──」
ぴしゃり。
オーフェンは、窓を閉じた。
しっかりと鍵 をかける。
そして、そのままコンスタンスを連れて、くるりと店の真ん中へともどっていく。
バグアップとマジクのいるところまで帰ってから、オーフェンは親指で背後を指さした。涼 しく告げる。
「俺の勘 違 いだった。誰もいなかったぞ」
「............」
全員、静まり返る。まあ、やりとりが聞こえていなかったことはないだろう。が、あえて反 論 してくる者もいなかった。
と。
かりかりかりかり......
乾 いた音が、窓から聞こえてくる。向きやると、例の三人が悲しげな仕 草 で、猫のように窓 枠 をひっかいていた。
つかつかと近寄ると、窓ガラスの向こうから、情けない声が聞こえてくる。
「ずるいよぅ。ひどいよぅ」
「無 視 するなんて寂 しいじゃないかぁ」
「大人 ってずるいよ。大人ってずるいよ」
「鬱 陶 しい奴らだなぁ」
オーフェンは窓を開けてやると、腕組みした。半眼で見下ろして、
「なんか用事があるんなら、ちゃんと表 から入ってこい」
三人組は、ぱっと顔を輝かせ──もっとも黒頭巾のせいで顔は見えないが──、窓枠からすぐに跳 び退 くと、
「ふっふっ。まあ確かに、そうして欲しいというのならそうしてやらんでも──」
オーフェンは窓を閉めた。
改 めて表から姿を見せた彼らを、オーフェンはじっくりと観 察 した。三角形の黒い頭巾──というか覆 面 には、目のところにのぞき穴が開 けてある。黒いマントをすっぽりと羽 織 っているが、中に芯 でも入っているらしく、これも綺 麗 に三角形になっていた。結果として、三人とも、黒い三角錐 が歩いているように見える。
三人は入ってくるなり、マントの下から腕を出した。それを胸の前で交 差 させ──微 妙 に腕組みとは違う──、ふはははは、と笑い声をあげる。
「ふっふっふっ。愚かな奴らだ。ついに我らを侵 入 させてしまったな」
「くっくっ。恐怖で気でも違ったのか?」
「くくく。それとも、己 の無力を悟 ったのか──あれ?」
彼らがのたくたしゃべっているうちに、オーフェンは大 股 で彼らの目の前まで進んでいた。左から順に、拳で頭をたたいてやる。
「......で?」
冷たく聞き返すが、三人組は頭を抱えてうずくまるだけでなにも答えてはこなかった。痛みに震えているようだったから、声が出せなかっただけかもしれないが。
しばらくして、彼らはのろのろと──こちらを警 戒 するように弱気な視線を向けながら、顔を上げた。
「な、なにをするのだ?」
「なにもしてない。殴っただけだ」
オーフェンはさらりと言うと、
「──で、お前ら結局、なんなんだ?」
瞬間──彼らは再び三人、ポーズを取って哄笑をあげた。
「ふははははははは!」
びし、とこちらに人差し指の先 端 を向ける。
「ふっふっ。我らがなにをしに来たか? 決まっておろう!」
「くっくっ。我らが暗黒神は、新たなる下 僕 を欲しておられるのだ!」
「くくくく。というわけで、古代よりの血の盟 約 に則 り、マジク! 貴 様 の身 柄 をもらい受けに来たのだ!」
「ふははははははは!」
最後は、三人いっしょにまた笑う。
「いやだぁぁぁぁぁっ!」
バグアップの後ろで、マジクが悲鳴をあげるのが聞こえてきた。頭を抱え、翠 色 の双 眸 に涙 すら浮 かべている。
「生け贄なんてごめんだぁぁ!」
が、三人組は悠 然 と答えてきた。
「ごめんで済 んだら警察はいらぬのだ。我らが血と暗闇の教典にも、そう記 されておる」
「......随 分 と俗 っぽい教典だな」
オーフェンの指 摘 にも、彼らはまったく動じなかった。むしろ、哄笑をさらに高める。
「はっはっ! 現代のニーズに合わせて、ちょくちょく変わるのが自 慢 の教典である!」
「どうでもいいけど、なにがあったわけ?」
コンスタンスが、マジクに聞くのが聞こえた──考えてみれば、そのほうが早かったかもしれないと、オーフェンもふと思って振り返った。三人組はずっと哄笑したままである。質問に答えてくれそうな気 配 もない。
マジクは、今度はすすっとコンスタンスの背後に隠れると、
「あいつら、ぼくを無理やり入 信 させようとしてるみたいなんです。んで、ぼくが嫌 だって言ったら、生け贄にするって」
「当然である!」
三人組が同時にきっぱりと声を張り上げた。
「我らといったんは契 約 しておきながら、やっぱり止 めたなどと、そのようなことが通じると思うてか!」
「契約?」
今度はバグアップが、マジクに詰め寄った。
「なにをやったんだ、お前」
「いやその......トイレに行きたくって」
「............?」
全員、顔をしかめる。意味が分からなかった。マジクがもごもごと、あとを続ける。
「でも、紙がなくってさ。困 ったなと思ってたら、あいつらがやってきて、ありがたいお札 を買わないかって。で、ああちょうどいいやと思ったんだけど......」
「たとえどのよーな経 緯 であろうと、我らが暗 黒 の魔 力 に一度でも触 れた者は、もう二度と引き返せないイバラの夜道を振り返らずに駆 け上がるがごとくだからその──」
「......もうちょっと経緯にはこだわったほうがいいと思うが」
なんだかよく分からなくなりかけていたせりふを遮 って、オーフェンは彼らに向き直った。続ける。
「それはそれとして、あれ──呪符とか言ったか。いったいなんの力があるんだ?」
「決まっているであろう。とりあえず初 心 者 に配 る初歩の呪符である。この怯 懦 な現世へと我らが映し出す、強大な暗黒の魔力を退 けるものよ」
「だが我らの生みだしたこの札では、我らの魔力を封じることはできぬ」
「よって、我らには無 駄 だということだ」
「ぬふっふっふっふっ......」
これもまた、最後の笑いは、全員でいっせいに発したものだ。
オーフェンは──ただ、冷 淡 な眼差しを向けるだけだった。
「つまり」
と、聞かされたことを整理する。
「その呪符とやらは、お前らの魔力を退けるためにお前らが作ったものだが、お前らが作ったものだから、お前らの魔力を退けることはできないと、こう言いたいわけだな?」
「うむ。ようやく分かったようだな」
「まったく、察 しの悪い男だ」
「偏 差 値 が低いに違いない」
「ぬふぁっふぁっふぁっふぁっ......」
最後の笑いは(以下略)。
オーフェンは、深々と──本気で深々と、ため息をついた。バグアップの背後に隠れるようにしているマジクを見やると、
「マジク。俺からの解 説 を聞いてもらうぞ」
「は、はあ......」
生 返 事 が返ってくる。オーフェンは、そのまま続けた。あちこちの壁にコンスタンスが貼り付けた札を指さして、
「あれはな、超 古 代 の魔術だ」
ほおがひきつるのを感じながら、オーフェンはそれでも無理やりに笑ってみせた──そして、続ける。
「俺たち魔術士──いや、全ドラゴン種 族 をも含 めたいわゆるソーサラス・アデプトが使うそれよりも、遥 かに古い。神々の『魔法 』とまでは言わないが、ことによっちゃあ、人類がこの大陸に漂 着 する以前から、病 気 みてえに人間の歴史にまとわりついてきたってぇ代 物 だ」
「へえ」
びっくりしたのか、マジクが手をたたく。
「すごいものなんですか?」
「迷信 だよ! あんな紙切れに、意味なんざあるか馬 鹿 たれ!」
「えええええええっ⁉ 」
悲鳴をあげたのは──コンスタンスだった。手にした札を見下ろしながら、
「そんなことないわ。ほら、ここ! ちゃんと暗黒神の名前をアナグラムして数字に置き換 えてるわ。このマークは、太陽と月を象 徴 してるの。時 刻 がぴったりなの、分かる?」
「黙 ってろ、お前はっ!」
オーフェンは彼女を怒 鳴 りつけると、ふと気になって付け加えた。
「......ところで、なんでお前そんなことにやたら詳 しいんだ?」
彼女が、ごく当然というように答えてくる。
「図書館でよく借りて読んでたの。『世界の呪 い大 全 』でしょ、『豚 の世紀における暗黒神への賛 歌 』でしょ──」
「ああ。分かった。もういい」
いくつか書名を聞いたところでオーフェンは突 然 疲 れを覚え、適 当 に遮った。が、彼女が食い下がってくる。
「なによその態 度 ! そーゆうことだと、暗黒神の罰 が当たるわよ!」
「やかましい! だいたいなんなんだその暗黒神てのは! 神なんてもんに暗黒も日 陰 もあるか!」
「あるもん!」
なんだかよく分からないが確 信 を持って、コンスタンスが言い返してくる。
「その通りである」
彼女以上によく分からない確信を、彼女以上にたっぷり持って、三人組が言ってくるのが聞こえた。

「証 拠 を見せてやろう......これが、我らが魔力の最高の結 晶 。呪 殺 の符──」
重々しくつぶやきながら、真ん中の男がマントの下に腕を隠す。やがて右腕だけを出した時、一枚の札が握 られていた。見たところ、今あちこちの壁に貼られている物と大差ないように見えるし、同じく大差なく、うさんくさい──
が、オーフェンは身 構 えた。男の目が、完全に本気だったからだ。三人組は、確実に札に効 果 があると信じている。それは疑 うべくもなかった。
(なんだ......?)
思わず戦 慄 する。
呪符に、効果などないのは分かっていた。相手に負けないほどの確信で、オーフェンもそれを信じている。だが......
「やあああああっ!」
札を持った男が、こちらに駆け出してきた。手にした札を掲 げている──
一瞬の判断でオーフェンは、横に素早く身をかわした。同時に、
「へ?」
というコンスタンスの声が聞こえてくる。取り残された彼女は、男が突っ込んでいく軌 道 上 にいる。

男は──標 的 は誰でも良かったのか──そのままコンスタンスに駆け寄ると、札をぴたりと彼女の額 に貼り付けた。同時に、マントの下にずっと隠していた左手を現す。刹 那 。
がんっ!
衝 撃 音 が、彼女の頭を揺らした。
男が──隠していた左手に持っていたトンカチで、貼り付けた呪符の上から、思い切り殴 りつけたのである。
札は砕 け散 った。ぶしゅうと血を噴 き上げながら、コンスタンスがその場に沈 む。
「............」
誰もが、うめき声のひとつも出せずにいる。その静 寂 の中で、男は決めポーズなど取っていた。
「ふっふっふっ......ビクトリィ」
もうすっかり慣 れた笑い声。
「いつもいつも、見事なこの威 力 ──」
「待たんかぁぁぁいっ!」
オーフェンは絶 叫 して、ポーズを取っていた男の後頭部をわしづかみにした。
「なんなんだそのトンカチは!」
「決まっているであろう! 札をより強くたたきつけることによって、呪符に込められた威力が倍 増 するのだ!」
「より強くたたいただけで十分だろーが、そんなもの!」
「ふっ。ようやく我らが呪符の威力を認 める気になったようだな」
「誰がだぁぁぁっ!」
オーフェンは力の限り否 定 しつつ、仲間のいるほうへと男を放 り投げた。三人まとまったところへ、びしと指を突きつける。
「だいたいっ! 結局のところてめえら俺の質問に答えてねえな! お前らいったい、何者なんだ! どこから来た!」
「ふっふっふっ。まだ分からぬのか」
「くっくっ。ご近所では結 構 有名なのだが」
「くくく。だが、知らぬというのなら教えてやろう」
「我らは──」
「うちの学校の、邪 教 崇 拝 部 だよ」
ぽつりと静かにつぶやいたのは、マジクだった。
しん......と、店内が静まり返る。
よく分からずに、オーフェンは聞き返した。
「邪教......崇拝部?」
聞きながらオーフェンは、三人組を指さした。彼らはしばし、固 まっていたが──
「その通りである!」
いきなり大声で、叫びだした。
「ふっふっ! 先に言われてしまってちょっとアレだが!」
「くっくっ! 日 頃 から練 習 していた名 乗 りのポーズも無 駄 になったような気がするが、その通り!」
「くくく! ああまったくその通りだよ畜 生 くそぅ!」
なんだかやけくそ気 味 になっている。
とりあえずそちらは無視して、オーフェンはマジクに聞いた。
「邪教崇拝部?......って......」
「最近、なんだか変な部がやたらできたんですよ。ロープ部とか。スーパーで売っている爪 楊 枝 は全部同じ本数入っているのか部とか」
「なんで......?」
「さあ。そろそろ春ですし。で、どの部も部員獲 得 にやっきになってて、逃げ回るのに大変なんですよ」
「はぁーはっはっはぁっ!」
三人組が──ようやく少しは立ち直ったのか──景 気 良く哄笑をあげた。向きやると、またなにか新しいポーズを取って、誇 らしげに言ってくる。
「ふっふっふっ。こちらも結構大変だぞ。この格 好 を見ただけで、かなりみんな逃げるしな。女子には嫌われるし。なぜか知らんが」
「............」
見ていると、次のが声をあげる。拳を握り、力を込めて。
「くっくっくっ......! だが、我らはやめるわけにはいかん! 我が邪教崇拝部の部員はいまだ三名! レギュラーにはひとり足りないのだ!」
「レギュラー......?」
「くくく! だが今度の大会は、絶対に勝たねばならん! よってどうしても部員が必 要 なのだ!」
「大会って......」
「黙れ! ここまで話したからには、もう誰も生かしておくわけにはいかんぞ!」
様 々 な謎 を残しつつ、そんなことにはまったく構 わないという調子で、三人組はそれぞれ構えを取った。手に怪 しげな呪符と──ついでにトンカチとをそれぞれ持っている。
「ふっふっ。この攻 撃 で貴様は死ぬ」
「くっくっ。死ななかったら、呪符よりももっと強力なわら人形が待っているぞ。釘と金槌だから、すごく怖 いだろう」
「くくくくく。さあ! 覚 悟 を決めてコケモモ様の生け贄となれいっ!」
「......なんかうまそうな邪 神 だな」
オーフェンはつぶやきながら、右腕を振り上げた。大きく息を吸 って──
「我は放つ光の白 刃 っ!」
濁 りのない白い輝きが、視界を埋 め尽 くすように膨 れ上がった。光 熱 波 が轟 音 とともに光と熱をまき散らし、三人組の足 下 あたりに炸 裂 する。
爆 発 のあと──
粉 塵 の中、オーフェンはふっと笑った。
「屋 内 だから威力それなりに低めバージョンだ。俺って奥ゆかしいよな」
「あとでちゃんと直せよ」
静かな口調で、バグアップが言ってくる。撃 ち抜 いた床 板 を指さしながら。
三人組はもみくちゃになって倒れていた。ひくひくと腕を痙 攣 させながら、弱々しくなにやらうめいている。
「う......うう......」
「な、なぜ......」
「コケモモ様、お力を......」
「どやかましいっ!」
オーフェンは一 喝 した。
「いもしない神なんぞに頼 って、なにが楽しいんだ馬鹿たれ!」
「な──なにを言うかっ!」
三人のうちのひとり──中でも最も直 撃 に近かった男が、ぱっと起き上がる。かなりぼろぼろになっていたが、その声から力は失われていなかった。
「ならば教えてやろう! 我とコケモモ様とのなれそめを! それはある日の朝──」
「我は放つ光の白刃」
かなり弱めの熱 衝 撃 波 が、再び邪教崇拝部員たちを吹き飛ばす。が、それでもまだひとりが起き上がった。
「い、いや、あの、我は朝食にコケモモのジャムを──」
「我は放つ光の白刃」
「......そ......それで......桜 の咲 く中──」
「我は放つ光の白刃」
「こ、心の中で声が──『汝 の為 したいように為すが良い』......」
「我は放つ光の白刃」
この五発目をうっかり直撃させてしまい、今度こそ彼は沈 黙 したかのように見えた。が──
最後の気力を振り絞 ったのか、雄 叫 びをあげながら立ち上がる! 彼は腕を振り、力強く叫んできた。
「そして! コケモモ様は今もこの肩 胛 骨 のあたりにおられる! 我らをお護 りくださるのだ! その力を侮 っておると──」
「我は呼ぶ破 裂 の姉 妹 」
突 風 を伴 った衝撃波が、再び三人組を吹き飛ばす──が。
「なにい⁉ 」
オーフェンは、悲鳴じみた声をあげた。
「ぬおおおおおおっ!」
雄叫びをあげて、例のひとりがその場に踏 みとどまったのだ。
「これが......」
苦 痛 と疲 労 に震 える声で、彼は断 言 した。
「これが我が暗黒神! コケモモ様のお力だ! 貴様など問題にならぬぞ! 我が信 仰 を力で退 けることなどできないのだからな!」
と、立ち上がる。
「今、我を倒すことができなかった貴様は、同じようにこの攻 撃 を防 ぐことはできない!なぜならこれは我が魂 の一 撃 だから、だ! 呪 いフルパワー! くらえぇぇっ!」
叫びながら、拳を振り上げ突っ込んでくる、その気 迫 に──オーフェンは一瞬、見えた気がした。敵の背後に。のしかかるように巨大な、コケモモのジャムの瓶 が。
だが。
「とぉりゃあああああっ!」
殴りかかってくる敵を見ながらオーフェンは、軽く横に避 けた。つま先をついと上げ、足を引っかける。
邪教崇拝部員とやらは、呆 気 なく転んだ。
「あれ?」
不思議そうに自分の拳を見てつぶやきをあげる男を見下ろしながら、オーフェンは──
手 近 にあった椅 子 を持ち上げた。
「......あれ?」
さらにこちらを見上げて、つぶやく男。
オーフェンは笑顔で椅子を振りかぶった。
「人が手 加 減 してやりゃあ、調子に乗りやがって......」
「あれ? ふっふっ。あれ?」
混 乱 して、笑い声と半 泣 きの疑 問 符 とを交 互 にあげている。
「しかも魔術をこらえやがったな。プライドがちびっと傷ついたぞ」
「あの、えーと。ふっふっ。あれ?」
「この椅子は頑 丈 だからな。当たると痛 いぞ。可 哀 想 にな」
「あの......」
そして五分後に、オーフェンは疲れたので殴るのをやめた。
「我らが間違っておりました......」
床に正 座 して改 心 を告げる三人に、オーフェンは満 足 してうなずいた。
「意外と素直だな」
「そりゃまあ......」
「あんだけ殴られれば......」
マジクと、いつの間にか息を吹き返したコンスタンスが疑わしげな声をあげる。
「いえ、そうではありません」
さわやかに──黒頭巾を外 した三人は、輝くような笑顔を見せた。顔中腫 れていて血 塗 れなのを無視すればの話だが。
「我々は分かったのです。いもしない暗黒神を崇 めていても、ちっとも楽しくないって」
「そうです。痛かったし」
「大会もあきらめることにします。今回は」
その大会については気にかかることがあったが、まあ蒸 し返しても仕方ない。
彼らの言葉をオーフェンは、うんうんと首を縦 に振りながら聞いていた。が、なんとなくなんとなく、動きを止める。
今回は?
だが三人は、構わずに続けていた。
「我々は決めたんです。やっぱり実 在 する邪神に仕 えなければ、大会に出たって入賞はおぼつかないでしょうし」
オーフェンは、さっと青ざめた。三人がこちらを見つめる眼差しが恐ろしく澄 んで──きらきらと輝いている。
「と、いうわけで......」
彼らがいっせいにすり寄ってきた。
「暴 悪 なる地 獄 の支 配 者 、魔 王 オーフェン様、新たに我ら奸 佞 を導 き、甘 美 な醜 の彼方 へと──」
「どこにでも行けぇぇぇぇいっ!」
叫びとともに──今度こそ加減なしの衝撃波が、彼らを一撃した。
(二度とここには顔出すな!:おわり)


「まずは──」
彼女の第一声は、実に穏 やかだった。穏やかというか、のんびりというか。
「既 成 事 実 だと思いますわ」
のんびりした口 調 の割には内容が穏やかではないが。
「その通りでございますな」
と、答える彼は、冷 静 である。冷静というか、冷 淡 というか。
「愛は略 奪 と申 します」
冷淡な口調の割には内容が冷静ではないが。
「......そんなこと申しましたかしら? でもまあ、都 合 がいいから良しとしましょう」
「御 意 」
「というわけでキース、どのような作戦が考えられるかしら? 登校途 中 に出会い頭 にぶつかって『きゃん☆恋の始まり♥大作戦』というのもありますわね」
「無 論 です。が、多少オーソドックスすぎますかと。なにしろ相手は、あの人生裏 街 道 を驀 進 中 の黒 魔 術 士 殿 。ひねりを入れて入れすぎるということはございますまい」
「それもそうですわね......そうね。とりあえず、扉 を開けたら上からバケツが落ちてきて、バケツの裏に一言『スキ』というのはどうかしら」
「素 晴 らしいアイデアです。しかしあえて己 の愚 策 を申しますれば、バケツを斧 にしますれば、破 壊 力 も倍 増 してモアベターかと」
「破壊力は、あまり関係ないような気もしますけれど......でも、そういうものかもしれませんわね。いいわキース。とりあえず今夜一晩、いろいろと考えてみましょう──」
さて。
「グロ魔術士殿」
「............」
呼ばれて──というか、正しく呼ばれてはいないが、オーフェンは振り向いた。いつもの宿屋の、いつもの食堂。しかもいつものテーブルのいつもの席。
黒 髪 、黒目、黒ずくめの、二 十 歳 ほどの男である。あからさまに怪 しげなその格 好 以外には、特に人目を引くようなところがあるわけでもない。胸 元 には銀 製 のペンダントがぶら下げられている──大陸黒魔術の最 高 峰 たる《牙 の塔 》の紋 章 である。
なんにしろ、もとより皮 肉 っぽくつり上がっている目をさらに険 しくして彼は、いつの間にか背 後 に忍 び寄 ってきていた銀 髪 の男をにらみやっていた。
「ぐろ?」
「はい。グロ魔術士殿」
しごく真 面 目 な面 持 ちで、男はうなずく。オールバックにした銀髪も、ぴしっとしたタキシードも、そして端 正 な顔立ちも、どれが先に始まったというわけでもなく、どれが欠けたとしてもこの男にはなるまい──オーフェンはなんとなく、今さらではあるがそんなことを考えていた。
(にしても......)
と、さらに考え込む。
問題点が多すぎて、すぐには考えがまとまらないが。
まずは──
オーフェンは目を閉じて、眉 間 に人差し指をぴたりと添 えた。そのまま聞く。
「誰 がグロだ?」
「あなたです。グロ魔術士殿」
きっぱりと、キースの返答。
オーフェンはとりあえず追 及 をあきらめると、次の問いを口にした。
「んで......その鼻水はなんだ?」
「実は風 邪 をひいておりまして」
オーフェンは静かに目を開けた。実はあまり見たくなかったのだが、キースは真 顔 のままだらんと鼻をたらしている。彼は──つまりキースは、なにか説 得 しようとするように、縦 にぶんぶんと拳 を振ってみせた。
「今年の風邪はたちが悪うございます。というわけで、鼻づまりのせいで聞き取りづらいかもしれませんが」
「とどのつまりそれで、グロ魔術士か」
「はい、グロ魔術士殿」
「......心なしかイントネーションがわざとらしいし、黒魔術士以外の単語はきちんと言えるってのは......」
「なにをおっしゃっているのですか⁉ 」
ショックを受けたように表情をひきつらせ──といってなにひとつ表情が変わるわけでないところが謎 だが──、キースが叫 ぶ。
「誤 解 ここに極 まれりです! わたしが黒魔術士殿のことを少しグロいだの、かなりグロいだの、どぎつくグロいなどと思っているとでもいうのですか⁉ 」
「我は築 く太陽の尖 塔 」
オーフェンが──即 座 に──編 み上げた魔術の構 成 は、火 炎 となってキースの姿を埋 めた。轟 音 とともに炎 の渦 の中に消えていく銀髪タキシードの姿を見送りながら、オーフェンは軽く嘆 息 して椅 子 に座 り直した。テーブルの上にある、手つかずだったサンドイッチをひとつつまむ。
それを喉 の奥に流し込む頃 に、炎は収まったらしかった。ふたつ目のサンドイッチ──一個目はチーズ、今度は鶏 ささみ──に手を伸 ばしている、隣 から、にゅっとキースが顔を出してきた。確かに炎に巻かれたはずなのだが服に焦 げ目 のひとつもなく、もう鼻もたらしていない。
(まあ、避 けたかなんかしたんだろうけどな......)
それ以上はあまり深く考えずに、オーフェンはふたつ目を口に入れた。キースは眼 差 しを真 摯 にきらりとさせると、
「いきなりなにをするのですか?」
「黒魔術士って、ちゃんと言えてたじゃねえか、さっき」
「まあ、それはそれとして......」
しれっとした顔で、キースは話題を変えてきた。
「黒魔術士殿、良いお話があるのですが」
「なんだ?」
三つ目のサンドイッチをくわえて彼が聞き返すと、キースはぴっと人差し指を立ててみせた。そのまま続ける。
「黒魔術士殿、楽器は扱 えますかな?」
「ピアノくらいなら」
............
唐 突 に訪 れた不自然な沈 黙 に、オーフェンはあたりを見回した。食堂には、彼らのほかには誰もいない──つまりオーフェン自身と、その眼 前 で猛 烈 に冷 や汗 のようなものをかき始めたキース以外には。
震 える手でタキシードのポケットから白いハンカチを取り出し、ゆっくりと顔をぬぐってから──キースは、いまだわなないているその手をぽんと打った。つぶやく声も震えている。
「ああなるほど、大 八 車 で容 赦 なく踏 みつけるわけですな」

「轢 いてどうする。ピアノくらいなら、ちっとかじってたから弾 けるぞ」
キースの頭がぐらりと揺 れて──
そしてそのまま、卒 倒 した。
「ちょっと待ていっ!」
たまらずオーフェンは叫びながら、椅子を蹴 って立ち上がった。蒼 白 になって倒 れているキースを無理やり引き起こすと、
「どうせだいたいそんなリアクションだろうとは思ってたが、いきなり倒れるこたぁねえだろうが! 俺 がピアノ弾くのが変だとでも言うのかコラ!」
「変......変というか......世界はもう終わりなのですね......」
「待たんかぁぁぁぁいっ!」
「ひょっとして!」
がば、といきなり立ち上がり、キースは拳を握 った。
「もしやいずこか、性格悪い黒魔術士ばかりが生まれ育つ性格悪い黒魔術士村とかそういった場所では、なにかとてつもなく口 汚 いスラングかなにかで殺人や暴 行 のことを『ピアノを弾く』と言うのでは──」
「言わん」

「ではもしや、この大陸の奥地に秘 奥 として伝わる幻 の拳 法 ──洞 窟 の中に仕 掛 けられた四十八の殺人ピアノを相手に修行した者だけが修 められるという、究 極 のピアノ拳のことでは⁉ 」
「そんなもんがあるんなら、確かに見てみたい気もするが......」
オーフェンは半 眼 で、彼を見返した。
「念のため、ごく普通の意味で、ピアノが弾けると言ってるんだからな、俺は」
「またそんな恐ろしいことを」
「どっこも恐ろしくないっ!」
彼は叫んでから、キースの胸 ぐらをさらに締 め上げた。まあ、それをしたからといってキースが顔色を変えるわけでもないのは分かっていたが。
実際キースはそのまま真 顔 で、
「まあとりあえず、いま耳に触 れたかのような気がしないでもない忌 まわしい事実は、わきに置いときまして......」
「なにが忌まわしいんだ?」
「まあまあ。とりあえず黒魔術士殿、ピ──ピ......いえその、なにかとにかく、なにか楽器が扱えないということもない、ということで?」
「ピアノだっちっとろーが」
「なるほど。メトロノーム」
「あれって......楽器か?」
オーフェンがひとり疑 問 符 を浮 かべている間に、いつの間にかキースは彼の手の中から抜け出していた。すっと背を伸ばし、意味もなく手をかざす。
「では、ホウキ」
「......要するにお前、俺が楽器に関 わってることを認めたくねえんだろ」
「そんなことはございません」
彼はぴしりと姿 勢 正しく、優 雅 に一礼してきた。
「むしろ安心したほどです。黒魔術士殿も、音楽に聴 き惚 れる野生動物程度の芸術性は持ち合わせていたのですな」
「思い切り引っかかる言い方だが──まあいいだろう」
「と、いうわけで」
キースは顔を上げると、びしと腕 組 みして言ってきた。その瞳 が──鏡のようでいて実はなにも映らないといった奇 妙 な輝 きをたたえたその双 眸 が、こちらを見ている。
彼がつぶやいたのは、いつも通りといえばいつも通り、わけの分からない一言だった。
「まあ、だいたい条 件 はクリアーしているというところですね」
「ここです」
「............」
オーフェンはただ黙 りこくって、キースの手が示しているドアのプレートを読み上げていた──304。清 潔 そうな、白いドア。彼らがいま立っている廊 下 の床 にも、塵 ひとつ落ちていない。独特のすえた空気に、鼻を刺 激 する薬物の臭 い。凹 凸 のあるリノリウムの上を、がらがらと台 車 を押していく白衣の男やら女やら......
彼は頭をかいた。診 療 所 に勤 めていたことがあったために馴 染 みがなくもない雰 囲 気 に、後頭部がかゆくなる。
「ここって、病院だよな」
「その通りです」
静かな顔で、キースがうなずく。確かに、その通りだった──下町と山の手の境 界 にそびえる、四階建ての白いビルディング。やたらでかい玄 関 の上にかけられた、これまたでかい看 板 も読み上げてきたばかりだ。
トトカンタ市立総合病院№4。
オーフェンはとりあえず、首を傾 げた。
「なあ。ピア──」
「ストップ! 魔術士殿!」
開きかけたこちらの口に、白い手袋をはめた指を躊 躇 なく突っ込んで、キースが叫んできた。
「その恐ろしい言葉を口にしてはなりません! 魔王が復 活 したらどうするのですか」
「するかっ!」
叫ぶと同時にキースの指を吐 き出して、オーフェンは一気にまくし立てた。
「ピアノの話題とこの病院と、どこがどうつながるのか、それが聞きたかったんだ!」
「実を言うとですな」
ぴっと指を立て、彼は言ってきた。少し声をひそめて、
「黒魔術士殿に会わせたいお人がおりまして」
「お前がそういうことを言ったときには」
オーフェンは即 座 に、くるりときびすを返した。すたすたと帰りの通路を行きながら、続ける。
「帰るに限る」
「黒魔術士殿ぉぉぉぉっ!」
キースの声とともに──慣れたことだったので──オーフェンは、その場から横に跳 び退 いた。反動に崩 れる体 勢 をなんとか立て直しつつ、後方を見る。
ちょうど、キースが巨 大 な鎖 付 きの鉄球を力の限り床に打ち付けたところだった──オーフェンが、一 瞬 前に歩いていた場所である。
しゅうう......と湯 気 を立てて床にめり込んでいる鉄球を真 摯 に見つめて、その鎖を握ったまま、銀髪の執 事 は言ってきた。
「そちらの道は階段が多くて危のうございますよ、黒魔術士殿」
「床を十センチもめり込ませて言えるせりふかぁぁぁっ!」
鉄球を蹴 り飛ばし、オーフェンは叫んだ。
だがキースは動じもせずに、
「それと、病院ではお静かに願います」
「おお! 静かにしたるわい! しまくったるわい!」
地 団 駄 を踏 みながら、叫ぶ。廊 下 のあちこちから、看 護 夫 やら患 者 やらにうさんくさく眺 められていることを意 識 して、顔が紅 潮 する。
オーフェンはちらりと横目で、近くの窓が開いていることを確 認 した。一瞬の隙 をついて、その窓から身を躍 らせようと、そちらへと駆 け出す。ここは三階だが、その程度の高さなら魔術で落下速度を調 整 できる。
(自由の明日へ、その一──!)
まったく無意味なことを胸中で絶 叫 しつつ、オーフェンは両腕を広げてその窓へと突っ込んでいった。
刹 那 ──
「お待ちくださいっ!」
ぴしゃんっ!
どこをどう先回りしたのか──キースが窓を閉める。
「......へ......?」
だがオーフェンは止まらない。止まれない。
見えるような見えないような、ガラスの光 沢 が眼前に迫 ってくる......
がしゃあああああんっ!
窓ガラスが砕 け散 る、ほとんど轟 音 にも似 たそんな音を耳の中に残しながら──
虚 空 へと放 り出された時には、彼は既 に気 絶 していた。
白い白い。天 井 も白い。
ぐるぐると回転しつつどこまでも上昇していくような視界に認めることができたのは、ただそれだけの光景だった。
身体 が寒い。部 屋 が寒いのではなく、自分の身体が冷えて動かない。死ぬということはそんな感覚なのかもしれない。もしくはうっかり公園で眠っている時に雪が降った場合とか。まあそれも死ぬが。普通は。
ぱか、と目を開けて天井を見上げる。そこは病室だった。少なくともモルグではない。つまりは、まだ死んでいないということだ。どのくらい長く保 つのかまでは分からなかったが。
自分の身体が包 帯 でぐるぐる巻きにされていることはすぐに分かった。少し重い──見ると、見覚えのある栗 色 の頭が、彼に取りすがって泣いている。
「オーフェン様ぁぁ、なんという運命ですのぉぉぉ⁉ 」
冷たい、と感じたのは──彼女の涙 が、包帯を濡 らしているせいだと、彼は不意に気づいた。いや、包帯ではない。包帯ではなかった。白い花びらが無数に、彼の上にかけられている。白い天井以外はなにも見えなかったのも、彼の周 りに壁 があったせいだと知れる。四角い小さな箱の中に、彼はいる。彼の身体の上に、悲 痛 な顔つきのキースがぱらぱらと花びらをかけている......
ここに至 って、オーフェンは自分がどういう状 況 にあるか気づいた。
「なにをさらすんじゃ、てめぇらぁぁっ!」
怒 鳴 りながら、起き上がる。花びらがそのまま、花 吹雪 のようにまき散らされる。いつの間にか押し込められていた棺 桶 の中から飛び起きると、とりすがって泣いていた女をとりあえず横に放り捨て、オーフェンはキースの胸ぐらにつかみかかっていった。
キースは無 論 、逃げもしない。それどころかいまだ手にした花 束 から花びらをちぎっては棺 に落としている。
「おお、黒魔術士殿」
びっくりしたような──ただし冷静な──そんな表情。
「そんなふうにしていると、まるで生きているみたいですな」
「生きとるわぁぁぁぁっ!」
がくがくとキースを振り回して、オーフェンは声をさらにあららげた。
「うかうか気絶もできねえのか、俺はっ! 寝 ている間に危 うく埋 葬 されるところだったぞ、コラ!」
「そういえばそうですな」
「軽く言うなっ! 死んでもいない人間を埋葬してどーするっ!」
「まあまあ。最初は形からということで」
「なにがだっ⁉ 」
と──
「ああっ! オーフェン様ぁぁっ!」
突然背後から抱きつかれて、オーフェンは後ろを振り向いた──さきほどの栗色の頭。この銀髪執事の主人(ということになっている)、ボニーである。
彼女は膨 大 な涙をまき散らしながら、ぶんぶんと頭を振ってみせた。
「涙の奇 跡 が通じたのですね⁉ 死すらもわたしたちの愛を分かつことはできないのですわぁぁぁ」
「............」
言われてオーフェンは、しばし黙 考 した。考えてみれば──
「そーいや、俺なんで生きてるんだ? 三階から落下したはずなんだが」
「なにかお忘れではございませんか......?」
きらりと、瞳 を輝かせてキースが答えてくる......
「なにがだ?」
「わたしたちの友情を、です」
ばっ、とポーズを取って、キースはあとを続けた。誇 らしげに手を組み、きらきらと輝く双 眸 で。
「わたしたちの友情を以 てすれば、落下している黒魔術士殿に鉤 縄 を投げつけて救出することなど、造 作 もないこと」
「助けた人間を埋葬するんじゃねえっ!」
「はっはっ。禍 福 は糾 える縄のごとし」
「意味がない! 意味がっ!」
と、そんなことを叫びながら──
オーフェンは病室の中を見回した。締め上げているキースや、なんだか背中にくっついているボニーを無視すれば、どうということのない、ただの病室である──なにもなく、なにもないがゆえに清 潔 で、どんなに騒 いだとしてもやはり静かで。
トトカンタの福 祉 行 政 の賜 物 と言うべきか、あるいは壮 大 な無 駄 遣 いと言うべきか、市民に対する病院ベッド数の割合が馬鹿げたほど多いのが、この市の特 徴 にもなっている。実際、病室は相部屋であっても、一部屋にベッド数はふたつからよっつ──彼らがいるこの部屋は、ふたつのほうである。
ベッドのひとつは、オーフェンが押し込められていた棺桶がていねいに置かれていた。そして、もうひとつのほうは......
少年がひとり、じっとこちらを見ている。
十二、三歳というところか? 着慣れた様子の青いパジャマ。上体を起こし、枕 を腰 に当てて腰掛けるようにしている。膝 にかかっている毛布は当然、病院のものだが、ほとんど少年の一部分のようにしっくりしていた。きれいに切りそろえてある黒髪──白い顔。そして顔の上半分を、ほとんどすべて覆 うように、もっと白い包帯が、ぐるりと包んでいる。
目のあたりにガーゼかなにかが当てられているようだった。
「あ......わ、悪いな、騒いじまって」
なんとなく気 圧 されながら──オーフェンは、少年に軽く頭を下げた。まあ、相手は包帯のせいでこちらが見えていなかったろうが。
「うん」
甲 高 い、声変わりもまだ遠いという調子の声で、少年がうなずいてくる。
「いつもと違う声なんだね。新しいお友達なの? キースさん」
「はい」
すっと──いつの間にかキースが、その少年のベッドわきに移動している。驚いて見下ろすと、いつの間にかその銀髪執事は薔 薇 をくわえたキース人形にすり替わっていた。変わり身の術らしいが。
その人形をボニーに押しつけて、オーフェンは少年のほうへと向き直った。包帯の少年は、包帯の下からのぞく顔の下半分だけで微笑 むと、
「いいな、キースさんは」
悲しげに、ふっと息をついてみせる。
「友達がたくさんいて......」
「............」
オーフェンは、思わず喉 の中から声を失い──そして、ふと気づいて一歩踏み出した。
「いや、ちょっと待てよ。一応、大 切 なことなんだが、俺は断じてこんな馬鹿とトモダチなんかじゃ──」
「可 哀 想 な少年なのです!」
だばだばと涙を流しつつ、せりふを唐 突 に遮 ってきたのは、言うまでもなく──キースだった。白い手袋で拳を握り、なにやら悔 しげにポーズを取ってひとり叫んでいる。
「ああ! あれは去年の夏のことでした!」
そのキースを押しのけながら、少年のほうに顔を出そうとし──これが意外とキースにねばられて難 しかったのだが──、オーフェンはなんとかうめいた。
「い、いやあのな、いま大切なのは、俺とこいつが全然まったくさっぱりちっとも、絶対とにかく意地でもひたすら、友達なんて代 物 じゃカケラもないってことで──」
「ああ、見てごらんなさい、トム君」
これまたいつの間に移動したのだか──少年のベッドに腰掛けてボニーが、こちらを指さしている。彼女はにっこりと言い切った。
「なんて楽しそうなふたり......」
「そうだねお姉ちゃん」
包帯の下から、そのトム君とやらもうなずいている。
「だあああああっ! 納 得 するのは、俺の弁 明 を聞いてからにしろぉぉっ!」
オーフェンはキースの隙 を見て力の限り叫んだが──結局キースが、素早くその前に姿を割り込ませた。言葉をかぶせるように、静かな声 音 をはさんでくる。
「そうです。あの年の夏は記録的な猛 暑 でした。わたしはちょうどその頃、呪 われた干し首を訪 問 販 売 するという商売に構 造 的 な無理を感じ、真夜中に笑う九 官 鳥 を新 規 商 品 に取り入れるか否 か、悩んでいたのを覚えております......」
聞きながらオーフェンは──目を半眼にして指 摘 した。
「去年の夏ってお前、その頃は、こいつらの実家で執事やってたんじゃなかったのか?」
と、ボニーを指さす。
ボニーは無意味にVサインを出してきた。本当に無意味なため、誰も相手にしなかったが。
キースですら、気にせずにあとを続ける。
「そしてあの夏。わたしは婚 約 者 のシルヴィアと出会い、まあ婚約者でしたから、婚約したわけです」
「なんか、そこはかとなくつじつまが合ってないような......」
「そして!」
叫びながら、ぱんと手を打ち──キースはくるくると回転しはじめた。そして、ブレーキでもかかったように唐突に回転をやめ、びしとこちらを指さしてくる。
「わたしの見たところ──今年の夏は、なんかいろいろ、ものすごいことが起こります!あなたの人生のターニングポイントになるでしょう! ラッキーカラーはゴールドメタリック!」
「............」
オーフェンは、静かに深いため息をついた。半眼のまま顔を上げ、頭をかく。
「で、トム君とやらはどうなったんだ?」
「おお、そういえば、そんな話題もありましたな」
あごに手を当て、背 筋 を伸 ばして天井を見上げながら、キース。
「彼は旅行中の事故で両親を亡 くし、その時に自分もまた大ケガを負 ってしまったのです。だいたいの傷は治 ったのですが......」
「目が、見えないんだ」
ぽつりと、少年がつぶやきを発する──少しうつむき加 減 で、トムは続けた。
「お医者さんの話じゃ、手術すれば治るって言うんだけど......失敗すれば、二度目はないって」
「なんて可哀想に!」
よよよ、と少年に泣きついて、ボニーが声をあげる。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん!」
小さな肩でガッツポーズなど作り、少年がボニーに宣 言 した。
「ぼく頑 張 るよ! だって、今日はぼくの誕 生 日 さ! こうして誕生日を祝 ってくれる友達がいっぱいいるんだもの」

「どぉーですか、黒魔術士殿!」
大 仰 な声音とポーズ──キースは絶好調といった具合で、こちらに言ってきた。
「というわけで! 今回は、この可哀想な境 遇 の少年に、小さなコンサートを開いてあげようという、そんな企 画 なのです!」
「企画......って......?」
「まあまあ黒魔術士殿。細かいことはさておいて、黒魔術士殿にも使えそうな、なるたけ原始的な楽器をいくつか用意しましたゆえ、誕生日曲をみんなで奏 でましょう」
と、カスタネットやらトライアングルやら角 笛 やらを両手いっぱいに(どこから出したものだかしらないが)持ってくるキースに、オーフェンは苦い声を返した。
「だから、俺はピア──」
「その単語はNGですっ!」
いつにない迫 力 で、キースが叫んできた。青白い顔に冷や汗を垂 らし、あまつさえがくがくと足を震わせながら、あとを続ける。
「し、しかし......黒魔術士殿がどうしてもと申しますならば......と、隣の空 き病室に、その限りなく凶 暴 黒魔術使いには似つかわしくない例の楽器を用意してあるのですが......しかし、それは最後の手段にしていただかないと......」
「最後の手段?」
聞き返すと、今度はキースは完全に平静な顔で答えてきた。
「例 えば、異世界から未知の魔 族 が攻 めて参 りまして、人類にもう残された手段がない時にならば、みなも納得してくれるのではないかと」
「俺の演 奏 はリーサルウェポンかっ⁉ 」
「さもないと我々全員、とてつもなく恐ろしい病気にかかってしまいそうな気がいたします。というわけで、黒魔術士殿にはこれが最もお似合いかと」
と、キースが手渡してくれたのは──
オーフェンはぽつりとつぶやいた。
「......角笛って、実は結 構 難しいんじゃねえか?」
「いえいえ。こうやって水の入った洗 面 器 に入れまして、ストロー代わりに使ってみせれば、立 派 な宴 会 芸 ですぞ」
「立派ではないと思うし、この際全然関係ないとも思うんだが......」
オーフェンはうめきながら、洗面器と角笛を受け取った。見ると、ボニーはいそいそとベッドから立ち上がり、部屋の隅 からバイオリンケースを持ち出している。キースはといえば数十本のハンドベルを床に並べはじめていた。
そして、トムはそれらの準 備 を、嬉 しげに眺 め回して──
「............」
オーフェンは気づいて、洗面器と角笛を床に置いた。ポケットから、すり切れた革の財 布 を取り出す。
「なあ、トム」
「なんですか?」
無 邪 気 な返事に、オーフェンはぎこちない笑みを返した。
薄 っぺらい財布から、とっておきの銀貨を出して──適 当 に、床に落とす。ちゃりぃんと乾 いた音が病室に響 いた。
「あ、落としましたよ」
床に落ちて細かく回転している銀貨を、しっかりと指さしてトムが言ってくる。
そこで、はたと、全員の動きが止まった。
オーフェンは素 知 らぬ顔で、落ちた銀貨を拾い上げた。財布の奥のポケットに、念入りに押し込める。再び顔を上げると、トムは床を指さしたまま硬 直 しているし、ボニーは蒼 白 になって両手を挙 げ、キースだけが静かに冷静な面持ちを保っていた。
腕組みしてオーフェンは、低い声でうめいた。
「......見えてるんじゃねえのか?」
その一言で──突然、硬直していたトムとボニーが動きを見せる。
素早く少年の指をチョップして、ボニーは真 剣 な叫び声を発した。
「大変ですわ! これはきっとトム君の指に、悪 霊 が取 り憑 いたに違いありません!」
「そのようですな」
と、キースがそつなく、ボニーの背後へと控 える。タキシードの懐 から、小型の糸ノコを取り出して、
「仕方がありません。とりあえず切 断 するということで、黒魔術士殿にも納得していただきましょう」
「ぎゃああああああっ⁉ 」
悲 鳴 をあげたのは──無理もないが──トム少年である。彼は指を大事そうに引っ込めながら、泣き声じみた調子でさらに叫んだ。
「なんでだよ! いくらなんでも、そんなの約束してないだろ!」
「事 態 は変化していくものです。聞き分けますと、人生いろいろと幸福になれます」
「嘘 だぁぁぁぁぁっ!」
糸ノコで迫るキースと、泣き叫ぶトムを見ながら──オーフェンはため息をついた。
(頃 合 い......かな)
口の中でつぶやいて、トムのベッドへと回り込む。キースやボニーと、トムの間に割ってはいるように、オーフェンは身体をねじ込んだ。
「まあまあ」
と、キースを押しのけながら、トムへと笑いかける。少年はむしり取るように包帯を外 し、こちらにすがりついてきた。あわああん、と大泣きしながら、
「助けてよぉ、なんかこの中で一番凶 暴 そうなお兄ちゃんだけど!」
助けを求めるせりふに、多少気になる部分はあったものの──オーフェンは、落ち着かせるように彼の頭をぽんとたたいてやった。
「約束って?」
と、聞いてやる。
少年は大声で、わめき立てた。泣きながらキースを指さし、
「この人たちが突然やってきて、誕生日に人を連れてきてあげるから、ちょっと手を貸してくれって、そう言ったんだ。パパもママも忙 しくて、入院してからずっとぼくひとりだけだし、それで──」
「ほほぉう」

オーフェンはちらりと──キースたちのほうを向きやった。
「ぬううううううう!」
なにやらひたすらに口 惜 しげに、キースが痛 恨 のうめき声をあげる。あごに梅 干 し模 様 を刻んで、彼は叫んできた。
「あと一歩というところで、なんという誤 算 ! 裏切り者が出るとは⁉ 」
「やはり外部の者に頼 ろうとしたのがまずかったのですわ、キース──」
「やかましいわ、馬鹿者どもぉぉっ!」
オーフェンは思い切り怒 鳴 り声 を発した。
「外 様 だろーが身 内 だろーが、指一本切り落とすなんぞと脅 せば寝 返 るに決まっとろうがっ! あほかお前らっ!」
と、ひとしきり大声をあげてから──
まだ泣いている(よほど怖 かったのだろう)トムの頭を撫 でてやりながらオーフェンは、なんとなく気になって問いかけた。
「......で、お前ら、結局いったいなんの魂 胆 で、こんなわけの分からないことをしでかしたんだ?」
「それは──」
答えてきたのは、ボニーだった。さっとひざまずくキースをわきに退 がらせて──真 剣 な面 持 ちで、こちらを見返してきている。
「愛のため、ですわ」
「愛⁉ 」
オーフェンは、ざっと後ずさりした。
「愛──愛⁉ 」
何度も繰 り返す。ボニーは、にこっと笑いかけてきた。
「そうですわ、オーフェン様」
「愛......」
脂 汗 が額 からにじみ出るのを感じながら、オーフェンは苦しく息を吐 き出した。
「......そうか......そういえば、この世にはそんな単語もあったようななかったような、あったはずだったけどやっぱりなかったような、あったらいいな、でもないかな......」
ぶつぶつと苦 悩 しているこちらの手を、そっと、ボニーが握りしめてくる。ほろほろと、彼女は涙を流してみせた。
「お可哀想なオーフェン様。よほど不 憫 な生活をお送りになられたのですね」
「ううう......いくら考えても『ない』が優 勢 になっちまう俺の人生って......」
「可哀想に......お兄ちゃん」
トム少年にまで同情され、さらにオーフェンは気分が落ち込んでいくのを感じはしたが、なんとかぎりぎり(どこかで)踏みとどまると、ボニーの手を振り払った。
「やかましいわっ!」
声を荒らげて、適当に病室を指さす。
「だいたいなにが愛なんだっ⁉ この病院やら演奏やらと、なんの関係があるんだよ!」
「それは──」
キースが、すっくと立ち上がる。ぴっちりと伸びた指を、彼は眉 間 に当ててみせた。
「わたしが、お答えしましょう」
「ほほう」
冷たい目で見返してやるが、今さらこの執事がそんなことで動じるわけもないのは分かっていたことではある。
実際キースはそのまま、堂 々 とあとを続けてきた。
「これは、愛の証 なのです」
「......証?」
疑 わしげに聞き返す。だがキースの声には、確 信 がこもっているように聞こえた。
「いえ実はマギー家に伝わる、古くからの習 わしでして......」
と、きらりと瞳 を輝かせる。あとは一息に、キースは言ってきた。
「ハンドベルを並べた病室で、男性が角笛を使って水を飲むことは、目の前にいる女性の人生を保 証 することを意味し、対して女性は、オーケイならばバイオリンを弾く素 振 りを見せながら、その実その弦 で己 の頚 動 脈 を切 断 、その血 痕 を相手の身体の七か所以上につけなければならないのです」
............
しん、と静まり返る。
その静 寂 に──なにやら恐ろしいものを感じたりもしながらオーフェンは、なんとか聞き返した。
「......ホントなのか......それは?」
ふっ......
と、キースが笑う。見るとボニーも、まったく同じタイミングで笑っている。
「もちろんですわ」
自信たっぷりに、ボニーがうなずいた。そしてキースも。
「昨夜 、ボニー様と一晩協 議 した結果、そのような結論となったのですが──とりあえず信じてみてください。いい気分になれます」
「だ・れ・が......」
オーフェンは、今までにない力で思い切り、拳を固めた。近くにいたトムが、ぞっとした顔色で後ろに退 いていくのが見える。少年の瞳には、こちらの形 相 が映っていた。
そしてあとは爆 発 。拳を振り上げて──
「信じるかぁぁぁぁぁっ!」
そのしばらく後──
コンスタンスがいつもの警 邏 をしていると、病院から見覚えのある人 影 が姿を現した。
まあ、見覚えがあるもなにも、目のつり上がった黒ずくめの黒魔術士の姿など、街にふたりといるわけでもないだろうが。
その男は背中にバイオリンやらハンドベルやらの楽器の類 を山ほど背負い、なにやら重そうにえっちらおっちら歩いていた。
そしてその姿は、病院近くの質屋の中へと消えていった。
そして余 談 だが。その夜。
トム君がなんとなく目を覚ますと、隣の病室から、なぜかピアノで誕生日曲を優しく奏 でているのが聞こえてきたというが──
まあそれは、ただそれだけの話。
(自分がイヤにならねえか?:おわり)

大 陸 に人類が住み着いて、三百年が経 ったと言われている。
実際の人間種 族 〝独自の〟歴史というものは、二百年弱──さらにはまともな社会体 制 が確 立 されたのは百数十年に過 ぎないのだが、まあそういうことだと言われている。
歴史も、数十世代が連 なれば、それなりにそれなりの伝 説 ができるものだが。
「......かつて暗 黒 の時代......まだ戦 乱 というものがあった時代、人が戦士を必 要 とし、戦士が己 の魂 を削 ることも辞 さぬほど強力な剣を求めていた時代、世界には数々の魔 剣 というものがあったのじゃ......」
「おおっ!」
あからさまにうさんくさい──とドーチンは思わざるを得なかったが──、白 装 束 の老人に、ボルカンが勢 いよく声をあげるのを、やはりドーチンはうさんくさい思いで見つめていた。
せまい路 地 裏 に、彼らはいる。表 通りを歩いていたら、目立って仕 方 がなかったろう。身長百三十センチほどの『地 人 』のふたりと、よぼよぼとした足つきで、腰 を曲げて彼らより低い視 界 を持った老人である。汚 れた白い布で身体 をくるんで、その身長に合わせた小さい荷 車 を引いている。荷車には一本の旗 が立っていた──『魔剣買います・売ります』
荷車にはほかに、古いものから真新しいものまで、種 類 を問わず剣が積 み上げられている。短剣に小剣、さらには奇 怪 な形 状 をしたものもあった。大多数は宝 飾 品 のようだが、言われてみれば魔剣魔剣した雰 囲 気 の一品も混 じっているような気がしないでもない。
(ただ......)
老人の話にやたら乗り気の兄ボルカンからは一歩も二歩も退 きながらも、ドーチンも一応は認 めていた。
(魔剣って呼べるような武器があったのは、本当なんだよね)
フードに隠 れてほとんど顔の見えない老人は、厳 かな口 調 であとを続けている。
「魔剣......有名なところでは古代種族が鍛 えたという真 聖 なる銘 ヒュプノカイエン。弓 聖 として今も伝えられる伝説の騎 士 ケシオン・ヴァンパイアが携 えたという銘オーロラサークル。獲 物 を打っても、その傷 口 から血でなく露 しか漏 らさなかったという活 殺 の銘ガードルオープナー」
ただ前方を見つめて──聴 衆 であるボルカンはほとんど眼 中 にないというふうに、ただひとりつぶやき続ける老人。ボルカンは、うんうんとうなずいている。
「だが、そのよーなものよりも、もっと恐 ろしい魔剣があるのじゃ!」
老人は唐 突 に、ぐっと拳 を握 りしめた。
「まずは! その刃 の照 りを見ただけで背中にミミズ腫 れが残るという銘リプリール!次いで、なんかご飯がまずくなるという銘オルトアリエス! カラスの繁 殖 を助ける銘ハートプーウ!」
「カラス?」
思わずドーチンは聞き返したが、老人はまったく取り合ってはこなかった。
「そして! まさに芸術! 夏はちょっと疲 れ気 味 の魔剣! マグリスジューヴ! なんと恐ろしい!」
「まあ......ある意味なんていうか、そのなんだかよく分からないところが怖 いっちゃ怖いけど......」
ぶつぶつと、ドーチンは限 りなく消 極 的 な同 意 を示 すことにした──老人の話に(なぜか)感 極 まったように涙 を流している兄を、冷たく横目で見つめながら。
どのみち老人は、どのような反 応 であろうとどうでも良かったようではあった。握っていた拳を震 わせながらも下 ろして、ふうと息をついている。
「この四 振 りを総 称 して、四 天 王 の銘と呼ぶのじゃ。剣を持つ者であれば誰 もが恐れる四大魔剣じゃな」
「確かに、ンなもんが四本も集まったら嫌 だけどさ......」
「うむ」
ここで初めて、老人は反応らしい反応を見せた。軽 くうなずいて、
「わしも長年大陸中を渡 り歩 き、三本までは集めたのじゃが......」
「あるの⁉ 」
「素 晴 らしい!」
ボルカンが、ぶわわと涙を溢 れさせながら大声をあげた。
「まさしく剣は戦士の魂! それを求める旅は、つまり魂の探 求 !」
身体をわななかせながら、毛皮のマントをばさりとはね上げ、腰から下げている剣を差 し出 す。
「意 気 に感じたぞ親 父 ! この大陸の最 終 伝説に残る予定ばっちりの英 雄 ・マスマテュリアの闘 犬 ボルカノ・ボルカンが携える覇 王 の剣、そのヒュノプイカとかなんとかいうやつと、交 換 してやってもいいぞ!」
「なんでそんなトマトもよー斬 れん中 古 品 と、ドラゴン種族が魔 獣 の力に対 抗 して鍛え上げた秘 剣 とを交換せにゃならんのじゃい! だいたいそんなもの持っとらん! ちなみにヒュプノカイエンじゃからな! 世界樹の紋章 の剣!」
老人はようやくボルカンのほうを向いて、ぺっぺと唾 を飛ばした。
むう、ボルカンがうめく。
「ならば仕方ない。パンツオープナーとかいうやつとの交換でも承 諾 せんでもないぞ」
「ガードルオープナー!」
「なんか卑 猥 そーな名前だったということは覚 えていたんだが......」
「仕方なかろーが! そーゆう銘なんじゃから!」
狂 犬 病 にかかったようにがちがちと歯を鳴 らしながら──老人は、荷車の一番上にある古びた剣を持ち上げると、それでボルカンの頭をひっぱたいた。
「ほれ。世 間 話 を聞いて欲しくてお前らを雇 ったわけじゃないんじゃぞ。さっさと客を捜 してこんかい! これだけ人の集まる街 じゃ。魔剣の一本や二本くらい、探せば見つかるわい! 昨日 、とっておきの逸 品 が売れてしもうて、コレクションが物 足 りなくなっておるんじゃからな!」
結 局 は、要 するに──
その老人の手 伝 いバイトをしている、ふたりだった。
「と、いうわけで」
いつもの宿屋にホワイトボードを持ち込んで、コンスタンスが大きく文字を書き込んでいた──
「市 令 禁 止 品 目 を取 り扱 った密 輸 業 者 が街に入り込んでいるのよね」
説 明 しながら、ぺしぺしと白板 の文字を手のひらでたたく。意外と達 筆 ではあるが、慎 ましさのカケラもなくボードいっぱいの大きさで『春だ一発・仕事でもしましょうか週間』と書かれている。
「ほらほら、そこ寝 ない!」
黒チョークを投げて、コンスタンスが言ってくる。
オーフェンは半分寝ぼけながらも、なんとか顔を上げた──よけるまでもなく関係ないところを飛んでいくチョークを、手を伸 ばしてつかみ取り、コンスタンスへと返してやる。
「しれいきんしひんもく?」
ぼんやりと聞き返す。きちんと起きて聞いていたら分からないでもなかった単 語 だったが、数 秒 前 まで夢 うつつ状 態 だった脳 には少々荷が勝っていた。
が、コンスタンスは律 儀 に解 説 を始めた。
「市 法 で持ち込みが禁止されている物のことよ。麻 薬 とか、もちろん銃 火 器 とか......あるいは剣とかね」
「剣?」
あれ、と思って、オーフェンは身を乗り出した。
「剣って、禁じられてたのか?」
聞き返しながら彼は、ぱたぱたと服をはたいた──テーブルに突 っ伏 して寝こけていたため、変な形にしわができている。着ているものは、普 段 と変わらない。
いつもの黒ずくめに、胸 元 には大陸黒 魔 術 の最 高 峰 たる《牙 の塔 》の紋 章 がぶら下がっている。バンダナの結び目が額 に回っているのを直しつつ、オーフェンはコンスタンスの答えを待った。
彼女は、少し考えてから答えてきた。
「未 登 録 のものはね。前もって免 許 を取って、保 管 施 設 を用 意 したうえで、こういった目 的 で何本を購 入 しますとかそういうことを申 請 して許 可 を得ないと、合 法 的 に入 手 することはできないわけ」
「......俺 、剣持ってるぜ。ほとんど使わねえけど《塔》から持ち出したやつ」
「魔術士の武 装 はほとんど制 限 なしなのよ。トトカンタ市法では」
「なんで?」
「魔術のほうがよっぽど危 険 じゃない。武装を制限しないことで、魔術を使う頻 度 を少しでも下げようってことらしいけど」
「............」
しばし考え込んでから、オーフェンはつぶやいた。
「筋 が通ってるようで、通ってないんだな、法 律 ってのは」
「そういうもんでしょ、大 抵 」
肩をすくめて、コンスタンス。
「ふうん」
適 当 に相 槌 を打ちながらオーフェンは、再びテーブルへと顔を埋 めた。
「寝ないでって言ってるでしょ!」
コンスタンスが叫 んで、またチョークを投げてくる──
今度はまともに飛んできたそれを顔の前で受け止め、オーフェンはそのまま聞いた。
「でも、福 ダヌキの奴 も剣を持ってたけど、お前今までなんも言わなかったじゃねえか」
「だってあれ、どうせなまくらなんでしょ? お飾 りの鈍 刀 まで取 り締 まってたらきりがないもの」
腕 組 みして、コンスタンスがそう答える。
チョークを返すことはせず、オーフェンはうなずくと、
「なるほど......」
つぶやきながら、寝る体 勢 へともどっていった。
「だから、なんで寝るのよー!」
コンスタンスがあげる抗 議 の声に、オーフェンはうつらうつらとしながら手を振ってやった。答える。
「眠 いから」
「なんで眠いの! 仕事の話をしてるっていうのに!」
「それはあくまでお前の仕事であって、俺の仕事じゃないもんな」
「ううう」
声を震わせてそううめき、コンスタンスがそのまま引き下がる──ように思えた。が。
「ぱぽぷぺぷー!」
自分の腕に顔を埋めたまま眠りかけていた頭に、突 拍 子 もない音が突 き刺 さって、オーフェンは仰 天 しながら起き上がった。見ると、コンスタンスがトランペットを天 井 に向けて、吹きまくっている。
「ぽぺぱぽぺぺぱぴぽーぷー!」
涙を流してでたらめに騒 音 を立てるコンスタンスに、耳をふさいでオーフェンは怒 鳴 り声をあげた。
「やかましいっ!」
「ぱーぺーぽー!」
「だああああっ! 分かった! 話聞くから! やめろ!」
降 参 して彼がわめくと──
「............」
ぴたり、と彼女は騒音を止 めた。
まだ疑 いがかすかににじんだ眼 差 しで、ちらりとこちらを見てから、
「ぷー?」
「言葉でしゃべらんかい、言葉で」
器 用 に音で疑 問 符 を浮 かべるコンスタンスに、オーフェンは半 眼 で告 げた。
彼女はトランペットを下 ろし、こほんと咳 払 いしてから言ってきた。
「きっと分かってくれるって信じてたわ、オーフェン」
「そのトランペットはどっから出したんだ?」

コンスタンスは答えずに、指をぱちんと鳴 らした。と、彼女の背 後 から、なんの脈 絡 もなく銀 髪 の執 事 、キースがにゅうと現れる。コンスタンスが振り返りもせず、彼が手にしている銀色の盆 にトランペットを置くと、その執事は一 礼 してその場を去っていった。
彼の後ろ姿を見つめながら、オーフェンは首を傾 げた。
「たまに思うんだが、あいつ、いつもどこに控 えてるんだろう」
「さあ。そんなことより仕事のお話を進めるわよ、オーフェン」
「............」
考えたところで答えが出そうにない疑問は捨 てることにして、オーフェンはコンスタンスへと向き直った。彼女は妙 に張り切ってホワイトボードを引っぱると、こちらの目の前まで移 動 させてきた。
「さてさて。問題になっているのは刀 剣 の密 売 なのね」
と、小さい白 板 消 しでボードの文字を消し、新しいチョークをポケットから出して『剣』と書き付ける。
「実は、モグリで刀剣の売 買 をしている不 届 き者 が街に入り込んでるのよ」
言いながら書くのは、『モグリ』『売買』『入り込んで』──
「そいつが出 没 するだいたいの位 置 は分かってるの。見つけ次 第 、現 行 犯 で捕 縛 して構 わないから、楽な仕事よね」
『だいたいの』『つけ次』『楽な仕事』......
「お前......」
オーフェンは嘆 息 とともにつぶやいた。
「キーワード掘 り出すの下 手 だろ」
「えええっ⁉ 」
意外だったのか、チョークをぽとりと落としてコンスタンスが絶 叫 する。
彼女はまじまじとホワイトボードを見つめてから、こちらを向いて言ってきた。
「で、でも、この『つけ次』とかは......」
「一番ひどい」
「おかしいわねー」
本気で思 案 顔 を見せる彼女に軽い頭 痛 など感じながら、オーフェンはうめいた。
「まあだいたい、話は分かった。けどお前、なんでまた今回はそんな仕事に入れ込んでるんだ?」
「うふふふふ」
コンスタンスは、白板を押しやりながら含 み笑いを発してきた。またもやどこからともなく現れたキースが、白板を押して退 場 していく。
「............?」
彼女の様 子 を怪 訝 に思いながら、オーフェンは答えを待った。と、彼女が笑っている間に、白板を片づけたキースが現れる。ただ、今度は一振りの剣を携 えていた。やはり銀の盆に乗せて。
「これがなんだかお分かりですかな? 黒魔術士殿 」
片 膝 をついて、剣の柄 をこちらに差し出すキースに、オーフェンは鼻の頭をかきながら答えた。
「剣だろ」
「ただの剣ではございません。どうぞお手に取ってご覧 ください」
言われるままにオーフェンは、銀の盆から剣を取り上げた。かなり長大なもので、床に立てても人の肩の高さくらいにはとどく。柄も鞘 も金属製の、かなりの拵 えで、一 見 して並の銘ではないことは知れた。とりあえず、コンスタンスとキースに目で問いかけてから、鞘を払ってみる。
抜いてみると剣は、思ったより軽いことが分かった──刀 身 は真 っ直 ぐで、 黒色に混 ざった褐 色 がきらめいている。まだらになった光 沢 が、虹 のように段 階 的 に変化していた。
「オーロラサークルだな」
オーフェンはぽつりと、だが断 定 した。
「伝説に残る代 物 だ。かつて強大な力を持ちすぎたがゆえにドラゴン種族に滅 ぼされたという希 代 の術 者 、ケシオン・ヴァンパイアが剣。実に〝天世界の門 〟と呼ばれた銘 刀 だ。刃こぼれしても自分で勝 手 に直ったなんて伝説もあるらしいな」
「ご慧 眼 で」
ひざまずいたまま、キース。コンスタンスは笑 みを浮かべて、
「一見しただけで分かるの?」
「ああ。だって俺、見たことあるからな」
あっさりと言ってオーフェンは、剣を鞘に収 めた。キースに返して、肩をすくめる。
「それ偽 物 だぞ。本物は《牙の塔》で厳 重 に保 管 されてんだ。ミリオンジェノサイダーとまで言われたいわく付きの魔剣だからな。個人で取り引きできるようなものじゃないぜ」
「うっふっふっ......」
コンスタンスは──
その答えを予 想 していたかのように、ただ笑みを深めた。瞳 に炎 をたぎらせて、キースから剣を取り上げ、さらにそれを床にたたきつける。
「というわけで、いたいけで純 真 な美人警 察 官 様 を言葉巧 みに騙 し、こんな紛 い物 を高 値 で売りつけた極 悪 な犯 罪 者 を縛 り首 にして破 滅 させるのよっ!」
「犯人が出 没 するだいたいの場所が分かってる理 由 は、それか......」
ため息をつきながら、オーフェンは妙に納 得 してつぶやいた......
「にしても、だ──」
そのオーロラサークル(偽 )を肩に背 負 って、オーフェンはコンスタンスに話しかけた。
「お前さ、なんでいきなり剣なんて買ったんだ?」
ふたりは食 堂 を出て、裏通りを歩いていた。大振りな剣を背負って歩けば死ぬほど目立つが、行 き交 う通行人たちは、特にこちらの姿を見ても大 騒 ぎする様子もなかった。確かに街 中 で剣など持ち歩いていれば、正 気 を疑 う奇 行 と言えるだろうが──それをしているのが魔術士であれば、まあそれもありかなと思うのが世 間 の見方らしい。
コンスタンスもとてとてと隣 を歩いている。どこがどうというわけではないのだが、そこはかとなく身体の動かし方がバランス悪く、子供っぽく見えてしまう。
「だって、伝説の魔剣よ。悪 魔 に魅 入 られた男が無 差 別 の殺 戮 に用 いた逸 品 だって聞かされれば、なにをおいても欲しくなるのが健 康 的 な精 神 じゃないかしら」

「そのオカルト趣 味 、なんとかならんのか、お前。心の病気はしかるべきところに相 談 しないと治 らないぞ」
「どういう意味よっ!」
「そのまんまの意味だが」
オーフェンは素 っ気 なく答えた。足を止めもしない。と──
彼の脳 裏 に、なにか閃 くものがあった。とっさの判 断 で横に跳 ぶ。
その一瞬後、雄 叫 びが響 きわたった。
「ちぇぇすとぉぉぉぉっ!」
同時、剣を振りかぶった人 影 が、空 を一 閃 する──毛皮のマントをまとったそれは、なにやらごつごつした不 格 好 な剣を、そのまま地面へとたたきつけた。
横にかわしながらオーフェンは、それを見ていた。かついでいたオーロラサークル(偽)は、自分でも気づかない間に彼の手の中に収まっている。抜 刀 した記 憶 もないのに、だ。黒色の刀身に複 雑 な光 沢 をにじませた魔剣は、驚 くほど手に馴 染 んだ。
「よくぞかわしたな、それでこそ我が宿 命 の敵 だ、クソ魔術士!」
突然襲 ってきたマントの人影──振り返った顔は、まだ少年のようだった。
「だが、その悪運も今日で終わりだ! まさしく今から貴 様 の、ボディソープ間違って飲み殺しショーが始まるのだからな!」

「............!」
オーフェンは──しばしぐるぐると脳 内 を検 索 してから──
「おおっ! そうだ、ええと......ボ、ボ......ボル、ボ......」
剣を近くの地面に突き立てて、腕 組 みする。思い切り首を傾 げてから、彼はぽんと手を打った。
「思い出した! ドーチンの兄!」
「そーゆう忘れ方と思い出し方をするなぁぁぁっ!」
ボルカンが思い切り怒 鳴 り声をあげる後ろの人 混 みから、よっせよっせと荷車を引いて、ドーチンが現れた。荷車には山ほど剣が積 んである。
「......そーいや、またしばらく顔を合わせてなかったですもんねえ」
のんきにつぶやくドーチンは無 視 して、オーフェンは地面から剣を引き抜いた。やたら長大な代 物 なのだが、よほどうまく重 心 が取られているのか、片手で扱 うことすらできそうだった。
それはそれとして──ドーチンが引いている荷車を見やる。それと、荷車の上の剣と荷車に立ててあるのぼりとを。彼はぽつりと、それを読み上げた。
「......『魔剣買います・売ります』」
「おひとつどうですか?」
「あんたたちだったのね......」
ゆらぁり......
と、コンスタンスが、拳 を震わせてドーチンへとにじり寄っていく。
いつの間にか取りだしていたダーツを構 え、彼女は続けた。
「春の新製品......若草色の三点セット......」
「え?」
聞き返すドーチンは無視して、コンスタンスは身体をわななかせた。
「欲しいものはたくさんあるのに! それを我 慢 してまで買った殺 戮 の魔剣が、偽物だったなんて!」
彼女はそこまで叫んでから──いきなり真 顔 になって、告げた。
「死 刑 よ。分かるわね」
「なにがですかっ⁉ 」
怯 えて後ずさりするドーチンに、コンスタンスは容 赦 なかった。
「悪魔の剣と聞いたら買わずにいられない乙女 の心理につけ込んだ、忌 まわしい詐 欺 犯罪者は死刑が当然なのよ! 断 頭 台 を復 活 させるわ!──いいわね」
「きゃああああっ! 助けてぇぇぇ!」
遠巻きにしている野 次 馬 たち──オーフェンやボルカンも含めてだが──に向かって、ドーチンが助けを求めて悲 鳴 をあげる。
オーフェンは静かにつぶやいた。
「確かに簡 単 な仕事だったなー。これで終わりか、ようやく寝られるな」
ボルカンも、うんうんとうなずく。
「そうか。弟よ。お前がそのよーな悪人だったとは。気づかなかったから兄は無罪だ」
「薄 情 者 ぉぉぉぉぉっ!」
泣き叫ぶドーチンを眺 めながら、オーフェンは特に意味もなく手を振ってやった。十三階 段 を上る人間に振るような手つきで。
「死にたくなければ、昨日渡した小 切 手 を返すのよぉぉぉ」
気味の悪い笑みを浮かべて、逃げようとしているドーチンの顔にぺたりと手を触 れさせて、コンスタンスが声をあげている。
「ひぃぃぃぃ!」
死にそうなほど青ざめて、断 末 魔 のような叫びをあげるドーチンの姿も微笑 ましい。
その時だった。
「待てぇいっ!」
どこからか──断 固 とした意志が込められた、強い声が聞こえてくる。
「その者をはなしていただこうかの」
声とともに、野次馬の一 角 がふたつに割れた。その中から現れたのは、白い服をまとった背の低い老人である。
「あああっ! あんたはっ!」
コンスタンスが、驚 愕 の声をあげた。
まったく動じた様子のない老人に、びしと指を突きつけて、
「昨日、純 粋 に芸術的な向上心で刀剣を買おうと思ったわたしの心を踏 みにじったインチキ商人!」
「殺戮魔剣のどこが純粋で芸術的なのか分からんが......」
オーフェンは、ぽつりと聞いてみた。
「だいたいお前、いくら出してこのパチもん買ったんだ?」
「小切手にゼロをいくつ書いたと思ってるのよぉぉぉぉっ!」
地 団 駄 踏んでドーチンをほうり捨てると、彼女は泣き声をあげた。
「......これかの?」
老人が小さくつぶやきながら──懐 から、一枚の紙切れを取り出す。アーバンラマの銀行が発行した小切手らしいが。
「それよっ!」
コンスタンスは一 跳 びに老人に飛びつくと、その小切手をひったくった。老人はさして抵 抗 もせずにそれを手放す。
彼女はばたばたとこちらに駆 け寄 ってくると、その小切手を押しつけてきた。
「桁 を数えてみてよ! こんなの許 せると思う⁉ 」
「いち、じゅう、ひゃく......」
名前の最 後 にパンダの絵が付 け足 されているコンスタンスのサインのほうが、どちらかといえば気にかかったが、オーフェンはとりあえず金 額 の欄 に並べられたゼロの数を数え始めた。
そして......
「これ、ゼロしか書いてないぞ」
「え?」
拍 子 抜 けしたような声とともに、涙を引っ込めて彼女が顔を上げる。
オーフェンは、彼女に小切手を返した。
「ほれ。ゼロがたくさん並んではいるけど、それしか書いてない。結局ゼロだな」
「............」
小切手を持って、それをまじまじと見つめたままコンスタンスが硬 直 した。その後ろから、例の老人が顔を出す。
「さっき銀行で気づいてどうしたもんかと困ったんじゃが......」
「............」
コンスタンスは、しばしの間、黙 り込んでから──
ちゃ、と手をあげて、口を開いた。
「じゃ、そーゆうことで丸く収まったから帰るわね」
「てめえのほうが犯罪じゃねえかっ!」
オーフェンは怒鳴りつけると、剣の腹で彼女の頭をはたき倒した。こぺん、と軽い音を立てて彼女が沈 む。
「こら、こら、こら」
老人が、言ってくる。
「なんぼなんでも、魔剣で人をはたくものではないぞ、若いの」
「やかましいわっ!」
小 柄 な老人を片手でつかみ上げ、剣の刃を突きつけながら、オーフェンは顔を凄 ませた。
「くそくだらないことで、人を煩 わせやがって! てめえもてめえで、こんなインチキ商売してんじゃねえ!」
「なんじゃと⁉ 」
老人は、いきなり顔を紅 潮 させた。頭から湯 気 を噴 き出しつつ、反 駁 してくる。
「誰がインチキじゃ⁉ わしは言っとくが、まっとうな魔剣コレクターじゃぞ!」
「なにがだ! まっとうなら切手でも集めてろ! いいか──」
オーフェンは叫んでから、老人を下 ろした。さっと素早く振り返ると......
ボルカンとドーチンが、こっそり人 混 みに紛 れて逃げようとしている。オーフェンはにやりと凄 絶 な笑みを浮かべて駆け寄り、ふたりの襟 首 をつかまえた。
「ああああ! 捕 まったぁぁ!」
「ああ、くそ! 人が帰ろうとすると捕まえやがって、この万 年 借金取り! 手をはなさんと雨 漏 り屋 根 を修 理 し殺すぞ!」
わめくふたりを引きずりながら、オーフェンはもとの位置へともどっていった。さらには老人の横を通り過ぎ、道の隅 まで行くと、ざわめき始めた野次馬たちを後 目 に、持っていた剣を手近な民 家 の壁 に立てかける。

「見てろよ」
言って、わめき続ける地人ふたりを高々と持ち上げて──
「......あ」
妙 に落ち着きを取りもどしたドーチンの声が、小さく聞こえた。
「やっぱ、こーゆう展 開 か......」
「どりゃああああああっ!」
気合いとともに、ふたりの身体を剣の腹へたたきつける──
ほとんど魔術の直 撃 にも近い轟 音 が、大地を揺 るがした。さすがに爆 発 までは起こらないが、腕が折れるのではと思うほどの手 応 えが衝 撃 として返ってくる。オーフェンは目を閉じた。おおお、と群 衆 のざわめきが高まって、さらに収まってから、目を開く。
視 界 に飛び込んできたのは、完全に壊 れた壁と、そのがれきに埋 もれて目を回した地人ふたり。そして......
まっぷたつに折れた魔剣だった。
「あああああああっ⁉ 」
老人の、声が裏返るほどの悲鳴が響 きわたる。
「き、希代の魔剣を──折りおったな⁉ 」
非 難 の声をあげる老人に向き直り、オーフェンは叫び返した。
「本物の魔剣だったら、こんくらいで折れるわけねえだろうが!」
「そんなこと言われても、現に折れたじゃろーが!」
「だからこれは、偽物なんだ!」
断 言 して、オーフェンは折れた剣の柄のほうを蹴 飛 ばした。
「コギーの奴を騙 したことなんざどーでもいいが、その事 後 処 理 は俺に回ってくるんだからな! 今度からは、俺とは一 切 関係ねえところでインチキでも詐 欺 でも押し売りでもやってやがれ! いいな!」
怒鳴りつける。が──
「ぬううう......」
怒 り心 頭 に発したとばかりに、老人は身体を震わせていた。恐ろしい形 相 でこちらを睨 め上げてくると、指を鉤 爪 のように折り曲げて、うなる。
「傷ついてしもうたぞ......わしの、わしのプライドが」
溶 鉱 炉 の騒音のようながらがら声で、老人は背後の、ドーチンが引いていた荷車へと振り向いた。
「わしのコレクションが偽物じゃとぬかすのならば、実際に我が剣の一 撃 を食ろうてからそれが真 実 か否 か悟 るが良いわ!」
そして、彼が大 仰 に手をかざした先にある荷車には──無数の子供が群 がっていた。
「うわー! これおもしれー! ここに人の顔がついてるぜー!」
「きゃはは! ねえねえこれ。耳を近づけると、くすくす笑いが聞こえるのー」
「こらぁぁぁぁぁぁっ!」
老人は一 喝 して、荷車へと突 進 していった。荷車から勝手に剣を持ち出して遊んでいる子供たちを勢 いよく蹴 散 らす。
「ぬうう」
ぜえはあと息をついて、老人は取り返した剣をすべて荷車にもどした。
「なんか、半分くらいに減 っておるわい。くそう」
「ガキってのは手が早 えからなー」
少し可 哀 想 に思いながら、オーフェンはうなずいた。が、老人はいまだ威 勢 を衰 えさせず、こちらへと向き直ってきた。
「なんの! 真 打 ちは残っておったわい!」
剣を──二 刀 流 どころか右手に二本、左手に一本構えて、老人はこちらを睨 み据 えてきた。

「言っておくが、手 加 減 なぞせんことじゃな。わしが今携 えしは、いずれもその威 力 の強大さゆえ、歴史の闇 に葬 られてきた魔剣ばかりじゃ。正しく扱えば、世界を制 することも可能! そしてまさしくわしは、正しい扱い方を知っておる。つまりじゃな──」
「分かった。手加減しない」
オーフェンは静かにつぶやいた。
老人は、よく聞こえていなかったのか、ずっとひとりでまくし立てていたが──
「つまりじゃな、じゃから......え?」
ぴたりと、それを止めた。こちらが右手を掲 げるのを見て。
「いや、あの......お主、剣は使わんの?」
「我は放 つ光の白 刃 」
囁 かれた呪 文 とともに。
オーフェンのかざした手の先から放たれた白 光 の衝撃が、老人とその魔剣たちを吹き飛ばす。
「剣や魔術で征 服 されるほど......」
黒焦げになってぴくぴくと痙 攣 しているその老人──まあ死んではいないだろうが──を見ながら、オーフェンは独 りごちた。
「世界ってのは甘くねえよ。だからケシオン・ヴァンパイアは滅 ぼされたんじゃねえか」
「? なんか、今日の夕飯まずいなー」
ぶつぶつとつぶやきながら、オーフェンは食べかけのベーコンを押しやった。さっきから妙にかゆみを感じる背中をかくと、なぜだかミミズ腫 れができている。
「そうか? 豚 のベーコンがまずいなんて、身体の調子が悪いんじゃないか」
食堂の主人であるバグアップが、不 思 議 そうに声をあげる。
さっきから店の周囲で騒 々 しいカラスの鳴き声に顔をしかめながら、オーフェンは肩をすくめた。
「材料が悪いんだろ。仕入れ先を変えろよ」
そう言いつつ、座 っていたカウンター席から立ち上がる。
「ま、いいけどな。もう寝るぜ」
「お休みなさいませ、オーフェン様」
ウェイトレスのボニーが、声をかけてくる。そちらに適 当 に手を振って、オーフェンは宿屋の二階へと向かいかけた。
と。
ふと、立ち止まる。ボニーがここで働いている時は、この食堂にキースがいることは珍 しくないのだが──そのキースが、奥のテーブルで剣を磨 いている。
黒い刀。奇 妙 な虹 の光 沢 。
「あれ?」
オーフェンは、そちらに近寄った。キースは手 慣 れた様子で刀身に綿 を滑 らせている。
魔剣オーロラサークルだった。
「それ、拾 ってきたのか?」
彼の問いに、キースは無 表 情 にうなずくと、
「はい。たとえどのようにしょうもない、というか本当に悲しいほど馬 鹿 げた、いやむしろ基 本 に立ち返りつつちょっとひねって、しょうむない買い物であったとしても、マギー家の小切手を切った以上は、当家の資 産 ですからな」
「ううう......」
テーブルに突 っ伏 して──でかいたんこぶを頭にいただいたコンスタンスが、みじめな泣き声をあげている。剣ではたかれた時にできたこぶが、まだ治っていないらしい。痛みのせいで反 論 すらできないようだった。
とりあえずそちらは無視して、キースへと聞く。
「でもこれ......折れたやつだろ?」
聞きながら、キースが手入れしている刀身を観 察 する。刀身は折れたところがくっついているばかりか、傷ひとつなかった。
「魔術で直したのか?」
「いいええ」
キースは、拳を縦 にぶんぶんと振ると、
「このような、極 端 に脳が薬品で侵 されているような者しか騙 されない偽物相手に、そのような疲れることはいたしません」
「ううう」
これもまた、コンスタンスの泣き声。だが聞こえてもいないように、キースは続けた。
「糊 でくっつけました」
「糊って、そんなもんでくっつくものじゃないと思うんだが......」
オーフェンは半眼でつぶやいてから、
「それに、どんなにくっつけても折れた痕 くらいは残ってそうなもんだけどなぁ」
ぽりぽりと頭をかく。
キースが答えてきた。
「良い接 着 剤 を使いましたからな。わたしの叔 父 が家 業 で作ったものでして、企 画 段 階 の商品名が『ザ・接着剤』──実際に使われた商 標 は『灰色の草原にわたしを埋めないで』ちなみに愛 称 は『サイケでヒップでバッドでゴー』です」
「......企画から発売までに、なにがあったんだ?」
気にはなったが、どうでもいいことでもある。オーフェンは大きくあくびをすると、きびすを返した。二階へと向かう──
なんとなく、思い出すことがある。
その剣は。
伝説では──再 生 能 力 を持っていたと言われている、吸 血 鬼 の魔剣オーロラサークル。
刃こぼれしてもすぐ直ったという。
もしかすれば、折れた傷も?
「......おい、キース?」
オーフェンは振り返った。キースはもう手入れを終えて、剣を鞘 にもどしているところだった。
「どうかなさいましたか? 黒魔術士殿」
キースが静かに聞いてくる。オーフェンは、なにか言おうと口を開き──
そして。
「いや......なんでもない」
本物の魔剣オーロラサークルは《牙の塔》に保 管 されているはずだ。
本物だと──思われている魔剣が。
(まさかな)
オーフェンは肩をすくめると、宿の二階へ──いつも勝手に使っている客室へ、階段を上っていった。
(細かいことは気にするな‼ :おわり)

【フィンランディ家・現在】
「まったく、どういうつもりなんですか、師 匠 は!」
「どういうというかこういうというか......」
マジクとしては目の前で怒 りを爆 発 させる弟 子 になにを言ったものやら、ただただ困っていたのではあるが。
付き合いも随 分 長い。ラッツベイン・フィンランディは原大陸ではよく知られた魔 王 の娘 だ。上司の娘であり、かつての師の娘であり、幼なじみの娘でもある。術者としてはいくらかの問題もあるが、強力な魔術士であるのは間 違 いない。戦術騎 士 団 の恐 るべき魔術戦士であるブラディ・バース──彼だ──の生徒としても不足はない。
ただ......
「なんでぼく、弟子に説教されてるのかな」
「だって、ひどいからですよ!」
「そうかなー。そんなひどかったかな」
「そんなにひどかったです。思い出すだけで身の毛もよだちます。ほらこのへんとか、ぶつぶつなってます」
腕 のあたりを突 き出しながら、すっかり憤 慨 しきった弟子が言う。
フィンランディ家の居間で、ソファに座って。ラッツベインの剣 幕 では、床 に正座でもさせられそうな勢いだったのだが。さっきからラッツベインはのしのし歩き回り、腕を振 ってはわめき散らしていた。
「......どうしたの?」
さすがに気になったか、奥の台所から母親が顔を出してくる。付き合いも随分長い。クリーオウ・フィンランディは原大陸ではよく知られた魔王の妻だ。上司の妻であり、かつての師の妻であり、マジクとは幼なじみでもある。
人としてはいくらかの問題もあるが、ここではどうにか助け船にならないものかと、マジクはすかさず飛びついた。
「それが君の娘が──」
「師匠があまりに駄 目 しょぼ中年を発揮するからたまに言ってあげないといけないでしょ!」
横から弟子が、母親に言いつける。
「ついに駄目しょぼまで言われるか」
怯 んでいる隙 に、ラッツベインはさらに母親に言い募 った。
「周りにいる誰 かがどうにかしてあげないと師匠どんどん駄目になるよ! ほら見てこれ! 誰がこのしょんぼり地 獄 モンスターを育ててしまったの! 社会!? 水質汚 染 !? 」
「本当にこんちくしょうー。もうー」
後ろから言うのだが、いつもの通り聞いてももらえない。
だがこんなやり取りは、クリーオウにとっても毎度のことではある。やれやれと肩 を竦 めて言ってきた。
「それで今日はなにがあったのよ」
「師匠が学校あんまりサボって、始末書溜 まってるっていうから。手伝いに行ってあげてたの」
「それで?」
「学校の事務のジェリーって人がね、なんかとってもいい人で。歳 もちょうどだし、絶対師匠に気がある感じなのに──」
「ジェリー・マドスンはどこをどうとってもいい人じゃない! 駐輪場で自転車のタイヤをパンクさせて回るのが趣 味 で、万引きの前科が三十三回ある!」
「ちょっと趣味の合わないとこがあるくらいで、こうやってグダグダ文句言って」
「ていうか合う部分が一個もないよ! むしろ夜の学校を槍 担 いで徘 徊 してるのを偶 然 見ちゃってから、どうも命を狙 われてる気配が!」
「情熱的な人なんですよね。でも意外と家庭的で、手作りのクッキーもらったの」
「毒入ってたじゃん! 君がお腹 壊 してトイレにこもってるうちに、ぼくは窓から煙 玉 投げ込まれるやら鞄 に蛇 が忍 び込んでるやら大変だったんだ」
「またまたぁ。クッキーは腐 ってただけですし、煙玉は火が好きなだけで、蛇はペットが逃 げ出したんだって言ってたじゃないですか。警察に連れてかれながら......」
「毒 蛇 を飼育して火が好きな、腐ったクッキー持ってくる人は家庭的じゃないよ! どう思う?」
と、ずっと黙 って聞いているクリーオウに質問する。
彼女はしみじみとつぶやいた。
「学校はなんでそんな人雇 ってるのかしらね」
「うわ常識的な感想」
「まあジェリーさんは次にお外に出てくるまでちょっと時間かかるかもしれないですけど、師匠はいっつもそうやって難 癖 つけて女の人を遠ざけるじゃないですか。さすがにそろそろ心配ですよ」
ぶつぶつ言うラッツベインを、マジクもムスッと見つめ返した。
「君だって独り身じゃないか」
「ほらーそういうこと言うー。デリカシーとかそのへんのスカスカな感じー」
と、母親にすがるように視線を投げる。
クリーオウは小首を傾 げて眉 根 を寄せた。なにか思い出したようだ。
「昔は結構女好きだったわよねえ」
また微 妙 なことを言い出す。マジクはうめいた。
「どうかな。普 通 だったと思うけど」
「ただ学校では性 悪 女 のグループにひどい目に遭 わされてたような......」
さすがに聞き捨てならず、腰 を浮 かして指さした。
「君だ君。大 概 、君だった」
ショックを受けたようにクリーオウは目を丸くする。
「変な言いがかりつけないでよ。わたしは守ってあげてたんでしょ」
「だからそれが一番ひどい目だった」
きっぱり告げるのだが。
しばしの沈 黙 を挟 んで。
クリーオウは大きく息をついて、娘に向き直った。
「確かに心と記 憶 が歪 んでしまってるようねえ」
「向こうにつきやがった! 過去を揉 み消す気だ!」
「この人の言うことはなにも信じちゃ駄目よ。人の善意を曲解する特 殊 な性質があるの」
「そんなわけがない! そんなわけがない!」
「やっぱり。確かにわたしが気を遣 っても、どうしてかじゃっかん迷 惑 げにしてる時が......」
「君ら分身か! この増 殖 はどこかで止めるべきなのか!」
天に向かって厄 介 な女どもを糾 弾 しながら。
まあ、こんな反論は無駄なのだというのは昔から知っていた。
【トトカンタ市・二十七年前】
学校帰りの、とある路地にて。
道 端 でひとりマジクが泣いていると、背後から声をかけられた。
「なにを泣いているのだ、少年よ」
顔を上げて、見る。
目にした違 和 感 のせいで、とりあえず涙 は引っ込んだ。
「誰......?」
鞄を抱 いて後ずさる。逃げる体勢だが、この細い道でマジクのいるほうは行き止まりだ。だからここに隠 れて泣いていたのだった。泣いたまま家に帰ると親に心配されてしまう。特に母親に。
ともあれ、そこに現れた少年はまるで逃げ道をふさぐように道いっぱいにふんぞり返ってマジクを見ている。立ちふさがっているわけでもなく、単に態度がでかいのだろう。格好は、なんというか不思議だった。奇 怪 な黒いローブの上に白衣をまとっている。マジクより年上の少年で、男であるのは間違いないが、おさげ髪 だった。
おさげの少年はフッと笑い、横に髪を振りながら格好よく答えてくる。
「この都会と名付けられた無法のジャングルで彷徨 い、見えない彼方 を求めてはぐれた仲間を捜 す──」
「迷子なんですか?」
マジクが訊 くと、案外あっさり少年は認めた。
「迷子だ。先生に連れられてきたが、気がついたらひとりになっていた。先生は昔の知り合いを訪ねるとかなんとか言っていた気もするが、聞き流していたので詳 しくは分からない」
「なんで聞き流したんですか」
「空飛ぶバケモノ女だとか貴族のスパイ組織だとか、どうもリアリティのないことばかり言ってたので時間の無駄だと判断した。我が脳 細 胞 はもっと現実的な問題に使われるべきだ」
迷子になった理由についてどこまでも誇 らしげに語る相手に、マジクは念押しの心地でまた訊 ねた。
「それで迷子になっちゃったんですか」
それもやはり、彼は素 直 に認める。
「確かに結果、途 方 もなく無駄な時間を過ごしているがそれは言うな。見知らぬ少年にも一応訊ねるが心当たりはないか。当代随一の魔術士の知り合いであるバケモノ女と貴族のスパイ組織について」
「まったくないですけど」
当然の答えをすると、当然、相手もうなずく。
「当然だな。あったらびっくりだ」
彼の話している内容から、ぼんやりと把 握 して質問する。
「魔術士なんですか?」
「ああそうだ。格好を見れば分かるだろう。少年よ、貴重な時間を無駄にしたくなければ、分かり切ったことを訊いてはいけない」
魔術士というのはそういう格好なのだろうかと、疑問に感じて。
一応の抵 抗 として、これを言った。
「はあ。ぼくのお母さんも魔術士です」
「そうなのか。もしかして俺も知る相手だろうか」
「そんな可能性は極 めて少ないと思います」
「まあそれもそうか。分かり切ったことをなんで訊いてしまうのだろう」
顎 に手を当て思案してから、ぱっと顔を向けてくる。
「それで、少年よ。いったいなにを泣いていたのだ。空飛ぶ怪物や謎 の諜 報 機関の跋 扈 する見知らぬ大都会で迷子になったこの俺よりも悲しいことがあるというのか」
「まず、そんなものはいませんけど」
言ってからマジクは、ため息をついた。忘れかかっていた難題を思い出してしまったのだ。つぶやく。
「ものすごい邪 悪 な悪いどうしようもない鬼 のような女にひどい目に遭わされて......」
「そんな悪いものが。なるほど。都会とは恐 ろしいものだな」
「別に空飛んだりスパイとかはしませんよ」
「それなのにものすごく邪悪で悪い。なお恐ろしい」
「あー、そうですかね。あのぼく、もう家に帰りたいので──」
「待ちたまえ」
そそくさと逃げようとしたマジクの行く手を、今度こそはっきりと通せんぼして、おさげの少年は言ってきた。
「このまま行ってしまっても良いのかな?」
「え?」
行ってしまってもいいかというか、なんだか怪 しいし行ってしまいたかったのだが。
おさげの人はずずいと詰 め寄ってきた。
「いいか。若い君はまだ自分の状 況 を分かっていない」
「状況......ですか」
静かに息を吐 いて、真 っ直 ぐな眼 差 しで。
重々しく告げられたのは、こんな言葉だ。
「君は戦いの最 中 にある。有効な反 撃 をしなければ死ぬ」
「死ぬんですか!? 」
思わず叫 び返す。
「ああ。俺は君のような奴 を知っている。ろくでもない女なるものに取り憑 かれて、反撃もできず、哀 れに死につつある。奴の場合は姉たちだが」
「そんな人がいるんですか」
「もういないかもしれない。今 頃 は土の中かも」
遠い眼差しで言う彼に、マジクはつぶやいた。
「お葬 式 に出られないのは残念ですね」
「葬式ってなんだ。大抵は生きながら埋 められるような目によく遭ってる」
「そうですか......」
そんな人にはできれば関 わりたくないなあと思いながら。
「それでぼくは、どうすれば家に帰してもらえるんでしょう」
「男ならば勝つまでは帰れない。君は何歳 になる?」
「ええと、九歳です」
「そうか。九歳といえば基 礎 的な武器の扱 いは十分に可能だ。トイレに隠れて弓矢で侵 略 者の兵士どもを撃 ち殺せる」
「それ悲劇的な響 きに聞こえるんですけど」
「心配するな。幼き日々に別れを告げ、引き返せぬ地 獄 の道を進むだけだ」
「だーかーらー」
なんだか知らないけれど話が通じない。どうしたらいいのか。
しばし考えたものの良い考えというのも浮かばず、ますます顔をしかめた。
「あの。とどのつまり、どうしたいんですか」
「逆に訊こう。君はなにがしたい」
「ぼくは家に帰りたいんですが......」
「そうか。検視でも見 抜 かれない特殊な毒物が欲しいか。完全犯罪を目 論 むとは犯罪的かつ合理的だ」
「間 違 えました。とにかく話の通じる人と話したいです!」
拳 を握 って叫ぶ。
が、もはや今さら案の定というか相手は聞く耳がない。
「毒物に心当たりはあるがあいにく持ち合わせはない。それにな、少年よ。殺人は敗北の次に悪いことだ」
「普通は順序が逆だと思いますけど」
「馬 鹿 なことを言うな敗北主義者め。よし、ならば目にもの見せてくれよう。ついてくるがいい。勝利とはなにか実証主義的に教えてやる」
「まったくついていきたくないんですが、これ途中で人さらいだ助けてって叫んでもいいですか?」
「それはできればやめてくれたまえ。警察は敗北の次に苦手だ。というか敗北とほぼ同じ意味だ」
強気なんだか弱気なんだか分からない。
ともあれマジクの首根っこを掴 んで自信たっぷりに進もうとする彼に、訊ねる。
「あの。どうも長くなりそうな気配もありますし、お名前教えてもらってもいいですか」
「よかろう」
彼はうなずき、こう名乗った。
「《牙 の塔 》の天才的最終兵器、人呼んで最終兵器的天才、コミクロンだ」
あるいはただの迷子は、そこでくるりと振 り返ってきた。
「ところでその、悪逆非道な女とやらはどこに行けば会える?」
「そろそろ訊いてくるんじゃないかって思ってました」
引きずられながらマジクは嘆 息 した。
クリーオウはやはり下校の途中にいた。
彼女は足が遅 い。というか身体 が弱く、外を出歩くのもそれほど好きではないようだ。マジクとは歳 が三歳違うが同学級で、初めて見た時には物静かな、大人しそうな人だなと思った。男子と女子だし、九歳と十二歳というのは結構な違いだが、同じ金 髪 という共通点などもあってなんとなく友達になった。
下町育ちのマジクと年 齢 以上に大きく異なるのは、彼女がお嬢 様 だということだ。もっと専門の学校に通ってもよさそうなものだが、どうもそういったものが息苦しいらしい。お姉さんがまさに一時期王都で寮 暮 らしまでしていたそうなので、なんとなく嫌 だと思ったようだ。
痩 せ形 で、声も小さく気配の薄 いクリーオウの第一印象は(もう一度言うが)儚 い雰 囲 気 すら漂 わせた、生まれたての子 猫 のような、控 えめな女の子だった。加えてエバーラスティン家の令嬢というので、学校の初日から悪ガキどもに目をつけられた。からかわれ、馬鹿にされて彼女は泣いて帰った。
その翌日、彼女がなにをしたのかは忘れようもなかったので、マジクは今目の前にあるこの結果にも驚 きはしなかったが......
潰 れたカエルのように地面に這 いつくばっていたコミクロンは、ゆっくり、ようやくゆっくりと身を起こした。まだ脳 震 盪 が続いているのか頭を押さえながら。
「ふっ......ふふっ......ふふふははは」
それでもまったく気力だけは衰 えないまま、ぐっと親指まで立ててみせた。
「いいか、少年に見せるためにあえて負けてやってみたが、これが敗北だ」
「さっき見せたいって言ってたものとじゃっかん違うようですけど......」
「こうしてみじめに土を舐 めるのが貴様の望みか。一見して病弱そうな小 娘 に油断して高笑いしながら襲 撃 し、まさか懐 に胡 椒 爆 弾 を持っているとは予測できず、目と鼻を潰されたあげくボコボコになにか硬 いもので叩 かれ──あれいったいなにで叩かれていたのだ。まだ痛いが」
と、これはクリーオウへの質問だ。
彼女は持っていた道具を、たまたま近くで道路工事していたおじさんに返しながら、
「このシャベル」
かなり激しく動いたせいか、けほけほと咳 をしている。
コミクロンは納 得 してうなずいた。撫 でているたんこぶの形に合点がいったというわけでもないだろうが。
「そうか。鉄製か。道理でこの俺が必要に駆 られて開発した実 践 ・亀 の防 御 が通じないわけだ」
「わりと普 段 、こんな目に遭 ってるんですか?」
「ああ。わりと普段だ。だが! 勘 違 いするなよ少年!」
カッと目を見開き、決めポーズで言う。
「いまだ俺の究極防御術、誰 にも発見されていない壁 の穴に隠 れて夜中になってから安全に帰る、を破った者はおらん」
「夜中まで隠れなくても夕方くらいで大体みんな飽 きて帰っちゃってるものですよ」
「愚 か者め。そんなぎりぎりの安全性でびくびくしながら帰ったら、威 厳 が損 なわれるであろうが」
「ねえ、マジク」
クリーオウは怪 訝 そうにコミクロンを見下ろし、小首を傾 げた。
「この人、誰? 知り合い?」
「知り合いっていうか、さっき出くわしたんだけど。関わりたくなかったのにしつこいんだもの」
「その通り。俺はこの少年に師と崇 められ、男の道を教えるべく立ち上がった通りすがりの天才。人呼んでもし仮に天才が四分割されて通りがかったら四体合体して俺になるコミクロンという」
「はあ」
よく分からず(分かりようもないだろうが)クリーオウが曖 昧 に返事する。
段々と勢いが出てきたのかコミクロンは立ち上がった。ここは大通りで結構人目もあるのだが、まったく気にした様子もなく叫び出す。
「この少年がみじめに身を持ち崩 して自 暴 自 棄 にも非行に走ろうとしていたので、そこに助けの手を差し伸 べたナイス天才ガイ!」
「なってない自暴自棄には!」
「なってた! なんだったらもう世界を憎 む言葉をタトゥーにして人には見せられぬ箇 所 に彫 り込んでいる!」
「マジク......」
クリーオウの目が不安げになってきたので、マジクは慌 てて遮 った。
「違うよ! してない!」
「義によって助 太 刀 ! いたいけな少年を無法にいたぶる悪女を成敗に参った!」
止めるのが少々遅く、この天才とやらがまずいことを叫び出してしまうのを、マジクはしまったと息を詰 めた。
コミクロンははっきりとクリーオウを指さしている。クリーオウは驚いたようにその指先を見ていたが。やがて視線をマジクに移し、ふらりと後ずさりした。目が潤 んでいる。ショックを受けたのか、胸に手を当てて。
「マジク......そんな......」
「あ、いや、だからこの人が勝手にしつこくさ」
「よく言ったわ!」
「え? なに?」
成り行きに乗り遅 れ、疑問符 を浮 かべる。
だが今度はクリーオウが話も聞かずに言い始めた。
「あなたも戦う気になったのね、あの意地悪グループ相手に!」
「いや、意地悪グループて」
加えてコミクロンも横から叫んできた。
「そうか! やはりそうだったか! 倒 すべき真の敵は別だったのだな。俺は見抜いていたのかもしれん」
「かもしれん?」
「追 及 するな。見抜いてなかったことを見抜いてしまうぞ」
「そですか」
段々きりがなくなってきた。盛り上がっているクリーオウとコミクロンを左右に見回し、なにを言えばいいのかも分からなくなっていく。つるつるの氷の上を走ろうとするのが思い浮かんだ。
「その意地悪グループとやらはそこまで意地悪なのか!」
「ええ。とんでもなく!」
「そうか。どういうわけか聞いた瞬 間 にそれが分かった。社会を害するならず者どもめえええ」
「わたしがずっとマジクを守ってきたけど、それも限界......なのについに、本人が立ち上がるって言ってくれた! わたしのおかげね!」
「ああその通り、俺様のおかげだ。さあこうなれば、あとはこの少年に適切な武装と戦術を授 け、その無法なテロリストを抹 殺 させるだけだ!」
「いや違う! 話が妙 にずり落ちてる! どっかに!」
ようやく口を挟 む隙 を見つけたが、まあそれも無 駄 だった。
意地悪グループなる集団は、コミクロンが(珍 しく明 敏 に)見抜いた通り、意地悪なグループのことだ。命名者はクリーオウであり、というか彼女以外にその呼び名を使っている者もいない。
とはいえ意地悪グループは確かに意地悪なグループではあったし、みんなもそう認めていた。まあどこにでもいるものだろう。
「というわけで......ここ......が、学校だけど」
ぜえはあと息を荒 くして、すっかり青ざめた顔でクリーオウは言った。校庭の門に寄りかかって今にも倒れそうだが。
「あ、あいつらはまだ......居残ってると、思う。何 処 よりも、学校が居心地いい、って、奴ら......だから......げほっ! うげほ!」
「あああ。もうほら、調子に乗って早く歩き過ぎたから」
うずくまって咳 き込むクリーオウの背中を撫でてやると。
ふふふ、とクリーオウは首を振る。
「だって嬉 しいじゃない......あのマジク坊 やが、見知らぬ魔 術 士 を引きずり込むなんていうなりふり構わない手で、あの連中をずたずたのぼろぼろにしてやるなんて言うんだもの」
「言ってないし引きずり込んでもいない。ええと、頼 むからこれだけは認めて。ぼく全然乗り気じゃないって」
「やる気満々だな少年よ!」
どん、と背中を叩かれる。コミクロンだ。
「あなた、もうわざと人の話無視してませんか」
マジクの指 摘 にもまったく動じず、彼は腕 組 みして大笑する。
「殺意は滾 っているか! そうか、若者なら当然だ! 意地悪な意地悪グループの意地悪な骨という骨を残らず折ってやるって言ってたものな!」
「だから二対一で主張されると、ぼくのほうが嘘 言ってるみたいな空気になっちゃうじゃないですか!」
「はっはっはっ。いっそもう拳 に鉄骨とか入れちゃうかー? ボタン押すとパンチが発射される装置は目下研究中なんだが、実験台になるなら格安で手術できるぞ」
「まるっきり掛 け値 なしの気持ちでいりませんって言えます」
「よーし、保留だな! それでその意地悪グループとやらはどこだ! この鉄 拳 小 僧 が血の雨を降らせにやってきたぞー!」
大声で校庭に叫 ぶ。本当にやめて欲しいのだが。
学校といってもそう大きなものではなく、下町によくある私 塾 に近いものだ。全校生徒合わせても百人程度だろう。いきなり校門に現れた風変わりなおさげ髪 の少年に、庭の遊具で遊んでいた生徒もざわついている。
もちろん生徒はほとんどが知り合いだ。マジクとクリーオウが闖 入 者 を連れてきたというので、なおさら訝 しげに見られているのが分かる。
「またなんか始めるんじゃないか......」
「逃 げたほうが......」
「いや、下手に逃げたほうが巻 き添 えに......」
ざわざわした声の間に、そんなつぶやきが聞き取れた気がする。小さい女子が泣き始めたのも見えた。
そうこうしていると、ひときわ強い風が吹 き、砂を舞 わせた奥の玄 関 から人 影 が現れた。
びゅうう......と霞 んだ視界に、よく知っている強い眼球の光が、こちらを見 据 えて登場した。
十人かそこら。生徒のうちでは、結構な人数だ。校庭にもともといたのはさらに十名ほどで、これもどちらかといえば向こう側の味方だろう。というか実のところ、マジクたちに味方する生徒というのはほとんどいない。
それはナターシャ・ストーキンの人望の故 、といえるか。
「騒 がないでいただけるかしら。ご近所の迷 惑 ですわ」
張り上げるわけでもないのによく通る、澄 んだ声で、彼女は言ってきた。
風に吹き上げられた髪を押さえ、不敵に微笑 む彼女は見れば即 座 に分かる、美人だ。歳 は十二歳 、クリーオウと同い年だが、健康そのもののナターシャは一回り背が高く見える。学校には彼女より年上の生徒もいるのだが。その全身に自信を充 ち満 ちさせた態度で、誰よりも強くリーダーシップを発揮する。
「ナターシャ......ストーキン......!」
またもや咳き込んで、クリーオウがうめいた。
「よくもそんな減らず口を!」
「いや、今のところ彼女のほうが圧 倒 的に正しいと思うけど」
「なにを言ってるの、マジク!? 」
クリーオウはショックを受けたように目を見開いた。
「あいつになにをされたか、忘れたっていうの!? 」
「あー、いやまあ、覚えてはいるけど」
頭を掻 いて、マジクは曖昧につぶやいた。
そんなことを言っているうちに、ナターシャは軽 やかに堂々とした足取りで進んできていた。引き連れる取り巻きは男子のほうが多いが、女子もいないではない。全員、にやにやしながらナターシャのあとをついてきている。
「こっちこそ、忘れたとお思い?」
話を聞いていたらしく、ナターシャが言ってきた。横に並んでいた女子──キッチ・スヘリーという、常に行動を共にしている仲間だ──が口を挟む。
「そうよ! せっかくナターシャ様がお仲間に誘 って差し上げたのに断るなんて、無礼にもほどがあるのよ!」
「わたしは、真 っ直 ぐ家に帰らないといけないからお茶会だかなんだかには行けないって言っただけよ」
クリーオウが冷たく睨 む。まだ息が整わずうずくまったままなのだが、キッチはその視線が刺 さったように狼狽 えた。
「な、なによそんなちょっと具合が悪いふりばっかりいつもして! 知ってるのよ。本当は、貴族には貴族の遊びがあるって思ってるんでしょう!」
「おやめなさい、キッチ」
ナターシャが止めれば、いつもならキッチは息でも止めただろうが、今日は少し勢いが優 ってしまったらしい。声をあげた。
「でもナターシャ様のおうちだって負けちゃいないんですからね! 近所のコーヒー店に入っては『コーヒーってふと、これうんこの臭 いだよなって思うことない?』って言い出して客離 れさせる高度なテクニックで、ストーキンの紅茶専門店は今やチェーン店も多数の大繁 盛 ──」
「だからマジでおやめなさい」
ぼかす、と裏 拳 で殴 って黙 らせる。
倒れたキッチを踏 み越 えて、別の取り巻き女子が進み出た。モリーンだ。まあ大体いつもキッチの一個横に控 えているのだが、これで昇 進 したのかもしれない。
「まったく本当に図 々 しいわ! それでいつも青い顔してふらふらしては、授 業 の邪 魔 ばかりして!」
「う......」
これは言い返しにくい話で、クリーオウが顔を伏 せるのが見えた。
モリーンはますます勢いに乗る。
「やれ貧 血 だ、やれ頭痛だって! 体力つけてから来なさいっての! わたし間 違 ったこと言ってる? あなたは家庭教師だって雇 えるんでしょうけど、わたしたちは違うんですからね」
「うーんー......」
本人はだいぶ上手くやり込めたと思ったようだが、ナターシャはやや難しい表情だった。はっとして、モリーンが言い直す。
「あっ。ええと、ナターシャもわたしたちとは......違うんだけど。あっ、ナターシャ様ね。そ、それであの......その......」
すっかり慌 てたモリーンの鼻先で、ナターシャがパチンと指を鳴らす。
「いまいちね」
「いやーっ! せっかく、せっかくのチャンスだったのにー!」
男子二名に肩 を掴 まれ、一列後ろに引きずられていく。空いたスペースに満面の笑 みで、ポーラが入り込んできた。
「ほっほっほっ、じゃあわたしの番ね。この日のために練習に練習を重ねたわたしの罵 倒 。人をくさす言葉ばかりを研究し、書きためたノートは五十冊以上になって、親に本気で心配されたわ。取り巻きになるために生まれ取り巻きを極 めること苦節五年。人には見えない努力と人には言えない苦労の連続。今日の今日こそ花開く──」
「遅 い。もういい」
「いーやぁぁー! わたしのチャンスゥゥー!」
また同じようにずるずる引きずられ、後列に退場していく。
「............」
その様をじっと見ていたコミクロンが、マジクに訊 いてきた。
「なんだこいつらは。ここは変人を育てる学校か」
「どうでしょう。あなたに言われるほどかっていうと、まだよく分かりません」
「あなたこそなんなんですの? 部外者が学校に入らないで欲しいのですけど」
ぱしんと鞭 でも打つような手つきで、ナターシャ。
コミクロンは鼻で笑った。
「なにが部外者か。この俺こそが人生の師だ。この小僧に教えるのみならず、貴様らにも叩 き込んでくれよう。現実というものをな」
「なんですって!? 」
腕まくりし、なにやら拳法っぽい構えなど取りながら、コミクロンは高らかに宣言した。
「見せてやろう少年! 人が戦いを決意した時、どのような力を発揮するのかを!」
そして取り巻き連中に真正面から挑 んでいく!
キッチやモリーンはともかくとして、真っ先にぶち当たったのは年長クラスで体格もコミクロンより大きい〝フルゴリラ〟アーバインだ。奇 声 を発して鳥のように跳 んだコミクロンの爪 先 は、アーバインの分厚い胸 板 に突 き刺さった。
そしてコミクロンの足首のほうがあり得ない方向にねじ曲がり、ぼきりと音を立てた。コミクロンはそのまま地面に落下し、足を抱 えて動かなくなった。
「あの......大 丈 夫 ですか?」
一応マジクが声をかけると、コミクロンは倒 れたまま、
「足がもげたかもしれん......」
「いや、くっついてます」
「そうか。足以外はもげてないか?」
「特にもげた箇 所 はないと思います」
「ふむ」
ようやくにコミクロンは顔を上げた。
だが立ち上がれはしない。目の前には──というか周りには、ナターシャの取り巻きたち数名が囲んでいる。それをぐるりと見回してから、こちらを向いた。
「少年よ。男ならば窮 地 にこそ心を躍 らせろ」
「そ、そうですか」
「あと、可能なら警察を呼んできてくれ。何 故 だかあいつらもそんなに悪いものじゃないって気がしてきた」
「やっちまえー!」
アーバインが号令をかける。
「ぎゃあああああああ!」
乱 闘 が始まった。
いや乱闘と言えるようなものか。コミクロンが持ち上げられぐるぐる振り回されてからぶん投げられ次々殴られるわ蹴 られるわされていくのを乱闘と言えるなら、そうだ。
「あわわわわ」
助けようにもどうにもできず、マジクがおろおろしていると。
「仕方ないわね......」
クリーオウが、すっと立ち上がる。
すると。
びくり、と目に見えてナターシャが狼狽えた。
「な、なにをする気!? 」
その声で取り巻きたちの動きも止まる。
しん......とする中、地面に半ば埋 もれたのではないかという格好で倒れているコミクロンだけがぴくぴくとしているが。
「別に」
そう言うクリーオウだが。
青ざめた彼女が取り憑 かれたように据 わった目で見つめると、結構な威 圧 感がある。彼女は鞄 に手を入れていた。ナターシャはそれが気になって仕方ないようで、震 えながらじわじわと後ずさりしている。
「か、鞄からなにを出すつもり? まさか、またなんか妙 なものを持ってきてないわよね? 学校から禁止されたはずよ」
「ええ、そうね。臭 い爆 弾 は次に校内で使ったら退学だけど」
「さ、砂糖を使った蟻 の大群攻 撃 も同じですからね!」
「分かってる。牛ももう使わない」
「牛だけじゃないわよ! 角のついてるどんな動物も使わないって言ったでしょ!」
「どっちみち牛だってペンキ運ぶのに使っただけでしょ。角関係ないって何度も言ったのに」
「でも牛の角にドリル追加してたじゃない! 絶対なにか計画があったはずよ!」
言い合っているうちに、乱闘していた取り巻きどころか、校庭の見物人まで恐 れおののいて引いていくのだが。
ただ、マジクの位置からは見えていた。
クリーオウが手を入れている鞄には、ノートと教科書があるだけだ。
「すぐバレるよ、そんなはったり」
小声で耳打ちするマジクだが。
クリーオウは静かに言い返してきた。
「やってみなくちゃ分からないでしょ」
目だけは落ち着いているのだが、息は上がったままだし、表情もどうにも熱っぽい。
「また具合が悪いんじゃないの? クリーオウ」
彼女はゆらりとこめかみを押さえながら、
「急に立ったから、立ちくらみが......あっ」
と思った時には、クリーオウは平 衡 を失ってまた倒れていた。
それは単に足がもつれただけだったが。鞄を落として中身がばらけてしまった。
結果......
半泣きで逃 げかかっていたナターシャが、地面に落ちたノートや筆記具を見て。
「なにもないわ」
「まずっ」
舌打ちこそしないが、クリーオウが毒づいた。
逃げることも考えたが彼女は走れる状態じゃないだろう。
「よくも脅 かしてくれたわね」
怒 りなのか喜びなのか、どうともとれない笑みを湛 えて、ナターシャが進み出てくる。
取り巻きはいまだコミクロンのところだ。
「どうする気?」
座り込んだまま、クリーオウ。ナターシャは後ろを手で示した。
「心配しなくても、いきなり襲 いかかってきた不 審 者 とは違うもの。あんな風にはならないわよ」
「じゃあ?」
「謝りなさい。人を馬 鹿 にして、調子に乗ってたって」
「嫌 よ。馬鹿になんてしてないし、調子に乗ってたかどうかなんて言われる筋合いもない」
「ていうかどっちもどっちだよね」
横からこっそりマジクが言うのだが、クリーオウには少し聞こえてしまったようだ。じろりと目を向けてから、まあいいわと向き直った。
「わたしひとりなら、謝るんでもどうでもいいけど。この子の手本にならないといけないの。だから──」
彼女は後ろ手に、腰 のポケットからなにかを取り出した。手に収まるくらいのサイズの拳 銃 ──のわけはないが。水 鉄 砲 だ。
クリーオウはそれをナターシャに向け、躊 躇 もせずに発射した。中の液体がナターシャの胸のあたりにべったりつく。赤い。
「きゃああっ!? 」
撃 たれて怪 我 した、と思ったわけでもないだろうが。撃たれた場所を見下ろしてナターシャが悲鳴をあげる。
「なにこれ!? 」
「はったりで済むならはったりで終わらせてあげたかったけど」
水鉄砲を捨てながら、クリーオウは告げる。
「ケチャップ。すぐ洗わないとしみになるわよ」
「なにしてくれてんの!? 覚えてらっしゃい!」
水場にもどろうと、校舎に走ろうとするナターシャだが。クリーオウの行動は終わっていない。ばっと飛び出し、ナターシャの腕 を掴んで引き寄せた。羽 交 い締 めにして地面に倒れる。
「なに、なになに!? 」
わめくナターシャにクリーオウが囁 くのが聞こえる。
「まーだまだよ。放して欲しかったら、あいつらも引き上げさせなさい」
言っているのは、コミクロンを取り囲んでいるナターシャの取り巻きたちのことだ。
「なんなのよもォーっ!」
半分泣いて、ばたばたと仲間たちに呼びかける。
「あんたたち、引いて! 引いて! この服汚 して帰ったら、ママにマジぼこられる!」
「あー......はい」
フルゴリラ含 め全員、いったん後ろに下がっていく。そこには地面に倒れたままのコミクロンだけが残され──
と思ったのだが。
「あれ?」
マジクはきょとんと声をあげた。というかその場にいた全員がだ。
落ちているのはもみくちゃにされて泥 だらけになった白衣だけだったのだ。
「中身がないぞ?」
アーバインが白衣を摘 み上げ、首を傾 げる。
クリーオウですら怪 訝 そうだった。
「あの人、どこいったの?」
「ぼくに訊 かれても」
あちこちを見回す。かなりの騒 ぎだったし、みんなの気がクリーオウとナターシャのほうに逸 れていたとはいえ、殴 っているアーバインやみんなの目まで盗 んでどこに消えられるというのか。
「まさか、殴られ過ぎて粉々になっちゃったわけじゃないよね?」
「ホントにまさかだけど。そういうことってあるの? 魔 術 士 って」
「さあ。よく知らないけど......」
クリーオウと話していると。ナターシャが驚 いた顔をする。
「あれ、魔術士だったの?」
「うん、まあ、そう言ってた」
その話が伝わると、みなもざわついてくる。自分たちがタコ殴りにしていた相手が魔術士だとは。
すると。
「はぁーはははははは!」
遥 か空の高みより、声がした。
大きな笑い声だ。見上げると、校舎の屋上に人 影 がある。白衣はないがおさげ髪 の、コミクロンだ。胸を張り堂々と、校庭を見下ろしている。
「ここだここだー! 我が実 践 ・亀 の防 御 を甘く見たな、ちびっこどもォー!」
「えええーっ!? 」
と言うより他 ない。コミクロンはまったくの無傷だ。
みなが唖 然 とする中、マジクは叫 んだ。
「なにやってんですかーっ! そんなとこでー!」
「はーっははは......え? ああ、なにっていうか、俺は天才だからなァー!」
「え......意味がよく分からないんですがーっ!」
「つまりっ! すべてを見通した上で敵どもの息の根を止めるべく、この急所に辿 り着いたー!」
ばっと腕を横に振 り、どうやら校舎を指し示しているようだが。
周りの顔を見てから、全員の代弁をして、マジクはまた叫んだ。
「も一度言います。意味が分からないんですけどー!」
「なーぜ分からん! つまり......あ、そうだ。そこのでかい奴 !」
「え? はあ」
アーバインだ。コミクロンに指さされて困 惑 する。
「頭を打ちたくなければ先に寝 転 んでおけ!」
「え......え?」
まるで操 られたように。
急に目をぐるりと白目にして、アーバインはその場に倒 れた。頭こそ打たなかったが。様子を見て、仲間がうめく。
「気絶してる......」
「最初の蹴 りは実践・鶴 の攻撃! 横 隔 膜 に打撃を与 え、しばらく激しい運動をさせればそのまま行動不能になる!」
「じゃ、じゃああの足をくじいたふりは......」
「あ、あれは普 通 にくじいた」
きっぱりと、コミクロン。だがそれで勢いをなくすわけでもなく、また大きくポーズを取って続ける。
「あとは適当に打撃をかわせば、単純な小 僧 どもの視界を眩 ませる程度の魔術は造作もない! そして隙 を突 いた上で、この場所! 勝負を決するこの場所に移動した!」
自分の足下に指を突き付ける。
ただ、マジクとしては。
「ですから、そのあたりが分からないんですけどー! なにする気なんですかー!」
「だーかーらー、俺様はすべてを見 抜 いていたってことを分かってもらわんと、お前らが俺の天才ぶりに感動できんだろうがー!」
「いや、もうこんだけ引っぱられると感動もないですけど、結局なにを見抜いたっていうのかが分からないんですがー!」
「ぐぬぬ!」
コミクロンはようやく困った様子で、なにやら唇 を噛 んでいたが。
「ならば見るがいい! コンビネーション9ー7ー4!」
高らかに叫んだコミクロンの身体 の周りに、光の球が十個ほどか、浮 かび上がる。
その光は上空に飛び、そして反転して降り注いできた──分散して、校舎の各所に。
壁 にいくつかの穴が開いたのが見えた。箇 所 はすべて精確に、柱のある場所だ。それも根本の。
「はぁーはははははは!」
屋上で高笑いする魔術士の足の下で。
激しい音を立てて、校舎が崩 れ落ちた。
全 壊 だ。爆 発 して地面に沈 むかのように。いっそ美しいほどの手並みで。完 璧 に倒 壊 した。
「はーはは......あれ? うあああああああ!? 」
もちろん、魔術士も瓦 礫 とともに落下していった。
かなり激しく崩 壊 に巻き込まれ、残 骸 から転げ落ちてきたが。
それでもまだ大した怪我はないようだった。茫 然 自 失 のみんなを睥 睨 しながら、コミクロンは自信満々歩いてくる。
背後で潰 れた校舎を指さして。
「ほら」
ふんぞり返ってこう言った。
「これで服は洗いに行けまい!」
「どうでもいいーっ!」
全員で叫んで、とっつかまえた。
「......それでつまり、発 端 はなんなんだ?」
「警官ごときに話すことなどなにひとつない」
縛 り上げられ、警察官がやってきてもコミクロンはまったく態度が変わらなかった。憎 たらしいことに、やはりまったく怪我もない。
完全に破壊された校舎を背後に、地べたに座っている格好なのだが。
フッと笑い、涼 やかに。
「しいて言うならば。男として、少年に道を教えていた──」
「ぼくもそれなりに引け目はあるんですが、それでも明らかに度外れに悪いのはこの人単体だと思います」
横できっぱりとマジクが言う。
その他、場に居合わせたクリーオウやナターシャ、生徒一同、まったく反論が出てこない。
驚 愕 した様子で、コミクロンはあんぐりと口を開けた。
「なにを言うか少年!? ここは人生の師に感服し、この人は悪くないすべてひ弱でモヤシなぼくのためにしたことですと言うところではないのか!? 」
「ないです」
「馬 鹿 なァーっ! これは裏切りか! 裏切りのバラードか! 都会こええェー!」
じたばたわめきながら。
警官に引きずられ、このコミクロンとかいう魔術士は消えていった。以後、二度と会うことはなかった。と思う。
先に後日のことを言ってしまうと、校舎についてはすぐに復旧した。魔術士同盟が大勢魔術士を連れ出して、結構あっさり直してしまったのだ。どうやら壊 し方が綺 麗 だったので直すのも楽だったらしい。あの魔術士は、確かにまあ天才ではあったのかもしれない。
彼がどう処 罰 されたのか、それは知らない。校舎もすぐ直ったので大きな話にもならなかったようだ。トトカンタには魔術士同盟の大きな支部があり、信用もあったので、名門の魔術士ともあろうものがまさか意味もなく街を破壊したりはしないだろうということで、放免になったとか。
クリーオウとナターシャだが、この件で和解した。お互 いどうでもよくなってしまったらしい。というより、想像してしまったんだと思う。つまらない諍 いでもずっと続けていると、いずれ自分たちも校舎をぶっ潰すまでエスカレートしてしまうのではないかと。
なおこのふたりは後に、戦争クラブを結成する(クリーオウが健康になった後だ)。結局はかなりウマが合っていたわけだ。
さて、マジクだが。この数年後、彼も魔術士になる。
師となるオーフェン・フィンランディとキエサルヒマを巡 り、その旅が世界の命運をも変え、海を渡 って神々とも戦うことになる。二十年余りにもなる長い年月。この頃 から数えれば三十年近いが。
思い起こしてみれば、出会ったすべての人々の中で、一番付き合いの長いのがクリーオウだ。
警官に引きずられていくコミクロンを見送った、この頃から。
おさげ髪の魔術士がいなくなるまで見続けて。とにかく疲 れて、マジクはつぶやいた。
「魔術士って本当に変だね」
「そうね......」
クリーオウも同意する。マジクはますます嘆 息 した。
「ぼくも仮に魔術士になることがあっても、ああはなりたくないなあ」
イメージしていた魔術士とはまったく違 った。本当にわけが分からない。
だがクリーオウからの相づちが返ってこなかったので、マジクは目をぱちくりした。これも同意がないとは思っていなかったのだ。
彼女はしばらく考えてから、こう言った。
「そう? 別に、ああいうのもいいんじゃない?」
え、とうめいて、マジクは言い返した。
「なんで。やだよ。いいとこどこにあったの」
「魔術士らしい魔術士なんてなってもさ、面 白 くなさそうだよ」
そんなことを、彼女は言う。
その会話については、クリーオウはすぐに忘れてしまったようだ。彼女にとっては、普通に思いついたことを言っただけだったのだ。クリーオウはそれを普通に思いつける。
長い付き合いで、彼女の娘 、ラッツベインの師 匠 にもなり。
ラッツベインは長らく、マジクのことを叔 父 だと思い込んでいたらしい。他のふたりの娘たちもだが。
決して口に出したことはないが、認めざるを得ないところはある。人生のほとんどの年月で、クリーオウは彼の姉だった。









いつもの宿屋にいるというべきか、それとも宿屋がいつも変わらずにあるというべきなのか。そんなことはどうでもいいが、オーフェンは死にかけていた。
黒 髪 、黒目。いつも皮 肉 げにつり上がっていた目は、今は焦 点 も合わずに色をぼやけさせていた。黒ずくめの格 好 に、胸 元 には銀 製 のペンダント──剣にからみついた一本脚 のドラゴンの紋 章 。死の淵 にある脳 は、その紋章の意味も忘れかけていた。大陸黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ証 である。
とはいえ、死人になりつつある男にとっては、だからどうだというものでもない。
死の手につかまれると、視 界 は霞 むのだな──などとぼんやりと思いつつ、オーフェンは虚 ろな眼 差 しで眼 前 にあるものを見つめていた。テーブルに頭を置いた姿 勢 で、そこから身動きも取れない。手足には力が入らず、彼にできるのは、そう、ただ見つめることだけだった。
見えるのは、焦 げ茶 色 をした陶 製 の器である。柔 らかそうな湯 気 と、スパイスの芳 香 も混 じった温 かい香 り。その貝のリゾットにスプーンを突っ込んだのは、テーブルの向かいに座 っている、子供っぽい顔立ちをした女である。いつも変わらぬスーツ姿(人のことは言えないが)の、コンスタンスだった。
彼女は、なにやら半 眼 で冷 や汗 のようなものを垂 らしつつ──こちらを見下ろしている。半秒もなにか考え込んだようではあったが、やがて彼女はとりあえずなにかしらの決定を下したのか、目をそらしてからスプーンを持ち上げた。たっぷりと盛 り上 がった貝の身が、底の深いスプーンに乗せられている。
「あ......あああ......」
オーフェンは死の淵から、その貝の身を見つめ上げ──うめき声をあげた。
瞬 間 、コンスタンスの動きが止まる。
沈 黙 ──
つい先ほどの黙 考 の仕 草 を、もう一度繰 り返すような形で、彼女はまたその視線をあさってに向けた。なにやら後ろ暗い面 持 ちで、だがそれでもあくまで、スプーンを自分の口元に持っていこうとする。
「ああああああっ!」
最後の力を振 り絞 り──オーフェンは絶 叫 した。勢いで身体 も少し動いたかもしれない。彼の痙 攣 がテーブルに伝わって、その脚をかたかたと鳴らした。コンスタンスのスプーンは、彼女の口に触 れる寸前で止まっている。
再び、沈黙──
「ああ......ああ......」
無意味にオーフェンは、うめき続けた。ぽろぽろと涙がこぼれるのを自 覚 する。だが、コンスタンスは......
意を決したか、今度は躊 躇 せずにスプーンをくわえ込んだ!
「ぎゃああああああっ!」
悲 鳴 をあげたのは──当然オーフェンである。彼は背中をのけぞらせると、跳 び上がるように椅 子 から転げ落ちた。ひんやりとした床の上で、力なく......動きを止める。
「ああ......あ......」
彼は目を閉じた。終わったのだ。自分でもなんだかよく分からないようなことを、唇 から漏 らす。
「古 より......暁 天 にセペデトの輝 く七の月、下流では定期的な氾 濫 が起こり、洪 水 とともにその両岸の砂 漠 地帯に黒い沃 土 を堆 積 させた......」
「ああああああっ! もぉぉぉぉっ!」
がたん、と椅子を蹴 飛 ばして──コンスタンスが、立ち上がったらしい。彼女は地 団 駄 踏 むように荒々しく足音を響 かせると、声まであららげた。
「うっとーしいわよ、いい加 減 !──とうとうお金がなくなって昼食が食べられないからって、わたしの食事を妨 害 しなくたっていいじゃないっ!」
「うるせぇっ! ここ三十八時間というもの水しか飲んでねえ俺 の目の前で、堂々と飯 食いやがって!」
オーフェンは怒 鳴 り声 をあげて立ち上がり、つかつか詰 め寄 ってくるコンスタンスにつかみかかった。
その手が、ぱちんと軽くはたかれる。
「知ってんのかコラ! 水ってのはカロリー0なんだぞ! いくら飲んだって、腹になにも入れてねえのと変わらねえんだからな!」
叫 びつつ再度拳 を振り上げたところを彼女に腹を蹴られ、肘 で打たれ、倒れたところを思い切り踏みつけられる......
「ううう......さすがに力が入らないせいで、こんな無 能 警 官 にも敵 わない......」
「ほーっほっほっ! なんだか、ものすっごく気分がいいわ!」
口元に手を当てて高らかに笑う彼女の足に踏みつけられながらも、オーフェンはなんとか声をあげた。

「くっそー......」
起き上がって、彼女の足を振り払う。
「しかし、そろそろなんか食い物を手に入れねえと、さすがに死ぬ可能性が出てきたな」
かりかりと爪 を噛 みながら、オーフェンは立ち上がった。身体を動かすたび、胃と腸が異様に軋 んだ音を立てている。
「でも、なんでこんなことになったわけ?」
またテーブルのもとの席にもどりながら、コンスタンスが聞いてくる。オーフェンは、嘆 息 混じりにそちらへ向き直った。
「ここんとこ、ここの厨 房 に食い物があまり残ってなくてな」
「相変わらずの寄 生 生活ねー」
しみじみとつぶやくコンスタンスに、オーフェンはうなり声をあげた。
「しゃあねえだろうが。最近、まともなバイトにありついてなかったし」
「それが問題だと思うわけよ」
気楽な様 子 で指を立て──彼女がこちらを見上げてくる。
「なにがだ?」
聞くと、コンスタンスはうなずいた。
「分かってるんでしょ?」
と、不 敵 に笑 みを浮 かべてくる。
オーフェンは、ただじっと彼女を見つめ返した。値 踏 みするような彼女の瞳 は、きらきらと輝いている。
彼は彼女の答えを待った。が、彼女はなにも言ってこない。器をスプーンでかき混ぜながら、ただこちらを見ている。
そして──
半眼になって、オーフェンはつぶやいた。
「ただ言ってみただけか?」
「うん」
思いのほかあっさりと、コンスタンス。
オーフェンは手近な椅子を持ち上げた。
「......おちょくっただけなんだな?」
「まあ......そ、そうかしら。でもあの、ね? ええと......」
青ざめた面持ちで──じわじわと後 ずさりしつつ、彼女。だがそんな声には耳を貸さず、椅子を振りかぶったまま、オーフェンは前進していった。
「......つくづく、つまらんことで体力を使っちまったな」
「ううう。そのつまらんことであれだけ殴 られたうえ、ご飯まで横取りされたわたしって一体......」
ふたり──ばきぼきと指を鳴らしているオーフェンと、でっかいたんこぶを頭にこさえたコンスタンスは、食堂を出て大通りを歩いていた。
「だいたい、ちょっとしたおちゃめなジョークじゃない。それをあんなに怒 るなんて、人間的に減 点 3だわよ」
たんこぶをさすりさすり、ぶつぶつとこぼしている彼女に、オーフェンは顔だけ向けた。冷たい視線で告 げる。
「人が腹減って気が立ってる時に、面 白 くもねえことを言うからだ」
「ぎすぎすした雰 囲 気 をなんとか和 らげようとした、このおねーさんの愛 情 を分かってほしいわ」
「分かるか、ンなもの」
オーフェンは毒 づいて顔を上げると、通りの左右を見回した。いわゆるただの商店街である。人通りも多く、それを待ち受けている店の数も多い。食料品店、玩具 屋、書店、生活用品店、家具屋──なんの脈 絡 もなくずらずらと店 舗 が並んでいる。
それらを適 当 に指さして、オーフェンは彼女に告げた。
「せめてもの罪 滅 ぼしに、俺のバイト探 しを手伝ってくれると、しなくてもいいケガをせんでもすむようになるぞ」
「それって、婉 曲 な脅 迫 よね......」
腕組みして冷や汗をたらしながら、コンスタンス。
「まあ、仕事をサボるいいわけになるからいいけど」
「全然ならんと思うが」
オーフェンは指 摘 したが、彼女は無視したようだった。首を傾 げて、言ってくる。
「でもバイト探しを手伝うって、なにをどうやって手伝うのよ」
聞かれて、オーフェンは肩をすくめてみせた。答える。
「今までは、身元を保 証 してくれる人間がいなかったせいで、ロクな仕事がもらえなかったからな。お前みたいな、固 まりきってないかさぶたのよーな半 端 警官でも、警官は警官だ。身元保証人くらいにはなれるだろ」
「......まあ、ほめてくれたんだと思うことにするわ」
半眼でうめく彼女に、はっはっと笑ってやる。オーフェンは虚 空 をつかむようにぐっと拳を握 りしめると、力 瘤 を作った。
「そう──俺は気づいたんだ。稼 ぐに追いつく貧 乏 なし! 地 道 にこつこつ日 銭 を稼いでいけば、小麦粉を溶 かした水をすすって飢 えをしのぐようなマネはせんですむと!」
「おー」
コンスタンスが、ぱちぱちと拍 手 する。道行く通行人も、何人かつられて手をたたいた者がいたようだった。
「思えばここに思い至 るまで、長い道のりだった......」
歯を食いしばり、身体をわななかせ──オーフェンは続けた。
「懐 も軽ければ心も寒い生活を重ね、平 穏 に生きたいというささやかな願いまでも無能警官にかき回されてきた」
ばっ──と腕を上げ、叫 ぶ。
「だが! それももう終わりだ! 俺はこれから、まっとうに稼ぐんだからな! 馬 鹿 どもが入り込めない常 識 の世界で生きてやる! というわけでこれからの俺は生まれ変わったネオ俺だから、近づくなよ疫 病 神 」
「なんでそこでわたしを指さすのよっ!」
コンスタンスが声をあげる。
が、それは無視するように、いつの間にか周囲に集まっていた野 次 馬 たちから、さっきよりも大きい拍手があがっていた。おおお、と歓 声 とともに、口 笛 なども聞こえてくる。
「いいぞー、にーちゃん!」
「なんかしらんけど、真人間になれよー」
ついでにあちこちから、ちゃりんちゃりんと細かい銅 貨 が投げ込まれてくる。
「............」
足下に転がってきた数枚の銅貨を見下ろして──オーフェンは、コンスタンスに突きつけていた指を、ささっと引き寄せた。視線を上げて、周囲を見やる。
と、野次馬たちから、拍手が消えた。
しん......と静まり返った中、オーフェンは視線をコンスタンスへと移した。彼女は腕組みしてこちらを見 据 えている。
彼は、ぽつりとつぶやいた。
「......儲 かったから、帰るか」
「まっとうに稼ぐってのは、どこに行っちゃったのよ」
コンスタンスの指摘はとりあえず無視しておいて、四つん這 いになって銅貨を拾 う。拾いこぼしがないか、あたりをかさかさ這い回って確 認 してから、オーフェンは立ち上がった。ふう、と息をついて、汗をぬぐう。風が彼を撫 でた......
「そいつは、明日からということにしよう」
「なにをさわやかに、後ろ向きなこと言ってるのよ」
しつこい彼女はほうっておいて、オーフェンはコインをポケットにしまい込んだ。ばらばらと散り始めている野次馬たちを見ながら、鼻歌まじりに帰 途 につく。
と──
「駄 目 よぉぉぉぉぉぉ......」
唐 突 に響いてきたのは、ひどくかすれた、陰 気 な声だった。湿 気 を吸 った樽 に半年漬 けっぱなしになっていたような、陰にこもったうめき声である。
「な──なに?」
うろたえた様 子 できょろきょろしているコンスタンスに、オーフェンはなにか言おうとし──やめた。それどころではなかった。今の声には、聞き覚えがある。
(まさか......⁉ )
焦 燥 を押し隠し、周囲を探 る。が、いくら見回しても通行人の中にそれらしき姿はない。
「そぉれぇでぇはぁ......駄目よぉぉ......」
声は再び、聞こえてきた。うらぶれたススキ畑を思い起こさせるその声 音 は、奇 妙 なイントネーションのためもあって、どちらから響いてきたものか特定させようとしない。ただオーフェンは絶 望 的 に確信していた──
「つ......ついに......」
震 える膝 を手で押さえ、うめく。
「忘れてた......き、今日が期限か......」
「どうしたの?」
コンスタンスが駆 け寄ってきた。不 思 議 そうに聞いてくる。
「......知り合い?」
「も──も──」
オーフェンはそこまで言って、唾 を呑 んだ。
「元 締 めだ」
「元締め?」
「逃げるぞっ!」
わけの分からない顔でこちらを見ているコンスタンスの首根っこをひっつかまえ、彼は全力で駆け出した。
「待ちなぁぁ......さぁい......」
のろのろとした口 調 で言ってくる、その声には振り返らずに──オーフェンはスピードを落とさずに人 混 みを駆け抜けていった。手を引かれているコンスタンスが、びっくりしたような声を出してくる。
「ち──ちょっと、なんなのよ、一体!」
だが、それに答える余 裕 もなかった。ただ一心に走りつづける──あれ に遭 遇 したら、それに対 抗 する手 段 など......
「ねえんだ、分かったか!」
「全然分からないわよっ!」
即座に、コンスタンスが叫び返してくる。
わーきゃー騒 いでいる彼女を引っぱりながら、オーフェンはいつの間にか路 地 に入り込んでいた。ひとけのない場所を意 識 したわけではなかったが、それでも、人目がなければないに越 したことはなかった。
「どうする......? 人間が相手なら、なんとでもなるが──未知の生命体相手になにができる?」
ぶつぶつとつぶやく彼に、コンスタンスが声をあげた。
「え? 今、なんて言ったの?」
刹 那 ──
(はっ⁉ )
視界の端に、なにか動くものをとらえて、オーフェンは立ち止まった。とっさにコンスタンスを突き飛ばすと、息を吸い、一瞬でそれを爆 発 させる。
「我 は放つ光の白 刃 っ!」
振り返りざまに放った光熱波は、路地を斜 めに横切って、既 に通り過ぎた横道に突 き刺 さった。光の帯が集 束 し、大爆発が起こる。その爆音に驚 いて、野 良 犬 がきゃんきゃんと鳴き声をあげながら逃げていく。
舌打ちし、オーフェンは額 をぬぐった。
「くそ、犬だったか......」
「なんなのよー!」
少し余 波 に巻き込まれたのか、ほんのり焦 げたコンスタンスがわめき声をあげている。オーフェンはいらだって、声をあららげた。
「なんなのよもよのなんなもあるか! 俺がこんだけ焦 ってるのを見れば、どんだけの危 険 が迫 ってきているのか分かりそうなもんだろーがっ!」
「......そんなこと言っても、特になにもなくったって、魔術なんて、ばかばか撃 ってるじゃない。しょっちゅう」
「............」
オーフェンは、しばし沈 黙 してから──
「分かった。じゃあ、滅 多 に使わない物質消滅の魔術を使って、このあたり一帯を廃墟 にしよう。まあ、未知の生命体相手にどこまで通じるか分からんが」
「いや、わたしが言ってるのはそーゆうことじゃなくって......」
と、はたと気づいたように言葉を止める。彼女はきょとんと聞き返してきた。
「未知の生命体?」
オーフェンは弾 かれたように叫び返した。
「さっきからそう言ってるだろーがっ!」
「言ってるだけで説 明 がないじゃない!」
説明できないから未知なんだろうが、と叫びかけて──オーフェンは、背 筋 になにやら鋭 い悪 寒 を覚 えていた。
そしてすぐに、その悪寒が感 覚 として実体化する......
びちゃり、と肩に落ちてきた液体に、オーフェンは戦 慄 した。着ていた革 のジャケットを手早く脱 ぐと、液体がかかった部分から緑色の異様な煙 をあげているそれを、ばさばさと地面にたたきつけた。

「うわー、うわー!」
叫びながら、何度も地面にこすりつけているうちに、煙が消える。肩の部分に穴の開 いたジャケットを気味悪く眺 めてから、彼は視線を上げた。
どよん、とした空気が、見上げた顔を上から押してくるのを感じる。オーフェンはゆっくりと後 ずさりした......
どこをどう走ってきたものか、オーフェンもほとんど覚えていなかったが──ひとけのない路 地 裏 である。道は通るのに苦労するほどではないが、それでも広くはない。くすんだ色のビルディングにはさまれて、薄 暗 い道が続いている。
そして──
「きゃああああああっ!」
コンスタンスも気づいたのか、悲 鳴 をあげた。オーフェンが見上げている壁 の、さらに上のほうを指さしている。
オーフェンも身 構 えながら、さらに上を見やった。
「うふふふふふふぅ......」
壁に、なにかが張り付いていた。
黒い、そして青黒い塊 。壁にできたこぶのように異様な形に盛り上がり、そして異様な形で広がっている。その物体の、無数のひだから──冷たくぎらついたふたつの眼球と、細く伸びた白い指だけがのぞいている。
その物体が、くぐもった声を発した。
「駄目よぉ。手下十四号。逃げたりしちゃあ......」
その時には──
「我が契 約 により──」
オーフェンは、全力で魔術の構 成 を解 き放 っていた。
「聖 戦 よ終われ!」
瞬 間 、彼が突き出した両手から、閃 光 が走る。一瞬で燃えた光は、ビルの壁の、その物体が張り付いているあたりに突き刺さった。同時に──
音もなく、光に触れた部分が、ごそっと消え失 せる。
かなり加 減 しているため、消失したのは光が触れた壁だけだったが、全力で放てばその建物全体を消失させることもできる。敵を防 御 物 ごと問 答 無 用 で消し去る、いわゆる切り札のひとつだが、威 力 を高めれば高めるだけ成 功 率 が下がるという欠点もあった。
だがどちらにせよ、壁に光が集束するよりも早く、その物体はかさかさと別の場所に移動していた。物体が移動した軌 跡 を、よく分からない粘 液 のようなものがたどっている。
「きゃー! きゃーっ!」
ばたばたと手を振り回して、コンスタンスが悲鳴をあげていた。
「な──なんなのよあれはぁぁぁっ!」
と、こちらにしがみついてくる。オーフェンは彼女を振り払いながら、
「俺にだって分からねえから未知なんだよ」
「なんでよ! あんたのこと手下だって言ってたじゃ──」
そこまで言ってから。
ふっと、コンスタンスの顔から表情が消えた。こちらの肩をつかんでいた手を、そっとはなして......そそくさと後 退 していく。
「ひょっとして、あんたもああいう生物の仲間だったの?」
「誰 がだっ⁉ 」
オーフェンはたまらずに叫んでいた。
「人をああいう魔界からの廃 棄 物 といっしょにするんじゃねえ! 今だって平気で魔術をよけやがったし」

「ほほほほほほ......手下十四号、もの凄 まじく失礼よぉぉ」
重力を無視して壁 面 を八の字にくるくる回りながら、その物体が口をはさんできた。
「このぉサマンサ様をぉ、お忘れというぅわけでもありますまいにぃぃ......」
「ううう......できれば忘れたいと思ってたんだが、忘れた頃 に夢の中に出てきやがるから......あの人間外」
「なんなの? いったい」
聞いてくるコンスタンスに、オーフェンは答えようと口を開きかけ──なにを言えばいいのか分からずに、そのまま嘆息だけを漏 らした。だが、それでも髪をかきながら、なにか言葉を見つけだす。
「いや、だから......世界の驚 異 というか......人外の魔物というか......」
「わたしぃはぁ、人間よぉぉ」
上から聞こえてきた声に、オーフェンは叫んだ。
「うるせぇっ!」
が──
さっきまでかさかさと這 い回っていた壁に、もうその物体──サマンサの姿がない。
嫌 な予感を覚えたのも一瞬。
そしてその、同じ一瞬に。オーフェンは地面にたたき伏せられた。
静かなその路 地 裏 に......
サマンサは、立っていた。優 雅 な足取りで、その場からゆっくりと進み出る。
「ほほほほほほほ」
口に手を当てて、間 延 びした笑い声をあげる。すらりと伸びた指をコンスタンスにかざし、すぐ前で茫 然 自 失 している彼女に一礼する──
オーフェンは、
「おどりゃああああっ!」
渾 身 の力を振り絞って叫びながら、地面から立ち上がった。彼の頭の上に着地してきたサマンサが転げ落ちたことを確認すると、即座に右手を振り上げる。
「我は放つ光の白刃っ!」
彼の右手から膨 れ上がった光は、倒れたサマンサもろとも地面に突き刺さった。次いで起こった大爆発は、完全にその物体を呑 み込んだかに見えたが......
「おほほほほほほほほほ......」
案 の定 、間の抜けた笑い声は背 後 から響いてきた。下唇を噛 みながら振り返る。
そこには、サマンサが哄 笑 をあげていた。
地上に立っている時には、サマンサは人間のように見えた──野 暮 ったい、修道服のような黒い服に、微 妙 に青みを帯 びた髪。髪は腰まで伸びているうえ、派 手 なウエーブのせいで極端に末 広 がりになっており、身体を包み込みそうにも見える。壁に張り付いた彼女を、人間外の物体に見せていたのはその髪だった。前髪も伸ばし放 題 になっているため、顔はよく分からないが、とにかくぎょろついた両目だけが目立っている。
「ど......どういうこと⁉ 」
すっかり混 乱 したコンスタンスが、頭を抱 えて悩 んでいる。
「いきなり人間に変身したわよ?」
「もとからぁ人間だってぇ、言ってるぅでしょぉぉ」
ふらふらと指先を振りながら、サマンサがそう告げる。
「サマンサよぉぉ。よろしくぅぅ」
青白い手を伸ばし、つぶやく。コンスタンスは一瞬──か、それ以上の時間──躊 躇 を見せてから、その手を握 った。力の入らない握 手 をしてから、その手を離す......
手についてきた謎 の粘 液 を気味悪く見下ろしながら、コンスタンスは半泣きの表情をこちらに向けてきた。
「オーフェェェェン......」
「泣くな。我 慢 しろ」
脱 力 してそのまま気 絶 しそうな彼女をなんとか元気づけてやろうと、オーフェンは声をかけた。こちらを見てひたひたと薄笑いを浮かべているサマンサを足で追っ払いながら、持っていたハンカチでコンスタンスの手を拭 いてやる。
「未知のモノに侵 略 されない唯 一 の方法は、意思を強く持つことだけだぞ。泣いたら負けだ。取り憑 かれるぞ」
「ううう。だって、だって怖 いの」
「なんかぁ、失礼ぃなことをぉ、言われてる気がするわぁぁ」
そんなサマンサの声にオーフェンは無言のまま、右腕をあげた。威 嚇 の姿勢である。が──
「無駄よぉぉ」
サマンサはつぶやくと、そのまま大きく口を開けた。と同時、口の中から舌のようなものを──数メートル──伸ばすと、その先端をまた別のビルの壁に吸い付けた。その舌が一瞬で縮 むと、ゴムで跳 ね上げられた玩 具 のように、サマンサの身体がそちらへと跳んでいく......
ビルの壁に激 突 し、彼女はそこに、びたっと張り付いた。舌らしきものをぢゅるぢゅると呑み込むと、顔をこちらに向ける。
「あぁなたぁの行動パタァンはぁ、分かっているのよぉぉぉ」
「まあ......衝 動 的 に攻 撃 、ていうあんたの行動パターンなら、わたしにだって読めてるけど......」
ぶつぶつと、コンスタンス。
「あれのどこが人間なわけ?」
サマンサには直 接 話しかけたくないのか、彼女はこちらに聞いてきた。オーフェンは、つと考え込むと、
「......秘 密 の七つ道具のおかげだ、と本人は言い張ってるんだが......」
「七つ道具?」
「今使った、口に装 着 するびっくりゴム式カエル跳び移動装置とか......壁を這 いずり回るための、特 殊 粘液質接 着 剤 とか......」
「ほほほほほほほほほほ」
笑いながら、再び壁面をかさかさ這い回るサマンサを見上げて──オーフェンは、深々とため息をついた。怪 訝 な面 持 ちで続ける。
「どうしても、なんか納 得 ができなくってな......」
「なにか対 処 法 はないわけ? シロアリだって、通り道に毒をまいておけば退 治 できるじゃない」
あくまでサマンサを人間として見られないらしいコンスタンスの意見に、オーフェンはうなずいた。
「とりあえずだな」
と、サマンサを指さす。
「その接着剤とやら、三分ほどで完全に固まっちまうらしいんだよな」
「ほーほほほほ......あら?」
笑いながらぐるぐる回っていたサマンサが、動きを止める。
それを眺 めて、オーフェンは続けた。
「だから、絶 えず動き回ってるらしいんだが......ほっとくと、うっかり固まりかけた接着剤の上を通っちまうんだ。そうすると、もう動けない」
動けなくなり、なんとか手を引き剥 がそうとしているサマンサに、オーフェンは改 めて腕を振りかぶった。
「我は放つ光の白刃っ!」
彼が放った熱 衝 撃 波 は、サマンサが張り付いていたビルの壁ごと、彼女を空の彼方 へと吹き飛ばしていった。
「──で、解 決 したところで、あれはなんだったわけ?」
大通りにもどって、コンスタンスが質問の声をあげる。オーフェンは歩いているまま腕組みし、即 答 した。
「だから、元締めだよ」
「元締め? なんの?」
「金貸しの元締めに決まってるだろ?」
「............?」
理解できないらしいコンスタンスの表情を見て、オーフェンは腕を解 いた。大きくため息をついて、言い直す。
「ようするにだ、俺はあの物体女から資金の一部を借りて、あの福ダヌキやらなにやらに貸し付けたんだよ。つまりは、金 融 業 務 を代理した形だ。その中間マージンが、俺の利 益 になる......はずだったんだけどな、順 調 にいってれば」
「なんでそんな面 倒 なことをするわけ?」
「モグリの金貸し業だからな。代理人を立てておけば、いざって時の尻 尾 切りになるし。それに......冷静に考えて、あの物体女がにたにた笑って『お金ぇ、貸すぅぅぅ』とか言ったところで、借りようとする人間がいると思うか?」
どちらかといえば、後者のほうの理由に納得がいったのか、コンスタンスがうんうんとうなずく。
「なんていうか、未登録 であること以前の犯 罪 よねー、それは」
「そういうことだ。とゆーわけで、どうもすっかり忘れてたが、今日がその返 納 期限だったらしいんだよな」
「......て、返すお金なんて、あるの?」
「お前が貸してくれたり、くれたりしない限りは、ないな」
「じゃあ、ないってことね」
「ああ。お前が貸してくれたり、くれたりしない限りはないんだ」
「ええ。つまり、ないってことよね」
「そうなんだ。お前が貸してくれたり、くれたりしないと──」
「ああああ! もう、しつこいわね! なんでわたしがそんなことするのよ!」
と、その時。
「おほほほほほほほほほほ......」
突 如 聞こえてきた笑い声に──
ふたりは、びくりと硬 直 した。聞き間 違 えるはずもない、覚えのある哄 笑 。
当たり前だが大通りにはかなりの人通りがある。その人混みのどこに隠れていてもおかしくはない──オーフェンはぞっとしながら、あたりを見回した。刹 那 。
ごぼごぼごぼごぼ......
道に沿 うように流れているマスル水道から、水が煮 立 つような、そんな音が響き出す。
そして、次の瞬間には爆発が起こっていた。
水道から破 裂 したように噴 き上がった水柱は、数メートルにも達していた。道のほうから見ても、見上げるほどの高さである。そして、その水柱の上に、彼女が立っている......
「逃げるなんてぇぇ......ひどいわぁぁ」
噴き上げる水の中、にたりと半月形の笑みを浮かべるのは、言うまでもなくサマンサだった。両手をわざわざ鉤 爪 の形に構 えて、前に突き出している。
と、水の噴 出 が止まった。
「あら?」
というつぶやきとともに、どぼん、と水面に落ちていく。
そのまま、沈黙が訪 れた。
なにごとが起こったのかと足を止めていた通行人たちも、首を傾 げながら、また道の流れにもどっていく。
「......帰るか」
オーフェンの提 案 に、コンスタンスもうなずいた。が。
「待ちなさいぃぃぃぃ......」
つぶやきの、次の瞬間だった。水中からどうやって跳 躍 してきたものか、川の水面を突き破って跳び出してきたサマンサが、落下防止用の柵 にがしゃんと飛びついた。バッタのような格好で、柵に張り付いている。なぜか魚を一尾、口にくわえていた。
しゅー、と謎 の威 嚇 音 を発しつつ、彼女は言ってきた。魚をくわえたまま。
「待たないと、卵を産 み付けるわよぉぉ」
「なんだって⁉ 」
オーフェンは、よろよろと腕を振った。
「まずいぞ、コギー......寄生されたら、最終的にはあれと同じ物体になってしまうに違いない!」
「そ、それは問題ねオーフェン!」
「冗 談 をぉ、真 に受けないでほしいわぁぁ」
ぬたぬたと腕を蠢 かせ、魚をくわえたまま落下防止用柵を乗り越えつつ、その女は気味の悪い声をあげた。人間の骨 格 では不可能なのではないかと思わせるような奇妙な動きで柵を越えると、ぼとり、と道に落下する。その拍 子 にくわえていた魚が口から落ちた。
肩から地面に激突しながら、それがどうということでもないのか、女はケケケと笑い声をあげる。
「わたしぃはぁ......人間んよぉぉ」
「説 得 力 がないっ! 全然っ!」
だがサマンサは、聞く耳がないようだった。濡 れた靴 底 をしとしと言わせながら、一歩前に出る。
「さあぁ......手下十四号ぅ、代理人の義 務 を果たしなさぁい......」
「ううう......だがしかし、この無能警官が貸してくれたりくれたりしない限りは──」
「しっこいわよ、オーフェン!」
コンスタンスがわめいている間に、サマンサはさらに一歩を踏み出した。ゆらゆらと、濡れているはずなのになぜか揺 れている髪の中から、眼 光 がぎらついている。
「うふふふ......あくまで空とぼけるつもりならぁ、夜道の嫌 がらせシリーズを発動するわよぉぉぉ」

「な──なんだと⁉ 」
オーフェンは、絶叫じみた声をあげた──が、背後から、いまいち危 機 感 のないコンスタンスが、くいくいと腕を引っぱる。彼女は怪 訝 な表情で聞いてきた。
「夜道の嫌がらせシリーズ?」
オーフェンは沈 痛 な面持ちでうなずくと、
「ああ......夜、ひとけのない道とかで、街 灯 の上とかにからみついて待ち伏せされるんだ。しかも、突 然 べちゃりとか音を立てて落っこちてくるんだぞ」
「......嫌がらせっていうか......」
「ほかにも、花 壇 の植え込みとかからいきなり這 い出してきて、道ばたに白い胃液を吐 いたりとか......」
「それは、病院に連れていったほうがいいと思うけど......」
「恐ろしいことを言うなっ!」
オーフェンは絶叫して、コンスタンスの口をふさいだ。がくがくと歯の根の合わない声 音 で、それでもあとを続ける。
「病院だなんて......ひとけのない夜の廊 下 。見回りをする看 護 婦 の足音。人知れずそのあとをずるべたと追いかけるあの物体女──はまりすぎてて怖 いだろーが!」
「問題がずれてるぅ気がぁするわぁぁ」
歩 幅 の合わない、にょろにょろとした足取りでまた一歩一歩近づいてくるサマンサに、通行人たちも奇 異 な目を向けている。オーフェンは即座に身構えると、叫んだ。
「我は放つ光の白刃っ!」
放たれた白光は、一瞬で彼女を呑 み込んだ──そのまま爆発、炎 上 する。
「よし!」
オーフェンは歓 声 をあげた。
「今度こそ、あの悪魔の最 期 だ!」
だが。
ずるっ......
気味の悪い音とともに、炎 に包まれたサマンサの身体が、膨 れ上がる。さらには、その背中から、新たなる頭部がせり出してきた。
「────っ⁉ 」
その場にいた全員が、声にならない悲 鳴 をあげる。
見ている間にも、彼女は燃えている古い皮を脱ぎ捨て、炎の外に脱出した。
「だ、脱 皮 したわよ⁉ 」
コンスタンスが叫ぶ。
「脱皮してなお、あのくそ趣 味 の悪い服を着ているとゆーことは、やっぱりあれは服じゃなくて鱗 かなにかの一種だったんだな⁉ 」
オーフェンのうめきに、サマンサが顔を向ける。
「失礼ねぇぇ。今のは、対魔術用の絶 縁 体 を脱ぎ捨てただけなのよぉぉ」
「そ、そうは見えなかったが......」
つぶやきながら、オーフェンは、その場を駆 け出した──今度は逃げるのではない。逃げても無 駄 なことは分かっていた。
(魔術が通じそうにないのなら──素 手 で攻撃するしかない!)
そう決心して、サマンサへと跳びかかる。
だが、彼が彼女のところへ到 達 するよりも早く、彼女も体 勢 を直していた。がぱんと大きく顎 を開くと、気味の悪い音を立てながら、手の爪を伸ばす。さらには、助走もなしでこちらへと数メートルの距 離 を跳 躍 してきた。
「うわっ!」
とっさに身体をひねり、横へ跳 んで逃げる──彼が跳び退 いた場所へ、サマンサが飛び込んでいく。タイミング的には、完全によけられたはずだった。が。

「なんだ⁉ 」
予 想 もしないところで、がくんと足首を引っぱられ、オーフェンは転 倒 した。あわてて見下ろすと──足になにかからみついている。細長く黒い鞭 のようなそれを、視線でたどっていくと、それはサマンサのスカートの中から伸びていて......
「尻 尾 じゃねーかっ⁉ 」
オーフェンの叫びには、サマンサは答えてこなかった。きょきょきょと謎の哄笑を発してから、こちらへとにじり寄ってきて──
「うわあああああああっ⁉ 」
鼻が触 れるほどにまで近寄ってきたサマンサに、オーフェンは絶叫した。うす気味悪く歪 められた彼女の指がのろのろと伸びてくる。
「オーフェン⁉ 」
コンスタンスの声が──逃げたのだろう──やたら遠くから聞こえてくる。
正体不明の緑色の付着物がついたサマンサの爪は、緩 慢 に、だが着実に──オーフェンのジャケットに触れた。そのまま、ポケットの中に指を突っ込んでくる。
しばしして──さっきオーフェンが拾った銅貨を、サマンサは取りだしていた。枚数を数えてから、自分の懐 にしまい込み、そして、にやりと笑う。
「確かぁにぃ、もらったぁわよぉう......」
さらに、唐 突 に雄 叫 びをあげる!
「きょええええええっ!」
そのあまりの声量に、反 射 的 に目を閉じて耳をふさいでいるうちに──
再び目を開いたときには、サマンサの姿はどこにもなかった。
「............」
誰 も、なにも声を発さない。呆 然 としている通行人たちの中から、コンスタンスがひょこひょこと、こちらに近寄ってきた。オーフェンは地面に倒れたまま彼女を見上げると、
「くうう......」
痛 恨 のうめき声をあげた。
「くそう......俺の、せっかくの稼ぎを!」
「......どうせ、まっとうに働いたお金じゃないんだし、いいじゃない......」
呆 れたようなコンスタンスのつぶやきには耳を貸さず──
オーフェンは地面に倒れたまま、ただ拳 を握りしめていた。
(一生ひとりで遊んでろ!:おわり)


「今日はちょっと虫の居 所 が悪いので、かなり本気で我 は放つ光の白 刃 っ!」
──どぉぉぉぉん......
今日も今日とて、トトカンタ市の一 角 に突 如 として立ち上る白い火 柱 。そして轟 音 。さらには、爆 音 の中にかすかに響 くふたつの悲 鳴 。
「ぎゃああああああ......」
黒焦げになって倒 れるふたりの地 人 を見ながら、オーフェンは、ふっと笑 みを浮かべた。黒 髪 、黒目、黒ずくめの若者である。その胸 元 に、銀 製 のペンダントが揺 れていた──大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》のペンダント。力ある黒魔術士の証 でもある。
彼は、かすかにニヒルな味を感じたように口元を歪 ませると、天を仰 いだ。
「......また無 駄 な殺 生 をしちまったな......」
「無駄だと思うのなら、ただちにやめんかい! この口より手より先に破 壊 光 線 が出る暴 走 借 金 取 りめが──」
黒焦げになった人 影 のひとつが、クレーターの中心からがばと起きあがり、声をあげた。毛皮のマントをまとった、身長百三十センチほどの地人である。もうひとり、似 たような格 好 で分 厚 い眼鏡 をかけているほうは、倒れたまま身動きできないらしい。
なんにしろ、立ち上がったほうは、手に持っている古びた長 剣 を杖 がわりにして身を預 け、叫 び続けてきた。
「だいたい貴 様 なんぞ、本来なら飛 び出 しナイフで飛び出し殺されるのが相 応 な──」
「我は放つ光の白刃っ!」
オーフェンが即 座 に叫び返したその呪 文 とともに、荒 れ狂 う熱 波 の渦 が、先にできたクレーターをさらにえぐる──爆 炎 の中に黒焦げの地人たちは、さらに消えた。炎 が消えたあとには、もう完全に沈 黙 して痙 攣 する地人たちだけが残っている。
オーフェンは静かに、再びふっと息を漏 らすと、着ている革 ジャケットの背中から、立て札 を一本取りだした。無 言 のまま、爆発のせいで粉 々 になった石 畳 に無理やりそれを立てる。
立て札には、『ここにいるのは、借りた金も返さない犯 罪 者 ですので、ご通行の皆様方、どうぞご自由に処 刑 ください(注・ちょっとやそっとでは死にません)』と書いてある。その立て札の下に、これまた懐 から取りだしたゴムハンマーや竹ノコギリを置いているところで、彼はふと──背 後 に気 配 を感じた。
「......?」
疑 問 に思いながら、振 り返 る。彼がよくあの地人たちから借金の取り立て業 務 を行なっているこの通りには、最近ではほとんど人通りがない。マスル水道という名前で知られている市内川に寄 り添 うような道である。彼が振り返った先には──
歳 の頃 十七、八といったあたりの、線の細い印 象 の少女が、胸元で手を握 ってこちらを見つめていた。
もっとも線が細い──というよりは、単に身体 がやたら細く見える、といったほうが近いかもしれなかったが。親指と小指でつかんでとどくのではないかというほどに、やたら腕 が細い。血 色 も、あまり良 好 とは言えない。ふらりと立ちつくし、ゆらゆらと揺れているようなポーズである。なんにしろ、こちらをじっと見つめたまま動こうとしないその少女に、オーフェンは怪 訝 な視 線 を投 げた。
「......なにか用?」
と言ってから、はっと気づく。
「あー、そうか!」
彼はにこやかな表 情 で、ゴムハンマーの柄 のほうを彼女に差し出した。
「いやあ、こんなに早く処刑人が現れてくれるとは思わなかったぞ。あいつらときたら、どんな高熱で焼 き尽 くされても二分くらいで復 活 しやがるからな。せっかく徹 夜 して作った立て札が無駄になるんじゃないかって、心配だったんだ──」
彼女はしかし、差し出されたハンマーを見下ろしながら、かぶりを振った。か細い声で言ってくる。
「そうではなくて」
「なにぃ⁉ 」
いきなりオーフェンが声をあげると──彼女はビビったように後ずさりした。だがオーフェンもまた、多 少 気 後 れしながら、
「おとなしい顔をして......こっちの竹ノコのほうがいいってのか......まあ、一応、俺 的 にはそれもオーケイだが」
「そういう問題ではないんですが」
と、竹ノコギリまでも拒 否 する少女に、オーフェンは今度こそ不 審 な眼 差 しを向けた。傾 いた夕日に斜 めに照 らされてもなお、その少女の顔色は白く見える。
「あなたにお願いがあるんです」
「お願い?」
オーフェンは聞き返した。竹ノコギリを見下ろして、うめく。
「そんなこと言われてもだな......これよりパワーアップした凶 器 となると、開発中の自動人 巻 き機 とか、超刺激 目薬──レモン汁 とかしかないぞ」
「とりあえず、その話 題 からは離 れてください」
多少うつむき加 減 に、少女は言ってきた。
「わたし真 面 目 にお願いしたいんですけれど......」
「はあ」
とりあえずハンマーとノコギリを立て札の下に置きながら、オーフェンは生 返 事 を返した。少女はどこか色の薄 い黒髪をわずかにカールさせている。睫 毛 が長いせいか黒目がちに見えるが、実 際 は瞳 の色すらくすんでいるのではないかと思えた。どのみち、見 覚 えはない。
彼女はうつむいたまま──さらに視線をそらすように夕日のほうを見つめ、小さなつぶやきを発してきた。
「わたしの青春を──わたしの人生を受け止めて欲しいんです、あなたに」
聞いたところで、無 論 、オーフェンが自分の眉 間 に刻 んだしわが消えたというわけでもなかったが。
「............?」
いやむしろさらに怪訝な表情を強めると、彼は奇 声 じみた声をあげた。
「はあ?」
「知りたければ、こちらへ来ることです」
彼女が真 剣 な顔で、ぎゅっとこちらの腕をつかんでくる。
やたら細い指のわりには異 様 に強い握 力 で、オーフェンは二、三度軽く振り払 おうとしてみたが、彼女の指はびくともしなかった。
彼女がこちらの腕をつかむのに使っているのは左手──そして空 いている右手を、彼女は優 雅 に夕日へとかざしてみせた。
「さあさあ。こちらへ」
軽くそう言いながら、ぐいぐいと腕を引っぱる。
「こちらへって......なんで?」
オーフェンは腕を引かれながらも聞き返した。が、彼女は取り合おうともしない。いまいち軽 薄 な、へらへらとした足取りで、角 を曲がった裏 路 地 へと進もうとしていく。
なんとなく出 端 をくじかれた形で、腕をふりほどく気にもなれずにいるうちに、彼は結 局 路地の中まで引っぱられていた。と、唐 突 に、彼女が声をあげる──
「はうっ......」
「へ?」
オーフェンは、自分でも間 が抜 けていると思うような声をあげていた。が、彼女は構 う素 振 りも見せず、こちらの腕から手をはなすとこれまた頼 りなく、ふらふらと地面に膝をついた。どこか──なにかに──陶 酔 しているような眼 差 しで、胸 を押さえる。
彼女はそのまま続けた。
「苦しい......持 病 のしゃくが......」
「はあ」
オーフェンは疑 わしくうなずきながら、鼻の頭をかいた。前にもこんなことがあったななどと思いながら、とりあえず一歩退 く。
だが彼女は素 知 らぬふうで、
「さすってください」
「やだ。なんか危 ないし」
オーフェンは即 答 すると、きびすを返して帰りかけた。が。
しゅざざっ!──
海 老 のように跳 んだ彼女が、後 ろから足首をつかんでくる。
「............」
とりあえず無言で見下ろしていると、彼女は地べたにうつ伏せになったまま、じっと硬 直 してから、顔を上げた。
「これなんてどうでしょう?」
言いながら手をはなすと、その手をいったん握りしめ、また開く。
彼女の細い指の間から、貧 相 な作り物の花が、ぽろぽろと落ちた。
「お花」
「いや、ンな手品見せられても......」
「わたし、ジニーっていいます」
「いや、さらに名 乗 られても......」
「ああ、サザエも壺 焼 きにできそうな真 っ赤 な夕日」
「いや、あまつさえ、そんなこと言われても......」
「............」
彼女──ジニーとやらは、そこでようやく口を閉じた。だが、それもほんの数秒のことで、なにか思いついたのか、ぽんと手を打って言ってくる。
「さすってくださいますと、口から銅 貨 が出るような気がします」
「あのなぁ......あんた......」
呆 れる──というよりは多少怖 さなど感じつつ、オーフェンはうめいた。
「まあ、よくは分からんが、個性というのは大事だが、君のは絶 対 、個性とかそーゆうものではないと確 信 できるぞ」
「なぜかしら。わたしに出会った方は、みんなそう言うの」
いつの間にか立ち上がり、あくまで軽薄な仕 草 で両手を広げるジニー。と──
その時だった。
「おうおうおうっ!」
なんの前 触 れもなく、路地の奥から、かっきり逆 三 角 形 の体 格 をしたガラの悪い男が、肩をよたらせながら歩いてくる。
どくろがプリントされた黒いトレーナーに、すり切れたバンドでとめた破れジーンズ。手に、砂を詰 めた革 の棍 棒 を持っている。
オーフェンがぽかんと見ていると、その男は大 股 で近 寄 ってきた。びし!──これは棍棒で自分の腕をたたいた音だが──と音を立て、さらに声をあららげる。いかつい顔には怒 りのしわが大げさなほどに刻 まれていた。
「おうっ! てめえっ!」
どうやら、自分のことらしいと気づいて、オーフェンは無言で自分を指 さした。
「?」
と疑 問 符 を浮かべていると、男は唇 の端 を顔 面 が変 形 するほどにつり上げ、
「てめえに決まってんだろーがっ! 抜 け作 か、おら! てめ、よくも人の女に手を出してくれたなっ!」
「............あんだと?」
わけが分からずに聞き返す。が、ふと見ると、すぐ横でジニーが、弱々しく自分の肩を自分で抱 いて、よよよとくずおれている。
「ああ......もてあそばれたわたし......」
「え〜と......」
オーフェンが言葉に迷 っているうちに、男はさらに詰め寄ってきた。
「痛い目にあいたくなけりゃ、人はちったぁ素 直 になるもんだぜ! まあ、並 の駄 々 っ子 なら、こいつで二、三度脳 天 をへこまされりゃ、良い子になるけどな!」
まくし立てながら、棍棒を振 り上げてみせる────
オーフェンは、半歩近づいた。左手の小指で耳の穴をかきながら(かゆかったのだ)、空いている右手で拳 を作り、それを軽く男の胸 板 に当てる。

そして次の瞬 間 ──オーフェンの左足が爆 発 するような足音を立てるのと同時、男の身体 は地面に倒 れていた。
「どおおおおっ⁉ 」
九十キロはありそうな巨 体 が、派 手 に転 倒 する。手を当てられていた胸のあたりを押さえつつ、男は立ち上がった。
「て、てててめぇ、刃 向 かうつもりかっ⁉ 」
「駄々っ子なんでね」
と、軽く跳 躍 する。
男には、なにが起きたか分からなかったかもしれない──実を言えばオーフェン自身も、自分の身体がどう動いたのか完全に理 解 していたというわけではなかった。相手との距 離 は一メートルほどだった。左足で、五十センチほどを跳 んだ。同じくして、右足を一メートルほど強く突き出す。
つまり、五十センチほどを突き通す力で、つま先が男の顔面にめり込んだ。
「ぶほおおおっ⁉ 」
今度も大きい悲 鳴 をあげて、男が後ろに吹 っ飛 ばされる。
だがそれでも、額 から血を流しながら、男は立ち上がってきた。がっくんがっくん震 える指先を、こちら──だろう、多分──に向けて、叫 ぶ。

「い、今のはないんじゃないか、おい⁉ すっげー痛かったぞ、コラ⁉ 」
「今度のは多分、痛みを感じずにすむから安心しろ」
つぶやきながら。
オーフェンは、右腕を上げた。そして叫ぶ。
「我は呼 ぶ破 裂 の姉 妹 !」
呪 文 と同時、空気圧を伴 った衝 撃 波 が、男の顔面を歪 ませた。爆音が彼を吹き飛ばし、悲鳴までもかき消して破裂するのに──半秒とかからない。
しん......
と、路地裏に静 寂 が下った。
オーフェンは腕 組 みして、とりあえずあたりを見回した。さっきまで座 り込 んでいたジニーは、やはり軽薄な仕 草 で妙 な踊 りを舞 っている。
「なあ......ジニー......」
これまた奇 妙 な格 好 (少し強 制 的 )で倒れている男が、震え声を発した。
「こ......こいつ、なんなんだ......?」
「カモです、兄さん」
ひらひらと舞いながら、彼女がつぶやく。
「向こうの通りで、道におっきなクレーターを作ってらっしゃるところを連れてきたのです」
「......頼 むから......今度からは、俺 にも勝てそーな奴 を連れてきてくれ......」
ずたぼろになった身体で地面にはいつくばったまま、男はそんなぼやきを続けていた。
「つまり──」
ふたりを交 互 に眺 めつつ、オーフェンは気づいた。
「つつもたせ、てやつか?」
「キャッチ間 男 と呼んでください」
「いやまあ......なんて呼んでもいーけどな」
「ああなんという運 命 ......」
「............」
とりあえずオーフェンは、彼女のほうにそれ以上の会話を求 めることはあきらめて、男のほうに向き直った。
しゃがみ込んで、聞く。
「お前ら、金 持ってる?」
「金......あれば、こんなところでこんなことやっとらんと思うぞ」
「それもそうだが、ほら、それでも俺を罠 にはめようとした慰 謝 料 とか払ってもらわないとならないし」
平 静 に告げるオーフェンに、男は、ふらふらと顔を上げ、
「こ......ここまでやっといて、さらに金を請 求 するの......か......?」
「とゆーか、金を請求するためにここまでやったんだが」
言いながらオーフェンは、男の顔をがっしとつかんだ。そのまま──引きずって、路地を出ようと歩き出す。
「これ以上詳 しいことは、事 務 所 で話をしようや、なぁ」
「あああ。ヤクザだぁぁ」
「誰 がだっ⁉ 」
まったく身に覚えのない言いがかりをつけられ、オーフェンは叫び返した。その瞬間。
「お待ちください!」
突 如 として、りんとした声が彼の行く手を遮 るように響 く──
立ちはだかっていたのは、ジニーだった。今までの軽薄な様 子 はどこかへ消えて、厳 しい眼 差 しでこちらを見 据 えている。
ぽつりと、オーフェンは聞き返した。
「......なんで?」
「............」
視線だけが絡 み合ったまま、数秒が過ぎる。
と、ジニーはさっきの気の抜けた表情にもどると、祈 るように手を組み合わせた──あさってのほうを向いて。
「兄さん。死んだらあのへんの星になってね。あの肉屋の看 板 のうえに、ひときわでっかく輝 いて欲しいと願う、妹の純 真 ......」
「見 捨 てる気かぁ! ジニィィィィっ⁉ 」
ばたばたと暴 れて、男が叫ぶ。
「やかましいわっ!」
オーフェンは、男の脳天に蹴 りを入れて黙 らせた。
「黙って聞いてりゃあ、人のことを肩が触 れたら暴れ出す街 のアウトローみたいに言いやがって! いいか、そーゆうチンピラってのはだな、たとえば自分より腕 力 の劣 る一 般 市 民 に因 縁 をつけて、さんざ叩 きのめして戦 意 を奪 ってから、獲 物 を事務所に連れ込んで、慰謝料だなんだと法 外 な金を要求する──ような......ええと」
息 も継 がずにまくし立てながら、オーフェンは──冷たい眼差しで、じっとこちらを見つめているふたりに、だんだんと声を小さくしていった。完全に声を途 絶 えさせてから、こほん、と咳 払 いする。
「ええと、その、そういうようなことをしながら、鼻 にストロー突っ込んで奇 声 をあげたり、足の裏 にたんぽぽを咲 かせて『世界を平和に』とか歌を唄 うよーな連中のことを言うんだ! 俺はそんなことはしないぞ!」
「無 理 やりマニアックな条 件 を付 け足 して、ごまかすんじゃねえっ!」
たまらず、男が叫んでくる。オーフェンはそっぽを向くと、腕 組 みしてうめいた。
「まったく、常 識 を知らない奴らはこれだから困る......」
「まったくですねぇ」
「ああっ⁉ またさりげなく裏切ってるな、ジニー! お前またそーゆう、強い側 にすり寄 って細く長い人生を生きようなんて、そんな性 根 で人生は幸福 か⁉ 光り輝 く真 理 はあるか⁉ 」
男がジニーのスカートのすそをつかんで力 説 するが、彼女はろくに聞いてすらいないようだった。手近な壁 に手を突 き、ため息などついている。
「ジャガイモの芽 は、もう出たかしら......」
「ええい、またわけの分からんことを」
「あら? どこに行かれるのですか?」
と──
たずねられてオーフェンは、足を止めた。気づかれないうちに路地を出たかったのだが、そうもいかなかったらしい。
嫌 々 ながら振 り返 り、答える。
「いや......なんだか今のうちにできる限 りお前らから離れたほうがいいような気がしてきて」
「ええっ⁉ 」
たじろいだ仕草で──ジニーが、口元に手を当てる。
しばし硬 直 したのち、彼女は、またふらふらと身じろぎした。服のそでを軽く口にくわえ、ぽつりとつぶやく。
「それも......愛?」
「あのな──いや、いい。もう別に」
なにかいろいろなことを言いかけて、オーフェンはかぶりを振った。
「じゃあ、元気でな。もう二度と会うこともないだろうが、もしそういうことがあったとしても、運命に抗 う気持ちだけは捨てないつもりだ、それじゃ」
「待って!」
ジニーは──しつこく、叫んできた。一応見やると、彼女は白いレースつきのハンカチを目元に当て、
「あなたに......あなたに、言いたいことがあるのです」
「......なんだ?」
嫌な予感を覚えながら、聞く──と、彼女はぱっと顔を上げた。手のひらを上にして小さい手を差し出し、しれっと言ってくる。
「兄さんの治 療 費 と慰謝料。払わないと、警 察 沙 汰 になるのですが」
「............」
オーフェンは無言で、彼女をはたき倒した。
「んで......結局お前ら、なんなんだ?」
ふたりを連れ、いつもの宿屋へ──連れていく必 要 もなかったような気もしたが、なんとなく連れてきてしまっていた。この馴 染 みの食堂には、相 も変 わらず客の姿はない。唯 一 の客はオーフェンたちということになるが、オーフェンは金を持っていなかったので、まあこういうのは普 通 は客と呼ばない。
そのふたり──ジニーと、男は、じっとこちらを見て座 っている。ただ、こちらを見ているのは同じでもその視線には違いがあった。夢 見 るようなジニーの眼 差 し。たかだかぼろくそにやられたからくらいで恨 みがましい目を向けている男。どうやら兄 妹 らしいが、まったく似 たところはうかがえなかった。
「決まっているでしょう」
さっと──天 女 が衣 の袖 を振るように、とでも言えば多少は美しいイメージなのかもしれない。が、そうというよりは鳩 時 計 の鳩のような無 責 任 で軽 薄 な動きで、ジニーは手を横に振った。
「太陽は東から昇 るのよ」
「お前らいったい、なんなんだ?」
彼女のほうは無 視 して、男に聞き直す。
男は──ふっと、不 敵 な笑 みを浮かべると、
「それが......このロイ様にものをたずねる態 度 だとでも思っているのか?」
がたん。
オーフェンは即 座 に立ち上がった。と、男──ロイとやらの顔色が一気に悪くなる。
「あ、い──いや、そそ、そういうつもりじゃないんだ──ないんです、はい。ええと、あの、早とちりしてませんよね?」
わたわたと手を振りなから、彼もまた椅 子 から腰 を浮かせる。
「や、やだなぁ。俺──いやぼくがそんな、逆らうわけないじゃないですか。あ、そうだ。く、靴 、靴をなめさせてください」
ひとりで騒 いで、そのままこちらの足下にかがみ込んでくる。本気で靴をなめるつもりなのかどうかしらないが、オーフェンはうんざりとうめいた。
「あのなぁ──」
が。
「ふっ......」
唐 突 に──こちらの足下にひれ伏 した姿 勢 で、ロイが含 み笑 いを漏 らす。そして、素 早 く手を伸ばし、こちらの左足首をしっかりとつかんで、彼は顔を上げた。
「はーははは! とんだ甘ちゃんだな! 慢 心 が油 断 を呼んだのさ! それとも俺の演 技 力 かな⁉ 」
誇 らしげに哄 笑 を張り上げる──見るとジニーも気楽に踊っている。
「遠 慮 せずにあわててみせろよ! 片足をつかまれて戦えるってんなら、話は別だがな!多少は戦い方を知ってるようだったが、結局は俺のストリート・ファイトのほうが──」
「うるせえ」
オーフェンは一言告 げると、即座に右足でロイの顔 面 を踏 みつけた。めこっ、と鈍 い音を立てて、鉄 骨 の仕込まれたブーツの一 撃 が男を黙 らせる。
悲鳴もあげられずにその場に倒れたロイの胸ぐらを、オーフェンはつかみ上げた──ぐいと引っぱって、靴 底 がくっきり残った彼の鼻先に、ぐっと顔を近づける。
「さ・て。もう一度だけ聞く質 問 と、何度でも聞くつもりの質問をひとつずつだ」
「は......はひ」
歯 の欠 けた声をあげながら、へこへこうなずくロイ。オーフェンは静かに続けた。
「お・ま・え・ら・は、なんなんだ?」
「し、仕事にあぶれた、可 哀 想 な役者の兄妹ですぅ......」
「で、俺に払うべき迷 惑 料 と慰 謝 料 をいくらぐらい持ってるんだ?」
「え──え? 迷惑料? いえ、あの、そんなこと言われても......」
「俺に払うべき迷惑料と慰謝料をいくらぐらい持ってるんだ?」
「あ、だからその......」
「俺に払うべき迷惑料と慰謝料をいくらぐらい持ってるんだ?」
「ですから」
「俺に払うべき迷惑料と慰謝料をいくらぐらい持ってるんだ?」
「も、文無しですぅ......」
その一言を聞いて、オーフェンは──手から力を抜いた。どさっ、と食堂の床 に、男の身体 が落ちる。
「そうか......」
目を閉じて、沈 痛 な思いでかぶりを振り、オーフェンは続けた。
「そんなに死に急ぐとは......」
つぶやきながら右手を振り上げると、その手の先に、ぼっ、と白い火 球 が点 る。
「っきゃあああああっ⁉ 」
かさかさと床を這 い回 りながら、ロイが悲鳴をあげた。
「ち、ちょっと待ってくださいっ! お、お金はなくとも、俺たちには、もっと別のものがありますっ!」
「別の?」
火球を消して、オーフェンは聞き返した。ロイは、まだじわじわと後ずさりしながら、聞いてくる。

「そ、そうですね......例 えば、あなたが今一番欲しいものはなんです?」
オーフェンは、つと考え込んだ。が、考えるほどでもなく答えが浮かんでくる。
「さしあたっては、まあ、食い物かな。ここ数日、またなにも食ってねえし」
「それなら、ばっちりです! 俺たちがパン屋に扮 装 して、あなたにパンをあげる演技をする! というのはどうでしょう!」
「どうにもなるかぁぁぁっ!」
残っていた靴跡にぴったり重なるようにして、ガッツポーズを取ったロイの顔面に再度ブーツがたたき込まれた。
「う......な、ならば、さ、魚──魚屋に扮装しろ、と?」
ぼたぼたと落ちる鼻 血 を手で押さえ、ロイがうめく。オーフェンは半 眼 で告げた。
「そーゆう問題ではなくて」
と、思いついて、聞く。
「だいたいお前ら、役者だったってんなら、なんであんな、つつもたせなんてやってたんだよ。素 直 に次の役を探 せばいいだろが」
「ふっ......前の公 演 で、少しばかり座 長 との意見の食い違いが起こりましてね。ほとぼりが冷めるまで、劇 場 の外でお金を稼 がなければならないのですよ」
「......意見の食い違い?」
「ええ。ジニーの発 案 で、観 客 席 に向かって豚の内 臓 が入ったバケツを放 り投 げたら、ちょっとばかり暴 動 になってしまいましてね。それ以来、座長が会ってくれないのです」
「意見の食い違い......かなぁ」
オーフェンは首をひねりながら、ジニーのほうを見やった。彼女もまた、こちらを見て優 しい笑みを見せている。
「なんで、豚の内臓なんて投げたんだ?」
ジニーは、うふっと息を漏 らしながら肩をすくめた。
「大事に育てていた朝 顔 が、枯 れてしまっていたことに、その日、気づいたの」
言いながら、祈るようなポーズを取って天 井 を見つめる。オーフェンは意味が分からずに、眉 根 を寄せた。
「......で?」
星のように瞳 をきらきらさせながら、彼女は答えてきた。
「むしゃくしゃしてたから」
「ただの憂 さ晴 らしなんじゃねえかっ!」
オーフェンは軽い頭 痛 を覚えながら、ロイに聞いた。
「......なんでこんなののアイデアを取り入れるつもりになれるんだ?」
「なにを言うんだ⁉ 」
どばん、と跳 ね上がるようにして、ロイが立ち上がる。よほど激 昂 したのか、言 葉 遣 いがもとにもどっていた。
「ジニーは正 真 正 銘 の天才だぞ⁉ その証 拠 に、ほら、なんとかと天才は紙 一重 という物 理 法 則 があるだろうがっ!」
「それのどこが正真正銘だ⁉ 」
一通り叫んでから──急 激 に力が抜けるのを感じて、オーフェンは近くの椅 子 に腰を落とした。ほおづえをついて、うめく。
「ったく......この街にゃ、こーゆう連中しかいねえのか? 頭の中になにを飼 ってるんだか知らねえが、頭 蓋 骨 の中には、本来なら脳 細 胞 もあったほうがいいらしいぞ」
「いや、そこまでくそみそに言われる筋 合 いもないと思うんだが......」
ロイが弱気な抗 議 をあげる。と──
食堂の扉 が開 いた。入ってきたのは、どこか子供じみた雰 囲 気 の残ったスーツ姿の女である。
彼女が、片手をあげて言ってくる。
「やっほー、オーフェン、帰ってたの?」
「おう。飯 食いにきたのか?」
オーフェンは、彼女──コンスタンスに聞いた。
「ええ」
店の中に入りながらうなずく彼女に、さらに告げる。
「今、誰もいないみたいだぞ。バグアップの奴も、マジクもボニーもいねえみたいだから、なんも出ないぜ」
「えー、じゃあ、わたしが作る」
口をへの字にしながら、彼の前を通り過ぎて厨 房 に向かいかけ──コンスタンスは、ようやく気づいたように立ち止まった。ロイとジニーを見て、きょとんとしている。
コンスタンスはこちらを向くと、ごく平 然 と言ってきた。
「珍 しいわね、あなたに友達がいるなんて」
「どーゆう意味だっ⁉ 」
オーフェンは叫ぶと同時に立ち上がった。すたこらと厨房へ逃げていくコンスタンスの背中を指さして、さらに声をあららげる。
「お前といっしょにするなよな! 俺には友達なんざ、いくらでも──いくらでも......」
数々の顔が脳 裏 を横切っていき──オーフェンは、その顔と名前を一 致 させるごとに、声を小さくしていった。
完全に声が途 絶 えてから、咳 払 いする。既 にコンスタンスは厨房へと姿を消していたので、あさっての方に向かって、
「まあ、大事なのは友達の数ではないさ」
「そうさ。その通りだぜ」
拳 を握 って──いつの間にか隣 に立ち、同じ方向へ顔を向けているロイが、言葉を重ねてきた。
ジニーもまたその横でロイの肘 に手を添 えて、微笑 んでいる。
「わたしたち三人だけでも生きていけるわ」
「勝手に俺まで同 類 にするな!」
「その通りです。このわたしと黒魔術士殿との無 双 の友情に割って入ろうなど、いけずうずうしい」
............
唐突に、背 後 から声が聞こえてきて──
オーフェンは、振り向いた。と、そこには顔面──というか身体の前面をすべて真っ白に塗 った銀 髪 の男が立っている。
「キース⁉ 」
タキシード(前面は白)姿のその男に、オーフェンは驚 愕 の声をあげた。
「い、いつの間に現れたんだ?」
いつものことと言えばいつものことなのだが、気にかからないことではない。聞くと、キースは平然と壁のほうを指さした。
「ずっとあそこにおりましたが」
白い手 袋 に包 まれた彼の指先が示していたのは──
壁である。食堂の白い壁に、ぽっかりとキース型のへこみがあった。へこみは等 身 大 で、深さも人が入れるくらいにはある。
オーフェンは半眼で聞き直した。
「あの......中にか?」
「はい。僭 越 ながらわたし専 用 に、とりあえず作ってみました」
「いや、どーとは言わんが」
顔に塗ってある白の塗 料 をタオルで拭 いているキースに、オーフェンはため息だけを返して、あとの答えはあきらめた。
と......
キースの動きが、止まった。驚 いたように、目を見開いている。
「......?」
疑問に思って、オーフェンはあたりを見回した──と、キースと向かい合うように、ロイとジニーが、やはり驚愕に顔をひきつらせて立ちつくしている。
キースの手から、タオルが滑 り落 ちた......
「まさか、あなたは......」
「まさか、あなたがたは......」
ロイとジニー、そしてキースの声がすれ違う。
その時、厨房からコンスタンスが顔を出した。
「ねーオーフェン、あまりたいした材料がないみたいなんだけど、食べたいものある?」
オーフェンはくるりとそちらを向いた。
「あ、そうだな。なんか腹にたまるもんだったら、なんでもいいけど」
刹 那 ──
「黒魔術士様、危なぁぁぁぁぁいっ!」
雄 叫 びとともに、猛 烈 なプレッシャーが襲 いかかってくるのを感じて、オーフェンは横に跳 んだ。同時、天井を突き破って、巨大な鉄 球 が落下してくる──一トンはありそうなその鉄球は、彼が立っていた場所に思い切りその重さをたたきつけた。半分以上も床にめり込んで、そして動きを止める......
地 鳴 りのような轟 音 が、どこかへ遠ざかっていった。
「なんということでしょう......」
恐ろしげに、キースがうめく。手に、天井から垂 れ下 がったロープを握っている。ロープの先には『スイッチ』と書いてある札がぶら下がっていた。
「いったい誰が、こんなトラップを⁉ 」
「おのれじゃあああああっ!」
オーフェンは叫びながらくってかかったが──キースは、ひょいとその手をかわした。握り拳を抱いて、ひとりうなずいている。
「きっと、無二の親友であるところのわたしが、意外な事実に直 面 して驚いている演技をしているというのに、お腹 にたまるもののことしか考えていない食 欲 第 一 主 義 者 に対するテロ的な犯 行 に違いありません。犯人はきっとわたしが捕 まえてみせますぞ」
「捕まえようとしているのがお前である限り、絶 対 に捕まらんと思うが」
オーフェンは冷たい視線でキースに告げた。
「しかも、演技だったのか、さっきの」
と、ついでに鉄球のせいでめちゃめちゃに壊 れた店内を見回す。これだけ壊れると、魔術で直すのにもかなりの手間がかかる。ついでに飛 び散 った破 片 が直 撃 してコンスタンスも倒れていたが、まあそれはどうということでもない。
そして──見回している間に、視線がロイとジニーのふたりに触 れた。ふたりとも、いまだにキースから凝 視 を外 していない。
「演技......演技か......」
憎 々 しげに、ロイがうめくのが聞こえた。その隣で、ジニーはくるくると踊っている。
「ついに、俺たち兄 妹 の前に姿を現したってわけだ......」
びしっ! と指をこちら──というかキースに向けて、ロイは続けた。
「あの日以来、貴 様 に勝 る力を得るために、どれだけの血 と汗 を流したか......」
と、歯を食いしばったロイの口元から、苦 渋 の血がにじみ出るのがはっきりと見える。
「伝 説 となったあの舞 台 での屈 辱 、俺たちはいまだ忘れていない。だがあれから俺たちは、途 方 もない努 力 を続けたのだ! 演技力を養 うために、道ばたでつつもたせをしたり、ご年 輩 の方々だけを狙 って『金 を買いませんか』と勧 誘 したりした」
「......つつもたせはともかく、金の売 買 の勧誘に、演技力が関係あるのか?」

オーフェンの指 摘 に、ロイは自 信 たっぷりにうなずいてきた。
「俺たちは金なんぞ当 然 持ってなかったから、そのあたりを演技力でカバーしたのさ」
「犯罪じゃねーか」
オーフェンは再 度 指摘したが、今度のはロイの耳にはとどかなかったようだった。
「とにかくっ! このよーな努力の結 果 、俺たちは貴様を超 えたのさ! お前も言ってやれ、ジニー!」
「その通りです」
と、いつの間にか踊るのをやめていたジニーが、兄の横に並んで声をあげる。周囲の視線の集まる中、その小さな手を兄の肘 に添 えて、彼女は──毅 然 とあとを続けた。
ただし、ちょっと首を傾 げて。
「......どの通り?」
............
つらくて重い沈 黙 が、場を支 配 した。
(つづく)

しん......
凍 りついた空気は、冷 気 を感じさせるというよりはただぱさついて喉 が渇 くだけだった。その中で溺 れている──というか沈 んでいる。もがくとも動けない。
オーフェンはただ呆 然 と、その場に立ちつくしていた。鉄球のせいで壊 れた床 であるとか、それに巻き込まれてぶっ倒 れているコンスタンスであるとか、なぜかこんな時だけ真 顔 でしゃんとしているキースであるとか、そんなものはどうでも良かった。ただ待たなければならなかった。
「お......」
そのどくろのシャツの胸 の部分にしわが寄 って、どくろのプリントが泣 いているように見える──なんにしろロイが、声を震 わせてなにやらしゃべろうとするのが聞こえた。
唐 突 に、砂がたっぷり詰 まった革 の棍 棒 を振り上げて、叫 び出す。
「愚 か者ぉぉぉぉぉぉっ!」
彼は大声をあげながら、横に立っている妹──軽 薄 な仕 草 で首を傾 げていたジニーの後頭部に、その棍棒を打ち付けた。やたら派 手 なモーションで、小 柄 なジニーが殴 り倒される。
ロイはなにやら男泣きに泣きながら、さらに大声でわめき続けた。
「そんな──そんなネタで、奴 に勝てるかぁぁぁぁぁっ⁉ 」
殴り倒されたジニーが、ひょこっと起き上がる。ケガひとつないらしい。
彼女はやはり軽薄な声で、ひょろりとつぶやいた。
「......血が」
「出てないっ!」
「くも膜 下 に」
「死んでるっ!」
「良かった......」
「なにがだっ⁉ 」
胸 元 で手を組んで安らかにつぶやく妹に、ロイは地 団 駄 踏 むように床を蹴 っていたようだが──
「はっ⁉ 待て、ジニー!」
突 然 、気づいたようだった。あたりを見回して、
「どこへ行く⁉ 」
いつの間にかジニーが、ほほほほほと笑い声をあげながら、まったく無 表 情 に、後 ろ向きに走っていく──
「ジニィィィィィ⁉ 」
そして、追いかけていく兄とともに。
ジニーは、食堂の外へと走り去っていった......
「............」
さらに深い静 寂 。オーフェンは、こめかみに人差し指を当てて、きつく目を閉じた。ここ数時間で起きた出来事が次々と浮 かんでは消えていく。
彼は目を開けると、手近なテーブルの上に正 座 して茶などすすっているキースへと視 線 を向けた。一応、聞いておく。
「......あいつら、なんだったんだ?」
「ふっ......」
どこか無表情な部分の残る半 端 な笑 みを漏 らして──まあ、それはいつものことなのだが──、キースがことんとティーカップを置く。彼は腕 組 みすると、あさってのほうを見上げ、答えてきた。
「どうやら、わたしの過 去 を話さなければならない時が来たようですね......」
「......いや、いい」
オーフェンはきっぱりと断 ると、キースを置き去りにして、がれきの中に埋 もれたコンスタンスを掘 り返しに行った。
夜が明けるために払 う犠 牲 もなく──つまりはつつがなく夜は明け、オーフェンはいつものように通りを歩いていた。まあ、これまたつまり、いつものように行くあてもなくということだが。
「それはそれとして──」
オーフェンは、振り向いた。
「なんでお前がついてくるんだ?」
「黒 魔 術 士 殿 のためなのです!」
握 った拳 をぶんぶか振って、力強くキースが言ってくる。
疑 わしげに見つめていると、彼はさらに口 調 を強めた。
「つまり、昨日 の者ども、わたしとは浅 からぬ因 縁 が......」
オーフェンは無視して、歩 調 を速 めた。
トトカンタには大きな通りがいくつもあるが、言うまでもなく、むしろ路 地 などのほうが数は多い。馬 車 道 と大通りは現 実 には分かれていないが、法 制 上 は区 分 けされているらしい。馬車が禁 止 されている通りに入ってくることもあるし、通 行 人 は言うまでもなく、近 道 とあらばどのような場所でも通り抜 けようとする。
結 果 として、こういう声も聞こえてくる。
「きゃあっ!」
「ばっけやろう、気をつけろい!」
──どうやら、馬車が誰 かを轢 きそうになったらしい。
オーフェンは即 座 に声のしたほうを向きやると、きらりと目を輝 かせた。と、キースが声をあげる。
「おお、黒魔術士殿。そのケダモノのような下 心 満 載 の下 卑 た眼 差 しは、なにか忌 まわしい悪 事 でも思いついたのですか?」
「......とりあえず、言われたことへの仕 返 しはあとでやることにしとくが、この状 況 でやることはひとつだ!」
「と申しますと?」
「とりあえずその現場をひき逃げと勝手に決めつけて、その被 害 者 の代 理 人 として、御 者 から慰 謝 料 をふんだくる! まっとうな商 売 だ!」
と──
「ど・こ・が──」
声は、近くの人 混 みの中から聞こえてきた。女の声。ついでに言うと、知っている声......
「まっとうな商売なのよぉぉっ!」
その声は怒 声 をあげながら、人混みの中から飛び出してきた。しっかりと構 えている長い警 棒 を、ぶんと振り下ろしてくる──
ぱしぃっ!
オーフェンはその警棒を白 刃 取 りで受け止めると、その声の主──コンスタンスにきっぱりと告 げた。
「なに言ってやがる! 弁 護 士 がやってることとおおむね同じだろうが!」
「あんたには弁護士の資格なんてないでしょーがっ!」
警棒を握る手に力を込めながら、コンスタンスが言ってくる。
「ぐっ......!」

痛 いところを突 かれたが、弱気になるわけにはいかなかった。とりあえず、話 題 を変える。
「それはそれとして、コギー、なんだっていきなり現れたんだ⁉ この通りは、警 邏 の範 囲 じゃねえはずだろ⁉ 」
「ふうん......よぉく知ってるわねぇ......」
ぎりぎりと歯を鳴らす音がはっきり聞こえてくる。そのくらい顔を近づけてきて、彼女はうめくように言ってきた。
「まるで、あらかじめわたしの警邏範囲を調べておいて、わたしを避 けてたみたいな感じじゃない?」
オーフェンは、一 瞬 ならずぎくりとたじろいだが、あわててかぶりを振った。
「な、なんのことだっ⁉ 」
「あんた、昨日わたしが気 絶 してる時に、わたしの財 布 から二百ソケット札 を抜き取ったでしょ!」
「ぐ......し、知らないぞ! その程 度 の額 なら気づかないはずだなんて思ってもいなかったし!」
「あんたの嘘 はすぐ分かるのよぉぉ! とぼけたって駄 目 よ! ちゃんとお札にはわたしの名前書いてあるんですからね! さっさと返しなさい! 素 直 に返せば無 実 の罪 で三年くらいぶち込むだけで許 してあげるわ!」
「ぐうううううう!」
オーフェンは警棒を受け止めながら──その力に脅 威 を覚えて歯を食いしばっていた。コンスタンスのこめかみに、青 筋 が浮かぶのが見える。恐 らく、こちらも似 たようなものだろうとは思ったりもするが。
だが──
オーフェンは、ふっと笑 みを漏らした。勝 利 を確 信 して、告げる。
「コギー......ちょっと待ってくれ」
「なにを?」
ぎりぎりと軋 む警棒の向こうで、彼女も笑みを浮かべている。なんというか、簡 潔 に言うならば「殺 ス笑み」だ。
オーフェンは、彼女の一瞬の隙 に両腕の力を入れ直すと、さっと警棒を横に弾 き、膠 着 状 態 を脱 出 した。ふたりの手から警棒が弾け飛び、からんと音を立てて道に転 がる......
すぐにそちらを追いかけると思いきや、コンスタンスはその場に立ったまま、こちらを見ていた。オーフェンもそれを見返し、あらためて口を開く。
「今、面 白 いことを言っていたな......札に名前が書いてある?」
「そうよ」
彼女がうなずく。オーフェンはまた笑うと、自分の財布を取り出し、彼女に手渡した。すぐさま、彼女がその財布をのぞき込む。
即座に財布から青色の二百ソケット紙 幣 を取り出すと──彼女は勝ち誇 ったような声をあげた。
「これよ! 間 違 いないわ! ここの折 り目 としわが特 徴 よ! 私の大切なトミー! 帰ってきたのね⁉ 」
「笑 止 !」
オーフェンは、その紙幣をびしと指さすと──哄 笑 した。
「よく見ろ!」
「え......?」
疑 問 の声をあげて、コンスタンスが再び紙幣に視線を落とす。そして──
「ああっ⁉ 」
「その通り! その紙幣に記 してあるのは、俺 の名前だぁっ!」
呆 然 と立ちつくす彼女の手から紙幣をもぎ取り──オーフェンは、わき上がる歓 喜 を抱 きしめた。胸 中 で、自分に対する賞 賛 の声をあげる......
(お帰りメアリー......そして、おめでとう俺......おめでとう俺!)
目 頭 までもが熱くなる。だが泣くことは自 制 した。
(お札に名前を書いておく。しごく当たり前なこの行 為 が、こんなところで役立つなんて......! 良かった......あの腐 れ警 官 の名前を書き直しておいて、本当に良かった......!)
勝利の味を存 分 に噛 みしめて、オーフェンは、その場にくずおれているコンスタンスにちょっとした憐 れみの視線を送った。だが、敗 者 にかけてやる言葉を勝 者 は持ち得ない。
彼女の横を通り過ぎて、オーフェンは、さきほど女の悲 鳴 が聞こえてきたほうに歩いていった。つまらないことで時間を食ってしまったが、まだ間に合うかもしれなかった。と思ったのだが──
「それですむと思ってんのか⁉ ああ⁉ 」
「ひいいいいっ!」
やはり、聞いたことのある声......
悲鳴のほうは、さっきの御者のものに間違いなかった。だが、それを罵 倒 したほうの声は......
オーフェンは人混みをかき分け、前に進んだ。馬車が停 まっている。御者台には、いかにも腕 っ節 の強そうな初 老 の男──だが、それが、御者席の隅 っこに縮 こまっている。
馬車を停めて、御者を脅 しつけている男は──
「人ひとりはねといて、逃げるたぁ大 した度 胸 じゃねえか! ひき逃げが殺 人 と同 罪 なのは知ってるんだろうなあ⁉ 」
「ひいっ!」
と、短い悲鳴──これは男が、御者台を棍棒で叩 きつけたからである。
かなり怯 えた様 子 で、御者は震 え声をあげていた。
「で、でも......その、実 際 にぶつかったわけじゃあ......」
「そらっとぼけるとは、これまた恐ろしい度胸じゃねえか!」
男は──言うまでもない。昨日の男だった。確か、ロイとか言ったか。
「しらばっくれても、そこのご婦 人 がなんと言うかなぁ⁉ 」
「あああああ」
近くの道 路 に倒れたまま、ぐったりと──ジニーとやらがうめいている。
「わたし......わたし、もう死ぬのね......」
どう見ても無 傷 だったが、あえて野 次 馬 たちの中にも、それを指 摘 しようとする声はないようだった。

とりあえず──
オーフェンは頭の中で、なにかを切 り替 えた。
すうっと息を吸 い込み、
「我 は放 つ光の白 刃 っ!」
放たれた光の帯 は──
まっすぐに、ロイの足 下 に炸 裂 した。光は炎 と化 し、爆 音 をあげる。突 然 の爆発に、野次馬たちが、わぁっと散っていった。
何メートルか後退した人混みの中で、動かずにいたオーフェンだけが取り残される......
爆 風 で吹 き飛 ばされ、少しばかり焦 げた様子のロイが、こちらを見て声をあげた──今度、悲鳴じみた叫びをあげたのは彼である。
「て、てめえはっ⁉ 」
「ふっふっふっ......」
オーフェンは腕をぴっと振ると、含 み笑 いに合わせて肩 を揺 らした。
「昨日はつつもたせ、今日は当たり屋か?」
「な、なんだって⁉ 」
御者が、びっくりしたような声をあげる。
オーフェンは、びしと指を突きだした。
「聞いて驚 け! そいつらはグルだ! というわけで爺 さん!」
「はいっ⁉ 」
御者に向かって空 いているほうの手を──ただしこちらは手のひらを上に向けて、突きつける。
「謝 礼 っ!」
「............は?」
「助けてやった謝礼!」
なんの疑 問 も持たない眼 差 しで、オーフェンは繰 り返した。対して御者の老人は、多少の疑問は持っていたようだったが......とりあえず懐 から紙入れを取り出すと、
「ええと......持ち合わせがないんで、乗り合い馬車の回 数 券 ......」
「む。まあいいだろう」
「ど、どうも」
首を傾 げながらも礼を言って、さっさと馬車で去っていく......
あとに残され、オーフェンがロイと対 峙 していると──後ろから、コンスタンスが近づいてきた。どうやら、敗 北 の衝 撃 から立ち直ってきたらしい。
とりあえずオーフェンは、ロイへと向かって口を開いた。
「ふん......わけの分からんことで騒 ぎ倒 したあげく逃げていって、正 体 が当たり屋だとはな。街に巣 くう害 虫 が。事 故 を装 って罪もない御者を脅 し、慰 謝 料 をせしめようとは、言 語 道 断 !」
背 後 からコンスタンスが、冷たく問いかけてくる。
「あんたそれ、本気で言ってる?」
「やましいところなどなにひとつないっ!」
オーフェンはきっぱりと叫 ぶと、ロイに向かって突きつけている指を、さらに前に進めた。
「というわけで、この俺がてめえをしょっ引いてやる! ちなみにコギー、こーゆう当たり屋を捕 まえた場合、賞 金 はいくらだ⁉ 」
「あんた、賞金稼 ぎの免 許 なんて持ってないでしょ......?」
「なんでそーやって、免許だの資 格 だのなけりゃなんにもできねえんだよ!」
「みんなでよってたかってそれをやったとしたら、犯 罪 よりタチが悪いからに決まってるでしょ! バウンティー・ハンター法に明 記 されてるわよ!」
即座に叫び返してくるコンスタンスに──オーフェンは、うめいた。
「くっ......無 能 警官のくせに、なんでそんなことには詳 しいんだ?」
コンスタンスは、ふふんと鼻 先 を上げてみせた。
「こー見えてもわたしは、ペーパーテストじゃ、難 解 な問題ほど成 績 が良かったのよ。警察学校じゃトップだったんだから」
「つまり......」
オーフェンは、妙 に納 得 してうなずいた。
「必要なことはなんも覚えてないくせに、普通の人間じゃまず覚えていないよーな、役にも立たない知 識 ばかりに詳しかった、てことだな?」
「大きなお世話よ! 悔 しかったら、あんたもトップ取ってみなさい!」
「い、言うな......それは個人的に、ものすごく悲しい思い出だから......」
オーフェンは、危 うくいろいろと思い出してしまいそうになって頭を抱 えながら、ロイのほうへと向き直った。
ロイはじっと、こちらを見 据 えている。ちなみに昨日と同じ、どくろの服である。ほかに服を持っていないのかもしれない。
「くそったれが......俺たちの、演 技 力 向 上 のための修 業 を邪 魔 しやがって......」
「きっぱりと犯罪だっ!」
「しかも、ここらでちょっとは儲 けておかないと、明 日 は牛 乳 一本買えそうにないってのに!」
「なおさら犯罪だっ!」
「うううるせぇぇぇぇぇっ!」
やけくそになったのか、ロイが叫ぶ──
刹 那 。
「待って、兄さんっ!」
いつの間にかジニーが、彼の横に立っていた。彼女はその細い手をすっとあげ──ある一点を静 かに指さす。
野次馬どころか、通りの喧 騒 までもが、凍 るように静まっていった。そして......人だかりをふたつに割 って、ひとりの人 影 が現れいでる──
キースだった。ぴしっとしたタキシード姿 は、不 思 議 ですらある。特に、人混みの中を通ってきたはずだというのにしわひとつないあたりなど。
ついでに言うと、ジニーが指さした方向とは、まったく別方向からの登 場 ではあった。
「............」
しばしして、ジニーがつぶやく。
「あっちが西よ」
「き、貴 様 はっ⁉ 」
ジニーのことは完全に無視して──ロイが、叫び声をあげた。すべてが注 視 する中、キースはあくまで優 雅 に、白 手 袋 に包まれた指を立てた。そして、口を開く。
「ふっ......まあ、先ほどせがまれてせがまれてせがみ倒されたあげく、仕 方 なしに説 明 して差し上げた黒魔術士殿にはご理 解 いただけているでしょうが......」
「捏 造 するなっ! 勝手にっ!」
オーフェンは無 駄 だと知りつつ叫んだが、案 の定 、キースは聞いた素 振 りも見せてこなかった。
「お久しぶりですね──役 者 殿」
「おうとも! 長かった──この年月は!」
ロイが叫びながら、棍棒を構える。ジニーが横でまた、よく分からない踊 りを踊っているせいで緊 迫 感 はないが。
だが、なんにしろ......
「帰るか」
「そうね」
オーフェンとコンスタンスは即座にそう言ってうなずくと、さっさとそこを後にした。
オーフェンたちは早 足 で道を進んでいった。
「え、ええとだな、その......聞いてる?」
オーフェンたちはさらに足を速めた。
「あの──だから、俺はこの男に因 縁 が......あ、あれ? ひょっとして聞きたくない? そんなわけないなぁ。そんなわけないさ」
またさらに足を速める。
「ことの起こりは──そう! 先々週!......って、全然遠い昔じゃないやんけ! って、そーゆう突っ込みもなし? ほったらかし? あれ?」
フェイントで立ち止まり、また早足で歩き始める。
「ええと、その、先々週なんだけど、ハーサン通りのカミルペア劇 場 って、俺たちはそこで働いていて──」
オーフェンは......
ようやく、立ち止まった。根 負 けした自分を責 めながら、ずっとあとをついてきていたロイとジニー、そしてキースを見回す......
コンスタンスも似たような表情だった。彼女は見回すだけでなく、うんざりとうめいている。
「あんたたち......なんでついてくるの?」
「だって!」
ごつい体 格 で妙 に可 愛 くいやいやをして、ロイが叫んでくる。
「誰も全然見てないところで、人知れず決着をつけたって、なんだか馬 鹿 みたいじゃないかっ!」
「それを見せられたら、俺らが馬鹿みたいだろーがっ!」
オーフェンはたまらず叫んだが、その虚 を突 くように、ひょいとキースが口をはさんできた。
「まあまあ、黒魔術士殿」
と、諭 すように続ける。
「彼らも、あの『輝 け! 暴 れ豚 の後ろ足をかじった者勝ちコンテスト』での雪 辱 を晴 らしたいと頑 張 っているのです」
「ほほう」
オーフェンはうなずいた。ロイがわめきはじめるが。
「い、いや、ちょっと待て! そんなわけの分からない因縁じゃなくて──」
「どこのイベントだ?」
オーフェンが無視して聞くと、キースは、神 妙 にこくりとうなずき、
「確か、協 賛 は株 成 金 の八 百 屋 さんでございました。賞品は大 根 四百本。勝利の虚 しさ、というところでしょうか......」
「なるほど、な」
オーフェンはただただおとなしくうなずいて──そして、コンスタンスのほうを見やった。真 剣 に聞く。
「こいつら殺したら、どのくらいの罪になるんだ?」
「きっと、情 状 酌 量 の余 地 は認 めてもらえると思うの」
「うがああああああっ!」
ばたばたと地面を踏 み叩 いて、ロイが雄 叫 びを発するのが聞こえた。その横でジニーはやはり妙 な踊 りを踊りながら、どこへともなくふらふらと進み出している。
とりあえず、またそちらを見て、オーフェンは嘆 息 した。
「まあ、それはそれとしてだ......」

腕組みして、うめく──
「要 点 をちゃっちゃと言ってもらおうじゃねえか。なぁ?」
「う......ううう......つまり、あ、あの男に恨 みがあるんですぅぅ」
キースを指さしながら、ロイが泣 き声 をあげる。
当のキースは、まったく涼 しげな面 持 ちだった。銀 髪 の執 事 はきっぱりと、
「そうです......いつか、この日がやってくるとは思っておりました」
きっ、といつになく厳 しい眼 差 しで、あとを続ける。
「わたしから、ご説 明 いたしましょう......」
「い、いや待て、俺が──」
あわててロイがキースを押しとどめようとするのだが、いくら押されても執事は微 動 だにせずあとを続けた。
「あれは、遠い昔のことでした......」
言った通りに遠い眼差しで、風の草 原 を眺 めるような表情で、キースが語り始めた。その横で、彼をなんとか黙 らせようと奮 闘 しながら、ロイが口 早 に言い直している。
「い、いや、そんな、つい最近のことなんだけど、ホントは──」
「そして、惨 劇 の舞 台 となったのは、とある田舎 の小さな劇 場 ......」
「そーじゃなくて、この街の、ほら、知ってるだろ? ハーサン通りのカミルぺア劇場って、俺たちはそこで働いていて──」
「しかしその劇場には開かずの扉 なるものがあり......」
「俺たちがついにつかんだ主 演 の座! だが、なぜだかエキストラに混 じっていたこの男が──」
「その扉は、十年に一度だけ開くという伝 説 が!」
「その舞台をぶち壊 しやがったんだ!」
とりあえず。
そこで、話が中 断 する。
オーフェンは、しばしコンスタンスと顔を見合わせて──
「......どっちが面 白 かった?」
「キースの話がまだ未 完 だし、もうちょっと聞いたほうがいいんじゃないかしら」
「恐 縮 いたします、コンスタンス様」
「そーゆうことじゃなぁぁぁいっ!」
両腕をぶんぶか振り回し、ロイが怒 声 を張り上げる。
キースの襟 首 を猫 づかみし、それをロイは片手だけで持ち上げた。ぶらんと垂 れ下 がった銀髪執事を空 いている手で指さして、続けてくる。
「いいか! こいつはな、先々週の舞台をめちゃくちゃにした悪 党 なんだぞ!」
「悪党ではないぞ」
「変 態 だけどね」
オーフェンとコンスタンスがどうということもなく言うのだが、ロイは納 得 しないようだった。
「いーや! こいつのやったことを聞けば、分かるはずだ!」
と、つかみ上げているキースをぶらぶらと振り回す。
「こいつはなぁ、こいつはなぁ.........」
男泣きに泣きながら、ロイが言ってくる。
「あの伝説的な『木の上のうっぷん男』の舞台に、俺たちはすべてを賭 けていたんだ......それを、それをこの男は......」
言葉が詰 まったのか、ロイはそのまま黙り込んでしまった。えぐえぐと涙を流しながら、ただ仁 王 立 ちしている。
とりあえずオーフェンは、ぶら下げられたままのキースに聞いてみた。
「......んで、そのかなり恥 ずかしいタイトルの舞台で、お前なにをしでかしたんだ?」
「恥ずかしくなんかないっ!」
ロイが言ってくるが、それは無視しておく。
「つまりですな」
宙 づりにされたまま、ぶらんぶらんと身体 を揺 らし(気に入ったらしい)、キースが答えてきた。白手袋に包まれた指を一本立てて、真 顔 で。
「その日、わたしはなぜかその劇場でアルバイトなどしていたのですが」
「なぜか......なのか?」
一 応 指 摘 しておく。キースは答えてこなかったが。
あっさりあきらめて、オーフェンは聞き直した。
「バイトって、なんでまた?」
こちらには、答えてくる。キースは目を閉じ(やはり揺れながら)、
「やはり芸術家であったわたしの祖 父 の血が騒 いだのでしょうか......」
オーフェンは冷たい視線をさらに細めて、ぽつりと告 げた。
「一度、お前の家 系 図 を書いてみようと思ってるんだが、その好 奇 心 って我ながら危 険 だという気もする」
「ていうか、そもそもあんたに血なんて流れてたの?」
コンスタンスも続けて言うのだが、キースは白い歯を輝かせ、はっはっと笑うだけだった。そのまま、続ける。
「とまれ、そこの座 長 殿が、急 病 で役者がひとり倒れたため、誰でもいいから代 役 はいないかと探 しておられたのです。そこで──」
キースはそこまで言うと、ぱっと身を翻 し──のみならず足を蹴 り上げ、ばさばさとタキシードを羽ばたかせながら、頭を下にして手近な街 灯 の、横に突き出たアームの部分にびたっとぶら下がる!
「おおっ!」
さすがにオーフェンが驚 きの声をあげると、キースは街灯に逆 さ吊 りの状 態 で、含 み笑いを浮かべてきた。そして──数秒後。
ぼとっと床に落ちる。
さらにその上を踏みつけて、なんだかよく分からない舞 を踊りながら、ジニーが通り過ぎていった。
............
しばし待つと、にゅっ、とキースが立ち上がる。傷ひとつない。
「そこでわたしは、その代役を申し出たわけです」
「なんの役?」
それまでに起こったいろいろなことはどうでもいいのか──あるいは、ただの慣 れか、平 然 とコンスタンスが聞く。
オーフェンは道の隅 っこに移動して、頭を抱えていたが。
「それは大 役 でした......その役名を聞いた瞬 間 、このわたしの身体 にかつてない歓 喜 と、それとともにある恐 怖 が! その栄 光 いついつまでも! 代役が大役とはこれいかに! わたしが負 うことになったその役名とは!」
「なんだよう......こっち来るなよぅ......俺はひとりでいたいんだよう......」
隅っこで泣きながらオーフェンはうめいていたが、キースはわざわざこちらをのぞき込むようにして回り込むと、その指を強く握 りしめて叫んだ。思わず、熱 気 を感じるほどの強さを含んだ声で──
「わたしは座長からその舞台の主 演 たる──『木』の役を授 かったのです!」
「主演じゃなぁぁぁぁいっ!」
ロイが、怒 鳴 り声 をあげる。
「どこの世界に、主演が『木』なんて舞台があるんだ⁉ 」
「いやまあ、ないとは限らんが......」
とりあえず立ち上がって、オーフェンはうめいた。なるたけ嫌 そうに。
「じゃあ、てめえの役はなんだったんだ?」
「当然、俺は『うっぷん男』の役だっ! そしてジニーが──」
勢 いよく、妹を指さす──が。
ちょうどジニーは、転 んだところだった。
それはそれとして、
「ジニーは、まさにその天 才 に相応 しい大役......『常にタンスの中から出てくる女』だった。身体が小さいから、大 道 具 さんがそうしろって」
「観 たいよーな観たくないよーな、ものすごく境 界 線 上 の劇だな、それ」
「俺たちは燃 えていた!」
オーフェンのぼやきは無視して、ロイが火 山 を噴 火 でもさせるように瞳 を燃やす。
「運 命 にチャンスがあるのなら、これこそがそうだと、そう信じて、連日の猛 稽 古 にも耐 えた! そして当日の舞台に立って! 大入りの客の前で! なにが起こったと思う!」
「さあ」
気のない返事に対し、ロイだけが、勝手に燃え上がっていく。キースを指さして、
「まさしくそれは──神の演 技 だった! 主演は俺だった......誰もが知っていた。座長も知っていた。客も、出演したすべての役者たちも! だが──同時に誰もが分かってしまったんだ」

苦 悩 に拳 を震 わせ、続ける。
「スタンディングオベーション! だがその拍 手 は、この俺ではなく、『木』に向けられたものだったんだ......!」
と、ここで、がばと顔を近づけてくる。
「......この屈 辱 が分かるか⁉ 」
「......屈辱だけは分かったが」
オーフェンは、ぽつりと付け加えた。
「にしても......『木』に負けちまうお前の演技って......」
「それは言うなっ!」
でっかい手のひらをこちらに向けて、つらそうにロイが叫ぶ。
「こうして『木の上のうっぷん男』は、大 成 功 で幕 を閉 じた......だが俺の中の『木の上のうっぷん男』は死んだんだ。ああ......『木の上のうっぷん男』......」
「繰り返して言うと、さらに恥 ずかしいな、それ」
「これっぽっちも恥ずかしくなんかない!」
「恥 を知らないのね」
と、これはコンスタンス。
「くおおおおっ!」
ばたばたと暴 れながら──ともかくも、ロイはあとを続ける。
「それ以来、俺たち兄 妹 はその屈辱が忘れられず、演技にも熱が入らない、眠 れば拍手の音にうなされる、『ダミアン』の新人ミフィちゃんは全然俺になびかない......」
「最後のは関係ないんじゃねえか?」
「そして! 座長はとうとう俺たちをクビにしたんだ! これですべて悪いのは、奴だということが分かってもらえただろう⁉ 」
叫んで、キースを指さすロイの指を見つめて、オーフェンはぼやいた。額 を親 指 でかきながら。
「昨日の話じゃ、豚 の内 臓 投げたって......」
「それはきっかけに過ぎないっ! その男が舞台を台無しにしたことで、座長は俺たちを解 雇 するため、ちょっとした理由でも見 逃 さなかったのさ!」
「......ちょっとしてるか?」
「そんなことはどーでもいいんだっ!」
ガッツポーズ──というか、ベクトルの狂 った怒 りのポーズというか、とにかくロイはそんな様 子 で怒 ってみせると、文 字 通 り芝 居 がかった仕 草 でどんと足を踏みならした。
「ジニー! お前も言ってやれ──」
と、妹に振って──
オーフェンも見ていてもう慣れたが、そこで会話が止まる。
「......ジニー?」
きょろきょろとあたりを見回すロイ。コンスタンスが、つぶやいた。
「さっき猫を追いかけて、そこの壁 をよじ登ってたわよ」
「ジニィィィィィィィ⁉ 」
数分後。
「で、結 局 ──」
猫のひっかき傷だらけになりながらジニーを連れてもどってきたロイに、オーフェンは聞いた。
「俺に、なにをしろってんだ?」
「思い知ってもらえばそれでいい!」
ジニーの腰 に結 びつけた紐 をしっかりと握 って、ロイが大 見 得 を切る。
「分かっている! その男が役者でもなんでもないことは──俺たちは自信を取りもどしたい。それだけでいいんだ!」
「おお──」
ぱちぱちと、オーフェンとコンスタンス、そしてキースは拍手を送った。
にっと歯を出して、ロイが決めポーズ(らしい)を取ってくる。
「と、いうわけで、そこで待っていてくれ! 今度は俺たちが、スタンディングオベーションを受けるのさ! 挫 折 を機 に新たに燃え上がった俺の役者魂 、見せつけてやるぜ!」
「おおお──」
拍手を受けながら、兄妹は近くの路 地 へと入っていった。オーフェンらの視 界 から消える。
いまだぱちぱちと乾 いた拍手をしているオーフェンに、コンスタンスがぽつりと告げてくる。
「......あんた、適 当 に手を打ってさっさと終わらせようとか思ってるでしょ」
「......なんで分かった?」
「いえ。自分の考えを言っただけ」
「お二 方 、クッションを用 意 いたしました。お使いくださいませ」
キースが地面に並べるクッションに、ぼふんと腰 を下ろしながら、兄妹の登場を待つ。
待つことしばし──やがて。
「はい──、どうもー」
ぱんぱんぱんぱん、と、妙 にかがみ込んだ姿 勢 で手を叩きながら、ロイとジニーが路地から入場してくる......
ふたりは舞台の中央、というか道のまん中だが、そこに並ぶと、いったん背 筋 を伸 ばして胸を張ってから、
「それにしても、そろそろ夏ですねぇ」
第一声を発したのは、ロイだった。その横でジニーが無 表 情 に、つぶやく。
「白い雲 ......」
「あはははははは」
彼女を指さして、ロイがわざとらしい笑い声をあげる。そしてすぐさま、
「ま、夏と言えは暑 い。冷たいものなんてすぐ欲しくなるんですけれどもね。あれ、逆 効 果 なんですね。ますます暑くなってしまう」
「アップルソースの奇 跡 ......」
「あはははははは!」
またさっきと同じポーズで、笑うロイ。
「やっぱりここは覚 悟 を決めて、むしろホットなものを試 してみるってぇのが古人よりの知 恵 ってやつでしょうかね。ホット。ホット。ホット出 の新 人 。なんちゃって」
「沢 蟹 ......」
「あははははは......は?」
ロイの笑いが、いきなり止まる。
「............」
オーフェンはただ静かに、ふたりを見つめていた。クッションから、腰を上げる。
「............」
コンスタンスも──いつの間に用意したのかポップコーンのカップを抱えたまま立ち上がっていた。こちらを向かずに言ってくる。
「......オーフェン......ここでうけてあげれば、きっと彼らは満 足 なのよ」
「......そーだな......それで俺らが損 するわけじゃねえしな......」
まったく無表情に、オーフェンも答える。
ジニーは相 変 わらず、なにやら踊 っている。腑 に落ちない表情で、ロイがこちらを見ていた......
「お前たち......」
と、聞いてくる。
「ひょっとして、ノリの悪い奴ら?」
「素人 演芸大会から出直して来ぉぉいっ!」
叫びながらオーフェンの放った魔 術 が──
きれいさっぱり、ふたりを吹き飛ばした。
(口先だけは立派だな!:おわり)

ちりーん......
「魔 女 の刻 限 へ、ようこそ......」
古びた鈴 を右手でつまむようにして提 げ、テーブルの上に立ててある蝋 燭 の明かりだけで顔を浮かび上がらせている。無 表 情 の、銀 髪 の執 事 である。それがつぶやく。
「............」
とりあえずオーフェンは、うめいた。
「今回は、なんのつもりだ? キース」
「はっはっ。お戯 れを、黒 魔 術 士 殿 。そのお言葉では、まるでわたしが連日連夜、わけの分からない用 件 で押し掛けては黒魔術士殿を煩 わせているようではないですか」
「......どうやら、こちらの真 意 は伝わっているらしいな」
睡 魔 を振り切れていないまぶたをこすりながら、オーフェンは、いつの間にかベッドわきに現れた──といっても神 出 鬼 没 は今さら驚 くほどのことでもない──男を、半 眼 で見つめた。なんとなく、勘 で時刻を推 し量 る。真夜中は過ぎているだろう。
午前二時前、というところか。
とりあえず彼は、手近にほっぽりだしていたシャツを、ベッドに入ったままごそごそと着込んだ。椅 子 の背に革 のジャケットがかかっているが、それまで着る必 要 はないだろうと、そのままキースに向き直る。
「で?」
「いえいえ。ほんの、ちょっとした余 興 ですよ、黒魔術士殿」
「......お前の人生自体、余興みたいなもんだしな」
「はっはっは。よく分からないことをおっしゃる」
ちりーん。
また鈴を鳴 らしながら──キース。
机 、というより、首に紐 をひっかけて固 定 する、画 板 のようなものなのだが、その上の蝋燭がちらちらと炎 を揺 らしている。それだけならばまだしも、なにやら後 ろ手 に、大きな袋 を引きずってきているようだった。人ひとり入れそうなほどの大きさである。
また鈴を鳴らしてから、キースは言ってきた。
「今 宵 は、黒魔術士殿にお引き合わせしたいお方がいるのですよ」

「......こんな時間にか?」
「はい。というより、この時間でないと駄 目 なのです。先 方 の都 合 でして......」
「俺 の貴 重 な睡 眠 時間を削 ってまで会わなきゃならんような人間なんだろうな?」
「それは無 論 ですとも」
自信たっぷりに、キースはうなずいてくる。オールバックの銀髪同 様 、その表情にも乱れたところはひとつもない。
疑 わしげに顔をしかめながら──オーフェンは、聞いてみた。
「......で、ようするにどういうことをしたいんだか、はっきり言ってみろよ」
キースは即 答 してくる。
「降 霊 会 など」
「......降霊会?」
そういった儀 式 は、オーフェンも聞いたことはあった──つまりは死んだ人間の霊 魂 を、この世に引きもどすという試 みである。
言うまでもないが──
(インチキじゃねえか)
オーフェンははっきりと疑 念 を表情に浮かべてみせた。死んだ人間とコンタクトを取るなど、最高の力を持った白 魔 術 士 ですら成 功 したことはないのだといわれている。もっとも、それが本当のことなのかどうかは不明だが。
ましてや魔術とは関係ない一 般 人 が、迷 信 の延 長 として行う降霊会など、トリックとしてすらくだらないものが多かった──霊魂を抽 出 してみせましょうと言い切って、ドライアイスの煙 を鼻から出した者もいたらしい。大 火傷 をしてすぐに病院にかつぎ込まれたらしいが。
だがこれなどはまだマシなほうであって、妙 な悪 魔 主 義 と結びつくと、さらにタチが悪くなる。催 眠 暗 示 。麻 薬 。サバト......
と──
なんとなく気になって、オーフェンはキースが持ってきた大きな袋を指さした。
「......なあ、一応聞いておきたいんだが、そっちの袋はなんなんだ?」
キースは、言われて初めて思い出したような顔をして、振り返ってみせた。
「いえ一応、降霊会ということで、それらしいものを持ってきたのですが」
「......それらしいもの?」
嫌 な予 感 を覚えつつ、聞く。キースはこちらへ向き直り指を立てると、即答してきた。
「犬の」
「いや、いい、言うな」
耳をふさいで、制 止 する。
が、キースは表情を変えずにそのまま、
「ヒントその一......保 健 所 」
「やめいと言っとろーが!」
オーフェンはキースの顔 面 に右 拳 を打ち込み、続けて叫 んだ。
「だいたいだなぁ、今時、降霊会なんつー手 品 、流 行 りゃしねえぞ」
「手品⁉ 」
驚 愕 の声をあげて──頭を抱 え、大 仰 にキースが絶 叫 する。
「なんという、罰 当 たりな! 非科学的なものをすべて一 様 に認 めないこともまた非科学的な態 度 にほかならないと、あなたほどのお方がなぜ分からないのですか⁉ 」
「いや......ンなこと言われてもな」
「──毎夜毎夜の降霊によってマギー家邸 宅 を魑 魅 魍 魎 の跋 扈 する怪 物 屋 敷 に変 貌 させたのが、誰 だとお思いです?」
「噓 でもホントでもいいから威 張 るな! ンなこと!」
「と・いうわけで、黒魔術士殿もご協 力 ください!」
こちらのことには構 わずに──ばっと右手をあげて、キースが叫ぶ。首から下げた携 帯 机の上で、蝋燭が激 しく揺れている。
彼はそのまま、それこそ手品よろしくどこから取り出したのか、大きな敷 布 のようなものをばさっと床 に広げた。部屋にある明かりといえばキースが持ち込んだ蝋燭の灯 だけで、よく分からないのだが──
「魔 方 陣 ?」
敷布に大きく描 かれた図形を見て、オーフェンはあからさまにうめいた。てきぱきと、その降霊会とやらの準 備 を続けているキースを眺 めつつ、ぶつぶつとぼやく。
「......だいたい、いきなり、この魔方陣って奴 がなぁ......大昔のドラゴン種族が使った、魔術文字をまねただけの紛 い物 で......」
「そんなことはございませんっ!」
やたらきっぱりと、キースが否 定 してくる。彼は足音も立てずに、すすすっとこちらへ寄 ってくると、床に広げた敷布──魔方陣を示してみせた。
「よくご覧 ください。左 隅 下 の部分......」
言われたところを見てみると、なにやら小さく、赤インクでハンコのようなものが押してある。
誇 らしげに、キースが叫 んだ。
「『本物によく似 てます』マークがついているのです!」
「偽 物 の証 明 じゃねえかっ!」
ベッドから跳 び起きて、蹴 りを入れる。
顔 面 を蹴り倒 されて、いったんは倒れたキースだが──いつものごとく、すぐににゅっと復 活 すると、
「お遊びはここまでです、黒魔術士殿」
澄 ました表情で言ってくるキースを、オーフェンはにらみ返した。
「......もうなに言っても無 駄 らしいから、さっさと終わらせてくれ」
「分かりました! そこまで熱 烈 に頼 まれてしまっては、わたしも断 る言葉を持ちませんっ!」
ばんざいのポーズで叫んでから──ぱっと飛 び退 いて、魔方陣の向こうまで移 動 する。その動作自体が魔法じみてはいたが。
優 雅 に腰 を折 り、右手を添 えて一 礼 し、キースが言ってきた。
「今 宵 、ここに呼 び出すのは、伝 説 にある美 貌 の姫 ......」
「伝説......」
できる限り相手にしないほうがいいとは分かっていたが、そういうことを聞いてつい思い出してしまう者の弱みで、オーフェンは反 射 的 に聞き返していた。
「アジストラウス家のマレーネ姫? そりゃ、呼び出せるんなら一度くらい見てみたい気もするけどな」
「ああ、惜 しいですな、黒魔術士殿......少し違います」
指を鳴らして──というか、白 手 袋 をしているため音が鳴ったりはしないが、とにかくそんな仕 草 をして、キースがかぶりを振る。
「昔々、王 家 にあって幼 少 の頃 より人目を惹 いた、美しい姫がございました」
「ていうか、王家の伝説ってみんなそんな出だしなんだよな」
「しかし、この姫君に限っては、そんな月 並 みな言葉は本当に月並みとなってしまうほど、その美貌は群 を抜 き、憧 れる者は姫に奪 われた魂 で空を舞 い、妬 む者はかの姫が魔 界 の血 統 を引いているものと陰 口 し......そしてその姫の姿 を見るたびに、いやその足音を聞いただけでも、ため息をついたと申 します」
厳 粛 に、だが軽やかに語 って──
キースは、自分自身も、はぁとため息をついてみせた。憧 憬 するように天 井 を見上げ、あとを続ける。
「ああ、その吐 息 に触 れて薔 薇 も怯 えよ、麗 しのサンダーストロンガー姫......」
「ちょっと待たんかい!」
オーフェンはあわてて制 止 したが──キースは止まらなかった。
「しかし、美しき姫が女 神 により紡 がれたのは、比 類 なき悲 劇 の人生だったのです......」
ひとりで粛 々 と続けている。オーフェンはあくまで口をはさんだ。
「さんだーすとろんがー? ンな名前の王族、聞いたこともねえぞ!」
「おや? 異な事をおっしゃる」
きらりと目を輝 かせて、キース。彼は口元に手を当て、噂 好 きのおばさんじみたポーズを取ると、
「王族と一口に言っても、その家 系 はあまたあるのですよ。いくら黒魔術士殿が博 識 とはいえ、そのすべてをご存じというわけではございますまい?」
「王家の家系がどれだけあろうが、サンダーストロンガーなんつー姫がいたら、絶 対 に覚 えてるに決まってんだろーが!」
「さて、では始めますかな」
「あ! こらてめえ! 変 態 執 事 ! なにシカトこいてやがる!」
指を突 きつけて怒 鳴 るが、キースは聞いている素 振 りもなく、床に敷 いた魔方陣へと身体 を向けた。真 っ直 ぐに両 腕 を伸 ばし、なにやらぶつぶつと唱 え始める──

静まり返った真夜中過ぎ。魔女の刻限。ただそれだけのことと言えばそれだけのことだが、落ち着いたキースの声 音 が闇 に響 く。雷 鳴 も地 響 きもない。ただ声だけ。
長い詠 唱 ではなかった。むしろ、ただ一言だけと言ったほうが近いかもしれない。オーフェンは息を呑 んで、キースの声を聞いていた......
「出てきてちょー」
............
それだけだった。
唱えてから......あたりを見回すように、キースが頭を左右に振る。夜はただ静まり返っている。闇も動かない。風も響かない。
やがて、キースが、こちらへと向き直ってきた。
「失 敗 したようですな」
「帰れ!」
オーフェンは怒 声 をあげながら、枕 をひっつかむと、それを澄まし顔のキースへと投げつけた。が──
唐 突 に、枕は空中でUターンした。
「────⁉ 」
声にならない悲 鳴 をあげながら、ヘッドスリップしてそれをかわす。枕はオーフェンの頭の上を通り過ぎて、後ろの壁 にぶつかって音を立てた。
「な、なんだ......⁉ 」
混 乱 して、オーフェンはうめいた。キースに問いかける。
「今、なんかしたか、お前?」
「いえ。特に」
無表情に、キースが答えてくる。
そして......オーフェンは、ふと耳 障 りな音を聞いて、びくりとした。
かたかたと、なにかが揺 れる音。単音ではない。部 屋 にある、無数の家 具 が──椅子が、ベッドが、水 差 しが、時計が、ゴミ箱 が、地 震 でも起きたように、音を立てている。
が、床は揺れていない。地震ではない。
「........................」
ぞっとするほどの悪 寒 を抱 いて──オーフェンは、半眼で顔を上げた。
「どぉゆう......ことだ?」
「ふむ」
考え深げに声を漏 らすキースの横に、空 っぽの菓 子 入 れが浮いている。空中に、ふわふわと。
それを横目に見ながら、銀髪の執事は、ぽんと手を打ってみせた。
「なぜか、成 功 してしまったようですな」
「『なぜか』とか言うなぁぁぁぁっ!」
オーフェンが叫ぶのとほぼ同時──
その夜の騒 乱 は始まった。
「どーするんだよ、これぇぇっ!」
勢 いよく部屋を飛 び交 うベッドやハンガーをかわしながら、とにかく叫ぶ。避 けきれそうにない花 瓶 を手 刀 でたたき落とし、激 痛 に舌 打 ちして、オーフェンはうめいた。
「てめキース! なにをやりやがったんだ⁉ これは魔術じゃねえな⁉ 」
部屋を縦 横 無 尽 に、無数の軌 跡 を描いて乱 舞 する家具の類 には──魔術士になら確 実 に分かる、魔力との関 わりは見えなかった。
(ていうか......なんだ? なにかがあるんだが──分からねえ!)
魔力とは異 質 ななにかが影 響 しているようにも見える。はっきりとは分からないが。
「......なにをした、と申 されましても」
聞かれたキースは、気 楽 そうに、いつの間にか部屋の隅 でちょこんと正 座 していた。例の敷布の魔方陣を縦 に丸めて抱 えている。とりあえず部屋の隅には、家具の襲 撃 はないらしい。
オーフェンもそれに気づいて、家具が飛び交う部屋の中 央 から、キースのすぐ近くまであわてて移 動 した。うなりをあげて背 後 を通り過ぎていくテーブルにぞっとしながら。
「なにが、と申されましても、だ!」
のほほんとしているキースの胸 ぐらをつかみ上げ、声をあららげる。
「なんもしてねぇとは言わせねえぞ! ベッドやら椅子やら鍋 やら、ぶんぶん飛びまくってるじゃねえか──って、なに? 鍋?」
自分で言って、訝 る。
オーフェンはゆっくりと背後を向きやった。部屋を横切って、鍋が飛んでいる。ここは、宿の客室である──言うまでもなく、鍋などなかったはずだ。
だが、飛んでいる。眉 根 を寄 せて、彼は窓を見やった。窓は開いている。そこから──ひょいと、自 転 車 が飛び込んでくるのが見えた。
くらり......と、頭の中が一回転する。
目眩 を抑 えるべく頭を抱えて、オーフェンはうめき声をあげた。
「ま、まさかとは思うんだが......」
その、直後──
「きゃあああああああっ⁉ 」
「うわああああああっ⁉ 」
宿の中で、いくつかの悲鳴が響くのが聞こえた。オーフェンは、キースの胸ぐらをつかむ手にさらに力を入れながら──怒 鳴 った。
「この部屋だけじゃねーのか⁉ 」
「どうやら、そのようですな」
ひどく気楽に、キースが同意してくる。
と──
「出て行け......ここから......出て......」
震 え声 が──女のものと思 しき声が、静かに響いた。
ぞっとしながら、振り返る。部屋には彼らのほか、誰 もいない。ただ声は、さらにはっきりと響きわたった。
「デ・テ・イ・ケ──ここから!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ⁉ 」
叫んで。
オーフェンは、魔 力 を解 放 した。とっさに編 み上げた構 成 を展 開 し、狙 いを、漠 然 と部屋の中央に据 える。
夜の深 淵 にどこからともなく膨 れ上がった白い輝 きは、なにに阻 まれるということもなく部屋を突っ切ると、向こう側の壁に炸 裂 した。爆 音 と衝 撃 が宿を揺らし、壁に大 穴 が開 く──飛んでいた家具をも巻き込んで炎 が渦 を巻き、そして一 瞬 で消えた。壁の大穴だけが、あとに残る。
オーフェンはキースを引きずって、その場から駆 け出した。数秒後には、壁に開いた穴から外へと飛び出す。
二階の部屋から虚 空 に躍 り出て、落 下 の衝撃に身 構 えながら──彼は、はっきりと悟 っていた。
(まずいぞ──こりゃあ!)
彼の力では、対 抗 どころか対 応 もできないものが──
現れたのだ。
「オーフェン⁉ 」
名前を呼んで駆け寄ってきたのは──コンスタンスだった。二階から落下して、その衝撃に耐 えていたところだったので返事はできないが、とりあえずそちらを見やる。
当たり前と言えば当たり前だが彼女は寝 間 着 姿 だった。ぺたぺたと裸足 でこちらへ駆け寄ってくる。宿の客室にあるものとは明らかに別物の──恐 らくは自 前 だろう──巨大な枕を抱 きかかえていた。髪 もほどいているので別人のようにも見えたが、とにかく間 違 いない。コンスタンスである。だぶだぶの寝間着を着ているせいで、いつもより小 柄 に見えた。
まだつかみ上げていたキースを横にぽいと捨 てながら、オーフェンは口を開いた。
「なんだお前──ここに泊 まってたのか?」
「そーよ! ここ便 利 だし!」
涙 目 になって──なにやら混乱した様 子 でばたばたと騒 ぎながら、答えてくる。
「どーゆうことなのよ、これって⁉ いきなりベッドが跳 び上 がって、床に放 り出されたと思ったら、起き上がったところをデカンターに一 撃 されて、さらに落っこちてきたガス灯 にコンビネーションを食らったのよ⁉ さらには毛 布 に関 節 技 かけられたわ!」
「......つくづく運 動 神 経 ねーな、お前。ちょっとくらいよけろよ」
「うるさいわね!」
「推 論 を言っても、よろしいでしょうか......?」
唐 突 に──
キースが、口をはさんでくる。
オーフェンは一応、うなずいた。
「言え」
「これは恐らく、普 段 から虐 げられてきた家具たちの、人類への反 乱 ではないかと」
「黙 れ」
即 座 に告 げて、黙らせる。と。
「ふはははははははは!」
宿のほうから、哄 笑 が響いた。
「愚 かな人類よ──我 らの苦しみの歴 史 を知るが良い! 今まで道具として顧 みられることのなかった隷 従 の苦 難 ! 思い知らせてくれるわ! 人類よ、我ら家具に跪 け! 泣 け! 命 乞 いせよ! ふはははは......」
「............」
取り残されたような表情で、コンスタンスが聞いてくる......
「......どゆこと?」
さすがに騒 ぎが大きくなって、近所からもぞろぞろと野 次 馬 が姿を見せ始めていた。真夜中であるため、かなり迷 惑 げな表情を見せている者も少なくない。
だが、それはそれとして──オーフェンは、つぶやいた。
「精 霊 だ」
「せ、精霊?」
すっとんきょうな声をあげて、コンスタンスが聞き返してくる。
オーフェンはうなずいた。自分自身思い出しながら、続ける──
「意 思 ある自 然 現 象 。ドラゴン種族の精霊魔 術 で発 生 し、契 約 によって行 使 されるとかなんとか──なにしろ大昔のことなんで、ロクな資 料 が残ってねえんだが、現象から見て間違いない」
「......つまり......どういうことなの?」
「この馬 鹿 がな!」
オーフェンは叫び声をあげながら──キースの襟 首 をつかまえた。思い切り絞 め上げながら、説 明 する。
「馬鹿馬鹿しい降霊術だかなんだか馬鹿なことを馬鹿なりに考えて馬鹿っぽくやっちまって、それが馬鹿げたことに馬鹿な精霊を造 り上げちまった、てことだ!」
「......そんなことがあり得 るわけ?」
疑 わしげに、コンスタンスが聞いてくる。
オーフェンは叫んだ。
「この魔方陣だ!」
と、キースを投げ捨てて、彼が抱えていた敷布の魔方陣を取り上げる。それを広げて、よく眺 めてみると──
「......魔術文字じゃない。よく似てるが、精霊魔術の契約書だ」
「......読めるの?」
複 雑 な記 号 の羅 列 である魔方陣を指さして、コンスタンスがつぶやく。魔方陣は円形で、文字はその円を、螺 旋 を描いてつづられている。オーフェンは即座に告げた。
「読めるわけねーだろが!」
「なんで怒 るのよー!」
コンスタンスが非 難 するように言い返してくるが、それは無 視 する。オーフェンは魔方陣をくしゃくしゃに丸めると、地面に投げ捨てた。
今度はキースを拾 い上げる。
「この魔方陣、いったいどーやって手に入れたんだ?」
聞く。が、キースは、はっはっと笑うと、
「実は、いただきものでして」
「誰にもらった⁉ こんなもの!」
「マジク少年に、でございます。マジク少年は、ご学 友 から譲 り受 けたとかおっしゃっておりましたが」
「マジク⁉ 」
言われて思い出す──
オーフェンは、あたりを見回した。なにやら低いうめき声や、家具が壁にぶつかる音などが響く宿の前に、近所の住人やらパトロールの警 官 やらがたむろしているのだが、その中に当然いるべき姿がどこにもなかった。
宿の主人バグアップと、その息 子 のマジクである。
「まさか──宿の中にいるのか、まだ⁉ 」
考え込む。確か、さっき、マジクのものらしい悲 鳴 も聞こえたような記 憶 があった。
精霊には悪 意 はない。というより、擬 似 的 な人 格 すらない。契約をこなすことしかできないわけだ。
魔方陣に描かれていた契約がなんであるのか、オーフェンにも解 読 する術 はなかったが──まさか殺 人 ではないだろう。もしそうなら、オーフェンとてとっくに死んでいたはずだった。もし伝説が正しかったとしたら、契約にありさえすれば、この宿をまるごと消 滅 させるどころか、このトトカンタ市全 域 を壊 滅 させることすら容 易 なのだから。
(......宿の中に閉じ込められているのかもしれねえな)
異 変 に気づいているというのに宿から飛び出してこないというのは、つまりそういうことなのだろう。通 路 がふさがったかなにかで、出てこられないのかもしれない。
(精霊が直 接 悪意を持っていなかったとしても......あの騒ぎだ。危 険 なことには違いねえな)
オーフェンは、舌 打 ちした。
「なんてことだ......」
拳 を握 って、うめく。月明かりに照 らされて、騒 音 収 まらない宿の建 物 が、黒々とそびえていた。
横から、ひょいとのぞき込んできたコンスタンスをちらりと見返して、彼はかぶりを振った。
「キエサルヒマでも最 強 の魔術のひとつ──精霊魔術に挑 んで、バグアップの野 郎 とマジクの馬鹿を救 出 しなくちゃならんとは......」
思わず、顔がほころんでくる。
「こんなところで恩 を売って今までのツケをちゃらにしたあげく謝 礼 までもらってさらにはきっとあいつら馬鹿だから、向こう五年くらいはただ飯 ただ宿提 供 してくれるに違いないよな! なんて俺ってついてるんだ⁉ 」
「......サイテー......」
コンスタンスの冷 たい視 線 が、妙にちくちくと痛 くはあった。
「ふむ」
このバグアップズ・インの一階部分のほとんどは、食堂になっている──泊 まり客の食事を出す場所でもあるし、無論、泊まり客でなかったとしても利用できる。
勝 手 口 を除 けば、この建物そのものへの入り口はここしかない。勝手口から入れば厨 房 に出る。食堂と厨房、一階部分の残りが、バグアップやマジクの私室や洗 面 台 、風 呂 などに割り当てられていた。彼ら家族専用の食堂というのはない──彼らも、食事は客たちといっしょに表の食堂で食べている。
「重 要 なのはだな」
左右にいるコンスタンスとキースに、オーフェンは告げた。
「あの魔方陣──つまり精霊との契約書の内容だ。解読できないのが残 念 だが、それによっちゃあ、俺らに生命 の危険があるかないかが変わってくる」
「......そ、そんなに大げさなもんなの?」
枕を抱いて、コンスタンスが聞き返してくる。
オーフェンはうなずいた。
「精霊の力は絶 大 だ。それこそ、ドラゴン種族そのものをねじ伏 せるほどの力を持っている。もちろん、そのくらい強力な精霊と契約するためには、術 者 にもそれ相 応 の実力が要 求 されるけどな。ただ、仮 になにかの間違いででも、精霊と『自分を殺してくれ』と約 束 しちまったら──もうなにをどうあがこうが、絶対に殺される。精霊魔術ってのはこの〝契約〟を媒 体 にするのさ。俺ら音 声 魔術士が声、つまり呪 文 を媒体にするようにな」
「それって......どうしようもないじゃない」
一応、こちらの言った内容は理 解 できたのか──怯 えた声を出すコンスタンスに、オーフェンは肩をすくめた。宿からは、いつしか物 音 が聞こえなくなってきている。
少なくとも、もう家具が飛び回ったりはしていないらしい。
「......だが逆に、契約がない限りは精霊は無力だ──契約の内容が重要になるってのは、そういうことさ。契約内容に、宿に入ってきた者を『殺せ』とはっきり明 示 してない限りは、精霊は絶対に俺たちを殺せない。ちなみに契約内容はあまりややこしくもできないらしい──とまあ、俺が知ってるのはこのくらいだな。先生からの聞きかじりだけどよ」
「んで、これからどうするの?」
食堂の入り口に三人、並んで立っている。
「ふむ......」
とオーフェンは、つぶやいた。
とりあえず、コンスタンスの襟 首 をつかむ。
空 いている左手で食堂の扉 を開け──
「ち、ちょっとオーフェ──」
オーフェンは渾 身 の力で、悲 鳴 をあげるコンスタンスを食堂の中に放り込んだ。刹 那 。
「っきゃあああああっ⁉ 」
中に投げ込んだはずのコンスタンスの身体が、凄 まじい勢いで──外に放り出されてくる!
さっとそれを避 けながら、オーフェンは玩具 のように吹き飛んでいくコンスタンスを見送った。どうやら、食堂から強 烈 な突 風 が吹き返して、彼女の身体を吹き飛ばしたらしい。
ごうっ、と高 密 度 の空 気 の塊 が、入り口から吹きだして野次馬数人を薙 ぎ払 う。
そしてしばしして──食堂の扉が、ばたんと閉じた。
「こ、これは──」
オーフェンは、拳を握って叫んだ。
「精霊め、さっき『出て行け』とか言ってたからもしやと思ってたが、やっぱり俺らを宿の中に入れないつもりらしいな!」
「あんたはぁぁぁぁっ!」
吹き飛ばされて地面を何メートルも転がったせいか──血 塗 れになったコンスタンスが、駆けもどってくる。
「おう、コギー。走ってもどってこられるなんて、その分ならあと二回くらい先 行 偵 察 できそうだな」
「誰がやるもんですか!」
彼女は両 腕 を伸 ばして怒 声 をあげた。
「なんでいきなりわたしが先行偵察なのよ! 一番頑 丈 そうなあんたがやるのが筋 ってもんでしょ⁉ 」
「そうですぞ、黒魔術士殿!」
彼女の後ろから、キースも言ってくる。
「か弱いコンスタンス様を盾 にするなど、このわたしが許 しません! ここはわたしが行かせていただきます!」
「キース⁉ 」
自分のあごに手を当て、決めポーズのようなものを取っているキースの発言に──コンスタンスが驚 愕 の声をあげる。
「さ。コンスタンス様はわたしの後ろにどうぞ。命に代えても、コンスタンス様の身 柄 はお守りします」
「ああ、キース、ありがとう......」
うるうると瞳 を涙 で濡 らし、コンスタンスが感 極 まった声でうめくのが聞こえた。
「わたし、あなたのこと誤 解 してたわ──ただの変 態 とか怪 人 とか犯 罪 者 とか通りで見かけたらとりあえず防 犯 ベル鳴らせとか思ってたのに」
「はっはっ。コンスタンス様、そのようなこと気になさらないでください」
「ありがとう、キース!」
涙をこぼし──コンスタンスが執 事 の背 中 に抱きつく。
とりあえずそれを見ながら、オーフェンはあくびを噛 み殺 していた。なんとなく、食堂の入り口──閉じた入り口のわきに移動する。

その間にも、コンスタンスの声は続いていた。
「キース──あなたこそ理 想 の執事だわ。そうに決まってる!」
「はっはっ。コンスタンス様。あなたにお仕 えするからこそ、どのようなことでもできるのです」
「ああ......わたし、もう、あなたのこと陰 でコウモリなんて呼んだりしないわ!」
「え?」
唐 突 に、キースの動きが止まる......
「? どしたの?」
顔を上げて、コンスタンスが聞く。キースの身体が、わなわなと震 えているのが、はためにも見えた──
がばと振り返り、キースが叫ぶ。
「わたしの──わたしのどこが、コウモリなのですかぁぁぁぁぁっ⁉ 」
「やかましい」
蚊 帳 の外でオーフェンはつぶやくと、扉の横の壁に身体を隠す格 好 で、がちゃりとノブを回した。扉が開き──

ごうっ!
コンスタンスとキースのふたりを、通りの向こうまで吹き飛ばす。
「つまらんことで時間を食ったな」
星となって消えたふたりを見送りつつ──オーフェンは、まだ中から突風の吹き出している入り口を横から見やった。間近にいると、直接風にさらされていなくとも、その風 圧 だけで息がしづらい。それほどの気 流 である。力では対 抗 できそうにない。
「力では......駄 目 、か」
思わず、独 りごちる。
そういった局 面 には、何度も当たったことがあった。というより人生には、力押しが通用する場合のほうが、よほど少ないのかもしれない。
(力で駄目ならば......考える。状 況 を見 定 めろ──入り口からは入れそうにない。多分、勝 手 口 も同じようなもんだろう。精霊は融 通 が利 かない。裏 をかくんだ。力押しではなく、もっと搦 め手 から......)
静かに考え込む。野次馬のざわめきも、入り口からの突風の騒 音 も、耳に入らないほどに。オーフェンは──沈 黙 を保 ったまま、思いついた。
ふっと......寄りかかっていた壁から背中を離 し、身体を半回転させる。入り口わきの壁に向かって、彼はつぶやいた。
「よし」
と、右手を振り上げる。
「このへんをぶち抜いて入るか」
「結 局 、力じゃねーか......」
ギャラリーから指 摘 があるが、そのへんは聞かなかったことにしておく。
と──
「なにやっとるんだ?」
聞き覚えのある、声。
向きやると、入り口から──いつの間にか突風の吹き止 んでいる入り口から、バグアップとマジクが顔を出していた。きょとんと、こちらを見つめている。
「あれ?」
こちらもきょとんとして──オーフェンは、目をぱちくりさせた。
マジクが、聞いてくる。
「どうかしたんですか? オーフェンさん」
「ど、どうかって......なんつーか、大 変 だったんだが......」
「大変?」
「いや、だから家具が飛んだり──って、お前だってさっき悲鳴あげてたろ?」
「ええ」
あっけらかんと、マジク。
「いきなり家具が飛んでるの見たもんですからびっくりしましたけど、飛ぶなって言ったら、すぐに収 まりましたし......」
(飛んでる家具に『飛ぶな』と言うってのも、アレだが......)
不 可 解 な思いを噛 みしめながら、とにかくオーフェンは胸 中 で舌打ちしていた。ともあれ精霊の騒 動 は、終わってしまったらしい。
(こいつら助けて謝 礼 ってのも、パーじゃねぇか......)
「ったく。まあいいや。寝 直 すか」
オーフェンはぼやきながら、入り口の前に移動した。と──
ごうっ!
風が──
殴 りつけるように、扉の奥から押し寄せてきて──
やはりその入り口できょとんとした顔を見せているふたりを見ながら──

オーフェンは為 す術 もなく、後方に吹き飛ばされていた。
──それより、六時間ほど前のこと──
トトカンタ市の、高 級 住 宅 街 。名前は伏 せるが、この街 でも指 折 りの名 家 での、ちょっとした出 来 事 ......
彼女は自分の部屋で、ベッドに腹 這 いになって、手作りのクッキーをつまみながら雑 誌 など読んでいた。うつ伏せになると腰 まである金 髪 が邪 魔 になるが──仰 向 けになるのは、寝 返 りを打つたびに自分の髪を引っぱるような気がして好きではない。寝る時も、彼女はうつ伏せだった。まあそれはどうでもいいことだが。
ふと時計を見やる。九時前。寝なくてはならない時間というわけではないが、そろそろ明かりは消さなければならない。と、身体を起こしかけた時──
扉がノックされた。返事する。扉が開くと、そこには自分によく似た、だが明らかに齢 を重ねた女性が立っている。
母親である。
彼女は、不思議に思って声をあげた。
「お母 様 ? どしたの、いきなり?」
「クリーオウ」
母親は、困ったように眉 根 を寄せていた。腰に両手を当てて、嘆 息 混 じりに言ってくる。
「あなた、また、お父 様 の保 管 庫 から物を持ち出したわね?」
「うん」
あっさりと、彼女はうなずいた──隠 すほどのことではない。
「学校で簡 単 な繕 いものの教 習 をやるから、いらない布 を持ってこいって言われたの」
「......なら、なんでわざわざ保管庫の物を持っていくの? 布なんて、ほかにいくらでもあるのに」
「だってぇ。変わった柄 のを持っていきたかったんだもの」
彼女はベッドの上にうつ伏せに寝そべったまま、器 用 に肩をすくめた──これは意外と難 しいのだが、彼女の得 意 技 だった。
「結 局 その布、なんだか分からないけど全然はさみも針 も通さないもんだから、シーナから余 分 の布借 りてそっちでやったけど。頭にきたもんだから、その布マジクにあげちゃった」
母親は──長いため息をついてみせた。
「クリーオウ、あれはお父様が生前、大 切 なお友達から託 された預 かり物なのですよ。それをあげてしまうだなんて」
「......ごめんなさい」
「まあいいわ。明日にでも、失 礼 ではあるけれど返してもらってきなさい。もちろん、お詫 びはきちんとするんですよ」
「はぁい」
返事する。なんとなく気まずくなって、彼女は母親に聞いてみた。
「......でもあの布って、なんだったの? 飾 り物にしちゃ、趣 味 悪 いし」
「さあ、くわしくは知らないけれど......」
実際、よく分かっていないのだろう──曖 昧 な表情で、母親は答えてくる。
「あれはお守りだと、お父様はおっしゃっていらしたわよ。なんでも......正しく命 令 すれば、不思議な力がその家を守り、その家にとって害となる者を排 除 してくれるのだとか」
「ふうん。そんな便 利 なものなら、うちで使えば良かったかもね」
「......あなたが持ち出したりしなければね」
「だから、ごめんなさいってば、お母様」
彼女はベッドの上に起き上がって、ぺこりと頭を下げた。
それはただそれだけの、ちょっとした会 話 ──
そして......
「どぉぉぉぉいうことだぁぁぁぁっ⁉ 」
もう何度目の突 進 なのかも覚えてはいなかったが──
オーフェンは、道 路 から、がばと跳 ね起きた。幾 度 となく、入り口から吹く突風に阻 まれ、傷 だらけになっている。
いまだ入り口でぼんやりしているバグアップらを指さして、オーフェンは叫んだ。
「なんでてめえらは平気な顔して立ってられるんだよ⁉ 俺は入れないのに!」
「いや......」
「そんなこと言われても......」
親子で、ぼんやりとうめいている。
「くっそぉぉ! やはり悪 霊 か⁉ サンダーストロンガー姫か⁉ こーなったら、意 地 でも自 力 で中に入ってやるからな!」
オーフェンは地 団 駄 踏 んで、再びダッシュした。宿の入り口まで、あと一歩というところで──
また、突風に吹き飛ばされる。
「なぜだぁぁぁぁぁぁっ⁉ 」
叫びは突風にかき消された。
とりあえず、この戦 いは──精霊の契約期間だったらしい十二時間が過ぎるまで、延 々 と続いたという......
(そんなに俺が憎いのか?:おわり)


ちりぃん。
ベルが静 かに鳴 り響 く。金色の鈴 はひたすら小さく控 えめに空気を揺 らし、そしてどこまでもその美しい音 色 を広げていく。テーブルの上に置かれた小さな呼 び鈴 。
だがその音色はどこまでも響いていくだけで──
数秒。彼女は待った。が、なにも起 こらない。
努 めて平 静 を保 つべし。それは重 要 なことであったし、彼女自身も納 得 してそれを体 現 していた。
だが、やがて一分が過 ぎ、五分が過ぎる。
「どういう......ことですの?」
その日、ボニー・マギーは、ひとり静かに──苛 立 ちの声をあげていた。
「だぁぁぁぁっ! てめえら、いいかげんにしろぉぉぉっ⁉ 」
静かな声で、あのひとが言っている。落 ち着 きのある静かな、あのひとの声。その静かさの中に、わたしは安 らぎを覚 えている。
「だいたいコギー! なんだって毎日毎日、わけの分からん失 敗 をしちゃ俺 に尻 拭 いさせるんだ⁉ たまにゃ自分で後 始 末 しろ!」
その優 しい言 葉 は、誰 に向けられているのかしら? あなたの声は、まだ誰のものでもない。誰に向けられてもいい。でもきっと、いつかわたしのところから動かなくなるように......わたしは祈 っている。
「なんでよー!」
ああ、姉 は今日も泣いている。愚 かでぐずで間 抜 けでどーしよーもないほど救 いがたい無 能 さを自 覚 してない哀 れさは、ちょっと可 哀 想 だけれど、まあなんてゆーか憐 憫 を覚える価 値 もないほどのろまでスカで脳 の三割ほどが小 麦 粉 と同じ程 度 の比 重 しかないわけだから、仕 方 ないですわね。ああ、馬 鹿 なコギー姉様。妹のわたしをしても信 頼 なんてできはしない。
「いいじゃない、ちょっとわたしが手 違 いで釈 放 しちゃった連 続 殺 人 犯 の足取りを追って、聞き込みと尾 行 と張 り込 みと再 逮 捕 くらいしてくれたって!」
「それじゃ全部だろーがっ!」
本当に、たくましい足......まるで野 生 動物のよう。ああ、でもなんだかやたらに人間的な動きで姉をげしげし蹴 っている。ヤクザキックというやつね。なんて芸 術 的 な破 壊 力 ......ああ。姉が壊 れていくわ。まあどうでもいいけれど。
「はっはっ。まあまあ、落ち着いてくださいませ、黒 魔 術 士 殿 ──」
「キース! さっき外まで吹 っ飛 ばしてやったってのに、もう復 活 してきやがったか⁉ 」
「いやしかし、あくまでわたしは、黒魔術士殿のことを思って、このお揃 いの着 ぐるみカンガルーを用意したわけでして」
「だから、ンなもん誰が着るかぁぁ!」
............
「あああああああああああ。どういうことですのぉぉぉ?」
ずるべたと顔 面 を涙 で濡 らしながら──ボニーは、手にした『マイ・ポエム』にひたすらぺンを走らせていた。彼女がウェイトレスのバイトをしている宿 屋 の厨 房 から、騒 ぎの起こっている食 堂 をのぞいている。入り口の陰 からなので、向こうはこちらに気づいていないようだが......
カンガルーの着ぐるみを着た、銀 髪 の執 事 ──彼女の執事 キースを狙 って、黒ずくめの格 好 をした男が、魔術を乱 射 している。一 撃 一撃が着 実 に食堂の壁 やら床 やらを破壊していく、確 かな破壊力をもった光 熱 波 や衝 撃 波 である。が、キースはカンガルーらしくぴょんぴょん跳 ねながら、それをかわしていた。
魔術を乱射している男──彼がオーフェンだった。胸 元 には、剣 にからみついたドラゴンの紋 章 がぶら下がっている。それは魔術の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ者であるという証 だという話だったが、彼女には正 直 、よく分からない。
彼の魔術に巻 き込 まれ、壊れた床の穴 に埋 もれているスーツ姿 の女は、彼女の姉、コンスタンスだったが、それはどうでもいい。
ボニーはその騒ぎをこっそりのぞきながら、ただ泣いていた。
「みんな、あんなに楽しそうに......わたしの呼びかけには応 えなかったくせに、キースまで......ううう。わたしだけ、除 け者 ですのねぇぇぇ」
「巻き込まれずに、幸 運 だと思いますけど」
半 眼 でつぶやいてきたのは、金 髪 の少年だった。この宿の主人の息 子 で、マジクとかいう名前だったような気がする。あまり覚えていなかったが。
少年は、学校から帰ってきたばかりだったのだろう──厨房まで入ってくると、持っていた鞄 を床に置いた。オーフェンがいまだ魔術を乱射しているあの食堂を通り抜けてきたせいか、うっすらと煤 けている。なんにしろ少年は慣 れた顔で、壁に掛 けられたひも付きのメモ帳を手に取った。表紙に『壊されたものメモ』と書かれている。
「なにを言っているんですの⁉ 」
ボニーは少年を、きっとにらみ付けた。
「自分が団 欒 の輪 に入れなかったからといって、それを悔 しがるのならともかく、拗 ねて強がるのは素 直 じゃありませんわ! そんなにひねくれていると、不 良 さんになってしまいますわよ!」
「ううんと......そういうことじゃないと思うんですけど......」
少年は、メモにはただ一言だけ書いて、すぐにやめてしまったようだった。のぞき込むと、『食堂全部』と記 されている。
それはそれとして、ボニーは自分のポエムをばたんと閉 じ、ぎゅっと拳 を握 りしめた。
「いけませんわ......危 機 感 を覚えます!」
「危機感?」
あまり興 味 のなさそうな顔で、少年。ボニーは、彼の肩をがっしとつかんだ。
「あああ......愛 し合 うふたりなのに、その想 いはすれ違いっぱなし。オーフェン様ったら、最近照 れているのか、わたしに話しかけてくれませんの。以前のあの、熱 い愛の会 話 はどこへ行ってしまったのか......」
「愛の会話?」
「ええ......あの鋭 い眼 差 しで、あのひとはわたしを見るの。そして──」
ひときわ大きい爆 音 に、ぞっとしたような顔で食堂を向く少年の顔を、ぐわしとつかんでこちらに向きなおさせる。
ボニーはそのまま、あとを続けた。
「『海 老 のドリア』って! あのひとはおっしゃったのよ! きっと永 遠 の愛を、その言葉に秘 めていたのね......あああ......この想いとともにとろけてしまいたい......」
「そーやってよく分からない妄 想 に入って、オーダーを厨房まで伝えてくれないから、オーフェンさん、最近厨房に直 接 注 文 するようになったんだと思うんですけど......」
「またそんな、ひねくれたことを!」
「いや......ひねくれてるのはむしろボニーさんじゃあ......しかも、ひねくれ方が尋 常 な方向性じゃないし」
「そんな屁 理 屈 をおっしゃっても、ごまかされませんわよ!」
小さな拳をきつくきつく握りしめ──
彼女は、少年をつかまえたまま、決心して声をあげた。
「わたしは悟 りましたわ! オーフェン様があえてわたしを避 けるならば、こちらからアプローチしていかなくてはならないのです! 愛とはつまり、奪 い取るものですわ!」
握り拳をそのまま天 井 に向けて、決 意 のポーズを取る。
「キースがあてにならないのなら、わたしの手で、オーフェン様のハートとソウルを虜 にしてみせますわ」
「あ」
と、短くつぶやいたのはマジク──
彼女らのいる厨房の入り口前を、カンガルー姿のキースが横 切 っていく。
一 瞬 後 、オーフェンの放った魔術が──たまたま──彼女らと厨房を吹 き飛 ばした。
まあ、それはそれとして......
それは、その数日後の昼 過 ぎから始 まる。
街はいつでも平和だった。
いつものようにしていれば、いつものように時間が過ぎていく。トトカンタ市はそういったところだった。誰 もが自分を不幸だと思いながら、幸 福 な人生を謳 歌 している。
オーフェンはぼんやりと、普 段 通 りと変わらない歩 調 でその道を歩いていた。歩いている道だけがいつもとは違う。閑 散 として、人通りもない。道に面した扉 も窓 もすべて閉 ざされ、まるでゴーストタウンのような雰 囲 気 だった。けばけばしいチラシがくしゃくしゃに丸められ、道を転 がっている。まったくと言っていいほど、ひとけはなかった。ただ向かいから、少年が歩いてきているだけである。
(......え?)
と──
唐 突 に、見知った顔を見かけて、彼は立ち止まった。金髪の少年が、へらへらとぎこちない笑 みを浮 かべながら、近 寄 ってくる。
「マジク?」
オーフェンは、少年に呼びかけた。マジクが、やはりどこかわざとらしく笑顔を見せたまま、挨 拶 してくる。
「あ、オーフェンさん。奇 遇 ですねぇ」
「奇遇って......」
オーフェンは、あたりを見回した。トトカンタは、大陸でも有 数 の都 市 である。人口も多い。となると、その街にも裏 側 というものができる。
彼が歩いていたのは、そのいわゆる「裏 道 」──娼 婦 宿 や、指 名 制 の薄 暗 いバーなど、とにかくそんな店が並んでいる通りだった。昼間のこの時間帯 は、流行 病 でも蔓 延 しているかのように静 まり返 っている。
「......お前、こんなとこでなにしてるんだ? 見つかったら補 導 されるぞ」
「え、ええ──まあ、それは気をつけますけど......その、オーフェンさん、この道をまっすぐ行くつもりなんでしょう?」
と、マジクは彼が進もうとしていた道の先を指さしながら、そう聞いてきた。
「ああ......って、なんで知ってるんだ?」
ますますわけが分からなくなって、聞く。
が、少年はごまかすように──ごまかしきれていなかったが──笑うと、すぐ近くの路 地 へと指の向きを変えて、
「ええとですね、オーフェンさん......なんか、その......こっちの道を通ったほうがいいらしいですよ」
「......なんで」
「そのほうが都 合 が──じゃなくて、あ! そうそう。近道なんです。ええ。じゃあ、まあ、ぼくはちゃんと伝えましたからね。さようなら〜」
最後までぎくしゃくと、手を振りながら、去 っていく。オーフェンは眉 間 にしわを寄せて、去りゆく少年を見送っていた。わけが分からなかったが──
とりあえず、少年が示した路地を見やる。
そこいらにあるほかの路地と変わらない。汚 れた壁 に、張り紙がはがれかけていて、無 事 な下半分に女の足らしいイラストが残っている。壁の下のほうには、誰かが吐 いた跡 があった。この通りにある、すべての建 物 の壁が似 たようなもので──つまりは、路地もほかと同じにしか見えなかった。
「なんなんだ......?」
独 りごちる。
マジクの言っていたことを真 に受けるつもりはなかったが、気にならないと言えば嘘 になった。路地をのぞき込んでみる。と。
「............」
オーフェンは、ただ無 言 で、その路地の壁と壁の間に渡された横 断 幕 を見上げた。静かに、それを読み上げる。
「『ふたりの愛のハッピーランド入り口』」
彼は、ため息をついた。そのままくるりと、きびすを返す。
刹 那 。
殺 気 を感じて、オーフェンは跳 んだ──が、彼が跳 躍 して避 けたのと同じ分だけ、殺気もまた追いかけてくる!
(............っ⁉ )
胸 中 で悲 鳴 をあげながら彼は、地面に身を投 げ出した。くるりと一回転して、起き上がる。ちょうど──
分 銅 付きの鎖 が、通りの向こうから飛んできたところだった。
(当たる⁉ )
時間にすれば、一秒の何分の一もないだろう。それだけの刹那の間に、彼ははっきりと判 断 していた。その分銅は、自分に当たる。
「こなくそっ!」
やけになって、彼は手のひらで、その鎖の先についた分銅をはたき落とした。手のひらから、肘 にまで突 き抜 けるしびれに顔をしかめる。だがともかく、鎖は弾 かれたことで軌 跡 を変え、彼の足下に落下した。ぐわん、と鈍 い音がアスファルトに響 く。
そして──
しゅざざざざっ!
と、恐 ろしいほどの速さで、人 影 が通りの向こうのビル──つまり、鎖分銅が飛び出してきた場所から飛び出してきた。人影は、目にも止まらないような速度で走り回ると、突 然 向きを変え、こちらへと突 進 してくる。
とっさに、落下した鎖付き分銅を持ち上げて......
オーフェンは、渾 身 の力で、その分銅を人影に向かって投げつけた!
がんっ! と──
自分でも思わず後 悔 するほどの手 応 えで、分銅は人影へと命 中 した。さすがに、人影がその場に倒 れて動きを止める。
「......やりすぎた......かな?」
いやぁな寒 さを腹 の下に抱 え込 みつつ、オーフェンは、その人影へと近寄っていった。ピンク色のドレスに、同じ色の帽 子 。帽子に添 えられた白い花。栗 色 の髪 の女。
見 覚 えがある。というより、ほかに考えられない。だくだくと血を流して倒れているその女をのぞき込んで、オーフェンは小声で呼びかけた。返 事 がなかったら全力で逃げようなどと思いつつ、
「......ボニー?」
「オーフェン様ぁぁぁぁぁぁっ⁉ 」
がばと、血 塗 れのまま、肉食動物のように唐 突 に、静 から動 へと急 激 な動きを見せて、立ち上がる──間違いなくボニーだった。流 血 の顔 面 をぬぐいもせずににっこりと微笑 んでくると、
「奇 遇 ですわね? こんなところでお会いできるなんて......運 命 的 なものを感じますわ」
「......ていうか......俺としては、お前が現 れるより先に飛んできた鎖分銅のほうが気になるんだが......」
「そんな、誰が投げたのかも分からないようなもののことはお忘 れになって、オーフェン様♡」
と、持っていた、鎖のもう片方の端 を背 後 へ隠 しつつ、ボニーが言ってくる。肩 幅 を小さくしてこちらを見上げてくると、彼女は夢見るような眼 差 しを見せた。
「あ──あら⁉ オーフェン様、あれをご覧 になって⁉ 」
大げさな身 振 りで、例の路地──『ふたりの愛のハッピーランド入り口』とやら──を指さす彼女に、オーフェンは半眼になりながらも、口ははさまないでおいた。それをかなり強 引 に同 意 と取ったのか、ボニーはきらきらと目を輝 かせ、あとを続けた。
「なんという偶 然 かしら......『ふたりの愛のハッピーランド』? 好 奇 心 をくすぐりますわね。ていうか、行くの決定って感じですわ。オーフェン様も、きっとそうお思いになられますわよね? ね? ね?」
「いや別に」
即 座 に告 げて、ぶんかぶんか首を横に振ってやる。
「いいえ! そんなことありませんわ。わたしには分かります。さあさあ。オーフェン様こちらへ......」
「たまに思うんだが......こいつら姉 妹 は、どーしてこうたまに、とんでもない腕 力 を発 揮 するんだか......」
骨を折 られそうなほど強力に、ボニーに腕 を引っぱられ──それに必 死 で抵 抗 しながら、オーフェンはうめいた。彼自身も全力で引っぱり返しているのだが、どれほど力を入れても、拮 抗 はしても打 開 できそうにない。
と──
「なにやってるの⁉ オーフェン!」
背後から聞こえてきた声に、オーフェンは振り返らず──というか振り返る余 裕 もなく──、ただうめき声をあげた。
「見れば......分かると思うんだが」
「......なんでボニーがここにいるのかはともかく、あんたはなんでこんなとこでもたもたしてんのよ」

「普通は、こいつがこんなとこにいることを不 思 議 に思うべきだろーがっ!」
オーフェンは勢 いをつけて、肩 越 しに背後を見やった。そこにはスーツ姿の女が、腰 に手を当てて立っている。
コンスタンスだった。子供にしか見えないが、これでもれっきとした派 遣 警 察 官 である。というよりは、派遣警察の仕事を可能な限 り失 敗 するだけの迷 惑 警官である。彼女はにこりともせずに、真 顔 で言ってきた。
「この子がどこにいたって、今さら驚 くほどのことでもないでしょ」
「そーゆう問題かっ⁉ この場所に俺らがいるってことは、極 秘 だから誰にもしゃべるなとか、てめえが言ってたんじゃねえか!」
「確 かに言ったけど......」
コンスタンスは、そこまで言われてようやく、疑 問 に思ったようだった。いまだ力を抜 くことなく、こちらの腕を引っぱり続けているボニーへと視 線 を移し、
「......あんた、なんでまたここにいるの?」
「決まっておりますわ、コギー姉様!」
自信たっぷりに、ボニーが答える。
「姉様が昨日、たまたま落っことしていらした書 類 を拾 って読んだのですわ」
「............」
しばし黙 って──
コンスタンスは存 外 あっさり口を開いた。
「意 外 な答えだったわね」
「あーあ! 意外だよ、やらねーよそんなこと普通は! この無 能 警官!」
オーフェンはひとしきり叫 びつつ、とにかくボニーの力に負けないよう、両足を踏 ん張 った。肩の筋 肉 が悲 鳴 をあげている。
ボニーもまた、必 死 の形 相 だったが──なぜか声だけは、妙 に穏 やかだった。
「というわけで、急 遽 思い立って、ここいら一 帯 にオーフェン様用の愛の罠 を多数しかけたのですわ」
「多数......」
ぞっとしたように、コンスタンスがうめく。
「どんな罠よ?」
「それを言ってしまったら、罠にはなりませんわよ。とりあえず計画表に従 ってオーフェン様を誘 導 すれば、最終的には、オーフェン様はわたしのものとなるのですわ♡」
「罠......てめえが仕 掛 けた?」
オーフェンは、思わず悲鳴をあげた。
「最悪の取り合わせじゃねーか!」
「そうよ! 困 るわ!」
コンスタンスもまた、叫び出す。
「やむない事情で取り逃がした連続殺人犯四一一二○一号が、ここいらに潜 伏 してるはずだから、逮 捕 しないと大変なことになるのよ⁉ その愛の罠云 々 っていうのは、明日以 降 にしてよ!」
「違うだろ⁉ 」
オーフェンは、さらに声をあららげた。いや、そうではなく、どちらかといえば声を裏 返 らせたというほうが近いが。
なんにしろ、ボニーは会話の流れなどまったくお構 いなしに、ただひたすら腕を引っぱり続けている──こちらの体力には限りがあるというのに、彼女の執 念 には底 などないことを、オーフェンは嫌 というほど知っていた。
「な、なあボニー。罠を仕掛けたって、命に関 わるようなものはないはず......っていうか、せめてそういうつもりではいるんだよな? あてにゃなんねえが」
「もちろんですわ!」
きっぱりと断 言 して、ボニーは、突 然 こちらの腕をはなした──危 うくしりもちをつきそうになるが、なんとかバランスをたもって踏みとどまる。彼女はさっと、隠し持っていたらしい一 冊 の多 色 刷 りパンフレットを取り出すと、それを広げてみせた。
「ちなみにこれは、そこの『ふたりの永 遠 のワンダーランド』トラップですけれど──」
「......微 妙 にタイトルが違うことには......意 味 なんかないんだろうな、どうせ」
「最近、なかなか悟 ってきたみたいね」
と、コンスタンスが感心したように言ってくる。どうでもよかったが。
ボニーは、さっとその細い腕を例の『入り口』横 断 幕 のかかった路地のほうへと振りながら、あとを続けてきた。
「この横断幕をくぐると、ふたりは否 応 なく永 遠 の愛の国へと旅立つのですわ!」
「ほう」
オーフェンは無 表 情 にうなずくと、足下に転がっていた小石を、路地の中に投げ込んでやった。
小さな音を立てて、路地の中を二度ほど跳 ねる、小石......
そして。
どうんっ!
爆 音 はあたりの建 物 をふたつほど、激 しく振 動 させた。炎 が路地を満 たし、横断幕を呆 気 なく焼 き尽 くす。爆 風 から身をかわし──オーフェンは、顔を上げた。例の路地と、その両 隣 の建物が、完全に倒 壊 している。
「............」
無言で、オーフェンはボニーを見つめた。
ボニーは、逃げるのが少し遅 れて煤 けていた。こほ、と黒 い咳 をして、ぽつりと漏 らす。
「......火薬の量が多すぎたようですわね」
「そんな問題じゃなぁぁぁぁいっ!」
全力で、オーフェンは怒 鳴 り声をあげた。
つかつかとボニーに近寄ると、ぐい、と首 根 っこをつかまえて引っぱり上げる。
「はっきり言え! 即 座 に答えろ! いったいどこに、どのくらいの規 模 で、どんな罠を仕掛けたんだ⁉ 」
詰 問 するが──
彼女がなにか言ってくるよりも早く、爆 裂 した路地から、へろへろと──黒焦げになった警官が、ふたりほどよろめき出てきた。痙 攣 しながら道に倒れ、なにやらうめき始める。
「ううう......な──なんだったんだ......?」

「テ、テロリストか──? それとも戦 争 か......?」
「あああ......マックス......お前が殉 職 した時に言い残してくれた言葉......今ようやく分かったよ......」
命に別 状 はないようだったが──というのも信じられないが──、とにかく混 乱 して目を回している。オーフェンは、コンスタンスに向き直った。
「......なんだ? こいつら」
「配 備 された、トトカンタ市警の警官ね」
「配備?」
「そーよ」
コンスタンスはあっさりとうなずいてきた。
「連続殺人犯四一一二○一号を再逮捕するために、トトカンタ市警がかなりの数の警官を配備してるみたいなの。だいたい、奴 がここいらに潜伏してるってことを突 き止 めたのも彼らだし......現場の包 囲 は完成しつつあるみたいだから、あんたも早く持ち場についてくれないと困るんだけど」
「それはこいつに言ってくれ」
オーフェンは半 眼 で、ボニーを突き出した。と、思いつく。
「にしても、市警が人員を出してるんならいいじゃねえか。俺が参 加 してなくたって」
それを聞いて、コンスタンスは仰 天 したようだった──大げさによろけてから、食ってかかるように身を乗り出してくる。
「なに言ってるの⁉ 」
その声には、焦 燥 と恐 怖 がにじんでいた。
「犯人を逃がしたわたしじゃなくて、トトカンタ市警が奴を逮捕しちゃったりしたら、またあの陰 険 な部長になに言われるか分からないでしょ⁉ 」
「ンなことは、てめえの事情じゃねーか!」
オーフェンはボニーを投げ捨てると、すぐに回れ右した。早足で、その場を去る。
「俺は帰るからな! お前ら姉妹にはつき合ってられん!」
「なんでわたしまでいっしょくたなのよ」
カケラも自覚のないことを、コンスタンスがぼやいているが、それは無 視 しておく。
そして──ボニーは、
「ああああああ。オーフェン様......」
いつもの、本気だかなんだか分からない口 調 で、涙 声 を出してきている。
背後から聞こえてくるその声を、オーフェンはきっぱりと無視して歩き続けた。
「わたしたち、ここでお別れなのですか? オーフェン様......」
無視して進む。
「わたしたちの未 来 は永 遠 だったはずなのに......その永遠が、楽 園 から地 獄 へと変わってしまった今、わたしには生きるあてなどありませんわ......」
あくまで無視して進む。
「わたしのことはお忘れになってくださいまし、オーフェン様......でもわたしは、あなたのことを決して忘れませんわ。ああ、さようならオーフェン様......」
無視──しようとしたのだが。
「オーフェーン」
どうでもいいような口調で、コンスタンスが呼びかけてくる。
「まあ、一応あなたのためを思って忠 告 してあげるけど、とりあえず一回こっちを向いたほうがいいわよー」
(知るか)
オーフェンは気にせずに歩き続けようとした。が──
(まあ、一度くらいなら、見るくらいいいか......?)
完全にほうっておくのも後 味 が悪く、肩 越 しに振り向いてみる──
「............⁉ 」
彼は無 言 の悲 鳴 をあげながら、そこで足を止めた。
もとの場所で──黒焦げの警官ふたりが気 絶 しているすぐそばに、コンスタンスとボニーはいる。コンスタンスは投げやりに後ろ頭で手を組んで、その足下に、ボニーが泣き崩 れている。
が、そのボニーの手に──
「俺の財 布 ⁉ 」
古びた革 の財布がボニーの手の中にあった。あわててポケットを探 るが、なにも入っていない。さっき近づいた時にすられたらしい。
さっと立ち上がり──ボニーはあくまで悲 劇 調 にあとを続けてきた。
「ああ、オーフェン様......ここでお別れならば、決してわたしを追わないで──」
と、背中を向けて走り出す。財布を片手に。
「ちょっと待てぇぇぇぇぇっ!」
オーフェンは全力で、逃げるボニーを追いかけ始めた。
ひとけのない昼の裏街を、オーフェンは全力で疾 走 していた。足にはそれなりに自信があったが──
(どういうことだ⁉ )
思わず、悲鳴をあげる。前方を走るボニーに、まったく追いつけない。
しばらく通りを直進するように、追いかけっこを続けてから、彼女は──戸口が開いている建物へと、躊 躇 なく入っていった。オーフェンもあとを追うが、さすがにその建物の前で足を止める。
見上げる。看 板 のようなものはない。三階建ての木 造 の建物なのだが、屋根を見ても玄 関 を見ても、しばらく人が手入れした気 配 もなかった。どうやら、空 きビルらしい。
ただし空きビルであったのならば、扉 が開いていることなどあり得 ないはずだった。
(ボニーのやつが、勝 手 に戸を開けておいたってことか?)
と、分 析 する。
だとすれば──
(中に、例の愛の罠 とやらの続きがあるってことだろうな)
用心しながら、ビルの中に足を踏 み入れる。
昼だというのに、ビルの中は薄 暗 かった。窓 はある。ふさがれてもいない。ただどの窓にも、外からの光は入らないように、角 度 のついたひさしがついていた。あるいは、外からのぞかれないように、ということなのかもしれないが。
建物の入り口から中をのぞくと、そこはすぐに広間になっていた。真 正 面 に階 段 。あちこちに、ソファーが置いてある。それ以外の家具は、すべて持ち出されたあとのようだった。ソファーだけは、重くて動かせなかったのだろう。一応は動かした形 跡 もあるが、そのままになっている。
一階はすべて、その広間になっていた。階段で二階へと上がれる。壁をぐるりと囲むように、吹 き抜 けのテラスになっている。三階も同様だった。二階と三階には個室しかない。
入ってすぐに、オーフェンは身体 を緊 張 させた──広間の真ん中に、ボニーがうずくまって、背中を見せている。
ずっと走り続けて、疲 れて動けないのか、身動きもしていない......
オーフェンは、そっと迂 回 するように歩きながら、そのボニーの後 ろ姿 を観 察 した。間違いなくボニーのように見えた。が──
「......どしたの? オーフェン」
ぱたぱたと、コンスタンスが入り口から入ってきた。まったく無 造 作 に、はっと気づく。
「あら、ボニー? どうかしたの?」
と、うずくまったままの妹のほうに駆 け寄 っていき──
ばさぁっ!
「きゃああああああっ⁉ 」
唐 突 に、天井から落ちてきた網 に捕 らえられる。同時に、入ってきた入り口の扉が、勝手にばたんと閉じた。
「どーゆうことなの、これは」
網の中でもがくコンスタンスを後 目 に、オーフェンはボニーのもとへと駆け寄った。うずくまった背中を軽く蹴 ってみる。ころん、と床に倒れたのは──ボニーとそっくりの服を着せられた、木のマネキン人形だった。
「ええい、古 典 的 な」
オーフェンは毒 づくと、二階のテラスを見上げた。一階の広間には、身を隠 すところなどほとんどない──ボニーが隠れているとすれば、二階か三階の個室に間違いなかった。
「ちょっとぉ! 私を助けてから行ってよぉぉ!」
わめくコンスタンスは無視して、オーフェンは階段をかけのぼった。叫 ぶ。
「ボニィィィっ! 今までのことは全 部 水に流してやる! おとなしく財 布 を返せ!」
目をぎらつかせ、あたりを見回す。
「今すぐ返せば──ついでに俺の知らない間に、財布の中身が倍になってたりしたら──痛 い目にあわんですむぞ! すっごくお得だぞ、それって! ええと──」
階段を駆 け上 がったところで言葉を止める。
テラスの床に一枚の紙が落ちていた。手を触 れるのは危 険 かもしれないので、遠くから眺 める。上半分は完全に真っ白で、下のほうに一文だけ書いてある。一応、文字は読めた。
「......『なんとなく名前を書きたくなった人は、ご自由にどうぞ』」
傍 らに、ぺンも置いてある。
オーフェンは用心深くその紙を取り上げると、一 言 呪 文 を唱 えて、鬼 火 を造 りだした。ぱちぱちと燃える白い鬼火の上に、紙をかざす。
しばらく待つと──紙に文字が浮かんできた。白紙だった上半分に。『婚 姻 届 』
オーフェンは無言で、その紙を破 り捨 てた。
と──
「あああ......嬉 しいですわオーフェン様」
声に反 応 して、オーフェンは顔を上げた。ぎし、と目を凝 らす。テラスの端 に、ボニーの姿があった。個室の扉 が並ぶ中、その一番端の扉の前である。
「ボニー!」
こちらの叫びは無視して、彼女は手を組み、祈るように言ってくる。
「オーフェン様......わたしを追いかけてきてくださったのですね⁉ 」
「財布を追っかけてきたんだよっ!」
オーフェンは即 座 に言い返した。組まれた彼女の手の中に、財布がのぞいている。
それをにらみ据 えながら──彼は、ゆっくりと告げた。
「いいか、ボニー──ほかのどんなことをしても、笑ってすますこともできるだろう。だがな、こればっかりは、しゃれじゃすまんぞ。みっつ数えるうちに、その財布を返すんだ。いいな?」
「いやですわ」
あっさりと、彼女が言ってくる。
「だって、これを渡したら......終わってしまいますもの」
「終わる?」
「とにかく、いやですわ!」
彼女は、はっきりとそう叫んで──テラスの手すりに、もたれるように寄りかかった。下には広間がある。いまだにコンスタンスが網 に絡 まっていた。というより、不 器 用 にもがいているため、さっきよりますますひどい状 態 になっている。
だが、そんなことはどうでもいい。オーフェンは、辛 抱 強くボニーに告げた。
「あのな、いいか──」
「もう、疲れましたわ......想 うことに疲れました......」
ボニーは夢見るような瞳 で、そうつぶやいてきた。いや、ただ独 りごちただけかもしれない。そして──
手すりから、身を乗り出す。
「さようなら、オーフェン様......」
「おい⁉ 」
叫ぶ間もない。
次の瞬 間 には、ボニーがテラスの手すりから、ばっと身を躍 らせていた。動くこともできなかった。彼女の腰 についたゴムひもが伸 びていくのを見送るしかない。
............
(ゴムひも?)
今度は、疑 問 に答えを出す間もなかった。びよ〜ん、と音を立てて、ボニーが再びもといた場所へと舞 いもどってくる。彼女の腰についたゴムひもが、そのまま手すりにつながっていたのだ。
すたっ、と器用に着 地 して、彼女は──
「ああああっ⁉ 」
感 動 に満 ちた叫びをあげてくる。
「オーフェン様のわたしへの想いが、奇 跡 を生んだのですわね⁉ これはもう、わたしたち、永遠に同じ道を生きていくしかありませんわ!」
「やかましいわぁぁぁぁぁっ!」
喉 が張 り裂 けるほどに、叫ぶ。
と。
ばたんっ! とボニーが立っているすぐそばの扉が、勢 いよく蹴 り開けられた。そして、人相の危 なげな中年の男が、飛び出してくる。
「きゃあっ⁉ 」
悲 鳴 をあげるボニーをつかまえて、男は押 し殺 した怒 鳴 り声を発してきた。
「くそっ! 運 良 く扉が開いてると思って隠 れてたら、人が入ってきやがるとはな!」
「オーフェン様ぁぁぁっ⁉ 助けてぇっ⁉ 」
ボニーが、黄 色 い声で叫んでいる。
その男は鋭 い刃 物 ──明らかに台所用品ではない、殺 傷 用 の刃物をボニーの首に突 きつけて、吐き捨てるように言ってきた。

「そこの男、この女の命が惜 しかったら──てめえの命も含 めてだがな──、そこの手すりから飛 び降 りるんだ! 運が良ければ助かるぜ──って、あれ?」
オーフェンは──
つかつかと、男──とボニーのほうへと近寄っていった。拳 を固 めて、視 線 でその男を突 き刺 す。
「え? あれ? 俺の言ったこと、聞こえてなかったか? あのな──」
がづんっ!
思い切り、腕を振り回すようなフックで、男の横 面 を殴 りつけてやる。男はあっさりと、ボニーから手をはなして吹き飛ばされた。
「どおおおおっ⁉ 」
壁に叩 きつけられ、混 乱 したように叫んでいる。ぶつけた顔面を、刃物を持ったまま手でさすろうとして──刃が少し突き刺さり、流 血 とともにさらに悲鳴をあげている。
「ぎょおおおおっ⁉ 」
「うるせぇ!」
怒鳴ってやると、男はますます混乱したようだった。
「う、うるせぇって、あの──俺は......」

「猿 芝 居 になんぞつき合ってられるか!」
「さ、猿芝居?」
男は、ようやく混乱から脱 したのか、自分を指さして声をあげた。
「お、俺を甘 く見るなよ! 俺はもう何人も殺してんだ! 警 官 だって殺したんだぜ⁉ もう二、三人殺したって──」
「うるせぇやかましいとにかく黙 れぇっ!」
その声とともに──
オーフェンが振り下ろした手の先から、純 白 の熱 衝 撃 波 が膨 れ上がった。光 の帯 は男の足下に突き刺さると、そのまま激しく爆 裂 する──男はさらに悲鳴をあげると、そのまま立ち上がり、階段を駆 け下 りて建物の外へと逃げ出していった。
「ったく......」
唾 棄 して、うめく。ボニーは床 に座 り込んで、きょとんとこちらを見上げてきていた。そして──ふと、気づいたように立ち上がる。
「オーフェン様⁉ 」
彼女は、さきほどまでとはまた違うテンションで、叫んできた。
「わたしのことを助けてくださったのですわね⁉ 」
「あーあー。はいはい」
適 当 に返事してやる。彼女はぽろりと涙 をこぼして──両腕を広げて駆け寄 ってきた。
「オーフェン様ぁぁぁぁ!」
ひょい、とオーフェンは彼女の腕をかわし、その横を通り過ぎていった。床に落とされた財布を拾 う。さきほど、男に捕 まった時に、ボニーが落としたのだ。
その財布をポケットにしまいながら、オーフェンは彼女へと向き直った。
指を立てて、説 教 を始める──
「あのな、いいかボニー。いたずらも度 が過ぎるとだな──」
と。彼は、言葉を止めた。
ボニーはじっと、こちらを見ている。
そして突然──ぺたんと、床に座り込んだ。こぼしていた涙が、またぼろぼろと二重三重に筋 を描 く。
冷 や汗 が流れるのを感じながら、オーフェンは、呼びかけた。
「ボ......ボニー?」
そこまでだった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
突然──子供のように大声をあげて、ボニーが泣き始める。
大 挙 して押し寄せてくる虫の羽 音 を思わせる泣き声である。少なくとも、大の大人が出すような声ではない。聞 き慣 れないものを聞いて、オーフェンが硬 直 していると──
「どうしたの? ボギー。泣いちゃって」
救 いの声──だと、オーフェンは、限りなく感 謝 しながら振り向いた。
「コギー⁉ 助かった。網 から抜 けてきたのか?──って、うわぁ⁉ 」
最悪なまでに網に絡 まったまま、生ハムよろしくの姿になったコンスタンスを見て、思わず悲鳴をあげる。が、彼女は──気にした様子もなく、ずるずると(網を引きずっている音である)ボニーへと近寄っていった。泣き続ける妹のかたわらに腰 を下ろし、よしよしと肩に手を置いてやっている。
ぐずぐずと泣き声をつまらせながら──ボニーが、なんとか言葉を紡 ぎ出す。
「ううう。だって、だって最近オーフェン様がかまってくれませんでしたから......こんなことでもしないと、お話もしてくれないのかと......ううう」
「馬鹿ねぇ、ボニー」
コンスタンスが、やんわりと、妹の背中を撫 でてやっている。
「こんな一文無しの寄 生 男 、銅 貨 の一枚も投げてあげれば、八時間ぶっ続けで歌を唄 わせるなり目からシチューを食べさせるなりとりあえず意味もなく首をくくらせるなり、なんでもさせられるのに」
「......お前が俺のことをどー思ってるのか、今はっきりと理 解 したからな」
オーフェンは半眼で、そう告げた。コンスタンスはほおに汗を一 滴 流 して、一 応 は聞こえなかったふりをしているらしい。
なんにしろ──
オーフェンは、ため息をついた。
「......今度、マジクも連れて、四人くらいでどっかに遊びに行くか?」
結 局 、例の連続殺人犯四一一二○一号は。
あの直後、一番最初に見つけた警官に、すがりつくようにして自 首 したという......
(開き直ってどーすんだ!:おわり)

「オーフェェェェン! なんで逃 げるのよぉぉっ⁉ 」
「なんでもくそもあるかぁっ!」
肩 越 しに振 り返 って、オーフェンは絶 叫 していた。まだひとけのない早朝のトトカンタ市。コンスタンスに追いかけられながら、ひたすらに走り続けている。
しつこく追いかけてきているコンスタンスは、意外そうな声をあげてきていた。
「なんでもなにもあるわよ! 逃げる理由がないじゃない! いつものよーに、わたしの警 邏 を手 伝 ってねって頼 んだだけなのにぃっ!」
「いつものことだから、逃げてるんだろーがっ!」
黒 髪 、黒目、黒ずくめ──そんな男である。胸 元 には、銀でできたドラゴンの紋 章 のペンダントがぶら下げられている。それは大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ者の証 だった。最高クラスの魔術士たる印 と言ってもいい。
だがそんな肩 書 はこの際関 係 なく、オーフェンはひたすら逃げ続けた。後から追いかけてくるコンスタンス──スーツ姿 の、どこか子供っぽさの残る女──が、さらに声を張り上げるのが聞こえてくる。
「なんでっ⁉ どーして⁉ いつもいつも、どーせ最後には手伝ってくれるんだから、いちいち逃げなくたっていいじゃないっ!」
「逃げる! 今日こそはお断 りだからな! 絶 対 に外 せない用事があるんだっ!」
「どーせまた、缶 詰 の特 売 日 でしょ⁉ そんなものと、市民の平和な生活を守るためのパトロールと、どっちが大切だと思ってるのよう!」
「別に今日は特売日じゃないが、どちらかと聞かれりゃ、きっぱりと特売日だっ!」
「なに言ってるのっ⁉ 」
彼女は、ショックを受けたように声を裏 返 らせた。
「しかも今日の警邏に関しては、なんとなくめんどくさいから、わたしのかわりにあんたひとりで行ってきてねっていうつもりなのに!」
「なんじゃ、そりゃあああっ⁉ 」
たまらずに、オーフェンは立ち止まった。振 り向いて、さらに続けてコンスタンスに怒 鳴 ろうと息を吸 う。と──
ごしゃっ!
なにが起こったのか、オーフェンには分からなかったが......
ただひとつ理 解 できたことは、背 後 で、なにか大きな激 突 音 がしたということだった。こちらへと走り続けていたコンスタンスが、こちらの肩越しに、その先を見て──ぞっとしたように立ち止まっている。嫌 な予感を覚 えつつ、オーフェンはさらに振り向いた。
そして。
「どわああああっ⁉ 」
悲 鳴 をあげて、後ずさりする。
路 面 に、ひとりの男が突 っ伏 している。だくだくと流れ出す血が、アスファルトを汚 していた。どうやら──と、オーフェンはすぐ近くのビルを見上げた。二階建 てのアパートメント。その屋 根 あたりから、飛 び降 りてきたものらしい。
「と......」
「飛び降り自 殺 ⁉ 」
コンスタンスが、ぞっとしたように叫 んでくる。ぱたぱたと駆 け寄 ってくる彼女を遮 って──というつもりはなかったが、とにかくオーフェンは、叫んでいた。
「飛び降りコンテストの練習だな⁉ 」
「へ?」
腑 に落ちない声を、コンスタンスがあげている。
だがオーフェンは無 視 して、男に駆け寄った。うつ伏 せになっているのでよく分からないが、歳 は二十歳 ほどだろうか。おかっぱ頭で、胸に一本横線の入った赤いポロシャツに、草色のスラックスと、妙 に派 手 な格 好 をしている。その赤いシャツに、血の色が混ざって異 様 な色 彩 を作りだしていた。
「うわー、すごぉい、血 塗 れ」
コンスタンスが、うめくのが聞こえる。
「そうだな」
オーフェンはうなずいて、男のほうを指さした。
「それに、見ろ。ズボンのほうなんて、緑に赤が混ざって、えぐい色になってるぞ」
「あ、ホントねー」
「い......いや......そんなことは......いいから......タスケテ......」
ひくひくと指を痙 攣 させながら、男が苦 悶 の声を漏 らしている。
オーフェンはとりあえず、意 識 を集中して言葉を紡 いだ。男に触 れない程 度 に、手をかざす。
「我 は癒 やす斜 陽 の傷 痕 !」

呪 文 とともに魔 術 の構 成 が解 き放 たれ、男の傷が、あっさりとふさがっていく。
男は──傷が治 るや否 や、がばと跳 ね起 きた。ぽんぽんと自分の身体 を叩 いて、そして驚 愕 の声をあげる。
「おおっ⁉ こんな一 瞬 で傷を治すとは⁉ 」
わきわきと指を握 り、こちらを向いてくる。つり上がった細い目でじっと見つめて、男は言ってきた。
「さてはあなた──わたしの傷を治すがために長年の修 行 を⁉ 」
「いや......そんな人生はヤだなぁ」
オーフェンは、思い切り正 直 にそううめいた。
「..................んで?」
いつもの食 堂 にもどって。
なぜか、限りなく地平までも凍 りつかせるような冷たい眼 差 しでこちらを見つめてきているコンスタンスが、長い沈 黙 を破り、つぶやきを口にする。
「なにその、飛び降り自殺コンテストって」
「不 吉 なことを言わんでくださいっ!」
どん! とテーブルを叩いて抗 議 の声をあげたのは、さきほど道に激 突 してうめいていた、あの男だった。
「わたしが挑 んでいるのは生死の極 限 に挑 む男のスポーツ! 飛び降りです!」
「だから、飛び降り自殺でしょ」
「自殺をつけんでくださいっ!」
うんうんと、オーフェンはうなずいた。腕 組 みして同 意 する。
「自殺をつけちゃいかんな」
「そーです!」
またもやテーブルに拳 を打ち付け、男が唾 を飛ばす。
嫌 そうな仕 草 でその唾をよけながら、コンスタンスはこちらに──彼女のとなりに座 っているオーフェンに──不 審 げな視 線 を投げてきた。とりあえず無視しておくと、彼女はすぐに男へと向き直った。
「聞いたことないわよ、飛び降りスポーツなんて」
「まあ、確 かに歴史は浅いかもしれません......」
男は、今までとは突 然 トーンを変えて、静かにつぶやいた。
「しかし!」
ばっと顔を上げると、握 り込んだ拳を激 しく震 わせる。
「落 下 の恐 怖 に耐 える精 神 力 ! そして落下の衝 撃 に耐える強 靭 な体 躯 ! まさしく極 限 のスポーツです。間 違 いなく、これから発 展 していくに違いありませんっ!」
「うむ。そーだな。いや、どーだか知らんけど」
オーフェンはうんうんと、再度あごで喉 元 をこづいた。コンスタンスもまた先ほどのように疑 わしげにこちらを見ているが。
「じゃあ、つまり......」
彼女が自分に言い聞かせるように、ゆっくりとつぶやくのが聞こえてくる。
「あんたって、単に趣 味 で、高いところから飛び降りたりしてるわけ?」
「スポーツスピリットに従 って、最 も困 難 な競 技 に挑んでいるのだと承 知 いただきたいですな」
「いただけないわよ、そんなもん」
素 っ気 なく、コンスタンス。
「だいたいあなた、誰 なの?」
「わたしは、カーネルと申します。放 浪 の旅を続けながら、この素 晴 らしい新スポーツ、飛び降りを広めようとしているわけです」
「はた迷 惑 ねー」
「迷惑じゃありませんっ!」
「どうしようかしら。とりあえず鬱 陶 しいから、逮 捕 でいいわよね」
「いいわきゃないでしょーが⁉ 」
「うむ。逮捕されちゃ困 るな」
オーフェンは、またうなずいたが。
さすがに三度目になると──
コンスタンスは、はっきりとこちらを向いて聞いてきた。
「......さっきから、どーしちゃったわけ? オーフェン」
「どうやら、説 明 しなけりゃならんようだな、コギー......」
オーフェンは組んでいた腕 をゆっくりとほどくと、ポケットから、折 り畳 まれたチラシを一枚取り出した。ぽんと、テーブルの上にほうってやる。
コンスタンスはさらに眉 間 にしわを寄 せながらも、無 言 でそれを開き始めた。二 色 刷 りだが色使いが派 手 なチラシである。とりあえず、一番最初に目に入る文字は──
「......『第一回飛び降りコンテスト開 催 』って......?」
「文 字 通 りの意味だが」
落ち着 いてオーフェンが言うや否 や──割り込むように、カーネルとやらが声をあげてきた。
「おおっ! それはっ⁉ 今日の飛び降りコンテストの告 知 ですなっ⁉ 」
勢 いよくテーブルの上に飛び乗って、大 仰 にその指をチラシに突 きつける。男は、さらに大声であとを続けた。
「ふっ......わたしが提 唱 する次 世 代 スポーツ、飛び降りの第一回公式大会! なにを隠 そうこのわたしが町 内 会 に働きかけてスポンサーになっていただいたのです!」
カーネルはろくに息も継 がずにまくし立てるのだが、コンスタンスは聞いている様 子 もなく、ただチラシに見入っている。その横顔を見る限り──どうやら、信じられないという心 境 らしい。
「......冬の第九十八日──今日ね──の午後四時から、トトカンタ市マーシャルストリート商 店 街 中央広場にて開催......参加は自由。ルールは......時間内に、この街 に存在するあらゆる高 所 から飛び降りて、とにかく最も高い場所から飛び降りた者が勝ち......」
読み進めるうちに、チラシを持つ手が震 えはじめている。
と、カーネルが、感じ入ったようにうめくのが聞こえた。
「素 晴 らしい。過 不 足 なしの、完全な公式ルールと言えましょう」
「言えるわけないでしょっ⁉ 」
べし、とテーブルにチラシを叩 きつけ、コンスタンスが悲鳴じみた声をあげる。彼女は椅 子 を蹴 って立ち上がると、
「あーもー、事前に知ることができて幸 いだったわ。こんな馬 鹿 なイベントをわたしの管 轄 でやられて、しかも死人が出よーもんなら、あの部長になにを言われるか分かったもんじゃないわよ」
「む⁉ 」
意外そうに、カーネルがうめく。
「まさか、反対なのですか?」
「なんで『まさか』とか言えるのよ!」
「ぬう......商店街の会長さんも、これは素晴らしい、月一くらいでやろうじゃないかと、絶 賛 してくれたというのに......」
「............ホントに?」
ぐったりと、肩 を落としてコンスタンス。
オーフェンは、彼女がテーブルに叩きつけたチラシを、そっと取り上げた。
「確かに、危 険 な競技かもしれないが......人生には、あえて困 難 なことに挑 まなければならない時というものがあるんだぞ、コギー」
「へ?」
眉 を吊 り上 げて──裏 切 られたとでもいうような意外な顔で、彼女は振り向いてきた。しばし、こちらの言ったことを吟 味 でもしているのか目をぱちくりさせて、震える指を、ゆっくりと上げる。その人差し指をこちらに向けてから、
「......って」
コンスタンスは、しゃっくりにも似 た声 音 で聞いてきた。
「あんたも出るわけ⁉ なんで⁉ どーして、こんなしょーもないことなんかに!」
「しょーもないとはなんですか⁉ 」
カーネルが抗 議 の声をあげるが、オーフェンはそれを無視してうなずいた。
「確かにしょーもないが」
「あ! あなたまで!」
あくまでカーネルは無視したまま──
オーフェンは、例のチラシをコンスタンスへと差し出した。音を立てずに椅 子 を引き、立ち上がる。
彼は静かに付け加えた。
「賞 金 が二万ソケットなんだ」
「......そ......そこまで......追いつめられてたわけ......?」
彼女の同 情 的 な視線が、ちくちくと痛 くはあった。
ひゅごぉぉぉぉぉぉぉぉっ......
鋭 い風が、はるか眼 下 を吹 き抜 けていく。トトカンタの街 並 みは、普 段 よりほんの数メートル高い場所から見 渡 すだけで、まるで違 ったように見えた。並ぶ屋 根 。いつもより広い空。雲の切れ間から、そろそろ高くなってきた太陽がのぞいている。
二階建 てのバグアップズ・イン──今までいた食堂──の、一番高い屋根の上で、オーフェンは風の冷たさに思わず身 震 いしていた。
腕 組 みして立つ、その右足に、コンスタンスがしゃがみ込むような姿 勢 でしがみついてきていた。
正 直 、寒い。だがその中で、カーネルだけは生き生きとしているようだった。
「と・いうわけで、時間までに我々がやらなければならないのは猛 特 訓 ですっ!」
「なにが──と、いうわけなのよっ⁉ 」
高いところが苦 手 なのか──あるいは、足場が悪いからか、がたがたと震 えながら、コンスタンスが叫 び声 をあげる。
さらに風が吹き、彼女はオーフェンの右足にしがみついている腕に、さらに力を込めたようだった。
「なにが、ですと?」
きらりと目を輝 かせ──カーネルが、振 り向いてくる。親指を立てて、彼は続けて言ってきた。
ただし、コンスタンスではなく、オーフェンに。
「さきほど、あなたにケガを治 していただきまして......わたしは、閃 いたのです」
「ほう?」
「まずは論 より証 拠 っ! とぉぉっ!」
言うが早いか、カーネルは横 跳 びに、大きく跳 躍 した。
「え?」
と、これはコンスタンスの声。
だが、そんな声が重 力 に抗 う力を持っているわけもなく──
カーネルは、その横跳びの姿勢のまま、一気に地面まで落下していった。ぐしゃ、と音を立てて、アスファルトに叩 きつけられる。

「............」
上からすべてを見下ろして、オーフェンはぽつりとつぶやいた。
「落下してもバウンドしないんだなー、人間の身体 って」
「ええっと......」
いまだこちらの右足にしがみついたまま、首だけを伸 ばして屋根の下をのぞき込み、コンスタンスが困 惑 した顔を見せる。
なんにしろオーフェンは一言呪 文 を叫 ぶと、重力を中 和 して、ふよふよと道 路 まで漂 い降 りた。しがみついたコンスタンスもそのままに、カーネルが倒 れているわきに着地する。
カーネルは地面に突 っ伏 して、ひくひくと痙 攣 していた。とりあえず、また呪文を唱 えて傷を癒 やしてやる。
と──
「そーなのですっ!」
がばっ! と、なにごともなかったかのように上体を起き上がらせて、カーネルが叫び声をあげた。
「きゃあっ!」
悲 鳴 を漏 らしつつ、かさこそとコンスタンスが後ずさりする。が、カーネルはまったく気にもせず、びしと指を突きつけてきた。

「ことほどさよーに、落下すると、人はケガをしてしまいますっ!」
「当たり前でしょっ⁉ 」
コンスタンスの抗 議 にも、彼は取り合おうとしなかった。聞こえてないだけかもしれないが。
「しかしです! あなたの助 力 が得られれば──わたしはケガの心配もなく、とにかくひたすら落 ち放 題 っ! 大会の優 勝 も間 違 いなしです!」
自分の形をした血の跡 の上で、ぜえはあと息を切らしながら、カーネルが、ね? と同意を求めてくる。
「いや、まあ、それはいいんだが......」
オーフェンは、ぽりぽりとほおをかきながら聞いた。
「それって、俺 になんのメリットがあるんだ?」
「わたしは、ぜひとも今回のコンテストには優勝したいのですっ!」
カーネルは目を閉じると、拳 を握 り力 説 を繰 り返した。
「なにしろ、この前 途 洋 々 たる新スポーツ、飛び降りの第一回公式大会! その優勝者として、この競技の発 案 者 たるわたしが名を残したいと思うのは当然ではないですかっ⁉ 」
「いや、だから俺のメリットは......」
「これは未来への遺 産 ! そして、この競技を熱 い魂 とともに、各 々 のネクスト・ジェネレーションへと伝えていく後 代 たちへの、わたしからのプレゼントなのです! わたしの名を追え、と!」
「俺の......」
「わたしは当然、熱きフライト、魂の落下を大 観 衆 にご覧 に入れます! 誰もが理 解 するでしょう──彼らが憧 れるべきは、棒 っきれで軽く球をひっぱたいて喜ぶよーな小 手 先 のお遊 戯 などではなく、この『飛び降り』なのだと!」
「............」
オーフェンは、ついに無言になってただ半 眼 を彼へと向けた。その沈 黙 が通じたのか、それまで口だけではなく両腕までも使って熱 弁 していたカーネルの動きが、ぴたりと止まる。
「............」
さらに、しばしの静かな時間。カーネルはこちらは見ずに──ぼそりと囁 いてきた。
「賞金の半分、ということで......」
「うむ。それなら俺も痛い目も見ずにぼろもーけだな」
「交 渉 成 立 ですねっ⁉ 」
「うう......なんか早くも、スポーツの汚 い面を見せつけられたよーな気がするわ......」
コンスタンスが遠くでつぶやいているのが聞こえてくるが、とりあえず無視しておく。
と、その時だった。
ぴくり──と、オーフェンはなにかを感じていた。殺 気 ではない。悪 寒 とも違 う。なにか、彼に告 げてきたというわけではない。
彼自身が、気づいたことだった。なにかが弾 けて、彼は振 り向いた。バグアップズ・インの向かいにある、三階建ての雑 居 ビル。
その──屋 上 !
「うわーっはっはっはっはっはっはっ!」
哄 笑 が、響 きわたった。見上げた屋上に、人 影 が見える。子供のようだったが、そうではない。はっきりと、オーフェンは否 定 していた。毛 皮 のマントが揺 れている。腰 に下げられた剣 が見える。
黒い髪 。ぼさぼさ頭。見 間 違 えるはずもなかった。
その人影は、ひたすら得 意 げに、一生分を絞 り尽 くすように哄笑を続けた。たっぷり三十秒は笑い続けたあとに──ぴたりと止める。
そして、マントを翻 し、こちらに指を向けてきた。
「愚 かな夢 だな、この貧 窮 極 まり借 金 取 り! 自 らの分 もわきまえず、このマスマテュリアの闘 犬 ボルカノ・ボルカン様の栄 光 に立ちふさがったところで、しょせんは星から来て星に帰り殺されるだけだというのに!」
大陸の少数種 族 たる『地 人 』だった。そして、叫 ぶだけ叫んだあとに、ばっ──
と、虚 空 に身を躍 らせる。
ひうううううう......
という音も一 瞬 。落 下 した地人は、そのまま頭から、アスファルトに激 突 した。頑 丈 に舗 装 されたはずの真 新 しいアスファルト(なぜか、数日に一回はクレーターになるためだが)は、呆 気 なく砕 け散 った。たっぷり数十センチほど路面にめり込んでから──
「ふははははははは!」
数秒もすると、ボルカンは起き上がってきた。
「さあ、俺の前にひれ伏 すがいい! コンテストに優勝するのが誰 だか、言ってみろ!」
がすっ──!
「まあ、それはそれとして──」
つぶやく前に、ボルカンの顔 面 へと突 き刺 したつま先をぐりぐりとねじ込みながら、オーフェンはカーネルのほうへと顔だけ向き直った。
「取り分なんだが、七・三くらいにまからんかな。ていうかお前、好きで飛び降りてるんだから、金なんぞいらんだろ。全部俺にくれてもいいよな」
「いや......なんか当然そうに、むちゃくちゃなこと言いますね、あなた......」
カーネルが、つぶやくのが聞こえてくる。
彼に対して、説 得 力 ある言 葉 ──というか火 力 ──をかけようとして、ふと、オーフェンは動きを止めた。あわてて、ボルカンのほうへと顔の向きをもどす。
「コンテストだと⁉ 」
聞き返す。ボルカンは顔面に足を打ち込まれて、気 絶 しているのか答えてこなかったが。
「実はですね......」
すささっと、どこから出てきたのか、ボルカンにそっくりの地人──ただし、奥 が見えないほど分 厚 い眼鏡 をかけている──が姿 を見せてきた。ボルカンの弟、ドーチンである。短い指を一本立てて、言ってくる。
「どうやら兄 さん、街 角 でチラシを拾 ってきたらしくて、それ以来、出 場 するってきかなくって」
「くうううううっ! 福 ダヌキの分 際 で、俺の儲 け話 の邪 魔 をする気かっ⁉ 」

オーフェンはボルカンの顔面から足をどかすと、気絶したままのボルカンの胸 ぐらをつかみ上げた。そのまま、だらんと宙づりになるまで持ち上げる。
「ええいっ! 金がないからって、こんなしょーもない大会に食らいつきやがって! 卑 しい奴 !」
「全っっっっ然、人のこと言えないと思うけど」
またもや遠くから、コンスタンスが冷たい眼 差 しで指 摘 してくるが、無視。
「まったくですっ! 思い上がりも甚 だしい──このわたしを差 し置 いて優勝などと!」
これは、カーネルだった。どこから取り出したのかハンカチをくわえて、金 切 り声じみた声 音 でボルカンへと食ってかかる。
「まったく──勘 違 いしてもらっては困 りますがね! 言っておきますが、あなたがたが三階から飛び降りたから言うわけではありませんよ⁉ わたしの優勝は、揺 るがないのですから! ええ、全然不安などありませんとも! まったく、三階程 度 で大きな顔をしてもらっては困ります! 三階だなんて三階だなんて。ええいくそ、三階なんて! わたしなんか──」
「そーだ! こいつは、やろうと思えば三百階くらいのビルからだって飛び降りるぞ!」
「どええっ⁉ 」
大げさに跳 び退 いて、カーネルが驚 愕 の声をあげている。
「そんなビルあるわけないでしょーが......」
あくまでも冷たいコンスタンスの声も聞こえてきていたが。
「と──とにかくっ! 飛び降りとは、ただ原 始 的 に高いところから飛び降りればいいというものではないのです! 科学的な計算がすべての、理 知 的 スポーツなのですよ!」
「さっき熱い魂 がどーとか......」
「飛び降りとはっ!」
コンスタンスの指摘はあくまで無視して、カーネルは瞳 に激 しい炎 を宿 し、拳 を突 き上げた──気絶したままのボルカンに向かって。
「まさしく理知的な判 断 と訓 練 がものを言う高度なプロスポーツ! 確かに高度は重 要 です。が!」
拳から人差し指を一本立て、今度は太 陽 を指さし──特に意味はないのだろうが──彼は続けた。
「しかし! ただ自 由 落下するだけでは、お客さんを沸 かせることなどできませんっ!」
「十分沸くと思う......」
妙 にもっともなことを、コンスタンスがつぶやいている。見ると、彼女はもう疲 れたのか、食 堂 の入り口にハンカチを敷 いて、その上に腰 を下ろしていた。
なんにしろ、カーネルの耳にはとどかないらしい。彼はさらに声をあららげた。
「そこでわたしは、華 麗 なる落下ポーズを研 究 したのです! まだ開発中ではありますが──まずはこれっ! テーブルのポーズ!」
と、その場に、ブリッジのようなポーズを取る。
「そしてこれっ! 羊 のポーズっ!」
今度は、四つん這 いだった。
「極 めつけはこれですっ! 水 魚 の舞 のポーズっ!」
ぱっと見では、なんだか分からない複 雑 なポーズを決めて力 説 するカーネルに──
コンスタンスは、どうしても冷 静 にしかなれないようだった。
「......どれを試 しても死ぬと思うけど......」
「俺もそー思う」
「あ! またあなた、裏 切 ってますね⁉ 」
とうにボルカンを地面に置いて、こっそりとコンスタンスの横に腰を下ろしていたオーフェンに向かって、カーネルは指さして非 難 の声をあげてきた。
オーフェンは、とりあえず少し視線をそらして、
「いや、だって......あんた、どこまで本 気 か分からないから、なんだか怖 くってな」
「すべて本気ですっ!」
「今ので怖さが三倍くらいになったわね」
と、コンスタンス。
「ええい、軟 弱 なっ!」
カーネルは、だんだんだんと派 手 に地 団 駄 を踏 むと、
「スポーツには危 険 が付き物です! ですがあえてっ! その危険性をクローズアップしたのがこの飛び降り競技! 怖いなどと言っていては始まりませんよ!」
「いや......怖いってのは、そーゆう意味じゃないんだが......」
そんなことを言い合っているうちに──
「はーっはっはっ! 仲 間 割 れとは見苦しいな!」
いつの間にか復 活 したボルカンが、両手を腰に、得 意 げに仁 王 立 ちしている。地人は胸を張り、挑 発 のポーズを取ってみせた。
「そのよーにびくついて、一生このマスマテュリアの闘 犬 を恐 れて生きていくがいいぞ、借 金 取 り! 貴 様 が逃 げても誰 も文 句 は言うまいが、逃げたことは決して忘 れない! というわけで、行く先々で陰 口 され殺されるがいい!」
ぴくり──
と、オーフェンは立ち上がった。
ボルカンはさらに続けている。
「はぁっはっはっ! 負け犬となった貴様を救 うものなどなにもない! みじめにいつまでも負け犬ライフを送るのだ! というかもう既 に貴様、二十三パーセントくらいは負け犬だがな! というわけで──」
「我 は放 つ光の白 刃 っ!」
オーフェンが放った光 熱 波 は、吸 い込まれるようにボルカンの足 下 に突 き刺 さり、爆 裂 した。炎 を噴 き上 げ、地人を得意げなポーズそのままで黒こげにする。
炎が収 まって──ボルカンと、その近くにいたせいで巻 き添 えになったドーチンが、ぽてりと倒 れた。
「ふん......」
オーフェンは、ふらりとした足取りで、いまだ地団駄踏んでいるカーネルへと近寄った。彼の肩 を、がっしと捕 まえる。
「へへへへへへ......」
ぎゅっ、とその手に力を込めながら、オーフェンはうめいた。
「勝ちたいよな?」
「は?」
「勝・ち・た・い・んだよな?」
「え、ええ!」
カーネルは、一 転 、歓 喜 の表情を見せた。
「分かってくださったんですね──ええ、もちろん信じていましたとも! わたしとともに、歴史を作りましょう!」
と。
「ふっ! 笑 止 !」
割り込んできた声に振 り返ると、黒こげになりながらも、ボルカンは立ち上がっている。
「歴史を作るのはこの民族の英 雄 たる俺 様 であると、なんかいろんな人が決めている! 貴様らがいかに無 駄 な努 力 をしよーと、このコンテストの栄 誉 と優勝賞金は、俺様のものだ! 貴様らは子供に鼻水つけ殺されるがいい!」
「栄誉はともかく、賞金はてめぇら福ダヌキどもなんぞに渡 すかっ!」
「あのさ、オーフェン......」
最後まで冷静な、コンスタンスのつぶやきが背 後 から聞こえてくる。
「わたし、あの地人たちをとにかくひたすら高いところから突き落として、優勝させてから、その賞金で借金返させればいいと思うんだけど......」
「分 をわきまえておらんとは、情 けないな、借金取り!」
「わきまえてねえのは、どっちだこの裏 街 道 の吹 き溜 まり!」
「............!」
「......!」
と............
延 々 と続く口 論 の中、オーフェンは気づかなかったが。
コンスタンスはため息をついて、食堂へと入っていった。
一時間ほどしてから。
食べ終わった白身魚のパスタに満 足 しながら、コンスタンスは、ふと窓 から外を見やった。さっきから、喧 噪 だけは聞こえてきていたが、オーフェンとあのカーネルとかいう男、そして地人の兄 弟 が、向かいのビルの屋 上 で騒 いでいる。
「はぁーっはっはっはっ! しょせん貴様らは、この高さから飛び降りることはできまいっ! このマスマテュリアの闘 犬 に飛び降りで勝とーなど、夢のまた夢よ!」
「あのさ兄さん、飛び降りが得 意 なのって、自 慢 できないと思うんだけど......」
「くそ! あんなこと言われてるぞ、カーネル! 元 祖 変 態 競 技 の第 一 人 者 として悔 しくねえのかっ⁉ 」
「誰が変態競技の第一人者ですかっ⁉ 」
「きっぱりとお前だっ!」
「あ......そ、そうですか。いやあの、でもさすがにこの高さから落ちると即 死 しちゃうかなー、なんて思うんですが......」
と言っているうちに、どがっ! とアスファルトになにかが落ちる。
「はぁーっはっはっ! どーだクソ借 金 取 り! この高さは完 璧 に制 したぞ! と・いうわけで、俺様はさらなる高さに挑 戦 だ! ドーチン、あっちの時 計 塔 に移 動 するぞ!」
「ぬう! 高さで勝てそうにねえなら、芸の多さで勝 負 だ! ほれ、福ダヌキ! こっちは頭からきりもみ状に落 下 したりするぞ!」
「どひぃぃぃぃっ⁉ 」
ぼぎっ!
「しかも、上から俺が光 熱 波 を雨 霰 と降 り注 ぐ!」
「どぎぁぁぁぁぁっ⁉ 」
立て続けに魔 術 が炸 裂 し、轟 音 と地 鳴 りが響 く。
「ん⁉ どーしたカーネル! 魔術の攻 撃 が終わったら、にっこり笑って立ち上がらないと!」
「できるわけがないでしょーがぁぁっ⁉ 」
「じゃあ、こーゆうのはどうだ? とりあえず身体 に灯 油 ぶっかけて、松 明 つきの短 剣 を一 気 に呑 み込むんだ。きっとうけるぞ」
「あなた、奇 人 変 人 大 会 といっしょにしてませんか⁉ 」
とりあえず──
コンスタンスは、ため息をついて、窓から離 れた。
風は止 んでいた。
時 刻 は四時。
すべてが始まる──すべてを決するべく始まる、その時刻だった。
マーシャルストリート商 店 街 中央広場。
『希 望 』とタイトルのついた老人の像 が、広場に集まった、肉ある人間たちを見下ろしている。

肉、即 ち生 命 。石の像がそれをうらやんでいると思うのは思い上がりだろうか。オーフェンは腕 組 みして立ちながら、ふと思い浮 かんだ考えに、かぶりを振 った。そうだ。違 う。この石像は──そしてほかの観 衆 たちも、これから始まる、生命たちの戦 いを見ることになるのだから。
派 手 に掲 げられた横 断 幕 には、こう記 されていた。
『第一回飛び降りコンテスト』
その横断幕を見上げて、カーネルがぽつりとつぶやく......
「『月 例 』の文字が抜 けているようですな」
「いや、そりゃさすがに毎月はやらんだろ」
とりあえず、突 っ込んでおく。
広場に集まった観衆は、五百人ほどだろうか──スタッフを含 めれば、もっと多いだろう。選 手 は、たったのふたりだった。言うまでもなく希望者がそれだけだったわけだが。カーネルとボルカン。それぞれの補 助 役 ということで、オーフェンとドーチンもいる。
広場は、しんと静まり返っていた。選手たちの前に、壇 が設 えられている。壇の下には、役員と思 しき、商店街の重 鎮 たちが並んでいた。中でも、最も高 齢 らしい老人が、胸に大会役員長のバッジをつけている。白 髭 に埋 もれた顔の中に、その表情をうかがうことはできない。ただ役員として武 者 震 いでもするのか──あるいは単にもうろくしているのか、ふるふると、杖 を持つ手を震わせている。
司会役の男が、声をあげた。
「では、開会式を始めますっ!」
おおおおおおおおお!
観衆から、どよめきがあがる。
カーネルが、うんうんと、うなずいているのが見えた。目の下を手でこすっている。泣いているらしい。
「開会の言葉──!」
「はひ」
気の抜けたような返事を返したのは、例の大会役員長である。老人は頼 りない観 葉 植 物 のようにふるふると揺 れながら、壇上へとのぼっていった。壇に立ってから、しばらく、老人特有の間 を取ったあと──
口を開く。
「え〜と......な」
老人は、あっさりと告 げてきた。
「中止」
............
沈 黙 が、あたりを包 んだ。
まだ日は明るい。だが夕日になりかけている。その微 妙 な色 彩 の中で、老人は繰 り返 した。
「この大会......やめにしとこ」
「な──」
信じられない、というように、カーネルが声をあげる。
「なんでだっ⁉ あんたこの前、あんなに乗り気だったじゃないか──」
「いや......さっき、階 段 で転 んで、気づいたんだがの......」
老人は、よぼよぼと右手をあげた。これまた老人特有の意味のない動 作 のようだったが。
なんにしろ、あとを続ける。
「落ちたら......死んじゃうし......」
「............」
完 。
(まさか本気じゃねぇだろな?:おわり)

人 生 について。
オーフェンは目を閉 じて、そんなことを考えていた。生まれた時は、自分の人生について、もう少しマシな将 来 を想 定 していたような気がする。でなければ、生まれることを拒 否 する程 度 の知 恵 はあっても良さそうなものだった。
ついでに言えば、人生の最 初 の十数年ほどは、しごく問 題 なかった──多分。
だが、なにがどう崩 れたのか知らないが、今はこうして、こんなことになっている。
彼はゆっくりと目を開 けた。
わいきゃい騒 ぎまくる園 児 たちの中に立ちつくし、オーフェンは、絶 望 的 な気 分 を味 わっていた。
「わぁぁぁぁぁぁぁい!」
ただひたすらに大声をあげて走り回る。
「あはははははははははは!」
笑 ったりもする。
「ねーねー。おトイレー」
なぜ、ひとりで行こうとしない。
「えいえいえいっ!」
意 味 なく蹴 ってきたりもする。
オーフェンはただひたすら放 心 して、天 井 を見上げていた。建 物 の中なので風はない。が、心の中では枯 れた風に吹 かれていた。
ただよく分からないのは、そこが待 合 室 だということだった──というか、そのはずだったように思う。だが、だとしたら、どうして待合室で子供が遊 び回 っているのか、彼にはどうしても合 点 がいかなかった。客が使うはずのものと思 しきソファーには、四歳 ほどの女の子がスケッチブックを広げて、なにやら抽 象 的 な風 景 画 をクレヨンで描 き殴 っている。天井すれすれにボールが飛び回り、床 には積 み木 が散 らばっていた。さらには、積み木などよりも数 倍 乱 雑 に、数十人の園児が、嵐 のように駆 け回っている。
その中で、自分の心だけが静かに動きを止めるのが自 覚 できた。力を抜 いたまぶたが、視 界 の半分を閉ざしている。
いつも着ている黒いジャケット。黒いシャツに革 ズボン。それらはともかくとして、胸 にさげている、銀 製 のドラゴンの紋 章 は、大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ術者の証 だった。力ある血 統 に生まれ──その力を制 御 する術を身 に着 けた者。即 ち、魔 術 士 である。

だがその力に関 して、彼は粉 々 に打 ち砕 かれたような心 境 で独 りごちた。
「無 力 だ......」
肩 を落 とし、ぼんやりとした口 調 でうめき声を漏 らす。
「いっそのこと、旅に出てしまおーか......」
「なにをのんきなことを言ってるのよ!」
怒 鳴 ってきたのは──
コンスタンスだった。どことなく子供っぽい容 姿 とそのスーツ姿 は、ちぐはぐなようで似 合 っている。
彼女は、やはり子供に蹴 られながら言ってきた。
「捜 査 を忘 れたわけ?」
オーフェンは、即 答 した。
「忘れとらんぞ。相 も変わらず無 能 警 官 の不 始 末 の尻 拭 いに駆 り出され、手 伝 い料 ももらえるわけじゃないのに、こんガキどもにゃ蹴られるわ引っぱられるわ......」
「そのへんは、器 用 に忘れてちょうだい」
「できるかっ⁉ 」
無 茶 なことを言われてオーフェンは怒鳴り返したが、彼女はまったく聞 いた素 振 りも見せなかった。素 知 らぬふうに、ひとりで拳 を握 りしめている。決 意 を固 めるように。
「忘れちゃならないのは──」
コンスタンスが、きっぱりと叫 ぶ。
「この連 続 幼 児 誘 拐 事 件 を解 決 しないと、わたしのボーナスが向こう五年間支 給 停 止 になるっていうことなのよ!」
「知ったことかぁぁぁぁっ!」
「なんでそーゆう冷 たいことを言うのっ⁉ 」
さっきからぺしぺしと足を蹴ってくる子供を蹴り返し、背中を踏 みつけてから、彼女は拳を握っていやいやのような仕 草 をした。そのまま、涙 ながらに訴 えてくる。
「罪 もないいたいけな子供たちを無 慈 悲 に狙 う凶 悪 犯 を、決して許 すわけにはいかないわ!」
「言ってることとやってることがちぐはぐだぞ、お前」
「いいのよっ! 建 前 さえしっかりしてればっ!」
「いいわけないだろがっ⁉ 」
オーフェンはとりあえず怒鳴り返してから──
力なく、はぁとため息をついた。飛んできたボールを適 当 に避 けて、ぶつぶつと続ける。
「ったく......ホントにこの無能警官は......どーせ人を巻 き込むんなら、食 堂 の厨 房 とか、食品会社の倉 庫 とか、八 百 屋 の店 先 とか、もーちょっと役 得 のありそうな場所に連 れてけってんだ」
「役得?」
「腹 がいっぱいになるかもしれんだろうが」
「捜 査 現 場 でつまみ食いする警 察 が、どこの世の中にあるのよっ!」
「俺 は民間人だっ!」
「同じことよっ!」
と──
しばし交 互 に叫びあい、オーフェンとコンスタンスは、いいかげん息を切らせて肩 を上下させながらにらみ合った。その周 りで、相変わらず子供たちは途 切 れることなく騒 ぎ続けている。まったく同じことを繰 り返しているようでもあり、そうでないようでもある。とまれ、オーフェンは小さくつぶやいた。
「......そーいや、保 育 園 って、おやつの時間とかあるよな?」
「取り上げるつもりじゃないでしょうね」
冷たく言ってくるコンスタンスの頭に、ぽこんと、花 柄 のボールがぶつかった。
子供たちの歓 声 がどこまでも続いている。
ふたりがいるのは。
トトカンタ市の住 宅 街 にある、とある小さな保育所だった。
「......確 かに、わたくしの保育所が、警 備 という点で、万 全 と言えないことは正 直 に認 めますわよ」
園 長 のマリアンヌ──だったように思う。とにかくそんな名前だった──は、見たところまったく不 快 さを隠 そうとしていないようだった。小 皺 がやや目立つ目 尻 に手を当てて、じろじろとこちらを見ている。
彼女は少しの間、目をそらし、ため息混 じりにあとを続けた。
「ですが、わざわざ警察の方に来ていただくほどのことだとは、わたくし思っておりませんでしたのに」
「それは失 礼 ながら、少し認 識 が甘 いのではないですか?」
毅 然 と言い返すコンスタンスの横で。
オーフェンはとにかく、腰 掛 けているソファーのスプリングがいかれていることのほうが気になっていた。まるで子供が何度も上で飛び跳 ねたように──まあ、想 像 通 りなのだろうが。
なんにしろ園長室で、コンスタンスが少しでも相手の優 位 に立とうと、落ち着いた〝警官口 調 〟でまくし立てるのを、オーフェンは横でぼーっと聞いていた。すぐ外の待 合 室 から、子供の笑 い声 が聞こえてくる。もっともこの騒 ぎようでは、敷 地 内のどこにいたとしても、聞こえてきただろうが。
「現実に、この保育園で預 かっている子供が行 方 をくらますという事 件 が何度も起きているんです。むしろ、あなたから積 極 的 な通 報 が今までなかったということを、当 局 は残 念 に思っています」
「ですが......行方をくらますといっても、少し姿 を見せなくなるだけで、夕方までにはもどってくるんですし......」
「次もまたそのように無 事 ですむという保 証 はないんですよ⁉ 」
それがどういった事件であるのか──
そもそも、事件と呼 べるのか、オーフェンには分からなかった。

この保育所では、朝から昼 下 がりまでの数時間、約三十人の子供を預かっている。通報者は、その子供たちの母親のひとりである。
この数日の間、預けていたはずの子供がいなくなるということが、頻 発 しているのだという。
いつの間 にか、保育所から子供が数人ほど消えて、そして心配して捜 し回っていると、ひょっこりと、夕方頃 に帰ってくる。どこに行っていたのか子供に聞いても、相手が四、五歳の子供では、筋 の通った説 明 が期 待 できるわけでもない。かろうじて意味のありそうな返 事 を並 べてみても──「遊びに行っていた」「お婆 さんが迎 えに来てくれた」「楽しかった」「また来 いって言ってた」......
一応、事 態 を厳 密 に分 類 すれば、これは間 違 いなく誘 拐 事件である。当然、警察としては、通報を受けた以上無 視 はできない。
「──というわけで、この暇 を持 て余 した無 能 警官に、なんとなくお鉢 が回ってきたというわけです」
「ああっ! なにを解 説 してるのよ⁉ 」
悲 鳴 をあげるコンスタンスのことは無視して、オーフェンはひとりでうんうんとうなずいた。園長に向かい、あとを続ける。
「ちなみに俺は、このどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっしよーもない底 抜 け脱 線 警官、またの名を百 発 百 外 れ恥 警官の尻 拭 いをさせられている、可 哀 想 な一 般 市 民 ですので、お茶をもう一 杯 ください」
「恥警官まで言う⁉ 」
「なるほど......お可哀想な境 遇 ですのね。お茶くらいならば、いくらでもどうぞ」
「あ、なんか、つつがなく園長さんまで納 得 してるしっ⁉ 」
「それはそれとして」
オーフェンは、新 たに注 がれた紅 茶 に口をつけてから、
「警 備 に関して、あなたご自身、不 安 があるようですね」
「......確かに、そうですの」
かたん、とティーポットをテーブルに置き──マリアンヌが、疲 れたようにうつむく。彼女はすぐに視 線 を上げると、窓 を見やったようだった。園長室のその窓の外は、保育所の庭 に面している。今は子供たちが建 物 の中にいるので、ひとけはないが......
「有 り体 に言って、人 手 不 足 なんですの。この仕事って、手が掛 からないようで、事 務 的 な手続きや勉強会のような集会が、非 常 に煩 雑 で......子供さんたちのお世 話 は、ティナひとりに任 せきりですのよ」
「ティナ?」
コンスタンスが(いろいろ言われて悔 しかったのかハンカチなどくわえながら)、聞き返す。
「ええ。うちの保 母 ですの」
うなずきながら、マリアンヌが答えた、その時──
「あなたたちっ! ここで遊んじゃいけませんって、何度言ったら分かるのっ⁉ 」
鋭 い怒 鳴 り声が、待 合 室 のほうから聞こえてきた。瞬 間 、先ほどから続いていた子供たちの騒 ぎ声が、まるで手品のようにぴたりと収 まる。
「だいたい、今はお遊びの時間じゃないでしょう⁉ お遊びのお時間は、さっきたっぷりあげたじゃない! 決められた時間に決められたことをしっかりできない子は、いずれ人生設 計 でも致 命 的 な間 違 いを犯 すことになるのよっ!」
「え?」
オーフェンは、我 知らず、誰 にともなく聞き返していた。
隣 室 からの怒鳴り声は、構 わずに続いている。
「いったん転 げ落ちた人間は、もう這 い上がることなんてあり得 ないの! 人生は坂 道 などではないのよ! 奈 落 の谷 に張 られたタイトロープ! 常に吹 き荒 れる、肌 を裂 くような寒 風 と、刹 那 にすべてを破 壊 する突 風 と! 戦 い続け、勝ち続けた者だけが向こう岸へと渡 ることができるの! 落ちた者は、永 遠 に落ち続け──死すことはなくとも、生きて再 びもとの位 置 までのぼることもないのよっ!」
「ど、どーしたのオーフェン⁉ いきなり傷 ついたみたいにうずくまったりして」
「い......いや、べ、別に傷ついてなんかいないぞ......いるもんか」
びっくりしたように言ってくるコンスタンスに、オーフェンは震 え声でそう答えた。ともあれその頃 には──
マリアンヌが、扉 を開けていた。見ると、となりの待合室で、子供たちと対 峙 して、ひとりの女がこちらに背 を向けている。古ぼけた青いセーターと、なぜか、水 筒 を肩 に下げている。
子供たちはきちんと整 列 し、しんとしていた。扉が開いたことにも気づいていないのか、女は、なにやらひとり白 熱 したように、熱っぽく説 教 を続けている。
「というわけで、園 児 A─16 ! 悪いのは誰か、このわたしに報 告 してみなさい!」
「ええと......じかんがいにさわいでいた、ぼくたちです」
意味が分かっているといるより、そう答えることを暗 記 しているといった棒 読 みの口 調 で、園児のひとりが答える。
「そうね。良い返 事 だわ」
女は、後 ろ姿 からでも分かるくらい満足げにうなずいて──
肩にかけている水筒から、こぽこぽと水を汲 んだ。
「うふふふふふふ」
なにやら怪 しげな笑い声を漏 らしながら、そのコップを震える手で園児へと差し出し、
「分かったところで、この死 ヌほど苦 いおしおき水を飲むのよぉぉぉぉ」
「ひぃぃぃぃぃ!」
すざざっ──と、園児たちがいっせいに後ずさりする。
「待たんかぁぁぁぁいっ!」
オーフェンは、ソファーから跳 ね起 きて叫 んだ。と、女が、そこで初めて気づいたように振 り返 ってくる。
目の造 作 がきつい様 子 の、若い女だった。化 粧 っけがないのは、こういった職 場 で、どうせすぐに化粧落ちしてしまうせいなのか、それともただ本人にそのつもりがないだけなのか、微 妙 なところで判 断 しづらい印 象 である。彼女は、コップを手にしたまま、きっぱりと言ってきた。
「邪 魔 しないで! 確かにお説教というのは耳に痛 いかもしれないけれど、この子たちのためなのよ!」
「その怪しげな水に、とことん説 得 力 がないだろがっ⁉ 」
「うっ......⁉ 」
痛いところを突 かれたように、うろたえる、その女。
とりあえず、その場を取り繕 うように、マリアンヌが紹 介 を始めた。
「ええとね......彼女が、ティナさんですわ。ティナさん、こちらは、警 察 の方です」
「け......警察っ⁉ 」
それを聞いた瞬 間 、ティナが悲 鳴 をあげ、そして手に持っていた、陶 製 のコップを床 に落とす。
コップは割 れないまま、ごとんと重い音を立てて床に転 がった。こぼれた液 体 ──まったくなんの変 哲 もない水に見える──が、カーペットに染 みを作る。
そして......
ピンク色のカーペットを、いきなりどす黒 い緑 色 に変 色 させた。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!」
大きな声をあげて、園児たちが、いっせいに逃 げ出していく。
「ああっ⁉ お説教の最 中 に逃げるなんて、みんな、悪い子よっ!」
素 早 く逃げていく子供たちのほうを振り向いて、叫ぶティナに──
「やかましい」
オーフェンは、後ろから蹴 りつけた。
「はうっ⁉ 」
軽く蹴り押 しただけなので、倒 れたりはしないが、ティナはそれでもふらふらとバランスを崩 した。驚 いたように、再度こちらへと、彼女は向き直った。ただし今度は、警 戒 の眼 差 しで。
「な、ななななななにをするの⁉ 」
「なにもくそもあるかっ!」
オーフェンは、びしと──カーペットの変色した部分を指さした。
「なんだなんだ、この水は!」
「なにって......どこにでもある、ごく普 通 のおしおき水だけれど......」
「あるかっ! ンなものっ!」
「園児の教 育 に最 適 って、ちまたでは密 かなブームなのよ」
「それって結局、流行 ってねえってことだろうが!」
「まあ、それはそれとして......」
まったくこたえていない様子で、すっと背 筋 を直 して立ち直り、ティナが園長へと聞き直す。
「園長先生、それで、警察の方が、どういったご用件でここにいらしたんですか?」
「いえね、それが......例の、子供たちが姿をくらますことで──この方たちは、あれが誘 拐 事件だとおっしゃるのよ」
「誘拐事件?」
彼女は大 仰 に、ふらふらと手を振ってその単語を繰 り返 した。口に手の甲 を当ててホホホと笑い、かぶりを振ってみせる。
「面 白 い見方をするのねぇ、警察の人って」
「ていうか、あんたの面白さには負けると思うが......」
かなり正 直 な気持ちでオーフェンは言ったのだが、ティナは聞く耳ないようだった。正 確 には、聞いたところでその自 覚 がないのかもしれないが。
「まったく......あなたたちは、子供っていうものを分かっていないわね」
「あん?」
「子供たちは、いわば知 恵 を持った動 物 よ。いつも動き回り、なにかをしでかしては泣 いたり笑ったりしてるわ。こちらの注意力が途 切 れた瞬 間 を狙 って、この保育所の外に出て遊び回っていたとしても、わたしはたいして驚かないわね」
「それって、監 督 不 行 届 きじゃない」
憮 然 とした面 持 ちで、コンスタンスが指 摘 する。が、ティナは鼻 で笑うだけだった。
「ふん。それぞれの親が、自分の子供ひとりだけで持て余 すっていうのに、三十名からなる子供たちをすべて整 然 と管 理 できるのなら、苦労なんてないわよ。いい? 子供って、綺 麗 な瞳 をしているわよね?」
「ええ......」
「あの目でね、いつだってこちらの隙 を狙っているの。じーっと、飽 きることなくね。隙を見つけたら、あとは一番最初に思いついたことをするのにためらったりしないわ。床 が散らかってないと気がすまない、花 瓶 がひっくり返ってないと気がすまない、クッションが空を飛んでないと気がすまない......で、それらすべてを実 現 してくれるわけよ、あの子らは。うふふふふ......悪い子だわ、みんな......」
と──
まったく唐 突 に、ティナの口 調 が変わる。
オーフェンは、なにやら黒い炎 のようなものが灯 った彼女の目に、思わず一 歩 退 いていた。肩 を震 わせ、拳 を握 りしめ、彼女は、ぶつぶつとあとを続けた。
「悪い子なのよ、どの子もこの子も! なんで誰も気づかないわけ? 子供の暗 黒 面 をみぃんなわたしに押 しつけて、あの馬 鹿 親 もこの親馬鹿も、のほほんと定 時 に送り迎 えしてるだけで、『うちの子供はそんな子じゃありません』⁉ ざけんじゃないわよ!」
床がへこむほどに地 団 駄 を踏 んで──彼女の声は、もはや絶 叫 のようになっていた。
「ええ! やったろーじゃないの! わたしが完 璧 に教育してやるわよ! 見てらっしゃい! どんな馬鹿ガキも、真 人 間 にしてみせるわ! 今はどいつもこいつもクズだけど! 物理的に直してみせるわよ!」
べきゅっ! と、妙 な音がする。見ると、彼女がいつの間にか、肩 にかけていた水 筒 を握りつぶしていた。金 属 製 の水筒が、潰 れるとともに亀 裂 を生 じて、中の液体をこぼしている。ぼたぼたと、床に落ちた水 滴 が異 様 な煙 などあげていた。
「うふふふふふふ」
彼女は笑い出すと、その水筒を床に叩 きつけた。
「うふふふふふふふふ......悪い子は、このおしおき水を飲むのよぉぉぉぉ」
「え〜と......」
そそくさと、マリアンヌが言ってくる。
「決して、悪い人ではありませんので......あとは、彼女といっしょに子供たちを見ていてあげてくださいませね」
「いや、せめてちゃんと俺 らに説 明 してくれ......安心できるように」
半 眼 でオーフェンはうめいたが、マリアンヌは、それでは、とだけ言って、園長室にもどっていった。ぱたんと扉 を閉じて、待 合 室 に、オーフェンとコンスタンス、そしていまだ暗 い炎を燃 やし続けるティナだけが残る。
「......どーしようか、オーフェン......」
すがりつくような眼 差 しで言ってくるコンスタンスに、オーフェンは胸 中 で嘆 息 した。
(こっちこそ頼 りたいわい)
だが、自分でやるしかないようではある。
オーフェンは、しぶしぶ、ティナのほうへ手を差し出した。
「えーと、あの......ティナ?」
ふうっ......と、取 り憑 かれたような顔つきで、彼女がこちらへ振 り返ってくる。ばらばらの髪 の毛が、数本顔に垂 れていた。
「なぁに?」
「ううう......異 様 に怖 い......」
オーフェンは、さらに一歩後ずさりしながらも、なんとかそこに踏 みとどまった。

「ええと......その、子供たちが消える、だいたいの時間帯とか、分からねえか?」
「あら、それだったら」
ころっ、ともとにもどり、ティナはすらすらと答えてきた。
「だいたい、今 頃 あたりからね。うふふふふ。今日こそは、あの子供たちが園を抜 け出 すところを現 行 犯 でとっつかまえて、おしおき水を......むっふっふっ」
「なんかやたら楽しそうなところが、気になるんだが......」
と、ふと気がかりになって、オーフェンは聞いてみた。彼女の足 下 に転 がる、潰 れた水 筒 を示 しながら、
「ところでそのおしおき水とやら、どのくらい苦 いんだ?」
「死ヌほどよ」
水筒を拾 い上 げ頬 ずりなどしながら、ティナがあっさりと、そう答えてくる。
「いや......ええと......」
オーフェンは、なんとなく困 って言葉を探 した。
「もうちょっと、具 体 的 なことを聞きたいんだが」
「そうね」
彼女は、こくんとうなずくと、
「薬 局 で買 った時、なにに使うのか、やたらしつこく店員さんに聞かれるくらい......」
「やたら生 々 しいぞ、それはっ!」
「いやぁねぇ。ただの喩 えよ」
「とてもそうは聞こえなかったが」
「まあ、それはそれとして、ここの警 備 をしてくれるというのなら、わざわざ断 ることもないわね──園内を案 内 するわ。ついてきなさい」
彼女はそう言うと、きびきびと歩き出した。
「んで......ここは?」
「ロッカールームよ。わたししか使ってる人いないけど」
彼女はそう言うと、一番手前のロッカーから、なにやら取り出してきた。
「それは?」
聞いたのは、コンスタンスである。ティナは取り出した水筒を肩にかけながら、
「予 備 のおしおき水」
「用意しとくな! ンなもの!」
「さあ、次行くわよ」
こちらの声にはまったく取り合おうとせず、ティナは大 股 にすたすたと、ロッカールームから出ていった。
そして。
廊 下 ──非 常 口 ──休 憩 室 ──庭 ──裏 庭──物 置 ──等々。
大 概 のところを見回って、オーフェンが抱 いた感 想 は、ひとつだった。
「......どこからでも侵 入 できるし、抜け出せるな」
「そういうこと。まあ、ここは監 獄 じゃないからね」
と、ティナが肩をすくめるのを見て、オーフェンはうめいた。
「たとえ監獄だって、囚 人 に得 体 の知れない水を飲ませたりはせんと思うぞ」
「そういえばそうね......今度、警 察 に売り込んでみるわね」
「勧 めろと言ってるんじゃないっ!」
「ここが遊 戯 室 よ。まあようするに、子供らが遊んだり、寝 たりしてる場所」
「いや、あの......非っっっ常〜に重 要 なことだと思うから、できれば無 視 しないで欲 しいんだが......」
「勘 違 いしてるようね」
彼女は、ふっと笑ってみせた。友 好 的 ななにかを投げかけてくるというよりは、もっと尖 ったものを投げつけてくるという類 の笑 みだが。
「わたしが取り合わなかったのは、議 論 する価 値 がないと思ったからよ」
「......って?」
「あなたは多分、こう言いたいんでしょうね? ああ、園 児 に対しておしおきだなんて、可 哀 想 だ。いたいけな子供になんてことを、って」
「ええと......確かに分 類 すればそうなのかもしれないけどな、もうちょっと根の違う、別のことが気にかかるんだが。あの水の成 分 とか......」
「そぉんな安っぽい優 しさは、結 局 はあの子たちのためにはならないのよ!」
彼女は聞きもせずに──というのにももう慣 れたが──、ひとりでガッツポーズをとってトーンを上げた。
「傷 は浅 いうちにふさぐ! 直 せるところは早いうちに直す! それが園児教 育 というものよ! 愛 ゆえに、鬼 にならなければならないことがあるの! 愛と厳 しさは表 裏 一体なのよ!」
「............」
オーフェンは、割 り込むことはあきらめて、とりあえず廊 下 の壁 にもたれかかった。重 い疲 労 を感じる。白い壁に描 かれたピンクの虎 が、威 嚇 的 に口を開いているのが見えた。
ぽん、と肩 を叩 かれて顔を上げると、コンスタンスが、自分とそっくりな──と確 信 できた──疲 れ切 った表 情 を浮 かべている。
なんにしろ、ティナが息 切 れして黙 るまで、もう少し時間がかかりそうだった。
「園児A─12 も、B─7も、そりゃもうここに来たばかりの時は、どうしようもない悪ガキだったわ! でも今は! わたしがコップを持って立ってるだけで、恐 怖 にひきつって笑 みすらこぼさないほど素 直 な良い子になってくれたのよ!」
「素直かしら......それって......」
ぞっとしたように青 ざめて、コンスタンスがうめいている。
「なあ」
とりあえずそれよりも、オーフェンは聞きたいことがあった。ティナの注 意 を引いてから、問 いかける。
「ところで、さっきもちょっと気になったんだが......園児Aのいくつとか......なんだ、それ?」
「あ、番 号 よ」
ティナは、呼 吸 を整 えながら、平 然 とそう答えてきた。
「番号?」
「名前覚 えるのがめんどうくさくて」
「どこに愛 情 があるっ⁉ 」
「それはそれとして、入るわよ」
彼女はあっさりと無視してくれると、その遊 戯 室 とやらの扉 を開 けた。
たいした広さがあるわけでもない。ただ中に大きな家具──大テーブルなりサイドボードなり──がないために、その部 屋 はやけに広々として見えた。
特に子供部屋は、中に誰もいないとなると、目眩 を感じるほど広く見えることがある。そういうことなのだろうと、オーフェンは妙 に静 かに納 得 していた。
遊戯室の中には、誰もいなかった。積 み木 や、時計の読 み方 を勉強するための文 字 盤 の模 型 が数個、転 がっているだけで。
「あら?」
ティナが、間 の抜 けた声をあげているのが耳に入った。向きやると、呆 気 に取られたような横 顔 を、彼女が見せている。
「みんな......どこに行っちゃったのかしら」
「なに⁉ 」
オーフェンは、はっと気づいて身 構 えた。唐 突 すぎて、反 応 が遅 れたが──いないのではない。消えた のだ、園児たちが。
「いきなりかよ! しかも全員⁉ 」
毒 づきつつ、彼は遊戯室へと駆 け込んだ。とりあえず部屋の中を見回して、手がかりになりそうなものを探 す。
と──窓 が開いていた。もう肌 寒 い風が吹 く季節になって久 しいことを考えれば、あからさまに不自然だった。窓に駆け寄 ると、窓 枠 に、子供サイズの小さな足 跡 がいくつもついているのが分かる。
「ここから......出ていったのか? ガキどもが、自分たちで?」
足跡は妙 に整 然 としている。無理やり引きずり出したようには見えない。
「どういうこと──まさか⁉ 」
はっと気づいたように、ティナが大声をあげた。ふらふらとよろめいて、震 えながらあとを続ける。
「みんな、立ち入り禁 止 の裏 庭 で遊んでいるのね......悪い子たちだわ。おしおき水の出 番 ね!」
「違うっ!」
「えー、でも、わたしの下 宿 にあと四ガロンほどあるから、使い切らないと......」
「捨 てろっ! 川に流さずコンクリ詰 めにして!」
オーフェンは適 当 に叫 ぶと、自分も窓から身を乗り出した。窓枠を蹴 って飛び出し、地 面 に着 地 する。
(庭だと......? もし誘 拐 犯 が実在するんなら、連れ去ってくださいっつってるようなもんだろが)
舌 打 ちして、またあたりを見回す。と──施 設 の周 囲 を囲 んでいるフェンスに平 行 するように、防 風 林 らしき植 え込 みがされている。その植え込みのひとつが、がさがさと揺 れているのが見えた。
よく見ると、小さな人 影 が、その植え込みの中へ潜 り込んでいくところである。
「待てっ!」
オーフェンは、叫 んだ。植え込みへと駆け寄ると、乾 いた緑 の冬の葉を左右にかき分ける。と、植え込みに隠 れるようにして、奥 のフェンスに、高さ五十センチほどの穴 が開 いていた。
「ここから......抜 け出した?」
大人 が通 れるような穴ではない。
「ほら見なさい」
いつの間についてきていたのか、ティナが、勝 ち誇 った笑 みを浮 かべて腕 組 みしている。
「やっぱり、あの子らがこっそり抜け出してただけなんじゃない」
「いや、それはそれで、あなたの自 慢 にはならないと思うけど......」
と、これはコンスタンスのつぶやき。
なんにしろ──
(結局、そうだったのか?)
ティナの言っていたことが正しかったのかもしれない。そう思いながら、オーフェンはフェンスを見上げた。高さは、二メートルほど。さほど高い壁 ではない。
一歩退 き、反 動 で、彼はフェンスの上に飛びついた。塀 の上に手をかけて、一気に乗 り越 える。
瞬 間 。
ひゅんっ!
目の前をなにかがかすめて、オーフェンはあわてて塀から飛び退 いた。下 腹 から脳 髄 まで突 き刺 すような落 下 感 を覚 えて、思わず吐 きたくなるが──足の裏に衝 撃 が走ると、それも終わる。フェンスの上からもとの裏庭へと後 ろ向 きに飛び降 りて、彼は、初めて驚 愕 の声を発した。

「な──なんだ⁉ 」
「どうしたの?」
とてとてと、コンスタンスが近 寄 ってくる。彼女はなにかに気づいて、足を止めた。
「なにこれ?」
なにかを拾 い上げて、首 を傾 げている。
彼女の手をのぞき込んでみると──
小さなボールだった。ゴムボールのようなものではなく、小さな芯 に糸を巻 き付 けて固 めたものである。玩具 というよりは、アクセサリーだった。色 々 な糸を巻き付けてあるので、複 雑 な模 様 になっている。
顔の前をかすめたのは、それらしい。記 憶 に残 っている残 像 と、色がよく似 ていた。
「塀の向こうから投げつけられたぞ?」
オーフェンが顔をしかめていると、ティナが言ってきた。
「......それ、うちの園に置いてあるものじゃないわね?」
実 際 、子供の玩具というよりは、土産 物 屋 などで、十個いくらで売っているようなものである。
「............?」
三人で、首を傾げたまま数秒が経 つ。
「でもまぁ」
最 初 に声をあげたのは、コンスタンスだった。気 楽 に腰 に手を当てたポーズで、
「よく分かんないけど、塀を跳 び越 えようとすると飛んでくるのなら、素 直 にあの穴を通ればいいわよね」
言うが早いか、さっさと防風林に身体 を押 し込み、そのまま四 つん這 いになって壁 の穴を通り抜 けていく。
「......お前、よくそんなちっこい穴通れるなぁ」
オーフェンは、半 ばあきれて後ろから声をかけた。まあ、確 かに彼女の肩 幅 なら、無理に通れば、通れないこともないかもしれないが。
しばしして、コンスタンスが完 全 に壁の向こうに消えて──
そして。
「あら、あなたたち──え⁉ きゃああああああああっ⁉ 」
悲 鳴 が聞こえてくる。
「コギー⁉ 」
と、胸 中 で舌 打 ちしながらオーフェンは、再 度 、フェンスに距 離 を取った。息 を吸 って、強 く跳 躍 する!
今度は、腕 すら使わずにフェンスの上に飛び乗って、オーフェンは塀の下の路 地 を見 下 ろした。そこに待ちかまえていたのは──
「な⁉ 」
思わず驚 愕 の声をあげる。
そして、刹 那 。
飛んできた数十本の矢 が、いっせいに彼の身体へと突 き刺 さった。
(続く)


「どぉうあああああっ⁉ 」
たまらず、オーフェンは絶 叫 していた。一 瞬 の落 下 感 の中で、身をよじる。
フェンスはさほど高いものではない。落下も、文 字 通 りの一瞬だったが、オーフェンはなんとか身体 を反 転 させて後 頭 部 からの落下だけは防 ごうとした。腕 さえ先に地面につけば、よほどのことがない限り着地に失 敗 しない自信が、彼にはあった。
なんとか空 中 で勢 いをつけて半 回 転 し、そして、最初に見えたのは、あまり愛 嬌 があるとは言えない、ぽかんとした女の顔──
「きゃあああああっ⁉ 」
「どぐあああああっ⁉ 」
オーフェンはその女と同時に悲 鳴 をあげながら、彼女の上に落下した。受け身どころではなく、とにかく地面を転 げながら、なんとか起 き上がる。
女──ティナ──が、のろのろと起き上がって頭を抱 えていた。
「痛 たたた......な、なんで人の上に落っこちてくるのよ」
「人が落ちる先にいるからだろーが!」
跳 ね起きるようにして、オーフェンは叫 んだ。が、ティナはなにやら非 難 がましい視 線 をこちらに向けて、怒 鳴 り返してくる。
「移動してたのはあなたで、ここに立ってたのはわたし! 当然のことだけど、先 住 権 を主 張 するわ!」
「どこがどー当然なんだ⁉ いくら俺 でも、空中で方 向 転 換 できるかっ⁉ てめえがこっちを避 けるのが当然だろーが!」
「いきなり跳 び上がって、いきなり落ちてきて、避けられるわけないでしょう⁉ 」
「こんなこともあろーかと、日 頃 から反 射 神 経 を鍛 えとくのが社会人の務 めだっ!」
「どんな社会よっ⁉ 」
「少なくとも俺が今までこの街 で会った連中はみんな、頼 まれもせんのに川の中からジャンプして登場してきたり、百メートル二秒くらいで走ってきたりするよーな奴 らばっかりだぞ!」
「知らないわよ、そんなの!」
「だいたい俺は、身体中に矢が刺 さってだな、落下地 点 にまで気を遣 うような余 裕 は──」
と、そこまで言いかけて。
「あれ?」
オーフェンは、ふと我 に返った。胸 や腹 を、ぺたぺたと触 ってみる。地面に転がったせいで汚 れてはいたが、ケガらしいケガはどこにもない。黒いシャツに血の跡 すらなかった。
「えーと......」
きょとんとつぶやいていると、ティナが、眉 根 を寄 せて聞いてくる。
「矢......って、これのこと?」
と、彼女が差し出してきたのは──
風 車 だった。見回してみると、地面のあちこちに、色とりどりの風車が散らばっている。先ほど、塀 の向こうから無数に飛んできたのは、矢ではなくこの風車だったらしかった。
「なんでこんなもんが......」
彼もまたそれらの風車のうち一本を手にとって、うめいた。なんの変 哲 もない、ただの風車である。紙と竹を組み合わせた、手作りの玩具 。
だが、それよりも──
「そうだ、コギー!」
オーフェンは舌 打 ちしながら、フェンスのほうへと向き直った。コンスタンスの悲鳴が聞こえてきてから、しばらく経 っている。なにがあったのか分からないが、危 険 かもしれない。
またもや、フェンスを跳 び越 えようと後ろに退 がりかけて。
「............」
オーフェンは、動きを止めた。二度までも跳び越えることを妨 害 されたのだ。もう一度ということもあるかもしれないし、そして今度のは、さきほどのように玩具のボールや、風車だという保 証 はない。
すっ......と、右手をあげる。
「ちょっ──」
ただならぬ気 配 に、ティナが声をあげてくるが。
オーフェンは、無 視 して叫 んだ。
「我は放 つ光の白 刃 っ!」
かっ──!
呪 文 とともに、爆 音 と閃 光 が、保 育 園 の裏 庭 に膨 れ上がる。まっさらな空 間 に破 壊 の光が満ち、そして一点に──オーフェンの右手が指 し示すフェンスへと集 束 していくのには、刹 那 も必要なかった。魔 術 が、風に吹 かれた砂のように、鉄 筋 入りのフェンスを粉 々 に打ち砕 く。
そして、粉 塵 とすすが舞 い散る中──
オーフェンは、ふっと笑った。
「最初からこーすればよかったな」
「なにがよっ⁉ 」
ティナが抗 議 の声を張り上げるのが聞こえてくるが、オーフェンは気にせずにすたすたと壊 れたフェンスを乗り越えた。路 地 へと顔を出すと、コンスタンスが倒 れている。
「コギー⁉ 」
オーフェンは、素 早 く彼女へと駆 け寄 った。黒こげになって、壊れたフェンスの破 片 の下 敷 きになったコンスタンスは、ひくひくと痙 攣 するだけで返事がない。彼はとりあえず彼女を抱 き起こした。
「なんてことだ......」
拳 を握 り、オーフェンは下 唇 を噛 みしめた。震 える拳に力がこもる。
「誰 がこんなひどいことを⁉ 」
「う......うう......いきなり......壁 が爆 発 して......なぜかしら......」
息も絶 え絶 えに言ってくる彼女に、オーフェンはうなずいた。
「確 かに謎 だな」
「きっぱりとあんたの仕 業 でしょーが! 呪文がちゃんと聞こえてたんですからね!」
叫 ぶ彼女は無視して、オーフェンは、路地を見回した。保育園側のフェンスが派 手 に壊 れていることをのぞけば、なんの変 哲 もない、ただの路地である。
誰もいない。なにもない。
オーフェンは、首を傾 げた。
「じゃあお前、さっき、いったいなんで悲鳴なんてあげてたんだ?」
「そーなのよ! 大変なの!」
がばと跳 ね起き──コンスタンスは、ばたばたと腕 を振 って叫んできた。
「どうしたんだ?」
「そ、その穴 を......」
と、恐 る恐る保育園側のフェンスを指さす。穴、といっても、既 にフェンスは魔 術 で崩 壊 していたのだが、確かにさっきまで、そのフェンスの下側に、子供が通れる程 度 の穴が開いていた。彼女が言っているのはそのことだろう。
「ああ」
オーフェンは、相 づちをうつようにうなずいた。彼女はまだ腕を振りながら、なにやら熱 心 に言ってくる。
「わたし、その穴を通ってきたでしょ?」
「ああ」
「四 つん這 いになって」
「ああ」
「ストッキングが汚 れちゃったもんだから」
「やかましいわっ!」
怒 鳴 りながらオーフェンは彼女をはり倒 すと、再度、路地を見回した。人 影 どころか気 配 ひとつないが、確かに先ほどフェンスを跳 び越 えた時、風 車 を投げつけてきた者がいたはずだった。落下する前にその姿 を一瞬見たような気もするのだが、思い出せない。
「くっそ......どういうことだ?」
なにもかも不 可 解 だった。毒 づいて、顔をしかめる。
と──
「察 しはつくわ......」
振り返ると、壊れたフェンスから、ティナが姿を見せたところだった。腕組みした手に風車をひとつ持ち、深 刻 な思いのこもった眼 差 しで、こちらを見ている。
「どういうことなんだ?」
「塀 の向こうから飛んできた人間を迎 え撃 つ......簡 単 なようで、こんなに難 しいこともないわね」
「そりゃそうだな。相手の姿が見えないんだから」
「ええ。予 測 。そして、その予測に応 え得 る反 射 速 度 。さらに、反射神 経 に対 応 できる力。まさしく、心 ・技 ・体 。すべてがそろってこそ可能なアート......」
彼女は腕を解 くと、ぎらりと目を輝 かせた。
「間 違 いないわ! これはプロの仕 業 よ! きっと、わたしのパーフェクトな教 育 法 を盗 もうと、教育された園 児 を奪 うべく、どこぞの組 織 が動き出したに違いない──」
ひゅごっ!
彼女のせりふを遮 るように、風切り音が彼女の後 頭 部 へと突 き刺 さる。
そして同時に、風を切って飛んできた筒 のようなものも突き刺さっていた。
さらに、筒が爆 発 する。
「きょおおおおおっ⁉ 」
妙 な悲 鳴 をあげながら、黒こげになって倒 れるティナ。それはほうっておくことにして、オーフェンは身 構 えた。瞬 間 ──

無数の風切り音が近づいてくるのを、まったくの勘 で彼は感じていた。視 界 に、羽 虫 の群 れのような黒い影 がいくつも映 る。
とっさに彼は、横に跳 んだ。ぼーっと突っ立っているコンスタンスを捕 まえて、壊 れたフェンスから再 び保育園へと飛び込む。なにもない路 地 で、身を隠 せるのはそこだけだった。
フェンスに隠れながら、通り過ぎていくその黒い影を観 察 する。
赤い筒。火花を飛ばしながら飛んでいく。風切り音と聞こえたのは、火 薬 が燃える甲 高 い音だった。
「ロケット......花火?」
思わず呆 気 に取られて、うめく。
コンスタンスも、どういった反 応 をすればいいのか分からなかったのか、とりあえず感心したような声 音 でつぶやいていた。
「景 気 いいわね!」
確かに景気は良かった。次々と飛 来 する花火が、路地のあちこちにぶつかり、弾 け、炸 裂 音 を響 かせている。花火というより、花火つきの爆 竹 といった代 物 だった。けたたましく破 裂 しながら、路地を焦 げた紙 屑 で埋 めていく。

しばしして──一分ほどだろうか。ようやく、攻 撃 は終わったらしかった。爆発の中でのびているティナを見やる。オーフェンは、ぽつりとつぶやいた。
「......帰るか」
「......ホントになにもかもほったらかして帰りたくなっちゃうから、そういうこと言わないでよ」
うんざりとした顔で、コンスタンスもそうつぶやいてくる。
「う・ふ・ふ・ふ......」
唐 突 に──
笑い声が響いた。見ると、黒こげになったティナが、ふらふらと立ち上がろうとしている。
「分かったわ......分かったわよぉぉ」
がくがくと震 えていた頭を、ふら......と固定して、彼女は水 筒 を手に、仁 王 立 ちになった。先ほどとまったく同じ表情で、ぎらりと目を輝 かせ、びし──と、花火の飛んできた方向へ指を向ける。
「やっぱり、あなたたちだったのね⁉ 園児たち!」
彼女の指が指 し示す先には──
路地にずらりと並んだ、園児たち数十人がいた。
「なにぃ?」
オーフェンは、うめきながら路地に出た。慎 重 に、いつでもまたフェンスの中に逃 げ込める体 勢 はたもっておく──子供たちはいまだに各 々 、手に花火やらなにやらの、玩具 とも武 器 ともつかない物を持っている。
ティナはこちらには構 わずに、子供たちに向かって不 敵 に笑いかけた。
「ふふふ......こんなことだろうと思っていたわ。やはりわたしの言った通りだったわね! 塀 の穴から抜 け出して、サボタージュとはね! ずっとそう思ってたわ!」
「さっき、ちらっと組 織 がどーのこーのとか言ってたじゃない」
「ちょっとだけそう思ったのよ! いいじゃない!」
細 かいところを指 摘 するコンスタンスに、少し赤 面 して言い返してから、ティナは再び子供たちへと向き直った。
「うふふふふ。悪い子たちだわ。ぜっひっとっもっ、おしおき水を飲ませて教育してあげなくちゃならないわね。うひゃほへらほほうほのほほ」
「いやその......だから、顔 面 の基 本 造 形 崩 すほど笑うのだけはやめてくんねえか? 怖 いから......」
横からオーフェンは呼びかけてみたが、彼女は既 に聞く耳ないらしい。
「結局、どういうことなの?」
腑 に落ちない表情で、コンスタンスが聞いてくる。オーフェンは、嘆 息 して答えた。
「いや、だから......誘 拐 云 々 ってのは間 違 いで、あのガキどもが自分たちでこの保育園から勝 手 に抜け出してたってことだろ」
「なんでそんなことするのかしら?」
コンスタンスはやはりまだ不 思 議 そうに、子供たちのほうを見やったようだった。子供たちは路地の離 れた場所に固 まって陣 取 り、無 言 のまま、じっとこちらを見ている。その全員の視線が、ひとつところを見 定 めているようだった。
ティナである。
「うふふふふふふふふふ。おほほほほほ。悪い子は、みぃんなこのおしおき水を飲んで反 省 するのよぉぉ」
そのおしおき水とやらが入っているらしい水 筒 を抱 えて、至 福 の──というより、なにやら螺 旋 状 にねじれているとしか言いようのない愉 悦 の笑 みを浮 かべている。
彼女を見ながら、オーフェンはコンスタンスに告げた。
「疑 問 の余 地 があるか?」
「そーね。解 決 だわ。帰りましょうか」
あっさりと、彼女が言ってくる。
「ちょっと!」
さすがに聞きとがめたのか、ティナが正 気 にもどって振 り向いてきた。非難がましく口をとがらせて言ってくる。
「どーゆうこと⁉ ここまで来たら、子供たちを園にもどすのを手伝うべきでしょ⁉ 」
「いや......一応立場上はそうなのかもしれないが、どう考えても後 味 が悪いし」
「なぜ⁉ 園児を園にもどすことに、なんの不 都 合 があるの⁉ 」
「園にあんたがいることが問 題 だと思うんだが」
「言ってる意味が分からないわ⁉ 」
彼女は、心 底 理解できないのか、悲 鳴 をあげた。が、すぐに、はっとして問いただしてくる。
「まさか......ひょっとして、このこと⁉ 」
言ってから彼女は、なにやら両手を、うにょろうにょろと動かしだした。
「?」
目をぱちくりさせていると、彼女は静かに言ってきた。
「昨日 考えた、おしおきダンスなんだけど、確かにこれはちょっと恥 ずかしいかなーなんて、わたしもそろそろ二十三歳」
「確かにそれもいろいろ問題だが、問題の次 元 が違うっ!」
「園児たちがこのダンスに気を取られてる隙 におしおき水を飲ませようと思ってたんだけど、問題は、踊 りながら水を飲ませることが不 可 能 だってことなのよね」
「あの手この手で、この腐 れ保 母 は......」
半 眼 でうめくが、彼女には通じないらしい。水 筒 のフタを開けると、じりじりと進み出す──子供たちのほうへと。しかも微 妙 に、片手だけで例のおしおきダンスとやらをしていたりもする。
「うふふふふ。園児たちぃぃぃ。おとなしくこのおしおき水を飲めば、内 申 書 には傷を残さずに済 むわよぉぉ」
「内申書って......保育園にそんなもんあるのか?」
彼女のあとからついていきながらオーフェンが聞くと、彼女は振 り返らずに答えてきた。
「いえ、わたしが趣 味 で書いてるだけなんだけど」
「つくづくゲスだな、おい」
「聞こえないわ。聞こえないわよぉぉ」
じわじわと進んでいくティナと対 峙 するように──
子供たちは、じっと黙 って、待ちかまえている。五、六歳の子供なりに口元を引 き締 めて、なにやらほおを膨 らませている。まるでなにかを頬 ばっているように。
(頬ばってるように?)
なんとなく嫌 な予 感 を覚 えて、オーフェンは足を止めた。
考えているうちにも、ティナは子供たちのすぐ前まで進んでいる。水筒を掲 げて、彼女は勝 ち誇 ったように哄 笑 をあげた──
「ほーほほほほほ! そーやって素 直 に黙って待っていればいいのよ! というわけで、園児B─12 ! おしおき水を讃 えるお歌を歌いなさい──」
刹 那 。
ふっ!
子供たちがいっせいに、息を吹 き出す音が聞こえた。
そして──
「ぎゃあああああああっ⁉ 」
断 末 魔 じみた悲鳴をあげて、ティナが倒 れる。子供たちはわたわたと身を翻 すと、そのまま逃 げ出していった。
「やーい! あほー! 死ねー!」
限りなく単 純 明 快 な罵 声 をあげつつ、路 地 から走り去っていく......
子供たちの姿が見えなくなってから、オーフェンは、ティナに近寄った。コンスタンスも、あとをついてくる。
のぞき込むと、倒れたティナが、なにやら必 死 に顔 面 を手でこすっていた。子供らに、なにかを吐 きかけられたらしいが──どうも匂 いからすると、果 汁 ジュースかなにからしい。
「うわー、しみそー」
驚 いたように、コンスタンス。
「目 潰 しだな──いや、まあ、おかしいと思ってたんだ」
うんうんとうなずいて、オーフェンはうめいた。
「あの状 況 で、ガキどもが黙って待ってる必 然 性 がないもんな。なんか罠 とかでもない限りは」
「くぬうううう!」
と、口 惜 しげに、ティナが叫 ぶ。真っ赤に充 血 した目から、ぽろぽろと涙 をこぼしながら、

「口を開けたらすかさずおしおき水を流し込むというわたしの教育方 針 が、ようやく実 ったものと思って油 断 していたわ!」
「ええっと......」
「ともあれ!」
返答に困 っているうちに、彼女は、子供たちが逃げていった方向へと指をさした。
「急いで追いかけないとならないわね! というわけで、当然のことながら手伝ってちょうだいあなたたち」
「やなこった──」
「ただとは言わないわ。わたしのポケットマネーから百ソケット」
「覚 悟 しろガキどもぉぉぉっ!」
オーフェンは全力で駆 け出した。
「あ、ちょっと、オーフェン⁉ 」
背 後 から、コンスタンスの声が響 く。が、構 わずにオーフェンは路 地 を進んだ。子供たちが消えた曲がり角で、足を止める。
コンスタンスは追いついてくると、
「オーフェン......あんた、それはちょっと人間的にヤバめじゃない?」
「なにがだっ⁉ 」
地面に顔を近づけて足 跡 を探 しながら、オーフェンは聞き返した。コンスタンスは、変わらず冷たい声 音 で続けてくる。
「いたいけな子供たちを、あのヤブ保 母 に突 き出してまでお金が欲 しいわけ?」
「誰 がヤブ保母よっ⁉ 」
ティナの抗 議 はとりあえず無視して、オーフェンは起き上がった。
「なにを言ってやがるっ⁉ いいか、あのガキどもをこの地 獄 の黙 示 録 保母に押 しつけたところで、死ぬわけじゃねーだろが」
「いやまあ、そーかもしんないけど」
「自 慢 じゃないが、ちったぁ稼 がないと俺はそろそろ死ぬぞ」
「本っ気で自慢じゃないわねー......」
「あまりに可 哀 想 で、思わず地獄のなんたら保母について突っ込むこともためらっちゃったわ、わたしも」
なにやら世にも気の毒 げな表情で、コンスタンスとティナが口々に言ってくる。
それはそれとして、オーフェンはあたりを見回した。思わず勢 いで足跡など探したが、アスファルトの路面にそんなものが残っているはずがない。子供の足では、まださほど遠くまで逃 げてはいないだろうが......
と。
「わーい」
限りなくお気 楽 な声が聞こえてきた。見ると、パチンコを構 えた男の子が、五十メートルほど先の路地から姿 を見せていた。
「くろずくめー、めつきわるーい、かいしょなしの、ふーらいのーてんきー」
「ええい。ガキのくせに妙 に口 達 者 な」
オーフェンはつぶやきながら、その子供に向けて駆 け出 した。
「わたしの教育のたまものね」
「だから、誇 れないってば」
後方で、そんなティナとコンスタンスの声も聞こえてきたが、それも置き去りにして全力で駆ける。
数秒で、たどりつくはずだった。
三十センチほどの高さに渡 された釣 り糸 に、足を引っかけたりしなければ。
「どおおおっ⁉ 」
思い切り悲 鳴 をあげながら、オーフェンは転 倒 した。受け身を取ろうと腕 を出すと、瞬 間 背 筋 に、嫌 なものが走る。
身体 を投げ出す一瞬前、視界に入ったのは、路面にばらまかれている無数の画 鋲 だった。
「我 は踊 る天の楼 閣 !」
素 早 く叫 び、魔 術 の構 成 を展 開 する。瞬時に周囲の光景が暗 転 し、一瞬後、オーフェンは数メートル先の空間に転 移 していた。その場で受け身を取り、その勢いのまま立ち上がる。
例の子供まではあと五メートルというところだった。パチンコを構えて、じっとこちらを狙 っている。
「ふっ......」
オーフェンは、笑 みを漏 らした。
「なかなか危 険 なことをやってくれたが、しょせんはガキだな! さあ、きりきり捕 まってもらうぞ」
「つかまるもんか!」
子供は一声叫ぶと、また路地の奥 へと、さっと逃げていった。
「逃がすか!」
追いかける。子供が逃げ込んだのは、アパートの庭 だった。舗 装 されていない、荒 れ地そのままのような庭である。古びた二階建 てアパートに向かって逃げていく子供の背中を追いながら、オーフェンは叫 んだ。
「ええい、往 生 際 が悪いぞ!」
と──
「いっせいしゃげき!」
別の子供の声が聞こえてくる。はっとして、彼はその声のするほうを見上げた。アパートの屋 根 の上に、ずらりと十人ほどの子供が並んでいる。弓 矢 のようなものに風 車 をつがえた子供、花火に火を点 けようとしている子供、単に石を投げようと構 えている子供──
それらがいっせいに、飛んできた。
「うぉっ⁉ 」
意 図 的 にかわすというよりも、単に勘 だけで動き回り、それらから身を守る。耳をかすめていく石、足 下 で爆 裂 する花火、そして当たりそうな風車は腕 で払 いのけて──
数秒後、彼は無 事 に立っていた。
おおおおお、と、子供たちから歓 声 と拍 手 が起きる。
「ふっふっふっ......」
冷 や汗 をぬぐいながら、オーフェンは叫んだ。
「あいにく、俺はこんなことでやられるわけにゃいかないんでな!」
最初の子供は、アパートの裏に半 身 だけ隠 れて、こちらの様 子 をうかがっている。オーフェンは余 裕 を見せてゆっくりと、そちらに向かいかけた。
そして。
ぼすっ............
腰 まで落とし穴にはまって、動きを止めた。
ぽこぺん、と、頭になにか当たる。最初の子供が持っていたパチンコらしい。
「やーい!」
はしゃぎながら、子供たちは逃 げていく。屋根に並んでいた子供も、すぐ姿 を消していった。
ただ一人、オーフェンだけがとり残される。
拳 を握 り、彼は叫んだ。
「ぬう! なかなかやるなガキども!」
「悪い子だわ! おしおき水を──」
「それはもういいってんだ!」
いつの間にか追いついてきていたらしいティナに叫びつつ、オーフェンは落とし穴から這 い出 した。見ると、コンスタンスも追いついてきたところだった。
「もーいい。とっとと終わらせるぞ。ガキどもはこの建 物 の裏に逃げた」
吐 き捨 てるように言ったあと、早 足 で建物を迂 回 し、アパートの裏庭へと足を踏 み入れる。
子供たちは全員、そこにいた。
数十人、幼 児 たちがずらりと並んでいる。もう武器の類 は持っていないようだった。種 切 れというところだろう。なにかをかばうように円 形 に固まって──その中心にいるのは、ひとりの老 婆 だった。
「............?」
よく分からずに、首を傾 げる。しばししてオーフェンは、ぽんと手を叩 いた。
「おお。そーか。通りすがりの婆 さんを人 質 にしたんだな。なかなかの連中だ」
「ちがわいっ」
子供のひとりが、叫ぶ。
そっと──背 後 に寄ってきていたコンスタンスが、囁 いてきた。
「オーフェン!」
「なんだ?」
「そーいえば、ほら、子供たちの証 言 ......お婆さんの家で遊んでたとかなんとか......」
言われてみれば、思い出すこともあった。子供たちは保育園から抜 け出して、『お婆さん』のところに行っていると話していたという。
「じゃあ、この婆さんが、子供たちを?」
それを聞いて、老婆が、うめきながら胸を抱 きしめた。苦しげに、かぶりを振 る。
「あああ......そんな......なんてことなの......」
と、
「お婆ちゃんをいじめるなー!」
子供たちが、口々に非 難 の叫びをあげた。こちらに指先を向けて、続ける。
「お婆ちゃんはわるくないんだぞ。おまえら帰れ!」
「ああ......いいの。いいのよ、子供たち......もうやめて」
老婆は、ゆっくりとした動作で再 びかぶりを振ると、一番近くにいる子供の頭をそっと撫 でた。そして、こちらを見上げると、あとを続ける。
「うう......つい──つい、魔 が差 したんです......身 寄 りもないわたしには......」
「ええと、寂 しかったから、子供の相手をしていたってことか......?」
オーフェンは、静かに彼女に問いかけた。老婆はうなずくと、
「そうです......」
力ない嗚 咽 を繰 り返す。
「子供たちが......子供たちが、あまりにも可愛 かったから!」
「なるほどねー」
コンスタンスが、つぶやくのが聞こえてきた。そして──
ティナのつぶやきも、聞こえてきた。
「でも、この事件、まだ不 可 解 なところがあるわね」
「あん?」
「どうして子供たちが、わたしの教育法を嫌 って、こんな得 体 の知れないお婆さんのところで遊びたがったりしたのか......」
「疑 問 でもなんでもなかろーがっ」
オーフェンはたまらず、怒 鳴 りつけた。と──
「分かっていないようね、ティナさん」
コンスタンスが──最後くらいは締 めたいと思ったのか、ささっと横から出てきて、指を一本立てる。目を閉 じ、諭 すように彼女は続けた。
「あなたの教育方 針 には──ただひとつ、愛が足 りなかったのよ」
「愛⁉ 」
うろたえるように、ほおに手を当ててティナが叫 ぶ。
「そう......そうだったのね」
彼女はがっくりと、その場にくずおれた。ブリキの水 筒 が、からんと音を立てて道に転 がる。
「やっぱり......おしおき水が──いけなかったのね......」
「まあ、端 的 に言えばそうなんだけど」
「苦 すぎるから? じ、じゃあ、ミルク......いえ、ガムシロップを!」
「全っ然分かってないっ!」
コンスタンスが、地 団 駄 踏 んでわめき声をあげる──彼女はそのまま、老 婆 の近くに固まった子供たちを指さした。
「あれを見なさい! あの子供たちの活 き活きした顔を! あの顔の意味が分からなければ、あなたには子供のそばにいる資 格 がないのよ!」
「よく照 れずにそんなこと言えるなー、お前」
「オーフェンは黙 ってて!」
コンスタンスの言 葉 に心動かされたのかどうかは知らないが──
ティナは確かに子供たちを見て、動きを止めていた。肩 を震 わせ、涙 をこぼす。
「ああ、そうだったのね。あなたたちが求めていたのは、そういうことだったのね......」
「そうだ!」
子供のひとりが、大声で答えてくる。と、誰 ともなく、次々に声があがってくる。
「お婆 ちゃんといるのが楽しいんだ!」
「そうだそうだ。この風 車 百本作るのが、一日のノルマなんだぞ!」
「このお花五百個作ると、飴 さんがもらえるのよう」
「これと同じものたくさん作るんだー」
口々に、風車やら造 花 やら、糸 玉 のアクセサリーやらを手に、子供たちが叫 ぶ......
「............」
しばしの沈 黙 。そして、老婆は、がばと子供たちに抱 きついて感 極 まった声をあげた。
「あああ! わたしの可愛 い子供たち!」
「児 童 労 働 じゃねぇかぁぁぁぁっ!」
オーフェンは、力の限りに声を張り上げた──
とりあえず。

誰もが強い子にだけは育ちそうな、トトカンタ市だった。
(それはいろいろまずいだろ?:おわり)

復 讐 者 は自 らの炎 で身 を焦 がし、自らの苦 悶 で身をよじり、自らの業 苦 に身を捧 げ、そして炎を、苦悶を、業苦を、さらに濃 く、深く、強くしていく。
自らの苦しみが相手にも伝わることを信じているから、苦しむことすら喜 びとなる。
爪 を噛 む癖 がやがて指を噛むことへと変わり、皮を食いちぎり、肉を噛み切ることへと変わる。血が滴 る指と手は、自らの標 的 への撒 き餌 となり、そして触 覚 となり、標的の首を折 る凶 器 となる。
叫 びには意 味 があり、慟 哭 には命があり、怨 念 には魂 がある。復讐者はなにも考えない。ただ求 め、そして、求めることを決してやめないが故 に目 的 を果 たす。
近 日 公 演 予 定 ──『コッポラさんの先 殴 り』ポリゾント・ホールにて。
「ね? なかなか良さそうな感じだと思わない?」
「......俺 、そーゆう血なまぐさいのは苦 手 なんだけどな」
オーフェンはため息 まじりに、そう答えた──いつもの宿 のいつもの食 堂 、いつものテーブル。そしていつもながらの、見 知 った顔。けばけばしいチラシを持ったコンスタンスに、彼は続けて聞いた。
「だいたい、どういう風 の吹 き回 しなんだよ。ンなもん、行きたければひとりで行きゃいいじゃねえか」
黒 髪 、黒 目 、黒ずくめ。誰 かにそうしとけと命 令 されたように黒ばかりの、二十歳 ほどの男である。特にどうという特 徴 があるわけでもないが、眼 差 しだけが際 だって鋭 かった。目つきが悪いとも言えるが。皿 に盛 られた冷 肉 のサラダをフォークでつつくたびに、胸 元 のペンダントが揺 れる。剣 にからみついた一 本 脚 のドラゴンの紋 章 ──大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ者の証 である。
「えー」
コンスタンスは、あからさまに不 服 そうに顔をしかめた。これをすると子 供 っぽい外 見 が、さらに子供っぽく見える。本人に自 覚 はないようだが。
一 応 、自分よりは少し年 上 のはずだったが──とオーフェンは、いつも定 番 のスーツ姿 である彼女を見やった。彼女はぺらぺらとチラシを振 りながら、
「だってなんか、ひとりで行ったら怖 そうじゃない」
「怖いのが嫌 なら、観 なきゃいいじゃねえか、そもそも」
「なに言ってるのよ。怖くなかったら、観る意味ないじゃない」
「じゃあ、観ろよ」
「怖いのに?」
「......嫌なら観るなって」
「だから、怖いのは怖いんだけど、観たいのよ!」
「観たければ観ればいいだろ?」
「あーもー! だから怖いんだから、観るのは怖いじゃない! でも怖いけど観たいんだけど怖いから怖いのよ! だからって怖いからって怖がって観なかったりしたら、観たいっていうのは怖いのよりも観たいわけだから、観たいのがあんな具 合 なのにこんな感じのところがなかなかうまくいかないじゃない! 分かるでしょ⁉ 」
「分かるかぁぁぁっ⁉ 」
テーブルに手をついてまくし立てるコンスタンスに、オーフェンは真 正 面 から向き合って怒 鳴 り声をあげた。
と──
「お待ちくださぁぁぁぁいっ!」
唐 突 に、食堂の奥 の扉 が開 いた。高らかに鳴 り響 くファンファーレの音とともに、タキシード姿の銀 髪 の男が現 れる。万 歳 のポーズのまま足も動かさずに前 進 してくると、懐 から黒と白の旗 を取り出し、それをぱたぱたと振る。
キースだった。ファンファーレに負けない声で宣 言 してくる。
「判 定 いたします!」
「ンなことよりも、今、誰 がラッパ吹 いてたのかってことのほうが、よっぽど気にかかるんだが......」
オーフェンが半 眼 で聞くと、コンスタンスはさらっと答えてきた。
「小 キースじゃないかしら」
「......小キース?」
「いやなんとなく、そんなのもいるかもしんないなって思っただけなんだけど......」
「無 責 任 なこと言うなよな。危 うく信じるところだっただろ」
うめいているうちに、キースはひとり無 言 で思 案 顔 を見せたあと、ばさっと旗を振り上げた──黒の旗を。
「判定──黒魔術士殿 の勝 利 です!」
がこん。
「きゃあああああああっ⁉ 」

判定の宣言と同時に、コンスタンスの足 下 の床 が開き、彼女の姿が消える。開いた床がぱたんと閉じたあと、キースがつつつと近 寄 ってくる。黒い旗を上げたまま、はらはらと涙 を流して。
「おめでとうを言わせてください、黒魔術士殿......」
「脈 絡 のない罠 をお前が仕 掛 けるのにもいい加 減 に慣 れたし、どーでもいいんだが、床に穴を開 ける類 の罠はマジクとかが怒 るんじゃねえか?」
「分かりました。あとで跡 形 もなく埋 めておきます」
キースは旗を適 当 に放 り投 げると、またさらに顔を近づけてきた。口 元 を手で隠 し、声をひそめて言ってくる。
「ところで黒魔術士殿......実は、ひとつお願 いがありまして」
「断 る」
オーフェンは即 答 すると、席を立った。が、食堂を出ようとする彼の腕 を、キースが素 早 くつかんでくる。
「そのようなことを申されましても、なぜかここに黒魔術士殿直 筆 の『なんでもお願い承 ります確 約 書 』が」
「なぜかとか言ってる時 点 で偽 造 だろーがっ!」
いつの間にかキースが掲 げていたその確約書とやらをひったくり、オーフェンはびりびりに引 き裂 いた。白い紙の破 片 を床にまき散らして、キースの顔 面 に指を突 きつける。
「だいたいお前の頼 み事 なんざ、ろくでもないことかどーしよーもないことかくだらないことか死にそーなほど危 険 なことかに決まってるんだ! てゆーか、それ全 部 だろ、どーせ!」
「黒魔術士殿、それは誤 解 ですぞっ!」
キースは身を乗り出し、両 拳 を頭の上で固 めながら肩 を震 わせ、あまつさえ高 速 で回 転 までしながら叫 び返 してきた──どうやら、全 身 で否 定 したいらしい。
「今回の頼み事は、実に切 実 なのです──わたしの生命 がかかっていると言っても過 言 ではありませんっ!」
そして。
ぴたりと回転を止め、すぐにもとの無 表 情 にもどると、
「それに、ろくでもないと言うほどでもないですし、どーしよーもない度も低めですし、あとあんまりくだらなくないところが残 念 です」
「つまりろくでもないし、どーしよーもないし、くだらないことなんだろが」
半眼で告 げて、オーフェンは──
ふと気づいた。
「......危険ってのは否 定 しなかったな?」
「おや、そうでしたかな?」
「そらっとぼけるのはお前の勝 手 だが、どっちみち俺 は関 わらんからな」
「............」
あさってのほうを向いたまま沈 黙 するキースを無 視 して、オーフェンは、早 足 で食堂から出ていった。
(って、なんとなく出てきちまったけど......特にどこに行くあてがあるってわけじゃないんだよな)
昼 下 がり──と言うには下がりすぎた 感はある。夕 刻 まではまだ間があるだろうが、道に学生や子供の姿 が目立ちはじめる時間帯 になっていた。
トトカンタ市の街 並 みは住 宅 街 、繁 華 街 、学生街など、都市の中でそれぞれの「色」がはっきりと区 分 けされていることがその最大の特色と言えた。とはいえそれぞれの区 域 に明 確 な境 界 線 があるわけでもなく、単 にパレットの上の絵 の具 のように文 字 通 り色分けされているに過ぎない。つまりは、混 ざりあっている部分も少数ながらあるわけだった。
実 際 、繁華街などは、人の流れがある分、そうした混ざり合った部分のほうが活 気 があるとも言える。それは商 店 街 も同じだった。オーフェンはそんな商店街のひとつ、リジョン・ストリートを、人の流れに逆 らいながら歩いていた。
すぐ近くにいろいろな学校の並ぶこの商店街は、言うまでもなく学生相手の店が多い。一番数が多いのは喫 茶 店 だが、いずれの店も、外から見える席がすべて埋 まる程 度 には繁 盛 しているようだった。
(そーいや、このあたりだったよな、マジクの学校って)
彼が世 話 になっている宿 屋 の息 子 の顔を思い出し、そのふとした思いつきに対して胸 中 で手を打ちながら、独 りごちる。
(せっかくだから、迎 えに行ってやってもいいかな。普 通 の学校ってのも、行ったことねえから興 味 あるし)
その学校というのがどこにあるのか詳 しくは知らないが、適 当 に歩いていれば見つかるかもしれない。そんなことを考えながら、オーフェンは改 めて足を踏 み出しかけた。
と──
「♪裏 切 り者の〜」
唐 突 に、歌 声 が聞こえてくる。
「............」
オーフェンは無 言 であたりを見回した。ほどなく、近くの路 地 からギターを担 いで歌いながら歩いてくる銀 髪 執 事 の姿を発 見 する。
ざわわっ、と左右に分かれる通 行 人 の中から、その執事は進み出てきた。ごく当然のような顔で、なにやら分からない歌を熱 唱 しながら。
適当な手つきでギターをかき鳴 らしつつ、キースの歌は、続くようだった。
「♪裏切り者の〜、裏切り〜。裏切っちゃったのですね〜」
「............」
なにかを──明確ななにかを──必 死 に我 慢 して、オーフェンは目を閉 じた。うずくこめかみを手で押 さえて、くるりと方 向 転 換 する。
だが──気 配 で知れた──、キースは素 早 く行く手に回り込んでくると、歌のボリュームをアップした。
「♪うっらっぎっりっ、うっらっぎっりっ、裏切ってる〜。それと〜。者〜」
「お・ま・え・は・な〜」
ざわざわと集まりつつある野 次 馬 たちの視 線 を痛 いほど感じながら──オーフェンは、がばと顔を上げた。ギターを縦 にして必死の形 相 で演 奏 しているキースにつかみかかり、叫 ぶ。
「こーゆう仕 返 しは、反 則 だろーが、ええ、おいっ⁉ 」
「♪裏切り者〜」
じゃんかじゃんか鳴らしていたギターを、ぴたりと止めて──
キースは、しれっと言ってきた。
「おや、黒 魔 術 士 殿 。奇 遇 ですな」
「うっわ、すっげー殺 してぇ」
手をわななかせてオーフェンはうめいたが、当のキースはまったく素 知 らぬ顔でギターを置くと、腕 組 みして軽くため息をついてみせる。
「ふうむ......ここでこうして偶 然 出 会 ってしまったからには、これからわたしが遭 遇 する危 難 に、黒魔術士殿も巻 き込まれるかもしれませんな」
「よーし、分かった。そっちがそういうつもりなら、俺も腹 を決 めたぞ。決 着 をつけよう。てめえが原 子 分 解 されても原 形 をたもっていられるかどうか試 してやる」
腕まくり──といっても袖 はないが、まあそういったつもりの仕 草 をして、オーフェンはキースから二、三歩飛 び退 いた。かなり本 気 で魔術の構 成 を編 んでいると、キースも、静かに表情を引 き締 める。
すぐ逃 げ出すものかと思いきや、銀 髪 執 事 はしごく落ち着 いた眼 差 しでこちらを見返してきた。構 えこそ取らないが──もともと魔術には、構えが必 要 というわけではない。魔術の発 動 の際 になにかしらの構えを取る術 者 というのは多いが、単に、意 識 の集 中 の中でそれぞれの術者が慣 れた動 作 を補 助 に使うといった程度の意 味 でしかない。
キースが魔術の使い手であるということを思い出し──オーフェンは、自 然 、意識が鋭 くなるのを感じた。魔術の使い手。魔術士。生まれながらにして力の担 い手 となりし人 類 の私 生 児 ......
ふたりの術者が対 峙 する。キースが静かに、口を開 いた。
「黒魔術士殿......決着ですか」
「そーだ」
オーフェンは、右手を掲 げつつうなずいた。集まっていた野 次 馬 が、ただならぬ気 配 に気づいたのか、いっせいに退 いて場所を空 けていく。
キースはただ淡 々 とあとを続けてきた。
「確かに、わたしたちはいつしか戦 いの中で友 情 を育 んだ仲 とはいえ、もともとは敵 として相 対 した者......」
「......なんかいろいろ事 実 とは違 うが、まあ墓 碑 には本当のところを刻 んでおいてやるからな」
「黒魔術士殿」
「なんだ?」
「やめましょう。だって痛いの怖 いですし」
「お・の・れ・は、つ・く・づ・く......」
オーフェンは身体 を震 わせて、うめいた。構 えていた右手に力が入り、枯 れ枝 のように曲がる。
「おや、どーしました? 黒魔術士殿」
キースは真 顔 で、襟 を直しつつ聞いてきた。血の涙 でも流す心 持 ちで、オーフェンは叫 んだ。力の限り。
「楽しいか⁉ 人の気 合 いをいちいち削 ぐのが!」
「そんなことを言われましても」
キースははめている白 手 袋 の甲 など噛 みながら、涙を浮 かべて言ってきた。
「裏切ったくせに」
「......たま〜に、お前サイドに行っちまえば楽になるかななんて思わないでもないぞ」
オーフェンは脳 幹 にぬぐえない疲 労 を覚 えつつ、告 げた。
と──
「オーフェンの、裏切り者ぉぉぉぉぉっ!」
背 後 から、叫びとともになにかが接 近 してくる!
オーフェンは機 敏 に反 応 すると、身体を反 転 させた。体 さばきで対 応 するには突 然 すぎた──脳で判 断 するよりも先に、身体が決 断 する。彼は叫んでいた。なにやら、警 棒 のようなものを構えて突 進 してくる人 影 に向かって。
「我 は呼 ぶ破 裂 の姉 妹 っ!」
呪 文 とともに魔 術 の構 成 が放 たれ、意味を成 し、力を紡 ぐ。
収 束 した力が弾 け──衝 撃 波 となって、彼が望 んだ空 間 を破裂させた。
ばんっ!
机 をノートで叩 いたような、軽 い音 が轟 いて、突進してきた人影をあっけなく吹 き飛ばした。
「きゃあああああっ⁉ 」
聞 き慣 れた悲 鳴 を引きずって、人影は弧 を描 き飛んでいく......
「............」
「............」

その人影が通りの向こうに落 下 していくのを、オーフェンはキースと並んで、ぼんやり眺 めていた。
と、しばらく待ってから。
困 ったような顔をした野 次 馬 たちの中から、へろへろとコンスタンスが現れる──構えていた警棒を杖 のようにして。
「う、うらぎりものぉぉ......」
目を回しながら言っているせいか、身体の平 衡 どころか声の抑 揚 すらも定 かでないようだったが、確 かにそんなことを言ってきているようではある。
オーフェンは、首を傾 げた。
「裏切り者......?」
思い当たらず、うめく。
「俺、なんか裏切ったっけ?」
と──それを聞いて、コンスタンスが、泣きながらわめき散 らした。
「人が落 とし穴 に落とされたっていうのに、助けもせずにどっか行っちゃうなんてひどいじゃないっ!」
「............」
オーフェンは、しばし虚 空 を見上げ──
そして、視 線 を彼女へともどした。
「いーじゃん」
「あー! とうとうそーゆう、なりふりかまわない言 動 に出るわけね⁉ いーわよいーわよ。このことはちゃんと記 録 しておいて、あとでまた清 書 までしちゃって、額 に入れて壁 にかけちゃったりもして、それでもって、ええとええと......」
「いや......分かった。いいから黙 れ」
ぱたぱたと手を振 りながら、オーフェンはつぶやいた。
と、ふと横を見ると、ふたりのやりとりを無 視 してキースがひとり、男泣きに泣いている。
「あああ......コンスタンス様まで、わたしの直 面 する危 機 に対して、ともに戦 うためわざわざいらしたのですね......」
「史 上 まれに見る身 勝 手 な解 釈 だな」
オーフェンの指 摘 を無視して、キースは、くるりとこちらを向いてきた。タキシードのすそをマントのように翻 して、
「分かりました! お話ししましょう! わたしがこのように怯 えるわけを!」
「だからお前、そーやって毎 回 、人の意 向 を無視して話を進めるのは......」
「言っても無 駄 なの知ってるくせに」
くすん、と涙 を拭 きながら、コンスタンスがつぶやいてくる。
なんにしろ、キースはいつものようにこちらの言 葉 など無視してくるりとポーズを取った。すらっと右 腕 を伸 ばし──言ってくる。
「実は今日、婚 約 者 が来るのです」
聞いて、オーフェンは、目をぱちくりとさせた──聞き返す。
「婚約者?」
「そうです」
キースは、神 妙 な面 持 ちでうなずいてきた。さらに聞き返す。
「って、誰 の?」
「わたしのです」
「......別にいいじゃねえか」
が──
意 外 なことを言われたかのように、キースは少し身を退 いた。
「空 からですよ?」
「え?」
「それに、ローンの払 いが......」
「ローン?」
「いや、コギー......そっちは聞かないほうがいいんじゃねえかな。ややこしいし」
聞き返すコンスタンスを、オーフェンはそっと制 した。
「でも、ローンって......」
食 い下 がる彼女を押 しやって、オーフェンはキースに向き直った。
「まあそれはそれとして、なんで婚約者が来るとまずいんだ?」
「それはもう」
キースは朗 らかな声をあげた──
「わたしが一 方 的 に、なんら事 前 通 告 もなく婚約を破 棄 いたしましたので」
「お前が一番裏切り者だろーがっ⁉ 」
「ローン......」
ぶつぶつと、いまだ思 案 顔 のコンスタンスは無視して、キースは気 楽 に言ってきた。人 差 し指 を立てて、斜 めのポーズで近 寄 ってくる。
「というわけでして、なんとか頑 張 って婚約者を撃 退 せねばなりません」
「いや......なんぼなんでも、ンなむごいことは......」
ぐったりとうめくオーフェンに、キースは、立てた指をさらに近づけてきた。
「しかし困 ったことにもう、そろそろ婚約者が現 れる時間なのです」
オーフェンは、とりあえずキースの指をつかんだ。
「いや、まあ、どーしても会 いたくなけりゃ、逃 げるか隠 れるかすりゃいいだろ」
「それもそうですな。ではこれから退 避 いたしますので、黒 魔 術 士 殿 ごきげんよう」
「おう。元 気 でなー、キース」
「......おや黒魔術士殿、そう言いながら、どうしてわたしの指をはなしてくださらないので?」
「いや別に、一度でいいからお前の困った顔 を見てみたいとか、そんなつもりじゃないんだが」
「ほほう......黒魔術士殿。後 悔 しますぞ」
「へっへっへっ。自 慢 にゃならんが、後悔なら慣 れっこだぞ」
「ふふふふふふふ」
しばし、ふたりで見つめ合った──その時だった。
くきぇっ!
甲 高 い、首の後ろの神 経 に突 き刺 さるような雄 叫 びが響 きわたる。
「............?」
怪 訝 に思いながら、オーフェンは顔を上げた。キースが、小さくつぶやくのが聞こえてくる......
「ついに......来ましたか」
きゅいええっ!
それに応 えるかのように、再 び雄叫びが大 気 を裂 く。
不 意 に、あたりが暗 くなった。
「オーフェン......」
コンスタンスが、不 安 そうな声をあげてジャケットのすそをつかんでくる。
ごわさごわさごわさ。激 しい空 気 の奔 流 に、ストリートから砂 が舞 い上 がった。見上げると──
空を埋 めるほど巨 大 な猛 禽 が、優 雅 に翼 を羽 ばたかせ、ホバリングしていた。
「っき──」
約 半 秒 、コンスタンスの悲 鳴 。そして、
「ぎゃああああああっ⁉ 」
少し遅 れて、あたりにいた人間すべての悲鳴が覆 いかぶさった。
「な......」
思わず硬 直 し、あげるべき腕 もあげず、逃 げるべき足も動 かず──オーフェンは、震 える歯 の間 から声を漏 らした。
現れたのは、正 確 には猛禽ではなかった。首から上の骨 格 が、明らかに鳥 類 とは異 なる──ほ乳 類 と爬 虫 類 の中 間 に見えるのは、その顔 面 が類 人 猿 にひどく似 ているくせに、まばたきをしないからだろう。結 局 どちらなのかは分からないが。
翼も、羽 毛 と似ているが、それは鱗 に近いようだった。足がない。というより、下 半 身 がない。当 然 、尾 もなかった。半 開 きの口から、甲高い鳴 き声 を繰 り返 す......
「ぬううう!」
あごにしわを寄 せ、握 り拳 を固 めてキースが叫 ぶ──
「ついに出たな、婚 約 者 !」
オーフェンは、キースの後 頭 部 を思い切りはたきながら、怒 鳴 り声をあげた。
「どこが婚約者なんだぁぁっ⁉ 」
「そーよ! どこがローンなのよ!」
「お前もいちいち、ややこしくなるよーなことを蒸 し返すな!」

横 から非 難 の声をあげるコンスタンスに、オーフェンはさらに声を張り上げた。
「あれは......翼 獣 じゃねえか⁉ 」
「翼獣?」
「どっかの高 地 の原 生 動 物 だったと思ったが......なんでこんなとこに出てくるんだ⁉ 」
だが、そんなことをうめいている間に──
きゅるくきゅうおおおん!
翼獣はもうひと鳴きすると、逃 げまどう通 行 人 たちを蹴 散 らすように路 面 へと落 下 してきた──脚 と呼べる部 位 がないため、着 地 ではない。ただ翼を止めて、無音で地 面 へと激 突 する。
「どわああああっ!」
アスファルトを震 わせて、体 長 三メートルほどもある巨 大 な翼獣が地面へと触 れた。翼を前 脚 のように伸 ばし、頭部を上げて、獣 はひときわ大きく吠 え猛 った。
「この......!」
オーフェンは腰 だめに両手を構 え──そして叫 んだ。獣の咆 哮 に向かって、その雄 叫 びを貫 くように鋭 く。
「我 は砕 く──」
解 き放 つ気 勢 に、魔 力 が散 った。だが、解けるのではなく、展 開 されて構 成 する。
「原 始 の静 寂 !」
爆 発 は一回だけ。だが巨大な振 動 波 の激 震 が波 紋 のように広がった。悲鳴も雄叫びもなにもかも打ち消して、ただ爆発だけがその空 間 を射 止 める──
ぎぎょええええっ⁉
翼獣はその悲鳴だけを残 し......
瞳 の光 も失 い、どさりと昏 倒 して果 てた。
それを正 面 に見 据 えながら、オーフェンは、ゆっくりと腕 を落とした。
「ふ......」
目を閉じて、かぶりを振 る。
「この手 際 の良さを、どこかの無 能 警 官 にも分けてやれれば、世の中もちったぁ平 和 になるだろうに......」
「......なんか、周 りにいた通行人も十何人か巻 き添 えにして吹 っ飛 ばしたみたいに見えるんだけど......」
「気のせいだ」
オーフェンはきっぱりと断 言 して、目を開 けた。とりあえず左 右 を見回し──キースを見つける。
「さて」
見つけてオーフェンは、彼のほうに向き直った。半 眼 で腕組みし、聞く。
「説 明 してもらおうか?」
銀 髪 執 事 は、倒 れた翼 獣 を悠 然 と見下ろして、風に吹 かれていた。遠い眼 差 しで、なにやら語りはじめる。
「あれは......そう。忘れもしません。三年前の悲 劇 」
「また昔 話 か?」
思い切り不 服 な声でオーフェンは聞いたが、キースは構 いもせずにあとを続けてきた。
「わたしは婚 約 者 のジョアンナと、婚約者らしく婚約者っぽい婚約者手 続 きをしていたのです。ぽっちゃりスタンプで」
「......なんで普 通 に『婚約した』って言えないのかしら」
「ンなことより、ぽっちゃりスタンプだろ、今の発 言 の問 題 点 は」
だがどちらにせよ、キースは取り合おうとしてこなかった。こちらを無 視 して、突 然 表 情 を厳 しくし──ぎゅっ、と強 く拳 を握 る。
「しかし! 幸 福 の絶 頂 にあるふたりをおそった悲劇とは⁉ 」
拳を開 き、腕ごと振 って、上体をかがめてポーズを取る──キースはそのまま、器 用 にくるりと身体 の向きを変えてきた。一礼するような格 好 で、ただし顔だけ上げて、こちらを見 据 えてきた。
口 調 はまたもとの、淡 々 とした調 子 にもどっている。
「婚約の儀 式 の最 中 、ふたりの頭 上 に落ちた巨 大 な影 ......」
また上体を上げて、後 ろ手 に、倒れた翼獣をびしりと指さす。
「そう、それこそ、あそこにいるアンジェリーだったのです!」
「名前までつけるか......」
オーフェンはうめいたが、やはりまたキースは黙 殺 するつもりらしかった。額 に脂 汗 を浮 かべ、ひとりで興 奮 して続けている。
「ジョアンナに襲 いかかるアンジェリー! 逃 げまどう群 衆 、肝 を刺 す無数の悲 鳴 、どこまでも激 しく記 憶 を揺 らす慟 哭 ......」
そこで、はたと言葉を止め──キースがかぶりを振った。
「──気がつけば、アンジェリーはジョアンナをさらって、遠い山へと帰っていきました......」
「ほほう」
「それで、誰 がどう見てもアンジェリーの勝 利 でしたので、第二十八代婚約者の座 はアンジェリーのものになったわけですな」
「ちょっと待てい!」
オーフェンは叫 んで、キースを止めた。
「なんか微 妙 に間 違 ってるぞ、それ!」
「そうよ! ローンはどこに行っちゃったわけ⁉ 」
「しつこいっ!」
オーフェンがコンスタンスに向けて叫んでいるうちに、キースは真 顔 で人 差 し指 を一本立て、しごく当然に言ってきた。
「まあなんにしろ、アンジェリーを黒 魔 術 士 殿 が見 事 に倒 したわけですから、第二十九代の婚約者の座は──」
「俺の存 在 のすべてをかけて断 るっ!」
と──
言い合っている時だった。
「おーい、こっちみたいだぞー!」
遠くから、男の声。
ひとりではないようだった。ばらばらな足音と、そしてなにか大きな台 車 が転 がってくるような音......
見ると(魔術の巻 き添 えを食わなかった)野 次 馬 たちを押 しのけて、作 業 着 のようなものを着た男たちが数人、姿を現 した。同時に、かなり巨大な檻 ──台車のような音を立てていたのはこれだ──を引きずってきている。
「............?」
きょとんとしている間に、男たちはオーフェンらの横を通り過ぎて、気 絶 したままの翼 獣 のほうへと集まっていった。その背 中 に、大きく文 字 が書いてある。
『トトカンタ西動物公園』
どうやら、そこの飼 育 係 かなにからしいが......
「あー、でっかい騒 ぎが起こってると思ったら、やっぱりこっちに逃 げてきてやがったんだな」
「ったく、参 ったよな、誰 だ、檻の鍵 開けっぱなしにした奴 は」
「日 誌 にゃあ、ちゃんとロックしたって書いてあったぜ?」
「あてになるかよ」
「............」
彼らの言い合い、ぼやき合いを聞きながら、ただオーフェンにできたことは、単にそこにいることだけだった。そうしているうちにも、男たちは翼獣の様 子 を見たり、周 りで倒れている通行人を介 抱 したりしていく。
「いやあ、すみませんね。被 害 がありましたら、市 役 所 のほうに窓 口 を設 けましたんで、そちらに......」
「本当にご迷 惑 をおかけしました」
「おーし。じゃあ、撤 収 だー」
しゃべりながらもてきぱきと、気絶した翼獣を檻 に収 容 して、そのトトカンタ西動物公園の男たちは、さっさと引き上げていった。ただ無 言 で、それを見つめる......
やがて。
「みなさん、婚 約 者 の脅 威 は去 ったようです......」
額 に汗 を浮 かべ、夕 日 を見つめながら、キースがつぶやくのが聞こえた。
「今はいい......だが、またいつの日にか、第二第三の婚約者が......」
「......ローンで?」
とりあえず、コンスタンスの問いに答える者は誰もいなかった。
彼女のことは無 視 して、オーフェンはキースに詰 め寄 った。

「......どぉゆうことだ?」
「............」
キースは答えない。ただ遠い夕日を見つめている。
赤 く染 まった白い顔 面 を見つめながら、オーフェンはさらに顔を近づけた。こめかみがひきつるのを感じる。声は喉 からではなく、そのあたりのひきつりから絞 り出されたようでもあった。
「......結 局 ......全 部 まるっきり、なにもかも初めから最 後 までぶっ通 しででたらめだったわけだな⁉ 」
「......ふっ............」
キースは口 元 だけに笑 みを浮かべると、前 髪 をかき上げる仕 草 を見せた──無 論 オールバックなので意 味 はないが。
と、腕 時 計 もなにもついていない左手首を見 下 ろして、いきなり驚 きの声をあげる。
「おおっ、もうこんな時間ですか⁉ 」
ちゃっ、と手をあげて、銀 髪 執 事 は言ってきた。
「ではわたしはボニー様のお夕 食 の準 備 がありますので、黒 魔 術 士 殿 、また今度」
「って......」
オーフェンは、右腕を振 り上げて叫 んだ。
「逃 がすと思うかぁぁぁぁっ⁉ 」
「はーはははははは......」
連 続 して炸 裂 する魔術を、高 らかに笑い声をあげながら、ひらひらと身をかわしつつ去 っていくキース......
やがてストリートの向こうに、その姿 は消えた。
「くっそー」
オーフェンは立ちつくして、毒 づいた。よろよろと、コンスタンスが近づいてくる。
「......限 りなく無 駄 な時間だったわねー」
「最近、無駄なことしかしてないような気もするけどな」
ふたりしてため息をついていると──
「あのぅ......」
背 後 から、声をかけられた。野 次 馬 のひとりらしい。なにが起こったのか理 解 できずに、思い切って声をかけてきたのだろうが......
「......なんだ?」
振り返りもせずに、ぶっきらぼうにオーフェンは答えた。と、女の声は静かに、おっとりとあとを続ける。
「あなたがた、キースとお知り合いなのですか?」
「不 幸 にも、そうだ」
「それはその......そうですか。すみません。あの、彼、どこに行ってしまったのか分かります?」
「あんたに謝 ってもらう義 理 はないし、あいつの行き先なんて俺らが知るかよ」
「そうですか......分かりました。すみません」
「だからあんたに謝ってもらう義理は──」
答えかけて、オーフェンは──
(......え?)
あわてて、振り向いた。隣 でコンスタンスも、びっくりしたような表 情 で振り向いている。が、ふたりで後ろを向いた時には、もう遅 かった。
ただ一 瞬 だけ、野次馬たちの人 混 みの中に、プラチナブロンドのすらっとした女の人 影 が消えていくのが見えた気がした。
「............」
「............」

柔 らかな夕日の中で、なんの言 葉 も発せずに、オーフェンたちはただ立ちつくしていた。
(それでお前は満足か?:おわり)

過 ぎていく午 後 。
のんびりと、だが止まることなく時は流 れていく。さほど長大な時間でなくても──あるいは決 定 的 な瞬 間 瞬間でなくとも、現 在 は停 滞 することなく過 去 とすり替 わっていく。トトカンタ市のどうということのない午後、客のいない食 堂 の食 事 のないテーブルの上でもそれは止まらない。押 し流される感 覚 もなく、溺 れることも優 雅 に泳ぐこともなく、ただ変 化 なく変わっていく。
──とまあ特に、詩 的 な気分というわけでもなかったが。
オーフェンはぼんやりと、テーブルにほおづえをついていた。時 計 の針 が刻 む音を聞くことも忘れるほどに意 味 もなく、なにもない時間を潰 していく。
時間だけが潰れ、暇 だけが残っていた。
黒 髪 黒 目 、着ているものも黒ずくめの、二十歳 ほどの男だった。取り立ててなんという特 徴 があるわけではなかったが、目を開けばその目つきだけが鋭 い。今は半 開 きの目をそれ以上開くでもなく閉 じるでもなく、ただそうしていた。
胸 元 にペンダント。銀 細 工 の、一 本 脚 のドラゴンの紋 章 がぶら下がっている。細 工 物 としてはさほどの価 値 があるわけではないが、これは大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ者の証 だった。文 字 通 り、大陸でも最高の術 者 たる証 明 と言ってもいい。
だがその大陸最高の術者──彼だ──は、目に見える時が過ぎ去っていくのを見ているだけだった。
「ああ......」
力のないうめき声を漏 らす。
「腹 減 った」
「......今度は何日食べてないの?」
聞き返してきたのは──
テーブルの向かいに座 っている、スーツ姿 の女だった。年 齢 は、オーフェン自身より多少上というところだった。ただ彼女の雰 囲 気 が柔 らかいせいか、実 際 の歳 よりもかなり若く──もっと端 的 に言えば幼 く──見える。
彼女に向けて、オーフェンは口を尖 らせた。怒 ったわけではない。単に、そうしないと声がとどかないような気がしたからだ。
「ええと......二日」
「リアルな数 字 ではあるわねー」
彼女──コンスタンスはさほど関 心 があるふうでもなくうなずくと、少し虚 空 を見上げてからあとを続けた。
「あと何日くらいは生きられそう?」
「ええと......よく分からん......けど......目の前で飯 を食ってる奴 を見たら殺すかもしれん......」
「あっそ」
そっけなく彼女がうなずいた瞬 間 。
「はい、どうぞ」
宿 の息 子 のマジクが、彼女の前に、少し遅 めの昼 食 を置いた。
湯 気 を立てたシーフードのピラフ。スプーンを片 手 に、彼女が笑 う。
「わぁい。やっぱりこれよね。いっただっきまーす♪」
「ぐがああああああああっ!」
オーフェンは、頭を抱 えて立ち上がった。ささっとテーブルから離 れて厨 房 へと逃 げていくマジクは無 視 して、大声でわめき立てる。さらにそれを無視して、ピラフをぱくつきはじめたコンスタンスに、
「おのれはぁぁぁぁっ! 鬼 かぁぁぁっ⁉ 」
「なによぉ」
彼女は、心 外 といった表 情 で言い返してきた。
「昼食くらい静 かに食べさせてよね。それともなに? 三日前にご飯 おごってあげた時、今後二度と食事をたかりませんって誓 ったのを忘 れたわけ?」
「忘れとらんわいっ!」
目を見開き、オーフェンは怒 鳴 り声 をあげた。びしと彼女の前の皿 を指さして、
「忘れちゃいないが、お前もいちいち俺 の前で飯を食うことねえだろ⁉ 」
「なんで?」
「二日間、水と茶 しか飲んでねえ人間の前で、カロリー満 載 の飯をたいらげるのがそんなに美 味 いか⁉ 」
「美 味 しーわよ」
「どがああああああああっ!」
オーフェンは、ひとしきり床 を転 げ回 ってから──
すた、と立ち上がった。
「悪 魔 と契 約 でもせんと言えんぞ、ンなこと!」
「......そーかしら」
平気な顔でピラフを食べながら、コンスタンス。
「言いたいことが言えない関 係 っていうのは、実は人としてとっても悲 しいつながりだと思うの」
「言わんでもいいことを言い合う関係ってのも、どーかとは思うが」
オーフェンはうめいてから、ひとりうなずいた。
「まあいい。そーか、そーゆーつもりなら、俺にだって考えがあるぞ」
目を閉じて、告 げる。と、コンスタンスはにわかに警 戒 の表情を浮 かべて、食べかけの皿を自分のほうに引 き寄 せた。
「な、なによ。実 力 行 使 に出るつもり? 言っとくけれど、いつもいつも食べ物を奪 われてるわたしじゃないわよ」
「......そーなのか?」
「いや、よく分かんないけど、なんとなく今週は達 成 不 可 能 と思っていた目 標 も、ひょんなことからあなたの望 みのままに♡ って、週刊『ぐるぐる異 次 元 』予 言 特 集 号 にも書いてあったし」
「ほほぉう」
ばきべきと指を鳴らし──
オーフェンは、にっこり微笑 んだ。
「どぉしてぇぇぇぇぇっ⁉ 」
痛 む頭をさすりながら、コンスタンスは絶 叫 した。どこへどう、という叫 びでもなかったが、とにかく力の限 り叫んでみる。
見回せば、もとの食堂。なにも変わっていない。ただし彼女は椅 子 から転 げ落ち──床 で気 絶 していたらしい──、オーフェンの姿 はなく、テーブルの上の皿 はきれいに空 になっていた。
「納 得 がいかないわ⁉ 」
ひとりで叫び、とりあえず誰 か聞いてくれる者はいないか、あたりを見る。空になった皿をさげに来たマジクが、まずいという表情で、あわてて後もどりしようとしたところを、コンスタンスは見 逃 さなかった。素 早 く手を伸 ばし、彼の襟 首 を押 さえつける。
「どーしてなのか分からないわ! いっくらあいつが腕 力 馬 鹿 の全 身 凶 器 だからって、しょせんはおんなじ人間よ⁉ 骨 格 だってなんだってそう極 端 に違 うわけじゃあるまいし、なんでいっつもわたしばっかり負けちゃうのよ!」
彼女はそこで、じたばたもがくマジクを引き寄せた。
「あなたも、そー思わない⁉ 」
「えーと......いや、あの、よく分かりませんけど」
「そう、やっぱり分かってくれるのね。おねーさん嬉 しいわ。というわけで、あなたも仲間っていうことで、登 録 完 了 」
「なにがですかっ⁉ 」
なにやら理 不 尽 そうに少年が聞き返してくるが、それは無 視 。
コンスタンスはかぶりを振 って、大きく嘆 息 した。吐 息 とともに嘆 く。
「ああ......派 遣 警 察 官 として、前 途 洋 々 のはずのわたしの人生が、こうも多 難 になってしまったのも、あのガサツで粗 忽 で乱 暴 な、はぐれ魔 術 士 のせいに違いないのよね」
「そ......そうですか?」
マジクがまたなにやら聞き返してきているようだが、コンスタンスはそれも無視することにした。
そのままあとを続ける。
「かつては警察学校で神 童 とか防 犯 の女 神 姫 とか親の七 光 りとか賞 賛 を集め──」
「あの、賞賛って、最後のは......」
「王 家 の栄 光 を守 るため、大陸の治 安 を守るため、王立治安警察隊に問題なく配 属 。派遣警察官として配属直 後 に華 麗 にして迅 速 な活 躍 の結 果 、さっそく辺 境 の端 っこの、本部と通 信 困 難 な僻 地 へと栄 転 ──」
「えーと......」
「そしてそのまま、このトトカンタ市に任 地 を移 って、じっとさらなる高 度 な指令を待つ日々」
「それって、なにもしてないってことじゃ......」
なぜか哀 れむようなマジクの眼 差 しを感じつつ──
コンスタンスは、目を見開いた。きらきらと天 井 を、いや虚 空 を、いや未 来 を見つめて、声をあげる。
「ぱーふぇくつ! 誰 もが羨 む警察官ライフだわ。なのに......あのぐーたらごろつき魔術士だけが、わたしの栄 達 を阻 むのね」
よよよと泣き崩 れながら、彼女は──こっそり逃げだそうとしていたマジクの襟 首 をさらに強 く握 りなおした。
「決心したわ」

顔を上げて、きっぱりと告げる。
コンスタンスは何度となくうなずいた。機 は訪 れた。覚 悟 もできていた。あとは決心するだけだ。
「考えてみたらあいつ、モグリの金 貸 しだし公 共 物 を見 境 なく破 壊 しまくってるし。わたしが仲 良 くしてあげなきゃなんないいわれはないのよ。一 度 逮 捕 して拘 置 所 にでも放 り込んであげて、お互 いの立 場 っていうものを少しは思い知らせてあげなくちゃ」
「やめたほうがいいと思うんですけど......」
半分あきらめた表情で言ってきたマジクの声は──
やはり無視して、コンスタンスはひとり、決 意 の炎 を燃 やしていた。
「......で」
無 駄 だとは思っていたが、マジクは静かに問いかけた──路 地 裏 に身 を隠 し、花 柄 のスカーフでほっかむりをしたコンスタンスに向けて。
「結 局 、なにをするんです?」
困 ったことに、それがまったく思い浮かばなかった。正 直 なところ、コンスタンスが──食 堂 で毎 日 のようにオーフェンと食 事 しながら、からかったりからかわれたり罵 ったり馬 鹿 にしたりこき下ろしたり泣き落とししようとしたり食事を奪 われたり殴 り合いしたりとひたすら忙 しいこの女性が、明 確 な答えを持っているだろうと期 待 していたわけですらない。
だが彼女は、確 信 した笑 みを浮かべ、自信たっぷりにこちらを向いてきた。
「知り合いに騙 された者はいないってことわざがあるわ」
「......はぁ?」
「意 味 を間 違 えやすいけど、これは、相手のことをよく知ってさえいれば、それに出 し抜 かれることなんてないってことよ」
「そうですか」
マジクは適 当 に相 づちを打った。と──
「つまりっ!」
彼女は力を込めて、断 言 してきた。
「決 戦 を決意したなら、相手を観 察 することが大 事 ってことよ!」
あるいは。
マジクは、なんとなく納 得 した。あるいはこれは、明確な答えと言えなくもないのかもしれない。
(釈 然 としないものはあるけど......)
大いに疑 わしい気分ではあったが、それを聞き返す気にもならず、マジクは黙 って彼女の話を聞いていた──聞き入れたというよりは聞き流したような心持ちではあったが。
「よーするに、オーフェンさんを尾 行 して、なんか弱みを探 ろうって、そういうことですね?」
「そうとも言うかもしれないわね」
なにやら得 意 げに、うなずく彼女。
ふたりが隠 れているのは、路地の曲 がり角 だった──左 手 の遠 くにオーフェンがいる。たいしたあてがあるというわけでもないだろうが、そういうことにももう慣 れてしまっているのか、はたから見れば普 通 に目的地を持っていると見える程 度 には堂 々 と歩いているようだった。
「でも......」
正 直 に、マジクはぼやいた。
「オーフェンさんのなにを探ったところで、今さら弱みになるようなこともないと思うんですけど」
「生 活 態 度 全 般 にわたって恥 部 みたいなものだもんね!」
とりあえずまったく否 定 するつもりはないらしく、コンスタンスもうなずきながらそう応じてくる。
「でもね、マジク君。人の弱みっていうのは、底なしなのよ」
「底なしですか?」
「そーゆうこと。人にとってはどうでもいいようなことが、当人にはものすごく知られたくなかったり、恥 ずかしかったりするものなの」
「はあ」
「実はね」
もったいつけた口 調 で──しかししゃべりたくて仕 方 がないというような裏 腹 な瞳 で、コンスタンスは懐 から虎 の形 をしたメモ帳 を取り出してきた。それをぱらぱらめくると、意外とていねいに整理して筆 記 されたメモの中に、数 字 と文字がずらずらと並んだページが現 れる。彼女はそれを見て、にんまりと笑ってみせた。
「いいことを発見したの。これを見て」
「?」
わけが分からないながらも、マジクはそのページに視 線 を落とした。数字は日にちと時間、その横に、分かりにくそうで分かりやすい項 目 が並んでいる──『外 出 。行き先 不 明 』『外出。マスル水 道 に借 金 の取り立てか?』『外出。キースに追いかけられて』『外出。ドラッグストアの特 売 日 』等 々 ......
マジクが黙 って見ていると、彼女は、ふふと笑って懐から今度は紙 束 を取り出した。こちらは、警 察 の書 類 かなにからしい。小さく〝帯 出 禁 止 〟と書かれているが、それはどうでもいいのか、彼女は平 気 な顔をしてそれを見せてくれた。
コンスタンスのメモとは違 って公 文 書 であるため、ぱっと見ではよく分からないが、どうやらここ最近の警察日 誌 の中から目立った事件を大まかにまとめた報 告 書 らしい。
「これがどうかしたんですか?」
聞く。と、疑 問 に答えるというよりは、心の中で何 度 も練 習 してきたことをまくし立てるように、彼女は言ってきた。
「実はね、こんなこともあろうかと、ずっとここ二、三週間のオーフェンの行 動 と、警察事 件 簿 とを照 らし合 わせてみたんだけど、興 味 深 いことが発 覚 したのよ」
「......ていうか、なんでそこまで面 倒 なことができるのか、そっちのほうが気になりますけど......」
「ほっといてちょーだい。それはそれとして、おかしいのは、ここ最近、あいつが外出しているのに──」

彼女はきっぱりとした口 調 で、あとを続けた。
「街 のどこにも、破 壊 活 動 が行 われたという報告が為 されていないことが急 増 しているの!」
「............」
彼女の言っていることが、一 瞬 どころか数 秒 は理 解 できず──
マジクは、目をぱちくりさせた。
「は?」
こちらがはっきり驚 愕 の声をあげることを期 待 していたのだろう。コンスタンスが、少し不 快 げに顔をしかめた。
「だからね、分からないかしら──ここのところ、あいつが宿 から外出しているのに、物が壊 されましたとか、魔 術 で吹 っ飛 ばされましたとか、そーゆう苦 情 が街のどこからも出てこないことが多いのよ」
「それはまあ......そういうこともある、っていうことなんじゃないですか?」
なんとなくしどろもどろにマジクがつぶやくと、彼女は、信じられないといった顔をして言い返してきた。
「なにを言ってるの⁉ あいつが外を出歩いて、何事もなく無 事 に帰ってくるなんてことがあるとでも思ってるの⁉ 」
「えーと......まあ、そりゃ、なんとなく否 定 もできませんけど......」
「そうでしょ? ほら。見るだけじゃなく観 察 してれば明 らかなのよ──って、専 門 用 語 ではそう言うらしいわ。わたしが知っている限 りのオーフェンの生活パターンは、だいたい三種類よ。一、あの地 人 たちに会いにいって魔術で吹き飛ばす。二、食 料 品 の特売日に商 店 街 に行って行 列 を吹き飛ばす。三、なんだかよく分からないトラブルに遭 遇 して、周 囲 もろともそれを吹き飛ばす。外出してもなにも吹き飛ばさない っていうのは、今までにない行動なの。きっと、魔術で吹き飛ばさなくてもいいような、なにか新しい目的ができたのよ。わたしの勘 では......これね」
「なんです? 小 指 がどうかしたんですか?」
「......まあいいわ。気にしないで。とにかく、尾 行 を続 ければ、きっとなにか面 白 いものが発 見 できるはずなのよ」
「そうですか」
疑わしい気分ではあったが、それを言ったところでどうもなりそうにない。
あっさりとあきらめて、マジクは道の前方を見やった。
そうそう堂 々 とうかがうことはできなかったが、入り組んだ裏 路 地 では、尾行はさほど難 しくなかった──走ればすぐに追いつける程 度 の距 離 をおいて先を歩くオーフェンの背 中 をちらちらと見ながら、こちらも進む。尾行というほど大げさなことでもなく、どちらかといえば、ただ身を隠 してあとについていくという、それだけのことではあった。
もっとも、これが退 屈 なことかというと、そうでもない。
単に人の行 動 を観察するというだけのことでも、普 段 にない背 徳 的 な好 奇 心 がつつかれるのを、マジクは否定できなかった。
オーフェンはこちらに気づいた様 子 もなく、ただ歩いていく。
彼という親 しい他 人 に対して、なにか確 信 できるような行動パターンを知っていたわけでもないが、歩いている様 を見る限りでは、なにか特 別 なことをしに行く気 配 ではないように思えた。
「......このまま進むと、商店街に出ますよね」
声をひそめて、コンスタンスに聞く。道は混 雑 というほどでもないがそこそこ人通りがあるため、そんなに気を遣 わなくとも気 取 られることはないだろうが、それでも声は小さくなる。
コンスタンスも同じだった。ひそひそ声で応じてくる。
「そうね。食事もできないほどお金がないくせに、あやしいわ」
「ただの食後の散 歩 かもしれませんよ?」
一 応 念 のため、マジクは言ってみた。が、彼女は聞く耳ないらしい。
「あのものぐさが、そんな気 取 ったことするとも思えないわよ。どっちかっていうと、せっかく摂 取 した貴 重 なカロリーを消 費 するわけにはいかん! とか言って部 屋 でベッドに潜 り込むタイプだわ」
「それはタイプっていうか......」
「とにかく、尾 行 を続けるわよ」
とりあえずうなずいて、そのとおりについていく。オーフェンはそのまま素 直 に商店街へと進んでいくようだった。
歩き方に無 論 、なにがあるわけでもない。いつもの早 足 で前に進むだけである。人とすれ違 う。知り合いが多くないので挨 拶 するでもない。マジクの目には、彼がただいつものようにぶらついているようにしか見えなかった。
「あのー......」
帰 って宿 題 でもしたいんですけどと言いかけたマジクの目の前に──さっと、コンスタンスの手が割 り込んできた。
「しっ!」
鋭 く囁 く彼女に、マジクは声を引っ込めた。彼女の視 線 に従 って前を見やると、ちょうどオーフェンが猫 とすれ違ったところだった。
「......どうかしたんですか?」
聞く。と、コンスタンスはしてやったりと言いたげに笑 みを漏 らし、
「ふっ──やっぱりね」
「なにがです?」
「猫とすれ違ったわ」
「......そのまんまですね」
「読みが甘 いわよ、マジク君」
彼女は、ちっちっと音を立てて人 差 し指 を振 ってみせた。
「あなた、普 段 生活していて、猫とすれ違うことなんてそうそうあると思ってるの? 珍 しいってことは、それだけで異 変 なのよ」
「いや、なんかもーどこが間 違 ってるのか指 摘 するのも難しいですね、それ......」
「あっ! つまずいて『おっとっと』なんて言ってるわ。今時いないわよ。これはメモしておかなくちゃならないわね。証 人 も用 意 しないと」
「えーと......」
とりあえず困 惑 して、マジクはうめいた。彼女は確か警 官 だったはずだが──仕 事 で尾行しているときもこんな感じなのだろうかと、ふと絶 望 的 なことを思いつく。口に出しては聞けないが。
「まあ......とにかく、尾行って結 構 おもしろいとは思いますけど、やっぱりばれる前にやめておいたほうがいいと思うんですが......」
「弱気ねー」
彼女は、呆 れたように言ってきた。
「ばれるわけないじゃない。少なくとも、今からはばれることはなくなるわよ」
「......なんでですか?」
「わたしには完 璧 な尾行テクニックがあるのよ」
「はあ」
「今からそれを使うから、オーフェンに尾行を悟 られることは絶 対 にないわ。なにしろ、このテクニックには、論 理 的 な裏 付 けがあるんだもの」
「............」
返事をしなかったのは、ごく純 粋 に疑 わしいと思ったからだが──
彼女は、それを説 明 を求めての沈 黙 だと受け止めたらしい。含 み笑 いのようなものを浮 かべて、得 意 げに言ってきた。
「まずはね......ここに隠 れるの」
と、こちらを捕 まえて、路 地 の角にさっと身を潜 める。確かにこれで隠れはしただろうが、オーフェンの姿 を見ることもできない。
(どうするんだろ?)
疑問には思ったが、なんとなく声を出すのも気がひけて、マジクはじっと彼女の次の指 示 を待ち受けた。
しばらく経 って──
彼女が、口を開いた。
「いい? マジク君。これはわたしが独 自 に発見した真 理 なの」
「真理ですか?」
「そうよ」
彼女はその瞳 を、きらりと輝 かせた。
「こちらから見ることのできない相手は──こちらを見ることもできないの。つまり、こちらから相手が見えない位 置 に入り込めば、相手もこちらを見つけることはできないってわけよ。完璧な論理よね」

「............」
どう答えていいのかマジクには分からなかったが。
とりあえず、事実だけを口にした。
「それって、ぼくらも相手を見 失 っちゃうと思うんですけど......」
「........................」
長い長い沈 黙 の間──コンスタンスが、その瞳の光を失わなかったことは、なにか特 筆 すべきことのような気が、マジクにはしたが。
そんなことは限 りなくどうでもいいことでもあった。
「......え?」
眉 間 に小さなしわを寄 せて聞き返してくる彼女に、マジクは軽くため息 を漏 らした。
考え込む彼女のわきを通り過ぎて、もといた路地に顔を出す。オーフェンの姿は、もうどこにも見えなかった。
「え〜と......」
いまだ考え込んでいるらしい彼女が、あとについてきていた。路地にオーフェンの姿がないことを確 認 したあと、口 元 に手を当ててかぶりを振 る。
「いまだこの完璧なはずの尾 行 術 が役に立ったことがなかった理由が、薄 皮 をはぐように少しずつ分かりかけてきたような気がするわ」
「むしろなんで一発で分からないんですか?」
心 底 困 ってマジクは聞いたが、彼女は軽くかぶりを振って、気の抜 けたような表情を浮 かべてみせた。
「......帰ろっか、マジク君。なんかもう、なんで腹 を立ててたのかも忘れちゃったし」
「そですか。まあ、それが一番いいと思います」
と──
その時だった。
遠くから、爆 音 が響 いてきたのは。
衝 動 的 な好 奇 心 と呼ぶべきか──
それとも、野 次 馬 根 性 と正 直 に呼ぶべきか、それは分からなかったが。
マジクは爆音が響いてきたほうへと走り出していた。方向を特 定 するのは、さほど難 しいことでもない。さっきオーフェンが歩いていったほうに間 違 いないと予 想 していたからだが。
「今の、魔 術 ですよね? オーフェンさんの」
「ほかに考えられないわね」
なにやらつまらなそうに、コンスタンスが答えてくる。彼女は少し遅 れて、あとをついてきていた。
「なぁんだ。結 局 、今日は暴れるほうの 外 出 だったわけね。もともと尾行なんてしても意味なかったんだわ。珍 しくもなんともないもの」
「......こっちが普 通 っていうのも、なんか怖 いですけどね」
そんなことを言いながら、ぱたぱたと走る。さほど長く走る必要もなく──飛び出した路地に、人だかりができていた。停 滞 した通行人たちらしい人 垣 の向こうに、爆 煙 があがっている。
とにかく、その人 混 みの中をぬっていくと、聞こえてきたのは......
「はーっはっはっは! この貧 困 暇 だらけ黒 魔 術 士 ! 今日という今日は、このマスマテュリアの闘 犬 、戦士ボルカノ・ボルカン様にひざまずく日が朝 日 とともに登 り詰 めてあとは墜 ちていく日々! 要 約 するとだな──とにかく死ね! アホ! とゆーことだ!」
「あ、兄 さん、立ち位置そっちじゃないほうがいいんじゃないかな。帰り道はあっちだから、せめてそっちに吹 き飛 ばされたほうが、帰りが楽ですむし......」
聞き慣 れたと言えば聞き慣れた声。
そしてこちらも。
「やかましいわ! くぉの削 っても削っても細 胞 レベルで再 生 する吹っ飛ばされ種族! 借 金 も返さずに俺よりいいモン食おうたぁ、見上げ果 てた根 性 だな、おい! そこの八 百 屋 から個数限定の余 り物野 菜 持って出てきたの、はっきりと見たんだからな! 福 ダヌキにゃ贅 沢 すぎるんだよ!」
「ンだとコラ! 貴 様 こそ、そこらの猫 に招 き殺される分 際 で!」
「我 は放 つ──」
その声が、たとえただの叫 び声 にしか聞こえなくとも、それまでのものとはなにかが違うことに、みな本 能 的 に気づいたのか──それとも単に、もう誰もが知っていたのか、それまでは騒 ぎを見つめてまとまっていた人 混 みが、いっせいに逃 げだそうと、放 射 状 に動き出す。
だが、それらの動きよりも早く、叫びは完 成 していた。
「光の白 刃 っ!」
爆 発 が──
光があたりを埋 め尽 くした。純 白 の輝 きが閃 き、大きく膨 れ上 がり、そして鳴 動 して音を響 かせる。爆発の中、必 死 に目を開くと、悲 鳴 とともにふたつの人 影 が、はるか遠くに吹き飛んでいくのが見えた。遠く──マスル水道のほうに。
一 瞬 の恐 怖 は、確かに一瞬でしかなかった。なにをどうするような間もなく、光が消える。あとに残っていたのは、道のあちこちに倒 れたり伏 せたりした通行人や野 次 馬 。たなびく白い煙 。ぽっかりと開いた、巨 大 なクレーター──そして、その前にたたずむ、ひとりの男だった。言うまでもなくオーフェンである。
............
静 寂 。というより、沈 黙 。
オーフェンはふっとあたりを見回し、自分に向けられた無数の視線に気づいたらしい。さっと口を開いて、怒 声 をあげる──
「見せ物じゃねえぞ──」
と、言いかけて。
唐 突 に、彼は言葉を呑 み込んだようだった。なにやら考え深げにうつむいて、そして、一 応 念 のためといった口 調 で、近くにいた野次馬に問いかける。
「......見せ物だったら、金とか払 う?」
「いいえ」
「......そうか......」
きっぱりと否 定 され、とぼとぼと、オーフェンはこちらへと歩いてきた。こちらに気づいたというよりも、単に宿 への帰り道だったからだろう。こちらが呼びかけるまで、彼は顔を上げようともしなかった。

「あのー......」
「ん? あんたは払うのか?──って、マジクか。コギーも」
目をぱちくりさせて、こちらを見る。オーフェンは不 思 議 そうに聞いてきた。
「......こんなとこで、なにやってんだ?」
「なにっていうか......」
「べ、別になんでもないわよ、オーフェン──」
なかば裏 返 った声で、コンスタンス。わたわたと手を振 りながら、少しずつ後ずさりしていく。
「ほほう」
オーフェンは腕 組 みして、目を細めた。
「んじゃ、さっき俺を尾 行 してたのはなんだったんだ?」
気づいていたらしい。まあ、それを不 思 議 に思う理由もマジクにはなかったが。
「うっ......」
うろたえて、コンスタンスがうめき声をあげるのが聞こえた。
「ち──違 うのよオーフェン! 断じて、あなたに最近なんだかおかしい復 讐 を行動が変だから、尾行して弱みを見つからない方法は相手から見えないところに......あのその」
「......いや、本気で分からん」
「わ、分からないならそれでもいーのよ。帰りましょうか、マジク君。さささ」
と去りかけた彼女の動きが、ぴたりと止まった。その襟 首 を、素 早 く、オーフェンが捕 まえている。
「逃 がすと思うか?」
「うえーん」
泣きながら、コンスタンスはしゃべり始めた──黙 っているよりは被 害 は少なそうだと判断したらしい。
「だからぁ、最近、あなたの行動が変わったみたいだから、それを尾行して確かめようと思ったのよう。それで、弱みをつかんで仕 返 し──じゃなくて、ほら、あなたのことならなんでも知っておきたいと思うわたしのいじらしい友 情 って可愛 い♡」
「まあ、だいたい分かったが......」
完全に半 眼 で、オーフェンがうめく。
「俺の行動が変わった? って、どういうことだ?」
「いえ、どうってわけじゃないんだけど......」
コンスタンスは──本気で復讐のことはどうでもよくなったのか、懐 から例の書 類 とメモ帳まで取り出して、オーフェンに手 渡 した。
「ほら。最近、警 察 で、あなたに対する苦 情 がものすごく減 ってるから、気になってたのよ。あなたが外に出て日の光を浴 びてるのに、暴 れ出さないなんてことあり得 ないのに」
「俺は吸 血 鬼 か⁉ 」
オーフェンが怒 鳴 り声をあげる──が、自分でも腑 に落ちなかったのかもしれない。ふっと不思議そうに顔をしかめ、自分で作ったクレーターを指さすと、
「でもまあ、自分で言うのもなんだが、出かけた時は、いつもやってるぞ、これ」
「いつもですか......?」
冷 や汗 が流れるのを感じながらマジクはうめいたが、オーフェンは無視したようだった。コンスタンスも特に取り合ってくるわけでもなく、首を傾 げている。
「え? じゃあ......被 害 届 が減ってるのはどういうことなのよ」
コンスタンスの疑問の声に──
なんとなく、マジクは周囲に耳を傾 けてみた。騒 ぎが終わり、また何事もなかったかのように動き始める道の流れ。そして商 店 街 の人間たちのつぶやき声......
「ああ......またか」
「なるほどな。さてどうする? このクレーター、今週の穴 埋 め当 番 は、あんたのとこだったっけか?」
「いや、カローロのとこだよ。もう道具を取りに行ったみたいだぜ」
「もう慣 れたが......いつまで続くんだ? こんな生活......」
みな一 様 に、深 刻 な陰 を表情に落として、つぶやきあっている。
「............」
しばらくそれらを聞きながら、マジクはうめいた。
「......みんな、多少の刺 激 には慣れちゃって、警察とか思い浮 かばなくなっちゃったみたいですね」
「......なるほどね」
納 得 、そしてどこか疲 れたような表情で──
コンスタンスがうなずく。
「お前ら、黙 って聞いてれば......」
と──
うなるような声をあげたのは、オーフェンだった。陰 険 に目をつり上げ、恨 みがましく言ってくる。
「俺は天 災 かっ⁉ 」
その叫 びを、否 定 する者もいなかった。
(俺をなんだと思ってる⁉ :おわり)


【フィンランディ家・現在】
「父さんって友達とかいるの?」
食卓で不意に発されたラッツベインの問いに、オーフェン・フィンランディは天 井 を見上げた。
一秒、二秒。意識が空を切り無 為 に漂 ってから。
視線をもどして、妻を見やった。
「これ、ニシンか?」
「あ、嫌 いなんだっけ。あなただけよ、塩漬 け嫌いなの」
「無視したぁぁーっ!」
ラッツベインが声をあげる。
それも聞いていたが、オーフェンは妻に言った。
「グラタンの下に入れるとかそういうのよしてくれよ。不意打ち凹 むんだよ」
「昔はなんだって食べてたのに」
「歳 くったんだから好き嫌いくらいしてもいいだろ」
「執 拗 に無視してる! ねえ、わたし変なこと言った? わたしだけ愛されてなくない?」
隣 のエッジの肩 を掴 んでがくがく振 りながら、ラッツベイン。
エッジは煩 そうに片目だけで姉を見た。
「いつもいつも、姉さんが分かり切った馬 鹿 な話を振るからよ」
「なんでっ」
「いるわけないでしょ、父さんに友達なんて」
「待て」
オーフェンは話を制止した。
エッジは姉を見たのと同じ視線をこちらに転じ、
「いるの?」
「定義による」
「定義って?」
これはラッツベインだ。
パンを毟 ってオーフェンは答えた。
「友達って、どんなのを想定してる?」
「そりゃあ、休みの日に釣 りに行くとかさ。酒かっくらって自 堕 落 に賭 けポーカーやったり、カミさんの下品な冗 談 言ったりとかそういうのでしょ」
ごん、とテーブルの下から音が響 く。
「母さんが蹴 るー! 一 般 論 なのに母さんが暴力をー!」
わめく長女にオーフェンは半眼で。
「お前な。じゃあ訊 くが、俺が休みの日に釣りに行ったのを見たことあるのか」
「ないけどー......」
「そもそも休みの日を見たことあるか?」
「ないね。いつも忙 しそうになにやってんの?」
「この社会を無法地帯にしないための無 駄 な努力をどうにかこうにか、二十年ほど休みなくやってる。それが答えだ」
そんなもので話は終わり。だと思ったのだが。
娘はまだ引かなかった。ばん、とテーブルを叩 いたせいで胡 椒 入れが揺 れる。
「逆かもしんないじゃん!」
「逆?」
「なんかそうやって、いるわけない的な感じだからいなくなってんのかもしれないでしょ!」
「お前のそういう手前勝手に人を解 析 して的外れな助言を始める性 分 を直してくれる適切な施 設 ってどこらあたりかな」
「いーのわたしのことは!」
否定するラッツベインだが。
横で妻がぽつりと言い出す。
「洞 窟 とかかも」
エッジも同じく。
「木に吊 したほうがよくない?」
最後にラチェットも。
「地 獄 がいいと思う」
「あれわたし味方いない? なんで?」
おろおろする娘 に、オーフェンは告げた。
「お前らガキどもの基準で言いがかりつけんじゃねえよ。こちとら身を粉 にして働いてんだ。あんまりうるせえと漁船に売り飛ばすぞ」
「はい。なんか愛 娘 が父親から聞かされるっていうよりヤクザに脅 されてる感じしかしてないけど、はい......」
しょんぼりしながらラッツベインは座り直す。
オーフェンは嘆 息 した。
「ま、友達なんていうのは、いるのかどうか分からないくらいが一番友達らしいんじゃねえか」
【牙 の塔 ・二十七年前】
キリランシェロは疑いなく生 涯 の伴 侶 となるであろう女子の姿を、校舎の柱の陰 からそっとのぞき、生涯の伴侶となるであろうという確信を深めるために生涯の伴侶となるであろう確信を改めていた。
そこに疑念の余地はなく、定められた歴史に不当な邪 魔 が入ったとしても決して分かたれるはずのない明白な運命が存在している。感情が語るのは未来への約束、心が囁 くのは永遠の愛、血が騒 ぐのは全細 胞 の意志だった。
まあ彼女と話したことは一度もなかったが。
彼女の名はフェイリン。大陸黒魔術の名門《牙の塔》の学生であり、可 憐 な少女であり、心根は優 しく清 楚 で──まあ、どうでもいい。今回の一件以降、二度と顔を見ることもなくなるので。
「あれがその、例の子か」
横でハーティアが、同じ女子を眺 めてつぶやく。
ただし目を輝 かせて恍 惚 と見とれるキリランシェロとは違 い、ぼりぼりとピーナツなど口に放 りながらだが。
「うん。フェイリン。いい子だろ?」
「そうかな。地味じゃないか?」
「それのなにが悪いんだよ」
「連れて歩いて、地味! って思われるだろ」
「誰 が思うんだよ、それ」
「見た全員がだよ」
「だから誰が見るんだよ、いちいち」
「誰にも見られてる気がしないなら、連れて歩く意味ないだろ」
「別に見せびらかしに連れ歩きたいわけじゃないよ。一 緒 にいたいってだけだ」
「じゃああの子じゃなくたって、誰でもいいじゃないか。人になんとも思われないなら」
「............」
「............」
お互 い、しばし沈 黙 して視線を見 交 わす。
キリランシェロ、ハーティア、ともに十五歳 。《牙の塔》チャイルドマン教室の同級生で、年が近いので大 抵 ともに行動する。
ただキリランシェロとしてはたまに、価値観がまるで合わないと感じることもある。それは向こうも同様かもしれないが。
「ま、それならこのハーティア様の出番だよな」
とハーティアが言い出して、ますますキリランシェロは疑問符 を浮 かべた。
「なんの出番?」
「お前がここで十分間じっと立って妄 想 に耽 っている間に、分析を完 了 した」
「分析?」
「攻 略 法 とでも言おうかな。ええと、なんだっけ。フェイリン? 彼女の心のすべてを丸 裸 に──いてっ」
キリランシェロに蹴られて、口を尖 らせる。
「なんだよ。言葉のあやだろ。お前の手助けをしてやろうって話じゃないか」
「どうも嫌 な予感しかしないんだよな」
「恋 する子羊は後押しも怖 がるんだな。でもお前、ようく考えてみろよ。いつまでものんびりはしてられないぞ」
「なんで? ああ、確かにライバルはいるかも......」
「そういうんじゃなくてだな。もたもたしてると、このこと、アザリーかレティシャに知られるぞ」
「よし即 座 に今すぐ助けてください」
きっぱりと心を決めて懇 願 する。
ハーティアは満足げにうなずいてみせた。
「じゃあこれから彼女のところに行って、教えた通りにするんだ。大 丈 夫 。分析は完 璧 だ。ふられる要素は1パーセントもない──」
「ううう......」
キリランシェロが力なくうめいたのは、心が痛んだからではなく脇 腹 を負傷したせいだった。わりと純 粋 に。
「おっかしいなー。どこに誤算があったんだろ」
それを担 いで廊 下 を歩きながら、ハーティアが首を傾 げる。
「ちゃんと言った通りにしたんだろうな? 変なアレンジ加えなかったか? お前そういうとこあるからな」
「......もしかして、ぼくが悪いってことにしようとしてる......?」
「だって完璧な分析だぞ。あれは甘えん坊 の見せかけ強気でも偽 りの自分をふと寂 しく思ってしまうことがあるのタイプで間違いない」
「根 拠 は?」
「眉 毛 の角度だな。あと歩 幅 だ。で、お前、つかみの第一声はしくじらなかったろうな?」
「うん。『甘えるな!』って怒 鳴 っていきなり引っぱたいた」
「反応は?」
「周りの友達一同にボコボコにされた」
「そこが腑 に落ちないな......」
「落ちるよ!」
顔を上げて、キリランシェロは声を張り上げた。
「ていうかなんで言う通りにしたのかも我ながら不思議だよ!」
「それはだな。姉どもの名前を出されるとお前は判断力を露 骨 に失う──」
「なんでぼくの分析はちゃんとできてんだよ! ああもう。いい。自分で歩く」
助けを振り払 い、歩き出す。
ハーティアはまだ諦 めていないようだった。
「とはいえ考えようによっては、だ。チャンスとも言えるな」
「なにが」
かなり本気でピンと来なかったので思わず立ち止まり、訊 く。
指を立ててしたり顔で、ハーティアは言い切った。
「お前は強 烈 な第一印象を彼女に与 えるのに成功したわけだ」
「マイナスのね」
「分かってないなー。女ってのはマイナスとプラスの見分けなんてないんだよ」
「......なんで」
「さあ。そういうもんだ。数学苦手だからじゃないか?」
「どうもお前の言うことっていちいち怒 られそうなのばっかりだな」
「頭かたーい系のキーキー女どもにだろ。そういうのには用はないからいいんだよ」
「うーん......」
このへんの話に付き合っていてもきりがなさそうなので、本題にもどる。
というかもう、どうでもよくなっていたのだが。
「別にいいよ。あの子はもういい」
「挫 けんの早っ。ホント分かってないな。こういうのは押してなんぼだろ。根負けさせりゃ勝ちなんだ。諦めなければ必ず勝てる勝負で諦めてどうすんだよ」
また歩き出して、キリランシェロはため息混じりに手を振 った。
「勝ち負けっていうか、どうでもよくなっちゃったよ。なんか彼女、思ってた感じの子じゃなかったし」
「だっからお前さー。なんでそういうどうでもいいとこで引っかかるかな」
天 井 を仰 いで、ハーティア。
まだ続くか......といささかうんざりしてはいたが、キリランシェロもうめいた。愚 痴 を言いたいもやつきは残っていなくもない。
「どうでもよくないだろ。大人しい子かと思ってたのに真っ先にヌンチャク出して殴 ってくるからすっかり引いちゃったよ。なんだよヌンチャクって。どういう境 遇 で常備するようになるんだよ」
「気にすんなって。どうでもいいだろ、個性とか性格とか素行とか」
「そこ気にしなかったらどう好きになるんだよ」
「だから好きとかどうでもいいんだって。そんなもん後から修正できるんだから」
「頭痛くなってきた......」
「かなり殴られてたもんな」
「まあ確かにそれもあるけど」
足を引きずりながら、ぼやきながら、ついでに少しは笑いながら。教室に引き上げていく。
こんなことが毎日あるわけでもないが、特に珍 しいということもない。基本的にそういうものだった。
ただ今回については多少、余計がくっついていた。
【チャイルドマン教室・翌日】
「どういうつもりなんだよ!」
どん! と机を叩 いて、キリランシェロは声を張り上げた。
教室にはハーティアとふたり。他の生徒はまだ姿を見せていない。
ハーティアもあちこち傷だらけでぐったりと、机に突 っ伏 していたのだが。
キリランシェロが叩いた衝 撃 で、がっくんと頭を上げた。
意識はあるし、話も聞いていたようだ。手を上げて制止してくると、言葉を選んでこうつぶやく。
「いや、どういうというか。つもりじゃない。彼女とはちゃんと付き合った。あれから、昨日のあの子と」
当然、キリランシェロはますます声を荒 らげる。
「それを言ってんだ! 普 通 するか、そういうこと!」
「どうだろう。だがこれは運命というか......」
「運命が半日で別れるか⁉ 」
反論されてハーティアは、不満そうに顔をしかめた。
「半日って言うなよ。十八時間は付き合ったと思う。ノコギリ自転車で追い回されてた三時間は付き合ったうちに含 めていいよな?」
「知るか!」
「ああ、そうそう。ヌンチャクについてだけど、あれは序の口だった。やばいぞあの女。そういや名前なんていったっけ──」
「どうでもいい! 全方向で!」
また何回か机を叩いて、級友の頭をその分だけ上下させる。
めまいでもするのか目をふらふらさせながら、ハーティアはようやく完全に起き上がった。
「そんな怒るなって。お前のためだと思ったんだよ」
「ハァァ⁉ 」
「いや、だから怒るなって怖 いから。うまく間を取り持とうとしたんだ。不幸な出会いを修正して」
ぬけぬけと言ってのける。
キリランシェロは半眼で見やって指 摘 した。
「完璧メイドインお前の不幸だったろ」
それでもなお退 くことのないハーティアなのだが。
「まあ言うな。で、まずは相手に取り入らないとならないだろ。彼女の機 嫌 を取るにはどうしたらいいかって考えて、お前の悪口で盛り上がった」
「で?」
「多分、盛り上がり過ぎたんだな。ていうかじゃっかん調子に乗ったのは認める。もう真夜中過ぎるまで語りづくしだったからテンションも上がっちゃってさ。話を合わせてるうちに意気投合して、お前みたいな危険な暴漢から守ってやる、任せろと──」
「......ぼくみたいななんだって?」
一応問い質 しておく。
ハーティアはしばらく間をおいてから言い直した。
「ここであえて言わなくてもいいのに正直に白状するのは友情のためと思って欲しいが、正しくは『女という女を生ハムとしか思っていない変態シリアルキラー』くらいのことは言ったかもしれない。でまあ彼女、ぼくを頼 もしいと思ったみたいで。ふたりで愛の未来を築こうってことになったんだけど」
「それで?」
「さすがにそれくらいで、あれ、最初思ってたことと違 うぞって気づいてさ。とりあえず逃 げ出したら裏切り者って追いかけられて......あれは怖かったなー......」
どうやらこれで終わりらしい。
今度はこちらがめまいを抱 えた心地で、キリランシェロは息を吐 いた。
「まったくお前は、いっつもそんなだな」
「いっつもって。そりゃ十八時間は女子と付き合って別れるまでの定番の平均時間だけど──」
「そこじゃない。余計なことをしては、お前のためだったとか役に立とうと思ってとか、苦しい言い訳するだろ」
「言い訳じゃないんだよなー......」
未練がましくつぶやくハーティアは無視して。
ぶつぶつとキリランシェロは続けた。
「そんな騒 ぎになってたから、なんか廊 下 歩くだけでひそひそ言われるし、朝から長老部に呼び出されてわけの分からない質問に答えさせられたのか......肉と人間の違いは分かるか? とかなんとか」
「あ、どう答えた? すっげ興味ある」
「回答とは違うが、今のお前は下味をつけて炭火でじっくり焼いてやりたい」
「食うなよー。食ったらそれきりだからつまらないぞ」
と、なんだかごねる(?)ハーティアだが。
キリランシェロは腕 組 みして赤毛の頭を冷たく見下ろした。告げる。
「とにかく。悟 った。もう今後、なにがあろうとお前には相談しない」
「え?」
目を見開くハーティアに、キリランシェロは歯を軋 らせる。
「なに驚 いたみたいな顔してんだ。当たり前だろ。どんだけひどい目に遭 わされてきたと思ってんだ」
「そんなでもないだろー。お互 い生きてるし」
「生きてて良かったと思える時があればの話だ。解散! 解散だ!」
いったいなんの解散なのか、言いながら自分でもよく分からなくはあったのだが。
キリランシェロは言い放って、ハーティアに背を向けた。
以後は口をきかず、おおよそ一週間ほど、この解散状態は続くことになる。
【牙の塔・一週間後】
「うーん......」
グラウンドの片 隅 で、ベンチに腰 掛 けて。
仰 け反 って曇 天 の空を眺 めながら、キリランシェロはさっきからうめいていた。
寝 ていたわけでもなかったが、寝付けずに寝返りを打つように。落ち着かないまま雲の流れを追っている。
と。
気配を感じて視線を下ろした。こちらに近づいてくるのは......
「どしたのー?」
アザリーだ。
なんとはなしに素っ気なく、キリランシェロは首を振 った。
「別に」
「そーお? じき、雨になるわよ」
「屋 内 に入る気にならないんだ」
「元気ないじゃない、この頃 」
それを気にして見に来たのか、単に彼女も暇 だったのか。
どうにも見分けのつかないところのあるアザリーなのだが。ぐるりと回ってベンチの隣 に腰を下ろした。
雲を見るキリランシェロの横で、身をかがめるようにしてこちらをのぞき見する格好で。言ってくる。
「なんかあったわけ?」
「別に。いつも通りのこと。ただちょっと──」
「なに」
「余計なことがくっついてさ」
「どんな?」
「先週のことで結構怒 ってたんだけど、怒るのってしばらくすると引っ込むでしょ」
「そうね」
「そうすると、怒ったのはどうでもよくなってるのに、怒った結果だけ残ってるわけ」
「ふうん」
「なんていうか、どうしたもんかなって感じでさ」
「なるほど」
ぴんと背を伸 ばして、アザリーが頭を持ち上げる。
キリランシェロも視線を下ろすと、目が合った。
それでアザリーは口を開く。
「重 症 ね。あんた、小さい女の子みたいな話してるわよ」
「............」
「ふんどしで滝 にでも当たってきたら? それか酒かっくらって窓からオシッコして寝なさい。んじゃ」
と言って、去っていく。
ひとり残されてキリランシェロは、また雲を見た。つぶやく。
「助言としちゃ最低だけど、まあ、的は外してないのかな......」
そんな気もする。どうなのだろう。
と。
ぽつりと鼻先に感 触 があって、眉 間 にしわを寄せる。
「降ってきたか」
天気にまで唾 を吐 かれた気分で、立ち上がる。
すぐに急ぐとアザリーに追いついてしまいそうで、それも気まずい。しばらく考えて普 段 はあまり行かない校舎裏のほうに回っていった。時間をかけて走る間に雨はぽつぽつと強まって、本降りになってきそうだった。
頭を押さえて雨粒を避 け、裏口に滑 り込む。という直前で、目の前に入り込んできた人 影 に速度を落とした。相手もこちらに気づいて、びっくりしたように振り向く。その顔を見てキリランシェロは面 食 らった。
フェイリンだった。
「あ」
かあっと頬 を紅潮させて、彼女は目を逸 らした。
キリランシェロのほうも困 惑 するが、彼女がどいてくれないと中に入れない。それに気づいて、彼女は慌 てて場所を空けてくれた。
「ご、ごめんなさい。あの、邪 魔 でしたよね」
「いや......」
「あの、それとこの前のことも。誤解だって、後で分かったんです」
「あ、うん」
狭 い裏口にふたり並んで入ろうとして。
扉 に手をかけて、がちゃりと鍵 に阻 まれる。
「あれ......この時間って閉まってるのか」
魔術士ばかりの《塔》の鍵は、術で開けるのが難しい複雑な造りのものだ。さすがに扉を破 壊 してまた直すというのも大 袈 裟 ではあるし、引き返すにも雨はかなり強くなっていて、キリランシェロはフェイリンと顔を見合わせた。一応、裏口にはひさしがあって雨は避けられる。
「しばらくここで雨宿りするしかないかな」
「そうですね」
消え入りそうな声で、フェイリンがつぶやく。
少し雨に濡 れて寒いのか腕を引き寄せて震 えていた。それか、身を寄せ合う広さしかないのでぎりぎり距 離 を開けようとしているかだが。
雨の音だけが続く沈 黙 に、重みが増していく。耐 えられなかったのか彼女が言い出した。
「あの。誤解だって分かったんです」
まったくの繰 り返しだ。
「そう......それは聞いたけど......」
キリランシェロが言うと、フェイリンはますます頬を染めてうつむいた。
「わたしに言いたかったのは、その、違うことだった、って」
「............」
ふと。
気になって、訊 ねた。
「それ、誰 が言ってたの?」
フェイリンの顔色の変化からすると──明らかに──この返事は期待外れだったのかもしれないが。やや不満そうにではあったものの、彼女は答えてくれた。
「......あの......ハーティア............が」
急に低い声で、ぼそりとだが。
とりあえずそこはおいといた。
「ああ、そう」
だろうとは思っていたのだが。
ぼんやりと考え込んでいると、フェイリンはさらに続けてきた。
「それで......わたし、馬 鹿 でしたよね」
「いや、どうかな。基本的にごくまっとうな対応だった気もするけど」
「いえ。だって不 埒 な女の敵を見 抜 けずに、キリランシェロさんのようないい人を殴 ってしまうなんて」
「ん?」
一 瞬 話が分からなくなって、思考が停 まる。
「どうしたんですか?」
首を傾 げるフェイリンに、頭を掻 きながらつぶやいた。
「いや、その話もう少し聞いてもいいかな」
「はい。わたしが愚 かだったんです。鋼鉄の一 撃 を食らわせてやるべきはあのおピンク頭の腐 れ外 道 だったのに、騙 されただけのキリランシェロさんを......」
「んー......ああ、そういえば、君とハーティア、最後は喧 嘩 したんだったっけ」
「最後は?」
ぴくりと眉 を上げ、フェイリンは言った。
「まだ終わってなんかいません」
「え、まだ付き合ってる、とか?」
「なんでそんなひどいことを言うんですか?」
彼女は目を見開いて、心底憤 慨 しているようだった。
やや戸 惑 いながらキリランシェロはうめいた。
「だって、終わってないって」
「済んでいないのは落とし前です」
「落とし前?」
「奴 は悪魔です」
「あー、どうかな。そこまでアレかな?」
「はい。魂 まで腐り切ったボウフラ野 郎 です。どんなにひどいか、あなただって知っているはず!」
「うーん。まあ、知ってはいるかな」
「そうでしょうそうでしょう! 言葉たくみに取り入って『ぼくと君、目と目が合ったのは光の奇 跡 、いつでも同時に呼吸を止めるのはハートの奇跡かな』って」
「そんなこと言ってんのあいつ?」
「『おや、流れ星』『え? どこに?』『君には見えないよ。君の瞳 の中の話だもの』とかも」
「そ、そう」
左右に向きを変えてくるくる二役やっているフェイリンを眺 めながら、どう言っていいものかまごつくしかないが。
彼女も多少眉 間 に皺 を寄せて、続けた。
「わたしも最初は、なに言ってんだろうなーって感じだったんですけど、六時間くらいずっと聞かされてるうちになんかいいかなって気になってきちゃって......」
「根負けかー。たまに当たるな、あいつの言うことって。にしてもよく六時間聞いてたね、君も」
「わたしの命を狙 う超 邪悪女好き怪 人 ──あ、これあなたですけど、とにかく危険なんだから自分がそばについていないといけないって言われて......」
「あーそう」
分かってはいたけれど、要は、しっかりだしにされてたわけだ。
なんだったら最初からそのつもりでいたのかもしれない。ただの成り行きかもしれない。どっちも同じくらいあり得そうではある。
「なのに!」
いきなり大声で考えごとを遮 られて、びくりとする。
フェイリンは拳 を握 りしめて前進してきた。
「ド変態犯罪的マスターオブエロスを地上から抹 殺 しようって血の盟約を交 わそうとしたら急に裏切って......!」
「その変態ってぼくのことだよね。多分」
「誤解だったんです。悪いのは全部あのハーティアです」
「確かに今のところあんまり庇 う余地は見いだせないけど......」
「分かってくださると思ってました!」
どん! と抱 きついてくる。
思わず身を固めたキリランシェロにぐりぐりとすり寄りながら、彼女はまくし立てた。
「あとで聞いて回ってみたら、あの人、本当に手当たり次 第 らしいじゃないですか!」
「ああああえええと手当たり次第だね手当たり次第過ぎて成果ほとんどないけど......」
ぎこちなく答える。
彼女はますます突 進 してきた。
「なのにわたしには、こんな気持ちを持ったのは初めてだー的なことをえんえんえんえん......なんであんな当たり前みたいな顔で嘘 つけるんですか!」
「それはぼくに言われても製造責任はちょっと知らないっていうか」
「あまりにひどいひどいひどいですあんまりですわたしの純心は! これでもう二度と男の人を信じられなくなったらどうするんですか!」
かなり押しが強くなっているため、ふたりともひさしからはとっくにはみ出して雨に打たれているのだが。
濡れた髪 を揺 らしながら、ぬたり、とフェイリンが顔を上げる。
「うふ......ふ......だから落とし前です。あの人が......あの人が後 悔 さえしてくれれば、バランスが取れると思うんです」
「理屈は分からないでもないけど」
「ですよねっ! 奴を倒 さない限りわたしたち前に進めない! そう思いませんか⁉ 」
「わたしたち?」
「......あれ。あんまり乗り気じゃないんですか?」
訊 いてくる彼女に、キリランシェロは腕 組 みした。
「ていうか、あいつはもうなにがあっても治りゃしないと思うんだよね」
「そんな弱気な!」
がっしと腕を掴 み、フェイリンは食い下がる。
「このままでいいっていうんですか⁉ やったりゃーと思わないんですか、あんなひどい悪 魔 と一 緒 にいて!」
「どうしようもない奴だとは思うけどね」
「どうにかしましょうよ! なんかこう、怒 りをかき立てる思い出とかたくさんあるんじゃないですか⁉ 」
うーん、と考え込んで、つぶやく。
「そんなでもないんだよね。お互 い生きてるし」
「基準甘っ! わたしを口説いてた時、あいつがキリランシェロさんのことどんだけ言ってたか知らないんですか⁉ 」
「いくらかはさっき知ったけど」
「怒 るべきですよ! マジ怒るべきです!」
「いや、怒ってはいるんだけどさ」
「ならやっつけましょうよ!」
「あいつやっつけてもなんの得にもならない感が凄 まじげなんだよなー」
「なんですかその感! その感覚感負け犬くさいですよ! 悪を倒すのが愛と勇気じゃないですか!」
急に身体 を離 すと、彼女は懐 から棒を取り出した。
見たことのあるヌンチャクだが、紐 で結んである。紐には「封 」と書き記してあった。
「......二度とは抜かぬと誓 ったドスですが......」
「誰に封印されたの?」
訊ねるとフェイリンはしかめ面 のまま短く答えた。
「先生に......」
「まあぼくの被 害 も無 駄 じゃなかったわけか」
「違いますよ! 真の悪と出会った時のための準備でしたのに! これだけは親の形見だって言い張って確保しましたけど、ノコギリ自転車なんて廃 棄 されちゃったんですよ! 苦心の作だったのに!」
封印された武器を抱きかかえてフェイリンは嘆 く。
「分かりましたよ! キリランシェロさんがそんなんなら! わたしひとりでやるだけです! 取り上げられた武器に替 わる新兵器で、あの色魔を片付けてやります!」
と言ってそのまま、雨の中を走り去っていく。
といってもいつの間にか、雨は弱まっているようだった。
空を見上げてキリランシェロはつぶやいた。
「通り雨だったかな」
ばしゃばしゃと足 下 をはね散らかしながら駆 けていくフェイリンを見送って、言い直す。
「血の雨は降りそうだけど......」
【牙の塔・同時刻】
「落ち込んでたわよー」
アザリーは教室に入ってくると、肩 を濡 らした雨の滴 をはたき落としながらそう言った。
教室でひとりぼんやりと外を眺めていたハーティアは、彼女のほうを見やり、
「珍 しいお節介だね、アザリーには」
「かもね。暇 だとそうなの」
「それって、手 頃 な玩 具 が元気ないとつまらないってこと?」
「そーよ。そう言わなかった?」
相変わらずというのか、アザリーは悪びれもしない。
降ってきた雨はすぐに上がりそうだった。遠くの雲に晴れ間が見える。ハーティアはもう一度窓から外を見たが、もう見るものがないのを思い出しただけだった。さっきまでグラウンドのベンチにいたキリランシェロはもうそこにいない。
「なんて言ってた?」
「もう怒ってもいないけど、仲直りのきっかけが欲 しいみたい」
「きっかけって?」
「あんたが謝るとかじゃない?」
「謝るのは最初から謝ってたよ」
「誠意がないでしょ。あんたの場合」
「それは仕方ないじゃないか。ないんだし」
「あるふりくらいできるでしょうよ」
「そりゃできるけどね」
視線を上げる。雲の切れ間から縦に割れた光を見、ようとして。
その手前の影 が目に入った。
最初、それは長い棒のように見えて。
すぐにただの丸になった。
丸太が飛んできている。と理解した時には、窓が砕 けていた。
窓を突 き破る丸太から跳 び退 いて、防 御 の術を発動する。
間に合ったのはぎりぎりのタイミングだが。
それだけで終わらなかった。
雨上がりの湿 った空気を切り裂 いて。さらに数本の丸太が飛んできているのを横目で捉 える。
(カタパルト......? グラウンドの外から飛ばしてるのか)
思いながら、とにかくかわしていく。
四本の丸太が教室内に突き刺 さって、ようやく収まったようだった。
「......なにこれ」
同じようにかわしていたアザリーが、怪 訝 そうにつぶやく。
なにと言いながら見当はつけたようだが。ハーティアのほうを見て、
「あんた分かる?」
「まあ、心当たりはないでもないかな」
「わたし関係ある?」
「ないと思うよ」
「あそ。じゃあ外でやって」
「薄 情 !」
一応言い捨ててからハーティアは廊 下 に飛び出したが、まあアザリーに関 わって欲しかったわけでもない。彼女がいてなにかが好転することもまずないので。
教室から出て、その鼻先を。
鋭 いなにかが掠 める。身体を反転してそれをかわしたが。
やはり一発だけではない。風切り音が立て続けに迫 ってきた。幸運を信じて転げ回る。さっきのカタパルトと違 って、これは狙 撃 の意思を感じた。ボウガンの矢だった。
「やっ! ほっ! たっ! ふっ!」
ボウガンにしては随 分 と発射間 隔 が狭 いが。そんなことを考えてもいられない。かわしにかわして......
ようやく、音が終わった。
「やった!」
と周りを見る余 裕 ができる。振り向くと廊下の端 に、覚えのある顔が──そのひとつが──立っていた。
「えーと......名前は思い出せないけど」
例のあの女だ。
いつから用意していたのか、ずらりと並べた何個ものボウガンの陰 からふらりと進み出て、暗い眼 差 しで唸 り声を発する。
「夜なべして造ったすべての飛び道具を避けるなんて......なんて腹立たしい」
「え、手作りなの? それなんか凄 いね」
どうでもいいことについ感心してしまったが、彼女はふるふるとかぶりを振 った。
「発射機は倉庫から勝手に持ち出したの。全部の矢にわたしの髪を巻き付けて呪 詛 を吹 き込むのに七日七晩......」
「こわ! 普 通 に怖 い!」
「こんなことをできるなんて、自分でも知らなかった」
懐からヌンチャクを取り出すのだが、なんか紐で封印されている。
「愛用の制裁ヌンチャク、テツロー君だけがあれば身を守るのには十分だと思っていたのに」
「一応念のため訊 くけど、この前のノコギリ自転車は?」
「あれは混 んだ道でいいと思って......女の敵は話しかけないで!」
「あー、うー、どっちみちどう返事すればいいか分からなくなってたから、はい」
怒 鳴 ってからまた深呼吸して、ゆっくりと彼女は言い直す。
「......でも違った。もっと必殺の武器を用意しないと、この邪 悪 で怠 惰 で破 廉 恥 な時代を生き抜 くことはできない」
「どうだろ。殺傷力とは関係薄 い気がするけど」
「なんでもいいの! 乙女 の純情を踏 み違えた奴は死ぬのよ!」
「ごもっとも」
とにかく、わたわたと逃 げ出すことにする。
背後でばちんと弾 ける音がして、彼女がヌンチャクの紐をちぎったのだと分かった。ヒョオオと怪 しい音を発しながら振り回す気配も伝わってくる。
「ここは逃げの一手だよな。それ以外の時もないけど」
女に対しては常にそうだ。つついては逃げるに限る。
のだが。
「あれ?」
行く手に、別の人影が現れた。
女だ。長い髪を手でばさりとやりながら。
「ハイ。ハーティア。元気だった?」
「うん元気は元気だけど。あれ。どこかで会ったよね。名前は思い出せないけど──あれ、手に持ってるのって、それなに?」
「ただのモップよ」
彼女はにっこりとしたままそのモップを振りかぶり、叩 きつけてきた。
「うわ! 危ないな!」
「なんか今日はイベントらしいじゃない」
謝ることもなくまたモップを構えて、彼女はじわじわ距 離 を詰 めてくる。
「......イベント?」
見ると集まっているのは彼女だけではなかった。さらに数人、やっぱり手に武器を持って廊下に並んでいる。
「これよ」
モップの彼女がチラシのようなものを取り出して、見せてくれた。
受け取って、読み上げる。
「『被 害 者 百人突 破 記念。口先男をクラッシュ祭り。参加者は武器持参』......ちょっと待って! 百人てなに! そんなにいない! 絶対いない!」
「どうかしら。近い人数は集まったみたい」
言われて数えると、確かにそこそこの人数はいるように見える。
「ホントだ。こんなにいたのかー。なんで誰 も褒 めてくれなかったんだろ」
ぼやいていると。
段々と近づいてきていたヌンチャクの女が、背後から呪 いのように言ってきた。
「これがわたしの最終兵器よ......名付けて、因果応報イベント開 催 」
「いや、おかしいってこれ!」
前方と後方、廊下で挟 まれて両方に制止の手を振る。
「ていうかぼくのほうがふられることのが多いじゃん! なんで全員で怒 ってんの!」
「なんでふられる?」
「基本、半日くらいで次のに興味が移っちゃうんだよね。ぼくとしては別に別れる必要なんてないのに......」
「さあ、順番よー。殴る前にひとりずつ思い出を語りましょう」
「ぎゃああ! どっちかっていうと思い出が嫌 だ!」
頭を抱 えてハーティアは叫 んだが、モップの子から話し始める。
「名前も覚えてないようだけど、わたしに言ったことは覚えてる?」
「ええと......どうかな。節度を持って適切な距離を保とう、とか」
「死ねやぁぁぁぁ!」
「わあああ!」
「二番! 『あっ。今の音聞こえた? 君を見て心臓が爆 発 した音だよ』」
「うぎゃあああ!」
「三番! 『なんてこった。どうして今まで、君を知らない人生を生きてこられたんだろう』」
「ぎーあー!」
逃げ場もふさがれ、モップやらバットやらでボコボコにされながら。
身体 を丸めて耐 える。そして。
「四番──」
とんっ、と。
続きが聞こえてこない。腕 の隙 間 から顔を上げると、後ろから首を叩かれて目を回した女生徒が、その場に昏 倒 したところだった。
見ると女子たちの一画、半分とはいかないがかなりの人数が廊下に倒 れている。そこに立っているのは、
「......キリランシェロ!」
ハーティアの叫びに、彼は頭をぼりぼり掻 いた。
助けに来てくれたのは明らかだ。ただ、眼 差 しは冷たい。
「どっからどう考えても、許す余地が見つからない」
そんなことをぼやく。
モップやヌンチャク女を避 けて級友にすがりつきながら、ハーティアは首を傾 げた。
「そ、そうかな?」
キリランシェロは深々とため息をついた。
「でもまあ、いいや。そういうもんだよな」
「どんな?」
「なんていうんだろ。許すとか損得とかじゃないんだ。そういう次元じゃないんだよな」
自分でもなにを言っているのか分からないようで、半信半疑に。
だがしかし、迷いはなく。
彼はもう一度嘆 息 した。
「とにかく、こうしてないとしっくりこないもんな」
「変な奴 だなー、お前」
「よし。逃げるぞ!」
ふたり、開いた逃げ道からダッシュする。
しばらくぽかんとしていた女子たちも、武器を手に、わーっと盛り上がって追走を始めた。
廊下を走り続ける。撒 くのには結構時間がかかりそうだ。一日逃げることになるかもしれない。
ただまあ、わりと、よくあるいつもの日常だ。
「ま、余計なことなんだよな」
「なにがだよ」
「こんな、友情を確かめる出来事なんてのはさ」
あとは余計なことは言わず、足だけ動かした。









その昔 、トトカンタ市に偉 大 な男がいた。
その男がこの街 を作ったと言っても過 言 ではない。その男は街を生み、街を守り、街のために戦 い、街に愛され、街に看 取 られて、街を去っていった。
その男の名は、フランク・オーディー。彼を愛した街は、彼の死後も彼のことを見 失 うまいと、小 高 い丘の公園に、彼の銅 像 を建 てた。透 明 な風の吹 くその丘で、彼は街を見守り続けている。遠い眼 差 しで。
そして今。その銅像の頭の上に──
ひとりの男が立っていた。
問 答 無 用 に立っていた。容 赦 なく、完 全 無 比 に、ほかにどう形 容 しようもなく、立っていた。埠 頭 に立つ水 夫 のように、片足をその英 雄 像 の肩 に、もう片足を頭の上に乗せて、像を包 む風の中にたたずんでいる。短く刈 った黒 髪 に、真 っ直 ぐな眉 。細い目には感情らしい感情も映 ってはいない。真 っ青 なスーツに覆 われた体 格 は、昆 虫 のように細かった。赤いネクタイに引っかけられたタイピンは、ウインクしたカマキリで、鎌 を片方だけ開いている。
若い男だった──とはいえ若 造 でもない。誰 から見ても『若い男』に見えただろうが、その言葉を数字に置 き換 えることができない。彼が見つめているのは、銅像と同じ、街だった。大 陸 有 数 の商 都 たるトトカンタ。無数の者が住む町を、ひとりの男とひとりの英雄が見 下 ろしている。
「えーと」
とりあえず、その銅像の下から、中年の警 官 が声をかけた。いったん言葉を切り、まわりに集まった野 次 馬 を見回してから、英雄像の上に立つ男へと視 線 をもどす。
「あんた、なにしてるんだ?」
「それをわたしに問いかける貴 様 は誰 だ?」
彼はにこりともせず──眼 球 を動かしもせず、早口でそう聞き返した。警官は、目をぱちくりさせたあと、
「警官だが」
「明 確 な答えだ。好 感 が持てる」
「ありがとう」

「だが残 念 なことに、不 正 解 だ」
「不正解?」
「ブー」
「音まで」
男は、きりっと表情を引 き締 めた。横 水 平 の眉 に意 志 が宿 る。ポーズは変えないまま、彼は続けた。
「できればこう答えてほしい。もし警官というものが油 をひいた鉄 板 だとするならば、自分の上で毎日ソーセージが飛 び跳 ねているはずだと」
「ええと、もし警官というものが──」
「アレンジはすべきだ」
「もし警官というものが花だったら......」
そこまで言いかけて、警官は口ごもった。
「だったら?」
男に聞き返され、警官は肩をすくめた。
「......もっと役に立ったろうに」
「うむ。単 純 だがすこぶる芸 術 的 だ」
「ほめてもらってありがたいが、あんたはなにをやってんだ? これは別に、もし変わり者ってものが雲 ひとつない空だったとしたら自分は洗 濯 物 の味 方 のはずだなんて答えなくていいぞ」
「うむ」
男はうなずくと、両 腕 を振 り上げ、ばっと──飛び降 りそうな素 振 りを見せてから、足 下 の銅像の頭に手をつくと、ゆっくりとそこを降りた。地面まで降りると、あまり背は高くない。
警官に向き合い──だが視 線 ははっきりとそらして──彼は、自分のあごの下に指を入れて目を閉じた。なにやら感 慨 深 げにうめく。
「警官に必要とされる資 質 は、ただひとつだ」
「ほう」
「優 秀 であること。これに尽 きる」
「そうだな」
警官は無 感 動 に同 意 しながら、後 ろ腰 のベルトから手 錠 を取り出した。が、男は気づかないようにあとを続ける。
「だが警官は優秀であってはならないのだ」
「なんで?」
「優秀な警官は、逮 捕 してはならない犯 人 まで逮捕してしまう」
「逮捕しちゃならん犯人なんていないだろう」
「その通りだ。問題なのは、そこだ!」
男は、びしと、警官に向けて指を突 きつけた。その細い手 首 に、緑 色 のカフスボタンが光る。
そしてその手首に、がちゃんと手錠がかかった。
トトカンタ市はその日も晴 天 だった。
いつも誰 もが期 待 するような、穏 やかな青空。やや涼 しく、やや肌 寒 い。
オーフェンは特になにがあるというわけでもなく、街 を歩いていた。黒 髪 に黒目、格 好 まで黒ずくめの男である。不 機 嫌 そうに見えるわけではないが、鋭 い目つきがどこか皮 肉 げな容 貌 を作っていた。胸 元 には、銀 でできたペンダントがぶら下げられている。剣 にからみついた、一 本 脚 のドラゴンの紋 章 ──大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ証 である。
街はなにごともなく平和なようだった。行 き交 う通行人の足音も、活 気 もざわめきも、すべてが平 穏 の中で平穏に流れていく時間に平穏なアクセントを刻 み続ける。それに反 対 するなにかがあるわけでもなく、静かな午 後 を誰もが過ごしていた。
(平和だなぁ)
誰にともなく、オーフェンは独 りごちた。声には出さずに。
そして──
後 頭 部 をはり倒 され、アスファルトに顔 面 を埋 めた。
衝 撃 は突 然 だった。そして痛 みも。なにがあったのか分からないまま視 界 がすべて地面で埋 まり、鼻 の奥まで通る激 痛 に声も出ない。なにもできずにうめくうちに、彼の頭に激 突 した誰かが、そのまま前方へと通り過ぎていくのは感じていた。たったっと軽い足音が、遠くへと走り去ろうとしている。
「っこの──」
オーフェンは、がばと起きあがった。突然の騒 ぎに、通行人たちが騒 然 としている。こちらを見て驚 いている野 次 馬 たちの中にあって、彼らをかき分けて奥 に走り去ろうとしていた後ろ姿 がひとつあった。それがおそらく自分をはり倒していった犯人だろうと目 星 をつけて、オーフェンはその男を指さした。
「てめえ! 人が平穏を堪 能 してるって時に、唐 突 になにしやがる!」
男はあっさりと振り向いてきた。青いスーツ──ビジネススーツではないが、形はそんな感じだ──に赤いネクタイ。やけに細 身 の男である。男はあまり表情の表 れない顔をしかめると、きっぱりと怒 鳴 り返してきた。
人差し指を真 っ直 ぐこちらに向けて、
「なにをするのかと問う時には、まず名 乗 ったらどうだ!」
「なに⁉ 」
オーフェンは上体だけを起こした姿 勢 でうめいた。しばし考え、
「......なんで?」
「そーいえば、関 係 がないかもしれんな」
男はあっけなく認 めると、くるりときびすを返し、そのまま再 び人 混 みの中に消えようとした。足音もない、妙 にスマートな足取りで。
「待たんかいっ!」
目を閉じてオーフェンはその男に叫 んだ。男はまた足を止めると、
「なんだ。わけありのゆえがあってとっても急いでる理 由 があるのだが」
「なんだかよく分からんが」
オーフェンは立ち上がると、大きな動 作 で腕 組 みした。
「人をはっ倒しておいて、そのまま素 通 りしていこうたぁ、ずいぶんと虫がいいじゃねえか」
「おほめいただき光 栄 だ」
「断 じてほめてないっ! 単 刀 直 入 に言うとだ、それなりのわびってものをしてもらおうか!」
男は、ずっと変わらぬ真 顔 のままで──
「殺 人 は良くない」
「......え?」
「短刀直入」
「駄 洒 落 は犯 罪 だっ!」
オーフェンは断 言 すると、腕組みを解 いた。男を見 据 えたまま、続ける。
「と・ゆーわけで、罪 状 パワーアップだ! かなり本気の攻 撃 を受けたくなければ、それ相 応 の対 応 をしてもらおうか!」
「むう。そんな......」
男は、困 惑 したようだった。いきなり、なぜか上 着 を脱 ぎながら、
「いきなり、生き血を要 求 されても」
「どんな対応だ、それはっ⁉ そーじゃなくて、迷 惑 料 とか慰 謝 料 とかいろいろあるだろうがっ!」
怒 鳴 りつけると、男は脱ぎかけていた上着に再 び袖 を通した。ほっとした様 子 で、言ってくる。
「安心したぞ。君 の意 図 は読めた」
「隠 していたつもりもなかったけどな」
手のひらを上にして差し出しながら、オーフェンはつぶやいた。が、男は聞いた様 子 もなく、
「分かっている」
「おう」
「念 力 で」
「念力で?」
「君の幸 せを祈 っておくことを約 束 する」
「いらんわっ!」
オーフェンは全力で叫ぶと、開いていた手を握 りしめた。男に詰 め寄 ろうとした、その瞬 間 ──
ごふっ!
再び後 頭 部 になにかが命 中 し、彼は路 面 にキスをした。

「いたぞ! こっちだ!」
聞こえてくる声──
それに対して、男がうめき声をあげているのも聞こえてきた。
「ぬ⁉ お前たちは、かつてわたしを追っていた公 僕 の方 々 !」
「回り込め! 今度こそ逃 がすな!」
「よし、マーベリック隊 、向こうを封 鎖 しろ!」
「市民のみなさん! 我 々 は、その男の捕 縛 行動中です! みなさんには危 険 はありませんが、ご協 力 をお願いいたします──」
「ふ──」
最後のものは。
オーフェンの声だった。
ざっ──と、地面に手をつく。
引 き剝 がすように、身体 を起こす。
見回すと、確かに警 官 たちがいた。
遠 巻 きにではあるが、男を取り囲 むように。
すぐ近くに、警 察 マーク入りの砂 袋 が転 がっていた。犯 人 を生 け捕 りにするために、投 げつけて使用するものだ。先ほど後頭部に当たったのはこれだろう。
警官たちはまだ騒 いでいる。男を捕らえようとしているらしい。オーフェンは、身体を震 わせながら立ち上がった。
「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ──」
痙 攣 するように笑い声が漏 れる。気 配 を感じたのか、警官たちの動きが止まった。彼らがいっせいにこちらを見やる。その表情には、はっきりと、自分たちのミスを認 めた動 揺 があった。
「あ......あいつは⁉ 」
警官の中のひとりが、うろたえて悲 鳴 じみた声をあげる。
悲鳴は次 々 とあがっていった。
「あいつだ! 危険人 物 リストの──」
「みなまで言うな! 知らん者はいない!」
「まずいぞ、いつにも増 して目つきが悪くなっている! あれは攻 撃 色 だ!」
「ま、待つんだ君 ! 話し合おう! そ、そうだ。飴 を──飴をあげるから!」
「お前ら......」
オーフェンは、構 わずに右 腕 を振り上げた。魔 術 の構 成 を解 き放 ち、世 界 に祈 り、世界を変 質 させる!
「まとめて消え失 せろぉぉぉっ!」
収 束 した力が、望 むままに撃 ち放たれる。渦 巻 く光の奔 流 が、道 路 に突 き刺 さり、大きく跳 ね上がった。光の火 柱 をあげて衝 撃 波 が荒 れ狂 う。すべては激 しくも一 瞬 だけの饗 宴 だった。大 爆 発 の中、悲鳴をあげて警官たちがあちこちに吹き飛ばされる──
ぜえ、はあ......
肩で息をしながら、オーフェンは自 らの魔術がもたらした効 果 を見回した。直 接 の標 的 となったアスファルトは、無 惨 にえぐられてクレーターと化している。警官たちはみな適 当 に倒 れ伏 し、ひきつった表情で失 神 しているようだった。だいたいの野 次 馬 も同様で、遠くから見ていた連中はさらに遠くへと逃げている。
そして、声は自分のすぐ横から聞こえてきた。
「うむ。助けてもらってありがたいことが嬉 しくて感 謝 している」
「......いや、一 応 あんたも狙 ってたんだが」
オーフェンは半 眼 で、声のほうへと顔を向けた。例の男が、傷 ひとつない様子で立っている。男はこくりとうなずくと、
「あまつさえ狙っていたというのに助けてもらったとは見 事 と言うほかあるまい」
「違 うと思うぞ」
きっぱりとオーフェンは断 言 したが、男にとってはどうでもいいことのようだった。感情をなにも表さないまま、続ける。
「だがわたしには、君に対して感謝の謝 辞 をありがとうさせてもらう唯 一 の方法がひとつしかない」
「......いや別にいいんだが、その限りなく無 駄 なしゃべりはなんとかならんのか?」
「君の幸せを祈 る方法が約六千八百二十九通りあるのだが、三秒ほどで選びたまえ」
「いらんと言ってるだろーがっ!」
「お勧 めは、遠 近 自 在 エネルギー法 だが」
「やかましい!」
と──
「そこまでよっ!」
聞 き慣 れた声が、会 話 ──と呼べるかどうか自信はなかったが──を遮 って響 く。
通りの向こうで、人 垣 がふたつに割れる気 配 がした。ふたてに分かれた野次馬たちの中から、小 柄 な女が姿を現 す。手にはダーツを一本持って、ゆっくりと進み出てくる。コンスタンスだった。オーフェンとは顔なじみの、派 遣 警察官である。
彼女を見て、倒れていた警官のひとりが声をあげる。
「おお、あなたはっ!」
黒こげになったまま元気よく起きあがると、警官は祈るように手を組んで声をあげた──少なくとも事 態 が自分の責 任 ではなくなったことが嬉しいのだろう。
「お噂 はかねがねうかがっております。派遣警察・とにかくいろいろ変なこと対 策 係 のコンスタンス・マギー三 等 官 ですね⁉ 」
「勝 手 に人を妙 な役 職 に就 けないでちょーだいっ!」
コンスタンスが非 難 じみた声をあげる。黒こげの警官に向かって半眼になると、
「......だいたいなんでわたしが、変なこと対策なのよ」
「いやしかし......暴 力 団 対策に、その幹 部 をスカウトした事 例 もあることですし」
「どーゆう意 味 よ⁉ 」
「うう......ああやめて......ケガ人を蹴 らないで......とにかく、三等官、お願いしますぅ。我 々 の仇 を......」
「分かったわ。任 せておいて」
決 然 とした表情で、静かにうなずいてから──
彼女は、こちらへと向き直ってきた。せいいっぱい肩をいからせて、びしと指をさしてくる。

「って、とにかくそんなわけでっ! オーフェン⁉ なんかまた爆発とか起こってるなーとか思って来てみれば、やっぱりあなただったのね。そーやってまた毎日毎日毎日毎日人 様 に迷 惑 ばかりかけて、そんな恥 ずかしい人生は今すぐ──」
と。
唐 突 に、彼女の声は途 切 れた。
その表情が、みるみるうちにこわばっていくのが分かる。オーフェンが怪 訝 に思って見ている間にも、コンスタンスは、ふらっとその手を落とし、よろけて後 ずさりした。眉 間 にしわを寄せて、小さくかぶりを振る。そして。
信じられない口 調 で、彼女はうめいた。
「──に」
「に?」
「義 兄 さんっ⁉ 」
「おお。よく見れば、妻 の妹 」
あっけなく返事をしたのは、例の男だった。いつの間にかまた腕組みしている。
「え?」
彼らの会話の意味が一 瞬 思い当たらず、オーフェンはつい考え込んだ。兄 。妹。妻の妹。妹の姉 。姉の夫 。
たっぷり一 回 転 は思考を空 回 りさせてから──オーフェンは、悟 った。
「............!」
無 言 の悲 鳴 をあげて、彼がとっさにとった行動は──意 識 無意識なにもかもを総 動 員 して、たったひとつのことだった。
だっ──! と全 力 で、その場を逃 げ出す。全 身 の筋 肉 を跳 躍 させ、その場から最 も離れた場所へと彼は駆 け出した。
が、刹 那 。
「とォっ!」
背 後 から飛びついてきたのは、当の男だった。突 然 のことでかわすこともできずに、オーフェンは勢 いのまま転 倒 した。ずざざざざと地面を転 がりながら、後ろからタックルしてきた細い腕 を振り払う。起きあがり、振り返ると、男は頭から盛 大 に血を流しながら、平気な顔で言ってきた。
「どうやら、わたしの勝ちの初 勝 利 のようだな」
「だから、わけ分からん、ちゅーに!」
オーフェンは叫 んで、その男から少しでも離れようと、尻 を地面につけたまま後ずさりした。
男はかぶりを振ると、
「ふっ。もはや申 し訳 ない」
「さらに分からん」
「つまり、鯨 が魚でないのは牛が魚でないのと同様だと解 説 することが馬 鹿 馬 鹿 しいと思うのなら、わたしの気持ちも分かるだろうということだ!」
「あー......えーと、もういいです」
「そう。そんなことはどうでもいいのだ。なぜ貴 様 、逃げ出したりする?」
「嫌 なことを思い出したからだよ!」
オーフェンは即 答 すると、また立ち上がって逃げ出そうとした。が──小 柄 な人 影 に、行く手を遮 られて足を止める。
コンスタンスだった。ひきつりまくった表情で、
「ずるいわよ〜、オーフェン。自分だけ逃げようなんて」
「なにがずるいんだ⁉ もともとは、てめえの身 内 だろうが⁉ 」
「確かにそうだけど! あなただって無関係じゃないでしょう⁉ 」
「ほほう。貴様、義妹 と関係を持ったと?」
後ろから無 遠 慮 に顔を出し、言ってくる男に、オーフェンは怒 鳴 り返した。
「断 じて違 うわっ! 不 名 誉 な!」
「不名誉って......」
複 雑 な表情で、汗 を垂 らしてコンスタンスがうめいている。
そんなことには構 わずに、オーフェンは男の胸 ぐらをつかみ上げた。やけくそになってにらみ据 える。
「くっそー......つまり、あれだな? コギーの義 理 の兄ってことは......あんた、ハウザーとかいう奴 なんだな?」
「うむ。エドガー・ハウザーという名前を自 己 紹 介 しつつ名 乗 った」
「てことは......その......あの──あの──」
言葉が続かずに──オーフェンは、震 える自分の腕を見下ろした。脂 汗 が額 に浮かぶのが分かる。首を絞 め上げられているのが自分であるような錯 覚 に、呼 吸 までが困 難 になっていく。
「分かっている......」
そっと、静かな声。男の──つまり、エドガーの声。
落ち着 いて涼 やかな、抑 揚 のない言葉で、彼が告 げるのが耳に入った。
「わたしの父、カーマディ・ハウザーは今 際 の際 にこう言った」
「え?」
「わたしが生まれた時、東の空にオレンジ色の光が降 りるのを確かに見たと」
「ほう」
「だがその直後に、『嘘 ぴょーん』と言って天 に召 されたのだ。偉 大 な父だったとは思うが、死ぬ前に嘘をつく人間は果 たして善 人 なのか悪人なのか。遺 族 の意見はまっぷたつに分かれた」
「......微 妙 に興 味 深 いよーなどーでもいいよーな話だが、それがどうさっきの『分かっている』につながるんだ?」
手をはなしつつ、オーフェンは聞いてみた。エドガーはひとつうなずくと、
「そんないきさつで翌 朝 まで血みどろの殴 り合いをするような一族がいる世の中だから、君のような理 不 尽 な男が存 在 することもむべなるかなと納 得 したしだいだが」
「そーゆうのといっしょにするなっ!」
オーフェンは叫 ぶと、ばたばた地 団 駄 踏 んであとを続けた。
「俺 が......俺が! 今なにを考えてるのか、あんたに分かるか?」
「いや。不明だが」
「あんた確か、アーバンラマ市で工 房 だかなんだかを経 営 してるんだよな⁉ 」
「うむ。それは不明ではない」
「なんでここにいる⁉ 」
「社 用 で」
「ひとりで来たのか⁉ 」
「否 ! 共 同 経 営 者 であり友人であり無 論 最 愛 のひとでもあり参 謀 であり司 令 官 でありスパイであり兵 卒 でもある妻 も、遅 れて来るはずだ」
「......それって義 兄 さんはなにもしてないってこと?」
横からコンスタンスがぽつりと口をはさむのは無 視 して、オーフェンは頭を抱 えてうめき声をあげた。
「あああああああああ! やっぱりぃぃぃぃぃぃ⁉ 」
嫌 な予 感 は的 中 していた──というより、的中しなかったことなどなかったような気もしたが。
「まずいぞ!」
今度はコンスタンスのほうを向いて、断 言 する。
「そうね!」
彼女もきっぱりとうなずいてきた。
その横で、エドガーももっともらしく首を縦 に振 っている。
「そうかもしれんな」
「あんたは関係ないだろ⁉ 」
彼を仲 間 外 れにしてから、オーフェンは改 めてコンスタンスに向き直った。拳 を握 りしめ、下 唇 を嚙 む。微 かに血 の味を感じた──そして、血の臭 いもまた。
「あの女がまた来るらしい......この前あの女が出てきた時には、落とし穴 に落とされるわ、虎 と闘 わされるわ、さんざんだったからな。今度はどんな目にあうか......」
「いいえ! 今回の危 険 は、そんなことじゃないわ!」
コンスタンスがかぶりを振る。
「なに?」
聞き返すと、彼女は顔色を蒼 白 にして続けてきた。
「そんなことじゃないのよ......姉 さんの恐ろしさは......義兄さんといっしょにした時に、真 価 を発 揮 するの」
「真価?」
「こ、怖 くてどんなことかは、口では言えないわ」
頭の両 脇 を手で押さえて、コンスタンスは肩を震 わせた。血の気 の退 いたほおが細 かくひきつっているのも見える。
「ただ、これだけは言えるのよ──姉さんと義 兄 さんを会わせちゃ駄 目 ! 真の恐 怖 を味わいたくなければ!」
「ど、どういうことなんだ?」
わけが分からず、オーフェンは彼女に問いただした。が、コンスタンスは首を振るだけで、まともに答えられないようではあった。ただ──
「マギー家とハウザー家......両 家 の親が相 次 いで早 死 にしたのは......わたしは、このふたりが結 婚 したせいだと思ってるわ。耐 えられるはずがないのよ。あ......あんな状 況 に......いくらなんでも......」
「なんかいきなり大 事 だな、おい」
「そんな大変なことになってるとは、まったく気付いていなかったぞ」
「気付けよ、あんたはっ!」
また横から無責任な口 調 でつぶやくエドガーに叫 んでから、オーフェンは決 意 を新 たに拳を握りなおした。
「くそ......日 夜 、平和な街 に危険と犯 罪 と不 安 を振りまいているこの無 能 警 官 がここまで恐 れる以上、どうやら本物のようだな。対 策 を練 らなけりゃならん」
「なんであなたにそこまで言われなきゃならないのか分からないけど、対策は確かにその通りね。手 遅 れになる前に、なんとかしなくちゃというのは前向きだわ。というわけで義兄さん、姉さんはいつ来るの?」
「うむ」
彼は懐 から懐 中 時 計 を取り出すと、あっさりと言ってきた。
「待ち合わせの時 刻 まで、あと一時間ほどだな」
ぶッ──
とオーフェンはコンスタンスと示 し合 わせたように同時に、吹 き出した。
「一時間ん⁉ 」
聞き返す声も裏 返 っている。オーフェンはとりあえず振り向いた──なんとなく、もうすぐそこに来ているのではないかと思えたのだ。
「とりあえず、宿 にもどりましょう」
コンスタンスが、つぶやく。
「そうだな」
オーフェンは応じて、ぽきぽきと指を鳴らした。かぶりを振ってつぶやく。
「時間がねえ以上、もたもたしてられないな。急がないと」
と、やはり横から、エドガーが口をはさんできた。
「時は金なりと言う時間も惜 しい、と昔 からよく言うからな」
「言わないけど、まあそうだ」
うなずいて、歩き出す。と──
「あ、あのう......」
か細い声が聞こえてきた。道に倒 れたまま放 置 されていた、黒こげの警官である。
「三 等 官 、わたしらの仇 は......」
「うるさいわね! そんな場合じゃないって言ってるでしょ⁉ 」
「ぎゃああああ!」
げしげしと警官を蹴 りまくるコンスタンスに、オーフェンは口を開いた。
「おい、コギー。そんなことしてる暇 はねえだろ。急ぐぞ!」
「そうね。無 駄 なことに体力を使ってしまったわ」
「ひどすぎるぅ......」
めそめそと泣き声をあげる警官をあとにして、宿屋に急ぐ。
「はっはっは。なんというかこう、共通の目的を持って巨大な敵 を迎 え撃 つというのは、なかなかに胸 が躍 るものがあるというかないというか」
「ないのか、おい。まあそれはそれとして、なんであんたがついて来るんだ?」
ごく当 然 のようにぴったりとあとをついて来るエドガーに、オーフェンは聞いた。
と、横からコンスタンスがこちらを制 してくる。
「待って。ふたりを接 触 させないために、片方をこちらの手で拘 束 しておくというのは意味があると思うわ。最 悪 の場合、義 兄 さんを消してしまうこともできるし」
オーフェンは、とりあえず歩きながら、彼女から後 ずさりした。
「......いきなりとんでもなく怖 いこと言うなあ、お前」
「うふふふふ......あんな恐 怖 と絶 望 をまた味わうくらいなら、いくらでも悪 魔 になれるのよぅ」
完全に据 わった眼 差 しで、うめく彼女。
他 人 事 のように、エドガーがつぶやくのが聞こえた。
「うむ......共 食 いして増 えるザリガニを減 らす手 段 などない、と昔から言うわけであるしな」
「言わないうえに、わけ分からん」
オーフェンはきっぱりと断 言 して、とにかくひたすら、いつもの宿へと足を速めた。
バグアップの宿は、いつものように客の姿 もなく平 穏 だった。
ばたん、と扉 を開 けると、横からこちらの腕 をすり抜けるように、素 早 くコンスタンスが店に入っていく。彼女はきょろきょろと左右を見回し──そして、厨 房 からトレイを持って出てきたウエイトレスを見つけると、
「ボギー!」
彼女の名前を呼んだ。栗 色 の髪 、白い肌 、ふわふわした淡 い瞳 の女である。彼女は目をぱちくりさせて、口を開いた。
「あらどうしたんですの、コギー姉様。なんだかすごい形 相 ですけれど──」
「姉さんが来るわ」
コンスタンスが、即 答 する。ボギー──ボニー・マギーの動きが、ぴたりと止まった。
間 髪 を入 れずに、コンスタンスが続ける。
「義 兄 さんもいっしょに」
「やは」
横を見ると、片手だけを上げてエドガーが挨 拶 していた。
ふっ......と。
糸が切れた人形のように、ボニーの身体 が床 に落ちた。そのあとを追って、彼女の持っていたトレイが乾 いた音を立てて落ちてくる。ころころと床を転 がるトレイを見つめながら──コンスタンスが、そっと目 元 にハンカチを当てるのが見えた。
「あああ......かわいそーなボギー......」
「すごい威 力 だな。一 撃 か」
ボニーは完全に失 神 しているようで、ぴくりとも動かない。砂 袋 で殴 ったところでここまでにはならないだろうという気が、オーフェンにはした。
「なるほど。妻 とともに実 家 を訪 ねると、この子が意 識 を保 っていたことがなかったのは、こーゆう仕 組 みだったのだな」
あごに手を当て、納 得 したようにこくこくとうなずくエドガー。
オーフェンはとりあえず軽いめまいなど覚 えながら、コンスタンスのところまでいった。彼女は慣 れた様 子 でボニーを仰 向 けにして、手でぱたぱた扇 いでやっている。
「にしても──いったいどうするんだ? なんかどこまで逃げても、無 駄 な気もするし」
「そーねー......姉さんがその気になったら、隠 れられる場所なんてどこにもないわ。飼 い葉 の中に落とした指 輪 を二秒で見つけるんだもの」
「はっはっはっ。すごかろう」
「あんたじゃないだろ」
胸を張って得 意 がるエドガーにすげなく告 げて、オーフェンはうめいた。
「となると......迎 撃 戦 か。奇 襲 と罠 は得 意 とするところではあるぞ」
「............」
ふと顔を上げると、不 思 議 そうにコンスタンスがこちらを見ている。
オーフェンは首を傾 げた。
「......どした?」
「なんか今回は、いつになく協 力 的 ね」
「よくは分からんが、無 茶 苦 茶 をしでかす姉と戦うのは俺のライフワークな気がするんでな」
「確かによく分からないけど......」
「よし! とりあえず作 戦 を練 るぞ!」
と、その時だった。
「お待ちくださいぃぃぃっ!」
声が響 く。あとは一 瞬 だった。天 井 が裂 け、そこからタキシード姿の銀 髪 青 年 が、くるくると回 転 しながら落ちてきた。すたっ、と床 に降 り立つと、彼は優 雅 に一 礼 し──
「我 は放 つ光の白 刃 っ!」
オーフェンの解 き放った魔 術 の光の中に呑 み込まれた。
爆 発 が、食堂のテーブルやら椅 子 やらを吹き飛ばす。炎 が消え、そして、
「......なぜです?」
まったく無 傷 なまま、にゅっ、と背 後 から復 活 してきたのは、彼だった。
「ああ......また無駄なことをしてしまった......分かってはいたのに......」
オーフェンは、かぶりを振って悔 やんでから、告げた。
「いや、こーゆうせっぱ詰 まった時にお前が出てきて、役に立ったことってないだろ」
「これは手 厳 しいですな」
はっはっ、と自分の額 を白 手 袋 の手で叩 きながら、その男──
「キース!」
コンスタンスが、その男の名を呼んだ。怒 った様子で口を尖 らせる。
「今日 はあなたの相手をしている暇 なんてないのよ。さっさともどりなさい」
「これはこれは。コンスタンス様、お言葉ではありますが、マギー家の執 事 としてお嬢 様 方のお世 話 をするのはこのキースめの役 割 でございます......」
と、彼はふと、別の気 配 に気づいたらしかった。いつもにはない気配。銀髪執事の視 線 が、その男のほうに向く。エドガー・ハウザーに。
ごくり......
我知らず、オーフェンは唾 を呑 んでいた。どうというわけではないが。
「エドガー様」
キースが──普 段 にない調子で──軽い驚 嘆 の声をあげる。
「キースか」
エドガーの返事も、今までと違 う重々しいものだった。彼はそのまま目を閉じると、
「......キース。今日は一番か?」
「一番?」
なんとなくオーフェンは聞き返したが──キースはごく当然とばかりに答えたようだった。
「はい、エドガー様。無 論 のこと一番でございます」
「うむ。それは僥 倖 だ」
「ですが」
ぎらり、とキースの目に光が灯 る。
「昨日 は二番でございました」
「なに──⁉ 」
エドガーは、くわっと目を見開いて彼を一 喝 した。
「馬 鹿 な! 誰 だ、つまりは一番であることを脅 かした二番であるべき愚 か者は! いやむしろ、愚か者だから三番だ!」
「それはあまりにも残 酷 でございます、エドガー様!」
「分かっている! しかし──」
「ご安心ください、エドガー様......」
キースは、恭 しく一礼してみせた。
「すべて嘘 でございますから」
「おお」
細い目を大きくして、エドガーが驚 いた様子を見せる。
「やはり、そうか......一番は不 動 であったか。その通りだ」
「おお。さすがはエドガー様」
「いや、嘘だ」
「嘘がお好きですなぁ」

「うむ。嘘同 盟 だからな。いや嘘だ」
「はっはっはっ......」
「............」
なにやら朗 らかに笑い合うふたりを遠くから──話している間に遠ざかったのだ──見つめて、オーフェンはつぶやいた。
「なんだ、あれは?」
「いや、わたしにもよく分からないけど、なんかあのふたりなんだかいろいろと気が合うらしくって」
困 ったように、コンスタンス。確かに困るよりほかにないだろうが。
オーフェンは聞き返した。
「気が合う?──いやまあ、なんかすっごく分かる気はするけど」
「うん。いつだったかしら......なんかふたりして『パペピプペ』だけで会 話 を成 立 させてたわよ」
「聞きたくねえな心 底 」
と──
朗らかに談 笑 していたキースとエドガーだったが、その会話が唐 突 に途 切 れた。
軽く、命よりも軽く、エドガーが懐 中 時 計 を手につぶやく。
「おお。待ち合わせの時間だ」
「────!」
オーフェンらは、静かに顔を見合わせた。緊 張 が走る。ついに、来るのだ──
マギー三 姉 妹 の長 女 。
ドロシー・マギー・ハウザーが。
その同時刻──
夕 刻 の街 外 れに、ひとつの影 が差 した。
小 柄 な女の人影だった。さらりとした長い黒 髪 が、夕刻の緩 やかな風になびいている。黒い砂 の河 のように、ふわりと広がり、なにかを呑 み込 むように。
仏 頂 面 と言ってもいいだろう、愛 想 のない顔に、煙草 を一本くわえている。肩に引っかけただけのコートの下で腕 組 みして。
その人影は、なにも言わないまま──ぷっ、と煙草を吐 き捨 てて、路 上 に落ちた吸 い殻 を低いヒールで踏 みにじると、そのまま街の中へと入っていった。
(つづくみたい)


その時が来ても、街 は静 かだった。街はなにも知らないように、悲 鳴 もあげずに夜を迎 える。それがどれほど苛 烈 な夜であるのか、説 明 する方 法 もないまま、弱 き者たちは街の中で震 えていた......
「問題は!」
テーブルの上に仁 王 立ちになり、大声を張 り上げるコンスタンスに、オーフェンは腕 組 みしてうんうんとうなずいていた──彼女は、拳 を握 って熱 弁 を続 けた。
「姉 さんが既 にこちらに向かっているということなのよ! 時間的な余 裕 はほとんどないわ!」
と──そこまできっぱりと叫 んでから、こちらを見 下 ろしてくる。
「......どーしましょうか」
「結 論 もなしに力 説 してたのか、お前」
ぽつりとつぶやき、オーフェンは肩 をコケさせた。もたもたとテーブルから降 りるコンスタンスを見ながら、うめく。
「さて、どーしたものかって──さしあたっては、だ」
くるりと振 り返 る。オーフェンは食 堂 の奥 のほうへと指 をさした。
「そこ! 他 人 事 のよーな顔してカードで塔 を作ってるんじゃないっ!」
「なに?」
厳 しい顔 つきで、テーブルの上にカードを組み合わせて塔を作っていたエドガーが、意 外 そうな声を発 して立ち上がる。その衝 撃 で、ばらばらと塔が崩 れるのが見えた。彼は眉 間 にしわを寄 せて、びしと叫んできた。
「なんの権 限 があって、そのような弾 圧 を行 う⁉ 貴 様 のその言 動 が、どれほどの罪 無 き人々を苦 しめるか、分からないでもあるまいでも分かるまい!」
「全 然 分からんっ!」
「ぬう。愚 かな男だ。十二分の三くらい愚かだと断 言 することも辞 さんぞ」
「てめえの言ってることが分からんと言ってるんだっ!」
オーフェンはとにかく声を張り上げてから──ぜえはあと息を整 えた。
と、横からぽんと肩を叩 かれる。向きやるとコンスタンスが、なにやら沈 痛 な面 持 ちでかぶりを振っていた。
「無 理 よ......義 兄 さんと会 話 なんて......」
「いや......なんか、すごい認 識 だな、それは......」
ぞっとしながらうめいて、オーフェンはふと気づいた。あたりを見回す。
「って、あれ? キースの奴 はどこだ? さっきまではいたよな?」
食堂には、床 に倒 れたままのボニーを別とすれば、三人しか残っていなかった。再 びカードで塔を作り始めているエドガー。そして、オーフェンと、そのすぐ横にいるコンスタンスである。
キースの姿 はない。
「そういえば、どこかしら......まあ、いないほうがめんどくさくなくていいけど」
「うむ。わたしもそう思ってだな──」
と、いきなりきらりと目を輝 かせ、エドガーが間 に入ってくる。妙 なポーズで、斜 めに傾 きながらも直 立 して。
「......仲いいんじゃなかったのか、お前ら」
半 眼 で指 摘 するオーフェンは無 視 して、エドガーは淡 々 と続けた。
「──とりあえず、妻 を案 内 するようにさっき言い渡 したのであったことを記 憶 にとどめている」
「きゃあああああっ⁉ 」
頭 を抱 えて、コンスタンスが叫 び声をあげる。少しうるさそうにエドガーは彼女を見つめ──
「なぜ叫ぶ」
「なぜもなにもあるかっ⁉ 」
答えたのは、オーフェンだった。重 力 の理 などものともせずに平 然 と斜めに立っているエドガーの胸 ぐらをつかむと、顔の近くまで引き寄せ、
「人がこーまで大 騒 ぎして、あの不良ビジネスウーマンを遠 ざけようとしてるってのに、どーしてそーゆう致 命 的 なことをする⁉ 」
「もとよりここが待 ち合わせ場 所 ではなかったので、わたしがここにいることを伝 えたかったと燃 える胸に秘 めている」
「そうだろうと思ってたわい! にしても──くそ、キースのことだ。ここぞとばかり、おっそろしく迅 速 にあの横 暴 社 長 を連 れてくるに違 いないぞ!」
「敵 ながらあっぱれと言うよりほかあるまいな」
敵なのかとかほかにもいろいろと指摘したい部 分 はあったが、いちいち突 っ込 んでいてはきりがなさそうだった。オーフェンはいらいらとエドガーを手 放 すと、頭を抱えたまま床 に座 り込んでいるコンスタンスへと向き直った。
「コギー!」
「.....................ふぁい............」
「燃え尽 きてる場 合 じゃねえぞっ! こーなったらもはや最 終 危 機 だ! とれ得 る手 段 をすべてとる!」
「....................................そうね」
長い長い沈 黙 を含 んだ返 事 を、コンスタンスが返してくる──
彼女は病 人 のようにふらりと立ち上がると、わななく両 手 を無 理 やりに握 りしめた。真 っ白 になっていた瞳 に、炎 が灯 る。
「くじけてなんていられないわ......戦 わなくちゃ。あんなものを見るのは、もうごめんよ。全世界の人々の平和のためにも、宇 宙 の正 義 のためにも、負けてはいけないのよ」
「いや、そこまででっかいことは言わないでもいいが......」
「なに言ってるの、オーフェンっ⁉ 」
ぎん、とこちらをにらみつけて、コンスタンスが語 気 を強 める。
「甘 すぎるわ! この前あなたが姉さんから被 った被 害 なんて、今回の危機に比 べたら蠅 みたいなもんよっ⁉ 姉さんと義 兄 さんを会 わせてはいけないわ。絶 対 に」
「......なんで?」
少し気 迫 に押 されながら。オーフェンは聞いてみた。瞬 間 、コンスタンスの表 情 が歪 む。一 気 に生気を抜 き取 られたように、彼女はしおしおと後 退 していった。
「い──言えないわ。 あんな......恐 ろしいことは」
「ンなこと言われても」
「と、とととととにかく、地 獄 を見たくなかったら、姉さんを追い返すよりほかにないわ。手段はあるの?」
「ばっちりだ!」
オーフェンは右手でオーケイのサインを出して、きっぱりと告 げた。
「俺 がキースをあしらうから、お前は自分の姉をなんとかしろ」
「うっ......なんかそれって、わたしが一 方 的 に損 しているよーな......」
「ほーら。眠 くなーる眠くなーる」
「そんな指 をにょろにょろさせて催 眠 術 なんてかけたってごまかされないわよっ!」
「ちっ!」
舌 打 ちして、オーフェンは引き下がった。彼女に背を向けて毒 づく。
「仕 方 ない。現 実 的 にいこう。お前はここでエドガーを見張ってろ。俺がドロシーを全 力 で追い返す」
「キースは?」
「あいつの場合、なんとかなってもなんとかならなくても大差ないだろ。とゆーわけで、お前はここで、とにかくあのたわけ男を確 保 しておけよ。ちょろちょろ外に出られたんじゃ、いつばったり出くわすか──」
と。
エドガーに指を向けて、言いかける。その声が、自分でも意 識 しない間に途 切 れた。見ると、コンスタンスもほうけたようにその指の指 し示 す先を見つめている。
そこにはもう誰 もいなかった。
床 に倒 れているボニーだけ。エドガーの姿は消え失 せている。
「............」
しばしの沈 黙 。コンスタンスが、ぽつりとつぶやくのが聞こえてきた。
「......もしかして、待ちきれなくなって姉さんを迎 えに行ったのかしら」
「どーしてこう、人の計画を根 底 から壊 しまくるんだ、お前らはぁぁっ!」
叫びながら、オーフェンは食堂の外へと駆 け出していった。
外はもうすっかり陽 が落ち、夜の影 が街 並 みをおおいつつあった。まだしもその闇 を遠 ざけているのはあちこちの窓 の奥からにじみ出す明かりだが、いずれはすべて溶 けて消えるだろう。
道から人通りがなくなるのは、この場合には好 都 合 だった──どこを歩いているか分からない人間を捜 さなければならないのだから。その幸運に感 謝 するつもりもなかったが、オーフェンは夜の道を駆 けながらあたりを見回していた。
「オーフェェェェン!」
後ろから、コンスタンスが追 いかけてきている。彼女は大声で聞いていた。
「あてはあるのぉぉ⁉ 」
「あるか、ンなものっ!」
やけくそで叫 び返して、走り続ける。
コンスタンスにはそれが意 外 だったのか、さらに悲 鳴 じみた声を返してきた。
「ないのぉぉっ⁉ 」
「どないせっちゅーんだ、あてずっぽうのほかになんかあるかっ⁉ 」
「ないけどぉぉっ!」
「そーんな時は──」
声は、唐 突 に響 いた──上 空 から。
「──わたしにお任 せくださいぃぃっ!」
見上げる。と、夜 空 からなお暗 い影が、大きくコウモリのような翼 を広げて舞 い降 りてくる。大きな笑い声。ばさばさという羽ばたきの音。回 転 しながら落ちてきたのは──
ごがぎっ!
路 面 に激 突 すると、正 体 は明 確 になった。完全に壊 れた姿 勢 で、タキシード姿の銀 髪 の男が倒れている。走っていたオーフェンとコンスタンスのちょうど中 間 点だった。とっさに足を止め──腕 を振 り上げる。
「我 は放 つ光の白 刃 っ!」
オーフェンが放った光 熱 波 は、空気を引きちぎるようにして白い光をまき散 らし、キースの突 き刺 さった地 点 へと収 束 した。爆 音 がトトカンタの夜を震 わせる。
そして......
爆発が消えた時。にゅっ、と背 後 から、その銀髪の男──キースが無 傷 で顔を見せた。
「......なぜです?」
「ああ......分かっていたはずなのに......俺はまた無 駄 なことを......」
いろいろと悔 やみながら顔を上げ、オーフェンは振り向いた。
しみじみと聞く。
「お前ってさあ......ひょっとして死なないのか?」
「はっはっはっ、たまにおかしなことを聞きますな、黒 魔 術 士 殿 は」
腕組みし、きらりと歯 を輝 かせて、キース。少し遅 れて、少し焦 げた(多 少 巻き込まれたらしい)コンスタンスがふらふらと姿を見せた。恨 めしげに、声をあげる。
「キ〜イ〜ス〜」
半 眼 で、彼女はキースへと詰 め寄っていった。
「どーゆうことなの⁉ わたしが引っ込んでいろって言ったのに、義 兄 さんの言うことを聞くなんておかしいじゃない!」
「うっ......コンスタンス様、それは誤 解 でございます!」
痛 いところを突 かれたように、ふらふらとキースが後 退 する。彼は頭を抱 えてかぶりを振った。
「ああ......板 挟 みに苦 悩 するわたし......」
「実に楽しげに見えたが」
オーフェンは冷 たく告 げたが、キースは聞いた様 子 もなく白いハンカチをくわえて震え声をあげた。
「実に心苦しいのです、コンスタンス様──無 論 、わたしはマギー家の執 事 。お館 様 亡 きあとは、お嬢 様がたのお幸 せのみを願って働 いて参 りましたし、これからも永 遠 にそのつもりでございます」
「しあわせ......」
まるっきり未 知 の単 語 のように、棒 読 みでコンスタンスが繰 り返 す。オーフェンは横から聞いてみた。
「幸せだったか? お前」
「う〜ん。オーフェンがお腹 すかせて干 からびながら泣いてたり、しかも泣きながらああ涙 の水 分 がもったいないとか言ってるのを聞いてると、得 も言 われぬ温 かい気持ちになれることがあるけれど」
「......なんか急にこのコウモリ執事の言うことに説 得 力 を感じてきたぞ」
「そうでしょう! 黒魔術士殿」
がばと腕にしがみつき、キースが言ってくる。
「というわけで、わたしとしては、お嬢様がたすべてのために働きたいのです──が、その利 害 が対 立 した時! わたしはどうすれば良いのでしょう⁉ 」
「できれば、なんもせんでもらいたいんだが」
一 言 でオーフェンは告げたが、やはりキースは聞いた様子もなく、
「ああ! わたしにできること──それはっ!」
ぐっ、と拳 を握 り、断 言 してくる。
「ただひたすらにあわてふためき、荷 車 を引き回しながら巨 鳥 カゲスズミノコギリコバトを従 えて台 風 とともに北 上 することではないでしょうか⁉ 」
「なんでだっ⁉ 」
激 しく聞き返したが、結局キースはまったく聞く耳なく、くるくると回転し始めた。
「というわけで、黒魔術士殿、わたしは準備をして参ります!」
そのまま、道の向こうへと去っていこうとする──
とりあえず止める理 由 も思いつかず、オーフェンはコンスタンスと顔を見合わせた。つぶやく。
「まあいいか......あの様子じゃ、ドロシーにエドガーの居 場 所 を知らせたようでもないみたいだし......」
「そうね」
が。
「いえ、それはきっぱりとご報 告 して参りました」
「だから、なんでだっ⁉ 」
いつの間にかまた背 後 へと帰ってきていたキースへと怒 鳴 り声をあげる。が、
「はーはははははは......」
キースは高笑いをあげながら、回転して今度こそ道の向こうへと消えていった。
「ええい、とことん迷 惑 な」
「あ!」
思いついたように、コンスタンスが声をあげる。顔を向けると、彼女は手を振りながら言ってきた。
「姉さんに知らせたっていうんなら、キースから姉さんの居場所を聞けばいいんじゃないかしら」
「いや」
オーフェンはきっぱりと否 定 した。
「キースを捕 まえようとするのは無 駄 だし、尋 問 するのはもっと無駄だろう。とりあえず、俺たちで捜すしかねえだろうな。どのみち──」
と、頭の中にトトカンタの地 図 を思い浮 かべる。もとよりそういったことは《塔 》でも訓 練 されていたこともあって得 意 だった。
想 像 の地図に印 をつけながら、声に出す。
「まさかアーバンラマから陸 路 で来るわけがねえだろうし、ドロシーがこの街 に入ってきたのは河 川 港 からだろう。キースの奴 がすぐに彼女を発見できたのは、しばらくそのあたりにいたからじゃねえか? 河川港のあたりでエドガーの居場所を聞いて、そこからバグアップの宿 屋 に向かうとしたら......」
オーフェンは決心して、顔を上げた。
「とりあえず、河川港と宿屋の中間地点に行こう。ドロシーは宿屋を目 指 しているんだろうし、エドガーは当 然 河川港へ向かってるんだろ。少なくともどっちかを捕 捉 すれば、なんとかなる」
「でもそれ......危 険 じゃない?」
不安そうに指をくわえて、コンスタンス。実 際 彼女は、怯 えているようだった。
「ちょうど、姉さんと義 兄 さんがばったり出くわしたところに居 合 わせちゃうかも......」
もとよりその危険性を考えていなかったわけではないのだが、実際に言われてみると決 意 がしぼむ。オーフェンはほおをかきながらぼやいた。
「......それもそうなんだよな。いっそのこと全部ほっといて、ほとぼりが冷 めるまで隠 れとくか?」

「駄 目 よっ!」
唐 突 に態 度 を変えて、コンスタンスが叫び声をあげた。
「姉さんは絶 対 にわたしたちを捜し出すわっ! 姉さんは......あ、あああれを、人に見せたくて仕方ないんだから......わたしには分かるのよ」
怒 っているのではない──がちがちと歯を鳴らし、コンスタンスがそんなことを口 走 る。
オーフェンは憮 然 と聞き返した。
「あれをって、なにをだよ」
「それは恐 ろしくて言えないってさっきから言ってるでしょ⁉ 」
「いや、だから、それじゃなんだかさっぱり......」
「行くわよ! オーフェン!」
いつになく強い調子で、こちらの腕をつかんで歩き出す彼女に特に抵 抗 する理由も思い浮かばず、オーフェンはついていった。とりあえず、さっきの話通りに、河川港へと向かっているようだが。
(ってもなぁ......)
自分で言ったことではあったが、ふと思う。
(偶 然 ばったりって、そうそうあるもんじゃねえんだ、これが。まあだいたいのあたりをつけて、そこいらを適 当 に捜してみるしかねえってことか。完全なあてずっぽうよりマシだけど)
結局のところ、先 刻 自分が言ったことはそれだった。上 策 とは言えないが、それしかできない時はそれをするよりほかない。とりあえずは──黙 って、河 川 港 へと向かうこと。宿屋との中間点に着 いたら、そこからまた考えればいい。あくまで河川港に進んでもいいし、宿屋にもどったほうがいい場合もあるかもしれない。
問題は、トトカンタがあまりにも広いということだった。
トトカンタ市は広 大 な街 である。自 治 性 も強く、東 部 にある自治都 市 アーバンラマなどよりもむしろ実質的に王 都 に対して独立しているかもしれない。そして、それゆえに広大に発 展 した街だった。
どこをどう切り取っても〝偶 然 ばったり〟に適 した街 ではない。
「あら、妹 」
「姉......さん⁉ 」
──などという偶然が、あろうはずも......
オーフェンは半 眼 になって、前方を見 据 えた。
長い黒 髪 。肩にかけただけのコート。すねたような唇 に、不 機 嫌 そうな細い眉 。
ドロシー・マギーが、そこに立っていた。
「......あるもんなんだな、偶然って」
オーフェンは静かにつぶやいたが、聞いていてくれた人間はいなかったようだった。コンスタンスが、今までつかんでいたこちらの腕をばっと放 し、身 構 える──道の行く手に不 意 に現 れた、小 柄 な姉に対して。
「ね、姉さん⁉ なんでこんなところにいるの⁉ 」
が──
ドロシーは特に答える様子もなく、すたすたとこちらに近づいてきた。足音もろくに立てずコンスタンスの目の前にまでやってくると、
「出 迎 えが遅 れてごめんなさいお姉さん、でしょ」
がすっ。
一息につぶやくと同時に、妹の顔 面 に裏 拳 を叩 き込む。あっけなく、ぽてとコンスタンスが倒れるのが見えた。
「えーと......」
オーフェンは、しばし言葉を選んで思い悩 んだ。人差し指を一本立てて、聞いてみる。
「そうでなくて、多分俺 らは、あんたが河川港から入 都 したんだろーなと思ってたんだけど、それにしちゃあ出会った場所が宿に近すぎるかななんて──」

ばしっ!
ドロシーが放った裏拳を両手で受け止めて、オーフェンは冷 や汗 を一 筋 垂 らしながら言い直した。
「出迎えが遅れまして申 し訳 ありませんたらありません、ドロシーさん」
「よろしい」
彼女は無表情でそう言うと、手を引っ込めて懐 からシガレットケースを取り出した。煙草 を一本くわえてから火を点 け、
「乗 り合 い馬 車 を調 達 してここまで来たのよ」
「日 暮 れ以後は危 険 だからってことで、乗り合い馬車は走ってなかったよーな」
「調達したのよ」
「......さいですか」
どうやってだろう、とは聞かないほうがいいらしいと判 断 して、オーフェンは聞き直した。
「ええと......エドガー......さん、とは、もうお会いになりましたでしょーか?」
「亭 主 ?」
彼女は、ぴくりと眉 を上げ、こちらを見上げてきた。
「まだよ。あの宿にいるんじゃないの?」
「いえ」
「そう」
「............」
「............」
しゃべることがなにもなくなったことを、素 直 にオーフェンは認 めた。そして──
彼は、くるりときびすを返した。
「じゃ」
「待ちなさい」
むんず、と後 ろ襟 をつかまれて立ち止まる──というより、立ち止まるよりほかになかったのだが。肩 越 しに振り向くと、ドロシーが無 愛 想 な眼 差 しでこちらを見つめていた。
彼女はくわえ煙草のまま、言ってきた。唇が動くたびに赤く丸い火も揺 れる。
「亭 主 が宿にいないって、どういうこと?」
「いや、なんかあんたを出迎えに出てっちゃったよーなんだけど......」
「どーして?」
「さあ......」
一番正しい答えは〝あの男だから〟ではないかと思いながら、オーフェンは言葉を濁 した。うまく説明できる自信がない。
「なんにせよ、宿に行ってもあいつはいないから、ここは一発、なにもかも夢の中のできごとだったということで、このまま帰るのを勧 めたい──」
言いかけて。
オーフェンは、息を止めた。
こちらを見ているドロシーの、肩の向こうに──飄 々 と歩く男の姿 が見えた。感情の分からない、ひょろっとした男。間 違 いなく、エドガーだった。偶 然 出くわした......というより、こちらは予 想 通り、河 川 港 へと向かう途 中 なのだろうが。
エドガーはまだこちらに気づいていないのか、通りをゆっくりと横切っていくところだった。そのまま、通り過ぎようとしている。
「............?」
と、ドロシーが目をぱちくりさせるのが見えた。こちらが硬 直 したのを不 審 に思ったのだろう。ゆっくりと、断 末 魔 の一 瞬 に見る映像のようにスローモーに、オーフェンの視 線 を追って振り向こうとする──
(振り向かせるわけにはいかない!)
唐 突 にそれに気づいて、オーフェンは一 気 に緊 張 から解 き放 たれた。
「うわあああああああっ!」
とりあえず、叫 び声をあげて、彼女から後 ずさる──彼女の手を振り払い、オーフェンはとにかく思いつくまま叫び散 らした。
「ああっ! あんなところに、やっぱりそーゆう感じのあんなものがっ!」
あさっての方向を指さす。
実 際 に行動を起こしてから、それがそもそもどういったことだったのか理 解 するということが、オーフェンにはよくあった。今回も同じである。
どんな結果が待っているのか。オーフェンは、横目でドロシーを見やった。一応狙 い通りに、彼女はこちらの声に気を取られて、背 後 を見ることは忘れたようだった。ただじっと冷 淡 な眼 差 しで、こちらを見つめている。
「............」
「............ええと」
オーフェンは、再 び指さした方向を見上げて、
「あのビルの窓 に、花 柄 のカラスが......」
「いたの?」
「いたらいいなぁって......」
「馬 鹿 ?」
「ううう......」
後 悔 の涙 を流しつつ、オーフェンは腕を下ろした。そして、ドロシーに向き直り、はっとする。ドロシーの気を逸 らしたのはいいが──
その向こうで、エドガーの興 味 まで惹 いてしまったようだった。彼はこちらを向いて、近づいてこようと身体 の向きを変えている。そして、声をかけようとでもいうつもりなのだろうか。彼が右手を挙 げて口を開くのが見えた。
「やあ、ダー──」
「我 は放 つ光の白 刃 っ!」
こちらの声のほうが大きかった。そして、轟 く爆 音 もまた、エドガーの声を塵 のようにかき消す。光は弧 を描いて彼の足 下 に突 き刺 さり、巨大な爆発を起こした。
「............?」
さすがに今度は、その爆発のほうをドロシーも振り向いた。もうもうと上がる熱 波 と煙 の中に、エドガーの姿は見えなかったが。
「えーと......」
オーフェンは、しばし考えてから──
「テ、テロリストだ! 近 頃 噂 の、錆 びた釘 団 ! こんなところでまた爆発! なんてことだ!」
「明らかに、あんたの仕 業 じゃなかったかしら」
さほど興味があるふうでもないが、ドロシーが言ってくる。オーフェンは口ごもったが、なんとかぎりぎりのところでくじけなかった。
「あ、いや、だから......俺です。静かにしろ殺しちゃうぞ俺はテロリストだ!」
「馬鹿大会?」
「ううう......」
泣く。力 無 く。が。いつまでもそうしてはいられなかった。オーフェンは、くるりと振り返ると、
「起きろ、コギー!」
倒れたままだったコンスタンスを軽く蹴 って叫 ぶ。彼女は──寝 たふりだったのかもしれない──すぐにむくりと起きあがると、
「あなた、テロリストだったの?」
「ちょっとした疑 問 のように聞くなっ! 状 況 はだいたい想 像 つくだろ⁉ 」
「なにが?」
本気でなにも分かっていない表情で、首を傾 げてくる。
「うがああああっ!」
オーフェンは怒 鳴 りつつ、ドロシーの肩をつかんでコンスタンスへと突き出した。押しつける形で、言う。
「いいから、とにかくこいつを連れてどこまでも行けっ! どこまでも遠くに! できれば異 世 界 とかがいいぞ!」
「異世界は無 理 だけど......」
コンスタンスは困 ったように言ってから、
「いったいどうしたわけ?」
「いるんだよ すぐそこにっ!」
「誰が?」
聞き返してきたのは、コンスタンスではなく、ドロシーだった。コンスタンスのほうは、さっと顔 面 を蒼 白 にして、こくこくうなずいている──どうやら、ようやく察 したらしい。
「姉さん!」
わざとらしいほどの大声で叫ぶと、彼女はドロシーへと向き直った。ぱんぱんと肩をたたいて続ける──震 える声で。
「え、遠 路 はるばる疲れたでしょう? わたしが思うにすぐさま休んだほうがいいと思うの! あっちのほうが休みやすそうな感じがしない⁉ 」
「確かにまあ、馬鹿フェスティバルのせいでこのあたり火の海になりかけてるみたいだけど......」
馬鹿フェスティバルとは自分のことだろうかと思いつつ、オーフェンは先ほど魔 術 で爆 破 したあたりを見やった。石 造 りの歩道は炎 上 などしないが、いまだに熱 波 が火 柱 を作っている。
「そうよ姉さん! 火の海にいたらお肌 も乾 燥 するしあんまり良くないわっ! 火傷 も痛いし。というわけで、こっちにずかずか毎 分 一キロくらいのスピードで進んだほうがいいと思うの──」
分かるような分からないようなことを言いながら、コンスタンスがドロシーの背中を押して、別の通りへと消えていく......
途 端 に夜は静かになった。遠ざかっていくけたたましいコンスタンスの声をのぞけば、遠くより聞こえてくる消防隊の鐘 の音 が澄 んだ夜 気 にこだましている。消防隊はこちらを目 指 して進んできているのかもしれないが、しょせんは魔術の炎 である。可 燃 物 にでも改 めて引 火 しない限り、一分も経 たず消えるはずだった。消防隊がたどり着 いた頃 には、道に破 壊 跡 しか残っていないだろう。
それがまったく問題にならないというわけでもないだろうが──とりあえず完全にふたりの姿が消えるを見送って、オーフェンは、安 堵 の吐 息 をついた。
「ふう。これでなんとか最悪の事 態 は脱 したか......」
「完全犯 罪 は完全なる犯罪ではなく完 璧 なる犯罪と呼ぶべきだとは思わないか?」
「おおおっ⁉ 」
いきなり横から話しかけられて、オーフェンは大きく飛 び退 いた。見ると、無 傷 のエドガーがあごに指を当てた腕 組 みのポーズで立っている。彼は何 事 もなかったかのように、平 然 とした様 子 でぐるりとこちらを向くと、あとを続けた。
「というのも、人間は完璧を望 むことはできても完全は望めぬや否 や」
「だからさっぱり分からんっちゅーに」
「哲 学 とはそーゆうもんだとは思える日は来ないか?」
「哲学だったのか? それ自体が発見だな」
「ありがとう」
「ほめてないぞ、念 のため」
オーフェンはきっぱりと断 言 したが、エドガーはまったく構 わないのか、無 言 でまたまっすぐ前へ向き直った。
「一杯のトロピカルバナナサンデーは、二杯のトロピカルバナナサンデーを無理に食べるよりも常 に美 味 い と言った男がいる」
「ほう」
「お腹 が冷 えてはいけないという大事な教えだ」
「違うと思うぞ。まあ、トロピカルバナナサンデーってのもどうかとは思うが」
言いながらオーフェンは、エドガーの後ろ頭をがっしと鷲 摑 みにした。そのまま彼を引きずって、歩き出す──先 刻 コンスタンスらが消えたのとは反対方向に。
「ところで貴 様 、わたしをどこへ輸 送 するか決めた前か後か?」
「ああ。とにかくあのドロシーのいないところへ行くぞ」
「理由が分からんが」
ポーズをまったく変えないまま引きずられて、エドガーが首を傾 げる──おかげで引きずっていく方向が少しずれた。
オーフェンはため息まじりに
「実は俺にもよく分からん」
「うむ......事情を知らない男ふたりが逃げてゆく。風に追われ孤 独 の丘をと言いたいところだが男ふたりだしな」
「......そこが結論なのか?」
いろいろとあきらめながら、オーフェンはぼやいた。
とにかくエドガーを引きずったまま近くの路 地 に入り──
そして、向こうから歩いてくるコンスタンスとドロシー発見した。
「............!」
しごく当然というようにこちらに歩いてくるふたりに、理性は活動を停止したが──反 射 神 経 は迅 速 だった。頭をつかんだままのエドガーを、上に放り投げるのと同時、魔術の構 成 を解 き放 つ。
「我 は駆 ける天 の銀 嶺 !」
重 力 を中 和 する。だが、跳 ぶのは自分ではない──呪 文 とともに、エドガーの身体 が冗 談 のように天高く飛び上がっていく。すぐわきにあるビルの屋 上 の向こうへと、そのひょろりとした男の姿は消えていった......
ぜえはあと肩で息をしている間に、コンスタンスとドロシーが近づいてくる。ドロシーは無 表 情 のまま、くわえ煙 草 で聞いてきた。
「......今あんた、亭 主 っぽいものを放り投げてなかった?」
「さ、さささささあ、そんなわけがあるわけないと思いたく思います」
「なんか微 妙 に義 兄 さんの口 調 がうつってるわね」
他 人 事 のようにつぶやくコンスタンスに──
オーフェンは、詰 め寄った。ほとんど鼻 が触 れるほどに顔を近づけて、小 声 で問いつめる。
「な・ん・で! こんなとこに出てくるんだ⁉ お前、まったく反対方向に行っただろーがっ⁉ 」
「あはは。このへんの地 理 、ちょっと不 慣 れなのよね」
「だからって脈 絡 なく現 れるんじゃないっ! 人がちょぉっと安心したら、いちいちそいつをぶち壊 しやがって!」
「わざとじゃないのにー」
しゅんとしたようにうめくコンスタンスから離れて、オーフェンは自分のこめかみを押 さえた。軽い痛みを感じつつ、毒 づく。
「ったく......この無 能 警 官 は、騒 ぐのは自分のくせに、いちいちややこしいところでヘマばっかしやがって......」
そして、見上げる。エドガーがどこに飛んでいったかは定 かではないが──恐らくは、ビルの屋上か、向こう側だろう。さしあたっての危 機 は回 避 したらしいが、すぐにエドガーを捜 さなければならない。
「ちゅーわけで、俺は行くからな。お前、今度こそ俺の行くところに出てきたりすんなよ」
「分かってるわよ」
コンスタンスに念 を押しつつ、振り返る。そして。
エドガーを捜すために一歩踏 み出 した時、オーフェンは異 変 に気づいた。最初は小さな音だった。どうでもいいような、細 かく小さい振 動 音 。地 鳴 りと言ってもいい......そんな振動。
「?」
見ると、コンスタンスも、きょとんと疑 問 符 を浮かべていた。ドロシーはまったく無 反 応 だが、気づいていなかったわけではないだろう。地鳴りは、はるか遠くから聞こえてくるようで──実際にはさほど遠くもないようだった。方向は明 確 に知れる。オーフェンは向き直った。自分が歩いてきた方向である。
様 々 な学 習 効 果 が、彼に危 険 を知らせていた。そして、それと同時に、安心をも知らせていた──すべてが終わるのだと。オーフェンは駆 け出 した。滑 るように、路 地 から飛び出す。そこで、彼は見た。
大通りの向こうから──走ってくる。轟 音 をあげて疾 駆 してくる。
先 頭 にいるのはキースだった。すさまじい形 相 で荷 車 を引きながら走ってくる。荷車には、巨大な生き物がのっかっていた。そもそも巨大すぎて、荷車からはみ出している。鳥のようだった。数メートルはある茶色いひよこ。あるいは太りすぎた鳩 。ぎざぎざの、ノコギリの刃 のような白い羽 根 がスイカのような縞 を身体に作っている。その鳥が、わけの分からない奇 声 をあげていた。
きょるりぉぉぉぉっ!
そこで時は静 止 した。
恐 らく、自分がこれ以上ない驚 愕 の表現をしているだろうことを、オーフェンは自 覚 していた。タイトルを付 けたかったが、思い浮かばない。後 世 の人間は「うひゃあ」とでも呼ぶかもしれない。とにかくオーフェンは無 言 で硬 直 し、ただその暴 走 を見 送 った。
キースと荷車、そしてその怪 鳥 は、彼の横を通り過ぎていき──
そのまま、ビルに激 突 していった。事務所が入る類 のビルだった。夜 間 は人がいない。まるで子供の工作のようにそのビルは破 壊 された。怪鳥がひときわ大きい奇声をあげる。砕 け散 るビル。吹き飛ぶ瓦 礫 。すべてが終わった時には。
ビルは、なくなっていた。キースと怪鳥は、破壊されたビルの残 骸 の上で止 まっている......
キースはいつものように、無 傷 だった。ビルが破壊されるほどの威 力 で真 正 面 から激突したはずではあったが。怪鳥が、くるっくー、と声をあげている。
そして......
コンスタンスがひきつった悲 鳴 をあげるのが聞こえてきた。ビルの残骸を隔 てて、そのわきの路地にいたドロシーと、その夫 エドガーが──さっき放り投げた時に、ビルを隔てた路地まで飛んでいったのだろう──、じっと見つめ合っている。
もう、あとはただ見ることしかできなかった。
ふゥ、とため息をついて、無 念 そうにキースがつぶやいてくる。
「残 念 ながら、台 風 は用意できませんでした......」
「いや......まあ、今さらなにをやらかしたところで、誰 もお前を責 めたりせんだろーけどな......」
「実はその代 わりに、この小 箱 のなかにオオムラサキモンシロキアゲハを」
「......何 色 なんだ?」
キースが懐 から取り出した黒い小箱のことは適 当 に受け流しつつ、オーフェンはドロシーとエドガーに視 線 をもどした。
ドロシーの横で、ぱたり、とコンスタンスが卒 倒 している。だがそんなことには構 わずに、夫 婦 はしばらく見つめ合っていた。エドガーは腕 組 みした相 変 わ らずのポーズで、そしてドロシーは、胸 元 で手を組んで瞳 をきらめかせ......
(......きらめかせ?)
自分で見たことに対して、彼は自 問 した。
そして瞬 きする。が、見たことは見たままだった。ドロシーが、目を潤 ませてエドガーを見つめている。
オーフェンは、初めてそこで、コンスタンスが卒倒した理由を理 解 した。ドロシーが、声をあげる──
「ダーリンっ!」
「はっはっはっ」
これは、エドガーの笑い声だった。それに答えるように、ドロシーが繰 り返 す。
「ダーリンっ! やんっ、もう──どこに行ってたの⁉ ドギー寂 しかった!」
ふっ......と、目の前が白くなる。白 濁 する視 界 の中で、最後に見たものは、エドガーに駆 け寄 っていくドロシーの姿だった。瓦 礫 の山を軽 々 と跳 び越 え、両 肩 をふるふると震 わせながら──
「はっはっはっ」
「やんやんっ! ドギー置いて先に行っちゃうなんて、とっても意 地 悪 ぅ! ドギーったらダーリンいないと嫌 なんだからっ!」
............
がくがくと、なにかが震えている。自分が痙 攣 しているのかもしれなかった。そして、いつしか、白い闇 の中へ──
オーフェンの意 識 は落ちていった。
意識を取りもどすことができたのは、翌 朝 になってからだった。
それ以来、その夫婦の姿は見ていない。三日ほど寝 込 んでから、オーフェンは。
すべてを忘れることにした......
(どっか遠くへ行っちまえ! おわり)


「人は君 のことを、一 瞬 の閃 光 のようだと評 するらしいね」
「そうですねぇ」
ラシィ・クルティがあっさりとうなずいた理 由 は、いくつかある。
昨日 は同 僚 に、あなたは閃光みたいな人ねと言われた。
一昨日 は母親にお茶を淹 れてあげたら、あなたって閃光みたいと言われた。
一昨昨日 には、道案内をしてあげた通 行 人 に、まるで閃光みたいな道案内だと言われた。
であるから、今日 、新しい上 司 からかような評 価 を受けても、彼女は特に気にならなかった。他人が自分のことをそう思うのであれば、それなりの理由があるからだろう。その理由はよく分からないにせよ、それは彼女にとってはどうでもよいことだった。
どちらかと言えば、自分のことよりも、他人が自分にとってどういった人物であるかのほうが気になる。彼女はのんびりと、目の前にいる人物を観 察 した。今日から自分の上司となる人物である。彼にとっての部下は自分ひとりであるし、自分にとっての上司は彼ひとりである。
自分と何 歳 も違 わない人物に、部下として扱 われることに関 しては、これまたどうでもよいことだと彼女は考えていた──彼が大 陸 でも広く名前を知られた最エリートであったことも理由のひとつだろう。彼ほどの人物がこの職 場 に配 属 されたことが、街 のちょっとしたニュースになったほどだ。それに自分より優 れた技 能 を持った人間と付き合うことが、損 になろうはずがないというのが、彼女の信 念 だった。その人物に認 められれば、その人物と同じ位置に立てるということなのだから。認められなかったとしたら、認められるまで地 道 に努 力 すればいいだけで、これもある意 味 で楽な生活だと言える。
そして、もうひとつ理由をあげれば──
「はは。敬 礼 なんていいよ、ラシィ司 書 官 。ざっくばらんにいこう。ぼくは所 詮 この仕事に関しては素人 だし」
「あのあの」
胸 元 で手を組んで──母親にはやめなさいと言われているが昔 からの癖 である──、彼女は声を弾 ませた。
「わたしのことは、ラシィって呼 んでください」
「ん?」
彼が、くすりと笑って、うなずく。
「じゃあ、ぼくのことも名前で呼んでもらって構 わないよ」
「はいぃ」
「んーと、じゃあ、どうしようか。いろいろとやらなくちゃならないことは多いんだけど......なにから手をつけたもんだか」
「あのあの」
彼女は身を乗 り出 して、彼の机 の上に山 積 みにされている書 類 から、一番上にあったものを取り上げた。
「そういう時は、一番上にあるものからやればいいと思うんですぅ」
それが彼女の人 生 哲 学 のひとつであった。
トトカンタ市は今日も平 和 だった。
平和というものが、なにも起こらないということなのかというと──実 際 、そんなものだという気もしないでもなかったが──オーフェンは違うと思っていた。平和とは、予 想 されることしか起こらないことだ。
そうであれば、予 言 者 は日々平和なのだろう。ため息まじりに、そう思う。あやかりたいものだと付け加えながら。
もっとも──これが予想されたことなのかどうか、オーフェンにもいまいち判 断 がつかなかったが。
黒 髪 黒目、着ている物も黒ずくめと、そんな男である。特になにが特 徴 というわけでもないが、胸元には銀でできたペンダントがぶら下がっていた。剣 にからみついた、一 本 脚 のドラゴンの紋 章 。大陸黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ者の証 である。
彼がいるのは、マスル水道と呼ばれる水 路 沿 いの道だった。もう水道として使われることはないマスル水道だが、その水は今でも豊 富 で、汚 れてもいない。休日には釣 りをする人 影 も見かける。今はないが。
その水道を背 後 に──
彼と対 峙 しているのは、ふたつの小 柄 な影だった。身長百三十センチほどの『地 人 』である。一 般 的な民 族 衣 装 である毛皮のマントにすっぽりと身を包 み、ひとりは腰に剣を、もうひとりは分 厚 い眼鏡 をかけている。
よく知った相手だった。静かに目を閉じ──うめく。
「ボルカン」
オーフェンは、ぽつりとつぶやいた。その地人、剣を持ったほうの名前である。

「もーそろそろ、決着をつけるべきだと思い始めたのが半年前だ。その間別に手 加 減 してたつもりもねえんだが、どうも俺 は......手ぬるかったようだな」
ばきぼきと指を鳴らす。
おおお──と、ざわめきが野 次 馬 からわき起こった。遠巻きにしている通行人たちの群 れの中には、なんとなく見 覚 えのある顔も混じっている。何度も何度も見 物 人 として並んでいた常 連 だろう。
それはそれとして、その地人──ボルカンをにらみ据 える。地人は自信たっぷりにうなずいてきた。
「よくは分からんが」
と、いかにも古びた中古の剣を抜 き放 つ。
「このマスマテュリアの闘 犬 ・戦士ボルカノ・ボルカン様が貴 様 というひょーろくだまに引 導 を渡し殺すのに、半年という期間は長すぎたとは言えるな」
「え〜と」
こちらは対 照 的 に自信なさげな表情で、眼鏡のほうが声をあげている──ドーチンである。
彼のことは無 視 して、オーフェンは口の端 をつり上げた。
「ほほ〜お」
鳴らしていた指を開き、蜘 蛛 の脚 のように縮 ませると、
「福 ダヌキがまた出 過 ぎまくったハッピーハッピーなこと言ってくれるじゃねえかコラ。てめえらに貸 した金、これがまた利 子 が回転しまくって、雪だるまが雪山になってるんだがよ」
「ええと、あのぅ。前々から思ってたんですけど、てめえらってお金を借 りたのはあくまで兄 さんなんですけど──」
ぼそぼそとドーチンがなにやら言っているが、それを遮 るように、哄 笑 が響 く。
「はぁーっはっはっはっはあっ!」
ボルカンだった。
「分かっておらんよーだな、すり切れ魔 術 士 ......」
「ねぇ兄さん。もうちょっと穏 便 に──」
「今までは、まあどこから見ても完 全 無 欠 に可 哀 相 な人生を送る貴様を哀 れんで、実際の力の七億分の一程 度 にセーブしてきたが、今日という今日は決 戦 だ! 即 座 にかかとを冷 やし殺してくれる!」
「いい度 胸 だてめえら! そっから一歩も動くなよ!」
「あの、くどいようですけど、てめえらってなんでぼくを含 んで──」
「我 は放 つ光の白 刃 っ!」
光が収 束 し、大気を震 わせる。
オーフェンが呪 文 とともに放った熱 衝 撃 波 はまっすぐ地人たちのいる場所に突き刺さると、巨大な火 球 に化けて膨 れ上がった。膨 張 する炎 にアスファルトが溶 け、道に油の泉 を造 り出す。なま暖 かい爆 風 が粉 塵 を舞 い上がらせ──そして黒こげになった地人ふたりが、悲 鳴 をあげながらどこか遠くへと吹き飛んでいった。
「ふっ......」
オーフェンは、軽くかぶりを振りながらつぶやいた。
「戦 いはいつも虚 しい......虚しいけど、まあ日 課 だしな」
ぱちぱちぱち......
まばらな拍 手 が、野 次 馬 から漏 れてくる。
とりあえずオーフェンは顔を上げると、肩 をすくめた。
「よし。次行ってみるか」
と。
ほかの取り立てに向かおうとした、その時だった。
「あのあの」
「ん?」
いきなり声をかけられて、オーフェンは眉 を上げた。振り返ると、人 混 みの中から、とてとてと頼 りない足取りで、ひとり前に出た者がいる。
オーフェンは、思わずきょとんとしてそれを見た──
少女、といってもいい年 齢 だろう。恐 らくは十七、八なのではなかろうかと、オーフェンは見 当 をつけた。黒 髪 をポニーテイルにした、目の大きな少女である。ふっくらとした頰 の血 色 の良さが目立っていた。だが、オーフェンがあっけに取られたのは、そんなことではなかった。彼女の格 好 である。
黒と赤の布を組み合わせたような、複 雑 な形をした制 服 に、大きく割れたマントを羽 織 っている。街 にいて普通に生活していれば、滅 多 に見かけることはないが、知ってさえいればなかなか忘れられるものではない。その制服は──
「大 陸 魔 術 士 同 盟 ?」
オーフェンは、呆 然 とつぶやいた。
大陸魔術士同盟 。
その起 源 は、約二百年前にさかのぼる。それは栄 光 の未来を約 束 したものでも、さらなる発 展 を夢見たものでもなかった。迫 害 の時代を生き延 びるために寄り合った、魔術士たちの最後の望 み。それが、現在キエサルヒマ大陸のすべての魔術士を統 合 する組 織 へと発展するのにこれだけの時間を要したのは、長いとも短いとも言える。
少女が着ているものは、そのトトカンタ支部における一般的な職 員 の制服のはずだった。トトカンタにおける魔術士同盟の地位は確 固 たるもので、大陸全体の魔術士同盟に対して特別な立場を保 っているほどである。その構 成 員 は完全に魔術士のみで、これほどの規 模 を持った魔術士組 織 はそうそうない。大陸黒魔術の最 高 峰 たる《牙 の塔 》、そして王 都 の宮 廷 魔術士たち《十 三 使 徒 》、それに次 ぐほどのものである。
オーフェンはそれだけの情 報 を自分の頭の中にずらずらと並べ──
下した判断は、ひとつだけだった。
だっ──!
素 早 く方向転 換 すると、その少女が近寄ってくる反対方向へと全力でダッシュする。
「ああ〜っ!」
多少間 延 びした彼女の悲 鳴 が聞こえてきたようではあったが、オーフェンはきっぱりと無視して走り続けた。野 次 馬 を押しのけ、ひたすらに逃げようとする。
(大陸魔術士同盟、だと⁉ )
オーフェンは、悲鳴じみた声で独 りごちた。
(冗 談 じゃねえぞ!)
「待ってください〜!」
彼女の声が、追いかけてくる。
「待たないと、わたしだってこういうことしちゃいますよう!」
と──
その言葉に、オーフェンはぞっとするものを覚 えて立ち止まった。振り返る。周 囲 の空間へと神 経 を研 ぎ澄 ませた時。
彼が感じ取ったものは、ただ単に衝 撃 だった。
(正 気 か⁉ )
思わず悲鳴をあげたくなるほどの、巨 大 な魔術の構成が自分を包 んでいる。自分と──そして、周 りの野次馬たちとを。
魔術の構成を投 射 しているのは、その少女だった。当然だろう。魔術士であることは間 違 いないはずである。彼女は多少真 剣 な面 持 ちで、こちらを見 据 えている。なにやら両 腕 を組み合わせて複雑なポーズを取って。
彼女がその構成に魔 力 を通した場合、これも疑 いのないことだが......
(俺はともかく、ここいらにいる奴 ら全員巻き込むことになるぞ⁉ )
とっさのことで、彼女が編 んだ構成が実際にどういったものなのかは理 解 できなかったが、オーフェンにできたのはひとつだけだった。
「我 は紡 ぐ──」
なるたけ広大な空間を意 識 して、全力で防 御 の構成を展開する。もっとも、それでも完全にはフォローできないだろうが。
「我は紡ぐ光 輪 の鎧 っ!」
やや遅 れて、彼女もまた叫 んだ。
「狸 のスタンピードっ!」
ひゅるぅ──
実際に風の精 霊 がいたならば立てるのではないかと思わせるような音が、周 囲 一 帯 すべての空間に広がっていく。
オーフェンが放 った防御の構成は、魔力によって意味を得 て、周りにいた人間ごと、光の網 で彼を包み込んだ。かなりの広 範 囲 を防 いだつもりだったが、それでも彼女が放った魔術の広さには及 ばない。
ぞっとする。
(もしあの女が冗 談 にでも致 命 的 な魔術を放っていたら──)
彼は歯を食いしばった。
(ひとりやふたりの死者じゃ済 まねえぞ⁉ )
ばしぃっ!
広がった光の網の表面に、弾 けるような衝 撃 音 が響 く。そして、網で包まれた外から、いっせいに悲鳴が聞こえてきた。
「うぎゃああああっ⁉ 」
「うわあっ!」
「どああああっ⁉ 」
同時に、オーフェンの光の網が消える。
次の瞬 間 、彼が見たのは──
顔や腕、肌 の露 出 した部分を無 差 別 に真 っ赤 に腫 れ上 がらせて、悲鳴をあげながら転 げ回る群 衆 だった。
「な......?」
うめく。彼が防御した範 囲 外 にいた野 次 馬 たちが、ばたばたとのたうちまわって涙 を流している。
「ああっ⁉ 」
口元に手を当てて、例の少女も困 ったように声をあげていた。
「どうしよう......あのあの、ええと、あの人を足止めしたかっただけなんですよう。ですからあの、ホントにごめんなさいぃ」
と、ぺこぺこ頭を下げる。聞いている者はいないようだったが。
そうこうしているうちに彼女は、呆 然 としているこちらに気づいたのか、顔を上げた。ぱっと顔を輝 かせ──ただ正 直 に言えば、ごまかそうとしているようにしか見えなかったが──、口を開く。
「あのあの、ええと、そこの黒い人ですぅ。さっき逃げた人。わたし、仕事であなたとお話しなくちゃいけないんですぅ。どうしてもですぅ」
謝 りながらもこちらへとぱたぱた駆 け寄 ってきて、そして──
「あなた、逃げたりするなんて意 地 悪 じゃなんですかぁ」
「え〜と」
眉 間 に指を当てて、オーフェンは考え込んだ。そして、出てきた問いは、たったひとつだけだった。
「君は......なんなんだ?」
「あのあの」
よく冷えた果 汁 ジュースを前に、彼女はそれだけでご機 嫌 だとばかり陽 気 な声で言ってきた。
「わたし、ラシィって言います。大陸魔術士同 盟 トトカンタ支部・生 活 環 境 向 上 委 員 会 に配 属 されましたぁ」
「......生活環境向上......?」
フルーツショップは居 心 地 のいい場所ではあったが、あまり馴 染 みのない店である。オーフェンはそれまで何度となく違 和 感 など感じながらもぞもぞしていたが──彼女の言葉を聞き返して、疑 問 符 を浮かべた。意味がよく分からない。
彼女はにっこりと笑うと、快 活 な口 調 で即 答 してきた。
「同盟・非 同盟含 めた各魔術士の生活の環境を向上させるのが、わたしの仕事ですぅ」
「いや......俺が聞きたいのはそんなことでなくてだな」
オーフェンは半 眼 になって、彼女に問いかけた。
「......それって、わざわざ同盟がやるようなことなのか?」
致 命 的 な問いのつもりだったのだが。
彼女──ラシィはまったく疑問など残らないというふうに、きっぱり答えてきた。
「ほかにそんなことしてくれる人、いないじゃないですか」
「そうかもしれんけど」
仕 方 なく引き下がることにして、オーフェンはうめき声をあげた。
「その君が、俺にいったいなんの用なんだ?」
「あなたの生活環境だって向上されなくちゃならないんです!」
ぱんぱん、と軽い音を立ててテーブルを叩 きながら、彼女が言ってくる。
「............」
オーフェンは、しばし虚 空 に視線をさまよわせた。どうしたらいいだろうと漠 然 と独 りごちる。
「......俺、市 民 じゃねえんだけど」
「住んでる人が市民ですぅ!」
ばんばん、と、今度はさきほどより多少強くテーブルを叩いている。子犬でも叱 りつけるように眉 をVの字にして、
「わたし、さっきのお話聞いていました!」
どん、と、とうとう完全にテーブルを叩いて精 一 杯 真 剣 な表情を作っている。オーフェンはなにもできずにただ彼女を見るだけだった。

彼女が勢 いよく、あとを続けてくる。
「悪いのは、あの地 人 さんたちですね⁉ 」
「......え?」
「お金を借 りて返しもせずに、あんなに堂 々 としてるなんて、とっても悪いです! というわけで、街の平和のためにも、あの地人さんたちから借 金 を取り立てるのに、わたしも協力します!」
「え? あ、いや、あの、え〜と......」
「実は、報 告 書 にそうしろって」
てへ、と笑ってそう付 け足 す。
「............」
再 び沈 黙 ──沈黙するしかなく、ただ素 直 に沈黙する。オーフェンは、果 汁 ジュースのストローに口をつける彼女を観 察 しながら、とりあえず再び最初から考え直すことにした。
大陸魔術士同盟。
それはまあ、いいとしよう──この上なくおおざっぱな心持ちで、オーフェンはその単 語 についてはなにも触 れずに呑 み込んだ。
自分。
彼は魔術士同盟の庇 護 を受けていない──いわゆるモグリ、もう少し聞こえのいい言葉を使えば、はぐれ魔術士というところか。魔術は魔術士によって、魔術士は組 織 によってすべて完全に制 御 されていなければならないとする同盟の理 念 に、真 っ向 から対 立 する存 在 である。実際彼は、なるたけ同盟とは接 触 しないようにしてきた。関 わればめんどうなことになると思ってきたからだ。
そして、彼女。
ラシィと名乗った。同盟の人間だという。彼女が魔術を扱 うのは実 際 に目にしたし、まさかわざわざ同盟を詐 称 する者もいないだろう──意味がないからだ。とすると彼女は正 真 正 銘 、大陸魔術士同盟の一員ということになるが......
(それがわざわざ俺を訪 ねてきて、借金の取り立てを手 伝 わせてくれ、だぁ?)
オーフェンは、大きく嘆 息 した。隠 しもしなかったため、相手が不 快 に思うかと警 戒 するが──彼女はまったく気づいた素 振 りすら見せてこなかった。仕方なく、今度は小さくため息をつく。
「一応、聞いておきたいんだが」
「なんですかぁ?」
底 のないきらきらした瞳 で、聞き返してくる。
(どうしろってんだ)
オーフェンは、うめいた。
ため息をつかずにいられるか?
「俺は正 規 の金 貸 しじゃない。金を貸して、利 子 を取るのははっきりと違 法 行 為 だ。そいつは知ってるのか?」
「はい」
あっさりと、彼女がうなずく。
オーフェンは肩をコケさせた。
「じゃあ、知っててそれを後 押 ししようってのか? 都 市 警 察 と魔術士同盟との政 治 問 題 にもなりかねねぇぞ」
「そうですねぇ」
彼女はまたあっけなく同意してから、ストローを吸 った──オレンジ色の果汁があっと言う間にグラスから消え去り、ずずずと音を立てる。
まったく悪 びれた様 子 もなく、ラシィはあとを続けてきた。
「でも、魔術士同盟の役 割 は、あくまで魔術士の互 助 ですからぁ。あなたの生活を保 護 することが優 先 です。多分そのためなら、偉 い人とかがなんとかしてくれるような気がしますぅ」
「気がします、で済 ませていいような問題でもないと思うが」
半 ば呆 れて、オーフェンは席を立った。
「なんにしろ、だ。余 計 なことはしてもらいたくない。同盟の考えは好かねえし、互助ってことは、俺からもなにか見返りを期 待 してるってことなんだろ? 君も、あまり俺に関わらないほうが身のためだぜ」
「関わりますぅ。仕事ですからぁ」
頑 固 に声をあげて、彼女もまた席を立った。眉 間 にしわを寄せて、
「それに、同盟の考えが好かないなんて、ひどいです。わたしたちの魔術はものすごく容 易 に社会を変 革 させかねないんですよ。それを制 御 しなくちゃならないって思うのは、当然じゃないですかぁ」
「俺だって、それには異 論 ねえよ。ただ好かないのは、組 織 が平気で個人を裏 切 るってことさ」
「そんなことは──」
ラシィが言い終わるのを待たずに、オーフェンは微 苦 笑 を漏 らしながら、立ち去ろうとした。と──
「うっ......⁉ 」
うめき声をあげて、後 ずさりする。振り返ったすぐ背 後 に、ひとりの女が立っていた。
どことなく子供っぽい印 象 の、スーツ姿 の女──がたがたと震 えて、なにやら愕 然 としたような凄 まじい形 相 を見せている。あごを外 しそうなほど(というか外れているのではないかと思うほど)口を開き、涙 のたまった眼 はふらふらと焦 点 をどこかにさまよわせている。
「......コギー?」
その女の名前を、オーフェンは呼んだ。いつからいたのか分からなかったが、話はすべて聞いていたらしい。
フルーツショップの中にはほかにも客がいる。他 人 の奇 異 の視線を感じながら、オーフェンはただ耐 えるしかなかった。
コギー──コンスタンスは弱々しく唇 を動かすと、情 けない声をあげてきた。
「オーフェン......?」
「な、なんだよ」
なんとなく決まりの悪い思いで、オーフェンは聞き返した。別に自分が魔術士であることを隠 したことはなかったが、あえて自分のことをなにか語ったこともない。
コンスタンスの左 目 の端 から、ぽろり──と涙がこぼれるのが見えた。そして。
「そんな──こんな......なんだか難 しそうな真 面 目 っぽいことを話してるなんて、全然オーフェンじゃないわっ!」
「やかましいわっ!」
「ずるいぃぃぃっ!」
「なにがだっ⁉ 」
オーフェンは叫 びながら、彼女の頭をはたき倒 した。ぺたんと倒れつつも、手の甲 で涙をぬぐって彼女は言ってくる。
「うっうっ......いいのよいいのよ。そーやって、わたしがいないところで政治についてとか嘘 しか言えない八人の証 言 についての仮 定 とか代 数 幾 何 的 地 平 平 方 分 類 確 率 とかそんな難しい話をしてればいいのよ」
「またわけの分からんひがみ方をするなぁ、お前は......」
なんとなく深い疲 労 のようなものを感じながら、オーフェンはつぶやいた。と、背後から、にゅっとラシィが顔を出してくる。
「どなたですかぁ?」
「あー、ええと......」
「派 遣 警 察 のコンスタンス・マギー三 等 官 です」
唐 突 に、しゃきっと立ち直ってバッジを見せているコンスタンスに、オーフェンはうめき声を出した。
「......あれ?」
「あれ? じゃないわよ、オーフェン。そーいえば、思い出したわ。探 してたのよ──ちょっと用 事 があって」
「ああ、派遣警察の方ですかぁ」
やや遅 れた反 応 を、ラシィが返している。
とりあえずそれは無視して、オーフェンはコンスタンスに向き直った。
「用事?」
「ええ、なんか向こうの通りでかなり大きな騒 ぎになってるみたいなんだけど」
「......騒ぎ? なんの」
「例の地 人 たちよ。あんたまたさっき、あのふたり吹き飛ばしたでしょ」
「あっ、そうだぁ」
ぽん、と手を叩 き、ラシィ──こちらへとにこやかに近づいてくると、

「あなたのお名前、聞いてませんでした。なんて呼べばよろしいですかぁ?」
「......なんか、ちょっとずれてないか? 君」
「ずれてなんてないですよぅ」
彼女はあからさまに、口を尖 らせて反 論 してきた。腕 組 みのポーズで右手の人指し指だけを立てて、まるで講 義 でもするように言ってくる。
「わたし、むしろ人にはよく、閃 光 のようだなんて言われるんですよ。なんかすごく、かっこいいって感じがしません?」
「閃光?」
オーフェンは疑 わしげに、その単 語 を繰 り返 した。目の前にいるこの少女は、およそその単語には似 つかわしくない。
だがこちらの不 信 の眼 差 しには気づかなかったのか、彼女は満足げにうなずいた。
「と、いうわけで、わたしずれてなんていません。ちゃんと話聞いてましたよ。例の悪の地人さんたちが騒ぎを起こしているんですね?」
と、これはコンスタンスにたずねたものらしい。
「え......ええ」
多少引きぎみに、コンスタンスがうなずく。ラシィは勢 い込んでガッツポーズのようなものを取ってみせた。
「丁 度 いいです! ここはひとつ、わたしがきちんと決着をつけてみせます!......そしたら、わたしずれてないですよね?」
「......いや、だから、いつまでもそんな話 題 引きずってるっていうあたりが、根 本 的 なずれなんだと思うんだが......」
「さあ、行きましょう!」
彼女は力いっぱい叫 ぶと──意味があるのかないのか不明だが──あさっての方向を、びしと指さした。
「そうです。この民 族 の英 雄 ・マスマテュリアの闘 犬 、ボルカノ・ボルカンは訴 えます。今こそあの社会悪を排 除 して清 潔 な街 造 りを!」
どこから調 達 してきたのか分からないプラカードには、『今こそ羽 ばたく。爆 発 とかしない街を目 指 して』と書かれていた。
そのプラカードを高々と掲 げ、ボルカンが大声をあげている。とりあえず、珍 しもの好きなトトカンタ市民が何人か、足を止めて見 物 しているようだったが。
「なにが悪いって、爆発なんかすると音はでかいし熱いし痛 いしなにより標 的 はたいてい俺 様 だしで、街には良くないと決めてかかりたい。というわけで、横 暴 魔 術 士 のいない善 良 な街を実 現 するため、あの男をさっぱり味ですっきり殺すため、みなさまの清 き一 票 を......」
「......なんの一票?」
少し気になったのか、ドーチンが横から聞いている。
だがそれを完全に無 視 して、ボルカンはさらに声を大きくした。
「市民の力がひとつになれば、この俺様が安全なうちにあの性 根 ねじまが魔術士を抹 殺 するのも容 易 至 極 。なにしろ俺様が楽ですので、みなさまきばってあの黒ずくめを見つけ次 第 残 虐 性 をむき出しにしましょう──」
「ほほ〜お」
彼らの背 後 から、ゆるく腕 組 みしてオーフェンは声をあげた。とたんに、ボルカンの演 説 がぴたりと止まる......
「面 白 いことしてやがるなぁ。人が目ぇ離せばまあ次々と、よく思い浮かぶもんだ」
薄 笑 いを浮かべて、オーフェンは続けた。懐 からメモ帳を取り出して、聞こえよがしに独 りごちる。
「えーと、アホ観 察 日記。福ダヌキは直前の攻 撃 がいまいちゆるかったりすると死にきれず、市民活動を始めたりする。対 処 法 :もっと殺す」
と書いてから、メモを懐にもどす。地人たちはまだ振り返ってこないが、だらだらと脂 汗 を流しているのが背後からでも気 配 で知れた。
「さて。もっと殺すか。ああ、そこの見物人。そっちの方向に吹き飛ぶと思うんで、ちょっとどいてくださーい」
と──
「いけませぇぇぇぇぇんっ!」
唐 突 に殺 気 のようなものを感じて、オーフェンは身 構 えた──振り向くと、勢 いよく走り込んできたラシィが跳 躍 し、跳 び膝 蹴 りを放 ってきたところだった。
「────っ⁉ 」
がしぃ!──とそれを受け止めて、ちょうど組 体 操 のように両手で彼女の膝をつかんで持ち上げた姿 勢 で硬 直 する。彼女はその体勢のまま、ごく平然と言ってきた。
「暴力はいけませんっ! 暴力はなにも語らないんですよぅ!」
「いやあの......この膝が、なにかを雄 弁 に物語っているような気がしないでもないんだが」
すとん、と彼女を地面に下ろして、オーフェンは冷 や汗 をぬぐった。地人たちは、ふたりそろってきょとんと彼女を見上げている。
ラシィは指を立てて口を開いた。
「モグリさん」
「もぐ?」
「名前を教えてくれないから、そう呼ぶことにしました。モグリであるところから名付けてみました。いいですよね?」
「いいわけあるかっ⁉ 進 化 したモグラみたいな名前つけやがって!」
オーフェンは口早に怒 鳴 ったが、彼女はまったく無視して、自 信 たっぷりに自分の胸をどんと叩 いた。
「というわけでモグリさん、彼らとの交 渉 はわたしに任 せてくださいっ! きっとやり遂 げてみせます!」
「あ〜、ええと、まあいいや。早めに終わらせてくれな」
匙 を投げて、手を振ってやる。ただし地人たちをにらみやって、視 線 で語っておくのは忘れなかった──ややこしいことが全部終わったら、吹っ飛ばすからなと。
とりあえずそれが伝わっているらしいことに満足して、オーフェンは数歩ばかり引き下がった。ちょうど、コンスタンスが追いついてきたところである。
「......どうしたの?」
地人ふたりと対 峙 して拳 を握 っているラシィを指さして、コンスタンスが聞いてくる。
「なんか、決着つけてくれるらしい」
オーフェンは投げやりにぼやいた。
そして──
「うわーはははははは!」
最初に声をあげたのは、ボルカンだった。プラカードを投げ捨 てて、腰 の剣に手をかける。
「なんだかよく分からんが、どうやら貴 様 が、あの借 金 取 りの代 理 らしいな。つまり貴様を倒せば借金はチャラ! そーゆーことに決めたぞ!」
「......兄 さんが決めてどうするの?」
横からドーチンがつぶやいているが、誰 も取り合わないらしい。
ざっ──とふたりに向き直り、ラシィが叫 んだ。
「いけませんっ!」
大 音 声 ──音 声 魔術士にとって発声練習は欠かせないものだ──で、叫ぶ。あまりの声量に、真 正 面 で受けたボルカンが、ふらっと頭を揺 らすのが見えた。
ラシィは続ける。
「どうしてそう、発 想 が暴力的なんですか⁉ もとはと言えば、あなたたちが借りたお金です! モグリさんに返すのが当然じゃないですかっ!」
「違うっ!」
どこから出てきた自信か知らないが、ボルカンははっきりと断 言 してくれた。
「金は天下の回 りもの! その金に紐 をつけて引きずりもどそうとするなど言 語 道 断 ! よって悪はあの黒魔術士にある!」
「堂 々 と無 茶 なことを言わないでくださいぃぃっ!」
両拳を固めて、ラシィ。
「そんなことで正 義 を名 乗 るなんて、片 腹 痛 くてお茶が沸 きます!」
やり取りを遠巻きに見つめて──
ラシィを指さし、コンスタンスが聞いてくる。
「......魔術士って、最高の教育を受けてる人たちなのよね?」
「自分の目で見たものが真 実 だ。受け入れろ」
オーフェンは頭を抱 えてうめいた。
と。
「正義とは、こうですっ!」
ラシィは腰に両手を当てて、ずいと胸を張ってみせた。
「間 違 ったことは拒 否 し、決して退 かない勇 気 っ! さああなたたち、わたしが間違っていると思うのなら、無 抵 抗 のわたしをいくらでも殴 るがいいです──って、きゃああああああっ⁉ 」
ぼくぼくぼくぼかどすごすべきぽきごきずしごんがんげんぼくどす......
「あほー!」
剣でタコ殴りにされ、ぼろぼろになって倒れたラシィを残して、ボルカンとドーチンはばたばたと逃げていった。
「............」
もはや追う気にもなれず、その場で両手に顔を埋 め、オーフェンは長い沈 黙 だけを吐 き続けた。どれだけの時間が過ぎたかよく分からなかったが──再 び顔を上げると、道に座 って、ラシィが泣いていた。
「うああああん。ひどすぎですぅ」
「え〜っと」
「そう思いませんか? 思いますよねひどいですもん」
「なぜ俺の返事まで受け持つ」
半 眼 でオーフェンは聞いたが、彼女には聞こえなかったようだった。拳をぶんぶん振り回しながら、あとを続けている。
「でもいくらひどすぎるからって、わたしは絶 対 あきらめません! モグリさんも大 船 に乗って思いっきり揺 られまくった気持ちでいてくださいっ!」
「......船 酔 い......か?」
だがそんな疑 問 は完全に無視して、彼女はすっくと立ち上がった。きっぱりと明るい声で言ってくる。
「というわけで、続きは明 日 ですねっ!」
「......え?」
意味がわからずに、オーフェンは聞き返した。が、
「明日こそは、いろいろ考えて頑 張 ります! わたしの勤 務 時間、朝九時からですので、よろしくですぅ。それでは、今日 はお疲 れさまでしたぁ」
彼女はまったく口 調 を変えずにそれだけまくし立てると、そのまま──振り返りもせずに、去っていった。
「............」
とにかく沈黙──
「......え?」

やっとのことで出した声ではあったが、意味を成 すことはできなかった。
「......結局、なんだったの?」
コンスタンスはあっけに取られた口調でそう聞いてきた。そちらを見やる。どう答えたらいいのか分からず、オーフェンはただ口をぱくぱくとさせた。
その中で、ひとつだけではあったが、理 解 できたことがある。
ラシィ。まるで閃 光 のような。
唐 突 に現 れ、人の目をくらませると、ぱっとどこかへ去っていく。
オーフェンはなんとなく納 得 しながら──
再びぱたりと顔を埋 めた。
「面 白 い魔術士がいたもんだね。モグリなんだろう? こいつ」
「モグリさんです」
ラシィはうなずきながら、そう答えた。彼女の上 司 は、落ち着 いた様 子 で彼女の報 告 書 を眺 めている。彼は肩をすくめてあとを続けた。
「名乗ろうともしないなんて、同 盟 に対してなにか後ろ暗いことでもあるんだろうなぁ。あんまり関 わらないほうがいいかもしれないよ、ラシィ」
「大 丈 夫 だと思いますよぅ。そんなに怖 い人でもないみたいですから」
彼女は思ったとおりをそのまま答えた。少なくとも、苦 情 件 数 そして内容から予 想 していたような人物ではなかったことに、彼女はかなり安心感を抱 いていた。第一印 象 は悪くなかった。ラシィは、自分の勘 は当たるほうだと思っていた。
が、彼はいまいち不安そうだった。報告書を机 に置いて、言ってくる。
「そうかい? なんだったら、ぼくが替 わってもいいんだけど......」
「駄 目 ですぅ」
ぷぅ、とふくれて、彼女はかぶりを振った。
「わたしがやり始めたんですから」
「......そうだね」
「そうですよ。わたし、やりがいのある部 署 に配 属 してもらって、張り切ってるんですから。ほら、力こぶも作れるんですよ」
実 際 に作ってみせながら、ラシィ・クルティは──
明日はどうやって、あの「モグリさん」の生活を保 護 すべきか、そんなことを考えていた。
(迷惑だから消えてくれ:おわり)

朝。
いつだって朝日が昇 り、そして夕日が沈 み、夜を経 て朝となる。
トトカンタ市であろうとどこであろうとそれは同じであったが、オーフェンはなんとなく、朝日というものをこのトトカンタ市でばかり見ているような気がしていた。
実 際 ではそんなことはないと、自分でもよく知っている──オーフェンはまずもって早 朝 に起きることはなかったし、起きたところで朝日を見るために寝 床 から這 い出る元気もない。
だがそれでも、朝日に関しては──このトトカンタ市の朝日ばかりをよく知っているような気持ちになっていたのだ。
そして。
「──というわけで、今日 も一日頑 張 りましょう!」
「いや、ジャンプまでして、そんなこと元気いっぱい言ってもらったところで悪いんだが......」
オーフェンは半 眼 で、その少女に向かってうめき声をあげた。根 本 的 な疑 問 を投げかける。
「いったいなにをどうするって?」
黒 髪 黒目、黒ずくめと、単色で統 一 されたいつもの格 好 で、いつもの宿 屋 にいる。ただしいつもと違うのは、ぼんやりと体 育 座 りをしているその場所が、宿屋の屋 根 の上だということだった。なぜこんな場所にいるのか、どうしても理 解 ができなかったが、事実だけを見ればここにいる。オーフェンは呆 然 としながら、その答えを与 えてくれるはずの彼女を見つめていた。
「なにをって!」
彼女もまた、黒を基 調 とした格好だった──それに赤の帯 が混 じる。ポニーテイルのよく似 合 った、十七、八の少女だった。きらきらと瞳 を輝 かせ、軽く拳 をあげて、さきほどのかけ声を威 勢 よく声に出したところである。
わたわたとせわしない動きを伴 って、あとを続ける。
「モグリさんの生活を向 上 させるために頑張ろうって、昨日 言ったばかりじゃないですかぁ!」
「......あと、勤 務 時 間 は朝の九時からとか言ってなかったっけか?」

と──半眼で、さんさんと輝く朝日を見つめながらぼやく。彼女はあっけらかんと、自信たっぷりに言ってきた。
「時間外労働です!」
「......あっそ」
疲 れ切った声で、そうつぶやくしかほかにない──
オーフェンは、もう既 に彼女、ラシィ・クルティという人間と接する方法を悟 りつつあった。
「まずは第一に、定 職 を見つけることですぅ!」
ラシィがいきなり言い出してきたことは、それだった。
「生活のリズムの中に、仕事というサイクルを入れること! それによって生活リズムが安定し、収 入 から生活の規 模 を決めることができます! なにより先に仕事ですよぉ! ってマニュアルにも書いてありますから、頑張りましょうモグリさん!」
「いや、あのなぁ、ラシィ......」
「モグリさんだって、魔 術 士 ですから、もちろん就 職 先 として一番適 しているのは、大 陸 魔術士同 盟 ! わたしと同じ職 場 ですぅ。頑張りましょうね、モグリさん」
「断 る」
「ええっ⁉ 」
やたらと大 仰 に諸 手 をあげて、ラシィが驚 愕 の声をあげる──
屋根の上はさすがに目立つため、場所は宿の食堂へと移っている。オーフェンはテーブルに頬 杖 をついて、彼女の言葉にいい加 減 に相 づちを打ってはテーブルの木 目 を視 線 でなぞって暇 を潰 していた。いやあるいは、時間を潰されていたというほうが適当だろうか。
だが、さすがに無 視 することのできないことを言われて、オーフェンは渋 々 口を挟 んだのだった。
「あのな、ラシィ。前にも言ったが、俺 は同盟に助けを求める気はないんだよ。ついでに言えば、君 の助けもだ」
「ええええ」
下 唇 を嚙 んで目を潤 ませ、心 底 困 ったようにラシィがうめく。
「そんなこと言われましても、これがわたしの仕事なんですぅ。あのあの、魔術士同盟が駄 目 なら、どんな仕事ならする気がありますかぁ?」
「そうだなぁ......」
オーフェンが気力なくつぶやいた、その時だった。
ばたん、と食堂の扉 が開く。
「オーフェン! 朝よ! 仕事の時間! わたしの手 伝 いしてくれるために、早起きして待っててくれたなんて最高だわ!」
扉の奥に姿 を見せたのは、スーツ姿の女だった。どこか子供っぽい印 象 の瞳を爛 々 と輝かせ、足取りも軽 やかに食堂に入ってくる。
オーフェンは、ゆっくりと立ち上がった。彼女は気にせずに続けている。
「市民に愛される派 遣 警 察 としては、今日も今日とて治 安 維 持 のため出 撃 よ! ちなみに手伝い賃 はツケってことで──」
つかつかつか──
と近 寄 って、げいん、と頭をはたいて黙 らせる。
うつぶせに床 に倒 れ、動かなくなったその女──コンスタンスを指さして、オーフェンはラシィのほうに向き直った。
「こーゆうのは論 外 だ」
「はぁ」
成 り行きが急だったせいか、置いてきぼりにされたような表情で、ラシィ。なにやら眉 間 に小さいしわを寄せてぶつぶつと繰 り返 している。
「手伝い賃、ツケなのは駄 目 だったんですね......」
「同 類 か、お前らっ⁉ 」
「仕 方 がないんですぅ! 予 算 がないんですよぉ」
ぶんぶんと拳 を振りながら、彼女は断 言 してきた。半眼になって、聞いてみる。
「......ないの?」
「本気で限りなくないですぅ」
「あー......まあ確 かに、こんなことに予算が出るとも思っちゃいなかったが」
こめかみに指を当てて、オーフェンはかぶりを振った。
「こういうことでどうでしょう! まずはシンプルに考えて──」
──なにも聞いてなかったかのように。
両手を広げ、やたら元気な声でラシィは言ってきた。
「とりあえず、頑 張 ってモグリさんの仕事を探 すんです!」
「............」
黙 って聞いてから、オーフェンはつぶやいた。
「......んで?」
「え? とりあえず、それだけなんですけど......」
「シンプル過ぎるだろ!」
オーフェンは大声で叫 んでから、びしと人差し指を彼女に向けた。さっき叫んだポーズそのままに目をぱちくりさせているラシィに、告げる。
「いいか、あのな──この際だからはっきり言っておくぞ。この前も言ったが俺は同盟は好かんし、今さら君に生活を向 上 してもらいたいとも思ってない! 誰 に迷 惑 をかけてるわけでもなし、ほっといてくれ!」
「えー。でも報 告 書 といっしょに、モグリさんが貧 困 から発生したトラブルで市 街 を破 壊 して回ってるっていう苦 情 も受け取ったんですけどぉ......」
「それはそれとして!」
オーフェンは彼女の言葉を遮 りながら、だんと床 を蹴 ると、改 めて向き直った。
「俺自身は君の世 話 になる必 要 性 は感じてない! 即 座 に帰らねぇと──」
と、右足を後ろに退 いて、簡 単 な構 えを取る。
「こー見えても俺はタフレム出の魔 術 士 でね。あそこの連中が、相手が女だろうと容 赦 ないって噂 は聞いたことあるだろ?」
「タフレム出っていうか......」
ラシィはあくまで両手を広げたままで、少し視 線 を上げて考え込んだようだった。
「モグリさんのしてるペンダント、《牙 の塔 》のやつですよねぇ」
思わずぎくりとして、胸 元 で揺 れている銀 細 工 のペンダント──剣 にからみついた一本脚 のドラゴンの紋 章 を、右手でつかむ。大陸黒魔術の最 高 峰 《牙の塔》の紋章を身に着 けていることの意味を理 解 できない魔術士などいないし、トトカンタの魔術士同盟であれば、これだけで容 易 に自分の身 元 を割り出すことができるだろう。それはあまり、ぞっとしないことではある。
ラシィは視線を再 びこちらに向けてくると、悩 むような口 調 で聞いてきた。
「......タフレム市のお土産 屋 さんとかで売ってるんですか?」
「土産物屋で売ってるよーな紋章を誇 らしげに着けてるよーな魔術士、やたらと悲しいだろーがっ⁉ 」
と叫んでしまってから、オーフェンははたと気づいて手を振った。否 定 するわけにはいかない。
「と、とと言う奴 もいるかもしれないが、そうなんだ。売ってるんだ、土産物屋で。一個十ソケット。一個買うと二つもらえるってんで、商売になってるんだかなってないんだか──」
「蝙 蝠 のラインダンスっ!」
「どぐぅわぁわあわわわああああっ⁉ 」
突 然 放 たれてきた空気圧の振 動 に、オーフェンは悲 鳴 をあげてその場に倒れ伏 した。身体 が痙 攣 して動かなくなる。耳の奥に金属がこすれるような甲 高 い音が鳴 り響 き、なにも考えられなくなった状態で、ふらふらと上げた手を、誰 かがさっと握 る──
近づいてきていたのだろう。ラシィだった。彼女はこちらの手首を握ったまま、にっこりと笑うと、
「とりあえずわたしが勝ったので、モグリさん言うこと聞くです」
「ぐ......くっ......、あ、ありかこんなのぉぉぉぉぉぉ」
呪 詛 のごとくうめくが、彼女はさっと避 けるように顔を上げた。ポニーテイルが、ばさと跳 ねる。
「ありです。わたし戦 闘 訓 練 なんて受けてませんから、こうでもしないと勝てないです。というわけで、行きましょうモグリさん! 大 丈 夫 、一時間もすれば動けるようになります!」
「くそぉぉぉぉぉ」
ずるずると引きずられ、宿の外に運ばれながら──
オーフェンは涙 混 じりにうめき続けた。

「てなわけで、こういうところに来てみましたぁ!......ってモグリさん、どうしてご機 嫌 斜 めなんですか?」
「どういう理由で、愛 想 良くできるってんだ⁉ 」
ようやく動けるようになった身体で、ひきつりながらも彼女に指を突きつけ、オーフェンは怒 鳴 り声をあげた──といっても、ラシィは相 変 わ らず、マイペースににこにこしていたが。
そこはトトカンタ市の、ビル街 の一 角 だった。どちらかといえばオフィスではなく、学校が建 ち並ぶ区 域 に近い。図書館やカルチャーセンターなどが主 に集まっているところである。
そして──ふたりが立っている小さな建 物 には、似 つかわしくない巨大な看 板 がかけてあった。いわく、
『オー・ロッカス就 職 訓練センター』
「ここ、魔術士同盟とも提 携 している、職業訓練の短期カリキュラムセンターなんですよ! すっごく親 切 なスタッフさんをそろえていて、就職したいけどできない人とか、ひとつの仕事をどうしても続けられない人とかの問題点なんかを指 摘 して、それを矯 正 するためのメニューも作ってくれるんです。それにもちろん、その人に適した就職先もちゃんと案内してくれますし!」
ラシィが自信たっぷりに、小さな拳を握って力 説 してくる──
「ここで! モグリさんに欠 落 している社会の常 識 とか、してはならない当然のことなんかを覚 えてもらって、ついでに就職先を探してもらいます! とってもとっても良いことですよね!」
「......なんか、おっそろしく端 的 にこき下ろされたよーな気がするんだが......」
オーフェンは半 眼 になってそうつぶやいたが、彼女にはまったく聞こえなかったようだった。
「だいたい、なんで魔術士同盟と就職訓練センターが提携するんだよ。意味が分からねえぞ、意味が」
「えー。でもでも、多いんですよ、いまいち仕事がない魔術士って」
「多いのか......?」
聞き返す。と、ラシィはきっぱりとうなずいてきた。
「はい!」
拳をさらに強くぐっと握って、
「ていうか、十何年もさんざん苦 労 して魔術の制 御 法 を訓練してきたあげく、地 下 書 庫 で誰 も読まない古本の整理とか犬一匹近寄らない遺 跡 の警 備 とか魔術を使って氷作りとかの仕事に回されると、いきなり自分の人生に疑 問 を持っちゃう人がたくさんいるみたいです! 困 ったもんですね」
「いや......それは、就職訓練とかそーゆう問題でも......」
「でも、そーゆう仕事でも誰かがやらないとみんなが困るんですよぉ」
はきはきと言いながら、彼女は改 めて、建物の巨大な看板を指さすと、
「だから素 早 く納 得 してモグリさんも就職訓練です!」
「どういう材料で納得すりゃいいのか分からんが、まあいいだろ」
オーフェンは嘆 息 混じりにつぶやいた。彼女より先に、その看板の下にある入り口へと向かう。
「あ、なんか素 直 ですねぇ」
とてとてとあとについてきながら、彼女は言ってきた。
「............」
とりあえず、無 言 で通す。
多少なりとも乗り気になったのは──
オーフェンは、認 めざるを得なかった。脳 裏 に横切ったワンセンテンス。
(......まともな仕事......)
そのためだったことを。
暗い受付には人影もない。
汚 れたカーペットに、掃 除 の形 跡 すら認められない曇 ったガラス窓 。しおれた花に見えなくもない謎 の物体がもたれかかっている花 瓶 。閉ざされた奥への扉 。その扉の向こうから、遠くかすれたような、男女の声が聞こえてくる......
「あああ......ここは......暗......寒い......」
「たす......けて......」
「............」
「ぎひぃぃぃぃぃ......」
──最後のは悲 鳴 であるらしい。
「............」
なんにしろ、中を見回して、オーフェンが感じた印 象 はただひとつだった。
建物の中は、いきなり寂 れていた。恐 らくどこまでも寂れているであろうし、寂れていない箇 所 もあるまい。
半眼になって、オーフェンはラシィに向き直った。彼女は、別 段 変わったことはないとでも言いたげに、きょとんとしている。
「どうしたんですか、モグリさん? 立ち止まって怖 い顔したりして」
「あのなぁ」
どこから説 明 すればいいのか迷 って、オーフェンはとりあえず時間を作るために腕 組 みした。かなり長く黙 考 したかもしれない。口を開いた時に、唇 の皮が乾 いて上下くっついていた。
そのままを聞く。
「......ここはなんだ?」
「はあい」
手を挙 げて、彼女。
「就職訓練センターでぇす」
「そーかそーか。よしよし。俺もアレだ、理性ある人間として、現 実 は受け入れよう」
「前向きで良いことですぅ」
「ありがとう。さて、ちょっとつきあってくれ。就職訓練センター。目を閉じて深 呼 吸 してから、この単語を三回繰 り返してみよう」
オーフェンは言いながら、それを実際に自分でやってみた。すうはぁという深呼吸の音が聞こえてきたところからすると、ラシィも素 直 にそれに従 ったらしい。
目を閉じたまま、さらに続ける。
「ああ、ついでだから声に出して言ってみようか。就職訓練センター就職訓練センター就職訓練センター」
「就職訓練センター就職訓練センター就職訓練センター」
これはラシィの声。オーフェンはうなずいた。
「......さて、心に浮 かんできた光景があるはずだ。それを忘れないようにして、ゆっくりと目を開こう」
そうっと......
まぶたが震 えるほどにゆっくりと、オーフェンは目を開けた。ぼやけた視 界 に映 るものが、次 第 にそれまで心に浮かんでいた風景を駆 逐 していく。そして──
見えるのは、もとの寂 れた受付でしかなかった。
ラシィへと向き直る。彼女は、目をぱちくりさせて、きょろきょろとあたりを見回していた。
その様 子 を見て、聞く。
「言いたいこと、分かってくれたな?」
「はいぃ」
快 活 な彼女の返事が、似 つかわしくない建 物 の中に響 いた。
「受付に誰もいないのは、別にお昼休みとかそーゆうことではないから安心してくださいね」
「誰がそんなことを気にするかっ⁉ 」
と......
奥への扉 が、ばたんと開いた。
反 射 的 に、さっと身 構 える。
攻 撃 的な──場合によっては怪 物 だかなんだか、この雰 囲 気 に相応 しそうなものさえも想像しながら、オーフェンは強力な魔術の構 成 を展 開 していた。が。
開いた扉のスペースには、誰もいない。
無人の闇 と無言の虚 ろとが渦 巻 く。扉の向こうは受付よりさらに暗く、判 然 としなかった。
ラシィが、横から言ってくる。
「良かったですね、順番待ちしないですむみたいです」
「だから、誰がそんなこと気にするってんだよ⁉ 」
「えー。わたし、歯医者さんとかの順番待ち大 嫌 いなんですよぉ」
「ううう。話をするたびに、なにを言っても無 駄 だってことを再 認 識 させられるってのは......」
オーフェンは毒 づきながら、改 めて開いた扉の向こう側をのぞき込んだ。包 丁 を持った人形でも歩いてくるのではないかと、意味のない戦 慄 を覚 えながらじっと待つ。
結局、そういったものは──意外にも──現 れなかったが。
最初に見えたのは、手だった。ぬっと、陰 からせり出してくる手。その手に引きずられるように肘 が、肩 が、そして頭が闇の奥から現れる。
それは、男だった。豪 快 でも、豪 傑 というふうでもない、ただやたら豪 勢 な髭 を生 やした貧 相 な男。眉 はハの字にくっきりと下がり、それになぞられるように垂 れ下がった目は、まるで鬱 血 したように血 走 っている。どういうつもりなのかは分からないが、白 衣 。薄 汚 れている。顔ではなく手が最初に見えたのは、男が歩きながら手を前方に突き出しているせいだった。震 える指でなにかをつかもうとでもしているのか、そのままのポーズで、ゆっくりと近づいてくる。
オーフェンは、なにに逆 らうわけでもない安らかな気持ちで、ごく自然に拳 を握 りしめて戦 闘 態 勢 をとった。
と──
声をあげたのは、ラシィだった。
「パパ!」
「おお、ラシィ」
「........................」
声をあげなかった のは、オーフェンだけだった。
男はそのまま進み出て、手を下げないまま、ラシィに向かって陰 気 に挨 拶 してくる。
「ラシィよ、その御 仁 が、わたしの助けを必要としているならず者かい?」
「そんな、パパ。ならず者だなんてぇ」
と、ラシィは男の突き出している手に、自分の小さな手をぱしんと打ち合わせてから、
「単に、日がな一日やることなくて、仕 方 ないから人に迷 惑 かけつつ自 堕 落 にしているっていうだけで、その人のことをならず者なんて言えないと思うの」
「ああ、確かにそうだ。ラシィはやっぱり、優 しい娘 だなぁ」
「パパの娘だもの!」
「──って、ちょっと待てい!」

オーフェンは、戦闘態勢をとったまま──
彼の横を通り過ぎてなにやら話し込んでいるふたりを、大声で遮 った。
不 思 議 そうにこちらを見ているそのふたりに対し、うめく。
「......パパぁ?」
「貴 殿 のパパではないぞ」
「分かってるわい、ンなこと!」
オーフェンは叫 んでから、ラシィへと向き直った。顔を近づけて、聞く。
「パパだと? こいつが、君 の父親?」
「はいぃ」
元気よく手を挙 げて、ラシィはうなずいてきた。
「わたしのパパですぅ。うらやましいですか?」
「いや別に」
きっぱりと言ってから、自分のこめかみを指でたたく仕 草 をする。
オーフェンは疑わしげな半眼で、彼女をにらみつけた。告げる。
「......いきなり官 民 の癒 着 を見たような気がするぞ」
ラシィは、心 外 なようだった。
「えー。そんな、魔 術 士 同 盟 は別に官 僚 じゃないですよぅ」
「魔術士にとっちゃあ、似 たようなもんだろうが」
「似たようなものっていうのは、結局は違 うから似たようなものなんですぅ」
怒 ったようにほおを膨 らませて彼女は言ってきた。
と、その横から、男が割り込んでくる。
「待つのだ、ラシィ」
「でも、パパぁ」
「ラシィ。こういう時には、言うべき言葉があるのだ。わたしに任 せなさい」
男は堂 々 としたバリトンを響 かせて、やや戯 曲 的 にそう言うと、さっと腕 を振り上げた。遠くを──といってもせいぜい向こうの梁 だが──見やって、
「貴殿はそれを、癒着と呼 ぶやもしれぬ。だがわたしはそれを、霧 の湖 城 と呼ぼう」
つつ、とこちらに近寄ってきて、ひとりうなずく。
「というわけで、貴殿が見たのは霧の湖城だ。さて話を進めようか」
「えーと......」
返答に困 っているうちに、歓 声 をあげたのはラシィだった。
「すごぉい、パパ。モグリさんもすっかり納 得 って顔してるわ!」
「誰がだ⁉ 」
「ほほう。この御 仁 はモグリさんというのだね、ラシィ。なるほど......うむ。モグリになるべくしてつけられたかのよーな御名前ですな」
「断 じて違うっ!」
「えー。モグリさんよぅ」
「違うと言ってるだろーがっ!」
「して、モグリさん」
「......まったりとしつこくムカつくな、お前ら」
「まあまあ、モグリさん」
男は、どこか超 絶 した視 線 の高さ──別に物理的な高度というわけではない、そんな高さで腰 を折ってお辞 儀 をしてきた。
「とまれかくまれ、わたしが当センターの仮 責任者、フィリップ・クルティです。どぞよろしく。ささ、奥へ奥へ」
「はぁ......」
フィリップに腕を引かれ、ラシィに背中を押されながら──
オーフェンは、ゆっくりとセンターの奥へと入っていった。
奥はと言えば、普通の部 屋 だった。
というより、受付も、まあ普通ではあったのだ──ただ寂 れているだけで。そういう意味では、この部屋も十分に寂れていた。
どことなく病院の診 察 室 を思わせる白い壁 、飾 り気 のない家 具 や棚 。椅 子 だけは病院の丸椅子と違って木製で、まあどこにでもあるものだった。本棚を見やると、それらしいタイトルがずらりと並んでいる。経 営 学 や心のセラピーといったものだった。
椅子に座 ると、フィリップはそれらと一体になった調 度 品 のように納 まっていた。充 血 した目を閉じて、もったいつけた口 調 で説明を始める。
「さて、当センターの目的ですが」
「ていうか──」
オーフェンは、なんとなく気になって聞いてみた。
「さっき、仮責任者とか言ってたよな。仮って、ほかに責任者でもいるのか? そーいや、表 の看 板 にゃ、オー・ロッカスとか書いてあったけど──」
「さて! 当センターの目的ですが!」
「うわぁ!」
いきなり声を大きくしたフィリップに、二、三歩後 ずさりする。
フィリップは構 わずに続けてきた。
「当センターの目的は、言うまでもなく、仕事がしたいがなんらかの理由でそれができない人々に、適 正 な矯 正 カリキュラムを与え、社会に貢 献 できるようにする。それは分かりますな?」
「......いろいろと納 得 できんことはあるが、理性では承 諾 しておこう」
「うむ」
と、うなずいて、フィリップはまた視線を遠くにした。
「......残念なことに、今現在、当センターには依 頼 者 と呼べるようなお方はおられないが」
「......誰もいない?」
オーフェンは、その言葉に再 び引っかかるものを感じて聞き返した。
「さっき、入り口で聞こえた声は......?」
「おられないが!」
「どわぁ!」
再び声を大きくしたフィリップに、同じように後ずさりする。あまりさがり過ぎて、後ろにいたラシィに身体 がぶつかった。
「駄 目 ですよぅ、モグリさん」
人差し指を一本立てて、ラシィが言ってくる。
「聞いていいことと、悪いことがあるんですよぉ」
「そ......そーなのか......?」
「だが、貴 殿 は安心してよろしい」
「はあ」
あくまでもマイペースに言ってくるフィリップに生 返 事 を返す。髭 を揺 らして、彼はうなずいた。
「依頼者が貴殿だけであるがゆえ、当センターはその総 力 を、貴殿の人 生 設 計 の構 築 に充 てることができる」
「へえ」
「古 来 より、こういった状 況 を指 して、先 達 が遺 した偉 大 な言葉がある......」
強く拳 を握 りしめ、フィリップはふるふると肩を震 わせた。
オーフェンは心持ち遠巻きになりながら、聞いてみた。
「なんだ?」
「暇 つぶし、と」
「帰る」
くるりときびすを返した、その時だった。
「駄目ですっ! モグリさんっ!」
素 早 く両手を広げて、ラシィが行く手を遮 っていた。彼女はしごく真 剣 な面 持 ちで、
「ちょっと厳 しいことを言われたくらいで、くじけてはいけないんですっ! この一 瞬 を耐 えることが、豊 かな明 日 へとつながるんですょぉ!」
「いや......なんかそーゆうこととも、微 妙 に違うと思うんだが」
「まあそれはそれとしてです」
何事もなかったかのように、フィリップが言ってきた。
「問題となっているのは、どういったことですかな?」
「さあ。いたってまともに生活してるつもりなんだけど」
どう答えればいいのか分からず、首だけ傾 げておく。
と、まるで父 兄 のように後ろに控 えていたラシィが、ぱたぱたと手を振った。
「ええとね、パパ。今まで魔術士同 盟 に送られてきた苦 情 によると......」
肩越 しに振り向くと、彼女は懐 から書 類 の束 を取り出したところだった。
「ええとね、『粗 暴 』と『破 壊 力 』と『災 害 的ともいえる平 和 撃 滅 指 向 』ですって」
「ううむ。もはや人間としてあるまじき問題の数々」
「そんなにひどくないわよぅ。モグリさんとしては、たまたま呼 吸 をするのと同じ感 覚 で人に対して凶 暴 性 を発揮してしまうっていうだけだと思うのぉ」
「......好き勝 手 言ってやがるな、てめえら」
犬 歯 を出してうめく。
が、ふたりは聞いてもいないようだった。フィリップが、考え深げに腕 組 みする。
「むう......困 りましたな。これは初日から、紫 の目のコースかもしれませぬ」
「......なんだ、それ?」
「いや、たいしたことではありませぬが。紫色の壁 に目の写真を無数に貼 った部 屋 に閉じこめて、三日ほどその部 屋 の中で悲 鳴 を聞かせ続けてあげますと、いかような粗暴な者もおとなしく矯 正 されるという、画 期 的 なシステムであります」
「いらんわっ!」
「なにを言うのですかっ! この方法で、数多くの若者が救われたのですぞっ!」
「......ホントに?」
聞き返す。と、うなずいて、フィリップが小さくぼそりとつぶやくのが聞こえた。
「病院に......」
「病院? 看 護 夫 にでもなったのか?」
「病院送りに......」
「駄目だろ⁉ 」
オーフェンは叫びつつ、椅 子 を蹴 った。フィリップにではなく、ラシィに向き直る。くいと顔を近づけ、
「おーまーえーなー。いいか、確かにこの街 の住人はしょーもないアホばっかりかもしれん。だが魔術士同盟だけは、俺にとっての最後の砦 だったんだ。せめてお前らはまともであってくれ、いいな⁉ 」
「えー。わたし、一 所 懸 命 ですぅ」
胸 元 で手を組み合わせて、ラシィがそう抗 弁 した、その時だった。
がしゃあん。
なにか遠く──というより、地下から聞こえてきたようにも思う。なにかが壊 れる音がはっきりと響 きわたった。次 いで、なにか乾 いた木を打ち合わせるような音が、今度ははっきりとその部屋に響いた。
見やる。と、壁にかけてあった鳴 子 が、からからと音を立てている。
がたっ、とフィリップが椅子から立った。
「むう」
顔 面 が蒼 白 になっている。
「なんということだ......奴 が、奴が目 覚 めおったか」
「パパ、どうしたの?」
「ラシィ、そしてモグリさん、ここは危険だ。逃げなさい」
「そんな、パパ、事 情 を話して!」
「......いやそんな、ふたりだけで盛 り上がられても困るんだが......」
取り残されてオーフェンは、小さくぼやいた。そうしているうちにも、なにやら、かつん......かつん......と、足音のようなものが近づいてくるのが分かる。
鳴子はもう鳴りやんでいた。とりあえずやることがないため、オーフェンは耳をじっと澄 まして神 経 を集中した。
と。
足音は──自分の立っている床 の真 下 から聞こえてきていることに気づく。
ふと見 下 ろす。彼が立っている場所はちょうど、フタのようになっていた。
(ああ......俺の馬 鹿 ......俺の迂 闊 ......)
さらさらと流れる風を思いながら、そんなことを考える。刹 那 ──
どばんっ!
上に立っているオーフェンごと、フタが思い切り跳 ね上がった。衝 撃 と浮 遊 感 にもてあそばれ、天 井 に激 突 してから床に着地する。ちかちかと星が瞬 く視 界 をなんとか押し開くと、そこには、また新 たにひとり男が立っていた。
「きゃああああああ!」
「貴 様 ......まだ生きていたとは!」
クルティ親 娘 の声を背 景 に、ごほぉぉぉぉ、と人間離れした雄 叫 びをその男はあげた。ずたぼろになった白 衣 をはためかせ、ぼさぼさになった髪 が怒 髪 天 をつくように逆 立 っている。だが別にそれは、感情のせいとばかりは言えないらしい。男は、鉄 仮 面 のようなものを着 けていた──鉄仮面の隙 間 から伸 びた髪が跳 ねているのである。
なんにしろ、鉄仮面のせいで年 齢 は分からないが、その体 格 は若い男のものではなかった。鉄仮面はのぞき穴もなにもなく、ただ口元に、空気穴のようなものが申 し訳 程度に開いている。
「ぐぁっははははははは! フィリップ〜、ついに! ついにわたしは、地上にもどってきたぞ〜!」
「くうっ! なんということだっ!」
フィリップが、なにやら口 惜 しそうにあごにしわを寄せて叫んでいる。
「伝説の矯 正 カリキュラム、鉄仮面かぶせて地下迷 宮 コースを受けて、生きて帰ってくる者がいるとはっ⁉ 」
「ああああああああああ」
これは、オーフェンだった。脳 しんとうを起こしたせいか、身体 が動かない。ただわたわたとうめきながら、状 況 を見る。
鉄仮面の男は、わなわなと震 える指をフィリップへと向け、さらに怨 霊 のような声をほとばしらせた。
「はっはっはっ。愚 かなりフィリップ。助 手 の分 際 で、センターの責任者であるこのオー・ロッカスを、生きて帰ってきた者はいないという地下迷宮コースに誘 い込み、己 が責任者の座に納 まるとは」
「くうっ! やはりあの時、とどめを刺 しておくべきだったのか......確かに就 職 訓 練 センターの責任者ともなれば、全労働者の神、すなわち世界の支配者にも等 しい存在──」
「......そーなのか?」
オーフェンは気力を振 り絞 って突っ込んだが、誰にも聞こえなかったようではあった。フィリップがそのまま続ける。
「その座に執 着 し、あなたが帰ってくることは予 想 して然 るべきだったのだ!」
「はぁっはっはっ! 三日間もの長い地下迷宮での探 索 によって、わたしは以前のわたしとは数段違 う、ネオな感じに生まれ変わった! なにしろずっと四つん這 いだったから、背 筋 が鍛 えられた感じだ! 覚 悟 を決めるのだな、フィリップ!」
「なんの! このフィリップ、負けはせん! 必 殺 、仮面をかぶってるから、押されると転 んじゃうだろチョップ!」
「おおおおっ⁉ 」
ぐらり、とよろけて、鉄仮面があっけなく出てきた床 の穴 へと転 げ落ちる。
「すごいすごい、パパ!」
「はっはっは......おや? むう、奴 め、階段の途 中 で引っかかっておる! ラシィ、そこのモップをよこすのだ。てりゃてりゃ!」
「ぬぅおおおおお! おのれフィリップぅぅぅぅ!」
「どうだ、これで終わりだ、あなたももう帰って来られまい──ていうか、この棚 詰 めてここの通路閉じちゃうし」
「ぐあああ! やめろぉぉぉ!」
「ねえねえパパ、ちょっと可 哀 想 だと思うのぉ」
「大 丈 夫 だラシィ! 地下迷宮には、三年分の食 糧 になるくらいのネズミが住み着 いているはずだ!」
............
すべてが終わって。
ぜえはぁという呼 吸 の音も次 第 に薄 れて落ち着 いていく。
棚やらなにやら、めちゃくちゃに押し込まれてふさがれた床の穴を前に、ぐったりと汗 をタオルでぬぐっているフィリップを見ながら、オーフェンはようやく脳しんとうの楔 から脱 して立ち上がった。
ラシィが、てきぱきと、あちこち散らかった部 屋 の掃 除 をしている。オーフェンはふらふらしながらフィリップのほうに近寄っていった。
──と。
しゅたっ、と唐 突 に背筋を正し、ポーズまで取って、フィリップが言ってきた。
「さ、貴 殿 もこうして、わたしのように健 全 な社会生活を送るため頑 張 りましょう」
「やかましいわぁぁぁぁぁっ!」
叫 びながら、どす黒い魔 術 の構 成 を解 き放 つ──
そして......
即 日 、このオー・ロッカス就 職 訓 練 センターはトトカンタ市から消 失 した。
(大きなお世話だこの野郎!:おわり)


今 朝 もまた、いつもと同じ食堂の入り口から入ってきたのは、どこか子供を思わせる、そんな女だった。だというのになぜかスーツ姿 は妙 に似 合 っている。彼女は意 気 揚 々 と声をあげた。
「と、ゆーわけでオーフェン、今朝もお待ちかね、楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しいお仕事よっ! いま楽しい楽しいって八回も言っちゃったその理由は、別に昨日 、サブリミナル大 百 科 を読んだからじゃないのよ!」
彼女は大 股 ですたすた入ってくると、なにやら実 際 楽しげににこにこ笑いかけてきた。
「きっとオーフェン楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい街 の警 邏 を手 伝 ってくれるはずよね楽しい楽しい楽しい楽しいんだもの。さあ張 り切 って街の治 安 を──」
と。
食堂に入ってきた彼女の首に、音もなくふわっと、細いロープがかかった。輪 の形に結 ばれたロープが、彼女の首のところで、きゅっと絞 まる。
「ぐぎぇ」
それまでのにこやかな声とは限りなくかけ離 れた音を発して、彼女のせりふは途 切 れた。
そして、食堂の入り口に、そのロープのはしを手にして、無 表 情 な男が姿を見せる。灰色のコートを着た、いかにも警 官 らしい男である。
「ダ、ダイアン部長刑 事 ⁉ 」
首がしまった状 態 で、彼女が声をあげる。
男はうなずきもしなかった。淡 々 とした声で、
「コンスタンス三 等 官 。今日 からしばらく君 の任 務 は、警 察 の裏 庭 で四時間穴 を掘 り、また四時間かけてそれを埋 めることに決まった」
「な、なんですか、それ?」
「とりあえずそれが街の治安にとって最 良 の選 択 だと判 断 した」
「な、なんでぇぇぇぇぇぇっ⁉ 」
悲 鳴 をあげながら──
引きずられ、去 っていく彼女を見送って。
「............」
「............」

オーフェンは、嘆 息 して正 面 に向き直った。彼がいるテーブルの向かいに、なにひとつ不自然なことなどないとばかり堂 々 と座 っている、黒と赤のマントを着た少女。
「と、いうわけで」
彼女は快 活 に言ってきた。
「今日もまた、モグリさんの生活水 準 底 上 げのため、いろいろなプランを持ってきました! ええと、①働く、②頑 張 る、③なんか彫 像 とかを生 き甲 斐 にして三十年後くらいに街の名 物 になる──」
「ううう」
とりあえず、うめく──
目の前の彼女は、その声が聞こえた様 子 もなく、ひたすらにその底上げプランとやらを唱 え続けた。大 陸 魔 術 士 同 盟 で働く、ラシィ・クルティである。
オーフェンは半 眼 でそれを聞いていた──正 確 に言えば、聞いているふりをしていた。実際は、ラシィの肩 越 しに、ぼーっと壁 を見つめるだけだった。そんな自分のことを、ふと哀 れに感じる。黒 髪 黒目、着ているものも黒ずくめ。胸 元 には銀 細 工 のペンダント。大陸黒魔術の最 高 峰 《牙 の塔 》の紋 章 たる、剣にからみついた一本脚 のドラゴン。
(ひょっとしたら......なんかもー、こいつがなにもかも厄 介 事 の原 因 なのかもな)
そんなことを考えたりもする。
「⑧魔術士同盟に参加する、⑨職業:作家を名 乗 る──あ、これは、あんな仕事、名乗っちゃえば名乗った人勝ちってことで」
「あのな、ラシィ」
オーフェンは、なるたけゆっくりと、嚙 みしめるように彼女を制 止 した。きょとんとした表情で、ラシィは、
「なんですか? モグリさん」
「ひとつ聞きたいんだが」
「はいぃ。なんでもどうぞ」
にこにことうなずく彼女に、オーフェンはどこか灰色の乾 いた風を感じながら聞いてみた。
「どーすれば、君は俺 の周 りをうろちょろするのをやめてくれるんだ?」
答えが返ってくるのを期 待 していたわけではなかったが──
ラシィの答えは、痛 いほどに明 快 だった。
「モグリさんが、ちゃんと幸 せな生活を送れるようにするのがわたしの仕事ですから、そうなるまでは頑張りますぅ」
「............」
様 々 な言葉を思い浮かべ──
オーフェンが考えたのは、ただひとつのことだった。
(どうすれば......彼女を言いくるめられるんだ?)
なんとか作 戦 を立てて、咳 払 いする。オーフェンは、目を閉じてテーブルの上に腕 を出した。テーブルに軽く置いて、つぶやく。
「なあラシィ。幸せってなんだろう」
「さあ」
あっさりと無 責 任 に、ラシィが首を傾 げる。オーフェンはさらに続けた。
「俺は思うんだが......人によって幸 福 は様々だ。なのに君はどうも、俺の生活を向 上 させるためと言って、全部なにもかも現 金 収 入 に結びつけてやしないか?」
「お金、いらないんですか?」
「いらない......とは言わないさ。だがラシィ。人は必 要 なものだけを持っていればいい。俺にとって必要な金というのは、遠い未 来 、老 後 まで生きていくのに必要なものまでは含 まれていないんだ。金に振り回されて大 切 なものを失 わないために、俺は、今日を生 き抜 いている」
自分で言いながら、なんだか意味が分からないと気づいていたが、あまり考える時間もなくしゃべっているのだから仕 方 がない。とりあえず彼女がそれに気づく前に──オーフェンは顔を上げた。
はったりを利 かせるために、瞳 の中に意 志 の光を灯 す。
「ラシィ。俺はもう幸せなんだ 。君の助けはいらない。君のその才 能 と努 力 は、もっとほかの、本当に君の助けを必要としている人に対して使うべきだ。そうだろう?」
「モグリさん......」
彼女は目を潤 ませて、ゆっくりと口を開いた。胸 元 で手を組んで、
「モグリさんの言っていること、とてもよく分かります」
「分かってくれたか」
「お金は信 用 できないから、現 物 支 給 がいいってことですね」
「分かってないっ!」
「王 家 発 行 のソケット紙 幣 が信用できないなんて、国 家 反 逆 の意 図 でもあるんですか?」
「にこやかに聞くなっ!」
オーフェンは叫 びながら、テーブルを叩 いた。その反 動 で立ち上がりながら、
「あーもう、はっきり言っておいてやる! いいか、俺は君の助けなんぞカケラも必要としてないし、むしろ思いっきり迷 惑 してるんだ!」
「ええっ⁉ 」
彼女は初めて──というかようやく、驚 きの表情を見せた。うろたえるようにずずずと椅 子 を退 がらせ、マントから出した手を震 わせて、言ってきた。
「それがなにか?」
「動 じたなら動じたらしいことを言えよちょっとはっ!」
声をあげて、オーフェンは彼女に指を突 きつけた。
「だいたいだな、わざわざ人の生活に土 足 で踏 み込 んできて、水 準 が低いだの不幸だの蛋 白 源 が卵 だけですかそういうのって悲 惨 じゃありませんかどこで人生間 違 ったんですか事 細 かに話してくれませんかだの、好 き勝 手 言いやがって」
「そこまで言ってませんけどぉ」
「うるさいっ! とにかくだな、もー金 輪 際 、俺の周 りをうろちょろすんなっ!」
「えーでも、こうやって、魔術士の互 助 を進めるのがわたしの仕事ですしぃ」
「迷惑だ、と言ってるんだ!」
「その通りですわっ!」
と──
声はまったく唐 突 に、食堂に響 きわたった。
ばんっ、と厨 房 の扉 が開き、そこから栗 色 の髪のウエイトレスが姿 を現 す。どこか霞 がかったものを感じさせる瞳 の色に無理やりしけった炎 を灯 し、彼女はトレイを掲 げて進み出てきた。
「わたしの断 りもなくオーフェン様にまとわりつき、あまつさえオーフェン様を幸せにしようなどと──決して看 過 することなどできませんわ!」
「よくぞ申されましたぞボニー様!」
彼女の後ろから、タキシード姿の若い銀 髪 男もついてきている。彼女の執 事 、キースだった。彼は白いハンカチで目 元 を押さえながら、声を震わせたようだった。
出てきたウエイトレス──ボニーは、それを聞いて大きくうなずき、
「オーフェン様を幸せにするのは、このわたしと決まっているのですわ! というわけでそこのマント女、僭 越 な真 似 はほどほどにして、オーフェン様もおっしゃっている通り、さっさと消え去りなさい!」
「お断りしますぅ!」
ラシィが、椅子を蹴 って立ち上がった。眉 をVの字にして、叫 ぶ。
「大陸魔術士同盟は、魔術士独 自 の互助組 織 ですぅ! あなたの命 令 を受けるいわれはありません!」
「命令ではありませんわっ!」
ボニーが、胸 を張って言い返した。
「──これは、通 告 ですっ! 言う通りにしないのなら、ただではすませませんわよ!」
「魔術士を脅 迫 するつもりですかぁ⁉ 」
「愛に生きる者は、愛それ以外のすべてを制 圧 するのですわ!」
「............」
にらみ合うふたりを見ながら、どことなく蚊 帳 の外の気分を味わいつつ──
オーフェンは、ぽつりと独 りごちた。
(......なんか、そこはかとなく会 話 が嚙 み合ってないよーに聞こえるんだが)
だが、そんなことは構 わずに、ラシィとボニー、ふたりはいつの間にか手のとどく距 離 で対 峙 していた。鏡 に映 したように厳 しい表情で、視 線 をぶつけ合っている。
そして──
ひゅんっ。
ラシィが軽く放 ったジャブが、ぺしと音を立ててボニーの鼻 先 に当たった。
「痛 っ」
目をぱちくりさせて、ボニーが少し退 がる。だが彼女はすぐさま、懐 からなにかを取り出して、ラシィにそれを投 げつけた。
さくっ。
「あっ」
ラシィが、驚 いたような声をあげる。
ボニーが投げたフォークは、あっさりとラシィの眉 間 に浅 く刺 さっていた。
両者、しばし、じっとにらみ合い──
「ファイト!」
突 然 キースが高らかに叫ぶと同時、がしっと力 比 べの形で組み合った。
「待たんかいっ!」
かき分けるようにふたりの間に割 って入りながら、オーフェンはうめいた。
「なにをふたりしてごく自然に張り合ってるんだよっ⁉ 」
「いえ、なんとなく......」
どちらともなく、つぶやいてくる。
こめかみがうずくのを感じながら、オーフェンはくるりと振り向いた──いつの間にかテーブルの上に正 座 して茶などすすっている銀 髪 執 事 に、
「お前も、なにがファイトなんだ?」
聞く。キースは、真 顔 で答えてきた。
「黒魔術士殿 。時に真 剣 勝 負 は、言葉より深く互 いの心を伝えるものです」
「......ほほう」
「そして戦 いとは、相手を超 え己 を超え、そして大自然をも超 越 し、ついには芸 人 となる求 道 の極 み!」
「......そーなのか?」
「というわけで、ファイト!」
「えいっ!」
「とおっ!」
「やめいと言っとるんだっ!」
再 びクロスカウンターの形で動きを止めたラシィとボニーに、オーフェンはうめいた。
「はっきり言っとくが、俺は別に、誰 の助けも必要としてないからな! どっちがどーとか、俺を無 視 して勝手に張り合ったところで、俺は知ったこっちゃないぞ」
「まあ、オーフェン様......」
よろろ、と後ろに退 いて、ボニーがほんのりとほおを赤らめる。

「それは限りなく遠回しな愛の告 白 なのですね」
「どこまで遠回しに解 釈 すればそうなるんだっ⁉ 」
叫ぶ。ボニーはさらに照 れるように身をよじった。髪の中に隠 れながら笑って、答えてくる。
「ほんの、百八十度ほど回 転 しましたの」
「それはつまり正 反 対 ってことか?」
「さあ、ともに世界の中心ででも愛を叫びましょう」
「会 話 をしてくれ、頼 むからっ!」
オーフェンは悲 鳴 をあげたが、ボニーはまったく無視してラシィへと向き直った。びしと指を突きつけ、急に顔を険 しくする。
「どうですの? この愛の場面を見ても、あなたはわたしとオーフェン様の間に割って入れるとお思いなのですか⁉ 」
「くうっ!」
なぜか口 惜 しげに、ラシィがうめき声をあげるのが聞こえた。きつく目を閉 じ、かぶりを振って祈 りのポーズを取り、なにやらぶつぶつ独 り言 を始めている。
「わたし的に最大のピンチですぅ。ああ、希 望 の一 番 星 さん、いったいどうしたらいいの? え? 殺すのは駄 目 ですぅ。四年前とは違 うんですからぁ」
「......なんかさりげなーく怖 いこと言ってやがんな」
オーフェンは腕 組 みしてつぶやいてから、ふたりの顔を順々に見やった。迷 惑 さで言えば、どっちもどっちだが。
「だってぇ」
ふたりは、互 いにふたりを指さして口をとがらせた。
「このマント女が、あんまりオーフェン様になれなれしくしているんですもの」
「この民 間 人 がわたしのお仕事を邪 魔 するのが悪いんですぅ」
魔術士はよく魔術士以外の人間のことを民間人と呼 称 するが、だからといって無 論 、魔術士たち自身が非 民間人であるということでもない。まあ、それはそれとして、
「あのな」
オーフェンは、嘆 息 混 じりにふたりに告 げた。
「お前ら、どーあっても俺の邪魔を続ける気か?」
「邪魔だなんてっ!」
ボニーは、思い切りかぶりを振って、叫 び声じみた答えを返してきた。
「わたしはただ、オーフェン様のお力になろうと......ただそのためだけに、生きてきましたのにっ!」
「魔術士でもない人間が、どうして魔術士の幸せを理 解 できるんですかぁっ⁉ 」
抗 議 するように拳 を握 り、ラシィが声をあげた。マントをばさっと翻 し、堂々とボニーに断 言 する。
「魔術士たちは魔術士同 盟 という組 織 の中でのみ生きてくることができたんですぅ! 歴 史 をひもといてみても、貴 族 内 革 命 なる簒 奪 劇 で王 宮 を血に染 めた貴族連 盟 、タフレムに卑 劣 なる奇 襲 を行 い、都市そのものを消 却 するほどの病 的 な破 壊 を行ったキムラック教会、いまだに人 権 を無 視 した魔術士狩 りを続けるドラゴン信 仰 者 たち──」
と、それらすべてを本気で信じているらしく、その丸い目を怒 りに震 わせている。
「その悪 夢 の中で魔術士たちだけが、歴史の加 害 者 に回ることなく生きてきました! これは魔術士に善 なる大 儀 があったわけでもなんでもなく、ただ生 き延 びることのほかに余 裕 がなかったからです! 貴族連盟の圧 政 の下 、悲しき時代にすべての魔術士たちは、同盟の中でだけ平 穏 に暮 らすことを許 されたんですからぁ!」
長い言葉をなんとか吐 きだして──
ぜえはぁと息を弾 ませて、ラシィはもう一度かぶりを振った。ずい、と胸を張って一歩進み出て、ボニーに詰 め寄 る。
「わたしたち魔術士のことは、わたしたちにだけ任 せてくれればいいんですぅ」
が、あごを上げた彼女が接 近 してきても、ボニーはまったく退 かなかった。きらりと目を輝 かせ、対 抗 するように上 体 を反 らす。
「ふっ......全然分かっておりませんのね」
「なんでですかぁ⁉ 」
唾 を飛ばして叫ぶラシィに、ボニーは鼻 で笑う仕 草 を見せた。
そして──唐 突 に、大きく腕を振り上げると、なにやら適 当 な方向を指さし、
「愛は常 に未 来 を向いているのですわ!」
やたらときっぱり断言する。
「過 去 なんて関係ありませんっ!」
「くうっ⁉ 」
またラシィが口 惜 しげに下 唇 を嚙 む。
「あのー......」
両者を見ながら、オーフェンは半眼で声をあげた。忠 告 のつもりで言ってやる。
「お前ら多分、この調子だと永 遠 に平 行 線 だと思うぞ」
が、ふたりはまったく聞いた様子もなかった。構 わずににらみ合って口 論 を続ける。
「そーんなことでわたしとオーフェン様の愛を邪 魔 しようなんて、大 甘 なのですわ!」
「そんなことはありません! 同盟の結 束 は、なによりも強いんですっていろんな人が言ってましたぁ!」
「なぁ......」
おずおずと手を伸 ばすが、まったく通じない。
「どのような法でさえ、愛を縛 ることはできなかったのですわよ!」
「わたしたちの受けた迫 害 も知らないで、どうしてそういうこと言うんですかぁ⁉ それってすっごくひどいです!」
「えーと......お前ら?」
「わたしたちの愛永遠なーれ、黒マントの女は深 爪 になーれ」
「あ、なんかちょっと呪 いっぽいこと言いましたね⁉ しかもなんかさりげなく踊 ってませんか⁉ 気を抜 くとうっかり呪いにかかっちゃいそうだからやめてくださいぃ!」
「............」
オーフェンはついに無 言 になって、半分まぶたを閉じてふたりを見つめた。小さくため息をつき──顔の高さで両腕をクロスさせ、つぶやく。
「ファイト」
「とおっ!」
「はあっ!」
どかっばきっ──
ふたり同時に互 いの顔 面 に拳 を打ち込んだラシィとボニーは、そのままゆっくり......似 たような格 好 で、床 に倒 れた。
それを見 下 ろし、後ろ頭をかきながら、オーフェンはうめいた。
「......ま、少なくとも静かにはなったな」
静かになったからといって──
別にどうなるというわけでもなく、どちらかといえば単に静かになっただけだったと言うべきなのかもしれない。
それぞれ、椅 子 にロープでぐるぐる巻きにされたラシィとボニーを横目で見つつ、オーフェンはため息をついた。
「あのあの」
回 復 したラシィが、丸い目をきょとんとさせて、聞いてくる。
「なんで目が覚 めたらこーゆうことになってるのか、理 解 不 能 なんですけどぉ」
オーフェンがそれに答えるよりも先に──ふっ! と聞こえよがしに鼻で笑ったのは、ボニーだった。ラシィが目つきを狂 暴 なものにしてそちらを見るが、ボニーはまったく気にしない様 子 で、
「オーフェン様の真 意 も分からないとは......やはり未 熟 者 ですわね!」
と──肩を少しあげたのは、手の甲 を口 元 に当てるポーズでも取りたかったのだろう。椅子にロープで固 定 されていては、そんなこともできないが。
「なにが言いたいんですかぁ⁉ 」
ラシィが──いまいち威 厳 はないが──声をすごませる。ボニーはしばし余 裕 の笑 みを見せつけてから、高らかに言い放 った。
「オーフェン様は、愛を語られる際、必ずその相手を椅子に縛 り付けるのですわっ!」
「どーしよーもなく人聞きの悪いことを自信たっぷりに言うなぁぁぁぁっ!」
力の限り叫 んだあと──
「......そんな......」
ラシィのつぶやきを聞いて、オーフェンは、冷 や汗 など垂 らしながらそちらを見やった。ラシィはなにやら、蒼 白 な顔を見せてきている。
「モグリさん、ごめんなさい。わたし、どうしてもモグリさんのことそういう対 象 としては見ることができそうにありません」

「なんであっさりと真 に受けるっ⁉ 」
「でも、お友達としてなら、これからちょっとずつ信 頼 関 係 を」
「違うだろ⁉ 」
オーフェンは両手をわななかせ、うめいた。ばんばんとテーブルを叩 きながら、
「お前らがどーしてもまともに話を聞こうとしねえから、こうするよりほかになかったんだろーがっ!」
と。
「黒 魔 術 士 殿 ......」
これまでずっと静かにしていたキースが、いつの間にか背 後 にまで近づいてきていた。物静かに言ってくる。
まるっきりうろんな目つきで見返して、オーフェンは返事した。
「なんだ?」
「花は片手に持つものです」
「......はぁ?」
「この際、黒魔術士殿もはっきりと心を決めて、どちらか一方に愛の告 白 を」
「味 方 はいないのか味方はぁぁっ⁉ 」
あたりを見回しながらオーフェンは叫んだ。
そして──その時だった。
「お待たせしたようね!」
ばんっ、と食堂の扉 が開き、姿 を現したのは、再 びコンスタンスだった。なにやらあちこち泥 で汚 れているうえ髪 も多少ほどけていたが、そんなことはまったく気にしないように大きくふんぞり返ると、
「いつの日だって治 安 のために、全力尽 くして西 東 ! さあオーフェン! なるたけ素 早 く、遠く遠くまで街 のパトロールに出かけるわよ! いや別にあくまで逃げるわけじゃないんだけど──」
そこまでまくし立てた頃 に──また背後から、彼女の首にふわりとロープがかかる。
「ぐぎぇ!」
そして小さく、感情のない声が聞こえてきた。
「さぼるな」
「いやぁぁぁぁぁぁっ⁉ 穴 堀 りはいやぁぁぁぁぁぁっ⁉ 」
悲 鳴 を残して、そのまま引きずられて去っていく。
「............」
オーフェンは、しばしそちらを見ていたが。
さきほどと同じように嘆 息 して、正 面 に向き直った。ラシィとボニーが、またぎゃあぎゃあと騒 ぎはじめている。
「オーフェン様! 迷 うことなんてありませんわ! オーフェン様の幸 せをお風 呂 場 のカビのよーにしっかりしつこく築 いて差し上げられるのはこのわたしだけです!」
「モグリさん、騙 されちゃいけませんんっ! 幸せは、自分で切り開いていくものだって決まっているんですぅ! つらく厳 しい開 拓 の道を汗 して進み、そして最後に残ったほんの小さな幸せを嚙 みしめる! これ以上の幸せなんてないし、これ以外の幸せなんてものもないんだって、就 職 適 性 テストでそう答えないと減 点 対 象 になるんですよぅ!」
「しかし、意外でした......」
しみじみと、小さくつぶやいたのはキースである──
「黒魔術士殿が今まで、幸せでなかったなどとは、このキースめ、小 指 の先ほども思いつきませなんだ」
「あああああ......」
なにか、ふらふらと──頭の中で崩 れるような感 覚 を味わいつつ、オーフェンはテーブルに手をついた。我 知 らず爪 が、木製のテーブルの表面を引 っ掻 いている。
なにがどう、というわけでもないが虚 しいものが口の中に広がっていく。それを吐 き出すべく、オーフェンは長々とため息をついた。
「......あら?」
「モグリさん?」
ふたりの問いかけを聞きながら──
答える言葉もなく、オーフェンはふらふらと、食堂の外へと出ていった。
街は空 疎 だった。
いや、いつもとなにが変わったわけではない。道には人通りがあり、喧 噪 にあふれ、看 板 の文 字 や標 識 の記 号 が飾 る。ただそれらすべてはしょせん見えて見えざるものに過ぎなかった──乾 いた鐘 の鳴 り響 く頭の中では。
オーフェンはひとり街を歩きながら、深い意 図 もなく自分が問うた言葉を、今度は自 問 していた。
幸せとはなんだろう?
幸せでない状 態 を不幸という。だが不幸でなければ幸福だというわけでもない。虚 ろな鐘の音 のように、その意味のない言葉の回転をオーフェンは思い続けていた。考え込みながら、どこへともなく足は進む。
これはなにかと問われれば、たいていのことには答えられると思っていたが、幸せとはなにか、それだけは頭の中に答えを持っていなかった。
そのことが今さらショックだというわけでもない──予 想 もしていたことだ──が。
ただひたすら情 けない思いを抱 きながら、オーフェンは街を放 浪 していた。
幸せとはなんだろう。幸せってなんなんだ? 意味もなく無 能 警 官 の仕事の手伝いをさせられることではないのだろう。わけの分からない連中にわけも分からずつき合わされ、最後に街を破 壊 することでもないはずだった。借 りた金も返すつもりがない地 人 たちを意味もなく追いかけ回すことだろうか。ましてや、それら全部が重なっているとしたら?
(ただひとつ言えることは、だ)
げっそりと、オーフェンは独 りごちた。
(......ここから抜け出さない限り、ゼロにももどれねえってことだな)
焦 点 の合わなかった目に、光がもどるのを感じる──
街の空疎さを、現 実 が埋 めていく。人通りを感じ、喧噪が聞こえ、文字が意味を成 すように、回復していく。
それを、見 計 らったかのように──
「黒魔術士殿 」
行く手に、タキシード姿 の銀 髪 執 事 が、立っていた。
「キース......」
オーフェンは立ち止まり、半 眼 でつぶやいた。
「まあ今さら、どーやって先回りしたのかなんて聞かないが......どうせお前だし」
「黒魔術士殿」
キースはまったくの真 顔 で、繰 り返してきた。目を閉じ、手のひらだけでかぶりを振るような仕 草 をすると、痛々しく言ってくる。
「そのような落ち込んだ姿、黒魔術士殿には相応 しくありません」
「......そーか?」
疑 わしげに聞き返す。キースは顔を上げ、さらりとあとを続けた。
「いつものように、巨大な卵を抱 えてホウキを二本背中に差し、赤青緑の旗 を振りながらけたたましくコケーコと鳴 くその姿を見せてくださいませ」
「誰 がいつ、ンな格 好 をしたっ⁉ 」
「実は黒魔術士殿に会わせたいお方が、ふたりおります」
オーフェンの叫 びにもまったく動じず、予定されていた司会でも進行させているように、キースが叫ぶ──
「どうぞ!」
執事の声と同時に、道の人通りがいきなり途 切 れる。分かれた通行人の間から姿を見せたのは、
「オーフェン!」
先ほどより、さらにぼろぼろになったコンスタンスだった。なにやら血 豆 だらけになった手を震 わせながら、よろよろと進み出てくる。
「こ、こんなところで会えるなんて奇 遇 だわ! というわけで、限りなく迅 速 に仕事よ! ていうかここからすぐに移 動 したほうがいいと思うのきっともうすぐ後ろにぐぎぇ!」
しゃべり切る間もなく──コンスタンスの首に、また背 後 からロープがかかる。
「あああっ! もういやぁぁぁっ⁉ 」
そのロープに引きずられ、彼女は泣きながらずるずると去っていった。そのロープをつかんでいる後ろ姿──トレンチコートを着た長身の男──が、やはり無 感 情 につぶやいているのが聞こえてくる。
「掘 った穴は埋 めなければならんだろうコンスタンス三 等 官 。埋めたくないのなら自分が掘った穴の底に入っていろ。わたしが代 わりに埋めてやる」
「いやあああああっ⁉ 」
そして、去る。
「............」
またしばし沈 黙 し、オーフェンはキースに向き直った。
「会わせたいってのは、今のか?」
「断 じて違 います」
白 手 袋 に覆 われた手をぶんぶんと振って、平 静 な面 持 ちでキースが否 定 してくる。
「その前に黒魔術士殿、これをどうぞ」
と、彼が背後から持ち出してきたのは、一 抱 えほどの大きさの箱 だった。いや、箱というよりは直 方 体 と呼ぶべきかもしれない。真っ黒で、材質はよく分からない。ただ表 面 には《一〇〇㎏ 》と金 文 字 で記 してある。
「............?」
キースが、ひょいと渡してきたそれを、なんの気なしにオーフェンは受け取った。瞬 間 ──「どおおおおおおっ⁉ 」
とてつもない重さで腕 を地面に押しつけるその箱の重 量 に、オーフェンは悲 鳴 をあげた。前につんのめる、が、なんとか踏 みとどまる。放 り捨 ててしまいたかったが、腕を深く入れすぎて、それもままならなかった。あるいは最初から腰 を入れて持ち上げたのならばなんとかコントロールもできたのかもしれないが、軽い気持ちで受け取ったせいで、肩の筋 が伸 びきってしまっている。動かせない!
「うおおおおおおおおおおっ⁉ 」
オーフェンは延 々 と悲鳴をあげ続けた──が、キースはまったく気にしない様 子 で、むしろなにやら感心したようにぽんと手をたたいて見せるだけだった。
「おお、黒魔術士殿。野 生 のパワーですな」
「お──お前、どーやってこれ持ち歩いてたんだっ⁉ 」
必 死 の形 相 で聞く。が、キースはやはり聞いた様子もなく、
「その姿を見ていると、懐 かしいストローバック・ココポイサンを思い出します」
「す、すとろーばっく?」
「気にしないでくださいませ、黒の直方体の呪 い石を担 いだがため、苦 悶 の末 に死んだ男のことなど」
「おいっ⁉ 」
「というわけで黒魔術士殿、会わせたいお方がおふたり、いらっしゃったようです」
どこか優 雅 に、もったいつけた様子でお辞 儀 し、なにかを紹 介 する手つきで下がっていく──
そして。
通りの向こうから、雄 叫 びとともに土 煙 があがるのが見えた。同時に、足音なのだろう。地 鳴 りのような、低い鳴 動 。
「ちょっとあなた、オーフェン様のもとにはせ参 じる際のわたしの前を走った場合、それなりの覚 悟 をしていただきますわよ!」
「ぜーんぜん気にしませんん! 職 務 にかけるわたしの熱 意 は、評 価 ランクB+って評 判 なんですぅ!」
「くううっ! オーフェン様、わたしに力をお与 えくださいっ!」
「モグリさんが必要としているのはわたしの助けですぅ! だいたいモグリさんのことを孤児 だなんて変な名前で呼ばないでくださいぃ! そんな馬 鹿 げた名前があるわけないじゃないですかぁ!」
聞こえてきたのは、そういった声だった。
思わず、頭を抱え──たかったが、石のせいでそれも適 わない。数秒後には、通 行 人 を蹴 散 らして、ふたりが姿を現していた。
「オーフェン様!」
「モグリさん!」
汗 まみれになったボニーとラシィが、並んで立っている。
「くううう......」
オーフェンは歯の間から、うめき声を漏 らした──石の重みで、逃げ出すこともできない。
「オーフェン様っ!」
ボニーはその淡 い瞳 に涙 を浮かべ、両 拳 を握 りしめたポーズで近づいてきた。
「オーフェン様の幸せのため、このボニー、十六人ほどはねる勢 いで走って参 りましたわ!」
「騙 されちゃいけませんモグリさん!」
ラシィもまた、ばたばたとマントをはためかせながら駆 け寄 ってくる。
「わたしだって、もうそろそろ昼休みだっていうのに、十七人ほどはねながら走ってきたです!」
「えーと......」
とりあえずオーフェンに返すことができたのは、そんな意味のない一言だけだった。ふたりは、すぐ目の前まで迫 ってくると、バーゲンでワゴンでもあさるようにお互 いを肘 で押しやりながら、
「走りながら、オーフェン様に必 要 なことはなにか、考えて参りましたわ!」
「わたしもですぅ!」
「ああ、黒魔術士殿 、このふたりの乙女 の想 いこそ大 切 だとは思いませんか?」
すすす、と横からキースが進み出て、なにやら芝 居 がかったポーズでそんなことを言ってくる。
「いま俺に必要なのは、この石を置く場所だと思うんだけどな」
皮 肉 を込めてうめくが、もとより皮肉が通じる相手が──情 けないが──この場に誰 ひとりとしていないことに気づいてもいた。
案 の定 、まったくこたえた様子もなく、キースが高らかに声をあげる。
「さあ、もはやボニー様だけとは申しますまい! おふたりとも、お語 りください!」
「分かりましたわ、キース!」
叫ぶと、ボニーは背 後 から、なにやら何十枚かの書 類 とインク壺 、ペンを取り出し──
「オーフェン様! これは嬉 し恥 ずかし婚 姻 届 とその予 備 書類ですわ! まずはふたりでこれを完 成 させることが、わたしたちの最初の共同作業となるのですわね!」
ばんっ! と音を立てて、そのすべてをオーフェンの抱 える黒い石の上にたたきつけた。
「ぎお⁉ 」
「モグリさんっ!」
今度はラシィが、マントの下から分 厚 い本を数 冊 取り出して──
「これは今度の魔術士同 盟 司 書 官 登 用 試 験 の要 項 と過 去 問 題 集 ですっ! モグリさんも魔術士としての自 覚 と誇 りを持って、やればやれないはずはないんですから、頑 張 ってくださいっ!」
べんっ! と音を立てて、そのすべてをオーフェンの抱える黒い石の上にたたきつける。
「ぐぼ⁉ 」
立て続けに、限 界 ぎりぎりの悲 鳴 をあげて──
............
オーフェンは、内なる世界に、唐 突 に静 寂 を感じた。
その静寂の世界には、なにもない。自分がただ軽 やかに飛ぶだけ。その自分は笑っていた。なにを迷 っているんだい? なにを我 慢 しているんだい? なにを──
そして、身体 が震 え始める。なにも聞こえなかった。だが、小さな音がする。それは決 定 的 な音だった。なにか小 気 味 良 く、すべてを解 放 する最後の音......
ようするに、ぷつんという音だった。
「はっはっはっはっはっ......」

「......? オーフェン様?」
「モグリ......さん?」
「はっはっはっはっはっ......」
オーフェンは、しばし笑い続けた。石の重みも、なにもかも感じなくなる。彼はゆっくりと顔を上げた。
「そーか。よーく分かった。俺も悟 ったぜ」
彼は石を──ゆっくりと持ち上げた。自分の頭の上に。震える視 界 の中、蒼 白 になったボニーとラシィのふたりの顔を見ながら。
そして、つぶやく。
「幸せってのはな、勝ち取るもんだ」
「は、はあ......」
どちらともなく、生 返 事 を返してくる。オーフェンは続けた。
「お前らにも欲 しいものがある。俺にも欲しいものがあるわけだ。しかもそいつは、対 立 している」
「は、はあ......」
また同じ、生返事。
オーフェンは大きく息を吸 った。そして、叫ぶ。
「この俺の屍 を乗 り越 えていけぇぇぇっ!」
「きゃあああああああああっ⁉ 」
とりあえず持ち上げていた黒い石を、さりげなく逃げだそうとしていたキースへと投げつけ──
破 壊 的 な魔術を連 打 しながら、結 局 のところこうしていれば幸福などどうでもいいのだと、悲 しく悟らないでもなかった。
(同情なんていらねえぜ!:おわり)

「オーフェンさーん」
背 後 から呼 びかけられ、振 り返 る。
夕 暮 れ前のストリートは、まだ肌 寒 さが残る風をゆったりと運んでいる。そして、その中をさまよう通行人も。
その通行人に混 じって──いまいち混じりきれずに歩いていたのは、特に目的があってのことではなかった。いつもの散 歩 である。
黒 髪 、黒目、着ているものも黒ずくめの、二 十 歳 ほどの男。胸 元 には銀 細 工 のペンダントがぶら下がっている。剣 にからみついた一 本 脚 のドラゴンの紋 章 。それは有名な紋章だった。大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ者の証 。
彼は自分の肩 越 しに、後方を見やった。歩く人 混 みをすり抜 けるようにして、金 髪 の少年が追いかけてきている。知り合いの宿 屋 の息 子 ──マジクだった。
「なんだよ、こんなとこで珍 しいな」
オーフェンは立ち止まって少年が追いついてくるのを待つと、そう聞いた。
息を整 えるために深 呼 吸 して、マジクが答えてくる。
「ええ、そうなんですけど──ちょうど良かった。家にもどって、オーフェンさん探 そうと思ってたんですよ」
「あん?」
聞き返す。あたりを見回して、
「ここ、通 学 路 じゃねえよな」
「そうなんですけど、ええと、すごいんですよ。オーフェンさんも聞いたことありません? 噂 の、鉄の柳 」
「鉄の柳?」
「いやひょっとしたら、柳の鉄だったかもしれないですけど」
「どっちなんだよ」
「よく覚 えてなくて」
愛 嬌 のある顔をしかめて、マジク。オーフェンは嘆 息 した。
「じゃあどっちでもいいよ」
「で、知ってます? 鉄の柳の鉄。あ、分からないから合 成 してみました」
「全 っ然 分 からねえって」
一通り会話してから、オーフェンはうめいた。先ほどからなにやら分からないことを説 明 しようとしているマジクを見下ろす──見た限りでは、特にこちらをからかっているような気 配 もうかがえないが。
と──
「分かるわ」
「うおっ⁉ 」
唐 突 に聞こえてきた声に、オーフェンはびくっと身体 を震 わせた。振り返ると、見知った顔が蒼 白 になって待ち受けている。
丸い目をさらに丸くして──どこか子供じみた容 貌 をした女。質のいい壁 紙 のようにしわひとつないスーツ姿 で、なにかが載 っているとばかりに肩 を落としている。おどろおどろしい声 音 で、その女は言ってきた。
「分かるわ。とぉぉぉぉっても」
「コギー?」
オーフェンは彼女の名前を呼んで、気を引くようにぱたぱたと手を振った──が彼女は横をすり抜け、ふらふらとマジクのほうへと近 寄 っていくと、
「鉄の柳。それは二十年前にさかのぼる因 縁 と恩 讐 ......」
「えっ──⁉ 」
なにかを言おうとしたマジクの口を、見もせずに自 然 に手でふさぎ、彼女は続けた。
「あれは二十年前にさかのぼる因縁と恩讐だったわ」
「......ほう」
とりあえずうなずいて聞いておく。コギー──コンスタンスは拳 を握 り、力なく震わせると、
「そう。二十年前にさかのぼる因縁と恩讐だったのよ」
「?」
「ああっ、なんてこと⁉ 二十年前だなんて!」
「......いやあの」
「しかも因縁と恩讐!」
「なにが言いたいんだ?」
ひとり置いてけぼりにされた気分で、オーフェンはうめいた。と、それまで苦 悶 するように目を閉 じていたコンスタンスが、けろっと顔を上げ、
「いや、なんかそんな怪 談 のタイトルっぽいなーと思って。鉄の柳」
「なんだそりゃあ!」
思わず声を張り上げる。同時に、コンスタンスに口をふさがれていたマジクが、顔を突 き出すように間に入ってきた。
「そんなのと違 いますよ、全然」
「そーなの?」
と、少し残 念 そうにコンスタンスが指をくわえてつぶやいている。そちらは無 視 しておくことにして、オーフェンは聞き直した。
「で、結 局 なんなんだよ」
「なんていうか──」
ぐっと拳を握り、いつになく興 奮 した様 子 で、マジクが答えてくる。
「とっても オーフェンさん向きの話なんですよ!」
──『鉄の柳』──
シンプルなのか単にぞんざいなのか、あるいは逆に一 点 豪 華 に派 手 なのか、横 断 幕 は妙 に巨 大 だった。誰 がどこから用意したのかは不明だが、高さ三メートルほどあるポール二本に渡 された横断幕には、肉 太 な文字が書かれてあった。
『鉄の柳』
そしてその横断幕の下に、厳 めしい顔つきをした小 柄 な老人が座 っている。アスファルトにあぐらをかいて、瞑 想 するように目を閉じている。傷 跡 だらけの上 半 身 は裸 で、異 様 な引 き締 まりを見せていた。
「んで──」
オーフェンはとなりにいるマジクに聞いた。
「大 道 芸 人 のどこが、俺 向 きな話なんだ?」
と、あたりを見回す。
そこは解 放 道 だった──と正式な呼び名は別にあるのかもしれないが、地元の人間は適 当 にそんな呼び方をしているらしい。登 録 された屋 台 や路 上 販 売 商 が適当な場所で自分たちの商売をしている、そんな道だった。十数年で人口が急 増 したトトカンタ市にはこういったストリートが数本ある。解放道に並 んだ商店の品 揃 えは存 外 に豊 富 で、バラエティーに富 んでいた。様 々 なものが売られている。加 工 食 品 から生 鮮 品 、さらに宝 石 、アクセサリー類 は言うに及 ばず、手作りの家具などを並べている場所もちらほらと見えた。そして、それらに混じって数多くいるのが、大道芸の類 である。
オーソドックスなパントマイムから路上劇 、似 顔 絵 描 きなど。パフォーマンスは変わったものが注目を集める──棒 パンに色のある調 味 料 で風 景 画 を描き込んで売っている者もいた。
この老人も、そういった大道芸人のひとりなのだろう。マジクに連れられやってきたのはいいが、オーフェンにはこれのどこが自分向きなのか理 解 できなかった。
「あ、分かった」
ぱん、と手を打ち合わせて、コンスタンス──
「きっとあのお爺 さんも、人から限りなく迷 惑 に思われながらも日がな一日ぶらぶらして取り立てられもしない借 金 追いかけ回したり市 街 を破 壊 したり目つき悪くなったりしてるから、オーフェンも仲良くなれば数少ない友達をちょっと増 やせるかもってことね?」
「ね? って言われましても......」
困 ったように、マジクがうめく。
にこやかにマジクに同意を求めていたコンスタンスを無言で蹴 り倒 しながら、オーフェンはあたりを見回した。
大道芸なのだから、というわけでもないだろうが、老人の周 りにはかなりの見 物 人 が集まっていた。まあ、自分たちもその一部であるわけだが、並んでいる顔ぶれにはどうも子供の姿が目立つようである──マジクと同 年 齢 程度の、学生たちである。ただ、
「............」
眉 根 を寄 せて疑 問 に思いながら、オーフェンはつぶやいた。
「なんか険 悪 なムードじゃねえか?」
見物人たちは、ほとんどがどこかしこ、ケガをしているようである。擦 り傷 や、あざ、中には近くのベンチに横たわって介 抱 されている姿も見えた。それらの見物人たちの、はっきりと憎 々 しげな視 線 を集めて、例の老人は涼 しげに瞑 想 したままだった。
マジクが思い切りうなずいてくる。
「そうなんですよ──」
と。
「マジク!」
少年に呼びかけたのは、見物人のひとりだった。マジクが振り返る。彼の視線の先から、人 混 みをかき分けて、数人の少年たちが近 寄 ってきていた。
どうということもない、普 通 の子供たちのようだった。蹴倒されていたコンスタンスが、むくりと起きあがってマジクに聞く。
「お友達?」
「えーと......クラスメイトで......クラブが同じというか、同じにさせられたっていうか......です」

マジクはなにやらしどろもどろに答えてから、近づいてくる少年たちに向き直った。少年たち というのは便 宜 上 で、正 確 を期 せばふたりの少年とひとりの少女である。背の高いがっしりとした少年がひとり──体 格 だけ見れば大人 のようだったが、目元の調子が柔らかいせいか不 釣 り合 いなベビーフェイスである。もうひとりは眼鏡 をかけた痩 身 の少年、最後の少女は、目立たないクラス委員〝ただし一部に人気あり〟というところか。そういった雰 囲 気 を感じたというだけで、実際どうなのかオーフェンの知るところではなかったが。
近づいてきながら、マジクのせりふを聞きとがめたのか、背の高い少年が、拳 を握 って声をあげる──
「なにを言っているんだ⁉ マジク。ぼくたちは同 志 だろう⁉ 」
「あー......えーと」
マジクが否 定 としか思えない声で迷 っているうちに、今度は眼鏡をかけたほうが口を開いた。腕 組 みし、わざわざ斜 めに構 えてから
「分かっているさ、マジク。そういうことは、口に出して言うことじゃないよな。でも毎晩七時に、ぼくたちは北 点 星 を見上げる。同じ時間に同じ星を見上げて、志 を確 かめるんだ。友情とはそういうものなんだよ」
「マジク君、こいつら馬 鹿 だからはっきり言ってあげないと理 解 してもらえないわよ」
最後に無表情で、少女がぽつりとつぶやいた。
とりあえず一通り無視して──ということだろう、多分──、マジクがその三人を見回し、疑 問 の声をあげた。
「......クリーオゥは?」
「あー」
と、その名前を聞いて三人の表情が一 様 に暗くなった。少女だけは、どこか無表情なものを残していたが。
眼鏡の少年が、かぶりを振る。
「帰ったよ」
「手ひどくやられてたもんなー」
「ちょっと泣 いてたんじゃないかしら」
「............?」
ようやく会 話 に割り込む隙 を見つけて、オーフェンは聞いてみた。
「なんの話をしてるんだ?」
が、かえって質 問 が返ってくる。
「マジク君、この人は?」
初めてこちらに視線をやって、少女があくまで無表情のままつぶやく。
「ええとね、クラリー」
彼女の名前だろう。そう呼びかけてから、マジクがこちらを示 して紹 介 を始めた。
「そういえば話したことなかったっけ。うちの宿に寄 生 してるオーフェンさん」
「寄生?」
聞きとがめてオーフェンはうめいた。紹介のポーズのまま、瞬 きすらせずにマジクが言ってくる。
「宿代さえ払 ってくれれば、お客さんって呼んであげます」
「あんた、まーだ宿代払ってなかったの?」
と、呆 れたような声で、コンスタンス。マジクは続けて彼女のほうを腕で示すと、
「で、この人はよく分からないけど用事もないくせにたいていいるコンスタンスさん」
「ああ、にぎやかしなのね」
「なんでっ⁉ 」
コンスタンスが叫 ぶが、誰も聞いた様子はなく、マジクも今度はこちらを向いて、三人のほうを紹介しようとしていた。が、その時だった──
集まっていた見物人が、にわかにざわつき始める。見ると、例の老人が立ち上がっていた。それと対 峙 するように、それまでは見物人のひとりであっただろう男が、ぎこちないファイティングポーズのようなものを取っている。
いや、ぎこちなく見えたとしても、本人にはその自 覚 はなかったろう。ぎらぎらと目を輝 かせ、その男は大声をあげた。
「今度は俺が相手だぜ!」
見物人たちが、わっと歓 声 をあげる。振り返らずに腕を振ってアピールし、その男はゆっくりと一歩前に出た。拳 闘 でも真 似 たのか、左手でジャブを空 打 ちする。
「言っとくがな、爺さん、俺ぁ今こそ大人 しくしてるがよ、昔はちったぁならしたもんだ。トーシロ相手に好き勝手してくれてたようだが──」
男が口を斜めにしてまくし立てているうちに、老人は一息だけ、ふんと吐 き出 すと、大 仰 に腕を回して構えを取った。みし、と音を立てて胸 と脇 腹 の筋 肉 が締 まる。弦 を引き絞 った弓のように──強く静かに固 定 される。
拳は握 っていない。指だけを丸めた特 異 な構えだった。ただし相手の関 節 を取ろうという手つきでもなかった。たとえるならば、猫 科 の動物のような手の形である。
厳 しい眼差 しで、目の前にいる男をにらみ据 えている。だが男のほうは、その眼 光 に気づいてもいないようだった。オーフェンが見た限りでは、男は一度も老人に対して目を合わそうとしていない。
その代わり、また声をあげている。
「......約 束 は確 かなんだろうな、爺 さんよ」
「うむ」
低い声 音 で、老 人 が応 じる。
「我 が究 極 の秘 拳 ・鉄の柳を破 ったならば、一万ソケット。この場で支 払 おう」
人 混 みの中から眺 めつつ──
オーフェンはマジクにつぶやいた。
「......まあだいたい、俺向きの話ってのが理解できた」
「そういうことです」
マジクが機 嫌 良 くうなずく。
そのまま、老人と男のほうへと視線をもどした。状 況 は変わっていない。まだ対 峙 したままである。
が、多少は動きつつあるようだった。
「ようし」
鼻 息 荒 く、男がうめく。唇 を一度なめてから、
「いくぜ!」
男は真 っ直 ぐに駆 け出すと、身体 をひねるようにして左拳を突 きだした──なかなかに素 早 いが、遠すぎる。老人は避 けるまでもなく半 歩 ほど後ろに退いた。上半身を微 動 だにさせず、膝 から下の動きだけで移 動 している。勢 いをつけて振った腕が空 振 りして、男がつんのめるように体 勢 を崩 した。
刹 那 ──
老人の身体が弾 けるように前進した。
鞭 がしなるように大きく前へと上体を傾 け、下半身の反 転 と踏 み出しの威 力 がそれを後 押 しする。一 切 の無 駄 なく一直線に突き出された掌 が、相手の身体をかき消した。
いや、少なくとも、そう見えた。
だんっ!
轟 音 とともに──これは老人の踏み込みの音だろうが──相手の男の姿が消えた。後方に吹 き飛 ばされ、自 らが出てきた見物人たちの中に押しもどされる。人混みから悲 鳴 があがった。男の身体を受け止め、数人が巻き込まれて転 倒 している。
「ふん」
老人は淡 白 に、そううめいただけだった。突きだした掌をもどして、周 囲 を見回す。見物人たちの間からいっせいに、落 胆 のため息が漏 れた。
「あああ......またか」
おおむねそういった声である。中には歓 声 も混じっていたようだったが、それはこれから挑 戦 しようと思っていた者の声か。マジクやクラスメイトも、こちらに属 しているようである。クラリーとやらだけは、ただぼーっとしているだけだったが。
オーフェンは苦 笑 した。
「一万ソケットとはね」
「どうですか?」
気楽に聞いてくるマジクに、肩をすくめる。
「楽にってわけにはいきそうにねえな」
「そーなの?」
意 外 そうに眉 を上げて、コンスタンス。オーフェンはさらに続けた。腕 組 みし、かぶりを振る。
「しかしまあ確かに一万ソケット手に入れば、払 う必 要 はないとはいえ宿代にもならんこともないし」
「払ってくださいね」
笑 顔 を崩 さず、マジクが言ってくる。
と──
どよめきが起こった。打 ち倒 された男が、ふらふらと立ち上がっている。
「く、くそったれが」
軽く脳 震 盪 を起こしているらしく、目の焦 点 が定まっていないが、膝 をがくがくと震 わせながらもなんとか立って、
「ま、まだ終わっちゃいねぇぞ、爺 い!」
強がる男に、老人はするりと向き直った。
「......良かろう。秘 拳 も使わせてもらえないうちに倒れられてもつまらぬしな」
「ぬ、ぬかしやがれ......」
怒 りに打ちふるえ、男が自分の懐 に手を入れる。周囲のどよめきが、ざわめきに変わった。男が懐から取り出したのは、複 雑 な形 状 をした、直径十センチほどの金 環 だった──見ればすぐに分かる。親 指 以外の四 指 にはめ込んで使う凶 器 である。
男はにやにやと笑いながらゆっくりとそれをはめ、相手の表情に恐 怖 が映 るのを待っていたようだったが......
老人はつまらなそうにそれを見つめるだけだった。
「よ、余 裕 たっぷりじゃねえか」
笑みを浮かべ、男。
老人はにべもない。
「そうだな」
「このっ!」
男の顔色が、さっと変わる。怒 りに赤くなって、彼は凶器をはめた拳 を振り上げて見せた。
「ぶっ殺すぞ爺 い──できねえなんて思うんじゃねえぞ!」
「できんよ」
静かに告 げて、老人が再び構 えを取る──
「ち、ちょっと」
か細い声で、コンスタンスがうめくのが聞こえた。腕を引っぱられ、そちらを向く。
「なんだよ」
オーフェンは顔をしかめて聞き返した。彼女は奇 妙 なことでも言われたように目をぱちくりさせると、
「なんだよじゃないでしょ。あんなので殴 られたら、お爺さん大 丈 夫 なの?」
「大丈夫なわけあるか」
「やっぱり」
──と、いったんは納 得 したらしいが、そこでまた目を見開いて、彼女は声をあげた。
「って、そんなの駄 目 じゃない。大道芸の範 疇 じゃないわよ」
「ンなこと言われても、俺にどうしろってんだ」
「止めなさいよ!」
「お前な、そんなもん俺だって危 険 なのは同じだろーが」
半 ば呆 れてうめきつつ、例の老人と男のほうへと向き直る。
(どうしたもんだか......?)
オーフェンは周囲の人 混 みを見、そして対峙する両者との距 離 を目 算 した。ふたりを注 視 する、マジクたちを含 めた人だかりに阻 まれて、そう一気に近づけそうにはない。どう考えても、こちらが割 って入るより、ふたりが再び打ち合いに入るほうが早いだろう。となれば魔 術 だが──目の前にいるマジクやら誰やらを巻き込まずにふたりの動きだけを止める方法というのも思いつかない。
(誰もケガをしない程 度 に威 力 を抑 えて、ふたりの動きを制 止 する。まあ、そんなとこかな)
心を決めてオーフェンは、魔術の構 成 を思い浮かべた。それを展 開 し、放 とうとしたその瞬 間 ──
「ちょっと、ぼーっとしてないでなんとかしてよ!」
背 後 から、コンスタンスに背中を突 き押 される。
(馬鹿!)
オーフェンは胸 中 で罵 った。集 中 が途 切 れ、魔術の構成が崩 れる。こうなっては構成を捨 てるしかない。
そして。
「死ね、爺い!」
男が大きく拳を振り上げ、老人へと飛びかかるのがほぼ同時だった。
今度は、老人は避 けようとしない。いや、
(なにをする気だ......?)
オーフェンは怪 訝 に感じた。ほんの一 瞬 のことだったため判 然 とはしないが、老人の動きは、わざとその凶器の一 撃 を受けるように移 動 したと見えたのだ。
音もなく──
いや、耳にするにはあまりにも不 快 な鈍 い音を立てて、その凶器は、老人の顔 面 に突き刺 さった。
というより、老人がそれを、あろうことか眉 間 で受け止めたと言うべきか。
「へ......へへ」
凶器越 しに伝わってきた感 触 に酔 ったのか、男が震 え声で笑う。
「お、俺をなめてるからだぜ、爺い」
「ちょっと! いくらなんでも見とがめたわよ!」
コンスタンスの叫 び声が大きく響 いた。派 遣 警 察 のバッジを掲 げて、続ける。
「こんな白 昼 堂 々 しかも人前で思いっきり人を大ケガさせて、大手を振って帰れると思ったら大 間 違 いよ!」
「そうだそうだ!」
と、彼女に続いて声をあげたのは──マジクのクラスメイトとやらだった。名前は知らないが、背の高いほうの少年である。
「なんて卑 怯 な奴 なんだ! そんな勝ち方では、賞 金 の一万ソケットは認 められないぞ!」
「その通りです」
と、となりで、眼鏡 をかけたほうもうなずいている。
「ぼくたちが勝って賞金を手に入れるまでは、誰の勝ちも認めるわけにはいきません。ナイスですよお姉さん」
「お前ら」
半 眼 でオーフェンはつぶやいたが、誰も聞く者がいないまま、コンスタンスが続けて叫んでいる。
「というわけで、逮 捕 するわよ! 大人 しくすれば良し、抵 抗 するなら、とりあえずその凶器捨ててから暴 れてね♥」
「強気なのか弱気なのかはっきりしろよ」
こちらにも半眼で指 摘 する。オーフェンはため息をつきながら彼女の前に出た。どのみち彼女に、凶器を持って興 奮 した暴 漢 を取り押さえられるものでもないだろう。
実 際 男は、血走った目でこちらを見たまま、ゆらりとその身体 の向きを変えようとしていた。お世 辞 にも、大人しく捕 まろうという態 度 には見えない。オーフェンは無言で拳を握 った。
が、男の身体はこちらには向かなかった 。
途 中 で止まっている。
いつの間にか、男の顔は蒼 白 になっていた。彼がこちらに動けなかった理由は──
腕をつかまれているせいだった。凶器をはめた右腕を。
男の右手首をしっかりと握って、老人がこともなげにつぶやく。
「......どこへ行く?」
さほど大きなつぶやきでもなかったはずだったが、その声ははっきりと聞き取れた。
一 瞬 、あたりが静まり、そして、わっとわき返る。
歓 声 でも落 胆 でもない、それはただの驚 愕 の声だった。老人は眉 間 を鋼 の凶器で打たれてなにごともなかったように表情のない顔を見せている。オーフェンもただ絶 句 していた──そうするよりほかになかった。
と、すぐ近くで声があがるのを聞いて我 に返る。例の、マジクの友人だった。
「ああ、やっぱり!」
「......やっぱり?」
聞き返す。と、もうひとり、眼鏡の少年が、説明するように付け加えてきた。人差し指をぴんと立て、あっさりと、
「ええ。さっきぼくらが、鉄パイプ持っていっせいに襲 いかかった時も無 傷 だったですから」
「お前らなぁ......」
「仕 方 ないんです。馬鹿ですから」
クラリーが、ぽつりと言ってくる。なんの救 いにもならないが。
と。
どんっ! と再 び、地 響 きが聞こえてくる。見ると老人が、男を突き飛ばしたところだった。文字通り突いて飛ばし、大 柄 な男の身体が勢いよく数メートルも転 がっていく。さすがに今回は、男も完全に失 神 したようだった。路 上 に大の字になって伸 びている。
老人は、しばし目を閉 じて長く吐 息 していたが、顔を上げると集まった見 物 人 たちを見回した。
白い眉 毛 をぴくりと上げて、口を開く。彼は厳 かに唱 えだした。
「鉄は傷 つかず、柳 は折 れない──実際に見れば我が秘 拳 ・鉄の柳の価 値 が分かっていただけたと思う」
と、言葉を切って同意を待つ。どちらかと言えば誰もが呆 気 にとられて声を出せなかったようだったが、少なくとも否 定 の声はあがらなかった。
さほど満 足 な顔も見せず、老人はうなずくと、
「さて」
引 き締 まった腕を広げ、続ける。
「明日よりここで、我が秘拳・鉄の柳を有 志 者 に伝 授 しようと思う。興 味 のある者は来るが良い。なお、受 講 料 は二日目からで構 わんぞ──」
「待ったぁぁっ!」
声があがる。
堂々とマジクの背 中 に隠 れて、例の友人──だかなんだか──のふたりである。いつの間にか見物人たちの最 前 列 へと移 動 している。
「な、なに?」
困 惑 顔 のマジクは無視して、ふたりはそれぞれ声を張り上げた。マジクの背後から肩越しに、〝鉄の柳〟老人を指さし、
「それはあれかっ⁉ もう賞金一万ソケットはなしとか、そーゆうことかっ⁉ 」
「納 得 できませんね! 我々がまだ手に入れてないのにっ!」
「そう。我々──」
「トトカンタ公立第十四学校・戦 争 脅 威 力 研究クラブの精 鋭 ──」
「この奇 襲 のエキスパートであるロッテと!」
「だまし討 ちを得 意 とするセイが!」
と。
その瞬 間 、〝鉄の柳〟が構えを取った。
「つまりは」
鋭 さ──鋭 利 な刃 物 ではなく、砕 けた岩 石 の欠片 といった鋭さだが──を持った眼差 しで、つぶやくように告 げてくる。
「お前たちも挑 戦 したい、ということだな?」
「............」
ロッテとセイ──そう名乗ったふたりが、数秒間沈 黙 する。
そして、ふたり静かにうなずいてからあとを続けた。
「この俺たちが後 ろ盾 となっているからなマジク」
「がんばれよマジク」
「なんでっ⁉ 」
悲 鳴 じみた声を、マジクがあげている。
それらを遠くから眺 め、オーフェンはつぶやいた。後ろ頭をかきながら、
「......とりあえず、どういった友人関係なのかは明 確 になったようだな」
「そうね」
コンスタンスも、どうでもよさそうにうなずいている。
「三人ともまあ、馬鹿なので」
これは、クラリーだった。
「いいけどな、別に」
ぼやいてオーフェンは、歩き出した。コンスタンスとクラリーを残して、見物人たちの間をすり抜けていく。
「──というわけで、このマジクが相手だ! こいつはすごいぞ。この間、俺が去 年 から目をつけてた四組のパム・ジェキンスとデートしやがって畜 生 」
「そう。人呼んで上級生殺しのマジク。ロッカーには手紙がいっぱいだ。なんだか不 愉 快 だから勝っても負けても良し」
「なんか、いい機 会 だからってぼくを抹 殺 しようとしてないか⁉ 」
......わめいているマジクたちの横も通り過ぎる。
見物人の最前列より前に出て──
オーフェンは、足を止めた。構えを取ったまま微 動 だにしていない〝鉄の柳〟を見 据 える。老人の視線も、いつの間にかマジクたちからこちらへと移っていた。
構えた老人の背後に、巨大な横断幕がはためいている。それは大きく記 された文字をそのまま語っていた。雄 弁 に。
拳 を軽く固 める。オーフェンは、静かにつぶやいた。
「......鉄の柳か」
「いかにも」
「............」
まったく動かずに、声だけが返ってくる。唇も声 帯 も動いていないのではないかと錯 覚 するほど、老人の姿は固 定 して動きを見せなかった。
右肩を退 く。左足を前に、背 筋 は伸 ばすがやや腰 を落とす。三メートルほど前にいる老人ほど硬 直 したものではないが構えを取って、オーフェンはにやりと笑 みを浮 かべた。
「一万ソケット、嘘 じゃねえんだろうな?」
「我が秘 拳 を破れるのならな。お主 のような我 流 では勝ち目はないぞ。鉄の柳は、わしが数十年をかけて完成させた秘 奥 ──」
「急に饒 舌 になったじゃねえか」
オーフェンは軽く告げて、挑 発 の印 として左拳を解 いた。
手のひらを上に向け、告げる。
「そういうの、焦 ってるってことなんじゃねえのか? 言っておくがあんたの鉄の柳とやら、似 たような技 を見たことがあるぜ。破り方も見 当 がついてる......」
「笑 止 !」
叫びとともに。
もう聞 き慣 れた轟 音 が響 いた。老人の後ろ足が、路 面 を蹴る音。十分に取ってあったはずの間合いが、あまりにもあっさりと消 失 する──
(向こうから仕 掛 けてきやがったか!)
胸中で叫びながら、オーフェンは後方に跳 んだ。それを予 想 していたのか、一瞬でも間合いが失われたというのに老人は攻 撃 の手を出してこなかった──追 撃 もしてこない。やはり動かない構えのまま、今度はこちらの左側に回り込む形で斜 めに踏 み出してくる。
(鉄の柳とやらの防 御 で後の先を取ったうえでの攻撃──が定 石 なんだろうと踏んでたが、あてが外れたか)
もっとも──
(俺のほうは、後の先でも先の先でも構わんがね!)
オーフェンは息を止めた。相手が左側に入ってくる。それがフェイントでないことを察 して、こちらは右に回り込みながら構えを入れ替 える。左肩を退 いて、右足を前に出す逆 順 へと。
気合いを吐 かずに、老人が左腕を下から突き上げてくる。例の、指だけを丸めた独特の拳で。その拳をぎりぎりでかわす。拳の先がほおをかすめた。と、老人はすぐさま通り過ぎた左拳を、今度は打ち下ろしてきた──再び鋭 い痛 撃 が、同じほおをかすめる。しかし、一度目にかわした時よりも深い。
その理由はすぐに知れた。通り過ぎた拳を見やると。老人の二撃目は指が伸びている。
ひゅう──
と、思わず息が漏 れる。
(間合いをごまかして、こっちのリズムを狂 わせるわけか。こいつは、本当の 拳 法 だな。格 闘 術 じゃねえ)
訓 練 するための便 宜 上 ──であろうとなかろうと──、必 ずルールが存在する格闘術とは違う、そんな戦 闘 術がある。勝つために時として定石を捨 てる、拳法の類 である。大陸ではもはや泥 臭 い前時代の遺 物 として、とうに廃 れた戦い方ではあったが。
比べてみてどちらが有 用 というものでもないだろうが、オーフェンが身に着けたものも、どちらかと言えば後者に近かった。
だからではないが、意 識 を引 き締める。老人は早いうちに畳 みかけることを選んだようだった。打ち下ろした左拳を、貫 き手 のままこちらの脇 腹 へ突きだしてきている。
オーフェンは胴 体 をずらしてそれをかわした。下半身だけをもとの場所に置いてくるような感 覚 で、相手の左側へ滑 り込 む。遅 れて、左足を老人の股 下 に踏み入れた。接 近 した間合いで、その左足を引きつけ、相手の左足の内側へ、張り合わせるようにぴたりと吸 い付ける。
「............⁉ 」
それまでまったく動じなかった老人の表情に、はっきりと戸 惑 いが見えた。その隙 に、オーフェンは腰を落とした。内向けに曲げた左足で、相手の半身の動きを封 じて、なおかつ強 引 に足を開かせる。これで動きを止めることができた。
しゅッ──
短く息吹 を発して、オーフェンは右拳をフックぎみに回 転 させ、密 着 した老人の脇腹を狙 った。それは相手も予想していたのだろう。左腕で、なんとかガードしている。
だが。
右拳で打つために、反動で左腕は大きく右に振ってあった。ちょうど、肘 で相手の顔面を狙えるように──
「くっ......!」
自分が王 手 をかけられたことを悟 ったのか、老人はうめき声をあげている。オーフェンは即 座 に左肘を、相手の顔の中心へと打ち付けた。硬 い感 触 が、肘を貫 く。
「......しまった!」
後 悔 のうめきを発したのは、今度はオーフェンだった。老人は顔面で肘を受けたまま──にやりと笑みを浮かべている。
あわてて、左足を引き抜いて後方に跳ぶ。
再び間合いが開く。
すべては、ほんの数秒のことに過ぎなかっただろうが。
見物人たちから、わっと歓 声 があがった。横目で見やると、コンスタンスまでもがなにやら手を叩 いている──なにがあったのか分かっていないようにも見えたが。
なんにしろ、老人は──〝鉄の柳〟は追撃してこなかった。ただその代わり、どこか満 足 そうに笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「ほほう......素人 ではないな」
と、肘で打たれた鼻の上を、手でさする。わずかに血がにじんでいるようだったが、ダメージはないらしい。彼はそのまま問いかけてきた。
「流 派 を名乗るが良い」
「ンなもんねぇよ。相手を倒 すための方法を学んだだけだ」
「外 道 の拳か。それも良かろう」
と、また不 動 の構えを取る──
オーフェンは、乱 れた息を整 えながら、
「良いとも限らねえぜ?」
不 敵 に笑みを浮かべ、告げる。
「なんだと?」
聞き返してくる老人に、オーフェンは続けた。
「敵を倒すのは早ければ早いほどいいと、ガキの頃 から仕込まれてきたんでね。次に接 敵 したら、倒させてもらう」
「ほほう。お主の攻 撃 が、我が秘 拳 〝鉄の柳〟を破れると?」
「鉄の柳」
オーフェンは、ゆっくりと繰 り返 した。そして、笑う。
「まあ、確 かに面 食 らったが、予想通りのもんのようだ。鍛 えようのない急 所 に攻撃を食らっても、一 瞬 の踏 み込 みでヒットポイントをずらし、ついでに自 己 暗 示 でやせ我 慢 ってわけだ。破るのはそう難 しいことじゃない──やせ我慢はしょせんやせ我慢だからな」
もっとも、鉄製の凶 器 を受けても無事であったことを考えると、言うように簡 単 なことではないだろうが。
(だが、こちらに技の正 体 が看 破 されたと知れば、自己暗示の効 果 も格 段 に落ちるはずだ。そいつに賭 けるしかねえな......)
が──
予想に反して、老人は、ただきょとんとしただけだった。
「............?」
こちらのほうこそ、わけが分からなくなる。取り乱して降 参 してくると思っていたわけでもないが、なんの反 応 もないとは思っていなかった。
見物人たちも含 めた、しばしの沈 黙 。老人は、困ったように聞いてきた。
「なんのことだ?」
「......え?」
と、血のにじむ鼻 骨 の背 をぽりぽりとかきながら、彼がつぶやく。
「わしゃ単に、昔から頑 丈 なんだが」
「なんじゃそりゃああっ!」
思わず、オーフェンは叫び声をあげた。両手をわななかせて、地 団 駄 を踏 む。
「あっけなく人の希 望 を潰 しやがって!」
「知らんちゅーに」
ひたすらに困 惑 顔 で、老人は再び構えを取った。そして、今度はこちらが構えるよりも早く──
オーフェンが意識を失うまで、数秒とは保 たなかった。
(つづく)

「なにやってるの? 負けオーフェン」
どすん。
梁 から落 下 して、オーフェンは顔を上げた。
見ると、すぐ近くにコンスタンスがいる。テーブルについて、なにげなく昼 食 を取りながら。
彼女を一 瞥 し──なにも答えないまま、オーフェンは立ち上がった。食 堂 の天 井 に渡 された梁を見上げ、跳 躍 すべく腰 を落とす。
跳 び上がろうとした瞬 間 ......
「あんまりどたばたしないでくださいよ、負けオーフェンさん」
がたん。
厨 房 から顔を出した金 髪 の少年に言われて、オーフェンは床 にひざを落とした。
「............」
またもや無言で立ち上がる。
見ると、金髪の少年──マジクはコンスタンスが追加で頼 んだクリームソーダを運んできたところだった。テーブルの上にことりと置いて、また厨房へと帰っていく。
コンスタンスが、スプーンでグラスをかき混 ぜる、小さな音だけが食堂に響 いた。
今度は誰 もなにも言わないであろうことを確 認 してから、梁に跳び上がる。四角い梁に指をかけ、オーフェンは腕 の力だけで身体 を引き上げた。あごまで上がったところでまたゆっくりと腕を伸 ばし、懸 垂 を始める。
「あー、ひょっとして、特 訓 とかしてるわけ? 負けたから」
「............」
「まーねー。負けたしねー。それくらいしか取 り柄 がないってのに、負けオーフェンってホントになにもないのと同じよねー」
「............」
「なーんて言うか、普 段 あんだけ大きい態 度 でふんぞり返って、負けた時はみじめよねー。あのお爺 さんどうしてるかしら。昨日 と同じ場所で辻 道 場 を開くって言ってたけど」
「............」
「特訓してるってことは、リターンマッチとか考えてるわけ? でも、これでまた負けたりしたら、負け負けオーフェンよねー。それってどーなのかしら」

「............」
すたっ。
オーフェンは静かに梁から飛び降りた。額 の汗 をぬぐい、短 く息をつく。
じっとこちらを見ているコンスタンスのほうへは視 線 をやらずに、オーフェンはそのまま食堂の出口へと向かった。ぽつりと、告 げる。
「行ってくる」
「......オーフェン」
コンスタンスはつぶやいてから、クリームが溶 けはじめて濁 った緑色に変じたソーダを、ストローで吸 った。二センチほどグラスの中身が下がる。
彼女は顔を上げ、聞いてきた。
「特 訓 って、これだけで終わり?」
「ほっとけ」
それだけうめくと、オーフェンは食堂を後にした。
そもそも、素 手 による戦 闘 法 などを必 要 としたのが何 者 であったのか。
それは微 妙 なところではある。
歴 史 によれば、現 在 の人 間 種 族 が持つ文 化 は、言 語 も含 めてすべて古 代 種族から授 けられたものとされている。うがった見 方 をすれば、古代種族が人 類 をソフトに隷 属 化 させるために、法 律 、規 範 、なにもかもを押しつけたとも言えた。
それを真 に受 けるならば、たとえば格 闘 術 なども、彼女ら古代種族が人間種族へと教 授 したものと思わなければならない──もし彼女らが教えたのでなければ、概 念 そのものがあるはずがないという理 由 で。
矛 盾 もある。およそ格闘術は、人間同 志 が争うことにしか役に立たない技 術 だ。だとすれば結 局 、人間自 らが創 始 するしかない。
まあ、どちらかが正しいというよりは、どちらも正しいか、どちらも違 うか──あるいはそのすべての中 庸 か。なんにしろつまらない真 実 が待っているのだろうが......
閑 話 休 題 。
そういった古代よりの戦闘術の中に、特 殊 拳 法 と呼ばれる術 法 があった。自分が学んだものもそのあたりだと、師 には教えられた覚えがある。致 命 打 を与 えるそのために、時として、あえて定 石 を無 視 した伏 線 を打つこともいとわない。つまりは相手を倒 すために手 段 を選ばない邪 法 。オーフェンは、師の弟 子 たちの中で唯 一 、この技法を学んだ。もっとも──
オーフェンは眉 間 にしわを寄 せて思い出した。前 述 したことを一 所 懸 命 に説 明 する彼に、姉 はたった一言、こう言ったものだ。
「びっくりアタックね」
さらにはこうも言った。
「結局、殴 り合 いなんて、こかして踏 みつけるだけでしょ? 落 とし穴 でも掘 っておけば?」
三日ほど落ち込んだのを覚えている。
とまれ──
オーフェンは、ぴたと立ち止まった。振り向いて、叫 ぶ。
「なぁんでついてくるんだよっ⁉ 」
「いや、なんとなく」
きょとんとしたコンスタンスが、あっさりと言ってくる。
「それに今日 は非 番 だし。負けオーフェンが負け負けオーフェンになるか、素 オーフェンにもどるかなんておもしろそうじゃない。あ、そうそう」
と──しばし考えるように虚 空 を見上げてから、ぱんと両手を祈 るように打ち合わせ、
「負け負けオーフェンになった時、わたしちょっと、くすっとしちゃうかもしれないけど、怒 らないでね」
「あーもーいいよ。お前はそーゆう奴 だと分かってたよ、ったく」
犬 歯 を嚙 み合わせながら告 げて、顔を背 ける。
歩いているのは、昨日 もいた道──解 放 道 である。大 道 芸 人 や路 上 商 が集まる区 域 。天 気 のいい今日は、通行人も多かった。
「でさ、オーフェン」
背 後 から、コンスタンスが聞いてくる。
「やっぱりここに来たってことは、昨日の復 讐 ?」
「別に復讐とか、そーゆうんじゃねえよ。ただ納 得 がいかんから、確 かめたいだけだ」
「......やっぱりそれ、復讐だと思うけど」
「違うと言ったら違う」
我 ながら意味がないなと思わないでもない言 い訳 をしながら、あたりを見回す。人通りの多いストリートには、人の顔も会話もあふれている。
唐 突 に、オーフェンはつぶやいた。腕 組 みして、目を閉じる。
「魔 術 士 ってのはな、よーするに、魔術を扱 う存 在 ってことだ」
「......なによ、突 然 」
「いいから聞け。俺 らは別に、魔術によってなんでもできるわけじゃないが、たまにその錯 覚 に陥 ることがある。それは恥 なんだよ」
「はあ」
生 返 事 を返してくるコンスタンスに、オーフェンは片 目 だけを開けた。横目で見やって続ける。
「もとより魔術士でもない相手に、魔術を使用するなんてあり得 ないことだが──」
「わたし、何度か黒こげにされたけど」
「あり得ないことだが、もし、昨日 の俺が、魔術っていう切 り札 を持って慢 心 していたんだとすれば、それも恥だ。恥はそそがにゃならん。つーわけで、これは復讐だ仕 返 しだとかいう小 心 なことじゃなく、俺の名 誉 と誇 りがかかった真 剣 な人 生 の重 みが久 々 にありおりはべりいまそかり」
「最後のはよく分かんないけど」
コンスタンスは半 眼 でそう言ってきてから、しばしして、首を傾 げた。
「......で?」
「え?」
「オチはないの?」
「真 面 目 に話してるんだ俺はっ!」
両手をわななかせてそう叫 んだあと、オーフェンは再び通りへと向き直った。額 に手を当て、左右を見回しながら、続ける。
「つーわけで、これは復讐ではないのであしからず」
「......やっぱり、単に仕返しに理由つけただけって感じがするけど......」
「それはお前の心が貧 しいからだ──って、あ、いたぞ」
まさしく昨日と同じ場所に、老 人 はいた。
最初に見た時にあぐらをかいていた路 上 で、まったく同じ体 勢 で座 り込 んでいる。厳 めしい顔には表情を意味する歪 みはひとつもなく、苔 むす岩 のようにただたたずんでいた。ただし昨日と違うのは──
コンスタンスが、呆 気 に取られた声をあげる。
「......すごい人 気 ね」
「そーだな」
オーフェンは、似たようなつぶやきを漏 らした。見ると、昨日と変わりない〝鉄 の柳 〟の横 断 幕 の前には、ちょっとした人だかりができていた。数十人というところか──老 若 男 女 、どういった種類の人間であろうとそろいそうな、ばらばらな取り合わせで。解放道を訪 れる一 般 の通行客が、そのまま集まったというだけではない。
特になにをしているでもない。ただ集まって、ざわついている。瞑 想 している〝鉄の柳〟老人が起きるのを待っているらしかった。
全員、昨日の騒 ぎを見たなり聞いたなりして、老人の門 下 に入ろうと集まってきたのだろう。
「つまり」
こちらの考えを見 透 かしたように、コンスタンスがぽつりと言ってくる。
「日 頃 から、負けオーフェンが暴 れる被 害 に悩 まされてる街 の人たちが、昨日の噂 を聞いて、こりゃいけると思ってやってきたってところかしら」
「くっそ〜」
歯がみしてうめく。
と
あたりに、哄 笑 が響 きわたった。
「はぁーっはっはっはぁ! 未 練 たらしく、のこのこと出てきたよーであるな、役目が終わった負け犬が!」
振り向くと、そこには毛 皮 のマントに身を包んだ、身長百三十センチほどの『地人』が仁 王 立 ちしている。もっとも普通に向き合っていると相手の目 線 が低いため、あまりふんぞり返られているという気 配 もない奇 妙 な具 合 ではあったが。高笑いするその地人の後ろに、似 たような格 好 の、眼鏡 をかけたもうひとりの地人が立っている。
「くぅっ⁉ 」
オーフェンは、唇 を嚙 んで半歩ほど後ずさりした。
「ボルカン、ドーチン⁉ 」
それぞれの地人の名を呼んでやると、笑う地人──ボルカンが、得 意 げに鼻を上げた。
「ふふふふふ。噂 は聞いたぞ黒 魔 術 士 ! 貴 様 の天 下 もここまでのよーではあるな。頼 みの無 差 別 な暴 力 において敗 北 した以上、もはや貴様の居 場 所 などこの街 にはあらず!」
丸い指先を突きつけて、声 高 に言ってくる──
「しかるに! 決定的な敗北を喫 しながら、懲 りもせずに意 趣 返 しとは、あきらめの悪さが目つきの悪さに追いついとるよーだな! だが安心するがいい! もう一 両 日 中 にはこのあたりに『凶 暴 な借 金 取 りはここで負けた』と題 した像 でも建てておいてやるゆえ、観 念 して隠 居 するなり落ち込んで朝目覚めたら巨 大 な虫になってたりしても良いぞ。もしくは俺様が、まったりと広がり殺す──って、おおおおっ⁉ 」
「どっせぇぇぇいっ!」
全 力 で走り込み──振 りかぶった拳 を思い切りたたき込む。顔 面 の中心に一 撃 を受けて、ボルカンが数メートルほど転 がっていった。殴 り終 えたポーズそのままで、ふゥと息をつく。
「よし。ウォームアップ完 了 」
「まあ、こうなることは分かってたんですけど」
転がったままひくひくと痙 攣 している兄を眺 め、ぽつりとドーチンがつぶやくのが聞こえた。
似たような口 調 で、コンスタンスも、転がったボルカンを指さして言ってくる。
「ほら、やっぱり仕返しだって」
オーフェンは彼女へと向き直ると、鋭 く叫んだ。
「こいつらの言うことをいちいち真 に受けるなっ!」
「そ〜お? この子たちほど、あんたのこと正しく理 解 してる人たちもいないと思うんだけど」
「それが俺への挑 戦 だってんなら、いつだって受けて立つぞ」
のんびりとつぶやく彼女にそれだけ答えて、オーフェンはすっくと背を伸 ばした。指の関 節 を鳴 らしながら、身体 の向きを変える。言うまでもない、横断幕〝鉄の柳〟が風に揺 れる、そちらへである。

特になにが始まっているわけでもない──先ほどと変わらず、ただ〝鉄の柳〟老人が瞑 目 し、その前に訓 練 を希 望 する人だかりが集まっているだけである。
いや。
「......ん?」
変化を認 めて、オーフェンは動きを止めた。路 面 に座 したまま動かない老人の前に、少年が進み出て、あたかも代 弁 者 のような格 好 で、くるりと群 衆 へ向き直ったのである。
老人は、まったく動かない。
「あれって......」
コンスタンスの声を後ろ耳に聞きながら、オーフェンは心持ち身を屈 めて物 陰 を探 した。特に意味はないが、習 慣 のようなものだ。
それまで人 混 みの中にいたため気づかなかったが、その少年の顔には見覚えがあった。
昨日もここにいた、マジクのクラスメイトとかいう──確 か、名前はロッテとかいったか。
彼に少し遅れて、もうひとり、こちらの名前はセイだったと記 憶 している。眼鏡 の奥 に目を隠 したような少年である。
植 え込 みの陰に隠れながら、オーフェンは耳をすませてそちらをうかがった。あまり緊 張 感 もなくコンスタンスがついてくるが、そちらは気にしないことにしておく。
見ていると、大 柄 な身体 をさらに広げるようにして、ロッテが声をあげた。
「己 を高め、強さを求めたいという同 志 たちよ!」
状 況 に酔 っているのか、浮 かされたようにうわずった声で続ける。
「ここに先生を迎 え、我らが青空道場を開くことができたのは、まことに喜ばしいことである!」
と、変に斜 めなポーズを取る彼の横で、セイがにこやかにつぶやいている。
「そのネーミングはいただけないと思うんだけど」
「あいつら......」
彼らをのぞき見ながら、オーフェンは、げんなりとうめいた。コンスタンスが、あとを続ける。
「なんかあっさりと、強いほうについたみたいね」
「マジクの奴も、つくづくろくな友 達 いねぇんだなぁ」
「あんたも含 めてね」
「......馬 鹿 ばかりでもないんですよ」
と──
唐 突 に、コンスタンスと自分の間に、にゅっと少女の首が生 えた。どこからか入り込んできたらしい。恒 久 的 であったはずのなにかを放 棄 した無表情で、視 線 をこちらに合わせることすらない。
これも、昨日会った、マジクのクラスメイトとかいう少女だった。クラリーとかいったか──と、思い出しながら、オーフェンは声をあげた。
「い、いつの間に近づいてきた⁉ 」
「十九秒前に、あのあたりに現れました」
彼女はたじろぎもせずに、通りの向こうのほうを指さすと、
「そして秒 速 一メートルほどでやや遠回りしながらここへ」
「......いや、答えて欲しくて聞いたわけでもないんだが」
ほかに言うことを思いつかず、オーフェンは後ろ頭をかいた。神 出 鬼 没 の相手には慣 れているのか、コンスタンスは特に驚いたふうもなく、一歩退 いて彼女がいるスペースを作った。目を閉じ、眉 間 にしわを作って、
「......マジク君の友達、まともな人もいるの? でもこーゆうのの身 内 なのよ」
「なぜ俺を指さす」
こちらを指さすコンスタンスに冷たく視線を投げる。が、クラリーはまったく無 視 して──気にもしなかったのかもしれないが──、表情を見せないまま、機 械 的 に首を左右に振った。
「まともな人もいます。わたしとか」
「うーむ」
「参 考 にならないわねー」
「まあ九割八分ほどの人間は馬鹿ですが」
「それは全員ってことじゃないか?」
オーフェンはそれだけ言ってから、植え込みの陰から抜 け出した。肩 を回して関 節 をほぐし、青空道場とやらに近づいていく。
その間にも、なぜだか道場の主 導 的 なところに収 まりつつあるらしいロッテとセイが、長 広 舌 を繰り広げている。
「今ここに偉 大 なる秘 法 ・柳の鉄をご教 授 くださる先生がいらっしゃることこそ喜びではないか!」
「どうでもいいが鉄の柳だぞ、ロッテ」
「明 日 の強さを信じ、今日の苦 行 を甘んじる! 誰が見ていなくとも、己 が見ている! 勝つのだ諸 君 ! というわけで、受 講 料 は明日 から決して忘れないように──」
「あ、そことそことそこの主 婦 。特 売 の大 根 で作った煮 つけとか持ってきて受講料の代わりにしようとか思わないよーに。分かってるか?」
びしびしびしと人だかりを指さすセイを見ながら──
「......で、あなたはなんであの青空道場とかに参 加 してないの?」
「どうしても馬鹿の仲間にはなれなくて」
背後に、コンスタンスとクラリーの会話を聞く。
オーフェンは、人だかりを押しのけ、いまだ置物のように動かない〝鉄の柳〟老人へと進んでいった。声をあげる。
「たのもぉー!」
「ぬうっ⁉ 」
反 応 してきたのは、ロッテとセイだった。
「貴 様 、昨日 のっ!」
「懲 りもせず、また無 様 をさらしにきたよーだな!」
「我々は逃 げも隠れもせんぞ!」
「そーだ、先生の手をわずらわすまでもない。ぼくたちが貴様を倒 す!」
通りの向こうに全力で逃げながらそう言ってくる彼らのことは無視して、オーフェンは、老人の前で足を止めた。
「また来たぜ」
厳 めしい顔つきで瞑 想 していた老人が、片 目 だけを開く──
「そうか」
「いわゆる拳 士 ってのは、どうあっても動 揺 を悟 られないような鉄 面 皮 を保 つんだっていうが、あんたもそのくちか?」
挑 戦 のつもりで言い放 つが、老人は、まったく気にした様 子 もなかった。ただ淡 々 と、
「そうかもしれんな」
少しだけ、顔を上げる。
「......また、勝 負 を挑 みに来たのか?」
「受 講 料 、初 日 は免 除 なんだろう?」
オーフェンは笑みを浮かべて、構えを取った。右肩を下げ、拳 を固 める。
「だったら、一 手 ご教授願いたいね」
「良かろう」
老人はあっさりと受けて、立ち上がった。
「あ、まだあきらめてなかったわけ? 負け負けオーフェン」
どさっ。
梁 から落 下 して、オーフェンはそのまましばらく、天 井 を見つめた──なにも語ってはこない暗 い天井。そこで暮 らすことができればどれだけ幸 せだろう。そんなことをふと思う。
が、そんな夢 想 の横から、無 慈 悲 な声が割り込んでくる。
「まったくねー。執 念 深 いっていうか、あきらめが悪いっていうか。まあ、ほかに取 り柄 がないんだし、それに執 着 するのも分かんないでもないんだけど」
「............」
「今日も行くわけ? あんだけひどくやられたくせに。魔 術 のおかげでケガだけはすぐ治 るんでしょうけど、まあ幸 運 なんだか不 運 なんだか、微 妙 なところよね。あ、ちなみにわたし、今日は非 番 じゃないから付き合わないわよ」
「............」
「それにしても、負け負けオーフェンってとっても言いづらいから、このあたりでやめておいて欲しいんだけどなー」
「がー!」
オーフェンは跳 ね起 きると、彼女がのんびりとくつろいでいるテーブルに、がっしと張 り付 いた。怒 りとともに叫 ぶ──
「お前な! なんぼなんでも、気 遣 いが足りないんじゃねえのか⁉ 言いたいこと好き勝手に言いやがって! 思いやりと優 しさがあって、はじめて人間を名 乗 れるんじゃないのかっ⁉ 人でなしか⁉ 心はないのか⁉ 」
「いつもあんたに言われてることを言い返してるだけじゃない」
「......まあ確かに、厳 しいことをあえて言うのも、ひとつの友 情 の形かもしれん」
オーフェンはあさってのほうを向いて、背 筋 を伸 ばすと腕 組 みした。また例の食 堂 の中であるため風はないが、どこか心の中でさわやかな風に吹 かれている。
と、そのポーズはすぐにやめて、オーフェンは彼女に向き直った。不 機 嫌 にうめく。
「ったく──にしても、なんだか納 得 いかねえぞ。なんでこーまで歯が立たねえんだ?」
「実 力 に差があるからじゃないかしら」
「って、いっくらなんでも、あの爺 さん人間離 れし過 ぎてるだろ⁉ 」
再びテーブルにかじりつき、わめく。
「単 に術 法 に優 れてるってだけじゃねえ。あの歳 で、こっちの速 度 にあれだけ的 確 についてこられるってのも脅 威 だが、急 所 を打っても微 動 だにしないってのはいくらなんでも無 茶 ってもんだろ⁉ どんな訓 練 すればあーなるんだ⁉ 」
「あのお爺さん、生まれつき頑 丈 なんだって自分で言ってたじゃない」
「なおさら納得がいくかっ!」
のんきな声をあげるコンスタンスに、オーフェンはばんばんとテーブルをたたいた。やつあたりだとは分かっていたが、声をあららげる。
「あの福 ダヌキだって、殴 られれば痛 がるんだよ! 生き物にゃ急所ってもんが必ずあるんだ。息をしてる限り横 隔 膜 があるし肺 があるし心 臓 がある! 身体を動かしてるからには腱 があって関 節 があって脳 があって頭 蓋 骨 にゃ亀 裂 もあって──」
ひたすらにまくし立ててから、ぜえはあと息をつく。オーフェンは、最後は静かにしめくくった。
「......とにかくだ。あらゆる格 闘 術 ってのは、人体に急所があるってことが前 提 になってるんだ。そいつが無 視 されたんじゃ、どうしようもねえんだよ」
「そんなことわたしに言ったって知らないわよ」
彼女はあくまで気 楽 に後ろ頭で手を組んで、椅 子 の背に体重を預 けた。言い分はもっともではあるが、それを言われてしまってはそれこそどうしようもない。オーフェンは深々と嘆 息 した。
「とにかく、もう腕 力 でどうこうって気はなくなっちまったけど、そのあたり確 認 しねえと落ち着かないし。今日また行ってみるか」
「そんなこと言わずに、腕力でどうこうしてください」
「ふえ?」
「ああ、道を外れてしまった愚 かな友人たちを案 ずるわたし......」
「............」
聞こえてきた声を探 って、オーフェンはテーブルの下をのぞき込んだ。テーブルの向こうで、コンスタンスも同じような格 好 で頭を下げている。
テーブルの下には、クラリーが、祈るようーな格好でたたずんでいた。
「......いつの間に?」
彼女を指さし、コンスタンスが聞いてくる。
「俺が知るかよ」
適 当 に、オーフェンはつぶやいた。実 際 、まったく気づかなかったが。
クラリーが、ぼんやりと声を漏 らす。答えるといった口 調 ではなかったが。
「なんていうか、潜 入 工 作 を得 意 としているわたしです」
「だからって、いちいち神 出 鬼 没 にならんでもいいと思うが」
今度は答えずに、彼女はのそのそとテーブルの下から這 い出してきた──出てきたところで、きょろきょろとあたりを見回し、
「......マジク君は?」
「いや、出かけてるけど、一昨日 あの爺さんに突っかかっていって倒されたっていう友 達 の見 舞 いに行くとかで」
「............」
そのせりふを理解するのに時間がかかったというように、彼女は虚 空 を見上げた。しばしして、口を開く。
「ああ、ケガをした親 友 の見舞いにも行かない、罪 深 いわたし」
「はあ」
「まあそんなことはどうでもいいとして、わたしの愚かな友人たちを悪 の道から救い出すには、もはや実 力 行 使 しかないというところで意見の一 致 を見たわけですね?」
疑 問 もなにも持たないクラリーの声に、コンスタンスが難 しい顔で腕組みする。
「そーいえば、そんな話をしてたかしら」
「あっさり騙 されるなよ」
嘆息混じりにうめいて、オーフェンは言い返した。
「友達って、あのロッテだかセイだかいう連 中 のことだろ? 別に好きであの青空道場とかいうのに参加してるんなら、構わないじゃねえか」
「構います」
クラリーは、やたらきっぱりと言ってきた。さっと横を向いて、うつむく。
「彼らがあれ以上の力を身に着けたりすれば......きっと、きっとわたしへの横 暴 な虐 待 もエスカレートしていくに違いありません」
「な、なによそれ」
あわてて、コンスタンスが椅子から立ち上がる。うつむいて肩を震 わせるクラリーへと近 寄 ると、
「ちゃんとくわしく話して。場合によっては職 務 として協 力 するわよ」
「はい......」
クラリーは涙 声 で語 りはじめた。
「なんていうか、趣 味 のクラブでいっしょにいながら──部 長 であるわたしが、ジュース買ってこいとか肩をもめとか意味もなくグランド百周してこいとか命 令 しているのに、それに従わないなんて、なんて横暴。わたしの心は何度傷 ついたことか」
「............」
無言で、コンスタンスがもといた場所にもどっていく。
「よーするに」
オーフェンは、しみじみとうめいた。
「あいつらがあの爺 さんに鍛 えられたりして、今よりもっと言うこと聞かなくなったら嫌 だからやめさせろと、そーゆうことか?」
「ああ、なんて見事な利 害 の一 致 なのかしら」
「そうは思えんが」
半 眼 になって、聞く。
「だいたい、なんで俺 がそんなことしなけりゃならねえんだよ」
「............」
しばし、沈 思 黙 考 ──いやどちらかと言えば、単に意 識 と現 世 をつなぐ糸が切れただけといった様 子 ではあったが。
彼女はぽんと手を打って、そっと頭をこちらの肩にもたげてきた。抑 揚 のない声でつぶやく。
「好き」
「いや別に、そんなぞんざいに理由を作って欲しいわけでもないし」
オーフェンは長い吐 息 を漏 らして──なんとなく適 当 な方向を見上げた。そもそも、自分はいったいなにをやっているんだろうと根 元 的 な問いが浮かび上がってきたりもしたが、それにはあえて目をつぶっておく。
その問いを飛 び越 えた向こう側に、彼はつぶやいた。
「ま、とにかく行ってみるか」
「わーはははははは! 二度ならず三度までも、わざわざ土をなめにきたわけだなへっぽこ魔術士! 貴様などはこのマスマテュリアの闘 犬 ボルカノ・ボルカン様が、安 全 地 帯 から死 に様 を思いっきり見 物 していてやるゆえ、安 心 して負けに行くが良い! もしくは俺様じきじきに、仮面のおじさんにさらわれ殺してやっても──って、ああっ、またっ⁉ 」
「どぉりゃああああああああっ!」
突 進 した勢 いそのままに、顔 面 の真 ん中 に拳 を突 き入 れる。通りの向こうまで吹 き飛 んだボルカンは、そのまま音を立てて大 地 に沈 んだ。殴 り終 えた姿 勢 のまま、ふゥと息をつく。
「よし。ウォームアップ完 了 」
「いやまあ......いいんですけどね」
あきらめたようなドーチンのつぶやきを背に、青空道場へと向き直る。
一昨日 、昨日 とまったく変わらない場所──だが、人だかりはかなり増 えていた。変わらずにその群 衆 の前で、路面に座 禅 する〝鉄の柳〟老人。そしてその両 隣 に、それぞれ『師 範 代 』と書かれたはちまきをしたロッテとセイが立っている。
まだだいぶ距 離 はあるが──オーフェンは大声を張り上げた。
「たのもぉぉぉぉぉっ!」
ざわっ、とした気 配 で、〝鉄の柳〟老人以外の全員の視 線 が、こちらへと集まる。
「貴様は!」
ロッテが叫 んでくる。
「また性 懲 りもなくやってきたか!」
と、セイ。今日はどうやら、叫びながら逃げたりはしないらしい。その場にとどまって、ファイティングポーズを取っている。
人だかりは入 門 者 というより、どちらかというと物 見 遊 山 の見物人のようだった──なんとなく騒 ぎが起こったことを問題もなく受け入れて、さりげなく退 いて場所を作りすらしている。
結果、オーフェンはすんなりと、〝鉄の柳〟老人、そしてロッテとセイのふたりと対 峙 した。いや、あとひとり──
「待ちなさい、ふたりとも」
すっと、クラリーが前に出る。

彼女に向かって、ふたりは即 答 した。
「やだ!」
「待たない!」
「じゃあ仕 方 ないわね」
そうつぶやき、さっさと後ろに退 がるクラリーに、オーフェンは半眼でつぶやいた。
「......仕方ないか?」
彼女はあっさりと、うなずいてみせる。
「手は尽 くしましたので」
「そうかなぁ」
「というわけで、武 力 制 裁 をお願いします」
「今日は正 攻 法 でいくつもりなんてねえんだけどな」
オーフェンはうめいてから、改めて構えなおした。いつもと同じ、半 身 を引いて相手を見 据 える。
ロッテとセイが、ざっと広がった──中央に、座禅したままの老人を残して。
「ふふ......貴様、我々のコンビネーションを侮 っているだろう」
「だが思い知るがいい。ぼくたち戦 争 脅 威 力 研 究 クラブの精 鋭 ──」
「奇 襲 のロッテと!」
「だまし討 ちのセイが!」
「思いっきり奇襲するからな!」
「さー。だますぞー」
「............」
オーフェンはただ黙 ってふたりを見 据 えていた。それにあわせて──かどうかは知らないが──ふたりの口数も次 第 に少なくなっていき、やがて黙り込む。
しばしして。
ふたりは同時に悲 鳴 をあげた。
「ああああああっ⁉ 」
「予 告 してしまったらだませないぃぃっ⁉ 」
「もういい、お前らはぁぁっ!」
大声を張り上げ、オーフェンは同 時 に魔 術 を発動させた。爆発する衝 撃 波 が、ふたりを打 ち払 う──
なぎ倒 され、ダウンするふたりの少年を見ながら、オーフェンは嘆 息 した。
「こーゆう連中が、この街の将 来 を背 負 って立ってるわけか......」
「にぎやかしだとしても、生きてるって楽しいことです」
クラリーが、小さくつぶやいている。
と──
静かに〝鉄の柳〟老人が、目を開いた。厳 しい眼差 しで、こちらを見る。
「......正攻法ではいかない、とは、今の魔術のことかな?」
「いや今のは、あほに対する突 発 的 な処 置 だ」
「ほほう」
老人は立ち上がった。ゆっくりとではあるが、まるでよどみない所 作 で直立する。反 動 すらつけずに立ち上がるというのは、よほど極 端 に足 腰 が強い証 拠 だろう。
彼は、そのまま構えた。低い声 音 で言ってくる。
「魔術に対して挑 む。それもまた良しと思ったのだがな」
「余 裕 じゃねえか」
オーフェンもまた、再び構えを取った。いつもと同じだが──拳は作らない。軽く開いておく。
しん......と、静 寂 が訪 れた。通りのざわめきすら、遠のくような、風が吹き抜け、路面に紛 れた砂 を舞 わせる。
待 つことは性 に合わない──長引かせるのも趣 味 ではない。オーフェンは、特にきっかけを待たずに前に出た。
老人は動かない。
ここ二日の、自分と老人の動きすべてを一 瞬 で思い出す。
(敗 因 その一......奴には打 突 が効 かない)
どういった方法でか知らないが──あらゆる急 所 に対する打 撃 が有 効 に働 かなかった。
オーフェンは滑 るように老人に近寄ると、牽 制 するために相手の右 膝 に低 い蹴 りを打った。老人は体 を入 れ替 えてこれをかわす。
(敗因その二......組み合ったなら、体力で劣 る俺じゃ勝 負 にならない)
ひゅんっ!
老人が大きく打ち下ろした手 刀 が自分から遠からぬ空 間 を切 り裂 く。
いつもなら、ここで飛 び退 いただろう──そしてもうしばらく牽制を続けてから機 会 を見て飛び込む。が、オーフェンは肩から力を抜くと、やや強 引 に短く息吹 を吐 いて老人の懐 に飛び込んだ。
「ぬ⁉ 」
昨日までとは違う動きに、老人は声をあげたようだった。錯 覚 かもしれないが。なんにしろ、オーフェンは腕をあげて、老人の顔 面 に狙 いをつけた。
(だが、これなら!)
老人は、実 際 、侮 っていただろう──とオーフェンには思えた。顔に伸 びてくるこちらの腕を、避 けようともしていない。あえて無 益 な一打を打たせて、反 撃 に出てくるつもりか。今まで敗れたパターンもそれである。
だが──
(急所なんてな、作るもんだ......)
「これでどうだ!」
オーフェンの手が、むんずと、老人のひげをつかんだ。
「......え?」
それが老人の声であったか、観 衆 の声であったのかは分からないが。殺 那 ──
ぶぢぃぃっ!
思い切り、老人のひげが大量に引きちぎられた異 音 が、あたりに響きわたった。
「......勝った......」
ひくひくと痙 攣 して倒 れている老人を見下ろし、オーフェンは満 足 してうなずいた。ざわざわと周囲が騒 いでいるようではあるが、それは気にしない。

しばしして──ひげの一部が見事になくなった老人が、ふらふらと起き上がる。
「うむ......勝つためにはあえて定 石 をも無視する、実に見事な勝利。若 い人 よ、賞 賛 させていただこう」
「ふっふっ......」
「なんだかそーゆうのが廃 れた理由が分かった気がします」
背後から、クラリーの声が聞こえてきたりもしたが。
だが──
腕組みしてオーフェンは、つぶやいた。
「俺も結局、図 に乗ってたんだろうな──腕に覚えがあるつもりでいたけど、爺さんみたいなのがいるとは思わなかった」
「若い時は、それでいいのさ」
老人は、今までよりは多少くだけた口調で、そう言ってきた。ゆっくりと、やはりしっかりした様子で立ち上がる。
「そしてわしのような年 齢 になってもまた、自分より腕の立つ若者を見る。求 道 とは虚 しいものだ。求めるがゆえに試 練 にも出会ってしまう。わしの話をしてやろう、若いの」
と、かぶりを振りながら老人は続けた。
「確かにこのわしの〝鉄の柳〟──生 来 の打たれ強さあってのことだが、それだけでは完成はせぬ。所 詮 、人は生き物。生きているがゆえに弱い。無 欠 の防 御 などあり得ぬ」
節 くれ立 った頑 強 な拳を固 め、彼は自分に言い聞かせるように語り続けた。はさむ言葉を持たず、集まった誰もが、それを聞いている。
オーフェンもただ黙 してそれを聞いていた。結局は、秘 拳 〝鉄の柳〟とやらは破れなかったのだ。その秘 密 には興 味 がある。
老人の話は技術などではなく、単に精神のことだったが──むしろそのほうが意味があった。彼の言葉は疲れを感じさせたが、相 変 わ らず強い。
「だが、人は弱いがゆえに強くもなれる。痛 みを忘れるほどの強さを手に入れることができたなら。それは無 敵 の拳となろう。わしはそれを信じた。そしてその日から修 行 が始まったのだ」
握 った拳を目の高さにまで上げ──その先 端 が震 えているのが見える。
「そしてわしはたゆまない修 練 を続けた。練 法 に練法を重ね、自 らの肉 体 をいじめ抜 いた。己 を憎 むがごとく打ち、打たれ、血を吐 き、苦しみ抜いた。そして......」
その額 に脂 汗 が浮かぶ。その過 酷 な修行を再 体 験 しているというように。
「限 界 を超 えた瞬 間 !」
老人は初めて、それまで動 揺 を見せなかった瞳 に熱いものをたぎらせた。深い声が震えている。
聴 衆 が息を呑 むのが聞こえた。老人もまたいったん息を呑み込み、そして。
もとの無表情にもどり、静かにつぶやく。
「痛みが、気持ちよくなってきてな」
「............」
沈 黙 が、あたりを支 配 した。
後 日 談 ではあるが。
青空道場は、もう二度とその路上で開かれることはなかったという。
(マジになってもいいんだな⁉ :おわり)


どうというわけではないが、アーサー・ウェストは今日 も表を眺 めていた。窓から、ではない──店の奥 から。さほど広くない店に本 棚 がいくつも並 んでいるため、店内の採 光 には難 がある。本棚からあふれそうになっている古書の隙 間 から見える外界は、人通りの絶 えない通学路だった。おおむね決まった時間に、決まった通行人が通り過ぎていく。
トトカンタ市は今日も平和だった。なにごともなく、静かな日常が流れていく。いつもストリートには破 滅 が吹 き荒 れ、白い光が瞬 けば爆 発 、そして悲 鳴 。阿 鼻 叫 喚 の中、警 官 がわらわらと駆 けつけ、破 壊 の跡 に戦 慄 する。後かたづけにはだいたい四時間かかる。いや最近はみな慣 れたもので、三時間弱ほどで終わることも多い。
防 災 頭 巾 を被 って登下校する子供たちは、たいていが親子連れで、周囲を警 戒 しながら足早に通り過ぎていく。こそこそと道の隅 を進む怯 えた眼差 しの男を見て、アーサーはのんびりとつぶやいた。
「幸 せだなぁ」
今日はまだ破壊は起こっていない──いつも、昼過ぎになってからだ。なにかが待ち遠しいと、座 っていて思わず足を揺 すってしまう。子供の頃 からの癖 だった。今もアーサーは古い木 製 の椅 子 の上で、リズムを取るように身体 を揺さぶっていた。
「あの美しいひとは、今日も来るだろうか」
ゆっくりした口 調 で、独 りごちる。丸い眼鏡 に光が反 射 して、日の中で躍 った。
「こうして静かに座って、愛 しいひとを待つだけでいい。ぼかぁ、なんて幸せなんだろうか」
こうして時を過ごすことに、苦 痛 などなかった。自分でも時を支配しているのかと錯 覚 するほどに、ただ座っているだけで望 んだ時間が訪 れてくる。心は時の流れに自由に漂 い、そして彼は心安らかに、一日が暮 れるのを待っていればいい。
待ち遠しい、などと思う必要などない──待つことは苦痛ではないのだから。時はゆったりと過ごすために、この速 度 でしか進まないようにできている。
「ああ」
彼は、たっぷりとため息をついた。
「あのひとはきっと今日も来るさ。昨日 も姿 を見せてくれたのだもの」
まるで雨上がりの空にうっすらと浮 かんだ虹 のように、その美しさに抗 える者も、そして触 れることができる者もいようはずがない。天に描 かれたひと。アーサーはそう呼 んでいた。そう呼ぶ以外──なにがあるというのだ?
やがて、通りの向こうから、爆発音と、そして悲鳴が聞こえてくる......
「我 は放 つ光 の白 刃 っ!」
「どおおおおおおっ⁉ 」
「さらに白刃白刃白刃っ!」
「なんでぼくまでぇぇっ⁉ 」
「と・ゆーわけでっ!」
──ずざざざざっ! と、これは恐 らく、靴 の底が地面をこすった音だろう。見えはしないが、なにかポーズでも取ったらしい。
「今日もまた借 金 も返さん福ダヌキどもに、天 誅 待つのも待ち遠しくて自分で来たぞ」
「そ、そーゆうのは、私刑 って言うのだと思うんですけどぉ......」
「それは間 違 いだ」
「な......なんでですか?」
「なんでもだ」
「ああ......もう理 屈 すら通じないぃ......」
それらの会話を聞きながら──
アーサーは、ほうっとため息をついた。体温を宿 した息が、空気に紛 れて消えていく。
彼は、店の中にたたずみ、夢 でも見るような心 地 でひとりつぶやいた。
「ああ、なんて幸せなんだ──」
誰 も聞かない独り言だが、だからこんなことも言える。
「わたしはあなたを愛しています」
が。
「ほほう」
唐 突 に、返事が返ってくる──アーサーはぎょっとして振り返った。背後にいつの間にか男が立っていたのだ。
「な、なんですか?」
思わず声がうわずる。実際、アーサーはあわてていた──あり得 るはずがない。確かにここは店なのだから客が来ることもあるだろうが、彼が座っているのは店の一番奥である。その奥にさらに入ってくる客などいるはずもないし、もしいたら気づかないはずがない。
いくつもの『はずがない』を繰 り返 すが、ただ現実に、男はそこにいた。そこに男がいた、というほうが正しいのかもしれない。それはどちらでもいい。
混 乱 した面 持 ちで、アーサーはうめいた。
「あなた、どこから──いつの間に......」
「それはどうでもよろしい。が、あえて申し上げますれば、このようにして」
と、男が懐 から取り出してみせたのは黒 縁 の眼鏡 だった。
「............?」
無 言 で首をひねる。男は、ふっふっと笑うと、それをかけながら、
「このようにして変 装 すれば、人の目を欺 くなど容 易 なことです」
「はあ......」
なんの意味もないような気はしたが、問いただすことはさらに無意味に思える。そんな心地で、アーサーはうなずいた。
なんにしろ、男は眼鏡をかけたまま、無表情に笑ってみせた。矛 盾 するようではあるが、確かにそういった笑みは存在する。事実、目の前にあるのだから。
「さて」
男は、落ち着いた口調で言ってきた。
「詳 しい事情をお聞かせ願えますかな? 悪いようにはいたしません」
その、タキシードをぴっしりと着込んだ銀 髪 の男に向かって、アーサーはただなんとなく──うなずくしかなかった。
「オーフェンンンン⁉ 」
コンスタンスが、文字通り目を三角につり上げて怒 鳴 り込 んでくる──
それを受け流すつもりでオーフェンは、目を閉じて横を向いた。焼けただれたアスファルトの上には、まだ熱 波 が漂 っている。道路にはクレーターがきれいな楕 円 を描いていた。
その近くに、黒こげになったぼろぼろの『地人』が倒 れている。眼鏡の奥から疲 れたようにこちらを見上げ、なにやら物言いたげな表情を見せていた。そしてもうひとり、魔 術 の標 的 になった地人は、剣を手に持ったまま、近くの民家の壁 に頭から思い切りめり込んでいた。こちらは意 識 がないらしく、ぴくりともしていなかった。まあ、もう数分もすれば復活するだろうが。
これらの被 害 、つまりは魔術による彼らへの攻 撃 は、日 常 茶 飯 事 といえば日常茶飯事であり、それ以上でも以下でもない。言ってみれば習 慣 である。義 務 と言い換 えてもいい。だというのに──
「いったい誰が俺 を責められようか」
「なにがよっ⁉ 」
遠くを見つめ、拳 を握 りしめてつぶやく彼に、コンスタンスはさらに詰 め寄 ってきていた。
「なんだよー」
オーフェンは仕方なく彼女の顔を見返すと、口を尖 らせてうめき声をあげた。
黒 髪 、黒目、着ているものも黒ずくめの、二 十 歳 ほどの男である。特にどうという特 徴 があるでもないが、胸元には銀 細 工 のペンダントがぶら下げられていた──大陸黒魔術の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ者の証 、剣にからみついた一 本 脚 のドラゴンの紋 章 である。
彼は、怒 りに紅 潮 したコンスタンスの顔を見ながら、かぶりを振 った。
「俺の労働にケチつけるなよ!」
「そんなふうにすねたってごまかされませんからね。今日という今日は容 赦 しないわよ。わたしだって、市民の平和を守る派 遣 警 察 官 として、やる時はやるんだから」
腰 に両手を当てるポーズで、彼女は言ってきた。スーツ姿でそれをするため、警官というよりは、これから説 教 しようとしている教師のようにも見える。ただし小学校の教師だ──なんとなく。
そんなことを考えているうちに、コンスタンスは、びしっと破壊跡を指さして声をあららげてきた。
「なんなのよいったい! 毎日毎日飽 きもせず公共の路 上 で魔術なんかぶっ放して! 人の迷 惑 とかそーゆう感じのアンニュイな部分が分からない⁉ 」
実際なにを言っているのだかはよく分からなかったが、言いたいことは分からないでもない。オーフェンはとりあえず抗 弁 するために口を開いた。
「あ、いや、だって──」
いつになく厳 しい彼女の視 線 を、それとなく受け流しながら告 げる。黒こげになった地人と、壁にめり込んだ地人とをそれぞれ指 し示してから、
「あいつらって、ここらの路上に住んでるわけだし。そりゃあ、それ専 用 の広いグラウンドとかあれば、俺だってそっち行くけど」
「どこの世界に、モグリの借金取り立て用グラウンドなんてもんがあるのよっ⁉ 」
「いやぁ、もしかしたら」
「しないわよ、断 じて!」
肩 をいからせて、コンスタンスが叫 んでくる。
と──
気 配 を感じて、オーフェンは振り向いた。きこきこきこ、と油が差されていない車 輪 が軋 む音が聞こえてくる。見やると、通りの向こうから、地元商店街の人間と思 しき男たちが数人、台車を押 しながら姿 を現したところだった。
「ん?」
これはコンスタンスにも予定外のことだったのか、きょとんとした顔を見せている。
台車の上に乗せられているのは、背の高い柱に横木がついて、球 形 のものがぶら下げられている──つまりは、くす玉 だった。手作りらしく、張り合わせられた色紙がところどころ剝 げていたりする。台車には大きく、贈:商店街役員一同と記されてあった。
「............」
無言のまま──そして無表情のまま、その商店街役員たち(なのだろう、恐らく)はオーフェンらの前までそのくす玉を運んできた。そしてしばしして、ファンファーレもなく、ぱかんとくす玉が割れる。
ばさっと散 った紙 吹雪 の中に、垂 れ幕 が落ちた。
『祝・無差別破壊100 件目』
「............」
くす玉からこぼれている垂れ幕をしばし見上げて──
オーフェンはコンスタンスに向き直り、その垂れ幕を指さして、確 認 のために聞いてみた。
「歓 迎 ?」
「皮肉に決まってるでしょ!」
もはや付け足すこともないのか、無言のまま、商店街役員たちが去っていく。
彼らを見送りながら、オーフェンはつぶやいた。
「ンなに迷 惑 なことしてるかー? あんまりひどく壊 したって時は、あとで一応ちゃんと謝 ってから直してるのに」
「普 通 は壊さないのよ、最初から」
唇 を嚙 むような表情で、コンスタンス。
「だいたい、あんたって迷惑なのよね。毎日毎日おんなじことして。署 の人間もすっかり慣れちゃって、街 で爆発が起こりましたーってたび、即 座 にわたしに事後処理を回すんだから。って聞いてるの⁉ 」
「ちゃんと聞いて流してるぞ」
「あんたねぇぇ!」
と──
「ん......?」
ぞっ、と悪 寒 のようなものを覚えて、オーフェンは目をぱちくりした。肌 が粟 立 つ感 触 に、さらに身 震 いする。
「どしたの?」
コンスタンスが聞いてきた。
オーフェンはうなずくと、
「ああ......」
あたりを見回す──が、特になにがどうというわけでもない。遠巻きに野 次 馬 がいるのもいつものことではあるし、異変らしい異変は認 められなかった。
「気のせいか? なんか嫌 な視 線 を感じたんだけど」
誰にともなく独 りごちる。コンスタンスが、大きくため息をつくのが聞こえてきた。
「そんなことじゃごまかされないんですからね。さっきも言ったけど、今日はもう徹 底 的 に付き合ってもらうわよ。取 調 室 と留 置 場 ともかもか室があなたのことを待ってるわ」
「もかもか......?」
気になって聞く。が、彼女はまったく取り合ってこなかった。こちらの手を取り、ぐいと引っぱる。
「さ、来なさい。友達のよしみで手 錠 はなしにしといたげる」
「いや、もかもかって......」
「ほら、さっさと来るの!」
彼女に腕 を引っぱられ、なかば引きずられるようにしながら──
それでも背後に、なにかちくちくと、視線のようなものを感じる。野次馬たちの好 奇 の視線とも違 うようではあったが、オーフェンは気になりながらも、そのまま立ち去るしかなかった。
「うーん......うーん......」
テーブルに突 っ伏 したままうめき声をあげるオーフェンを見ながら、マジクは陶 製 のティーカップをテーブルに置いた。そのテーブルの向かいにいる、コンスタンスの前に、である。
なにやら昨日、警察署まで連行されたらしいオーフェンが、コンスタンスに引きずられてこの宿に帰ってきたのは今 朝 になってのことだった。その時から意 識 が薄 く、今のような状 態 である。コンスタンスが朝食を食べる間、ここに放 置 されていた。
湯 気 をたてる琥 珀 色 の液体に満たされたカップに手を伸 ばすコンスタンスに、マジクは聞いてみた。
「......どうしたんですか? オーフェンさん」
と、彼女は、どうということもない様 子 で、ひょいと肩をすくめてみせた。
「えっとね」
少し天 井 を見上げてから、答えてくる。

「ちょっとお灸 をすえてあげようと思って、もかもか室に放 り込 んだら、効 きすぎたみたい。なんか倒れちゃって」
「......もかもか室? なんですか、それ」
「聞きたい?」
彼女は持ち上げかけたカップをテーブルに置くと、目をきらきらさせて身を乗り出してきた。指を一本立てて、なにやら嬉 しげに笑 みを浮 かべる。
「ヒントを出すわね」
少し間をおいて──こちらがうなずくのを待っていたのだろう──、続ける。
「署内胸毛ランキング一位から十位までが勢 揃 い」
「いや......もうだいたい見当ついたからいいです」
マジクは手を振って、それ以上の説明を遮 った。
「うーん......」
変わらず、オーフェンがうめき声をあげている。突っ伏しているのでよく分からないが、腕の間からのぞく顔には脂 汗 が浮かんでいるようだった。立ち直るのにはしばらく時間を要するかもしれない。
彼は、使用済 みの皿 をコンスタンスの前からトレイに移しつつ、彼女へと視 線 をもどした。
「今日は、お仕事はいいんですか?」
と、壁にかかった時計を示す。短針が十時を回っていた。促 されてそれを見、コンスタンスが、喜びをこぼしそうに笑みを浮かべる。カップの陰 で微笑 んで、
「お・や・す・み。このところ、部長がやたらと有 給 を認めてくれるのよねー。なんか、こっちが休みたくなくても、もういーからお前は来るな、とか優 しいの」
「優しいですか? それ......」
「細かいことは考えないようにしてるの。ま、取り調べが長引いて、ちょうど夜 勤 明 けになっちゃったし。今日はゆっくり休むわ」
カップを置いて、彼女は大きく伸 びをした。にじんだ涙 を手の甲で拭 きながら、聞いてくる。
「ここの客室、借りてもいい? 下宿に帰るの面 倒 で」
「いいですよ。どうせ全部空き室ですし」
食器を回収し、厨 房 の洗い場へと引き返そうとしていたところに頼 まれて、マジクは肩 越 しにうなずいた。と、コンスタンスが、ふと思い出したように顔をしかめる。
彼女は眉 間 に疑 問 のしわをよせながら聞いてきた。
「......前から気になってたんだけど、この宿ってどうやって商売成り立たせてるの? お客の姿を見たことないのよね」
「オーフェンさんとか、コンスタンスさんが宿代を払ってくれたり、キースさんが壊したものをちゃんと弁 償 してくれたりすれば、もっと切り盛りが楽になるんですけどね」
「じゃあ、夕方くらいに降りてくるから。おやすみなさい」
ため息混 じりのつぶやきから逃 げるようにして、コンスタンスが階段を昇 っていく。
それを見送ってから、再び嘆 息 して、マジクはオーフェンが突っ伏しているほうへと視線を転じた。が──
「あれ?」
いつの間にか、オーフェンの姿がない。
「......宿代の話なんかしたから、逃げちゃったのかな?」
きっちりと椅子ももどされ、人のいた気配も残らずなくなっているテーブルを見下ろしながら──マジクは、ぽつりとそうつぶやくしかなかった。
黒い闇 が迫 ってくる。
闇をおそれる理由があるとするならば、その奥になにがあるのか分からないからだろう。闇は常に迫ってくる。背後になにかを隠しながら、それを渡 そうとせずに。
その闇は蠢 動 していた。落ち着かない闇の渦 の中で、ただもがき、出口を求める。
出口を隠している闇はどこだ?──尋 ねたところで、答える者もいない。
回答者を隠している闇はどこだ?──それすらも絶望的に存在しない。
ただ闇は迫ってくるだけだった。もかもかと。
「もかもか......うう......もか......やめてくれぇぇぇ......俺が......俺が悪かったぁぁぁ......ううう......」
虚 空 に伸ばした手が、なにもつかめないまま握 りしめられる。
なにもつかめないのは分かっていた。闇の中にはなにもないのだ。なにもあり得ないのだ。いや......
彼は、はっと目を見開いた。
違う。虚 無 しかつかめなかった手の隙 間 から、なにかが漏 れいでている。それは、小さな光だった。砂のようにこぼれてくる光。顔に触 れ、肌 に触れ、暖 かい光。
なぜ、光をつかむことができたのだ......?
その感 触 に驚 き、そして戦 きながら、彼は自問した。だが闇をおそれる理由と同じほどにはっきりと、その答えは自分の中にあった。
(そうだ......俺は抗 って手を伸ばした。出口はいらない。逃げる必要なんてないんだから。俺はまだ戦える。踏み出したその一歩が道となり、踏み出したその一歩が道となる! 立ち上がりさえすれば勝てる──闇の中に敵 なんていない。俺がいるだけなんだから!)
そして──
気がつけば、彼は、オーフェンは立ち上がっていた。いつの間にか、泣いていたらしい。風の中に立ち尽くし、眼下に広がる屋根を見渡して、叫 ぶ。
「もかもかなんぞに負けるかぁぁぁぁっ!」
............
闇は消えたが、闇の中と同じ、沈 黙 が返ってくるだけだった。
数秒ほどだろうか。そのまま、硬 直 する。が──
沈黙を破ったのは彼自身ではなかった。背後から、声。
「恐ろしい体 験 をなされたようですな」
「ううむ。先生に殺されかけた時の次くらいにきっつい感じだった」
べたべたする汗 をぬぐいながら、うめく。
「へたをすれば、もかもかで力尽きて俺の人生終わるところだったぞ」
「限りなく嫌 な人生の終 焉 ですな」
「で──」

オーフェンは、ようやく落ち着いて振り返った。聞く。
「ここはどこだ?」
もっとも、あまり落ち着いて聞くような状 況 ではなかったかもしれないが。
ついでに付け加えれば、聞かなくともすぐ分かる状況でもある。
ひとことで言えば──彼らは、街で最も高い場所にいた。
高い場所のてっぺんに。
中央広場の時計台、その屋根の上。都市を一望できる場所に立っている。無論、ここまで昇ってこられるような通路などどこにもない。補 修 するにも、何年かに一回、やぐらを組んで行 われているはずだった。
そんな場所で、こんな相手と対 峙 している自分が、少し悲しくなったりもする。背後にいたのは、タキシードを着込んだ銀髪の男──コンスタンスの執 事 である、キースだった。
キースは白 手 袋 に覆 われた手を握 りしめ、なにやら緊 張 した様 子 で答えてきた。
「いえ。実は、黒 魔 術 士 殿 にどうしてもお伝えせねばならないことがありまして。それも内密に」
「ほほう」
とだけつぶやいておく。キースは、すすすと近寄ってくると、耳打ちするように、
「というわけで、人の耳のないところをと探 し回り、とりあえずここへ」
「とりあえず──で登れるよーなところなのか? ここは......」
見下ろして、聞く。ここまでの高度があると、さすがに風も強く、しかも厳 しいほどに冷たい。しかも屋板は傾 いているため、危 険 なこときわまりなかった。
が、キースはあっさりと断 言 するだけだった。
「そこは努力の賜 物 で」
「いや、努力でどーなるもんでもないと思うが」
「では、ついでに世 渡 り上 手 なども付け加えまして」
「うーむ。でもなぁ」
「ならばこの洗 剤 もお付けしましょう」
「新聞の勧 誘 か......?」
「いえ違 います。あ、洗剤はどーぞお受け取りくださいませ」
こちらの手の中に箱入り洗剤を押しつけながら、続ける。表情のない顔に、苦 悩 のしわを一本引いて、
「実は......悩 んでおるのです。このようなことを打ち明けて良いものか......」
「相談か? それなら、なんで俺なんだよ。お前の主人はコギーたちだろが」
しかめっ面 で、うめく。傾いた屋根の上でバランスを取っているのにも疲れ、洗剤を抱 えたままオーフェンはしゃがみ込んだ。キースも、それを追いかけるように身をかがめてくる。
「いえそれが、黒魔術士殿こそ当事者なのです」
「お前の当事者はあてになんねぇからなぁ」
「また異な事を」
はっはっ、と乾 いた笑いをこぼしながら、キースが肩をすくめる。彼は、すぐに真 顔 にもどった。口元を手で隠し、あからさまに内 緒 話 のポーズで続ける。
「黒魔術士殿......ひとつお聞きしたいことが」
「ああ」
「恋について、どう思われますかな?」
「どうって......」
オーフェンは、困 惑 してうめいた。
「そんなもん、どう答えりゃいいんだ?」
「思いのままにお答えください」
「ま、落 とし穴 みたいなもんだと覚 悟 しておけば、あきらめもつくんじゃねえか?」
「なるほど......さすが人生やすりで削 られたごとしの黒魔術士殿らしい回答......」
「ケンカ売ってんのかお前」
半 眼 になって険 悪 に告 げるが、キースはもとより聞いてもいないふうにかぶりを振るだけだった。細い目がきらりと輝 く。
「しかし黒魔術士殿......こたびその落とし穴に落ちるのは、あなたかもしれないのです」
「はあ?」
「黒魔術士殿を慕 ってやまないというお方から、ことづてをたまわっておりまして」
キースはそう言うと、懐 から白い封 筒 を取り出してみせた。なにも記されていない、ただ真っ白な封筒である。
受け取って裏返してみると、ロウできれいに封がしてあった。ただし、差出人の名前もなにもない。
疑わしげに、オーフェンは聞いてみた。
「......またボニーか?」
「いいええ」
きっぱりと、キースが否 定 する。
「陰 よりそっと黒魔術士殿のお姿 を盗 み見ながら、その想 いを育 んできたとおっしゃっておられました。それは誠 実 で、奥 ゆかしいお方でして」
「うーむ。そんな人間がこの街にいたとは」
しみじみとつぶやくと、キースはそのまま真顔で付け足してきた。
「アクの強い黒魔術士殿にはお似 合 いかと」
「やっぱりお前ケンカ売ってるだろ」
にらみやってから、封を切る──
中に入っていたのは、便せん一枚だけだった。やはりこれもただの真っ白な便せんである──その白い紙面に、たった数行だけがしたためられていた。細い、水に流される糸のような筆 跡 で、
「......『天に描 かれた美しいひとへ。わたしの想 いを伝えたく思います。心を決めねばこのようなこともできないわたしを笑わないでください』」
読み上げてから、オーフェンは顔を上げた。じっとこちらを見ているキースの無表情に向けて、つぶやく。
「......なんか微 妙 に変な文面じゃねえか?」
「気のせいでございましょう?」
まったくの真顔で否定してくるキースに促 されて、先を読む。あとはたった一行だけだった──それと、署 名 。
「『本日の日が沈 むまで、エルメラ公園の木の下でお待ちしております。アー──』」
と、オーフェンはそこで声を止めた。便せんを持つ手に、不必要な力が入ってくしゃりと紙面が歪 む。
「どういたしました?」
キースの問いには答えずに──
オーフェンは震 え声で、続きを読み上げた。
「『アーサー・ウェストより想いを添 えて』......」
がしっ。
近くに来ていたキースの襟 首 を、思い切りつかみあげる。怒りをこめた眼差 しでにらみつけ、オーフェンは低くうめいた。
「......どーゆうことだ?」
「はて。なにかお気に障 りましたか?」
「男の名前だろーが、思い切りっ!」
「それは黒魔術士殿、早とちりというものですぞ」
「......そーなのか?」
聞き返す。
首を絞 め上げられても顔色ひとつ変えず、キースは優 雅 に言ってきた。
「男性名だからといって女性でないなどとは限りません」
「うーん。......まあ、そうかもしれねえけど」
「その方はきっぱり男性ですが」
「どぉぉぉゆうことだぁぁぁっ⁉ 」
再度絞め上げるが──
ひょい、とどこをどうしたのか分からなかったが、キースが軽く身を引くと、彼の襟首にかかっていた手は外されていた。少し乱れたタキシードを直しつつ、キースは、静かに口を開いた。
「黒魔術士殿......」
「なんだ?」
「黒魔術士殿のお気持ち、しかと承りました」
「ほほう?」
キースの次の行動を読んで──オーフェンはつぶやきながら右手を振り上げていた。じわじわと後 退 しつつ、キースがあとを続けてくる。
「では黒魔術士殿、わたしは先を急ぎますゆえ、失礼いたします!」
「待ていっ!」
屋根から飛び降りようとしたキースの後ろ襟を、素早く駆 け寄 って捕 まえる。妙 に軽いキースを引きもどして、オーフェンは再び顔を近づけた。
「どこへ行ってなにをするつもりだ? キース」
「無論」
キースは真顔でうなずくと、またこちらの手を外し、両手を振り上げた。
「誠 意 あるおつきあいをお願いいたしますと、わたしからお伝えして参 りましょう」
「そうくると思ったわぁぁっ!」
叫ぶと同時、魔術の構 成 を解 き放 つ──
掲 げた右手の先から純白の熱波がほとばしり、キースを狙 った。が、銀髪執事はあっさりとそれをかわすと、
「誤 解 ですぞ、黒魔術士殿!」
「なにがだっ⁉ 」
放 とうとしていた二撃目をとりあえず保留し、腰 溜 めの姿 勢 で聞き返す。キースはぐっと拳 を握 って言ってきた。
「このキース、確かにマギー家の執事。しかしながら黒魔術士殿との友情もまた、その忠 誠 に勝るとも劣らないものと自 負 しております!」
「......で?」
半眼で聞く。
キースは即 答 してきた。吐 息 して、静かな声 音 で。
「つまりは黒魔術士殿の喜びは、わたしの喜びでもあります。黒魔術士殿のためになるのであれば、いかなる努力を惜 しむものではございません!」
「ほ〜お」
「というわけで、エルメラ公園にゴー!」
「だから待ていと言っとるんだっ!」
立ち去ろうとするキースの腕 をつかんで、叫ぶ。
「その論 理 のどこがどうつながって、俺の喜びなんだ?」
「愛されることは、たとえどのよーな形であろうと喜びかと」
「ンなわけあるかっ!」
「黒魔術士殿は......結 構 わがまま......」
「なにをメモしてるっ⁉ 」
「しかし......黒魔術士殿がそのような態 度 では、アーサー殿があまりにも哀 れではございませんか?」
いきなりキースはこちらに向き直ると、さっと目を伏 せてそう言ってきた。声もひそめ、小さくかぶりを振りながら、
「思いとはどのようなものであれ純 粋 なものです。それを踏 みにじる権利など、何者にもありますまい」
「そーゆう言い方をすれば、どんな戯 言 でもそーなっちまうだろーがっ!」
「黒魔術士殿っ!」
いきなり声をあららげて──
キースは、きっと 眼差しを強くしてきた。
思わずこちらがのけぞったところを、キースは自分だけ身を引いて、咳 払 いひとつこぼしてから体 裁 を整 えた。なにやら真 摯 な面 持 ちで言ってくる。
「黒魔術士殿。太 古 より、こういった格言がございます──本当に不 可 能 なものをすべて取り去ったあとに残ったものは、それがどれだけ不可能じみて見えたとしても、実現可能であると」
「格言......かなぁ、それ」
首を傾 げるが、キースは聞いた様子もなくあとを続けた。
「これは、こうも言い換 えることができるのではないでしょうか。つまりは、本当に間違ったことを取り除 いたあとに残るものが真実であると」
「うーん......」
「黒魔術士殿にお聞きします。ご自分の心の声に従ってお答えください......」
キースは空を示して、言ってきた。
「恋は間違ったものでございましょうか?」
「いいや」
「では、わたしが行って、式の日取りを決めて参ります」
「お前は根本が間違ってるんだっ!」
大 股 に屋根から飛び降りようとするキースを、またもや捕 まえなおす。
「黒魔術士殿......」
白手袋の甲を嚙 んで、なにやら悲しげにキースが言ってくる。
「なにが気に入らないのでございますか? わたしはただ、高原の白い教会で挙 式 する黒魔術士殿の笑顔を見たいだけだというのに」
「やーめーろー」
「無論、黒いウェディングドレスです」
「ますますやめろっ!」
凄 絶 な眼差しで否定する。と──
気になって、オーフェンは聞いてみた。
「にしてもお前......どうやってここから降りるつもりなんだ? 飛び降りたら死ぬだろ。いくらお前でも」
下を見下ろしてみる。ろくに手がかりもない時計台の上に、そもそもどうやって昇ってきたのかが謎 だが、降りるのはさらに難 解 に思えた。が、キースはあっさりと、
「そこはまあ、このようなものが」
懐 から、鉤 縄 を取り出してみせる。
「ほほう」
オーフェンはうなずくと、それを取り上げた。細いロープを輪の形に巻いたもので、重量はあまりないが長さはある。これなら地上までとどくだろう。引っぱって強度を確かめてから、彼はその鉤を足下の、屋根の隙 間 に差し込んだ。
さらに引いてみるが、大 丈 夫 なようである。
「ほほう」
ロープを地上に放 り投げ、オーフェンはそのまま、下に降りかけた。ロープを身体に軽くかけてから、それを頼 りに屋根から身体を降ろし、壁 面 に足をかける。彼はふと動きを止めると、無表情でこちらをじっと見下ろしてきているキースに、軽く手を振った。
「じゃあな。地上に降りたら、下からちゃんと魔術で狙 い撃 ちしてやるから、お前は降りてこなくていいぞ」
「実は黒魔術士殿」
キースはただ淡 々 と、ごく当たり前の天気の話でもするように、言ってくるだけだった。
「その鉤縄は脱 着 式 でして」
「あん?」
彼のつぶやきと同時──
きゅぽん、と軽い音を立てて、鉤の金具からロープが抜 ける。
「へ──⁉ 」
急速な落下感にぞっとしながら、オーフェンは叫んでいた。
「なんでだぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ⁉ 」

無 慈 悲 な無重力状態に平 衡 感覚を失い、意識を混 濁 させながら──はるか上方に、のっぺりとしたキースの笑みが見えたような気もして──ただとにかく自 制 を保とうとしつつも、それがひたすらに難 しく──
オーフェンはただ、悲鳴をあげるしかなかった。
(つづく)

実際それが、どれほどの時間だったのかは分からない──
が。
決 断 に要する一 瞬 に対しては、時間というのは常に永 劫 のようにある。というほど大げさなことなのかどうか。なんにしろオーフェンは、大声で叫 んでいた。
「我 は駆 ける──」
魔 術 の構 成 を展 開 し、全力で魔 力 を放 出 する。網 に水をこぼすようにその構成が実現し、世界を塗 り替 えていくのを実感しながら。
「天 の銀 嶺 !」
十数メートルを落 下 する最 中 に、魔術に集中できたことは奇 跡 と呼 んで良い。
落下の無重力状態に対して、逆方角への引力が働いたかのように体 感 する。目を閉じ、覚 悟 を決めたその直後に──
とん。
軽い音を立てて、オーフェンは地 面 に降り立っていた。
「くっそー......」
手に持ったままだったロープを足下に捨てて、毒 づく。
「キースの野郎、つくづくしゃれにならんことをしゃれでやりやがって──こんなもん、いくらんなんでも死んでるぞ普 通 は」
時 計 塔 がある中央広場は、文字通り市の中央近くに位置する公営広場である。時計塔などといったところでもう何年も稼 働 していないのだが、修 理 も解 体 もされることのないまま、ただ表面の補 修 だけが為 されてきた。この巨 大 は建物以外にはなにがあるわけでもない公園には、それでもひとけが絶 えたことはない。オーフェンは、それらの人々から奇 異 の視 線 が集まるのを強く意識した──突 然 上空から落下してきたのだから当然かもしれないが。
「とにかく」
と、時計塔を見上げる。まだ屋 根 の上にキースがいるはずだった。真下からでは死 角 となっていて判 然 としないが。
拳 を固めて、彼は断固としてつぶやいた。
「あのあほを地上に降ろしたらまた面 倒 なことになるぞ」
とはいったところで。
そもそも、手がかりもろくにない高所から、装 備 もなしに降りてくることなど、困難以前に実現し得ないことではある──魔術で偶 然 助かる以外には。もっとも、
(あいつだからな、どんなわけの分からない理 屈 で降りてきやがるか分かったもんじゃねえし。油 断 はできねぇぞ)
とりあえずここで監 視 して、時計塔の上で不 審 な気 配 を感じたら全力で阻 止 しなければならない。注意力と忍 耐 の勝負になりそうだった。
ぐっ、と拳を握 り、決意を固めつつ、オーフェンはつぶやいた。
「こーなったら、ここで寝 ずの番 をしてでも──」
「なにがですかぁっ⁉ 」
「どおお⁉ 」
唐 突 に響 いた大 音 声 に──
オーフェンは、思わず地面に転 がるようにしてうめき声をあげた。声は続く。
「誰 が地上に降りると面倒なことになるのですか黒 魔 術 士 殿 ぉぉっ⁉ 」
時計塔の上ほど高くはないが、それでも地面にはいつくばっている状態の彼にとってはかなりのものに思える高さへと顔を上げ、オーフェンは叫んだ。
「キィィィィィス!」
が──
キースは平然とした顔で、ただメガホンを口に当てたまま、
「そのよーな面 倒 なことになっては面倒なこと間 違 いございません! そのよーなことにならないよう、黒魔術士殿と友情同 盟 を結んだこのわたくしめにも、ぜひ手伝わせてくださいませ!」
「ぐううう......」
獣 じみた──というより手 負 いの獣じみた──うめき声が、喉 から漏 れるのが聞こえる。オーフェンはふらふらと立ち上がると、とりあえずキースのメガホンをむしり取った。先ほどのロープと同じく足下に投げつけ、二 、三 度 踏 みつけてから、銀 髪 の執 事 へと向き直る。
「お・ま・え・は〜」
あくまでも表情らしきものを見せないキースの胸ぐらをつかみあげ、オーフェンは声をあららげた。
「どーやって降りてきた⁉ 姿 を見せずにあっさりとっ! 言っとくが、なんとなくノリでとかお前だからとかそーゆう理 屈 は認めねえから俺はっ!」
「黒魔術士殿......」

襟 を絞 められたまま、キースは、静かにかぶりを振 ってきた──そのまま続ける。
「こーいったトリックの基本的な解き方をご存じないのですか?」
「あん?」
聞き返す。上 目 遣 いににらみつけるが、そもそもそういった威 嚇 が通用しないことは分かり切っていた。汗 ひとつ見せず、キースが語る。白 手 袋 の人差し指を振りながら。
「不 可 能 なことは、不可能なのですよ。できないことは絶対にできない。トリックとは、それを隠 れ蓑 にすることで最 大 限 の効 果 を発 揮 するのです」
「ほほぉう」
「ああ、そんなことができるはずがない──と、衆 人 をそこで思 考 停 止 させることで、トリックは自 らを守るわけです。逆にこれを見破りたいのならば、こう思わなければならないのですよ。あの時計塔の屋根から装 備 もなしに降りてくることなど不可能。ならば可能な方法をなにか見 落 としているのだ、と」
「......で?」
「ふっ......」
キースは余 裕 たっぷりに笑うと、白い歯を見せ、言ってきた。
「黒魔術士殿」
「なんだ?」
「忍 法 壁 歩 きをご存じですかな?」
「お・ま・え・は〜!」
「人生いろいろなことがございます」
がくがくと振り回されながらも落ち着いた面 持 ちで、キース。話をしていることそれ自体になにか虚 しいものを感じなくはなかったが、オーフェンはなんとか意識を保 った。
「お前の場合は、たったひとつの不 条 理 で全部片づけてるんだろうが!」
と、叫びながらキースの身体 を突き飛ばす。直立した姿 勢 のままで、キースが後 方 によろめいた。
無論、手をはなしたのは解 放 するためではない──
破 壊 のための構 成 を編 み上げながら、オーフェンはゆっくりと肺 を震 わせた。
「どーやらここいらで、決着をつけにゃーならんようだなぁ」
「なぜですっ⁉ 」
愕 然 としたポーズで──ただし表情は変えないまま──、キースが声をあげるのが聞こえてくる。
不 穏 な空気を嫌 でも感じたのか、それまでベンチに座 るなりなんなりして、遠巻きにしていた主婦やら子供やらあからさまに営業さぼりの会社員やらが、ざわめき始める。だがオーフェンはあえて無 視 して、キースに詰 め寄 った。
「聞きたいか⁉ 」
「まさか......」
ふるふると首を振って、キース。
「わたしに、忍法壁歩きの秘 密 をしゃべれと......?」
「違 う断 じて違うことさらに違うっ!」
思い切り否 定 してから、オーフェンは、実 体 化 するぎりぎりまで魔術を構成した。部分的に制 御 し損 ない、自分の身体の周囲でぱちぱちと静 電 気 が弾 けているが、この際 それもどうでもいい。
キースに向けて──右手を掲 げる。
「お前にはしばらく寝ててもらう」
「ああ、なるほど。ですが、黒魔術士殿......」
と、キースがいつになく考え探げに顔をしかめた。細いあごに手を当て、眉 根 を寄せている。
「ん?」
促 すと、彼は顔を上げて言ってきた。
「やです」
「知るかっ⁉ 」
怒 鳴 り声をあげる──
「お前の意思なんぞ関係あるかっ! だいたいお前、どーして俺がこんなに必死こいてるのか、本 気 で分かってねえってんじゃねえだろうな⁉ 」
聞くのが恐 いような気もしたが、聞かずにはいられなかった。キースは、しばらく虚 空 を見上げたあと、
「おお」
ぽん、と手を打ってみせた。
「黒魔術士殿の挙 式 のことですな」
「勝手にそこまで話を進めるなっ!」
「まあ、黒魔術士殿、照 れずに」
「照れてるんじゃないっ!」
「せっかくこのわたしめが縁 談 を持 参 したというのに。アーサー殿のどこが気に入らないのですか?」
「だ・か・ら」
ぼっ、と手の先に、白い火 炎 の渦 が巻き起こる──
「なんで俺が男と付き合わにゃならんのだぁぁぁっ⁉ 」
叫 びを呪 文 とし、光熱波を放 つ。
虚 空 をまばゆく染 める白光。渦となるのは轟 音 だった。爆 発 する業 火 が標 的 、つまりタキシード姿の銀髪執事へと収 束 していく。
が。
まるで水 鉄 砲 でも避 けるように簡 単 に後ろに跳 んで爆発の範 囲 から逃れると、キースはそのまま背中を見せて駆 けだした。
「というわけで、わたしはアーサー殿 の待つエルメラ公園へと急がせていただきます!」
「行かせるかぁぁっ⁉ 」
叫んで、破 壊 的 な魔 術 を連 発 する。光が幾 重 にもキースの行く手に着 弾 し炸 裂 するが──炎 上 するクレーターをひょいひょいと猿 のように跳び越 え、キースは逃 げていく。
「はーははははは......」
高らかに笑いながら、異 様 なスピードで広場を後にするキースを見送って──
魔術を連発した疲 労 から、肩 で息などしつつ、オーフェンはうめいた。
「なんでこうまで当たらねえんだ......あいつを相手にしてると、つくづく調 子 が狂 うんだよな、くそ」
声にも疲 れがにじんでいるのを自 覚 する。喉 の奥 に溜 まった乾 いた空 間 が、嘔 吐 感 をも誘 っていた。だが、その疲 労 を振 り払 うように、オーフェンは背を伸 ばした。キースが走り去っていったほうをにらみ据 え、
「こーなったら、とことんやってやる!」
彼は全力で走り出した。追いかけるしかなかった。
かなりの時間走ったような気もしたのだが──
実 際 には、一分も息が続かなかったろう。だがそれでも、広いメインストリートを猛 スピードで走っていくキースの背中を発見することができた。
「見つけたぁ!」
思わず叫ぶが、ふと思いとどまる。あげかけていた手の力を抜 いて、
(......この距 離 じゃ、魔術でどうなるもんじゃねえしな)
あたりを見回し──
オーフェンは後ろを向くと、ざっと両手を広げてとおせんぼの形を作った。
「停 まれぇ!」
ちょうど通りかかった二 頭 立 ての乗 り合 い馬 車 に向けて、大声で呼びかける。
「な──なんだっ⁉ 」
若い御 者 が、悲 鳴 じみた声をあげて手 綱 を引いた。とはいえもとより街 中 でさほどの速 度 を出していたはずもなく、いななきひとつ残さずに馬が脚 を止める。
「良 し」
オーフェンはうなずくと、手 早 く馬車の側 面 に回り込み、御 者 台 に乗り込んだ。わけが分からないといった表情で、御者がうめき声をあげている。
「お、おい。乗りたいんだったら、後ろに......」
「実はな」
混 乱 している御者を手で制して、オーフェンは重々しく口を開いた。目を閉じ、かぶりを振ってため息をつく。
「話せば長くなるんだが、時間がない。とりあえず、この馬車は徴 発 させてもらう。俺は大 陸 魔 術 士 同 盟 の、ハーティアという者だ」
「た、大陸魔術士同盟......?」
結 局 その単語は、御者に新たな混乱を押しつけただけだったが、それは狙 い通りでもあった。それ以上の言葉を相手に吐 かせるよりも早く──そしてそれ以上のことを考えさせるよりも先に、さらにあとを続ける。
「実はなんというか危 急 の事 態 というやつで、是 非 とも協 力 してもらわなくてはならない......んです」
と、どこかうろ覚 えの〝魔 術 士 口 調 〟とでもいうものを思い出しながら、
「とにかく、このストリートを全速力で走ってもらいたい......わけです。早く」
「え、でも、速度制限が──」
「早く! 世界を守るために!」
「世界を⁉ 」
御者の眼が、驚 愕 に見 開 かれ──
「なるほど......世界の脅 威 ......それを防 ぐための徴発......」
「そう。そういうことです」
オーフェンはうなずきながら、とりあえずもっともらしく聞こえるような作り話を高速で組み立てつつあった。だが、それを話し始めるよりも先に、御者のほうが続けている。
「つまり俺も世の中のために協力......社会への貢 献 ......」
「まあ、そうですな。だから──」
「......公 的 権 力 の後 ろ盾 ......交 通 法 規 なんぞくそくらえ......」
「......え?」
聞きとがめたが、それを訊 ねる間はなかった。
御者の男が手綱を握 りなおした。にやりと笑 みを浮 かべ、言ってくる。
「そういうことなら、協力させていただきやすぜ! はいよーロドリゲス&ディアーボ!今日 こそは、この俺がお前たちのリミッターを外 してやるゼ!」
叫ぶや否 や、引 き絞 った手綱が大きく鳴り──
「うお⁉ 」
オーフェンは思わず声をあげた。信じられない加速度で、馬車が発 進 する。
「はーっはっはっはぁっ!」
御者の若者──といっても近くから見ればオーフェン自身より年上に見えたが──は、どこかひきつったようにも見える笑い声をあげながら、さらに手綱で馬を打った。
「えーと......」
横からオーフェンは、なんとなく気まずい思いを抱 きながら聞いてみた。
「一応、言い訳っていうか、さっきの危急の事情ってのをとっさにでっちあげてみた──もとい、話そうかなーなんて思ったりしてるんだけど、聞きたくない?」

「はーっはっはっ!」
「いやあの、せっかく考えたんだし。魔 界 から魔 王 の斥 候 がって、聞いてる? ねえ」
「だぁーっはっはっはっ!」
「あのぅ......」
「どへらぐえほえぐぁっはははぁっ!」
どうやら必 要 ないらしい。
少し寂 しさを感じたりもしたがそのあたりは適 当 に処 理 して、オーフェンは前方に向き直った。舗 装 された路 面 を凄 まじい勢 いで跳 ねる馬車の轟 音 に、行く手の通 行 人 たちがあわてて道を譲 っている。さすがにこの勢いならば、キースに追いつくのも時間の問題だった。もっとも、無 茶 な走行に馬車のあちこちが軋 んでいるのがはっきりと聞こえてきていた──
(あまり長くは保 たないかもしれねえな......)
不安に顔をしかめつつ、オーフェンは独 りごちた。
と。
「峠 はここだぁぁぁっ! このカーブを曲がって俺は伝 説 になるぅぅぅっ!」
がっくんがっくんと縦 に揺 れながら哄 笑 し、御者が叫んでいる。血走った目には、行く先の道など映 ってもいなさそうだった。
(......それとも、こっちのほうが先に壊 れるか?)
半 眼 でうめく。どっちもどっちというところだろう。
馬車が走れなくなる前に、キースに追いつき、そして走る銀 髪 執 事 を沈 黙 させなければならない。これはなかなかに難 しいことと言えた。
と──
考えている間に、前方を走るキースとの距 離 はかなり縮 まってきていた。全速で疾 走 する馬車と競争できるほどの速度で、しかも休みもなしに走っているのだから、つくづく人間の体力ではないが、それでもさすがにこちらのほうが多少は速いらしい。じりじりとキースの後ろ姿が大きくなってきている。
それを見 据 えながら、オーフェンは静かに拳 を握 りしめた。今まで見てきたことから、彼 我 の戦力差を分 析 してみる......
(キース・ロイヤル......マギー家の執事)
まさか、ただの執事と自分──つまり大 陸 魔 術 の最 高 峰 たる《牙 の塔 》で戦 闘 訓 練 を受けた黒 魔 術 士 である自分とを、戦 闘 力 において比 較 しなければならない時が来ようとは、昔ならば思いもしなかっただろう。
虚 しい思いを嘆 息 で吐 き出しながら、続ける。
(身 元 不 明 出 身 地 不 明 。まったくもって意 味 不 明 の論 理 で生きているせいか、次 行 動 のパターンが読めるよーで読めない。どんな武 器 を持ちだしてくるか分かったもんじゃねえし、どんな技 を隠 し持ってるかも知れたもんじゃない。そーいやあいつ、出会った頃は魔術まで使ってやがったな。とにかく、自分がちょっとでも面 白 いと感じれば、あらゆる常 識 を無 視 してでもそいつを実 現 させる奴 だ。対 抗 策 は......)
............
黙 考 の最 中 は呼吸を止める癖 が彼にはあった。実際今も、息を止めていたのだが。
ふっ、と息をついて、オーフェンは頭を抱 えた。
「なんか......絶 望 的 な努 力 をしようとしてないか、俺......?」
だが、あきらめるわけにはいかない。
顔を上げると、もう馬車はキースに追いつこうとしている。狂 信 的 ななにかに取 り憑 かれたような笑い声をあげている御者のことはとりあえずほうっておくとして、オーフェンは声をあげた。
「キィィィス!」
叫ぶ。
「おや、黒魔術士殿」
全力疾 走 しながら平気な顔をして後ろを向き、キース。
オーフェンは御者台の上で、ゆっくりと立ち上がった。揺 れる馬車にバランスを取りながら、
「よーし。もういい。お前はなにも言うな。今から俺は全力でお前を倒 す。もうこれ以外はなにもいらん」
右腕を振りかぶり、叫ぶ。
「ちゅーわけで、我 は放 つ光 の白 刃 っ!」
かっ──!
光 熱 波 がキースの足 元 へと突 刺 さる。だが刹 那 、いやそのさらに一 瞬 前 か。
「はぁっ!」
かけ声だけ残して、キースの姿 が消えた。黒い残 像 が宙 を舞 い──そして、二回転半ほど回ってから地上に降り立つ。
地面に触 れたあとは、先ほどとまったく同じ様 子 で走り出していた。
「こしゃくな!」
さらに広 域 に魔術を放 つ。だがそれも、銀髪執事は顔色ひとつ変えることなく横飛びしてかわしていく。速度を落としすらしていない。
「くっそー......」
オーフェンは歯 がみしてうめいた。きりきりと奥 歯 が鳴るのが頭 蓋 の裏から聞こえてくる。
市内の地図を、知っている限り頭の中に展 開 する。この速度では、キースが向かっているエルメラ公園まで、それほど時間がないはずだった。
「短 期 決 戦 だな」
仮 に馬車が保 ったとしても、あと一、二分で公園に着いてしまうと判断し、オーフェンは全力で魔術の構 成 を編 み始めた。
「ごーばほほほほぐぼごぼくっぼぼはーははぁ〜!」
もはや獣 の声ともつかなくなった御者の哄 笑 を聞きながら──
オーフェンにできることは、周 囲 一 帯 を犠 牲 にしてでもキースを止める、大 破 壊 のための魔術しかなかった。
「ああ......幸福な音が聞こえてくるよ、天 使 さま」
なにが天使さまなのかと聞かれれば、さあとしか答えられないが──

公園の木の下で、アーサーはひとり空を見上げていた。
遠く、地 鳴 りを伴 って、爆 発 と破 壊 の音が聞こえてきている。それは聞 き慣 れた幸福な音だった。そう。この轟 音 が、あの天に描 かれた美 しいひとを連 れてくるのだから。
街 には警 鐘 が鳴 り響 き、街 道 には人々は逃 げまどい、公園にももはや犬一匹残っていない。確かここは災 害 避 難 所 になっていたはずであるが、破壊の源 がこちらへ接 近 しつつあることが明らかになると、みな別の避難所へと逃げていったようだった。
彼ひとりを残して。
もっとも、彼には逃げる必要などなかった。
「ああ、なんてぼかぁ、幸せなんだ」
ひとりつぶやきながら──
公園の木の下で、彼にはあの理想のひとを待つ以外に考えられることはなかった。
「ぐぇーほはは! やるぜやるぜ俺 はぁっ! 俺の走 りが嵐 を呼 んでいる! 街が灰 燼 に帰 そうと、道がなくなろうと、俺の走りは止まらねぇのさぁっ!」
「............」
ひょっとして本当に止める手 段 はないのだろうかと、そんなことを少し不安に思ったりしながら──
とりあえずオーフェンは、目 標 へと向き直った。まったくの無 傷 で走り続けるキースへと。
「ったく、熱 衝 撃 波 どころか空 間 爆 砕 も疑 似 球 電 もかわしやがって......」
「黒魔術士殿は、まだ戦いというものをよく分かっておられないようですな」
それまで黙 って魔術だけを避 け回 っていたキースが、ぐるりと首だけこちらを向いて、言ってくる。
「なに⁉ 」
身 構 えて、オーフェンは聞き返した。キースはソファーにでも腰 掛 けているような面 持 ちで優 雅 にうなずいてみせた。
「肉 体 を制 するもの、それは頭 脳 です。黒魔術士殿の魔術は、威 力 はあってもあまりに単調なのですよ」
「ふむ」
「狙 いが正 確 なのも良いことですが、それだけに次 撃 の予 測 が容 易 です。予測された攻撃など、避けられるのを待つだけというもの」
「なるほど」
馬車はキースに追いついて、今はほとんど伴 走 しているような状態である。
「............」
オーフェンは、すっと腕 をあげた。手の先が指し示しているのは、キースが走っているすぐ後ろである。意識を集 中 し、叫ぶ。
「我は放つ光の白刃っ!」
白 熱 する衝 撃 が、キースの後 方 の路 面 をえぐり──
爆発する。砕 かれたアスファルトの破 片 が四 散 した。空気を切り裂 いて、細かい砕 片 が耳 元 をかすめたのが音で聞こえる。既 に激 高 しきった馬たち(御者もだが)は今さらそれに怯 えるでもなかったようだが、それでも大きく馬車が揺 れた。それらの石の弾 丸 は、当 然 、爆 発 点 に最も近いキースにも降 り注 いでいる。近 距 離 からの無 数 の飛 来 物 を......
ひょいひょい、とキースは首を左右させる程 度 の動作でかわしてみせた。
「............」
黙 って見ていてやると、キースはあっさりとこちらを向いて、
「このよーに、予 想 すれば誰 にでも」
「かわせるか、ンなものっ!」
ばんっ、と御者台の上で地 団 駄 を踏 んで、オーフェンは疾 走 する馬車から身を乗り出した。
「人 外 魔 境 の分 際 で、いかにももっともらしい正 論 ほざきやがって! こーなりゃあもう、最後の勝負だ!」
と、ちらりと横目で行く手を見やる──
既 にエルメラ公園の木々が見えていた。そこが終 点 となる。
(あと二十秒......)
見 積 もって、オーフェンは残った力をまとめ上げた。今までどのような魔術も通じなかったが、まだ試 していない切 り札 が残っていないわけではない。
全 身 、四 肢 、爪 の間 から頭 髪 の先 端 まですべて。あるいは過 去 から未 来 の自分の持てるすべて。祈 るようにオーフェンは、意 識 を集中した。
がたがたと乱 暴 に揺れる馬車上で、意識を鎮 めて時間が経過するごとに、その揺れを感じなくなっていく。
世界すべてがなくなって、自分だけがそこにある。黒い広 漠 たる感覚の中で、もうひとつ存在するもの──標 的 を発見してオーフェンは顔を上げた。
「我 が左 手 に──」
が。
そこで言葉が途 切 れる。
「......え?......」
そこにいるべき場所には、キースの姿はなかった。
左右を見回すと、銀 髪 の執 事 は、後方でぽつんと立ち止まっている。
「......我 は跳 ぶ天 の銀 嶺 ......」
構 成 を入 れ替 えて呪 文 をつぶやき、オーフェンは御 者 台 から飛び降りた。馬車はそのまま走っていく。
改めて見回すと、さすがに魔術を連 発 しただけあって、通りはあちこち破 壊 の跡 を見せている。住人は避 難 済 みなのかひとけはなかった。
キースが立っているのはだいぶ向こうだが、小走りに近寄っていく。一応警 戒 してはいるが、キースはただそこに突っ立って、なにかを見上げているようだった──いつもの無 表 情 で。
キースの視 線 を追ってみると、ちょうど通りかかった時計屋のショーウインドウを見つめているようだった。各種宝石といっしょに、時計が陳 列 されている。
ショーウインドウの硬 質 ガラス越 しにある時計の針は、十二時を示していた。
「......どうしたんだ、キース?」
眉 根 を寄 せて、聞く。
キースはこちらを向くと、静かに口を開いた。
「そろそろ、ボニー様のためにランチの用意をせねばなりません」
「............?」
「ですから、黒魔術士殿と遊んであげていられるよーな時間はなくなってしまったので、わたしはこれで」
と、きびすを返し立ち去っていく。
その背中を見ながら、
「............」
オーフェンは、自分の視 界 になにか奇 怪 なものがわき上がるのを確かに見たと思った。黒い炎 のような──と思えばそれは、自分の手だった。鉤 爪 のようにねじれて蠢 いている、自分の指。
「お・ま・え・は......」
わなわなと震 える両手を、大きく掲 げて──
「本気で死ねぇぇぇぇっ!」
炸 裂 する熱 衝 撃 波 が。
この日一番の巨 大 な火 柱 をあげて吠 え猛 った。吠え猛るしかなかった。
「というわけで、こいつを乗せて、はるかかなたまで疾 走 してくれたまえ」
「はるかかなた......?」
「うむ。街 の外、できればもー限りなく遠くまで走り続けていって欲しい感じだ」
「はあ」
「公 用 だからして、全速力でどーぞ」
「う・おおおおおおおおおっ!」
黒こげになったキースを後ろに乗せ、砂 煙 をあげながら、路 上 の彼方 へ消えていく馬車を見送り──
オーフェンは、ようやく息をついた。汗 をぬぐって独 りごちる。
「こんなことであいつが片づいたとも思えんが......時 間 稼 ぎにはなるか」
と、もうすぐそこに見えるエルメラ公園へと向き直り、拳 を固める。
「まあ、良し。これであとは、例のアーサーとかいうのを適当に追い払って闇 に葬 ればいいわけだな」
「......ぼくになにか用が?」
「──っ⁉ 」
突 然 声をかけられ、オーフェンは弾 かれたように向き直った。背後に、ひょろっとした印 象 の、若い男が立っている。
見覚えなどまったくないが、なにか嫌 な予感を、オーフェンは覚えていた......
「え、え〜と......」
返 答 に窮 していると、
「ああっ! あなたはっ!」
向こうのほうは、こちらに覚えがあるようだった。それは結局、嫌な予感を裏付けるだけのことなのだが。
大 股 で近寄ってくると、男は、熱 心 な声で自 己 紹 介 してきた。
「ぼくは、アーサー・ウェストって言います!」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
思わず三メートルほど後 ずさりして、オーフェンは肺から空気が漏 れるような──と自分には聞こえた──声を発していた。
だが、アーサーとやらはあっさりとその三メートルをとてとてと近づいてくる。
「分かっています。あなたが来てくれたということは──」
「待て! あのな、俺は瞬 間 的 な生 理 的 嫌 悪 感 だけで人 殺 しなんぞしたくない! だから待て! 言葉を呑 み込 め!」
形 相 で威 嚇 しながら、叫ぶ。もっとも、アーサーはまったくこちらのことなど見ていないようではあった。天 を仰 ぎ、手を組み合わせて感 謝 のポーズなど取りながら、
「あのひとがもうじき現れるということですね⁉ 」
「............え?」
「ああ、あなたが街を破壊するたびに、姿を見せるあの美しいひと......まさしく嵐 の後の虹 のような」
「ひょっとして......」
オーフェンは虚 空 を見上げ──
聞いてみた。
「コギーのこと......か?」
「コギーさん?」
「いや、王 立 治 安 警 察 隊 派 遣 警 察 コンスタンス・マギー三 等 官 。略 してコギー。訳 すと無 能 警 官 」
「コンスタンスさん......」
夢 見 るように嘆 息 し、
「ああ。なんてことだ。名前まで美しいなんて」
「極 めて普 通 の名前だと思うが」
「いえ。美しいんです」
どうやらそのあたりは理 屈 ではないらしい。やたらときっぱり断言して、あとを続ける。
「美しいだけではありません。いつもてきぱきと仕事もこなしているあの姿──明るくそつなく不 足 なく、まさに現 代 の女性とはかくあるべきと」
「どうやらコギーじゃないらしいな」
かなりの確 信 を持っていったんはうなずくが──
(やっぱりコギーのことだよなぁ)
思い直す。地人たちへの借金取り立ての結果、ほんの少しだけ公 共 物 に被 害 が出ることもあるが、その事 後 処 理 はもっぱらコンスタンスがやらされているらしい。彼女自身もそう言っていたことを思い出す。
「そうか......」
オーフェンはうめくようにそう漏 らした。安 堵 か、あるいは単なる疲 労 か、脱 力 してふらふらとかぶりを振る。
「そうか......」
ただそれだけを繰り返して、オーフェンはその場に座り込んだ。
ほかに言葉もなく、ただそうするよりほかにはなかった。
「──と、ゆーわけだ」
オーフェンはいつもの酒 場 で、静かにつぶやいた。カウンターの奥にいるマジクに、
「キースの奴 のせいで無意味に疲 れたが、つまりはそーゆーことだったらしい。とりあえず手 紙 はコギーに渡し直してやったし、壊 れた街 は昨日 あれから完 徹 して直して回ったし、一 件 落 着 ってとこだな」
「じゃあ、そのアーサーって人とコンスタンスさん、公園で待ち合わせですか」
「ああ。ちょうど今くらいだろ」
ちょうど夕 刻 を示 している時計を見上げて、うなずく。
「てなわけで、俺はもーひたすらに疲れたから寝るぞ」
「そですか」
たいして興 味 もなさそうに、マジクがつぶやくのを聞きながら、オーフェンは席を立とうと腰を上げかけた。
と──
「でも......」
マジクが聞いてくる。
「キースさんじゃないんですけど、気になると言えば気になりますよ」
「なにがだ?」
聞き返すと、マジクは少し考えるように視線をさまよわせながら言ってきた。
「オーフェンさんも、付き合ってるひととは言いませんけど、好きな女の人くらいいても良さそうなのに。いないんですか?」
「好きな女、ねぇ......」
嘆 息 混 じりにうめく。と、
「あれ?」
マジクが声をあげる。
彼の視線を追って振り返ると、酒 場 の扉 が開いたところだった。入ってきたのは、コンスタンスである。
「コギー?」
オーフェンは、怪 訝 にその名前を口にした。が、彼女自身は特になにを気 負 うわけでもなく、ひょこひょこと歩いてくると、
「あー、なんだか今日も疲れたわ。仕事なんて真 面 目 にやるもんじゃないわよね。マジク君、なんでもいいから飲 み物 くれる? 甘 いやつ」
「はぁ......」
こちらに目で問いかけながら、マジクが返事する。オーフェンは彼女に声をかけた。
「コギー......お前、今ちょうど、待ち合わせの時間じゃないのか?」
「待ち合わせ? なんの?」
きょとんとした顔で、彼女が聞き返してくる──近くのテーブルに席を選んで、椅 子 に腰を下ろしてから、
「ああ!」
突然彼女は、思い出したように手を打った。
「そーいえば、そんなこと言ってたわよね、あんた。なんだっけ......アーサー?」
「......ああ」
「ま、いいわよね。どうせ話聞いた限りじゃ、なんか趣 味 じゃなさそーだし」
「............」
なんとなく腑 に落ちないものを感じはしたが、コンスタンス本人は、それですべて解決したとばかりに、くつろぐように伸 びをしている。
それを半 眼 で眺 めつつ──

「ほら」
隠 れて彼女を指さし、オーフェンは小声でうめいた。
「周 りにいるのがこーゆうのばっかりじゃな」
結 局 ──
ため息をつくしかなかった。
(なかったことに出来ねえか?:おわり)

朝 食 をとり終 えて、息 をつく。出 勤 前 の余 裕 の時間。静かな朝だった。
コンスタンスは透 明 感 のある朝の気 配 を胸 に吸 い込 みながら、大きく伸 びをした。きらきらと輝 く陽 光 が窓 から注 ぎ、テーブルの上に瑞 々 しい黒色をたたえたコーヒーが湯 気 を立てている。トーストのかけらが残 った皿 からも、いまだに芳 香 が漂 いのぼっている。
いつもの宿 屋 の食 堂 には、彼 女 以 外 、誰 もいない。いつも続 けばわびしくもなるだろうが、たまには無 人 の食 卓 も悪 くはないものだ。彼女は満 足 してうなずきつつ、コーヒーカップを手に取 った。刹 那 。
どばんっ!
それは食堂の扉 が蹴 破 られた音だった。続いて、水 牛 の突 進 のようなけたたましい足 音 が猛 烈 な勢 いで近づいてくる。
カップを手に、コンスタンスはきょとんとそちらを見やった。
「え?」
「モグリさぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
視 界 が白 む──
「ええええええええっ⁉ 」
突 進 してくる黒マントの少女に真 正 面 から跳 ね飛 ばされ、コンスタンスのゆとりの朝は約 十八秒 ほどで終わりを告 げた。
「モグリさぁぁぁぁぁんっ! 起きてくださいぃぃぃ!」
ど・が・が・が・が・が......
「............?」
夢 うつつによく分からない音を聞 きながら、オーフェンはぽっかりと目を開 けた。例 えるならば、腰 溜 めに構 えた正 拳 を立て続けに扉に叩 きつけているかのような、そんな音。
とりあえずベットの上で上 体 を起こし、傍 らの椅 子 にかけてあったシャツをもぞもぞと着 込 んだ。いつもの黒のシャツ、さらに黒 革 のジャケット。まだいまいち意 識 のはっきりしない頭をかいてから、左右に振 る──窓から見える光をのぞくと、まだ早 朝 らしい。ついぞ起きたことなどない時 間 帯 である。
「なんなんだよ......」
ぼんやりとうめいて、オーフェンは嘆 息 した。ポケットから銀 製 のペンダントを取り出して、首にかける。剣にからみついた一 本 脚 のドラゴンの紋 章 。大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ魔術士の証 である。
眠 気 の残るまぶたをこすりながら、ふらふらとした足取りで扉まで行く。向こうから繰 り返 し叩 かれ続ける扉は、沸 騰 しているように暴 れていた。
開けると──
予 想 通 りそこには、腰溜めに構えた正拳を立て続けに扉に叩きつけている人 影 が待っていた。扉が開いたので、その小さい拳 がすかすかと空 振 りしている。
それは予想通りだったのだが、
「......あれ?」
オーフェンは、怪 訝 にうめいた。そこにあった顔は、予想していないものだったのだ。
十七歳 ほどだろうか。どこか丸い顔で形 作 られた造 作 に、大きな瞳 が貼 り付 いている。黒 々 とした澄 んだ瞳の中には、情 熱 の炎 がたっぷりとのぞいていた。着ているのは、赤のラインが入った黒マント──大陸魔術士同 盟 の制 服 である。
ポニーテイルを振 り乱 し、真 剣 な表 情 で正拳突 きを続けるその少女に、オーフェンは呼 びかけてみた。
「ラシィ?」
「モグリさぁぁぁぁんっ!」
と、いきなり彼女は正拳を止め、その拳を自分の胸 元 につけて絶 叫 してきた。精 一 杯 に目を閉 じて、
「危 機 ですぅっ!」
「......危機ぃ?」
疑 わしげな思いで、オーフェンは聞き返した──半 眼 で、頭をかく。
「なんの危機か知らねえけど、同盟にゃ機 動 部 隊 でもなんでも用 意 してあるはずだろ。なんで同盟に所 属 もしてない俺 んとこに来るんだよ」
「冷 たいこと言わないでくださぁぁいっ!」
ラシィは、答 えになっているようでなっていない叫 びをあげた。涙 をこぼしてまくし立ててくる。
「もちろんわたしだって対 災 害 部隊の出 動 を上 申 しましたけどぉ! 上 層 部 が、その必 要 は認 められないって言うんですぅ!」
「......それはつまり、危機じゃないってことなんじゃないか?」
「大陸魔術士同盟における最 大 の敵 対 者 が現れたんですぅ! これが危機でなくてなんなんなんですか⁉ 」
「なんが多いぞ」
「そんなことはどうでもいいんですぅ!」
はたと動きを止めて、彼女はまっすぐにこちらを見上げてきた。断 固 たる眼差 しで、確 信 たっぷりにうなずいてくる。
「というわけで、モグリさんにも協力を要 請 しますぅ」
「ンなこと言われても、事 情 がさっぱり分からんのだが......」
「だから!」
彼女は拳を振り上げ──今まで聞いたことのないほどの怒 りの声で、その災 難 を呼ばわった。
「魔 術 士 狩 りの再 来 ですぅ!」
かつて。
人 間 種 族 の主 導 者 としてあったのが、ドラゴン種族──天 人 と呼ばれるウィールド・ドラゴンだったと言われている。
もう大陸から滅 び去 った彼女ら種族の意 図 は分からないが、人間種族は一度失った文 明 、文 化 を、彼女らの教 育 のもと取りもどした。無 力 であった人間種族が、魔術という力 を得 たのも、ウィールド・ドラゴン種族との混 血 によるものである。ふたつの種族は、蜜 月 にあったと言ってもいい。かの時 代 の影 響 は、二百年が経 過 した現 在 でも続いている。大陸魔術士同盟の存 在 も、貴 族 連 盟 の由 来 も含 めて。
だが、その時代の終 焉 は、天人種族と人間種族の、最 悪 の戦 争 によって飾 られた。突 如 として自 らの子である、人間の魔術士たちを滅 ぼそうとした天人種族は、圧 倒 的 な力で標 的 を追 いつめた。その際、天人種族に従 ったのがドラゴン信 仰 者 。世 界 はドラゴン種族によって支 配 されるべきとする人間たちだった。
結 局 、天人種族たちの謎 の失 踪 によって、その戦争は終わったが──彼女らの意図は最 後 まで知れなかった。知れなかったが故 に、残されたドラゴン信仰者と魔術士の亀 裂 は閉 じなかったのである。その後長い間、ドラゴン信仰者による魔術士への弾 圧 は続いた。それを魔術士狩りと呼ぶわけだが......
「いつの時代の話だよ──ってまあ、確かに完 全 に過 去 の話ってわけでもねえけど」
オーフェンは、嘆 息 混 じりにつぶやいた。現在大陸、特 に僻 地 などでは、偏 見 なども手 伝 って、いまだに魔術士狩りが行 われることも多い。魔術士であるというだけで危 険 な土 地 も存在する。そういったものを彼 自 身 、目 の当たりにしたこともあった。
が、
「ここはトトカンタだぜ? 大 陸 有 数 の都 市 だ。治 安 もしっかりしてるし、大陸魔術士同盟のでっかい支 部 もある。偏 見 だってもう多くはない──救 急 の究 極 手 段 も魔術なら、ジュースの氷作ってるのも魔術士だってことを知らない奴 はいないしな。大陸では、タフレム市の次に、魔術士が安 全 に過 ごせる街 だろ、ここは」
そんな分 かり切 ったことを言いながら、ストリートを歩く──
まだ朝ではあるが、道には通 勤 通 学 のための人ごみが十 分 にあった。その中を歩いていても、黒マントのラシィはたっぷり目 立 つが、だからといって奇 異 の目で見られるわけでもない。これがつまり、トトカンタにおける魔術士の安 全 性 と言える。
「なにを言ってるんですかぁ?」
相 変 わ らずの間 延 びした口 調 で──だがいつになく厳 しい眼差 しで、彼女が言ってくる。口をとがらせ、非 難 するように、
「わたしたち魔術士の歴 史 において、迫 害 と人 権 的 な薄 遇 は忘 れられざる傷 ですぅ。それが再 び起ころうとしているなら、全 力 を以 て戦 わなければなりません!」
ガッツポーズのようなものを取りながら、目の中に炎 を灯 す。
「差 別 主 義 者 に対 して、わたしたちがもはや無 力 な弱 者 でないことをきっぱりと示 す必 要 があるんですぅ! 弾圧者たちに寛 容 なのは美 徳 ではないって、レポートにそう書 いて、にじゅうまるをもらったことがありますぅ」
「うーむ」
オーフェンは、腕 組 みしてうめいた。頭の中をちらりと、被 害 者 と名 乗 る弾圧者の群 がよぎったのだが、それは言わないでおく。
「まあ、あれだ。つまるところ具 体 的 には、なにが起こったんだ?」
「あれですっ!」
きっぱりとした口 調 で、ラシィが指 さしたのは──
喫 茶 店 の軒 先 にある貼 り紙 だった。カラフルな文 字 で、
「『子 猫 さしあげます』............?」
「その下ですぅ!」
促 され、視 線 をずらす。言われてみるとよく目立つその貼り紙の下に、名 刺 大 の別 の貼り紙がしてあった。ゴミかと思って目に入らなかったのだが。
オーフェンは近 寄 って(近寄らなければ読めそうにない)、目を細 めて読み上げた。
「『魔術士を憎 むあなた。我 がもとに集 え。連 絡 先 は──』」
「こんな貼り紙が、街 の各 所 にあるんですぅぅぅ!」
地 団 駄 を踏 んで、ラシィ。オーフェンは嘆 息 して向 き直 った。
「そりゃまあ、この手の貼り紙はいつだってあるだろう」
「だってだって、昨日 気づいたら街のあちこちに二百枚くらいこんなのが貼ってあって、頭にきて全 部 はがしたはずなのに、また今 朝 には貼り直してあったんですよぉ!」
「って、ンなもん全部はがして回 ったお前のほうがちょっと怖 いが......」
「怖くないですぅ!」
「確 かに、翌朝までに貼って回った奴 も同じくらい怖い」
「わたしのほうは怖くないってちゃんと言ってください!」
「というわけでこの連絡先とやらに、ちくっと顔を出してお前怖いぞと言ってやれば、このお気 楽 魔術士が抱 えるつまらん懸 念 も晴 れるってもんだろう」
「お気楽魔術士ってわたしのことですかわたしのことですかわたしのことなんですかぁっ⁉ 」
「さ、行ってみるか。っても、この格 好 のままってわけにもいかねえよな......」
わめき立てているラシィのことはとりあえず無 視 しておいて──
例 の貼り紙の連絡先をのぞき込んで、オーフェンは無 表 情 でつぶやいた。
三十分後。
厚 手 のトレーナーとジーンズという格 好 に着 替 えたオーフェンは、両 腕 を広 げ、自 分 が着ているものを見 下 ろした。着 慣 れない感 触 に違 和 感 を覚 えながら、
「ま、こんなもんだろ」
と、つぶやきながら顔 を上げて、大きなバッグを抱 えたラシィを見やる。
「あんまし似 合 ってないですぅ」
あっさりと、こちらを評 してラシィが言ってきた。
そういう彼女はごく普 通 のセーターとスカートだった。スカートが短 いことを気にしたのか、あるいは単 に寒 いからかは知らないが、やや厚めのストッキングにやたらと長いソックスをはいている。年 齢 のせいもあるが、そこいらの学 生 と変わらないように見えた。抱えているスポーツバッグは、ラシィがこの服 といっしょに彼女の家から持ってきたものである──今 はオーフェンがもともと着ていた服が入っているのだが。
なにしろ、スポーツクラブの更 衣 室 に紛 れ込 んでそれぞれ着替えてきて、お互 いを見て最 初 に出てきたせりふが、今のものだったわけだが。
スポーツクラブの人型の看 板 の下 で、彼女は機 嫌 悪 そうにあとを続けた。
「それ、従 兄 弟 の服ですぅ。従兄弟が着た時はかっこよかったんですけどぉ」

そのあたりは聞き流して、ポケットからサングラスを取り出し、かけてみる。これも、ラシィに持ってきてもらったものである。
「あのあの」
ラシィが不 服 そうな声をあげるのが聞こえてきた。
「変 だと思うんですけどぉ、それぇ」
「......俺 は地 元 の人 間 になぜだかやたらと顔を知られてるみたいだし、変 装 でもしとかないとな。じゃあ、さっきの打 ち合 わせ通 り、分かってるか?」
「はいぃ。わたしたちは、あの貼り紙に賛 同 して例の悪 逆 な弾圧者どもの集 会 にやって来たことにするんですね」
役 割 を思い出して、再びラシィの目にやる気の炎 が灯 る。
「力を合わせて頑 張 りましょうモグリさんっ! 同 胞 とわたしたちすべての未 来 のためにぃっ!」
「はいはい」
ぱたぱたと手を振 りつつ、オーフェンは適 当 にうなずいた。
明 らかに自分たちと敵 対 するものの内 部 に入 るには、変装するしかない──実 を言えば、その程 度 の発 想 でしかなかった。そのことを自 覚 して、口の端 をひきつらせる。潜 入 して、別になにをどうしようというつもりもなかったのだが、とりあえずそれっぽいことでもしておけば、ラシィも納 得 するだろう。
魔術士の歴 史 が弾 圧 の歴史であったというのは、ある意 味 において間 違 いではない。オーフェンは、ぼんやりと思 い浮 かべた──多 くは教 科 書 の記 述 だけだったが。確 かに長 い間 魔術士は虐 げられてきたし、そもそも大陸魔術士同盟が結 成 された際 の最 初 の命 題 が生 存 権 の獲 得 だったというのだから、当 時 の状 況 というのはしゃれで済 むようなものでもなかったのだろう。
が、それから時 代 が変 わったことも事 実 である。
ひとたび人 権 が保 証 されれば、魔術士とその弾圧者の立 場 はナチュラルに逆 転 した。
それは魔術士が報 復 を始 めたということではないが、そうでなくとも魔術士は生 来 の特 権 として強 大 な力 =魔術を行 使 する。かつては危 険 性 だけが指 摘 されたその能 力 の、有 用 性 がはっきりすればするほど、魔術士の立場は強 くなった。今 では最 優 秀 の能力を持つ者は、宮 廷 にすら勤 めることができる。もっともこれらのことは、水 面 下 で確 執 が続 く原 因 にもなるのだが......
(なんにしろ)
オーフェンは、独 りごちた。
(複 雑 になっちまった、ってことだよな)
複雑なことは、どれだけ時 間 をかけようと決 して解 決 しない。世 の中 というのはそういうものだろう。
「じゃあ、行きましょうっ!」
きわめてシンプルな彼女の声を聞きながら──
こっそりと、オーフェンは肩 をすくめた。
思っていたよりも、それはまともな建 物 だった。
貼 り紙 の大きさから、狭 苦 しい地 下 への階 段 といったものを想 像 していたのだが、記 されていた住 所 に着 いてみれば、ごく普 通 の喫 茶 店 のようである。ちょうど開 店 したばかりというところか──時 間 帯 を考 えて、オーフェンは推 測 した。黒 い看 板 には金文字で店名がある。
『純 喫茶・ワンダ』
「なんか、普通だな」
拍 子 抜 けして、オーフェンはつぶやいた。ラシィを見やると、彼女は気を抜 いていない様 子 ではあったが。

「油 断 しちゃ駄 目 ですモグリさんっ!」
眉 をVの字 にして、鼻 息 をふんとあららげる。
「いかにも一 見 無 害 な喫茶店を装 っていますけどぉ、邪 悪 な狂 信 的 テロリストのにおいがぷんぷんぷんぷんとしてきますぅ! もうこれでだいたい有 罪 確 定 なので、痕 跡 も残 さず消 し飛 ばしちゃいましょう!」
「多 分 そう言うだろうと思ってたが、ンなわけにもいかなかろう」
なんとなくもうそんなのでも構 わないかな──と心の奥 から囁 いてくる誘 惑 を面 倒 くさくぱたぱた払 いのけながら、オーフェンは告 げた。
「ま、こうなるとかえって普通の市 民 運 動 っぽいけどな。なら俺らがどうこう言う立場じゃねえし、気 分 は悪 いな」
あまり客 足 はなさそうな、その古 い喫茶店の看板を見上げて、うめく。実 害 がなければ──感 情 はどうあれ──、他 人 の主 義 主 張 に口出ししたところで詮 無 いことではある。
「まったくですぅ!」
もっとも、ラシィはそう思わないようだったが。
「このよーな悪 魔 的 な思 想 が日 常 にまで溶 け込 んでいるなんて、背 筋 も凍 るです! 作 戦 として、とりあえず、焼 き討 ちを提 案 しますぅ」
「なぜいきなり殲 滅 作戦になる」
じっとりと浮かんだ汗 をぬぐいつつ、サングラス越 しに半 眼 で見やる。視 界 は暗 いが、最 初 に思っていたほど濃 いサングラスではなかったようだった。ラシィの目の光 もはっきりとうかがうことができる。
見ると彼女はちょうど、確 信 たっぷりにうなずいたところだった。
「危 機 ですから全 力 を尽 くさないといけないですぅ」
「火 力 が全力ってことでもないと思うが」
一 応 諭 してはおこうと思うのだが、通 じる相 手 でもないかな、と思わなくもない。オーフェンはとにかく喫茶店を指 さした。
「なんにしろ、せっかく敵 情 視 察 に来たってのに、相手の顔 も見ないうちから衝 動 的 に謀 殺 してどーする」
「だってぇ、こいつらどー考えても悪 いじゃないですかぁ。ただ人 並 みに生きていきたいと願 うだけのわたしたちを街 から追い出そうなんてぇ」
と、ラシィが悔 しそうに拳 を振 る。
オーフェンは嘆 息 した。
「ま、それを言ったら相手だって人並みに生きてたいだけだろ。感 情 だけで他人を排 除 したいなんてのは、ほめられたもんじゃねえな。特 に君なんか、同盟の司 書 官 で社 会 的 地 位 もあるんだから」
司書官、というのは大陸魔術士同盟に参 加 する意 志 を持った者 の一 般 的 な呼 称 で、肩 書 きの類 ではない──書、つまり魔術士同盟綱 領 を司 る者という程 度 の意 味 だが、これを名 乗 っている以上、魔術士であれば同盟に庇 護 してもらえるというわけだった。まあ、最近の同盟は組 織 力 に余 裕 ができたせいか、同盟の傘 から外 れた者まで庇護しようとする傾 向 にあるようだが。
とまれ、同盟で働 いているとなれば、へたをすればそこいらの役 人 などより、よほど社会的な地位は高い。
それはそれとして。
「モグリさん......」
ラシィが、こちらにその瞳 を向けてきた。大きな黒目をきらきらと潤 ませて、言ってくる。
「分かりましたぁ。わたしはモグリさんのよーな地位もなければ誇 りもない悲 しい落 伍 者 とは違 うんだから、もっと責 任 を自 覚 して、理 性 的 に行 動 しなければならないってことですね」
「さー行くぞ行くぞ!」
無 視 して、引 き剝 がすように喫茶店の扉 を開 ける。こめかみにひきつるものを覚えたが──
別 に力 んだからといって扉が開きにくくなるわけでもなく、喫茶店の扉はごく普 通 に開 いた。店 内 をのぞき込む。
きちんと並 べられたテーブルと椅 子 。黒 塗 りのカウンター。ちょび髭 のマスターが、コーヒーメーカーをいじっている。ちらりとこちらを見上げ、
「いらっしゃいませ」
静 かな挨 拶 を投 げてくる。
適 当 に受 け流 して、オーフェンは店内に入った。あとからラシィもついてきているのを確 認 してから、入り口から近いテーブルに陣 取 る。
「やっぱり、普通だな」
小声で囁 く。ラシィは座 ってからも、警 戒 するようにあたりを見 回 していたようだったが、ふとこちらに向き直ってきた。
「あのあの」
と、やはり声を抑 えて言ってくる。
「場 所 を間 違 えてるってことないですかぁ?」
「ここだと......思うんだけどな」
例 の貼 り紙 ──一枚はがしてきたのだ──をこっそりと見ながら、答える。
「メニューも、特 に変 わったことは──」
ない、と言いかけて。
オーフェンは硬 直 した。テーブルの端 に立ててあるメニューの一 番 上 にあるのは、タイプされた無 機 質 な文 字 だった。呆 然 とした声で、ラシィがそれを読み上げるのが聞こえてくる。
「『魔術士撲 滅 コーヒー』......?」
「『魔術士撃 退 カフェオレ』......『魔術士追 放 ミノタブレンド』......」
「しかもなんだか、妙 にお値 段 高いですぅ」
ふたりでぼそぼそと言い合っている、その時。
「いらっしゃいませ!」
「うわぁぁ⁉ 」
思わず声をあげるが、見上げるとごくごく普通のウエイトレスが立っているだけだった。学 生 のバイトだろう──この時 間 に本 業 はどうしたものなのか知らないが──、泡 立 てたようにふわりとした栗 色 の髪 を軽 くかきあげて、彼 女 はにっこりと営 業 スマイルを浮 かべてきた。
「ご注 文 はお決 まりですか?」
「あ......ああ、ええと......じゃあ、レ、レスカ......」
「はっきりとお願 いいたします♥」
「うう......ま、魔術士絞 首 レスカ......」
「わ、わたしはぁ、魔術士八 つ裂 きアイスコーヒーをぉ......」
しどろもどろに注文すると、ウエイトレスは再 びにっこりと微笑 んでカウンターに去っていった。髭 のマスターに明るい声で、
「マスター、魔術士絞首レスカと魔術士八つ裂きアイス!」
「はい、魔術士絞首レスカと魔術士八つ裂きアイス」
「......復 唱 してるよ、おい......」
ほかにどうすることもできず、ただ呆 然 とうめく。見るとラシィは突 然 の不 意 打 ちに、怒 ることも忘 れて震 えているようだった。
「こ、絞首されるんでしょうかぁ。わたし、うっかり八つ裂きなんて頼 んじゃったんですけどぉ......」
「いや、怪 談 じゃあるまいし、そーゆうことでもないとは思うが」
否 定 するも肯 定 するも、どちらにせよ根 拠 がないため、否定しておく。オーフェンはめまいを覚えながら、再びメニューをのぞき込んだ。ずらずらと殺 人 的 な文 字 が並 ぶメニューを最 後 まで見ていくと、
「......『なお、お値 段 の一部は魔術士撲 滅 基 金 に積 み立 てさせていただきます』?」
「なんなんですかぁ? それ」
「さあ」
ふたりで向き合って首を傾 げているうちに──注文したものがとどく。どういうわけでもなく、ただの飲 み物 だった。ラシィは、どこかに八つ裂きの予 兆 か痕 跡 でも探 そうとしているのか、しきりにグラスを持ち上げて下から底 をのぞいたりしていたが。
透 明 の液 体 に口をつけつつ、オーフェンはつぶやいた。
「本気でなんだかよく分からんなぁ......」
「ですねぇ」
彼女もあきらめたのか、ミルクを手に困 ったような顔を見せている。オーフェンは、ふと思いついて言ってみた。
「あ、あれじゃねえか? ほら、世界一まずい店とか、そーゆう類 の。ほかに自 慢 するものもねえから売り物とは関 係 ないとこにネタしぼって」

「ああ、ありますねぇ、そーゆうの」
多 少 は安 心 したのか、ラシィがぽんと手を打つ。と──
「ご興 味 がおありのようで」
「うわぁっ⁉ 」
話しかけてきたのは、髭のマスターだった──にこやかな顔にさらに笑 顔 を重 ねて。カウンターから出てくるとはっきりしたのだが、背 が低 い。それはそれとして、
「い、いや、興味っていうか......今までこのメニュー見て興味持たなかった奴っているのか?」
オーフェンは当たり障 りのないことを言って、相手の様 子 をうかがった。マスターは、目を閉 じて緩 やかに首 を左 右 に振 ると、
「いえ。おりません......まさにこれは、潜 在 的 に魔術士に恨 みを持 つ方 々 がどれだけ多いかの証 明 となりましょう」
「そーかなぁ」
疑 わしい心 持 ちで、うめく。なにやら反 駁 しかけたラシィを視 線 で牽 制 してから、聞く。
「手 短 に聞きたいんだけど、ここって結 局 、なんなんだ? いや、この貼り紙見て、興味持って来てみたんだけど」
と、例の貼り紙を見せる。
「おお」
マスターは、歓 喜 の色を見せた。
「やはり......昨日 いきなり、そのチラシがすべてはがされましてな。どういうことだろうと思いつつ今 朝 がた貼り直したのですが、やはり街 中 の人 々 が持ち帰っていったわけですな。やはり関 心 は高いようです。これは今日 あたり、どっと同 志 が増 えるかもしれません」
「うーん......いやでも、ひとりで全 部 はがした奴がいるのかもしれないし」
「はっはっ。まさか、ひとりであれだけの貼り紙をはがしていくよーな怖 い輩 はおりませんでしょう」
「ううう」
悔 しげに、ラシィがうめき声をあげている。それは無 視 して、オーフェンはマスターに向き直った。
「で、あんたはなんなんだ? 魔術士を嫌 うってことは、ドラゴン信 仰 者 かなにか?」
「いいええ。そのようなものでは」
と、マスターは、自 信 たっぷりに胸 を張 って言ってきた。
「わたしは、単 に魔術士というのが大っ嫌いなので」
「......あっそう」
「なんでですかぁ?」
うなるような声 音 で──しかも顔を見ると、なにやら黒々と険 悪 な陰 が浮 かんでいる──、ラシィが聞く。幸 いにして、マスターは彼女のほうを見ていなかったらしい。口 調 にも気づかなかったようだった。
苦 い笑 みを浮かべ、
「あの連 中 と同じ街にいるだけで......食 べるものがまずくなるのですよ」
「............」
ぎしぎしと音を立ててつり上がるラシィの目がかなり怖くはあったのだが、なんとか無視して、オーフェンは聞き返した。
「だから、なんでまた」
「理 由 など必 要 ありますまい」
ふぅー、と長いため息。
「なぜなら、奴らは絶 対 悪 。その存 在 自 体 、許 されざる者です」
しゅーッ。
奇 妙 な音。訝 りながらオーフェンが横 目 で見やると、ラシィが食いしばった歯の間から息を吹 き出 したところだった。
(うう。やっぱり怖い......)
こめかみを押 さえつつ、独 りごちる。これが最後かと思いつつ、彼は聞いてみた。
「......で、この魔術士撲滅基金とやらで、なにをやるつもりなんだ?」
「いえ、まあ基金を始めてメニューを改 訂 したのは昨日からなので、まだたいした額 ではありませんが、ゆくゆくは人を集め、天 誅 を行 う私 設 軍 でも組 織 できれば、と」
「いくらくらいたまったんだ?」
聞かれ、マスターが後 ろを振り向くと、ウエイトレスがにっこりと答えてきた。
「6ソケット半ほどです」
「流 行 ってないのか? この店」
と──
「許せませぇぇぇぇんんっ!」
がたん、と派 手 に椅 子 を蹴 って、ラシィが立ち上がる。彼女は平 手 でテーブルを叩 き、声を張 り上げた。
「度 重 なる卑 劣 な差 別 論 者 のたわごと、まさしく聞くに堪 えないですぅ! 大陸魔術士同盟トトカンタ支 部 ・生 活 環 境 向 上 委 員 会 のラシィ・クルティが確 かに聞きましたぁ!」
「なにいっ⁉ 魔術士っ⁉ 」
ばっと、大きく飛 び退 いて──マスター。それと入 れ替 わるように、ウエイトレスが素 早 い動 きでラシィへと飛びかかっていった。
がしいっ!
すべては一 瞬 のこと──
両 者 の動きが止 まる。力を込 めた拳 をつばぜり合 いのように咬 み合 わせて、ラシィとウエイトレスとがにらみ合っていた。なにやら心 得 でもあるのか、物 々 しい構 えを取っているウエイトレスと、それを格 段 に無 様 で必 死 に受 け止 めているラシィと。
ふたりを見上げつつ、なんとなく冷 めた気持ちでレモンスカッシュ──いや魔術士絞首レスカに口をつけて、オーフェンはつぶやいた。
「えーと......」
「ふっ......! いつかは来るだろうと思っていたが、こうも動きが早いとはな、魔術士どもめ!」
笑 顔 のまま腕 の力だけでラシィを圧 倒 しつつあるウエイトレスの後 方 で、こちらを指 さしてマスターが叫 んでいる。口をとがらせているせいで、髭 が逆 立 っているように見えた。
「だがわたしは負 けんぞ! この日のために、決 戦 の準 備 はしておいたのだ! 飛 んで灯 に......火 に......ええと、まあとにかくそんなやつよ! 恐 れおののくがいい!」
「この日のためって......基 金 とかを作ったのは昨日からとか言ってたよな、あんた!」
「だから昨日からこの日のために準備しておいたのだ!」
「極 端 に重 みがなくなったな」
「ほっとけっ!」
激 しく、マスターが言ってくる。オーフェンはグラスを置 いて、とりあえず椅 子 の背 もたれに体 重 を預 けた。傾 いた椅子の脚 のうち二本が、ぶらりと宙 に浮 く。
「だいたい一日で、なんの準備をしたってんだよ」
一応聞いてやると、マスターは、満 足 そうにうなずいてみせた。
「うむ。心 の準備とかだ」
「恐れおののかなくちゃならんのかなぁ」
ぼんやりとうめいて、オーフェンは再 びラシィのほうに視 線 を移 した。彼 女 はウエイトレスの右フックを、歯を食いしばりながら耐 えたところだった。がしがしと人 差 し指で相 手 の目など狙 いながら、なんとか食 い下 がっている。
視線をマスターにもどして、聞く。
「だいたい肝 心 なことがよく分からんのだが、魔術士になんか恨 みでもあんのか?」
と、マスターはあっさりと答えてきた。
「いやだってほら......魔術士って、言いにくいじゃん」
「......そんだけか?」
「急 いでて、まずつしって言ったりしたら格 好 悪 いしぃ。一昨日 なんか舌 嚙 んで、ほら、ここ切 っちゃってさ。舌切っちゃうとご飯 食 べても美 味 しくないんだよね」
「なんか、つくづくそんだけなのか?」
「今のは冗 談 だっ!」
力を入れて拳 を握 り、ずいと前に出て声 量 を高 める。
「そんなことより魔術士って魔術とか使 ってずるいし、黒 ずくめで夏 場 なんか暑 苦 しいし! だいたい市 営 の駐 輪 場 なんかでも魔術士ってだけで優 先 的 に場 所 がもらえたりするって噂 だし魔術士同盟営 舎 ってでっかくて住 み易 そうだし家 賃 は安いってゆーし子供の学 費 も《牙 の塔 》だかなんだかいうとこに放 り込 んでおけば無 料 だってゆーし!」
ここまでまくし立ててから──
ぜえはあと息を切らせて、顔を上げる。
「と、ことほどさように、我らの血 税 の上にあぐらをかいて生きるお前たちを許 すことなど断 じてできん」
「............え?」
「そう! わたしは決 して許さんっ! たとえこの場で負けたとしても、たとえこの身 が滅 んだとしても! 店 がなくなろうとなんだろうと、地 獄 の底 から呪 いぬいてやる! いいか魔術士め、夜 通 しせこせこと帳 簿 をつけながらむくむくとわいてきたこの怒 り、たとえ一 夜 漬 けだとしても侮 るなよ! いいか魔術士、お前たちまずつしっ──」
と、唐 突 に沈 黙 する。口 元 を押 さえて震 えているところを見ると、どうやら舌を嚙んだらしい。
刹 那 。
「そ・ん・な・の──」
うめき声を発 したのは、ラシィだった。劣 勢 ながらも目 突 き、嚙みつき、ほっぺたを引 っ張 る等 の小 技 でなんとか対 等 に抗 っていたようではあったが、見るともうウエイトレスに後ろ手を取られ、壁 に押しつけられていた。が。
ぐんっ。と、身体 を震わせると、ねじ上げられていた腕 がゆっくりと前に回っていく──一言も発しないウエイトレスの顔に、驚 愕 の色 が浮 かんでいた。そして、
「そんなの関 係 ありませぇぇんっ!」
腕を振り払って、ラシィが絶 叫 した。その勢 いで、身体を反 転 させるとウエイトレスに襲 いかかる──さすがにこれは、ウエイトレスが落 ち着 いてさばいたようだったが。
「わたしたちはわたしたちの努 力 で今の生 活 を手に入れたんですぅ! それを妬 むなんておかしいじゃないですかぁっ!」
「......こっちはこっちでまた問 題 があるよーだが」
半 眼 で、オーフェンはうめいた。主 張 はともかくとして、ラシィは叫びながら、技 量 に勝 るウエイトレスを徐 々 に押 し返 している。気 勢 だけの荒 っぽい攻 撃 だが、まあこんなものだろう。テーブルがひっくり返り、飲 み物 が床 に落 ちる頃 には、オーフェンはさっさと待 避 してマスターの横 に並 んでいた。
余 裕 がなくなったのか、ウエイトレスの顔に焦 りが浮かび──とうとうかけ声を発し始める。拳をまっすぐに突 き出しながら、彼女が叫んだ。
「このぉぉぉぉぉっ!」
が、ラシィはラシィでそれを食 らいながらも一 歩 も退 かない。
「こうなったら、わたしも本 気 ですぅ! 子 犬 さんのキャンプファイヤー!」
ごうっ!
彼女がかざした手 の先 から、白 い火 炎 が渦 を巻 いてほとばしる。意 識 が散 漫 なせいか標 的 ──眼前のウエイトレス──のわきを大きく迂 回 して、そのまま店の天 井 と壁 を焦 がした。延 びた火線はカウンターの奥 で爆 発 し、建 物 を揺 るがす。

「くぬぅぅぅぅぅぅぅ」
悔 しげに、マスターが声をあげている。オーフェンは目を閉 じて、彼に告 げた。
「なあ」
「なんだ! 今 取 り込 み中 だ! ああ、負 けるなマリー、お前はそんな弱い子じゃないはずだ! さあフックだボディだ! 自分が苦 しい時 は相 手 も苦しいことを忘 れるな!」
「一 応 、言っておこうと思うんだが」
「ああ、もううるさいな!」
「大陸魔術士同 盟 は単 なる魔術士の互 助 組 織 だから──」
「うむ」
「別 に税 金 で運 営 されてるわけじゃないぞ」
「............」
と。
ぱちくり──と目を一 回 転 させてから、マスターの目の色が変わる。
「え?」
困 惑 しているのか、声が震 えている。オーフェンは静 かに続 けた。
「確 かに魔術士にとっては社 会 法 人 的 な役 割 を果 たすこともあるが、別に自 治 体 とつながりがあるわけじゃない。貴 族 連 盟 にゃ負 い目 があるから、それなりの無 償 奉 仕 もさせられてるみたいだけどな」
がしゃんっ!──
飛 んできたガラスの破 片 を避 けたために、言葉が中 断 される。
「魔術士の理 念 は、まあいろいろ難 しいことを言う奴 もいるが、ひらたく言えばとにかく自 立 だ。その上で組織に忠 誠 を誓 える者だけが同盟に参 加 できる。どちらを欠 いても、同盟にとっては不 要 な人 材 ってことになるな。まあそんなわけで、同盟それ自 体 も、社会から自立していることを望 むわけさ。独 自 の資 本 、独自の営 利 、魔術士だけの独自のコミューンたれ、ってわけだ。っても閉 鎖 的 過 ぎて、アピールが足 りないのが問 題 だよな」
世 間 話 のように続けるが──もはやマスターは聞いていないようだった。呆 けたように口を開いている。説 明 をかき消すかのように、ふたりの少女の叫 び声 があがった瞬 間 、その口がかくんと閉 じた。
「とりゃあああああああっ!」
「くらげのホームパーティィィィ!」
すれ違 った飛 び蹴 りと、破 壊 的 な電撃とが、それぞれ反 対 側 の壁 を破壊する。特 に電撃は柱 に当たったのか、危 ないくらいに店 が傾 いた。
ふたりを指 さして、マスターがつぶやくのが聞こえてくる......
「店がなくなる前に、終 わりますかね?」
「さあな」
「うにょろぉぉぉぉっ!」
「お猿 のキャンドルサービスぅぅっ!」
光 熱 波 が閃 き、屋 根 の半 分 が消 し飛 ぶ。
ぽかんとそれを見上げているマスターに、オーフェンは肩 をすくめた。
「あと、魔術士って言う時は、心 持 ち、まじつしって意 識 して言うと、言いやすいみたいだぞ」
「はあ......」
崩 れ落 ちる店の中で──
マスターのか細 い声は、なぜだかあまりにもはっきりと耳 にとどいた。
(くだらんゴタクは聞きあきた!:おわり)

【マクレディ家・現在】
「マヨール! マヨール!」
出かけようと廊 下 を歩いていたところで呼び止められて、マヨールは足を止めた。
声の主は母親だ。
「なんですか」
と、居間のほうをのぞく。
母は椅 子 に座って、なにやら難しげな顔をしていた。こちらを見て言ってくる。
「ベイジットは?」
「あいつに用なら、あいつを呼べばいいでしょう」
頓 珍 漢 な気がして口答えするのだが、母は軽く嘆 息 した。
「あの子は呼んでも来ないでしょ」
「まあそうだけど。ベイジットなら、部屋じゃないですか」
「連れてきて」
「行けばいいじゃないですか」
これも口答えだが。母はもっと深々と息をついて、
「できないから頼 んでるの」
「できないって?」
母、レティシャ・マクレディがこの家でできないことなど、なにもない。
とマヨールは思っている。ここは彼女の家だし、彼女は女王だ。《牙 の塔 》の有力な教師のひとりである母は家庭でも厳 格 に規律を重んじた。少なくとも父はその権 威 に楯 突 こうなどとはしなかったし、マヨールもそうだ。
妹のベイジットはやや違 う。むしろなにかにつけて母に反 抗 し、家に混乱を巻き起こす。
そして結果として母の怒 りを買って罰 を受けるので、誰 よりもその掟 が骨身に染 みている。はずだ。この家で生きるなら、母に逆らうのは代 償 がいる、と。
もっとも、それで懲 りるかどうかは別の話らしい。
レティシャは椅子を引いて立ち上がった。
だが椅子は引かれず、母の尻 に貼 り付いたままぶら下がった。笑えるもんなら笑ってごらんなさいとばかり、母は腕 組 みしてこちらを見ている。
マヨールはつぶやいた。
「どうしたんですか。椅子」
「どうしてわたしのお尻にくっついているかって訊 いてる?」
「ええ、まあ」
「答えは接着剤よ。誰の仕 業 かっていうのは訊かないの?」
「それはいいです。分かりますし」
「そう。じゃあ難 癖 つけずにベイジットを連れてきて」
これ以上食い下がっても誰のためにもならないと察して、マヨールは廊下をあともどりした。
ベイジットの部屋の前で、とりあえず深呼吸する。ノックすると中から「なぁに?」と返事が聞こえた。
「母さんからの呼び出しだよ」
「直接来りゃイーのにね」
「なんでだ?」
「開けてみれば分かるヨ」
妹が言うので扉 を開けると。
おおむねの予想はついていたので踏 み込 みはしなかった。その目の前をなにかが落下していく。濡 れた雑 巾 がべちゃりと足下に落ちた。
マヨールはその場で腕組みして、椅子に座って満足そうにニヤニヤしている妹を見つめた。
「それで、もう一度訊くけど、こんなことしてなんか得でもあるのか?」
「ソレさっき訊いたっけ?」
「お前に関する質問は全部同じ内容なんだ。〝なんでだ?〟だよ。理解のしようがない。子供だってこんな悪 戯 しないだろ」
「ソッカネー。面白くはない?」
「ないよ。子供じみてる」
「子供でもしないって言ったクセに」
揚 げ足でも取ったつもりか、どこか得意げなベイジットに。
マヨールはうめいた。
「お前が母さんにくだらない悪戯するたびに、我が家の平和は乱されるんだ」
「ヘーワ? ここって平和ナノ? 退 屈 なダケじゃん」
「それが平和ってもんだろ」
「どっかなー。知らずにカンチガイしてるかもって思うことない?」
どうせ屁 理 屈 でごねるのは分かっていたことなので、別になにを言われても気にはしないが。
一応、反論しておいた。
「アンティークの家具セットと母さんのスカートを同時に駄 目 にしなくたって、暇 つぶしの方法は他にあるだろ」
「タトエバ?」
「そうだな......」
すぐに思いつくつもりで考えるのだが。
「友達を呼ぶとか」
「誰が来たがるノ。教師の家ナンカに」
「じゃあ出かけろよ」
「帰ってきたら悪夢の強制団 欒 ディナーで、どこ行って誰に会ったか根 掘 り葉掘り尋 問 されるのに?」
「大人 しく本でも読んどくか」
「岩石ミタイにクソかったい教科書しか置いてないじゃん。この家にはサ」
「木箱に閉じこもって、箱の内側にびっしり目玉がついてるって想像しながら頭を抱 えるのは?」
「それは兄ちゃん専用のストレス発散法デショ」
「なんにも発散されてないけどな」
一通り言って、まあだいたい理解できた。
「分かった。まあ確かに退屈だ。この家は」
半眼で認めるものの、それで話が済むわけでもない。マヨールは続けた。
「でも、お前だってもう子供じゃないんだ。子供の悪戯ばっかりしてるけど。やったことはさっさと謝って終わらせろよ。でないと俺 も出かけられないだろ」
「兄ちゃんこそ子供じゃないんだから、母さんの目ナンカ気にせず出かけりゃイーでしょ」
「アホ言うな。建前で言ってるに決まってんだろ。この家で大人になれる奴 なんかいるかよ」
「じゃあアタシのことなんか責めらンないじゃん」
「だから形だけ頭下げちまえって話だよ。母さんが一番ガキ大将のままなんだから、周りが合わせてやらないと始まらないだろ」
「ソーダネー。あ、母さん、アタシに用?」
「誰と話して──」
妹の視線に疑問を呈 して。
言ってから理解して、息を吸った。
振 り向くと母がいる。片 眉 を上げ腕組みして。指で腕をトントンと叩 きながら。なお、まだ椅子は貼り付いたままだ。
「楽しそうな話の邪 魔 して悪かったわね」
「......一応聞きますけど、いつからいました?」
「それ、知る意味のある質問?」
「ないです」
わりと率直な気持ちで認める。
ともあれ今日は出かけられそうにないな、というのも。
【牙の塔・二十七年前】
「キリランシェロ! キリランシェロ!」
グラウンドを歩いているところで呼び止められて、キリランシェロは足を止めた。
声の主はレティシャだ。
ただ、位置が分からずあたりを見回す。声はかなり近いようだが姿がない。
「......どこ」
「ここよ! 上!」
言われてみると、近くに大きな木が生えているのだが。
ゆっくり視線を上げると、枝にだらんとぶら下がっているうすらでかい人 影 が見えた。
実体以上に巨 大 に見えるのは上下逆さまになって長い髪 が垂 れ下がっているせいだ。
とりあえずキリランシェロは姉を見上げて質問した。
「逆さ吊 りで、なにやってんの?」
「好きでやってるように見える?」
「あんまりそうは思わないけど、慎 重 になるべきだってぼくも学習したからさ。この入り口は」
「なに、入り口って」
「このあと絶対、巻き込まれて痛い目に遭 うけどいらっしゃいウエルカムみたいな」
「そんな表札ないわよ! いいから助けて!」
「自分で脱出できるでしょ」
「そうね。でもあのね。キリランシェロ。よく聞いて」
彼女は息をついて、言い聞かせるようににっこりした。逆さまなのでいまいち絵にはならなかったが。
「あなたの大好きなお姉ちゃんが理 不 尽 な罠 にかかってこんな目に遭ってるの。助けてくれてもよくない?」
「釣り針に引っかけられた虫が魚に言いそうな台詞 だよね」
「ちっがーう。違うわキリランシェロ。虫さんは魚に『食べないでーぼくも犠 牲 者なんだー』って言うだけよ。だーれもあなたを、ひどい目に遭った道連れにしたいなんて思ってないわ」
「どうかな。どっちみち、餌 の虫には選びようのない問題だよね」
「なんか今日やけに冷たくない⁉ 機 嫌 悪いの⁉ 」
ばたばた手を振り回す姉に、キリランシェロは落ち着いてつぶやいた。
「最近ちょっと大人の階段登ったのかも」
「下りなさいそんなとこ危ないから! ていうかわたしを下ろして!」
「仕方ないなー......我は断つ虚 空 の壁 」
と、術を唱えてロープを切断する。
「あ、ちょっと待──」
レティシャは言いかけたが、それで止められるというものでもなくそのまま地面に落下した。
「痛い!」
さすがに受け身を取ったが背中から落ちて、すぐさま......
起き上がろうとしたのだが、そこで疲れたようにぱたりと手を落とし、大の字になった。
「あー......」
ぐったりとうめく彼女に、キリランシェロは近づいた。
「下ろしてって言うから」
「なんかもうすっごい落ち込んできた」
「そう? でもいつものことじゃない?」
「だから落ち込んでんの」
顔だけ上げて、半眼で言ってくる。
「なんなの? わたしがなにしたっていうの?」
「さあ」
「冷たっ。あんたもよ」
「ぼくが?」
小首を傾 げると、レティシャはがばと起き上がった。咄 嗟 に逃 げようとしたがそれも許さない素早さで腕を掴 まれてしまった。
「いっつもアザリーの味方じゃない。なんか、基本的に。あっち寄りよね」
「そうかなー。ぼくはただ巻き込まれたくないなーって思ってるだけなんだけど」
「なによそれ。わたし側だとひどい目に遭うってわけ? アザリーのほうがひどいでしょ」
「その点についてはどっちもどっちとしか言い様がないけど」
「じゃあなにが違うの! ほらやっぱり、ひいきじゃない!」
がっくんがっくん揺 さぶられながら、キリランシェロはどこか遠い気持ちでつぶやいた。
「だから別にひいきしてないよ。ティッシの肩 を持つことだって結構あるじゃん」
「いつっ! どんな時っ! 全然実感ないんだけど!」
そう言われても、と思うのだが。
一応は考えて返答した。
「性格とか考え方の問題じゃないかなー」
「なにそれ」
「だからさ。仮に半々だとするでしょ」
「うん」
「よく言う、あれだよ。コップの水が半分なのを、もう半分しかないって思うかまだ半分あるって思うかっていう。それ的な......まったく納 得 いかないって顔してるね」
相手の不機嫌顔を眺 めながら、諦 める。
レティシャはますます眉 間 に皺 を寄せた。
「当たり前でしょ。だいたいいつもこういう馬 鹿 げた悪戯を仕掛けてくるのはアザリーなのに、わたしが同情されてないっておかしくない?」
詰 め寄ってくる姉に嘆息する。
「その後の暴れ方がよりひどいからじゃないかな」
「なにっ! じゃあ大人しく我 慢 してろって言うの⁉ 」
「まあ、できれば」
「できないわよ!」
ばん、と地面を叩いて、今度こそ完全に立ち上がる。
「今度こそ決着をつけてやるわ......本気の本気よ。ぼろっかすにぶちのめして、壁に縫 いつけて学校の新名所にしてやる」
「いや、あのさ......」
「黙 ってて! 優しくしてくんないんだから! それなら望み通り、ひとりで鬼 になってやるわよ! アザリー! 出てきなさーい!」
雄 叫 びをあげながら、校舎に向かって走っていく。
その後ろ姿を見送りながら。
キリランシェロは、木のほうを向きやった。
木の後ろから、ひょこっと顔を出してきたのは、もうひとりの姉だ。
「......あの調子だと、また無駄に暴れて反省室送りになりそうねー」
「アザリー」
キリランシェロは、こちらにもため息をついた。
「ずっと隠れて見てたの?」
「そーよ。だってせっかく苦労して吊るしたのに、見てなきゃつまんないでしょ」
腕組みして、当たり前のような言い草だ。
処置なしなのは分かっているが、言わずにいられなかった。
「ティッシの言うことにも一理あるよ。なんでこんなこと仕掛けるのさ」
「うーん。なんかもう身体が勝手に動いちゃうのよね。病気?」
「自覚があっても治んないってなんなの。さすがにレティシャも気の毒だよ」
「うーん......」
顔を曇 らせ、口ごもる。人から言われれば案外同情しないでもないらしい。
困ったことに、アザリーは本気でさしたる悪気もないようなのだ。
このふたりはずっとそうだ。目的も理由もなく構い合っている。行動は年々エスカレートして、ともに一流の威 力 を持った魔 術 士 だけに手がつけられない。実力が拮 抗 しているので余計に悪い。
キリランシェロはつぶやいた。
「この前、引き離したらどうかって試しても無駄だったし。かえって余計におかしくなっちゃったじゃないか。異常行動を日常感覚にし過ぎなんだよ」
「あんたも結構ズバズバ切り込んでくるわね」
「最近ちょっと大人の階段登ったのかも」
「ハシゴより高く登り過ぎると下りられなくなるわよ」
木をぽんぽんと叩きながら、アザリー。
だがやはり気には留めたようだ。言ってきた。
「でも、どうすんの? 今さら普通に挨 拶 とか無理よ」
「なんで無理なの。昔は普通だったじゃない」
「そうだった? なんにも思い出せないんだけど」
深い疑問符 を浮かべる彼女に、キリランシェロは両手を広げてゆっくり告げる。
「深呼吸でもして、よーく思い出してよ。目を閉じて、深い記 憶 を......」
「なんか催 眠 術みたいね」
と言われて。
「............」
「どしたの?」
「それだ」
ふと、キリランシェロは思いついた。
【教室にて・翌日】
「催眠術? 効くの? そんなの」
アザリーとレティシャ、並んで椅子に座り怪 訝 な態度はよく似ていた。
疑問を発したのはレティシャだ。昨日、通りすがりの教師をブン殴 りかけたせいで十二時間反省室に閉じ込められたので、今はわりと落ち着いている。
肩を竦 めてキリランシェロは答えた。
「見よう見まねだけどさ、効果あるかもしんないじゃん」
「なんかテキトーねー......危なくないの?」
「どうだろ。でも木刀で殴り合うようなのをこれからもずっと続けるよりは、脳へのダメージもいくらか少ないと思うよ」
「具体的には、どうするの?」
この問いはアザリーだ。
「これだけど」
キリランシェロは懐 から、紐 で吊るしたコインを出した。
それを見てふたりの顔が露 骨 に歪 む。
「冗 談 でしょ。紐とコインって。安すぎ」
「そんな単純なのかかるわけないでしょ。わたしたちをなんだと思ってんの」
ぼやくアザリーとレティシャに、キリランシェロは半眼で応じた。
「もう完全にかかる前フリにしか聞こえないよ」
と話を続ける。
「聞きかじりくらいの知識しかないんだけど、催眠術で行動を制限するとかは、やっぱりそうそうかかるものじゃないらしいんだ」
「たとえば?」
「喧 嘩 をやめさせるとか、もうちょい常識を弁 えさせるとか、犬や猫 よりはいくらかマシな自制心を持たせるとか」
「無礼よね。あなた無礼よね」
「だからこう......ちょっとした意識改善っていうかさ。昔の感情を少し思い出させるだけでも、よくなるんじゃないかと思うんだ。昆虫並みの凶 暴 性が三歳 児レベルまで回復したら奇 跡 だよ。どう?」
「どうって、既 にじゃっかん傷ついてるけど」
胸を押 さえながらアザリーがうめく。
気にせずキリランシェロは、紐をぶら下げ、振 り始めた。
「まあそれはどうでもいいじゃん。さて、これを見て。呼吸はなるべくゆっくり。眠 ろうとするけど意識は保って。気持ちはなるべく幸せに。数字とか数えるといいかな......」
「うるさいわね! 全然集中できないでしょ」
「それもそうか。じゃ、まあフリースタイルで」
大体において魔術士は精神を集中させることに慣れている。
逆に弛 緩 させることには適していないとも言える。続けながら既に失敗を感じていたキリランシェロだったが。
しばらくしてアザリーが、ふとこんなことを言い出した。
「子守歌、歌ってよ」
「え?」
「昔、わたしたちが歌ってあげたの、覚えてない?」
「どうかなー。記憶にはないけど」
「そう......わたしも覚えてない」
「わたしも」
ぼんやり言い出す姉たちを見下ろして。
やや不思議な感覚は頭を過 ぎったものの、キリランシェロは唱えた。
「そろそろかな......ふたりとも、今聞いている声は、君たち自身の心の声だ......君たちは思い出したい......忘れていたことを思い出したい......」
言ってから反応を見る。
ふたりとも動きはない。ただ揺れるコインを見ている。いや見てはいないのかもしれない。単調なリズムに意識を合わせている。
「遠い昔のことだ......子供の頃 のこと......とても素直で......優しかった......余計なことは考えず......余計なこともしなかった......」
そして。
(あれ......?)
違 和 感を覚える。
「なんだろ......変だな......これぼくの声......かな......いや心の声か......思い出したい......思い出したいことが......ある......?」
勝手に刻まれる声の中に、意識が溶 けていくのを感じた。
【牙の塔・しばらく後】
「退屈だな」
つぶやくコルゴンに、コミクロンは答えた。
「そうか?」
ふたりで廊下を歩いている。
コミクロンはこの相 棒 の言い出すことに、反対するのには慣れている。何 故 ならコルゴンというのは常に当たり前の発言しかしない。天才としては反論するのが当然だ。
「確かにこうして廊下を歩いているだけだ。なにもない。一見平和だが、それは実に表層的だ」
「そうなのか」
「そうだ。この天才コミクロン様の目には、凡 人 には見えぬものがしっかり見えている」
「なにがある」
「たとえば、あの曲がり角だ」
「曲がっているな」
「そうだ。実に曲がっている角だ。そこまでは誰でも見えるだろう」
「ああ」
「だがその先は見えていない」
「うむ」
「つまりなにがあるか分からない。無限の可能性がある」
「そんなにか」
「そんなにだ。曲がったところは異世界かもしれん。誰かが誕生日にサプライズパーティーを用意している可能性もある」
「誕生日ではないのにか」
「そうだ。意外だろう」
言っているうちに、曲がり角の手前に差し掛 かる。
ぐっと拳 を握 り、コミクロンは視線を送った。
「さて。曲がるぞ。人間の直感を踏 みにじる宇宙の冷 徹 な肌 触 りを感じる」
「ああ」
と、曲がる。
いつもの廊下が続いていた。
「なにもないな」
無感動な凡人の反応に、コミクロンはまたヤレヤレと額を押さえた。
「また分かっていないな。なんの変哲もなかったのだぞ」
「だから、そう言ったのだが」
「違う。無限の可能性があるのになにも起こらなかった。これがどれだけ異常なことか」
「そうなのか」
「そうなのだ。まあ分かるまで繰 り返そう。訓練とはそういうものだ。次はあの角だな」
指さしたところで。
そこに行くまでに、変化があった。こちらが行くよりも先に、人 影 が現れたのだ。
「ん?」
「あれは、アザリーとレティシャか?」
ふたりが現れた。どうも気持ちを挫 かれて、コミクロンはうめいた。
「中 途 半 端 だ。まったくあり得ないでもないし、確実とも言い難い」
「様子が変だな」
「そうか?」
また凡人の意見に異を唱えようとして。
はたと、コミクロンはつぶやいた。
「いや、確かに......変だな」
ふたりは廊下をこちらに進んできていて──つまりは近づいてきている。
なにかあったのか歩き方はどうにも頼 りなく、朦 朧 としているようだ。
表情もおかしい。顔を伏 せて、不安そうに周りを見ている。
「いつもなら、どつき合いながら歩いてくるものだが」
腑 に落ちない様子のコルゴンに、コミクロンもまた同意した。
「そうだな。髪 とか引き毟 ってないなんて変だな」
「鼻血も出していない」
「それどころか、手を握ってる」
「それなら前にも見たことがある」
「お互いに中 手 骨 をへし折ろうとしてた時だろう。それは俺も見た。だが今は全力で敵の骨を砕 こうともしていないし罵 倒 もない。異常事態だ」
ともあれ、手を握った......というか手を引いたアザリーとレティシャは怯 えながら(?)段々と近づいてくる。
ふたりが反対の壁にぴったり貼り付いて、そのまますれ違おうとしているようなので、コミクロンはとりあえず声をかけた。
「やあ。ふたりとも」
びくり、とアザリーとレティシャは手を取り合い、足を止める。
「............なに......?」
アザリーのつぶやきは消え入りそうで、聞き逃 すところだった。
相棒と顔を見合わせてから、コミクロンは続けた。
「いや、単に挨拶しただけだが」
「......あいさつ......なんで......?」
今度はレティシャだ。捨てられた子犬のような震 え声だった。
「なんなんだ、こいつら」
コルゴンがうめく。コミクロンも首を傾 げた。
「どうも様子がおかしいな。いつもの金切り声はどうした。血と肉と釘 と針金は。見たところ動脈を食いちぎろうともしていないぞ」
「......こわいよう......」
「どうして、おねえちゃんをこわがらせるようなこと、いうの......?」
身を寄せて震え上がるレティシャとアザリーに。
コミクロンは、ふらりと後ずさりした。
「くっ......」
「どうした?」
訊 ねてくる相棒に、忸 怩 たる思いで告げる。
「まさか、天才たるこの俺が生 涯 発することはないであろうと思っていた言葉を吐 かねばならんとは。つまりだ。さっぱり分からん」
「薄 気 味 が悪いな」
「ああ。吐き気がする」
こちらこそ怖 気 を振 るう、その場面で。
アザリーは言ってくる。身を縮 め、目を伏せながら。
「あの......あたしたち、いってもいいですか......?」
「おねがいです......いじめないで......ここがどこだかもわからないの」
「まあ、特に拘 束 はしないが」
「できれば早くどっか行って欲しい」
おかしなふたりを追い払 って、ふうと息をつく。
「なんだったのだろうな。今のは」
「視界から消えたのだから気にせずともいいだろう」
気楽なことを言うコルゴンに、コミクロンは顔をしかめた。
「なにを呑 気 なことを」
だが、コルゴンはそれこそ怪訝そうに眉 をひそめた。
「見えないところではどんな異常も平均化するのだろう」
「なんの話だ。誰が言ったそんなこと」
世 迷 い言 をほざく相棒に首を振る。
「とにかく、気を落ち着かせよう。あのふたり、あっちから来たってことは、教室でなにかあったのかもしれない」
チャイルドマン教室としていつも使っている部屋はすぐそこだ。
コルゴンはいまひとつ乗り気ではなかったようだが。
「余計なことに首を突っ込むものではないと思うが」
「さっき退屈だと言っていただろう」
「退屈だとは言ったが、それが嫌 だと言ったわけではない」
「ふむ......反論の余地がない。が、天才の権限でそれは却 下 する。この事態を収拾すべく、まずはパニックを起こしてそれから落ち着こう」
「分かった。俺は恐 慌 を来 している」
「うむ。見事なパニックぶりだ。と言っているうちに教室に着いたが。随 分 静かだな」
閉まっている扉を見やる。
見たところはなにもない。
「誰もいないのか。おーい?」
呼びかけつつ、扉を開けて中をのぞく。
と。
教室の真ん中にはふたつ並べられた椅子と、その手前に級友がひとり、仰 向 けに寝 転 んでいた。
「キリランシェロ? こんなとこでなに寝てるんだ」
「あーぶう」
「ん?」
キリランシェロは起きるどころか、親指をくわえて妙 な声を出した。
「なに寝ぼけてるんだ。なにかあったのか? ティッシとアザリーの様子がおかしいんだが──おい、起きろって」
爪 先 で小 突 いてみる。途 端 に。
キリランシェロはカッと目を見開いて、
「びゃあああああああああっ! びゃああああああっ!」
大声で泣き出した。
「な、なんだァーっ⁉ 」
駆 けもどろうとして、あとについてきていたコルゴンとぶつかる。
コルゴンは腕組みしながら前に出て、赤 ん坊 のように泣きわめくキリランシェロをのぞき込んだ。
「これは......退行しているのか?」
「退行って、退くアレか」
「退くアレだ。精神が退行して、子供の頃まで巻き戻 されている......とするとさっきのふたりもか」
ぶつぶつ説明する相棒に、コミクロンは訊ねた。
「なんでそんなことが起こる?」
「分からない。なんらかの精神支配だと思うが。白 魔 術 は暴走しやすい」
「そうなのか? 俺はよく知らんが」
「未熟な白魔術士が追い込まれると、かえって強いパワーを発 揮 することもある。不安定な力だ。しばらくすれば元にもどるだろう」
「なるほど。まあ凡人の見解として参考意見としよう。そしてこの天才の見立てだが──ああもう、うるさいな!」
コミクロンが声をあげたのは、いまだ泣き続けているキリランシェロにだった。まさに赤子よろしく、泣き止む気配もない。
「黙 らせよう」
と、コルゴンはあっさり言うと、キリランシェロの首を持ち上げ、そこに手刀を落とした。
「ぐう!」
息を詰まらせ、キリランシェロが昏 倒 する。
さすがに焦 ってコミクロンは声をあげた。
「乱暴だな。子供相手に」
「精神が退行しただけで、身体に変化はない」
「それはそうか......」
思い直していると、コルゴンは訊いてきた。
「それで、どうなんだ?」
「ん? なにがだ」
「天才の見立てだ」
「ああ、それか。ええと、なにを思いついたんだったかな。あ、そうだ。つまりヴァンパイアだ」
指を立てて告げる。
これですべて説明がついたに等しいのだが、コルゴンは分からなかったようだった。
「ヴァンパイア?」
「そうだ。血ではなく経験を吸い取る、新種の宇宙ヴァンパイアだ」
「宇宙!」
「その通り。宇宙はなんでもありだ。恐 らくだが肌は緑色で、液化して天 井 からぽたりぽたりと落ちてきたりもする」
「............」
しばらく考えてから、コルゴンは。
ひとつ首 肯 した。
「なるほど。辻 褄 は合うようだ」
「そうだろう。宇宙ヴァンパイアは次なる獲 物 を求めて潜 伏 している。行方 を突き止めるには、どこへ逃げ込んだのかヒントが欲しい」
「最後の目撃者は、アザリーたちだな」
「その通り。まったく、なんでふたりを追い払ったのだ。これだから先の見えない凡人というのは」
「すまない」
「いや、許す。凡人だから仕方ない。さあ、ふたりを追うぞ!」
宣言して、コミクロンらは教室を飛び出した。
【おおむねその頃】
おねえちゃんがだいすきなアザリーは、こんなときこそじぶんがしっかりすべきだとおもっていました。
こんなときというのは、きのよわいレティシャがとてもこわがっていて、ぎゅっと手をにぎってきて、いたいくらいなのだけど、だからっていやだっていう気はしない、そんなときのことです。
ふたりはとてもなかのいいきょうだいでした。あたまのいいアザリーは、じぶんたちが正しくはきょうだいではなくて、いとこだというのもしっています。ふたりともおなじ歳 で、どっちが姉でどっちが妹というわけでないのも。
だから、まもってあげられるほうがもうひとりをまもるのです。
「だいじょうぶだよ。こわがらないで。なかないで」
レティシャのせなかをやさしくなでながら、アザリーはいいます。
「ぱぱとままにあいたいよう......」
めそめそとなくレティシャに、アザリーはかおをよせました。
きもちはおなじです。でも、
「それはむりだよ。だってしんじゃったもの」
「やだよう......あいたい」
ますますなきだすレティシャに、アザリーはためいきをつきます。
「そんなこといったって」
「なんでいないの。なんで」
「それはよくしらないけど......でもこんなとこにいたってあえないよ」
「やだ! ここにつれてきて!」
レティシャはそのばにすわりこんでしまいました。アザリーはじゃっかんいらっとしてしたうちします。
「こんのクソブリ女、てめえがケツ下ろしたら誰が持ち上げんだよ──」
と。
われにかえって、くびをかしげました。
「あれ? なにいったんだろ、あたし」
「どうかした?」
「ううん。なんかぜったいおもいつくはずのないことをいったようなきがしたんだけど。ねえティッシ。ここがきらいなのはあたしもそうだよ。だからいこう。おうちにかえろう」
「うん......わかった......」
はなをすすりながら、レティシャはたちあがります。
アザリーはほっとしました。あとちょっとでかみをつかんでまどからほうりだしてやろうかとおもうところだったからです。
さりとて......ふたりはろうかをみまわして、とほうにくれます。
「ここ、どこなんだろう。こんなおおきなたてもの、はじめてみた」
「でぐちがなかったらどうしよう......」
なきむしのレティシャはそんなしんぱいまでしていました。アザリーは、ややくしょうして、くびをふります。
「だいじょうぶだよ。ほら、まど。そとはあるから。ちゃんとかいだんをさがせばでられるよ」
「さっきのこわいひとたちがまたじゃましにきたら......?」
「うん。それはこわいけど......あたしがまもってあげるから」
「そんなの......むりだよ。あいてはおとななのに」
「みつからないようにいこう。みつかったらおわりだもの」
すると、あしおとがきこえてきました。
ふたりはふりむきます。ろうかのむこうから、さっきのこわいひと──そのひとり、おさげがみのはくいのへんなおとこがかけよってくるのでした。
「あ! いたな! レティシャ! アザリー! 訊きたいことがあるのだ! この天才に情報を与 えよ! おおい、コルゴン、こっちに──」
アザリーはこぶしにキスして、まえにとびでました。
「死ねやァァァ!」
はしってくるこわいひとのがんめんにパンチをおみまいし、さらにたおれることをゆるさずひざで鼻をけりあげると、つかみやすいおさげをつかんでかべに二、三どたたきつけました。
「ウラァ! クラァ! 壊 れろ! どこかしら故障しろォ!」
いしきをうしなったこわいひとのあたまをぽとりとすてて、フゥゥゥとけっこう恍 惚 の吐 息 をこぼしてから、アザリーはレティシャにむきなおりました。
「みつからないようにいこう。みつかったらおわりだもの」
さっきいっかいいったようなきもしたのですが、きおくにはありません。
レティシャもうなずきます。
「そうだね。おとなにはかてないもの。ごめんね、アザリー。あたしもなかない」
「ティッシはないてなんかなかったよ。ね?」
はげましあって、ろうかをすすみます。
いたいけなふたりのしょうじょ。しかしそのゆくてに、またわるいおとながたちふさがります。
「ああっ」
アザリーはきょうふにおののきました。もうひとりのこわいひとです。かみがながく、いんきで、かおからしておそろしい。ぜったいにへんたいです。
「お前たち......少し待て」
「みつかっちゃったよ、アザリー!」
「こっちににげよう!」
にげられそうなみちをみつけて、アザリーはいいます。
あやしいへんたいはこんなぶれいななんくせをつけてきますが。
「いや、そっちは教室があるだけだろう......」
「光よ!」
もちろんせいぎはかわいそうなしょうじょたちにみかたします。
アザリーがにげみちがあるとおもえばあるのです。なんにもしていないのにしぜんとかべがばくはつして、そのむこうにふっとばしました。
「ぎゃああああ!」
「うわあああ!」
「なに⁉ なんなのー⁉ 」
ひめいのようにきこえなくもないかぜのおとがきこえますが、そんなものにかまってもいられません。
「いこう!」
「うん!」
アザリーとレティシャはにげだしました。なんでか、ちみどろのおとなたちがのたうちまわるばしょをかけぬけ──ようとするのですが。
「なんで⁉ いきどまりだよ!」
ふるえるこえで、レティシャがいいます。
「だから、教室があるだけだと言っただろう」
うしろからへんたいがしずかによけいなことをいってくるのですが。
アザリーはあきらめません。おねえちゃんをまもるためです。せいぎはいつだってみかたなのです。
「こっちにみちが!」
「いや、そちらは隣 の教室──」
「光よ!」
「ひぃやああああ⁉ 」
「光よ! 光よ! 光よー!」
「ぢゃあああー!」
まるでなにかがみちびくみたいに、ふたりのめざすさきにみちができていきます。
「すごい! どんどんみちができていくよ、アザリー!」
「ほんとう。もしかしてあたしはかみなのかしら。かみのなのもとにおろかなたいしゅうをとうちしないといけないの? ならまあ、やるけど」
「それはそうだとおもうけど、そんなことよりへんたいからにげないと!」
「そうだね。きょうふせいじはあとにするね」
「本気でどうにか始末したほうがいいのかもしれない、こいつら......」
「へんたいがなんかいってるよ、アザリー」
「変態ではない」
「そんなわけないよ。だっておとななのにおんなのこおいかけまわして」
「ほんとう、へんたいなんてよせばいいのに」
「だから変態ではないし、お前たちは俺より年上だ」
「へんたいのいってることわかんない。へんたいなんてよせばいいのに」
「なんのとくもないんだからへんたいなんてやめちゃえば? やめられないなんて、そんなのおかしいよ」
「あー鬱 陶 しい」
へんたいはおのれのひもわきまえず、いたいけなしょうじょたちをせめたてます。
ふたりはまたにげました。むりょくなこどもたちに、ほかにどうできたというでしょう。このとうそうげきのゴールはどこなのか......
まあ、そろそろです。
「あれ?」
「どうしたの、アザリー」
「こえが......きこえる。なんのこえだろ」
かべにあいたみちの、ずっとさきから。
あかちゃんのなきごえが、きこえてきます。
「わあ......」
ないているあかちゃんをみつけて、アザリーはこえをあげました。
「かわいい。でも......なきやまないね」
「わたしにもだっこさせてよ、アザリー。ねえ、どうすればなきやむかな」
「こもりうたとか、わかる?」
「わかんない」
「そっか......じゃあ」
ふたりはかおをみあわせ、おなじけつろんにいたりました。
「なきやみそうなこと、いろいろためしてみよう」
「そうだね。はなつまんでみる」
「ぎゃー!」
あかちゃんはますますなきだします。
アザリーはあきれました。
「そんなのだめだよ。ティッシはばかだなー。ほんとばか」
「えー」
「あかちゃんにかんしてはいいことわざがあるんだよ。えい」
「ぎゃああー!」
「なにやったの?」
「うでひねった」
「ふうん。もっとひどくなっちゃったじゃん。アザリーのほうがばかじゃない?」
レティシャがあんまりひどいことをいうので、アザリーはショックをうけました。
「なんでそんなこというの。ばかじゃないよ」
「ばかだよ。それより、みずのませてみようか」
「しずめたほうがはやくない? しずめちゃだめかな」
「だめだよー。ぬれたらかわかすのたいへんだよ。やっぱばかだよ」
「またばかって! なんでそんなにいうの!」
「さきにいったのアザリーじゃん!」
「でもあたしはいっかいだよ! ティッシはなんどもいうじゃんか!」
「アザリーもさきににかいいったよ!」
「いってないよ!」
「......なにをやっているんだ、お前ら」
「あ、へんたい」
またへんたいがおいついてきました。
へんたいはふふくそうにまだごねます。
「変態ではない」
「えー。へんたいだよ」
「ならもう変態でいいから変態の話を聞け。なにをやっている」
「みればわかるでしょ」
あかちゃんのくびをひっぱりながら、アザリーはこたえます。なお、レティシャはあしをつかんでひっぱってます。
へんたいはなんでかつかれたようなまなざしでいいました。
「俺の目には《牙の塔》屈 指 の武 闘 派魔術士ふたりがキリランシェロの首と足を引っこ抜 こうとしているようにしか見えないのだが」
「へんたいなにいってんのかわからない」
「へんたい!」
「へんたい!」
「はやし立てながら犠 牲 者 をねじ切ろうとするな」
「でもぐったりしてなきやんできたよ」
「まあそれは不思議でもなんでもないが、手を放してやれ」
「やだー」
「なにが嫌なんだ」
きくまでもないことをへんたいがきくので、アザリーはこたえました。
「だってあたしたち、こもりうたしらないんだもの」
「子守歌?」
「うたうと、あかちゃんはなきやむんでしょ?」
「あたしたち、このこをちゃんとせわしないとならないの。かぞくなんだもの」
「............」
へんたいはしばらくだまっていましたが、やがてこういいました。
「退行しているだけでなく、記憶が混乱しているな。この年 齢 の時は、お前たちは出会ってないはずだ」
やっぱりわけがわかりません。アザリーははんろんします。
「そんなわけないよ。うまれたときからずっといっしょにいたはず。かぞくなんだから」
「むかしからこうしてなかよくしてたよ」
「昔から?」
「あれ。あたし、なにいったんだろう」
レティシャがへんなかおでとまどいます。
「いまがむかしなのに。あれ。いまがむかしなのかな。むかしっていつ? いまって?」
「だめ!」
ぴしゃりとかおをひっぱたいて、アザリーはレティシャをだまらせようとしました。
「おもいだすまではだめ! あたしたちが、なかのいいほんとうのかぞくだっておもいだすまでは......」
「退行ではないな。記憶を修正する気か!」
「そんなの......なんだか、わかんないよ!」
「自覚はないか。なら、正気を取りもどせ!」
「やだ! だって......ぜんぶいいかんじに......できるのに......」
「はっ」
夢の中でどこかに落ちるように。
びくりと跳 ね起きて、アザリーはあたりを見回した。
教室だ。
「あれ......いつの間にか、眠 ってたの? やだ。椅子から落っこちてる」
落下感は実際のものだったのか、アザリーは床 に倒れていた。起き上がる。近くにはキリランシェロとレティシャも寝転がっていた。すうすうと寝息を立てている。
平和なものだった。
「だから催眠術なんて効くわけないじゃんてのにねー......って、なにこれ。壁 に穴開いてるし、怪 我 人だらけだし。なんかあったの?」
教室にはもうひとり、馬 鹿 のコルゴンが突っ立っている。
この馬鹿のやることなど気にする価値はないが、今日はいつにも増して珍 奇 というか、ぐっと拳 を握 って感極まり、窓の外を眺 めているようだ。
そいつはゆっくり答えてきた。
「お前が精神支配を暴走させて、気に入らないものを修正しようとしていた」
「なにそれ。そんなことするわけないでしょ」
「していた。きょうだいの関係を修正しようと──」
「だからするわけないの。わたしは今の関係気に入ってんだから」
「潜 在 的な願望だろう」
「なにその分かりやすいウサンクサー。まあいいわ。寝てる間にティッシの顔になんか文字書くけど、なにがいいと思う?」
「特にいいと思うわけではないが『雌 豚 』だな」
「そうね」
ペンを探して教室を彷徨 いながら、アザリーはふと、気になった。
「ところでさ、あんた、なんで泣いてんの?」
「良かった......宇宙ヴァンパイアはいなかったのか......」
「なにワケワカなこと言ってんの。馬鹿じゃない?」
というわけで、この連中はまだしばらくなにも進歩しない。









その夜に、なにかいつもと違 ったことがあったとすれば、夕 方 からの雨と風に窓 枠 が揺 れ、雲に覆 われた空が暗く、どこか雷 を予感させ、陰 々 滅 々 とよどみ、静かではありながら耳の奥 に煩 わしい物音が潜 み、つまりは、まあ──そういった夜だったということだった。
ということであるため、寝 付 けなかったのは、夕 飯 を食べ損 ねたせいばかりとは言いかねた。ベッドの中で何度目かの寝返りを打ちながら、オーフェンはもはや寝ることをあきらめ、目を開けてぼんやりと闇 を見つめていた。起きていてもいいのだが、やることもなくただ腹 が鳴るのを聞くだけでは虚 しいことこのうえない。
(だいたいなー。飯食ってないってのが問題だよなー。つまりは身体 動かすための資本だろ? それなしになにをやってもうまくいくはずがないんだよな)
闇の中で幻 想 的 にすらなれず、そんなことを考える。
オーフェンはベッドの中でため息をついて、とりあえず物思いをやめた。なにも考えずに暗い部屋の中を見つめる。
と──
思 索 をやめたから、というわけでもないだろうが。
雨と風が、窓枠を揺する。その音が、少しだけ変化していることに、彼は気づいた。規 則 正しい雨 粒 の音が途 絶 え、風に軋 んでいた木枠も、唐 突 に鳴りやんでいる。聞こえてきたのは、湿 った木がこすれる音。
そして、部屋の中に風雨が吹 き込んでくる。
窓が開いたのだ。そして、同時。
だんっ! と、人間ひとり分の体重が、床 を叩 いた。さらに同時──
「ちいっ!」
オーフェンはベッドから跳 ね起 き、飛び降りていた。少し遅 れて、窓から飛び込んできた人 影 が、なにか鋭 利 な刃 物 のようなものをベッドに突 き立てる。
「暗殺者 ⁉ 」
引 き裂 かれ、翼 のように翻 ったシーツに隠 れ、相手の姿は一 瞬 しか見えなかったものの──オーフェンは直感で囁 いた。暗 殺 技 能 者 、特に暗殺のための戦 闘 訓 練 を受けた魔 術 士 のことをスタッバーと呼ぶ。突 然 現れたこの相手がそうなのかどうかは確 認 できないが。

(いや──)
漠 然 とした確 信 が、告 げる。こいつは魔術士だと。
薄 い黒 布 を巻いたような黒 装 束 で、顔もその黒布を巻いて隠している。手には小 振 りだが殺 傷 力 の高い針 のような短 剣 を持ち、黒布の隙 間 からただひとつの意志がこもった眼 差 しを投げてきている。
ただひとつの意志──殺意。
寝込みを襲 われたため、いつものジャケットどころかシャツも着ていない。もとより普 段 から武器など携 帯 しているわけではないが、ブーツをはいていないことがひどく頼 りなく思えた。鉄 骨 を仕込んだあのブーツは、攻 防 の武器となる。
当然ブーツはベッドの下にあるが、今からはいている時間などない。躊 躇 しているうちに、暗殺者はベッドを跳 び越 えて距離 を詰 めようとしてくる。
スプリングもろくに利 いていない安ベッドである。暗殺者はその上でバランスを崩 すこともなく、ナイフを逆 手 にして飛びかかってきた。輝 きもない金 属 の凶 器 が真 っ直 ぐに振り下ろされてくる。オーフェンは半 身 をよじってそれをかわすと、まだ半 ば空中にある暗殺者の身体 に、拳 を叩 き込んだ。
「ぎゃんっ⁉ 」
犬のような悲 鳴 をあげて、暗殺者が体 勢 を崩して落 下 する。
が、さほどのダメージでもなかったのか──あるいはやせ我 慢 か、暗殺者はすぐに立ち上がると、今度は抜 き打ちのような動作でナイフを斬 り上 げた。
「くっ⁉ 」
速い。
後 退 してかわす。
が、後退している限り、繰 り 返して次 撃 が来る──オーフェンは意を決して、暗殺者が二度目に斬り込んでくる前に足を止めた。
突 き 込まれてくるナイフと、伸 ばした こちらの手と。
交差し、そして触 れる 。
「────っ⁉ 」
暗殺者の、黒布の間からただひとつ現れている表情──つまり両目が、驚 愕 に見開かれるのが見えた。オーフェンの手が、暗殺者の手首をつかんでいる。
力を込めて絞 り 上げ、オーフェンはつぶやいた。
「どういうつもりか知らないが、相手が悪かったな?」
握 ってみて気づいたが、暗殺者の腕 は極 端 に細かった。少なくとも、男の腕ではない。もっともそれは、たいして大きく開いているわけでもない窓から悠 々 と入り込んできたことに加え、こうして間近から相手の目つきを観 察 すれば、薄 々 分かることでもあったが。
「暗殺者が刃 物 まで使って襲 いかかってきたんだ。冗 談 ってわけでもねえだろ。多少手 荒 なことをしてでも、理由は聞かせてもらうぞ──」
脅 しをかける。が。
オーフェンは、はっと気づいてその手を離 し、後方に大きく飛 び退 いた。暗殺者は腕を放されてもその姿 勢 のまま、声をあげてくる。
「四列目二番目──」
その言葉の意味など分からない。だが、彼女が周 囲 に展 開 している魔術の構 成 ははっきりと見えた。
両手を掲 げ、叫 ぶ。
「我は紡 ぐ光 輪 の鎧 っ!」
「マリアンヌ!」
オーフェンの眼前に、光で編 まれた鎖 のような障 壁 が出現するのと──
その暗殺者のすぐ前に火 炎 の渦 が生じるのは、ほぼ同時だった。
大 爆 発 が、視 界 を埋 め尽 くす。
振 動 と熱 波 が消え、めちゃくちゃになった部屋を残してすべてが収 まった時には、
「......逃 げたか」
オーフェンは、独 りごちた。暗殺者の姿はどこにも見えなかった。ただ、耳に残ったあの呪 文 の声が、女のものであったということだけは、はっきりと断 言 できる。
「魔 術 士 に、命を狙 われる理由なんぞ思いつかねえけどな......?」
暗 闇 に響 く雨 音 に紛 れて──
眉 根 を寄せて、オーフェンは小さくつぶやいた。
そもそも夜明けは近かったらしい。ほどなくして雨がやみ、白 んだ朝日が窓から入り込んできた。一 夜 の嵐 のせいだろう。外は一 様 に黒く濡 れ、ゴミや落ち葉が散 乱 していたが、空だけはきれいに澄 み渡 っていた。
まあそれはそれとして、階 下 へと下りる。いつもの宿の食堂に入って、オーフェンは声をあげた。
「コギー?」
いつもこの時間にはこの食堂で朝食を食べている派 遣 警 察 官 を探して、オーフェンは見回した。
「あのなー、いきなり昨日 、わけも分からずに襲 撃 されたんだが。こーゆう場合、なんか慰 謝 料 だか保 険 だかなんでもいいから、どっかから金が入るシステムとかねーかなー?」
適 当 に呼びかけるのだが、どのみち食堂の中には誰 の気 配 もなかった。さして広くもない食堂である。それはすぐに分かっていたのだが、それでもオーフェンは一応再びあたりを見回した。
と──
ふと、テーブルの上に一枚の紙 片 が乗っているのを発見する。
紙には一行、なにか記 してあった。取り上げて、読んでみる。
「『探さないでください』」
置き手紙をテーブルにもどしてから、オーフェンはしばし虚 空 を見上げ、そして──身を屈 めて、そのテーブルの下をのぞき込んだ。
「......で、今度はなにをやらかしたんだ?」
聞く。
と、テーブルの下で体 育 座 りをし、精 神 のなにかが破 壊 されたかのような、どよんとした表情で沈 んでいるコンスタンスが、ぼそぼそと答えてきた。

「いいの。上司に恵 まれない哀 れな警察官のことなんてほっといて」
「また犯人でも取り逃 がしたか?」
「............」
コンスタンスは、しばらく黙 していたが──もとより誰かに話したかったのか、すぐに口を開いた。
「最近、なぜだか派遣警察の通 常 任 務 から外 されて、市 警 察 の内 勤 の手伝いなんてやってるんだけど」
「ほう」
「昨日ちょっとばかし書 類 の訂 正 箇 所 を間 違 えて、万 引 き犯 を十八年間の強 制 労 働 に送りそうになったの」
「......ほほう」
「たったそれだけのことなのに、部長ってば理 不 尽 に怒 って、わたしのこと机 で殴 ったのよ」
「......机で?」
「二十キロもあるでっかい机持ち上げて」
「なかなか豪 快 だな」
「というわけで、わたしはここでひっそりと、部長へのあてつけに断 食 して死んでやることに決めたから、ほっといてちょうだい」
「............」
言われた通り、ほうっておくことにして、オーフェンは立ち上がった。と。
がちゃり、と食堂の扉 が開く音が聞こえてきた。見ると、そこから誰か入ってこようとしている。滅 多 にないことではあった──食事時とはいえ、この食堂に客が来ることなど。
少なからず驚 いて見つめていたが、
「......なんだ」
オーフェンは、すぐに気づいてため息をついた。どうということでもなかった。入ってきたのは、客ではなかったのだから。
「モグリさぁん、おはようございますぅ」
丸い造 作 に大きな瞳 の少女が、気 楽 に手を振 りながら入ってくる。少々くせのあるポニーテール。赤のラインが入った黒のマント。着ているのは、大 陸 魔 術 士 同 盟 の制服だった。同盟に属していないオーフェンにとっては、鬼 門 である。
オーフェンは、なんとなく嫌 な気配を感じながら、彼女の名を口にした。
「ラシィ」
「はいぃ」
別に呼んだわけではないのだが、返事してくる。こちらの視線をものともせず、彼女は気楽な足取りで近づいてくると、目をぱちくりさせてから、テーブルの下をのぞき込んだ。
「......この人、こんなとこでなにやってるんですかぁ?」
と、顔を上げて、テーブルの下を指さして、ラシィが聞いてくる。オーフェンは目を閉じてかぶりを振った。
「まあ、ほっといてやれ」
「うう、めそめそ。お腹 空 いたよぅ」
泣き声など聞こえてきたりもしていたが。
「分かりました。ほっときますぅ」
快 活 に薄 情 な声をあげて、彼女は懐 から一枚の写真を取りだしてみせた。
「実は今日は人を捜 してるんですけどぉ」
「人捜し?」
聞き返してオーフェンは、写真をのぞき込んだ。人捜しなどという名 目 さえついてこなければ、なんのことはないスナップ写真である。写っているのは三人──ひとりはラシィだった。気楽に指でVなど作っている。彼女が中心で、両 脇 にやはり同じくらいの歳 の少女が並んでいた。
「あ、こっちの娘 なんですけどぉ」
とラシィが指さしたのは、左側にいる魔術士だった。魔術士というのは、写っている全員が同じ黒マントを着ているから聞かずとも知れる。単に写真うつりが悪いのかもしれないが、ぱっと見にも顔色が悪く、立ち方もどこか日の当たらない場所で間 違 った方向に伸 びたひょろ長い雑 草 を思わせた。かといって背 丈 があるわけでもないのだが。
当然──オーフェンは脳 裏 に、魔 術 士 +女+行 方 不 明 と単語が連なり、例の暗殺者のことを思い浮 かべたが。
(これは、どーもな......)
どう見てもその少女の風 貌 は暗殺者とは結びつかず、彼はかぶりを振 った。
「いや、覚えがねえけど」
が、ラシィはどちらかというと世 間 話 か見 合 いでも勧 めにきた親 戚 といったふうで、ぺらぺらと続けてくる。
「写真でも分かると思うんですけど、すっごく可愛 い娘 なんですよぉ。わたしと同い年なんだけど、ちょっと内 気 で気が弱いとこあるから、面 倒 見てあげたりしてるんですぅ」
「いや、ンなこと言われても。どっちみち見覚えはないぞ、こんなの」
「礼 儀 正しいんだけどよく気がきいて、みんな妹みたいに可愛がってるんですよ。この娘がいると場が明るくなるみたいな、ムードメーカーっていうんですか? そんな感じなんですけどぉ」
「知らねってば。あのな、俺 は昨日なんだかわけ分からんややこしいことがあって、それどころじゃねえんだよ」
「そうですかぁ......」
ラシィは気落ちしたように、写真を見下ろして小さくつぶやいた。
「昨夜モグリさんのこと話したら、そーゆう堕 落 した救いがたい怠 惰 な魔 術 士 は許 せないって、先 祖 伝 来 の夜 襲 スタイルで出ていったもんで、きっとここに来たと思ったんですけどぉ」
「............」
大きくため息をついてから、
「そうか......だいたい分かった」
片手で顔を押 さえ──オーフェンは、ぐったりとうめき声をあげた。
なにが分かったのかといえば、ようするに大陸魔術士同盟は相変わらず鬼 門 だということだったのかもしれない。
(だいたいなー。まあこーゆう街だから、魔術士同盟だけがマトモってこたぁないよなぁ。分かっちゃいるんだが......)
歩きながら頭を抱 えて、うめく。
「──で」
横から、ラシィの声が聞こえてくる。見やるとそこには、彼女が素 直 に疑 問 符 を浮かべてついてきていた。
「どこに行くんですかぁ? モグリさん」
「えーとな」
頭 痛 に耐 えながら、オーフェンは答えた。
「そいつ、昨日から寮 に帰ってねえんだろ?」
「はいぃ。いきなり飛び出していっちゃったんで、心配して彼女の部屋で朝まで待っていたんですけどぉ」
「明け方まで、雨も降ってたんだ。そこらの道ばたで寝 てたってこともねえだろうし、どこかに泊 まったはずだよな。そいつを探す」
「なにか目 星 がついてるんですかぁ?」
「そのへんは、君に期 待 してたんだけどな。知り合いなら、どこか行くあてとか思いつかねえか?」
昨夜襲 撃 してきた暗殺者が、その彼女であるのなら──
またもう一度くらいは来る可能性が高いし、そうだとすればただ待っていればいいということになるが、変に奇 抜 な奇 襲 など受ければ身の安全がおぼつかない。
ならばこちらから探したほうがいい。オーフェンはじっと、ラシィの返答を待った。彼女は下 顎 に指を当てて、軽く目を上向かせるようにし、
「うーん。わたしの家を別とすれば、同 僚 のほとんどは寮 住 まいですしぃ......」
「行きつけの店とか宿とかは?」
「わたしと同い年ですから、そうそう外 泊 したりしていればそれなりに噂 になったりすると思うんですけどぉ。そういう話は聞いたことありませんし」
「なんだよ。手がかりなしか。そーいえば、彼女の名前は?」
「ミース・シルバー。いい名前ですよね?」
にこにこと言ってくるラシィに、オーフェンは口の端 をひきつらせた。
(......暗殺者っぽい名前ではあるよな)
そんなことを独 りごちる。
気を取り直すために肩 をすくめて、オーフェンは足を止めた。実をいえばあてもなく歩いていたため、あまり歩き慣れない場所まで出てしまったようではある。遠くに教会の鐘 楼 台 が見える。この街にこんな場所もあったのかと思うほど建物もまばらで、辺 鄙 な区 画 が広がっていた。
「まあいいか。発 想 を変えよう」
あたりを見回して、オーフェンはつぶやいた。
「てなわけで、ラシィ、君だったら、外泊するとしたらどこを頼 る?」
「そうですねぇ」
と、彼女も足を止め、腕 組 みしてきっかり斜 め四十五度に首を傾 げてみせる。眉 根 を寄せてこれ以上ない思 案 のポーズで、
「うちは門限がうるさいからぁ、あまりピンときませんけどぉ」
「想像の上だけでもいいんだけどな」
「あのあの」
ラシィは授 業 でもやっているように挙 手 して、言ってきた。
「実はわたしが二重人格の夢 遊 病 で、夜な夜な知らないうちに窓から抜 け出して犯 罪 を犯 したりっていうのはどうでしょうか」
「いや、そーゆう想像をされてもな」
「でも、朝までやってる喫 茶 店 とか、そんなのしか思いつきませんけどぉ」
「まあそんなもんか......」
彼女の声を聞きながら、オーフェンは足 下 を見下ろした──まだ雨で濡 れた地面に、立ち止まったため自分の足 跡 が多 重 になっている。
「だいたい言い忘れてたんだがな」
ふと顔を上げて、彼はラシィへと向き直った。きょとんとした顔を見せる彼女へ、少し詰 め寄る。
「俺 がどーゆう生活を送ってるか、それを君がどういったふうに脚 色 して友達に話そうがそりゃ自由だが、なんでそんなことで俺が命を狙 われなけりゃならねんだ? そいつを釈 明 して欲 しいんだけどな」
半 眼 で告げるが、いまいち感情が伝わりきらなかったらしい。ラシィは目を二、三度ぱちくりさせただけで、あっさりと答えてきた。
「彼女の家は、先祖代々続いた、由 緒 正しい暗殺者の家 系 なんですよぉ」
「こう言っちゃなんだが、ヤな家系だな」
「まあ、そうなんですけどぉ......彼女はそれをすごく気にしていて、ものすごく頑 張 っていろいろ資 格 を手に入れたり、友達を作ったり、とにかく努力家なんですぅ」
「......とりあえずそれは立 派 だが」
「ええ。だから、あるがままを受け入れて、まさしく亡 者 がさらに亡者の血をすするがごとく地 獄 同 然 の堕 落 しきった退 廃 加 速 度 抜 群 の生 き様 をさらしているモグリさんのことが許 せないらしくて」
「誰がそこまでひどいっ⁉ 」
反 射 的 に叫 んでから、拳 を握 り直し、オーフェンはうめいた。
「だいたい、どっちみちそんな理由で、ナイフ片 手 に枕 元 に立たれたんじゃたまったもんじゃねえだろ」
「でもそれは彼女の性 分 ですしぃ」
「なんでそっちはそんだけで受け入れて、俺の生活スタイルは看 過 できねえんだよっ⁉ 」
「まあ、努力してる人とそうでない人との差かとぉ」
「その前に、加 害 者 と被 害 者 の差を考えろぉぉぉっ⁉ 」
頭をかきむしって叫 び声をあげる。
と、刹 那 だった。
とすっ。
小さな音が聞こえる。背後からだった。一 瞬 、なんのことか理解できずに硬 直 したが、振 り返ってみて、
「────っ⁉ 」
オーフェンは、声にならない悲 鳴 をあげた。背後には誰の姿もなかった。ただ......
「うおおおおおおおおっ⁉ 」
激 痛 に、その場にうずくまる。ラシィがふらふらと近づいてきて、のんきに声をあげるのが聞こえた。
「あのあの」
口元に手を当て、ぽつりと、
「ええと、モグリさん。お尻 に矢が刺 さってますよぉ」
「気づいてないとでも思ったかっ⁉ 」
意 を決 し、一気にその矢を抜 いて、オーフェンは怒 鳴 りつけた。別に彼女に怒鳴る理由もないが、景 気 づけのようなものである。矢は逆 鉤 がついているほど凶 悪 な代 物 ではなかったが、だからといってどうだというわけでもない。魔術で傷 口 をふさいでから唇 を嚙 んであたりを見回す。もっとも、見える範 囲 に人 影 など発見できなかった。
「本っ気で殺す気か⁉ これちょっとずれてたら死んでただろ絶対っ!」
矢を掲 げて叫ぶ。
が、ラシィはあくまで間 延 びした口 調 で言ってくるだけだった。
「ミースったら......いつだって真 剣 勝 負 で、妥 協 なし。こういうのって好 感 度 高いですよね?」
「全力で殺 害 目 標 にされてる俺にうなずけとでも言うのかっ⁉ 」
「ライバルこそがお互 いの価 値 を知っているものさって、わたしの上司さんが言ってましたぁ」
「全然ない断じて違 うそいつはあほだ!」
断言して、オーフェンはその矢を地面に叩 きつけた。そして、
「......ん?」
気づく。矢には、細 く折 り畳 まれた紙が巻き付けてあった。
「矢 文 か?」
怪 訝 に思いながら、再び矢を拾い上げる。矢文で直接標 的 を射 抜 く性 根 というのは理解しがたいが──射 殺 したらどうごまかすつもりだったのだろう──、なんにしろ、紙 片 を解 いてみると、数行ほどの伝言がしたためてあった。横からのぞき込んできて、ラシィが声をあげる。
「あ、これミースの筆 跡 ですぅ」
そんなことは言われなくても想像のつくことではあったが。オーフェンは無視して、それを読み上げた。
「『許 されざる流 浪 の魔 術 士 に告 ぐ。その惨 めなる咎 に終 末 の楔 を。即 ち死せよ。正 午 に一本杉の決 闘 場 にて待つ。銀光のミース』」
しばしそれを眺 め──
ぽつりとつぶやく。
「一本杉の決闘場って、どこのことだ?」
「多分ん......」
自信なさげに、ラシィが答えてきた。
「彼女が勝手に作った地名かと思うんですけどぉ」
「分かるか、ンなもの⁉ 」
刹 那 。
悪 寒 を覚えて、オーフェンはその場を飛 び退 いた。同時、それまで立っていた場所に二本目の矢が突 き立つ。
矢にはやはり、文が巻き付けてあった。
「......聞こえる場所から射ってるんじゃねえだろうな」
半 眼 でうめきつつ、その紙片をまた解く。広げてみると、『ここです』の一文といっしょに、地 図 が添 えてあった。
「なんにしろ──」
顔を上げたところで相手の姿も見えないが。
オーフェンは、嘆 息 混じりにつぶやいた。
「迷 う必要はないみたいだな」
一本杉の決闘場。とはつまり、その通りの場所だった。
丈 の短い雑草が生 い茂 る、中 途 半 端 な広場に、その目 印 であるかのように一本の杉の木が立っている。自然に生えたものではなく、誰かがなにかの意 図 で植えたものなのだろうが──広場は一見して、私 有 地 でないと知れた。住 宅 地 からは離 れ、サイクリングコースからも遠ざかり、見える範 囲 にある人工物は、建 設 途 中 で放 棄 された雨ざらしのスポーツクラブだけである。
積まれた材 木 にカバーがかけてあったが、その建材ももはや使用に耐 えないほど傷 んでいるように見えた。
風が吹 きすさぶ中、そこに立っている。オーフェンは天をちらりと見上げ──そして、正午の訪 れを悟 った。
「そろそろか」
独りごちる。
少し離れてこちらを見ているラシィが、こくんとうなずくのが見えた。
「ですねぇ」
もう今さら怒 る気にもならない間延びした口調で、なにやら自 慢 でもするように言ってくる。
「彼女って、時間に遅 れたことがないんですよぅ」
「......まあ、こーまで理 不 尽 に命を狙 われたあげく待ちぼうけまで食わされた日にゃ、温 厚 な俺もさすがに殺 意 を覚えてしまうかもしれんが」
どこから襲 撃 が来るのか分からない──そのため、視線を固定することもできず、神 経 を張 り巡 らせる。もっとも、暗殺者相手にこれが無 駄 な行 為 であることは、身にしみて分かっていた。
(......昨日、俺に敵 わないことは悟 ったはずだからな)
だとすればこちらに予 想 がつくような襲撃方法は取らないだろう。となれば奇 襲 。
(ベストの襲撃方法ってのは、なんだろうな)
オーフェンは静かに想像を巡 らせた。
これだけ視界の開けた場所を指定してきたということは、たとえば先ほどの弓のような、長 距 離 からの狙 撃 ということも考えられる。が、それをするならばわざわざこんなところに呼び出さず、矢文を射 った場所で射 殺 していればいいだけのことだ。確 実 に狙撃をする自信がないからこそ、決 闘 という形を取ったはずである。
(少なくとも一対一の戦闘では、魔 術 による奇襲はあり得ない......魔術士に対して魔術で攻 撃 したところで、ほぼ確実に防 がれるだけだからな)
魔術の構 成 を編 み、発 動 させるには、基 本 的 によほど腕 の差がない限りは、攻撃よりも防 御 のほうが速いとされている。防御すらも撃 ち抜 いて攻撃するためには、そのさらに上をいく技 量 が必要だろう。呪 文 の声がとどかない場所へは魔術の効 果 も及 ばないわけだから、構 造 的 に奇襲も不可能である。
となれば......
(一番典 型 的 な攻 め手は、まず自分が真 正 直 に姿を見せる)
声には出さずにつぶやいて、オーフェンは視線を止めた。
いつの間にか、一本杉の一番太い枝の上に──黒 装 束 の人 影 が現れている。
顔に巻いた黒布を、マフラーのようにたなびかせ、その人影はまっすぐにこちらを見下ろしていた。この真昼に黒装束がなんの意味を持つものかは知らないが、彼女はそんな疑問はかけらも抱 いていないように、堂々と胸を張っている。手には例の細い短 剣 を構 えていた。
間 違 いない。昨夜の暗 殺 者 である。彼女を見上げ──オーフェンは、静かに嘆 息 した。
思 索 の続きを脳 裏 に紡 ぐ。
(そして、伏 兵 が背後から俺を襲 う)
彼は、樹 上 の暗殺者のことはとりあえず無視して、くるりと振 り向いた。
「あれっ⁉ 」
あからさまに驚 いた顔で、すりこぎのようなものを振り上げこちらに忍 び寄 っていたラシィが、あと一歩のところで硬 直 しているのが目に入った。
丸い目をさらに丸くして、ラシィがとにかく振り下ろしてきた棍 棒 を、半 身 をずらしてかわす。逆に彼女の腕 を取って関 節 をひねり、地面へと押 し倒 してから、オーフェンは改 めて樹上を見やった。
「痛 い痛い痛ったぁいひどいですぅぅ!」
けたたましく、ラシィが悲 鳴 をあげる。それは無視してオーフェンはつぶやいた。

「お前らなぁ......いや、変に巧 い奇 襲 なんぞされたら俺もたまらんが、もうちょっと、こー、なんつーか」
「先 輩 ぃぃぃぃぃぃっ⁉ 」
樹上から発された悲鳴──だかなんだか──は、ラシィのものより、ゆうに一オクターブは高かった。
「貴 様 、先輩になにをするぅぅっ⁉ 」
と──
三メートルほどの高度の枝から、装 束 を黒い翼 のように広げて、暗殺者が飛び降りてくる。
ぼきゃっ。
地面に激 突 し、一メートルほどあらぬ方向に転がってから、彼女、ミース・シルバーは何事もなかったかのようにびしっとポーズを取ってきた。
「先輩に対してそれ以上の狼 藉 、わたしが許 さんぞ、このうらぶれ取 り柄 なし男!」
「さーて」
今度は彼女のことを無視して、オーフェンはいまだ悲鳴をあげ続けるラシィへと視線を転じた。

「説 明 してもらおうか?」
「えーん」
ラシィの悲鳴は泣き声に変わっていたが、実は関節を極 めたと見せてほとんど力も入れていない。そのせいだろう、問われると、彼女はころっと真 顔 になって、答えてきた。
「だからぁ、ミースはわたしの同 僚 なんですよぅ」
「で?」
「わたしがモグリさんの生活を向上させるのに手間取ってるから、それを手伝ってくれるっていうことになってぇ」
「......ありがた迷 惑 が二倍になったわけか」
「彼女の分 析 では、モグリさんの生活がいかんともしがたいのは、当人の精 神 がたるんでるからじゃないかと」
「ほほ〜う」
「んで、いろいろと方 針 を考えて、一回死にそうな目に遭 わせれば、なんかちょっとは人 格 がマシになるんじゃないかって思ったんですが」
「やかましいわっ!」
オーフェンは叫 び、とりあえずラシィの手から棍 棒 を取り上げた。腕をはなし解 放 してやる。
「それじゃお前が今 朝 からやってた芝 居 はなんだったんだよ! 行 方 不 明 だから探してくれとかなんとかっ!」
腕をさすりながら、ラシィがむっくり起きあがった。雨に濡 れた雑草に顔を押 しつけられていたため、かなり気持ち悪そうではあったが、口調は変わっていない。
「だって、モグリさんってば単 純 思 考 だから、いきなり警察に逃 げ込んじゃったりするかもしれないじゃないですかぁ。それで追われる身になっちゃったら、ミースが可哀 相 ですしぃ」
「立派な殺 人 未 遂 を犯 しといてなにぬかすっ⁉ 」
「違 うっ!」
大きく声を発したのは、ミースだった──
「正 義 のために持てる力をすべて捧 げると、わたしは誓 ったのだ! というわけで逆 説 的 に、わたしがやってることは全部正義っ!」
「逆説的にとか詭 弁 を言ってる時点でなんか間違ってるだろうがっ⁉ 」
わめく。が。
「......あれ?」
見ると、ミースの姿がない。よくよく目を凝 らすと、雑草の中に黒 装 束 の人 影 が倒 れているのが見えた。ぐったりとして動かない。
「なんだ?」
ただ啞 然 としていると、むくり、と彼女は顔を上げてきた。顔を覆 っていた黒布が半ばほどけ、蒼 白 になった顔色と震 える瞳 をさらしている。
見ると、倒れた彼女の背中のあたりに短 剣 が刺 さっていた。しばらく見つめていると、彼女がゆっくりと口を開くのが見えた。なにを言いたいのか、待ってやる。
暗殺者の口から、か細い声が漏 れた。
「いや......落ちた拍 子 に......持っていたナイフを背中に刺してしまっていたらしくて......」
「あのなぁ」
「......痛い」
「当たり前だっ!」
「彼女、先祖代々続いた暗殺者の家系の出身なんですけどぉ、どーもしこたまそーゆうのに向いてないらしくて」
「わけ分からんし」
あくまでマイペースに解 説 を加えてくるラシィを残して、オーフェンは倒れているミースのもとへと駆 け寄 った。
ぜいぜいと息をあららげて、身動きも取れない彼女の横にひざをつき、彼はその短剣に手を触 れた。魔 術 の構成を思い浮 かべてから、それを一気に引き抜 く──
「我は癒 やす斜 陽 の傷 痕 」
さほど深い傷というわけでもなく、魔術だけで問題なく解決しそうだった。
それに力を得たというわけでもないのだろうが、傷がふさがると同時に、ミースの震えも止まり、
「まあ、傷も残りそうにねえな。出血もどうってことないようだし。よっぽど刺さった場所が良かったんだろ」
と。
ぎぃんっ!
下から斬 り上げられてきた刃 を、オーフェンは持っていたナイフで受け止めた。
「──ま、つまり、すぐにこんなこともできるようになるわけだ」
「ふっ。そこそこは骨があるようだなっ!」
ばっ、と素 早 く跳 び起きると、ミースは予 備 であるらしい同型のナイフを逆 手 に構えてみせた。
「だが、我ら魔術士の品 位 を貶 め、先 輩 の手を煩 わせておきながら感 謝 もないような風 下 男に、この銀光のミース、容 赦 はしないっ!」
黒 装 束 でナイフを構え、眼 光 鋭 くそう言い放つその姿は、実際かなりいい型にはまっては見えたが。
オーフェンはため息混じりにナイフを後ろ手に捨てると、ラシィから取り上げた棍 棒 のほうを軽く構えた。
軽く視線で、相手を促 す。
「その覚 悟 や良しっ!」
彼女は叫 ぶと、鋭く刃を一 閃 させて飛びかかってきた。とりあえず軽く後方に跳んで距 離 を取ってから、相手の刃 筋 を見 極 める。
さすがに、悪くはなかった ──狙 いも的 確 で、速度もある。あえて仕 掛 けづらい下方向からの攻 撃 が多いのは、身長差を考 慮 してのことだろう。それらを適 当 に棍棒の先でさばいて、
(ま......もうそろそろか)
相手の呼 吸 が続かなくなってきた頃 合 いを見 計 らって、反 撃 に出ようとした、その刹 那 。
ミースが、にやりと笑 みを浮 かべるのが見えた。
「────っ⁉ 」
危 険 を感じて、踏 みとどまる。彼女が顔を上げ──
ふっ!
聞こえたのは、勢いよく息を吐 く、そんな音だった。見えたわけではないが、なにをしたのかは見当がつく。
(......含 み針 かっ!)
角度は間 違 いなく、こちらの顔面を狙 っている。毒ということはないだろうが、眼 球 を守るためにオーフェンは反 射 的 に目を閉じていた。それが致 命 的 なミスであることは分かっていたが。
「ちぃっ!」
舌 打 ちして、再び目を開けるまでには、はっきりとイメージできていた──こちらが目を閉じている間に、優 位 の位置に踏 み込んで、そして急所へとナイフを突 き入れてくる敵 の姿が。
(やられたっ!)
............
目を開いて。
その視界には、彼女の姿などどこにもなかった。
なんとなく、見下ろす。と、なにやらミースは、こめかみを指で押 さえて地面にうずくまっているようだった。
「............」
少し考え込んでから、思いついて、
「......立ちくらみか?」
問いかける。無言のまま、こくり、とミースがうなずいた。
「彼女、こーゆうのに向いてないうえに身体 が弱いんですよねぇ」
てくてくと近寄ってきたラシィが、つぶやくのが聞こえてくる。身をかがめて後 輩 の顔をのぞき込み、
「無理しないほうがいいですよぉ、ミース」
「ふっふっ......大丈夫です先輩。実はこれは立ちくらみなどではありません」
脂 汗 の浮いた悲 愴 な顔色で親指を立て、説 得 力 のないガッツポーズを見せながら、彼女が断言する。
「単に、昨晩この男に脇 腹 をぶたれて、あばらをちょっとやられてるだけなのです」

「病院に行け。いーから」
オーフェンは半眼で告げた。
が、彼女は唐 突 に顔を上げ──
「だがっ! たとえ体力が尽 きようとも、屈 服 など決してしないっ! それがこのミース・シルバーの正義、そして魔 術 士 同 盟 の──げほっ! げほごほぐほっ!」
今度はせき込んで、完全に地面に倒 れて悶 絶 する──しばらくのたうち回ってから、彼女は口元に当てていた手を、そうっとはなしてつぶやいた。
「おや?......血が」
「いや、もー頼 むから、病院行ってくれ......ホント」
泣き出しそうな心持ちで、うめく。
だが彼女は口元に血をにじませたまま立ち上がり、両手を腰 に哄 笑 してきた。
「ふっふっふっ。そーやって過去幾 人 もの敵が、泣いて許 しを請 うてきたものだ」
「ああ......そいつらに心底同情する......」
「うふふふふふ......負けない......負けないわぁぁ......今日は負けても、また明日......いや今夜にでも再び夜 襲 をかけて......それが駄 目 ならまた......寝 る前に疑 心 暗 鬼 に震 え、寝ても悪 夢 に怯 え、食事をするにも一皿ごとに毒を疑い......そうして追いつめられていくのだ。わたしは負けない......」
ふらふらと身体を揺 らし、口元をぬぐって、彼女が怨 恨 に満ちた声をあげてくる。
それを聞きながら、なにやらいろいろと恐 怖 を感じつつ──
オーフェンは、なんとかつぶやいた。
「いや、あの......その根気とかを、もーちょっと別のことに向けてもらえんかなー、できれば......」
と。
ぎらり、と彼女の目に、光が灯 った。体 調 不 良 など忘れたのか、すぐさま跳 ね起きて、気力の炎 を背にして叫 んでくる。
「なにを言っているっ⁉ 」
びしっ、と人差し指をこちらに向け、
「貴様のよーな輩 を、決して看 過 するわけにいかんっ! 栄 光 の力を得 た我ら魔術士は、なればこそ常 に公 明 正 大 、威 風 堂 々 、明 朗 会 計 、常に太 陽 の輝 きの下で胸を張って生きていくべきなのだっ!」
黒 装 束 の暗殺者スタイルで、きっぱりとまくし立ててくる。
「名 誉 とは輝ける白日の下にのみっ! 誇 りとは堂々たる追い風の中にのみっ! 常に誰にも恥 じることのない高 貴 なる魂 は、その尊 き精神の積 み重 ねにのみ培 われるっ!」
「............」
オーフェンが、半眼で見つめる中──
彼女は、きっ とこちらに向き直ってくると、拳 を握 って真 摯 な眼 差 しを見せた。
「お分かりいただけましたか?」
「......もう、いいから......」
オーフェンは、頭を抱 えて──右 腕 だけを、大きく振 り上げた。
「先祖代々やりなおしてこぉぉぉいっ!」
爆 裂 する光 熱 波 が──
とりあえず、彼女を沈 黙 させた。
(俺がいったい何をした?:おわり)


「はーっはっはっはっはっはっ!」
腰 に手を当て、胸を張り、オーフェンはひたすら笑い続けていた。ただひたすら──とにかくひたすら。力の限り、それが続く限り。
黒 髪 が風に揺 れるのを感じる。長い髪ではないが、風にかき回されて脳 に刺 激 を与 えてくるほどに激 しく。身につけている黒 革 のジャケットも、翼 のようにはためいていた。胸 元 の銀 製 のペンダント、大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 たる《牙 の塔 》の紋 章 だけが、彼自身をつなぎ止める錨 だとでもばかり、しっかりとぶら下げてあった。
「はーっはっはっはっはっはっ!」
高笑いだけが繰 り返 される。
風の吹 く高 空 を見上げ、オーフェンは高らかに声をあげた。
「月に一度の、爆 安 缶 詰 市 〜!」
彼の叫 びが、早朝の街に響 きわたった。
「──と、ゆーわけで」
と、横を向いて告 げる。同じ屋 根 の上、横に並んでいる三人をしっかりと見 据 えて、
「お前たちも、手伝うよーに」
「なんでわたしが──ていうか」
即 座 に、コンスタンスが叫んでくる。高さに恐 怖 してか、なるたけ上を向いて、
「なんでわざわざこんなとこまで連れてくるのよー!」
「馬 鹿 者 ! 気 合 いの問題に決まってるだろーがっ!」
オーフェンは迷 いなく答えた。
「ついでにいえば理由は必要ない。ただ言えるのは、お一人様十個までという強 力 な制 約 があるからだ」
「いーじゃない十個で」
よほど面 倒 なのか、うさんくさげに顔をしかめ、コンスタンスがなおも言い返してくる──いつも子供っぽいその造 作 が、こんな時にはもう少し大人 びて見えた。
「なんだと⁉ 」
オーフェンは、信じられずに叫び声をあげた。
「爆安缶詰市は、月に一度だけなんだぞ⁉ 俺 に缶詰十個で一月過ごせとでも言うのかっ⁉ 」
「あんた缶詰しか食べないの?」
「いけませんオーフェン様ぁぁっ⁉ 」
横から声をあげたのは、彼女の隣 にちょこんと座 っていたボニーだった──ボニー・マギー。コンスタンスの妹である。ひらひらの白いドレスを風に触 れた花 弁 のようにふわりとさせて、身体 をひねって叫んでくる。
「そのよーな高 血 圧 コレステロールな食生活は直 ちに脱 却 しなければ、わたしたちの愛の広 野 に砂 嵐 のごとく暗 雲 が覆 いつつも馬はいななき西へと進みますわ⁉ 」
「いや、よく分からんが実際」
栗 色 の髪に縁 取 られたほおに惜 しげもなく涙 をこぼしつつ主 張 するボニーの顔面を押 しのけながら、オーフェンはうめいた。
「とりあえず、コンビーフ直 食 いがいかに健 康 に悪かろうと、絶 食 よりかはなんぼか健全だろう」
「でもぉ」
最後のひとり──この宿の息 子 であるマジクが、困 ったような顔をして言ってくる。屋根の修 理 で慣 れているせいか、この少年はのほほんとしていた。金 髪 碧 眼 の、なんということはない少年である。
「ぼく今日、友達とちょっと約束があるんですけど......」
「友達も気 の毒 にな」
「は?」
「月に一度の缶 詰 の買い出しにもつきあってくれないよーな薄 情 な悪たれガキとつきあうくらいなら、いっそ正 体 不 明 の闇 討 ちを受けたり登 校 途 中 に物 陰 から熱 衝 撃 波 を食らったり夜な夜な家の前でフラメンコを踊 られたりするほうがマシだというその友達の声が、俺には聞こえてくるよーだ」
「......ううう」
告げてやったごくごく一 般 的 な意見を聞いて、なにやらうめきつつ、マジクがうなだれて沈 黙 する。快 諾 してくれたらしい。
改めて、オーフェンは笑 顔 を浮 かべた。
「てなわけで、みんなも死にたくなければ協力してくれてもいいぞ」
「ううう。分かったから、早く下ろしてよう......」
コンスタンスが、怯 えた声をあげている。
「うむ。ではみんなもいっしょに勝利の雄 叫 びをあげるとしよう」
オーフェンは、こくこくとうなずいてから、改めて笑い声をあげた。
「はーっはっはっはっはっはっ! はぁーっはっはっはっはっ!」
哄 笑 は続き──そして。
「はっ?」
唐 突 に、ひときわ強い風が、彼を背中から押した。それは軽くバランスを崩 しただけにすぎない。ただそれだけのことだった。
が......
「あれ?」
崩れたバランスを正 すべく、彼が足を踏 み出そうとした場所には──
屋根がなかった。
「あれぇぇぇぇぇっ⁉ 」
雄叫びは悲 鳴 へと変わり──
そして、彼は暗 黒 へと落下していった。
と──
「────っ⁉ 」
彼は、跳 ねるようにして上体を起こした。夢から覚 めた衝 撃 に、一気に体温が上がる。動 悸 を感じながら状 況 を把 握 しようと、彼は左右に視 線 を振 った。
夢の混 乱 は、すぐに過ぎ去った──そこが、あまりに静かだったから。
「......どうしたの?」
「え? あ、いや──」
とりあえず、言 葉 を紡 ぐ。
「眠 ってたのかな? ぼく......夢を見ていたみたいだ。思い出せない......けど」
彼は、目をぱちくりしてあたりを見回した。それは──覚 えているようで覚えていない、そんな風景だった。眠りに落ちる一 瞬 前 までは当然覚えていたのだろう。だが夢の印 象 といっしょに、すっぽりと忘れてしまったような気がする。
静かだった。風が涼 気 を運び、花と枝葉を楽 器 にして奏 でている。そこは土 手 だった。ふわりとした草の中、姉とふたりで陽 を浴びながら寝 ているところだったらしい。
着慣れた黒のローブ──上 級 魔 術 士 の証 の感 触 が、柔 らかい。上体を起こした彼を見上げるように、姉がにこりと笑 みを見せている。
多少くせのある黒 髪 に、いたずらな輝 きがのぞくブラウンの瞳 。
彼女は、あたりを包む風のように、やはり静かな声 音 で聞いてきた。
「夢......どんな夢?」
「あー、ええと......」
なんとか思い出し、言葉を吐 き出 す。自分自身確 認 するように、ひとつひとつを。
「なんだか分からないんだ。わけの分からない連中と、ずっとわけの分からない馬 鹿 騒 ぎをしててさ。一番わけが分からないのは、ぼくなんだ。なんだかひどく貧 乏 して、人格まで変わっちゃって、変な連中をののしったり殴 ったりしてた。なんだったんだろ。そんなこと、あるはずが......ないのに」
弱々しく──彼は、最後の言葉を口にした。どうして自信を持って言えなかったのか、それは分からないが。
姉は、声に出して笑いを漏 らした。
「大 丈 夫 ? なにか混乱してるみたいだけど......よっぽど嫌 な夢だったのね?」
と、肘 を使ってわずかに起きあがってくる。
「もうちょっと気楽にしてなさいよ。なにもかもうまくいく。そうでしょ? あなたの入 宮 審 問 が失 敗 したのは残念だけど......でも次のチャンスがすぐに来るわよ。知ってる? あなたがここ留 守 にしてる間に、ティッシったら、彼氏できたみたいよ。柄 にもなくはしゃいじゃってさ。わたしも、きっとうまくいくわ。そのうち試 そうと思っている実験があるの。きっとうまくいく......」
彼女の言葉に、彼はうなずいた。疑うところなどない、彼女が保 証 してくれている。きっとうまくいく。なにもかも。
「仮になにかがあったとしたって、わたしたち、ティッシも入れてたった三人の姉弟 だもの。この広い世界でたった三人。寂 しいことみたいだけど、決して離 ればなれになったりしない人数よ、三人って」
と──
彼は、眉 根 を寄せて訝 った。彼女の声が唐 突 に、遠くなったように思える。
「なにがあっても、離れたりしない。ずっといっしょよ。なにも変わらずに、きっと。もしも──」
聞いているうちに彼女の声はかすれ消えていく。同時に、視界も暗くなっていった。
「もしもあなたが、さっきのよりももっと悪い夢を見るようになったとしても、ね」
............
目が覚めると、そこは見 慣 れた天 井 だった。といっても──
彼は思わず、苦 笑 した。

覚えているようで覚えていない。そんな風景であったのは、夢の中と同じことだった。いや実際、どちらが夢であるのかなど、誰 にも分かるまいが......
安 宿 の一室。シーツの乾 いた感 触 。ついぞ目覚めた覚えもないような朝の静けさに、身体 が震 える。彼はベッドから滑 り落ちると、床 に座 り込んで近くの椅 子 にかけておいたシャツとジャケットを取り、いっしょに着込んだ。ポケットから、銀 製 のペンダントを取り出して、首に引っかける。変わっていないのは。
変わっていないのは、このペンダントだけだった。不意に、それに気づく。大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》で学んだ証 である、剣 にからみついたドラゴンの紋 章 。
「......そうか」
なんとなく、独 りごちる。彼はゆっくりと立ち上がった。朝食を食べる気分などではなかった──ついでにいえばその金もなかった──し、どこへ出かけるあてがあったわけでもなかったが、いつまで部屋にいたところでどうにもならない。
嘆 息 すると、彼は部屋を出ていった。
階 下 に下りる。ひとけのない食堂には、やはり今朝も客っ気はなかった。ただマジクが、のろのろと床をモップがけしている──登校前の手伝いなのだろう。
彼はすぐにこちらに気がつくと、明るい声をあげてきた。
「あ。お早うございます」
「ああ」
オーフェンは適 当 に手を挙げて、うなずいた。見回して、聞く。
「......今、何時だ?」
普 段 であれば、おおまかな時間くらいはなんとなく分かるのだが、今朝はまるっきり勘 が狂 ったようで、見当がついていなかった。マジクがモップがけに注意をもどしながら、答えてくる。
「まだ六時ですよ。お早いんですね、お客さん」
「なに言ってんだよ。朝が苦手なのは知ってんだろ?」
「......は?」
きょとんと、両目を瞬 いて呆 けたような表情を見せてくる。マジクは再び手を休めてこちらへと向き直ってきた。
「なんのことですか?」
「いや、だから──」
テーブルにつきながら、オーフェンは言い直そうとし、
「ま、いいか。にしても俺、どれくらい気 絶 してたんだ? 今月の特 売 日 、寝 過 ごしちまうとは、不 覚 もいいところだな、くそ」
「......気絶?」
さらに理解できないように、マジクが聞いてくる。
「気絶って、なにかあったんですか? お客さんが昨日 この宿に来てから、特になにも起こってないと思うんですけど......」
「............?」
初めて不 審 を確かなものとし──
オーフェンは、はっとマジクの顔を見やった。いつもと同じように見える。が、違 う。少年の表情にあるもの。愛 嬌 のある瞳 、なだらかな輪 郭 、穏 やかな眉 。だが、すっかり慣れていた親しみやそういったものが、すっぽりと抜 け落ちている。
しかし......
(見たことはある んだ......こいつの、この顔は、見たことがあるんだ)
「おい!」
とっさに、彼は叫 んでいた。
「今日はいつだ? いや──何日だ?」
「え?」
戸 惑 いながらも、彼が告げてきた日付は──
(間違いない。俺が......この街に来た日だ!)
椅 子 を蹴 るようにして、立ち上がる。
「あ、お客さん──⁉ 」
マジクの声を背後に、オーフェンは店から駆 け出していた。
トトカンタの街並みは、記 憶 にあるものと変わっていたわけではなかった。それらを確 認 するように、走り回る。
何時間も走り続けたのか──それとも、数分のことか。時間に関しては完全に感覚が死んだのか、オーフェンにはさっぱり分からなかった。
気がつけば、広場にいた。通りが交 差 している場所にいくつもある、そんな広場のひとつである。人通りも多く、それ目当ての露 店 もちらほらと人ごみの中にのぞいていた。と──
「きゃあああああっ⁉ 」
「どおおおおおおおおっ⁉ 」
最初に起こったのは、女の悲 鳴 ──そしてそれをかき消すように、悲鳴らしきだみ声が通りに響 きわたった。
騒 ぎは避 けて通るもの、物 見 高 いトトカンタ市民の間でも、一 応 はその気 配 がある。あふれていた人通りが途 切 れ、見えてきたのは、路面に転んで倒 れている少女と、あと毛皮のマントにくるまった、地 人 の姿だった。
(⁉ ......これは......)
また覚えのある光景。
次に起こることも、聞こえてくる声も、なにもかもが記 憶 の中にあった。
「ぐほおおおおおっ⁉ 」
なにやらのたうつように──地人が、ごろごろと勢いよく転がり回る。数秒ほどもそれをしてから、その地人は、すたっと立ち上がってみせた。
「ぬおおおっ⁉ なんということだぁっ⁉ 」
倒れている少女──というより、相手のリアクションに呆 然 としているというほうが近いか──に向けて指をさし、その地人、ボルカンは大声をあげた。
「このマスマテュリアの闘 犬 ボルカノ・ボルカン様の行く手を遮 り、あまつさえ体当たり攻 撃 によって転 倒 させるとは、貴様もしや、対ボルカノ・ボルカン帝 国 の手 先 っ⁉ 」
「ねえ、やめよーよ兄さん」
のろのろとその兄に近づいて、うめき声のようなものをあげているのは、ドーチンだった。格 好 は兄と同じようなものだが、分 厚 い眼鏡 をかけている。
が、ボルカンには聞こえていないようだった。
「むう。帝国の手先だとしたら、万 有 力 の導 きによって、この俺様に賠 償 金 を支 払 うことが義 務 づけられている! 無論だ」
「なんかさっきから当たり屋をやろうって言って、微 妙 に勘 違 いっていうか完 璧 違 うっていうか」
「............」
それを見つめて──
オーフェンはただ棒立ちになって、混 乱 した脳を制 御 しようとしていた。わけが分からない。
(これは......俺が街に来てから、一週間目のことだ。あいつらを、初めて見かけた時──ちょうど、金の貸し先を探してて)
いくら考えたところで、答えは出ない。さっぱり分からない──分からないが。
分からないまま、彼はふと、思いついていた。
「もしこの要 求 を無 視 したならば、やはり万有力のお導きにより、裏の畑でポチに掘 り殺されることが確定する!」
「だから兄さん──」
このあたりだった。
ちょうどこのあたりで、叫 びながら割って入ったのだ。はっきりと覚えている。
だが......
(もし、ここで無視したらどうなるんだ?)
ぽつりと彼は、そんな考えが浮 かぶのを自覚していた。
無視できるならば、そのほうが良かったのだ。あとのことを考えるならば。
どうせあのふたりと関 わって、利 点 などなにひとつなかった。
そもそも言うならば、この街に来たことそれ自体が。
(どうなるんだ......?)
たいしたことではないはずだ。黙 っていればいい。
だが無意味に大きくなる動 悸 に、痛みすら覚える。どうなるんだ──?
チャンスなのかもしれないのだ。もしこれで......
(過去を変えることができるのなら......?)
それを思い浮かべた瞬 間 。
暗く重いなにかが、彼を押 しつぶした。
「あっちだ! 回り込め!」
曲がり角の向こうから、声が聞こえてくる。
「向こうだ! 魔 術 士 は向こうに逃 げた!」
赤い街。その印 象 が正しいかどうかは分からない──が、彼はそこをただ赤い色でしか思い起こすことができなかった。古 都 アレンハタム。遺 跡 と学問と運 河 の街。かつての王都。かつての人間種族の主 導 者 たる、ドラゴン種族が築 いた街。
「捕 まえろ! 魔術士が、人 様 の財 布 に手をつけたらどうなるか教えてやれ......」
だから赤い のか。魔術士の血 統 の赤。そしてドラゴン種族と人間種族を完全に分かつ戦争と、その後の魔術士狩 りの赤。彼は拳 を握 って、ふと立ち止まっていた。
次に来るものは分かっていた。彼が来る。自分と同じ、魔術士の彼。ドラゴン信 仰 者 ──大陸では最も端 的 な魔術士の敵──に追いかけられ、ずたぼろになった彼がやってくるはずだ。
(とすると、今の俺は十七歳 か......)
そんなことを、どこか落ち着いた心で彼は考えていた。三年前。今の自分とどこが違 うのかは分からないが、違っていたはずだ。大陸を放 浪 しながら、どこにとどまるでもなく、流れるように暮 らしていた。
見下ろす。まだ新しい、革 のジャケット。この頃 に買ったのだと、思い出す。大陸魔術士同盟の庇 護 から完全に脱 却 しようと決心して。だがそれでも、紋 章 のペンダントは捨てられなかった。
「ハアッ、ハアッ......」
聞こえてきたのは、途 切 れ途切れの息の音だった。曲がり角からふらふらと、ほとんど倒 れ込むように血 塗 れの人 影 が姿を見せる。
ひどい状態だった。既 に体 機 能 もまともには働いていないだろう。それでも意 識 を保っているのは、彼がよほど訓 練 された魔術士だという証明になるのか──ならないのか。真実一人前の魔術士ならば、そもそもこんな重 傷 を負わないだろう。
ごすっ──
と、姿を見せたばかりのその彼が、後ろから、なにか棒 のようなもので突 き押 された。そのまま力なく、地面に倒れる。
ばらばらと、追いかけて、数人の男たちが現れた。
ドラゴン信仰者たち。このアレンハタムは彼らの総本山でもある。大陸の正 統 な支配権はドラゴン種族にあると信 奉 する人間たち。
そう、あんな重傷を負う必要などないのだ。その前に、敵を一 掃 してしまえばいい。魔術士は、そのための力を持っている。
彼がそれをしなかった理由というのは──
(そういえば、聞かなかったな)
オーフェンは思い出して、苦 笑 した。単に、できなかっただけなのかもしれない。だが当時、なんとなくそれに共 感 を覚えたのも事実だ。自分と同じ──不 完 全 で、無 能 な魔術士。
「おい」
声をかける。
もとより、こちらに気づいていなかったわけではないだろう。男たちは、険 しい顔つきで向き直ってきた。
「なんだてめえは! こいつの仲間か⁉ 」
「過去を変える手伝いをしてもらいたいんだけどな」
「......あん?」
「俺を殺してみろよ。できるならな」
......リンチを受けて意識を失うまでは、何分もなかったはずだった。だが再び目 覚 めた時には、何時間も経 ったような、そんな漠 然 とした感覚を覚えていた。もっとも、どこまであてになるのか分かったものではないが。
そこは山 頂 だった。荒 涼 とした緑 と浅 黒 い空がコントラストを成 す、冷たい頂 。
どれだけ登ってそこに到 ったのか──そもそもなんのためにここに登らなければならなかったのか。実 際 それは記 憶 になかった。ただ彼は、その山頂にいた。
《塔 》支 給 の戦 闘 服 に包まれた身体 は、十分に体 温 を保っていた。実際、暑さを感じるほどに。彼はただなにもせず山頂から、その場所にだけ許 された光景を見ているだけで良かった。
空は猛 烈 に渦 巻 き、爪 痕 のような雲を幾 重 にも連ねていた。間もなく荒 れるだろう。身を守る場所を探さなければならない。だがそれでも光景に縛 られ、彼は動けなかった。眼下に広がるのは闇 のような森。稲 妻 が突 き刺 されば弾 けるのだろう。無力で広 大 な森林の帯 。
彼は震 えていた。暑さの中で震えていた。根 拠 のない失 意 に押 しつぶされ、彼は目を閉じた。
「よおう」
バーの薄 暗 がりの中、彼は頭を上げた──テーブルに突 っ伏 して寝 ていたのだ。長い夢を見ていたような気がする。とても長い夢を......
声をかけてきた相手に、意味は感じなかった。猛烈な睡 魔 に、抗 う気にもならない。空になったグラスが、ぼんやりと見えるだけだった。
「そこはよう、ガキの席じゃねえんだけどなぁ?」
声は妙 にはっきりと聞こえてきた。視界がぼやけ、がんがんと耳 鳴 りがする中で。喉 が渇 いて返事はできそうにないが、仮にできたとしても、ただ面 倒 だった。なにもしたくない。
聞こえなかったが、歓 声 のようなものがあがったらしい。退 屈 な田舎 町 の、退屈なバーで、これはちょっとした余 興 なのだろうと、そんなことが思い浮 かぶ。
「シカトかよ」
身体が動いた。
いや──自分の意志で動いたのではなかった。肩 をつかまれ、引き起こされたのだ。
「可愛 い顔したガキがよ、調子くれやがって。何 様 のつもりだ?」
本当に、なんのつもりなのだろう。
彼はなんとか、唇 を動かした。声にはならなかったが。
「分からない」
そう言ったつもりだった。
が──
「なんだと? 聞こえねえよ!」
ばたん、と音がして、視界がさらに歪 み、そしてなにかがひっくり返る。床 に倒 されたらしい。
「お、おい──」
と、別の声も聞こえてきた。
「そのくらいにしとけよ......分かってんだろ? お頭 がわざわざ街まで出向いて拾 ってきたんだ。こんなザマだが、魔 術 士 って話だぜ?」
「はったりさ!」
衝 撃 が走る。息が詰 まる。脇 腹 を蹴 られたのだろう。激 痛 を感じて然 るべきだと、彼は他人 事 のように考えていた──なにも感じなかったが。
「こんなガキになにができるってんだ! なんの役にも立ちゃしねえ! てめえらはいいさ! いいか、俺の取り分が減 らされたんだ! こいつのために!」
唐 突 に、寒さを覚える。身体が震 え、芯 からの激痛に彼は身をよじった。それが震えなどではなく、何度となく蹴り回されたせいであることは、どこかで理解していた。
ふと、べったりとした感 触 を顔に覚える──いつの間にか、吐 いていたらしい。
「いいか、今日はこのへんにしといてやる。だが無 駄 飯 食 いが、いつまでも生きていられると思うなよ!」
陳 腐 であることの利 点 は、意 図 が伝 わりやすいということだ──
彼は、まだ残っていたものをついでに吐きながら、笑い出した。そしてそのまま、眠 りについた。
夢と夢の合 間 というものがあるのならば。
自分はそこにいる。
渦 に引 き裂 かれ、そんなことを考える。
「何度目覚めた......俺は何回目覚めたんだ?」
闇 の渦に引き込まれながら、彼は叫 んでいた──
「どれが──どれが本物の記 憶 なんだ⁉ どれが夢で、どれが──」
もはやそれすら、定 かではない。どれでもいいのかもしれないし、どれも違 うように思える。
だが、気づいていた。
どれが真実の〝現在〟なのかはともかくとして。
もし記憶を逆 行 しているのなら......
次に来るのは......
「............⁉ 」
彼はもがくように、悲鳴をあげた。
ストレートなようで、どこか曲 線 を描 くような彼女のロングヘアが、風に揺 れていた。柔 らかい瞳 に涙 が溜 まって、さらに傷つきやすく見える。砂 埃 の中、ふと彼女の目に砂が入ることばかりを心配している自分に気づき、彼は苦 笑 した──そんな場合ではないだろう、と言い聞かせる。どうすればいいんだ?
そこはひなびた農 村 だった。ひなびた、とはいっても数百人の村人がごく普 通 に暮らしている。ただ、平 穏 に暮らす彼らには、相 容 れないものが多く、そして受け入れられないものも少なくなかったということだろう。それは仕 方 のないことなのかもしれない。たまたま、自分が弾 き出される側に含 まれたからといって、恨 める筋 合 いでもないのだろう。

彼は村の出口に立っていた。彼に向かって涙をこぼす少女に見送られて。
「ハル」
彼は、つぶやいた。目をそらしながら。
「もう行くよ」
できれば──
彼女はいないほうが良かった。そう思う。行かなければならないのだから、少なくともそのほうが痛 みは少なくて済 む。
だが。
彼女が下 唇 に力を入れるのを、気配で感じる。それを無視して立ち去ることはできそうになかった。
顔を上げると、彼女の声が待っていた。
「ここを出て、どこに行くの?......わたしの......せい? わたしが悪いの?」
「違うよ。君は悪くなんかない」
彼は、かぶりを振 った。彼女の肩 に触 れたいと思うが──それはできない。
「姉を捜 さなければならないんだ。行 方 不 明 のね。ぼくはそのために《塔 》を出て旅をしている。事 情 があって、魔 術 士 同 盟 もあてにできないけれど......さしずめ、はぐれ旅ってところかな?」
「行方不明人の捜 索 なんて、警 察 の仕事でしょう?」
なじるように言ってくる彼女に、笑 みを漏 らす。
「普通の場合だったら、そうだろうけど......特 殊 なケースなんだよ。ぼくが彼女を捜さなければならない。本当なら、一 刻 も無 駄 にできないんだ」
「無駄?」
その単語を、彼女は繰 り返 してきた。その瞳 に、くっきりと傷が見える。はっとして、彼は言い直した。
「違う──よ。ここにいたことが、無駄だって意味じゃない」
(まるで言い訳のようじゃないか......)
後ろ暗さに内 臓 がきしむのを感じながら。
だが、彼女は信じてくれたようだった──糸 口 が見えたというように、ぱっと表情を変えて、詰 め寄 ってくる。
「だったら!」
「ああ」
無責任なことだとは自覚しつつも。彼は、うなずいた。
「ああ。ここにいられない理由なんてないんだ。ほんの少し、もう少し頑 張 ってみたっていい......」
本当に、そうできない理由とはなんなのだろう? そう思う。
構わないのではないか? 思い出は、いつだって美しい。その中にいられれば、それでいいのではないか?
誰 に責められる......?
意 識 が空 白 になっていく。それにつれ、呼びかけだけが大きくなっていった。彼は繰 り返 し自 問 した。なにが悪い? なにがいけない?
これから起こることがなにか。知っている。ここでうなずけば、恐 らく、すべて回 避 できる。そうしてならない理由もない。どうせこの先──何年間放 浪 を続けたところで、目的が達せられることはないのだから。姉は、アザリーはどうせ見つからない。
ならば......ここにいてもいい。
ここにいてもいいじゃないか?
恐らくこれから無駄にするであろう数年間を、そしてまだ知らないその先の数十年を、ここで生きる。まず間 違 いなく、有 意 義 な一生になることは疑いなかった。排 他 的 ではあるが基 本 的 には気のいい村人たちに、なんとか受け入れてもらえるように努力すればいい。きっと彼女が手伝ってくれる。畑仕事を覚えるのも悪くない。緩 やかな人生の過ごし方を学べるだろう。恐らくきっと、それは長らく求めていたものを充 足 させてくれる。

《牙 の塔 》で外 界 のことをなにも知らずに生きてきたキリランシェロではなく。
無 価 値 なはぐれ旅を続けるオーフェンでもなく。
どちらでもない自分をここで育てられるはずだ......
答えは返ってこない──いや。
返ってこないのではない。
彼は苦 笑 した。
(分かってる。そんなこと、誰に言われなくたって、答えなんて分かってることだ)
「でも、そうだね」
なんとか微 笑 むのだ。それを自分に命じて、つぶやく。
「そうだね。実際、あの時だったら、そういう決 断 をしても良かったんだ。本当に。本当に、そう思う......」
「............?」
彼女は、理解できなかったのだろう。ただ不安げに眉 根 を寄せて、胸 元 の布を両手でつかんで身を縮 めていた。それを見つめ──続ける。
「でももう......既 にここは、ぼくがいるべき未来じゃないから──とどまることはできない。ごめん」
彼は目を閉じて、かぶりを振 った。
再び目を開けた時、見えたのはやはり天 井 だった。見 慣 れた天井。本当に、見慣れた天井。
ベッドに寝 ていた。いつもの宿の、いつもの部屋。いつも寝ているベッドの中。
ケガをしているのだろう。鈍 い刺 激 ──打 撲 の痛みが肩 と背 中 にある。オーフェンはぼんやりと、天井を見続けていた。ぽっかりと開いた意識に、出すべき言葉はすべて吸い込まれてしまったようで、喉 が動かない。
部屋にいるのは、彼だけではなかった。それは最初から気づいていた。視線だけで見やると、コンスタンスがベッドの横から、こちらをのぞき込んできている。
「......気がついた? なんか変なうわごと言ってたみたいだけど」
「............」
語るべき言葉は──
ない、と思っていた。なにも出てこないと。だがそれは錯 覚 に過ぎなかったようだった。うめく。
「ひょっとして、走 馬 灯 ってやつかと思ったよ。死ぬ時に見るっていう」
コンスタンスの返答は、にべもなかった。
「なに言ってるのよ。あんたがあれくらいで死ぬわきゃないでしょ」
「そ、そうかな。一応屋根から落っこちたんだし......」
「死なないって」
「いや、でもほら、なんつーか生 物 的 な限 界 というやつが」
「ないってば」
どうやら本気でそう思っているらしく、確信たっぷりに彼女はそう言ってきた。
「うーむ」
うなるしか言うべきことが見つからず、目を閉じてかぶりを振る。
と──
「なあ」
思いついて、オーフェンは聞いてみた。
「過去をやり直せるとしたら、どうする?」
唐 突 な問いのはずなのだが。
「わたし?」
彼女は、あっさりと答えてきた。
「この前通 販 で買った下着。業者がサイズ間 違 えてたっていうのに、うっかり期間が過ぎちゃったもんだから取 り替 えきかなくなっちゃって。あれなんとかしたいわね。人にあげるのもなんとなくやだし」
(......そんなもんか)
胸中でつぶやく。予想していなかったことではない。
「......俺はさ」
オーフェンは、嘆 息 した。
「あちこちを放 浪 してたから、どの時 点 でやり直したとしても、誰かのこと忘れなくちゃならなくなるんだよな」
天 井 を見上げ、続ける。
「でも考えてみりゃもう既 に、誰かのことを忘れてるのかもしれない」
「ふうん。出会いと別れ。生きていればだいたいそんなもんでしょ」
結局、コンスタンスはあくまで、気 楽 に言ってくるだけだった──そして、
「まあよく分からないけど、頭も軽く打ったみたいだから、ちゃんと養 生 しなさいよ。わたしはもう仕事行くわね」
「............」
嘆 息 を繰 り返し、また天井へと目をやる。実際、病院にも担 ぎ込 まれなかったのは、ケガの具 合 も大したことないということなのだろう──軽い打ち身か。
ほどなく動けるようになるだろう。半日か、一日か......
刹 那 。
「おいっ⁉ 」
がばっ、とシーツをはねのけて、オーフェンは起きあがった。立ち去りかけてこちらの声に気づいたコンスタンスに、問いかける。
「てことは、今日の爆 安 缶 詰 市 はどーなった⁉ 俺の青春はっ⁉ 」
「青春だったの?」
肩 越 しに、なぜか半 眼 になって、彼女が言ってくる。
「言っとくけど、今日のじゃなくて、昨日 のよ。あんた丸一日気を失ってたんだから。看 病 大変 だったのよ」
「ぬぁにっ⁉ 」
身体 の痛みも忘れて、叫 びをあげる。
「そんなことがあるかっ⁉ よーやく臨 死 体 験 から帰 還 したと思ったら、地 獄 に逆 戻 りか、おい⁉ 」
「そんなこと言われても」
「だってあれだぞ、おい。月に一度の缶詰特 売 を楽しみに、二月ほど前から夢にまで見てるんだぞ。そのせいで最近なんて一晩に二回は缶詰の夢を見るのに」
「なおさらそんなこと言われても」
「やだーやだーこんな現実やだー! 農村に帰るぅぅぅっ! 武 装 強 盗 団 のとこでもいいからぁぁぁっ!」
ばたばたと暴 れて、わめく。
なにやら困ったように、コンスタンスがつぶやくのが聞こえてきた......
「ったくもー、なにわけの分かんないこと言ってるのよ。あーもう、シーツ嚙 んで泣かないの」
と──
ぽん、と手を打って、コンスタンスがなにやら思い出したのか、言ってくる。
「あ、そうそう。これしか買えなかったけど」
そう言って、彼女がスーツのポケットから取り出して渡 してくれたのは──
たった一個の桃 缶 だった。
(思えば遠くに来たもんだ:おわり)


ラシィ・クルティはオフィスの机で、その時間を待っていた。正午九分前。家から持ってきた手 製 のサンドイッチバスケットはひざの上に、そしてついさっき、配 達 に来たのを受け取ったミルクパックがその上にある。椅 子 に座り、片づけ終わったデスクに向かって、身動きひとつなく、彼女は右斜 め上四十度の角度で、壁 にかかった時計を見つめていた。
秒針が、かちかちとつまらない音を立てて進んでいく。
大陸魔術士同盟 トトカンタ支 部 の司 書 官 として当たり前だが、いつもの制 服 で、ただしマントは入り口脇 のクロークハンガーにかけてある。ほつれのひとつもなく完 璧 に整えられたインナーは彼女の誇 りだった。もっとも今はそんなことも関係なく、背 筋 を伸 ばし、時間が過ぎるのを待っている。
あと八分。
内 臓 を軽くひねられるような感 触 とともに、腹の虫が鳴るのが聞こえてきた。オフィスには今自分ひとりのため、気にすることはない。と彼女は、視 線 をちらりと、オフィスのもうひとつの机へと転じた。彼女の上司のものだが、今日は風 邪 で休んでいる。主 を失った机はぽつりと平 坦 に寂 しく、ラシィもその机の心 情 を代 弁 しているような気分で、小さく吐 息 した。部 屋 にはもうひとつデスクがあるが、そちらにもひとけはなかった。こちらは彼女の同 僚 の机で、今日一日、直 帰 の出張ということになっている。
就業時間を冒 して早退するつもりなど毛 頭 なかったが、現在抱 えている仕事はほとんどが上司の許 可 なしでは進行できないもので──実を言えばこのオフィスでできることはなにもなかった。ただ座っていなければならないのも苦 痛 だが、逆にひとりだけでは、ここを空 けづらい。彼女は視線を壁の時計にもどした。あと六分三十秒。
「ようやく三時間ですぅ」
ぐったりと、彼女はうめいた。
「こんななら、なにか突 発 的 な事件でも起こってランチの時間も取れないくらいのほうがマシですねぇ」
と──
あと六分を切ったところで、廊 下 のほうから、なにやら物 音 が聞こえてきた。低く、連続する足音。かなり勢 いよく走っているらしい。ラシィはぴくりと耳を上げて注意を向けた。ここに勤 めるようになってそう長いわけではないが、この建物の間取りは熟 知 している。曲がり角。そこに置いてある防火用のバケツ(余 談 だが、小火くらい簡単に魔 術 で鎮 火 できる魔術士にとってなんの意味があるのか誰 にも答えられない)。廊下のある板を強く踏 むと、近くの扉 ががたんと揺 れる。それらの形 跡 をすべてトレースして──つまりは曲がり角の壁に激 突 し、バケツをひっくり返し、扉が開きかねないほどに床 板 のツボを踏み抜 いて、ついでに誰のものだか知らないが、はね飛ばされたのか悲 鳴 まで聞こえてきて──、その足音は急 速 に接 近 しつつあった。
刹 那 。
ばたんっ!
と勢いよく開いたのは、ラシィがいる、そのオフィスの扉だった。転がるようにして、線の細い印 象 の娘 が、飛び込んでくる。
同じ、魔術士同 盟 職 員 の制服を着ている。文字通り倒 れかねない勢いで入ってきたその娘に、ラシィは声をあげた。
「ミース? どしたんですぅ?」
同僚で、後 輩 に当たる。彼女──ミースはどこから走ってきたものか、汗 だくの顔を上げると、ふらふらとその視線をさまよわせた。とりあえず、上司を探したものらしいが。
彼が休んでいることは、もとより知っているはずである。それを確 認 して、絶望的に顔色を白くしたミースに、改 めてラシィは聞いてみた。
「えーと、なんかあったんですかぁ?」
「先輩ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
きつく両手に拳 を握 り──
ミースはこちらににじり寄ってきた。バスケットをひざに置いたまま、それを迎 えると、彼女は、
「先輩っ! 大変なことがぁぁぁっ⁉ 」
「それは見ればあからさまに分かりますけどぉ」
「いいえっ! 分かってませんっ! 本当に分かっていれば、先輩だっていっしょにこうして床を転げ回って全 力 疾 走 しつつ顔 面 からおびただしい体 液 を噴 き出 してあまつさえたまたま《塔 》から視察にきていたエルダーメンバーと廊 下 で鉢 合 わせして激 突 したあげく見 立 てでは全 治 二週間程度のケガを負わせてそのまま逃 げてきているはずですっ!」
「ていうか、そのことのほうが一大事だと思うんですけどぉ......」
あの悲鳴はどうやら、《牙 の塔》の最 高 幹 部 のものだったらしい。
ラシィはしばし黙 してから、眉 間 にしわを寄せてつぶやいた。
「それ聞いたら、ランチの時間とかなくなっちゃいますかぁ?」

「もちろんですっ!」
きっぱりと、ミースが断言してくる。や否 や。
「はッ!」
「あうっ⁉ 」
ラシィがかけ声とともに打ち下ろしたチョップに首 筋 を打たれ、ミースはその場に崩 れ落ちた。完全に気を失った彼女をよそに、ひざ上のバスケットを机の上に置いて、ミルクパックの蓋 を開け放つ。同時にバスケットも開くと、ラシィは手早くサンドイッチを両手の指の間にすべてつかみ取り、可 能 な限りの速度でそれを口の中に詰 め込んだ──咀 嚼 もスピーディーになんとか呑 み下 すと、ミルクを一気にのどに流し込む。
「ふうぅ......」
満 足 感 にため息をついて、バスケットの蓋を閉じる。再び時計を見上げた。あと一分だが──もう意味のない数字だ。
ラシィは椅 子 から立ち上がると、いまだ倒 れたままうんうんうなっているミースの後ろに回り込み、両 肩 を持って起きあがらせ、強めに活 を入れた。
ほどなく、ミースが目を見開く。
「はっ⁉ ......せ、先 輩 、い、いったい、今なにが⁉ 」
「いえなにもぉ」
彼女が不 審 に思う前に素 早 く椅子にもどって、ラシィは首を傾 げた。
「それで、どうかしたんですかぁ?」
「ですから、もー、なにがなんだか大変なんです! これを見てくださいっ!」
「?」
ミースが懐 から取り出した──同盟司書官制服のマントの裏側には、書類ホルダーがついている──のは、一 束 のファイルだった。さほど古くもないが、新しくもない。どうやら名 簿 らしいが、機 密 というほどのものでもない。目を引く点があるとするならば、それは......
「これ、あなたが今 朝 持ってったやつじゃないですかぁ?」
書類を受け取って、ラシィは疑問の声をあげた。
「『《牙 の塔 》発行/行 方 不 明 者 追 跡 報 告 書 ・西 南 編 』......」
「その、一ページ目ですぅぅぅぅっ⁉ 」
悲鳴じみたミースの叫 びと同時に、昼休みの開始を告げるベルが響 いた......
「どういうことですかぁぁぁぁぁっ⁉ ...」
いきなり扉 を蹴 り開けて、なにやら床 を転げ回って全 力 疾 走 しつつ顔面からおびただしい体 液 を噴 き出して──とまあ、そんなような様子で飛び込んでくるなりの第一声がそれでは、対 応 できる選 択 肢 がそう多いとは言えなかった。
ただ困って見返すというのもそのひとつであるし、そしてまたもうひとつとして、オーフェンは聞き返した。
「......なにがだ?」
いつもの黒ずくめの格 好 で、やはりいつもの食堂にいる。時間帯もまあ、いつもの通り、ゆっくりと起き出して食事を済 ませたところである。胸 元 にある、銀 製 のペンダント、大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》の紋 章 であるそれを手で弄 びながら、彼はラシィの返事を待った。
待つ──ぜえはあと息を整えようとしている彼女、ラシィの様子を見て、もうしばらく待たねばならないと判断し、オーフェンはその場にいるもうひとりの女に視線を転じた。
「んで、なんだって? コギー」
「それがね」
答えてきたのは、スーツ姿の、どこか子供っぽさを残した女だった。コギー──コンスタンス・マギーというのが本名だが、彼女はテーブルに両 肘 をついた姿 勢 で肩 をすくめて言ってきた。
「たーいへんなのよ。最近ずうっとデスクワークばっかりで。それは別にいいんだけどさ、内 勤 だと、四 六 時 中 、あの部長が近くにいるわけでしょお? まーったくホント、昼 食 だって抜 け出してきたけど、今日もこれから急いでもどって会 議 の資 料 まとめないと、ナントカ部下二回転半ひねり機だかなんだかをまた作ってたもの、あのむっつり詐 欺 師 改 め、趣 味 の拷 問 師 」
「へえ」
「ってわけで、命 が危 ないからもうそろそろ行くけど......彼女、準 備 できたみたいよ?」
と、コンスタンスがラシィのほうを指さす。
見てみると、実際ラシィはなんとか息を整え、こちらをじっと見つめてきていた──というより、にらみつけてきているといったほうが近いかもしれない。
なんとなく気まずいものを感じ、少し後ずさりしながら、聞いてみる。
「えーと......ラシィ?」
「モグリさぁぁんっ⁉ 」
彼女は、いきなり叫 んできた。ざっと詰 め寄 ってくると、こちらの胸 ぐらをつかんで、まくし立ててくる。
「モグリさんっ! モグリさん、前に、自分のことなんて名乗ってましたっ⁉ 」
「え? いやあの......オーフェン、だけど......」
「孤児 ......」
確 認 するように、口の中でうめくのがかすかに聞こえてくる。
ラシィの手が外れると、ふらり......と彼女は、一歩後ろに退いてみせた。よく見ると、ゆっくりと頭が左右に揺 れている。なにか衝 撃 を受けたらしい。
「?」
さっぱり分からずに、オーフェンは、まだいたコンスタンスに目で問いかけた。こちらも、不 思 議 そうに目をぱちくりさせるだけだったが。
「モグリさんっ⁉ 」
再び、ラシィが詰め寄ってきた。が、今度はつかみかかってはこない。ただ同盟職員制服の、赤と黒のマントの懐 からなにかファイルのようなものを取り出して、それを思い切り、机の上に叩 きつけた。
「これをっ⁉ 」
とだけ、叫ぶ。勢 いに負けたような心 地 で、オーフェンはそのファイルに視線を向けた。表紙には、簡 便 に一 言 、タイトルがある。

『《牙 の塔 》発行/行 方 不 明 者 追 跡 報告書』......
(《塔》......行方不明者......?)
背 筋 を凍 らせるような単語が、脳 内 に刻 まれる。
ごくりと唾 を呑 み込 んで、オーフェンは顔を上げた。ラシィは顔を紅 潮 させて、眉 をVの字に逆 立 たせ叫んでくる──
「この一ページ目! いきなりですぅ! モグリさん、いいですかぁ、そういうことだったら言ってくれれば良かったんですぅ! モグリさんがあの伝 説 的 な──」
「────っ⁉ 」
ごすっ!──
瞬 間 、ラシィの言葉が止まる。
どさり、と音を立てて、テーブルの上に倒 れたのは、コンスタンスだった。とっさにテーブルの上を跳 び越 えたオーフェンに、脳 天 を拳 で一 撃 されて。
「......へ?」
虚 を突 かれたように、間の抜 けた声をラシィがあげる。オーフェンは、コンスタンスがしばらくは目を覚まさないことを見て取ると、ラシィへと向き直った。
「え? えーと......あの、だな」
頭の中が混 乱 し、うまい単語が浮 かんでこないが──それでも相手にしゃべらせないために言葉を吐 き出す。オーフェンは、嚙 みしめるようにうめいた。
「なんの話をしてるんだ? ラシィ。よく分からないんだが」
「......あのあの」
すっかり勢 いをそがれたように、胸 元 に両手をまとめて、彼女が聞いてきた。テーブルに突 っ伏 すように気 絶 しているコンスタンスを見ながら、
「今なんで、その人殴 ったんですかぁ?」
「いや......まあ、そのだな、気にするな。ええと、おお、そうだ。その書類。ほら、部 外 者 には機 密 っぽいじゃん」
「じゃんとか言われても、別にこんなのたいして機密でもないですけどぉ......」
「あ、ああ、そーなんだ。まあいいや。で、なんだって?」
「ええとぉ......」
ラシィは少なからず躊 躇 したようだったが──それでも、テーブルの上に自分で叩 きつけたファイルの表紙を、さっとめくってみせた。
「これですぅ」
少し、声が震 えたようにも思う。
彼女が指し示したのは──
《牙 の塔 》にて優 秀 な成 績 を修 めた──いや、修めるであろうと目されながらもそうはならなかった、とある魔 術 士 の記 録 だった。
アーティスティック・バトル・アスリート──戦 闘 芸 術 品 。
あるいは単に、芸術ぶった殺し屋 さと揶 揄 する者もいたが、それは無理からぬことだったのかもしれない。歴史ある大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 《牙の塔》において、まさしく〝最強〟と冠 されたその魔術士は、まだほんの少年に過 ぎなかったのだから。
キリランシェロ。
大陸において並ぶ者がいないとされる大魔術士に師 事 し、実際にはそれを超 えたと噂 する者もいる。戦闘技 術 、特に無 条 件 の殺 傷 を目的とした暗殺 技術におけるエキスパートとして、彼は訓練された。歴史に残る、十五歳 という若さで宮 廷 魔術士《十 三 使 徒 》への召 喚 がかかり──その審 問 に失敗し、その直後《牙の塔》を謎 の出 奔 。以後、その行方はようとして知れない。
とうに死んでいる、審問の失敗を恥 として《塔》の地下に幽 閉 されている、実は宮廷で極 秘 裏 にイリーガルの任務についている、過去をすべて捨てどこかで麦でも育てている......等々、現実性に関しては大なり小なり問題はあっても、考えられる可能性はいくらでもあった。
実を言えば、こうした行方の知れない魔術士というのは少なくない。特に《塔》のような偏 った教育方針のもとで学び、独 立 心 を発 達 させれば、管 理 を嫌 って飛び出す者が増えるのはむしろ自然なこととも言えた。そういった中には、それこそとうに死んでいる者から、麦を育てている者まで、どのような者もいる。
ただ言えるのは、彼らのように、一 時 の激 情 あるいは倦 怠 で、魔 術 士 同盟の庇 護 からいったんは飛び出した者にも、温 かい故 郷 に帰 還 する権 利 はあるということだった──そういった観 点 から、行方不明者の追 跡 調 査 は常に専 門 のトレーサーを雇 い入 れて行われており、各地で発見され次 第 、最 寄 りの同 盟 支 部 の職 員 が、当人に接 触 ・帰還を促 すことになっている。トトカンタ市においては、ラシィの所属する生活向上委員会がその役となっていた。
「と・いうわけで──」
ばん、とファイルを手のひらで叩 いて、ラシィは続けた。目の前で、ひきつった表情を見せているオーフェン──だとかなんとか名乗っているようだが──、つまりはモグリ氏に。
「これを読んでみれば、わたしの言いたいことはすぐ分かると思いますぅ」
告 げる。
彼は嫌 そうな眼差 しでファイルを見やると、意味のないうめき声をひとつ、あげた。
「う〜ん」
「いいですか、専門のトレーサーが、こう報告してるんですぅ──『件 の魔 術 士 は《塔》を出 奔 してより、オーフェンと名乗っていることが分かっている。数々の非 合 法 行 為 を重ねながら各地を転々とし、一度ならず、明らかに我々の追跡をかわそうとする行動を見せているところから、接触には慎 重 を要する。残念ながら足 跡 はロストしたが、縁 者 から、彼をトトカンタにて発見したという情報もある。が、いまだ確 認 されていない』」
「縁者?」
少し気になったのか、奇 妙 な面 持 ちでモグリ氏が聞き返してくる。ファイルを指さして、
「そのキリランシェロとかいう魔術士には、血 縁 のある親 類 はひとりもいないとか聞いたことあるけどな」
「......よくは分からないですけど、多分顔見知りとかじゃないですかぁ? 同盟には《塔》出身者も多いですからぁ」
と、言いかけて、ラシィは言葉を切った。目をぱちくりしてから、声をあげる。
「って、モグリさん、今なんて言ったですか?」
聞く。彼はすっかり落ち着いて、椅 子 に深く腰 掛 け、こちらを見返してきていた。やや大きな仕 草 で両手を広げると、種明かしでもするように答えてくる。
「いや、だからな、つまり、君にゃー悪いが、俺はそのキリランシェロだとかいう魔術士のことは知らねえってことだよ──ってまあ、噂 で聞いた程度のことは知ってるけどな」
「............」
彼の言ったことを反 芻 するように、沈 黙 する──彼女自身が黙したというよりは、この空間そのものがそれを望んだようにも思えた。
静 寂 の狭 間 に、うめき声が聞こえてくる......
「うーん......うーん......にかいてん......はんひねりぃ......あうう......高いの嫌 ぃぃぃ......」
見ると、先ほどひどく殴 られたうえ気絶したなんとかいう女がうなされていた。まあ、どうでもいいことだが。
ラシィは半 眼 になって、彼へと視線をもどした。下ろしたまぶたの縁 が、彼の頭にかかっている。
息をついてから、つぶやいた。
「......じゃあ、モグリさんが、オーフェンなんて名乗ってるのは、偶 然 だっていうんですかぁ?」
「い──いや、だから、その、よくある名前だろこんなの?」
「断じてないですぅ、そんな名前ぇ」
がたがたとテーブルを揺 さぶって抗 議 するが、彼は、さっとあさってのほうを向くと、声のトーンを高くした。
「いや、よくある名前なんだってホント。俺の田舎 じゃ、向こう三 軒 両 隣 、家 族 みんなおんなじ名前で」
「じゃあ、学校で出 欠 取る時、孤児 孤児孤児孤児って呼び続けるんですかぁ? お誕 生 日 の時、家族みんなで和 気 あいあい、はっぴばーすでー孤児、とか歌ってるって言うんですかぁ⁉ 」
「む、むう。それもなかなかスリリングな思い出だな」
「そんなはずがないじゃないですかぁっ⁉ 」
がたん──とこれは、ラシィが席を立った音だが、彼女は立ち上がりながら、声をあららげた。
「なんにしろ、確実に確 認 できる、簡単な方法があるんですぅ! モグリさんには、ちょっとつきあってもらいます!」
「いやいきなり、ンなこと言われても──」
「いやもおうもないんですぅ! いいですか、わたしの上司に会ってもらうですぅ! そしたら、多分きっと分かります。キリランシェロって魔 術 士 は、有名だったはずですからぁ、顔くらい見たことがあるはずです。わたしの上司も──」
ファイルをつかみ、マントのホルダーへとねじ込んで、半ば叫 ぶように続ける。
「彼も《牙 の塔 》の出身者ですぅ!」
彼の下 宿 先 の住所は、あらかじめ調べてあった。ミースの報 告 があってから、あわてて飛び出してきたのだが──担 架 に乗せられて運ばれようとしていた偉 そうな中年の魔術士を思い切り踏 みつけたような記 憶 もあるが、定かではない──、一応まだ冷 静 な部分は残っていたらしい。
キンブリン・ストリートは、トトカンタの一部の人間が生活するような山の手というわけではないが、ごく一 般 的 な繁 華 街 で、家 賃 と便 利 さをバランスよく解決したいなら、打ってつけの場所だった。上司がそのあたりを期待してここに部屋を決めたのは明らかであり、そうでなければ魔術士同盟で部下を持つ立場の人間が住むようなところではない。
そんなに混んでいるわけでもない雑 踏 を、モグリ氏の手を引いて進みつつ、ラシィは低くうめいた。
「だいたいですねぇ、社会の庇 護 のもと教育を受けておきながら、自分の都 合 でそこを飛び出すなんていうのは、わがままというものなんですぅ」
「いや、だから、俺はそのキリランシェロとかいう奴 のことは知らないってのに」
「そんなふうに空とぼけても無 駄 ですぅ! いいですか、わたしこれでも、人を見る目は確かなんですぅ!」
「そ、そーかなー。なんとなく説 得 力 感じないんだが......」
「なに言ってるんですかぁ。わたしって、人の背 中 見ただけで性 格 当てたりとか、前 世 を占 うのとか、得意なんですよ」
「いや、それは、そーゆうことなのか?」
そんなことを言い合いながら進み──
たどり着いたのは、ドラッグストアの二階にあるアパートだった。二部屋あるが、階段を昇 って手前のほうの部屋である。
「ここですぅ!」
ラシィは誇 らしげに、胸を張った。モグリ氏に向け、説明する。
「ちょっと手 狭 だし、役 職 には不 相 応 かもしれませんけど、若い独 身 者 には便 利 なとこかもしれないですね」
が、それを聞いているのかいないのか、
「............」
モグリ氏はといえば、なにやら険 しい顔つきで、部屋の表 札 など凝 視 していた──なにか名前に引っかかるところでもあったのか、よく分からないが。
まあ、気にしても始まらない。彼が大人 しくしているのなら好 都 合 だった。逃 げ出すのではないかと不安だったのだが。
ラシィは、腕 を振 り上げて、声 高 に呼びかけた。
「あのあの、こんにちはぁ! わたしですぅ!」
叫 びながら、げしげしと扉 をノックする。安 普 請 のドアが、隙 間 のある扉 枠 の間で不安定に揺 れた。
そして──
たっぷり一分ほど叩 き続けてから。
ラシィは動きを止めて、つぶやいた。
「出てきませんねぇ」
「留 守 なんじゃねえのか?」
と、扉を指さして、モグリ氏が、なぜか疲 れたような口調で言ってきた。ラシィは首を左右に振ると、
「そんなはずないですよぉ」
再び扉へと向き直る。
「病気で休んでるんですから......はっ⁉ 」
ふと、脳 裏 に閃 くものがあった。さっと、モグリ氏の顔を見上げながら、後ずさりする──なんとか安全かと思える距 離 、まあ二歩ほどだが、そこまで離 れてから、聞く。
「まさか、モグリさん、自分の正体を見 破 られることを恐 れて、前もって彼を毒 殺 したんですかっ⁉ 」
「なんでだっ⁉ 」
弾 かれたように、モグリ氏が叫んできた。
「君が──ええと──なんだかわけの分からないことを言い出してから、ずっといっしょだったろーがっ! いつそんな時間があったんだよ!」
が、ラシィは疑 わしく顔をしかめると、かぶりを振った。腕 組 みし、告 げる。
「......わたしが聞いたところによれば、キリランシェロという暗殺技能者 は、不 可 能 を可能にし、不自然を自然とする、まさしく超 常 不 可 思 議 マジカルボーイだったそうです」
「誰がだっ⁉ ──じゃない、なんなんだそれはっ⁉ 」
「こんな伝 説 がありますぅ! 数年前まで《牙 の塔 》の屋 根 のてっぺんには、一本のポールが立っていたのだそうです──屋根へ出られる通 路 はとうに朽 ち果 て、誰にも触 れられるはずのないそのポール! しかし、二年前、《塔》の大 規 模 な改 修 工 事 が行われた際、そのポールに、落書きと思 しき、キリランシェロというサインが発見されたのです」
「ちょっと待て──」
なにやらモグリ氏が制 止 しようとしてくるが、ラシィは気にせずあとを続けた。
「さらに、こんなことがっ! 被 害 者 のAさん(仮名)は、夜の教室でひとり文 化 祭 の準 備 をしていました──」
「あのな。だから、いや──とにかくまず、なんだその被害者ってのは」
「気にしないでください。ただでさえ不 気 味 な夜の学校で、ひとりで居 残 って退 屈 な作 業 ......もちろんAさんはさっさと終わらせて帰ろうとしていたんですが、どう考えても真 夜 中 まで終わりそうにありません」
ぐっ、と拳 を握 って、苦 悩 を表す。
「それでも地 道 に作業を続けるAさんが、ふとトイレに行きたくなりました。夜の廊 下 を怖 々 と行って帰り......そして、教室にもどった時、Aさんの見たものはっ⁉ あ、ここクライマックスなんですからちゃんと聞いてくださいぃ!」
知らんぷりしてそっぽを向こうとしているモグリ氏の顔をつかんで引きずりもどし、続ける。
「果たして、Aさんの見たものは......窓から見える、朝 日 だったのですぅ! そんなはずはない、まだ真夜中にもなっていないはずと時計を確かめても、確かに朝でした。そして作業はすべて終わっており、教室の黒板には、キリランシェロという謎 の文字が......」
「謎⁉ 」
「と、このよーな不可思議な伝説や逸 話 が、百も二百も伝えられているんですよ⁉ 」
「噓 つけぇぇぇっ⁉ 」
往 生 際 悪 くわめくモグリ氏はほうっておいて、ラシィはうんうんと何度もうなずいた。確 認 するように、つぶやく。
「そんなわけですから、わたしといっしょにいたはずのモグリさんがここへ先回りして、自分の正体を見破るかもしれない人間を抹 殺 していたとしても、なんの不思議もありません」
「いや、そもそも今の伝説とやらも、ふたつとも暗 殺 技 能 者 と関係ないし」

「でもっ!」
ラシィはマントを翻 すと、振 り上げた指先を彼に向けた。そのまま糾 弾 する。
「それなら、わたしの上司を殺 害 したことをどう申 し開 きするんですかぁっ⁉ 」
「単に留守なだけだろーがっ⁉ 」
と──
ばたんっ! と、隣 の部 屋 の扉 が勢いよく開いた。振り向くと、中からぼさぼさの頭の痩 せた男が、血走った目で怒 声 をあげてくる。
「やかましいっ! 俺ぁ夜 勤 なんだ! 寝 かせろっ!」
何度もそうしたのだろう──いらだたしげに髪 の毛をかきむしる。パジャマもボタンを掛 け違 えていた。
「その部屋の野 郎 なら、今 朝 、どっかの女といっしょに出かけていったよ! 仕事さぼって遊ぶのが醍 醐 味 だとかなんとか騒 いでやがったから、静かにしろと蹴 りくれてやったんだ! いいか! 分かったか! 分かったら静かにしろっ! いいな⁉ 」
確認を取りながら、こちらの返事などまるで待たずに、男は出てきた時と同じ勢いで扉を閉め、姿を消した。
「............」
しばし、沈 黙 してから──
ラシィは、ぽん、と手を打った。あさっての方向に独りごちる。
「何者かの見えざる手による、広 範 囲 かつ巧 妙 な情 報 操 作 に、わたしラシィ・クルティは、敵 対 している勢 力 の思いがけない強大さに戦 慄 を覚えていた......」
「いや。なんのナレーションだ、それは」
冷たく、モグリ氏が言ってくる。ラシィはまたかぶりを振ると、出していた腕 をマントの下にもどした。
「いえ、分かりましたモグリさん......ここはひとつ、わたしの負けということにしておきますぅ」
「ひとりで勝手に負けた感じだったが」
「ですがっ! わたしは負けたかもしれませんが、真実は決して負けませんん! キリランシェロの謎 がいくら人 心 を惑 わし、社会の歪 みに隠 れ潜 もうと──」
「なんで人心が惑うんだ⁉ 」
「隠れ潜もうと! そこに在 る真実はたったひとつですぅ! この世界に、永遠に隠し通されてきた秘密なんてひとつもないんですからぁ! いいですか、モグリさんが隠しているつもりでいることなんて、いつか絶対みんなに知られるんですよぉ!」
「だから俺の話を──」
どばんっ!──
............
「............」
再び、扉が激しく蹴 り開けられる音。その音の意味していることは、ひとつだけだった。慎 重 に、音を立てず、そちらを見やる......
「......へっへっへっ......」
男はどうやら、笑っているようだった。口から泡 がこぼれているような表情を笑 みと呼ぶのならばの話だが。
男の髪 は、控 えめに言っても、数十秒前に見た段階より二倍はくしゃくしゃになっていた。パジャマのボタンはふたつほど外れており、爪 でも立てたのか、喉 やら胸 やらにひっかき傷がある。
そして、手に包 丁 を持っていた。
じわじわと、扉から外に出ようとしている。
「へっへっへっへっ......」
「あ、ははは......」

ラシィはモグリ氏と同時に笑みを浮 かべ──密 林 で大 蛇 に出会った時にのみ可 能 な、素 敵 な笑顔をだ──、ゆっくりと、後ずさりしながら、その場をあとにした。
場所を変えたといっても、そこからさほど離 れているわけでもない屋 外 カフェで、オレンジジュースを注文してから、ラシィはテーブルに両 肘 をついた。頬 杖 して、うめく──
「でもやっぱり、納 得 がいかないですぅ」
「君もしつこいな、いい加 減 」
モグリ氏は、嘆 息 混 じりにそう言ってきた。彼が頼 んだのはコーヒーだった。まあどうでもいいが。
ラシィは顔を上げた。眉 間 に力を入れて、
「しつこくないですぅ。大事なことなんですからぁ」
告げる。彼女はテーブルに肘をついたまま人差し指を立てた。モグリ氏はこちらを見ようとしていないようだったが、構わずに説教する。
「いいですか、さっきも同じようなこと言いましたけどぉ、そもそも人は能力によって得 をするなんてことはないんですよお。優 れた能力を持ったなら、それ相 応 のことをして社会に役立つ責 任 と義 務 が生じるんですから。モグリさんが、名前まで変えてそれから逃 れようとしているのなら、それはずるいことなんですぅ」
「まあ、あれだ──買いかぶってもらってることについては、ありがとうと言っておくよ」
「ぶう」
ラシィは膨 れて、言葉を止めた。なにを言っても、証明する手段がないのではしようがない──明日、上司には文句のひとつも言ってやろうと心の中で誓 いつつ、あとはもうジュースが来るのを待って黙 り込む。
コーヒーのほうが先に来た。モグリ氏もまた、ずっと黙 していたが、ミルクと砂 糖 を入れながら、ふと、口を開いたようだった。
「でもな」
それは、思わず雑 踏 に紛 れて聞き逃してしまうような、そんな声だった──
「社会だとか責任だとか。そんなことより、やらなけりゃならないことが俺にはあるからな」
「............」
ラシィは、聞き逃さなかった。彼に向き直って、聞く。
「それって、認めるってことじゃないですかぁ?」
彼はちょうどカップに口をつけたところで──テーブルから見上げるラシィには、ちょうど表情が死 角 になっていた。それは狙 ってのことなのか、どうなのかは分からない。ただカップを下ろして、顔を見せた時には、彼はなにか面 白 がるような、そんな目を見せていた。
「さあね。だが君だって魔 術 士 だ──確 証 もないのに、早まった真 似 なんかしないと信じてるよ」
「............」
そう言われてはなにも言えず、じっと彼を見返す。
その時だった──というわけではない。実際には、もう少し時間を待ったのだろう。ただ時を意識していなかったため、それはほんの一 瞬 後 の出来事のように思えた。
道の遠くから、声が聞こえてくる。
「先 輩 ぃぃぃぃっ! どこですかぁぁっ⁉ 」
「......ミース?」
ラシィは、疑 問 符 を上げて独りごちた。上司の下宿に来ることは、確かに言ってあったが......
呼び返してやるまでもなく、向こうが目ざとくこちらを発見したようだった。すぐに向きを変え、人ごみを押 しのけて、声が近づいてくる。
「先輩ぃぃっ! 謎 が解けましたぁぁっ!」
ミースは走って現れた。ばたばたと騒 がしく、テーブルの近くまで転がり込んできながら、懐 からなにか紙片のようなものを取り出してくる。
「追 加 資 料 があったんですっ! サクセサー・オブ・レザー・エッジ、キリランシェロの──参考にと添 付 されてあった、写真ですっ!」
「なにぃ⁉ 」
と、これは、モグリ氏があげた声。だが、それを押しのけて、
「なんですってぇ⁉ 」
ラシィは、歓 声 をあげながら、彼女の差し出してきたものを受け取った。
それは焼き増しされたものなのか──スナップ写真だった。黒いローブをまとった人物が三人、フレームに入っている。その中で男性はひとりだけだったため、誰がそうなのかと聞くまでもない。
「あああああっ⁉ 」
モグリ氏が、また悲鳴じみた声をあげるのが聞こえてくる。
「............」
その声は無視して、写真をのぞき──
真実は、そこに在 った。
確かにここに在る。
ラシィは、つぶやいた。
「なんだ......他人じゃないですかぁ」
「......へ?」
きょとんとしたような、モグリ氏の声。
「ですね。早とちりだったようです、先輩」
眉 間 にしわを寄せてミースも言ってくる。
写真に写っているのは、やはりともに有名な魔 術 士 である姉ふたりにはさまれた、素 直 そうな少年だった。カメラに向かってはにかんだような笑 みを見せている。かの伝説の魔術士が、今から五年前に《塔 》を出る直前のものだろう。足 下 には黒い子 猫 の姿があった。
「えーと」
なにやら、写真を指さし、そして汗 など垂らしながら、モグリ氏が言いよどむように困 惑 の顔を見せている。
ラシィは嘆 息 して、彼に向けて頭を下げた。
「なんだか、お騒 がせしてすみませんん。完全に人 違 いだったようですぅ」
「あのさ」
「確かに言われてみれば、オーフェンって、よくある名前かもしれないですよねぇ。わたしの従兄弟 の友達にも、そんなような名前があったよーな」
「ええ先 輩 。自分の幼 少 の頃 の家 庭 教 師 もまた、そんな名前だったよーな気がします」
「えーと、いや、ホント? それ。君たち」
「まあ、人違いでしたから、モグリさんが社会に迷 惑 をかけながらも社会の慈 悲 で生き延びるのも、まあ能 力 相 応 のことなのかもしれないですね。無理な要求をしてしまったようで、すみませんでしたぁ」
「おいっ⁉ 」
なにやら異 論 でもあるのか叫 んでくるモグリ氏にもう一度ふたりで頭を下げてから、ラシィは改めて拳 を握 った。まだ日は高い。終業時間までには間がある。
「さあ、ミース! 人違いだと判 明 したところで、もう一度スタートからやり直しですぅ! 頑 張 って、このキリランシェロ君を捜 しましょう! こんんな可愛 い子が無 慈 悲 な世間の狭 間 でつらい目に遭 っているなんて、許せませんん!」
「先輩、彼は我々より年上のはずです」
「あ、ならきっと、かっこよくなってるに違いないですぅ。さあミース、行きましょう!」
「はい、先輩っ!」
「おーい」
背後から──いつの間にか遠くなっていた背後から、モグリ氏の声が聞こえてきたりもしていたが。もう人違いに関しては謝 ったのだから、気にする必要はない。
この街のどこかにいるかもしれない伝説の魔 術 士 のことを考えながら、ラシィは足早に進んでいった。
(こんな俺に誰がした?:おわり)



雨はしばらく降 り止 む気 配 もなく、灰色に煙 りながらノイズを響 かせていた。雨 粒 が地面を、家々の屋根を、そして買ったばかりのお気に入りの傘 を、激しい楽曲のように叩 く。それに関して言えば、それは静かな祭りのようなもので、たとえ暗い帰り道に水しぶきで肩 と膝 を濡 らしながら歩かなければならないとしても、コンスタンスは雨が嫌 いになれなかった。
とはいえ、
(......早く帰らなくちゃ、風 邪 をひくかもしれないけどね)
そんな現実的なことも考えながら、帰 途 を急ぐ。
もう、裏 通 り。慣れた道──いつもの宿 の食堂に、自然と足が向かう。トトカンタの夜道はひとけがなく、雨の中ひとりで歩くにはあまり適していない。あまり現実感こそないが、このあたりは風邪だけでなく、もっと好ましくないことも起こり得る界 隈 ではあった。急ごうと思ったのには、そんな理由もある。
と。
雨音に紛 れ、なにかが聞こえてきたような気がして、彼女は足を止めた。耐 水 性 に優 れているとは言い難 いパンプスが、小さな水たまりの中にぴちゃりとつま先を落とす。
顔をしかめながらも、コンスタンスはあたりを見回した。好ましくないこと、そんなものが脳 裏 にリストアップされていく。左手が自然と、スーツのポケット──官 給 品 のダーツへと伸 びる。
が、耳をすませると、聞こえてきたのは、危 険 な物音ではなかった。呼び声、といってもいいかもしれない。それはうめき声ではなく......というより、人の声ではなく。
赤ん坊 の泣き声にも似ていたが、違 った。音の源 はそう遠くない。見やると、近くの隅 に、蓋 をされた段ボール箱がひとつ置いてあった。
直 感 的 に、声はそこから聞こえてくると判 断 して、コンスタンスは箱に近 寄 っていった。今ではもう、それがどういったことなのか、完全に理 解 できる。
(ひっどいことするわねー)
コンスタンスは顔をしかめて、段ボール箱の前で足を止めた。
(こんな日に捨 て猫 なんて。風邪ひいたらどうすんのよ、まったく)
段ボール箱の中から聞こえてくる鳴 き声は、人の気配を感じてか、さらに高まってきた。とりあえず蓋を開けて見てみようと、手を伸ばす──伸ばした、刹 那 。
「────っ⁉ 」
声にならない悲 鳴 を、コンスタンスはあげた。突 然 横から、手首をつかまれたのだ。
とっさに身をよじって振 り向くが、たいした役には立たなかった。腕 をつかむその手は痛いほどにきつく、びくともしない。手が滑 って、傘 が地面に落ちた。雨 粒 が、今まで狙 っていたとでもいうように、いっせいに髪 を、顔を叩 いてくる──
改 めて、彼女は悲鳴をあげた。
「............ん?」
オーフェンは、ふと食堂の天 井 を見上げた。あたりを見回して、解 せずに眉 根 を寄 せる。
「なにか言ったか? マジク」
聞く。食器を片づけながらその金 髪 の少年は、きょとんとかぶりを振っただけだった。
「いいえ。どうしたんですか?」
「うーん。なにか聞こえたような気がしたんだけどな」
オーフェンはうめくと、グラスに残っていた水に口をつけた。濡 れて透 き通 った氷が、澄 んだ音を立てる。
朝からの雨は降り止 む気配もなく、こうして屋 内 にいてもそれが知れた。トトカンタではこんな雨は珍 しいが、年に数 回 、ないわけではない。
と──
「いいえ! 確かに聞こえましたぞ、黒 魔 術 士 殿 !」
ばんっ! と入り口の扉 を開いて姿 を現 したのは、ぴっちりとタキシードを着 込 んだ、銀髪の青年だった。蛇 のような透 明 な瞳 には、相 変 わらずなんの表 情 も意 図 も表 れてはいない。雨の中、傘も差さずにいたのか、ずぶぬれだった。ついでに、頭の上に三 毛 猫 が座 っている。
「............」
特に変わったことはないようなのでじっと見ていると、猫が一声、にゃあと鳴いた。
その下で、タキシードの男が、強く拳 を握 って叫 んでくる。
「というわけで、黒魔術士殿! コンスタンス様を救うため、ゴーですっ!」
「............」
今度の沈 黙 は、よく意味が分からなかったからだった。
しばし待つ。待ちながら、オーフェンは聞き返した。
「......なに言ってんだ、キース?」
その男──キースの頭の上から、ぴょんと、猫が飛び降りた。そのまま、食堂の床 を探 検 し始める。つい注意がそちらに向きそうになるのをなんとか引きもどして、オーフェンは彼の答えを待った。
キースは雨の滴 をしたたらせながら大 股 で入ってくると、いつもの早口でよどみなく言ってきた。
「黒魔術士殿が聞いたもの、それは悲鳴です。コンスタンス様が悪 者 に遭 遇 し、危 機 に遭 っていることは疑 いないところ。さあ、黒魔術士殿」
「......て言われてもな」
オーフェンは、しぶってまた聞き返した。キースはもう、近くまで来て足を止めている。
「なんか聞こえたなーと思っただけで、人の声かどうかも分からなかったし」
「いいえ、黒魔術士殿。ここは目つきの悪い邪 悪 な黒魔術士が不 法 に居 座 るよーな、危険チックな街。いたいけなコンスタンス様が暮 らすには過 酷 な場所でございます」
「......まあ引っかかる部分は置いとくとして、いたいけって、あいつ一 応 警 官 だろ」
だが、キースはずい、とのっぺりした白い顔を前進させてくると、きっぱりと言ってきた。
「そんなことどなたが信じます?」
「ンな核 心 を突 かれても」
「どうも本日は、ここに来るのが遅 いとはお思いになられませんか?」
「いや特に。雨降ってるし、真 っ直 ぐ下 宿 に帰ることだってあるんじゃねえか?」
「いいえ、間 違 いございません。コンスタンス様は、誘 拐 されたのです」
「どーして」
聞く。と、キースは無 表 情 のまま、ずぶぬれの自分の姿を手で示した。
「現場で一 部 始 終 、見ておりましたから」
「助けろよっ⁉ 」
叫 ぶ。が、キースはまったく動じないようだった。
「黒 魔 術 士 殿 、存 じませんか?」
「?」
「古 人 はかく申 されました」
「おう」
「せいてはことをし損 じる、と」
「ええっ⁉ 」
「ですから──」
と。
なにかを続けようとしたのだろうが、キースの言葉がそこで止まる。
オーフェンは半 眼 で、じっと彼を見 続 けた。そのまま、数十秒が経 過 する。
「............」
「............」
「............」
「............」
「......ほら、収 拾 がつかなくなったじゃねえか」
「むう。困りましたな」
さほど気にしていない様 子 で、キースが、はっはっと笑う。
「なんにしろ、お前の冗 談 に付き合ってる暇 は......まあないとは言わんが、気 力 が持たん」
ぶつぶつぼやきつつ、オーフェンは立ち上がった。と、先ほどキースが現れたのと同じように、今度は食堂の、厨 房 の扉 が開く。
「お待ちください、オーフェン様!」
勝 手 口 から入ってきたのだろう──ひらひらしたスカートはやはりずぶぬれでしぼんでいた。帽 子 のつばからぱらぱらと落ちる雫 を振 り払 うように腕 を上げ、入ってきたのは若い女だった。栗 色 の髪 を伸 ばした、どこかぼんやりした表 情 を見せる眼 を、今は眉 が強く引 き締 めている。
彼女はきっぱりと断 言 してきた。
「キースの言っていることは真 実 ですわっ! さあオーフェン様、わたしとともに、コギー姉 様 の危 機 を、まあなるたけ実害のないうちに救 いましょう!」
「おお、ボニー様、立 派 ですぞ!」
いつの間にか彼女の横に移 動 していたキースが、ぱらぱらと紙 吹雪 を投げている。
「ボニー......」
オーフェンは半眼のまま、彼女──ボニーを見つめた。
「お前らな、ただでさえこの雨で鬱 陶 しいってのに、わざわざ外で濡 れネズミになって、つまらんことで人をかつごうなんざ──」
と。
ふたりが、じっと真 顔 でこちらを見ているのに気づく。目をぱちくりさせているボニーと、しれっとした顔で紙吹雪を投げ続けるキースと。
なにか、嫌 な感 触 とともに、オーフェンは悟 った。思わず乗り出して、叫 ぶ。
「──って、ホントにさらわれたのか⁉ コギーの奴 が⁉ 」
「無 論 です」
ぶんぶんと拳 を縦 に振 り、キースが断言してくる。
「このよーなことで噓 をつく人間がおりましょうか?」
「ちゅーか、さらわれるところを見 送 ったよーな奴が言うことでもないと思うが」
言ってから、わき上がってくる疑 念 に、オーフェンは顔をしかめた。乗り出した分を後 退 して、うめく。
「だいたいお前らがそろって、なんか俺 をどこかに連れていこうとするってのは、毎 度 毎 度 のパターンだろが。いつもの感じだと、あれか? 適 当 に雇 った街のごろつきみたいなのと申し合わせて、コギーの奴を誘 拐 させたってとこか?」
「オーフェン様、ひどすぎますわっ!」
予 想 外 に、ボニーはショックを受けたようだった──もともと大きな目をさらに見 開 き、涙 のようなゆらめきを見せるその瞳 に、ひたむきな輝 きが浮 かぶ。
彼女は自分の胸を抱 きしめるような仕 草 で、さらに声をあげた。
「いくらわたしでも、姉をこんな危 険 な目にあわせたりなんてしませんっ!」
「お......そ、そうか」
多 少 気 圧 される形で、オーフェンはうめいた。ボニーは大声をあげたことを少 し恥 じたのか、さっと半 歩 ばかり身体 を退 くと、今度は静かにあとを続けてきた。
「だいたいオーフェン様、コギー姉様を悪者に誘拐させたとして、それがオーフェン様とわたしとの恋 の野 望 の成 就 に、どうつながりますの?」
「うーむ。まあ、言われてみりゃそうだな」
腕 組 みして、答える。
と──
「............」
だが、改 めてボニーの顔を見やると、彼女は奇 妙 な表情を浮かべていた。眉 根 を寄 せて、なにやら考え込んでいる。
と、くるりとキースのほうを向いて、
「......キース、どうつながるのかしら」
「さあ。そこまでは考えませなんだな」
「そうなんじゃねえかっ!」
「というわけでオーフェン様、早くしないと、コギー姉様が危険ですわ」
「お前らなぁ......ちっとは考えて行動しろよな」
オーフェンはぐったりと、ただそれだけをうめいた。
外は雨が降っている。
「......で、ここが一応、そいつらのアジトってわけか」
黒い傘 を差して雨の中、オーフェンは独 りごちた。
実 を言えば、もとの宿 からさほど離 れているわけでもない──人ひとりを連れ去って移動することを考えれば、まあ妥 当 なところだろうが。裏 路 地 街 の片 隅 、さらにひとけのない一 角 に、その館 は建っていた。
恐 らくここが裏路地街と呼ばれる以 前 からそこにあったのだろうその館は、長 らく無 人 であったことを示 すように黒 ずみ、朽 ち果 てた姿を見せていた。雨に打たれる陰 気 な外 観 は、歳 経 た貫 禄 というよりは、単 に死 体 の静 けさを思わせる。
ただ──蔦 のからまった門は、最近開けられた痕 跡 をはっきりと残していた。地面には円 弧 の溝 が引 かれ、雨と混じって泥 だまりを作っている。
「そうですな、黒 魔 術 士 殿 」
横から、キースの落ち着いた声──
「ここに、コンスタンス様がいわれもなく監 禁 されているわけです」
「早く助け出さなければなりませんわ、オーフェン様」
ついでに、ボニーの声も。
ため息をつく。オーフェンはうめいた。
「すべてきっぱりとお前らのせいだろが」
言いつつ、傘を少し上げ、館を見上げる。人の気 配 などと気 の利 いたものが分かるほど雨は弱くもなく、さりとてこちらの動きを隠 してくれるほど強いわけでもない。
「だいたい、これがお前らの用意した茶 番 なら、さっさと行って返してもらえばいいだろ」
半 眼 で見やって、告 げる。が、キースは厳 かな表情で、きっぱりとかぶりを振 ってきた。
「分かっておりませんな、黒魔術士殿......」
「なにがだ?」
「リアリティを追 求 するために」
「いや、もういい。だいたい分かったから言うな」
「えー」
一 転 して、嫌 そうな顔であごにしわまで寄 せて、キースが言ってくる。
「リアリティを追求するため、あえて自分の名前も顔も隠 して誘 拐 を依 頼 し、今となってはその破 棄 も困 難 なことを説明させてくださいませんと、わたしとしてもせっかく用意したBGMとか無 駄 になってしまいますし」
「どうせ聞いてもムカつくだけだから言うなっちっとるんだ! だいたいなんだそのBGMって!」
「このような」
と、いきなり鳴 り出すどろどろしたバイオリン曲──いつの間にか、ボニーが後ろで弾 いている──を、一 蹴 りで黙 らせてから、オーフェンは館 に向き直った。雨の膜 を突 き破 るようにアスファルトを踏 みしめて、拳 を握 る。
「ったく、起こさんでもいいような事 態 をいちいち面 倒 な方 向 に持っていきやがって、お前らあれか? 俺に恨 みでもあるのか⁉ 」
「多 少 は」
「あるのかっ⁉ 」
「誤 解 ですわオーフェン様っ!」
ボニーが、間に飛び込んできた。服に合わせたピンク色の傘 を手にしたまま──おかげで身長差のせいで、濡 れた傘が思い切り顔 面 にぶつかってきたが。
それを押 しのけているうちに、ボニーはさらに続けてきた。
「わたしは常 に、オーフェン様のためだけを思って生きているのですわ。お分かりでしょう⁉ 」
そう言われても、半眼で見 返 すしかない。
「......冷 静 に考えて、それが確 信 できる事 例 がひとっつも思い出せないんだが」
「まあオーフェン様ったら、わけの分からないことを言ってわたしをからかっておられるのですね」
「なんでだっ⁉ 」
ぽっと顔を赤らめて横を向くボニーに、オーフェンは叫 んだ。
「いーかあのな、一度でいいからちゃんとまともに俺の話を──」
「でもオーフェン様、今はそんな愛の語らいをしている時ではないのです。さあ、まあ優 先 順 位 としては四番目くらいですけど、コギー姉様をちょっとは助けてあげなければ」
「おいっ!──」
「黒 魔 術 士 殿 、いくら大 衆 の目がないとはいえ、このような往 来 でかくもあからさまに愛を語るのは、女性に恥 をかかせることになりますまいか」
「ってお前もっ!」
完全にこちらの声がとどかないボニーと、したり顔のキースとをつかまえて、オーフェンはさらに声をあららげようとした。
「お前らな──」
「あっ」
という声を発 したのは、ボニーとキース、同時だった。
そんなことのために言葉を止めたことには、どうというほどの理由があったわけでもない──あえて言うならば、そのふたりの視 線 を見たせいか。オーフェンは館 の門を背 にしていた。こちらを見ているふたりは、つまり館のほうを見上げている。
オーフェンはとっさに、振 り返った。門が開いている。
気づかなかったのは、雨のせいと、自分が叫んでいたためだろう。
なんにしろそこには、大男が立っていた。
「............⁉ 」
一 瞬 、それが人間であると認 識 するのにブランクが生じた。身長は、二メートル近いのではないかと思う。のっぺりした顔でこちらを見 下 ろしてきている。着ているのはフリーサイズと思 しきシャツだが、岩 のように鍛 えられた腹 筋 まで覆 うには丈 が足 りないようだった。
雨に濡 れることなど気づいてすらいない様 子 で、傘 も差していないその男が、両 腕 をあげる。ゆっくりとした動 作 が、むしろ威 圧 感 を発してきていた。
刹 那 ──
「危ないっ! オーフェン様ぁぁぁっ⁉ 」
どずっ!
という音だったように思えた。確信がないのは、聞こえたと思った直 後 、数 秒 ばかり気を失 ったせいだった。目が覚 めると同時にオーフェンは、濡れたアスファルトに倒 れていることを自 覚 した──背中がずきずきと痛む。傘で刺 されたらしい。
震 えながら身を起 こし、ボニーの声を聞いた。
「オーフェン様、どーしてわたしの必 殺 ・驚 天 ライジング突 きをお避 けにならなかったのですかっ⁉ 人生の伴 侶 たるわたしのテレパシーがとどかないはずがないのに」
「お・ま・え・なぁぁぁぁ〜」
ふらふらと立ち上がろうとするが、続いて──
「黒 魔 術 士 殿 、落ち着いてくださいっ!」
ごぎんっ!
この音は完全に夢の中で聞いた。半 失 神 状 態 で、だが意 識 を保 ったことは奇 蹟 に近い──感 謝 するに値 しない奇蹟ではあったが。
回転する視 界 の中で、なんとか焦 点 を合わせると、ハンマーを持ったキースがなにやら叫 んでいるようだった。

「いけません黒魔術士殿、その傷で悪 漢 と闘 おうなど、危 険 を通 り越 して無 謀 っ! 敵 の強 大 さは我 々 の予 想 を遥 かに上回りました! かくなる上は、わたしたちが死 力 を尽 くして応 援 を呼 んで参 りますので、それまでどうかお休みくださいっ!」
「ええ、そうねキース。オーフェン様、危険な任 務 ではあるけれど、わたしたち、必ず帰ってきますわ! じゃあ!」
「ああああああああああああ......」
うめく。意味はなかったかもしれないが、オーフェンはただうめいた。朦 朧 とした意識が回 復 するよりも早く、くるりと回れ右をしたキースとボニーが、脱 兎 のごとく走り去 っていく。
「ああああ......」
がんがん頭痛の響 く頭を抱 え、オーフェンはなんとか身体 を起こした。もうなにもかも忘れそうではあったが、大男のことは忘れていない。生 存 本 能 ──たとえ確 信 はなくとも、そうとしか呼びようがない──に突き動かされ、彼は周 囲 を見回した。大男の姿を視界に収 める必 要 がある。そのあとに、なにをしなければならないにせよ。
「!」
オーフェンは、胸中で叫びを発 した。自分でも信じられなかったが、既 に立ち上がっている。転んだせいでびしょ濡 れではあったが、顔をぬぐう暇 などあるはずもない。彼は、大男のほうを見やった。大男は、いまだ館 の門のところに立っていた──

両 腕 を、ゆっくりと上げながら。
「............?」
少し、意識の中にもっと明 確 なものが生 じる。疑 問 といったような。
「............」
じっと見ている間に、大男はひたすらにゆっくりと腕を上げ続けた。肩 の高さまで手が上がったところで、今度は左足を、静かに前 進 させる──のそっ、と、男の半 身 が前に出た。次は右足。
秒 間 一 歩 という速 度 で、大男は前進してきた。オーフェンはそれを見つめながら──とうに顔はぬぐっていた──、半 眼 で、拳 を握 った。
「遅 ぉぉぉぉいっ!」
「ええ............っ⁉ 」
今さら気づいたように、大男が顔を上げる。
「なに......が......?」
「その返 事 すら遅いっ!」
叫んで、拳を振 り上げる。大男はいまだに、門を出てすらいなかった。
「なんかもー、生 命 の危 機 とか感じて起きあがったのが馬 鹿 みたいだろーがっ⁉ こっちもいろいろ不 条 理 にひどい目あわされてフラストレーションたまってるんだから、ちゃっちゃと来てちゃっちゃと倒 されろっ! いいかっ⁉ 」
「え......ええ......っと......」
約五秒。沈 黙 して、雨の中──オーフェンが寒 さにひと震 えしたのち、大男は言ってきた。首を傾 げて、
「............えっ?」
「だああああああああああああああらっしゃああああああああああっ!」
跳 躍 し、思いっきり、拳を叩 きつける。
顔面を痛 打 され、ゆっくりと──これすらもゆっくりと──、大男は仰 向 けに失神した。
「ったく──」
舌打ちして、毒 づく。
ぐったりと動かず、雨に打たれる大男を見やって、
「誘 拐 犯 だったのかどーか確 かめずに、とりあえず殴 っちまったが......まあ間 違 いないだろ」
雨の中に放 置 していっては死ぬかもしれないが、さりとて運んでいける体重でもない。オーフェンはとりあえずあたりを見 回 すと、転 がっていた自分の傘 を彼の上にかぶせて、館 へと向き直った。かなりの騒 ぎを起こしていたはずなのだが、なにも変 化 はない。
キースらが去 っていった方向を見やって、オーフェンはさらに呪 った。
「そういや、その誘拐犯ってのが何人いるのかも聞いてなかったな。くそ」
濡 れて額 に張 り付 いた髪 を、かきあげながら独 りごちる。
(......応 援 を呼んでくるとか言ってやがったが、あいつらがあてになるわけもねえし、結 局 俺ひとりでやれってことか)
門はもう開いている。大男を殴り倒 したことで、オーフェンはもう館の敷 地 に入り込んでいた。荒 れ放 題 の庭 は、雨のせいもあって、未 開 の沼 地 を思わせる様 相 となっている。一応、館までの道は残っていた。ぬかるんで、まるで泥 の川だが。
雨水の流れる泥道を、オーフェンは慎 重 に進んだ。どれほど警 戒 したものか、探 り探りに──それほど気の利 いた罠 やら奇 襲 やらがあるとも思えないが、気が利かなくとも、矢の一本でも仕 掛 けてあれば命が危ない。特にこの雨では、どうしても感 覚 が鈍 る。
だがオーフェンが考えていたのは、罠のことではなかった。
(だいたい、よく分からねえな。キースが関 わってるってんでいまいち考えなかったが、ごろつきなんぞをそそのかして誘 拐 させるって、そいつらになんのメリットがあるんだ? 誘拐なんて重 罪 中 の重罪だろ。いくら謝 礼 を積 まれたところで、やるかね、ンなこと)

疑 わしいところなどいくらでもあった。進みながら、訝 る。
(まあこの場合は、俺が助けに来ることまでシナリオに入ってたらしいから、狂 言 ってことであまり深 刻 に考えずに引き受けたのかもな。だとしたら、コギーの身の安全は問題なしか......)
もっとも、それをどこまで信 用 していいのかは分からない。最 悪 の場合、本当に最悪の事 態 があり得 るため、迂 闊 なことはできなかった。
考えてみれば、既 に迂闊過ぎるほど迂闊なことをしているとも言える。
(そうだな)
オーフェンは、顔をしかめた。
(どうも、最近行動が軽 率 だとは思ってたんだよな。さっきの男を捕 らえて尋 問 くらいはするべきだったんだ。気 絶 させちまったから、しばらくは目を覚まさねえだろうけど)
ちらと、肩 越 しに門のあたりを振 り向く。いまだ倒 れたままの大男が見える──はずだったのだが。
「......いない⁉ 」
オーフェンは、立ち止まった。そして、次の瞬 間 、
「────っ⁉ 」
殺 気 というより、雨の中を切り裂 く鋭 い音を聞いたような気がして、その場を跳 び退 く。それまで彼がいた空間を、黒く鋭いなにかが貫 いていった。
それは──
「......あれ?」
ぼちゃっ、と、泥 だらけの地面に落下したのは、傘 だった。
「俺の傘?」
そして、遠くから、足音が聞こえてくる。
ゆっくりと、ゆっくりと雨の中を近づいてくるのは、さっきの大男だった。傘を拾い上げて待 つが、その程 度 では間が持たない。びしょびしょの傘を開いて、内 側 が濡 れたのを軽く水を弾 いてからそれを差し、顔の雨 水 を手で拭 ってなお、大男は数メートルほど向こうをゆっくり近づいてこようとしていた。
「............」
黙 して、待つ。
こちらから近寄ろうとしなかったのは、ただの意 地 に過ぎなかった。オーフェンは一度目を閉じて──五十を数えてから、開いた。大男は近づいてきていた。多分、三歩ほど。
次に、同じように目を閉じて百数えてみた。大男はだいぶ頑 張 ったようだった。七歩は近づいてきていた。
これが最後だと思いながら、また百を数える。
なにかあったらしい。二歩しか進んでいなかった。
「........................」
とにかく、待つ。
それからどれだけ経 ったのかは分からないが、大男はようやく、目の前までやってきていた。油 粘 度 を連 想 させる顔色は、地色なのか雨に濡れるがままになっているせいなのかは分からない。
「え......ええ............っと」
大男が、口を開いた。
「言われた......ので......、スピィィィィィィィィィィディー......に......来て、みま──」
「だからつくづく遅 いいいいいっ!」
ぼきっ──と、これは傘の柄 を握 りつぶした音だが──、オーフェンは叫 び声をあげた。持って支 えるべき部 位 を失 って、傘が地面に落ちる。強い雨 粒 が、また全身を叩 くのを感じた。
「とにかく遅いひたすら遅い亀 っちゅーより岩より遅いっ! お前はどうか知らんが、俺にゃー一日は二十四時間しかねえんだぞ!」
「あ......ああ......傘、せっかく返した......のに」
おろおろと、落ちた傘のほうを見やって、大男──
オーフェンは、ため息をついた。
「どーやら」
嘆 息 に、安 堵 も混 じるのを自 覚 しないではない。
「まあ、深刻な事態ってことじゃあなさそうだな」
「............は......?」
大男は、また首を傾 げてくる。オーフェンは肩 をすくめた。
「誘 拐 だよ。女の警 官 を拉 致 したはずだろ? そいつを返して欲 しいんだ。お前らにそれを頼 んだ奴 も、承 知 してっから」
「いや......それ......は」
「? なんでだよ」
聞き返す。
大男は首を傾 げたまま──口 調 もそのままで、答えてきた。
「いえ......自分たち......は......、誘拐......専 門 業 者 ......ですから」
即 座 に。
オーフェンは、再びその大男を殴 り倒 していた。
扉 を蹴 破 る。古 くなった扉は、あっけなく内側に吹 き飛んだ。同時にその中に飛び込んで構 えを取 るが、なんの出 迎 えもない──
いや、無 人 ではなかった。むしろ、予 想 より多かったかもしれない。
オーフェンは、さっと、視 界 内 の敵 の人 数 を把 握 した。六人。全員、若い男。身なりはばらばらだが、少なくとも一見で分かるような武 器 は持っていない。
館 は入ってすぐ、ホールになっていた。それほどの広さがあったわけではないが、こんなところに全員たむろしていたのは、ほかの部屋が使えなかったせいだろう──二階は雨 漏 りがひどかっただろうし、一階は一階で、浸 水 していたのではないかと思える。
そして、隅 のほうに、ロープでぐるぐる巻きにされたコンスタンスが転 がっていた。
「オーフェン!」
目を輝 かせ、叫 んでくる。同時に、男たちが声をあげた。
「ああっ⁉ 」
「誰 だ、貴 様 っ⁉ 」
「名 乗 ってもいいが、まず確 認 させろっ!」
激 しく怒 鳴 る。と、男たちの動きが、はたと止まった。虚 を突 かれたというところか。
それにあわせて、ゆっくりと深 呼 吸 してから、コンスタンスのほうを見やる。
「えーと、コギー......無 事 か?」
「え? まあ、大 丈 夫 だけど」
きょとんと答えてくる彼女に、さらに聞く。
「お前の返 答 いかんによって、こいつらがここで死なずにすむかどーか決まるんだからな。真 面 目 に答えろよ」
「ええっ⁉ 」
悲 鳴 じみた声をあげたのは、男たち──
コンスタンスは、どちらにせよたいして口 調 を変えなかった。固 唾 をのんで待つ男たちの視 線 の中、それをさほど意 識 してもいないのか、軽くうなずく。
「そうねぇ......半 殺 しくらいでいいわよ。こんな汚 い床 に転がされたし」
「......だそうだ」
オーフェンは、男たちに視線をもどした。
「い、いや、ちょっとちょっと!」
彼らのひとり、ぼわっと髪 を爆 発 させた長い顔の男が、両手を振 って叫 んできた。
「なんかそれぇ......半殺しってあんた。痛そうだし」
「痛みを感じる暇 がある奴 ぁ幸 運 だな」
「えー。そーかなー」
なにやらいろいろと不 服 そうにうめいて、仲間と顔を見合わせる。数人は、明らかにかぶりを振ったようだった。
嘆 息 し──オーフェンは、構 えを解いた。注意は怠 らないが、うめく。
「当然の報 いだろ。つまらんことしてやがって。なんだ? 誘 拐 専 門 業 者 とか言ってやがったか? 胸 くそ悪いんだ、そーゆうのは」
「悪いかなー」
あくまでも気楽に言ってくるが。
オーフェンはこめかみに力を入れた。
「だいたいお前ら、こんなことしてどうするつもりなんだ? キースの奴──お前らに事を頼 んだ馬 鹿 だが、そいつはもう、こいつ返すのに同 意 してるってのに、お前らがこいつ監 禁 してたってメリットなんもないだろ⁉ こんなの人 質 にしたところで身 代 金 払 う奴もいねえぞ」
「あ、なんとなく予 想 はしていたけどそれひどすぎない⁉ 」
ロープで芋 虫 のような格 好 のまま、ぴょんぴょん頭を跳 ねさせて、コンスタンスが叫んでくるが、それは無 視 。
例の髪爆発男は、いまいち意 志 を感じさせない曖 昧 な面 持 ちで答えてきた。
「だってー。一応、それが仕事だしー」
「だ・か・ら・っ! 仕事にならんだろ! 身代金も払う奴いねえって──」
「身代金......?」
いきなり、そんなことを聞き返されて──
オーフェンは、言葉を止めた。よく分からなかった。じっと見ていると、その男の横に、つつつと仲間が近 寄 って、助 言 のような格好でつぶやくのが聞こえてくる。
「ああ、ボス。多分、人質を取って、その縁 者 やらなにやらに金を払わせるとゆー、なんかそんな感じのシステムじゃないですかね?」
「あー、そうか。そんなことのようには感じたんだけどな。びびっと。直 感 てやつ?」
「............」
とりあえず、思いつくことはある。びびっと。直感というやつかもしれない。
しばし思 考 停 止 した頭の中で、オーフェンは問いたださなければならないであろうことをまとめた。それを、そのまま聞く。
「......お前らさ、なに?」
「いやー、俺らは誘 拐 専門業者で......」
「それは聞いたっ!」
「だから......誘拐以外のことは特になにも」
「......え?」
「考えてないっていうか......なあ」
あとは──なにか勢 いづいたのか、彼ら全員が参加して、口々にしゃべりだした。
「いやあ、なんとなく誘拐すんのはいいんだけどー、そのあとどうしたらいいかとか、特には......」
「そうだよなあ。人質閉じこめると、あとやることなくなっちまうし」
「あ、あれかな。おい、そう。あれだ。お前持ってただろ?」
「あん?」
「すごろく」
「違 うだろっ⁉ 」
いろいろ含 めて怒 鳴 ってから──オーフェンは、地 団 駄 踏 んで続けた。
「誘拐したら身 代 金 を要 求 するとか、立てこもって政 治 的 な要求を掲 げるとか、いろいろあるだろーがっ⁉ 」
「おおっ!」
「感 心 するなっ! だいたいお前ら、誘拐専門業者って、それでどーやって儲 けを出してたんだ?」
「いや。赤 字 」
「さも当 然 のよーに答えるなよっ⁉ 」
「でも──」
「ああああ。もう、こんな奴 らばっかりだから〜!」
オーフェンは、頭を抱 えてひとしきり、叫 んだ。ばっと顔を上げると、そのボスとやらに指を突 きつける。
「いーか! 犯 罪 に手ぇ出したあげく、目的がないとかそーゆうしょーもないオチばかりつけやがって、なんかあれだろ、世の中とかなめてるだろ⁉ 」
「いや、そんなこと言われても......悪いことはなかなかできないもんだし......」
「誘拐は最 悪 の重 大 犯罪だっ!」
「えー。でもー」
「うっわ。殴 りて」
オーフェンはうめいて、いやいやをしているその男をにらみつけた。
「いーか、そもそも覚 悟 がないんなら、最 初 からこんなことをしてるんじゃない。別に犯罪を犯 すべきだなんぞとは言わないが、行動にポリシーのない奴は生きてるのが犯罪だ。ちと話長くなるから座 れ。根 性 叩 き直 してやる」
「おお!」
「なんか、ありがたげな感じかもしれないっ!」
「リーダーと呼んでもいいですかっ⁉ 」
口々に、誘拐専門業者なる連中が叫んでくる。
「やめときなさいって......」
半 眼 で──いまだ床 に転がったままのコンスタンスが、言ってきたりもしていたが。
オーフェンは構わず、連中に向かって再 度 口を開きかけた。と──
ばたんっ!
扉 が開く。最初に見えたのは、例の大男だった。ゆっくりと......ぱたり、と前のめりに倒 れる。その背中を踏 み越 え、続けて姿を見せたのは──
無 数 の警 官 隊 だった。
「────っ⁉ 」
悲 鳴 は声にならない。音になる時間すら与 えられなかった。わっ、とかけ声をあげてなだれ込んできた制 服 の群は、たちまち数人、数十人と数を増やし、広かったホールをたちまち埋 め尽 くした。どこもかしこも、見る方向すべてを警 棒 を構 えた警官が隊 列 を組 み、並んでいく。
ものの数秒後には、ホールは警官たちに制 圧 されていた。
「............」
ぽかんと、立ち尽くす。警官たちの群をかき分けて──ついでに、倒れたままの大男を踏 みしめて──最後に入ってきたのは、キースとボニーだった。
「おお」
なにやら感 極 まったように、キースが声をあげる。
「どうやら、間に合いましたな。わたしたちの活 躍 で、事件は無 事 解 決 したというわけですか──なんか一番最初の敵に倒されたあげくなんの役にも立たなかった黒 魔 術 士 殿 」
「ええ、オーフェン様。お気になさらないで」
こちらがなにか言うよりも先に、ボニーが制してきた。花を飾 った帽 子 が、ふわりと揺 れる。
「わたし、オーフェン様のちょっとした弱さを見ても、それを失 望 したりはいたしませんわ。ええ、いたしませんとも」
「お前ら......」
とりあえず、もうなにも言う気力も失 せて、うめく。
「うっわー」
コンスタンスが、なにやら驚 いたように口を丸く開けていた。
「これ、機 動 部 隊 全 員 じゃないの?」
集まった警官たちを見回しながらつぶやく。せまい空間の中で無理やり陣 形 を組 んだ警官たちは、一言も発してはこないが。
実際、その手 際 はたいしたものだった──人質の安全も確 認 せずに飛び込んできたことを除 けばだが。この数秒間で、誘 拐 専門業者なる連中を全員、床 に押 し倒 し、取り押さえている。なにやら警官隊の隊長らしく年 輩 の男が、誇 らしげに見得を切った。
「ふっ──我らトトカンタ市警、特 殊 戦 闘 部隊、犠 牲 も多いが成 果 もでかいっ! どうです? 民間人ども」
「いや、なんかまあ、どんな部隊だかは分かった気がするが......」
オーフェンは冷 たく告 げたが、隊長の耳には入らないらしかった。逮 捕 した連中のもとにかがみ込み、なにやら尋 問 を始めている。
もっとも、それも尋問というより、もっと大 雑 把 なものではあったが。
「主 犯 は誰だっ⁉ 」
「............」
問われて、全員互 いの顔を見つめ──
ボスと呼ばれていた男が、いろいろと悩 むような表情を見せながらも、ぽつりと漏 らした。
「とりあえず......さっきリーダーになったのは」
「──この人です」
全員が声をそろえ、ぴったりとシンクロした動作で指をさした先には──
オーフェンがいた。
(ちったあまともに考えろ!:おわり)


いつもぴったり決まった時 刻 。かなりぬるめのお湯 をバスタブいっぱいにためておいて、一 気 に口の上まで沈 み込 む──なにがどう、というわけでもない。ラシィ・クルティの日 課 だった。
お湯が床 にあふれる音も心 地 よく、温 かい湯の中でゆったりと腕 を伸 ばし、身体 中 の力を抜 く。昼 間 はまとめている髪 が、長時間の束 縛 を抗 議 するように湯 面 に広 がっていく。長 くついた吐 息 が、口からあぶくとなって音を立てた。湯に入る、ただそれだけのことなのだが、意味もあれば価 値 もあった。ストレスをほぐし、身体を温め、そして一日を終 わらせる。
「ふう......」
顔 を湯から上げて、ラシィは呼 吸 した。湯 気 の感 触 が喉 を湿 らせる。
「今日も、無 駄 足 でしたねぇ」
独 り言 が、バスルームにこだました。反 響 を残す自分の声を聞きながら、さっと、表 情 を変える。
「いえ、無駄なんかじゃないですぅ。今日はピュルサン通 りをしらみつぶしにしましたから、明日はまた次 を......」
と、自分を力づけるつもりでうめいて──
そして、またため息をついた。地 名 を独りごちるのと同時、頭の中に、あまりにも広 大 すぎるトトカンタ市の全 体 図 が浮 かんできた。ここ数日、休みもせずに歩き回ったのだが、まだ全 市 の十分の一もカバーできていない。
それだけの面 積 を、たったひとりの人間を捜 すために歩き回っている......
凝 って痛 みを残している足を手でもみながら、ラシィは目を閉 じた。真 っ暗 な視 界 に、もう苦 労 せずとも浮かび上がる顔がある。
その顔は、いつも同じだった。たった一枚の写 真 だけしか手がかりがないのだから、仕 方 ないが。
どこかはにかむようにこちらを見 つめているが、視 線 はわずかに下にそれている。だがそれでも胸 を張 って、なにかを誇 っているようだった。その写真を撮 られた時 点 で、彼の年 齢 は十五歳 。現 在 では、二十歳 になるはずである。
優 しい眼差 し。柔 らかく微笑 む口 元 。彼がなぜ大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》を失 踪 することになったのか、それは誰 も知らない。だがきっと、なにか重 大 な理 由 があったのだろう。そうでなければ、彼が五年前に持っていたすべてのもの、それを投げ出して姿 を消 すことなど、できなかったはずだ......

それに足 る──と思える理由をいくつか思い浮かべ、ラシィはかぶりを振 った。考 えたところで分かるはずもない。彼に会って聞くしかない。彼に会って聞きたい。彼が感 じた苦 悩 、決 断 、そして今もまだ世 間 から名を隠 すほどの事 情 があるのなら、自分なら相 談 に乗 ってあげられる。
はうっ......と、また長い吐 息 を漏 らして、ラシィは彼の名 前 をつぶやいた。
キリランシェロ。《牙の塔》にて最高の教 育 を受けた暗 殺 技 能 者 。
その名をつぶやき、自分の耳で聞くほどに、呼 吸 が浅 くなるのを彼女は感じていた。つらい。が、つぶやかずにいられない。
「もしかして」
はっと、気づく。
「これは恋 ......⁉ 」
ラシィはつぶやきながら、湯 船 の中で勢 いよく立ち上がろうとし──
そしてお湯の重 さに足をとられ、そのまま思い切り転 倒 した。
「と・ゆーわけで、相談に来ましたぁ」
「いや、そんなこと言われても......」
と、コンスタンスは目の前の少女を半 眼 で見やった──どこかにぶつけたのか、包 帯 を頭 に巻 いて、だがやたらと元 気 いっぱいに瞳 を輝 かせている。少女の着ている赤いラインの入った黒のマントは、この街 に暮 らしていれば、それとなく目にする機 会 はある。大陸魔 術 士 同 盟 職 員 の制 服 だった。
いつもの食 堂 の中である。マントくらい脱 げばいいのにとも思うのだが、答 えを聞いたらすぐに飛 び出そうとでも考えているのだろうか。実 際 、そわそわと肩 を揺 らす彼女を見ていると、そんな気もする。
なんにしろ、コンスタンスは嘆 息 混 じりに続けた。テーブルの上にぽつんと置かれた、一枚のスナップ写真を指 差 して、
「そのキリランシェロっていう魔 術 士 、この街のどこにいるのか分からないんでしょう? ていうか、そもそもトトカンタ市にいるかどうかも」
「そうですけれどぉ」
少し勢いをなくして、彼女──ラシィ・クルティがつぶやいてくる。
「最後に目 撃 されたのが、この市 内 だっていうことは確かなんですぅ」
「それ、いつのこと?」
「ええと......四か月前、ですぅ」
「う〜ん」
コンスタンスは、額 に手を当てた。
「彼が、あなたが言うように凄 腕 の殺し屋で、当 局 に接 触 することを避 けて、さらに魔 術 士 同盟のトレイサーに一度は発見されたのを気づいているのなら──とっくにこの街を出てるんじゃないかしら」
「殺し屋じゃありませんん!」
その単 語 に反 応 してラシィがテーブルの上に乗り出してきた。両 手 でテーブルの端 をつかむようにして、その姿はどこか、鎖 を引っ張る犬を連 想 させる。
実際、子犬のようにきゃんきゃんと、彼女は続けてきた。
「──暗殺技能訓 練 を受けた魔術士、ですぅ」
「......なんか違 うの?」
「だいたい暗殺技能って呼 び方が、そもそもなんか悪 印 象 で良くないし変 更 すべきなんですぅ。魔術士が人を暗殺しなくちゃならなかった時代なんて、もう何十年も前に終わったんですからぁ」
「へえ」
とりあえず──正 直 あまり興 味 がないので──、適 当 に返 事 しておく。コンスタンスはうなずくと、また彼女を見 返 した。
「どっちみち、四か月前じゃあ......望 み薄 だと思うんだけど」
「行 方 不 明 者の捜 索 は、派 遣 警 察 の大事な仕事じゃないですかぁ」
恨 みがましく顔をしかめ、ラシィがうめいてくる。
「それはそうだけど......」
コンスタンスは嘆息した。魔 術 士 の捜索というのは、ほとんど行われていないのが現 実 である。ぼそぼそとうなじのあたりをかきながら、彼女は答えた。
「魔術士のことは魔術士だけで、ていうのが定 番 だし......だいたいこのキリランシェロっていう子、写真では子供だけど、今はもう未 成 年 てわけじゃないんでしょ? となると、警察のほうでは介 入 できないわよ。最 近 生 存 が確 認 されたってことは、特 に生 命 の危 機 もないわけだし、だったら自 由 意 志 っていうのが──」
「ううう」
「人 手 が欲 しいんなら、そこに、やたらものすっっごくあからさまに暇 そうなのがいるみたいよ」
と──
彼女は、近くのテーブルで、なぜだか陰 鬱 な表 情 をしてこちらを凝 視 している黒ずくめの男を指差した。
なにやら泥 沼 のような眼差 しで、さっきからこちらの話に聞き入っている。普 段 からつりあがっている目つきが、ますます悪くなっていた。胸 元 には、銀 製 のペンダントがぶらさがっている──大陸黒魔術の最 高 峰 《牙 の塔 》の紋 章 である、剣 にからみついた一 本 脚 のドラゴン。とりあえずは、彼が魔術士である証 明 ともいえた。
「............」
ラシィも、彼のほうをまじまじと見やり──
目をぱちくりさせて、こちらを向いてきた。声をひそめて、
「......なんかモグリさん、機 嫌 が悪そうですぅ」
「そうねぇ。今日はお昼 ご飯 が食べられて、彼的には当 社 比 四倍くらい幸 せなはずなのに。なにかあったのかしら」
「いつもは食べられないんですかぁ?」
「うん。なんか今日は、『社 会 が憎 いので餓 死 する前に暴 れようと思います』って書いた旗 を持って公 園 で倒 れていたら、学校フケてシンナー吸 う場所探 してた中学生が通りかかって、哀 れんでお小 遣 いくれたんですって」
「......なんか......いい話のような、救 いがない話のような、微 妙 なとこですねぇ」
「まあねぇ。ちょっといい話って、どれもこれもそんな気はするけど」
一 応 、こっそり話していたつもりだったのだが、相 手 に聞こえているのも分かってはいた。ゆっくりと、彼──オーフェンが立ち上がり、こちらのテーブルへと歩いてくる。
「お前ら......」
彼は、いきなりテーブルの写真を取り上げると、それを見てから、またもとにもどした。なにやら苛 立 たしげな様 子 で、続ける。
「この写真を見て、なにか気がつくことってないのか?」
「へ?」
コンスタンスは声をあげて、再 び写真を見やった。写真には、三人の人物が写っている──三人とも《牙の塔》の正 装 である黒のローブを着 込 んだ魔術士で、そのうちふたりは女性だった。話 題 にしていたのは、そのふたりにはさまれた少年である。ラシィの話によれば、現在行方不明となっている、宮 廷 魔術士候 補 にまでなったという最エリートの魔術士のひとりなのだそうだ。
そう言われたところで、写真に写っているあどけない少年の顔を見る限 り、ぴんとは来ないが......
たっぷり数 十 秒 は見つめてから、コンスタンスは顔を上げた。眉 根 を寄 せ、首を傾 げ──つぶやく。
「......この《牙の塔》の制服って、夏 場 がつらそうよねー」
「じゃないだろ⁉ 」
いきなり、声をあららげて、オーフェンが叫 んでくる。
が、ラシィが抗 弁 した。
「でもでも、わたしの制服も黒ですけど、確かに夏場はホントに外に出たくなくなるっていうか、季 節 によっては白とかピンクでもいいかなって」
「うがああああああっ⁉ 」
いったいなにを言いたいのかは分からないが、頭を抱 えて、またオーフェンが叫び声をあげる──
「おーまーえーらーはーっ!」
どばし、とテーブルを叩 いて、目を血 走 らせる。
「言わなけりゃ気づかんのかっ⁉ てゆーかどーして気づかないっ⁉ 」
「......なにが?」
「......なにがですかぁ?」
きょとんと、見つめて──
数秒ほどだろうか。
みしっ、と音を立てたのは、彼が手をついているテーブルの脚 だった。刹 那 、
「うわああああああああんっ!」
なにやら、泣き声をあげながら、彼は食堂から走り去っていった。
「............」
ラシィと顔を見合わせてから、ぽつりとつぶやく。
「なにかあったのかしら」
見 下 ろすと、当 たり前 だが相 変 わ らず照 れくさそうな表情のまま──写真の少年が、こちらを見つめてきていた。
「結 局 、国 家 権 力 はなんの役 にも立ちませんでしたねぇ」
と──
ぼやきながら、ラシィは手にした写真を顔の高さまで持ち上げた。歩きながらのため危 ないといえば危ないが、写真の中の少年を見つめ、聞く。
「どうすればいいのかしらぁ?」
公園の前を通 りかかり、その敷 地 の中で遊んでいる子供たちやその親 、あるいは学 生 たちの姿から、我 知 らず写真と同じ顔を捜 している。ここ数 日 、街を歩き回りながらそればかりをしていたため、すっかり癖 になっていた。
そして今回もやはり収 穫 はなく、胸 からため息 が漏 れる。
(やっぱり、もうこの街にはいないのかしら......)
あの派 遣 警察官が言っていたことは、彼女自身が、ずっと疑 ってきたことでもあった。論 理 的 に考えれば、かのキリランシェロなる魔 術 士 が、いつまでもトトカンタ市にとどまっている理由はなにもない。むしろ有 害 ですらある。
もうこの街にはいない公 算 が大きい。そしていたとしても、それを捜す方法がない。
あきらめたほうがいいのかもしれない......
陰 鬱 に独 りごちながら、彼女はふらりと、公園に入っていった。ボールを追いかける子供の横 を通りすぎ、ベンチへと向かう。水 飲 み場 の周 りにいくつかあるベンチのほとんどは、アベックや、編 物 などしている母親などで埋 まっていたが、運 良 くひとつだけ、誰も座 っていないベンチを発 見 できた。ハンカチを敷 いてからそこに腰 を下 ろし、写真をひざの上に置いて、空を見上げる。

青 空 に雲 がたなびいていた。空は広い──この大 都 市 よりもはるかに広い。だが一 望 できる。空を飛ぶ一 羽 の鳥を探すのは簡 単 なのに、街に潜 む人間ひとりを捜し当てるのはほぼ不 可 能 なのだ。
どことなく、不 条 理 にも思える。
と......
「ここ、いいですか?」
いきなり話しかけられ、あわてて向 き直 ると、返 事 も待たずに自分の横に腰を下ろそうとしていたのは──
「......あれ?」
思わず、きょとんと声をあげる。
それに反 応 してか、その男はこちらを向いてきた。柔 らかい眼差 しに、軽 い驚 きが混 じっている。彼はまばたきを二度ほどしてから、聞き返してきた。
「なにか?」
「あ......い、いえ」
口ごもりながら、かぶりを振 る──が、視 線 は彼から離 せない。
「............?」
怪 訝 そうにこちらを見返す彼を、ただひたすら凝 視 して。
ラシィは、自分が出くわした偶 然 について、感 謝 も忘 れて困 惑 した。目の前にいる、その男。まるで普 通 の学生のような格 好 をしているが──
写真で見た伝 説 の魔 術 士 、キリランシェロに間 違 いなかった。
(そーだよ。これは、幸 運 のはずなんだよ。本 来 なら、とっくにばれて、またどっか別の場所に移 動 しなけりゃならなかったところなんだ。それを、あのラシィにしろコギーにしろ、誰も彼もへっぽこだったおかげで、助 かったんだ。そーだよ。むしろ感謝すべきなんだ。そうだろ? くそっ)
オーフェンはひとり道を歩きながら──ない石を蹴 る仕 草 などしつつ、声に出さず毒 づいていた。
(だからして、むしろ小 躍 りして喜 ぶくらいのほうが正 解 なんだ。苦 労 して追 跡 員 をまいて、まあこの街にも慣 れてきたって時に、自分の経 歴 がばれてまた別の場所で一からやり直しなんてのに比べればよっぽどマシだろが? あーのしつこいトレイサーかわすのに、どれだけ苦労してきたと思ってんだ。あいつらのせいで、魔術士として仕事することは封 じられてるってのに)
自分への説 得 のつもりが、次 第 にただの愚 痴 になっていることに気づき、ため息をつく。
現 実 的 な対 応 をと考えれば──
オーフェンは、自 答 した。分かりきったことではあったが、ラシィのことは無 視 するべきだ。彼女がそのうちあきらめるまで。まあ、彼女が写真の少年を追いかけている限 り、キリランシェロが発見されることはあり得 ないわけだから。
(まあ......結局は、それが不 愉 快 なんだが)
とりあえず認 めて、彼は頭をかいた。とうに執 着 は捨 てたつもりでいたが、それでもやはり、過 去 との接 点 が完 全 に切れてしまうことには抵 抗 を感じる。
もう昔 にはもどれないとしても。
(トレイサーに見つかったらすぐに逃 げる......ってのはつまり、見つかるまで待ってる、ってことなのかもな)
虚 しい思いでオーフェンは、顔をしかめた。
刹 那 だった。
「モグリさぁぁぁぁぁぁぁんんっ!」
ごすっ──
背 後 から跳 びかかってきた拳 を。
振 り向きざまに両 手 で受け止めて、オーフェンはそのまま静 かに聞き返した。
「......なんだ?」
「あのあの。大 変 なんですぅって言いたかったんですけどぉ、モグリさんてば随 分 冷 静 ですね」
「いや、ただ平 和 に呼 びかけりゃあ済 むものを、こーして無 意 味 に殴 りかかってくる奴 がやたらと多いからな、なぜか知らんが」
「勢いの問 題 ですぅ」
拳を引っ込めながら──そうつぶやいてきたのは、ラシィだった。その拳を胸 元 で振りながら、あとを続ける。
「あのですね。大変なんですぅ。まったくホントにぃ」
とりあえずうなずき、オーフェンは腕 組 みして告げた。
「いや、あのな、俺 からもちょーど、さっきの件 に関 して、君に言いたいことがあったんだが」
「ええと、キリランシェロさんのことなんですけどぉ」
「ああ、そいつのことだ。俺としてもだな、コギーの馬 鹿 が言ったことが、珍 しく正しいと思う──」
「発見したんですぅ!」
「............は?」
彼女の言ったことが分からずに、聞き返す。
だがラシィは瞳 を輝 かせ、力いっぱいに繰 り返 してきた。
「さっき、すぐそこで、キリランシェロさんを発見したんですぅ!」
「............」
ここですぅ、と小 声 で合 図 してくる彼 女 に導 かれ、オーフェンは半 眼 のまま、植 え込 みの陰 に身を潜 めた。これはさほど労 を要 することではなかった。
「............」
あれですぅ、とさらに小声で指をさし、公園のベンチでひっくり返って倒 れている青 年 を示す彼女に、なにをどう言えばいいものか──これに関しては、多 少 ならず、悩 まざるを得ない。
こめかみを押 さえながら、オーフェンはつぶやいた。小声で、
「とりあえず」
「はいぃ」
「なんか警察とか野 次 馬 とかがたっぷり集まってるのは、どういうことだ?」
「えとえと」
ラシィの返 答 は明 確 だった。
「彼を偶 然 見つけたあと、とにかくわたしひとりじゃ手に余 ると思ったんですぅ。なにしろ伝 説 の暗殺技能者ですからぁ」
「ほうほう」
「で、人を呼びに行く間、彼が逃 げたりしないように、魔 術 で不 意 打 ちかましたあげく、足 首 をハンカチで縛 ってベンチに括 り付 けておいたんですけどぉ、そのせいじゃないでしょうかぁ」
「そーだな。こんな人 目 ありまくりの公園で、ンなことすりゃ当 然 、警察くるわな」
「うーん。とりあえずその場にいた人たちには、これは特に問題ないことなんで、騒 がないでくださいねって言っておいたんですけどねぇ」
「無理だろ。その要 求 は」
「でもでも。見てくださいよぉ。間 違 いないと思いませんかぁ?」
と、ラシィが差し出してくる例の写真に視 線 を落とし──
「似 てるかぁ?」
疑 わしくオーフェンはうめいたが、ラシィは確 信 たっぷりにうなずくだけだった。
「間 違 いないですぅ!」
「う〜む」
とりあえず、改 めて観 察 する。
どうしてこういったことになったのか、それを見物人たちに聞きながら、警官がその男を介 抱 しようとしていた。おかげで縛 めも解 かれているが、男をベンチに寝 かせているため、植え込みの陰 からでは顔が分かりづらい。それでもなんとか角 度 を変えてのぞき込むが、どう見ても今の自分とはまったく接 点 がなさそうに思えた。もっとも、写真の自分と似ているかもと言われれば、そうでないとも言えない。
「どーでもいいんだが」
オーフェンは、とりあえず指 摘 しておいた。
「あいつがその伝説の暗殺技能者とかいうのなら、君の不意打ち一発で行 動 不 能 って、どう考えても悲 しくないか?」
「......そういえば、そんな気もしますねぇ」
と、ラシィは考え込むように虚 空 を見上げた。しばらくして、ぽんと手を打ち、
「あ、そうだ。実はわたし、ものすっごく強かったのかもぉ」
「腕 立 て何 回 できる?」
「うう。でもでも、なんだか《牙 の塔 》って、あーんなカビ生えたような教 育 方 針 に凝 り固 まって古 くっさい精 神 論 振 りかざしてばっかりで、実はまったく有 名 無 実 化 してるって評 判 ですよぉ」
「そ......そーだったのか......?」
「やっぱりやっぱり、今の流 行 りは王 都 のスクールですよぉ。今 期 なんか《牙の塔》より三人も多く宮 廷 魔術士候 補 を出してるんですからぁ」
言い返そうとして──
オーフェンは、口をつぐんだ。男が意 識 を回 復 したらしく、ベンチの上で身を起こしている。警官が矢 継 ぎ早 に質 問 するが、それに対して男は首を振 るだけだった。
「いや、あの......よく分からないんですよ。いきなりここに座 ってた女の子に首を絞 められて、さっさと気 絶 しないと最 終 手 段 とか言い出して......あれは魔術だったのかなぁ?」
周 りからも目 撃 証 言 が続き、結 局 、盗 まれた物もなく、単にわけの分からない事件ということでまとまったらしかった。そのままほどなく、男も警官も、野次馬たちも解 散 していく。
「............」
取 り残 されて、オーフェンはラシィのほうを向きやった。
「で、どーすんだ?」
「決まってるじゃないですかぁ! 今の人を尾 行 して、彼がキリランシェロであるっていう証 拠 をつかむんですぅ!」
きっぱりと断 言 して立ち上がる彼女に、首 根 っこを引っ張り上げられながら、とりあえず抗 弁 する。
「って、なんで俺が?」
「わたし、この格 好 じゃ、目 立 つじゃないですかぁ。既 に顔も見られてますし」
と、彼女が自分の着ている制服を示してみせた。
「だからモグリさん、あの人を追ってくださいい。わたしは、モグリさんのあとをつけますからぁ」
「いや、でも、なんつーか......俺は違 うと思うけどなー、あいつは......」
「わたしの勘 は当たるんですぅ! それともモグリさん、手 伝 いたくない理由でもあるんですか?」
「そーゆうわけでもないんだが」
なんとなく曖 昧 な気 分 で答えて、オーフェンは、もう公園から出てだいぶ先を歩いていく、例 の男の背 中 を見つめていた。
そこから視線を外し──眉 根 を寄せる。彼は声を出さずに、胸 中 でつぶやいた。
(まあ、いいか......あいつがキリランシェロって思ってるんなら、途 中 で適 当 に見 失 えば、少なくともこいつの関 心 は、当 分 そっちに行くってことだもんな)
肩 をすくめて、オーフェンは歩き出した。
二十分後、予 定 通 りに見失って、オーフェンは足を止めた。空を見上げて、ラシィが追いついてくるのを待つ。
だが、二分ほどか。いつまで経 っても彼女が来ないことを訝 って、オーフェンは振 りかえった。と。
「モグリさぁぁぁぁぁんんっ!」
ひゅごっ!
「............」
唐 突 に閃 いた刃 を白 刃 取 りにして、冷 や汗 を一 筋 ほおに感じる。
目を見開いて──さすがに戦 慄 せざるを得なかった──、オーフェンは、長 刀 を両手で構 えたままこちらを凝 視 しているラシィに、震 え声でつぶやいた。
「い、いや、確かにその、尾 行 対 象 を見失ったのは悪かったっていうか、遺 憾 の意を表 明 っちゅーかごめん謝 るから許 して」
「なに言ってるんですかモグリさんっ! 大 変 なんですうっ!」
彼女はすぐに長刀を引っ込めると、マントの下から取り出した鞘 に入れ、またマント下にさっと収 納 した──ひょっとすると、いつも持ち歩いていたのかもしれない。何 事 もなかったように言ってくる。
「間 違 いないです! キリランシェロさん発見ですぅ!」
「え?」
オーフェンは、手のひらに傷 がないか調 べながら、顔をしかめた。聞き返す。
「なんだって?」
「こっちですこっちですぅ! 来てくださいぃ!」
無 理 やり、引っ張られ──通りをひとつほどもどってから、彼女は左右を見 回 し、
「あの人ですっ!」
眉 をVの字にして、断言した。
彼女が指し示す先を視線でたどると、人ごみの中を悠 々 と、ひとりの男が歩き去ろうとしている。先ほどの男に似ているところもなくはなかったが、今度の男はゆるいウェーブの長 髪 で、なおさら写真の自分とはかけ離 れていた。身体 つきがかなりしっかりしているため、戦 闘 訓 練 を受けた魔 術 士 には近づいているかもしれないが。

「......似てるかぁ?」
オーフェンが正 直 に聞くと、彼女は、信じられないとでも言いたげに、丸い目を見 開 いてみせた。
「なに言ってるんですかモグリさんっ! いいですか、確 たる証 拠 があるんですぅ!」
「ほう」
「さっき、モグリさんのあとを追っていたわたしは、人ごみに巻 き込 まれ、危 うく見失うところでした」
「ふむ」
「そこで、緊 急 事 態 ですから携 帯 用 人 払 い装 備 、妖 刀 ・血 煙 灯 台 を抜 いてみたわけなんですけどぉ」
「いや。待て」
「逃 げ惑 う通 行 人 たちの中、たったひとり、落 ち着 いた眼差 しでこちらを見ていた人がいたんですぅ! 間違いありません。あれは幾 多 もの修 羅 場 をくぐり抜 けてきた強 者 の眼差しっ! なのでキリランシェロさんである可 能 性 がかなり高いかと」
「いーから話を聞け。あのな」
「可能性が高いっていうのは本物だから可能性な部 分 がむやみに高いわけで、当然つまり本物ですっ! というわけでモグリさん、尾 行 にゴーです!」
「だから──」
「ゴー!」
「............」
一応また男のほうを見るも、その姿はもうなくなっていた。
なにか途 方 に暮 れる思いで、しばしそのまま立 ち尽 くしていたが──
ラシィが、声をあげた。
「あっ」
なにか嫌 な予 感 を覚 えて、振 りかえる。
やはり刹 那 。刹那やはり。
「モグリさぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
びしっ!
今度は蹴 りだった。ひざを上げてそれを受け止めているうちに、彼女がまくし立ててくる。
「やっぱりあっちの人のほうが、それっぽい感じがしましたぁ! 電 波 っていうか運 命 の予感っていうか!」
「えーと」
「あ、それともあの人っ」
がしっ!
彼女が放 ってきた肘 を受け止める。こちらがなにか言うよりも早く、ラシィは続けた。
「まあちょっと軟 派 な感じは好きくないんですけど、あの程 度 なら許 容 範 囲 かなって思いますぅ。あ、でもそれより向こうの人のほうが!」
(付 き合 ってられるか──)
オーフェンは悲 鳴 をあげつつ、後 方 に跳 んだ──彼女の手足がとどかない範 囲 まで。
そして。
馬のいななき。罵 声 が聞こえてきた。
「ばっきゃろおおおおっ⁉ 」
息 を呑 んで、振りかえる。見えたのは車 輪 だった。そして、衝 撃 ──
「気ィつけろぉっ! 次はかすり傷 じゃ済 まねえぞぉっ!」
「............」
馬 車 にはねられ、地面に倒 れ、オーフェンは声もなくただ、せまい視 界 に映 る地面を見つめていた。頭の中をぐるぐると、不 定 形 な痛 みの感 触 が回っている。それはかなり長い時間のようでもあったが、実際は一 瞬 だったろう。とててて、という軽 い足音が、頭が地面に近いせいか、かなり大きく聞こえてきた。
ラシィだった。きょとんとした顔でかがみ込んでくると、
「あ、モグリさんなんかちょっと痛そうですね」
「いや......ていうか、お兄さんは今ちょっと怒 ってる」
「わけの分からないこと言ってないで、見てくださいい。今度は決 定 的 だと思うんですう。あそこ歩いてる人なんですけどぉ、背が高くってすらりとして格 好 良 くて素 敵 っていうか、キリランシェロさんだと思いません?」
「だからっ!」
がばと跳 ね起きて──集まってきていた通 行 人 たちをひとにらみで散らせると、オーフェンは両手をわななかせて叫 んだ。
「なんで見つかりもしない人 捜 しに無 理 やり付き合わされたあげく、ひき逃 げされにゃならねえんだよっ! ていうかラシィ、なんか当 初 の目 的 を見 失 ってないかっ⁉ 」
「そうですかぁ?」
「むしろここまで見失うのも難 しいわっ! 途 中 から君、気に入りそうな男をピックアップしてただけだろ!」
「うーん。まあ、そうだったらいいなーという希 望 をちょっと込めて」
「希望を込めるなっ! 人捜しにっ⁉ 」
「だって、そうでもしないと見つからないじゃないですかぁ」
「そーゆうのを本 末 転 倒 というんだ、思いっきりっ!」
「むううう」
口を尖 らせて、まだ不 服 そうではあったが、ラシィが口ごもる──
オーフェンは、軽く頭を抱 えた。馬車にはねられた衝 撃 がまだ残っていたせいもあったが、それよりも深 部 から揺 らぐめまいが、意 識 を遠くさせる気がする。往 来 で座 り込 んで話しているため、いちいち通りすがりの人間にのぞき込まれているようだったが、それさえ構 う余 裕 をなくしていることを、彼は自 覚 していた。
ばんばん、と平 手 で地面を叩 いて、うめく。
「いーかラシィ。あのな。つまり君は──まあ、俺もだが──人捜しに関 しちゃ、ただの素人 なんだよ。この大都市で人ひとり、見つけられるもんじゃねえんだ。こーゆうのはおとなしく、トレイサーに任 せてだな、君はいつもの仕事に仕事にもどれ。いいから」
「でもぉ......」
「でもじゃない。あ、そうだ」
と、ふと思いついて、オーフェンは手を差し出した。
「じゃあ、俺も一応気にかけておくから、例 の写真、貸 してくれるか? 多 分 、君よりは広 範 囲 に聞きこみできるだろ」
「ええ?」
彼女はあからさまに嫌 そうな表情を見せた。眉 間 にしわを寄せて、身体 を退 く。
「これは、魔術士同盟の備 品 っていうか証 拠 品 ですしぃ......それに、駄 目 です。わたしが持ってることにしますぅ」
「ンなこと言ったって、君じゃ捜せないって。悪いことは言わないから」
言いながら、催 促 してさらに手のひらを突 き出す。写真を取り上げて、どれだけの意味があるかは分からないが──このまま放 置 しておけば、突 然 彼女が真 相 に気づく可能性もあり得た。高いのか低いのかは分からないが、用 心 に越 したことはない。
「でもでもぉ」
ラシィは困 ったように言ってきた。差し出された手から逃 げるように、またさらに後 退 し、
「彼の写真はこれしかありませんしぃ......渡 せないですよお」
と──
彼女の表情が、はっと変わった。
驚 いたような、いや、怯 えているような、複 雑 な眼差 しをこちらに向ける。逃げるように彼女は立ち上がった。じりじりと退 がりつつ、つぶやいてくる。
「そ、そうだったんですね、モグリさん......今分かりましたぁ」
自分の身体を抱 きしめるようにして、震 える腕 を互 いに押 さえ込 む。
「考えてみたら、この前、キリランシェロさんのことを言った時も、なんか変な態 度 でしたし......今日だって」
「いや......ええと......」
やぶへびだったか──
外には出さずに舌 打 ちしながら、オーフェンは腰 をあげた。が、彼女は後退をやめない。追 えば、そのまま逃げ出すのは目に見えていた。追えない。
「その......ごめんなさい。あの、本当にごめんなさいいっ!」
早 口 で叫 ぶと。
彼女は浅 く頭を下 げてから、そのまま背中を向けて走り出していった。思いのほか速 く、あっという間に通りから姿を消す。
追いかければ、追いついたかもしれないが。どのみち、不 愉 快 なことになっただけだろう。
「............」
嘆 息 して、オーフェンは独 りごちた。
「やっぱり、ばれて嬉 しいもんでもねえんだよな......まあ、あちこちに言いふらすとも思えないし、これはこれで仕 方 ねえか......」
「──と・ゆーわけなんですぅ......」
「へえ」
やはりさほど興 味 なく、コンスタンスは生 返 事 を返した──夕食のカルボナーラをフォークでかき混ぜながら、湯 気 とともに漂 ってくる香 りを鼻 腔 いっぱいに楽しむ。
が、テーブルの向かいにいる少女は、しごく深 刻 なようだった。手を組み合わせ、心 底 怯 えているようにも見える。
「わたし、知らなかったんですぅ......モグリさんが、そんなつもりでいたなんて」
「どんな?」
聞き返してから、しまったと思う──話 半 分 でしか聞いていなかったことが完 全 にばれて、彼女、ラシィとかいう魔 術 士 同 盟 職員が、怒 ったように目つきを険 しくするのが見えた。あわててフォローする。
「あ、いえね、聞いてなかったわけじゃないんだけど、ほら。複 雑 な話だったじゃない?」
「単 純 ですぅ」
がたがたとテーブルを揺 らして、ラシィが言ってくる。
「つまりモグリさんは、わたしが最 近 ずーっとキリランシェロっていう行 方 不 明 の魔術士を捜 しているのに、嫉 妬 してたんですぅ」
「嫉妬?」
「そうです。それまでは、モグリさんにかかりきりでしたからぁ」
はふ......と、あくびのようにも聞こえるため息をついて、彼女は続けた。
「わたし、考えてもいませんでしたぁ。モグリさんが、モグリさんがそんなつもりでいたなんて」
ただの繰 り返 しだが、つぶやくごとに深 刻 さが増 しているようではあった。不安そうな眼差 しをあげて、こちらを向いてくる──コンスタンスはあわてて口の中のものを飲み下すと、フォークを置いた。
とりあえず、彼女の話を無 視 して食べていたことには気づかれなかったようだった。あるいはどうでも良かったのかもしれないが。ラシィは身 震 いして聞いてきた。
「あの、モグリさんて、とても良い人だとは思うんですけどぉ......それでもやっぱりモグリの人ですし。なんか妙 な犯 罪 歴 とかないですよねぇ?」
「まあ、気にするような罪歴は、多 分 ないと思うけど」
気 軽 に答えて、ふと考え込む。
「でも......」
「でも?」
気になったのか、ラシィが聞き返してきた。肩 をすくめて、続ける。
「オーフェンて、わたしが初めて会った時から──きっとそのずっと前からって意味だけど──、誰かに恋 してるんだって思ってたけど」
「はあ? そ、そうですかぁ?」
意外そうな顔を見せるラシィに、笑いかけ、コンスタンスは頭の後ろで手を組んだ──ウインクして、告げる。
「わたし、今日、それが誰だか分かっちゃったような気がするんだけどな」
「??......え?」
分からずに、目をぱちくりさせるだけのラシィを見ながら、コンスタンスは、含 み笑 いとともに、再 びフォークを手に取った。
(もういいかげんあきらめろ!:おわり)



月明かりの下、硬 い土を突 き崩 すスコップの音が響 いていた。石の混じった地面に、金属のブレードが甲 高 く悲 鳴 をあげて跳 ね返 る。が、それでもひたすらにあきらめず、人類の英 知 たる穴 堀 り道具はその使 命 を果たすべく、繰 り返し大地へと叩 きつけられた。
──と、いくら他 人 事 のように言ったところで、あきらめず労働していたのは自分だったが。
ドーチンは、ぜえはあと音を立てる気 管 からため息をしぼり出し、陰 鬱 につぶやいた。
「兄さん......」
と、さほど離 れていない場所で、適 当 な図 柄 の手 旗 を振 って応 援 の舞 を踊 っていた兄を見やる。
兄は、なにやら驚 いたらしかった。目を見開いて、
「む⁉ ドーチン、作業の手が休まっているのはなにゆえかっ⁉ 」
「そろそろ、これがいったいなんの穴なのか、教えて欲 しいんだけど......」
地面に刺 したスコップにもたれかかって、ドーチンは額 の汗 をぬぐった。夜 気 はどちらかといえば涼 しいほどだったが、それが間に合わないほど上 気 して、汗が噴 き出 してくる。放 棄 された工事現場の真ん中に、ぽっかりと開いた穴は、まだ深さ五十センチもなかったが。
兄──ボルカンは大 仰 に腕 組 みし、やはり大仰にうなずいてみせた。そして大仰に答えてくる。
「うむ。そろそろ話しても良かろう」
「ていうか、最初に話してくれなかった理由がよく分からないんだけど......」
「いわれもなく我らを追う、あの悪 逆 の借 金 取 り──」
「借金取りな時点で、いわれはあるんじゃないかな」
「あの理 不 尽 大王との熾 烈 な戦いの日々っ! しかし俺 様 はまあそんなようなものに終 止 符 を打つべく、ひとつの真 理 に達したわけだっ!」
「......真理......?」
数々の指 摘 は置き去りのまま──特に珍 しいことではなかったが──、ドーチンは聞き返した。
「そう、真理だ!」
丸っこい拳 を目の高さまで上げて、ボルカンが熱く続ける。
「つまりっ! いかに奴 とて、重 力 に逆 らうことはできんっ! そんないかんともしがたい真実に気づいてしまうあたり、俺様の知 性 と洞 察 力 がキラリ輝 きまくって新たなる希 望 の灯火 へ! そして奴は最終コーナーでまくり殺されるに違 いないことこの上なしっ! そうじゃないかドーチン⁉ 」
「なんか、たまーに宙に浮 いたりとかしてたみたいだけど......あの人......」
「そのよーな細 かいことは大事の前の小事に過ぎんっ!」
「ひたすら致 命 的 なことのよーな......」
「そんなはずはないぞ。だってそんなはずはないって気がするからな。まあそれはそれとして、奴が重力に逆らえない以上、最も効 果 的 な罠 は、落とし穴であるっ!」
「......まあ、原 始 的 な罠ほど意 外 と有 効 らしいしね」
とりあえず穴を掘 ることの目的が判 明 したことで、満 足 しておくべきなのだろう。ドーチンは息を整 えて、再びスコップの柄 を握 りなおした。人間サイズのスコップ──この工事現場に放 棄 されていたものを拝 借 した──は、かなり扱 いづらいものがあったが。
「で、どうでもいいと言えばどうでもいいけど、どうやってあの人をここまでおびき寄せるわけ?」
「ふっふっ。任せておくが良い。きっぱりと完 全 無 欠 な策 を用意してある。明日こそ、奴がさざ波にさらわれ殺される国民的な休日になるだろうっ!」
つまり──
(明日までに掘らなくちゃなんないってことだね)
再び手旗を振 り始めた兄を見ながら──
ドーチンは、作業を再 開 した。
「行かん」
オーフェンはただ一言そう告げた。『果 たし状 』と記された手紙をぽいと捨てて、雑誌に視 線 をもどす。
黒 髪 黒目黒ずくめ、胸 元 には大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》の紋 章 。そんな格 好 で、食事の終わったテーブルに頬 杖 して雑誌をのぞき込んでいる。ちょうど昼時だがほかに客がいないその食堂で、起き抜 けの頭をはっきりさせようと、彼は小さくあくびした。
間は、数秒ほどか。
「え?」
その果たし状の主──ボルカンが、間の抜けた声をあげるのが聞こえてきた。
そちらに視線をやらないまま雑誌のクロスワードを埋 める作業にもどると、厨 房 から金 髪 の少年が姿を現した。いつもの食堂のいつもの風 景 であり、どうということもない。空になった食器を回 収 に、テーブルに近づいてくる。
「どうでした? 新作の、アバラ豆とマチコケと、なるたけコーンによく似た物 体 のスープ」
「......いや、微 妙 に聞いたこともない食材並べられると途 端 に不安になるっつーか、なるたけってお前」
半 眼 でうめく。が、その少年、この宿の主人のひとり息 子 であるマジクはきょとんと悪 気 のない眼 差 しで虚 空 を見やり、
「目に付いた材料使ったらどんな感じかなと思ったんで」
「......まあ、お前の適 当 料理は無 料 で食えるんだし文句はないけどな。塩の味しかしなかったけど」
「ちゃんとしたメニューが欲 しかったらお金払 ってくださいね」
器用に食器を腕 に乗せ、つぶやいてきたマジクの言葉を──
さえぎって、叫 び声が響 いた。
「ちょっと待ていっ!」
見る。と、ボルカンがなにやら、ばたばたと腕を振 り回していた。
「このマスマテュリアの闘 犬 ・ボルカノ・ボルカン様がもたらした緊 迫 したサスペンスアワーをさらっと流して、ぬぁにをごく普 通 の日常にもどってやがる、この吊 り目の風 来 坊 っ!」
地 人 ──大陸南方の地人自 治 領 に住んでいる、少 数 種 族 である。成長しても身長は百三十センチほどでストップするが、体重は平 均 的 な人間種族よりもはるかに重くなる。一 般 的 な民 族 衣 装 である毛皮のマントにすっぽり収まり、腰 に剣 をさしているほうが、このボルカンだった。
もうひとり、その五歩後ろに(というか意 識 的 に遠ざかってというように見えたが)立っているのが、その弟のドーチンだった。どちらも知った顔であり、今さら見かけたところでなにがどうということもない。
「............」
しばし考えて、オーフェンはテーブルに雑誌を伏 せた。
「えーと」
テーブルに捨てた果 たし状 を指さして、
「これは?」
「うむ」
ボルカンは得 意 げに腕 組 みした。
「ついにこの俺様が、貴 様 ごときを虫のごとくぷちっとひねったりもいだりすることを決心した経 緯 とかがえんえんつづられていたりする涙 なくしては読めない声 明 。まあえんえんつづりまくっていたら本題書き忘れたから口 頭 で伝える。今晩九時。街はずれの工事現場に来やがると良い。なるたけ転びやすい格好でだ。以上」
「行かない。以上」
オーフェンは、にこりともせずにそれだけ告げた。ぴしりと奇 妙 な音を立て──顔面がひび割れるということがあるとすれば、まさにその音だろう──、ボルカンが表情を変える。
「ほほぉう」
あさってのほうを見やり、鼻にかかったあてつけ丸出しの口調で、
「すると貴様、臆 したわけだな? この時代の望んだ究 極 英 雄 、ボルカノ・ボルカン様との決戦は避 けたいと」
オーフェンは、雑誌にもどりかけた手を止めた。顔を向けてつぶやく。
「罠 でも仕 掛 けてあるんだろ。どーせ」
「そんなことがあるはずなかろーがっ!」
ボルカンは顔を紅 潮 させて、即 座 に叫 んできた。
「この世界に名だたる高 潔 者 大将ボルカン様が、罠などと卑 劣 で愚 劣 でついでに拙 劣 な悪 念 を脳 内 に発 生 させるとでも思っているのか⁉ 母に誓 い父に誓い先祖に誓うっ! ンなわけないっスと血 判 入りで保証するっ! とゆーか毎朝朝礼で復 唱 だ!──『わたしたちは罠と騙 し討 ちを憎 みます』以上っ!」
そのとなりで、ドーチンが顔に汗 など垂らして横を向いていたりするが。
なんにしろ、オーフェンは半眼になって告げた。
「ないなら、ここでいいじゃねえか。ンな遠くまでなんて行かなくたって」
「え?」
なにやら熱 弁 ふるっていたポーズのまま、ボルカンが動きを止める。オーフェンは続けた。
「いや、だから、別にここでいーだろ。当 事 者 がそろってるんだから。熱 衝 撃 波 と物 質 崩 壊 と尖 った拳 のどれかから選べ。痛さはどれも大 差 ないぞ」
「いや、あの、えーと、それは」
しばし言葉をひっくり返し続けて、ボルカンは苦しい表情を見せた。と、食器を持ったまま立っていたマジクが、ぽつりと、だが冷たく言ってくる。

「ここでいーだろって、お店の中で暴 れるのは止 してくださいよ」
「そーだ、それだ少年っ!」
ぱっと顔を輝 かせて叫ぶボルカンは無視して、オーフェンはマジクにうめいた。
「いーじゃねえか。ちゃんとあとで直してるんだし......俺は今日はひたすら出かけたくない気分なんだよ」
「いいわけないでしょう? だいたい最近直し方が雑ですよ。あのへんの壁 とか、昔は窓とかあったのに」
「いいぞ少年がんばれ少年っ!! 」
「うーん。魔 術 で直してばかりってのも芸がないし、大工道具使って直してみたんだが。窓だとどうせ次に騒 いだ時に割れちまうだろうから、気を利 かせて」
「だから騒がないでください」
マジクはそのあたりで、食器を抱 えて背を向けた。肩 越 しに、
「その人たち吹 き飛ばすんだったら表に出てやってくださいよ」
「分かった。善 処 する」
「ああ! いまいちたいした助けになってないっ⁉ 」
頭を抱 えて叫 ぶボルカンに、オーフェンは視 線 をもどした。小さくため息をついているドーチンが視界に入り、自分こそため息でもつきたい気分ではあったが。
「い、いや待て残 虐 魔 人 ・尖り目太郎。どうせ外に出るのなら、健康のためちょっと遠 出 をしたほうが。決 闘 の前だから健康には気を遣 ったほうが良いと俺様はさりげなく忠 告 したりする」
わたわたと手を振 って言ってくるボルカンに、静かに問いかける──
「で」
ぐわしと相手の頭をつかみ、
「どれを選ぶんだ?」
とりあえず、熱 衝 撃 波 を選ぶことになった。
ばたん。宿の外の通りにやや大ぶりのクレーターを残して、黒魔術士の閉じた扉 の音が響 く。
自分同様、いまだ炎 がくすぶる大 穴 の中心で黒こげになった兄が、拳 を握 りしめて口 惜 しげにつぶやいた。
「ぬう。意外な障 害 が」
「意外かなぁ」
うめいてドーチンは、起きあがった(ひっくり返っていたのだ)。
ぱっぱっと煤 やら埃 やらを払 いつつ、ボルカンが顔をしかめる。
「うーむ。毎回毎回このよーに煤まみれにしおって、ろくでなし魔術士。煤 煙 がいかに呼吸器に悪 影 響 を与 えるかを考えると、ぞっとせんな」
「......まあ、煤しか気にならないのなら、それでいいけど......」
「しかしっ! これであきらめる俺様ではないぞ! このような事 態 も想 定 し、次なる手も用意しておいた俺様の勝利だ!」
「次なる手?」
「うむ! これから用意しよう」
「............」
「......殺人は愛 撫 と同じだ。相手は予期しないほうに触 れようとする。くすぐったいだけか? それとも反応するか? それは相手次 第 だな」
帽 子 の黒い縁 で、視界の上半分を隠 し──つまり相手にとってはこちらの顔を隠し──、男は静かにつぶやいた。
「苦 痛 は一 瞬 だ。快 楽 も同じ。余 韻 だけが長い......それも同じか。ただひとつ、死はやり直しがきかない。たったそれだけの違 いに過ぎない。死だけが、人をそれっきりにする」
黒い革 のグローブに包まれた、細い拳をゆっくりと上げる。腰 の高さ......肩 の高さ......顔の高さまで。
「君を、これっきり にして欲 しいと。そう望む者がひとりいれば、事足りるんだ......わたしが動く理由として」
「な......なぜ......」
息を荒 らげ、顔面を脂 汗 で濡 らして、標 的 はうめく。どうということはない──死に際 した者がうめくことをすら嘲 笑 う者は、ただの愚 か者だ。男は、拳 を動かすことなく口を開いた。
「君が、クームノーツ農 園 のバーバラ事件で物 証 を残さなかったことは、特 筆 に値 する。最も効 率 的 で迅 速 な手口で、可能な限り非効率的で緩 慢 な殺害方法をおこなったことになるからな。十二歳 の被 害 者 の遺 体 は、農園の周 囲 、合計十四か所で発見された。驚 くべきことだが医師は、少なくとも四か所目を巡 るまでは被害者が生きていた可能性が高いと報 告 している」
「ああ......あ......」
「被害者の父に、派 遣 管 理 官 が同 情 した。彼は経 験 上 、好ましからざるコネクションが時に必要となると信じていたようだ。つまり、わたしへの連 絡 方法を忘れていなかったわけだな」
男は、少し天を見上げた。
白 昼 。だが放 棄 された工事現場には、人の目も気 配 もない。街の中心から遠く離 れたこの場所は、彼のような職業者にとっては非常に重 宝 するスペースだった。一番近くの住居まで悲 鳴 がとどくのにも、オペラ歌手以上の声 量 が必要となるだろう。
視線をもどす。
「さて、わたしの方法を説明する......わたしは素 手 でしか仕事をしない。武器は証 拠 を残すことになる──といって、例のノコギリを無事どこかに処分した君に言っても、笑われるだけだろうが」
標的は笑わなかった。逃 げる余 力 もなくし、ただひきつった呼吸を繰 り返すだけだった。
「ひとつ裏切ることになるかもしれないが」
男は、最後に締 めくくった。
「わたしの方法がもたらす苦 痛 は、君が期待するほど一 瞬 ではないかもしれない」
仕事を終えて死体を埋 め終わったところで、男は人の気配を感じ、顔を上げた。捨ててあったスコップを抱 えたまま、近くの資 材 の陰 に身を隠 す。
「よーするにだ。奴 がここに来たがるようにすれば良いわけだな。頼 まんでも全 速 力 でここまでのこのこやってきて、一回転しながらここの落とし穴に落ちるように。実に単 純 なことだと思わんか?」
「なんかこの場合の単純って、単 細 胞 とかそっちの単純さのような気がするけど......具体的にはどうするの?」
「いや、まあとりあえず、そうなればいいなぁと思ってる段 階 ではあるが」
そんなことを話しながら、足 音 が近づいてくる──
いま埋めたばかりの穴を見やる。注意すれば掘 った痕 跡 はすぐ分かるが、工事現場の掘り跡 など、そう気になるものではないだろう。問題は、足音が近すぎるということだった。ここまで気づかなかったのが迂 闊 だった。移動すれば、必ず気づかれる。
物陰で、じっとしているうちに。
「うむ。ここだ」
ちょうど資材をはさんで向こう側に、その声の主たちは止まったらしい。
「あの入り口から奥 に進むには、ここを通るしかない。故 に決定された落とし穴の位置。完 璧 過ぎる罠 だとゆーのに、あの黒世界の借 金 取 り、何が不 服 なのだか」
「まあ、罠が不足でも十分でも来ないと思うけど」
(......完璧な罠?)
男は訝 った。声の主が言っていたことは正しい。放置された資材──いずれは回収されるのだろうが──がちょうど通路のようになって、一番奥のスペースに入るためには、いま隠れているこの近くを通らなければならない。だからこそ、死体の隠し場所に決めた。穴を掘っている間、通りからでは容 易 に発見されない位置だ。
とはいえ、正しいのはそこまでだった。自分もその場所を通ったはずなのだ──ここに入り込むために。にもかかわらず落とし穴に落ちることはなかった。完璧な罠とは言えない。
だが、そんなことより、
(......子供のいたずらのために、窮 地 に追い込まれるとは!)
男は舌打ちした。無 論 、音は出さずに。そちらには気 遣 っても、心の平 静 はどこかで崩 れたらしい──足 下 で、小さな音が響 いた。ぺきっと、小 枝 が割れる音。
心臓が跳 ねる。
「ん?」
声は、あっさり気づいたようだった。
「なにか聞こえたか?」
「ひょっとしたら、あの人が先回りしたのかも......ホントにひょっとしたらだけど。こっちからだったかな?」
別の声が答えて、こちらへと近づいてくる──
「あれ?」
きっかり一秒後、半身だけでのぞき込んできたのは、子供のようにも見えたが、また違 うようにもみえた。
さっと、たたずまいを直 す。隠 れていたのだと見られないように。無 駄 な努力だったかもしれないが。
帽 子 を目 深 にかぶって──また舌打ちする。相手は極 端 に背が低かった。よく見れば確か、南方にいるとかいう少数種族だ。なぜこんなところにいるのか分からないが、それはどうでもいい。とにかく、これでは顔が隠せない。
「やあ」
可能な限り快 活 な声で、彼は挨 拶 した。
「こんなところでなにをしてるんだい? 君たち」
「えーと......」
「どーしたドーチン」
もうひとり、似たような格好をしたのが、加わってくる。腰 に剣 をさげていたが、古びていて実 用 に耐 えるものではないように見えた。
「いやこの人が」
そちらを向いて、ドーチンと呼ばれたほうがつぶやく。
「ふうむ」
腕 組 みし、剣をさげたほうが、なにやら難しげな顔を見せる。
「とりあえず黒いが、あの借金取りの身 内 ではないらしいな」
「?」
言っている意味が分からず言葉を探しているうちに、あとを続けてくる。
「間違いない。出会い頭 なのに攻 撃 してこないし」
「そういう基 準 かなぁ」
「えー......と」
彼は、ゆっくりとふたりを制 止 した。
「君たちは、なにをやっているのかな? わたしもちょっと休ませてもらっていたんだが、ここは私 有 地 だろう?」

言ってしまってから、良い言い訳とは言えないことを自 覚 する──こんなわざわざ工事現場の奥 まで入って休 憩 する馬 鹿 もいないだろう。
が、そのことに気づいたのかどうなのかは分からないが、腕組みして、剣を持ったほうが無 意 味 に自信たっぷりに答えてくる。
「うむ。ここはとりあえず、対ブラックゴギガンガー永 久 放 逐 作戦の決 戦 場 と指定された。民間人は至 急 避 難 するが良かろう」
「ゴギガンガー?」
「あだ名だ。昨日つけた」
「つけても」
そんなことを、そのふたりだけで言い合ってから、ドーチンとかいうほうがこちらを向いた。
「えーと。別にたいしたことじゃないんですけど。気になさらないでいただければ幸 いです」
「............」
「もういいドーチン。とりあえず決戦地に帰ってきたが、意味がないと気づいた。奴 を一インチコラム欄 で紹 介 し殺すため、作戦は新たな展 開 を迎 える。行くぞ」
「ええ? もうあきらめてこの穴埋 めにきたのかと思ったのに」
穴......
見下ろして彼は、自分がここを通った時にその落とし穴とやらに落ちなかった理由を知った。薄 いベニヤを蓋 にして、その上に砂 利 を載 せた程度のものだが、それ以前に穴が小さすぎる。頑 張 って掘 ったのだろうが、せいぜい一メートル四方しかない。これではよほど運が悪くなければ落ちることもないだろう。
と──
顔を上げた時には、もう例のふたりはこちらに背を向けて遠ざかりつつあった。それを無 言 で見送りつつ、うめく。
(......どうする?)
ここの工事は無 期 延 期 だが、それはつまりいつ再 開 されるか分からないということでもある。二十年後かもしれないし、数か月後かもしれない。そうなれば、敷 地 内 のどこに隠 そうとも、死体が掘り出される可能性は極 めて高い。近いうちに発見された場合、あのふたりが自分のことを思い出して警察に証言するかもしれない。そうなれば、大 陸 中 に似 顔 絵 付きで手 配 書 が配 られることになる。
今のうちに死体を抱 えて別の場所に移動する──それは論 外 だろう。まずいないと思っていた通 行 人 がいた以上、また別の通行人と出くわす危険性は無視できない。死体が発見され、さらにあのふたりが自分のことを思い出し警察に証言する可能性に比べれば、こちらのほうが格 段 に高いとも言える。
差 し迫 った危機ではないが、危機は危機だった。無視することはできない。
(まずい)
彼は、胸 中 でつぶやいた。あのふたりを殺さなければならない。ここではなく別の、今度こそ通行人などいないと確 信 できる場所を見つけて。
方法その一。脅 す。
「いいか黒 魔 術 士 、俺様が今どれくらい貴様を脅すかといえば、今世紀最後の大 博 覧 会 の総動員数約二万四千! その家族が四倍、さらにその友達をあわせて十倍、それが飼 っている犬が四百、出会いと別れでプラスマイナスゼロとしつつエントロピー増 大 の運命に従 って一家離 散 。即 ちまあ、ざっと暗 算 して......ええと......にじゅうなな......くらい。その八兆倍もの人数が残らず口を開いて『うわぁ』と言うほどの脅し方であり、これはまさしく脅される前に従ったほうが身のためであると忠 告 しつつ既 に脅しは始まっているので貴様はもう袋 の鼠 で──」
とりあえず、ここまでは聞いてくれたらしい。
「我は放つ光の白 刃 」
黒魔術士の呪 文 が起こした爆 発 は、兄を通りの端 から端まで、約五メートルほど吹 き飛ばした。
方法その二。諭 す。
「と......とにかくだ黒魔術士。俺様の恐 怖 にこれ以上さらされたくなければ、もっと賢 い方法があるとゆーことを教えてやらんでもないぞ。うむ。まず地べたにはいつくばってだな、血 判 を用意し、地べたにはいつくばり、『わたしは素 直 に決 闘 に応 じようと思います』と書きつつ、地べたにはいつくばって、地べたにはいつくばってみる。一番目と三番目と五番目六番目が重 要 だ。さん、はい──」
「素直に決闘に応じようと思います」
その一言を呪文とした熱 衝 撃 波 が、今度は五・五メートルほど兄を吹き飛ばした。つまりは五十センチ分、民家の壁 にめり込んだ。
方法その三。頼 み込む。
「ええと......あのう、もういい加 減 あきらめて、この工事現場に行ってくれやがると、偉 いです。すごく」
「我はまあなんでもいいや」
なんでも良さそうな大爆発が、兄をきりもみ回転させながら吹き飛ばす。飛んだのは五メートルほどだったろうが、回転が先 刻 より深く、兄を民家にねじ込んだ。
方法その四......
「......なあ」
オーフェンは半眼で、ふたりに告げた。
「結局お前ら、なにがやりたいんだ?」
「............」
ボルカンとドーチン、ふたりでしばし顔を見合わせ、
「兄さんって、まるっきり同じことしかしてないのに、いろいろな手を試 してるように見えるのはどうしてだろうね」
「うーむ。まあ誉 め言葉と受け取っておこう」
「受け取るなよ」
とりあえず言っておいて、ため息をつく。オーフェンは間を取るために、いったんあたりを見回した──トトカンタのごく普 通 のストリート。歩いてきた道 筋 を、点々と魔 術 の爆 発 跡 が追ってきている。人通りもあるにはあるが、誰 もがなるたけ騒 ぎに近づくのを避 けようとしていた。当たり前のことではあったが。
彼はそのまま腕 組 みして、口を尖 らせた。
「だいたいお前らがしつっこく食いついてきやがるから、マジクの奴 に宿追い出されちまったじゃねえか」
「いや、呪文やらなにやらで、テーブルと椅 子 全 損 させたりしなければ追い出されなかったと思いますけど......」
「ったく、俺は優 雅 な午後を過ごしたかったってのに」
なにやら言ってくるドーチンを無視して、うめく。
「だいたい俺は、お前らのモロバレな罠 に近づくつもりなんざねえんだ。さっさとあきらめて、まともな仕事でも探せっての」
「そんなことができるんなら苦労しませんよ」
と。
「おおっ!」
少し離 れていたボルカンが、唐 突 に声をあげた。なにやら大げさに驚 いた表情で──つまりはあからさまに嘘 くさい表情で──、足 下 から紙切れを拾い上げている。
「これは間 違 いなく、財宝の在 処 を記 した地図! 伝 説 の幸せ馬 泥 棒 ......ええと、名前は仮にウマッチャリーにしておくが、まあそいつが遺 した莫 大 なお宝の隠 し場所に間違いないぞ!」
と、すたすたとこちらに近づいてきて、真 顔 で地図を差し出してくる。
「特に不自然な点はなかったと思うが、さあこの地図をやろう黒魔術士。感謝しつつ、つり目まっしぐらの精神でこの地点へと向かうよーに。あ、裸足 のほうがいいぞ、伝説では」
「我は放つ光の白 刃 」
爆 発 と激 震 が視界をぶれさせると、あとにはなにも残っていなかった。視線をずらすとまるで手 品 の瞬 間 移 動 のように、向こうの壁 にボルカンがめり込んでいるのが見える。タネも仕 掛 けもないが。
「方法その十七......騙 す......というか騙そうという努力はうかがえた」
なにやら日記のようなものにメモしているドーチンに、オーフェンはつぶやいた。
「お前ら......ひょっとして楽しいのか、これ?」
「さあ」
ドーチンが、首を傾 げる。
今度こそ本当に深 々 と嘆 息 して、オーフェンは肩 をすくめた。
「とにかく、俺はもう行くからな。今のはちょっと本気でやったから、しばらくは復活しないだろ、あいつも」
「まあ、しないでしょうけど......」
「オーフェン」
突 然 聞こえた声に、オーフェンは振 り返った。見ると、とたとたと、どこか説 得 力 のない走り方で、スーツ姿の女が駆 け寄ってきている。
「コギー?」
きょとんと、オーフェンは彼女の名前をつぶやいた。目の端 で、兄を掘 り起こしに離 れていくドーチンを見ながら、
「なんだよ」
近づいてきたコギー──派 遣 警察官のコンスタンスに聞く。彼女の様子からは、ここで会ったのが偶 然 ではなく、自分のことを探していたのだと感じさせるものは見て取れる。彼女はとりあえず息を整 えてから、言ってきた。
「あのねオーフェン。大変なのよ。この街に、なんだか素 手 専門の殺し屋が入ったとかで、その捕 縛 を命令されて──」
「そうかそれは大変だながんばれよ」
即 座 に告げて、きびすを返して立ち去ろうとし、
「なんでよー!」
叫 びつつ、あわててこちらの襟 首 をつかむ彼女に、振り返らずに告げた。
「いや俺はなんにも聞かなかったしなにも分からなかった。自分を見つめ直すために旅に出るから探さないでくれ」
「そいつに暗 殺 を依 頼 した派遣管 理 官 ってのが罪の意識だかなんだかで出 頭 してきたのよ突 然 のことだから特 殊 武 装 隊 も手 配 できないのよ市警察の人員もそれほどいないのよわたしひとりでどーしろってのよって部長に訴 えたらオーフェン捜して適当に押 しつけろって言われたのよ!」
「残念だが忙 しいんだっ!」
「そんなことあなたに限ってあるはずがないじゃない!」
「なんでだっ⁉ 」
叫び返す。と同時その勢 いで、振り返ってしまい──白い眼 差 しでこちらを見 据 えるコンスタンスと顔を合わせることになってしまった。
「へええええええええええ」
やたらと疑わしげに、彼女はつかんでいたこちらの襟首をはなし──じろじろと顔をのぞき込んでくるようにすると、続けて口を開いた。
「じゃあ聞くけど、これからどこに行くつもりだったのよ。どーせまた、やることも行く場所もないもんだから意味もなくぶらついてたんでしょ」
「うっ」
うめいて、一歩退 く。と、同じ分だけ彼女は距 離 を詰 めてきた。
「まったくもって嘆 かわしいわ。街の平和のためと称 して身を粉にして働きつつ勤 務 評 定 をなんとか上げないとならないわたしを見捨てて──」
「称して」
「わたしを見捨てて、なぁに? あんたは無 目 的 な散歩を優 先 させるわけね。そーかそーなのね。これを聞いたらいろんな人が悲しむわ。リチャード・マッケイはなんて言うかしら」
「誰だそれ?」
「わたしが知ってる限りでは、最も過 激 な魔 術 士 弾 圧 グループのリーダーだけど」
「脅 迫 かっ⁉ 」
「いーじゃない手伝ってくれたって!」
「絶対断 じて嫌 だ! なんで俺が、お前の都 合 で、ンなヤバそーな殺し屋だかなんだかと関 わらにゃならねんだよ! そんなもんは警察に任せりゃいーだろが!」
「警察なんて頼 りになるわけないでしょ⁉ 日々いかにリスクなく弱い立場の犯罪者を引っ立てて勤務評定を上げることしか考えてないんだから!」
「......いや......当事者のお前が断言すると、なんかどーしよーもない気分になるんだが......」
半眼でうめき、そして──
「とゆーわけで、さらばだっ!」
「あ! 待ちなさい!」
隙 をついて、走り出す──背後からの声を無視してオーフェンは、一番近くの路地に入り込もうとした。
刹 那 。
ふっ......と現れた気配に、足を止める。ちょうど路地に入ってすぐだった。その道をふさぐように立っていたのは、黒服の、妙 にどろりとした眼をした男である。
「......聞いていたよ。だいたいはな」
「?」
馴 れ馴 れしく口をきいてきた男に、オーフェンは眉 根 を寄せた。コンスタンスの足音が聞こえてきている。わけの分からない男などほうっておいて逃 げたいのだが、男はちょうどとおせんぼするように、狭 い路地をふさいで立っていた。
「こんな気はしていたんだ......確 率 としては低かっただろうな。目 撃 者 。警察。この二点が結ばれる可能性はゼロに近かった。だがそれが今完全にそろって、わたしの前にいる」
「いや、あのな......どいてくれない?」
オーフェンはうめいて、男を押 しのけて進もうとした。が。
ひゅんっ!
突 然 男が放ってきた指先が、顔をかすめる。かすめたというのは、オーフェンがとっさに身体 をよじったせいだった──でなければ、爪 が眼 球 に当たっていただろう。
「って......」
いったん退 いて体 勢 を立て直してから、叫 ぶ。
「危ねえだろがっ⁉ 」
「ほう。かわしたか......警察にも、骨のあるのがいるというわけだな」
男はぶつぶつとうめきながら、奇 妙 な構 えを取ってみせた。両 腕 をぶらりと上げて、剣 呑 に微 笑 んでみせる。
「......殺人は愛 撫 と同じだ。相手は予期しな──」
「オーフェン! 逃がさないわよ!」
「くっ⁉ 」
オーフェンは振 り向いて、唇 を嚙 んだ 。もたもたしているうちに、コンスタンスが追いついてきている。
「予期しないほうに触 れようと......」
「くそ! てめえのせいだぞ、なんか知らんが!」
オーフェンはなにやらぶつぶつ独 り言を言っているその男に吐 き捨てて、とりあえずけん制のためにコンスタンスに向き直った。
「オーフェン、観 念 しなさい! ほら、そこの一 般 市民の方も、あんたがわたしに協力するべきっていう天の電 波 を受けて助けてくれているのよっ!」
「ンなわけあるかっ⁉ たまたま変わった奴 が道をふさいでただけだろーが!」
「......くすぐったいだけか? それとも......」
「ほーほっほっ! それが宇 宙 意 思 というものよ! さああ、あきらめて、きりきり手伝いなさい。まさしく馬車馬のよーにっ!」
「くそ、断るっ! こーなったら、連 鎖 自 壊 でこの一角吹 っ飛ばしてでも──」
「反応......するか......それは......相手──おいっ! 貴様、聞いてるのかっ⁉ この台詞 を無視してくれた奴 なんていない──」
「さっきからやかましいっ!」
オーフェンは裏 拳 でその男を黙 らせると、またコンスタンスのほうを向きやった。男のかぶっていた帽 子 が吹き飛んで落ちるのを追いかけるように、その男自身も道に倒 れていくのがちらりと見える。
コンスタンスに対 峙 して、オーフェンは声をあげた。
「いいか! 言っとくが、連鎖自壊なんて俺もほとんど試 したことがねえんだからな! 失敗したらわけ分からんぞきっと! 危ないと思ったら逃 げろよ分かったか⁉ 」
「............」
が──
なにか言い返してくるものと待っていても、彼女はなにも言ってこなかった。ただきょとんとして、こちらのほうを、いやこちらを通り越 して背後を見つめている。
「............?」
なにかあるのかと思い、彼女の視線を追って背後を見やる。だがそこには、今殴 り倒した男が倒れているだけで、なにかあるわけでもなかった。
ドーチンが兄をやたら深くめり込んでいた壁の中から掘 り出した頃 には、なにやら騒 ぎになっていた。なんだかよく分からないが、警官の人だかりまでできている。ロープで縛 られた、黒い服の男──見覚えがあるような気もするが、人間種族の顔などというのはそうそう覚えられるものではない──を、何人かの警官が取り囲んで護 送 しようとしているらしい。
「ホントにこいつなのか、おい? こんな偶 然 あるのかよ」
「間 違 いないってば──」
例の黒 魔 術 士 と、派 遣 警察官が、なにやら腑 に落ちない表情で話しながら、その人だかりから姿を現す。たまたま自分の近くに来たということもあり、また気にもなって、ドーチンは問いかけた。
「なにかあったんですか?」
「いや、よく分からんが......」
と、事情を説明してもらっても、ぴんとは来なかった。
「まあ、そういうこともあるんじゃないですか?」
「まあ、そうだな......」

「あいつが自 供 した、死体の隠 し場所、確かめに行かなくちゃいけないからつきあってよ。いいでしょオーフェン?」
「うーん......まあ、こうなると関係者だしなー」
「死体って、そんなのこの近くに隠してあったりするんですか?」
ぞっとしながら聞く。が、場所を聞いてさらに悪 寒 が強まった。知っている場所だった。
「そこ、兄さんが落とし穴掘った場所ですよ......嫌 だな。うっかり掘り起こしちゃってたかもしれないんですか?」
「そうかもな」
と──
突 然 、それまで気絶していた兄が、がばと起きあがった。
「そーか! 行ってくれるのか⁉ 」
なにやら歓 喜 のようなものすら混じった声で、黒魔術士の手を握 る。どうやら手書きの地図を押 しつけたらしい。
「うむ。行くのなら見 取 り図 とかここにあるから、この地点に立ってみたりするのがお勧 めだぞっ!」
「......ああ」
気の抜 けたような顔で──いまだ事 態 が腑に落ちないのだろう──、黒魔術士たち、ほかの警官も、集まった野 次 馬 も、みんな通りから立ち去っていく。全員が去るまで、兄の高 笑 いは終わらなかった。
そして、ふたり以外に誰もいなくなったあと──
「はーっはっはっはっはっ! 奴 め、罠 とも知らずに決 闘 場 に行くつもりらしいな!」
「いや、罠だって思い切りいやがってたけど。ずっと」
「そんなことはどーでも良さげっ! なんにしろ、あの決闘場に行った以上、奴の負けだ! とゆーわけで俺様の勝利! さあ勝利の宴 だ! 水でも飲むぞドーチン!」
「いや......でも、ぼくらも行かないといけないんじゃないのかな......罠のとこに」
おずおずと進 言 するが、だが兄は、きっぱりとかぶりを振 ってみせた。
「なにを言っている! もはや勝利が決まったとゆーのに、あのよーな危険な化学物質をたれ流してそーな極 悪 借 金 取 りなどに関 わっていては健康に悪いっ!」
「そういうもんかなぁ」
うめくが──
「............」
ドーチンは、しばし空を見上げて黙 考 した。だが結局、考えてみれば、
「まあよく分かんないけど、どうでもいいのかな、別に」
独りごちる。さっさと歩き出した兄を見て、肩 をすくめてから、ドーチンはそのあとを遅 れぎみについていくことにした。
(そのまま穴でも掘っていろ!:おわり)


「西部はまったく気が滅 入 るわね。そう思わない? コンスタンス」
「はあ......」
とりあえず、コンスタンスにできたのは生 返 事 ひとつ、ただそれだけだった。実 際 は、この商都トトカンタが、言われているほどの田舎 町 というわけでもあるまい。無 論 、文化程度は多少落ちるのだろうが、もとより西部の住人はそういったものを求めていないのだとも言える。
東部を築 いた先人は、古い伝統に縛 られることを嫌 った。あるいは西部に残った先人は、そういった東部人に支配されることを嫌ったのかもしれないが......
もっとも、そんなことはハイスクールの学生にでもディベートさせていれば十分なことだった。
(ホント......どうでもいいことだわよ)
コンスタンスは、こっそり嘆 息 した。
「重 要 なことだと思うのよ」
だが相手は、はきはきとあとを続けてくる。
「その地域の住人の教育水 準 と犯 罪 発 生 率 には、明 確 な比 例 を見いだすことができるわ。ダイアンはよくやっていると思うけれど。もっともデスクにかじりつくことが彼の天 職 だとは思わないけれどね──拳 銃 恐 怖 症 っていうのは本当だと思う?」
「噂 では、拝 領 した拳銃は、王都の自宅に置きっぱなしだそうです」
「噂話は感心できないわね、コンスタンス」
「............」
厳 しい眼 差 しでこちらを見 据 えて、きっぱりと言ってくるその女に、コンスタンスはぐったりとうなだれた。口には出さず、うめく。
(......どうしろってのよ)
どうしようもないのかもしれない。
彼女を見て、そんな感覚も自然と浮 かんできていた。見上げるほどでもない──実を言えば背 丈 は大差ないはずだった。だが彼女は明らかに、部下から見上げられることを求めているようであったし、それに逆らってもしかたない。
『彼女とうまくやっていくコツは』
ダイアンの声が、脳 裏 に蘇 った。
『肩 を落として見上げることだ。これは我々同期のメンバー全員一 致 した意見だが。わたしも最初のうち試みたが、さすがに中 腰 になって見上げたらひっぱたかれた。相 性 が悪いということなのだろう』
というより、身長差の問題でしかないのだろうが。
彼女を見て真っ先に感じるのは貫 禄 だが──警察組 織 のような職 場 では貫禄だけが通用するものでもないと公言するだけあって、メイクにも奇 蹟 のような手 腕 を発 揮 していた。まあもっとも素 顔 を見る機会などないため、単に素 地 が上等なだけかもしれないが。
短くカットされた、柔 らかそうなウェーブ。落ち着いた眼差し。隠 そうと思えば隠せる口元の小 皺 はあえて無視して、どうして隠せるのか分からない各所の難敵を駆 逐 しているのは、それこそその手腕に刮 目 せざるを得ない。単 純 な男が単純にあこがれるのは、十五、六の小 娘 ではなく、恐 らくこういった女だろう。(部長の同期だとしたら......三十四くらいのはずだけど)
三十四歳 には見えないということではない。
三十四歳の女はこうであろうと思えるようには見えない、ということだ。特に、彼女より年下の女たちにとって。
「それで......コンスタンス?」
いかにもざっくばらんな──ついでに、いかにもわざとでしかないとにおわせるような──口 調 で、名前を呼んでくる。涼 しい微笑 みを浮 かべた彼女に、コンスタンスは我知らず背 筋 を正していた。
「は、はい」
「あなたのレポートは、興味深く読ませていただいてるわ。さすがに、スクールを優 秀 な成績で卒業しただけのことはあるわね。冷 静 で......的 確 で......英知を感じると言うと、大げさかしら」
「はあ......」
「この陰 鬱 な西部の街で、辛 抱 強 く任務に従事してきた警官は、報 われることがあって当然だと思うのよ」
「そうですか」
言ってから、間の抜 けたことだったと気づく──が、相手はさほど気にしなかったようだった。歩いているストリートの喧 噪 を、その中に切り取られたポートレートのように静かに見回している。行き交 う人々はいつになく忙 しない様 子 で、次々と近くを通り過ぎていった。この日、トトカンタは珍 しいほどの冷え込みで、息 も白い。日が沈 みかけたこの時刻では、コートがないことを後 悔 するほどだった。
その冷えた空気よりも澄 んだ目が、こちらを向いた。
「知っての通り、わたしは来シーズンから、本部の対 武 装 盗 賊 戦 闘 課 のうち一大隊を率いることがほぼ内定しているわ。これは......派 遣 警察 、いえもっと大きく、王立治安構 想 における最終制 裁 遂 行 組織・平和状態維 持 行 使 力 ──」
すらすらと言ってくれる。
「つまりは騎 士 団 。始まって以来の快 挙 よ」
「......はい」
それは知っていた。なんとなく、嫌 な味を舌の奥 に感じながらうなずく。
と。
「それでね」
ラッセル・ロウフル部長刑 事 ──いや要するに来シーズンからそう呼ばれる予定の──は、世間話のようにあとを続けてきた。
「あなたには、わたしの下で働いてもらいたいのよ。コンスタンス・マギー二等官」
やはり来シーズンからそう呼ばれるのかもしれない名前でこちらを呼んで、彼女は満足げに、ただ一回うなずいてみせた。
「つまりだな、貴 族 は王 権 を得ている。大陸を統 治 するこの権利を持つことにおいて、同時に当然の義 務 が生じたわけさ──大陸を統治する義務がな」
「......それって、なにか違 うんですか?」
「統治する権利ってのは簡単だ。つまりは大陸を統治できる。義務も同じく簡単だな。統治するならば、大陸をまっとうに統治しなければならない。その中で、大陸全土の平和状態を持 続 させるため、貴族連 盟 が出したプランがつまり──王立治安構想。ひいては『王立治安構想における最終制裁遂行組織・平和状態維持行使力・即 ち騎士団』これが、俺 たちが俗 に騎士団と呼んでいる組織の正 式 名 称 だ」
こつ、こつとテーブルを指先で叩 きながら、オーフェンは話を続けた。
黒 髪 、黒目、黒ずくめ。胸 元 には大陸黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》の紋 章 のペンダント──剣 にからみついた一本脚 のドラゴンの紋章。しごくあからさまに黒魔術士然としたいつもの格好で、向かいに座 っている少年に話をしてやっている。少年の前には宿題のためにノートが広げてあった。
「俺らが、騎士団と聞いてぱっと思い浮 かべる王都の軍事組織は、本来は騎士軍と呼ばれるもので、騎士団の一部、もっと適 切 な言い方をすれば、一面でしかない。騎士軍、王権法 廷 、派 遣 警察 がそろって、初めて王立治安構想......中 略 ......騎士団が成立するわけだな。つまり──」
と。
オーフェンは、そこで言葉を止めた。少年も目をぱちくりとさせてこちらを見る。それを手で制して。
宿の扉 が、前 触 れなく開く。慣 れた宿の食堂。客が入ってくることも皆 無 なこの宿の扉が開くことがあるとすれば、知っている顔が現れるか、まったく知らない、ただし客では決してない顔が飛び込んでくるか、どちらかだったが。この場合は前者だった。
「......コギー?」
のろのろとした足取りで、両 肩 を落として入ってきたスーツ姿の女の名前を、オーフェンは呼びかけた。もうとうに夕食時は過ぎており、姿を見せる時間としては珍 しい。
だが彼女は聞こえなかったのか、そのままつま先を引きずるようにして、すぐ横を通り過ぎていった──そして、一番最初にぶつかった椅 子 に、そのまま座り込む。
「............」
宿題を手伝ってやっていた少年──マジクと顔を見合わせ、オーフェンはうめいた。
「......なんだ?」
「さあ」
マジクも、首を傾 げる。だがとりあえずは、客の注文を取る仕事を思い出し──彼はこの宿の主 の息 子 だった──、テーブルから離 れると、彼女のほうに行き、
「......あの、こんばんは。お食事ですか? なににします?」
コンスタンスの、どこか虚 ろな声が聞こえてきた。
「うー......えーと......そうね。なんでもいいわ」
「いやあの......そう言われましても」
「じゃあ、この前食べたアレ。あのまずいやつ」
「まずかったものわざわざ食べなくても」
「あー......と、んじゃ、コーヒー」
「............」
腑 に落ちない表情で、それでもマジクが厨 房 へと引っ込んでいくのを、なんとなく待ってから──
オーフェンは、口を開いた。
「どうしたんだ?」
「............」
テーブルに突 っ伏 すほど背中を丸めて、答えようとする気 配 もない彼女に、とりあえず続ける。
「先週は容疑者の護 送 中 に手 錠 の鍵 をなくして留 置 場 で一夜を過ごし、一昨日は麻 薬 取引 と間 違 えて、小麦粉屋を逮 捕 するために武装した一部隊の出動を要 請 したんだったっけ。昨日は、あれだ──資料室でこっそりスルメ焼いて食おうとかして、危 うく小 火 起 こしかけてここ十年の警察公 文 書 を焼 失 させるところだったんだよな? 今さら仕事でヘマしたからって落ち込むこともないだろーし......」
ぴくり、とコンスタンスの肩 が動くのに気づかないわけでもなかったが、そのままうめく。
「なんつーか、およそ考えられ得る、すべての警官ドタバタ喜 劇 を総ざらいしてる感じだよな。まだネタが残ってたとしたら、それはそれでお前すごいぞ。でもなぁ。あと考えられるのは......ええと......ああ、そっか。クビになったとか。ようやく」
と。
ゆっくりした動作で顔を上げ、彼女がこちらを向いてくる──
その表情に、オーフェンは思わず一歩退いた。
「あのね、オーフェン」
なにか、勝ち誇 ったように瞳 を輝 かせ、顔の下半分には満 面 の笑 みを浮 かべ、彼女はきっぱりと言ってきた。
「わたしね......聞いてくれる?」
「あ......ああ」
なんとなく気 圧 されて、返事する。彼女はゆっくりとひとつ、時間をかけてうなずいてみせた。
「昇 進 するの、わたし」
「......は?」
「昇進するの。偉 くなるの。部下なんか持つわけ。命令するわけ。そんでもって尊 敬 されて、給 料 も今の倍はもらって、上から信 頼 されて、重要な仕事をばしばしこなすのよ」
「............」
彼女の言葉のひとつひとつを、咀 嚼 するようにじっくりと聞き入って──
オーフェンは、立ち上がった。すたすたとコンスタンスのもとへ行き、
「コギー」
きゅっ、と彼女の手を握 り、持ち上げる。いまだ表情を変えないコンスタンスの瞳をのぞき込むようにして、

「分かった......いいんだ。そうか。疲 れてるんだな」
かぶりを振 る。
「お前はよくやったよ。いいか、確かに社会はお前に冷たかったかもしれないが、もうつらいことなんか忘れていいんだぞ。この際ゆっくりと静 養 して、まあ魚でも釣 って暮 らせ。それで、そんな幻 聴 が聞こえなくなったら、いつかきっと、もう一度会おうな──」
「なんでよっ⁉ 」
ぺしっ、と手を振り払 って、コンスタンスが叫 んでくる。
が......
それまでの表情を、へなへなと萎 縮 させて、彼女はまた先刻のように、肩 を落とした。
「まあね......なんてゆーか。わたしも幻聴かって思ったわよ」
「って、ホントなのか?」
聞き返しながら、手近な椅 子 を引っぱり出して、それに腰 を下ろす。と、彼女は嘆 息 混 じりにうなずいてきた。
「ええ。ホントに突 然 よ。本部から、来シーズンより対 武 装 盗 賊 戦 闘 課 を率いるとかいう部長刑 事 がやってきて......わたしを直 属 の部下にしたいんですって。なにがなんだか」
「対武装盗賊戦闘課ってお前、それ確か、派 遣 警察内 でも最 精 鋭 の実戦部隊だろ? 有事には騎 士 軍 に編 入 されることもあるとかいう......」
「そ。まさしくそれ」
答える彼女の表情からすれば、喜ぶ、あるいは嫌 がるといった部分にまですら到 達 せず──ただわけが分からないといった様相だった。眉 根 を寄せ、口をすぼめて、不安げにうめく。
「......どういうことかしら」
「どうもこうも」
オーフェンは、肩をすくめた。分かるはずもない。だが、
「軍務経験もない人間を、そんなポストに抜 擢 するからには、なにかあるはずだろ。納 得 できないことほど、理由ってのはあるもんだ」
「部隊は実質、その部長刑事が指 揮 するわけだから、まあわたしの役割って、その事務処理の手伝いとか、言ってみれば秘書をやれってことなんだと思うけど......それよりも、政治的なことかしらね」
「?」
「ラッセル部長刑事。多分、派遣警察では初めての女性高級管理職になるはずよ......あんたにはちょっと理 解 できないかもしれないけど、やっぱり男社会だから。派遣警察って」
「ふむ」
とりあえず、オーフェンはうなずいた。西部、特に魔 術 士 の一 般 的 な倫 理 として性差廃 絶 主義が広く定 着 したのは、東部人が東部へと移民していった後のことだった。必ずしもそうであるからというわけではないだろうが、東部の組織において女性の占 めている地位というのは、おしなべて低い。
女性に出産を強 要 するのが、東部男性の風 潮 であるという言い方もできる。
コンスタンスは独り言でもつぶやくように、あとを続けた。
「それで、やっぱり不安なんじゃないかしら?──対 武 装 盗 賊 戦 闘 課 の連中なんて、まさしく男むさい奴 らばっかりだから。きちんと自分の指揮に従ってくれるのかどうか」
「でもそりゃあ、当人の能力次 第 だろ? 相手が誰 だろうと、客 観 的 に正しい命令なら従うだろうし、そうでないなら従わないだろうし」
「だ・か・ら、それはあんたが魔術士だからそう思うんでしょ。理 想 論 みたいなもんじゃない。魔術士なんて極 端 な個人主義者ばっかりでさ。人が大 勢 集 まれば、派 閥 とかなんとかうるさいんだから。男と女ってのは、真っ先に分かれるの」
「そういうもんかねぇ」
虚 空 を見上げて、うめく。言われてみれば、その通りなのかもしれないが。コンスタンスはそのまま言ってきた。
「で、ちょっとでも自分の周りを同性で固めておきたいのよ、きっと。ここ数年、女で二等官位で初 配 属 されたのはわたしだけだから、それで目についたんじゃないかしら」
「......理由、やっぱりあるじゃねえか」
「そうね」
コンスタンスは最後に、ぐったりと付け加えた──
「今度こそ本当に、お別れってことになりそうだわ、オーフェン」
「そうだな。十中八九、彼女は王都勤務になる。それについては内定し、あとは正式は辞 令 を待つだけだ。辞令さえくれば、ついにあの永年横歩き警官が、わたしの下から永遠に放 逐 される──対武装盗賊戦闘課に配属されてから通常部署にもどってくることはまずないからな。どんな失 態 を見せようと」
「へえ?」
わざわざそんな世間話をしにきたのではなかろうということは──
話している相手、つまりはダイアン・ブンクト部長刑 事 のことを考えれば、間 違 いのないところだった。昨日のコンスタンスの話のことをぼんやりと考えながら歩いていた昼下がりの公園で、ばったりと出会ったことも、偶 然 であるとは思えない。そして実際に、偶然ではなかっただろう。つまりはそのダイアンという男は、そんなように見える相手だということだった。
オーフェンは、ベンチで並 んで腰 掛 けているその長身の男を改 めて見やった。いつものトレンチコート、厳 めしい無表情、ぼそりとした声。昼休みに散 歩 でもしていたのか、それともここで出会ったのが偶然でないのならば、朝からずっとこちらのことを探していたのか。特に、尋 ねる気にはならなかったが。
ダイアンは、ゆっくりとあとを続けた。
「あの車海 老 びっくりの逆跳 ね警官をわざわざ王都から引き抜 きにきたのは、ラッセル部長刑事といってな。わたしの同期だ。なにしろ昔からはしっこい女で──今回の彼女の昇 進 に関しては、本部の英断だろうな」
「コギーの奴 は、そうは思ってない連中ってのも少なくないようなことを言ってたぜ?」
「それはその通りだろう......が、わたしとほかの連中との違いはだ、彼女のことを直 に知っているかどうかということだけさ。じきに慣 れる、誰も彼も」
「......ううん?」
同意ともその逆とも取れなくはないトーンで、オーフェンはうめいた。どう答えたかったというわけではないが、なんとなく脳 裏 に、コンスタンスの言ったことが浮 かんでくる──理想論みたいなもんじゃない。
が、それはここで部外者同士が話しても意味のないことだろう。
「で?」
オーフェンは促 した。
「そんなことわざわざ、俺に話すのはなんでだ? 壮 行 会 なら、あいつが出発する日の前にあわせて予定してるけど」
「まったく興 味 がない」
「......ま、まあ予想はしてたけど」
「簡単な懸 念 なのだが」
ダイアンはつぶやいて、こめかみを押 さえるように指を当てた。重々しく声を絞 る。
「ラッセルのことは、よく知っているとは言わないが......まあ、知らないこともない。彼女がなぜわざわざこんな時期に──油 断 していると足 下 をすくわれかねないこの重要な時に、こんな田舎 にまで足を運んできたのか、想 像 はつく」
「ん?」
「品定めだよ。彼女は今ですら決して失敗できない立場にいるし、来シーズンからはなおさらだ」
「ああ」
「つまりはコンスタンス三等官が、真実、自分の片 腕 として働ける人材なのかどうか、確かめにきたというわけだ」
なにやら暗い顔つきで、ダイアン。
オーフェンは頭の後ろで手を組んで空を見上げた。
「この前、再訓練まで受けてたじゃねえか、コギーの奴 。働ける人材なのかどうか、想像つきそうなもんだと思うけどな」
「職務中のケガで療 養 している間のことだ。むしろ実態を知らない人間からすれば、職務熱 心 を示す美 談 に思えたかもしれない」
「ほかにも、あいつのミスをフォローするための特別予算が編 成 されたとかなんとか言ってなかったか?」
「あれは、わたしの課そのものを対 象 に組まれてしまったものだ。あの折 れ釘 警官個人とは、あえて結びつけようとしなければ結びつかない」
「............」
と──
彼が顔を上げ、こちらを向いた。それにあわせて、向き直る。
ダイアンは相 変 わらずの重々しい口調で言ってきた。
「というわけで、なすべきことは分かっていると思うが」
よく見ればなにやら顔色も黒ずんで、目の下に隈 が見える。日 頃 気苦労 が多いのか、それとも単にそういう顔なのか知らないが。
「辞令がとどくまであと三日」
彼は指を三本立て──一 拍 置 いて、先を告げた。
「あの馬 鹿 を、一度たりと失敗させてはならない」
「いや。無理だろそれは」
即 座 に。ただそれだけ。
オーフェンはそう答えた。
が、
「無理でもやらねばならない。あの全自動始末書製造警官をわたしの下から放 逐 する、最大のチャンスだからな」
「でもなぁ......別に俺にはメリットないし......」
「前 払 いで千」
「オーケイ」
春らしくない寒風が吹 いたが。その声がかき消されることはなかった。
「あ、オーフェン。どこ行ってたの?」
「............」
宿にもどると、そこにはコンスタンスがいた。ひとりではない。
彼女と同じテーブルに、向き合うようにして座 っていたのは、落ち着いた様子の女だった。恐 らくは冷たい印 象 と言えるのだろうが、それをあまり感じさせないのは、ちょうど彼女が自分のコーヒーに角砂糖をまとめて四つ落としたところだったからかもしれない。説明されずとも分かる──彼女が、ラッセルとかいう部長刑 事 だろう。
その彼女から少しでも逃 げようとしているように、コンスタンスは椅 子 の背からせいいっぱい身を乗り出し、振 り向いた姿 勢 で手を振ってきた。
「探してたのよー。ラッセル部長刑事にあんたのこと話したら、ぜひ会ってみたいって」
「へえ」
とりあえずうめいて、オーフェンはふたりのテーブルに近づいていった。そのラッセルが、ふっと笑 みを浮 かべ、口を開く。

「初めまして、オーフェン......さん?」
「ああ、初めまして」
まだ距 離 があるため、手を差し出してくるということはない。砂糖を落とした指を、舌を見せずに軽くなめて、彼女が言ってくる。
「あなたの話を聞かせていただいたわ。コンスタンスが、いろいろと仕事の手伝いを頼 んだりしているんですって?」
「ええと......まあ、そうかな」
どう答えればいいのか少し迷い、言葉を濁 す。
思ったよりも、会話の空白は長引いた。そのまま、彼女らのテーブルまでたどり着く。こちらを見上げ、ラッセルが微笑 んできた。
「《牙 の塔 》の魔 術 士 ......ね。あの無 愛 想 な宮 廷 魔術士 ──失礼。でもそうよね?──を別にすれば、初めて拝 見 するけれど。だいぶ感じが違 うのね、彼らとは」
「《十三使徒》が日常から制 御 しておかなければならない力は、俺なんかとは桁 が違うから......違いますからね」
なんとなく言い直して、咳 払 いする。
「彼らは魔術に精 度 と威 力 を同時に求めますから」
「そうかしら?」
ラッセルは、肩 をすくめたようだった。コーヒーカップの縁 に口をつけ、猫 舌 なのか慌 てて離 してから、
「......コンスタンスが言っていたんだけど、あなた、見たこともないほど腕 の良い魔術士だって」
コンスタンスを見やると、彼女は話など聞いていないように、ぐったりとした表情を浮かべていた。ラッセルの注意がこちらに向いている間に、せめて息抜 きをしようということか。
嘆 息 して、オーフェンはうめいた。
「だからって、大陸のトップレベルと同列にされても困りますよ」
「《塔》で学んだほどの魔術士が、定 職 もなくぶらぶら遊んでいるのはもったいないと思うんだけど」
「ちょっと前に似たようなことを別の人間にも言われましたが」
オーフェンは答えながら、椅 子 を引いて腰 を下ろした。
「人にとってどう見えようと、俺には俺なりに、こうしてなけりゃならない理由があるんです」
「確かに......まあ、それはそうね。失礼なことを言ったわ。ごめんなさい」
彼女はあっさりと認 めると、軽く目 線 を下げた。わびのポーズだろう。
「............」
しばし、見つめ──
オーフェンは、くるりとコンスタンスのほうへ向き直った。きょとんとしている彼女の肩 をつかみ、すすっと引き寄 せる。
声をひそめ、彼はつぶやいた。
「コギー、どういうことだ?」
「ふえ? なにが?」
目をぱちくりさせて、コンスタンス。オーフェンはそのまま続けた。
「だって、なんかまともだぞ、彼女」
「うん......それがどうかしたの?」
「派 遣 警察官 なのに、なんでまともなんだ?」
「いやまあ......否定できない部分も確かにあるけれど」
もごもごと口の中でうめくようにしてから、彼女が半 眼 で言い返してくる。
「大陸司法のエキスパートよ。まともじゃなくてどーすんのよ」
「だってお前......今まではことごとく」
「わたしだとか、普 通 の警官だっていたでしょ?」
「いや。ことごとく」
「......うう......まあ、言ってみただけなんだけど......」
なにやらくじけた様子の彼女をその場において、オーフェンはテーブルにもどった。といっても、椅子から半身乗り出した程度で、立ち上がってすらいなかったのだが。
(しかし......まともだとすると)
眉 間 にしわを寄せて、オーフェンは独りごちた。
(この馬 鹿 を三日間もフォローしてごまかしきるってーのは、かなり難 しいんじゃねぇか? まともだもんなぁ......)
「なにか言った?」
「ああ、いいええ」
不思議そうに聞いてくるラッセルに、オーフェンは慌 ててかぶりを振 った。とりあえず、現 状 を確 認 しておこうと、口を開く。
「ええっと──その、友人として気になってたんですけどね。彼女、コギー......ええと、コンスタンス。突 然 の栄 転 じゃないですか。ホントに前 触 れもなく」
「別に秘密にするつもりはないわよ。ダイアンはわたしの同期だし、彼の部下に、彼女のような優 秀 な警官がいることは知っていたわ。もう少し早く呼んであげても良かったくらいよ」
(前から知ってたんなら、なんで悪 評 が伝わってねえんだろな)
なんとなく、うめく。当のコンスタンスを見やると、彼女は所 在 なさげに、へらへらと笑 みのようなそうでないような表情を浮 かべていた。
それに気づいているのかいないのか、ラッセルが続ける。
「幸 いにして、わたしは武門の生まれだったものだから、自分の敵──被 疑 者 のことじゃないわよ──をねじ伏 せる方法のひとつも身に付けていたけれど。コンスタンスのような立場で男社会に孤 立 することの困 難 さっていうのは理 解 しているつもり」
「............」
どうということもなく彼女の言っていることを聞いてから──
オーフェンは、ふと気づいた。彼女は武門と言ったのだ。反 射 的 に聞き返す。
「貴族?」
「そうよ。意外なことではないでしょう? 末 端 の没 落 貴族 なんて少なくないし。あなたの言葉を借りれば、頂点と比べられても困る、てとこかしら。要は、ひとり娘 を働かさなければならない程度の家 柄 ってこと」

「......なるほど」
そうとしか言えずに、つぶやく。
だが......
オーフェンは再び、コンスタンスの肩 をつかんで引き寄せた。小声で告げる。
「なあ。やっぱまともだぞ、あいつ」
「だ・か・らっ。そー言ってるでしょーが」
「ううん......会話しながら、なんでこいつここで無意味に殴 りかかってこないんだろーとか、ふと考え込んでる自分が嫌 になるとゆーか」
「まあ、リハビリだと思えば?」
「そーゆうもんかなぁ」
あきらめて、またもとの位置にもどる。
ラッセルはやはり、不思議そうにこちらを見ていた。
「ところで」
いったん目を閉じて間 合 いを取ってから、オーフェンは聞いてみた。
「ご飯を盛りつけながら原因不明の笑 顔 と聞いて、なにを連想しますか?」
「......はぁ?」
わけが分からないといったふうで、ラッセルが返してくる。
オーフェンは、即 座 にまたコンスタンスを引き寄せた。
「コギィィィィィィィィィィ〜」
「だからっ! いったいなにを期 待 してたのよ今の会話はっ⁉ 」
「だって会話続かねぇし」
「なんか本気でリハビリ必要なんじゃないの?」
「......仲がいいのね?」
多少取り繕 うような声で、ラッセルが割 り込んでくる──慌 ててオーフェンは、彼女へと向き直った。彼女はどこか驚 いたように、こちらを見ている。実 際 、目の前で何度も内 緒 話 をされれば、さすがに面食らうだろう。
「ああ、いや、あの、ええと」
わたわたと手を振 って、コンスタンスが答えている。
「あはは、なんかちょっと甘 えられちゃって。困ってるんです」
「お前な──」
言いかけて、口をつぐむ。ここで彼女をこき下ろすわけにもいかない。
出しかけた言葉を呑 み込んで、オーフェンはなんとか愛 想 笑 いを浮 かべた。よそから見ても、ちゃんと愛想笑いに見えたかどうかは確 信 がなかったが。
「コ、コギーの奴 ......いや、コギーさん、には、いろいろお世話になっていて。ははは」
「へ?」
聞き返してきたのは、誰でもない、コンスタンスだった。虚 を突 かれたように、困 惑 の表情を浮かべている。
構 わずに、オーフェンは続けた。
「そ、そぉなんですよ。頼 りがいがある......というか、その、いろいろと相談なんかにも乗っていただいて......」
「........................」
呆 然 とこちらを見つめていたコンスタンスの目が──
少し、変わった。
(うっ......⁉ )
なにか、背 筋 に嫌 なものが通り抜 ける。悪 寒 とは違 う──それは、なま暖かかった。
コンスタンスをちらりと見やると、彼女は微 かに笑 みを浮かべていた。ぞっとするものを感じはするが、それは表情に出さず、胸 中 で毒づく。
(コギーの奴......。だいたいの事 情 を悟 りやがったな⁉ )
こんな時だけ、妙 に鋭 い。そのことは分かっていなかったわけでもなかったのだが。
彼女の目は、美味 しい獲 物 でも見つけたように細められていた。すっと──手を口元に当てる。それが合 図 だったかのように、
「そーなんですよ。この子、やったら手 間 のかかる弟みたいなもんで。いろいろ面 倒 を見てやってもまっっっったく追いつかないってゆーか。ああ、こういうのって、なんて言うんでしょうか......」
「う......うう......」
うめいたのはオーフェンだった。が、ラッセルは気づいた様 子 もなく、小首を傾 げて疑 問 符 を浮かべている。
コンスタンスがそのまま──いや、エスカレートすらして──続ける。
「ホントにもー、仕事手伝わせてあげているのも、こーんな役立たずでも多少は世の中のためになにかさせてあげたいと思ってのことなんですけどね。まあそれも、容疑者の護 送 中 に手 錠 の鍵 をなくして留 置 場 で一夜を過ごすわ、麻 薬 取引 と間 違 えて小麦粉屋を逮 捕 するために武装した一部隊の出動を要 請 するわ、資料室でこっそりスルメ焼いて食べようとして危 うく小 火 起 こしかけるわ」
「くっ......!」
拳 を固める。が、どうしようもない。
「わたしがいなかったらどうなっていたことか。まったくもってホントに。どうしましょう」
「いや、どうしましょうって言われても......」
つぶやくラッセルに構 わず、コンスタンスはなおも続ける。
「図 体 ばかり大きくなって、できることといえば暴力性を発 揮 したり公共物を破 壊 したり飢 餓 の限 界 に挑 んだりするだけ。まあ社会のゴミとは言わないまでも──ああ、そうそう。さっきの。なんて言うべきか。思い出しましたよ、部長刑 事 」
「?」
「無 能 、ですね」
「ぐっ!」
びくりと身体 を震 わせて──漏 れいでた声に、なんとか自 制 をつなぎ止めようとする。視 界 は暗かった。目を閉じていたため。まぶたを開ければコンスタンスのほうを見ざるを得なかっただろうし、そうなれば黙 っていることもできなかったろう。
(落ち着け......落ち着け。落ち着け俺)
呪 文 のように唱 え、自分に呼びかける。
(前金で千ソケット受け取ってる。我 慢 できるはずだ。我慢できるぞ)
深呼吸を繰 り返し──
でもあと一言きたら、もうどうでもいいかな、などとも思いつつ。
刹 那 。
ばんっ! と、食堂の扉 が開いた。外から入ってきたのは、学校帰りらしいマジクだった。驚 きを隠 しもせずに、入ってくるなり声をあげる。
「あ、やっぱりいた! 大変ですよ!」
「......ん?」
顔を上げて、見やる。
少年が、いることを期 待 していたのはコンスタンスのことらしかった。彼女に向かって続ける。まだ扉が開いている外を指さして、
「ええと......なんか。すぐそこなんですけど......大事件みたいなんです。人だかりもすごくて」
「え?」
コンスタンスは、にべもなかった。
「いやあの、マジク君。わたし今日ね、特別に非 番 なのよ──」
「そう! そうだ!」
オーフェンは、慌 てて立ち上がった。特に意味はないがマジクを指さし、
「こいつは非番! とゆーわけで事件なら、別の警官を探してそっちに押 しつけろ、いいか⁉ 」
言いながら、胸 中 で悲 鳴 をあげる。
(冗 談 じゃねえ......事件なんざ、こいつに失敗の材料を与 えるだけじゃねえか!)
だが......
無 情 な声が、聞こえてきた。
「ほうっておけないわね」
ラッセルだった。既 に席を立っている。
いまだ椅 子 に座 ったままのコンスタンスに視線をやり、静かに、
「コンスタンス。行ってみましょう。わたしも管 轄 外 ではあるけど」
「ええっ⁉ 」
オーフェンは悲鳴じみた声をあげて、ふたりを見つめた。マジクは自分の持ってきたニュースによほど興 奮 しているのか、そわそわと足 踏 みしている。
巡 り合わせの悪さを呪 いつつ、オーフェンはラッセルにつぶやいた。
「いや、でも──管轄外なら、管轄の外だし関 わったりしないほうが」
「市警はいい顔をしないだろうけれど」
ラッセルは顔色ひとつ変えなかった。
「まあ、彼らの機 嫌 を取るために仕事をしているわけではないし」
「取りましょうよ機嫌」
小さくうめくが、聞こえた様子もない。もたもたと立ち上がるコンスタンスの横を通り抜 け、ラッセルはもうマジクのところにまで近づいていた。
「場所は? もう市警は到 着 しているの? 人だかりと言っていたけど現 場 の保存に支 障 がありそう? ああっと、現場の保存っていうのはね──」
早口でまくし立てるように少年に確 認 する彼女の背中を見てから。
オーフェンは、コンスタンスを見やった。彼女もまたげんなりとして、こちらを見ている。
「......ああいう人みたいなのよ」
「まとも──というか、まとも過ぎる警官ってとこか」
嘆 息 し、つぶやく。
だがそんなことよりも──
(事件捜 査 ......そしてコギー)
彼は、絶 望 的 に独りごちた。
「......失敗しないはずがないじゃないか!」
「なんか、すっごく失礼なこと考えてない? 今」
彼女の問いには答えずに、オーフェンはただ、頭を抱 えていた。
(つづく)

確かにそれは大事件ではあった。
特に何事もなかったはずの、午 後 の裏通り。昨日 からやけに冷えるトトカンタ市はそれとなく人の足音も少なめに、静かな流れにゆっくりと漂 い進んでいるようだった。
それにくさびを打ち込むように、その道ばたで起こったのは──
「......なにに分 類 すればいいと思う? これ」
半 眼 で聞いてくるコンスタンスに、オーフェンは、やはり半眼で答えた。
「気 取 らずに、ああアホがいるとだけ言えばいーだろ」
当然、人だかりもある。警 官 隊 もいる。無 視 して通り過ぎる者もいる。自分というのが、そのうちのどれに一番近いのかいまいち確信を持てないまま──オーフェンは、ため息をついた。
そして。
「誰 がアホだっ⁉ というよりむしろ、競 争 激 甚 ナンバー......ちょっと控 えめに七番目とか言ってしまう、好感度ナンバー1の究 極 英 雄 !」
刃 物 を持った犯人に押 さえつけられながら、なにやらわめくその地 人 のことは無視して、オーフェンはコンスタンスに向き直った。
「で、どーする?」
「どーしよっか」
あっけらかんと聞き返してくるコンスタンスを押しのけるように──
「なにを言ってるの? あなたたち」
口をはさんできたのは、ラッセルだった。細い眉 を分かりやすく歪 めて、わけが分からないといった表情を見せている。
「えー......っと」
返答に困 って、オーフェンはうめいた。
言葉に窮 したその理由は、それがあまりに簡単なことだからだった。そして同時に、どう説明すれば良いものか難しいからでもあった。
包 丁 を振 り回し、犯人の男が叫 ぶ。
「どぅぅあらっ! ほげぎらぼぐげばづーづぅるど!」
「くうっ! この偉 大 な勇者が虜 囚 の身となっている時に、みっつのしもべはなにをしている⁉ なんかでっかいやつとか空飛ぶやつとか溶 けるやつとか!」
「あの、兄さん、あんまし大きい声出してこの人を刺 激 しないほうがいいと思うんだけど......」
「ぢぁやほぎ! いがらとがぁくぎゃにぃぐりらっ!」
「間 違 いない! これはどー考えても魔 界 とかなんか、そんな風 味 な言 語 っ! ほら、そこの黒くて目が尖 った男っ! これが貴 様 の身 内 だということは判 明 した! さっさと尻 尾 とか出して兄弟を説得せんかっ!」
「だから兄さん......大声は......」
街角にちらほらと見かける、串 焼 き屋 台 ──この時間帯にはまだ珍 しいが、移動していたところなのかもしれない。その屋台が、横 倒 しになっていた。食器や調理器具が散 乱 する上で、革 の帽 子 を目 深 にした目つきの悪い男が、包丁を手に、地人ふたりを抱 きかかえるようにしている。
地人。大陸南方に自 治 領 を持つ少数民族だが、それはこの際、どうでもいい──説明しなくとも、ラッセルが知らないということもあるまい。
地人ふたりはボルカンとドーチン──オーフェンの知り合いだったが、こちらも説明する必要はないだろう。
状 況 は単純だった。包丁を持ったその男は、状況に興 奮 してか、意味不明というよりほとんど聞き取り不 能 の叫び声をあげている。取り囲む警官に、中年の男がすがりついて泣いている。その屋台の持ち主だろう。
簡単なことだった。
「......多分、薬かなにかやってる男が、なんの気まぐれか屋台に襲 いかかって、結果としてこーゆうことにでもなったんじゃなかろーかと」
オーフェンが告げると、ラッセルは、分かっていたというように小さくうなずいてみせた。
「そうね。危 険 な状況だわ。犯人の体力が尽 きるのを待つのが一番安全だけど......往 来 でこの状態を続けるのは考え物ね。なにかのアクシデントで、状況が悪化しかねない」
「どうしましょうか?」
と、これはコンスタンス。ラッセルはしばし考え込むふうにうつむくと、
「ちゃんと市 警 が出てきているのなら、わたしたちが出しゃばるような問題でもないでしょう? 挨 拶 だけはしてくるわ。責任者は誰かしら」
「............」
警官の一団を見回しながら、歩いていく彼女の背中を見ながら──

オーフェンは、コンスタンスの肩 を後ろから叩 いた。きょとんと、彼女が振 り向いてくる。
「コギー」
「なぁに?」
「どうしたらいいものか......」
「うん?」
「なんかこー、困った」
「......なにが?」
意味が分からないらしいコンスタンスに、オーフェンは少し詰 め寄った。拳 を固めて、うめく。
「今の会話、俺 はどこでつっこめば良かったんだ?」
「いーのよつっこまないで!」
なにやら両手をわななかせながら、コンスタンスが言ってくる。
オーフェンはしかし、かぶりを振った。汗 が一 滴 、ほおをつたうのを感じる。
「だが......ンなこと言ったってお前、俺とかお前が怒 鳴 ったりとかしないと終わらないだろ、会話とかって」
「そーゆう歪 んだ決まり事に染まらないの」
「......なんの話?」
「あ、い、いいいいいいええ、なんでもありません」
無用に慌 てて、コンスタンスが背 筋 を正す──ラッセルは用事を済ませてもどってきたところだった。
寒いせいだろう、手をこすりあわせるようにすると、
「とりあえず、事情は聞いたわ。強 盗 で現行犯逮 捕 できるところを取り逃 がして、こういうことになったみたい。妙 に警官の人数がそろってるのはそのせいね......どうせなら、こうなる前になんとかして欲 しかったけど」
「はあ」
「まあ、見てましょうか。助 力 はいらないそうだし」
「はあ」
「............」
「............」
「......えっと......あの、なにかまずいかしら」
じっと黙 って見ていると──ラッセルは不思議そうに聞いてきた。不意をつかれて、聞き返す。
「は?」
「ええと......なんかものすっごく不満そうにこっち見てるから......」
「いやそーゆうわけでは」
「だ〜か〜ら〜」
なにやら険 悪 にコンスタンスがうめくのが聞こえてくるが、とりあえずそれは無視しておいた。
(まあ、なんもしないでいいのなら、それが一番か)
やらなければならないことを思い出して、安 堵 する。
「だいたいねー。ただでさえ、どーしていいのか分かんないんだから。これ以上ややこしくしないでよね」
小声でコンスタンスが囁 いてくるのが聞こえた。それに対して、うめく。
「どうしていいのか分からないってことはないだろ。彼女がお前をスカウトしに来たってんなら、せめてその前でくらいはポカをしでかさないようにしないと話にならんだろが」
「......なにが?」
「だから──」
「あ。そっか」
ひとつテンポを遅 らせてからではあったが、合点がいったのか、彼女が目をぱちくりさせた。小さく嘆 息 して、続けてくる。
「そういやそうよね。わたし、彼女に気に入られたら王 都 に行くことになるんだったっけ」
「お前が自分で言ってたんだろうが。昨日 」
「まだいまいち実 感 がなくて」
「いいか」
オーフェンは、軽く彼女の肩 を引き寄せた。耳打ちするくらい顔を近づけると、さらに声を抑 えて彼女に告げる。
「お前のよーな無 能 警 官 に訪 れた、最初で最後のチャンスだぞ、これは。なんかもーあっさり、人 生 最 終 局 面 だ」
「そ、そーかしら......って、なんか思い切り引っかかることをさらりと言われたような気もするけれど」
「気にするな。これを逃 したらお前、あとは一生今までの人生が続くだけだぞいつまでも。これはお前のためを思って言ってるんだぞ、お前のためを思って。いや、うん、ホントにお前のためを思ってだな。決して金が絡 んでるとか、そーゆうことはない」
「......なんとなく、おおまかな構 造 は読めたような気がしてきたけれど」
「なら話は早い」
「悪びれないわけね。まあいいけど......」
「というわけで、お前、いいから絶対に余 計 なこととかしようとするなよ。どうせ、なにかしようとするたびに、失敗するかヘマをするかこけるかミスるかするんだから──」
と、そこまで言って。
「............」
じっとこちらを見つめてきているラッセルの視線に気づいて、オーフェンはあわててコンスタンスを突 き放した。適 当 に笑 みを浮 かべて、取 り繕 う。
ラッセルは複 雑 に微 笑 してくると、
「内 緒 話 が趣 味 なの?」
「え? ああっ......と、いや、そーゆうわけでは」
ごまかしきれたかどうかは、定かではない。なんにしろ、その瞬 間 ──
「だからっ!」
響 いたのは、犯人の声だった。ようやくどこかのピントがあったのか、聞き取れる程度に回復している。
「金だっ! 今すぐここに持ってこいっ! 人 質 はふたりいるんだ! ひとりずつバラすぞっ⁉ 」
「うむ。運が悪かったなドーチン」
「なんで勝手に順番が決まってるの⁉ 」
警官たちは特になにも答えない。犯人が建物の中に立て籠 っているわけでもないこの状 況 では、対 処 しやすいとも言えるが小 細 工 もできない。警察にしてみれば、どちらかといえばさっさと飛びかかって終わらせたいところだろう。実際、通行人の目がなければそうしていたかもしれない。
「飛びかかるのは論 外 ね」
まるでこちらの心の中を読んだように、ラッセルがつぶやくのが聞こえてくる──独り言のような口調だったが、相手が聞き逃 さないことを要求もしている、そんな調子ではあった。
と、ふと気になったのか、世間話のように聞いてくる。
「あなたならどうする? コンスタンス」
「はあ?」
居 眠 りしているところを指名された生徒そのままの声で──コンスタンスが聞き返す。オーフェンは、外に出さずに舌 打 ちした。
コンスタンスが、悩 むように表情をひきつらせてから、答え始める。
「え、ええっと......マニュアル通りなら、さっきおっしゃられたように、犯人の体力が尽 きるのを待つのが最 善 だと思います。この寒さですし」
「でも、あの犯人はかなり興奮してる。危険な賭 けになってしまうかもしれない──警官が絶対にやってはならない賭けに」
「うう。そうなると、その......あとは強行......説得......要求をのむ......はっ⁉ 」
思いついたように、コンスタンスが手を打った。自信に満ちた眼 差 しをラッセルに向けると、
「応 援 を頼 んで、そいつに全部任せ──」
「危なぁぁいっ!」
がすっ。
とりあえず、オーフェンの放った拳 がコンスタンスを沈 黙 させた。後 頭 部 を痛 打 され、そのまま、へらへらと地面に倒 れていく彼女を見下ろしながら、かぶりを振 る。
「いや。危ないところだった......」
「ええっと......なにが?」
驚 いたように──というより、驚いていないという理由もなかっただろうが──聞いてくるラッセルに、オーフェンは腕 組 みして答えた。
「いや。なんとなく。危なげな感じがしたものですから」
「うーん......ごめんなさい。よく分からないんだけど......」
と──
がば、と地面から跳 ね起きて、コンスタンスが叫 んでくる。
「あんたが一番危なげなんでしょーがっ⁉ 」
「う。いつになく早い復活だな」
「いい加 減 慣 れもするわよっ! なんなのよいきなり拳ではたいてっ!」
「とまれ、俺としてはこーゆう事態においては、犯人を罵 倒 、怒 り狂 った犯人が人質を何センチかえぐったところで警官隊突 撃 、人質をへこむくらい殴 りつつ、まあついでに犯人逮 捕 と。これがベストかと」
「ちょっと、なに無視してくれてんのよっ!」
「貴様っ! なんか離 れたところで、さりげに俺様の抹 殺 計 画 を練 ってないかっ⁉ 」
コンスタンスとボルカン、それぞれの叫びが響 いたところで、犯人の男が、さらに大声をあげた。
「ぃやかましいぞっ! てめえら、俺を甘 く見てんのかっ⁉ 」
「うむ。犯人の馬 鹿 ー」
「なにぃっ⁉ 」
「貴様っ! コラ! 黒借金の遣 いっ! 計画を実行しつつある気 配 を感じるぞ、おいっ! 即 座 にやめておかんと、危 ういところで助かり殺すぞっ⁉ 」
「ナメるのもいい加減に──」
犯人が、刃 物 を振 り上げた、その刹 那 。
オーフェンは、それにあわせるように右腕 を振り上げた。構成を編むのは瞬 時 。それが発 動 するまでの数瞬の間に、ただ意識を尖 らせる。自分から、標 的 までの距 離 を貫 くように。
「我は放つ光の白 刃 っ!」
光の激 震 が、立っているその地面を何センチか沈 めたような、そんな錯 覚 を覚えた。爆 発 の振 動 が、視界を霞 めさせる。純 白 の暴 発 は火 球 と化して吼 え猛 った。熱 波 と耳 鳴 りと、アスファルトには破 壊 跡 を、そしてほどよく焦 げて失神した犯人と地人ふたりを残して──すべて消える。
すぐに静 寂 へと化けた。
「というわけで」
右腕を下ろしながら、ラッセルに告げる。熱風を受けて汗 ばんだ額 を腕でぬぐいながら、
「解決したので、なんか余計な──もとい、意味のなくなったトピックはここらでやめておきたいなーと思ったり思わなかったり」
「............」
ぽかんと口を開けて──これを見るだけでも、やった価値はあったかもしれない──、ラッセルは言葉もないようだった。
「............」
見回すと、警官隊も多少焦げてはいたが、とりあえず無事のようだった。啞 然 と立ち尽くしているのは同じだが。
「............」
適当に観察してから──
オーフェンは、首を傾 げた。
「感 服 ?」
「どうしてよっ⁉ 」
コンスタンスが横から叫 んでくる。と、ようやく我に返ったらしいラッセルが、それを押 しのけるようにして怒 声 を張り上げた。
「ちょっと! なにを考えているの⁉ 」
眉 をつり上げ、つかつかと近寄ってくると、手早くこちらの胸 ぐらをつかみ上げて、
「あなた、いま自分がなにをしたか分かってるの?」
「おおむね」
「分かってないわよ! いい?──逮 捕 の段階で不必要な暴力が存 在 したなんてことになったら、起 訴 もできないでしょうっ⁉ しかも、人質にまで危 害 を及 ばせるなんて!」
「いや、あいつらは──」
とりあえず、服をつかむ彼女の手から逃 れようと後退するが、彼女はまったく退かなかった。文字通り、ぞっとするような目つきでこちらをにらみつけていたかと思うと、だが突 然 その手を離 し、倒 れたままの地人のもとに、足 早 に騒 け寄っていく。
倒れて痙 攣 している犯人は、素 早 い警官隊の手でもう拘 束 されている。その横を通り過ぎ、彼女がたどり着く頃 には、もう地人の片割れ──ボルカンは復活していた。
「うおいっ⁉ とにかくいろんな罵 倒 の意味を込めつつ黒 魔 術 士 ! 俺様は確かに今、計画的な殺 意 だとか、なんかもーそんなものを感じたぞっ! いいか、民族の財産たる俺様が、ついうっかり死んだりしたらどー償 うつもり──」

「大 丈 夫 ですか? 意識はっ?──至 急 、医 師 を手配して。運 搬 の用意も忘れずに。警察病院にベッドの空きはあるわね?」
「......は?」
ラッセルの言葉の後半は、近くにいる若い警官に向けてのものだった。なにか意味不明のことでも聞かされたように、ボルカンが目をぱちくりさせるのが見える。
「いや、あの、ええとだな、人間。俺様はとりあえずあのどす黒い借金取りをあと二十分ばかし罵倒したいので、そこに立たれると邪 魔 というか、どけ」
「錯 乱 しているわね。無理もないけど。運搬には気をつけて。なにかあったら、現場にいたあなたたちは全員終わりよ。肝 に銘 じて」
「は、はい」
「ぬ⁉ あまつさえなにをする⁉ なんだその担 架 は。人体実験......そうなのか⁉ 人体実験なのかっ⁉ 」
いまだ倒れたままのドーチンと、やたら暴れるボルカンとを運び去り──多少の騒 ぎを起こしながら、警官隊は去っていった。そのどさくさと言うべきか、ラッセルもいっしょについていく。
数分ほどで、騒ぎは収まった。喧 噪 のあとの静 寂 をかき回すような、甲 高 い音を立てる寒 風 が吹 きすさぶ中、立ち尽 くす。オーフェンは、そっと彼女らの去っていったほうを指さすと、口を開いた。

「......彼女、おかしいんじゃないか?」
「いや多分、これが普 通 の対応なんだと思うんだけど」
こめかみを指で押 さえ、なぜか心 底 呆 れたようにコンスタンスがつぶやいた。
「というわけで、あなたを逮 捕 します」
「............」
令 状 とともに姿を見せたのは、ほかでもない、ラッセルだった。
これまでに何度か目にする機 会 があったものの、まじまじと観察したことがあるわけでもない令状というものについて、その真 贋 が分かるわけもなかったが、疑 う理由というのも思い浮 かばない。夕食時になってから突 然 いつもの食堂に現れた、ラッセル・ロウフルなる派 遣 警察官の血 走 った目を見ると、特にそう思えた。
テーブルの向かいに座 っているコンスタンスは、なにやら目をそらしているようだったが。
「えーと」
ちょうど食べ終えた夕食の皿を押しやって、オーフェンは聞き返した。
「──どういうわけで?」
「ですから、傷 害 罪 と公 務 執 行 妨 害 。本当は現場で逮捕すべきだったけれど、あまりのことに混乱してたわ......まあ、コンスタンスが張り付いていたわけだし、問題はないと思ってたけど」
「言ってるいることがいまいちよく分からないんだが......」
眉 間 に自然としわが寄るのを自覚する。と──
「それはっ!」
入り口の扉 が蹴 破 られた。
「この俺様が説明してくれようっ!」
即 座 に。
オーフェンは立ち上がると、入り口でポーズを取って叫 んできたその地人のすぐ前へと滑 り込むように駆 け寄った。間 髪 を入れず、げしどかがすごきと四発ほど殴 ってから、つぶやく。
「......で、なにを説明してくれるって?」
「ううう......いやあの......ちょっと待て。なぜだか今、意味もなく思い切り殴られたような気がするのだが......」
「気のせいだ。むしろ、ただの挨 拶 というやつだな」
「そ、そうか。しこたま脳 天 が痛むが、気のせいなら痛いはずがないな。おお、確かにまったく痛まんぞ」
「それでごまかされちゃうあたりが、ある意味すごいなぁ......」
ボルカンの背後から、いつの間にいたのか──といって別段不思議なことでもないが──、ドーチンがぼやくのが聞こえてくる。
だが、ボルカンが再び口を開くより先に、背後から殺気を感じてオーフェンは振 り向いた。見上げると、ラッセルが怒 りに肩 を震 わせている。
「なにをしてるの、なにをっ! 一度ならず二度までも!」
「うーん。まあ確かに、いつもだったら初 撃 でだいたい息の根とめてるんだけどなぁ」
「いったいどれくらい余罪があるのよっ⁉ 」
怒 鳴 ってくるラッセルに、オーフェンは後ずさりしながら、
「にしても、こんなの派 遣 警察の仕事じゃないだろ──いや、ええと、仕事じゃないんじゃないですか?」
彼女の表情がさらに険 しくなったのを見て、言い直す。が、別に言葉遣 いが理由だったというわけでもなかったのだろう。機 嫌 は直らなかったようだった。
はぁ、と大きくため息をついて、言ってくる。腕 組 みをすると、意外と広い肩 幅 が、さらに強調された。
「まったく、信じられないわね、コンスタンス」
「は、はい?」
突 然 話を振られて、コンスタンスが声をあげる。ラッセルは彼女のほうを向くと、苛 立 たしげにあとを続けた。
「市警からも話を聞いたけれど、彼の存在がトトカンタ市の治 安 維 持 に害となっていることは疑いないわ。しかも、あなたはそれを知っていた。彼が放 置 されている理由はなに?」
「ええっと、そうですけれど、つまりですね、彼の容 疑 というのが、基本的には派遣警察の管 轄 ではないというのが──」
「そういった逆 縄 張 り意識というのは、無意味に保守的過ぎると思わない? あなたが以前書いたレポートとちぐはぐなように思うんだけれど」
「そ、それは建 前 とアレの微 妙 な関係というか、そういったその、ええと──」
(......雲行きが怪 しくなってきたな)
胸 中 で舌打ちして、オーフェンはしかめっ面 のラッセルと、その視線にさらされておろおろしているコンスタンスとを見比べた。自分の逮 捕 令 状 というのも冗 談 にはならないが、それ以上に、ここでコンスタンスの株 が落ちれば、彼女をやっかい払 いしようというダイアンの目 論 見 も崩 れることになり、結果として報 酬 も危 うくなる。
いや、約束の報酬など、きっぱりと霧 散 するだろう──ダイアンの陰気な顔を思い出しながら、オーフェンは独りごちた。
(どうする......? なんかいい手はあるか?)
考えるが、なにが浮 かんでくるわけでもない。純 粋 に、いかんともしがたい事態ではあった。
(だいたい、相手の言ってることが圧 倒 的 に正し過ぎるんだよなぁ......)
「おい」
(そもそもだ、無能な警官を有能に見せようってのが無理なんだよな。要するに嘘 なんだから。無理をさせるから、俺まで面 倒 なことになっちまったじゃねえか)
「おい、コラ」
(どーすりゃいいってんだ。ったく......)
「おおいいっ!」
「あん?」
先ほどからやたらとやかましい声に視線をおろすと、そこにいたのはボルカンとドーチンだった。わめいているのは、もっぱら兄のほうだが。
「なんだよ。こっちゃ忙 しいんだ」
「貴 様 、危 機 に陥 るのはまあ構わないというか推 奨 するが、しかしこのボルカノ・ボルカン様が勝ち誇 るのを聞かないとはなにごとだっ⁉ そもそも、この状 況 を作り出したのが誰だと思っているっ⁉ 」
「ほほう」
うめくと、ボルカンは胸を反 り返らせて、誇らしげに声を大きくした。ドーチンは少しずつ、距 離 を開けようとしてか後ずさりしていたが。
「いいかっ! 先 刻 、この俺様が堂 々 とした態度で警察病院だかなんだかに凱 旋 したことは記 憶 に新しかろうっ! その際、あのなんとかいう女を利用し、瀕 死 人 生 進行中の貴様にとどめを刺 してくれようと思い立ったのはまさしく運命の閃 きっ!」
「いや、まあ、傷害事件で逮 捕 だなんだって勝手に騒 いでたあの人を追いかけて、ここまで来たわけなんですけど」
「なるほど」
ぼそぼそと捕 足 のつぶやきを発するドーチンにうなずいて、オーフェンは拳 を固めた。
ボルカンはひとり、まだ続けている。
「貴様のよーな社会ゴミには、国家権力の無 慈 悲 な拷 問 が待つのみっ! とゆーわけで、法律はまさしく勝者のためにあったのだ!」
「市警の人たちが怖 がって来ないもんだから、あの人ひとりで来たんですよ」
「ふむ」
「選ぶが良いこの被 疑 者 ! なんかもー被疑者なんだから、だいたい死 刑 だ! さあ、舞 台 裏 から出トチり殺されるこの窮 地 、どうやって覚 悟 を決めるつもりか言ってみろ!」
「こーする」
叫 んで、こちらに向かって指を突 きつけてきたボルカンに、あわせるように右手の手のひらを向けて──
「我は放つ光の白 刃 」
熱 衝 撃 波 が、地人ごと、食堂の壁 を撃 ち抜 いた。壁の穴の向こうに、外の通りがのぞいてくる。
さすがの轟 音 に、口論に夢中になっていたラッセルも気づいたようだった。こちらへと向き直り、鋭 く叫んでくる。
「待ちなさいっ! 逃 げると罪が重く──」
「追っ手がひとりだけなら、逃げるに決まってるじゃねえかっ!」
言い返すとオーフェンは、急いで壁の穴から転がり出た。そのまま、道を走り出す。焦 げて転がるボルカンを踏 み越 えて──
彼は雑 踏 の中に飛び込んだ。
日暮れの公園は思ったより静かだった。相変わらずの寒 風 に、無理に屋外に出ようという酔 狂 もいないのか。
「ふう......」
無人の公園で一 呼 吸 ついて──
そして。
「またこんな分かりやすいところで一休みして」
「うわっ⁉ 」
振 り向くと、そこにコンスタンスが立っていた。彼女自身、走ってきたのかうっすらと汗 をかいているようだったが。
「な、なんでこんなすぐに見つかるんだ?」
「なーんとなく、分かるのよね、あんたが行きそうなとこって」
と、彼女はため息をついてみせた。
「走ってきたから、さすがに彼女よりわたしのほうが早かったわね......でももうじき、彼女も追いついてくるわよ。先に見つけてあげたんだから、感 謝 しなさい。さ、隠 れるわよ」
「あ......ああ」
彼女に腕 を引っ張られて、手近にあった植 え込 みの隙 間 に潜 り込む。確かに、すぐにラッセルが追いついてくるのならば、また通りに出て逃げるよりは安全だろう。
ほどなくして、コンスタンスよりは激しく喘 ぎながら、ラッセルが公園へと入ってきた。厳しい目つきで、公園内を見回している。
声をひそめて──オーフェンは、すぐそばにいるコンスタンスに、ふと尋 ねた。
「なあ」
「なに?」
「ここで、俺を捕 まえたってことで出ていけば、またお前の株も上がるんじゃねえかな」
コンスタンスは、軽く鼻で笑うと、
「そんで、あんたはどーするのよ。本気で書 類 送 検 するわよ、彼女は」
「むう」
いざとなれば、魔 術 士 同 盟 に頼 ればその程度のことはどうにでもなるだろうが、それがあまり面 白 くもない結果をもたらすことも確かだった。
だとすれば──
(まあ、これでいいのかな。別に)
と。また思い出して、聞く。
「そういえばお前、今回の人 事 異 動 で、自分の希望ってなにも言ってないよな。行くってことが決まったってだけで、行きたいとも行きたくないとも」
「どーでもいいわよ」
コンスタンスはあっさりとそれだけ言うと、茂 みの陰 からラッセルの様子をのぞき見て、また嘆 息 したようだった。ラッセルはうろうろと公園を見回してから──部下と逃 亡 者 を見失ったことを悟 ってか、石を蹴 る仕 草 をしてからベンチに座 り込んだ。表情を見ると、よほど悔 しがっているらしいのが分かる。
「これは、よほどのことでもないと、あきらめそうにないわねー......市 警 の人たちは相手にしないだろうから、二、三日隠 れて、彼女が王都に帰るのを待てばいいんだけどさ」
疲 れたようにうめくコンスタンスに、オーフェンはかぶりを振 った。
「ぬう。ある意味で、一番手 強 い相手だったな」
「まあなんていうか、かすりもしないって感じかしらねー」
「......そうだ! まだ試 していない手が一個あったぞ!」
「なあに?」
なぜかまったく期待していないような口調で、コンスタンスが聞いてくる。オーフェンはうなずいて、
「考えてみたら、当 事 者 を魔術で吹 っ飛ばせばだいたい騒 ぎが終わるっていう物理法則があるよな」
「だからそーゆう歪 んだお約 束 はやめなさいっての!」
「じゃあどうすれば......」
口を尖 らせて囁 いた、その時だった。
ふっ......と、なにか気 配 を感じて視線をもどす。と、ベンチで呼吸を整えるラッセルも視線をあげていた。こちらに、ではない。公園の、入り口のほうに。
「部長?」
コンスタンスが、きょとんとつぶやく。
姿を見せたのは、ダイアン・ブンクト部長刑 事 だった。考えてみると、昨日 も同じ場所で会っている──ひょっとすると、本当にここが散 歩 コースにでも入っているのかもしれない。
近づいてくる彼に、ラッセルが声をかけた。

「あらダイアン。お久しぶり」
「昨日も会った」
ダイアン・ブンクトの口調は、いつもと変わらず無 愛 想 だったが──それでも前を通り過ぎる際、目元が多少は柔 らかくなっているのが見て取れた。彼の姿を見上げ、ラッセルが苦 笑 する。
「挨 拶 しただけじゃない。エレンとテジアは元気?」
「息 災 だ。といってここ二か月ほど会っていないが。まあそんなことより、至 急 伝えたほうが良さそうなことがあってな」
「なに?」
用件を急ぐダイアンに、ラッセルが聞き返した。ダイアンはベンチに腰 を下ろしもせず、立ったままコートの襟 を寄せている。
風が、彼の古びたトレンチコートの裾 を揺 らした。
「ついさっき連 絡 があった──君が本部に帰 還 してから目の前で伝えるより、伝 令 を立てて他人に伝えてもらったほうが、身の安全をはかれると思ったのだろうな、向こうの連中も」
言葉は淡 々 と冷たかったが、ラッセルは物 怖 じせずに彼を見返している。走り回ったせいで乱れた髪 を、軽く指で撫 でて直しつつ、
「ということは、悪い知らせね? 言って」
ダイアンは、一回うなずいてからあとを続けた。
「本部は内定していた君の昇 進 を蹴 った。現状の任務を続けろということらしい」
「⁉ 」
息を呑 む音が聞こえたが──ラッセルのものではなかった。コンスタンスが口に手を当てて絶句している。
当のラッセルはといえば、ふっと笑ってみせただけだったが。
「......やはりこの時期に、本部を離 れるべきではなかったかしらね」
ダイアンも、肩 をすくめている。
「君らしくない」
「そうかしら?」
「......あまりショックではなかったようだな」
「あなたが今のわたしの立場になったとしても、こんなものでしょう? あなたと同じ程度には鍛 えられたつもりよ」
「そうか? わたしならこんな仕打ちを受ければ、二、三日は飲んだくれて行 方 をくらまし適 当 なちんぴらの骨を十本ほど折らなければ溜 飲 も下がらないが」
「......そ、そぉ......」
すらすらと告げるダイアンに、さすがに多少は引いたようではあったが、ラッセルはなお笑ってみせた。
「ま、いいわ。だいたい、対 武 装 盗 賊 戦 闘 課 だかなんだか、ていのいい殺 人 部 隊 なんて性 にあわないしね」
「一度蹴られた以上、二度と昇進はないぞ? それは分かっているんだろう......ラッセル一等官 」
結局、彼女の本来の階級──派 遣 警察官は階級と役職がほぼ一体化している──なのだろう、彼はそう呼ぶと、試 すようにラッセルを見やった。
その視線を待ち受ける彼女としては、試されていることは承知している様子だったが。風の冷たさに首を縮めながらも、軽く勢いをつけて立ち上がると、
「ま、いいわって言ったじゃない。すぐに王 都 に帰って確 認 してから──せいぜい、ちんぴらの骨五本ほどで我 慢 しておくわよ」
と、手を振 ってみせる。
「それじゃ」
それだけで、彼女は去っていった。
あくまできびきびと足早に去っていくラッセルをしばらく見送って、ダイアンが、低く告げてくる。
「......出てこい」
「............」
なんとなく言われるまま、オーフェンは茂 みから抜 け出した──あとをついて、コンスタンスも出てくる。
ダイアンは特にどうということもなく、静かにつぶやいた。独り言のようでもあったが。
「まったく彼女も、冗 談 と本気の区 別 がつかん奴 だな、つくづく」
「いや......あんたのさっきのを真に受けるほど、あんたのことを理解した人間は、いつまでもあんたの近くにはいないだろ。どー考えても」
「はっはっ。面 白 い冗談だ」
「あんたもか。区別がついてないのは」
「いや。彼女だよ。いくら本部勤務の連中が腑 抜 けていようと、あんな連 絡 を伝言で済ませるはずがないだろうに」
「............へ?」
「ラッセルが病院で、どこぞの浮 浪 黒 魔 術 士 を逮 捕 するとかなんとか、無意味なことで騒 いでいたというようなことを小耳にはさんでな」
「彼女が帰るように......し向けた?」
「わたしは冗談を言っただけだ。真に受ける彼女が悪い」
ダイアンは、気楽な調子だった。
「ま、同 輩 として、あとで忠 告 もしておこうか。我々から見れば、部下なんぞみんな役立たずだ、と」
「............」
「あの、それはそうと、わたしの処 遇 って、どーなっちゃうんでしょう」
自分の顔を指さして、コンスタンスが問いかける。
ダイアンが、彼女をちらりとも見ずに、小さく口を開いた。
「ラッセルに押 しつけようと思っていたが、気が変わった。十年もして、彼女のようになられても、それはそれでぞっとせん」
まったくの真顔で、ぽんと吐 き出されたその言葉こそ──
冗談なのか本気なのか、なんの区別もつけられそうにはなかったが。
(フリでもいいから努力しろ!:おわり)


闇 夜 に軽 薄 な風の音が鳴り響 いていた。その音に紛 れるように、ずっしりと重い足音が路 面 をこする。
月明かりに浮 かび上がるのは、黒い人 影 だった。長大な背 丈 、張りつめた骨肉、頑 健 な肩 、鉄 棒 のような腕 ──
寝 静 まった街はその男のことにも気づかず、静かな時を刻 んでいく。革 のグローブに包まれた、その男の先 鋭 的 な拳 が、ぽきぽきと音を立てるのも聞かずに。
太い眉 の下から放たれる、激しい眼 差 し。真 っ直 ぐに伸びた鼻の線。開かれることなどないとでもいうように真一文字に引 き締 められた唇 。ぼさぼさの髪 。
風に吹 かれ、汚 れたマントがわずかになびく。
「......悪 党 どもに支配される街というのは......ここか」
寝静まったトトカンタ市の街並みを眺 めて、男は、無言に等しい小さなつぶやきを発した。
「政治犯の捕 縛 ぅ?」
オーフェンは、思わず聞き返していた。年の頃 は二十歳 ほど、いつもの黒ずくめの格好で、やはり胸にはいつもの、大陸黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》の紋 章 がぶら下げてあった。
剣 にからみついた一本脚 のドラゴンを象 った、銀製のペンダント。
向かい合って座 っているのは、うんざりとした表情のコンスタンスだった──彼女も代わり映 えしないスーツ姿である。表情がさえない理由は、自分自身が持ってきた話に起 因 していた。
その場所も、なにも変わらない宿屋の食堂。だが、なにからなにまでいつもと変わらない中、いきなり飛び出してきたのが、その突 拍 子 もない話題だった。
「そーよ」
彼女が、嘆 息 混じりに言ってくる。
「なんかもー、久しぶりに本来の仕事って感じだわ」
「可哀 想 に」
「......? なにが?」
「どうせ失敗するわけだろ?」
「なんでよっ⁉ 」
がたん、と椅 子 を蹴 って立ち上がり、コンスタンス。彼女は叫 んでから、不 機 嫌 そうに元にもどった。
「ったくもー。任 務 が任務なのよ。これ失敗したら、本気でクビよ」
「そーか。クビか」
「なんの支 障 もなくそこにたどり着かないで。頼 むから」
歯を出すような表情でうめいてから、
「だいたい、失敗できないから、手助けしてって頼んでるんじゃない」
「ンなこと言われてもなー」
オーフェンは頭をかいて、答えた。
「政治犯ったって、千 差 万 別 だろ。どっかに立てこもってる反乱軍の頭 領 を捕 まえろとか言われても困るぞ」
「そんな話だったら、わたしだって困るわよ精 一 杯 」
「困るなよ捕まえろよ」
「冗 談 につきあってる暇 はないの。とりあえず話を聞いてってば」
「いや......どちらかっつーと冗談にもならんと思うんだが......」
ぶつぶつと告 げるが、彼女は聞いた様子もなく──意識的に無 視 したとしか思えないが──、テーブルの上に、ぱん、と一枚の書類を広げてみせた。
「なんだか命令が不 明 瞭 なもんだから、よく分からないんだけど、とにかくその王 権 反 逆 者 を捕まえろって」
「とにかくって......」
乗り出して、その書類をのぞき込む。オーフェンは顔をしかめた。
「顔写真もねえし。ンな漠 然 とした命令ってあるか?」
「さあ。わたしもそれ聞いたんだけど。『見れば分かるから』とかなんとか」
「うーむ」
腕 組 みする。
王権反逆者というのは、文字通り、王権反 逆 罪 に問われる者のことだった。一 般 の犯罪者と区別して政治犯と呼ばれるのは、単なる慣 例 でしかない。貴 族 連 盟 の王権を脅 かすのであればすべてがそう呼ばれるわけだが、様々なケースが存在する。最も多いのが、古 代 種 族 の遺 跡 を盗 掘 することだった。貴族連盟の財産とされるそれに手を出せば、それは古代種族から大陸の統 治 権 を相 続 したという貴族たちへの重大な反逆と見なされる。まあそれは建 前 で、実際には強大な力を発 揮 し得る古代種族の遺産が流 出 することのほうが問題なわけだが。
さらには、王 立 治 安 構 想 による統治を嫌 って、武 装 盗 賊 として生きる者たち。あるいは都市の中で、反体制目的のテロを行う者。政 争 に敗れた貴族などが反逆者として処 刑 されることもある。かつては自 治 都 市 アーバンラマそのものが王権反逆罪に問われたこともあった。
貴族連盟の統治というものは──百年前に比べれば──おおむね緩 やかなものだが、ことこの王権反逆者に対しては妥 協 しない。反逆者を追うのは派 遣 警察の主な任務であり、諜 報 組 織 を持たない貴族連盟は、逆にそれだからこそ、容 赦 ない措 置 を取りがちになる。対武装盗賊戦 闘 課 などといった存在が、その端 的 な例だろう。
それだけを胸 中 に思い浮 かべて、オーフェンは、嘆 息 した。
この命令は、それを、この無能警官ひとりにやらせようというのだ。しかもひどく漠然と。
「なんかまた、しょーもないことになりそうな気がするんだが......」
と──
食堂の扉 が開いた。なにごともなかった店内に、風が吹 き込んでくる。その風に押 し込まれるように、中に入ってきたのは、ひとりの男だった。
大男、というよりは、長身のがっしりした男というべきか。同じことではあったが、微 妙 に違 う。ぼろ布のようなマントで身体 を覆 っているが、その上からでも、その男の全身が獣 のように鍛 え上げられていることがうかがえた。疲 れか空 腹 か、顔色はすぐれないが、太い眉 と厳 しい眼 光 には力がある。その男は二、三歩ほど店に踏 み込んでくると、ふらっ......と肩 を落とし、小さいがよく通る声で、ぼそっとつぶやいた。
「......食事を......」
がたがたがたっ!
反射的に、椅 子 から立ち上がる──オーフェンは、身体中を走る戦 慄 に身 震 いしながら、コンスタンスの姿を探した。彼女もまた、驚 愕 のあまり蒼 白 になって、両手で口元を隠 している。
「そんなっ......!」
コンスタンスが、ぞっとした声で囁 くのが聞こえてきた。
「あり得ないっ!」
続けて、オーフェンもうめく。
「こ......この宿に......っ! き、客がっ⁉ 」
「なんでですかっ!」
ちょうど、厨 房 から出てきた金 髪 の少年──この宿の息 子 であるマジクが言ってくる。彼は注文を取るため、ぱたぱたとその男のほうへと駆 け寄っていった。
それを見ながら、コンスタンスに顔を近づける。
「......どーするコギー。事件だぞ事件。真 相 を確かめないと、いったいどんなことになるやら」
「そーね。確かに言う通りだわ。街の平和を守るためにも、こういった異 常 事 態 には毅 然 とした対 処 を」
「だーかーらー」
こちらに振 り向いて、拳を振ってうめいているマジクに、男は手近な椅子に腰 を下ろしながら、やはり言葉少なに、
「水と......食べ物を......」
やたらと範 囲 の広い注文を告 げる。
マジクが困ったように、男に言った。持ってきたメニューを勧 めて。
「いや、あの......これ見て注文していただけると」
「水と......食べ物を......」
まったく同じ調子で繰 り返す男に、マジクはそれでも数秒ほど待っていたようだったが──適当なところであきらめる気になったのだろう。首を傾 げながら、男のテーブルから離 れる。
「で」
オーフェンは、コンスタンスに向き直った。
「結局、どーすんだ? 捕 縛 もなにも、相手が分からないんじゃどうしようもないだろ」
「なんとかならないかしらねえ」
「いや。ならんから」
「そこをひとつ」
「俺 に頼 んでどーする」
うめくように言う。また厨 房 から出てきたマジク──トレイに、注文通りと言うべきか? 水の入ったグラスと丸パンをふたつほど載 せている──を横目で見ながら、あとを続けた。
「だいたいその命令、また例によって、やっかい払 い目的のものなんじゃないのか?」
「違 うわよ」
彼女は、多少むっと顔をしかめて、そのまま言ってきた。
「だいたいこれって、同 僚 から引き継 いだ任務だもの」
「ほほう」
「わたしが職場でろくな仕事もなく、日々花 瓶 の花をぽきぽき折ったり天 井 にちぎった粘 土 投げつけてさりげな嫌 がらせをしていたら、とりあえず可哀 相 だからこれでもやってろって」
「......やっぱりそれはやっかい払いなんじゃないか?」
「そーかしら」
一応自覚はあったのか、うつむいてうめく彼女の顔が──ふと、険 しくなった。
なにか異常を察 したように。もっとも、それをさらに怪 訝 に思うまでもなく、オーフェンも振 り向いて、きょとんと目をぱちくりした。
男が立ち上がっていた。厳 めしい表情だが、なんの感情を浮 かべるでもなく、ただこちらを見 据 えてきている。
彼の前に食べ物を置こうとしたマジクを無視する格好で、男は口を開いた。
「可哀相に......」
同時──
どこか脂 っこさを感じさせる男の目から、はらはらと涙 がこぼれる。
「は?」
つぶやきは、コンスタンスのものだったが、男には聞こえなかったらしい。ふらふらとした足取りで近づいてくると、巨 大 な手のひらを彼女に差し出し、
「哀 れな......この暴力のみが支配する悪 逆 の街で、奴 隷 として酷 使 されているのだな......?」
「えーと......」
「普 通 の奴隷だったら、まだ世の中の役に立っただろーに」
言葉に困っているコンスタンスを見ながら、オーフェンはなんとなくつぶやいた。彼女が、どんよりと言い返してくる。
「わたしって奴隷以下......?」
「違 うとでも言うのか?」
それはただ、それだけのことだったのだが──
「ぬうっ! 貴様っ!」
どばし、と炸 裂 音 にも似た大きな音に向き直ると、男が拳 をテーブルに叩 きつけたところだった。その顔が、憤 怒 に歪 んでいる。
「人を人とも思わぬその歪んだ精神! 貴様に明日を生きる資格はないっ!」
「......へっ?」
息を漏 らす時間だけが、ぎりぎりあった。
あとはただ一 瞬 の間に、飛び退 くことができただけだった。目の前を、風を大きく切り裂 くようにして、巨 大 な拳が通り過ぎていく。
飛び退いて崩 れた体勢をなんとか立て直しながら、オーフェンは叫 んでいた。
「なにしやがるっ⁉ 」
「黙 れ悪党っ!」
男は全身の筋肉を張り出して、拳をこちらに差し向けた──ぽかんとしているコンスタンスとマジクを背後に、野 太 い声で続けてくる。
「貴様のごとき悪党には、この俺が死神となって引 導 を渡 す......地 獄 への片道切 符 だ」
「なんだぁ?」
「この俺の拳は暗 殺 拳 。外部ではなく内部に致 命 的 な損 傷 を与 え、静 謐 だが確実な死をもたらす。さあ祈 れ。貴様の命はあと一分」
「............」
無言で、見つめる──
「............」
同じく無言でうなずいてきたのは、コンスタンスだった。オーフェンも、またうなずき返す。
男が突 き出したままにしている腕 に──がちゃり、と手 錠 がかかった。捕 縛 任務ということで、持ってきていたのだろう。コンスタンスが懐 から出したものである。
「......これは?」
わけが分からない様子で問いかける男に、彼女はあっさり告げた。
「逮 捕 。殺 人 未 遂 っぽかったから」
「............」
「凶 器 は暗殺拳って、報 告 書 で通じるかしら」
「知らん知らん」
聞いてくる彼女に、かぶりを振っていると。
「ぬうううううんっ!」
男が、雄 叫 びをあげた。ビビって逃 げるコンスタンスには構 わずに、手首にかかっている手錠をつかむと、そのまま引きちぎる。無 論 のこと、人間の腕 力 でできることではないが。
ちぎった手錠を投げ捨てつつ、男はさらに怒 声 を張り上げた。
「俺を怒 らせるなぁっ!」
びしっ、とこちらに指を突きつけ──いや、そうではなく、人差し指と薬指をこちらに向けただけのようだった。
「かかってくるがいい。指二本だ。二本だけで、貴様の攻 撃 受け止める」
「我は放つ光の白 刃 」
ごうっ!──
輝 く光の奔 流 が、男の姿を包 んだ。爆 発 し、熱 波 が散ると、そこに黒こげになった男だけが残る。
「......受け止......め......」
ばたりと男は、その場に倒 れた。ひくひくと痙 攣 しながら、失神したらしい。
オーフェンは、改 めてコンスタンスと顔を見合わせた。完全に壊 れた手錠を拾 って呆 然 としている彼女に、つぶやく。
「なんなんだ?」
「さあ......」
その時はまだ、その程度のことに過ぎなかった。
「......『ヴァンパイア』......?」
コンスタンスの小さなつぶやきに、反応する。オーフェンは顔を上げると、彼女に向かって眉 根 を寄せた──椅 子 に縛 り付けられた男の腕 に、入 れ墨 を発見したらしい。
近寄って、彼女の横からのぞき込む。確かに入れ墨には、彼女がつぶやいたそのままの文字が入っていた。と、あとは図 案 化 された、首の折れた鎧 騎 士 の姿。
改めて、男を見やる。
見れば見るほど、平 凡 と言えない顔つきではあった。道ばたですれ違 うだけでも、数分は忘れないだろうと思える。身体 つきだけでなく、手や腕にもちょっとした傷 跡 が目立ち、鍛 え方に関しては尋 常 なものではないと知れた──手錠を引きちぎるところを見せられたのだから、疑 うのは意味がないだろう。実際、飛んできたのが熱 衝 撃 波 でなければ、指二本で受け止めてみせたかもしれない。
「ヴァンパイアって、どこかで聞いたことあるような気がするけど」
虚 空 を見上げてうめく彼女に、オーフェンはため息をついた。
「不 死 身 の反逆者のことだろ。不死ゆえに無限の罪を重ね、ついには己 の罪の重さに、日の下を歩くことも嫌 うようになったとか」
「それはおとぎ話でしょ。わたしが言ってるのは、歴史上の──」
「ヴァンパイアと呼ばれた人間なんて、結構いくらでもいるぜ? だいたい、ひとりが不死者だと告 発 された時は、一族すべてが裁 判 にかけられたらしいしな」

「そうじゃなくて、ほら、一番有名な」
「弓 聖 ケシオン・ヴァンパイア? 彼は不死身じゃない」
あっさりと告げると、コンスタンスは困ったように、視線を泳がせた。とりあえず、自分でも少し考え込んだらしいが、なにも思い浮 かばなかったのだろう。首を傾 げてくる。
「......なんで?」
「死んじまっただろ。デミトロスの魔 剣 ヒュプノカイエンに貫 かれて」
「そりゃそうだけど」
「だいたい、強力な魔 術 士 のことをヴァンパイアとあだ名するってパターンは多いんだ。特に迷 信 が蔓 延 していた昔にはな。ケシオン・ヴァンパイアはその筆 頭 だろ」
「うーん」
腕 組 みしてうめく彼女に、肩 をすくめる。オーフェンは再び男の入 れ墨 に視線を落として、あとを続けた。
「で、もうひとつ多いパターンに心当たりがあるけどな」
「なぁに?」
「犯罪者や、犯罪集団が、箔 をつけるためにそれを自 称 するってパターンだよ」
「犯罪集団......」
「あるいは、テロリストとか」
最もメジャーなヴァンパイア。
つまりケシオン・ヴァンパイアを例にするならば──というのも、彼は希 代 の魔術士であり、かつこれ以上ない犯罪者であり、まさしくテロリストであったからだが──、この不死者の名を冠 するには、たったひとつ条件を満たせばいい。社会を恐 れさせることだった。魔術士、犯罪者、テロリストがその名を得ることが多いのは当然で、社会が恐れを抱 くのは、結局のところこの三者に尽 きる。
伝説では、それは神々と対立した古代種族のことを指すのだとも言われている。魔術の秘 儀 を盗 み出したことで神の怒 りを買い、死ぬことも許されなくなった古代種族がいるというのだが、無論のこと〝不老不死〟の存在が確 認 されたことなど一度としてなく、こんなおとぎ話にまともに付き合う者はいない。そもそも、古代種族は滅 びたからこそ古代種族なのだから。
それでも伝説としてであれば、人々の記 憶 からは消えることはなかったわけだった──永 遠 の罪人、ヴァンパイアという名前は。
「でも」
どこか神 妙 な面 持 ちで、コンスタンスがつぶやくのが聞こえてくる。オーフェンは物思いを断ち切られる形で、彼女の声に注意をもどした。
「でも......あんたの魔 術 を食らって、よく生きてるわねこの人......」
「いや、そりゃ俺だってちゃんと、死なない程度に加 減 くらいはしてるし......」
とりあえず、答える。
だがコンスタンスは半 信 半 疑 のようだった。
「わざわざ入れ墨なんかしてあるし......」
「犯罪グループにはよくあることだろ。決して裏切らない証 っていうか」
「なんか言ってたことも、妙に古くさいっていうか時代がかってたっていうか」
「時代がかって──っていうのは、ちと違 うような気もするが。それに、変な奴 ってことなら、今までも腐 るほど見てきただろ」
「だってひょっとしたら......そうよ! わたしが前に手に入れた、ケシオン・ヴァンパイアの魔 剣 オーロラサークルを取り返しにきた本人かも──」
「あんなぱちもん、誰 が欲 しがるかっ⁉ 」
オーフェンは叫 び返してから、いまだ気 絶 したままの男の頭を、ぺしと叩 いた。
「だいたいだ、いつものよーに、この食堂に入り込んできた妙な奴が、妙なことを口走って魔術で吹 っ飛 ばされただけのことだろ⁉ 単なる日常茶 飯 事 の中に、ほんのちこっといつもと違うとこを見つけたからって、なんでもかんでも異常事態に結びつけるなよ」
「......なんだか、どこからどこまでが正 論 なんだか、判断がつかないんだけど......それ......」
「いーから納 得 しろ。俺は納得した。とにかくだ、政治犯だかなんだかを捕 まえなくちゃならんのなら、そっちの任務を優先しろよな。俺もさっき飯おごってもらったし、協力してやるから」
「うーん」
まだなにか引っかかるのか思 案 顔 のコンスタンスはいったん無視して、オーフェンは、ずっと近くでぼーっとしているマジクへと向き直った。まだトレイを抱 えたままの少年に、
「てなわけで、こいつ適当に介 抱 しといてくれ。ケガもないようだし、そのうち目を覚ますだろうから」
「まあ、いいですけど......」
頭を叩かれ、うなだれた姿 勢 の男は──
ぴくりとも動かず、ただじっとうつむいて、自分のつま先を見つめているだけのようだった。
「と、いうわけでだドーチン。俺 様 が思うに、秘 訣 はあれだな。カメレオンだな。体 色 を変化させて景 色 に同化するとだ、とても便利だとは思わんか?」
「そりゃまあ、それができるんならいろいろ便利かもしれないけど......」
ケーキ屋のショーウインドウをのぞき込みながらの兄の言葉に、ドーチンはとりあえず、曖 昧 にうなずくだけだった。
だが、それがまずかったらしい──曖昧に否定するべきだったのだ──、兄、ボルカンはその声に確信の気 配 を強めて、あとを続けてきた。
「うむ。まさしく同意するか弟よ。そこまで同意せんでも良いような気もするが、まあ仕方あるまい」
どこまで同意したことになったのかは分からないが、そのあたりを追 及 しても詮 無 いことではある。とりあえず答えずにいると、ボルカンはショーウインドウにさらに近づき──ガラスの向こうでは若い女の店員がケーキのデコレートを終えようとしているところだった──、大きく喉 を鳴らしてみせた。
「作戦は、こうだ。忍 び込 む。奪 う。逃 げる。まさしく理想的な計 略 だと思わんか? なにしろ失敗の余 地 などない。さしもの俺様も、ここまでうまくいくとは思わなかったぞ」
「理想的過ぎるような気がしないでもないけど」
「うむ。よってドーチン、計画を実行しろ。コツはカメレオンだ。俺様の予 測 では、体 細 胞 に色 素 変化的な気合いを入れるあたりが奥 義 」
「ううう」
地 人 の背 丈 にとっては、人間種族の建物というのはとどかない背中のかゆみのようなもので──とにかく落ち着かない。今もなんとかつま先を伸 ばしてウインドウをのぞいているわけだが。
兄を見やる。自分と同じ伝 統 的 な民 族 衣 装 である毛皮のマントに包まれて、剣 など下げている。
とりあえず反論はあきらめ、店の入り口へと向かいかける──体細胞に気合いを入れるだかなんだかしながら。その気合いというのが、色素変化的であるかどうかは分からなかったが。
と。
目の前を、すっと人 影 が横切った。ケーキ屋の扉 を開け、閉めないままに声をあげる──外にも聞こえてくるくらいの声だったが、特に大声というわけでもない......
「この店にあるケーキをすべていただきたい」
ぶッ──
と吹 き出したのは、兄であるらしかった。目を丸くするケーキ屋の店員をも無視する形で、突 然 現れたその男はそのまま続けた。
「とりあえず、ネームを入れて欲 しいのですが。『飛び出せ! 無 差 別 ケーキ投げ大会』というあたりで」
「投げるの⁉ 」
思わず、つっこむ。
男には見覚えがあった──その格好のせいもあるが。ぴしっとしたタキシードに、白手 袋 。銀 髪 をオールバックにした、無表情の男。よくあの借 金 取 りといっしょに出てくるのだが、名前は思い出せない。
「貴様っ! 突然現れて、このマスマテュリアの闘 犬 ボルカノ・ボルカン様の前に割り込むとは⁉ 」
ばっと前に出てわめく兄に、その男は.、軽 やかに振 り向いてくると、
「むう⁉ それは確かにっ!」
「確かになんですか......?」
男はこちらが聞いたこともやはり無視して、ざざっと靴 底 を滑 らせるように、ケーキ屋から飛び出してきた。ケーキ屋の店員が、わけが分からない様子で、肩 をすくめてもとの作業にもどるのが見えた。

男はこちらに近づいてくると、右手を差し出し、
「危 うく、また紙 一 重 のところで無 駄 な衝 動 買 いをしてしまうところでした......」
「うむ。分かれば良いのだが。もう少しで俺様としても、ぎりぎりまで我 慢 し殺すところだったぞ」
「えーと......」
何事もなかったように話を続けるふたりに、どうしたものか迷っているうちに──
男が、きらりと真 摯 な眼 差 しをこちらへと向けてきた。
「実は、おふたりに折り入ってご相 談 がありまして」
「......それがなんで、ケーキ買 い占 めて投げ大会?」
なんとなく聞いてしまったが、男は特にどうということもなく真 顔 で、
「いえ。特に意味はないのですが」
「本気で意味ないんですけど、それ」
「はっはっ。お気になさらず」
「まあ気にしません」
刹 那 。
金属音が響 いた。
音に反応して、まぶたが閉じる。再び目を開いた時、眼 前 にあった姿は、ほんのわずかだけ変化していた──間 違 い探しのように。真顔で笑うその表情も、立っている位置も、肩も、なにも変わっていない。が。
いつの間に出したものか、彼が後ろ手に持っている鉄の棍 棒 に、受け止められる形で尖 ったものが引っかかっている。
槍 のようだった──いや、穂 先 にあるのは逆 鉤 のついた刃 だけではなく、分 厚 い鉄板とハンマー、ついでにあちこちから釘 のようなものが突 きだしている凶 悪 な代 物 だった。およそ、洗 練 された武器というよりは、巨 大 な海 獣 を釣 り上げる鉄製の毛針というほうが近い。
槍の長さは、ざっと三メートルほど。歩 兵 槍としては、おおむね標 準 だろうが、その持ち主と比べると、いかにも長大な武器に見えた。
ほっそりとした、金 髪 の女性──それが片手で、その槍を構 えている。よそ行きというほどでもない普 段 着 姿というところか。セーターとジーンズが、どこまでもその武器とは不 釣 り合 いだった。
もっとも、それを言えば、銀髪タキシードの棍棒も同じだが。
「............」
なにやら険 しい顔つきで、その女は、男を見つめている。背を向けている男のほうは、どうという様子でもないが。
だが、ぽつりとつぶやいた。
「むう。そういえば、今日はこういったことで追われていたような」
「だから、なんでその状 況 でケーキ投げ大会......」
うめく。が、それはどうでも良いことだったようで──事実どうでも良いことだが──、彼はさっとこちらに手を振 ると、
「ところで、邪 魔 です。どいていただきたいのですが」
「相談に来たとか言ってませんでした?」
「お気になさらず」
「だから気にしませんけど」
何歩かどいてやると、くるりと振り返り、
「とうとう来ましたか。メイフェル・カシナート──いやヴァンパイア・メイフェル」
ちりん......
と、打ち合わされた時とはまったく違 う、小さな音を立てて、槍 が引かれる。長大な歩兵槍を一度大きく振ってから構え直し、その女もまたつぶやいた。
「ついに見つけたわ、キース・ロイヤル。いえ」
彼女はなにを思ったか、空いている左手でセーターと上着の襟 元 を開いてみせた。白い胸 元 に、入 れ墨 のようなものが見える。よくは分からないが、首の折れた騎 士 のような図 案 だった。
そして、彼女は言い直した。その瞳 に怒 りのようなものを見せながら。
「いえ......一族の裏切り者には、名前は必要ない......」
男は、黙 して答えない──
そして。
「うむ。そろそろ好 機 だぞドーチン。体 細 胞 に気合いが溜 まった頃 合 いなのではないかと思う。さ、色素変化だ」
「......まあ努力はしてみるよ」
とりあえずどうでも良さそうな他人の都 合 はよそにおいて、ドーチンは、自分の危 機 をどう切り抜 けるか、あるいはどうあきらめるか、そんなことを考えていた。
「おい、こいつはなんなんだ?」
「いや......ぼくもよく分からないんだけど、オーフェンさんがそうしとけって」
「ふうむ?」
そんな声でつぶやく時の父の考えることというのは、本気で見当がつかないことがある──カウンターで拭 き掃 除 などしながら、マジクはなんの気なしにそんなことを考えていた。母の店であるこの宿をきちんと整 えておくことに関して、手を抜くことはない。もっとも、さほど客の来ないこの食堂では、掃除も洗い物も苦になるほどのものではなかったが。
例の男はまだ気絶したまま、椅 子 に固定されている。その男になにか気になることでもあったのか、父──この宿の名前にもなっているバグアップは、しげしげと男の顔をのぞき込んでいた。
「しかし、こりゃあ失神しとるだけだろ」
と、男の背後に回って、適当に肩 をつかむ。
「少し気でも入れれば、目を覚ますんじゃないか?」
「やめときなよ生 兵 法 は」
手を休めて言うが、父は既 に拙 い見まねの蘇 生 法を試 みようとしているところだった。座高の高い男は、椅子に座 らされていても父とそれほど変わらない背 丈 がある。その巨 大 な身体 をなんとか抱 えるようにして、気合いが一声だけ響 く──
「ふんっ!」
ごぼきっ!
奇 妙 な音が鳴り、男はそのまま、がくりと脱 力 した。
「むう」
それほど口 惜 しいというほどでもない調子で、父がつぶやくのが聞こえてくる。
「やはり、通信教育では無理か」
「また通信教育の種類増やしたの?」
「いや、整体のテキストは先々月から取り寄せていたんだがな。最近増やしたのは利 き酒だ。なんで通信教育で利き酒なんだかさっぱり分からんのでやめようと思っとるんだが......ん?」
なにかに気づいたようで、父はまた男の正面に回ってのぞき込む仕 草 をした。先ほど、オーフェンらが気にしていた入 れ墨 を見つけたらしい。
きょとんとしたように、声をあげる。
「こりゃあ、ヴァンパイアの印だろう?」
「ん?」
マジクは、目をぱちくりした。
「オーフェンさんたちも、なんかそんなこと言ってたけど、有名なものなの?」
「いや、まあ、ご丁 寧 にヴァンパイアと書いてあるからな。しかし図案は見覚えがある。にしても最近じゃ、学校ではなんにも教えとらんのか?」
呆 れ声で、嘆 息 する。マジクは雑 巾 片手に、むっと唇 を突 きだした。
「知らないよ。おとぎ話のことなんて、なんの授業で教えるってのさ」
「とんでもない、おとぎ話なものか」
バグアップは、ただ軽く、肩 をすくめた。
「ヴァンパイアってのは、数十年前、史 上 最も多くの市民を虐 殺 したという暴力主義者たちのことだ。この入れ墨は、そのメンバーのものだよ」
「......へっ......?」
指先から、雑巾がずり落ちる。刹 那 ──
「うがあああああっ!」
ロープと──ついでに椅 子 も──粉々に引きちぎり、それまで黙 していた男が立ち上がった。目は血走り、顔を歪 め、どう見ても正 気 ではないようだったが。
「......父さんっ⁉ 」
思わず、悲鳴をあげる。
だが両 腕 をあげて摑 み かかろうとする男に、バグアップは、軽く右腕を打ち込んだだけだった。もっとも、軽いように見えたというだけで、実際には凄 まじい音が響 いたが──巨 木 を切り倒 すような。
実際、巨木のように大男は床 に転げると、そのまま体勢を直して、扉 から食堂の外へと駆 けだしていった。扉が閉じ、すべてが終わるまで、数秒というところだったろうが。
ぽかんとしていると、声が聞こえてきた。息を荒 らげるでもなく、ひたすら先ほどと変わらない、父の声。
「気付け、一応効 いてたか。通信教育も捨てたもんじゃない」
確信たっぷりに、バグアップはうなずいてみせた。
「しばらく続けてみよう。だいたい、利 き酒はお前の母さんの提 案 なんだ」
「いや、そんなことより、大変なことになったんじゃないかって気がするんだけど......」
とりあえず、床に落ちた雑巾を拾いながら──いまだ震 えている指先ではなかなか拾うことができず、とにかくマジクは、つぶやいた。
そもそも、こういった捜 査 は、情報がなければ始まらないものである。
無 論 、テロリストの捕 縛 などということに関して、彼に専門的な知識があるわけでもなかったが。
「捕 まえろ、で捕まえられるもんなら、誰も苦労はしないよな」
オーフェンは道を歩きながら、うんざりとうめいていた。
「だいたい、たれ込みとか、なんかそーゆうので始まるんじゃないか普 通 は? どこそこに奴 らがいるとか、どこそこが狙 われるとか。いきなり、すぐ見りゃ分かるから捕まえろとか言われてもなぁ」
「愚 痴 を言ったって仕方ないじゃない」
横を歩いているコンスタンスが言ってくる。
オーフェンはため息をついた。食堂からそれほど離 れているわけでもない裏通り。人通りはなく、声をひそめる必要もない。
「愚痴というか、まっとうな意見だと思うんだけどな。だいたいお前んとこの上司が持ってくる命令って、マトモだったためしがねえぞ。都市伝説の殺 人 鬼 やら身内の稼 業 の手伝いやら令 状 なしの強 制 捜 査 やら」
「でもだいたい、その通りだったじゃない。最後のはあんたの自 業 自 得 だし」
「ったく......」

ぶつぶつと、あとを続けようとする。が。
「......ん?」
ふとオーフェンは、立ち止まって後ろを振 り向いた。
「どしたの?」
二歩ほど先行してから、コンスタンスも足を止める。彼女に向かって手をあげて制してから、オーフェンは耳をすました。
「なにか聞こえたような気がしたんだが......」
遠くから、足音と、雄 叫 びのような──
数秒と経 たずに、完全に聞こえてくるようになる。
「うおおおおおおお──」
わざわざ問いただすようなことでもなかった。声に聞き覚えもあったが、それ以前に、道の向こうからマントを翻 した大男が突 進 してくるのが見える。そうそう見忘れるような格好でもない。
「......オーフェン」
驚 いたように後ずさりするコンスタンスのことはとりあえず忘れて、オーフェンは無言で体勢を整えた。右半身を退 いたいつもの構え。特にどうという秘 訣 があるわけでもないが、どうとでも展開できる自然体。体力差は歴 然 であるため、最 良 の選 択 は、接 近 前に魔 術 で相手を無 力 化 すること──
そこまでを考えて、頭の中に魔術の構 成 を組み上げる。
と同時だった。
ずざしゃあっ!
大げさなモーションで、男がいきなり、地面に倒 れる。勢いづいていたところから転 倒 して、いかに体重のあるその体格でも、かなり大きく滑 り込んできた。
「............?」
わけが分からないまま、観 察 する。よくよく見れば、男の顔面は、なにかとんでもなく痛 打 されたとでもいうように鼻が曲がって血まみれになっている。転んでできた傷というわけではないようだが。ますます意味が分からない。
ただ──
近寄ると、息も絶 え絶 えの、男のつぶやき声が耳にとどいてきた。
「この......悪......党どもぉ......」
それは、涙 声 かもしれなかった。
(つづく)


男はなにやらうなされて、意 識 も定 かではなかったようではあったが。
健康には影 響 なさそうだと、適 当 に男のケガを見て取って──確 証 があったわけではない。単に大 丈 夫 そうだったからそう思っただけだが──、オーフェンはコンスタンスに向き直った。
「で、どーする? こいつ」
「どうするって言われても。なんでわたしが決めなくちゃなんないのよ」
「そりゃそーだが」
正 論 で言い返され、虚 空 を見上げる。
どうしたものかと、あたりを見回しながら考え込む──とりあえず通行人の姿がない裏 路 地 で。乾 いた風が吹 き抜 けようとしながら、曲がり角にぶつかってそこで消える。整 備 されたトトカンタ市で、行き止まりがある区画など、この裏路地街くらいのものだろう。
そこで、腕 組 みする自分というものを思い浮 かべ、なんとなく胸に穴 が空 くような虚 しさを覚える。
オーフェンは嘆 息 して、その男を見下ろした。見下ろせた のは、その男というのが地面に倒 れているおかげである。直立していたならば身長は二メートルを超 すだろう。相当の体格で、鼻血まみれになって白目をむいてさえいなければ、顔つきにも厳 めしさが染 み込んで見える。
どこかぼろけた旅 装 だが、手荷物のひとつもないらしい。
「さて」
とりあえず言うべきことがまとまって、オーフェンは口を開いた。
「突 然 襲 いかかってきたあげく勝手に倒れた男に対して、俺 が頭を悩 ませなくちゃならん理由ってのはなんだ?」
「人生の業 とか......」
「ち・が・う・だ・ろ!」
やたらあっさりと答えてきたコンスタンスに、顔を近づけてうめく。歯の間からきしるように、彼は続けた。
「時にコギー。お前の仕事はなんだ?」
「派 遣 警察官」
「そーだな。俺は民 間 人 で、理由もなく民間人に襲いかかってくる奴 のことを、暴 漢 という」
「うん」
「お前が連 行 してけば済むことだろーが」
「ええええええええええええっ⁉ 」
だが彼女は、大げさに悲 鳴 をあげ──
実際に靴 底 を滑 らせて三歩ほど後 退 してから、思い切り嫌 そうに鼻にしわを寄せてみせた。
「やーよそんなの。途 中 で暴 れ出したらわたしが危険じゃない」
「警官ってのはそーゆうもんだろ⁉ 」
「そんな無 茶 なこと言われても」
「無茶かっ⁉ 」
彼女を追いかけるように前進して、オーフェンは声を荒 らげた。
「いーからたまにゃ本来の仕事を思い出して、どこかの交番でも警察署でもなんでも連れて行け! 俺はもうケチがついたから帰る」
「ちょっとぉっ!」
回れ右してもどりかけた、その後ろ手をつかんで──今度はコンスタンスが前進してきた。肩 越 しに見やると、眉 を大きくつり上げて、彼女が抗 議 してくる。
「どさくさ紛 れになに言ってんのよ! 今日は、わたしの任 務 を手伝ってくれる約束でしょ!」
「もういいだろ今日はこんだけ騒 ぎが起きたんだから。だいたいそもそも、アテのないテロリスト捕 縛 なんてできるかっ⁉ 」
「できるわよやる気さえあれば!」
「相手の顔も名前もなにもなくて、ただ漠 然 とテロリストがいるっぽいから捕 まえろーなんて命令を、どんなやる気でカバーするんだよ!」
「別 件 逮 捕 とか罪 状 捏 造 とか誤 認 逮捕とかっ!」
「どーなるそれでっ⁉ 」
叫 び返してから、オーフェンは、男のほうを指し示した。
「だいたい、なんか危なそうな奴 ならなんでもいいんだろ? だったらこいつでいーじゃねえか。ヴァンパイアなんて入 れ墨 してる奴は、絶対になにかしらの犯 罪 組 織 の類 だって──」
破 れかぶれにそう言ってから。
自分の指先が向いている方向を視 線 で追い、ふと言葉を止める。
見ずに指さしたのだが、一応は、男の肩口に彫 られていた、ヴァンパイアなる文字と奇 妙 な人型の図 柄 の入れ墨を示したつもりだった。だが、見てみると、それがない。
彼の指先の延 長 にあったものは......くるぶしだった。
見上げる。と。
かなり長い距 離 を視線でなぞり──首をかなり上向かせ、到 達 したところには、はらはらと涙 をこぼす男の顔があった。
「............」
「............」
硬 直 し、無言のまま、思わず観 察 する。
こうして見ると、その男が決して若くはないことが分かる。といって老人でもなければ中年でもない。微 妙 な年代だった。三十代のどこかだろう。
ところどころ角 張 って、彫りが深く、しわの多い男の顔。一言でいえばクドい。その顔面の溝 のすべてに、噴 き出した鼻血と涙とがこぼれ、異 様 な色 彩 を編 み出している。太い眉 は急な角度を描 き、引き結んだ唇 は、山のような輪 郭 をそびえさせている。
風が吹 いた。その男のためにあつらえられたかのように、ひときわ強い風が。
男のマントをたなびかせ、野生の獣 にすらあり得ないほど鍛 えられたその体格をあらわにする。
もうひとつ、現れたものがあった。肩 口 に刻 まれた、人形のタトゥー。古めかしい、ヴァンパイアというメジャー過ぎる単 語 。
その男は涙を流したまま──口を開いた。
「貴 様 のような若 造 にまで犯罪者呼ばわりされるとは、この由 緒 正しき家 紋 ──」
「我は放つ光の白 刃 」
雷 鳴 が轟 き。
男に向けられたままだった指先から膨 れあがった熱 衝 撃 波 が爆 裂 した。
「............」
爆 音 が消えたあと──なにやら、口をぱくぱくとさせてから──黒こげになって、男がぱたりと倒 れる。
やはりこちらの手をつかんだままのコンスタンスが、聞いてきた。
「......なんで?」
「いや。なんとなく怖 かったから」
オーフェンは答えて、いまだなにかをしゃべろうと、音を立てずに口を開けたり閉じたりしているその男を見やった。しばらくは動きそうになかったが、至 近 距 離 から魔 術 を食らって──まあ手 加 減 はしたものの──呼吸のリズムを狂 わせてすらいない分 厚 い胸 板 を見ると、どうにも安心できないような気もしてくる。
オーフェンはコンスタンスに向き直った。つかまれていた腕 を引きもどし、
「ロープかなにか、あるか?」
「ないわよ。手 錠 もさっき壊 されちゃったし」
こちらもかなりびくついた様子で、コンスタンスが答えてくる。オーフェンは腕組みしてうめいた。
「......ちゅーか、さっき椅 子 に縛 り付けておいて宿を出てきたんだよな。そこから抜 け出してきたんだろ、こいつ」
「どーすんのよ。やーよこんなびっくり親 父 連行するの」
「うーむ」
と。
首筋に粟 立 つものを感じて、オーフェンは振 り向いた。例の男ではない。男はいまだ、ぐったりと倒れている。新たに現れた気 配 は、まったく別のものだった。
「おにーさまーっ!」
速い──
なんの速度が、というわけではないのだが反 射 的 にそう戦 慄 する。とっさに彼は、コンスタンスを突 き飛ばした。そして次の瞬 間 には、自分の身体 も宙 を飛んでいた。
本 能 的 に、ただその場を跳 び退 いただけなのだが。
自分を追うように、銀色の影 が空を裂 くのが見える。閃 光 は弧 を描 いて地面に激 突 し、そしてアスファルトに突 き刺 さって動きを止めた。
「......なっ⁉ 」
思わず、悲鳴が漏 れる。それは槍 だった。
いや、槍と呼んで良いものか──とにかく長い柄 の先 端 に武器がついたものを槍だとするならば、紛 れもなくそれは槍だった。ただ重量のバランスも無視してひたすらに凶 器 を丸めて固めたようなその穂 先 を見て、槍だと思う人間はそうはいないような気もしてくる。
十人分ほどの甲 冑 と武器とを並はずれた力で圧 縮 してひとつにまとめれば、その武器になるだろう。実 体 としてはそれは長大な歩 兵 槍に過ぎなかった。そして、その槍を片手で構 えているのは。
「お兄様、しっかりっ⁉ 」
例の男に駆 け寄りながら、金 髪 のほっそりした女が声をあげる。すっかり狼 狽 して──槍を構えたまま──おろおろしてみせたが、すぐさま思い出したように、こちらへと顔を上げた。
厳 しい眼 差 しで、叫 んでくる。
「なんだか分からないけれど......よくもお兄様を......!」
「あー。えーと」
とりあえず、突き飛ばされてつまずき、なにげに道ばたに積まれていた煉 瓦 の角に脳 天 をぶつけだくだくと流血しているコンスタンスをちらと見やってから、オーフェンは両手をあげた。
「いや、なんてゆーか、ものすごく遠大な誤 解 がありそうな気がするんだが──」
「問 答 無 用 !」
その女はきっぱりと叫んでくると、大きく槍を振 りかぶってみせた。普 通 、そんな使い方をするような武器ではないだろうが──この槍に限っては、こんな使い道しかあるまい。つまりは、最大威 力 で叩 きつける。
彼女の身体のどこにその腕 力 があるのかは分からなかったが、事実、軽々と槍を振り回している。こちらも警 戒 し、半身を退 いて戦 闘 態 勢 を取るが、刹 那 。
「おにーさまーっ!」
違 う声が、背後から聞こえてきた。これもまた同じく、背筋に嫌 な感 触 を催 す気配とともに。
そして、後頭部から鼻の先へと、衝 撃 が貫 通 した。
目の前が真っ暗になる──頭 蓋 骨 のあごから上が一撃で吹 き飛ばされれば、こんな感覚なのだろうと思えた。もっともそれで実際には吹き飛んでいない のだから、なお最悪ではある。死ぬほどの激 痛 というものを死ねないままに味わってから、オーフェンは、顔を上げた。いつの間にか、地面にうつ伏 せて倒 れていたらしい。
上げた視界には、見 慣 れた銀 髪 タキシードが棍 棒 を持って待ちかまえていた。ふるふると上体をくねらせてから、口元に手を当て、銀髪タキシードが声をあげる。
「お兄様、しっかりっ⁉ 」
そしてそのまま、槍 を構えている女へと身体 の向きを変え、
「なんだか分からないけれど......よくもお兄様を......!」
「待てい」
ぐわし、とその男の頭をつかみ、オーフェンは低くうめいた。現れたその男──キースはこちらをちらとも見ないまま、
「おや黒 魔 術 士 殿 。なにか問題でもございましたか?」
「まずこれだけはなによりも先に言っておきたいんだが、誰 がお前のお兄様だ」
「いえ。なんとなく繰 り返してみただけですので」
「繰り返すんだったら、どーして俺に殴 りかかる⁉ 」
声をとがらせ凄 んでみせるが、キースは真 顔 のまま、表情を変えようともしない。花束のように棍棒を抱 え、
「しかしわたしの予定では、黒魔術士殿ならばあの程度の打 撃 など華 麗 に回 避 なさるかと」
「背後から奇 襲 されて、そうそう何度も避 けられるかっ!」
「今後、背後に、より一層警 戒 感 を強めることを提 案 いたします」
「言われんでもそーするわい」
「ですがっ! 今はそんなことを言っている場合ではないのですっ! というわけで、てい」
言うなりキースは、頭をつかまれたまま、手にしている棍棒の先を軽く動かした。それは振 り子のように、ちょうどブーツで保 護 されているすねの部分と、無 防 備 な膝 頭 との中間点に命 中 する。
「はうっ⁉ 」
不 意 を突 かれたのと痛みとで、反射的に、つかんでいたキースの頭をはなす。と、自由になったキースが、改 めて、びしと棍 棒 の先を女のほうに向けた。
待ちかまえていたように──いや実際、その時までずっと黙 って待っていてくれたわけだが、女が、声をあげる。
「ふっ。敵 わずに逃 げたと思えば、今度は余計な茶 々 入れ──相変わらずの無 軌 道 ぶりね、裏切り者が」
だが、キースもまたそう言われることを予想していたのか表情を変えず──いや、もとよりなにを言われようとそうなのかもしれないが。棍棒を手に、動ぜずに応 じる。
「ヴァンパイア・メイフェル......そして、ヴァンパイア・グラダス。いつの日かこのような時が来ること、覚 悟 はしておりました。いえ! むしろ待ちこがれていたのかもしれません」
「破 約 の代 償 は死あるのみ! このわたしが裁 きを下す!」
それらのやりとりを背後に、オーフェンはとりあえず意識を回 復 させたらしいコンスタンスへと近寄った。
「お。生きてたみたいだな」
ふらふらと起きあがろうとしている彼女に耳を近づけると、なにやらうめいている。
「うーんうーん。ひ、光が......ああ、洪 水 の、光と時の溺 れ死ぬる──」
「てりゃ」
軽く首筋を叩 いてやると、はっ、と息をついてから、彼女の目の焦 点 が合った。
「うっ? あ、オーフェン。なんかよく分からないけど、死んだ父さんと母さんに会ってきた気分」
「おおそうか。良かったな」
「そうねえ......って、なんでわたし血まみれなのかしら。なんか誰かに突き飛ばされたような記 憶 も、かすかに──」
「黒 魔 術 士 殿 ぉぉぉぉぉっ!」
ごがぎんっ!
背後に注意を払 っておくことは忘れていなかった。
その成果だと断 言 できる──真横に素 早 く跳 躍 して、破 壊 的 な打 撃 を回 避 できたのは。滑 り込むような体勢で背後を見やり、思い切り棍棒を振 り下ろしたポーズのまま真顔で叫 んでいるキースを確 認 する。
「黒魔術士殿っ! 慈 悲 があれば、聞かないでいただきたいのですっ! ああ、いかにわたしとあのメイフェルとが、黒魔術士殿の好 奇 心 を刺 激 してやまない意味ありげ、というかクライマックス風 味 かつ、もうお別れですね的な最終回会話を展 開 しているからといって、人は誰も、知られたくない過去というものがあるのですからっ!」
ちなみにその棍 棒 の下で、死んだカエルのような格好でコンスタンスが潰 されているのだが、まあそのへんのことを気にしても仕 方 がない。オーフェンはゆっくりと立ち上がると、キースに聞いてみた。
「......なんかあからさまに聞いて欲 しそうだから聞いてやるけど、なんだ? お前知り合いなのか? この女と」
「知り合いというより」
キースは、淡 々 と答えてきた。
「婚 約 者 です」
「......え?」
「そして、その婚約は破 棄 された──あなたから勝手にね」
その言葉とともに──
汗 すらかかないキースの顔にぴたりと、例の女──メイフェルとかキースが呼んだその女が、槍 の先を突 きつけていた。
「こんな裏切りが許 されるとでも思って?」
「ふっ......」

キースは笑うと、こちらを向いて真顔で言ってきた。
「というわけで黒 魔 術 士 殿 。この窮 地 を脱 するためには彼女を倒 すよりほかありません」
オーフェンは嘆 息 した。半 眼 で、
「また、無理にやっかいごとを押 しつけやがって......」
「くっ......そういうことなら、まずあなたからっ!」
「そっちも、なんでそうなる──って、うわ!」
女に叫 びながら、彼女の突きだしてきた槍をかわす。メイフェルとやらは、瞳 の輝 きをすべて怒 りの炎 にくべて、こちらをにらみつけてきていた。
「うふふふふ。かかわった者はすべて殺す。キース、あなたには狩 られる者の恐 怖 を味わってもらうわ。かつてわたしのご先祖が狩られたように」
「いやあの......できれば当事者だけでやってて欲 しいんだけど......」
その槍からなるたけ遠ざかろうと、じわじわ後退しながら、オーフェンはうめいた。
が、
「問答無用ーっ!」
「黒魔術士殿ぉぉぉ!」
振 り回される槍と、突きだされてくる棍 棒 と──
槍の柄 に手を添 えて位置をずらし、棍棒を受け止める。激しい金属音と衝 撃 に、視界が一 瞬 かすんだ。すぐさま身体 を沈 めると、一気に駆 けだして、メイフェルの懐 へと飛び込む。リーチの長い武器だけに、相手を押 さえてしまえばそれで済むはずだった。
が、それは相手にも分かっていたことだろう。彼女はすぐに槍を手放すと、奇 妙 な動作で、左手首をひねった──と、手品のように、彼女の手の中に小型のナイフが現れる。刃 の大きさとしては親指ほどもない、格 闘 用のナイフだった。
銀光を閃 かせ、それを突 きだしてくる彼女の攻 撃 を身体ごと避 け──
そのまま、彼女の横を走り抜 ける。と同時。
背後から、数本のスローイングダガーが飛んでくるのが見えた。もっとも、見てから避けたわけではない。相手に背中を見せないように身体をひねったため、相手の狙 いがずれたというだけのことだった。投げナイフをやり過ごし、体勢を整 えているうちに、彼女もこちらを向いて、今度は右手首をわずかにくねらせた。その手から、細いワイヤーに繋 がれた拳 大 の鉄 球 がこぼれ落ちる。
「......きりなしか?」
口に出たか出ないか、自分でも分からなかったが、愚 痴 が漏 れる。
オーフェンは大きくゆっくり息を吸うと、拳を固めた。本気を出さなければならないらしい。
刹 那 、
「────っ⁉ 」
あさっての方向から、細い金属製のブーメランが飛んてくる。反応もできないまま、それは足 下 に突き立った。鉄板で補 強 してあるブーツはそう簡単なことでは貫 通 できないが、鋭 い衝撃に足首を突かれ、身体のバランスが崩 れる。
メイフェルが小さく気合いを吐 く音とともに、彼女の鉄球がうなりをあげて飛来してくる。覚 悟 を決め、鉄球の強 烈 な打球を両掌 で受け止めて、その激痛にじわりと涙 がにじむのを感じながら、オーフェンは横に跳 んだ──ちらりと見やると、ブーメランがブーツに突き刺 さっている。ケガをしたわけではないが、動きにくい。
彼は舌打ちした。
(......一度命中し、勢いをなくした鉄球を引きもどすのには時間がかかるだろう──その間に、こっちは体勢を立て直せる......んが?)
絶 句 する。彼女はためらいもなく鉄球のワイヤーを手放すと、右手を腰 の後ろに回した。彼女が着ているのはごく普 通 のセーターで、武器を隠 すスペースなどないはずなのだが。
次の瞬 間 、彼女がボウガンを取り出し、片手で構えるのを見た時、オーフェンは体勢を立て直すことはあきらめた。

「どんな仕 組 みだぁぁぁぁっ⁉ 」
叫 びながら、ひたすらに走る──速 度 を落とさないことだけを考えて。
連 射 式ボウガンの、弦 が弾 ける無 骨 な演 奏 が耳に入った。撃 ち出されたボルトが、次々と身体 をかすめて飛んでいく。三歩先に防 火 槽 があるのを発見し、オーフェンは二歩でそこにたどり着いた。木製の水 槽 の陰 に逃 げ込んで、とりあえず息をつく。ボウガンの矢が次々と水槽に当たり、木の枠 組 みを危なっかしく揺 らしたが、さすがに何十リットルもの水と、それを支える水槽とを貫 通 できるものではない。
と思った瞬間、轟 音 とともに水槽が粉 々 に砕 け散った。
「げっ⁉ 」
一気に流れ出た水のせいでずぶ濡 れにされながら、オーフェンは我 が目を疑 った。水槽があった場所には、今はただ一本、斧 ──というより鉞 ──が地面に突き刺さっている。防火槽の残 骸 の向こうでは、メイフェルが淡 々 と、連射式ボウガンに次 弾 を装 塡 していた。異様なほど早い手 際 で、もう弦の巻き上げを始めている。
(あと数秒か)
それは、この騒 ぎ全体を通じて初めての、相手の隙 だった。
(この何秒間かで、構 成 を編 めなけりゃ終わりだ──)
精 神 を集中し、鉄球を受け止めた時から痺 れて感覚のない両手を掲 げ、手加減抜 きで魔 術 の構成を編み上げる。
彼女はまだボウガンを準 備 できていない。
「我は放つ──」
唱 えかけた呪 文 を、だが、オーフェンは中 断 した。
中断せざるを得 なかった──砕けた防火槽の板を一枚、足 下 から拾い上げ、構える。とすっ、という小さな音と、軽い衝 撃 ......
板を裏返して見やると、そこに、吹 き矢 が突 き刺 さっていた。声をあげる。
「おい」
「どうかいたしましたか? 黒 魔 術 士 殿 」
いまだ一心にボウガンの巻き上げを続けているメイフェルの向こうから、吹き矢の筒 を構えた姿勢で、キースが聞き返してきた。
「お前はー!」
べし、と板を足下に投げつけ、叫 ぶ。メイフェルを指さし、
「なんかおかしいと思ってたんだ! やたらと武器を交 換 してるわりにゃ、そいつの攻 撃 に隙がなさ過ぎるし! 両手ふさがってるはずなのにナイフやらなにやら飛んでくるし! どれとどれとどれがお前の仕 業 だったんだ⁉ 」
キースに向かって怒 鳴 るが、銀 髪 の執 事 はしごく平然と、
「いえ。援 護 射 撃 を」
「全部俺に向かって飛んできてただろーがっ⁉ 」
つかつかつか、と大 股 で──再びメイフェルの横を通り過ぎて──キースに詰 め寄る。
「いったいなんだ? ええ? 一度はっきりさせとこーじゃねえか。てめコラ。俺を殺 したいのか? ん? やるとなればやるぞ俺は。とことんまで」
「むう」
なにやらしたり顔で腕 組 みするキースの胸 ぐらをつかみ上げ、さらに続ける。
「いーから言え。この際言えはっきり言え。てめぇがどーゆう理 屈 で動いてやがるんだか白状すりゃ、とにかく俺もアレだ。覚 悟 が決まるってなもんだ」
「黒魔術士殿......」
キースは特に抵 抗 もしてこなかったが、ただ諭 すような口 調 で言ってきた。
「良いのですか?」
「なにがだ?」
「そのようなことをされている間に......メイフェルの攻撃準備は着々と」
「あっ」
ふと、背後からメイフェルの声が聞こえてくる。
振 り向いて見やると、彼女の手元で、ボウガンの弦 が弾 けてぼろぼろと矢がこぼれていた。
「............」
じーっと見ていると、彼女は少しほおを紅 潮 させ、うつむいて、
「......不 器 用 で」
「............」
オーフェンは、しばらく言葉を探してから──
「......で結局、なんだったんだ? これは」
「それはですな」
「それは俺が話そう」
「......ん?」
口をはさんできたのは、キースでもメイフェルでもなかった。
「お兄様⁉ 」
ボウガンの矢を拾い集める手を止めて、メイフェルが叫 ぶ。道に倒 れたままほったらかしになっていた大男が、ぽっかりと目を開けていた。むくり、と身を起こし、
「背 徳 の街に住む、悪の住民たち......分かってはいたが、ここまで凶 暴 かつ残 虐 。貴様ら人間じゃない的──」
「我は放つ光の白 刃 」
爆 発 が男を包み、そして沈 黙 させる。ぼてりと倒れて動かなくなった彼にすがって、メイフェルが悲 鳴 をあげた。
「ちょっとぉっ!」
なにやら非 難 するように拳 を振 り上げ、
「なにするのよ! せっかくお兄様が復 活 しかけたのに──」
「だからこーしたんだが」
「その通りです」
半眼でうめく横から、キースが静かに進み出た。
「ここでヴァンパイア・グラダスにまで復活されては、我々の数的優 位 が崩 れてしまいますからな」
「既 に、二対一で不利だったような気もするんだが」
無 駄 だとは知りつつも言っておく。毒づきつつオーフェンは、男──グラダスとかいったか?──とその周囲を縁 取 るような地面の丸い焦 げ跡 から視線を外し、メイフェルのほうを見やった。彼女は手ぶらになっていたが、こうなるとそれで警 戒 が解けるということもない。一定の距 離 を置いて、尋 ねる。
「はっきり言っておきたいんだが、これ以上やり合うのは無意味だし無 駄 だ。分かったか?」
「ううう。ここまでやっておいて」
なにやら納 得 し難 いといった表情で、彼女。すっくと立ち上がり、
「それでヴァンパイア一族の誇 りに収まりがつくとでも」
「そんなもん適当に収めとけ! いいか──」
オーフェンは両手をわななかせて、あたりを適当に示した。道にはあちこち武器が散らばり、二度の熱 衝 撃 波 にアスファルトは剝 がれ、防 火 槽 も派手に破 壊 されている。
と。はたと言葉を止めて、オーフェンは聞き返した。
「ヴァンパイア一族?」
「いかにもっ!」
ばっ──
と腕 を広げ、大 仰 に叫 んだのは、キースだった。ささと進んでメイフェルと並び、ふたりでなにやらそれらしいポーズなども取ってから、
「彼女──メイフェル・カシナートと、その兄、グラダス・カシナート。この方々こそ、唯 一 にして最後なる、正 統 のヴァンパイア一族というわけなのです!」
「我は放つ光の白 刃 」
やはりあっさりと放たれた火 炎 と熱 波 が、ふたり──とまあついでにグラダス──を焼き払 った。炎 と煙 とで覆 われたふたりを残し、そのままコンスタンスのもとへともどると、オーフェンは彼女をがくがくと振 り回した。
「おーい。起きろ。いいから起きろ」
「う......うーん......み、緑の河が......くらげの王国に人 参 が現れてのたまう──」
「てりゃ」
「はっ⁉ 」
首筋を叩 いてやると、彼女の目の焦 点 が合った。
「あ。オーフェン。なんかよく分からないけど、父さんと母さんって金 髪 だったかしら。しかも話す言葉、いってらっしゃーい、だけだし」
「いやもうお前もいい加減、臨 死 体験しない方向性で人生を生きていかんと、ホントに帰ってこられなくなるぞそのうち」
「わたしもホントにそろそろやめたいとは思ってるんだけどね」
血で貼 り付いた髪 をなんとか直そうとしながら、しみじみとコンスタンスがつぶやく。
「まあ、ンなことはどーでも良くてだな。喜んでいいぞ、コギー」
「?」
目をぱちくりさせる彼女に、オーフェンは、黒こげになって倒 れているカシナート兄妹とやらを示してやった。
「なんかよく分からんが、あいつら、例のテロリストってことで間 違 いないみたいだぞ。焦 げたからしばらく動かないだろし。捕 縛 ってことで」
「ホント?」
「間違っておりますぞ、黒 魔 術 士 殿 」
と、特になんの変 哲 もなく、突 如 としてキースが会話に割 り込んでくる。オーフェンが振り向くと、まったく無 傷 のキースが白手 袋 の手をぶんぶんと振っている。
「なにがだ?」
聞き返す。キースは振っていた手をぴたりと止めて、指を一本立て、つつと近寄ってきた。
「彼らはテロリストなどではございません」
「いや、でもヴァンパイアって自分で名 乗 ったぞ」
「問題はそこなのですが」
ふうと息をついてかぶりを振るキースに、オーフェンは眉 根 を寄せた。
「どーにもはっきりしねえな」
「ですから、あの兄妹は、本当のヴァンパイア一族なのです」
「だから」
「黒魔術士殿、ヴァンパイアをどのようなものだと思っておりますか?」
「そりゃあ──」
答えようとして、言葉に詰 まり、ふとオーフェンは、コンスタンスと顔を見合わせた。彼女も表情に疑 問 符 を浮 かべている。
改めてキースへと向き直り、
「テロリストの代 名 詞 だろ?」
「それは代名詞であって名詞ではございませんな」
「うん?」
オーフェンは、首を傾 げた。
「じゃあアレか? ケシオン・ヴァンパイアの親族は全員処 刑 されたっていうけど、その生き残りの末 裔 だとか言ってるような連中は結構いるらしいし」
「かのドラゴンスレイヤー一族は確かに有名ではございますが、結局、そのヴァンパイアというのも、ケシオン・アレイクムにつけられたあだ名でございましょう? つまりケシオンなる人物はむしろヴァンパイアではない わけですな」
「むう?」
ますます分からなくなり、破れかぶれな心持ちでうめく。
「まさか、神話の時代に神に背 いた不死の罪人のことだとは言わないよな?」
「ああ語 源 はそれかもしれないですな。しかし岩のような男といってその男が岩であるわけではございません。問題になっているのは、その男のほうです」
「わけ分からんし」
言っていると、魔 術 の爆 発 跡 から、むくりと人 影 が起きあがるのが見えた。
「それは、この俺が説明しよう」
「我は放つ──」
「いやあのもうやめてお願い」
巨 軀 を折 り畳 むように土 下 座 までして頼 んでくる男に、あげかけた手を下げる。と、服の埃 を払 いながら、メイフェルも起きあがっていた。
「本当のヴァンパイアとかいってたな」
オーフェンは、疑問の声をあげた。
グラダスが、重々しくうなずいてくる。
「うむ。我ら兄妹こそ、ヴァンパイアを名乗る正統。そして、聖なる家名ヴァンパイアとはなにを隠そう」
ぎらり、と瞳 を輝 かせ、その正統ヴァンパイアなる男の声が響 いた。
「かつて貴族内革 命 以前──王宮で催 されたパーティーで泥 酔 し、酔 った勢いで王 妃 のパンツを盗 もうとした貴族の名前なのだ!」
そして響いただけで、虚 しい風に紛 れて消えた。
「つまりだ。我らがご先 祖 は、激 怒 した王によって人知れぬ辺 境 へと飛ばされ、王家に恨 みを重ね、ついには反 逆 したあげく壮 絶 に討 ち死にした......しかしその一族にはわずかな生き残りがいて、その末 裔 が、我ら兄妹というわけだ」
しこたま殴 られて──いやなんとなくあのあと殴ったのだが──、ずたぼろになったグラダスが、そうつぶやく。
オーフェンは腕 組 みして、話を聞いていた。さすがにいつまでも路 上 で立ち話というわけにもいかず、場所を移して、もとの食堂にもどってきている。
「しかし、それが今では......反逆者として有名になりすぎてしまったご先祖の名前を、あの殺 人 狂 ケシオンを筆 頭 に犯罪者などが勝手に借 用 する始末。先ほどこの宿で耳にしたところでは、とうとうこの家 紋 まで無断使用されたらしい。口 惜 しいことだが」
「うーむ」
「分かっている。みなまで言うな」
大きな手をかざし、こちらを制してくるグラダスに、ちらりと視線をあげると、大男は鷹 揚 にうなずいてみせた。
「家名こそ汚 されたとはいえこの俺も、そのご先祖の血──専 横 なる王家を許すことができずに反乱を起こし、民 衆 のために戦ったその遺 志 だけはまっとうに受け継 いでいる」
「いやまあ、どうとは言わんけど......」
うめいていると、横からぽつりと、コンスタンスがつぶやくのが聞こえてきた。
「じゃあ結局、わたしの任 務 ってなんだったのかしら」
「だからやっかい払いだって。いやまあ実際、こいつら捕 まえとけってことだったのかもしれんが」
「なぜっ⁉ 」
叫 んできたのは、グラダスだった。どんとテーブルを叩 き、
「街々を巡 っては、弱き民 のために戦っている我々を捕まえる理由など」
「戦う?」
自分で自分の頭にぐるぐると包 帯 を巻きながら、コンスタンスが聞き返す。グラダスは大きく──というよりこの男の体格ではなにをやっても大きくなる──うなずくと、
「まあなんか、わずかな種 もみを村のために持ち帰ろうとしている貧 しい農民、しかも病気の老人とかが、モヒカンの野 盗 多数に追われている場面とかを求めて放 浪 しているのだが......」
「ないだろそれは。なかなか」
「病気のお爺 さんを遣 いに出す村もないでしょうしねぇ」
ぱちん、と包帯をはさみで切って、コンスタンスがうめく。が、グラダスはあっさりと、
「いや。あったのだ」
「......ホントに?」
聞き返す──と、なにやら少し離れた場所で、涼しげにあさっての方向を見上げているキースがつぶやいてきた。
「それはわたしがかつて、モヒカンの野盗をしていた頃 の話です」
「お前かい⁉ 」
叫ぶ。
グラダスが、静かにあとを引き継 いだ。
「いろいろあって、爺さんは心 臓 麻 痺 で亡 くなられたが、まあそれはそれでこの出会いを大事にしようと、意 気 投 合 してな」
「......またかなり無茶なことを当たり前のように」
「当然のように恋 に落ちる男女。そして婚 約 が決まったその夜──」
それまで黙 っていたメイフェルが、声を震 わせた──キースから一番離れたテーブルに座 っている。彼女は立ち上がると、すました表情のキースを指さし、
「この男は逃 げ出したのよっ!」
「......で、その仕返しにきたってわけか?」
「この宿に出入りしているという情報を得たのだ」
妹とは対 照 的 に静かな口 調 で言ってくるグラダスに、オーフェンは向き直った。
「誰から?」
「いや。昔、こ奴 のモヒカン野盗仲間だった男というのにまたばったりと」
「たくさんいるのか⁉ 」
「うむ。また老人を追いかけていた」
「......さりげに嫌 な世の中だな、おい」
「そんなことより!」
ちゃっ、とボウガンを取り出して──きちんとボルトは装 塡 されている──、それをキースに向け、メイフェル。
「わたしは......わたしは、復 讐 をっ......! いえ、聖なる家名の一族になるはずだった約束を裏切ったこの男に、裁 きを──」
「いーだろ。やれば」
ぽつりと、オーフェンはうめいた。虚 を突 かれたように、メイフェルが声をあげる。
「へっ?」
「そうよねえ」
と、コンスタンス。包帯を巻きすぎたのか、顔が隠 れている。
「............えーでもー」
構えたボウガンの先が震えるほどに、心持ちあわてた様子で、メイフェルが困 惑 の表情を浮 かべている。グラダスも特に止める様子もなく、ぽかんとしていた。キースは変わらず、あさってのほうを涼 やかに眺 めている。
「だって、あの......ねえ?」
もじもじとうめく彼女に──オーフェンは嘆 息 した。
「だいたいあんた、考えてみたらキースに直接攻 撃 とか一 切 仕 掛 けてないんだよな。俺にばかり武器ばらまいて」
「え?」
メイフェルは、それではたと気づいたのか、頬 を赤らめ、キースを見る目つきが明らかに変わった。キースはやはり、彼女のほうを向いてもいなかったが。
「だって、わたしは──そんなこと」
「はいはい」
と適当にうめいてから、オーフェンは気になって口を開いた。
「なあキース。ふと思ったんだが」
「はい」
「そいえばお前、なんで婚 約 破 棄 なんだ? さっき聞かなかったけど」
「はあ?」
キースは、ごく当然というように聞き返してきた。眉 根 を寄せて、当たり前の定 理 でも解 説 するように、
「知らないのですか黒 魔 術 士 殿 」
「......なにを?」
「執 事 が結婚するはずないでしょう」
「............」
しばし、考え込んでから──
「それもそうだな」
とりあえず、オーフェンはうなずいた。
同時にメイフェルがボウガンのトリガーを引いた。
(今さら期待はしてねえよ:おわり)


【フィンランディ家・現在よりじゃっかん昔】
スウェーデンボリー魔 術 学校校長、オーフェン・フィンランディの日課......というか一日で必ず避 けられない一時に、夕食後の団 欒 時間というのがある。
それだけを考えれば家庭的な話のようであるし、実際それ以上のことがあるわけでもないが、もっと大きな事情からもたらされた日課なのだった。ティーンエイジャーの娘 たちが夕食時間にそろうのも、さらに不良の父親がそこにいるのも、学校のあるラポワント市にこの一家が居住してはならないという法律のためだ。街から離 れたこのローグタウンに同じ馬車で帰るため、帰宅時間がそろうのだった。
ソファーに並んで座った娘たち三人を見やって、オーフェンはおもむろに言い出した。
「お前らさ、三人いるよな」
その言葉に、娘たちは半秒、沈 黙 した。
とりあえず、エッジがうなずく。
「うん」
そして長女のラッツベインが不安げに。
「もしかして父さん、今まで気づいてなかった?」
姉たちふたりを横目に、ラチェットがぼそりと付け加える。
「知性は三人分に満たないけど」
「なんでよっ。誰 のが足りないの!」
エッジの頭越 しにラッツベインが末妹に文句を言うが。
それはほっといて、オーフェンは嘆 息 した。
「校長の娘が三人もいるのに、どうして普通に教育を受けてないのかと、今さら問題になってな」
「わたし普通に通ってるけど」
と、ラチェット。
澄 まし顔で言ったものだが、オーフェンは半眼でつぶやいた。
「登校してるってだけで、ほとんど教室行ってないだろ」
「だってつまんないんだもん。馬 鹿 な教師しかいないし」
「世間体 の話をしてんだよ。そういうのを学べっての」
言っていると、いずれ自分に向いてくるであろう矛 先 を察してか、エッジが口を挟 んできた。
「自分の家に最強の術者がいるのに、どうして格下の魔術士になんか習わないとなんないのよ。わたしは父さんに習うんでいいよ」
「何度も言ってるが、俺に習って上達した奴 いねえからな」
「だからそれは、父さんの指導についてけない奴ばっかだからでしょ。マジクおじさんとか、しょうもない人は誰に習ったって──」
「うちの師 匠 をそこまで言わないでよー」
ラッツベインが口を尖 らせる。
「師匠は確かにうだつの上がらないグズのろ虫だけど、師匠としてはそんなに悪くないんだよ。ていうかしょうがないじゃん、わたし子供の頃 はまだ学校なかったし」
「今からでも入りゃいいだろ」
「やだよーラチェの同級生とか」
「幼児教育からやり直したほうがいいと思います」
「ほらこういうこと言うしーなんでお姉ちゃんに懐 かないのよ!」
「仲間扱 いされるのがヤだからです」
「わーん!」
騒 ぐ娘たちに、オーフェンはまたため息をついた。
「まあ問題にされても、お前らの性根は学校なんか行ったところで治らないし余計な面 倒 になるだけだと答えておいた」
「それはそれでやだー。もっとやんわり今後の健 闘 とか祈 ったりしてまぁるい感じで断ってよー」
文句ばかりの姉を避けるように顔を出して、エッジが声をあげる。
「父さんだって別に、そんな大層な学校なんて行ってないでしょ」
「まあ世間的にはそういうことになってるが。言っとくが俺 は真 面 目 な優等生だったんだからな」
「それ親が必ずつく嘘 じゃない」
「逆に、ちょっと荒 れてたもんだぜパターンもあるけど」
ラッツベインとエッジが口答えするものの。
オーフェンは首を振 った。
「全然荒れてなかったし嘘もない。周りはどうしようもないアホばっかだったが」
「たとえば?」
「説明が難しい。まあアホどもの世話を焼くのが俺の日々だった......今とそんなに変わらないか」
しみじみと思い出す。
娘どもはまだ疑い足りないのか、性 懲 りもなく言ってきた。
「じゃー父さんは、そのアホどもをひとりで面倒見てたわけ?」
きつく眉 根 を寄せているエッジに、オーフェンは断言した。
「そうなるな」
「どうやって?」
「思 慮 と思いやりと忍 耐 だな。今と変わらない」
「もっと具体的に言ってよ」
「そうだなー......」
考えて、これだけ答える。
「一番うまくいきかけたのは最初で、一番駄 目 だったのも最初だな」
「どゆこと?」
「一番、諦 めを知らなかったからだよ」
「......なにそれ?」
娘たちはピンとこなかったようだが。
他に、どう言いようもないのだった。
【牙 の塔 ・二十七年前】
「と、いうわけでだ」
チャイルドマン教室教師補であるフォルテが教師不在時の代行として、クラスの面々にある人物を紹 介 するのを、キリランシェロらは並んで見つめていた。
態度はそれぞれだ。アザリーは露 骨 に頬 杖 をついてダルそうにしているし、レティシャはしゃんとして聞く姿勢を取ろうとしていたが、隣 のアザリーから消しゴムのカスを投げられてそれを髪 から払 うので、結局集中できていない。コルゴンはなにを考えているのかよく分からない無表情、コミクロンは話など耳にも入っていない風で怪 しげな図面をノートに書いては破って丸めている。ハーティアは寝 不 足 なのかあくびが止まらないようだった。
キリランシェロだけが、まあ一応聞こうとしている。
だがフォルテのこの一言で、全員、聞かざるを得なくなった。
「急な話になるが、彼女はジェリー・モスコー。今日から、このチャイルドマン教室に所属することになった」
「............え?」
アザリーが、嫌 気 を隠 しもせずに声をあげる。
「なんて言ったの? 新入りってこと?」
「どう言ったのかというと、まさに新入りということだ」
フォルテは嫌みを加えながらそう告げた。
彼の傍 らには少女がいる。ジェリー・モスコーといったか。ただ......
まだ疑わしげに、アザリーがつぶやいた。
「うちに入るには、いくらなんでもちょっと若すぎない?」
その、澄ました様子で落ち着いた少女は、なにを言われても泰 然 としている。
見た目からして小 柄 で、単に若く見えるというのではなくはっきりと子供だった。彼女の小さな肩をぽんと叩 いて、フォルテがうなずく。
「十三歳だ。まあ要するに、天才だ」
「天才。もう飽 き飽き。何人いんのよ天才」
うんざり毒 を吐 くアザリーに、フォルテも澄まして答える。
「ここは魔術の最高峰 だ。使い捨ての天才くらいいくらでもいる」
「まあ、そうかもだけど」
「そういった繊 細 な才能を、鍛 えて使えるようにするのがこの教室の機能だ。君のような無 頼 漢 がこれ以上後 輩 を潰 さないよう見張らないとな」
堂々と宣言され、アザリーはますます不平そうにうめいた。
「無頼漢て。さすがに初めて言われたわ」
「ていうかぼくら、もう潰された扱いか」
ついでにキリランシェロもぼやく。
コホンと咳 払 いして、フォルテは話を改めた。
「茶々はそれくらいにして、ジェリー、自己紹介を頼 むよ」
「はあい」
ジェリーは初めて口を開いた。子供らしくにこっと微笑 んで、
「ジェリー・モスコーでーっす。天才だなんてそーんな、ねえー」
照れて手を振った横で、フォルテが苦笑する。
「いや、君の才能には長老たちも期待して──」
「けんそぉんすんなァァーーー!」
突然、ジェリーが叫び出す。
呆 気 に取られたフォルテを見上げ、また笑い出した。
「はーい今のは世間の声ー。どうも! すごいっす! 天才っす! そぉれワッショーイ! 踊 れ凡 人 とりゃー!」
「痛っ!」
「おーっとテンションアーップのコーフンのヴォルテックスつい靴 とか投げちゃいましたね。おちゃめ故に許されよ。靴底のほうなら舐 めてもいいから。あ、まだ履 くからね? だから舐めたさ爆 発 しても内側は舐めないでね。てめえらの唾 ばっちいからね」
「だれが舐め──」
遮 りかけたアザリーを無視して、ジェリーは続けた。
「あーうっさいうっさい。天才をお出 迎 える民どもの歓 声 うっさい。じゃああだ名つけまーす。はい、性悪、ブリッ子、堅 物 、根暗、女装変態、軽 薄 、無個性。もいっかいいきまーす。性悪、ブリッ子、根暗、堅物、軽薄、女装変態、軽薄、根暗、軽薄、無個性。はい動き回って避けようとしなーい。どうせ当たりまーすゴミガキども」
「えーと......」
なにかの間 違 いであってくれとばかり、フォルテが横から制止しようとするが。
だがジェリーは止まらなかった。せいいっぱい背 伸 びしてフォルテの顔面をぺしぺし叩いて、
「みなさんお分かりのよーに、こーの無 駄 に皺 の寄ったオッサン顔の言う通りー、ジェリーちゃん天才です。どのくらいかっていうと、神です。ひれ伏 し方についてはのちほど、適切な四十八通りの土下座を図解したプリントを配るので日 替 わりで多 彩 な絶対服従ができますので安心せよ! 馬鹿でも大 丈 夫 だから安心しまくれ! えーと、あと他に言っとかないといけないことあったかな。ないね。うん。ない」
「いや、ほら。なーんちゃってとかそういうのを......」
「ないよ」
「そうか」
フォルテは深々とため息をついて、一同に向き直った。動 揺 が現れてないのは大したものだが。
「ということだ。先生もいないし、とりあえず世話役を決めよう。アザリーやってくれ」
「あ。意外と根に持って潰しにいってる」
キリランシェロはつぶやいたが、教室の他の誰も異存ないようで、レティシャですら反対しない。
ただアザリーだけは不服げだった。
「えー、なんでわたしなのよー。めんどくさいじゃない」
「いや、適役だ。なんだったら応 援 する」
フォルテが即 答 する。
じゃあさー、とアザリーは要求した。
「お仕置き用の棒 とかちょうだいよ」
「えー。わたしの下 僕 、よりによってあの性悪ー?」
指さしてぶーたれるジェリーに、アザリーが言い直す。
「鉄の棒ね」
「あの性悪、育ちってーか肉質から悪そうじゃーん」
「トゲ付きの」
「これってどうなのー、オッサーン。こーたーえーてーよー。顔面だけじゃなく聴 覚 もモーロクしてるー?」
「木の棒でいいわ」
「あ、他人に矛先が向く分には甘 くなるんだ」
なんとなく仕組みを理解して、キリランシェロはつぶやいた。こんな理解がなんの役に立つのかさっぱりだが。
ともあれ、アザリーは席を立った。
「まーいいわ。お姉さんやるのは苦手じゃないし。ね? キリランシェロ」
「苦手かどうかでいったら、苦手なんてレベルじゃないのは確かかな」
「鉄の棒ね」
「うわ。ぼくまでか」
やぶ蛇 だったが、つい正直に口走ってしまった。
アザリーはゆっくりした足取りで、ジェリーのほうに向かう。
「こういうクソ生意気なガキの扱いはねー。わりあい簡単なもんよ。初対面の印象ってのはわりとどうでもいいの。大事なのはね、最初の別れをどうするか」
小柄なジェリーの前で、ずんと腕組みする。長身のアザリーなので実際に差はあるのだが、それ以上に威 圧 感 の差というのも大きい。なにしろ《塔》でも恐 れられる問題児の筆頭だ。
上から睨 みつけ、告げる。
「泣かせて別れるか、永遠の別れにするか、どっちかしらねえ」
すると。
アザリーの威圧の陰 で、ジェリーが震 え出すのが見えた。
さっきまでの威勢はどこへやら、鼻をすすって泣き出す。
「そんなあ......だって、冗 談 なのに......」
「あれ?」
拍 子 抜 けしたアザリーに、ジェリーは抱 きついた。
「あたしみたいに......だめなこが......こわいひとたちばかりのとこにつれてこられて......どういえばおとなだっておもってもらえるか......かんがえて......」
「あー。どうしよ」
困ったように、肩 越 しに助けを求めるアザリーだが。
「アザリー。あのな」
横から声をかけたフォルテをかき消して、ジェリーが声を荒らげた。
「あたしだっていいおねえちゃんとかいてくれたら、いいアドバイスもらって、あんなばかなこといわなかったのに! ほんとうに、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
「あー、えー、うー。よ、よしよし? こうすればいい?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい──」
そして。
唐 突 に身体 を離して、ジェリーは叫 んだ。涙 の跡 形 もなく。
「ばーかくーそうまのけーつ。けつでけええええけつでけえええええ!」
そして、一目散にダッシュすると扉 にぶち当たり、教室から逃 げていった。
「............」
ぽかんとして、アザリー。
「なに今の。どゆこと?」
他のみんなを見回して不 審 に顔をしかめる。
「なんなのよ。みんなして目え逸 らして。あの子なんか、手に持ってなかった?」
「カッターと布だよ」
キリランシェロが答えると、アザリーはますます不思議そうに、
「布?」
「アザリーの、お尻 んとこの」
「......あっ! ない!」
くり抜かれたローブの後ろを手で押 さえて、声をあげた。
「あーのークーソーガーキャァァァァァ!」
怨 念 を轟 かせながら、追いかけて飛び出していく。
それを見送って、キリランシェロは頭を抱 えた。
「この場合、最初の別れはどうなったのかな」
「さあな」
もはや他 人 事 のように、フォルテが言う。
それで大体の意図は察した気はしたが、一応確かめる。
「ほっといていいの?」
「状況はもう解決した。最悪でもどっちかは潰れるだろうから、教室に問題児は増えない」
わりと本気で言っているようではあった。
「つーかーまーえーたー」
「ぎゃあああー! けつおんな離せオラァやっちゃるぞぉぉ!」
廊 下 を出てしばらくいった角で、ふたりを見つけることができた。
ジェリーに追いついたアザリーが、首根っこを掴 んでぶら下げている。その状態でジェリーは、とどかない手でシュッシュッと拳 を振り回していた。
「でかけつ蹴 ってもっと腫 らすぞー! ケツこっち向けろー!」
「まずそれ訂 正 しなさいよ! わたしのケツはでかくない!」
「まずそこなの......?」
こちらもようやく追いついて(別に急いでもなかったが)、キリランシェロはつぶやいた。
それで気づいたアザリーが首だけ振り返る。
「あら、キリランシェロ、ついてきたの?」
訊 いてくるアザリーに、キリランシェロはうめいた。
「まあ一応ね。ほっとくと怖 いことになりそうだし」
「なんかなる? 平和そのものよ」
ジェリーをぶらんぶらん吊 るしながら言う姉に、言うべきことは他にもあったのだろうが。まずは目についたものから言っておいた。
「平和っちゃあ平和なのかな......なんで尻出したままで平然と出歩けんのさ」
指摘されたところでアザリーは動じることもなく、ぺんと尻を叩いて言い切った。
「優れた女っぷりってやつよ。下着はつけてんだし犯罪じゃないわよ」
「問題の根幹がいろいろ違うんだよな」
「このー! くおー! どりゃー!」
話している間にもジェリーは空中から無駄な攻 撃 を続けている。
が、やがて疲れてきたのか見る見る勢いを失っていった。
「ぜえはあ......ぐうう......どうしてもケツ女に有効な打撃を与えられない......いたいけなジェリーちゃんのちいちゃい手足が憎い......」
「ほーっほっほっ。ジャリの至らなさを痛感するがよろしかろうなのよ。切った布を返したら床に下ろしてやってもいいわよ」
「......ホントに?」
ちらりと見上げながら、ジェリーがポケットから、さっき破いた布きれを取り出す。
「素直になったわねー」
その布を取って、ずっとさらしっぱなしになっていた尻に当てると、
「直れ!」
術を使って修復する。教室の破 壊 魔 とはいえ魔術に関しては教師級のアザリーである。手 並 みには問題ない。のだが。
「えーとさ、アザリー」
「なに」
「布になんか書いてある」
「えっ?」
気づいてなかったようで、声を上げて身をよじる。だが尻の位置にある文字を読むのは難しいようで、
「こっからじゃ見えないわね......書いてあるって、なに?」
「なにって的確に説明するのは難しい。文字かな」
「文字なら読んでよ」
そう言われるとは思っていたが。とばっちりを警 戒 して一歩下がってから、キリランシェロは読み上げた。
「『ぶたけつ』」
「いつの間にクソチビィィィ!」
アザリーに絞 め上げられながら、ジェリーは手足をばたばたさせて抵 抗 する。
「ちっがーうジェリーちゃんのしわざじゃなーい、ブタの脂 がケツから染 み出て名乗りをあげた説を主張するー! そんなことより約束通り下ろせー!」
「よくもまあ約束なんて言えたもんね......」
こちらもさすがに息が切れたか、疲れたように、アザリー。
キリランシェロは肩を竦 めた。
「まあきりがなさそうだから、とりあえずお互 い落ち着きなよ」
「どう落ち着けってのよ」
まだ絞め足りないらしく、アザリーはこっちを睨んでくる。が。
「相手は子供なんだからさ。大人が譲 ってやらないと。ぼくはいつもそうしてるよ」
「あんたが誰に譲るのよ。最年少じゃない」
「あー......そうだったっけ。そんな気ぜんぜんしてなかった」
まさに思いつくことすらなかった話だった。それはともかく。
「冷静になって自分のしてることを見てみなよ。子供泣かせてさ」
「うえーん! 子供ないてまーす!」
タイミングぴったりに泣き声をあげるジェリーに、アザリーは疑わしい目を向けるのではあるが。
それでも体 裁 が悪いのは察したようだ。廊下にはちらほらと見物人が集まりつつある。大半は、アザリー絡 みの騒 動 には慣れた連中だが。
「なんだ、あれ......?」
「またアザリーだろ。チャイルドマン教室の」
「今日は子供を絞め殺す日かー」
「............」
周囲の視線に、アザリーは舌打ちした。
「運のいいガキね......人目がなけりゃ、目玉から脳を掻 き出して躾 けてやったのに」
「ほぼ殺害という名の教育だね」
「黙 りなさいキリランシェロ。あんたもよガキ!」
わめいているジェリーに怒 鳴 る。
けろりと収まって、ジェリーが囁 いた。
「そっちこそ、いい加減はなさねえと地 獄 見っぞケツ女」
「アァ? ひとくちで食えそうなチビが吹 いてんのか聞こえねえぞ」
「ブルって枕 かかえてるせいじゃねえかァー? ションベンくせえぞてめェー!」
「オムツつけた赤ん坊がよくぞ言ったのォォォ!」
「だーかーらー」
後ろから制止する。
「世話する役を引き受けたんだから、やるだけはやろうよ。それとも子供ひとり面倒見られないってギブアップする?」
「む......?」
ジェリーと睨み合いをしていたアザリーが、ぴくりと反応する。
キリランシェロはさらに続けた。
「みんな案 の定 しょうもないと思うんじゃないかな......レティシャが言いそうなことは想像つくよね。『あーあ、やっぱりね。わたしに頼めばよかったのに......』」
「む、ぎ、ぎ......」
無理やりに意志の力でなにかをねじ曲げるような音を立てて。
首に食い込んだ指を離し、アザリーはジェリーを床に下ろしてやった。
「ふ、ふ、ふ......こ、これでどう? クソガキちゃん、かーわいーいわねーへし折りたいくらい」
「せめて名前覚えようよ」
「なんだったかしら。バラ肉1号? それとも2号?」
「そこにしか選 択 肢 ないのかな」
「待って。諦めないで。大丈夫よわたしはやれる......不可能じゃない......心のどこかに眠 る母性本能を探しに深遠の旅に出るのよ......」
「そんなおぼろげなものなんだっけ、それって」
しみじみとキリランシェロはつぶやいた。まあそうかなという気もしていたけれど。
ともあれそうして苦悩する(?)アザリーを、ジェリーが不思議そうに眺 めている。
「なにやってんの? この駄目人間」
「まあ今のところ反論の余地も見当たらないけど、君にも問題あるよ」
「ええっ⁉ この素晴らしい奇 跡 の完全生命体ジェリーちゃんになんの問題が⁉ それって社会のせい? 天才を理解できない愚 民 どものせい⁉ お前らまたやらかした⁉ 」
「どんだけ甘やかされたらそうなるのかわりとマジ想像つかないけど、そこまで君が優秀なつもりなら、相手に合わせてあげられないうちは本物じゃないよ。できないなら負けを自分で認めるようなもんだ」
「む......?」
アザリーとまったくそっくりに、ジェリーも反応する。
「それにさ」
キリランシェロはうずくまってありもしない人間的な心を呼び起こそうとあがいている姉の背中を、びしと指し示した。
「見てごらん、この駄目な人を。君が今のまま成長もせずに歳 を取ったら、こんな風になっちゃうんだよ」
「ああっ! 確かに!」
「ちょっと待って!」
アザリーが跳 ね起きる。今度はキリランシェロに詰 め寄ってきた。
「なにげに毒吐いてくれんじゃないの。おおー?」
「お姉様、そんな風に人を睨むのはいいことじゃないと思うんですけど、これはわたしの個人的な見解であってあなたにはあなたの生き方があるのかもしれません」
「あんたはあんたでなに更正してやがんのよ!」
キラキラした瞳 で見上げるジェリーの頭をばしと叩く。
そんな姉に、キリランシェロは告げた。
「こんな子供に先を越されて置いてけぼりかあ」
「ぐ、ぐ、ぐ......」
立ったままのたうつように、アザリーは硬 直 する。
半泣きになった苦 悶 の狭 間 から、彼女は言ってきた。
「あんたわたしをハメようとしてるでしょ......分かってる......分かってるのよ......」
「まあ嫌 なら逃げ出してもいいんじゃないかな? 鎖 がついてるわけじゃないし。お互いを認め合う社会っていうのは、弱虫が生きるにはつらいところなのかもしれないね」
「うううううがあああああ!」
ついには頭を掻 き毟 って絶 叫 し、そして。
「う、ふ、ふ、ふ、ふ、ふ......」
再び起き上がったアザリーの目を見て、キリランシェロはうなずいた。
【教室・十分後】
「さあジェリー、ここがわたしたちの教室よ!」
「わあ! とっても素敵! まだまだ至らないわたしですが、偉 大 な先 輩 方に負けないよう努力したいと思います!」
手を取り合って教室にもどっていくふたりに、キリランシェロはついていった。
帰ってきたふたりの空気に、教室の他のメンバーらはざわっとするが、ひとまずは成り行きを見守ろうと思ったようだ。
優 雅 に舞 い踊るように腕 を振り、アザリーが高らかに声をあげる。
「その通り! ほうら、この素晴らしい仲間たちを紹 介 させて! それがわたしの喜びだから!」
「はい、お姉様!」
「うふふ。今日からはこの美しいわたしの相 棒 も、あなたのお姉さんよ! ほらティッシ、こっちに来て!」
「ぐえっ」
その場を飛び出そうとしたレティシャの首を、アザリーが掴む。
ぽつりとこれだけ、妙 に冷めた小声で囁いた。
「なんで逃げようとしたの?」
「いえなんとなく......」
まだもがいているレティシャを引きずり、ジェリーの前に突き出した。
「これがレティシャよ! わたしの大事な大事な大事な大事なきょうだいのひとり! はあ......ティッシがいるからわたしの心の宝石箱は甘ったるぅい汁 で一杯なのね。これが愛。これが家族......」
「うわあいいなあ。すっごいベトつきそうな宝石箱!」
「ええそれはもうギットギトよ。さあこっちへいらっしゃいジェリー。特に意味もなく一 緒 にくるくる回りましょう」
「わあい回ります回ります! 意味ねええええすごくねええええ」
「............」
その回転する輪からどうにか逃 れ出て。
ただただ呆 然 としたレティシャが、キリランシェロに訊 ねてきた。
「キリランシェロ......どーしちゃったのよ、あれ。ぶっ壊 れたの?」
「まあ壊れたといやあ壊れたかも」
遠巻きに眺 めながら、キリランシェロはそう言った。
教室の中央で虚 ろに笑いながら回転するアザリーとジェリーに怖 気 をふるいながら、レティシャはうめく。
「なにやったの、あなた」
「蝦 蟇 の油ってやつかな」
「なにそれ」
どう説明したものか。なにかの話に聞いた覚えはあるものの実物は知らないが。うろ覚えでキリランシェロは口上を述べた。
「醜 い蝦蟇を鏡で囲い、すると蝦蟇の奴、己の醜さに油の汗 をたらーりたらーり。成り行き任せだったんだけど結構効 いたみたい」
「あっそう。なんかよく分からないけど......わたし、寮 に引き上げてるから」
「あれ? そういやみんなもいなくなっちゃった?」
気がつくとハーティア、コミクロン、コルゴンが連れ立って扉から出て行くところだった。恐ろしいものから逃げるように。
レティシャもさっさと出口に向かった。震え声で言い残して。
「だって見てると具合悪くなりそうなんだもの......」
胃のあたりを押さえる格好で姿を消した。ぴしゃりとドアが閉まるが、アザリーらは変わらずにまだ回っている。
「......キリランシェロ」
教室には、フォルテだけは残っていた。おぞましさに震え上がっているのは同じだが。
「どうしたの? フォルテ」
「わたしの予定とだいぶ違う展開になっているようなのだが」
「まあ、ぼくもこれ予想してたわけじゃないけど。でも別によくないかな。問題児がふたりともいなくなったよ」
「いなくなったのか? これは......」
見ているとアザリーらの回転はふらふらと終わりを告げたようだ。
教室の中央にふたりで座り込み、弱々しい笑いを続けている。
「ふふ......ふ......さすがに回り疲れたわね。ジェリーさん、あなたはどう? わたし心配よ。ちっさい分、体力なくて早くくたばるわよね?」
「そ、そんなことありませんわ、お姉様。三半規管の脆 い年寄りのほうが回り死にしやすいのではないかしら」
それを眺めてフォルテがつぶやく。
「なにやら薄 皮 一枚下ではバランスを崩 そうとする努力が見え隠 れするようだが」
「まあそうそう簡単に性根までは直らないでしょ」
キリランシェロは、虚 ろに笑い合う姉に声をかけた。
「ほら。アザリーが立派に振る舞ってるから、ティッシが負けを認めて出て行った」
「えっホント?」
「うん泣いてた。部屋でやけ食いするって」
疲れを見せていたアザリーの顔色が、見る見る回復する。
「ほほほ。体型くずしゃーいいのよザマア」
「そうだね。ぼくもそう思う」
なんの気持ちもなく告げていると、横からフォルテの視線を感じた。
「......なに?」
フォルテが言ってくる。
「どうもお前が悪魔に見えてきた」
「そうかな。なんかコツが見えちゃったかも」
言っていると、ふたりのほうはまた新しい展開があったようだった。
アザリーはジェリーを掴 み上げ(頭を)、雄 叫 びをあげた。
「この路線、いけるみたいね! 手 応 え掴んだわ!」
「いたいいたいいたテメエなに掴んでんだ首もげるー!」
ばたばたと抵抗するジェリーにも、アザリーは気づかず哄 笑 する。
「さっそく踏 み外しているようだが。やはり無理があるのではないか」
まだ懐 疑 的なフォルテにキリランシェロは答えた。
「無理あるのは最初から分かってるよ。修正してけばいいんだ」
と、頭を掻きつつ対策を考える。
「えーと。アザリー。心意気は悪くないんだけど、やり方ちょっと違うんだよね」
「え? なにが?」
「まず人間の掴み方おかしいよね」
「え、だってこれ軽いし持ちやすいのよ」
「まあそもそも人間を掴みやすさで見てるのがどうなんだって話なんだけどさ」
藻 掻 くジェリーの頭を吊り下げているアザリーの手に、軽く当て身を打つ。
どさ、とジェリーが床に落ちる。
「ぶえほっ! げほっ! わーんたすけて!」
よつんばいで背後に逃げるジェリーを庇 いながら、難しい顔を作って指を振った。
「見なよほら。この状態で、みんなどう考えると思う?」
「えーと......あの強くて恐ろしいアザリー様に恐れ入って年に一度いけにえを捧 げよう......」
「それじゃ元の木 阿 弥 だよ。みんなこう思うんじゃないかな。ちいさいジェリーは可 哀 想 だ、頑 張 ってよく耐 えたなー」
「ええっ⁉ 」
ショックを受けて、アザリーが狼狽 える。
「負けたほうが評価高いっていうの? 革命でも起こった......?」
「いや、そんな不自然なこと言ってるかな、ぼく」
微 妙 な難しさを感じつつ、続ける。
「まあできないなら仕方ないよ。子供でも理解できることなんだけどね......」
「キー!」
甲 高 い奇声をあげると、ころっと切り替 わった。
「な、仲良くしましょう、ジェリーちゃん......」
「首もがない?」
笑顔でにじり寄るアザリーに、がたがた震えながら、ジェリー。
アザリーはさらににっこりした。
「当然よ。必要がなければもがないわ」
「必要があってももがない努力をしようよ、アザリー」
「えっ。でも──」
困 惑 するアザリーに背を向けて、キリランシェロはジェリーの頭に手を置いた。
「ジェリーは人の首もがないよな?」
「うん! そんなにもぎたくないし、どうしてももぎたい場合は公的にもぐ仕事に就 いてからにします!」
「こっちはこっちでか」
「もっとジェリーちゃんに、合理的な処 世 術を教えてください!」
「免 責 事項は? 免責事項はないの? もがずにいられない時は誰にでもあるはずでしょ」
前からはジェリーが。後ろからはアザリーに揺 さぶられる。
「かなり面倒くさくなってきた......でも我 慢 のしどころか」
「強 欲 な人間の悪知恵にしてやられるほうの悪魔に見えてきたぞ」
と、フォルテ。
まあその通りのような気もしないではなかったが。
どうにか両方に告げる。
「まあ分からない人から置いてくしかないかなあ......」
「キー!」
「キー!」
同じ顔でふたり叫び出した。
それを見ながら提案する。
「せっかくだからポイント制にしようか。ルールは、そうだな。真人間に近い行動をしたら10 ポイント。ボーナス点とか減点もあり」
「あんたが採点すんの? それ納得が──」
「あー自信ないか。ハンデ欲しいところかな」
「キー!」
地 団 駄 踏むアザリーの横で、ジェリーが目を輝 かせた。
「勝ち負けじゃありません。前に進む励 みなんだと思います」
「10 ポイント」
「キー!」
だがアザリーも気を取り直したようだった。
「負けるもんですか! あっ。ポケットにチョコレートが。半分こしましょう?」
「10 ポイント」
だが、アザリーが差し出したものを見てジェリーがつぶやいた。
「あれ。これチョコじゃないよね」
「えっ。じゃあなんなの、これ」
「かわいたにく......?」
「マイナス20 ポイント」
「なんでっ⁉ 人格じゃなくてミステイクでしょ!」
抗議するアザリーだが、キリランシェロは半眼で。
「なんでポケットに直で肉入れてんの」
「それはわたしも分からないけど......わざとじゃないわ! 偶 然 よ!」
「偶然肉が入ることのほうが怖いよ」
「肉なんだから生きてる間に勝手に入ってきたのかもしれないでしょ!」
「だから発想がいちいち怖いんだって。マイナス30 ポイント」
「お姉様、素直に間違いを認めましょう」
「10 ポイント」
「ムキー!」
またアザリーが癇 癪 を起こした。
「ひいきよ! ひーき! あんたはいつもそう!」
「そう言われても」
しみじみと考え込む。
「競争意識でやる気だけは出させても、成績まではなかなか横並びにならないかー。なんだろ。もうセンスからないんだな。真人間になるのにセンスが必要だとは思わなかったけど」
「なにぶつぶつ言ってんの!」
「ちょっと待ってて」
タイムをかけて、ふたりから離 れる。
フォルテに近寄り、内 緒 話を始めた。
「分かった。認める。行き詰まった」
「それでわたしにどうしろと言うのだ、これを」
「助けてよ。教師補なんだから」
そう言われると一応、助言をくれる。しばらく考えていたようだが。
「駄目なら駄目で、別の得意分野を用意してやったらどうだ」
「......本 音 では、駄目なものはさっさと見限れって思ってない?」
「そのほうが当人にはいいということもある」
と、フォルテは席を立った。
「さて、わたしも退散する。まあ安易に世の中を良くしようなどと思わないほうがいいな」
「どのみちそんなのはぼくの仕事じゃないよ」
教室を出て行くフォルテをぼやきながら見送る。
「うーん......」
閉まったドアから、教室に残ったふたりへと視線を転じた。
アザリーとジェリーはキラキラ瞳 で、また目を離した隙 に後ろ足で蹴 り合っている。
「なーにが60 ポイント差よ。誤差よ誤差。最終問題は10 万ポイントとかなのよ。あんたは罰 ゲームでスタッフの弁当代全部支払やいいの。でございましょ」
「ホーホホどうかしらねお姉様。どうせああいうのはギャラで補 填 されてるんでしょ」
「またなんの話だか分からないことを......」
軽く頭を抱えながら、ふたりに声をかける。
「えーと。ジェリーは特に成長が著しいな」
「え? ホント?」
「うんびっくり。これは歴史に残る上げ幅 かも。この分だと明日には空中に浮 いてるんじゃないかなー自然に」
「マジ? 真人間て空飛ぶの?」
ジェリーの問いに、キリランシェロはきっぱり答える。
「うん。飛ぶ」
「すげー!」
感動したらしいジェリーに、続けた。かぶりを振りながら。
「ただし、もうひとりのほうは......」
「あっちは駄目そー?」
「見ないほうがいいよ。あっちは落 伍 者だ。明日には教室からも出て行くんだろうし」
「え、そんなルールだったっけ」
「どうだろ。違ったっけ」
話しながら、気配は感じていないわけでもなかったが。
気がついたのはジェリーのほうが遅 かったようだ。びく、と戦 慄 して、
「あれ。なんか、聞こえない?」
「なにが?」
空とぼけて、キリランシェロが訊き返すと。
ジェリーは左右を見回した。
「いや......なんか、バケモノのいびきみたいなの」
「聞こえるというか、ぼくは見えてる」
「どんな?」
「だから見ないほうがいいよって言っただろ。心に傷残すよ」
ふしゅーふしゅーと豪 快 に鼻息荒 く。
アザリーが凶 悪 に顔を吊 り上がらせているのを、キリランシェロはジェリーの頭越しに見上げていた。
「キーリーラーンーシェーロー」
指をゴキゴキ鳴らしつつ、アザリーの怨 嗟 の声が響 く。
「裏切る気......?」
「んー」
正直、やめといたほうがいいかという気は相当したが。
キリランシェロは告げた。
「仕方ないよね、ルールなんだし」
「なにがルールよおおおおお!」
叫び声を呪 文 として魔術が発動する。
爆発する教室から、ジェリーの頭を掴んで脱出した。
「我は紡 ぐ光輪の鎧 !」
防 御 障 壁 で爆発をいなしながら、圧力には逆らわず窓から飛び出す。重力中和術を使う隙はなく、障壁を維 持 したまま庭に落下した。
「ぐへっ! ちょっと! なんでみんなジェリーちゃんの首持つの!」
「確かに持ちやすいんだよな」
彼女の身体を抱え直しているうちに。
ふわふわと上空から、アザリーが降下してくる。
「キリランシェロ......思い直しなさい。今ならまだぶちのめすくらいで許されるわよ」
「またそういう嘘 ついて」
「確かに嘘だけど」
また術を発動した。
「素直に騙 されなさいよ!」
かなり容 赦 なく光熱波が降り注ぐ中、キリランシェロは逃げ出した。
「ぎゃー! 痛い痛い痛い痛いジェリーちゃん引きずられてます!」
「あ、ごめん。でもたぶん丸一日くらい続くから、慣れたほうがいいよ」
「長丁場⁉ ジェリーちゃんいい子なのになんでこんな目ホワーイ!」
「なんでとか言う前に逃げたほうが生存率上がるよ。ぼくはそうしてきた」
逃げ回るふたりの上に、次から次へと攻撃術が放たれる。
「オラオラオラオラオラオラァ!」
「助けてー! ジェリーちゃんを助けてー!」
「燃えろ燃えろー! 焼き払えー!......わたしが」
「やめてくださいジェリーちゃん反省しましたもうしません言いつつ、もはや反撃するしかとりゃー!」
「どけぇいミジンコォ!」
反撃などと愚 かな考えを一 瞬 でも抱いたジェリーを、裏 拳 一発で黙 らせる。
ぐったりしたジェリーを持ち上げ、ぶんぶん振り回しながら、
「待ちなさい待ったほうが短く済むわよぉ!」
「また嘘ばっかり」
「確かに嘘だけどだからなんだってのよおおお!」
爆発と炎 上 を引き連れて、キリランシェロは逃げ回った。
【教室・翌日】
「つまり《塔》を出ていくわけだ」
相手の意図を、フォルテは確認した。
おおよそ分かってはいたことだし、予定通りですらある。
教室には自分と、清 々 しい顔をしたずたぼろのジェリー・モスコー、同じく包帯ぐるぐる巻きでぼろぼろのキリランシェロがいる。
なおどうでもいいことだが、アザリーは反省室だ。まあ今日中は出てこられないだろう。
拳 を握 り、ジェリーがきっぱりと宣言した。
「はい。ここの人たちみたいにはなりたくないので、ここにはいたくありません」
「そうか......」
「一日っていうか正味十分くらいしかいなかった気もしますけど、ここでは大いに学びました。わたしまだまだ未 熟 でした。教訓を胸に、自分に与えられたわずかな力を、人のため役立てるよう、精 進 していきたいと思います」
「......頑張ってな」
はきはき出て行く彼女を見送って。
どんな顔をしたらいいものやら沈 思 黙 考 していると、キリランシェロがつぶやいた。
「あの子だけ真人間になって出てったね」
「ここは更 正 施 設 か......」
ぐったりと嘆 息 する。とはいえ。
もともと予想通りのことなのだ。なにくわぬ様子で立っているキリランシェロに、フォルテはつぶやいた。
「見限れないほうだけ残したか」
「まあね。そうなるよね」
お互い、苦笑した。
「悪魔の企 みなんて無力なものだな」
「そうだね。こんなこと分かっても、将来なんの役に立つのか知らないけど」
そういった、ただそれだけの話だった。







「春の日 溜 まりで......ぬくぬくと」
独 り言を言う癖 は、少し前に直ったつもりでいたが。
そんなことをつぶやいた理由は、いくつかあった。言葉通り、春の日溜まりでのんびりしていたこと。公園に自分以外誰 もいなかったこと。そして、この数日間、ろくに誰ともしゃべっていなかったこと。
特にどうということでもないが。
オーフェンは、ぼんやりした空に向かってため息をついた。雲が移 動 していくのを目で追って、ゆったりと身体 の力を抜 く。
黒 髪 黒目、黒ずくめ。格 別 になにかあるといった風 貌 でもないが、胸 元 には銀 製 のペンダント──大陸黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》の紋 章 がある。剣 にからみついた、一本脚 のドラゴンの紋章。
公園である。誰がいたところで不 思 議 もないが、非 凡 な魔術士たる証 明 を身につけた者が平日ぶらぶらとしていることは滅 多 になかろう──オーフェンは、横目であたりを見回しながら、付け足した──正確には、彼以外に誰の姿 もない。
ベンチに寝 そべった姿 勢 のまま、彼は続けた。
「ぬくぬくと......のんびりと。なにもせず。することもないし。まあ、情けないってことかな」
風。日 差 し。その釣 り合いの中で目を閉 じ、息を吸 い──吐 く。考えることも、悩 み事も、思い出すことも少なくなっていき、浮 かんでは消える情景よりも、暗 闇 の頻 度 が高くなり......
「あの」
............
はっとして、オーフェンは目を開けた。眠 りかけていたらしい。
「あの。ちょっと。ここ、いいですか?」
どれくらい眠っていたのか見当つかないまま、オーフェンは慌 てて身を起こそうとした。ベンチに寝そべっていたため、邪 魔 になったらしい。とにかく、話しかけてきた相手を見つけようとし──
それは、簡 単 に達 成 された。ベンチのすぐ前に、若 い女が立っている。
年 齢 は、自分と同じくらいだろう。もう少し若いかもしれないが。まるで外気に触 れたくないとばかりに手 袋 をつけ、淡 い色のコートを着ている。顔の下半分をマフラーで覆 って、この陽気には明らかに不自然ではあった。
が──
「あ。ああ。すまない」
オーフェンは起きあがると、公園にひとつしかないベンチの一方を空 けた。疲 れていたのか、どさりと音を立てて、彼女が腰 を下ろす。
彼女が顔を隠 そうとしている理由は、その隙 にちらりと見えた。左目の下あたりに黒々と、殴 ら れたようなあざがついている。口元も、切った跡 があった。
こちらの視線に気づいたのか否 か──彼女は手早く、長い髪で、それを隠すようにした。小さな嘆 息 が、聞くともなしに耳に入る。
「............」
言葉もなく、オーフェンはとりあえずまた空を見上げた。
(あのくらいの外 傷 なら、魔術で治せる......かな)
そんなことも思うが、どう切り出せばいいのか分からない。
(まあ、気取ったところで仕方ないし、そのまま言うか?)
「あのな──」
横を向いて話しかけた、その瞬 間 。
「あっ」
彼女はなにかに気づいたように声をあげると、すぐさま腰を上げた。なにか、公園の外の通りのほうを気にしたようだったが。
そそくさとコートの前をまとめると、彼女はこちらに軽く一礼してみせた。
「あの、いえ、すみません。ちょっと急ぐので」
それだけ言うと、足早に、公園の裏 口 から去っていく。
と、ほとんど入れ違 いに、表から入ってくる足音があった。
見やると、これまた微 妙 に陽気とは不釣り合いな黒いタンクトップの男だった。年齢は、やはりまた同じくらいだろうか。薄 着 だけに、がっしりした体格がよく分かる──他人に見せつけるためにこういう格 好 をしているのかもしれないが。よほど走り回ってきたのか息を弾 ませ、こちらに近づいてくると、
「............ちっ」
一目見て、自分の探 している相手と違うのは分かったのだろう。舌 打 ちだけして、彼女が出ていった裏口から走り去っていく。
「............」
なにをする隙 があったわけでもなく。
オーフェンはとりあえず、彼女らが去った方向をぼんやり眺 めていた。
「............」
夜。特にあれからなにをするでもなくただのんびりと時間を潰 し、帰ってきた宿 の食堂で、オーフェンはやはりぼんやりと頬 杖 をついていた。ずっと使っていたテーブルではなくカウンター席で、空のグラスをもてあそぶ。コースターに輪 となったグラスの水 滴 に、グラスの底をずらしてはまた置き直す。そんなことを何度となく繰 り返していると、とりあえず時間だけは潰れてくれた。
カウンターの中で、同じ形のグラスを磨 いている店のマスター──バグアップが、小さくつぶやくのが聞こえてくる。
「静かだな」
「もう慣 れただろ」
こちらも小さく、オーフェンはつぶやき返した。
会話を拒 絶 したつもりだったのだが、バグアップはそのまま続けてきた──気づかなかったというわけでもないだろうが。
「あの連中がアーバンラマに帰って、もう一週間か。こうまで静かになるものだとはな」
「客がいないことに危 機 感 を持つべきだよ」
「昔がむしゃらに働いた分、静かに暮 らしたいのだがね」
「じゃあ、望み通りじゃないか」
オーフェンは適当に切り返して、顔を上げた。グラスからは手を離 し、
「なあ」
「うん?」
「結 婚 してたんだろ?」
「今でも継 続 中だ」
バグアップは顔をしかめて、強調してきた。よほど聞き捨てならなかったのか、グラスを磨くのを中 断 さえして、
「いいか、あいつがまあ、この街 にいるのが都 合 が悪いというんで、別 居 してるだけだ。この店も捨 てられないとかでな。あいつの昔の仲間とも少しずつ話をつけているし、いずれは──」
「いや別に、そのへんはどうでもいいんだけど」
手を振 って、オーフェンはうめいた。
「夫 婦 喧 嘩 ってするか?」
「当たり前だろう」
「いや、そうじゃなくて......殴 り合いの喧嘩というか」
「それはさすがにないなぁ。滅 多 に」
「あるのかよ」
とりあえず言ってから、肩 を沈 めて聞く体 勢 を作る。と、バグアップは自分の顎 鬚 をなでつけながら、思い出すように顔をしかめた。
「口喧嘩は頻 繁 に起きる。口 論 が激 化 すれば手があがるのは時間の問題だ。結局そこで踏 みとどまれるかどうか、それまでにため込んだストレス次 第 だろう。わしが知る限 り、理性ってのはどうしても感情に負ける。お前さん、誰かとつき合ったことは?」
「あるよ」
「どの程 度 のつき合いだった?」
「どの程度......って言われてもな」
言葉を濁 すと、バグアップは肩をすくめてみせた。
「まあいいさ。どんなことでも長続きさせるには、忍 耐 が必要になる。誰でも、自分のことには甘 いが、他人には厳 しいからして、他人の欠点を我 慢 するほうが難 しい」
「......やっぱり、夫婦仲悪かったんじゃないか?」
「まあ、それはともかく」
あさっての方向に咳 払 いするバグアップを半 眼 で見つめていると、彼は種明かしでもするように両手を広げた。
「我慢することに慣れはしないが、幸福にはすぐ慣れっこになる。慣れた幸福はもう用を成 さない......って、なんの話だった?」
「どうでもいいよ」
適当に答えて、またグラスの縁 に手を置く。オーフェンは、どちらかといえば独 りごちるような心 地 でつぶやいた。
「......ま、赤の他人のことに口出ししなくちゃならん理由もないし......どっちみち公園ですれ違っただけで名前も知らないし......」
ぶつぶつと、こぼす。
と、バグアップもまたグラスを手に取り、磨 き始める。同時に言ってきた。
「......お前ひょっとして、やることなくて退 屈 なんだろう」
「............」
しばし、考え込み──
「かもな」
オーフェンは嘆 息 して、グラスをころんと転 がした。
やることがないわけではなかった。
が。
いつものように地 人 兄 弟 をマスル水道で炎 上 させてきた帰り道、そのまま宿 にもどる気にもならずに、昨日 の公園に立ち寄 る。日に日に春へと近づいていく陽気の中あたりを見回し、やはり無人のベンチに腰を下ろして、オーフェンは胸 中 でつぶやいた。
(......やっぱ、退屈なのかな)
考えたところで、ほかに理由が思い浮 かばないということは、そうなのだろう。
(別に、退屈しのぎってつもりはないんだけどな)
なんとなく後ろ暗く思いながら、そんなことを言い訳 する。誰に対してというわけでもなかったが。
もとより、同じ場所にいたからといって、同じことが起こるとは限らない。それでもなお、なんとなくここに足が向いたのは──やはり、ほかにすることもなかったからなのだろう。ぐるぐると回る思考の尻 尾 を追いかけて、結局は同じ答えを何度もつつく。
風に誘 われてまたベンチに横になり、呼 吸 を数回。眠気を自覚し始めた頃 だった。
「あの」
............
目を開けると、まるっきり昨日と同じく、彼女がいた。名前は知らないが。
「ここ、いいですか?」
言われてオーフェンは、無言のまま起きあがった。と、横に腰を下ろし、彼女が控 えめなため息をつくのが聞こえてくる。
格 好 は、昨日より薄 着 になっていたが──それが、少なくとも口元を隠 す必要がなくなったせいであるのは疑 いなかった。頬 にはまだあざが残っているようだったが、それはなんとか髪で隠そうとしている。
どうしようもなく気まずい中、オーフェンは相手を盗 み見ては視線をそらすのを繰 り返していた。彼女は気づいた素 振 りもなく、ただじっと座 っている。傷が痛むのかもしれないが、どこか沈 痛 に前方を見つめていた。
結局のところ、それなりの時間は経 ったのだろう。しばらくすると、彼女が表情をはっと変えた。つられてあたりを見回すと、これもまた、昨日の男が姿を現していた。ただし、昨日と違うのは──公園の表ではなく、昨日彼女が逃 げていった裏側から入ってきたことだった。
「............⁉ 」
混乱した顔で、彼女が立ち上がる。その時になってオーフェンは、彼女がじっと、公園の表口を見つめて──見 張 っていたのだと気づいた。警 戒 していたつもりが、裏をかかれたのだろう。
「てめえ......こん......なとこに......」
ぜえぜえと肩 で息をしながら、男がうめく。彼女は口元に手を当てて、後 退 りした。細い指の向こうにのぞく目が、見開かれている。絶 望 的 に。
「来るんだ」
男はただそれを言っただけだった。右手を差し出し、彼女の方へと大 股 で近づいていく。そして──
足を止めた。
彼女と彼の、ちょうど中間のあたりに立ちふさがる形で、オーフェンはじっと半眼で、男を見やった。ベンチから立ち上がって割 り込んだだけだが。
「なんだ、てめえ?」
男が引きつった声をあげる。
オーフェンは、そのまま告げた。
「どうしても彼女を連れ帰りたいんなら」
と、目つきを強める。
「自分よりも強い奴 の頭越 しに同じことを言ってみろよ。できないなら、ひとりで帰るんだな」
「てめっ──!」
男が今度は怒 りに引きつった声を出したが、それはどうやら、彼女に向かって吐 いたもののようだった。
「こんなところに、男がいたのか⁉ 」
「違......」
うろたえるような、彼女の声。オーフェンは最後まで聞かずに答えた。
「いや。ただの通りすがりだ。まあ、他 人 事 なんだろうが、あんまり見 過 ごしていい気分のもんじゃないようだからな」
「なに言ってやがるんだ、てめえは?」
男が拳 を固めた。それを振 り上げて、叫 んでくる。
「いいかエリッセ! さっさと帰ってくるんだ! でないとただじゃ──」
そこまでだった。オーフェンは小さく飛び出し、右拳を突 き出した。尖 った拳の先 端 は意外に思えるほど呆 気 なく男の腹 筋 に突き刺 さる。男の顔色が変わり、そのまま倒 れ伏 して悶 絶 するのを見下ろして──
大きく息をついてオーフェンは、かぶりを振った。
「ま、根本的な解決ができない手助けなんてのは、ただのおせっかいなんだろうけどな」
振り返る。身を縮 めるようにして成り行きを見ていたらしい彼女に、
「あんまりひどいようなら、手 遅 れになる前に警察にでも行けよ。それが万 全 とは言わないが、なにもしないよりはマシだろ」
「............」
きょとんとした眼 差 しで見つめ返してくる彼女に、言えることというのもその程度のことでしかなかったが。
「あの」
そのままその場から立ち去ろうとした時、背 後 からかけられた声に、オーフェンは足を止めた。見ると、彼女が胸の前で手を組んで、おずおずと言ってくる。
「手を痛めたんじゃないですか?」
「え?」
目をぱちくりし、オーフェンは右手を確かめた──気にしていなかったが、確 かに少し、手の甲 の筋 に引っかかりを感じる。
(ちと、力みすぎてたか? この頃なまってたし)
そんなことを考えていると、すたすたと彼女は近づいてきて、有 無 を言わさずこちらの手を取った。
「やっぱり。冷やしたほうがいいですよ。ほっとくと、夜にはひどくなります。氷......」
と、あたりを見回し、
「喫 茶 店 とかになら、氷、ありますよね」
腫 れた頬の上にある瞳 が、凍 った湖 面 程度に輝 いているように見えた。
「わたし、あったかいお茶を。なんでもいいですけど」
ウエイトレスがうなずいて去っていく。あれから一番近くに見つけたのは、半地下の喫茶店だった。夜からはバーにでもなるのだろうが、天 井 に近いところにある窓を大きく開けて、まだ店内は明るい。先に氷だけをグラスに入れて出してもらい、それが自分の目の前に置いてあった。

なんとなく、置いてきぼりにでもされたような心 地 で、それを見ている。
と、視線を上げると、彼女がじっとこちらを見ていた。
「もっと笑ったほうがいいですよ」
唐 突 に、そんなことを言ってくる。
「喧嘩した風に見えたりすると、あなたがわたしを殴 ったように思われるかも」
「............」
冗 談 で言っているのかどうか、いまいち判 別 がつかず、とりあえず沈 黙 する。
確かに痛めた筋が、時間とともにうずきだしているようだった。グラスから氷をひとつ取り上げて、痛 む場所に当てる。と、彼女の指が同じグラスに伸 び、やはり氷をひとつ取り出した。それを自分の顔に触 れさせ、その感 触 に目を閉じる。
「しみますね」
笑って、彼女がうめく。
「いつも公園で寝 てるんですか?」
「いや......」
どうしても答えが短くなる。
(......なにがどう、ってわけでもないんだけどな)

オーフェンは胸中で自 問 した。
なにがどうというわけでもないため、どうすることもできず、どうなることもない。
彼女は気楽そうに笑うだけだったが。
「わたし、いつもあの公園に逃 げ込むんですよ。今日はどうも、うっかり回り込まれちゃって......」
「分かった」
「え?」
「あ、いや、すまない。ちょっと口から出ただけで。意味はないんだ」
思わず出たつぶやきのことをごまかしながら──
オーフェンは、独りごちた。
(そうか......分かった)
繰 り返す。この女と向かい合っていて気まずい理由。彼女の怪 我 のことを訊 ねないことにはなにも話せそうにないというのに、いざ訊ねるには気 後 れする。そういうことだろう。
合 点 がいったところで、どうなるわけでもないが──
それでもオーフェンは、彼女が漏 らした言葉をある程度まとめていた。
(いつも逃げ込んでいた......ってことは、いつも追いかけ回されてるってことか)
ということは、おおむね、初見からの直感は正しいのだろう。恐 らく彼女はあの男とは夫婦かなにかで、常 習 的 に暴力を振 るわれている。家庭内の問題に外部の人間が関 わることは──様々な意味で──困難だが、ほうっておくとそのまま最悪の結末にもなり得 る。
(参ったな)
こんなことを思わずにいられなくなるとは夢にも思わなかったが。
(こりゃ、完全に警 察 の領 分 だろ。コギーの奴 がいりゃ、簡単に解決できたんだろうに)
彼女が専門家に相談すればそれで済 む。
「あのな──」
「わたし、エリッセって言います。エリッセ・スカイランド。あなたは?」
「ええと......」
なにも言えないうちに話の腰 を折られ、オーフェンは言葉に詰 まりながら、それでもなんとか名前を吐 いた。
「オーフェンだ。あのな、ええと......エリッセ?」
「強いんですねぇ。なにかそういうお仕事かなにかされてるんですか?」
「ええと......」
答えるべきか無 視 するべきか──一 瞬 迷ってから、彼はうめいた。
「魔 術 士 なんだ。そういう訓練も受けてる」
言ってから、自分の選 択 が間 違 っていたと自覚する。
エリッセが歓 声 をあげるのが聞こえてきた。
「うわぁ......わたし、てっきり──ええと、あの、ええ。そうなんですかぁ。魔術士さんなんですか。初めて見ました」
「わたしてっきり、のあとがなんだったのかちょっと気にかかるが」
一 応 言っておいてから、オーフェンはかぶりを振った。
「いくつか聞きたいことがあるんだけどな、エリッセ」
「あ、わたしもあるんです。オーフェンさん、おいくつなんですか?」
「いや、あのな」
「すごいですよねぇ。なんか一発で倒 しちゃって。コツでもあるんですか?」
「聞けって」
「ほら、やっぱりその、女って弱いじゃないですか」
「女が弱い......?」
ぴくり、と反 応 し、言葉を止める。様々なことを思い浮かべてから、オーフェンは聞き返した。指先でテーブルをこつこつと叩 き、
「なにをわけの分からないことを言ってるんだ?」
「わけ分からない......ですか?」
目をぱちくりさせ、彼女が聞いてくる。オーフェンは腕 組 みしてうなずいた。
「当然だろう世界の常識だ。俺 は姉貴に担 ぎ上げられてぶん投げられたことがあるぞ」
「いや、そんな小さい頃の話とかされても」
「そんなにガキの頃でもなかったよーな気がするが」
ふうむとうめいて、言い直す。
「確かに、一 般 的 には男のほうが腕 力 で勝 ることになってる」
「はい」
「でも別にそいつは女の身体 は鍛 えられないって意味じゃない。ある程度以上鍛 錬 すれば、男も女もない。やっぱり得意分野は違うから、頭を使う必要はあるけどな」
「なるほど」
「俺の姉貴は同じ歳 の男を簡単にねじ伏 せたりしてたが、彼女が言うには──」
「ふむふむ」
「............」
ふと、止まる。人差し指を一本立てた説明のポーズのまま半眼になり、オーフェンはゆっくりと、その指を引っ込めた。いつの間にか乗り出しかけていた背 中 を椅 子 の背にもどし、息をつく。
「いや、警察に行くのがいいと思うぞ」
言い直すと、エリッセは、きょとんとしたようだった。
「なにがですか?」
「いや、だから、しょせん腕力なんて鍛えたところで、そんなもんで解決するのなら、さっき俺がノしただけで終わりになってるはずだろ。生 兵 法 をかじるよりは、専門家にきちんと相談したほうがいい」
「えっと......」
彼女は、しばし黙 考 して──
「ああ! ええと......なるほど」
ようやく分かったのか、ぽんと手を打ってから、こくこくとうなずいてみせた。が、
「でもわたし、強くなりたいんです」
「だからそれは、単 純 な暴力に対して強くなったところでだな」
うめくが、彼女はただひとりで得 心 したようにうなずき続けていた。
「あなたの周りにいた人っていうのが、そんなに強い人ばかりだったんなら、ちょうどいいです。その人たちがどうしてそんなに強かったのか、教えてください」
「ンなもん、解説できるくらい理解できてたら、俺だってえんえん泣かされ続けたりはしなかったと思うが」
「スポーツ解説者なんて、自分たちじゃもう最新の理 論 なんてついてこられやしないくせに、ふんぞり返って偉そーなことばっかりのたくたしゃべくってるじゃないですか。そのノリで」
「駄 目 だろそのノリじゃ」
「困 りましたねぇ」
ひとりで勝手に困り果 て、難しげな顔を見せる彼女に、オーフェンはこめかみに手を当てて軽く頭を抱 えた。いったん退 くべきだろう──そんなことを考えながら、
「あのな。どう考えたところで、家庭内の問題なんてもんを戦 闘 技 術 で解決できるもんじゃないだろ。それよりは、警察に行って根本的な解決を」
「でもぉ......」
「でもじゃなくて。だいたい、戦闘訓練なんてのは、付け焼き刃 が一番危 ないんだ。君のためにも教えられないな」
「ちっ」
「......え?」
「どうかしましたか?」
なにか聞こえたような気もしたが──きらきらと瞳 を輝 かせてこちらを見ているエリッセに、首を傾 げながらも続けようとする。
「だから──」
「じゃあ、路線変 更 ということで、わたしを守ってください」
「路線変更?」
「いえ気にしないでください。わたし......わたし、怖 いんです」
顔を伏 せ、そっと手を添 えて、彼女が声を震 わせる。
「あの人に、今度はなにをされるか。毎日毎日怯 えて暮らして......もう疲 れました」
そう言ってから、くるりと顔を上げた彼女の目には、涙 がたまっているように見えた。
「誰を頼 ったらいいものか、もう分からないんです。図 々 しい頼 みだとは思います。ですが......」
「だから警察に」
「警察がなんになるっていうんです?」
形の良い眉 をひそめて、彼女が詰 め寄ってきた。
「いったんは保護されても、すぐにあの人が迎 えに来て......少しばかり警官と談 笑 して、気まぐれでヒスを起こした女ってことでわたしをもとの家に引きもどして、また同じことの繰り返しになるんじゃないですか?」
「まあ、そんな話は聞かないでもないけど......」
「お願いです。あなたしか頼れないんです。もし、わたしを守ってくれるのなら......わたし、わたしあなたのこと」
「......え?」
「来ましたっ!」
がたんと椅 子 を蹴 り、立ち上がりながらエリッセが叫 ぶ。
思わずつられて腰 を浮 かせ、彼女が見つめる店の入り口へと向きやると、例の男がすさまじい形 相 で大声を張り上げるところだった。
「エリッセー!」
拳 を固め、それを振 りかざしながら店内に入ってくる。
「こいつのことを忘れたのか⁉ いいか、おい、こんなところで遊んでいる暇 は──」
「きゃあああっ!」
エリッセが悲鳴をあげ、背後に回り込んできた──わざわざテーブルを迂 回 して。
「もう嫌 よ! 絶対にもどらない! わたしはこの人と、新しい生活を始めるの!」
「へ?」
きょとんとうめくが、誰も疑 問 に答えてくれないまま、男がさらに怒 声 を張り上げる。
「なんだとエリッセ! 今まで築 き上げてきたものを全部捨てる気か⁉ 」
こちらの背後から顔だけ出して、エリッセも負けないほどの声をあげた。
「もともと無理だったのよ! 長続きするはずがなかったんだわ!」
「言うに事欠いてこの──」
と、そこまで叫んで急に周囲の目が気になったのか、男は店内を見回した。店員がぽかんとしたように見つめているのに気づいてさらに紅 潮 してから、また彼女をにらみ据 える。
「いったいなにが不満だっていうんだ⁉ 」
「だって、あなたの言う通りにしていたって、痛いだけじゃない!」
「............」
さすがに店内が、しんと静まりかえる。
怒 りの形相はそのままに──ただ言葉を失ってぶるぶると震え、彼が、熱くなりながらも底冷えするような声 音 を吐 いてきた。
「俺 はあきらめないぞ......いいか、どこまで逃 げようと、必ず連れもどす」
「絶対に帰らないわ」
「だいたいなんだ痛いだけって。お前だって結構喜んで──」
ごぎんっ!
男の身体 が、唐 突 にひっくり返った。床 に尻 餅 をついた格 好 で、頭を抱えて困 惑 している。
横から飛んできたトレイに、横 面 を痛 打 されたらしい。
「な、なにしやがる──⁉ 」
そのトレイを投げつけたウエイトレスに、怒 鳴 る間もなく。
さらに二枚飛んできたトレイが、男の顔面をえぐった。
「ううう......」
ふらふらと起きあがろうとする彼の周りに、ずらっと、店にいた数人のウエイトレスたちが並 ぶ。
「な、なにを......?」
先ほどより相当意気をすり減 らした口 調 でうめく男に、彼女らの返事は一言だけだった。
「最っ低」
「ぎゃああああっ⁉ 」
そのまま、構わずに殴 る蹴るの暴 行 が始まる。
「............」
ただ黙 って──黙らざるを得なかったが──成り行きを見ていたオーフェンは、後ろから腕 を引っ張られて振り向いた。エリッセが、小さくつぶやいてくる。
「今のうちに逃げましょう」
「そ、そーしとくか......」
つぶやき返し、集団暴行が行われている横を通り過ぎて、彼らは店の外へ出ていった。
「もどって来ちゃいましたね」
肩と息とを弾 ませながら、エリッセの声は途 切 れなかった。店を出てから走る意味はほとんどなかったと言っていいだろうが、なんとなく彼女に腕を引かれて、気がつけばもとの公園まで急いでしまった。
帰ってきた公園にはやはり人 気 はなく、昼を過ぎて陽 が弱まった以外に変化はない。
エリッセが、走ってきたせいで乱れた髪 を、また傷を隠 すように整 えようとしている。オーフェンはその彼女の手を、指先で軽くとどめた。驚 いたような顔を見せる彼女に構 わず、静かに唱 える。
「......我は癒 す斜 陽 の傷 痕 」
すっと──音もなく、彼女の怪 我 が消え失 せる。見えずとも気 配 で分かったのか、エリッセは感 嘆 の声をあげながら、腫れのなくなった自分の頬をぺたぺた触 った。
「うわあ......こんなことができるんですか」
「あまりやらないほうがいいんだけどな」
「? なんでですか?」
両手を左頬に当てたまま、エリッセが聞いてくる。オーフェンは肩をすくめてみせた。
「失敗することがあるからさ。特に他人の身体のことは分からんし」
「はあ......でも、ありがとうございます」
ぺこり、と律 儀 に頭を下げて、言ってくる。すぐに顔を上げた彼女は、やけに機 嫌 良く笑 顔 を見せていた。
「なんかわたし、ついてるって感じですよね」
「え?」
分からずに、聞き返す。と、彼女は軽くなにかを跳 び越 えるように、こちらに近づいてきた。
「だって、怪我して逃げた先の公園に、たまたまオーフェンさんがいて──それで助けてもらって、しかも治してもらって。こんなに都合いいことってそんなにないですよね」
「ついてる奴は、怪我なんてしないだろ」
ついでに、変な男に引っかかったりもしないだろう──と胸 中 で付け加える。
だが、エリッセはまったく気にしなかったようだった。さらに顔を近づけてくると、こちらを見上げて続けてくる。
「違いますよ。怪我してなかったら、仮にどこかの道ばたであなたに出会ったって、助けてもらえなかったじゃないですか?」
「......なんか微 妙 に本 末 転 倒 じゃないか? それ」
「いいんです。さ、行きましょか」
と、またこちらの腕を取って、引っ張っていこうとする──どこへかは知らないが、公園を出ようとする方向ではあった。その彼女の後頭部を見下ろしながら、聞く。
「行くって、どこへ?」
「はあ?」
ぽかんと口を開け、エリッセはたっぷり数秒、呆 れ顔のまま固まった。しばらくしてから、言ってくる。
「さっき言ったじゃないですか」
「なんて」
「ですからぁ」
なにやら、もじもじと身をよじり、口元のあたりで手を組み合わせ、
「あなたと、新しい生活を」
「待たんかい」
半眼で、オーフェンは告げた。
「それこそ、ンな話がどこにある⁉ 」
「なにがですか?」
「だから! なんで道ばたでちょっと手助けしただけで新しい生活なんだよ!」
「いや、それは冗 談 だとしても」
エリッセはあっさり言うと──虚 空 を見上げ、頭をかいて、
「行くところがないんです。どこか、落ち着けるところ知らないですか? あの人のところには......もどれないでしょう?」
「............」
反 駁 しかけ──
なにも言葉が出ない。とりあえず、彼女の言うことが正しいのも理解できた。ほうっておくこともできない。
(結局のところ......)
言葉に出さず、観念する。
(自分から関 わっといて、もう関わりたくないってーのもないわな)
うつむき、心持ち口を尖 らせてこちらをじっと見つめてきているエリッセに、オーフェンはうなずいた。
「俺は、宿 屋 に居 候 してるんだ。なぜか、いつも客のいない宿でね。部屋はいくらでも空 いてる。頼めば君も泊 めてもらえるかも」
「ホントですか?」
「多分。一応聞いとくけど、君、ここいらに親 類 か友達いないのか?」
「あー......わたし最近、越してきたばかりなんです。生まれは東部で。ほらほら東部訛 り」
「いやよく分からんけど」
と。
声が聞こえてきた。
「エリッセェェェェェ......」
見やる。そこにはやはり、例の男がいた。片目は開いていない、鼻はそっぽを向いている、靴 も片方どこかになくしたのか裸足 になっており、髪もぼさぼさ──一言でいえば手ひどくずたぼろになっている。
男は、ふらふらと手を伸 ばしてきた。数メートルは離 れているためどうというわけでもないのだが、遠 近 感 もなくなっているのか、その震 える指先でなにかをつかもうとするように空気をひっかいてから、ぱたりと地面に倒 れる。
それでも力尽 きず、声だけは聞こえてきた。
「あきらめ......ないぞぉ......エリッセェェェ......俺たち......俺たちの──」
「早く行きましょうっ!」
なにかを言いかけた男の声を遮 るように、横から、エリッセが大声をあげた。驚いて見やると、彼女が腕 を抱 え込んで、引っ張り出す。
「いや、そんな急がないでも──」
オーフェンがうめくと、彼女は激しくかぶりを振った。
「いえ! 急ぎます! きゃあ怖 い早く逃 げないと!」
「虫の息だぞあいつ」
指さして言う。男の動きも声も、さらに細くなっていた。
「エリッセェェ......お前は......チャ、チャン──」
「きゃあきゃあきゃあ!」
「お、おい⁉ 」
いつになく強い力で腕を引っ張られ、引きずられながら公園を出る──と、ちょうど前を通りかかった若い通行人にぶつかりそうになって、エリッセが足を止めた。公園に取り残された男の声に追いやられるように、彼女はなおも進もうとしていた。とりあえずオーフェンも、抵 抗 をやめていっしょに歩こうとしたが、刹 那 。
「あれっ?」
通行人が、声をあげた。驚いたように、エリッセを見ると、
「ちょっとあんた、ひょっとしてエリッセ・スカイランド? うわあ、俺あんたのファンで──」
「きゃあきゃあきゃあきゃあ!」
彼女がひときわ大きくわめき立てる──そして、
「なに言ってるんですかきっと人違いですからごめんなさい。さあオーフェンさん! 急いでっ!」
「え? でも──」
わけが分からないまま、歩く速度を上げる彼女に引っ張られていく。

ともあれ。
これが彼女、エリッセと知り合った顛 末 だった。
(つづく)

「......やっぱりこうして......ぼやぼやと」
突 拍 子 もない出来事というのは、起きてしまえば日常に過 ぎない。恐 らく、そういうことなのだろうと思う。
屋根の上から街を見下ろしたところで、その道を歩くこととどれほど違 うというわけでもない。ただひとりで静かにしていられるというだけだった。それはもしかしたら、貴 重 なことだったのかもしれないが。
トトカンタ市は、良くも悪くも大都市である。これから先、永 遠 に出会うことのない無数の人間が、すぐ隣 で生活しているのが不自然ではない。単なる偶 然 で知り合った、ごく限 られた出会いと、それと同数か、あるいはほんのわずかだけ少ない別れ。
(実 際 、俺 だって)
風に吹 かれて、ぼんやりとオーフェンは独 りごちていた。
(いつまでもここにいるわけじゃねえしな)
そこはいつもの宿 だが、屋根の上というのは日 頃 の定位置というわけではない──ただ、なんとなく空が見たくなってここにいる。
(そもそも、予定より長く居 座 りすぎたんだ。ここに。分かっていたんだけどな)
とうに、動かなければならない時だったのだろう。この街に見 込 みがないのは明 白 なのだから。
それに、特にもう、この街に未 練 があるわけでもない。
空に向かって、彼は嘆 息 した。
と──
「オーフェンさーん」
聞こえてきた声に、オーフェンは身体 を起こした。屋根からずり落ちないように体重は後ろに残して、首だけ下をのぞき込む。と、屋根の下から、女がひとり、明るい顔でこちらに手を振 っている。
なんの用かと聞き返すよりも早く、彼女は、あとを続けてきた。
「食事の用意ができたんで。早くしないと冷めちゃいますよ。そんなに量がないですから」
「......ああ」
うなずくと、それで満 足 したのか、気楽な足取りで宿の中へと入っていく。彼女がいなくなってから、オーフェンはもう一度嘆息した。胸 中 でうめく。

(なんだかなぁ)
無 能 警 官 も、変 態 執 事 もいなくなって。
この街で出会った分は、もうおおむねすべて別れたのだ──今まで、大陸各地を放 浪 しながら、そうしてきたように。
(彼女──エリッセだって、それと同じ。どうっていうわけでもない。普 通 に知り合っただけで、なにか特別なことがあるわけでもない......だろ?)
自分に言い聞かせる。が。
今までのようには、思い切ることができなくなっている。つまりは──
(やっぱり長く居座りすぎたんだよな、この街に......)
うめいてから、彼は呪 文 を唱 え、屋根から飛び降りた。
「あのー」
食事が終わって──
食器を集めて勝手に厨 房 へと入っていったエリッセと入れ替 わりに、マジクが出てくる。その少年は、なにやら不 思 議 そうに厨房のほうを見やってから、声をひそめて聞いてきた。
「オーフェンさん。あの人、誰 なんです?」
とりあえずオーフェンは、ため息をついた。
「今さら聞くことでもないだろ。もう三日だぞ、あいつがここに来てから」
「そうですけど」
マジクが金 髪 の頭をかきながら、うめく。やはり視 線 は厨房の扉 へ──もちろん、エリッセの姿が見えるわけでもないが。
「なんか、いきなりすごく馴 染 んでたから、聞きそびれちゃってたんですよね。オーフェンさんの親 戚 かなにかかと」
「知らん。つーか、俺も彼女のことは、名前くらいしか分からない。なんか家庭に面 倒 ごとがあるようなんだが......ンなもん、こっちから聞けることでもないしな」
「はあ。まあ、宿 代 は払 ってくれてますから、いいんですけど」
「宿代? そんなものを徴 収 してたのか? ここって」
「そんな根本的な疑 いを持ってたところで、そのうちきちんと払ってもらいますからね、オーフェンさんにも」
「変わったシステムだなぁ」
「そーやって無 理 に自分に言い聞かせてるうちに、本気で世の中からズレていくんですよ、ホントに」
と、それだけ言ってから、マジクが去っていく。また入れ替わりにエリッセが出てくるのを、オーフェンは頬 杖 をついて、ぼんやりと眺 めていた。彼女は妙 に上 機 嫌 にも見えたが、実際はなにがあったというわけでもなく、単に普 段 からそうなのだろう──軽く鼻歌など歌いながら、気楽な足取りで近づいてくる。
見せた微 笑 も、軽かった。
「片づけてきましたー」
「......なんで客なのに、君が片づけるんだ?」
「いえなんとなく」
「なんとなくか」
ほかに言うべきことも見つからず、口を閉じる。
しばらくは、テーブルの向かいに座る彼女を待つような形で、ただじっとしていたが、エリッセが、やはり鼻歌を歌いながら、しきりにこちらを見つめてきているのを数分間も眺め、ふと意味のない焦 りが浮 かんだ。
(......なにやってんだ?)
なにもしていない。まあそういうことなのだろうが。
なんとなしに感じるものがあって、椅 子 から立ち上がる。間 髪 を入れず、エリッセも腰 を上げるのが見えた。すぐさま、また座り直す。と、彼女もそれに倣 うように席についた。
「............」
「............」
しばしの無 言 ──
視線と視線がぴたりと重なった状 態 で、動かず動ぜずにらみ合う。間合いが張りつめ、そこにあるものが空間ではなく冷 水 であるかのような。そんな気 配 を感じながら、オーフェンは機 を見つけた。
なにか合図があったわけではない。とはいえ、機は機だった。
眼 球 が痙 攣 した。ただそれだけのことだったのかもしれない。とっさに視線だけ、右を向く。それにつられて彼女の目が揺 れるのがはっきりと分かった。その隙 をついて、立ち上がる──ふりをして、さらに横に跳 び、床 を転がる。
その場で素 早 く立ち上がる──再びふりだけして、もう一度跳んだ。ほんの一 瞬 で、宿の出口にだいぶ近づいている。
(勝った──!)
なにに勝ったのかは、自分でもよく分からなかったが。
あとは全力で出口から飛び出す。そのつもりで顔を上げる。
そこに、エリッセがいた。
「なにっ⁉ 」
反 射 的 に硬 直 する。彼女は鏡 映 しのように同じ体 勢 で、目の前にかがみ込んでいた。あれだけフェイントを重ねたというのに、まったく遅 れずついてきたらしい。
「............」
「............」
しつこく沈 黙 。そして、彼女が口を開いた。
「今まで気づきませんでしたけど、変な歩き方するんですねぇ」
「違 うだろ⁉ 」
叫 んでから、オーフェンはあきらめて立ち上がった。腕 組 みし、うめく。
「あのな。なんか用なのか? 俺に」
「いえ、特に」
「じゃあなんでつきまとう?」
「つきまとってないですよ。行き先を真 似 してるだけでー」
「それはおおむねつきまとってないか?」
「見方は人それぞれだと思います」
「うーむ」
どう言っても通じないものらしい。
眉 間 にしわを寄せ、首を傾 げたまま、宿を出る。あとから、なにやら扁 平 な、ぺたぺたとした足音を立ててエリッセがついてくるのは分かっていたが、とりあえず無視して歩くことにした。
五十メートルほども歩いてから。
オーフェンは、足を止めた。すぐ後ろで、彼女も立ち止まる。
そして──
すぐ横のビルを見上げて、オーフェンは叫んだ。
「我 は跳 ぶ天 の銀 嶺 っ!」
「あー!」
声をあげるエリッセを残して。
重 力 中 和 で一気に建物を飛び越えると、隣 の通りに着地する。そしてそのまま全速力で駆 け出し、オーフェンは胸 中 で歓 声 をあげた。
(逐 電 成 功 !)
ここ数日では、初めてのことだった。
「まーったく。ようやく振 り切ったか。しつこいっつーか隙がないっつーか」
このあたりでいいかと見当をつけたのは、もといた宿から相 当 離 れてからだった。なんとはなしに、それでもまだどこか不 安 を覚えないでもなかったが。
あたりを見回す。
人混みに紛 れることも考えないではなかったのだが、どのみち紛れ込んだところでいかほどのものでもないと、あえて人 気 のない路 地 を選んで逃 げてきた。大人数から追われているのでもない限り、そのあたりは深く考えたところで大 差 ないところではある。
混 雑 と混雑の隙間、そんなような静かな道だった。建物と壁 を通して、ざわめきが聞こえてこないわけでもない。だが近くなってくる気 配 もない。
そんななにもない道であったから──その足音は、容 易 に知れた。
「............?」
エリッセではない。足音の重さが違う。自分以外の通行人がいたところで不 思 議 はないのだが、それでもオーフェンは振り向いた。
体 格 の良い男がふたり、ゆっくりと近寄ってきている。まだ数メートルは距 離 があるが、彼らの視 線 ははっきりとこちらを見定めていた。ふたりとも鼻にしわを寄せるほどのしかめ面 で、あからさまな敵 意 をむき出しにしている。
と、またさらに背後──つまりそのふたりとは逆 方向から、別の気配がした。また同じように男がふたり、姿を見せている。
ただ、そちらの男たちの片方には、見覚えがあった。
「ようやく見つけたぜ......」
そんなことを、うめいてくる。数日前に見たきりの顔だったが。
包 帯 で腕 を吊 り、逆の腕で松 葉 杖 を抱 え、片足を引きずりながら、さらには首にもコルセットを巻いている。顔面にもひどい痣 が見えた。実際、人 相 もかなり変わっていたが──逆に、この怪我でもなければ思い出せなかったかもしれない。
そんなことを思いながらオーフェンは、あごの先を指でかいた。
「どうしたんだ? その怪我」
へっへっへ......と、どちらかというとやけくそにも聞こえる笑い声とともに、男が答えてきた。
「あのあと、あのウエイトレスどもにまた見つかって、もう寄ってたかって腕とか折られてな」
「うあ」
「奥 歯 も一本折れた。暴 力 って怖 いよな」
「うーむ」
とりあえず、つぶやく。
「そんだけやられたら、さすがに懲 りたろ。いい加 減 、警 察 沙 汰 になる前にあきらめたほうが身のためなんじゃねえか?」
嫌 みではなく彼に同 情 して──こうなると、せざるを得 ないが──言ったつもりだったのだが、男はさっと顔面を赤くすると、こわばった怒 声 をあげてきた。
「なにが警察沙汰だっ⁉ こっちの台詞 だ! お前こそ、エリッセを早く引き渡 せ! いいか、これは誘 拐 だぞ⁉ 」
同時に、ほかの男たちも、適当にうなずきあってから一歩、包囲を狭 めてくる。実際にどうこうするというよりは威 圧 しようとしているのだろうが。
「誘拐ねえ」
オーフェンは、とりあえず全員の立ち位置をそれとなく確 認 した。一度頭に入れてしまいさえすれば、あとは気配だけで全体を把 握 できる。
「エリッセか。そういや、彼女の歳 も知らないが、未 成 年 ってわけでもないだろ。本人の弁 では、新しい生活を始めたいそうだから、あんたに関 知 できるこっちゃないわな。俺の知ったことでもないけど」
「十九歳九か月と十六日! エリッセ・スカイランド、身長百六十四センチ体重五十六キロ半! 視力二・一の右 利 きだ!」
やたらとすらすら叫んでから、男はさらに声を裏 返 らせた。
「いいか! お前と押 し問 答 してても埒 があかねえ! エリッセと会わせろ! きちんと話をすれば──」
「なんの話にもなりそうにないってのは、もう思い知ったんじゃねえか?」
「ふざけるな! 俺は、エリッセのことならなんでも分かるんだ。なにもかも、全部だ。だから、ここ最近の彼女の行動が本 意 でないことも分かってる! ちょっとばかり羽 根 を伸ばしたかったんだろう。それはいいんだ! だが、時期がまずい──今は」
「なんにしろ当人が嫌 がってるものを、教えるつもりはねえよ」
肩 をすくめ、断 る。と──
待っていられなくなったのか、最初に現 れたふたり組のほうが、飛び出してきた。すぐに間合いを詰 めて、殴 りかかってくる。
(......っ⁉ )
ただのごろつきの類 かと思っていたのだが、軽く握 った拳 を素 早 く突き出してまた引っ込める、格 闘 式の動きだった。牽 制 の軽い突きから、こちらの死 角 へと回り込んで、続けざまの攻 撃 を仕 掛 けてくる。
一 瞬 のことだったが、なんとか反 応 できた。上体を反 らして攻撃をかわし、相手の第二撃へと合わせてこちらも構 えを取る。簡 単 に肩に力を入れただけなのだが、相手のふたりとも、その気配を敏 感 に察 知 したらしい。迂 闊 な追い打ちはせずに、そろって半歩後退した。
(こりゃ、いよいよ本職の殴 り屋か?)
そんな連中がいるという話は聞いたことがある。特にどうというほど珍 妙 なことというわけではないのだが──目的なしになんとなく格闘技などかじっていた連中が、ふとその使い道がなにもないことに気づいて、落 胆 する。それだけなら害もないが、なんとかその使い道を思いついたりすると、こういったことになる。
つまりはギャングの用 心 棒 や、その類に落ちぶれるわけだった。
武 器 を持った素人 と、無 手 の本職と。どちらが危 険 と比 べられるほどの差はないが、やはり玄人 は玄人だけに、そのキャリアを守るため、思いもよらないようなからめ手を使ってくることもある。などと──

いろいろと思い浮 かべた頃 には、そのふたりともきっちりと、こめかみ、みぞおちをそれぞれ拳で打ち抜 かれ、地面に倒れていた。
「............」
ふたり倒した拳を解 いて、男のほうへと向き直る。オーフェンはゆっくりとつぶやいた。
「まだやるのか?」
「くっ......!」
うめいたのは、包 帯 まみれの男ではなく、もうひとりの男だった。見れば全員の中では最も若い。両拳をあご近くに構えたスタイルで、目の前で起こった一瞬の結果に驚 愕 したのか、肩を震 わせている。
まだ立っているふたりのうち、ひとりはどう考えても重 傷 患 者 に過 ぎないのだから、つまりは残ったのは彼ひとりということになる。勝ち目がないのは分かっていただろう。が、
「やってやる......!」
震える吐 息 とともに、決 然 とした声を漏 らす。
「馬 鹿 、待て!」
吊られた腕を上げようとし──そして悲鳴をあげてから中 断 して、男が叫んだ。
若 いほうが、言い返す。涙 がにじんだ目で、はっきりと。
「でも! 先 輩 方 を倒されて! 引き下がるわけには!」
「お前は、来週試合があるんだぞ⁉ こんなところでケガでもしたら......」
「ぼくが目の前の戦いから逃げ出すようなら、そもそもあのチャンプに勝てるはずがありません!」
「いかん! 拳 闘 を甘 く見るな! いいか、俺はトレーナーとして、お前を万 全 の状 態 でリングに上げる義 務 が......」
そこまで聞いて──
「ちょっと待て」
オーフェンは制 止 した。
「なんとなく、もうだいたい話は読めたが......」
と、そこで切り、口ごもる。じっとこちらを冷たく見ているふたりと、倒れたまま苦 悶 の声をあげているふたりを見やってから、嘆 息 し、
「謝 ったほうがいいのか?」
「うん」
こちらの問いに、ふたりはしごくあっさりと、うなずいてきた。
エリッセ・スカイランド。通 称 〝リーガル・フェロニー〟二十八戦全 勝 二十八KO。常 にロープに頼 らずリングの中 央 で敵 を滅 多 打 ちに葬 るその姿 に、観 客 は歓 声 をあげるよりは戦 慄 に凍 り付く。
小 細 工 もなし。技 もなし。反 射 速 度 と耐 久 力 だけを武器に、対戦相手の急所をさんざん拳で射 抜 いてきた。これだけの勝ち星をあげておきながら、いまだにタイトルを獲 っていないのは異 常 なことではある。王者は可 能 な限り、彼女との対戦を逃げて回った。が、ついにそのタイトルマッチが成立し、その試合まであと数日と迫 ったところで......
「もう飽 きたからやめるってのは、どーゆうことなんだ⁉ 」
「いや、俺に言われても」
詰 め寄 りながら叫ぶ男──そのトレーナーとやらに、オーフェンはとりあえずうめいておいた。男は吊った腕で涙をぬぐいつつ、あとを続ける。
「確かにまあ、現役最強のチャンプとのタイトルマッチだってーことで、エリッセには、今までにないよーな過 酷 な特訓を強 いたかもしれんが! だがそーゆうもんだろ! やめるか普 通 ⁉ 」
「特訓?」
「軽く五十キロほど走らせたり階段から突き落としたり興 奮 剤 投 与 した牛と戦わせたり」
「うあ」
「なぜ引くっ⁉ このくらいせんと、王 座 なんて獲れるはずがないだろう⁉ 」
「そーかなー」
オーフェンは疑 わしげにつぶやいたが、男が自信たっぷりの様子でうなずいてみせた。背 後 に並んでいる三人の練習生(らしい)が、多少悲しげに顔を見合わせているのが見えたりもしたが。
「いいか、拳 闘 に必要なのは、人 間 味 なんかじゃない。非 情 な戦闘マシーンと化す野 性 と強さ、それだけだ! エリッセにだってそれは分かっているだろうし、今までそれでやってきた! なのに! なんでここにきて逃げ出すんだ⁉ 」
「トレーナーが、今度は海中で鮫 と戦う特訓だーとか言い出したからではないかと......」
「言ったけど!」
後ろにいる練習生のひとりが手を挙げて発言すると、トレーナーはくるりと振り返って怒 鳴 り声 をあげた。
「エリッセには......エリッセには、この俺が果たせなかった夢をつかんで欲 しいんだ......ああ、拳だけで世界を獲る。男なら、男ならこのロマンが分かるはず」
「女だろ。彼女」
「言葉のあやだ! 確かに女子ランキングはちょっとばかしマイナーだけど、レベルは男子ランキングに引けを取らんぞっ⁉ 」
わめくトレーナーは、とりあえずさておいて──
オーフェンは、しばし考え込んだ。
拳 闘 士 。
単 純 なようでいて、実はルールが複 雑 であるため、それほどメジャーなスポーツ興 行 というわけではない。が、それでも根強い人気と長い歴史から、その競技の存 在 を知らない者もいない。拳 だけで相手を攻 撃 することが許 される格 闘 スポーツである。昔は、組み技やタックルなども含 まれていたらしいが。
道ばたに座 り込んで、それらの説明を聞かされ、オーフェンはため息をついた。実 際 、こういった展開を予想できていたといえば嘘 になる。が、理 屈 抜 きで予感していたのは確かだった。
(ったく......)
こちらを見つめるエリッセの目など思い浮 かべながら、恨みにうめく。
(なにが、弱いから守ってくれだって?)
と。
突 然 、トレーナーが詰め寄ってきた。
「頼 む! 旅の人!」
「いや旅はしとらんが」
「まあそのへんはなんとでもなる!」
「なるか?」
いろいろと言ってみるが、とりあえず通じないらしい。彼は涙 をこぼしながら、さらに寄ってくると、
「とにかくだ! もうエリッセは俺の言うことを聞く様子もない! 時間をおいて、彼女の頭が冷えるのを待つのが一番いいんだろうが、そうもいかん──タイトルマッチが控 えているんだ!」
「それよりまず鮫との特訓をやめるべきだと思うが」
「それは無理だ!」
きっぱりと叫んで、続けてくる。
「頼む! どういうことかよく分からんが、エリッセは、あんたの話なら聞き入れてくれるだろう。彼女を説 得 してくれ! ここでタイトルマッチを蹴 るような真 似 をしたら、エリッセの選手生命が絶 たれてしまう!」
「いや鮫は......」
「たーのーむー!」
「............」
いつの間にか、練習生まで加わって拝 み倒 してくる勢 いに呑 まれる形で──
オーフェンは、うやむやのうちにうなずいていた。
「や」
返事はそれだけだった。
不服いっぱいに頬を膨 らませ、横を向いたエリッセを見ながら、しばらく次の言葉を考える──といって、気の利 いたことが思い浮かぶとも思えなかったが。
差 し障 りのないことを、とりあえず口にする。
「いや、でもな」
「や。わたし、新しい生活を始めるの。あなたも、そうしたほうがいいって言ったじゃないですか」
「言ったか?」

「暴 力 に耐 えかねるのなら警 察 に駆 け込 むべきだって。それって、嫌 なこと我 慢 して人生棒に振 る必要はないってことでしょう」
「うーん」
その通りではあるのだが、微 妙 に違 うような気もする。だがやはり、うまい言葉が見つからずに、オーフェンは頭を抱えた。事態は変わったとはいえ、事情は特に変わっていない──暴力夫が、無茶なトレーナーにすり替 わっただけのことだ。つまるところ、数日前に説得できなかったのだから、今も言いくるめられる道 理 はなかった。
もとの宿の、食堂である。昼食をとったのとまったく同じテーブルにいるのは、彼女がそこにもどって、ずっと自分を待っていたせいだった。その時点で彼女の機 嫌 は相 当 悪くなっていたが、事情を聞かされたことを話すと、さらに悪化したらしい。
怒 っているような、泣いているような、微妙な彼女の横顔に、オーフェンは嘆 息 して続けた。
「でもな、そりゃ君が自分の生き方をどう選ぼうと自由だが、今回ばかりは、迷 惑 のかかる相手が多すぎるだろ? タイトルマッチとかすっぽかせば、違 約 金 やらなにやら必要なんじゃないか?」
「そんなの、ジムにはこれまで、十分に稼 がせてあげたもの。差し引きでプラスになってれば十分だと思いません?」
口をとがらせて、頑 固 な口調で言ってくる。なんとなく、彼女がリングの中央で敵を殴 り倒 している姿が浮かんできて、オーフェンはこめかみを押 さえた。
「でもなあ。周囲の期 待 というか......」
「最初のうちは、ただ楽しかったけど。なんのためにあんなことやってたのか、よく分からなくなっちゃったのよ。だいたいあなただって、なんかやりたくないことがあったから逃 げ出してきたんじゃないですか?」
「......へっ?」
唐 突 に矛 先 が自分に変化してきたのを感じて、オーフェンは二、三度まばたきした。彼女はこちらを向いて、目つきを鋭 くしている。それ以上に唇 を突 き出すようにして、さらに続けてきた。
「魔 術 士 なんかが、こんなとこで仕事もしてないの、おかしいもの。ずっと見てたんですから。なんか嫌なことがあったから、もともといるべきだったところから飛び出してきたんでしょ? 違います?」
「............」
彼女は当てずっぽうで言っているのだろうが──
何度もついたため息を、もう一度吸 って吐 くような心 地 で。
オーフェンは、ゆっくりと吐 息 した。伏 せかかった顔を上げて、彼女を見返す。
「そうか......まあ、そうだよな」
と──
「説得されてどぉするぅぅぅっ⁉ 」
怒 鳴 り声 と同時に扉が蹴 破 られ、塊 のようなものが食堂に転がり込んできた。実際は、塊ではなくそのくらいに絡 まったトレーナーと練習生たちだったが。
わたわたと立ち上がってから、彼らはいっせいに、びしとこちらに指を向けてきた。
「エリッセ! とうとう見つけたぞ!」
叫ぶトレーナーに、エリッセが冷たい視線を投げるのを見てから、オーフェンも彼らのほうに向き直った。
「やっぱり、尾 行 してやがったな」
「ふっ。逃げる練習生を捕まえておくため、尾行や拉 致 は得意中の得意!」
「駄 目 だろそれ。いろいろと」
「いーんだっ! 誇 りさえ持てば、多少の無理は通る!」
「通らないし」
「通れ!」
「キレても通らんし」
適 当 に応答して。
オーフェンは椅 子 を引いた。背もたれに体重を預けながら、ゆっくり立ち上がる。吐息とともにかぶりを振って、そのまま二階の階段へと──
「あの」
エリッセが、きょとんとした声で聞いてきた。
「どこに行くんです?」
「いや、なんかこー、ぐさりときたとゆーか、疲 れたからもう、ほっとこうかと」
「えー」
不 満 の声をあげる彼女に、トレーナーらの声が唱 和 する。
「エリッセェェェ!」
松 葉 杖 を抱 えて前進したトレーナーが間近まで迫 ると、エリッセはとっさにファイティングポーズを取ってみせた。それにあわせて、彼も足を止めたが、それでも口を開くのはやめなかったようだった。
「この際だ。もううるさいことは言わないから......帰ってきてくれ! 頼 む!」
「やーってば。もう面 白 くもなんともないんだもの」
「あと一戦! あと一戦だけでチャンプになれるんじゃないか!」
「勝てるとは限らないじゃない」
「お前と対戦するのを怖 がって逃げ回ってたようなチャンプだぞ⁉ 勝てるって!」
なんとか食い下がるトレーナーに、エリッセはにべもない。彼らの話を背後に聞きながら、オーフェンは少しずつ階段を上っていた。疲れたというのは本当で、頭 痛 もしてきたような気がする。
振り返るまい、と念じているうちに、背後の会話は次 第 にヒートアップしているようだった。
「だいたいなんで、人前で殴 り合いなんてしなくちゃなんないのよ! おかげで生 傷 は絶 えないし痛 いし怖がられるし」
「今さらそんなこと言ったってしょーがないだろ⁉ お前の仕事なんだから!」
「しょーがないことないじゃない! わたしの青春どうなるのよ!」
「......うーん」
最後のは、オーフェン自身が発したうめき声だった。つい数秒前に自分に律 した禁 を破って振り返り、エリッセと、彼女と怒鳴り合うトレーナーとを見やる。
「この──!」
激 昂 したトレーナーが、包帯で吊 った手を振り上げた。刹 那 。
短い間 隔 で放たれたエリッセの左 拳 が、小刻みに二度、男の頭部を揺 らす。そして、衝 撃 で動けないトレーナーの顔面に、強 烈 な右が突 き刺 さった。
そのまま、音も立てず、トレーナーが悶 絶 して倒 れる。と、背後に控 えていた練習生らが色めき立った。
「エリッセ!」
「いい加 減 にしろよ! 今までお前が踏 み台 にしてきた対戦相手に申し訳がないと思わないのか⁉ 」
「そんなの、わたしにどうしろって言うのよ!」
「............」
無言のまま。
(関係ないことだよな)
分かり切ったことを考えながら、ふと気がつくと、オーフェンはエリッセの前にもどっていた。
(関係ない関係ない。これはあくまでも彼女の事情であって、俺の境 遇 と似ていたりもしない)
それは細かい魔 術 の構成を編 み上げる作業にも似ていたが、胸 中 に言葉を連ねてしばし、じっと彼女の顔を見やる。
練習生らとの間に割 って入ったことで、彼らの怒鳴り合いも休止していた。こちらの意 図 をはかりかねてか、エリッセは警 戒 心 をにじませて、拳を握りしめている。その目にはしっかりと怒 りの気配がはめ込まれていた。要は、すねているということなのだろうが──
オーフェンは、くるりと身体 の向きを変えた。やはりファイティングポーズを取った練習生ら三人が、視界に入る。
嫌な予感を覚えたのかもしれない。それとも、世の中には本当に、殺気などというものがあるのかもしれない。彼らの表情が、引きつるのが見えた。
「我 は呼 ぶ破 裂 の姉 妹 !」
呪 文 とともに魔術が完成し、衝撃が彼らの身体を弾 き飛ばす。
倒れて痙 攣 している三人を後 目 に、オーフェンはエリッセに向き直った。手を差し出して、つぶやく。
「ほら。逃げるんだろう?」
「............」
彼女は、ぽかんと口を開けてその手の先を見つめていたが──
「はい!」
なにやら嬉 しげに、うなずいてみせるまで、それほど時間はかからなかった。
逃げるといって、どこに行く先があるというわけでもなく。
気がつけば、ただ単に手をつないで歩いているだけになっていた。お互い、言葉が出るわけでもなく、ゆっくりと街を歩く。ただそれだけの。
どちらが選んだのでもないが、足は自 然 とある方向を向いた。初めて出くわした、公園に。この時間ならば、一番ゆっくりできる場所だったということでもあるが。
やはり無言のまま、ベンチに腰 を下ろす。風がそよいだ。眠 気 を催 す、緩 やかな春の風。
やがて、エリッセの声がその風に混じった。
「助けてもらって、ありがとうございます」
さほど意味のない、言葉。オーフェンは彼女のほうは見ないまま、風とでも会話しているような心 地 でうめいていた。
「助けてねえよ。前にも言ったが。こんなこと、なんの解 決 にもならないしな」
「......そうですね」
「どうすりゃ解決するのかな」
つぶやくと、彼女はまた虚 を突かれたように、聞き返してきた。
「はい?」
んー、と悩 むような声をはさんで、
「やっぱり、鮫 はちょっと」
「いや、そーじゃなくて」
オーフェンは苦 笑 して、彼女を見やった。
「君の言った通りでね」
「はあ」
「俺も、やらにゃならんことがあるようなことを言って飛び出してきたんだが、考えてみりゃ、逃げ出してきたのと大差なかったかもな」
「あ、気にしないでくださいよ。わたしも売り言葉に買い言葉で言っただけで」
「気にするよ」
言ってから、笑う。頭の後ろで手を組んで、また風を感じつつ首を反 らした。
「......人を捜 してたんだけどな。正直、もうあきらめてる。五年も捜し回って、手がかりひとつない」
「人捜しなんて、そんなもんじゃないですか?」
「もう彼女は死んだことにされてて、俺のほかは誰も捜そうともしてない......多分」
風を感じられれば空は必要ない。彼は目を閉じて、あとを続けた。
「たまに、自分のほうが間違ってるって思うこともあるよ。彼女は死んでいるか、死んでるのと大差ない状態に──こう言うと突 拍 子 もなく聞こえるかもしれないが、本当に人間じゃなくなってるかもしれない」
触 れられるような風の感 触 が、暖かく重くなってくる。
「もしそうなら、それを認めたくなくて逃げ回ってるんだ、俺は」
と──
エリッセも、苦笑したようだった。鼻から漏 れる笑い声が聞こえてくる。
「ずるいですねぇ」
彼女は、そんなことを言ってきた。
「オーフェンさんの話、本当なのか嘘 なのか分かりませんけど。とりあえず慰 めてあげるしかないじゃないですか。そうなるとわたし、もう逃げられないですよね」
「別に、君を説 得 したくて言ってるわけじゃないよ。本当にただ、そう思ったん......」
ふと、目を開ける。
風が変化したわけではなかった。彼女がぴったりとすぐ横に、近 寄 ってきていた。その体温を感じていただけだったらしい。
「じゃあ、いっしょに逃げちゃいましょうか。わたしたち。新生活」
耳元に聞こえてくるそのつぶやきに──
答えられる言葉も、ひとつしかなかったのだが。
「......いいや」
「ほら、逃げてない。逃げられないんでしょ、多分。オーフェンさんは」
エリッセはそう言って、すっと立ち上がった。感じていた温 もりがなくなり、風がただの風にもどる。その風が重かったのは、彼女の匂 いだったのかもしれない。
ベンチから離 れた彼女の後ろ姿に、オーフェンは問いかけた。彼女がもうこの距 離 を後もどりしてくるつもりがないことは聞かずとも知れたが。
「これから、どうするんだ?」
「殴 っちゃったから。トレーナーに謝 ります。お詫 びに試合してあげてもいいですね。あのチャンプ、強いんですよ。勝てる気がしなかったんですけど」
彼女は肩 越 しにこちらを見やって、にっこりと笑ってみせた。軽く手を振って、
「まあ、いいやって気がしてきました。オーフェンさんは?」
「......見つからなくても、いいのかもな」
どうしてそんなことを言う気になったのかは、自分でもよく分からなかったが。
操 られるように、とは自覚していたが、そう口にしてから驚 いていた。その驚きも、どこへ出るともなく消えてしまったが。
エリッセが、口元に手を当ててから、その手をそっと差し出してくる。
「じゃあ、こんな約束どうですか。わたしが試合に負けて、あなたがその人捜しをあきらめたら、またここで会うんです。その時は、ふたりで逃げるってことで」
彼女の指先に触れて、うなずく。
「いいかもな。そんなのも」
「さようなら」
「ああ」
結局のところ──
再会を期 待 しない別れの挨 拶 を口にして、彼女は去っていった。その姿が公園から消えるよりも早く、空を見上げ、渦 巻 くような曖 昧 な模 様 を描 く雲を視線でなぞる。視線だけならば、雲にもとどく。夢 想 だけならば、どこにでも行ける。
「あー......」
無人の空に向かって、オーフェンはつぶやいた。
「ま、明日も頑 張 るか」
(これで終わりと思うなよ!:おわり)


たったったったっ......
宿 の外から聞こえてくる足音がある。
軽 やかと言うべきか、単に軽 薄 と言うべきか。すぐにでも転 びそうな、いい加 減 なリズムで刻 まれる音。
やがて、食堂の扉 が勢 いよく開かれ、スーツ姿 の女が飛び込んできた。子供のような声で大きく叫 んでくる。
「お久 しぶりっ!」
「............」
いつもの食堂のテーブルに、力無 く顔面を載 せたまま横向きに──
オーフェンは特に感 慨 もなく彼女を見やって、告 げた。
「昨日も会っただろ」
「あれ? そうだっけ?」
女は不 思 議 そうに首を傾 げると、食堂に入って扉を閉 めた。厨 房 から金 髪 の少年が顔を出し、彼女に問いかける。
「あ、お早うございます。なに食べます?」
「んー。えーと。そうね。昨日 の残りってなにかある?」
「冷 肉 がいくらかありますけど」
「それそれ」
彼女──コンスタンスは指 すように指 を振 りながらそう言うと、オーフェンと同じテーブルに腰 を下ろした。いまだ卓に倒 れているこちらの顔をのぞき込み、聞いてくる。
「......また飢 えてるの?」
「ああ。なんだかすっげぇ久しぶりな気がする」
「昨日も飢えてたじゃない」
「ううう」
空 きっ腹 を抱 えて、オーフェンはうめいた。なんとか顔を上げ、吐 息 を漏 らす。空腹にうねる内 臓 の上で、銀 製 のペンダント──大 陸 黒 魔 術 の最 高 峰 《牙 の塔 》の紋 章 がさらりと音を立てた。
「でもコギー、いつも悪いなぁ」
「なにが?」
目をぱちくりする彼女に、オーフェンはそのまま告げた。
「どうしていつもそんなに、意味もなく俺 に食費をくれたりするんだ?」
「飢えが脳 を侵 食 し始めてるのね......可哀 想 に」
コンスタンスはなにやら本気で哀 れむような眼 差 しをこちらに向けてから、胸 元 で小さな仕 草 をした。死人の墓 の前で適 当 な魔 除 けをするような動作にも見えたが。
オーフェンはその彼女の慈 悲 深 い言葉に瞳 を輝 かせた。
「ああ......俺は今気づいた。コギー。お前こそ、この世の救 世 主 だ。女 神 だ。どうしていつもそんなに、意味もなく俺に食費をくれたりするんだ?」
「あ、マジク君ありがとー」
彼女は聞いた様 子 もなく、この宿の息 子 ──マジクの運んできた冷肉サラダの器 を受け取って、こちらの手のとどかないテーブルの隅 に置いた。フォークを逆 手 に持って、明らかにサラダの中に入っているチコリを刺 すのとは違 う手つきでこちらに刃 先 を向けて牽 制 する。
伸 ばしかけていた手を引っ込めて、オーフェンは続けた。
「嬉 しいなぁ。どんなにつらくても悲しくても、俺には優 しい友達がいる。この幸せな気持ちをみんなに分けたいんだ。今の気持ちを紙に書いてみるから、それ買ってくれるよな? 一枚百ソケットくらいで」
「餓 死 者 も懐 に硬 貨 の一枚でも入ってなけりゃ、共同墓 地 に埋 めてもらえないのよねー」
あくまで他 人 事 の口 調 でサラダを食べ始めるコンスタンスに、オーフェンは席を立ってやけくそに声をあげた。
「どうしていつもそんなに、意味もなく俺に食費をくれたりするんだぁぁぁっ⁉ 」
「あーもーうるさいわね! わたしも給 料 日 前だし、しかもあんた先週貸してあげたお金返してくれてないじゃない!」
「返せるくらいなら飢えるわけないだろーがっ! 今の俺なら血も売れるぞっ!」
「売ってきなさいよガロン単 位 で!」
「なにぃ⁉ そんなに金持ちになってどうするっ⁉ 」
言い合っているうちに──
コンスタンスの朝食にオレンジジュースを運んできたマジクが、不思議そうに口を挟 んできた。
「あのー。オーフェンさん。なんていうか、前々から思ってたんですけど......」
「うん?」
聞き返す。と、少年は申 し訳 なさそうにあとを続けた。
「どうして普 通 に働かないんです?」
「いや、働いてるぞ果 てしなく。儲 かってないだけで」
「お金貸しとかじゃなくて、もっと普通の......」
「未 登 録 の魔術士が働こうとすると、いろいろ問題があるしなぁ」
腕 組 みしてオーフェンが答える。当たり前のことで、今までもそんなことは何度も説明したことだった。が、マジクは退 かずに、
「ですから、魔術士とか関係なしに。普通の働き口って探さないんですか? バイトくらいだったら、未登録住人でもなんとかなるんじゃないかって思うんですけど」
「............」
しばし、聞かされた言葉を反 芻 する。
時間をかけて脳がその概 念 を吸 収 し、全身へと行き渡 る感 触 をオーフェンは見守った。ぽん、と手を打つ。
「それだ」
「そもそもそういうことができる人間なら、苦労はないと思うんだけど......」
コンスタンスのつぶやきは、とりあえず無 視 することにした。
「稼 いできたぞ」
がしゃーん。
トレイごと食器を落とし、そのままマジクが床 に倒 れた。さらに大 袈 裟 な音。テーブルを抱 えて、コンスタンスもまた横倒しに転 倒 する。意味もなく窓 が割 れた。二階の階段から、がたたたたた、と壊 れた玩具 のように栗 色 の髪 のウエイトレスが落下してくる。さらには、厨 房 から大きな火の手があがる。
「火事よー!」
騒 ぐ従業員を半 眼 で見やりながら、数枚の紙 幣 を手にオーフェンはうめいた。
「......なんでだ」
「いったいなにをしたのよ!」
がばと跳 ね起きて、コンスタンスが叫 んでくる。食べかけのパスタの皿を逆さまに頭にかぶったまま早足で近づいてくると、手元の紙幣をまじまじと見つめ、
「どういうこと......? この紙幣は物理的に存 在 しないもののはず......なのに目の前に在 る。パラドックスだわ。たいむぱらどっくすせんせーしょーん!」
「やかましい!」

両手を口に当てあさっての方角に大声をあげるコンスタンスを、オーフェンは怒 鳴 りつけた。
手にした金額を広げて彼女に突 きつけながら、
「なにもおかしいことはないだろーがっ! 普通に働いて普通にもらったバイト料だ。なんで物理的に否定されにゃならんのだ!」
「い......いったい、どんな種類の犯 罪 ちっくな非合法的擬 似 労働、ていうかついうっかり警 察 が見 逃 してしまってるかもしれない悪事を働いてきたの? お姉さんに正直に白 状 しなさい。罪は償 えるのよ。人生はやり直せるのよ」
「いや、普通に港で荷物運びを手伝っただけなんだが」
「そんなあり得 ない幻 想 はどうでもいいの。悪 魔 ね? 悪魔と取引したのね。いくつめの願いでお金を手に入れたの? まだ間に合うわ。みっつめのお願いはまだ使ってないわよね?」
「だーかーらーなー」
コンスタンスの頭をパスタ皿ごと掴 み、オーフェンは顔を近づけた。斜 め下から睨 みつけ、低い声 音 でゆっくりと繰 り返す。
「こ・れ・は、正当な報 酬 として受け取った俺の稼ぎだ。分かったか?」
「分かったわ。殺したのね。だから話せないのね。被 害 者 の遺 体 はどこに隠 したの? 自 首 しなさい。いーから自首しなさい」
「はっはっはっはっはっはっはっ」
乾 いた笑いを漏 らしながら、オーフェンがコンスタンスの首を絞 め上げていると、横からマジクが目元にハンカチを当てて近づいてきた。泣き声で言ってくる。
「父さんが......父さんが」
「今度はなんだ?」
「もし友達が間違った道に進もうとしているのなら、その人に代わってそれを正してあげるのが友達の義 務 だって」
「なんで包 丁 持ってきてるんだよ!」
マジクが携 えている包丁をはね除 けて、オーフェンは声を荒 らげた。
「だいたい、バイトしてこいっつったのはお前じゃねーか!」
「まさかぼくの発言を曲 解 して、そんな犯罪に手を染めてしまうなんて思ってなかったんです」
「だからっ! これは普通に稼いだまっとうな──」
「オーフェン様っ! 見 損 ないましたわぁぁぁー!」
「ええいっ! なにかを狙 ってるように次々とっ!」
絞め上げられ、よだれを垂 らして落ちたコンスタンスを横に捨てながら、オーフェンは振り向いた。ちょうど叫びながら突 進 してくるウエイトレス──ボニーが栓 抜 きを持って飛びかかってきたところだった。
身体 をひねってそれを避 け、振り返ってくる彼女を油 断 なく見張っていると、ボニーは大きな瞳に涙 を溜 めながら、ついでに栓抜きは決して捨てずにじりじりとにじり寄ってくる。
「ああああああ。わたしのわたしのオーフェン様は、わずかなお金欲 しさに罪もない老人を襲 ったり、ちびっこハウスを焼き払 ったりするようなお方ではありませんでしたのに......」
「妙 なサイドストーリーを捏 造 するなっ!」
「わたし......わたし、そんなオーフェン様は見たくありませんわ。でもいつの日にか、いっしょに笑いあえる日が来ますわよね? だから、わたし、今は戦いますわ!」
「うわ。なんだか妙に格好 いいこと言ってるし」
オーフェンは頭を抱えて、とりあえずボニーとの距 離 を取った。ずっと持っていたソケット紙幣を懐 にしまう。マジクにも警 戒 の目をやりながら、苦 々 しくうめいた。
「いったいどう言ってやったら理解するんだろうなこの連中は......」
と。
ばんっ!
──唐 突 に、食堂の扉が開く。
そこに立っていたのは、厳 めしい顔つきの男だった。さして風が吹 いているとも思えないが、トレンチコートの裾 がはためいている。
ダイアン・ブンクト部長刑 事 は、いつもの低い声 音 でぼそりとつぶやいてみせた。
「ここか? 史上まれな凶 悪 犯罪が発生したという通報があったのは......」
「絶対なにかおかしいだろそのタイミングはぁぁぁっ!」
指さしてオーフェンが叫ぶが、誰も聞かない。仁 王 立 ちのダイアンの背 後 から、わらわらと警官隊が入り込んでくるのを見つめながら、ぐったりとオーフェンは続けた。
「そーかいそーかい。お前らあくまで、俺を追いつめるつもりか......」
「そこの凶悪犯、抵 抗 はやめておとなしくしなさい。繰り返す。おとなしくしなさい」
「なんてことだ。人 質 が取られているぞ!」
「あそこに倒れているのはコンスタンス三等官ではないのかっ⁉ 」
「繰り返すそこの凶悪犯......」
口々に勝手なことをまくし立てる警官隊に、オーフェンはゆっくりと手をあげた。降 参 の角度にではない──差し向けるように真っ直ぐ、右手の掌 を警官らに向ける。
「こうなりゃ──」
魔術の意 志 を込めて、オーフェンは渾 身 の叫びを発した。
「最後まで戦ってやるぁぁぁっ!」
彼の手の先で膨 れあがった熱 波 と衝 撃 が。
爆 発 し、すべてを薙 ぎ払 う。
吹き飛ばしたのは──
警官隊ではなく 。
食堂の、手近な壁 だった。大 穴 が開いて、外への道ができている。
爆発に戸 惑 っている警官隊らを後 目 に、オーフェンは素 早 くその穴から外に飛び出した。こちらの逃 亡 に気づいてか、警官隊が声をあげるのが聞こえてくる。
「逃げたぞ!」
「なにぃ、投 降 せず逃亡した?」
「後ろ暗いことがあるから爆破テロを起こしてそのどさくさに逃げた⁉ 」
「奴 は爆発物テロリストで既 に何百人も殺害している⁉ 」
「俺の妹も奴に殺されたんだ!」
「なんでだぁぁっ⁉ 」
理 不 尽 に拡大する警官らの解 釈 に対して叫び声をあげながら、オーフェンは道を駆 けだした。多少の距離は開いたが、壁の穴からわらわらと、追っ手の警官が飛び出してくる気 配 も分かる。
「待てー! 貴 様 の走るその道は引き返せない悪の道だぞー!」
「それ以上罪を重ねるな! 俺たちを絶 望 させないでくれ!」
「俺がいったいなにをしたー⁉ 」
言い残すようにそう叫び、オーフェンは走り続けた。とてもではないが、今捕 まれば法的な権利が保証されるとも思えない。というより、果てしなく撲 殺 されそうな雰 囲 気 ではあった。
「なんなんだこの展開はー!」
大通りに飛び出す。道はまだ通行人で溢 れていたが、走れないほどではない。と、視 界 の隅 から小さな影 が前を横切ろうとしていることに気づき、オーフェンは足を止めた。ぶつかりそうになったのは、小さな子供だった。咄 嗟 のことに驚いてつまずいたのだろう。べたっと転んでこちらを見上げた。
嫌 な予 感 を覚えつつ、オーフェンはその子供を見下ろした。想像通りに──
「うわぁぁぁん! やたらと目つきの悪い黒ずくめの男が蹴 飛 ばしたよぉぉう」
「だー!」
泣いた子供に道 理 を聞かせることはあきらめて、オーフェンは周囲に向かって声を張り上げた。
「俺はなんにもやってな──」
「きゃあああっ! 坊 やー! わたしの坊やー!」
「ああっ! 早くに旦 那 を亡 くして苦労人で有名なキャサリンさんとこのお子さんが、いかにも犯罪者然とした男に襲われているぞ! こんな恐 ろしいことが許 されるのか⁉ 」
「なんだって⁉ うわぁ見ろ、本当に凶悪な人 相 だ!」
野 次 馬 たちが、次々と叫び出す。
その抗 議 の視線の真ん中で、オーフェンはしばし呆 然 と見回していたが、
「なんの陰 謀 なんだこれはー!」
とりあえずわめいて、その場から逃げ出す。出てきた路 地 にはもどれないため、正面の人だかりを押 しのけながら。
「うわー! こっちに来たぞ!」
「凶器を持っているかもしれないわ!」
「でかい斧 を振り回して襲いかかってきてるらしいぞ!」
「............」
ますます途 方 もない泥 沼 にはまっているような自覚はあったが、逃げるのをやめるわけにもいかない。
なんとか人混みを突っ切って後ろを見ると、人だかりは大騒ぎはしていたが追いかけてこようとはしていなかった──そのあたりが野次馬の持ちうる正義感の限界だろう。だが、オーフェンが押しのけてきた人混みの隙 間 から、今度は警官隊が姿を見せる。
「みなさん無事ですか⁉ ここは危険です。避 難 してください──」
「大丈夫です。あの凶悪犯は、我 々 が捕 らえます!」
そのまま、手に警 棒 を構 えたごつい警官らが率 先 して追 撃 を開始してくる。
「泣きたい」
つぶやきながらオーフェンは、速度を上げた。
実際、泣いている暇 もなかった。騒ぎは加速度的に膨 れあがり、こちらが走る速度に数倍する速さで、通行人のいい加 減 な噂 が広まっていく。オーフェンがどこまで走っても、そのたびに悲鳴やら、こちらを指さしてわめく罵 声 、でたらめな憶 測 に出 迎 えられる。
「なんだ⁉ なにが起こったんだこの平和な俺たちの街に!」
「殺 人 鬼 よ! 殺人鬼が現 れたのよ!」
「奴は夜 な夜な若い女性ばかりを狙ってその住処 で解 剖 し体内脂 肪 の付き具合を調べるのが趣 味 という猟 奇 的 な──」
「それだけじゃないわ! わたしが聞いたのは、その男は地上破 壊 爆弾を作って政府を脅 して──」
「うわーん!」
実際に身の危険を感じたというより、際 限 なくエスカレートしていく噂に耐 えられなくなって、オーフェンは通りから別の裏道へと駆け込んだ。
きちんと道を選べたわけではなかったが、幸いにも人 気 のない裏路地だった。ともかくも、わけの分からない悪評を聞かされることはない。執 拗 に追いかけてくる警官隊の呼び子の音も多少は遠ざかったような気がして、オーフェンは息をつこうとゴミ箱の陰 に逃げ込んだ。
深 呼 吸 し、ひとりで頭を抱 えていると、人の気配を感じた。
はっと、座 ったままで構えを取る。いつの間にかすぐ隣 に、黒マントに黒いフードで姿を隠した男が忍 び寄ってきていた。ただ者でないことはすぐに知れた──ここまで接近されて、足音ひとつ感づかせなかったというのは。
「しっ」
すぐさま突き出そうとしたこちらの拳 を押さえ、その男は制止の声を発してきた。
「ご安心を。敵ではありません」
冷や汗 が流れるのを自覚しつつ、聞く。
と、男はさらに声をひそめて答えてきた。
「わたしたちは、市民の意識革 新 を目指す自由の団体、『逆 棘 薔 薇 の聖 騎 士 団 』の者です。事情は存 じ上げております。さあわたしたちの基 地 へ」
「待たんかい」
「は?」
「罠 だろ! どうっ考えても罠だろうこの転落の仕方はっ!」
緊 張 も忘れて、オーフェンはその男の手を振り払った。
きょとんとした様 子 で、その自由団体の男とやらがつぶやく。
「なにをおっしゃっているんですか? 我々はこの偽りに満ちた時代に、ひとりでも多くの同 志 を必要としているのです。聞けばあなたは語 る こともできないほどの破 滅 的 な凶悪犯罪を犯 して逃げているとか」
「確かに語れないが......なにもしてないし」
「偽 りの秩 序 と法を全面的に否定する我らの同志として、是 非 ともお迎 えしたいと──」
「帰れ。基地でも沼でもどこにでも永遠に潜 ってろ。いーから」
「そんなっ! 我々の助けも得ず、たったひとりで悪事を続けていくのですかっ⁉ なんて立 派 な......」
「うがーっ!」
既 に答えるべき言葉も思いつかず、オーフェンはその男を殴 り倒した。と、刹 那 。
「いたぞー! この道だ!」
「うげっ」
騒ぎ過ぎたのだろう。道の入り口に、警官隊が姿を見せる。オーフェンが慌 てて立ち上がると、黒マントの男が素早く前に出た。
両 腕 を広げ、彼と警官隊の間に立ちふさがる。
「ここはわたしに任 せてお逃げください! 分かっております、ここで別れようとも、我らの志 は同じだということ──」
「違ーう!」
オーフェンは叫んだが、男はまったく構わずに涙を流しながら警官隊に向き直った。
「ここは通さんぞ! 我ら暗黒の教義に従う者、このお方は来るべき邪 悪 の世紀に必要とされる方だ!」
「なにぃ⁉ そうか、邪 教 団 が関 わっていたとは!」
「この事件はどこまで広がりを見せるんだ⁉ 奴は破壊の申し子か!」
「負けん! 俺はもうこれ以上、あんな奴のために誰かが涙を流すのなんて見たくないんだ!」
好き勝手に盛り上がる邪教団の男と警官隊に──
「なんで、お前らには俺の声が聞こえんのだっ⁉ 」
オーフェンは思い切り叫んだが、それこそ誰も聞こうとはしない。
「はーっはっはっ! 偽りの秩序にしがみつく愚 かな偽 善 者 ども! ここは通さんと言っただろう!」
突きつけた指の先で、邪教団の男がマントを広げた。その身体に、無数の筒 状 の物体がくくりつけてある。
警官のひとりが、驚 愕 に引きつった声をあげた。
「ばっ......爆 弾 っ⁉ 」
「怖 じ気 づいたかこの愚か者がぁっ!」
高らかに笑った後──
数秒ほどの沈 黙 を挟 んで、男はマントを広げたまま、警官隊に問いかけた。
「で、誰か火を貸してくれません?」
「突撃ー!」
警官らの吶 喊 の声を背に、オーフェンはさらに道の奥 へと逃げ出した。
それでも、立ちふさがった黒マントの男が邪魔になってだろう──警官隊の追撃は遅れたようだった。再び距離を引き離 し、道を駆けていく。人に出くわすたびにろくなことになっていないような気がして、あまり人通りもないような狭 い裏道や建物の隙 間 を選んで走っていった。ゴミ箱を乗り越え、猫の通り道でも追 跡 するように進んでいると、狭い路地に声が響き渡る。
「モグリさぁぁぁんっ!」
聞いた瞬 間 、オーフェンはうずくまった。
「まためんどくさいのが......」
「とぉぉっ!」
声が聞こえてきたのは、頭上からだった。
見上げるのも嫌 ではあったが、視線だけ、ちらりと上方に向ける。ビルとビルの隙間となる、道と呼ぶのもおこがましい通路。
建物の高さは地上四、五階ほど。その屋上から両側の壁に手と足をつけて、奇 怪 な虫のような動作でかさかさと下りてくる。
凄 まじい速さではあった。まるで落下してくるような──
「きゃあああああっ⁉ 」
落下してきているらしい。オーフェンは目を閉じて、後ろに下がった。その彼の眼前にあるゴミ捨て場の上に、魔術士同盟職員の制服を着た娘 が垂 直 に激 突 する。
が、怪 我 もなかったのか、それとも単に丈 夫 なだけか、彼女はすぐさまゴミの中から跳 ね起きた。
「モグリさぁぁぁんっ!」
「どこから出現したんだ! どこからっ!」
とりあえず気になって、オーフェンは叫んだ。彼女は顔馴 染 みで、同盟職員のラシィ・クルティだった──大きな目をさらに見開いて、当人としては大 真 面 目 な緊 張 の面 持 ちで、もたもたとゴミ箱から這 い出してくると、
「なにか黒魔術士が口にするのもはばかられるような、ものすさまじい犯罪に関与したとかで駆けつけてきましたぁ! 犯罪といえば間違いなくモグリさんだと思ってましたけどやっぱりモグリさんでしたね!」
「いや、それはともかくいったいどーやって上から......」
「大騒ぎになってましたから、上司に手伝ってもらって空から探 索 してたんですぅ!」
「......あいつ──いや、ええと、お前の上司は空飛べるのか?」
聞き返しながらオーフェンは、建物の隙間にある小さな空を見上げた。どこにも人影のようなものはないが。
「飛べるみたいですぅ。よく分かりませんけど。そんなことより──」
ここまでしゃべってようやく、ラシィはゴミ箱から脱 出 した。両手を伸ばして詰 め寄ってくるが、それには捕まらないようオーフェンはさらに後 退 りした。
避けられたことには構わず、彼女はさらに声を大きくしてきた。
「どういうことなんですかぁっ⁉ モグリさんは確かにモグリさんであって非合法原子によって構成されている特 殊 な物体だとは思ってましたけどぉ、まさかそんな、拭 おうとしても拭えない歴史的大罪を犯 すほどの人だったなんてぇ!」
「俺はなにもしてないっ!」
叫ぶ。
が、予想していたことではあったが、彼女はまったく聞く耳なくあとを続けるだけだった。ひとりでうんうんとうなずくと、

「そうですか分かりました。悪いのはみんな世間です。でもモグリさんは忘れてますぅ。名もない人たちの小さな幸せを奪 う権利は誰にもないのだということを」
「ていうか言ってくれ。俺はいったいなにをしたんだ。誰でもいいから説明してくれ。頼 むから。なぁ、おい」
「自 暴 自 棄 はいけませんモグリさん。モグリさんのような人でもきっとやり直せるはずですぅ。まずは被害者の遺 族 にひとつひとつ謝 罪 していきましょう。許されることを期待してはいけませんよ──モグリさんはそれだけのことをしてしまったのですから」
「............」
さすがに面 倒 くさくなって、オーフェンは半眼で一歩退 いた。ラシィは気づかず、拳を固めて演説を続ける。
「罪を犯してしまったモグリさんは、もう今のままでは社会に居続けることはできないんですぅ。残 酷 だと思いますか? でも仕方ないことなんですぅ」
目 測 をつけるために、オーフェンは見上げた。ラシィは頭を下げ、独 り言に夢中になっている。彼女の落下のせいでゴミ箱は破損し、あたりにゴミが散らばっていたが、それは大 勢 に関係ない。
「わたしは知ってます。モグリさんはそんなに言われるほど悪い人じゃないって......ただ行動が粗 暴 で生活が怠 惰 で発想が単純な上、口 汚 くて誤 解 を受けやすいだけなんです。あと基本的に無職で義務感が欠 如 していて生活力が皆 無 でなにかっていえば暴力で解決する厄 介 なヤクザ体質ですけど、でも、そんなに悪いところばっかりってわけでもないって思うんですぅ!」
「............」
半分ほどは聞き流してオーフェンは、彼女の頭上を見上げた。そろそろ警官隊の気配が近づいてきている。両手を縮 め、反動をつけて飛び上がる──
「モグリさんの良いところは......ええと、そうですね。あれです。なんていうか......その、つまり、いいですか? 分かってるんです。分かってるんですよぉ。分かってくれましたよね?」
ラシィの頭の上、建物の壁に挟まれたスペースに、オーフェンは両手を突っ張った。そのまま身体を引き上げるようにして、彼女の上を通り抜ける。
無事に向こう側に着地して、ちらりと背後を見やると、ラシィはまだひとりでぶつぶつしゃべり続けていた。
「ですからモグリさん、お願いですぅ。自首してくださいぃ。それで丸く収 まるんですからぁ」
涙ながらに訴 える彼女の向こうに、警官隊の姿が見えた。
オーフェンはそのまま、また逃げ出した──通路を抜けて、また別の大通りへと出る。
「きゃああああ⁉ 」
これは警官隊にラシィが踏 み倒された音だろうが、そのあたりは無視することにした。へたをすると、こんなことも自分の罪にされかねない。いや、されているのかもしれないが。
大通りに出ると、幸い、まだここまでは騒ぎが伝 播 していないようだった。ごく普通に人の流れが、夕食時の賑 わいを見せている。
しばしの間走り続け、ようやく警官隊も引き離したと感じてから立ち止まる。さわさわと流れる談 笑 の気配が薄 ら寒くすら感じられ、オーフェンは近くの露 店 の横に座り込むと両手に顔を埋 めた──上がった息を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
(どうすりゃいいんだ......?)
わけが分からない。途 方 に暮 れてオーフェンは、口の中で声に出した。
「どうすりゃいいんだ......片っ端 から魔術で吹っ飛ばして黙らせるわけにもいかんし。それじゃそれこそ犯罪者だ」
なにもかもが理不尽だった。
だが、負けるわけにはいかない。懐 にしまった紙幣の感触を確かめながら、彼は決意を固めた。
「こーなったら、誰も傷つけないでなんとか逃げ延 びるしかないか」
「はーっはっはっはぁっ! 黒魔術士、進退窮 まっておるようだな! このマスマテュリアの闘 犬 が、きれいに後 始 末 をつけ殺してくれようと親切に登場ー!」
「あー、兄さん、ぼく既 に次の展開が見えてるんだけど......」
「我は放つ光の白 刃 」
声の聞こえてきた方向を見ることもなく、オーフェンは唱 えて熱 衝 撃 波 を炸 裂 させた。視界の隅に見えていなくもなかった人影ふたつが、爆発の中に消える。
爆発に人通りが騒 然 とするが、それは無視してオーフェンはさらに叫んだ。
「とにかく、誰も傷つけないで逃げ切ってみせるぞ!」
「それは無理なのです黒魔術士殿 ぉぉっ!」
「............」
静 寂 。
通りの喧 騒 すら静まった。
野 次 馬 さえ、なにかを感じ取ったというのか──足を止め、あたりを見回している。その中でオーフェンは立ち上がりこそしたものの、顔は地面に伏せて口早につぶやいた。
「そーいえば、やたらと知った顔が出てくるわりには、どぉぉぉもお前だけ姿がないんでおかしいとは思っていたんだ。いちいち警察をつれてきたり、騒ぎをややこしくしてるのはお前だな?」
「その通りです......いいや」
と、声は一 拍 おいて言い直してきた。
「その通りかもしれません!」
「曖 昧 になるのかよ」
一応言っておいてから、オーフェンは顔を上げて見回した。声はすれども姿はない。こんなことは慣 れていた。
そして──
突然に、近くの民 家 の屋 根 に人影を見る。こんなことにも慣れていた。
「ははははははは!」
夕日の円の中に立ち、顔かたちの知れない人の姿。シルエットは馴 染 んだものだった。それは大きく哄 笑 し、高く両腕をあげてみせた。見入っている観衆に、さらなる笑い声を浴びせかける。
「はははははははははは!」
「我は放つ光の白刃っ!」
躊 躇 なくオーフェンは、魔術を解 き放った。放たれた白光は標的を捉 えることなく夕日の中に虚 しく吸 い込まれていく。そこにいたはずの人影は、大きく跳 躍 して地上へと降 り立っていた。
「ははははははははは!」
またひとしきり笑い声をあげてから──
赤黒二色の覆 面 で顔を隠したタキシード姿の男が、優 雅 に一礼し名乗りをあげる。
「こんばんは。ペトラッチャ・シュナイダーです」
「誰だよっ⁉ 」
叫ぶ。
覆面の男──正体が分からないはずもないその男はそのまま、覆面の上からでも想像のつく無表情できっぱり答えてきた。
「生き別れの兄です」
「認めるかそんなものっ!」
「では、予 選 で死んだと思われていた仲間が覆面をつけて謎 の助 っ人 ......」
「余 計 に認めるかっ!」
立て続けに否定し、じっとにらみ合う──男は困ったように嘆 息 してみせた。落 胆 の仕 草 でかぶりを振り、
「むう。ひょっとしてお久しぶりなので黒魔術士殿はお忘れになってらっしゃるのかもしれませんな。わたしたちの宿命の戦いはそのような展開バリバリの中、諸 般 の都 合 により中断し、いったい結末はどうなったのだろうかと周囲をやきもきさせていたはず......」
「特に久しぶりじゃないしそんな展開聞いた覚えもないしそもそもお前の言ってることさっぱり分からん」
「むう」
覆面を外して、その男──キース・ロイヤルは不思議そうに言ってきた。
「黒魔術士殿は冗 談 がきついですな」
「それはお前にだけは言われたくない」
そこだけは譲 れず、告げる。
キースはすたすたと近寄ってくると、こちらの懐に手を伸ばした──オーフェンが素早く半身を退いて、その手を空振りさせる。さらにしつこく伸ばしてくるキースの手を、オーフェンは今度は叩 いてどけた。

またしばし見つめ合い、キースは手を下げると真顔で口を開いた。
「どうして邪魔をするのですか? 黒魔術士殿」
「いや......ここに金入れてるし」
ジャケットの内ポケットを手で押さえながら、オーフェンは相手を冷たく見やった。
が、キースはじりじりと接近を続けようとする。
「世界を守るためです、黒魔術士殿」
「なんの話だ?」
変 態 執 事 の動きにあわせて、オーフェンは後退りした。いつでも破壊的な魔術を編 めるよう意識を整 えながら、相手の言葉に注意する。
「まだ気づいておりませんか?」
キースは、こちらに白手袋の指を突きつけてきた。
「すべての根源はそこにあるのです。なにかがおかしい。そうお思いではありませんでしたか?」
「いや、全部お前のせいなんだろ」
「世界の均 衡 を崩 したのはわたしではありません。黒魔術士殿が物理原則に反した行動をしたために、時空の崩 壊 が始まったのです」
「そ、そこまで言われにゃならんのか......」
「仕方ありません」
沈 痛 な面 持 ちでつぶやき、キースは続けてきた。
「すべてなにもかも、世界の安定のためなのです。ここは黒魔術士殿 も大人にならなければなりません」
「............」
オーフェンは、しばし沈黙していたが──
やがて、嘆息して漏らした。懐からソケット紙幣を取り出し、眺 めると、
「そぉか......これのせいか。こんなものが手に入ったせいでここまで追い回されるのか」
横からキースが、拳を振って同意してくる。
「そうです。そんな一握りの紙切れのために毎日のように悲劇が起こる。社会の病 巣 、心の墓 場 です。世の中狂 ってます」
「なんか今回の件とは微 妙 に関係ないような気もするんだが......」
オーフェンはあたりを見回すと、肩 をすくめてつぶやいた。
「分かった。もう捨てちまおう。こんなものは......」
と、その場に紙幣を投げ捨てる。
ふりをしてまた握り直す。
紙幣が投げられそうになった地面に、凄 まじい素早さで、キースが滑り込んで両手を広げていた。
それを、じっと見下ろす。
キースは無表情に、こちらを見上げている。
視線を合わせていたのは数秒。オーフェンは目を閉 じて、うめいた。
「そこまでして──」
紙幣を握っていない左手を広げ、振りかぶると、
「人の稼いだ金をパクりたいかぁぁっ!」
叫びとともに放った熱衝撃波が、キースを吹き飛ばす。
野次馬の悲鳴が広がった。警官隊の呼び子の音が聞こえてくる。オーフェンは紙幣を握りしめると、大きく、強く叫び放った。
「こうなりゃ最後まで戦い抜くぞ! 俺は無実だぁぁっ!」
そして。

それまでに破壊された物。宿一軒 。舗 装 道路に大穴ふたつ。
その後も、建物いくつか。運河の基 礎 に致 命 的損傷。橋がふたつ。人的被害軽傷者多数。警官隊にも負傷者多数。
翌朝、器 物 損 壊 の罪 状 で身 柄 を拘 束 されるまで、彼は自分の無実を訴え続けた......
(これはいったいなんなんだ⁉ :おわり)

【トトカンタ魔術士同盟・現在】
「おはようございまぁす......あれ?」
「やあ、おはよう」
ラシィ・クルティは子供たちを早めに学校に送ってから、いつものように朝九時にオフィスに入る。
いつもなら、挨 拶 をしても誰 が答えるわけでもない。悪名高いトトカンタ魔 術 士 同盟のこの根城には、もっと朝早くから仕事に入っているような者もちらほらとはいる──前日から泊 まり込んでいる者のほうが多いか。ともあれ、一部の荒 くれ者の後始末に追われる同盟員は休みなく追われ続けている。が、その問題の暴れ者らはこんな時間に顔を見せることなどなく、彼らの仕事場はゆうに昼過ぎまでは静まり返っている。そしてラシィの上司のオフィスはまさにその一角にある。
だが今日はオフィスに上司が座っていた。その姿を見てラシィは目を丸くした。
「どうしたんですか、こんな時間に。珍 しいですねえ」
「まあね」
トトカンタ魔術士同盟のトップであり、キエサルヒマではもっぱら悪の総 帥 と目されるハーティア・アーレンフォードは、疲 れ切った顔でかぶりを振 った。
「ああ、片づけはいいよ。昨日の処理の続きをしないとならない」
「昨日って、市庁舎が爆 発 した件でしたっけ?」
「いやそれは片づいた。それとは別に、君が帰った後、メインストリートで亀 の甲 羅 を背負った大男が鉄球を振り回して通行人を脅 してるって報告があってね」
「......それってうちとなにか関係があるんですかあ?」
首を傾 げるラシィに、半眼でハーティアがうめく。
「うちの同盟員に、いつも亀の甲羅を背負ってて鉄球を持ってる大男がいるのを見たことない?」
「あります。亀甲羅のゴライアスさんですよね。鉄球を振り回すことによって通行人を脅すことなどがしてええって口 癖 のー」
「共通点があるって思わないの?」
「ああっ、そういえば! 縦糸と横糸がいま一枚の絵を!」
「いやまあいいんだけど」
まさかの展開に狼狽 えるラシィに、何 故 かハーティアはぐったりしたまま、
「そんなわけでゴライアスの行方 を追ってたんだけど見つからなくてね。捜 してたら今度は髪 の長い陰気な男がけたたましく笑いながら民家の窓を割ってるところに出くわした」
「ああ、髪の長い陰気な男ならいないから大 丈 夫 ですよねえ」
「いや、サーシャスだったんだけど」
「ええーサーシャスさんはああ見えて陽気な人ですよう。だって血みどろ火山のサーシェスって名乗ってるんですよ」
「うんサーシャスなのに通り名がサーシェスだからややこしいんだよね。ってどうかなー陽気かなー血みどろ火山ぼくは微 妙 なラインだと思うなー」
「個人的な見解はこの際どうでもいいんじゃないでしょうか」
「そうだね。で、サーシャスの野 郎 すぐ逃 げ出したもんだからそっち追いかけてたら、また別のがね......」
「あ、わたし片付けなくていいなら、向こうで朝ご飯食べてていいですか?」
「ええーまさかの興味なしー?」
ばったりと、ハーティアがデスクに突 っ伏 す。
紙 袋 からサンドイッチを取り出しながら、ラシィは訊 ねた。
「今回は、正義のヒーローは助けてくれなかったんですか?」
「うーん......まあね」
「どうしてなんですかねえ。謎 の男、ブラックタイガー。うちの若い人たちが街で暴走してる時は、いっつも現れてお仕置きしてくれるのに」
「なんでだろうね。衣 装 のクリーニングが間に合わなかったのかもね。一昨日、下水でネズミ軍団作ろうとしてたコルスタインを懲 らしめた時にひどい目に遭 ったようだから」
「なんか昔から変な人多いですよね、この街って」
「まあね。そこはかとなく、そんな気するよね」
ぐったりした上司に、ラシィは首を傾げた。
「理由、あるんですかねえ?」
「どうだろ。ぼくがここに来るより前は、なんだかもっと殺 伐 とした街だったって話もあるけど」
「そうなんですか?」
「凶 暴 なギャング団が街の裏側を仕切ってたりね」
「へえー。あ、わたし午後にベビーシッター頼 めなかったので、ちょい抜 けしたいんですけど」
「わーやっぱりの興味なし」
また力尽きる上司だが。
ラシィは肩を竦 めた。
「別に興味ないわけじゃないですようー。ただちょっと、あんまり聞いてなかっただけで」
「あーはいはい。いいです。好きな時に抜けていいから」
「はーい」
と、オフィスから出ていった。背後で、上司の深いため息を聞きながら。
【トトカンタ・三十三年前】
トトカンタの郊 外 。取り立ててなにがあるわけでもない荒 野 にて。
それはなんの前 触 れもなく出現した。
いや、そこになんらの因果がなかったのかというと、それも違 う。
極 めて強大な魔術が行使されたのだが、それが使用されたのは遠い過去のことだった。
魔術士の母として知られる、大陸で最も強大な術者のひとりであった存在が、己 の弟 子 を未来に送ったのだ。
かつて、魔術士狩 りと呼ばれた戦乱の時。この大陸の支配者であった天人種族が滅 び、次に君臨する者が見えていなかった、その空 隙 に戦いは起こった。
魔術士の母は、己が種族の死は避 けられぬものと悟 っていたが、それにより将来起こり得 る災 厄 も予見していた。
後 継 者 として人間種族の魔術士を生み出した彼女であるが、天人種族のすべての力、遺産を受け継 がせるにはまだ未熟。しかも世には戦乱が吹 き荒れ、あまりにも機運が悪い。魔術士に肩 入 れすればより大きな反発を招くかもしれない。もっと悪ければ、力を得た魔術士が無力な人々を滅ぼそうとするかもしれない。
他に手段もなく、彼女が取った策とは。
すべての知識と技 を教え込んだ弟子を、災厄の待ち受ける未来に直接、送り込むこと。彼女の最後の秘術となった、疑似時間転移術によって。
それが彼女の、超 人 の計画であった。
チャイルドマン・パウダーフィールドと名乗る男はそこに出現し──つぶやいた。
「ここからすべてが始まる......」
夜だった。
見上げれば昔と変わらぬ星空。
彼にとっては一 瞬 しか過ぎていなかったが、肌 に感じる風の冷たさが年月を悟らせた。
自分の生きてきた時代とは異なる。彼が生きたのは戦乱だった。今ではその戦火も収まり、焼けた残 骸 を下 敷 きに格好をつけられた、停 滞 した平 穏 が満ちている。
未来を知るわけではないが、彼は知っている。その平穏は長く保 たない。世界の破局は遠からず始まる。それを防ぐためにここにいる。のだが。
「で、わたしは誰だ」
あたりを見回して、彼は首を傾げた。
「記 憶 がないのだよ」
かがみ込んで彼は、説明を続けた。
「なにか重大な使命を帯びていた気だけはするのだが。そんなに重大なら、誰か知っていてもよさそうなものだ。そうだろう」
「ワン!」
「そうか。あまり聞いたことのない言語だが不思議と意味は理解できる」
「ウー......」
「とりあえず街のほうにやってきたのだが、毛むくじゃらで尻 尾 の生えた小 柄 な人間しかいないとは。変わった街だな。いや変わっているのはわたしのほうかもしれないが......」
「あのー」
「はっ!? 」
後ろから話しかけられて、彼は立ち上がった。
不可解な展開に思わず怖 気 を震 う。
「どういうことだ......ここには毛むくじゃらでもない尻尾もないものもいるのか?」
「ええ、まあ」
「待て。これは犬小屋か。ということは、犬がいなければおかしい。この時代には、犬は毛がなくて直立するのか」
「時代?」
犬に訊 き返されて、彼はうめいた。
「いや、なんのことだろう。時代? わたしはなにを言っているのだ......」
「いやまあいいんだけど。あんた大丈夫か?」
「うむ。親切な犬だな。よしよし」
「うん。首撫 でるのやめて欲しいんだけど」
「ところでこの世界だが、破 滅 寸前になっていないか? そんな気がするのだが」
「ワン!」
「なんで犬に話してんの?」
「よしよし。これは坊 やの犬か?」
「ワン!」
「ちゃんとつないでおきなさい。自分がつながれてないで。きちんと管理できないなら飼ってはいけない」
「クウーン......」
「意外と会話できてるな、あんた」
「よしよし」
といった、奇 妙 な犬とその飼い主とも別れ、街の中を進んでいく。
すべては珍 奇 な風景に感じられた。それは記憶がないからなのか、本当に馴 染 みのないものなのか。今の彼にはそれすら分からない。
歩き疲れて、休む場所を探す。適当に座っていればいいかと思ったのだが、道 端 に座り込んでいたら警官がやってきて嫌 みを言われた末、追い立てられた。やがて公園を見つけて、ベンチに座る。
「そもそもここはどこなのだろう」
ぼんやりと独り言を漏 らした。
「記憶にはないな。というか記憶がないのだが。わたしはここにいて大丈夫なのだろうか。犬っぽい人間と人間っぽい犬しか見かけないが、普 通 のものとコンタクトを取らねば情報の均 衡 が取れない。つまり犬っぽい人間と人間っぽい犬の中間にあるなにかだ。なんだろう。よく考えねば──」
「にゃあ」
「違う。失 せろ」
猫 が走っていくのを目で追うと。
「きゃあ!」
逃げた猫に驚 いて、子供が声をあげた。金 髪 の少女だ。
隣 にもうひとりいる、そっくりな年上の少女が笑い出した。
「ドンクサー。なんでコケんの。猫じゃん」
ふたりは顔は似ているが色々と対照的だ。年上のほうは帽 子 をかぶって髪も短く、男の子のような格好をしている。年下のほうは人形のようにフリルだらけだった。
「ふええええ」
泣きそうになっている年少を、もうひとりが抱 えて起こす。
「ほーら立ちなって。怪 我 してないから泣かないの。お姉ちゃんの顔見な。耳たぶこんだけ伸 びるよー。ほら」
「わーい、耳おばけ!」
「そーそー耳おばけ。姉ちゃんが寝 てる間はもっと伸びて、ずーーーーっと伸びて、あんたの部屋まで伸びて獲 物 探すからね」
「ふええええ!」
「へっへっ。あれ。結局泣かしてんじゃん」
「............」
眺 めていると。
姉のほうが視線に気づいて、彼のほうを見やった。
「アー? おっさん。なんなの」
「なに、とは?」
「大人が子供じっと見てっと金取られんの、知らねーの? 社会を敵に回すとおっそろしーよー?」
「そうだったのか。その社会というのは、そんなに恐 ろしいのか?」
「そうだねーカツアゲのために生まれてきたモンスターだよね。だから奴 らに目ェつけられる前にあたしに払 っといたほうが──痛!」
横から、その姉の脳天に思い切り拳 骨 を打ち下ろしたのは。
その姉 妹 を混ぜ合わせて引き伸ばしたような、やはりそっくりな女だった。泣いて悶 絶 する少女はほっといて、にっこりと社交的な微笑 みを浮 かべる。
「ほほほ。申し訳ありません。教育前でして」
母親なのだろう。要するに。
母親。母親......
もやのかかった記憶に、微 かな揺 らぎを感じたが。
それ以上のことはない。姉妹も蹴 散 らされるように、適当に去っていったが。
母親は、どうしてかその場に留 まって、彼を見つめていた。
「あのう......」
「なにか?」
訊ねると、彼女は穏 やかに続けてきた。
「どこかでお会いしたことはございませんか?」
「分かりません。記憶がないので」
彼は、当たり前に答えた。
だが彼女も、特に驚いた様子もなく、
「あら、そうですか......まったくなにも?」
「いいえ。混乱しているというほうが正確かもしれません。判断能力もおかしくなっています」
「どのような?」
「あなたがあと一歩近づいたら、首をへし折るべきだと感じる」
「あらあら」
彼女は上品に笑いながら、ベンチの隣に腰 を下ろした。
「それで、近づきましたけれど、お首とさようならしないとならないのかしら?」
「いいえ。やはり勘 違 いだったようです──」
言うと同時に。
なんの事前動作もなしに抜 き放たれた暗殺用ナイフを、彼は彼女の手首を掴 んで受け止めた。そのまま告げる。
「殺すほどでもない」
「さすが......」
女は掛 け値 なしの賛 嘆 を漏らした。出した時と同じくらい素 速 く、ナイフをしまう。
「ご無礼をいたしました」
「それは、ナイフで刺 そうとしたこと? それとも、わたしの疑念を晴らせるのにとぼけたことですか」
「どちらもですが、こちらも確信がなければ言えないことでして......」
「それで、今は?」
「よろしいでしょう。わたしは最接近領の末 裔 です」
「残念ながら覚えていないようだ」
「落ち着けば思い出すでしょう。まあ要は、あなたの部下であり、あなたが裏切れば始末役にもなる、そんな役割だったわけです」
「今は......?」
「遠い昔の祖先の話ですのよ」
女は苦 笑 してみせた。
「あなたが忽 然 と行方をくらまして、最接近領は解体されました。わたしの祖先もお役御 免 。ただ、一部の者には密命があったのです」
「誰 からの命令だ」
「あなたではありません。あなたの師......イスターシバから。この時代、この地に出現することになるアルフレド・マインスを手助けしろ、と」
「............」
しばらく考え込んで、彼は訊 ねた。
「それがわたしの名前か」
「はい。最接近領領主、アルフレド・マインス」
「あなたは、この時代でわたしがなにをすべきかも知っているのか」
「いいえ。あなたの計画は飽 くまであなたのものです。ただ......」
「ただ?」
「昔の話ですのでね。違う立ち位置の者というのもございまして」
それで彼女が左右を見回すのを察した。公園の気配が変化しているのも。
静かになっていた。遊んでいた子供たちの声もない。さっきの姉妹以外は。
「ままー」
ぱたぱたと、小さいほうが駆 けてくる。
「どうしたの? クリーオウ」
「おねえちゃんが、砂場でバックドロップしたがるのー」
「そう。あとでヤキ入れときましょうね。お姉ちゃんはどこ?」
「うーん。なんかまた変な人いるからやっつけるって。あたしはママのとこ行ってなさいって」
「そう......」
と、娘 を膝 に抱 きかかえて。
ちょうど狙 うように、遊具の陰 から姉のほうも顔を見せた。
ざっ......と、彼女の肩に軽く触 れて、背後にぴったりと、黒いコートの陰気な男を連れて。
アルフレドは、反射的に腰を浮かしかけた。が、男は即 座 に制止してくる。
「動くな! こいつが見えるだろう」
男の手には見慣れない武器がある。短い筒 のような鉄の塊 だ。指を引っかける、奇妙な持ち方をしている。
そっと、女が囁 いた。
「あなたの時代にはまだ一 般 的じゃなかったでしょう。あれは拳 銃 です。魔術より素速く人を殺す武器」
「ママ......?」
「大丈夫よ、天使ちゃん。少しの間、目を閉じてお耳を塞 ぐの」
「そしたら、どうなるの?」
「そしたら──」
説明する時間はなかった。
斜 め上から、それは来た。なんの前触れもなく、空から飛んできたものとしか思えないが。
矢のように地面に突 き刺さり、男を吹き飛ばした。一 撃 、なんの抵 抗 もさせずに打ち倒 して、呆 然 と立ったままの少女を、ぽんと叩 く。
「あれ? 死ななかった? すんごくラッキーだったねーお嬢 ちゃん」
そして持っていたものを、ぐにゃりと握 りつぶした。拳銃とかいう武器だ。
現れたのは女だった。やはり長い金髪の女だが、それまでの母子らとは、雰 囲 気 がまるで違う。彼女はベンチに手を振った。
「よっほーい、ティシティニー。お互 いガキ産んでから顔見てなかったねェー」
「そうねえ、BB。お久しぶり」
「よせよー、あだ名は。もうそんなに親しかァねえっしょ。ぶっ殺し合いも最近してないし」
言っていることに反して、ガハハと笑いながら態度は随 分 馴 れ馴 れしい。
「んで? 大金払ってわたしを雇 うなんて、よっぽどのことだね。旦 那 に知られたら大目玉じゃないの?」
「もちろんよ。でも、背に腹は替 えられない」
「......彼女は、魔術士なのか?」
アルフレドは訊ねた。BBというその女は確かに空から落ちてきた。
「まだ記憶が曖 昧 だが、あれがまともじゃないというのは感じる。まさか、ヴァンパイアか」
「あのクソビッチはそのようですわね」
「しかも安定している。こんなことが可能なのか」
「でもクソのビッチですのよ」
「ママ、クソのビッチってなに?」
「あれのことよ。同じ場所で息をするのも危ないケダモノだけど、大丈夫。お金を渡 しておけばおとなしくなるからね」
「お前なー......あー、あいつからは金受け取ったら駄 目 なんだよ。学べよわたし。いつか学べ。いつかでいいや。よし立ち直った」
ばしばしと自分の頭をぶっているヴァンパイア、BBに。
アルフレドは立ち上がり、近づいて......横を通り過ぎ、ぶっ倒れているコートの男をのぞき込んだ。
「それはそれとして、この男のほうはなんなのだ」
「まあ要するに、あなたの帰 還 を望まない者もいるということですわね」
【隠れ家・一時間後】
「吐 けってんだよオラァ!」
ずびし! ぎゃああー!
「てめえの代わりなんざいくらでもいるんだ。役に立たねえなら生かしとく意味もねえ。番犬の餌 にちょうどいい!」
ぐるるう、ばう! ばう!
「泣いてもらってもらちが明かねえんでなあ。こっちが欲しいのは情報とゼニだよ! ハッハァ!」
アルフレドはその光景をずっと無言で見ていたのだが。
どうしても我 慢 ができず、声をかけた。
「さっきからひとりでなにをやっているのだ?」
「............」
BBは、独演を続けていた壁 から振り返って、
「いや、尋 問 の練習をと思って......このところ育児に追われてたから、ご無 沙 汰 でさ」
「しかも犬はいない」
「うん。でも、鳴き真 似 はわたしできるし、いつか飼いたいなーとは思ってるし......」
ぶつぶつ言うBBだが。
そうこうしているうちに、扉 を開けて人が入ってくる。
マリアベルだ。さっきの姉妹の、姉のほうである。
両手を頭の後ろで組んで、さほど興味もなさそうに言う。
「捕 虜 の尋 問 おわーたよー」
「え、もう!? 」
声をあげるBBに肩を竦 めて、
「母さんにかかれば、すぐだよ」
「えええー。悲鳴もぶしゃあ、ぐちゃっ、も聞こえなかったじゃん」
「隠 れるためにこの隠れ家を用意したのに、そんな大声出させてどうするの......」
と、これは続けて入ってきたティシティニーである。
聞きながら、彼はつぶやいた。
「都合がどうだからすんなり済むというものでもないと思うが」
「聞き出さないとならないことは多くなかったですしね」
にっこりと、彼女は続けた。
「やはりあの方は、最接近領の手の者でした」
「それって、大昔に首領がヘボだったから潰 れたっていう組織だろ?」
「実に申し訳ない」
BBの横やりに一応アルフレドがつぶやくが、ティシティニーは話を続けた。
「ええ。でもここ数年、派 遣 警察隊の人員を中心に、対聖域の諜 報 員が組織されているという噂 はありました」
「派遣警察隊、とは?」
「ええと、そうですね。騎 士 軍の......まあそのあたりの世事については学ばないとなりませんね。というわけでわたしはそろそろ帰りますので、あとは娘に聞いてください」
「......えっ」
とは、当の娘のあげた声だ。
「母さん帰んの? わたしなにすりゃいいのよ」
「言葉遣 いチョォォップ!」
「ぐが!」
「もう夜になるし、クリーオウを家でひとりにはしておけないでしょ。それに、わたしはもう引退しているの」
「わたしはデビューもしてないじゃん! あ、その、してないでございましゃん!」
「かなりアウトだけどセーフでいっか。まあ、留学前に体験しておくのもいいでしょう。ここにいるのは世界最高レベルの魔術士ふたり。軽くサポートするだけで十分よ」
「軽く、て言われても......」
ぼやくマリアベルだが、ティシティニーは手を振って出口に向かう。
さすがに面 食 らって、アルフレドは呼び止めた。
「本気で預ける気か?」
「ええ。自分の行き先も覚 束 ない男にね。おかしいと思います? でもこれが家族にとっての、ただひとつの逃げ道なのです」
「逃げ道?」
「エバーラスティンの本家は今でも王に仕えています。いもしない王に。わたしは王都から離 れ、任務も忘れました。が、貴族たちはこちらを忘れてはいないでしょう。素知らぬ顔をして、この先なにかあれば逆らえない命令を下してくる。あなたに、師を殺せと命じたように」
「............」
「歴史によればあなたは従ったのだから、お分かりですね。属する組織には逆らえないし、逆らう意味もない。だからわたしは、彼らよりも古く、高次元の命令に従い、彼らの支配を逃 れます」
「イスターシバか」
「ええ。そして、あなたです。わたしは命令に従っただけ。それなら、あなたが殺されるまでは、わたしたちにはなにも言ってこないでしょう。あちらの指揮系統も単純ではないですから」
「あなたはわたしになにを望んでいる?」
「そうですね。できれば、アルフレド・マインスが再び最接近領を組織し、貴族連盟の王立治安構想を破 棄 して新たな王になること。世界の破局がどうたらについては、わたしの埒 外 ですので」
と、視線をBBに移して、付け足す。
「まあ、このトトカンタを拠 点 にして王都と戦うのなら、そこのクソビッチはいずれ始末しないとなりませんけれど。街の半分を牛 耳 っている悪の手先ですから」
「べー、だ。しょうがないじゃん。わたしだって引退してガキといたいけど、しがらみってもんがあんだからさ」
言い訳するBBに、無視して出て行くティシティニー。あとは退 屈 そうにしているマリアベルだが。
アルフレドはぽつりと囁いた。
「超 人 の宿命か。超人であることはやめられない」
「......んで、なにやればいいの?」
訊 いてくるマリアベルに、告げる。
「どの服が似合うかよりも、まずは己の身の丈 を調べないとな」
【トトカンタ市・数日後】
「あっちだ! あっちに逃げた!」
「いや、向こうに道なんかない。どこかでやり過ごされた──」
そんな戸 惑 いが、数秒のことだとしても。
それで十分だった。アルフレドは彼らの死角からほんの半歩、進み出て拳 を撃 ち込む。
「ぐあっ!」
引きつるような声をあげて倒れるふたりを見下ろして、彼はつぶやいた。
「正解は、まあ逃げてはいなかった」
「なんだろねー。おっちゃん、手になんか仕込んでんの?」
「いや?」
手のひらを広げて見せる。同じ隠れ場所から、遅 れてひょいと顔を出したマリアベルに。
足りない背丈をぴんと伸 ばして、彼女は不思議そうに首を傾 げた。
「だって触 るだけで人が倒れんじゃん。なにやったらそうなんの?」
「触っているだけではないから倒れる。人体の急所と構造を知って打撃を与 える、ただの技術だ」
「首つまむだけでブルブルって気絶しちゃう、なんかそういう秘密の技とかもある?」
「そんなものは知らない。わたしは常識人だ」
と。
少し離れた場所で轟 音 が響 いた。
爆 発 、というか重いものが地面に激 突 したような。地鳴りに足 下 を揺 らされた後、しゅたっと、今度は軽い調子で人 影 が降り立つ。BBだ。
「向こうも片付いたよ」
「なにをやって片付けた?」
「え? 家を投げた」
きょとんとするBBを指さして、アルフレドは告げた。
「非常識なことはこっちに訊け」
「分かった」
「そゆこというー?」
不満そうに言いながら。
BBはかぶりを振 った。
「もらった分だけは手伝ってやろうとは思ってるけどさ。それってきりがあるよ」
「そうか。では非常識を指 摘 しないことにする」
「いやそこじゃなくて。金でもないんだけどね。こんな連中とじゃれ合ってても、なんも進まないっしょ。なにをやるつもりなのかさっさと決めなさいってこと。過去から時間を飛んできたなんて話は、わたしゃ信じないけど」
「わたしもー」
マリアベルが尻 馬 に乗る。
アルフレドは嘆 息 した。
「わたしも、どうだろうな。アルフレドという名前は、馴 染 まない」
「そうなん? 名前なんてなんでもよくない?」
「かもしれないな」
「ンー。ティシティニーの言う通り、この世界の王様になんの?」
気楽な調子の質問に、アルフレドはしばし虚 空 を見上げた。
「魔王だな」
「魔王?」
「天人種族が巨 大 な魔術によって予見した可能性だ。この世界には創造主が存在し、すべてを解決する能力を持っている。魔術士はそのパワーを利用できる」
「そんなことあり得んの?」
「イスターシバと聖域はそれを信じている。貴族連盟も信じているから、今さら最接近領を復活させたのだろう。根拠となるのは魔術の存在だ」
「大 袈 裟 じゃない? 魔術なんつーたって、喧 嘩 の役に立つ程度じゃん」
「根拠だよ。究極的に魔王が存在しないなら、魔術などというものはあるのがおかしい」
「ふうん。じゃあ魔術の達人はなにやっても許されんの?」
「世界を創造したほどの力を自在に扱 えるなら、許すも許されるもどうしようもないだろうな......」
言ってから、アルフレドはあたりを見回した。
倒れたままの男たちを改めて眺 め、つぶやく。
「こんな連中とじゃれ合ってても、か。まったくだな。貴族連盟がわたしを抹 殺 するのにこの程度の駒 しか用意できないなら、望みは薄 そうだ」
「敵が強いほうがいいの?」
まだ話がピンとこないらしいBBに、苦笑する。
「任務を思えば、わたしは誰かを敵だと決めつける余 裕 もない」
「ふうん。だからこいつら、始末しないわけ?」
「まあ、そういうことだ」
と、歩き出す。
BBとマリアベルもついてくる。ふたりともに、表情は明るいものではなかった。
マリアベルがぼやき出した。
「なーんかフクザツ。わたし、来年には遠くに行って訓練受けることになってるらしいんだけど。貴族の手下ってわりに合わなさそうだよね。母さんが嫌 うのも分かるかな」
「勘 定 の合わない仕事ばかりでもないとは思うが」
「どうかなー。まあわたしがやらないと、妹がってことになっちゃうし仕方ないんだけどさ。あの子身体 も弱いしすぐ泣くし、トラブルごとなんか解決できっこないに決まってるし」
「なーにーこの子。いっちょまえに家族養っちゃう気?」
「よーしーてー」
わしゃわしゃと髪 を掴 んで撫 でるBBに、マリアベルが抵抗する。無駄だが。
この数日は、新たな最接近領からの手の者に対処するのに費 やされた。
混乱していた記 憶 も、勘 ももどった。この時代のことも分かってはきた。
あとは決断だけだ。イスターシバから託 された時間は限られたものだ。
と、BBが視線を投げてきた。すねを蹴ろうとするマリアベルをかわしながら。
「あのさ。もう一度言うけど、わたしが手伝える時間はそう長くないよ」
その目は先ほどまでと違い、どこか意味深げだった。
「ああ。わきまえておく」
アルフレドはうなずいた。
急 かされるまでもなく、己の進むべき道を決めなければならなかった。
【トトカンタ市・その夜】
静まり返った夜の公園に、遊具が揺れる微 かな音が聞こえている。
風だろうか。それほどの風は吹 いていない。古くなった金具は、風などなくとも自然と鳴るように出来ているのだろうか。ここが夜の公園だと示すためだけに。
アルフレド・マインスが、数日前に訪 れた公園だった。その時に座ったベンチ。目の前には、BBが落下してきた時の破 壊 跡 がまだ残っている。
「この公園から始まったので、改めてここから始めることにする。わたしはアルフレド・マインスではない。チャイルドマン・パウダーフィールド」
しばらく間をおいてから、言い足す。
「ひとりごとを言っているのではないのだがな」
と、それを聞いていたBBが進み出てきた。
「ついてきてたのバレてた?」
頭を掻 きながら、決まり悪そうに。
チャイルドマンは首を振った。
「いや。身を隠 せるかと思ったが、逃 げ切れそうにないとあきらめた」
「わたしから?」
「ああ。期限切れなんだろう?」
「恨 まないでよね? 別に騙 したわけでもないし、ぎりぎりの譲 歩 もしたんだ。ティシティニーに雇 われるより先に、最接近領の連中が来てた。あんたを殺せって頼 みと、守れって頼みを両方受けちゃってさ」
「数日の猶 予 をくれたわけだ。恨むどころか、ありがたい。気持ちが固まる前にやり合っていたら、ひとたまりもなかった」
振り向く。と。
BBも動いていた。走り込んでくる。人間離れして速い突 撃 をいなして、チャイルドマンは身をかわした。
だが掠 めた衝 撃 だけでよろめきそうだった。崩 れた体勢で、編んだ構成を展開する。
「切り裂 け!」
真空波で捉 えようとする。BBは脚 力 だけでそれを引き離すと、ベンチを踏 み壊 して宙に舞 った。
さらにチャイルドマンは魔術を放つ。
「撃て!」
雷 光 が狙 う。空中で避 けられないかというと、BBはあっさりと軌 道 を変えて地面にもどった。
「重力制 御 か。術者としても手 練 れだな......」
「あんたも、昔の奴にしちゃあ衰 えてないね」
手をこねながら身構える。
「名前、変えるつもり? チャイルドマンて、なに」
「母の子だからさ」
「そりゃ、誰だってそうでしょうよ」
言って、横に跳 ぶ。
チャイルドマンはそれを追って術を放った。
「練り殺せッ!」
空間の歪 曲 がBBを追うが、追いつけない。
過ぎ去った魔術の威 力 を横目に、彼女がうめいた。
「練り殺せぇ? どんなんよ、それ」
「食らってみれば分かる」
「うわ。好 奇 心 が罠 」
今度は素 直 に飛びかかってきた。
連続して突き出してきた拳をかわし、身体を反転して足下に反撃する。踵 でBBの臑 を打ったが、急所に打撃を受けても彼女は止まらず、簡単に押し返してきた。
「ハッ!」
「くっ......」
両腕 で防ぐが、大岩を止めようとするようなものだった。
たまらずに吹き飛ばされる。軽く数メートルも転がり、遊具にぶつかって止まった。
すぐに起き上がったが、その鼻先にぴたりと、BBが指を突き付けている。
「チェックメイトよ。言い残すことは?」
「君はわたしより遥 かに強力な術者だ。恐 らく現代で、最も超人に近い」
「かもね。でも王様なんかになる気はないよ。世界の破 滅 も興味ない」
「そうだな。わたしも、君に託せる気はしない」
聞いていたBBが、やや顔をしかめる。
「......なんか、遺 言 には聞こえないね」
「なにに聞こえる?」
「教師の評価かな」
「そんなところだ」
チャイルドマンは視線を逸 らした。
タイミングを決めてあったわけでもないし、察したのでもない。単なる偶 然 だが。
ちょうどその時、爆発音が鳴り響いた。
遠方からだ。下町の方角。
眉 を上げてBBが振り返る。チャイルドマンはその間に、立ち上がった。
同じものを眺める。遠い空に、火柱が上がっている。発火装置によるものなのだが。派手に輝 いていた。
「君の家のあたりだと思わないか?」
「え」
つぶやきに、BBが動 揺 した。
チャイルドマンは続けて告げた。
「君の脚力なら、急いでもどれば家族を助けられるだろう」
「うちの旦 那 はそんな間 抜 けじゃないよ」
彼女の反論には、単に肩を竦 めてみせる。
「そうか。では続きをやるか?」
「くっ......だっ......ええと」
目に見えて困り果て、彼女は吐 き捨てた。
「ばーか! もう、次会ったら練り殺すかんね!」
と、跳 躍 して夜空に消える。
しばらくそれを見上げていると。
公園に、ぱたぱたと駆 け込んできたのはマリアベルだった。
手を振りながら、
「やっといたよー」
「本当に燃やしてはいないだろうな?」
「多分ね。屋根は焦 げただろうけど」
ほっぺたを指で掻きながら、つぶやく少女に。
チャイルドマンは、ぽんと頭を叩 いた。
「思うに、君は上出来だ」
「でも、母さんはまだまだって言うよ。だから訓練に出したがってる」
面 白 くなさそうに言う。
息をついてチャイルドマンは申し出た。
「わたしが教えよう」
「え?」
「これから、各地を回ってみようと思っている。君みたいな賢 い子がついてきてくれれば心強い」
空を見上げた。地上からこれ見よがしに燃え上がった火柱は、あっさりもう消えている。見た目だけ派手にしたフェイクだからだが。
暗がりに星を煌 めかせた、深い夜。空の広がりは時代を経ても変わりない。
「なにか探しに行くの?」
問うマリアベルに、答えた。
「そうだな。託せる相手を探す」
考えながら話した。
はっきりしたことはまだなにも分からない。それを求めて行くのだ。
「君の母親には悪いが、わたしは魔王ではない。そんなものになれる資格がなにかは知らないが。それを探したい。あてもない、ただのはぐれ旅だ」
「そんな旅なんかで、世界を救える?」
「分からん。だが、母からの頼まれごとだ。やってみるさ」
旅の始まりは、実際にはもう少し経 ってから。
トトカンタ市でエバーラスティン家のために働き、やがて大陸各地を放 浪 して、暗殺者として知れ渡 る。歴史に突 如 として出現した、魔術の達人、チャイルドマン・パウダーフィールド。
そんな始まりがあった。

中肉中背、黒 髪 で黒ずくめ、目つきというか態度の悪い、胸には剣 にからみついた一本脚 のドラゴンの紋 章 をぶら下げた男と。
金 髪 碧 眼 、こんな野外には不似合いな若い娘 が、その頭には黒い子犬を乗せて。
同じく金髪に翠 色 の目の、紅 顔 の少年もついでに顔を揃 えて。
焚 き火を囲んで、虚 ろな眼 差 しで座り込 んでいる。
ここはどこであろう。キエサルヒマ大陸の西側、古都アレンハタムより北上したとある街 道 沿 い。やや道からは逸 れて、キャンプなどしていても人目にはつかなかった。
ふう、とため息をついたのは──まあ三人ともさっきから何度も繰 り返していたのだが──クリーオウだった。
「おなかすいたね」
それも何度か聞いた言葉ではあった。
「まあ、そうだな」
オーフェンは同意した。
「お師様が、最後の干し肉なんて食べたら終わりだ、ならやるべきことはこれで魚でも捕 ることだ、なんてそれっぽいこと言ったんですよね」
「それっぽかったわよね」
「ああ。だって、それっぽかったからな」
力なくぶつぶつと続けるが。
マジクは三人の中で初めて、動作を見せた。顔を横に向けたのだ。
冷たい眼差しで言う。
「で、捕 まえた魚が古代魔 術 の秘宝を呑 み込んだ影 響 で人面魚になった喋 る魚で、食べるに食べれないししかも旅の方助けてくださいとか言われてその途 端 にコウモリ猿 の集団に襲 われてなし崩 しに妙 な遺 跡 に逃 げ込んでてんやわんやでわけ分からないうちにどうにか切り抜 けたはいいもののなんの得もなかったんですよね」
「まあな」
「オーフェンは最後血まみれで突 っ立ってて、結構充 実 してたわよね」
「まあな」
「でも、おなかすいたね」
「ああ。血も出たし」
「あのお魚、どうしても食べれなかったのかな」
「無理だろ」
「猿も」
「いやー......無理だろ。いや待てよ。ああ、無理」
一応の可能性は想像してから否 を告げる。もっとも、その猿ももういないし、実はその猿が遺跡の大怪 獣 を外に出さないようにしていた守護者的ななんかそういうのでしたというようなありがちなそんな事情もあったし、ともあれもういないし、調理法も思いつかないし、どっちにしてももういないのだが。
さらにマジクが続けた。
「その前は、なんか女の人が悲鳴をあげて逃げてるのに遭 遇 して助けましたよね」
「あの頃 はまだおなかもそんなにすいてなかったわよね」
もはやそれしか言えない精神状態らしく、膝 を抱 えてクリーオウがぼやく。
オーフェンも数日前を思い出すのにしばらく苦労しなければならなかった。
「そんなのあったっけか。何度かあった気がするから曖 昧 だな......」
「最終的に裏 切 られた女の人です」
「わりと大 概 裏切るよな、助けた女って」
「そういえばそうかもしれないですね。なんででしょうね」
「さあ。でもそのせいで、なんか助けた礼とか有 耶 無 耶 になりがちなんだよな」
「もう助けないほうがいいんじゃないですか?」
「それは案外、そう思うな」
「おなかもすくしね」
しみじみと、オーフェンはかぶりを振 った。
「もっと良かった話をしようぜ。いいことだってあったろ」
「............」
「............」
「ねえのかよ!」
ばんと地面を叩 く。
ぼんやりと、クリーオウがつぶやいた。
「ここで旅が終わるなんて、なんか不思議な気もするわね」
「つっても、他にどうしようもねえだろ。なんかことあるごとにトラブル起こるし、金もねえし」
「引き返しても、帰り道も同じなんじゃないですか?」
「まあそうだが、帰りはせめてゴールがあるしな」
夜空を見上げて、オーフェンは伸 びをした。
「もともと目的があったわけでもねえし。引き返して悪いことあるか?」
◆◇◆◇◆
「......虫 唾 の走る状態のものが転がっている......」
応接間に入った途端、末の妹が嫌 そうにつぶやくのを聞いて。
ラッツベインは妹の肩 越 しに、なにがあるのかのぞこうと首を伸ばした。
見て、苦笑する。
「うんまあ、ぞっとしなくはあるけど」
ソファーで両親が、互 いにもたれかかるようにして眠 りこけていた。ついでに犬も足下で寝 ている。
「どうしたの?」
玄 関 から最後に入ってきた中の妹が訊 いてくる。
くるりと向いて、ラッツベインは言った。
「父さんと母さんが居眠りしてるだけ」
「ふうん?」
さほど興味もなく、エッジは部屋に行きかけた。ふと足を止めて話してくる。
「こんなとこで寝てていいわけ? キルスタンウッズがカーロッタ派の村とピリついてるって噂 あるみたいだけど」
「家の中では騎 士 団 話はよしなよー」
ラッツベインがうめくと、ぽつりとラチェットが言い足した。
「ようやく審 問 に受かってチョーシこいてる人に言っても無 駄 」
「調子になんか乗ってない。責任を感じてるの。なんにも考えずに遊びほうけてるあんたと違 ってね」
嫌 みを言い残して去ろうとするエッジだが。
両妹を見比べて、ラッツベインは思い切り嫌な顔をした。
「やめてよねー。あなたたちそれで報復合戦始めるんだから。それで巻き込まれるの、わたしだし」
「罠 を作ってるうちに、のろまな姉は単体よりまとめてやっつけたほうがいいなと思いつくのが常」
「姉さんに足を引っぱられなければ、わたしは罠なんて引っかからない」
「なんでわたし妹なんているんだろ......」
ぶつぶつこぼしてから、エッジに命じる。
「毛布かなにか持ってきてよ。戦術騎士団のリーダーがこんなとこで風 邪 ひいたら馬 鹿 みたいでしょ」
「なんでわたしが」
「責任感あるんでしょ」
威 厳 を持ってぴしゃりと言ったつもりだったのだが、寝 室 に向かうエッジの態度はのたのたと不服従たっぷりだった。追い打ちをかけておく。
「一応、騎士団じゃわたしのほうが先 輩 なんだからねー」
「ほとんど同じでしょ!」
反論が返ってくるが、それは無視しておいた。先輩の威風というやつだ。あと、口 喧 嘩 では勝てないし。
両手を腰 に当てて、やはり威厳たっぷりに待とうとしていると、ラチェットがじっと両親を眺 めている。基本しかめ面 で感情が分かりにくい妹だが、さっきの汚 物 でも見るような眼差しとは少し違っていたようだ。
こんな時、妹は突 拍 子 もないことを訊いてくる。今もだった。
「......なんの夢見てると思う?」
「なに、急に。そんなの分かるわけないでしょ」
「まあ、そうだけど」
と、匙 でも投げる仕草をして、ラチェットも部屋に引き上げていった。
◆◇◆◇◆
南下のルートを探す。
といってももちろん、来た道をもどるわけだが。
「とはいえ、ここまで道をそのまま来たわけじゃないからなあ。フェンリルの森も論外だが、キンクホールも避 けたいな」
「お金がないのはどうするの?」
歩きながら、訊いてくるクリーオウに。
オーフェンは肩 を竦 めた。
「それは進んでももどっても変わらないからな」
「どうする? 強 盗 とかする?」
「うん。まずお前のそういうとこをカウンセリングしてから考える」
「お師様ー」
後ろから、マジクの声が聞こえてきた。
「なんだー?」
振り返らずに返事すると、続けて言ってくる。
「なんか、なにげなく通り過ぎようとしてるみたいに見えますけど、そこに人倒 れてません?」
「ああ、いるな」
「さすがに無視するのはどうかって思うんですけど......」
そう言いながらも自分も通り過ぎるマジクなのだが。
潰 れたカエルのように地べたにうつ伏 せに倒れていた女が、むくりと顔を上げる。
「たすけて......」
「助けないんですか? お師様」
「だってお前、旅費もないのに帰らないとならないんだぞ」
「お金あります」
ずるずると四つん這 いでついてきながら(案外速い)、女。
それを次いで、マジクが言ってくる。一応という口調で。
「お金あるそうですよ」
「本当に金ある奴 が行き倒れるかよ」
「すごい。オーフェンが学習してる」
クリーオウがなんとなく戦 いている。
もはやすたすたと歩いている女が、足早に追いかけてきた。
「ええと、村にはお金があるんですが悪い山 賊 に占 領 されてしまって......」
「警察行けよ」
「悪い領主が結 託 してるので......」
「引 っ越 せ」
「でも大 抵 の場合、旅の御 方 が助けてくれるものでは」
「あっしには関わりのねえことでござろ」
この頃にはもう、女はほとんど駆 け足になっていたが。
オーフェンも走り出し、追いかけっこになっていた。
「一刻の猶 予 もないんです! 謎 の疫 病 も流 行 ってますし!」
「医者呼べ!」
「村はずれの森には不 気 味 な怪 物 が彷徨 いているって噂で、それとは一 切 関係ないと思いますがわたしには幼少時に生き別れた兄が!」
「その怪物の髭 剃 ってみろ!」
「遠い地下世界で魔王が復活するという予言があって近所の洞 窟 にある伝説の剣を抜いた人がそれを倒す定めだとかなんとか──」
「ならお前の村の周辺はスライムしか出ないからほっとけ!」
叫 びながらしばし走り続けて。
やがてふたりとも力尽 きて、その場でうずくまった。
「はあはあ......腹減ってるのに全力疾 走 しちまった......」
「わたしも、十二時間で心臓に達する呪 いの矢を受けてしまったというのにこんなにも激しい運動を......」
息を整えているうちに、とぼとぼと、クリーオウとマジクが追いついてくる。
「話だけでも聞いてあげたら?」
「お前なー」
ぐったりと起き上がる。半眼でつぶやいた。
「話なんか聞いたら最後だぞ。あとはもうなんかわけの分からん他人の事情に振り回されて徹 夜 コースだぞ」
「でも無視していくのも逆に無理がない......? なんかその人、壮 絶 に頑 張 って吐 こうとかしてるよ」
「うべほっ。ごうほっ。不治の病です......喉 に突っ込んでるこの指のことは気にしないでください」
はああ、と長々と嘆 息 して。
オーフェンは渋 々 、その女に向き合った。
改めて観察してみると、大人しく教養もありそうな女で、身なりも良い。口に突っ込んだ手を引っこ抜いて、大量のよだれを拭 いているのはまあ見過ごしての話だが。
「で、なにがあったんだ?」
「とにかく、困ってるのです」
女は、よよよと泣き崩 れた。
「村に悪魔が居座ってしまいました......」
「はーっはっはっはぁ!」
古い剣を掲 げ、毛皮のマントをまとった身長百二十センチほどの地人が、村の中央に設 えられた演台に上り、高笑いをしている。
「恐 るべき災難に対し、村を救った勇者にしてこの大英 雄 、マスマテュリアの闘 犬 、ボルカノ・ボルカン様が貴様ら愚 民 にありがたい説教を聞かせてやるから感謝するがいい!」
「えーと。なんかもううるさいので聞いてあげてくださーい。昨日みたいに、誰 もいないと結局各戸まわっていくことになるので、そのほうが鬱 陶 しいでしょうし......」
隣 では、似たような格好だが分 厚 い眼鏡 をかけた弟がぼやいている。
仕方なしなのか、村の人々がのろのろと演台の周りに集まっていくと、ボルカンはますます声を大にして演説を始めた。
「いいか! まず貴様らがどうして駄 目 かというと、俺 様ではないからだ! なので今からはどうやって俺様になるのかだけを考えて生きるといい。まず第一に、心臓を抉 って食べると俺様化する可能性はあるが、やめろ。つい思いついてしまったが試されても困る。第二に、俺様に噛 まれると十二時間後に俺様になっているかもしれない。これもちょっと嫌だ。お前ら塩味だろ」
「あー、はい。そうです。もう大体聞いたふりしておけば大 丈 夫 な流れになってます。当人もなに言ったか覚えてませんし。試験にも出ません」
質問してきた村人に、地人の弟のほう、ドーチンが対応しているのだが。
ともあれ、それを少し離れた場所から眺めて。
オーフェンは、腕 組 みしてつぶやいた。
「で、なにがどうなったんだ、あれは?」
横で女が、重々しく語り始める。
「もう三日になります......あの方々がああやって毎日村のみんなに話を聞くことを強要するのです。日がな一日」
「無視すればいいんじゃないですか?」
これは、マジク。
女は首を横に振った。
「そんなわけには。仮にも村を救ってくださった大恩人なのです」
腑 に落ちず、オーフェンは疑問符 を浮 かべた。
「なんでそうなったんだよ」
「わたしの村は古来より、とにかく困ったことがあれば旅の人にお頼 みするという古き良き伝統を大事にしております」
「良くはない。特にまったく良くはない」
「街道が整備されて人の通いも良くなってからは、旅の方々のために次から次へと災難を考えるため日常の仕事も手につかぬほど。ですがこれも世のため人のため」
「かなり全方向に、なんのためにもなってないな」
「若い世代には違 う考え方も現れました。『こんなんじゃ駄目だ、世界の危機は自分たちの手でなんとかするべきでは?』などと考え始め、なんか幼なじみが最終兵器だったり、実は自分が超 古代スーパー遺 産 の継 承 者 だったりしないかなあなどと部屋に寝 っ転がって外にも出なくなりました」
「あと一歩だな。いや、さらに一歩後退してんのか? まあどうでもいいか」
ようやく前置きを終えて、女はぐっと拳 を握 りしめた。
「それでは駄目なのです! 危機を救うのは旅人でなければ! そうすれば問題を解決した後にはさっさと旅立って消えてくれますし、あとくされもないはず」
「ないかなー。旅人とは別に、腐 ったものはこの村に残る気がするけど」
「なんと、お戯 れを。この『問題はすべて旅人にシステム』によって、村は清らかに保たれてきました。なのですがシステムには欠 陥 もつきもの。ああして、何 故 か村に居座ってしまう旅人も時折いるのです」
「じゃあ、あいつら追い出せばいいのか?」
指を鳴らしながらオーフェンが進み出ようとすると。
はっと、女は回り込んだ。
「待ってください! 暴力では駄目です。恩人ですし、ずたぼろのぐずぐずに痛めつけて唾 吐いて追い出したとして、この村の悪評などばらまかれては迷 惑 ──あ、いえ、良き思い出を持っていっていただきたいですから」
「もうお前らのほうをぶっとばしたほうが早い気がかなりしてるんだが」
「そんなわけはありません。わたしたちすげえ陰 惨 な顔で泣きますし、怨 みごとを岩とかに彫 って永遠に語り継 ぎますよ」
「あーあー、さいですか」
早くも捨 て鉢 な気分で、歩いていく。
ボルカンの演説に集められている村人の数は案外多く、二、三十人の若者が演台の前で拍 手 させられたり、うなずかされたりしている。させられたりというのは、その都 度 ドーチンが『拍手!』といった看板を持ち上げるからだ。みなうんざりと生気のない顔をしているものの、むげにもできないというのは本当のようで、ぎりぎりの愛 想 笑いでつきあっている。
近づいていくこちらに、壇 上 のボルカンが気づいたようで、あっと声をあげた。
「そこの貴様! どうしてここに!」
「こっちの台詞 だ!」
オーフェンは怒 鳴 って、ついでに集まった村人にも告げた。
「もう解散しろ! あいつの話を聞く必要は一切ない!」
「なんだと貴様! 聞けばためになる俺様講座だぞ! まだ導入が終わったばかりで、第二章・俺とお前とあいつとそれとが始まろうと──」
「マジ一切ない! もういいから黙 って消えろ!」
「消えん!」
「............」
そのまま睨 み合った後。
オーフェンは、ざっざっと後 戻 りした。待っていた村の女と、クリーオウとマジクに、
「知恵のすべてを使い尽 くしたが駄目だった。あともう吹 き飛ばしていいか?」
「なにひとつとして英知が使用されたように見えませんでしたが......」
「さすがにわたしも弁護できないわ、オーフェン」
何故か誰 ひとり承知しない。
「じゃあどうしろって言うんだよ。あいつらだぞ。話が通じるわけねえだろ」
「問題は、村の人が話につきあわされてることなわけですから......」
と、マジクが言い出した。
「お師様がもっと大きな問題ごとを解決すれば、こっちの権 威 が上になって、もう解散しろって言えません?」
「素晴らしい!」
女が、きらきらと目を輝 かせた。
懐 から紙の束を取り出して、
「ではリストから、解決して欲しい問題を選んでみましょうか。うちの下水は......あ、先週もう直してもらったわね。家庭菜園作り......は、この前家族連れがやってきた時に三日くらい子供に労働させて片付いた、と」
「もうとっくにこの村の悪評は広まってるんじゃねえか?」
半眼で言うオーフェンは無視して、女は続ける。
「あっ。これいいですわね。上流で川を堰 き止めてるビーバー退治! 容 赦 なくビーバーを蹴 散 らしてくれそうなヤバげな旅人というのもなかなかいらっしゃらなくて」
「そもそも、あいつらはなにをやったんだ?」
また講演を再開している地人たちを指して、訊 ねる。
女は、くしゃっと紙を握りつぶした。
「そうですね。こんなリストでは太 刀 打 ちできません。あの方たちの偉 業 の前には......」
「じゃあなんで勧 めかけたんだよ」
「いえ、まあせっかくだと思って......とにかく!」
身を乗り出して声を大きくした。
「あの勇者たちは、誰にも成し遂 げられないことを成し遂げたのです」
「どんな。中指を自分で折ったとか?」
「いや......それは違 いますけど」
「じゃあヤギを使って三十秒以内に前歯を全部抜 いた?」
「なんでそんなびっくり珍 記録みたいなアレなんですか。違います。この村を救ったのです」
「もういいから具体的に言ってくれよ」
「では申しましょう」
改めて発表する。
「村を脅 かす邪 悪 な魔王を撃 退 したのです!」
「............」
じっと、しらけて見つめていたのだが。
女は気づいていたはずだが、きっぱり無視してあとを続けた。
「この世のすべてを破 壊 する邪悪な魔王! それを倒すなど、まさに真の英雄にしかできないことです! なんと恐 ろしい......その偉業こそがむしろ恐ろしい......!」
「なんだ魔王って」
「え。魔王ですよ。悪くてヤバイ感じの。いるでしょ」
「魔王なんてものは存在しない。神々から魔術の秘 儀 を盗 んだとされるドラゴン種族が、魔術の究極として存在を夢想したが。いるならとっくにこの世はなくなってる」
「えー......でも、いるんですよ。村の言い伝えでは」
不満そうに言う女に、オーフェンは嘆 息 した。
「なんで村の言い伝えのほうが優先されんだよ。魔王って名前のついてる別のなにかか? でっかい鹿 とか」
「鹿ではありません。実際に現れるのは魔王の化身、恐ろしい怪物なのです」
ぞっと青ざめた顔で、横を向く。適当にではなく、方向に心当たりがあるようだ。
「それは村の西の方角から来るのです。わたしたちの祖先が作った、防 衛 の谷を通って......」
「防衛の谷?」
「そうです。村を守るために築かれた罠 だらけの迷 宮 です。あんなものを通り抜けられるのは超常の存在以外にあり得ません」
女はとうとう身 震 いを始めた。語るのも恐ろしいのか、あるいはまあ、そういう演出に慣れてるかだが。
今度ばかりはあながち後者ばかりでもないと思えた。女は本気で恐ろしがっているように見える。
「魔王って、どう倒したんだよ」
話を合わせるのも癪 には障 ったが、訊 く。
と、女はうなずいて、演壇の地人たちを見やった。
「三日前の夜のことです。村の西に、恐ろしい声が響 きました......それははっきりとこう言ったのです。『ついに来た! ついに来たぞ、全部寄 越 せ』と。それは人の姿をしていましたが並ならぬ様子でした。大男で、血まみれ泥 だらけで凄 まじい悪 臭 。まあ、あの谷を通ってきたのであれば普通であるはずもありません」
わなわなと手を揉 んで、続ける。
「世界の終わりが来たものと、わたしたちは震え上がって旅人を待ちました」
「待つなよ」
今さら無駄ではあるが言っておく。
もちろん女には無視された。
「魔王はしつこく叫び続けていましたが、そこに訪れたのがあの勇者のおふたり! 気高くも名乗りをあげて、魔王に言い渡したのです......『うるさい、なんか知らんが俺に寄越せ』と」
「気高いかなあ」
これはクリーオウだが、やはり無視だ。
「そうして魔王を打ちのめし、傷ついた魔王はそのまま逃 げていきました。わたしたちはみなで英雄を讃 えて歓 待 し、まあ朝には出て行くだろうと思ってたんですが、その後もずっと出て行こうとしないのです。あの方々は」
「宿と飯を与えるからだろ」
「えー。でも段々グレードダウンして、今朝はもうおにぎり一個ずつとかですよ。あと、適当に生えてたキノコ......」
「もう四段階くらいダウンさせないと居座り続けると思うぞ。あいつら、石の裏側の苔 なめて二週間くらい生きてたことあるからな」
「マジですか。部屋にも死んだネズミを三匹 ほど置いてるんですが」
「もう六段階は落とさないと駄目だな」
「えー。想像が追いつかない......」
引いている女はともかくとして、マジクが横から言ってくる。
「それで、お師様、どうするんです?」
「んー」
気乗りはしなかったが、オーフェンは答えた。
「とりあえず行ってみるしかないだろ、その谷とかいうのに......」
防衛の谷というのは本当に村の西にあった。
自然にあった断 崖 の谷の中に、罠の仕 掛 けを作ったものらしい。仕掛けは大半壊れているのではないかと思えたが、地形自体が天然の要害ではある。
谷の幅 は、向こう側まで大体百メートルほどか。向こうはそのまま山で、森に埋 もれている。
「深いわねー、下」
のぞき込んで、クリーオウが感 嘆 の声をあげる。
「こんなとこを通ってくるなら、確かにただ者じゃないのかもね」
「そうでしょうそうでしょう!」
村の女が興奮気味に食いつく。
オーフェンは冷たく同意した。
「まあ、ただ者じゃないな。だって迂 回 できるし」
と、横を見やる。
谷は無限に広がるわけでもなく、向こう側に行くなら遠回りすればいい。街道のなかった大昔は、それもできなかったのかもしれないが。
「迂回なんてとんでもない!」
否定する女に、オーフェンは告げた。
「できないのか?」
「いえ、それはよく分かりませんけど......魔王は必ずここを通って来るのです。言い伝えではあの山の向こうに魔王の巣 穴 があって、雨の降った朝に多く土から出てきて人間型に羽化すると......」
「魔王なんなんだよ」
もうつっこむのにも疲れていたが。
また下を眺めてみる。かなりごちゃごちゃと壁 や屋根で仕切られてよく分からない。かなり大がかりだ。
「ここもどんなだろうなー。通ってこれるっていうなら、埋もれちゃいないんだろうけど」
女がすぐ下を指さした。すぐといってもかなりの高さなのだが。
「すぐそこの仕掛けは知っています。とりあえずここを十メートルほど落下してから油まみれの通路を十秒以内に駆 け抜けないと左右の槍 の壁に貫 かれます」
「結局、びっくり珍記録じゃねえか。おおむね」
「うわあ、ここ挑 戦 するんですか、お師様」
高さだけで結構怯 えた様子のマジクに、村の女がにこにこと続ける。
「こちらから向こうにという例はありませんけれど、往復してもどってこられましたら、あなたを魔王として吐くほど恐れますわ」
「絶対そんなもんにはならん」
と、呪 文 を唱えて跳 ぶ。
重力中和だ。浮かび上がって、そのまま空中を渡り始めた。
「ええええええええええ!」
村の女は悲鳴じみた不服の声を張り上げる。
「ねーよーそれはねーよー旅の御方よー! マジそーいうのよせよー!」
「うっせえなあ。ネタさえばらせばいいんだろ。あいつら英雄じゃないってことで追い払 えるじゃねえか」
浮かび上がったまま振り返って言う(というほど簡単ではないのだが)と、女は黙 り込んだ。
クリーオウとマジクに告げる。
「じゃあ、ちょっと向こう見てくるから。時間かかるか分からないから、適当な頃 合 い見て村にでももどってろよ」
「分かりました、お師様」
「はーい」
クリーオウが見上げて、言ってくる。
「気をつけてね、オーフェン」
「ああ」
「自分くらいは守れるからって、ついそれ以上のことを欲張るんだからさ」
「............」
あれ。
あの時、こんなこと言われたか? と頭を過 ぎり。
そしてすぐに、あの時ってなんだよ、と思い直す。どうでもよくなって、疑問はそれきり忘れた。
バランスを取りながら空中を進んでいく。重力中和は制 御 が難しい術で、これだけの距 離 を浮 遊 していこうというのはマジクなどには永遠に無理だろう。
ひとりになるのは少々、久しぶりな気がした。子供ふたりの面 倒 も見ずに、急に肩 が軽くなった感じすらある。
立場を変えるのは存外、簡単だ。
選ぶ場所はどこにでもある。旅をやめて帰ることも。その途中で寄り道するかどうかも。このまま村のことなど忘れてひとりになってもいい。
そうしたらどうなるのだろう? 未来になにが起こるのか自分は知らないが、それがすべて一 切 合 切 、ここで変わるのだろうか。大したことではないはずだ。まさかそんな気まぐれで世界が終わるわけでもあるまいし。
谷を越えたところで一番先に気づいたのは、道があるということだった。山へと続く細い道だ。山の側からは、ここを通って谷の迷路に進んでいくことになるらしい。
降りて、道を進んでいく。獣 道 ではない。人の作ったものだ。足がかりのために石が埋 めてある。
道は山を登るというより回り込んで、山の向こうに行くためのものらしい。歩いていけば数時間かかるかと、もう一度重力中和術で木々の上まで浮かび上がった。木を蹴 りながら速度を稼 いで、道を辿 っていく。
山を回ったところで、行く手にぽっかりと大きな空白が見えた。森の真ん中が拓 かれ、村がある。谷の向こうからは見えなかった位置だ。
近づいていって降りると、村の中は騒 然 としていた。
村人たち、男も女もだが、武器をそろえて戦争の準備でもしている気配だった。目を疑って、手近な男を捕 まえる。
「なにやってんだ、これ?」
男はオーフェンを見て、びっくりしたようだった。
「誰だお前!」
「いや、ええと」
断絶した未開の村に入り込んだ展開を想像して対応を戸 惑 うが。
すぐに、男は言ってきた。
「旅行者か?」
「え?」
「なら、タイミングが悪かったな。ちょっともめ事があるもんでよ」
話を聞いてみると、事情が分かった。
この村は別に特 殊 な村などではない。かなりの僻 地 で交通は整っていないが、都市とも取引がないわけではなかった。良質な炭の産地でもあり、貧しいというわけでもない。
隣 村 とは谷のせいで(そして後述する事情のせいで)交流がないのだが、こちらの村の人々はずっと、地形が平 坦 な隣村をうらやんでいた。街道がなかった昔には、ことさらだ。そこで移住を領主に訴 えたのだが、当時の領主はこの村から採れる炭や、材木の資源などが失われるのを惜 しんだ。
領主はかなりろくでもない解決策を出した。両村の間にある谷に、向こうの村は罠 や仕掛けを整備する。そしてこちらの村から出てくる者を阻 む。しかしひとりでも突 破 できた者がいたら、村人を入れ替 えるというものだ。
恐らくだが世代が巡 って、向こうの村はこれを忘れてしまったらしい。言い伝えもおかしな具合にねじ曲がって、谷の仕掛けを整備することもなくなった。それがあってついに、この村から突破する者が出た。しかしあろうことか向こうの村は、村を明け渡すどころか突破者を追い返したのだ。
「だから、もう攻 め入って奪 い取ることにしたんだよ!」
鎌 を手にいきり立つ男を、オーフェンは制止した。
「いやいや、待てって。向こうは忘れてるだけだ。普通に人を送って話せばいいだろ」
「忘れてるからこそだ!」
別の村人が怒声をあげる。
「取り決めを忘れてるってことだ! 言ったところで知らんぷりするに決まってる!」
「だからって攻め入るってただじゃ済まないぞ。武力で村を制圧なんかしたら、王都から騎 士 軍が派 遣 されてくる。いやタフレムから魔術士が来るほうが早いか」
「その時には、領主に掛け合う! 証文は残ってんだ! とことんやってやる!」
「わりに合わないだろ。街に出られないわけでもないんだし」
「約束がないがしろにされるってのが、許せないんだよ!」
隣村に攻め入るなどという局面に盛り上がってしまっているというのもあるのだろうが、とりつく島もない。
「ったく、なんなんだよ行く先々で」
どこに行ってもトラブルがある。これも通り過ぎていれば、知ることもなかったのだろうか。知らぬまま村と村が抗 争 して、死傷者も出ていたのか。
実際に、知らずに見過ごした同様のことが山ほどあったのだろうか。これまで生きてきた年月で......
そんなことは、その時のオーフェンは思わなかった。ただ面倒ごとに腹を立てただけだ。
「分かった! 分かった、俺がなんとか解決する」
「解決?」
「いい手があるってわけじゃないが、要は、隣村にぎゃふんと言わせたいだけなんだろ? だったら自 滅 するような真 似 はしないで、本当にぎゃふんと言わせろよ」
「......どういう意味だ?」
「相手にも協力させるんだよ。自分から罠にかかりたがるようにさ」
防衛の谷を見下ろして。
いや、こちら側からすると、侵 略 の谷か。村人はそう呼んでいたようだった。
村人たちの見守る中、オーフェンはすっと息を吸って──
「我は歌う破 壊 の聖音!」
自壊連 鎖 を地面にたたき込み、崖 を崩 して下まで降りる道を作った。
それを一気に駆 け下りて、迷路に向かう。
壁 がある。だが。
「我は放つ光の白 刃 !」
熱衝 撃 波 でぶち壊 した。罠 もあったろうが、こちら側の仕掛けは昔に解除されているし、どのみちオーフェンは魔術を乱発して全部破壊した。
爆 発 とともに突き進む。足を止めることもなく、平らかな残 骸 に変えていった。
やがて、向こうの崖にたどり着き、今度は意味消滅術で登りの坂を作った。
これで坂の上り下り程度で、誰でも通れる状態になった。術を連発したオーフェンはかなり疲れたが。登って、村まで歩いていく。
破壊音が届いていたのか、村から迎 えも出ていた。クリーオウとマジクが駆け寄ってくる。
「あ、やっぱり!」
「爆発が聞こえたらオーフェンよねって言ってたとこだったの」
その言いぐさには釈 然 としなかったものの。
例の村の女も、一 緒 についてきていた。そういえば、彼女の名前はまったく思い出せないのだが。実は女でもなかったのかもしれない。トラブルには必ず女がいたはずと思い込んでいただけということもあり得る。
「旅の御 方 ! あなたはやはり......まお」
「俺は魔王じゃない。ただの俺だ」
ぴしゃりと告げる。
女は面食らったようだが、気を取り直してこう言った。
「そうですか。とまれ、朗 報 があるのです。あの英 雄 様たちですが、村を出ていかれました」
「へえ? どうして」
わりとどうでもいいことだったのだが、女は満足げにうなずいてみせた。
「グレードを十段階落としたら、急いで出ていかれました」
「......どんなことしたんだ、それ」
「さすがに人には言えません。宿はあとで解体して燃やします。それで......その人たちは?」
彼女が問うたのは、オーフェンの後ろからついてきている......向こうの村の人々のことだった。全員、破壊された谷を通ってきた。
全員で、二百人は超 える。武器は持っていない。あらかじめ釘 を刺 しておいた。谷を渡る前にだ──もし武力衝 突 なんかしたら、状 況 回復にやってくるのは俺と同等かそれ以上の魔術士の軍団だぞ、と。
その上であの破壊を見せられたら、もめごとを起こす気はすっかり削 げたようだ。彼らを示して、しれっと、オーフェンは告げた。
「隣の村から旅をしてきた人たちだ......頼 みごとをしたらどうだ?」
◆◇◆◇◆
はっと目を覚ますと、家のソファーにいた。
うたた寝 をしていたらしい。誰 かが毛布をかけてくれたようだ。
静かで、平 穏 な......家族の家。妻が台所で夕食の準備をする音が聞こえている。妻とここで昔のことを話しながら寝入ってしまったようだが。どれくらい眠 っていたのだろう?
「なんだか......疲れる夢だったな」
独 りごちる。
座って寝ていたため固まった首と肩 を回した。
「どうも、普通ならもっと長い話になるものが短い夢になってたみたいな──まあ夢はそういうもんか」
ぶつぶつ言っていると。
ふと、末 娘 のラチェットが居間に入ってきた。部屋にいたようだが。
とことこ歩いてきて、こちらを見つめる。
「......なんだ?」
オーフェンが訊 くと、彼女は、ぽつりとこう言った。
「昔からおんなじようなことやってんだね」
「え?」
分からずに声をあげても、ラチェットは特に答えず、母親のいる台所のほうに行ってしまった。
【全7巻合本版】魔術士オーフェンしゃべる無謀編
2019年1月10日発行 ver.1.0
著 者 秋田禎信
発行所 TOブックス
〒150-0045 東京都渋谷区神泉町18-8
松濤ハイツ2F
03-6452-5678(編集)
0120-933-772(営業フリーダイヤル)
Ⓒ2019 Yoshinobu Akita
※無断で複製・複写・データ配信などをすることは、かたくお断りいたします。
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました。
魔術士オーフェンしゃべる無謀編1
発行日 2012年11月30日 第1刷発行
魔術士オーフェンしゃべる無謀編2
発行日 2012年12月31日 第1刷発行
魔術士オーフェンしゃべる無謀編3
発行日 2013年2月28日 第1刷発行
魔術士オーフェンしゃべる無謀編4
発行日 2013年3月31日 第1刷発行
魔術士オーフェンしゃべる無謀編5
発行日 2013年4月30日 第1刷発行
魔術士オーフェンしゃべる無謀編6
発行日 2013年5月31日 第1刷発行
魔術士オーフェンしゃべる無謀編7
発行日 2013年6月30日 第1刷発行
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